2012-03-30

JOYJOYイースターだよ。

明日、3/31はJOYJOYイースターです。
午後3時から教会です。
たのしみ、たのしみ!!!

毎年50-70人の子供たちが集まります。
マジ激楽しいです。


でも、今、夜の12時前ですが、雷が鳴っています。
明日の天気を見ても・・・雨。

でも、詳しく見てみると・・・。


3時までは雨でも4時からは晴れ!
はい、信じます。天下のWeather Channelですからね。

ほとんどのプログラムは中ですが、
最後のエッグハントは外でやりたいですからね。

予報通り、明日の午後3時には雨が上がって、その後、晴れますように!

でも寒そう。ちゃんと暖かい格好でお集まり下さい!

2012-03-29

祈る。

今日はNYCに行く日だったので、午前中ちょっと教会のオフィスワークや、英語の教会のかたとの相談などなど。
昼頃にNYに行って、人にお会いして、NYのスモールグループを訪問。

夜11時頃のバスに乗って、教会で残っていた一仕事をして、帰ってきたら、12時を回っていた。

こんな日には、夜遅くまで働いている方々や、あと2時間くらいで起きだして仕事に行かれる教会のメンバーのために祈らないでいられない。

一人一人の日々の歩みの中で、神様に目を向けるひと時が与えられますように。

2012-03-26

ぐっと冷えこんで。

ずっと暖かいと言うか、それを通り過ぎて暑い日も続いていたので、本当に久しぶりの冷え込みです。今は夜の10時ですが、早くも1.7度まで下がってきています。今夜の予想最低気温は、-3度Cくらい。明日の昼間も10度どまり。暖かさに慣れきった体には、ちょっときついかも。でも、晴れるので、日差しはもう春ですからね、というか、昼間の時間の方が夜よりも長いくらいなので、寒くても、気持ちが重くなるようなことはないと思います。


今日は日本では、金星と月と木星がほぼ等間隔できれいに並んだようですが、こちらでは、金星と月が大接近。愛用のアプリSky Walkで見ると、こんなに近くなる。





でも、考えてみれば、月も、惑星も大きく書かれているわけで、実際はかなり離れて見えました。

金星ってホントに明るいですね。まだ日が沈む前、7時5分頃、月のすぐ隣で輝いているのが見えました。一番明るい時で1等星の170倍も明るいそうです。でも、それは地球との距離が本当に近いから。これからどんどん近くなるので、どんどん明るくなっていくようです。

でも、近いと言っても、一番近い時で5000万キロ。時速4キロで歩いていくと5700年くらいかかります。新幹線、ちょっとがんばって時速400キロだしてもらえると57年くらいで着きますから、ちょっと身近な感じがしますが、それが一番近い惑星ですからね、そこを何分とかで着いてしまう光が何億年かかって到達するようなところにある星もあるというのですから、もう理解を超えています。

その宇宙を造った神様が私たちに目を留めていてくださる、とはどういうことなのか、それはもうどうにも理解できません・・・。

さて、今日の聖書。
今日はルカ20:41-21:4。

「彼らは長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされることが好きで・・・見えを飾るために長い祈りをします。」20章46−47節。

人目につくことを求めていた人々。
こんな連中のような生き方はしたくない!と、私たちは思います。

・・・でも・・・。
「何もやっていない!」と思われたり、言われたりすると、
また、そう思われているんじゃないかなあ、という恐れを感じると、
「こんなにやっている!」と言いたくなるし、それを見せつけたくなるものです。

ああ、イエスさまは、あの十字架の道の中で、どんなにひどいことを言われても、それを身に受けられたんだなあ、と思います。

本当に本当にどこまでもどこまでも、人前ではなくて、神様の前に真実に歩みたいと思います。

神様、
どうか、あなたの前に歩む者でありますように。
自分がどう思われているか、そこに目を留めさせようとする力から私を守ってください。
自分ではなく、あなたに目を向け、自分ではなく、今、あなたが私に任せてくださっている人々の必要に目を留める者とならせてください。

2012-03-25

礼拝の決意。

今日は先日までよりもぐっと涼しくなって、今は夜の11時過ぎですが、外の気温は9.5度C。今夜は6度くらいまで下がると思います。そして、明日は一日10度以下。久しぶりに寒さを感じるかもしれません。そして、夜はグンと下がって氷点下の冷え込みみたいです。お風邪などお召しになりませんように。

昨日の夜もちょっと書いたのですが、自分の気持ちに正直でありたい、と自分の気持ちの高まりを待って何もしない、というのは、違うんだなあと思います。今日の礼拝の準備をしている中で、イエスもゲッセマネの祈りを通られた、ということに心が動かされました。イエスも、私たちのためにいのちを投げ出す時に、「できればこの杯を取りのけてください」との祈りをささげられた。血の汗を流して祈られた。


私たちが神に従う時に、そういうところを通ることもある。もちろん、喜んで従えることもあるだろう。そっちの方がいいに決まっている。喜んで礼拝できること、喜んで献金できること、喜んで奉仕ができること、そっちの方がいいのは当たり前すぎることだ。


でも、神に従うことに、痛みを伴うこともある。それでも、祈って決意をもって従っていくことも必要なのだ。


礼拝後にはワーシップバンドのミーティング。


礼拝の中でのワーシップリーダーが第一にすべきこと。




「神がここにおられることの宣言」




どう感じるか・・・ではない。
実感があるか・・・ではない。


神の約束だ。


もちろん、神は実感を与えてくださる時もある。
でも、私たちがそれを感じない時にも、神は私たちとともにおられる。


それを宣言することだ。


厳しい状況の中にあって、「神の存在なんかわからない、信じられない」という方がいるならば、なおさら、その中にあって、神の臨在を宣言することだ。


これからも、自分の気分には振り回されないで、決意をもって礼拝を守っていこうと思う。


昨日の「日々のみことば」から。
昨日はルカ20:19-26でした。


「神のものは神に返しなさい」ルカ20:25。

私が神に返すべきものは何か、握りしめているものは何か、しばらく思いめぐらしていました。

教会?
人?
自分の人生?
時?
お金?
からだ?

すべてが神様のものであって、神様の思いのままに、私を用いていただきたいと思わされました。いろんなこだわり、いろんな執着心、そのようなものから自由にしていただきたいと思います。

主よ、
私自身があなたのものです。
あなたの思いのままに用いてください。
私自身の中にある、こだわりとか、自分でここだけは譲れない、と思っているもの、そんなものから、解放してくださいますように。

2012-03-24

愛って?

ああ、何を青いことを・・・って感じですが、
日曜日の準備があるので、今日は一言だけ。

夫婦の話をする時には
「愛は気持ち、感情だけではなくて、決断、意志が大切」と言います。
結婚式で「誓い」をするのは、感情があてにならないからです。
感情としての「愛」は永遠などでは決してないからです。



これは保証します。

(胸張って言うことでもないですが・・・)



だから、「誓い」が必要だし、「決意」が必要だし、「愛する」という具体的な行動が必要なんだと思います。(自分に言い聞かせている・・・)

そして、その決意はやがて、「互いの気持ち」となって返ってきます。

でも、その愛を神様との関係に当てはめると(もうちょっとじっくりと男女の話を読みたい、方々もおられるかもしれませんが、今日は明日の礼拝の準備もあるので短く)、なぜか、急に「決断」よりも、「感情」「実感」が重んじられているのではないかと思います。


「もっと心から信じられるように」「喜んで奉仕したい」「喜んでしない献金なんて」みたいな言われ方をします。私も喜んで主に従っていきたいです。


でも、やはり、そこにも「決断」「意志」の要素が必要なんじゃないかと思ったのです。
「神様のためにこうしたいなあ」という気持ちの高まりを待っていないで、決断をもって神様に従っていく、愛していく。それも大切なんじゃないかと。

ですから、明日、日曜日、一つの決断をもって、意志を持って、「神様を第一としたい」と思います。

ってなことで、おやすみなさい。


2012-03-23

任されたもの。

今日も暖かかったです。26度くらいまで行きました。
でも、この暖かさも今日まで。
明日からはぐっと涼しくなります。
バックドア・コールド・フロントと言いますが、
無理矢理訳すと「裏口寒冷前線」がボストン方面から降りてきます。


明日は多分15度どまり。
火曜日くらいまでずっと涼しめだそうです。
もしかしたら、そのまましばらく。


さて、今朝の聖書。
今朝はルカによる福音書20:9-18。


「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。」9節。

これはイエスのたとえ話の最初の一節。
この「ある人」は、神様をさしていて、
農夫たちは私たち。(ここでは直接は当時の宗教指導者のことを指していたわけだけど)

このたとえ話の中での問題の始まりは、この農夫たちが、任せられた農園で自分勝手を始めたこと。収穫を受け取りにいった僕も、問題の解決のために派遣された人たちもひどい目にあってきた。そして、最後には息子さえ。

私たちは神様からいろんなものを任されている。
財産、お金、時間、才能・・・。

でも、それはあくまでも任されているもの。

それを忘れないこと。
わたしのものはすべて神様のもの。
だから、必要なものはすべて与えられるし、
それは主のために用いるのだ。

そのためには、もっともっと神様の思いを知ること。
神様の思いが、自然とわたしの思いになっていくこと。
そんな歩みをさせていただきたい。

かみさま、
あなたに任されたものを、あなたの喜ばれるような使い方をすることができますように。
どうかあなたの思いをもっともっとわたしに教えてください。

2012-03-22

私の家は祈りの家。

今日は本当に暑いくらいでした。
30度までは行きませんでしたが、27度くらい。


この暖かさで、アスパラは例年よりも1ヶ月近く早く芽を出しています。





このままだと3月中の初収穫となりそうですが、
さてどうなることか。
すべてはあさってからの冷え込みがどれくらいなのか、
そして、その後は暖かくなるのか、にかかっています。

今朝気がついたこと。
自分は妻を本当に信頼している。いや、いろいろ得手不得手の分野があることは知っている。だから、任せられないこともある。それゆえに「信頼している人にそんな言い方する?」と思われるようなきついことも言ったりする。でも、人間として、女性として、本当に信頼している。でも、そのとき、ちょっと、自分がこの人を信頼しようとする「勇気」が偉いかのように思っていないだろうか?ってことに気がついた。

でも、それはそんなんじゃなくて、神様が信頼できる人を与えてくださったことに感謝すべきなんじゃないかと。

そんなことを思っていたら、夫婦関係だけじゃなくて、自分は多くの信頼できる人たちに囲まれて生きてきたんだなあと思わされた。そして、自分を信頼してくれる愛と勇気のある人たちに支えられてきたんだと。

自分の未熟さを恥じるとともに、神様の恵みに感謝した。

さて、今朝の聖書。
今日はマタイによる福音書19:45-20:8

「わたしの家は祈りの家でなければならない」19章46節。

イエスは神殿で商売をしている人たちを追い出して、
私の父は「私の家は祈りの家だ」と言っておられる、と言われた。

今、主は教会を見て、そのように言われるだろうか?
私の生活を見てそのように言われるだろうか?

でも、そうやって自分の姿に落ち込むことよりも、神様が今も、祈りを待っておられること、私たちの祈りを楽しみに待っておられることに目を向けよう。

神様、
あなたが、私のことを、私があなたに祈ることを、楽しみに待っておられることを感謝します。あなたと共に歩む喜びの中に歩ませてください。

2012-03-21

主がお入り用なのです。

さっき、ちょっとNYCに行って来たのですが、
かなーり霧が出ていましたね。
ウチの近辺は、全然大丈夫ですから、
やはり海からの霧なんでしょうか。
ラジオではあちらこちらで霧が深くなってきていることを言っていました。


そんなことで、明日はまた暖かく暑くなりそうです。


予想最高気温26度。
ウチの温度計、30度まで行くかも。


そんな陽気に誘われて、ウチのほったらかし畑も、
ちょこちょこいろんなものが生えてきています。





今年の初収穫はニラ。
本当に柔らかい新芽。
早速、今日のメニューはギョウザに。

ゲストを含めて女子4人で、楽しく包んでいました。

これだけ春が早いと、今年は何を作ろうか、とちょっとやる気になってきます。

まあ、すぐに花粉でダウンすると思うけど・・・。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書19:28-44。

「なぜ、このろばの子をほどくのか」「主がお入用なのです」33-34節。

周りの人々から見たら、まだ誰も載せることはできないようなロバの子。
そのロバの子を連れてきなさい、とイエスは言われた。

周りの人が「なぜ」と聞いたら、「主がお入り用なのです」と答えなさい、と弟子達に命じたという。

そして、そのロバの子が用いられた。

これは、私たちにも当てはまることだと思った。
私たちは勝手に自分の判断で、「まだ早い」「あの人には無理」と思うことがある。
でも、神様が用いようとするならば、用いられるのだ。
神様が必要とされるならば、そこで用いられるのが一番すばらしい。

そして、得てして、神様のしようとしていることを、
周りの人間がとどめてしまっているのだ。

だからもっともっと、神様を信頼して、
多くの人々に、神様のために奉仕をしていただきたいと思う。
もっともっと積極的に奉仕をしていただきたいと思わされた。
自分がそれを留めてはいけないのだと思わされた。

主よ、
あなたが用いようとしている方の働きを、
私が止めることがありませんように。
あなたを信頼して、多くの人々があなたに用いられるのを見ていくことができますように。

2012-03-20

神の喜び。

ここ数日、もやっています。
1月までは朝6時前に教会に行っていたので、
こういう朝は運転もコワかったのですが、
最近は自宅で祈るようにしているので、
気がついたら、もう晴れていることも多いです。


でも、今朝は結構長い間もやっていましたね。


今から25年くらい前ですが、7月の初めから8月の終わりまで、
2ヶ月間、北海道の士別で過ごしました。


聖書学院の1年生の夏の実習でした。


7月に行った時には、まだストーブがいるくらいの寒さ。
でも、8月の1週目、1週間だけ暑くなりました。
ホントに一週間だけ。


その時に皆さんが言っていたことがとても印象に残っています。
「こういう、朝にもやっている日は、暑くなるんだよね」と。
東京では、もやっていようがいまいが、夏は毎日暑くなりますから、そんな感覚なかったです。ですから「そんなもんかなあ」と思って聞いていました。でも、ホントに暑くなるんですよね。


NJはそれに近いものがあります。
朝もやっている・・・それは空気はある程度の湿度を持っているけど、天気がよいので、放射冷却で気温が下がった、でも、湿度が高いので、それほど下がらないでもやっとする。そして、昼間、天気がいいのでぐっと気温が上がって蒸し暑くなる・・・というメカニズムかな、と思います。


今日も、そんな一日でした。


明日、また25度くらいまで上がって、暖かい日となりそうです。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書19章11−27節。


「あなたは計算の細かい、きびしい方ですから・・・」21節。

イエスのたとえ話。

10人の僕に1ミナずつ預けて、旅に出た主人、帰って来て、僕達がどのようにそれを活用したか、清算をした。

ある人は10ミナのもうけをあげ、ある人は5ミナのもうけを上げる中で、一人の人がやって来た。「私はあなたがきびしい方だと知っていたので、コワくて、お預かりした一ミナ、地面に埋めておきました。これがあなたの一ミナです、ご確認下さい」と。

この人の決定的な問題は、主人のことをこのような人だと思っていたことだ。本当は僕達と一緒に喜びたい、わたしたちに対して気前のよい方なのに、「計算の細かい、きびしい方」だと思い込んでいたことだ。

でも、自分は人のことを笑えない者だと思わされた。
神様はきびしいんじゃないか、けちなんじゃないか、簡単に必要な者を与えないんじゃないか、そんな風にいつの間にか思っている。我慢しなければいけないこと、そんなに簡単には物事が進まないこと、そんなことを神様は与えられるのだと思っている。

いや、頭ではわかっているのだと思う。神様は豊かな方で、わたしたちの必要をいつも豊かに満たしてくださると。でも、現実、自分はちまちまと計算をして生活している。

だから、今日は「違うんだよ」とストレートに言われたように思った。

「もっと私を信頼しなよ」と。

いろんな奉仕もそうだと思う。守りの姿勢、失敗をしないように、よりも、神様はチャレンジを喜んでくださる。問題が起こらないようにと一生懸命ガードを固めるのは、ちょうど、宝物を土の中に埋めるようなものだ。失敗してもいいから、大胆に歩む、主を信頼して、そのように歩ませていただきたい。

主よ、
あなたの大きさを信頼させてください。
あなたの豊かさ、あなたの気前のよさを信頼します。
大胆に歩む者でありますように。


明日も失敗を恐れないで大胆に歩む一日でありますように。


あなたに頂く「時間」という一ミナを、「一日」という一ミナを土の中に埋めてしまうことがありませんように。



2012-03-19

日々の祈り。


ちょっと、お休みが続いていましたが、
考えるところがあって、また無理はしたくないのですが、
毎日アップしていこうと思います。
特に「日々のみことば」から。

一人でも、忙しい日々の中で、励まされたり、
聖書の言葉によって、はっとさせられたり、
ずれていた焦点が、神様にあわせることができたり、
そんなことがあることを祈って、
私自身が聖書から思わされたことを、
日々、更新していこうと思います。

あ、お天気とか、日々の様々なことも。

で、早速お天気ネタですが、NJは、ホントに今年は暖かい冬でした。
アメリカでは、春分の日が春がスタートする日。
今夜までは冬で、明日からは公式に春なんですが、今日も20度を超えて、レンギョウを始め、いろんな花が咲き始めています。写真のクロッカス、ほったらかしなので、今年はまた去年よりぐっと花が減りましたが、(ちなみにこれが4年前。)咲いたのは、もう2週間くらい前、3月の初め頃だと思います。今はすっかり花は終わってしまいました。

そして、明日からも毎日20度以上、そして、木曜日は30度近くまで行きそうです。あり得ませんねえ。まだ3月なのに。でも、来週は・・・現実に戻るかも、です。(笑)

さて、今日の聖書。
今日はルカ19:1-10でした。

「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」10節。

イエスさまが、みんなに嫌われていたザアカイのところに「泊まることにしているから」と客になって、彼を導いたところ。

本当にこのイエスの情熱はすごいなあと思わされた。
私に対してもこの情熱を持っておられるんだなあと。
ただ、救われるだけではなくて、私が整えられるために。
キリストのかたちが私のうちに形作られるために、イエスは今も情熱を持っていてくださる。教会が教会として建て上げられるために、イエスは今も情熱を持っておられる。

私も同じ情熱を与えていただきたいと思わされました。


・・・というか、最近ずっと思わされています。
自分の愛のなさを見せつけられ、
イエスの持っておられた情熱を、私にも与えてください、と祈らされます。

主よ、
私に対して持っておられるあなたの熱い思いに感謝します。
どうか、私にも、そのあなたの情熱を与えてください。
熱い思いを持って、出て行くことができますように。

2012-03-03

ゆるしてください。

東日本大震災の被災者である子供たちや子をもつ親の証言を通して3.11の津波と原発事故のその後を紹介するBBCドキュメンタリー。2012年3月1日放映。

だそうです。
1時間番組なので、落ち着いてみる時間がないと、なかなか見れないかもしれませんが、
見るべきです。英語の番組ですが、ほとんど日本語です。


と貼付けていたのですが、著作権の問題で元映像が削除になっていましたね。
作った方の権利は大切だと思いますが、
こういうことによって大切な情報を知らないで過ごしてしまう人が多くなってしまうのはちょっと残念。


この番組について感想を述べたり、解説をしたりすることはとてもできません。


2つのことを赦して頂きたいと思いました。
今まで、知らなかったことを。
そこに生きる人々の痛みや悲しみを、全くわかっていなかったことを。
そして、きっとまだまだわかっていないことを。


そして、自分もこの社会を作る一端を担って来たことを。
原発の恩恵に預かり、今も、おそらくそこに甘んじていることを。


一つ、また一つと、周辺の原発が止まるために
何ができるのか、何をしなければならないのか、もっともっと知っていこうと思います。




明日は日曜日です。
東北に心を向けながら、礼拝を守ります。
誠実な、真実な礼拝となりますように。

2012-02-29

冬なかったですね。

今日は関東は結構雪が降ったみたいですが、
こちらは、朝ちょっとみぞれで、そのあと雨。


本当に今年は冬らしい日はほんの数日。
雪が降ったあとに1週間くらい寒い日が続いて、
氷点下から脱出がホッとする・・・みたいな天気はありませんでした。


なんだか、春が来るのが待ち遠しい、というのがないと、
ちょっと変な感じです。


これから雪が降ることもあるでしょうし、
もしかしたら、どかんと大雪が降ることもあるかもしれませんが、
もう春分まで3週間。
太陽も明るくなってきました。


春です。


あっという間に2月が終わります。
今日は4年ぶりの2月29日です。
GoogleのイラストはLeap Yearということで、
作曲家ロッシーニの220回目の誕生日、ということで、
カエル(カエルがはねる時の動詞がleapだから)が音楽を楽しんでる絵ですね。


でも、実際のところロッシーニは何回目の誕生日を迎えたのでしょうか。


1792年2月29日生まれですから、220年は確かですね。
で、4で割ると55ですから、55回目かと思うとちょっと違うんですよね。
4年ごとの閏年なんですが、完全に4年に一回入れると、ちょっと多い。
なので、100年に1回、ちょうど100で割り切れる年は閏年ではない。
でも、それだとまたちょっと時間が余る。
なので、400年に1回、400で割り切れる年は閏年なんですね。
ですから、1800年と1900年は閏年ではなくて、2000年は閏年。


ですから、ロッシーニさんは53回目の誕生日を迎えたわけ・・・だと思います。たぶん。


中学のとき「ボク3歳」と言っていた友達も、今日12歳になったことでありましょう。
時の流れを感じます。


さて、久しぶりの「今日の聖書」。
今日はルカ12:22-34。

「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」31節

 「これらの物」・・・たくさんあります。

自分の生活のための必要。
個人的にあったらいいな、と思う物も。
そして、教会のための必要も。

そんなことで心がいっぱいになっている時に、 この聖書の箇所を読むたびに、「あ、そうだな、そういうものじゃなくて、神様を求めていくんだ」と思いますが、そんな時も、いつの間にか、

「これらの物を手に入れるために、神様を求める」

ということをどれだけしているかと思います。本末転倒。

ちょうど「仮面ライダーカード」を手に入れるために「仮面ライダースナック」を買っていたように。グリコのおまけが欲しいがためにグリコを買っていたように。

お菓子だったらそれでいいかもしれません。
(仮面ライダースナックは中味を捨てる子もいましたよね。社会問題になりました。)
でも、これが人間相手だったらひどい話ですよね。

「あなたのくれるものが欲しいから、あなたを大切にする」

そして、神様にそれをしているんでしょうね。
「神様が下さるものが欲しいから、神様を求める」と。

主よ、本当に、本当に、心配しないで、神様を求めていく、神様の願っておられることを求めていく者となりますように。



2012-02-17

出て行くこと。

先日からのみちやくんのブログ読んでて、
最近は質問箱がメインみたいだけどさ、
やっぱりこっちも最新情報欲しいよね、と思いながら、
1年前のを読んでいた。

で、3/21-24に岩手に行った様子が出てて、
こんな台湾から来た方の話が紹介されていた。
 台湾から援助のために駆けつけていた牧師先生が言っていたことが忘れられない。
台湾では10年前、同じように大震災を経験した。
それまで教会はすごく内向きだったという。
教会内の問題
教会内の運営
教会内の行事の成功
そして、台湾に2%しかイエス様の愛を知っている人がいないことに悲しんでいた。
地震を体験して、多くの悲しみのなか、教会の人々はもう外に出て行かざるをえなかった。 町の人々を励まし、彼らの家の復興を手伝い、
イエス様を知る人が社会にドンドン出て行った。
10年かけて台湾はかなり復興していった。
今、台湾のクリスチャンは10%だという。
イエス様の愛を外で示していくとき、本当に台湾は変わっていったという。

そうだよなって、思った。
調べてみたら、のんちのチケット取ったのは3月22日。我が家にしては、動きが速い方だったと思う。いつも「祈って答えをもらって・・・」って感じだからね。でも、その時にはもう、台湾とか、世界中から日本に人々が行っていたんだねええ。そして、僕自身が岩手に行って、先生から聞いたのは、「最初の1週間が一番きつかったね。無理して来てくれた人たちの存在がどれほどうれしかったことか」ということ。ほんと、機動力って大切。「祈りながら走る」ってのもありかな。

そして、この台湾の先生の言葉。

背中押されているよね。

僕らの心は今も、かの地で歩んでおられる方々とともにあります。


2012-02-14

写真で見ると。

昨日紹介した若者達の姿、ここで写真で見ることができます。
今日、たまたま発見しました。

http://ainoe5808.blog36.fc2.com/blog-date-200903-1.html

2012-02-13

がんこ同士。

夫婦の話ではありません。念のため。

今から3年ほど前、テキサスとジョージアのクリスチャンの日本人学生達が、全米各地を回るので、NYに行く時に、若者達のための集会ができないか、と聞いて来た。
日程を聞いてみると、ちょうど、自分は日本に3週間ほど行っている最中。若者達もいいけど、子供達のための集会もやらないか、と聞いてみた。JOY JOY キッズクラブスペシャル。
ちょうど、自分がいないからその月は休もうと思っていたところ。クリスチャン大学生が10人も来るんだったら、頼まない手はない・・・と勝手に思った。

でも、彼らははっきりとした考えを持っていた。「頼まれたことは何でもやろう」なんて殊勝なことは思っていなかった。「自分たちは、中高生や、大学生、青年層のクリスチャンの励ましになるように、ネットワークを作ろうと思って回っているんです。子供達のことはできません。」などとのたまわった。

今の自分だったら、ちょっとは「若いのに、はっきりしていてとてもいい」と感心してしまうかもしれないが、3年前の自分はもうちょっと若かった。そんなことで引き下がったりしなかった。がんこだった。

「君たち、若いんだから、頼まれたことは何でもやる!くらいの勢いがなくてどうする?泊まるところは提供するから、中高生もいるけど、何倍もの子供達が集まってくる。未来の若者達のために、一つ、集会やってみろ!」と言ってみた。

何度かメールが行ったり来たりした。敵もなかなか頑固だった。

連絡係の女の子はちょっと間に挟まれた感じで困っていたと思う。

でも、最終的には彼らはチャレンジを受け止めてくれて、子供達のための集会をやってくれた。それも「スペシャル」にふさわしい、凝った、楽しいプログラムを。

その時は、自分は彼らに会うことはできなかったけれども、ゲストブックに、彼らがメッセージを残していってくれた。一つ一つのメッセージを読みながら、ああ、自分もここにいたかったなあ、と思った。

頑固なヤツはいいなあと思った。
自分で頑固で良かったと思った。


最近、ナイトdeライトという北海道のバンドの曲がJ1のコンサドーレ札幌の応援歌に採用されたと聞いた。その3年前の10人の中の一人がドラムを叩き、一人がマネージャーをしているらしい。前から、うちの子達が彼らの歌は好きなおかげで、何度も耳にしているサウンド。これからも頑固に自分たちの音楽を続けてほしい。これからも頑固に神様の愛にこだわって、歌っていってほしい。





バンド結成の由来の話には引き込まれて読んだ。

2012-02-07

競争心。

何を隠そう・・・自分は競争が好きだ。
男4人兄弟で育ったことが関係あるのかないのか、分からないけど、負けず嫌いだ。
JOY JOY キャンプなんかでも、競争で盛り上がるのが好きだ。
負けても、くやしい!と思って、このヤロウ!と思って、がんばるのが好きだ。

そして、最後は、勝つのが好きだ。
勝つと信じて、がんばって、勝つのが好きだ。

でも、それは牧師の働きはそういうのとは無縁の世界だと思っている。
いや、競争心が忍び込んでくる時に見るべきものが見えなくなると思っている。

だから、競争が好きなのに、競争という言葉を避けている。
競争が好きなことに、ちょっと罪悪感を感じる。

でも、今日、また鎌田先生の本を読みながら
・・・今回は「へこたれない」・・・。
その最初に出てくるのですが、

先生がチェルノブイリの周辺住民のために、この本が出た2009年までに90回医師団を派遣して、14億円を送ったというのです。
そして、今も毎月400万円分の薬をイラクの子供達のために送っているそうです。

思い切って書きます。

それを読んだ時に、悔しいと思いました。
生まれて初めて、もっとお金が欲しいと思いました。集めたいと思いました。

お金は夢のあるところに集まってくるといいます。
また、自分が懸けたいところに、懸ける価値のあるところに、喜んで人生を懸けると言います。

自分も負けないくらいやりたいと思いました。
人を大切にしている先生だから、人は先生のしようとすることに一緒に歩もうとする。

まねしたってしょうがないと言われるかもしれないけど、そのように歩みたいと思いました。

私のためにすべてを捨ててくださった方がおられるのだから。

2012-02-05

ハバククから学んだこと。

先日のハバククの話、なかなか落ち着いて書けなくて、
数日が経ってしまいました。

ハバククは神に疑問をぶつけた預言者。
「どうして世の中で、悪者がのさばっているのですか?」と。
そして、そのハバククに神は答えている。
こういうことなのだ・・・と。
その答えに納得いくかどうかは別として、
この神へぶつかっていく態度と、
そのハバククに答える神、ということに心が留まりました。

もしかしたら、自分は最近、「神は私と考え違うから・・・」と
祈ることや、神に問うてみること、
答えを求めることよりも、自分で自分を納得させることを急いで来たように感じます。
そんな中で、神は自分が祈る対象、求める相手、向き合う対象から、
思索の対象、分析の対象になっていたのだと思います。

神に祈って答えをもらうことよりも、
自分の中だけで、いろいろ考えて、「神はこう思っておられるんだろうなあ」と思い込んでいると言うか、神に「ついて」考える、ことが多くなっていたのだと思います。

でも、それはもしかしたら、人間関係の中でもやっているかもしれません。
その人と話をしたり、質問をして答えをもらったりということよりも、
こういう行動をするということは、キットこう考えているんだろう、みたいな思い込みをしたり、「あの人はこういう人だから」と決めつけたり、反対に勝手に買いかぶって、必要以上に期待してみたり。

もっともっと、神に向き合う時、祈る時を大切にしたいと思いました。

「神様、夢の中でも語ってくれたりしないかなあ」なんてことを考えたりもしますが、今回、「ハバクク読め!」と夢で言われてみて、「夢で見たから、神のお告げだ」とはまた簡単に思えない、ということも経験しました。

夢を見るのもいいですが、やっぱり聖書から聞くのがいいですね。
もっともっと聖書を通して語っていただけますように!

2012-02-01

聖書読め!

2月になりました。
今日も暖かい、春のような日でした。
18度Cくらいまで上がりました。
なので、明日はグラウンドホッグデーで、春の到来を占うイベントがあるのですが、まあ、どっちでもいいよねえ、という気分で、盛り上がりません。
やっぱ、冬が締まらないと、春が楽しみ!感がありません。
でも、日本の大雪のニュースを見ると、
ホントに大変だと思います。
与えられている時を生かして用いなければ・・・。


TwitterやFacebookでも大騒ぎしているのですが、


今朝の夢は強烈でした。
初めて会う方なんだけど、先輩牧師から、自分の態度、配慮のなさをこっぴどく叱られた。そして、その先輩、帰りがけに「ハバクク書(聖書の中の一書)を読め!いいか、ハバククだぞ!」と何度も叫んでいた。


ものすごいインパクトの中で、目が覚めた。
夢の中で、聖書の箇所を指定されたのは初めてだった。 
正直、アウグスティヌスが、回心する時に、「取りて読め!」との子供たちの歌を神の言葉と受け取って、聖書を開いて、聖書の言葉にとらえられて、クリスチャンになったことを思い出して、おお、俺にもそう言うのが来たのか、と思った。


それだけでも、十分心に残ったのだけれども、朝5時に目が覚めて、何の気なしにTwitterを見ていたら、日本の某牧師が「ハバクク2章の準備をしましょう」とツイートしていた。


これが「マタイ」「ヨハネ」「ローマ」あたりだったら、そんなにびっくりしないんだけど、なんと言っても「ハバクク」ですからねえ。


 はい、早速しっかり読みました。 どんなことを思ったかは、今日はもう遅いので、また明日にでも。


さて、今日の聖書から。
今日はルカ5:12−26でした。


「しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた」16節。

人々はイエスに期待していました。
期待してイエスの回りに集まっていました。
でも、イエスはその期待に自分のみを任せませんでした。

父なる神様とともに過ごす時間を大切にしておられました。

「よく」という言葉がすごいな、と思います。

自分の姿勢が問われたような気がしました。
いつでも退いて祈る時を大切にしたいと思いました。

主よ、
あなたとの時間を大切にさせてください。
もっともっとあなたと親しく歩めますように。

2012-01-31

神様がおられるから。

ホントに暖かくなりました。
そして、暖かい夜となりました。
夜の10時半で、7.1度C。
明日ももう一日暖かくなりそうです。


さて、今日は早速「日々のみことば」から。
今日はルカ5:1-11を読みました。


「こわがらなくてよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」10節。

ペテロがイエスに従うところです。
読むたびに違ったこと、いろんなことを思わされるところですが、
今日はこの言葉が心に留まりました。

ペテロが何を恐れたかと言うと、
自分が一晩一生懸命やって捕れなかった魚、
それがイエスの言う通りにしたら、たくさんとれたからです。

そのイエスが今度は「恐れるな、あなたは今度は魚ではなくて、人間を神様の元に連れてくるようになる」と。

これはすごいこと。
イエスは「しっかりしなさい、私があなたを選んだのだから」と言われたのではない。
「これからも、私に従いなさい。私があなたにこれからも、このようなことを人の救いにおいてみせてあげるから。」と。

私の人生にも主が同じことをしてくださるかと思うと、
わくわくしてくる。
主を信頼して歩んでいこうと思う。

主よ、
あなたのみ業を見させてください。
あなたを信頼して、従っていきます。
導いてください。


2012-01-30

この世の天国と、あの世の天国。

なんだかずっと暖かい。
奇妙なくらい。
今、夜の10時半で1.2度C。
8時頃は0度くらいだったから、気温は上がって来ている。
明日は13度Cまで上がるなんて、予報が出てきている。
もう2月になるけれども、ホントにこのまま春になるかもしれません。
ま、あんまり期待させると、失望させるかもしれないので、
ほどほどにしておきますが。

さて、先日の天国を見上げた日から、
いろんな方々の天に旅立っていかれた日を思い出していました。
冬が多いんですね。
今日も、一人の信仰の先輩であり、主の僕である方のことを思い出していました。


ああ、天国にはいろんな方々が行って、
とってもにぎやかになっているんだろうなあと思いました。

主を信じる者にとって、
死ぬことは本当に心配はありません。
主のもとに行くのですから。

でも、それと反対に、「生きること」がだんだん難しくなっていくのかなあと思います。
日本でも、高齢化社会の問題がこの先深刻になっていくでしょうし、このアメリカで歳を取っていくことにも、不安な気持ちがあります。

聖書を読んでいて、いつも思うのですが、「いつ主が迎えに来ても大丈夫なように準備をしておく」ことと共に、「それがずっと先でも大丈夫なように準備をしておく」事も大切だと、聖書は語っているな、と思います。

わたしたちが神様がおられるから、どんな中でも大丈夫、なのは確かなのですが、それとともに、生きることに、この地上で歩むことに、もっともっと夢が持てるように、そのような環境を作っていく、特にこの地に住む人々に、それを作っていく、それが、この先10年くらい、自分に課せられた課題なんじゃないか、ここ数日、思い始めています。

さて、最近の「日々のみことば」から。
先週の土曜日、ルカの4章1-13節を読みました。

「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。」6節。

イエスがサタンの誘惑にあったところです。
サタンはイエスに「私がすべてのこの世の権力を任されているから、あなたが私を拝むならば・・・」と言いました。
でも、これって嘘ですよね。
もしかしたら、自分もその手の嘘に結構ハマっているのかもしれません。

「お金はサタンの手の中にある」
「この世の地位や権力はサタンの手の中にある」

ウソです。

すべては主の支配の中にあります。
もちろん、地位やお金を神様以上にすると、
それは罪です。偶像礼拝です。
でも、地位を得ることも、権力を手にすることも、経済的な必要も、主の御手の中にあり、主が与えてくださることなのです。

経済的な祝福を得るためには、神様を捨てなければならない。
そう思うなら、間違いです。
ただ、神様を第一とすること。

神様を第一として、与えられる祝福の中に生きる。
大きく期待して、主のみ業を見せていただきたい。

主よ、
あなたがすべてを支配しておられることを、忘れることがありませんように。
サタンのウソにハマってしまうことがありませんように。
あなたを第一として歩めますように。