数日が経ってしまいました。
ハバククは神に疑問をぶつけた預言者。
「どうして世の中で、悪者がのさばっているのですか?」と。
そして、そのハバククに神は答えている。
こういうことなのだ・・・と。
その答えに納得いくかどうかは別として、
この神へぶつかっていく態度と、
そのハバククに答える神、ということに心が留まりました。
もしかしたら、自分は最近、「神は私と考え違うから・・・」と
祈ることや、神に問うてみること、
答えを求めることよりも、自分で自分を納得させることを急いで来たように感じます。
そんな中で、神は自分が祈る対象、求める相手、向き合う対象から、
思索の対象、分析の対象になっていたのだと思います。
神に祈って答えをもらうことよりも、
自分の中だけで、いろいろ考えて、「神はこう思っておられるんだろうなあ」と思い込んでいると言うか、神に「ついて」考える、ことが多くなっていたのだと思います。
でも、それはもしかしたら、人間関係の中でもやっているかもしれません。
その人と話をしたり、質問をして答えをもらったりということよりも、
こういう行動をするということは、キットこう考えているんだろう、みたいな思い込みをしたり、「あの人はこういう人だから」と決めつけたり、反対に勝手に買いかぶって、必要以上に期待してみたり。
もっともっと、神に向き合う時、祈る時を大切にしたいと思いました。
「神様、夢の中でも語ってくれたりしないかなあ」なんてことを考えたりもしますが、今回、「ハバクク読め!」と夢で言われてみて、「夢で見たから、神のお告げだ」とはまた簡単に思えない、ということも経験しました。
夢を見るのもいいですが、やっぱり聖書から聞くのがいいですね。
もっともっと聖書を通して語っていただけますように!
こんにちは
ReplyDeleteなるほど~。
ハバククは短い箇所だったのであれから読んでみました。
一度読んでも?2度読みましたが??
3章の19節だけ「良いとこどり」して良しとしてました。(汗)
もっと謙遜な思いで読まないと...ですね。
かきごおり先生
ReplyDeleteハバク、朝、出掛ける前に少し読みました
続きは後程、寝る前に読みます^^(睡眠薬になっちゃったりして・・・)
先生、私も「聖書読め」で目が覚めたことがありますよ
私の場合は、詩篇26でした
何があったかは、今となっては覚えていないんですが
その時は、おおおお~~~ピッタリの箇所を与えられたと思いました
私と同じことでモヤモヤしていた教会の姉妹にも
「詩篇26読んでみて~~」と勧めたことを覚えています
Lalaさん、
ReplyDelete??ですよね。ハバクク。
1章は「どうして悪人がのさばっているのか?」という問いに対する神の答え。「バビロニアによって悪者達は滅ぼされる」と。
2章は「どうして、残虐なバビロニアが用いられるのか?」という問いと、それに対する神の答え「最後には義人が信仰によって生きる」と。つまり、私を信頼していなさい・・・ということなのだと思います。
3章は神の主権を賛美する祈りの歌のようです。
「神様の主権を信頼する」と言っても、「だから、黙って見ている」のではなくて、信頼しているから、祈って答えをもらうのが大切だと思いました。
旧ジャージーさん、
詩篇26篇ですか。それはまたspecificですね。
そして、ぴったりの箇所だったなんて、神様、粋ですね。