2012-02-01

聖書読め!

2月になりました。
今日も暖かい、春のような日でした。
18度Cくらいまで上がりました。
なので、明日はグラウンドホッグデーで、春の到来を占うイベントがあるのですが、まあ、どっちでもいいよねえ、という気分で、盛り上がりません。
やっぱ、冬が締まらないと、春が楽しみ!感がありません。
でも、日本の大雪のニュースを見ると、
ホントに大変だと思います。
与えられている時を生かして用いなければ・・・。


TwitterやFacebookでも大騒ぎしているのですが、


今朝の夢は強烈でした。
初めて会う方なんだけど、先輩牧師から、自分の態度、配慮のなさをこっぴどく叱られた。そして、その先輩、帰りがけに「ハバクク書(聖書の中の一書)を読め!いいか、ハバククだぞ!」と何度も叫んでいた。


ものすごいインパクトの中で、目が覚めた。
夢の中で、聖書の箇所を指定されたのは初めてだった。 
正直、アウグスティヌスが、回心する時に、「取りて読め!」との子供たちの歌を神の言葉と受け取って、聖書を開いて、聖書の言葉にとらえられて、クリスチャンになったことを思い出して、おお、俺にもそう言うのが来たのか、と思った。


それだけでも、十分心に残ったのだけれども、朝5時に目が覚めて、何の気なしにTwitterを見ていたら、日本の某牧師が「ハバクク2章の準備をしましょう」とツイートしていた。


これが「マタイ」「ヨハネ」「ローマ」あたりだったら、そんなにびっくりしないんだけど、なんと言っても「ハバクク」ですからねえ。


 はい、早速しっかり読みました。 どんなことを思ったかは、今日はもう遅いので、また明日にでも。


さて、今日の聖書から。
今日はルカ5:12−26でした。


「しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた」16節。

人々はイエスに期待していました。
期待してイエスの回りに集まっていました。
でも、イエスはその期待に自分のみを任せませんでした。

父なる神様とともに過ごす時間を大切にしておられました。

「よく」という言葉がすごいな、と思います。

自分の姿勢が問われたような気がしました。
いつでも退いて祈る時を大切にしたいと思いました。

主よ、
あなたとの時間を大切にさせてください。
もっともっとあなたと親しく歩めますように。

2012-01-31

神様がおられるから。

ホントに暖かくなりました。
そして、暖かい夜となりました。
夜の10時半で、7.1度C。
明日ももう一日暖かくなりそうです。


さて、今日は早速「日々のみことば」から。
今日はルカ5:1-11を読みました。


「こわがらなくてよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」10節。

ペテロがイエスに従うところです。
読むたびに違ったこと、いろんなことを思わされるところですが、
今日はこの言葉が心に留まりました。

ペテロが何を恐れたかと言うと、
自分が一晩一生懸命やって捕れなかった魚、
それがイエスの言う通りにしたら、たくさんとれたからです。

そのイエスが今度は「恐れるな、あなたは今度は魚ではなくて、人間を神様の元に連れてくるようになる」と。

これはすごいこと。
イエスは「しっかりしなさい、私があなたを選んだのだから」と言われたのではない。
「これからも、私に従いなさい。私があなたにこれからも、このようなことを人の救いにおいてみせてあげるから。」と。

私の人生にも主が同じことをしてくださるかと思うと、
わくわくしてくる。
主を信頼して歩んでいこうと思う。

主よ、
あなたのみ業を見させてください。
あなたを信頼して、従っていきます。
導いてください。


2012-01-30

この世の天国と、あの世の天国。

なんだかずっと暖かい。
奇妙なくらい。
今、夜の10時半で1.2度C。
8時頃は0度くらいだったから、気温は上がって来ている。
明日は13度Cまで上がるなんて、予報が出てきている。
もう2月になるけれども、ホントにこのまま春になるかもしれません。
ま、あんまり期待させると、失望させるかもしれないので、
ほどほどにしておきますが。

さて、先日の天国を見上げた日から、
いろんな方々の天に旅立っていかれた日を思い出していました。
冬が多いんですね。
今日も、一人の信仰の先輩であり、主の僕である方のことを思い出していました。


ああ、天国にはいろんな方々が行って、
とってもにぎやかになっているんだろうなあと思いました。

主を信じる者にとって、
死ぬことは本当に心配はありません。
主のもとに行くのですから。

でも、それと反対に、「生きること」がだんだん難しくなっていくのかなあと思います。
日本でも、高齢化社会の問題がこの先深刻になっていくでしょうし、このアメリカで歳を取っていくことにも、不安な気持ちがあります。

聖書を読んでいて、いつも思うのですが、「いつ主が迎えに来ても大丈夫なように準備をしておく」ことと共に、「それがずっと先でも大丈夫なように準備をしておく」事も大切だと、聖書は語っているな、と思います。

わたしたちが神様がおられるから、どんな中でも大丈夫、なのは確かなのですが、それとともに、生きることに、この地上で歩むことに、もっともっと夢が持てるように、そのような環境を作っていく、特にこの地に住む人々に、それを作っていく、それが、この先10年くらい、自分に課せられた課題なんじゃないか、ここ数日、思い始めています。

さて、最近の「日々のみことば」から。
先週の土曜日、ルカの4章1-13節を読みました。

「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。」6節。

イエスがサタンの誘惑にあったところです。
サタンはイエスに「私がすべてのこの世の権力を任されているから、あなたが私を拝むならば・・・」と言いました。
でも、これって嘘ですよね。
もしかしたら、自分もその手の嘘に結構ハマっているのかもしれません。

「お金はサタンの手の中にある」
「この世の地位や権力はサタンの手の中にある」

ウソです。

すべては主の支配の中にあります。
もちろん、地位やお金を神様以上にすると、
それは罪です。偶像礼拝です。
でも、地位を得ることも、権力を手にすることも、経済的な必要も、主の御手の中にあり、主が与えてくださることなのです。

経済的な祝福を得るためには、神様を捨てなければならない。
そう思うなら、間違いです。
ただ、神様を第一とすること。

神様を第一として、与えられる祝福の中に生きる。
大きく期待して、主のみ業を見せていただきたい。

主よ、
あなたがすべてを支配しておられることを、忘れることがありませんように。
サタンのウソにハマってしまうことがありませんように。
あなたを第一として歩めますように。

2012-01-25

聞くこと。

さて、日付が変わって水曜日の未明です。
昨日は暖かかったですね。13度くらいまでいきました。
今は夜の1時過ぎですが、なんと5.4度C。
明日も穏やかな日になりそうです。


で、この先、ちょっと暖かそうです。


次に冬らしくなるのも、雪が降るのも、分かりません。
元々、2月には寒くなると思っていたのですが、
ホントにこのまま春になるのでは・・・という勢いです。


さて、昨日の午後は、来月には85歳になられるご婦人を訪問しました。


 「さっき、聞いた話も忘れちゃうんだから、嫌になっちゃう」と言いながら、なかなかどうして、しっかりしておられます。ちょっと久しぶりに会う私のこともばっちり覚えておられました


そして、今日は「神の愛」の話。「『神が愛だ』った言うけど、私は自分の都合の良いように解釈しているんじゃないかと思う。いいことがあるとすぐ『神様が守ってくれた』って」・・・と。


なるほど、確かに、意外に多くの場所で「神様の愛」=「災いから守られる」「いいことがある」と思われているのかもしれません。だから、わたしたちは悲しいことがあると「神様が愛ならどうして?」となってしまいます。


 でも、神様の愛は「困難の中でも共に歩もうとする愛」なんじゃないかと思います。(人間同士の愛もホントはそうだね。)そして、その神の愛の極致が十字架。どこまでも、わたしたちとともに歩もうとされた神の意志の結晶。 そんな話をしました。


そして、何倍も話を伺いました。正直言うと、ちょっと話しすぎたのかもしれません。ですから、一生懸命伺いました。60年前にアメリカに渡ったご婦人は、若造(!?)の私とは「困難」のレベルが違うんです。


お話を伺いながら、10年以上も前、マンハッタンに毎週のように訪問していた寝たきりの方、その方の話はもっと一生懸命聞いていたよなあ、と思いだしていました。いつの間にか、焦っていろいろ話す牧師になっちゃったかな、とちょっと反省。若いときの方が、もっと謙虚に、もっと聞く気持ちがあったのかもしれません。原点に帰らないと。


 教会から40分のところに住んでおられるんだけど、「今度ぜひ行きたい」と言っておられた。教会の皆さん、歓迎モードのスイッチ入れておいてくださいね。


さて、昨日の聖書。
昨日はルカ2:21-38。


「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。」34節。


イエスの存在は、立ち上がるためにだけにではなく、倒れるためにも、用いられて、また反対を受けるしるしなるのだ、というのです。

そのイエスの福音を受け取っているわたしたちが、
その福音をただ、人の気持ちのいいこと、人の喜ぶこと、受けのいいことだけを語るために用いてはいけない、と思わされます。それはある人を倒すような力を持っていて、反対をする人も出てくるのだ、それでいいのだ、というのです。

本当に誠実にまっすぐに福音を語り続ける者でありたいです。罪がわからないと、愛も分からない。本当にはっきりと罪を語る者、そこからの救いを語る者とならせていただきたいです。

主よ、
どうか、あなたの福音をちゃんと語ることができますように。
人が受け入れ易いようにと、罪を割り引いてしまったり、いい加減にしてしまうことがありませんように。

2012-01-24

タイムスリップ

昨日また更新できませんでしたが、
それは昨日の夜、コンサートに行って来たから。
帰って来たのが夜の11時半。
それからいろいろやっていて、休むのが遅くなりました。


コンサートは日本の復興支援のチャリティーコンサートだったのですが、
心に残ったのは、オケが出てきて、最初に演奏された
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲。
華やかな曲で、日本の大学オケの定番です。
なので、30年くらいタイムスリップしましたね。


そして、一曲、震災で亡くなった方の追悼のために
指揮者の方が作った曲が入って、
そのあとがフィンランディア。


マイスタージンガーも、フィンランディアも好きな曲で、華やかな曲でいいのですが、こういう曲をドイツの人やフィンランドの人が聞いたらどんなにか感動するかなあと思いました。だから、もっともっと、日本の人たちの心に響く曲もたくさん入れても、と思うのですが・・・。またそういう曲がたくさん生まれますように。


さて、昨日の聖書。
昨日はルカの2:1-20を読みました。
クリスマスのところです。


「今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」10節。


「民全体ののための」という言葉が、心に留まりました。
これは羊飼いにまず伝えられたニュースですが、
彼らのためだけにではありませんでした。
農民、商人、職人にも学者にも、そして、イエスと対立した「自分は正しい」と思っていた人たちに対するメッセージでもありました。

わたしたちに与えられた神様からの喜びのメッセージ、
それはわたしたちのためだけではなくて、すべての人のためでもあります。
今は、関心のない人たち、反対の考えを持っておられる方々のためのメッセージでもあります。
そのメッセージを、すべての人に伝え続けようと思います。

新しい具体的な祈りの課題が与えられました。

すべての人にこのメッセージが伝わりますように。

主よ、
どうか、あなたから頂いたメッセージをもっともっと大胆に伝えていくことができますように。

2012-01-22

まず自分が信じること。

そして、日曜日。
今朝起きたら-10度C。
さすがに寒かったです。
今夜はちょうど0度くらい。
Freezing Rain注意報が出ています。


きっと大したことはないと思いますが、
でも、大したことがなくてもすべりやすいのが、Freezing Rain。
皆さん守られますように。


2ヶ月ほど前に始めたのですが、
椎茸の菌床栽培。


http://njotenki.blogspot.com/2011/11/blog-post_29.html

2ヶ月経って、3回戦です。




昨日と今日でいただきました。
結構立派でしたが、今まで3回で合計450gほど。
元を取るのは1kgくらいだから、ちょっときついかなあ。


20Lバケツでヒラタケもやっているのですが、
こちらはまだ合計数十グラム級です。
でも、きっときっと、自分の顔くらい大きな株ができると信じています。


ここまで、数年間、毎日朝6時に教会でお祈りしていたのですが、
最近、ちょっと不安を覚えることがあり、
朝早く教会に車で行くのは止めることにしました。


場所をあえて作ることによって守って来た祈りの時間、
これからどうかるか・・・という気もしますが、
皆さんと一緒に聖書の言葉を味わっていきたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書1章67-80節。


「そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」78-79節。

主がわたしたちのことを照らしてくださるという約束。
自分のことを信じるのはいいんだけど、
痛みや悲しみの中にある人々にそれを語るのは「ひとごと」みたいにならないようにと、言う気持ちが働く。
でも、本当に自分自身がそれを信じること、それがどれほど大切なことかと思う。
人に語るために、自分自身が「このかたの人生にも、主は光を照らしてくださる」と本気で信じること。そこから始まるんだろうなあ。

主よ、
あなたの光が、私の心を照らしていることに感謝します。
あの方の心も照らしてくださると信じます。
信じて祈ります。

口から何があふれてくるか。

一日開いて、日曜日の夜。
昨日の土曜日は明け方から雪。
12−3センチ積もりました。
-5度で降っていたので軽い雪。
結晶もきれいでした。
いつかこのきれいな結晶を写真に撮りたいのですが・・・。






昨日はユキがダウンしていたので、
サキが雪かきに活躍!
いつまでもベビーかと思っていましたが、
ずいぶんしっかりしてきました。




昨日、土曜日の聖書。
土曜日はルカによる福音書1:57-66。


「すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって、神をほめたたえた。」64節。

バプテスマのヨハネのお父さん、ザカリヤは、しゃべれるようになった時に、神への賛美があふれて来た。
自分は何があふれてくるかなあ。
自分の口からは何があふれて来ているかなあ。

主への賛美があふれますように。

私の心には何があるでしょうか?
あなたをたたえる賛美が口をついてあふれてくるような者でありますように。

2012-01-20

私は幸いな人。

今日は寒い一日でした。
朝起きた時は-1度Cだったのですが、
9時頃には-4度Cくらいまで急降下。
そのあともほとんどずっと氷点下の一日でした。


そして、今は夜の11時で、-2.5度Cです。


このあと雪が降り出して、
明日は昼頃まで雪。
10−20センチくらい積もるようです。
10月の雪以来、久しぶりの雪化粧になりそうです。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書1章39-56節。


「ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」48節。

マリヤは本当に苦労があったと思う。
耐えなければいけないこともいろいろあったと思う。
しかし、その中で、彼女は「私はしあわせ者だと言われる」と言っている。

私もそのような生き方をしたいと思う。
苦労がないわけではない。
忍耐が必要な場面がないわけではない。
傷を負わないわけではない。
しかし、自分は神に恵まれ、しあわせな者だと、
そのように告白できるように。

本当に主に愛され恵まれていることをそのまま告白すればいい。

そして、教会全体にそんな文化が広がりますように。
教会のひとりひとりが、どんなに神様に恵まれているのか、
しあわせな者とされたかを証しすることができますように。

主よ、
ただ、あなたに恵まれていること、
愛されていることを証しする者とならせてください。
どんな状況の中でも、神も愛と恵み、守りの中にある、しあわせな者であることをもっともっと大胆に証しさせてください。

2012-01-19

神様に恵まれて。

今日の朝は寒かったです。
-9度Cでした。
それに車の窓には霜がびっしり。
昼間もずっと肌寒くて、
夜には雪も降る予報でしたが、
どうだったのかな?


でも、いずれにせよ、大したことはありません。
で、土曜日の方が何センチかつもる雪になりそうです。


そして、今年の冬の本番は2月になってからだそうで。
まあ、その頃になったら、日が長くなってきますから、ちょっと気が楽なんですがね。


さて、今日はレオニアの教会でのキッズクラブ。
新年だから、カレンダー。
今年は辰年だからドラゴン。
ということで、こんな工作を作りました。






この下のカレンダーの部分は2重になっていて、 毎月、曜日と日付をあわせて毎月使えます。 そして、ドラゴンの方は、首振りドラゴンです。


これです。



 



で、スタッフの準備会の時に、「こどもたちに、この面白さがわかるかい?」という意見もあったのですが、 ま、やってみたら、まさにその通りでした。 お母さんたちにもあまり良くわからなかったみたいで・・・。そんなこんなで、「じゃあ、お父さんに見せてごらん。びっくりするよ!」と言っておきました。(笑)


同じようなトリックで、もっと見事なヤツがここにあります。
これはもう脱帽。カラクリを見ると、「わかった」と思うのですが、
すぐにわからなくなります。





次のもびっくり。
この二つの四角の色が同じだというのですから・・・。




いかに自分の目で見ているものがいい加減なものか、
先入観や周りのものに影響されて、客観的に見えないものなのか、思い知らされます。

さて、今日の聖書。
今日はルカ1:26-38でした。


「おめでとう、恵まれた方。」28節。

これはマリヤへの言葉。
イエスの母となったマリヤへの言葉。
特別に選ばれたから。

でも、それは、また今を生きる自分への言葉。
今を生きる、あなたへの言葉。

神様の恵みによって生かされている。
神によって何かの使命を与えられて生かされている。
そして、その使命を果たした時に、御許に召される。

その使命に忠実に生かしていただきたいと思いました。

またこの日に、天国を思いました。
http://njotenki.blogspot.com/2011/01/blog-post_20.html

「私たちの国籍は天にある」ピリピ3章20節。

主よ、
私の目をあなたに向けます。
あなたがいてくださるから感謝します。
あなたの与えてくださる使命に感謝します。
この使命を果たして、あなたのところに喜んでいけますように。

2012-01-18

対話

今日は朝は暖かかったのですが、日が落ちてから、急に冷え込んできました。
7時過ぎで-3度C。明日の朝は、-7度Cくらいまで下がりそうです。

さて、今日は今年2回目のクロッキー教室。
今日はこんなことしました。






広告を適当にちぎって、その中で好きなピースを二つ選んで、
その形を絵に描きます。
そして、その形をじっと見ていて、その中から見えてくる絵を描いていきます。


で、できた作品はこちら。




実は昨日の夜、火山のことについてテレビ番組を見ていたので、
それに誘われてしまったようです。


でも、やりながら思いました。
この小さなピースにもメッセージがある。
そして、それと、自分の心の中にある、火山のイメージがある。
それがまるで対話をするように、一つの作品(?)ができる。


神様から与えられているもの一つ一つにメッセージがある。
それとの対話の中で、一つのものが生まれる。
神様のメッセージを聞き続けることができますように。


礼拝でも分かち合ったのですが、
わたしたちは「こうすればいい」という公式が欲しい。
そして、それを守っていればいい、というのが楽だ。
でも、神様は「関係」を求められる。
対話を求められる。


だから祈ろう、そう思います。


さて、今日の聖書。
なんと、今日からルカによる福音書。4月10日までかけて、ルカによる福音書を読んでいきます。できるだけ毎日アップしようと思っていますが・・・。


今日は1章1-25節。
「私のことばは、その時が来れば実現します。」20節。

主の言葉は実現する。
時間がかかるかもしれない。
自分の考えた時とは違うかもしれない。
主が決められた時に実現する。

それを信頼していくこと。

やっぱり信頼だ。

主よ、
私の時にこだわるのではなくて、
あなたの時を信頼させてください。
そして、あなたを本気で信じていくことができますように。

2012-01-16

赦されるから恐れる。

1週間ぶりの更新です。


夜になってから、雪が降って来て、ちょっと薄化粧。
久しぶりですね。
今年は10月の停電のとき以来、ずっと雪が降らなかったので。


でも、このあと気温が上がって、雨に変わるようです。
そして、あさってからはまたちょっと寒くなって、
木曜日の夜と土曜日はちょっと雪の可能性も。


最近の聖書から。
ずっとアップしたかったのですが、
前回、8日の聖書で、「主を恐れるとはどういうことなんだろう」と書いたのですが、
一つの答えがありました。

もう1週間前になりますが、
10日の聖書箇所で、詩篇の130篇。


「しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。」4節。

主の赦しのゆえに主を恐れる。
人間ってなめてしまうところもありますよね。
でも、主が赦してくださったからこそ、
主を恐れる。

人間関係だったら、
赦されたら、本当にそこに感謝しながら生きる。
もしも、神様が赦してくださるから、と、
甘えた気持ちで生きるならば、それは神様を人以下においていることですよね。

主をおそれること、もっともっと教えていただきたいです。
そのために、神様に赦されていることの意味、もっともっと味わいたいです。

主よ、
あなたに赦されたこと、その深さをもっと教えてください。
あなたに赦されている幸いをもっと味わわせてください。
そして、あなたを恐れることを自分の経験としてもっと知ることができますように。

2012-01-08

私はあなたの盾になる。

なんだか、今年はホントに暖かいです。
先日、-12度Cになりましたが、それだけで、そのあとはまたずっと暖かめ。今朝は最低気温も氷点下にならず、昼間は10度くらいまで上がります。
このあとの予想も、-4度くらいまで下がる朝もありそうですが、昼間は毎日5度以上。10度近くなる日もあります。今週後半から寒くなってくる可能性もあり、来週あたりsnowstormの可能性もありますが、逆を言うと、少なくともそれまでは暖かい日が続きそうです。


去年の終わりの方から、毎朝・・・とまではいかないですが、週に何回かラジオ体操をするようになりました。もちろん、これだけで運動不足の解消にはならないのですが、「ああ、もっとからだを動かそう・・・」と思うきっかけになります。


で、そのきっかけとなったのは、このビデオ。





石巻を訪問しながら、体操しています。


ま、「ちゃんと気合いを入れろ!」と突っ込みたくなる場面もあるのですが、楽しく体操しています。そして、やっぱり第一だけじゃ物足りなくて、第2もYouTubeで見つけて、やっています。「解説付き」なんかも見たりすると、「え〜、そうだったの?」という新発見も。


ぜひ、皆さんもやりましょう!
日本の皆さんはぜひCDも買いましょう!


このビデオを作った思いを、このかけ声をかけている本間さんが受けたインタビューを書いているのがこの文章。


「復興には笑いと体力が必要!」

この言葉がとってもいいです。 


「大物タレントさんとか被災地に行って大きなことしてくるから、自分も実家に行って何かしなきゃと思って行くじゃないですか。そうするとあんた何してんの、あんたや、炊き出しとかそいなことスなくていいから、テレビやラジオさ出て、何か面白いこと言ってこいって言われて(笑)そんなノリなんですよ。でもそれはとても幸せですよね。だからなおさらやらなきゃいけないと思う」


わたしたちもそうですね。一人一人がその役割を果たして行く。
アメリカの東海岸にいる、自分の使命をしっかり果たさせていただきたい、そう思います。


ぜひ、ラジオ体操第二バージョンも出していただきたいものです。


あ、あと一つ。
今日の礼拝の中で、今年の役員の方々の就任式が持たれました。
祈りながら、今日の礼拝の中での聖書の言葉、
「私はあなたの盾となる」という言葉が、この役員の一人一人への神様の約束であることが示されました。本当に神様がこの一年の役員会を祝福してくださることを信じます。楽しみです。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の128篇。


「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。」1節。

主を恐れるってどういうことなんだろうなあ。
そして、それを頭で考えるだけじゃなくて、自分の歩みの一部として、
経験させていただきたい。

主よ、
あなたを恐れることを、教えてください。

2012-01-05

不条理なこと、理不尽なことの中でも。

今日はぐっと冷え込みが緩んで、
朝起きたら、昨日の夜よりも気温が上がって-2度C。
そして、昼間は氷点下を脱出。
今は夜の10時半ですが、ちょうど0度C。


明日の朝は-4度Cくらい。
また寒い朝でしょう。
風が弱いので、霜も降りるかな。


でも明日の日中は10度くらいまで上がるそうです。
ちょっと暖かいですね。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の125篇。


「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。」1節。

この詩人を取り巻く状況は不条理なこと、理不尽なことに支配されていた。
だから、3節以下では、正しい人が守られて、悪を行う者がさばかれることを求めている。それはやはり現状はそのような正義が守られていない状況だったのだ。

理不尽なことはわたしたちのやる気をそぐ。
無力感に襲われる。正直者が馬鹿を見るみたいなこと起こる。

だからこそ、主を信頼することが大切。
朝読んだ時にはわかっていなかったんだけど、
今日、今度の礼拝のために、「信仰って・・・」ということを調べている時に、ある人が「神の約束を真に受けること」と言っていた。

なるほど、そうなんだろうと思う。

ヤコブの手紙では「神が存在すること」を「信じること」のたとえで使っているが、それは信じることだけじゃダメで、それに伴う行動が必要なんだと言うヤコブの考えをサポートする議論の中での言葉。

聖書の他のところでは、「信じる」ということは、「神の存在」を信じるよりも、「神の約束」を信じることだ。

だから、理不尽なことに振り回されない。神の約束を真に受けているから。
これからも神様の約束を真に受けて歩んでいこうと思う。

主よ、
あなたの約束を真に受けますから、よろしく導いてください。
時々、その約束、「ホントかなあ」と思う時もないわけじゃないです。
そんなとき、「バシッ」と締めて下さい。

2012-01-04

寒かったねえ。

今日は寒かったです。
朝は-12度C。予想通りでした。
昼間も-3度C止まり。


今は夜の11時半ですが、やっぱり-3度C。
今夜はこのままで、明日は3日ぶりの氷点下脱出です。


このあとも天気は崩れず、
どちらかと言うと冷え込みも緩んで、
過ごし易い冬が戻ってきそうです。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇124篇。


「もしも主がわたしたちの味方でなかったなら。」1節。

これはつまり、「主はわたしたちの味方である」ということ。
天地を造られた方が、私の存在を造られた方が、
今も私の味方であってくださること。
たくさんの失敗や、未熟さや、愚かさにも関わらず、
私にとって最高のことをしてくださるということ。
(私の願い通りという意味ではなくて・・・)

なんだか力が湧いてくる、
わくわくしてくる気持ちになりました。

反対を言うと、いつも、萎縮したり、
「どうせ神様は私にはそんなに良くしてくれないんだよなあ」といじけ気味なんだろうな、と思います。

そういうところから解放していただいて、主の恵みにどっぷりと浸かって歩みたいです。

主よ、
今日もあなたのみことばに感謝します。
あなたがわたしの味方であって下さることに感謝します。
これは私が聞くべき言葉でした。
もっともっと、あなたの愛の中に、歩ませてください。
あなたの愛を信頼して歩む者でありますように。

2012-01-03

どこに目を注ぐか。

新しい年の3日目。
今朝は、目覚ましを止めたところまでは覚えているんだけど、
次に気がついたら、6時半になっていた。
朝6時から、祈りに来た方がいたら、ごめんなさい。
新年3日目にして、早くも、初寝坊。
また、明日からがんばります・・・。


ということで、今日は寒かったです。


昼間も氷点下のママ。
そして、今、夜の11時過ぎですが、
いよいよ氷点下二桁。-10度Cです。


明日の朝の予想最低気温は-12度C。
うーん、朝6時に教会行くの、ちょっときついかも。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の123篇。


「奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。」2節。

自分の目はどこに向いているんだろうなあ。
このあと、詩人は自分がどんなに人々にひどい目にあっているかを訴えている。
そんな状況に置かれたら、自分の目はどこに向くだろうなあ。
次に何をされるか、どんな目に遭うか、を恐れたり、
どうやったら一矢報いることができるかと考えたり。

神様の御手に目を留める。
神様のなそうとしていることに目を留める。
今日も、そのような一日にしてくださいと祈った。

そして、教会の人々の多くも今日から仕事が始まる中で、
一人一人の目が主の御手に注がれるようにと祈った。

神様、
あなたのなさることを見せてください。
あなたの御手に心を向けることができますように。
どんな状況の中でもあなた期待することができますように。

2012-01-02

「さあ、みんなで」

新年、二日目。
昨日の夜にちょっと雨が降って、
それで、今朝はまだ暖かさが残っていたのですが、
夕方からだんだん冷えて来て、
今は夜の10時半ですが、氷点下に下がってきました。
明日、あさってと、真冬日が続きそうです。
やっと冬らしい日となりそうです。


さて、昨日は元旦で日曜日。
メッセージは33分。
http://www.jccofnj.org/main/message_mp3/mn_010112_1a.mp3
もう少し短いはずだったんですが、
神様が、わたしたちに対してどんなに熱い思いを持っておられるかを伝えたいと思って、長くなってしまいました。
神様はわたしたちに大切なものをシェアしたい、という思いを本当に強く持っておられる。
でも、わたしたちの方は、「お金」「仕事」「人」「健康」・・・そっちの方をシェアしてほしい。そりゃあ、みんな大切なもの、必要なもの。でも、神様が熱い思いでシェアしたいものはそんなもんじゃない。もっともっと深いもの。ホントありがたいですね。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇122篇。


「主の家に行こう」1節。

わたしは、どこまで、勇気をもって、情熱を持って、人々を誘っていただろうか。「主のもとに行こう」と。

「よかったら、どうですか?」とか、「こんなのがありますよ」程度のことが多かったのではないだろうか?それは、自主性を重んじたかったし、自分もあんまりしつこくされるのは好きじゃない方だし、何よりも、必要ならば、神様がその人のうちに「行きたい」という思いを与えてくださるから・・・、と思っていたから。

それはそうだろうけれども、でも、ホントのところ、自分の心の中にあるのは恐れだったり、どう思われるかを気にしていたり、ナイスでいたかったり・・・信仰ではなかった。

本当にすばらしいものだと思っているなら、もっともっと、言おうと思う。「主のもとに行こう!」と。「礼拝をしよう!」「聖書を読もう!」「祈ろう!」

この時代、わたしたちが経験しているよりも、もっともっと「主に家に行こう!」というのは勇気のいることだったと思う。近所の教会に行こう!というのとはレベルが違う。時間もお金もかかる。仕事もしばらく中断しなければならない。でも、それでも価値のあることだった。「主の家に行こう!」と、人々は語り合った。

だから、私も勇気を出して言おう。「すばらしいから、あなたを満たすから、あなたを生かすから、主のもとに行こう!」と。

明日から、仕事に戻る皆さんにも言おう。「祈って、新しい年の仕事を始めよう!それがあなたを生かすから!」

主よ、
ありがとうございます。
私の弱さを示してくださって感謝します。
すばらしいものを、勇気と自信と愛をもって、
人にも勧めることができますように。
「さあ、主のもとに行こう!」と。

2012-01-01

あけましておめでとうございます。

2011年の最後の日。
昨日は土曜日だったこともあり、
いろんなことを考えさせられ、祈らされました。
教会の創立記念日を前にして、
今まで、教会と共に歩んだ17年間、
牧師として仕えさせていただいた14年半。
そして、この一年。

それぞれに感謝なこともあり、
楽しかったこともいろいろ思い出すのですが、
一番心に残っているのは、
「神様、どうしてこの祈りを聞いてくれなかったんだろうかな」と思うこと。

まだまだ答えが見えない部分もあるのですが、
でも、そこに特別な神様のメッセージが込められているのだと思います。

でも、そのあと、昨日の夜、家族で夕食を一緒にしながら、
一年どうだったかを語り合っている中で、
たくさんのことを思い出させられました。

正月に遊びに来たハジの大学の友人、
彼から、3月19日にメールをもらって、
「明日、洗礼を受けます」と書かれていたこと。
その中に書かれていた、NJに滞在している時に起こったこと。

日本で、トロントでお会いした方々が洗礼に導かれたこと。
もちろん、NJで出会った多くの方々。

そして、神様からの答えをもらって、勇気をもって踏み出したいくつかのこと。

「そうでもないでしょ」と、ある親友にストレートに言われたりもしたのですが、どちらかと言えば、「みんなが納得することをしたい」という気持ちが働く自分の今までの歩みの中で、去年は「神様の前に祈って答えをもらったこと」を伝えていこう、わかってもらう努力をしよう、と踏み出したことがいくつかありました。なかなか伝えていくのにはもっともっと情熱と根気と忍耐と愛が必要だな、と思わされていますが・・・。

そんな話をしているうちに感謝が湧いてきました。

そして、迎えた新しい年。
ものすごい穏やかな年明けです。
気温も一晩中プラス。
今朝、家を出る時にちょっとだけフロントガラスが凍っていましたが、
こんなにあたたかな新年は珍しいです。

新しい年、もっともっと神様と親しく、そして、周りの人とのコミュニケーションを大切にする歩みをさせていただきたいと思います。

ということで、新しい年、「日々のみことば」誌を読みながら、また思わされたことを分かち合っていこうと思います。

今日は詩篇120−121篇
「主はあなたを守る方」121:5


昨日の夜、カウントダウンをして、
さあ、休もうかと思っていた時に飛び込んで来た日本の地震のニュース。
震源がかなり深かった、かなり遠かったのですが、
それでも広い範囲で震度4だったようで、
年が改まって、さあ、という時に、きつかった方々もおられたのでは。
祈らされるとともに、
本当にわたしたちが何もないことを願い、
もう、しばらくは安心して歩めるようにと願うのですが、
そうなるとは限らない現実がそこにあることも思わされます。

そんな中でも与えられる守り、
そんな中でも与えられる平安、
それを信頼して、そこに希望を持って歩むことが
どれほど大切かと思わされます。

何もないことに中に平安を見るのではなく、
嵐の中でも、主の元に安らぐ、
そのことを経験させていただきたいと思わされます。

主よ、
新しい年、あなたと共に歩ませてください。
何もないことの中にではなく、
あなたとともにあることに、平安を知ることができますように。

2011-12-25

アドベント聖書日課12/25


おはようございます。

メリークリスマス!!!

「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。」(ヨハネ1:9)


「まことの光」の背後にはいくつかの「まことの光ではないもの」の存在が前提になっています。

「光のように見えて光ではないもの」
「光なんだけれども、まことの光を反映するもの」
「まことの光へと導いていく光」

世の中にはまことの光の存在を見えなくする偽りの光もあります。クリスマスがこのように世界中で祝われる中で、どれほどたくさんの「これがあなたの心を満たすよ」と誘惑してくるものがあるでしょうか?そして、それによって本当の光が見えなくなっていることがどれほどあるでしょうか?
まことの光を反映するものもたくさんあります。クリスマスのお祝いの中で本当にたくさんのことがそれに入るでしょう。プレゼント、キャンドルライト、ツリーや飾り、家族や仲間たちとのひととき、楽しい雰囲気。でも、それで満足してしまったら、それはまたまことの光との出会いを邪魔してしまうのかもしれません。

それらのものがすべて取り去られても残るもの。それがあなたのクリスマスの中にあるでしょうか?

イエスはあなたのために神様からのプレゼントとして送られてきました。
それは神様を指し示す、神様の道を教える以上に、自分が道となる、自分が十字架の上でわたしたちの罪の身代わりになる、という救い主でした。神様がどこまでもわたしたちとともに行ってくださる。今まで自分は神様に見捨てられている、と思っていた人々が、そうではなくて、神の情熱によって招かれている、ということをあらわすために来られました。

そのかみさまのプレゼントを受け取って、歩み始めましょう。

今日のクリスマスが多くの皆さんにとってBC(Before Christ 紀元前・・・キリスト以前)からAD(anno Domini 紀元後・・・主の年)に変わる時となりますように!

皆さんはこの一週間、この毎朝のメールはいかがでしたか?
私はだんだんこの朝のメールが楽しみになっていきました。
み言葉によって与えられた喜びや示されたことを分かち合う、それは主にある喜びの一つです。

レスポンスを下さった皆さんには心から感謝します。
でも、私に対するレスポンス以上に、お一人一人が神様のみ言葉によって支えられて歩まれることが一番の喜びです。

今日で、しばらくこの毎日の朝のメールはお休みになりますが、
次の機会を楽しみにしています。
まだ決めてはいないのですが、受難週あたりはどうかなと思っています。

今日あちらこちらの教会で洗礼式がありました。
多くの方々がクリスチャンとして歩み始められました。
その中の何人かの方々との出会いが与えられていたことに心から感謝しています。

8月のトロントの修養会、
そして、9月の日本訪問で初めてお会いした方々の洗礼式もありました。

「まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。」ヨハネ4:36-37

この御言葉が本当だなと思わされています。
もっともっと種まきをさせていただきたい、もっともっと刈り取りに関わらせていただきたい、そのように思います。

感謝しつつ。

2011-12-24

アドベント聖書日課12/24


みなさん、おはようございます。

昨日のユースのクリスマス会は、スタッフを入れて20人を超える集まりとなり、
楽しいひとときとなりました。
神様の愛のプレゼントの話をしたのですが、
導入の「みんなの初恋はいつだ?」の話では、
みんな照れくさくも輝いた瞳で、レスポンスをしてくれました。

神様はわたしたちに今日も熱い思いを寄せておられるんですね。

今日はそんなことを覚えながら、ヨハネによる福音書3章16節を思いめぐらせましょう。
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じるものがひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」


もう一カ所、今度はヨハネの第一の手紙の3章16節です。
「主はわたしたちのために命を捨ててくださった。それによってわたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のために命を捨てるべきである。」

神様の愛のプレゼント。それがイエス・キリストです。
でも、イエスはただ、わたしたちに正しい道を教えるために来られただけではありませんでした。
それだったら、イエスは来なくてもよかったのです。預言者たちが次々と送られて来ていました。そして、正しい道を教えていました。
問題は、その正しい道を知っても、そのように生きられない、わたしたちの「罪深さ」「罪への傾向性」でした。
イエスは、わたしたちのために新しい道を開くために来られました。わたしたちの罪を背負って、十字架にかかり、神様と共に歩むことができるようになる道を開かれたのです。それはただ信じ、受け入れるだけで、与えられる神からのプレゼントだったのです。
プレゼントですから、昨日の羊飼いが走ってベツレヘムに行ったように、わたしたちもそれを「受け取る」ということが必要です。それが信仰です。
今日も、あなたの前にこの神様からのプレゼントが差し出されています。日本式で「そんな、こんなの頂けないです〜」とやるのではなくて、アメリカ式にしましょう。「え、いいんですか?わあ、うれしいです。ありがとうございます!」と受け取ろうではありませんか?

今日は午後5時からキャンドルライトサービスです。
暗闇を照らすまことの光であるイエスさまを多くの人が知る、ひとときとなりますように。

2011-12-23

アドベント聖書日課12/23


おはようございます。

クリスマスまであと2日。
この朝のメールをお送りするのがちょっと楽しみになってきました。
主は、今朝、私に対して、教会に対してどんなメッセージを持っておられるのだろう?
それを思いながら、いつもメールをうっています。

今日はルカによる福音書2章15-20節を読みましょう。


「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか。」15節。

「大きな喜び」のニュースを聞いた羊飼いたちが、その「大きな喜び」を経験するために必要だったことは、行動することでした。
聖書の中で、ヤコブの手紙をのぞいて他のすべての場所で、「信じる」ことと「行動する」ことはセットです。切り離すことはできません。信じることは気持ちの問題ではありません。信じたら、そのように歩むのです。聞いたら、従うのです。ヤコブは信じることと行動することを切り離しましたが、結局のところ、ヤコブの言いたかったのは、「行いのない信仰なんて意味がない」ということでした。聖書全体を通して、信じることは従うことであり、信じることは行動を伴うものでした。かたちだけ行うことの無意味さは言うまでもないことであり、愛のない行いはむなしいものだとパウロは言います。偽善はイエスが一番攻撃された罪でした。でも、それらのことは「信じるならば行いがなくてもいい」ということを正当化する理由にはなりません。信じているなら、踏み出すことです。
わたしたちは失敗を恐れる文化の中で育ってきました。失敗するならばやらない方がいい・・・それが信仰の歩みの中にもあるのだと思います。羊飼いたちは、救い主に会えない、ということなど恐れないで、ベツレヘムに行きました。今日、あなたの信仰が問われることがあると思います。信じて踏み出す時に与えられる喜びを一つでも経験できますように。