2010-09-24

ホセア書から。

今日は本当に蒸し暑かった。
いや、真夏だったら、大したことはなかったと思う。
でも、もう9月も終り近くなって30度を超える蒸し暑い日はちょっと勘弁。


でも、これも今日まで。
しばらくはこんな日はないと思います。きっと・・・。


明日はカラッと晴れるでしょう。


昨日、今日、そして、日曜日と同じ内容ですが、
ホセア書から学びます。


ホセア書は独特な預言書で、
ホセア自身、不倫の罪を犯す妻を赦し愛し続ける経験を通して、
神様の愛を伝えます。


その赦し、愛がいつも注目されるのですが、
今回、とくに今日、学びをしながら思わされたのは、
そこに出てくる、
「霊的な姦淫」の概念です。


ホセアの妻ゴメルは夫がありながら、恋人を作り、
彼らが心を満たしてくれる、と信じて、彼らを慕います。
本当はホセアが彼女の必要を満たす存在であり続けたのですが、
彼女にはそれが見えていなくて、恋人たちが、自分を養い続けてくれたのだと思い込んでいるのです。


またイスラエルの民は神以外の偶像を神として拝み、
また国難の時に、神ではなくて、他の国々を頼りにして、同盟を結んで乗り切ろうとします。


そんな彼らの姿を、ホセアは「霊的姦淫」と糾弾しますが、でも、そこまで行っても、まだ愛し続け、戻って来るようにと招き続ける神のメッセージと伝えるのです。


その「霊的姦淫」の記述を読みながら、
最初は、自分には無関係な「愚かな昔のイスラエルの民」と読んでいました。


でも、この「神以外のものを頼りにして、それによって満たされることを求める」というのが「霊的姦淫」であるならば、その罪は私も犯してきているのではないかと思わされたのです。


文字通りの「姦淫」は犯さないかもしれない(というか、今までのところ、守られている。イエスの基準の、「心のなかで情欲をいだいて女を見た人は・・・」とまで言われると確実に有罪だが)、偶像礼拝もしない、拝金主義でもなければ、他の国を頼りにして生きているわけでもない。


でも、本当に神こそ泉であり、神こそ隠れ家であり、命の源であり、癒し主であり、元気を与え、リフレッシュさせてくださる存在、と本気で信じているだろうか?他のものによって元気をもらおうとしたり、神様に喜ばれないものに慰めを求めていないだろうか?


聖書は読めば読むほど、自分の「罪」に関する見方が薄っぺらい、浅い、表面的なものであろうか、と思わされます。でも、そこにも注がれる、どうしようもない、呆れ果てるような自分勝手な自分にも注がれる神の愛を見せられると、またなんてありがたいんだろうか・・・と思わされます。感謝。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一8:44-53でした。


「彼らはあなたの民であり、あなたがエジプトから、すなわち鉄の炉から連れ出されたあなたご自身のものであるからです。」51節。

神は、私たちのことを、ご自分の民としてくださっている。
神ご自身のものとしてくださっている。

それが本当にありがたく、
慰めとなる朝だった。

主のものとされているとはなんという幸いだろうか。

私は神のものだ。
神のものとされているのだ。

主よ、
あなたのものとされていることを感謝します。
あなたの御手の中で、ジタバタしないで、
歩ませてください。



2010-09-23

細長風船ロケット。

今日も暑かったですね。
30度超えました。
明日ももう一日暑いみたいです。


9月下旬にしては記録的な暑さみたいです。
覚悟しておきましょう。


週末にかけて、涼しくなるみたいです。


今日は朝の祈り会のあと、
教会のPCのセッテング・・・
元々は7年選手で、512MBのメモリーと、40GBのHD。
メモリを増設をして1Gにして、
HDは入れ替えで160GB、
メモリはなんてことないのですが、
HDは増設のスペースが無いので、入れ替えをしています。
面倒なのはソフトのインストールと、データの移行。


ソフトももちろん7年前ののもの、
WindowsもXPのSPがついていないバージョン。
何が面倒って、システムアップグレード。
SP2をあてて、その後SP3をあてて、
OfficeもAcrobatも7年前のものを入れて・・・
Webからパッチをダウンロードして・・・。
とっても面倒です。


データ移行も結構面倒でしたね。
日頃、ちゃんとバックアップを取っていないから。


でも、おかげで快適に動くようになりました。


あ、でも、HDが128GBしか認識していなかったので、
もうひと踏ん張りかな。


一度家に帰ってから、午前中は信徒勉強会「ホセア書」。
これは良かったですねえ。元気が出ました。


そして、午後1時半頃帰ってきて、食事をしたら、
JOYJOYキッズクラブ。


いつも力が入るのは、工作です。
今月はこんなの。



会場を貸してくださった教会の婦人牧師さんには、
「これにはなにかSpiritual Lessonがあるの?」と突っ込まれましたが、


はい、全くありません。純粋な遊びです!


ま、純粋な祈りの背後には、純粋な遊びが不可欠、との信念のもと、
楽しく遊んでおります。ハイ。


で、絵本で「おへそはどこかなかえるくん」を読んで、
みんなのおへそは、お母さんの愛のしるしなんだよ、
そのお母さんのおなかの中で、みんなを造ってくれたのは神様なんだよ、
としっかり、神様の話をして、めでたしめでたしで終わりました。


もっともっとたくさんの子供達にこの一時を提供したい、そのように願っています。


そして、夜はユキのBack to School Nightでした。
高校のBTSNは歩く歩く。
8コマ、全部部屋が違って、迷路のような高校の中を歩きまわります。
最近、ちょっとウェストがヤバイので、ちょっといい運動になりました。
でも、本当にユキはいい勉強をさせてもらっているな、と思いました。
ほとんどのクラスが10人以下の小グループクラス。
きめ細かな指導をしてもらっています。
帰ってきてからも、先生の話、クラスの話でちょっと盛り上がりました。


この1年でどう化けるか?ユキ。
ちょっと楽しみです。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一8章33-43節。


「そうすれば、このすべての地の民が御名を知り、・・・あなたを恐れるようになり・・・」43節。

以前から、そうだろうな、と思っていたことが、
最近すごく確信になりつつあるのですが、
聖書にそのようにハッキリ書いてあるかどうかはわからないのですが、

神様は、新しい方、神様を求め始めた方の祈りはストレートによく聞いてくださる。願ったとおりにしてくださることも多い。
でも、ある程度神様との関係ができている方の祈りは、聞いてくださる時に、直球ではなくて、忍耐を求められたり、違った形で聞かれることを経験させられたりすることが多い。

そう思うのです。

だから、この聖書の箇所を読んだときにも、
そうだなあ、外国からイスラエルに来た人の祈りはよく聞いてくださるんだろうなあ、と思いながら、ハッと気がついたことがありました。

それはその結果が「人々が神様を畏れるため」とあることです。

神様が私たちの祈りを聞かれるのは、
私たちがハッピーになるため以上に、
神様の前に私たちが畏れる者となるためです。

祈りが聞かれたときに、どのように反応するかによって、
その祈りがどんなものだったかが分かります。

「よかったよかった」と思うだけなのか、
そこに神への畏れがあるか。

主よ、
祈ります。
聞いてください。
そして、あなたの前に畏れる者でありますように。

2010-09-22

何のための・・・

とよく言われるけど、またやってしまった。
NYでの祈り会が終わった後、帰ろうとしたら、外は雷雨通過中。天気予報で知っていたのに、傘持って来ていない。車の中に一本載せてあるのに、置いて来た。ニューヨーカーにならって、雨の中歩いたけど、かなり濡れる。今、タイムズスクエアで雨宿り中。

9:20のバスは諦めて、35分と思ったけど、それも危ない。

天気予報は、傘持って出るためにある。今日はちょっと学んだような気がする。

さて、結局、その後、どうせ遅くなるなら、と、食事をして、バスに乗ったのは、10:20。

最初から、そうしとけばよかった。

さて、今日の聖書。
今日は、列王記第一8:22-32でした。

「しかしわが神、主よ、しもべの祈と願いを顧みて、しもべがきょう、あなたの前にささげる叫びと祈をお聞きください。」28節

そのまま、私の祈りです。ただ、祈りを聞いて下さい。という思いです。

2010-09-20

自画自賛。

今日も気持ちのいい一日でした。
雨不足みたいですが、
秋になったので、だんだん好転してくるでしょう。


ところで、昨日「30度になんて上がりません」と書いたところなんですが、
Accuweatherでは水曜日に33度を予想してきています。
他でも29度を予想しています。
日本では「暑さ寒さも彼岸まで」といいますし、
アメリカでは秋分の日が「The First Day of Fall」ですから、
いたちの最後っ屁的な暑さかもしれませんね。


今日は本当に久しぶりの休みの日だったので、ゆっくり休んで、夕方から、月曜日に仕事に出ているのんちに代わって、クッキング。


ハンバーグににんじんのグラッセ、粉ふきいも。なかなかうまそうにできました。食べてもうまかったですよ。


ちなみに、この写真はこの夏に機種変更したiPhone 4で撮ったもの。
それまでの3Gに比べるとカメラがぜんぜん違う。バーコードリーダーやスキャナーにも使える、ビデオも撮れる、と重宝しています。確かに反応も早いですし、バッテリーの持ちもいい。この夏からデータプランが今までの30ドル均一から、200MBまでなら15ドルと(あまり外で使わないなら)半額になったので、その浮いたお金の14ヶ月分で買えてしまうというわけです。


あと、夜空にかざすとそこにある星座を教えてくれるソフトもあるらしく、ファミリーキャンプの時に使えばよかったなあ、と思いつつ、冬の澄み切った夜空を楽しみにしています。


さて、久しぶりの「日々のみことば」。
今日読んだところから。


今日は列王記第一の8:1-11。


「箱の中には、二枚の石の板のほかには何もはいっていなかった。」9節。

箱の中に荒野で民に与えられたマナのサンプルや、芽を出したアロンの杖は入っていなかったんだろうか?と思ったりもしましたが、そんなことはとりあえず置いておいて、この言葉の中に、信仰における「神の言葉の中心性」を見たように思いました。

「ただ、お言葉を下さい」と言った百人隊長(マタイ8:8)のように、何かを見ていなくても、主を信頼して、そこに従っていくことが信仰なのだと思います。

アブラハムもそうでした。ただ、主を信頼して歩んだのです。
神の約束を信じて歩み始めました。

「見ないで信じる者は幸いである」とイエスは言われました。

そのことの大切さを思わされます。

そこまで思ったときに、もしかしたら「マナ」とか「アロンの杖」というのは、神の真実を証明するものとして、元々そこにあったわけだから、それがどこかで取り去られて、「二枚の石の板」だけが残されたことは、「神様はそのような証明をするものを与えられることもあるけれども、それが中心なのではない、私の言葉に対する信頼こそが信仰の中心なのだ」と言っておられるのではないかと思わされたのです。

ちょっと恣意的な解釈でしょうか?

まあ、「マナ」と「アロンの杖」についての解釈はいいとして、とにかく、箱の中に神の言葉だけが入れられていて、それが神と人との間の関係の鍵であったことを思うと、私たちもそこに生きていくことの大切さを思わされます。

主よ、
あなたのみことばを信頼して歩ませてください。
見えるところではなくて、あなたのことを信頼して歩ませてください。

2010-09-19

愛することを教えてください。

なんだか、最近のNJの天気は、なかなか快適です。
寒すぎず、暑すぎず・・・。
今日はちょっと暖かめでしたが、
もちろん30度になんて上がりません。


今は夜の10時ですが21度。
ちょっと9月の半ば過ぎにしては、暖かな夜でしょうか。
そして、嬉しいことに、今週はずっと割合高めですが、
暑い、までは行かない、冷え性オヤジにはとってもありがたい、
秋の一週間になりそうです。
(正直、先週の半ば頃は足が冷えて、もわもわスリッパを履きたくなるほどでした・・・)


さて、先週の後半、ちょっと風邪をひきながらも、
忙しくしていたのですが、
その中で、はちこさんのTwitterやブログのおかげで、
「スーダラ節を踊るMJ」で笑わせていただきました。
それは楽しかったんです。

でも、思わぬ副作用に悩まされてしまったのです。

「スーダラ節」が抜けない!
ちょっと油断すると口ずさんでいる・・・。
ヤバイ、週末、礼拝に向けて準備をしていても、
つい、「わかっちゃいるけどやめられない・・・」と口をついて出てくる!

恐るべし、植木等というかクレージーキャッツ。
いや、作曲者がすごいんだろうなあ。

でも、とにかく抜けない。
何とか抜こうと思って、いろんな歌を口ずさむんだけど、
結局、ちょっと気を抜くと、「スーダラ節」に戻ってくる。
(ここらへんはのんちが証人になってくれる)

やばい・・・もう土曜日だ、というときに、
見つけたFacebookである方によって紹介されていたビデオ。



なにを隠そう、私はWatotoの大ファン。
ハジが3年前にウガンダに行って帰ってきたときに、Watotoの働きの話を聞いて
2008年にはWatoto Children's Choir がNJにコンサートに来たときに、
1時間くらい車を走らせて見てきました。

この子供たちの表情にはKOです。
その時に買ったLAでのコンサートのDVDを見てしまいました。

そして、このプロモーションビデオの中で紹介されていた、
子供を引きとってWatoto村で育てる御婦人方の心に目が向きました。
どんな経験をするんだろうか、生活を共にするというのは簡単なはずがない、
自分も子供たちは好きです。
でも、ずっと生活を共にしていたら、
いろんなことが出てくるでしょう。
途中でキレてしまったり、投げ出したくなってしまうのではないか、
そんなことを思わされました。

本当に「愛することを教えてください」そう思わされました。

次のWatoto Children's ChoirのNJ公演は来年春。
今から楽しみ。JCCNJで呼ぶとかできないのかなあ。
ちょっと調べてみよう!

今日の一日を心から感謝しつつ。

2010-09-16

嵐。

今日、嵐来ましたねえ。
ちょうど9月再開して、初めてのJOYJOYキッズの最中、
どーっと雨が降ってきましたが、
それくらいだったでしょうか。

うちの方は停電もあったようですが、
教会は大丈夫だったので、無事キッズクラブができました。

そして、その後、もっと東のほうで大変なことになったようです。

今もQueensやLong Islandは交通がまひ状態みたいです。
Tornadoも発生したようです。

今日もたくさんの感謝があるのですが、
今夜は1週間で唯一の何も予定のない夜なので、
明日から週末に備えて、ありえないくらい早く休みます。

でも、一言だけ。

今日の朝の家庭集会は、
小さな集会でしたが、
赤ちゃんを抱えている方々や、
赤ちゃんが与えられて、今つわりで苦しんでおられる方々が来られました。

そんな方々とお話しながら、
「お母さんは命がけだよなあ」と思い、
自分の母の存在に心から感謝しました。

今、ここに生かされていることに感謝。

2010-09-14

「片付け魔になります!」宣言。

何度したことだろうか?この宣言。
でも、片付いているのはせいぜい3日だよね。
というか、「思いついたように」片付けるヤツは、
つまり片付けのできないヤツなんだ。


この10日間ほどの間に、4組9人の方々にお泊りいただいたのだが、
そのお泊りいただく部屋は、私の勉強スペースを通らないと行けない。


JOYJOYキャンプが終わってから(・・・もう1ヶ月!)、
なかなかかたづけることができない。


だから、お客さまに「バレバレ」なんですよね。


「片付けられない男・かきごおり」の評判は全地にあまねく響きわたっている、です。


そんなところに、こんな記事が・・・。


片付けられない人は・・・。




・他人の話をあまり聞かない
・自分の損得を考えて行動する
・時間にルーズ
・決断ができない
・持ち物の管理ができない



なんていろいろ出てくるけど、
いやあ、当たっているからねえ。


「思い切りがよい」と、きれいになるでしょうかね。


何事も「あとで・・・」と思うからいけない・・・のかな。


でも、「今日できることは明日にしない」という生き方よりも、
「明日でいいことは、無理に今日しない」という、力を抜いた生き方の方が、
個人的には好きなんですが・・・。


今日はこの記事を読んで、「よし、片付けるぞ」と思ったのですが、
「ま、明日からかな・・・」と、落ち着くべきところに落ち着いています。


今朝、起きたら、あたりは霧で包まれていました。






教会に行くのに、ちょっとスピードを出したら、コワイくらい。
でも、なんと教会についたら、スカッと晴れています。






途中、ホンの数百メートルでがらっと視界が変わるところもありました。
オモシロイですねえ。天気は本当に不思議。


昨日の「日々のみことば」から。
第1列王記5:1−18。


「ヒラムはダビデといつも友情を保っていたからである」1節。

ソロモンが神殿を建てるために、大きな助けとなったヒラムは、
ダビデの存在ゆえに、ソロモンに助けを申し出た。

ダビデが準備して、ソロモンは神殿を建てることができたのだ。
次の世代への投資。
それによって、今の私たちは生かされている。
先輩たちが投資をしたら、今の自分が生かされていて、
自分は恩恵にあずかっている。

自分も次の世代のために、どんな投資ができるだろうか。

ダビデが自分が生きている間に、その投資の実である神殿を見ることができなかったように、
私たちは自分の投資の結果を見ることができないかもしれない。
でも、たとえ、自分でその結果を見ることができなかったとしても、
勇気と信仰を持って、投資をしていこうと思う。

意味のある投資をしていきたいと思う。

主よ、
私も意味のある投資をしたい。
人生自体をあなたのために、次の世代のために、投資をしたい。
自分がその実を見ることができなくても、
誰もそのために自分が投資したことに気がつかなくても、
あなたが導かれるような投資をしたい。
人生全体をあなたのために投資させてください。

2010-09-13

友と同労者と先輩と。

もうすっかり秋ですね。
「もう夏は終わってしまったんですか?」なんて
寂しそうに言う方もおられますが、
今年の夏は十分暑かったです。
日本ほどじゃないですが、
かなり暑かったです。


で、もう秋です。
30度を超える日は来年の5月くらいまではもうないのでは・・・と思います。


明日は、晴れ。
明日の夜はぐっと冷えますから、
お風邪などお召しになりませんように。


先週末は、シカゴから、
はちこさんとぼぼるさんと2人のお子さんたちがおいでになりました。
前回、2年前はあちらは4人の子供たち、こっちも3人の子供たち+KO-NY高校に行っていた男の子で8人の子供たちで、8人の子供たちと4人の大人でそれぞれ盛り上がったのですが、今回は、互いに2人ずつ。時の流れを感じないではいられませんでした。


でも、大人は、面と向かってゆっくりお話をするのは2回目、とは思えないほど、語り合いい、祈り合い、幸いな時を過ごすことができました。本当に良き友が与えられたと感謝。


そんな一時を過ごしていると、同労者親友のK先生から電話。


「鹿にぶつかってしまった!」


え〜!?


ですよね。
ご存じの方も多いかと思いますが、(かな?)
ぼぼるさんはこの2年余りで2回も鹿との衝突を経験されていて、
今回も祈りながらの運転です。


1回目。


2回目。


うーん、こうやって改めて写真を拝見してみると、2回目は、ほんと、すごかったんですね。


話は戻って、K先生の鹿との衝突。
立派な角をした大きな鹿で、
角がヘッドライトに突き刺さって、
体が助手席側のドアにぶつかってきたそうです。
そして、助手席のドアは開かなくなって・・・と、
本当に動揺されているようでした。


一言祈って電話を切ったのですが、
その経験で、先生は目がさめるような気持ちになったそうです。
暗い中、気がつかないで走っていて、
突然どかっとぶつかって気がつく、
私たちの心の状態もそういう時があるのではないかと。


この経験はwake up callだったそうです。
そして、神の前に引き出されて守った礼拝は、
先生ご自身にとっても、
礼拝に出られた方々にとっても、
本当に素晴らしい礼拝になったそうです。


そんな話を、今日の牧師会のあと、分かち合ってくださって、
共に祈る時を持たせていただきました。
私自身も神様の前に引き出されるような気持ちでした。


こんな素晴らしい同労者を与えられていることに本当に感謝。


ちなみに、今日、牧師会にその車に乗ってこられたので、ご紹介。






うーん、はちこさんとぼぼるさんの車の写真を見たあとだと、
「え、これだけ?」って感じもしますが、
ものすごい衝撃だったそうです。


今頃、ちょうど、はちこ&ぼぼるご一家はシカゴまでの道をひた走っている最中でしょう。
無事に戻られることを祈りつつ。


そして、夜はNYでのVIP-NYの集会。
こちらでメッセージをされたのは元気なL先生。
この先生のパワーにはいつも励まされ、圧倒されています。


牧師としては私の方が長いのかもしれませんが、
人生の先輩で、またいろいろな経験をしてこられた先輩です。


「解放されることの大切さ」をお話してくださいました。


一つまた祈りの課題を示されています。


主が多くの方々を私の周りに置き、
私を恵もうとされていることに、喜びが与えられます。


長くなりました。
最近の「日々のみことば」から。


先週の金曜日は第1列王記3:16−28を読みました。
ソロモン王の知恵を紹介するエピソードです。
一人の子供を、「自分の子だ」と主張してやまない二人の女性に対して、
ソロモンは言います。「その子を切って二つに分けなさい」と。


その時のそのうちの一人の女性の様子を表す言葉です。


「すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。『わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください』」26節。


この聖書のポイントはソロモンの知恵ですから、
そのポイントとは外れるのですが、
この愛の母親の姿に、
私は本当にこのような愛で人々を愛しているだろうかと、
そのことを探られたのです。

教会を愛し、教会の人々を愛し、
その他、出会う一人ひとりをこの母親の胸が焦げるような愛で、
愛しているだろうか?

何か本人の祝福にならないことがあっても、「まあ、しょうがない」と思ったりしていないだろうか?

本当にその人が永遠の命をいただくために胸を焦がしているだろうか?

がっかりしたり、傷ついたりするのが怖くて、嫌で、
最初から諦めたり、対面するところから逃げていることはないだろうか?

愛することを教えていただきたい。
愛することを経験させてもらいたい。

主よ、
愛することを教えてください。
あなたが与えてくださった、周りの方々を、
愛することを教えてください。
逃げないで、愛することができますように。

2010-09-12

仲間が与えられていること。

今朝は、雲が広がって、朝焼けの綺麗な朝でした。




でも、朝焼けの綺麗な朝は雨の日につながっていることが多いです。
今日も雨が降ってきました。
それほどひどい雨ではなかったのですが、
運動会が中止になって子供たちもいたみたいです。


今日の礼拝で読んだのは使徒行伝の18章。
コリントでのパウロの伝道の様子です。


彼に与えられたアクラとプリスキラ。
彼らの姿を見ながら、
自分にも多くの同労者が与えられてきたことを、
心から感謝しました。


人を頼りにしてはいけない、
主だけを頼りにしていこう、
そのように思いますが、
主が与えてくださっている仲間のゆえに、
心から、主に感謝します。
私たち夫婦にも与えられているアクラとプリスキラのみなさんのゆえに感謝します。


さて、先週の後半の「日々のみことば」から。


第1列王記3章。
神様がソロモンに知恵を与えられた箇所です。
それはソロモンがそれを求めたからです。
それがこのことがです。


「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」9節。


「聞き分ける心」という言葉が心に留まりました。
ただの知恵ではなくて、「聞き分ける心」。
まず聞くことから始まるんですよね。
そして、それを正しく判断する。
それは私も主に頂きたいと思います。

主に与えていただきたいと思います。

主よ、
ソロモンに知恵を与えられたあなたが、
今日も、私にも必要な知恵を与えてくださることに感謝します。
どうか、私にも人の話を聞いて、
それを正しく判断する力を与えてください。

2010-09-11

共に。


青空がとても悲しい日です。

仕事に行ったまま帰ってこなかった方々がたくさんおられました。
それが自分であってもちっともおかしくないことを実感していました。

そして、その中のお一人の家族に寄り添いながら、
教会が「何かが起こってから手を差し伸べる」のではなくて、
日常の中で、共に歩むことの大切さを思わされた日々を思い出します。
痛みの中を通って行ったたくさんの家族の中で、
日本語教会とつながりのあった家族がほんの一握りであったことに、
申し訳ない思いになっていました。

それから9年。
自分は今、その思いをどのように行動に移してきただろうか。

私たちとどこまでも共に行ってくださる主の恵みを知った者として、
人々と共に歩ませてください、そのように祈らされました。

今も、痛みの中を通っている方々に、主の慰めを祈ります。

2010-09-10

少しずつ。

今、庭には、ニラの花が満開です。蜂がせっせと飛び回っています。涼しくなり始めると、あっという間ですから、彼らも必死ですね。


今日は涼しい一日でした。
今、夕方の6時ですが、20度です。
半袖半ズボンではちょっと肌寒い・・・。




ちょっと、更新をお休みしておりましたが、
少しずつ、少しずつ、リカバリーモードです。
幸いなファミリーキャンプだったのですが、
子供集会をずっとやるのは、さすがに体力的にはきつく、
メインの集会にでられなかったことも、
微妙に心に不安定さを与えていたようです。
(子供集会が「裏番組」的な位置というのも、ちょっと難しいです。2年前の合同ファミリーキャンプで、そう感じて、去年から子供の集会のことだけを考えればいい「子どもキャンプ」を始めることになったことを思い出しました。)


今日の午後、1回の集会のメッセージを聞くことができました。
本当に心に届くメッセージでした。
神様に従って、歩んでいきたいと思いました。
「ああ、みなさんは、こういう一時を持っていたんだ・・・」と知って、元気が出てきました。よかったな、と。


だから、子供集会の奉仕者のためには、並行して持たれていた集会のメッセージをあとでCDやビデオで見せていただくこともそうですが、みなさんがどんなことを感じられたか、教えられたか、それを分かち合っていただくことが、深いところでの励ましなんじゃないかな、と思いました。


でも、前後のゲストの皆さんとの時間は楽しかったです。
今回は、キャンプ前はメインスピーカーご夫妻、キャンプ後は音楽ゲストの方々、そして、昨日は通訳をして下さった方がお泊り下さって、エキサイティングな日々を送ってきました。


明日はまた友人が来られるので楽しみにしています。


さて、ここ数日の「日々のみことば」から味わっていること。


「こうして、王国はソロモンによって確立した。」第1列王記2:46。

2章はずっと、ソロモン王の権力の確立について、そのために一つ一つの問題が整理されていく様子が書かれています。意地悪な見方をすると、反対勢力の一掃のようなところもあるわけですが、私たちの心の中に、神の支配が確立されていくことのたとえとしてみることができると思いました。

私たちの心の王座にイエス・キリストに入っていただいたあとも、私たちの心のなかにはいろいろな問題がある。それが一つ一つ整理され、取り除かれていく中で、主の支配が確立されていくのだと思います。

それをいい加減にしないで、一つ一つ主のもとに持っていく、そのことは大切だと思います。先日、聞いていたメッセージでは、「小さなマムシを心の中に放っておくな」と言われていました。

心のなか、すべてを主の前に差し出すことができますように。

主よ、
私の心のなかをご覧ください。
あなたの支配が、その隅々まで及びますように。
小さなマムシをほうっておくことがありませんように。

2010-09-06

感謝、感謝の、3日間。

土曜日から2泊3日で、ファミリーキャンプに行って来ました。キャンプという名前がもう使えないなあ、と思う様な、立派な施設で、幸いな3日間でした。私は子供集会担当で、メインの集会には参加できなかったのですが、参加することのできた、岩渕まことさんと由美子さんのコンサートは、本当にすばらしかったです。



お二人は、今夜うちにお泊りいただいています。爆笑の渦の一時を持たせていただきました。腹の底から笑ったって感じ。そして、お二人は明日の10時に、教会でコンサートをしてくださいます。夜の7時からはNYで。お近くのみなさん、ぜひおいでください。




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2010-09-03

存在を喜ばれる主。

今日も暑かったです。
気温以上に湿度の高さがしんどかったですね。
ハリケーンの影響は全くなく、晴れていた空が曇ってきたなあ、という程度。


夜11時になってもまだまだ湿度が高く、
蒸し暑く感じます。外の気温は23.9度。
でも、この後、寒冷前線が通過して、
明日からはカラッと晴れそうです。


そして、明日からは北東部、ワシントンからボストンまでの日本語教会が集まって、2年に一度持たれる合同ファミリーキャンプ。私は今年も子供集会を担当することになりました。半分くらい・・・と思っていたのですが、あまりの子供たちの数の多さに、フル回転の予定。おはなしは2回なのですが、それについて準備をしています。


明日の夜は「神様にとってあなたの存在がたいせつ」というテーマ。


その準備をしながら、ほんとうに自分は本気でそれを信じているだろうか、そのように生きているだろうかと思わされています。言葉だけじゃなくて、本当にそこに生きているだろうかと思わされます。


やっぱり成果が問われるこの世界。
才能や能力、決断力や実行力、そんなもので計られる世界。


そこで、本当に一人ひとりをその人の能力や才能とかではなく、
なにかをやったという実績とかではなく、
その人の存在自体を受け入れているだろうかと。


随分前に、「誕生日は、その人の存在を神様の前に感謝して、人々の中で喜ぶ日。」ということを学んで、本当にそうだなあと思わされて、それを実行しているつもりなのですが、それが形だけになっていないだろうか、本当に心からその人の存在を喜んでいるだろうか?と問われているように思います。でも、本当は、それができるのは神様だけなのかもしれない。神様だけが、本当の意味で、その人の存在自体を喜びとされているのかもしれない。


どうやってそれを伝えよう?


まず、自分自身がそこに生かされることだな。
自分が主にそのまま、存在自体愛されていることに目を留めることだな。
主の愛の中にどっぷり浸かることだな。


どっぷ〜。
さあ早く休もう。


さて、また何日かぶりの「日々のみことば」。


9月になってから、「列王記第1」を読んでいます。
1−4日、4日間かけて、1章を読みます。
今日までで1−39節。


「 一方、ハギテの子アドニヤは、『私が王になろう』と言って、野心をいだき・・・」5節。

アドニヤの傲慢さ。
アドニヤは野心を抱き自分の力で立とうと思った。
ソロモンはただ、王ダビデの命を待った。

13年前、まだ30代前半だった自分が、
この教会の牧師になったときに、
それまで50代、60代の牧師が続いている中で、
「彼は野心があるのでは?」と思われた方々がおられた。

その時には、やたら腹が立ったのだが、
今思い出してみて、
本当のところ、どうだったんだろうかと思わされる。

自分では本当に純粋な思いで主に仕えているつもりなんだけれども、
そこに「野心」が入り込む危険はないのだろうかと。

また、「自分がやらなければ・・・」みたいな、メシヤコンプレックスの入り込む余地はないのだろうかと。

いや、そういうことの全くない者なんかいないのかもしれない。

本当に主のもとにへりくだり、主の導きを求めていく、
ぎりぎりのところまで、主を信頼して、求めていく。
自分が傲慢になりやすい者であることを認めながら、
野心が忍びこんできやすいのだ、ということを認めながら、主の導きを求めていく、そのような歩みをさせていただきたいです。

主よ、
どうか、あなたの前に歩ませてください。
あなたの前に真実に歩ませてください。
他のものが入って来やすいです。
ただ、ただ、あなたのみ思いに心を向けることができますように。

ひんやり。

今日も蒸し暑い天気が続いています。でも、この天気も今日まで。

明日からの合同ファミリーキャンプの会場の天気。


朝晩は、肌寒いくらいですね。
幸いな3日間になりますように。

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2010-09-02

今日は黄色。

ゲストの先生が来られたので。ちょっと、夜景など。







と思ったら、音楽ゲストの方も、ちょっと前に、同じポイントに、来られたみたいです。

http://makotobox.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-2478.html

さあ、いよいよ。

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主の守り。

また日付が変わってしまった。
でも、今夜はなんだか元気なので、
1つ更新。


昨日も暑かったです。
9月になったのに、ありえない暑さです。
35度くらいまで上がりました。
夜になって、ちょっと涼しくなって、23度台まで下がってきました。
今日ももう一日暑いようです。


そして、今、天気予報の世界は、ハリケーン・アールくんの進路予想の話で持ちきりです。
最大風速60m/s以上の強いハリケーンがフロリダの東を北上中です。
今日の夜にはノースカロライナに接近です。


金曜日の夜にはこちらにも影響があるかもしれません。


一昨日の朝、教会に祈りに行ったら、
Costcoのニュースレターが着ていました。


その表紙を見て、「この人、どこかで見たなあ・・・誰だったっけ?」と思って、




んー、とおもっていたら、TOMS Shoesの創業者じゃん。
自分、8月の初めのセミナーにいって、この人の事知って、
ここで紹介してたじゃん。




とうとう天下のCostcoも、このブログからネタを拾うようになったか・・・、と感心・・・。


バキッ!!☆/(x_x)


でも、ここでも、New Business Modelと紹介されているよね。
そうなんだ。社会的にも注目されているんですよね。


でもさ、ということは、CostcoでもTomsの靴が買えるわけ?
今度探してみよう!


さて、火曜日の聖書。
火曜日は詩篇の91篇。


「まことに主は、
  あなたのために、御使いたちに命じて、
  すべての道で、あなたを守るようにされる。
 彼らは、その手で、あなたをささえ、
  あなたの足が
  石に打ち当たることのないようにする。」
11-12節。

これを読みながら、
いつも感じることはないのですが、
本当に自分は今まで、あまり意識することはなかったけれども、
本当に主に守られてきたんだなあと思う。

神を信じているから、
クリスチャンだから、
牧師だから、
試練がないわけではなく、
問題がないわけではない。

でも、本当に、今まで主が特別に守ってくださったんだなあ、ということを、
しみじみ思わされた。

感謝することを忘れてしまう、
というか、本当に意識することがなさすぎる。

主のまもりに、目を注いで、
どんなに主がとくべつに自分を支えてきてくださったか、
忘れることがないように。

主よ、
あなたのまもりに感謝します。
あなたが特別に私を守ってこられたことに感謝します。
あなたを信頼します。
あなたを信頼しながら前進していくことができますように。

2010-09-01

あと4日。

あと4日で東海岸合同ファミリーキャンプ。
ここへきて、いろんなことが起こってきているので、
今夜もこのまま沈没します。

「リア充」ということで。

今日から2年ぶりのVerizon Fios復帰です。
TVJapanは今日の午前中まででおさらば。

8時から12時までに来る、と言っていたのですが、
来たのは1時半。まあ、慣れましたから、文句も出ませんが、
問題は、前のケーブルをキャンセルするプロセス。
「今、キャンセルできない」とか言い出して、
こっちも「明日からもチャージするなんて言うなよ」と、
ほとんど喧嘩腰。

でも、無事終了しました。
Voicemailのセットだけまでうまくできないので、
留守の場合メッセージが残せないのですが、
許していただく、ということで。

ではでは。

2010-08-29

また熱波。

また熱波が来るらしい。
今日もそこそこ暑かったけど、
明日から数日、35度くらいまで上がるらしい。
湿度はそれほどでもないようで、
朝晩は涼しいみたいですが・・・。


でも、週末の合同ファミリーキャンプの頃にはまた冷えて、
会場あたりでは一桁ですね。9度とか。もちろん、摂氏だけど。


さて、さっき、プリンストンの牧師と話していたら、
今日は自タイ、とうとうプリンストンの礼拝に現れたらしい。


ワシントンの教会の子供のプログラムにも現れたらしいし。
まあ、こちらは、私のアドバイスを素直に受け止めて、
ちゃんと事前にほのめかしメールを送っていたそうだけど・・・。


まさか東海岸合同ファミリーキャンプに飛び入りはないと思うけど・・・。
(誘ってないからね・・・別に・・・)


あ、明日からのUSオープンテニス、圭くんが予選突破だってね。
明日早速1回戦。期待しよう。


昨日の聖書。
レビ記14:21−32。


「祭司はその手のひらにある油をきよめられる者の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に、すなわち罪過のためのいけにえの血と同じところにつける。」28節。

前日の箇所では「犠牲の動物の血」がそこにつけられたけれども、
この日の箇所では、「油」がつけられている。

油は聖書では「聖霊」。
私たちの赦されなければいけなかった部分、
きよめられなければいけない部分に、
油が注がれた。

聖霊が、私たちの弱いところ、迷ってしまうところ、
そこに注がれる。

聖霊様にもっと自由に、
もっと圧倒的に働いていただきたいと思った。

聖霊様、
私の弱いところに触れてください。
そして、あなたの御業をなしてください。
ご自由にお働きください。
あなたに身を委ねます。


沈没。

日付が変わってしまったので、おとなしく沈没します。
日曜日、午前中はグリニッチ、午後はニュージャージーでの礼拝です。
聖霊様の働きを求めつつ。

2010-08-27

直視。

今日も朝から快晴でしたね。
朝、とっても眠かったですが、
とっても、爽やかな朝でした。


昼間はちょっと暑くなりましたが、
それでも25度くらい。


でも、日曜日には暑くなりそうです。
予想最高気温は34度くらい。
湿度は上がらないようですが、
涼しさになれたカラダには、きついかもです。


今朝のニュースは日本で死刑執行室がマスコミに公開されたことが取り上げられていましたね。このようなことをすること自体にも賛否両論があるようですが、今回のように秩序正しく、何が起こっているかを知らせることは大切な事だと思います。というのは、いつも私たちはそういう現実から目をそらそうとするからです。裁判員制度が始まるときにも感じたのですが、私たちは、あまりに多くのことから目を逸らしている。逃げている。動物の命をいただくこともそうですが、その瞬間は他の人に任せて、自分は手を下そうとしないで、出来上がった肉製品だけ美味しくいただく。そこで命が犠牲になっていることはできるだけ考えないようにする。裁判も判決には関わろうとしないで「刑が軽い」とか平気で評論家のように言う。そういう声を封じるためにも、裁判員制度はいいことだと思う(なんて日本でもアメリカでも裁判員になる可能性のない立場にいるので、まさに傍観者的発言ですが・・・)死刑についても、刑の執行にはかかわらないで、「死刑にすべき」とか言う。自分がボタンを押す立場になったら、自分が判決を下す立場になったら、本当に苦しむだろうけれども、私たちは普通の時は、そういうことからは逃げて、傍観者として、好き勝手な評論をするのだ。


現実から、厳しい現実から、目をそらさないで、直視する、全てについて大切な事だと思う。そして、自ら、自分の判断に責任をもつ。「あの人がああ言ったから」とか、「状況が赦さなかった」なんて言い訳をしないで、自分の判断に責任をもつ。今日のニュースは本当に考えさせられるテーマでした。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記14章1−20節。


「祭司は罪過のためのいけにえの血を取り、それをきよめられる者の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗りつける。」14節。

ここは、「ひびみこ」の解説に「そうかも知れない」と思わされた。
つまり、耳と手と足とに血をつけられなければいけなかった。
耳と手と足とは罪を犯させるポイントなのでは?というのだ。

でも、自分的にはじゃあどうして「目」はないの?
「耳」より目の方がずっとずっと誘惑の入り込むポイントになりやすいと思うのだけれども
どうだろうか?「口」だって負けていないだろう。誘惑よりも攻撃になるかな。

でも、さすがに「目」に血をつけるのは衛生上よろしくないでしょう。
「口」もそうですね。

だから、目や口の代表として耳が選ばれたのかもしれない。

そして手や足は罪を犯させる道具。

その一つ一つがきよめられること、
主はそれによって私たちを守ってくださる。
私の耳や口や目や手や足、一つ一つの部分が守られて、
主のために用いられ、罪から離れていることができますように。

主よ、
あなたのきよめの御業を感謝します。
どうか、わたしのカラダの一つ一つの部分を守ってください。
あなたの喜ばれる器として用いてください。