2008-11-28

なにかがおかしい。

今朝は、そこそこ寒くなって、-2度くらい。
でも、一度、もっと寒いのを経験したら、
「今日はたいしたことないね」という感じです。


昨日の夜11時過ぎに、マンハッタンに行ったら、
もう、Best Buyの前には列ができていました。
すごいですよねえ。
その皆さんにとっては、ちょっと寒い夜だったと思います。


昼間は10度くらいまで上がりました。
今夜も今朝と同じくらい。
でも、天気は下り坂。
日曜日の午後あたりからは雨のようです。


そう、2週間くらい前は、
12月の初めには大寒波が来る、と言っていましたが、
もうちょっと遅れるようです。
来週は昼間は5-6度くらい。
その次の週は一日氷点下の日もあると思います。
覚悟のほどよろしく・・・。


その、日本の「初売り」と似ているかもしれない、
Thanksgiving Dayの次の日の、Black Fridayですが、
今朝、家の近所も電気屋さんが一番行列がすごかったですね。
まあ、「薄型テレビ、絶対欲しい!」というおじさんたちは、
ねらっていたでしょうから・・・。


そこで起こった悲劇。
今朝、NY州のマンハッタンの向こう側、
ロングアイランドのとある町にある安売りの店Walmartで、
34歳の店員さんが、開店時間になって、ドアを開けようとしたところ、
押し寄せてきた人たちに倒されて、踏みつけられて、亡くなったそうです。


ひどい話。


やはり目玉は薄型テレビだったそうで。
値段が下がってきて1000ドル以内で買えるものが増えてきて、
安売りの目玉で300-400ドルくらいのものも準備されていたようです。
だから、おじさんたち一生懸命だったんだと思いますが、
人を踏みつけてまで、倒れている人を助けようともしないで、
買いに走るかなあ、と思いました。
前の方の人たちは8時間とか寒い中待っていたでしょうから、
「こんだけ待ったんだから、何としてでもハイビジョン薄型テレビ!」だったのでしょうが、
(ノートパソコン!の人もいたでしょうが・・・)
それでも、それはまずいでしょう。
楽しくないと思いますよ、そうやってゲットしたテレビで好きな番組見ても、スポーツ見ても。
自分の足には「人を踏んだ」って感触残るでしょ。
そのテレビで「その人亡くなった」というニュースも流れるでしょうし。
防犯ビデオの映像を調べて、刑事事件の立件も目指すとか、言われていますが、
この国の行く道が大きく変わっていくような方向で生かされるように願います。


でも、日本と違うな、と思うのは、
まず「店の準備体制は?」「客をちゃんと誘導したか」とかが言われる前に、
(もちろん、それも大切でしょうが・・・)
「そこまでして買い物に走るのはおかしい」という論調がほとんどだということです。


せめてもの救いです。


自分も本当に大切にすべきものを大切にする者でありたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日は黙示録の1章9-20節。


「わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。」17-18節。

イエスはすべてを支配しておられる方で、
今も生きておられる方。
わたしのすべて。
今も共にいてくださる。

そのことを思いめぐらしました。

まだまだ、自分は「イエスと共にいる喜び」のほんの入り口を見せてもらっている、だけなのかも、と思わされてました。

もっともっとイエスと共に歩む喜びを経験させて頂きたい。
心の中からの飢え渇きが湧いてきています。

イエスよ、
あなたが初めであり、終わりであってくださること、
すべてであってくださること、感謝します。
どうか、あなたの愛の中に生きることのすばらしさを
もっともっと経験させてください。

とりなし。

朝起きたら更新、宣言にもかかわらず、
もう昼になってしまいました。


昨夜は人数は決してめちゃくちゃ多くはありませんでしたが、
20人くらいの方々がおいでくださって、
その中でも、初めて我が家においでいただく方々が、5人、
また去年の今頃はお互いその存在を知らなかった方々も何人もおられて、
とても、幸いな一時でした。
去年は一つのテーブルを囲んでみんな一つのグループでいろいろ話したのですが、
今年は自然といくつものグループに分かれて、
他愛のない話も、いい話もいろいろすることができてとても気持ちのいい一時でした。


昨日の名言。

中高生や若い方々がUNOをやっているのを見たのんち、
「あ、UNOやってるんだ。盛り上がっているね。で、『大貧民』は誰?」

それゲーム違うでしょ。
この調子では20年後、30年後が思いやられます。


では、昨日の聖書。
昨日からヨハネの黙示録に入りました。
難しいところですが、「日々のみことば」のヘルプがあるのは助かります。
昨日は1章1-8節。


「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。」5-6節。

私たちは祭司とされた、ということが心に留まりました。
祭司は民の側に立って「とりなし」をする人。
神さまの前に祈る人。

その使命をいただいていることを再確認しました。
祈るために招かれていることを感じました。

そして、名簿を見て、また心に浮かぶ方々の名前を一つ一つ、挙げながら祈りました。
私もこのように祈られてきた。
私もこのように祈ることをもっともっとさせて頂きたいと思いました。

神さまが「もっと祈りの世界を知ってもらいたい」と願っておられることを思わされます。
「おまえは、こんなもんだと思っているかもしれないし、自分の経験の中で教会の人々に語っているけれども、もっとすごい世界なんだぞ」と言われているように思います。

主よ、
あなたが「とりなし手」として私を招いていてくださることに、
心から感謝します。
神さま、どうか、今日も教会に連なる一人一人を、
私に出会わせてくださった一人一人をお守りくださり、
語ってくださいますように。

感謝。

今日の一日と、
今日の一つ一つの出会いに感謝。

今日の一人一人の愛に感謝。

あ、もう28日になってしまいましたね。

月末で、12月に向けて、
いろいろ週末に準備しなければいけないものが、たまり中。
明日も有意義な一日となりますように。

聖書はまた朝起きてから。

2008-11-26

使命と助け。

たぶん、今書かないと、また、
「また明日!」となってしまうと思ったもので、
NYPLからの2回目の更新。


今日、図書館で仕事をしていて気がつきました。
コンピューターのキーボードの上の方に、折れた針のようなもの。
コンピューターが閉じた時に、自動的にスリープに入れるための、
小さなプラスチックの部品です。


まあ、しょうがないですね。
3年保証が切れてもうすぐ1年。
無意識で閉めてしまうことがないように、
ちゃんと閉じる時にはスリープに入れたり、
シャットダウンしたり、する習慣が必要になりました。


もうひとがんばりしてもらわないといけませんから・・・。
(といいながら、Black Fridayの出物をチェックしていますが・・・)


今日は2週間前に「来週はもっとおいしいのを作るぞ」と思っていた、
Mongolian Barbecueに行きました。
今日はシーフードスペシャル。
たくさんホタテを入れて、たくさんエビを入れて、
でも重さでお金を払うので、
前回と同じ値段でした。
でも、ランチが大幅に遅れて、3時前になっていたので、
閉まる直前・・・。あわてて頼んで、あわてて食べて・・・。


ああ、次回は(また食べるかよ!)もっと早く来ようと思いました。


でも、この遅いランチには神さまのご計画があったのです!


なんと、食事の後、図書館でもう一仕事、と思って帰る途中、
ミッドタウンの真ん中で、「かきごおり先生!」
(もちろん実際は「芸名」の方を使ってくださいましたが・・・)
と呼ぶ声が。


なんと、3日前の日曜日の感謝祭礼拝に始めてこられた方でした。


主の導きを感じて、少しお話しして、
お祈りをする時がもてました。


本当に神さまが使命を果たさせてくださるんだと思わされました。


・・・というのは、今朝の聖書のみことばが伏線にあったのです。


ということで、今朝の聖書の言葉。
今朝は詩篇の86篇の後半、19-35節。


「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。」(19節)


NIVでは our burdenとなっています。

私たちの重荷を、主が、共に、日々、負ってくださる。

自分は、いつの間にか、
神さまが腕組みをしながら見ておられて、
「しっかりやれよ」という思いで見ておられるようなイメージを持ってきました。
だから、「しっかりやらなきゃ」「いったい何をしているんだろうか、自分は」という思いがあります。

でも、今日のところで、
神さまが私の重荷を負ってくださる方なんだと。

本当にそのことを思って、
自分一人で何かやっているかのような勘違いをしてきたことを、
思わされました。
そして、肩に入っていた力が抜けていくのを感じました。

そして、今日の神さまの導き。
本当に励まされました。
これからもこの方がおられるから大丈夫です。

祈っていきたいと思います。

主よ、
あなたが私の重荷を負ってくださる方であり、
私が一人で負おうとしていることを、戒めてくださったこと、
解放してくださったことに感謝します。
これからも、一つ一つのことを、
御手の中に導いてください。

ガードレールは崖ぎりぎりに造るな。

昨日、帰ってきた時は、
「ああ、寒くなってきたなあ」と思いましたが、ちょうど0度くらい。
でも、今朝はそれほど冷え込みませんでした。
逆に気温はちょっと上がったようです。
今日は穏やかな、過ごしやすい日になりそうです。


ちょっと前に、
iTunesからpodcastなるものをぼやーっと見ていたら、
カテゴリーの中に、Religion and Spiritualityなるものがありました。
日本だといろいろまた怪しいのがあるんでしょうが、
(いえ、アメリカにもたくさんありますが・・・)
こちらでは、いくつかの尊敬できるリーダーたちの語る言葉を聞くことができます。


で、Andy Stanleyの最近のものを聞いてみました。
アトランタのNorth Point Communitiy Church の牧師で、
First Baptistの良くテレビに出ているCharles Stanleyの息子です。
58年生まれなので、5つ年上。
私がアトランタからNJに移ってきて間もなく6人でスタートした教会に、
今や2万人以上が毎週通っているそうです。


もちろん、コンピューターでも聞けますが、
携帯に入れてバスに乗ったり、NYを歩きながら聞けるのが、いいですね。
コンピューターだと、その前に座っているのがちょっときついので。


”The Best Question Ever”の第3回目。 
題して「崖っぷちに生きる」。


その中で何度も彼が言っていたのが、
「ガードレールは崖っぷちに造るな」ということ。
余裕を持って、もっともっと手前に造りなさい、と。


これ以上行ったら崖に落ちる、というところに、
ガードレールを造るのは危なすぎる、
ちょっとしたトラブルで、それを超えたら落ちてしまう。
だから、ゆとりを持って崖よりもずっとこっち側にガードレールを造りなさいと。


自分はどうだろうかなあと思いました。
結構、いや、いざというときにはちゃんと踏みとどまれる、
なんて、自信過剰になっているかもしれない、と思わされました。


謙遜でありたいと思います。


さて、昨日の聖書。
昨日は詩篇の86篇1-18節。


「A father to the fatherless・・・」5節。

NIVで読んだのですが、
主の父親のない者の父親になってくださる、
宣言に心が留まりました。

誰にでも、
他の人には当たり前のように
与えられたものが与えられていない、
ということがあります。

私たちはどうしてもその「与えられなかったもの」に目がいきます。

そして、世の中は、
その「与えられなかったものに目を向けないで、与えられているものに目を向けなさい」と言います。もちろん、それも無意味ではないでしょう。

でも、主は、「私自身がそのあなたに与えられなかったものになる」と言ってくださるのです。

父親の愛を知らないで育った者には、
私が父親になる、と言ってくださる、というのです。

自分は何だろうと思いました。
自分は何を与えられなかったんだろうかと。

与えられなかったものに目を向ける、
それは今まで「そんなのは贅沢な悩み」と言われ、自分でも自分に言い聞かせ、
封印してきた心の深いところにある痛みに触れる、
そして、「与えられなかったものではなくて、与えられているものに目を向けなさい」と言われて、目を背けていたものに光を当て、
絡んでしまった糸をほどいていく、そんな時になるのではないだろうか。

そして、それをあなたに与えなかったのは、
そこに、その空洞に私が入るためだった、
と主は言われる。

パンドラの箱を開けるような怖さはあるけれども、
大丈夫、主がそこに満ちてくださると約束してくださっているから。
勇気を出して、開いてみよう。

主よ、
私に与えてくださらなかったものの故に、
心から感謝します。
そこにあなたが来てくださるから。
そこに目を留めるのは、
痛いし、悲しいし、不安だし、悔しいし、
惨めな気持ちになります。
だから、主よ、満ちあふれてください。
私が与えられなかったすべてになってください。

2008-11-25

お父さんたちの毎日。

いや、決してお父さんたちだけじゃなくて、
お母さんやお姉さんでもそのような生活をしている方々もおられるでしょうが・・・
まあ、イメージ的にはお父さんっぽいかな、と思うので・・・。

今日は先ほどNYから帰ってきて、
明日はまたNYの面談日なので、
7時間半後にはもうNYにいるわけで、
早く休もうかと思いますが、
世のお父さんたちの中には、
午前様になって、帰って、寝て、
翌朝またNYに出勤という毎日を過ごしておられる方々も、
おられるわけですよね。
(長い+行き先のわからない悪文)

いやあ、これが毎日になったら、
家のこととか、何にもできないですよね。
私は今日の昼間家で仕事をしていたので、
ちょっと時間の合間に、トイレ修理。
最近、夜中とかずっと流れっぱなしになっていたりしたので、
あさってのThanksgivingにはお客さんも来られるし・・・
(例年通り、どなたでも歓迎です)

世のお父さんたちはホントに大変だな、と思った夜でした。

また、今日の聖書は明日の午前中にでも・・・。

2008-11-24

感謝祭礼拝。

昨日の礼拝は本当に新しい方がたくさん来られて、
とてもうれしかったです。

用事があってこられない、という方、
風邪を引かれた、という方、
結構おられて、あれあれ、ちょっとこぢんまりした礼拝と愛餐会かな、
まあ、それもいいなあ、と思っていたのですが、
神さまはちょっと違う考えでおられたようで、
子どもを入れて100人を超える方々が来られました。
その中で全く初めての方も20人以上。


まだまだ働きのFieldは広いと思いました。


もっともっと、初めての方でも、
わかるメッセージを心がけなければ・・・と思いました。

そしてたくさんのお料理。
私は今回はどうにもこうにもtime managementができなくて、
何も作れませんでしたが、
でも、私なんか出る幕なくても、
皆さんすごくたくさん作ってきてくださいました。


来られた皆さん、十分召し上がったでしょうか?
そして、楽しい一時を過ごして頂けたでしょうか?




たくさんの方々をお迎えすることもうれしいですが、
それよりも大切なのは、来られた方々とQualityの高い時間を過ごすこと。
また続けてこられる方々も起こされますように。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の67篇。


「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。」1節。

昨日の説教の中で語ったことが自分の心に問われています。

私は神さまを一番に求めているだろうか?
神さまがおられることを、神さまが共にいてくださることを、
一番感謝しているだろうか?

神さまの与えてくださる「もの」を求めて、
神さまご自身を求めていないことはないだろうか?

神さまの与えてくださる「平安」を求めて、
神さまご自身を求めていないことはないだろうか?

神さまの与えてくださる「ビジョン」を求めて、
神さまご自身を求めていないことはないだろうか?

神さまの与えてくださる「燃える思い」を求めて、
神さまご自身を求めていないことはないだろうか?

昨日子供たちのためのThe BRAVEの聖書箇所は、
アブラハムがイサクをささげるように言われるところですが、
神さまよりも神さまが与えてくださった約束の子イサクの方が大切になって、
そっちの方が神さまよりも喜びになったんだろうと思います。

だから、神さまは、
もう一度神さまご自身を喜びとする歩みへと招かれた。

私も今、招かれていることを感じています。

ほんとに、神さまご自身を喜びとする者となりますように。

神さま、
あなたを求めます。
あなたが御顔を向けてくださることが、
私の喜びです。


いつの間にか、あなたではなく、
あなたの与えてくださる何かが、
あなた以上の喜びになることがありませんように。

Role Model。

あっという間に月曜日も夜になってしまいました。
今日は朝は-4度くらいの寒さでしたが、
昼間は久しぶりに10度を超えて、
ぐっと寒さがゆるみました。


今夜は雨。


Heavy Rainと予報が出ています。
明日にかけてまとまった雨になりそうです。


昨日の朝、
教会で祈っている時に、
最近日本からいただいた一通のメールのことが
心に浮かびました。


それは彼の教会に来ている一組の夫婦を愛し、
そのために自分は何をすべきかを模索し、
心から受け入れながら、
でも、まさに愛し受け入れているが故に
どうしてもおかしいと思うところは、
はっきりと伝えている様子が書かれているメールでした。


若い働き人でありながら、
そのような勇気と愛にあふれた姿に、
本当に心が熱くなりました。


自分がいかにたくさんの対決すべき場面でそれを避けてきたか、
そのことを考えさせられました。
勇気のなさよりも、愛のなさを突きつけられ、
悔い改めに導かれました。


そして、教会の一人一人の思い、
単に表面的な一生懸命さや、忠実さではなくて、
心の思いに目を向ける者にさせて頂きたいと祈らされました。


神さまが与えてくださったrole model。
自分よりも若い働き人ですが、
そのようなmodelが与えられたことに感謝。


考えてみると、私の牧師としての働きの中で、
先輩牧師なり、同労者なりが、
そのような愛にあふれた対決をしておられるのを
あまり見たことがありませんでした。


どちらかというと、愛にあふれてだとは思うのですが、
自分の考えを譲り、相手を赦し受け入れて・・・という姿を見てきたと思うのです。


対決もあったかもしれませんが、
それはあまり見えるところでは起こらないのかもしれません。


本当に愛にあふれた対決ができる働き人との
出会いを与えてくださった神さまに、心から感謝。


昨日、日曜日の聖書。
昨日は詩篇の66篇10-20節を読みました。


「もしも私の心にいだく不義があるなら、
  主は聞き入れてくださらない。
 しかし、確かに、神は聞き入れ、
  私の祈りの声を心に留められた。」18-19節。

この言葉ではいろいろなことを思わされます。
いつかは、本当に自分の罪を探られることもありました。

でも、昨日はこの箇所から、この詩人と同じように、
「わたしが不義にとらわれていないことを証明するために、どうか、祈りに答えてください」と祈りました。

もちろん、失敗ばかりです。
過ちを犯します。
罪人です。

でも、この詩人がそうであったように、
困難の中で、神さまに祈った時に、
神さまが聞いてくださったことの中に、
神さまが祈りに答えてくださったことの中に、
「私が間違っていたわけではないですよね」という
答えをいただきたいと思ったのです。
聞き入れて頂きたいと思ったのです。

主よ、
私が間違っている時には教えてください。
はっきりと教えてください。
私の願いが自分のわがままや自己中心的な思いに支配されているならば、
そのことをはっきりとわからせてください。


しかし、私の願いや行動が罪によって支配されていない時には、
その祈りを聞き入れ、御業をなしてください。


信じます。


あなたは祈りに答えて御業をなしてくださる方であることを。

2008-11-23

感謝。感謝。

今日もいろいろ書きたいことはあるのですが、
とにかく、たくさんの方々をお迎えして、
感謝祭礼拝、愛餐会を持つことができました。
100人を超える方々が来られました。

新しい方々との出会い、いつもうれしいのですが、
今回は本当にうれしく、また楽しかったです。

朝祈っていた時に導かれたこともあって、
いろいろ書きたいのですし、
まだあまり眠くはないのですが、
また夜更かしになってしまうので、
明日、ゆっくり書きます。

心から感謝しつつ。

ではでは。

2008-11-22

まるで真冬。

今日も寒かったです。
朝は-6度。
でもそれよりも、昼間の寒さが異常でした。
最高気温が0.3度。
かろうじて真冬日を逃れました。


今、夜の12時前ですが、もうすでに-4.7度まで下がっています。
朝は-7度くらい。



明日は今日よりは暖かくなるでしょう。
でも、昼間もせいぜい5度止まり。


寒いです。
おかげであちらこちらで
「風邪ひいた」
「熱出した」
との声が挙がっています。
私は10日前の風邪がいつの間にか治っています。
いつ治ったかわかりませんが、
今日、「あれ、風邪が治ってる?」と思いました。
ありがたいことです。
神さまが与えてくださった健康に感謝。
これは特別なことだと思わされる今日この頃です。


でも、明日は教会の感謝祭礼拝。
礼拝後には愛餐会もあります。
たくさんの方々と礼拝を共にすることができますように。
心からの感謝を神さまと人々に表すことができますように。


今日は4回目のJOYJOYシンガーズ練習。
新人が3人!
常連が3人休みで、結局13人でしたが、
まだまだ「行く」発言がある方々がおられるので、
今後増えていくだろうと思います。


そして、初舞台は21日のJOYJOYクリスマス。
練習もあと4回です。
いよいよ詰めていかないといけません。
仕上げていかないと。
そしてみんな緊張するでしょうから、
緊張しても大丈夫なくらい、
ばっちり仕上げておかないと。


さて、今日の聖書は詩篇の66篇1-9節。


「さあ、神のみわざを見よ。
  神の人の子らになさることは恐ろしい。
  神は海を変えて、かわいた地とされた。
  人々は川の中を歩いて渡る。」(5-6節)

英語で読んだ時に、「Come and see」という呼びかけが心に留まりました。
来て、見てご覧なさい、というのです。
そしてそれは何かというと、
神さまが海を渇いた地にされた、ということ。

私たちの目の前に広がる困難、
それに、主は海を渇いた地にするように、
道を開いてくださる。

それをほんとうに信頼しました。
そのことを主がしてくださると。

だから踏み出していくことを恐れないでいたいと思います。
恐れないで踏み出していきたいと思います。
踏み出した時に開かれる道もある。
それまで見えなかったところに見えてくる道もある。
インディージョーンズにもそんな場面がありましたね。

主がそのようなことをしてくださいますように。

主よ、
あなたが海を渇いた地にしてくださる方であることを感謝します。
単に昔の出来事ではなくて、
どこかの信仰の勇者のためにしてくださったことではなくて、
私の人生にそのことを見せてくださいますように。

2008-11-21

とうとう負けた。

今日も寒かったですね。
朝は-5度くらい。
昼間は3度くらい。
雪の予報は完全に外れ、
夜になってぐんと冷えてきています。
今は真夜中の12時頃ですが、
-4.9度です。


明日の朝は、-7度くらい。
昼間も0度くらいまでしか上がらないようです。


いやあ、いきなり真冬です。


で、とうとう、今日からパッチをはき始めました。
今年はがんばろうと思って10月中は持ちこたえて、
11月も後半になったのですが、
さすがに昨日の夜から今朝にかけての寒さで足が冷えてしょうがない。


で、今朝、履きました。


あったかい、です。


これでもう3月までは離せません。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の65篇。


「私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の
  良いもので満ち足りるでしょう。」4節。

私は神さまの良いもので満ちているだろうか、
霊的な良いもので満たされているだろうか、
自分の状態を省みる時を持ちました。

自分が満たされることが、
教会が満たされることにつながっていく、
教会の一人一人が満たされることにつながっていく、

だから、私自身が神さまの「良いもので満たされる」という経験を、
もっともっとしていきたいと思いました。

今朝の祈りの時も決して「豊かな一時」となっていないと感じていました。
でも、この言葉が心に響いてきた時に、
また応答として、「私を満たしてください」と祈り始めた時に、
神さまが引き寄せてくださっていることを、
神さまが御許近くに招いてくださっていることを感じました。

日々の祈りの時が、また日曜日の説教の準備が、
「良いもので満たされる」ところとなりますように。

主よ、
あなたは私を良いもので満たしてくださる方ですから、
感謝します。
どうか、あなたが明日の祈りの時も、
日曜日の準備の一時も、
あなたの持たれている、良いもので私の心を満たしてください。

2008-11-20

さぶいです。

今日も寒かったですね。
小雪も時々舞いました。


朝は-1度くらいでしたが、
風もあり、どんよりして、寒かったです。
最高は4.5度。
今は夜の9時半ですが、
すでに-1.5度に下がっています。


明日は今日よりももっと雪が降りやすく、
場所によっては薄化粧するかもしれません。


今晩の我が家での出来事。
JOYJOYキッズクラブを終えて、帰ってきて、
ちょっと遅めの夕食を食べようとみんな集まってきたところで、
突然、ハジが、一番下の妹サキに「今なんて言った?」って大声で怒っています。
英語で・・・。


いつも「やさしい or 無関心で我が道を行く」兄貴が急に大きな声を出したのでサキはちょっとびびっています。10歳年下の妹に対して突然声を荒げるハジにちょっと親もびっくり。


そしたら、真ん中のユキまで、「それはとってもbad wordだよ!」と言うではありませんか。・・・英語。


親は二人で「ぽかーん」です。はい。
サキがなんて言ったのか聞こえませんでしたし、聞こえていても全然「bad word」だとわからなかったでしょう。


「どんな意味かわからなかったんだよ」とサキ。・・・英語。


「だったら、とにかくその言葉は使うな。」とハジ+ユキ。高校生二人。・・・英語。


まだ言い訳をしようとしていたサキにちょっと助け船。


「こうやっていってもらえるのはいいことなんだよ。教えてくれなかったらわからないでしょ。さあ、ごめんなさい、だよ」と父。・・・日本語。はい、もちろん。


家は私ものんちも英語が苦手なので、
家の中は日本語と決めてあります。
ハジが結構日本語が好きなので、
英語ばっかりにはなりませんが、
でも、兄妹の中では英語が結構飛び交います。


親はわからないいろんな言葉が飛び交っていて、
時々は「どういう意味?」とか聞きますが、
相手も面倒だろうなあ、と、あんまりしつこくは聞きません。


でも、こうやって、お兄ちゃんやお姉ちゃんに何が言っていいことか、悪いことか、教えてもらえるサキはほんとうに幸せもんだと思います。
いつもは3人バラバラで、3人一人っ子を育てているみたいだ、なんて言っているのですが、なんか、やっぱり3人兄妹なんだよなあと感じた一時でした。


あと9ヶ月ほどで、ハジが大学に進んだら、こういうこともなくなるんだなあ、とちょっとしみじみ思ってしまいました。


さて、今日の聖書。
今日はマラキ書の最後、4章を読みました。


「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。」2節。

昨日に引き続き、「正しい裁きをされる主」ということを考えさせられました。
主は必ず正しい裁きをしてくださって、
私たちに太陽を昇らせ、私たちを喜びにあふれて飛び回るようにしてくださる。

だから、やはりどこまでも、ただ、自分にあたられた使命を、ひたすら、果たさせて頂きたいと思いました。周りに振り回されないで、主の使命を果たさせて頂きたい。

ただ主だけを見つめて、前進していきたいです。
主の正しさを信頼して、主の公平を信頼して、
前進していきたいと思いました。

主よ、
あなたの真実を信頼します。
あなたがいつも公平な方で、
正しいことをしてくださる方であることを信頼します。
自分のなすべきことを忠実に果たしていくことができますように。

寒い!

一気に寒くなりましたね。
今朝(19日)は最低気温がいきなり-5.4度でした。


今日の昼間も風が強くて気温は低めでした。
というか、寒かったです。最高が2.3度。
今、夜の12時過ぎですが、-0.7度です。


明日は曇り一時雪。


また寒い一日みたいです。


今日は3つ集会がありましたが、
それぞれ味のある、いい集会でした。
お話ししている時も、神さまの助けを感じました。


主が祝福してくださっていることを感じます。
明日は祈り会とキッズクラブです。
大きく期待したいと思います。


さて、19日の聖書。
19日はマラキ書の3章13-18節。


「神に仕えるのはむなしいことだ。」14節。

神さまに従わない人も結構楽しくやっている。
神さまに従う人も、いろいろ苦しみがある。

だったら、なんのために従うのか、
そんなのはむなしいのではないだろうか。

そんな声に対する神の答えは、
「いつまでもそうなのではない」ということだ。

この言葉は口語訳では、
「神に仕えることはつまらない」と訳されている。

私自身はそこまで感じたことはないかな。
神さまに仕えて、他の人がもっと幸せそうに見えても、
自分とその人とを比べる、ということは全然思いつかない。
・・・と思う。

だいたいこういうことを書いた後には、
「ほんとうにそうか?」と問われるような事件が起こるものだ。

もしも、そういう出来事が起こった時にこそ、
この聖書の箇所を思い出そう。思い出させて頂きたい。

そして、決して貧乏くじを引いたのではない、
神さまの使命の中に生かされているのだ、
そしていつまでもこの状態が続くわけではない、
ということを信じて、ただただ、自分の使命に熱く生きていきたいと思います。

主よ、
今、「主に従うことはつまらない」とは思わないです。
エキサイティングです。そのような思いが与えられて感謝です。
どうか、これからの歩みの中で、そのような思いにとらわれた時に、
この聖書の言葉を思い出すことができますように。
あなたの真実を信じて歩むことができますように。




2008-11-18

My 初雪。

はい、とうとう、今朝、My 初雪 in winter of 2008-2009でした。


今朝、5時50分頃、家を出る時、ちらほら降っていました。


その後も降ったようですが、
気がつきませんでした。


今週、何度もチャンスがあるようですので、
personal 初雪がまだの方は、めげずに、窓の外に注目です。
特に木曜日の朝はビッグチャンスです。
あ、小雪ですけどね。


今朝は最低気温が-1.1度。
今日の昼間も4度くらいだったでしょうか。
ほんとうに寒い一日でした。


今、夜の10時半で-1.6度です。
-4度くらいまで冷えそうです。


さて、今度の日曜日はサンクスギビング礼拝。
その後には、愛餐会もあります。
ご近所の方、どうぞ。いえ、遠くからでも大歓迎です。




昨日の「iPhoneで~も~も一つになって・・・」という中で、
「楽器になる」というの、書かなかったですね。





もうちょっとそれっぽい音が出て欲しいような気がしますが、
これはまた楽しそうです。


Amazing Graceの吹き方なんかも出てきます。


有料ソフトなんで、まだ試してはいませんが・・・。
99セントなんですが・・・。


さて、今日の聖書。
今日はマラキ書3章7-12節。


「それは、十分の一と奉納物によってである。」8節。

今日はこれを英語で読んでみて、
気がついたことがあったのですが、
そこにはtithe and offeringと書かれていました。

titheは十分の一献金で、
与えられたものの十分の一を主のもとに持ってくる、という意味ですよね。
offeringはささげもの、
感謝と喜びを持って、主のもとに自発的に持っていくものですよね。

何か、今まで自分の中でこの二つが混乱していたのかもしれません。

子どもの頃から教会にいた私は、今までtitheになんの疑問を持ったことも、
もったいないと思ったことはありません。
ですから、いつも、titheはしてきました。
でも、果たしてoffering、つまり感謝と喜びをもって、
主にささげものをしているか、と問われたように思いました。

つまり、「とうぜんすべきもの」として献金をおささげしていますが、
それで終わってしまって、「感謝と喜びをもって自発的に」ささげものを主のもとに持っていっていなかったように思うのです。

感謝と喜びを表す者でありたいです。

主よ、
感謝します。
これから、心からの感謝と喜びを持って、
主に大切なものをおささげする喜びを経験させてください。
あなたの前に献身の思いを持って、出ていくことができますように。

2008-11-17

長いものには巻かれろ。かな?

今朝は0.4度。惜しかったですね。
でも、今夜は絶対氷点下、
っていうか、夜の11時で0.2度。


今夜は20パーセントで雪の確率さえあります。


さあ、明日の朝、どうなっていることでしょう。


今日、やっと家の落ち葉集めがほぼ終わりましたが、
これ、早く持っていってくれないと、
その前に雪が降ると、めんどくさい。
というか、除雪で葉っぱもどけられて、
きたなくなる・・・。
明日来てくれないかなあ。落ち葉集めのトラック。


昨日、「桶の水は流しても赤ちゃんは流すな」とよく言われますが・・・
と話したら、そこにいた方はだれもご存じなかった。
そういう時って、「えっ、間違って使ってるかな?」って不安になります。
でも、今回は、私の正解。

Don’t throw out the baby with the bath water.


ってのがあるみたいです。
http://www.bartleby.com/59/3/dontthrowout.html

問題があるからといって何かを捨てる時に、
捨ててはいけない大切なものを一緒に捨てることがあるから、
気をつけろよ、
そういう意味の言葉です。


「長いものには巻かれろ」
これは、強いものには従っておいた方がいい、
ということなんでしょうかね。


ちょっとそれとは違うかなあ、とも思うんですが、
「多数派につくのは、結構いいことなんだ」ということが
世の中には時々あります。


だいたいは間違っているのですが(これは変な信念かも・・・)、
時々、ホントにそうだなあと思います。


子どもの頃から、結構みんなと同じのがいやだったと思います。
東京に住んでいながら、
自分が大阪生まれという自覚があったからか、
「近鉄ファン」。


仮面ライダーよりも、連想ゲームの方が、
あ、もっというならば、天気予報の方が好きな子どもでした。


中学や高校で何かテーマを決めて調べる時にも、
ちょっとみんなと違うことをやってみたい方でした。
だれも選ばないようなことを選んでいました。


そんなんでしたから、
2年前に携帯で日本語が通るようにしようと思った時に、
Symbian OSのNokiaを使い始めた時は、
少数派の機種を使っていることに結構誇りを持っていました。
http://njotenki.blogspot.com/2006/10/blog-post_22.html

とか
http://njotenki.blogspot.com/2006/11/blog-post_116287371776741356.html



でも、なかなか完全とは行かなくて、
日本語はあまり使い物にはなりませんでした。
日本語でメールを打つと、出す直前に落ちるのです。
一生懸命打ったのに(それもテンキー入力)、
それがパーになってしまう。それがあるともう怖くて、
携帯ではメールは送らなくなっていきました。


それに何よりも参ったのは、
それまでClieでうまく使っていた、
住所録が、あまり管理できなくなってしまったこと。
PCとの同期とかでいろいろトラブルが多すぎました。


そして、Symbianで日本語を使う人の絶対数が少なすぎる。
少ないと情報も少なく、解決法もなかなか見つからない。


で、何事もなく2年が過ぎたので、機種変更。
今回、2ヶ月ほど前から
リンゴ印の携帯をつかうようになってから、
標準で日本語が使える ことがこんなに楽なことかと、
感じています。


日本に住んでいる方には、こいつは決してそれほど魅力的ではないようですが、
アメリカに住んでいる日本人にはホント魅力的です。
何をしたいかにもよりますが、
日本語と英語の住所録が一括管理できて、
並び順もばっちり(今までは、日本語はめちゃくちゃ)。


たくさんのソフトも入れられるし。


口語訳の聖書なら、タダで、持ち運びできますし。
英語の聖書はいろいろたくさん。
ギリシャ語の聖書も最新の研究が反映されているものをのぞけば、無料で持ち運びできます。
電子辞書も入れることができますね。(まだ検討中)


ネットで検索をすれば、いろんな情報が見つかるし。

たくさんの人が使っているものを使うのは、こんなにいいことかと
実感しています。



ちなみに9月下旬のミシガンの結婚式の写真は
iPhoneで写真を撮って、
そのままメールでコメント付きで送ったもの。

予定表も標準のはあまり見やすくないですが、
「さいすけ」を入れたら、
これ一つでいいかな、と思います。
(今まではまだ紙の手帳の方がいいかな、と思っていました)

迷った時には自分の居場所を教えてくれます。
カーナビまでは行きませんが、目的地までの経路は教えてくれます。
(この先100メートルを右折です、とか言ってくれません。今のところ)

手帳と携帯と電子辞書と聖書と地図とmp3Playerと目覚ましとカメラ(あんまり性能は良くない)と写真入れと、もっといろいろ、みんな一つですむんですからね。助かっています。ま、確かに日本の携帯のように「財布」「定期券」までこれに統合できたら、これはまたすごいことですよね。NYの地下鉄とか、いつかはそんな日が来るんでしょうか・・・。(あと、アイロンとドライヤーと歯ブラシあたりも統合されたらいいのに)

さて、今日の聖書。
今日はマラキ書の2章17節~3章6節。

「さばきの神はどこにいるのか」2章17節。
これまで、こういうところ、つまり
「正しい裁きを与えてください」
という言葉を読むと、
自分が正しくて、向こうが間違っている、
ということを決めつけているかのように思えて、
「そんなことを祈っていいのだろうか」と思っていました。
でも、今はそれはあまりにナイーブな考え方だと思います。
今朝も、ひき逃げのニュースをやっていました。
酒を飲んで運転して、逃げて、何キロも引きずって殺してしまう酔っぱらい。
ひどすぎる。
また北朝鮮に子どもを拉致されたお母さんが90代でなくなったというニュースもやっていました。どんなに怖く、不安で、孤独で・・・と思うといたたまれなくなります。
正しい裁きが必要です。
正しい裁きを求めます。
神さまが正しく裁いてくださいますように。
私もこのマラキ書に出てくる人々のように
正しい裁きを求める自分がいました。
自分が痛みを覚えないと、わからないと思います。
正しい裁きを求める祈り。
自分が不当な扱いを受けたり、中傷されたりしないとわからないと思います。
正しい裁きを求める祈り。
主よ、
正しい裁きをなさってください。
あなたを信頼します。
あなたのなさることを信頼します。
隠れたものはいつかは明らかにされる。
そのような御業をなしてください。

2008-11-16

御声に従う。

今日、礼拝や教師会で分かち合ったのですが、
金曜日の夜から、今朝にかけて、
「十字架と飛び出しナイフ」という本を読みました。
Times Square ChurchのDavid Wilkersonという有名な伝道者の、
NYでの働きの始まりについて書いた本です。


元々、ペンシルベニアの山間の小さな町の教会の牧師であった彼が、
どうしてNYでの働きを始めたのか、
今から50年も前の話ですが、
とても大きな感動を覚えながら読みました。


子どもの頃から親父の書斎の中にあった本で、
なんで今まで読まなかったんだろうかと思いますが、
金曜日の夜に読むきっかけが与えられたのは、
ほんとうに神さまの導きだと思います。


さすがに翻訳とか、ちょっと古くて、
またNY近郊に住んでいる者にとっては、
この地名の訳し方、何とかしてくれよ、と思うのですが、
閉口しながらも、その内容に圧倒されていました。


彼が神さまに従った時に、
最初は「どうしてこんなことになってしまったんだろうか」と、
自分の失敗に落ち込んだようですが、
それが神さまの御手の中で、決して失敗ではなくて、
彼がNYでギャング団の若者たちとのつながりを持っていくために、
用いられたことだったのだということに、
表面的な成功失敗ということにとらわれないで、
目的がよくわからなくても、
ただ、聖霊様が語ってくださることに、
忠実に従っていくこと、
その大切さを思わされました。


単純に、神さまが語ってくださることに、
従う者でありたいと思います。


理屈で考えすぎているかもしれません。
今の私たちは。


さて、今日の聖書。
今日はマラキ書の2:1-16でした。


「『なぜなのか』とあなたがたは言う。それは【主】が、あなたとあなたの若い時の妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。」14-15節。

心の純潔、ということを思わされました。
カラダの純潔ということはもちろんですが、
心の純潔も大切だと思いました。

心の思いの面でも、妻を裏切ることがないように、
守って頂きたいと思いました。

神さま、
どうか、私の心を守ってください。
純潔を守らせてください。
弱い、愚かな、危うい私を、あなたが守ってください。

平安。

昨日は、早く休みたかったので、
更新を休みました。
今朝、起きたら3時でしたが・・・。
まだ、こんな時間かと、ベッドの中でぐずぐずしていましたが、
神さまに「そろそろ起きたら?」と言われたような気がして、
起き出しました。


ちょうどそのころ、寒冷前線が通った頃だったようで、
気温は10度以上ありましたが、
5時半に教会に行く頃には7度まで下がっていました。


今、夜の9時半ですが、4.4度です。
明日の朝は氷点下に下がるんじゃないかと思います。


今週はずっと寒いようです。


何回か小雪の予報が出ていますが、
MY初雪はどうなることでしょうか?


GFSでは土曜日の夜から日曜日の朝にかけて
snowstormの予報さえ出ています。


ちょっと要注目です。


「しまじろう」以来、
ちょっとねらいすぎているかなあ。自分。
逆に何か書きづらくなってきてしまっています。
まだまだ青いですねえ。

自然体で、「日々の祈り」に焦点を当てて、
つづっていきたいと思います。


そういう自分の気持ちを認めようと思ったら、
ちょっと楽になりました。


平安。


今日の一日を感謝します。
平安のうちに日曜日の夜を迎えられることに感謝します。


さて、昨日、土曜日の聖書。
土曜日はマラキ書の2章1-9節。


「祭司のくちびるは知識を守り、人々は彼の口から教えを求める。彼は万軍の主の使いであるからだ。しかし、あなたがたは道からはずれ、多くの者を教えによってつまずかせ、レビとの契約をそこなった。」(7-8節)

私も一人の説教者として、
神さまのメッセージをストレートに語っているか、
問われたように思いました。

また、今日、この聖書の箇所をここに書きながら、
今日の礼拝において、
この点について忠実だっただろうかと問われているように思いました。

主が語ってくださったと思うことを語る。
主が示してくださったことを語る。
そのようにしたいと今日は本当に心から思わされました。

「今日はこの聖書箇所だから、このことを語る」という
何か機械的なことではなくて、
主がその中で、私自身を取り扱ってくださったことを、
語らせて頂く、
そのような情熱と喜びにあふれたご奉仕をさせて頂きたいと思います。

主よ、
私はあなたのメッセージを語ったでしょうか?
私はあなたのメッセージを語っているでしょうか?
忠実な者、誠実な者としてください。
表面的なところに終わってしまうことがないように、
私の心の深みまで、触れてください。

2008-11-14

最高のものを主に。

今夜はこれから教会で祈り会なので、
早めに更新して、帰ってきたら速攻で寝れるようにしておきます。


今日は曇りがちで時々霧雨。
英語では霧雨はdrizzleですね。
この言葉は音がそれっぽい感じだと思います。
でも、日本語の「霧雨」の方がちょっと上品かな。
京都のお寺の庭園が目に浮かんできます。


明日はもうちょっとちゃんとした雨。
日曜日からまた寒くなるでしょう。


来週はずっと寒いようですね。
いよいよ、冬間近、という感じです。


さて、今日の聖書。
今日からはしばらくマラキ書。
今日はマラキ書の1:1-14


「群れのうちに雄の獣がいて、これをささげると誓いながら、損傷のあるのを主にささげるずるい者は、
のろわれる。」14節。

「ずるい」って面白い訳ですね。
姑息な、って感じでしょうか?
口語訳も、新共同訳も「偽り者」となっています。

どうでもいいもの、いらなくなったものを
神さまのもとに持ってくる、
それがホントのささげものだろうかというのです。

残ったから、余裕ができたから・・・というのもこれと同じでしょう。

手放すのに痛みを感じるようなもの、
最高のものを主のもとに持っていこう。

私たちの人生の中で一番大切なものは何かと考えました。
今朝は「時間」じゃないかな、と思いました。

だったら、最高の時間を、
この時間だけは取っておきたい、
という時間をこそ、主のもとに持っていこう。
時間が余ったから、主のもとに持っていくのではなくて、
まず、最初に最高の時間を主のもとに持っていって、
残った時間を他のことに、
主が私たちの使命として与えてくださったり、
プレゼントとして与えてくださっていることに、
用いさせて頂こう。

主よ、
私が「この時間だけはこのために使いたい」と思う時間をこそ、
主よ、あなたのもとに持っていかせてください。
教えてください。気付かせてください。
もしも、私があなた以外のものにもっと心を奪われているなら。

復活・・・かな?

昨日早く休んで良かったです。
風邪と言っても、たいしたことないんですけど、
すぐ大騒ぎをしてしまう性格なんで・・・。


のんちの場合は、「なんか、ちょっと調子悪いねえ・・・」という時は、38-9度台です。
でも、たとえば、私は37度をちょっとでも超えたら、
「わー、熱だ~!もうだめだ~」と騒いで、薬を飲んで寝てしまうわけです。
昨夜の場合はその37度もない。


だから、普通の生活をちょっと「無理しない」程度でやっています。


とにかく、日曜日に万全の体調で臨めるようにお祈りください。


さて、昨日の聖書。
昨日の聖書箇所はハガイ書の最後、2章10-23節。


「『もし人が聖なる肉を自分の着物のすそで運ぶとき、そのすそがパンや煮物、ぶどう酒や油、またどんな食物にでも触れたなら、それは聖なるものとなるか。』祭司たちは答えて『否』と言った。」12節。

「日々のみことば」の解説には、
「きよさは伝染しないが、汚れは伝染する」と書かれていました。

あまり意識していなかった対照です。
汚れ、というか、罪や信仰的な妥協はほんとうに簡単に伝染します。
でも、きよさもまた広がっていくモノだと思っていました。

でも、ここではっきりと、聖なるものが汚れたものに触れても、
汚れたものは聖とはならない。聖なるものが汚れたものになる。

だから、やはり聖の源である神さまのきよさに触れることなんでしょうね。
誰かのきよさをもらうのではなくて、人に期待するのではなくて、
神さまのきよさに自分で直接触れる。
自分と神との関係が大切なんだと思いました。

マタイによる福音書の25章に出てくる、
10人のおとめの話を思い出しました。
花婿が来た時に、5人のおとめたちは、油の準備ができていなくて、
準備のできていた5人に「分けてください」とお願いするのですが、
「あなたがたの分までは足りません」と断られてしまう。
「なんで?」と思います。
協力、助け合いの大切さを知っている私たちは、
どうして?そんなこといわないで分けてあげればいいのに?
と思います。
実生活ではそうかもしれませんが、
神さまの前では、他人のきよさをもらって、
自分がきよくなることはできません。
誰かの功徳を分けてもらうことはできないのです。

一人一人がちゃんと神さまとつながらないと、いけないのです。

神さま、
きよさは人から分けてもらえるのではない、
一人一人が神さまとの関係に生きることの大切さを思います。
どうか、きよさを与えてください。
そして、周りの一人一人も神さまにきよさを求めるようになりますように。

2008-11-13

風邪引くかも。

なんか、風邪引きそうです。
で、今日は早く休みます。
また明日、更新します。