2012-01-22

まず自分が信じること。

そして、日曜日。
今朝起きたら-10度C。
さすがに寒かったです。
今夜はちょうど0度くらい。
Freezing Rain注意報が出ています。


きっと大したことはないと思いますが、
でも、大したことがなくてもすべりやすいのが、Freezing Rain。
皆さん守られますように。


2ヶ月ほど前に始めたのですが、
椎茸の菌床栽培。


http://njotenki.blogspot.com/2011/11/blog-post_29.html

2ヶ月経って、3回戦です。




昨日と今日でいただきました。
結構立派でしたが、今まで3回で合計450gほど。
元を取るのは1kgくらいだから、ちょっときついかなあ。


20Lバケツでヒラタケもやっているのですが、
こちらはまだ合計数十グラム級です。
でも、きっときっと、自分の顔くらい大きな株ができると信じています。


ここまで、数年間、毎日朝6時に教会でお祈りしていたのですが、
最近、ちょっと不安を覚えることがあり、
朝早く教会に車で行くのは止めることにしました。


場所をあえて作ることによって守って来た祈りの時間、
これからどうかるか・・・という気もしますが、
皆さんと一緒に聖書の言葉を味わっていきたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書1章67-80節。


「そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」78-79節。

主がわたしたちのことを照らしてくださるという約束。
自分のことを信じるのはいいんだけど、
痛みや悲しみの中にある人々にそれを語るのは「ひとごと」みたいにならないようにと、言う気持ちが働く。
でも、本当に自分自身がそれを信じること、それがどれほど大切なことかと思う。
人に語るために、自分自身が「このかたの人生にも、主は光を照らしてくださる」と本気で信じること。そこから始まるんだろうなあ。

主よ、
あなたの光が、私の心を照らしていることに感謝します。
あの方の心も照らしてくださると信じます。
信じて祈ります。

口から何があふれてくるか。

一日開いて、日曜日の夜。
昨日の土曜日は明け方から雪。
12−3センチ積もりました。
-5度で降っていたので軽い雪。
結晶もきれいでした。
いつかこのきれいな結晶を写真に撮りたいのですが・・・。






昨日はユキがダウンしていたので、
サキが雪かきに活躍!
いつまでもベビーかと思っていましたが、
ずいぶんしっかりしてきました。




昨日、土曜日の聖書。
土曜日はルカによる福音書1:57-66。


「すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって、神をほめたたえた。」64節。

バプテスマのヨハネのお父さん、ザカリヤは、しゃべれるようになった時に、神への賛美があふれて来た。
自分は何があふれてくるかなあ。
自分の口からは何があふれて来ているかなあ。

主への賛美があふれますように。

私の心には何があるでしょうか?
あなたをたたえる賛美が口をついてあふれてくるような者でありますように。

2012-01-20

私は幸いな人。

今日は寒い一日でした。
朝起きた時は-1度Cだったのですが、
9時頃には-4度Cくらいまで急降下。
そのあともほとんどずっと氷点下の一日でした。


そして、今は夜の11時で、-2.5度Cです。


このあと雪が降り出して、
明日は昼頃まで雪。
10−20センチくらい積もるようです。
10月の雪以来、久しぶりの雪化粧になりそうです。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書1章39-56節。


「ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」48節。

マリヤは本当に苦労があったと思う。
耐えなければいけないこともいろいろあったと思う。
しかし、その中で、彼女は「私はしあわせ者だと言われる」と言っている。

私もそのような生き方をしたいと思う。
苦労がないわけではない。
忍耐が必要な場面がないわけではない。
傷を負わないわけではない。
しかし、自分は神に恵まれ、しあわせな者だと、
そのように告白できるように。

本当に主に愛され恵まれていることをそのまま告白すればいい。

そして、教会全体にそんな文化が広がりますように。
教会のひとりひとりが、どんなに神様に恵まれているのか、
しあわせな者とされたかを証しすることができますように。

主よ、
ただ、あなたに恵まれていること、
愛されていることを証しする者とならせてください。
どんな状況の中でも、神も愛と恵み、守りの中にある、しあわせな者であることをもっともっと大胆に証しさせてください。

2012-01-19

神様に恵まれて。

今日の朝は寒かったです。
-9度Cでした。
それに車の窓には霜がびっしり。
昼間もずっと肌寒くて、
夜には雪も降る予報でしたが、
どうだったのかな?


でも、いずれにせよ、大したことはありません。
で、土曜日の方が何センチかつもる雪になりそうです。


そして、今年の冬の本番は2月になってからだそうで。
まあ、その頃になったら、日が長くなってきますから、ちょっと気が楽なんですがね。


さて、今日はレオニアの教会でのキッズクラブ。
新年だから、カレンダー。
今年は辰年だからドラゴン。
ということで、こんな工作を作りました。






この下のカレンダーの部分は2重になっていて、 毎月、曜日と日付をあわせて毎月使えます。 そして、ドラゴンの方は、首振りドラゴンです。


これです。



 



で、スタッフの準備会の時に、「こどもたちに、この面白さがわかるかい?」という意見もあったのですが、 ま、やってみたら、まさにその通りでした。 お母さんたちにもあまり良くわからなかったみたいで・・・。そんなこんなで、「じゃあ、お父さんに見せてごらん。びっくりするよ!」と言っておきました。(笑)


同じようなトリックで、もっと見事なヤツがここにあります。
これはもう脱帽。カラクリを見ると、「わかった」と思うのですが、
すぐにわからなくなります。





次のもびっくり。
この二つの四角の色が同じだというのですから・・・。




いかに自分の目で見ているものがいい加減なものか、
先入観や周りのものに影響されて、客観的に見えないものなのか、思い知らされます。

さて、今日の聖書。
今日はルカ1:26-38でした。


「おめでとう、恵まれた方。」28節。

これはマリヤへの言葉。
イエスの母となったマリヤへの言葉。
特別に選ばれたから。

でも、それは、また今を生きる自分への言葉。
今を生きる、あなたへの言葉。

神様の恵みによって生かされている。
神によって何かの使命を与えられて生かされている。
そして、その使命を果たした時に、御許に召される。

その使命に忠実に生かしていただきたいと思いました。

またこの日に、天国を思いました。
http://njotenki.blogspot.com/2011/01/blog-post_20.html

「私たちの国籍は天にある」ピリピ3章20節。

主よ、
私の目をあなたに向けます。
あなたがいてくださるから感謝します。
あなたの与えてくださる使命に感謝します。
この使命を果たして、あなたのところに喜んでいけますように。

2012-01-18

対話

今日は朝は暖かかったのですが、日が落ちてから、急に冷え込んできました。
7時過ぎで-3度C。明日の朝は、-7度Cくらいまで下がりそうです。

さて、今日は今年2回目のクロッキー教室。
今日はこんなことしました。






広告を適当にちぎって、その中で好きなピースを二つ選んで、
その形を絵に描きます。
そして、その形をじっと見ていて、その中から見えてくる絵を描いていきます。


で、できた作品はこちら。




実は昨日の夜、火山のことについてテレビ番組を見ていたので、
それに誘われてしまったようです。


でも、やりながら思いました。
この小さなピースにもメッセージがある。
そして、それと、自分の心の中にある、火山のイメージがある。
それがまるで対話をするように、一つの作品(?)ができる。


神様から与えられているもの一つ一つにメッセージがある。
それとの対話の中で、一つのものが生まれる。
神様のメッセージを聞き続けることができますように。


礼拝でも分かち合ったのですが、
わたしたちは「こうすればいい」という公式が欲しい。
そして、それを守っていればいい、というのが楽だ。
でも、神様は「関係」を求められる。
対話を求められる。


だから祈ろう、そう思います。


さて、今日の聖書。
なんと、今日からルカによる福音書。4月10日までかけて、ルカによる福音書を読んでいきます。できるだけ毎日アップしようと思っていますが・・・。


今日は1章1-25節。
「私のことばは、その時が来れば実現します。」20節。

主の言葉は実現する。
時間がかかるかもしれない。
自分の考えた時とは違うかもしれない。
主が決められた時に実現する。

それを信頼していくこと。

やっぱり信頼だ。

主よ、
私の時にこだわるのではなくて、
あなたの時を信頼させてください。
そして、あなたを本気で信じていくことができますように。

2012-01-16

赦されるから恐れる。

1週間ぶりの更新です。


夜になってから、雪が降って来て、ちょっと薄化粧。
久しぶりですね。
今年は10月の停電のとき以来、ずっと雪が降らなかったので。


でも、このあと気温が上がって、雨に変わるようです。
そして、あさってからはまたちょっと寒くなって、
木曜日の夜と土曜日はちょっと雪の可能性も。


最近の聖書から。
ずっとアップしたかったのですが、
前回、8日の聖書で、「主を恐れるとはどういうことなんだろう」と書いたのですが、
一つの答えがありました。

もう1週間前になりますが、
10日の聖書箇所で、詩篇の130篇。


「しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。」4節。

主の赦しのゆえに主を恐れる。
人間ってなめてしまうところもありますよね。
でも、主が赦してくださったからこそ、
主を恐れる。

人間関係だったら、
赦されたら、本当にそこに感謝しながら生きる。
もしも、神様が赦してくださるから、と、
甘えた気持ちで生きるならば、それは神様を人以下においていることですよね。

主をおそれること、もっともっと教えていただきたいです。
そのために、神様に赦されていることの意味、もっともっと味わいたいです。

主よ、
あなたに赦されたこと、その深さをもっと教えてください。
あなたに赦されている幸いをもっと味わわせてください。
そして、あなたを恐れることを自分の経験としてもっと知ることができますように。

2012-01-08

私はあなたの盾になる。

なんだか、今年はホントに暖かいです。
先日、-12度Cになりましたが、それだけで、そのあとはまたずっと暖かめ。今朝は最低気温も氷点下にならず、昼間は10度くらいまで上がります。
このあとの予想も、-4度くらいまで下がる朝もありそうですが、昼間は毎日5度以上。10度近くなる日もあります。今週後半から寒くなってくる可能性もあり、来週あたりsnowstormの可能性もありますが、逆を言うと、少なくともそれまでは暖かい日が続きそうです。


去年の終わりの方から、毎朝・・・とまではいかないですが、週に何回かラジオ体操をするようになりました。もちろん、これだけで運動不足の解消にはならないのですが、「ああ、もっとからだを動かそう・・・」と思うきっかけになります。


で、そのきっかけとなったのは、このビデオ。





石巻を訪問しながら、体操しています。


ま、「ちゃんと気合いを入れろ!」と突っ込みたくなる場面もあるのですが、楽しく体操しています。そして、やっぱり第一だけじゃ物足りなくて、第2もYouTubeで見つけて、やっています。「解説付き」なんかも見たりすると、「え〜、そうだったの?」という新発見も。


ぜひ、皆さんもやりましょう!
日本の皆さんはぜひCDも買いましょう!


このビデオを作った思いを、このかけ声をかけている本間さんが受けたインタビューを書いているのがこの文章。


「復興には笑いと体力が必要!」

この言葉がとってもいいです。 


「大物タレントさんとか被災地に行って大きなことしてくるから、自分も実家に行って何かしなきゃと思って行くじゃないですか。そうするとあんた何してんの、あんたや、炊き出しとかそいなことスなくていいから、テレビやラジオさ出て、何か面白いこと言ってこいって言われて(笑)そんなノリなんですよ。でもそれはとても幸せですよね。だからなおさらやらなきゃいけないと思う」


わたしたちもそうですね。一人一人がその役割を果たして行く。
アメリカの東海岸にいる、自分の使命をしっかり果たさせていただきたい、そう思います。


ぜひ、ラジオ体操第二バージョンも出していただきたいものです。


あ、あと一つ。
今日の礼拝の中で、今年の役員の方々の就任式が持たれました。
祈りながら、今日の礼拝の中での聖書の言葉、
「私はあなたの盾となる」という言葉が、この役員の一人一人への神様の約束であることが示されました。本当に神様がこの一年の役員会を祝福してくださることを信じます。楽しみです。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の128篇。


「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。」1節。

主を恐れるってどういうことなんだろうなあ。
そして、それを頭で考えるだけじゃなくて、自分の歩みの一部として、
経験させていただきたい。

主よ、
あなたを恐れることを、教えてください。

2012-01-05

不条理なこと、理不尽なことの中でも。

今日はぐっと冷え込みが緩んで、
朝起きたら、昨日の夜よりも気温が上がって-2度C。
そして、昼間は氷点下を脱出。
今は夜の10時半ですが、ちょうど0度C。


明日の朝は-4度Cくらい。
また寒い朝でしょう。
風が弱いので、霜も降りるかな。


でも明日の日中は10度くらいまで上がるそうです。
ちょっと暖かいですね。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の125篇。


「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。」1節。

この詩人を取り巻く状況は不条理なこと、理不尽なことに支配されていた。
だから、3節以下では、正しい人が守られて、悪を行う者がさばかれることを求めている。それはやはり現状はそのような正義が守られていない状況だったのだ。

理不尽なことはわたしたちのやる気をそぐ。
無力感に襲われる。正直者が馬鹿を見るみたいなこと起こる。

だからこそ、主を信頼することが大切。
朝読んだ時にはわかっていなかったんだけど、
今日、今度の礼拝のために、「信仰って・・・」ということを調べている時に、ある人が「神の約束を真に受けること」と言っていた。

なるほど、そうなんだろうと思う。

ヤコブの手紙では「神が存在すること」を「信じること」のたとえで使っているが、それは信じることだけじゃダメで、それに伴う行動が必要なんだと言うヤコブの考えをサポートする議論の中での言葉。

聖書の他のところでは、「信じる」ということは、「神の存在」を信じるよりも、「神の約束」を信じることだ。

だから、理不尽なことに振り回されない。神の約束を真に受けているから。
これからも神様の約束を真に受けて歩んでいこうと思う。

主よ、
あなたの約束を真に受けますから、よろしく導いてください。
時々、その約束、「ホントかなあ」と思う時もないわけじゃないです。
そんなとき、「バシッ」と締めて下さい。

2012-01-04

寒かったねえ。

今日は寒かったです。
朝は-12度C。予想通りでした。
昼間も-3度C止まり。


今は夜の11時半ですが、やっぱり-3度C。
今夜はこのままで、明日は3日ぶりの氷点下脱出です。


このあとも天気は崩れず、
どちらかと言うと冷え込みも緩んで、
過ごし易い冬が戻ってきそうです。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇124篇。


「もしも主がわたしたちの味方でなかったなら。」1節。

これはつまり、「主はわたしたちの味方である」ということ。
天地を造られた方が、私の存在を造られた方が、
今も私の味方であってくださること。
たくさんの失敗や、未熟さや、愚かさにも関わらず、
私にとって最高のことをしてくださるということ。
(私の願い通りという意味ではなくて・・・)

なんだか力が湧いてくる、
わくわくしてくる気持ちになりました。

反対を言うと、いつも、萎縮したり、
「どうせ神様は私にはそんなに良くしてくれないんだよなあ」といじけ気味なんだろうな、と思います。

そういうところから解放していただいて、主の恵みにどっぷりと浸かって歩みたいです。

主よ、
今日もあなたのみことばに感謝します。
あなたがわたしの味方であって下さることに感謝します。
これは私が聞くべき言葉でした。
もっともっと、あなたの愛の中に、歩ませてください。
あなたの愛を信頼して歩む者でありますように。

2012-01-03

どこに目を注ぐか。

新しい年の3日目。
今朝は、目覚ましを止めたところまでは覚えているんだけど、
次に気がついたら、6時半になっていた。
朝6時から、祈りに来た方がいたら、ごめんなさい。
新年3日目にして、早くも、初寝坊。
また、明日からがんばります・・・。


ということで、今日は寒かったです。


昼間も氷点下のママ。
そして、今、夜の11時過ぎですが、
いよいよ氷点下二桁。-10度Cです。


明日の朝の予想最低気温は-12度C。
うーん、朝6時に教会行くの、ちょっときついかも。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の123篇。


「奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。」2節。

自分の目はどこに向いているんだろうなあ。
このあと、詩人は自分がどんなに人々にひどい目にあっているかを訴えている。
そんな状況に置かれたら、自分の目はどこに向くだろうなあ。
次に何をされるか、どんな目に遭うか、を恐れたり、
どうやったら一矢報いることができるかと考えたり。

神様の御手に目を留める。
神様のなそうとしていることに目を留める。
今日も、そのような一日にしてくださいと祈った。

そして、教会の人々の多くも今日から仕事が始まる中で、
一人一人の目が主の御手に注がれるようにと祈った。

神様、
あなたのなさることを見せてください。
あなたの御手に心を向けることができますように。
どんな状況の中でもあなた期待することができますように。

2012-01-02

「さあ、みんなで」

新年、二日目。
昨日の夜にちょっと雨が降って、
それで、今朝はまだ暖かさが残っていたのですが、
夕方からだんだん冷えて来て、
今は夜の10時半ですが、氷点下に下がってきました。
明日、あさってと、真冬日が続きそうです。
やっと冬らしい日となりそうです。


さて、昨日は元旦で日曜日。
メッセージは33分。
http://www.jccofnj.org/main/message_mp3/mn_010112_1a.mp3
もう少し短いはずだったんですが、
神様が、わたしたちに対してどんなに熱い思いを持っておられるかを伝えたいと思って、長くなってしまいました。
神様はわたしたちに大切なものをシェアしたい、という思いを本当に強く持っておられる。
でも、わたしたちの方は、「お金」「仕事」「人」「健康」・・・そっちの方をシェアしてほしい。そりゃあ、みんな大切なもの、必要なもの。でも、神様が熱い思いでシェアしたいものはそんなもんじゃない。もっともっと深いもの。ホントありがたいですね。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇122篇。


「主の家に行こう」1節。

わたしは、どこまで、勇気をもって、情熱を持って、人々を誘っていただろうか。「主のもとに行こう」と。

「よかったら、どうですか?」とか、「こんなのがありますよ」程度のことが多かったのではないだろうか?それは、自主性を重んじたかったし、自分もあんまりしつこくされるのは好きじゃない方だし、何よりも、必要ならば、神様がその人のうちに「行きたい」という思いを与えてくださるから・・・、と思っていたから。

それはそうだろうけれども、でも、ホントのところ、自分の心の中にあるのは恐れだったり、どう思われるかを気にしていたり、ナイスでいたかったり・・・信仰ではなかった。

本当にすばらしいものだと思っているなら、もっともっと、言おうと思う。「主のもとに行こう!」と。「礼拝をしよう!」「聖書を読もう!」「祈ろう!」

この時代、わたしたちが経験しているよりも、もっともっと「主に家に行こう!」というのは勇気のいることだったと思う。近所の教会に行こう!というのとはレベルが違う。時間もお金もかかる。仕事もしばらく中断しなければならない。でも、それでも価値のあることだった。「主の家に行こう!」と、人々は語り合った。

だから、私も勇気を出して言おう。「すばらしいから、あなたを満たすから、あなたを生かすから、主のもとに行こう!」と。

明日から、仕事に戻る皆さんにも言おう。「祈って、新しい年の仕事を始めよう!それがあなたを生かすから!」

主よ、
ありがとうございます。
私の弱さを示してくださって感謝します。
すばらしいものを、勇気と自信と愛をもって、
人にも勧めることができますように。
「さあ、主のもとに行こう!」と。

2012-01-01

あけましておめでとうございます。

2011年の最後の日。
昨日は土曜日だったこともあり、
いろんなことを考えさせられ、祈らされました。
教会の創立記念日を前にして、
今まで、教会と共に歩んだ17年間、
牧師として仕えさせていただいた14年半。
そして、この一年。

それぞれに感謝なこともあり、
楽しかったこともいろいろ思い出すのですが、
一番心に残っているのは、
「神様、どうしてこの祈りを聞いてくれなかったんだろうかな」と思うこと。

まだまだ答えが見えない部分もあるのですが、
でも、そこに特別な神様のメッセージが込められているのだと思います。

でも、そのあと、昨日の夜、家族で夕食を一緒にしながら、
一年どうだったかを語り合っている中で、
たくさんのことを思い出させられました。

正月に遊びに来たハジの大学の友人、
彼から、3月19日にメールをもらって、
「明日、洗礼を受けます」と書かれていたこと。
その中に書かれていた、NJに滞在している時に起こったこと。

日本で、トロントでお会いした方々が洗礼に導かれたこと。
もちろん、NJで出会った多くの方々。

そして、神様からの答えをもらって、勇気をもって踏み出したいくつかのこと。

「そうでもないでしょ」と、ある親友にストレートに言われたりもしたのですが、どちらかと言えば、「みんなが納得することをしたい」という気持ちが働く自分の今までの歩みの中で、去年は「神様の前に祈って答えをもらったこと」を伝えていこう、わかってもらう努力をしよう、と踏み出したことがいくつかありました。なかなか伝えていくのにはもっともっと情熱と根気と忍耐と愛が必要だな、と思わされていますが・・・。

そんな話をしているうちに感謝が湧いてきました。

そして、迎えた新しい年。
ものすごい穏やかな年明けです。
気温も一晩中プラス。
今朝、家を出る時にちょっとだけフロントガラスが凍っていましたが、
こんなにあたたかな新年は珍しいです。

新しい年、もっともっと神様と親しく、そして、周りの人とのコミュニケーションを大切にする歩みをさせていただきたいと思います。

ということで、新しい年、「日々のみことば」誌を読みながら、また思わされたことを分かち合っていこうと思います。

今日は詩篇120−121篇
「主はあなたを守る方」121:5


昨日の夜、カウントダウンをして、
さあ、休もうかと思っていた時に飛び込んで来た日本の地震のニュース。
震源がかなり深かった、かなり遠かったのですが、
それでも広い範囲で震度4だったようで、
年が改まって、さあ、という時に、きつかった方々もおられたのでは。
祈らされるとともに、
本当にわたしたちが何もないことを願い、
もう、しばらくは安心して歩めるようにと願うのですが、
そうなるとは限らない現実がそこにあることも思わされます。

そんな中でも与えられる守り、
そんな中でも与えられる平安、
それを信頼して、そこに希望を持って歩むことが
どれほど大切かと思わされます。

何もないことに中に平安を見るのではなく、
嵐の中でも、主の元に安らぐ、
そのことを経験させていただきたいと思わされます。

主よ、
新しい年、あなたと共に歩ませてください。
何もないことの中にではなく、
あなたとともにあることに、平安を知ることができますように。

2011-12-25

アドベント聖書日課12/25


おはようございます。

メリークリスマス!!!

「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。」(ヨハネ1:9)


「まことの光」の背後にはいくつかの「まことの光ではないもの」の存在が前提になっています。

「光のように見えて光ではないもの」
「光なんだけれども、まことの光を反映するもの」
「まことの光へと導いていく光」

世の中にはまことの光の存在を見えなくする偽りの光もあります。クリスマスがこのように世界中で祝われる中で、どれほどたくさんの「これがあなたの心を満たすよ」と誘惑してくるものがあるでしょうか?そして、それによって本当の光が見えなくなっていることがどれほどあるでしょうか?
まことの光を反映するものもたくさんあります。クリスマスのお祝いの中で本当にたくさんのことがそれに入るでしょう。プレゼント、キャンドルライト、ツリーや飾り、家族や仲間たちとのひととき、楽しい雰囲気。でも、それで満足してしまったら、それはまたまことの光との出会いを邪魔してしまうのかもしれません。

それらのものがすべて取り去られても残るもの。それがあなたのクリスマスの中にあるでしょうか?

イエスはあなたのために神様からのプレゼントとして送られてきました。
それは神様を指し示す、神様の道を教える以上に、自分が道となる、自分が十字架の上でわたしたちの罪の身代わりになる、という救い主でした。神様がどこまでもわたしたちとともに行ってくださる。今まで自分は神様に見捨てられている、と思っていた人々が、そうではなくて、神の情熱によって招かれている、ということをあらわすために来られました。

そのかみさまのプレゼントを受け取って、歩み始めましょう。

今日のクリスマスが多くの皆さんにとってBC(Before Christ 紀元前・・・キリスト以前)からAD(anno Domini 紀元後・・・主の年)に変わる時となりますように!

皆さんはこの一週間、この毎朝のメールはいかがでしたか?
私はだんだんこの朝のメールが楽しみになっていきました。
み言葉によって与えられた喜びや示されたことを分かち合う、それは主にある喜びの一つです。

レスポンスを下さった皆さんには心から感謝します。
でも、私に対するレスポンス以上に、お一人一人が神様のみ言葉によって支えられて歩まれることが一番の喜びです。

今日で、しばらくこの毎日の朝のメールはお休みになりますが、
次の機会を楽しみにしています。
まだ決めてはいないのですが、受難週あたりはどうかなと思っています。

今日あちらこちらの教会で洗礼式がありました。
多くの方々がクリスチャンとして歩み始められました。
その中の何人かの方々との出会いが与えられていたことに心から感謝しています。

8月のトロントの修養会、
そして、9月の日本訪問で初めてお会いした方々の洗礼式もありました。

「まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。」ヨハネ4:36-37

この御言葉が本当だなと思わされています。
もっともっと種まきをさせていただきたい、もっともっと刈り取りに関わらせていただきたい、そのように思います。

感謝しつつ。

2011-12-24

アドベント聖書日課12/24


みなさん、おはようございます。

昨日のユースのクリスマス会は、スタッフを入れて20人を超える集まりとなり、
楽しいひとときとなりました。
神様の愛のプレゼントの話をしたのですが、
導入の「みんなの初恋はいつだ?」の話では、
みんな照れくさくも輝いた瞳で、レスポンスをしてくれました。

神様はわたしたちに今日も熱い思いを寄せておられるんですね。

今日はそんなことを覚えながら、ヨハネによる福音書3章16節を思いめぐらせましょう。
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じるものがひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」


もう一カ所、今度はヨハネの第一の手紙の3章16節です。
「主はわたしたちのために命を捨ててくださった。それによってわたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のために命を捨てるべきである。」

神様の愛のプレゼント。それがイエス・キリストです。
でも、イエスはただ、わたしたちに正しい道を教えるために来られただけではありませんでした。
それだったら、イエスは来なくてもよかったのです。預言者たちが次々と送られて来ていました。そして、正しい道を教えていました。
問題は、その正しい道を知っても、そのように生きられない、わたしたちの「罪深さ」「罪への傾向性」でした。
イエスは、わたしたちのために新しい道を開くために来られました。わたしたちの罪を背負って、十字架にかかり、神様と共に歩むことができるようになる道を開かれたのです。それはただ信じ、受け入れるだけで、与えられる神からのプレゼントだったのです。
プレゼントですから、昨日の羊飼いが走ってベツレヘムに行ったように、わたしたちもそれを「受け取る」ということが必要です。それが信仰です。
今日も、あなたの前にこの神様からのプレゼントが差し出されています。日本式で「そんな、こんなの頂けないです〜」とやるのではなくて、アメリカ式にしましょう。「え、いいんですか?わあ、うれしいです。ありがとうございます!」と受け取ろうではありませんか?

今日は午後5時からキャンドルライトサービスです。
暗闇を照らすまことの光であるイエスさまを多くの人が知る、ひとときとなりますように。

2011-12-23

アドベント聖書日課12/23


おはようございます。

クリスマスまであと2日。
この朝のメールをお送りするのがちょっと楽しみになってきました。
主は、今朝、私に対して、教会に対してどんなメッセージを持っておられるのだろう?
それを思いながら、いつもメールをうっています。

今日はルカによる福音書2章15-20節を読みましょう。


「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか。」15節。

「大きな喜び」のニュースを聞いた羊飼いたちが、その「大きな喜び」を経験するために必要だったことは、行動することでした。
聖書の中で、ヤコブの手紙をのぞいて他のすべての場所で、「信じる」ことと「行動する」ことはセットです。切り離すことはできません。信じることは気持ちの問題ではありません。信じたら、そのように歩むのです。聞いたら、従うのです。ヤコブは信じることと行動することを切り離しましたが、結局のところ、ヤコブの言いたかったのは、「行いのない信仰なんて意味がない」ということでした。聖書全体を通して、信じることは従うことであり、信じることは行動を伴うものでした。かたちだけ行うことの無意味さは言うまでもないことであり、愛のない行いはむなしいものだとパウロは言います。偽善はイエスが一番攻撃された罪でした。でも、それらのことは「信じるならば行いがなくてもいい」ということを正当化する理由にはなりません。信じているなら、踏み出すことです。
わたしたちは失敗を恐れる文化の中で育ってきました。失敗するならばやらない方がいい・・・それが信仰の歩みの中にもあるのだと思います。羊飼いたちは、救い主に会えない、ということなど恐れないで、ベツレヘムに行きました。今日、あなたの信仰が問われることがあると思います。信じて踏み出す時に与えられる喜びを一つでも経験できますように。

2011-12-22

アドベント聖書日課12/22

今日はルカによる福音書2:8-14を読みましょう。

「すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える」10節。

正直なところ、今年は例年にもまして、神様はどんな思いでこのクリスマスをご覧になっているのだろうと思わされています。先日のFujisankeiの朝のニュースの若い女の子がクリスマスプレゼントに期待するもののリストで、50万円の腕時計とか、50万円のバッグとか、もちろん話題作りの側面もあるかもしれませんが、それは何だ?と思います(よい製品がそれなりの金額をするのはわかっていますが)。日本が大きな痛みを負ったこの年、クリスマスこそ、そこに目を留める時であるだろうに、このような話題を放送するテレビ局やわざわざアメリカにまでそれを持って来て面白おかしく放送するアメリカ側の企画の姿勢にも疑問を感じます。その放送の後から、ちょっとイライラしていて、気をつけないといけないな、と思っていますが・・・。そして、同じ日にラジオで流れていた話だと、クリスマスプレゼントで「あ、うれしい」と思うのは何十パーセントだとか、返品/交換が何十パーセントだとか・・・そんな話ばかりが耳に飛び込んで来ます。

この聖書の言葉はそんな世界とは無縁の羊飼いたちに与えられた言葉です。それは「すべての人」に向けられたメッセージでしたが、それを受け取ることができたのは羊飼いたちだったのです。日々の食べることに一生懸命で、その夜も、野原で羊たちとともに過ごしていた羊飼いたちだったのです。彼らに与えられる喜びでした。すべての人への喜びのメッセージだったのですが、神様は彼らを憐れんで特別に彼らに伝えたのではなかったでしょう。そうではなくて、彼らこそ、この喜びを受け取れる人たちだったのだということだと思います。
この救い主は「かいばおけのしるし」をもつ救い主です。わたしたちはどんなブランドを身につけるでしょうか?言ってみれば、イエスは「飼い葉桶」ブランドを身につけてお生まれになりました。そして、それはイエスの生涯を通してのブランドでした。イエスの目標はそこから抜け出すことではなくて、徹底的にそこに生きることでした。身を低くして生きることでした。仕えることでした。わたしたちはどうでしょうか。この喜びを受け取れるところにいるでしょうか。

私自身、自分を見失わないように、とこの数日思わされています。明日の中高生、あさってのキャンドルライトサービス、日曜日のタカホとメイウッドと2つの教会の礼拝、とクリスマスの集会が続きます。私のためにも祈って下さい。

今日はアップするのが遅くなりました。朝の祈りの時に間に合わなかった方々もおられると思います。すみません。
お一人一人の今日の一日の歩みのためにお祈りしております。

2011-12-21

アドベント聖書日課12/21

さて、今朝はルカによる福音書2章1-7節を読みましょう。

 「初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」7節。

ここは日曜日の礼拝の中でも読まれたところです。
昨年のキャンドルライトサービスでは「想定外の出来事の中に神様のメッセージが隠されている」ということをお話ししました。ヨセフとマリヤの人生にとって、処女懐胎も、このタイミングでの出産も、想定外だったでしょう。そして、このタイミングで人口調査があり、またそれも、自分の祖先の町で登録するなんてことになることも、本当に生活が乱されることだったと思います。しかし、そこに、その現実の中に、イエスはお生まれになり、神の愛の究極が顕わされたのです。

そして、わたしたちはそれから2ヶ月余たった、3月11日から、何度も何度も「想定外」という言葉を聞かされることになったのです。それはわたしたちの想定を超える「想定外」でした。やはり、わたしたちは心のどこかで、「想定外のことがあっても、この程度のことだろう」と思っている範囲があるんだと思います。しかし、神様はしばしば、わたしたちをその「想定の範囲の『想定外』」から本当の「想定外」に引き出されます。それは本当に悲しいことだったり、戸惑うことだったり、怒りを覚えることかもしれません。神を信じることさえ困難になることかもしれません。しかし、そこにこそ、神のメッセージが隠されているのです。人間の準備の範囲を超えたことの中に、自分の限界を知り、神と出会うチャンスが与えられるのです。

今日も、もしかしたら、想定外の出来事に巻き込まれる方々もおられるかもしれません。
もしも、そんなことが起こったら、思い出してください。神様はあなたに特別なメッセージを持っておられるのです。

祈りつつ。

2011-12-20

アドベント聖書日課12/20

おはようございます。
今日はマタイによる福音書1章18-25節を読みます。

今日は聖書が手元にない方のために聖書検索のリンクを貼っておきます。
http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi

ここの下のほうの「書名章節検索」に「マタイによる福音書」と「1」章を入れると、1章が20節ずつ出てきます。ご利用ください。

さて、今日の聖書箇所から。

「ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。」(24節)

昨日書いたとおり、聖書はマリヤの苦悩については沈黙しています。そして、マリヤは賛美にあふれています。しかし、もう一人の当事者、婚約者のヨセフの方は苦しんだようです。婚約者が自分の身に覚えがない妊娠をしているのですから、当然でしょう。ヨセフはひそかに別れようと考えていました。私自身も同じ男性として、このヨセフの苦悩はどんなだっただろうかと思わされます。

そんなヨセフには夢を通して神は語られました。
「心配するな」「聖霊による子供だ」「救い主になるのだ」と。語られたときに、ヨセフはすぐに従いました。実は19節を読むと、ヨセフはもうすでに別れることを「決心していた」とあります。人間的な決心です。自分で勝手に決めた決心です。私たちは決心したことはあまり変えたくありません。もう決めたのですから。でも、神様のほうにはほかのお考えがありました。それが語られたときに、ヨセフはすぐに従いました。

私たちにとっても、今、必要なのは「主に語っていただくこと」なのではないでしょうか?主は今も時には夢で語られることもあるでしょう。でも、今はヨセフの時代と違って「聖書」が与えられています。ですから、主は今、何よりも聖書を通して私たちに語られます。日々、み言葉である聖書を読み、祈りましょう。そして、与えられたことを分かち合っていきましょう。そして、それだけではなく、そこに具体的に従っていきましょう。

今日の一日の皆さんの歩みが主の導きに単純に従うものとなりますように。

2011-12-19

アドベント聖書日課12/19

おはようございます。
今日はルカによる福音書1:39-56を読みましょう。

「主のお語りなさったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう。」45節

特別な方法で身ごもるという困難を与えられたマリヤには、特別な励ましが与えられました。それはエリサベツという親類の女性でした。彼女は高齢だったにもかかわらず、後にバプテスマのヨハネになる子供を与えられていたのでした。まさに、神の力を知っている人がそばに与えられたのです。私たちにとって励ましとなり、支えとなるのは「神の力を知る人」です。
実際、聖書はマリヤの苦悩については何も語っていません。マリヤはエリサベツとの交わりの中で喜びに満たされて、賛美をささげています。その中で、マリヤは、神が自分のような存在に目を留めてくださったこと、そして、救いのみ業をなそうとしておられることを賛美しているのです。彼女の目は、自分の出会うであろう困難にではなく、神様のみ業に向けられていったのです。
今日も、お一人ひとりの歩みが支えられますように、お祈りしています。困難に出会われている方々もおられるでしょう。お一人ひとりの目が、その中であなたに目を留めておられる主に向けられますように。

2011-12-18

JOYJOYクリスマス

今夜は冷えています。
まだ夜の10時なんですが、-6度。
でも、今夜が寒さの底で、この後はだんだん緩んでくるみたいです。


去年のJOYJOYクリスマスは「あれ〜?」と思うほど、
いつものメンバー以外は少なかったんだけど、
今年はたくさんの皆さんが来てくださいました。
中高生を入れると40人くらい。


楽しいひとときだったようです。
うちの娘の評価はかなり高かったです。
初めての子にも楽しかったかな。


今日の週報に書いたコラムから。

「いよいよJOYJOYクリスマスの日です。
まだ、この教会の牧師になったばかりのころの話ですが、その5年くらい前に買ったディズニーワールドの4日券が2日分ほど残っていて、問い合わせたら、まだ使えるということでしたので、家族4人(そのころはまだ下の娘は生まれていませんでした)で、車で行ってきました。


 感動しました。


そこのスタッフが本当に人を喜ばせるプロだったからです。ほかのテーマパークも行ったことはありますが、そことは全く別の、「ゲストに楽しんでもらおう」という思いがあふれていました。 先週、「社会人として大切なことはすべてディズニーで学んだ」という本を読んで、その舞台裏で起こっていることをちょっとだけ垣間見ました。そこにあるのは、何よりもスタッフを育てる人たちの真剣さでした。若いスタッフ、特に著者は元ヤンキーの、「口の利き方を知らない」タイプの若い子、そんな若者たちに、どうすればゲストの方に喜んでいただけるかを、体当たりで伝えていくんですね。そして、自分の側からしかモノが見えなかった子達に、ゲストだったら、どんなことが喜びで、どんなことが思い出に残るか、を伝えていくのです。


十数年前ディズニーから帰ってきた私が「うちの教会もこのように新しい皆さんを歓迎しよう」とアピールをした時の思いがよみがえってきます。もちろん、教会にはもっとすごいものがあります。神様の恵みであり、福音です。でも、だからといって、私たちの新しい方々への歓迎がディズニー以下でいいわけではありません。いや、最高の福音を知っているからこそ、私たちは最高の態度で新しいみなさんを歓迎したいと思います。今日のJOYJOYクリスマスも初めておいでになるご家族、子供たちにとってとびっきりの思い出となりますように。」


・・・まだまだ途上ですが、もっともっといいプログラムを・・・と思わされています。

さて、今週の「アドベント聖書日課」ですが、
今週はここに毎日直接貼付けるようにします。

12月18日(日)ルカ1:26-38
「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」38節  
マリヤに天使ガブリエルが「あなたは男の子を産みますよ。その子は神様の子、救い主です」とお告げをするところです。処女としてみごもるということがどういうことなのか、想像を超えています。そしてマリヤが経験した苦悩や葛藤もどれほどだったかと思います。しかし、マリヤは「神には何でもできないことはない」という御使いの言葉に、「お言葉どおりこの身になりますように」と自分の身を差し出すのです。  
わたしたちも同じ思いでクリスマスを迎えようではありませんか。ただ、受け身で待つのではなく、ただ、「いいことないかな」と待つのではなく、自分自身で踏み出して、「主よ、このクリスマス、私をあなたの御用のために用いてください」と祈って待ちましょう。

明日からは東部時間の朝6時前後にアップします。

2011-12-17

大切なことはどこで学んだ?

なんだか、今年は穏やかな11−12月です。
日本は大変な寒波みたいですが。


水曜日にちょっと天気が崩れそうですが、
それがホワイトクリスマスの最後のチャンスかな。


そして、去年と同じで、クリスマス明けに何かありそうですが・・・。


さて、昨日の夜ですが、「1260円の本がiPhoneアプリでは85円。16日までのセール!」という言葉に踊らされて、「社会人として大切なことはみんなディズニーランドで学んだ」iPhoneアプリ版を99セントでダウンロード。


一気に読みました。


楽しかったです。
1260円出すかどうかは、「うーん」とちょっとうなりますが、
99セントだったり、85円だったら、いいですね。


で、印象に残っているのはトイレ掃除の話。


我が家の「べっぴんさんになる計画」は頓挫してしまって、今やトイレ掃除をしている娘たちを見ることはありませんが、トイレ掃除の大切さは、自分はどこで学んだかな。


小学校の時の家庭科の先生が、「私は家庭訪問をしたら、最初にトイレに入ります。そして、トイレで、その家のことがだいたいわかります。」と言われて、ちょっと震え上がるような思いで、「そうなんだ〜」と思った記憶がありますが、それで自分がトイレ掃除をするようになったわけではなかったです。「かあちゃん、先生の家庭訪問の時は、しっかりやってくれよ・・・」と思ったくらい。(笑)


大学に入った頃、牧師館が引っ越して、教会の隣に住むようになりました。
それまで歩くと20分、自転車でも10分くらいかかる隣の町に住んでいたので、便利になったのですが、元々下町の狭いところでなんとかやっていた教会です。子供たちのための教会学校の分級の部屋が足りなくて、また、一緒に食べる昼ご飯の場所が足りなくて、一部屋をのぞいて全部毎週日曜日に開放するということになったのです。


ま、自分はそんなに嫌じゃなくて、「どうぞどうぞ!」って感じだったのですが、日曜日の朝は、普通の日の朝よりも早く起きて、7時ごろには朝食を終えて、家中の掃除をして、8時半には皆さんをお迎えする、という生活をしていました。


その中で、誰かがトイレ掃除をしなければいけないわけで、「どうせやるなら、きれいにしよう!」と思うようになったわけです。ま、小学校の先生の一言も、ちょっと生きていたかな。


で、その本の話に戻ると、
トイレ掃除の研修の中で、自分が掃除をしている最中に、ゲストが入って来た時に「せっかくきれいにしたばかりのところじゃなくて、これから掃除するところを使ってくれればいいのに・・・」と思った、というんですね。でも、考えてみたら、「ゲストの方に気持ちよく使っていただくために自分は掃除している」わけで、「きれいなトイレを使っていただけて、よかった」と思うべきなんだ、ということが書かれいていました。


確かに、使う側としてはきれいなトイレを使いたい、というのはとっても自然なこと。自分も、掃除している方がそこにおられても、あまり迷わないで、きれいなところを使うでしょう。ちょっとだけ、「あ、せっかくきれいにしてくださったばかりだから、汚さないようにしないと・・・」と思うくらい。


でも、掃除する側はそんな気持ちも働くんですね。立場によって見えるものが変わってくる。当たり前のことだけど、時々、自分に言い聞かせて、「変えようと思わないで、わかろうと思おう」という鉄則を守って行こうと思わされました。




さて、久しぶりに「日々のみことば」から。
最近は「コロサイ人への手紙」を読んでいます。
昨日は3:12-4:1。


「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。」(3:13)

ここを読むたびに思うのですが、
普通は、「責めるべきこと」は「責めるべき」なんです。
「責めるべき」だから、それは「責めるべきこと」なんです。

だから、「責めるべきことがあったら、赦しあう」って、矛盾ですよね。
でも、それを主は求めておられる。
そして、それは「主があなたがたを赦してくださったのだから」。

赦された自分を忘れないように、
見失ってしまうことがないように、
そこがずれると、いろいろ「赦せない!」となってしまうんでしょうね。

祈りました。

主よ、
自分が赦されたのだということを私が見失うことがありませんように。

2011-12-15

クリスマスの集まり

クリスマスの集会のご案内です。
ぜひぜひ、お出かけ下さい。


あと、今日の木曜日はLeoniaのPresbyterian教会
午後4時からJOYJOYキッズクラブがあります。

今年のクリスマス、
すばらしい出会いがありますように。


2011-12-14

NYCを愛される神様。

今日の午後は、ちょっと考え込んでしまいましたが、
そのあと、私も出ている教会のクロッキー教室の先生の、
NYCのギャラリーのExhibitionに行ってきました。

そこでは、お会いする約束はしていなかったし、
月曜日に「じゃ、しばしのお別れですね」と挨拶をした方にも
またお会いするというサプライズ付き。

神様の励ましを感じました。

で、絵を見ながら、神様のNYCへの愛も感じました。
自分を含めて、人間は人間の世界で勝手なことやっているかもしれないけど、
神様は、今も、この街を愛しておられることを感じました。

感謝。

「まことの光」

クリスマスまであと10日。
久しぶりにNYCに出てきました。
Thanksgiving後のクリスマス色一色のNYCに来たのは初めて。
いえ、月曜日も来たし、その他にも人を送ったりして来ているんだけど、
街を歩くのは初めて。

マンハッタンにはクリスマスの名所がいくつもあります。
その一つ、Macy'sの前を通り過ぎました。

ショーウィンドウの写真を撮っている人々、
買い物をしている家族。

クリスマスはすてきな季節です。

・・・でも。

やっぱり、考えないではいられません。
「神様はどうご覧になっているのかな」
「イエスの誕生を祝う、ということはこれでいいのかな」
・・・と。

そんな親父の小言みたいなことはこの際言いたくないのですが、
今日はちょっと考え込んでしまいました。
そう、どちらかと言うと、誰かに小言を言いたいのではなくて、
自分はどうすればいいのだろう?という自分への問いかけ。

ヨハネによる福音書1:9の言葉。
「すべての人を照らすまことの光があって世に来た」

「まことの光」・・・イエスのことです。
まことの光である、イエスが来てくださった、それがクリスマスの意味だと言うのです。
よく、この「まことの光」という言葉は「まことではない光がある」ということを前提にしているといいます。
見せかけの光と言うか、光のように見えるもの・・・。

それは暗闇を照らすのではなくて、
暗闇をごまかすもの。
暗闇を暗闇でないかのように見せかけるもの。

大変失礼な言い方かもしれないのですが、
自分も商業主義に影響を受けていないわけではないのですが、
そして、家族で、このような名所を巡ったりすることもしてきたのですが、

このクリスマスの祝い方は、その「暗闇を暗闇ではないかのように見せかけける」ことをしていないか?と思わされたのです。

で、ここからがホントに自分に問われたことだったのですが、

「そんなこと言うなら、お前は何をしているんだ?」ということです。

街には「クリスマスにはイエス・キリストを!」とチラシを配っておられる方もいます。
でも、私はそれを見ながら、それに加わろうとはしませんでした。
たぶん、これからもみなさんが、NYCでチラシを配っている私を見ることはないと思います。

物乞いをしている人に話しかけることも、ホームレスのおじさんに寄り添ったりすることもしませんでした。

「もしも、お前が『まことの光』を持っている、知っている、というなら、お前はこのNYCで過ごす時をどのように送るつもりだ?」

今年のクリスマス。神様、あなたが与えてくださった「まことの光」を確かに誰かに届けることができますように。暗闇の中に歩んでいた人々に光が照った、ということが、このNYCの日本語を使う人々の誰かに起こりますように。私を遣わしてください。出会いを与えてください。ただ、待っているだけではなくて、出て行く者とならせてください。

2011-12-08

聞くこと。

今朝は雪降りませんでしたね。
予想以上に雨が北東に進んで行くスピードが早く、
冷たい空気が入ってくる前に、雨が上がっていました。


でも、昨日の夜の雨はすごくて、
NYCにちょっと行く用事があったのですが、
道がfloodで、エンコしている車もあるくらい。


でも、今朝はきれいに晴れて、気持ちがよかったです。
今は夜の10時過ぎですが、外は1.2度C。
もう12月なんで当たり前なんですが、
それなりの冷え込みが続きそうです。


で、今日は午前中はシニアセンターでのあつまり、
我が家では、のんちが小さな子供たちを持つお母さんたちの集まり、
そして、夕方にはJOYJOYキッズクラブ。
8月に来られたばかりの方、2週間前に来られたという方、
たくさんの子供たちが集まりました。


いろんな世代の方々のいろんなニーズ。
もしも、自分が何か求められたり、
わかろうとしようと思ったら、
いっぱいいっぱいになってしまうと言うか、
キャパを超えてしまいますよね。


でも、牧師の強みは、
自分で背負い込まないこと。
自分でわかろうと思わないこと、
自分でわかった気にならないこと、
自分でアドバイスをしようと思わないこと、


神様がおられる、神様が助けてくださる、
神様がわかってくださる、
そこに最後の砦を持っていること、かな。


特に最近、無意識のうちに「アドバイスモード」「お説教モード」に入りやすい自分がいるな、と思います。(年を取ってきたということか・・・)


ほんとに、人のことばを聞ける者となれますように。
そして、それを主の元に持って行ける者でありますように。



2011-12-06

「だんしゃり」も大切だけど。

昨日の朝はとんでもなく深い霧で、
途中で車で走るのが危ないと判断して、
教会に行くのは断念。

ですから、今朝、気持ちよく起きて、
外は雨が降っていて、暖かくて、
そして霧が出ていなかったこと、
とてもうれしかったです。

注目はあさっての朝。
明日の夕方からまた雨ですが、
夜遅くから、明け方にかけて、
雪が混じったり、雪に変わったりします。

ちょっと注目です。

さて、もう10年以上前になりますが、
あるご一家が帰国される時に、
パン焼き機というか、ホームベーカリーというか、
そういう機械を「使えると思うけど・・・」というノリで、
無償で置いて行ってくださいました。(日本のメーカー)
感謝!だったのですが・・・。

でも、取扱説明書もないし、
どうやって作ったらいいかわからないし、
まあ、ものぐさな性格が災いして、
そのまま、ランドリールームの片隅に置いてありました。

で、時代は進んで、今年の5月頃。
この「断捨離」ブームの中で、
3年使わなかったものはもう捨てよう、というスローガンのもと、
処分しようかとも思ったのですが、
考えてみたら、今どき、ほとんどのマニュアルはインターネットで探せる、
ということを思い出して、見つけ出して、
10年間のホコリを払って、試しに作ってみたら、
ちゃんと作れるじゃないですか、
そして、これがまたすごくおいしい。


・・・ということで、10年の眠りから目覚めて、
ほぼ毎日、活躍してくれています。
おかげで、おいしいパンをいつも頂いています。

・・・改めて感謝。

でも、こういうことがあると、なかなか、またモノを捨てるのが難しくなりますね。(笑)

さて、今日の「ひびみこ」から。
今日はエゼキエル書21:1−17

「剣、一振りの剣が研がれ、みがかれている。・・・」9節。

今日の聖書箇所はあまりに恐ろしい、
厳しい裁きのところです。

こういうところを読むたびに思います。
「ここで何を自分は学べばいいんだろうか?」
「主はここから私に何を語ろうとしているんだろうか?」

そして、牧師としての私は、「教会の人たちはここからどんなことを感じるんだろうか?」と。

今朝もそう思いました。
でも、すぐに思わされました。
この怒りは、イエスの上に注がれたんだと。
この厳しい裁きは、十字架のイエスの上に下されたのだと。

私はすぐに十字架の深刻さ、
罪の恐ろしさを、軽く考えてしまいます。
本当はどんなに大きなことなのか、どんなに大きなことなのか。

本当ならば、私が受けなければいけない裁きが、
このイエスの上に下されたことを、忘れることがありませんように。

主よ、
罪の恐ろしさを忘れてしまいやすい、
軽く考えてしまいやすい私です。
どうか、いつもいつもそのことを思い出させてください。

2011-12-05

第二のモーセとして来られた方。

今年のアドベントの礼拝説教は固いかもしれません。
ちょっと反省しつつ、
でも、主が与えられたメッセージはしっかり語る使命を思わされて。

何をお話ししているかと言うと、

第二のアダムとして
第二のモーセとして
第二のダビデとして

来られたイエス。

昨日は第二のモーセとしてのイエス。

先週の第二のアダムは「アダムの失敗を帳消しにする」イエスだった。
でも、昨日の第二のモーセは、それとは違って、「モーセの再来であり、モーセを遥かに超える」イエス。

今週のアドベント聖書日課はこちら。

http://www.jccofnj.org/main/advent2011/2011adventwk2.pdf

ぜひ、読んでください。
一日少しずつ、一緒に読んでいきましょう。

モーセの生涯の中から、
3つの側面を取り上げました。

預言者
解放者
執りなし手

世界各地から、とりなしの祈りのリクエストがいくつも届く中で、
主が今、その働きに招いておられることを感じています。

今も、父なる神の右でわたしたちのために執りなしてくださるイエスを信頼しながら。

2011-11-29

キノコに学ぶ。

今日も雨は降りましたが、暖かい日でした。
でも、今夜からは気温も下がり、明日からは12度くらい、と、
例年よりは暖かいけれども、まあまあ、秋らしい天気となりそうです。


で、椎茸始めました。
こんなの。


http://www.amazon.com/Shiitake-Mushroom-Kit-Growing-Mushrooms/dp/B000E7MTYY

でも、写真みたいに、こんなにできていない。
今のところ。






10日間でできたのは、2本だけ。
でも、説明書にはすぐにできなくても、まだチャンスはあるから、心配するな・・・とあるし、とにかく、しっかり元を取ってもらわないと・・・でも、茎も食べられるし、新鮮ですしね。少し収量が少なくても、元は取れるのかな。


でも、思ったんですよ。
このキノコは、ずっとずっと菌糸をホダ木(今回はおがくずパック)の中に広げて行く。
そして、その木の栄養を消化していく。
そして、ホダ木に菌糸が回りきったときに、キノコをのばして、胞子を飛ばして広がって行く。


ずっとずっと時間をかけて、見えないところで広がっていって、
見えるのはその見えないものの結果として、出てくると。
今日、茂木健一郎さんもtweetしておられました。


本音にその人の無意識が表れるんだから、教養を身につけて耕さなくては人生もったいない


酒の席で出た防衛省の役人さんの失言。
でも、そんなところで出る失言こそが、その人の本音なんだと。


だったら、自分はどうかなあと思いました。
自分は酒は飲まないけど、本音がぽろっと出た時に、
それは人を生かすようなものであろうかと。


自分の中にあるものは、そんなに人に誇れるものではない。
いや、多分、恥ずかしいものだろうと思う。
だから、「酒に酔うより、聖霊に酔え」とパウロが言ったことの方が、
自分には当たっているなあと、思わされる。


だから、聖霊様に満たしてもらうしかない。
聖霊様のキノコが生えてくるように。


「なまけ者は寒いときに耕さない、それゆえ刈入れのときになって、求めても何もない。」箴言20章4節。


見えないところを大切にする者でありたいと思います。
じっと我慢、のときを大切にする者でありたいと思います。
聖霊様に酔わしていただきたいものです。

2011-11-28

小春日和。

11月ですから、いいですよね、この言葉を使って。
今日のNJは20度まで上がる小春日和でした。
あの恐ろしかった10月の雪のあとは、
ホントに不思議なくらい穏やかな日が続いています。


10月の雪からちょうど1ヶ月。
アトランタも含めて、南部では今夜から明日、雪かもしれないそうですね。
あちらも11月の雪はびっくり、でしょう。


こちらのこの天気も今日まで。
今夜から雨で、その後はまた冷え込みます。
今夜から雨と聞いて、
絶対やらなければ・・・の庭掃除。


そして、やっている中で、雨樋の掃除も。




何を隠そう、自慢じゃないけど、高いところは苦手なんですが、
これ、その問題を克服さえすれば、なかなか、男の子的には楽しいですね。
たまった葉っぱや泥を流して、水が低い方に流れて行くのを見るのは、快感です。


そして、屋根の上に寝転がると、空がデカい。




なんてったって、首を上げなくても、空が見える。


こんど、流星群の夜かなんかにここに上って寝転ぼう、と思いました。


次の流星群は12月14日前後のふたご座流星群だな。
凍えるだろうけど・・・。


で、その日の練習じゃないけど、学校から帰ってきた下の娘を招待しました。






屋根の上に寝転んで話をする父娘って、憧れるぞ。よろしく。


さて、今日の「日々のみことば」。
今日はエゼキエル書17:11−24


「主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし・・・」24節。

世の中一般でも、教会の中でも、
「こうすれば成功する」とか「こうすれば神様は祝福する」みたいは話があふれている。
でも、今日はここを読んでいて、主が主のお考えの中で、なされることがあるんだということを思わされた。

だから、本当に単純に、愚直に、主に従って行けばいいんだなと。

時代のはやりに振り回されやすいわたしたち。
「これこそ本当の教会のあり方!」
「新約時代の教会はこうだった!」
「これからの教会はこうでなければ!」
みたいな話がゴロゴロしている。

そして、5年くらいはやった後に「反省」が語られ、
また次のブームがやってくる。

ただ、主を見上げて歩んで行こうと思わされた。

主よ、
どうか、わたしの歩みを支えてください。
確かなものをしっかりと見据えて、歩む者でありますように。
あなたの導かれるところを歩むことができますように。
そして、「低くされた」とき、
動かされないものを持ち続ける強さを与えてください。


アドベント聖書日課。

アドベントに入りました。
今年も聖書日課を準備しました。
まずは第一週目。

http://www.jccofnj.org/main/advent2011/2011adventwk1.pdf


今日の朝、教会での祈りのひとときを終えて外に出たら、
圧倒されるような朝焼け。
神様のプレゼントに感謝。


「朝焼けは天気が崩れる前兆」とよく言われますが、
まあ、そこまで言っていいのか?と納得はしていないのですが、
確かに、そういうことが多いですね。

今夜から、天気が崩れそうです。