2011-06-30

忘れるなよ。


今日は「ひがきゃん」最終日。
迎えに行ってきました。

すごーくよかったようで、
みんな大興奮、特に、初めて「ひがきゃん」に参加した子たちが大喜びしていました。
迎えにいって、その後、しばらく我が家で休んでいたんだけど、
賛美大会になっていました。(笑)


自分もむかーし、よくやっていました。
うれしかったです。

そんな彼らとも話したのですが、
今朝Twitterで書きながら思い出していたこと。

自分が牧師になるための訓練を受けるために聖書学院で学んでいたとき、
同級生に目の不自由な方がおられました。
彼は奥さんと二人三脚で勉強をされていました。
ホントにおしどり夫婦って感じでした。

いつもは、ご主人が奥様の肩に手を置いて、
奥さんは一歩前を、ご主人は一歩後ろを、一緒に歩いておられました。

そんなご夫妻ですが、クラスによっては、夫婦別々なので、
私がその奥様の代わりに、ご主人と一緒に歩く時がありました。

私が彼の一歩前を、彼は私の肩に手を載せて一歩後ろを歩きました。
なんだか人の役に立っている・・・という満足感もちょっと心に持ちがながら・・・。

でも、そんなある日、一歩後ろを歩いていたはずの彼が、ゴツンと柱にぶつかったじゃあないですか。

そう、いつの間にか、彼の存在を忘れていたんじゃないんですが、
自分のことしか考えていなくて、柱に彼がぶつからないように注意していなかったんですね。

これは、自分が、夫として、牧師として、自らを省みる原点となっています。
忘れているわけではないんだけど、自分は自分のことばかり考える傾向がある。
だから、みんな柱にぶつかっていないか、と立ち止まって回りを見る必要があるんですよね。

はい、もっともっと人のことを大切にする者となれますように。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の112篇。


「彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主に信頼している。」7節。


この言葉は4月の11日の日記でも触れたのですが、
多くの訳で「悪い知らせ」と訳されている。
英語の訳を見ても、ほとんどが同じように訳されている。

でも、共同訳では「悪評を立てられても」と訳されている。
英語ではThe Messageがそうだ。

そんな時にも恐れない。

そんな強いものを自分は持っているだろうか。

それは「神を信頼しているから」なんだ。
やはりどこを見ているか、誰を見ているのか、それが問われているのだと思う。

主をしっかりと見て歩ませていただきたい。
主を見上げて歩んでいきたい。

主よ、
あなたのことをしっかりと見上げて歩めますように。
人のことばかり見ることがありませんように。
悪評をも恐れない強さを与えてください。

2011-06-29

中高生キャンプ最後の夜。

どうなっているんでしょうね。
土曜日から明日までの東海岸の中高生キャンプ(通称ひがきゃん)。
今夜は最後の夜なので、まだまだ、みんな起きているんでしょうね。


うちの上の二人は大学生のスタッフと、キャンパーとして滞在しています。
ウチの教会のイベントとしてやる時には、私も参加するのが基本でしたが、
最近は他の教会と合同でやるので、子弟のいる私はしばらく、「おまかせ」モードです。


おかげで、ウチが静かなこと。
本音を言うと、もうちょっと行っていて欲しい・・・。(笑)


でも、自分も小学生時代から、大学生まで、ずっと教会のキャンプで育ててもらいました。
楽しかったし、本音トークも、大声賛美もいっぱいした。


毎年課題は違ったけど、
なかなか、日頃、向き合えないことにも向き合った。
涙と鼻水で悔い改めの祈りをしたり、
仲間のために本気で祈ったりもした。


だから、ホントに、今夜も尊い夜となりますように。


で、上の二人がいないと、牛乳が減らない。
こちらではガロンサイズ(3.8L)のを買っていますが、
いつもは2日もつかどうか、のが、
何日も冷蔵庫に入っています。


でも、これは最初はびっくりしましたが、
今では、日本に行くたびに、「なんでこんなに小さいの」と思います。


そんなものがいっぱいありますが、
今回、のんちが日本に行く時に、
「物が足りない、と困るから・・・」といろんなものを持っていきました。
JALに電話して、「援助に行くんだけど、荷物をもう1つ持っていってもいい?」と聞くほど、いろんなものを詰め込んでいきました。


その中には、もちろん、「なんだ、日本で調達すればいいじゃん」というものもたくさんあったのですが、その一つがラップ。


でかいの持っていったら、そんなの持って歩けない。
日本のやつはこんなにちっちゃいんです。




すごいですね。
私的には「大は小を兼ねる」という気持ちなんですが、
幅が小さい方がムダが少ないんでしょうね。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇111篇。


「主を恐れることは、知恵の初め」10節。

ホントに神様の前に謙虚になる、
それは大切なことだと思う。

そして・・・
自分は知恵をどこに求めているんだろうか?
いろんな知恵を与えてくれる書籍はたくさんある。
でも、その中で、まず、聖書に聞いているだろうか?

そこに知恵の源があると思って読んでいるだろうか?

まず、主の前にへりくだり、
主に聞いて、それに従っていく者でありたい。

主よ、
バカみたいに単純に、
あなたに聞いて、あなたに従っていく者でありますように。
それが一番の知恵であることを忘れることがありませんように。
気の利いたことを言うことを求めるのではなく、
あなたの御言葉に愚直に従う者であらせてください。

2011-06-28

自分はちっちぇえけど。

今日は蒸し暑かったですね。
でも、どうにかエアコンなしでしのげる一日。
30度くらいまで行きましたが、
ウチの中は28度止まり。
夕方には外も温度が下がって、
ギリギリセーフという感じでした。


そして、今(火曜日の夜10時半)、25度ですが、
雷雲が西の方から近づいてきています。
このまま、消滅しないで進んでくると、夜12時頃にここにも到着かな、です。


明日からはまたカラッと晴れそうです。
何より朝晩が涼しいのが助かります。


今日は「今日しかない!」と、思い立って、
2ヶ月近くお預けになっていた結婚記念日の「ランチ」に行ってきました。


当日はのんちは山元町にいたので、
電話で一言だけだったので、
帰ったらお祝いしようと言っていたのですが、
それなりにバタバタしていて、
今週、この後もちょっと難しいので、
今日行ってきました。


ちょうど、「奥さんとランチでも・・・」とギフトをいただいていたので、
それを活用させていただいて・・・感謝。


レストランで祈りながら思わされたのですが、
ここでこのように生かされて、共に21回目の記念日を祝うことができるのは当たり前のことじゃない。特別なことなんだと。


だから、その共有するようにと与えられた時間を、
共に歩んでいくようにと与えられている使命を大切にしていこうと思わされました。
二人になると自然と、会話は被災地のことになります。
ぽつりぽつりですが、新しい話が出てきます。


そして、今、蒸し暑い季節を迎えて、
虫の発生や、熱中症など、
新しい困難に出会っている方々のために祈らされます。


今日の聖書。
今日は詩篇の110篇。
これは、イエスについての預言となった詩です。


「あなたの敵の真中で治めよ」2節。

昨日は自分のちっちゃさを思い知らされた日でしたが、
今日は朝から、「そんなの当たり前だ、そうじゃなくて、私が世に勝っていることに目を留めるんだよ」と言われたような気がしました。

そう、イエスは世に勝っている。

敵の攻め寄せる中で、イエスは「恐れることはない、私は既に世に勝っている」と言われるのです。

その方に身を寄せながら歩んでいくことがどれだけ大切かと思わされます。

教会の皆さんは、昨日の私なんかお話しにならないくらい、「持っていきどころのない思い」にとらわれる、状況に置かれているかと思います。

祈らされます。

お一人一人が、イエスによって勝利と平安をいただくことができますように。

主よ、
あなたの勝利を感謝します。
あなたの勝利の許に身を寄せます。
どうか、私にも勝利を味わわせてください。
あなたがおられるから大丈夫、ということを知ることができますように。





2011-06-27

ちいさいな。

一番の失敗は先週の金曜日に、
「月曜日の朝に修理に行っていいですか?」という電話に、
「Sure.」と答えてしまったことだった。


実は1ヶ月前からコピー機が、2つあるトレーのうち、
1つからの紙を上手にfeedできなくなってしまっていたのだった。
1回見に来て、「これは部品が必要だ」と言われ、
「来週の初めに電話するから・・・」と言っていたので、
待っていたのだが、全然電話が来ない。
こっちもそんなに時間が取れないので、
コピー自体はその残った1つのトレーから給紙して取れるもんだから、
こちらから電話もしていなかったのだけれども、
さすがに1ヶ月近くたって、「どうしたの?」と電話した。


「電話したんだけど通じなくて・・・」と見え透いた嘘をつかれたのですが、
まあ、それは笑って赦して、で、「月曜日に修理に行っていいか?」となったわけです。


ま、いいか、と思って、今日、休日にも関わらず、
ちゃんと休まずに、教会オフィスでコピー機の修理屋さんを待った。
「なかなか来ないなあ」と思いつつ待つこと1時間半。
そして、それから昼を挟んで、作業が終わったのが3時間半後。
それで、ろくな説明もなく「部品変えたんだけど、ダメだった」と帰っていった。


9時から2時まで・・・、気持ち的には休みモードなんで、
ぼーっとしていたのですが、寝ることもできず・・・。


直さないで帰られた折には、さすがに行き場のない思いを持て余しておりました。別に彼が悪かったわけでもなく、エアコンもない部屋で汗びっしょりになって作業してくださったわけで、責める気持ちにもなれないんですね。


帰って、一人で「スタ丼」作って食べました。


なんだか、そんなことでイライラしたり、腹を立てたり、時間を有効に使えなかったり、なんだか、もう自分の小ささを思いっきり感じさせられる休日でありました。


さて、今日の聖書。
そんな一日、朝一番には何を思わされていたかと言うと・・・。
聖書の詩篇の109篇を読んでいました。


「祝福することを喜ばなかったので、それは彼から遠く離れました。」17節。


朝にはこの聖書の箇所を読んで、
「ああ、人を祝福しない人は、自分も祝福を失っていくんだな」と思わされていたのです。

自分は人を祝福する歩みをしているだろうか?
人に出会った時に、その人を祝福する祈りを心の中でしているだろうか?
その人を祝福する言葉をかけているだろうか?

そして、周りの人一人一人に、教会の一人一人に祝福を祈っているだろうか?

そう思って、「祝福を与える人、祈る人になろう」と思ったところだったのでした。

御言葉を読んでいるのに、
そして、語られているのに、
そのように生きられない、小ささを思い知らされたのでした。

神様、
祝福を祈るものとならせてください。
祝福を与えるものとならせてください。
教会の一人一人、出会う一人一人の祝福を祈ります。

2011-06-26

諸行無常を思う。

今日は気温は上がりませんでしたが、
湿度は一日85パーセント以上。
梅雨のような一日でした。
でも、明日から少しずつよくなるようです。

日曜日はカラッと行くみたいです。

・・・とここまで書いたのが、金曜日の夜。
その後、バタバタしていて、更新ができないでいました。

金曜日の夜は実は、ボストンの方に引っ越されるご一家と一緒に、
ゆっくり楽しく過ごしておりました。

で、思ったんですが、今まで、大体、お別れになる皆さんは
なんとか、できる限りお招きして、個人的にお話をするチャンスを持っているのですが、
なんだか、お別れになるよりもずっと前から、こうやってもっともっとお話をするチャンスを持っていれば、どんなによかったかな、と思ったわけです。

もっともっと皆さんと一緒に時間を過ごすことを大切にしたいな、
と思わされた、日でした。

今日はまた気持ちのよい夜を迎えています。
火曜日だけはちょっと蒸し暑く、雷雨もありますが、
その他はカラッとしたいい天気になりそうです。

今日発送作業をした月報ですが、
のんちが日本で経験したこと、感じたこと、書いてくれました。
おかげで、昨日、土曜日は夜遅くまで、夫婦で原稿書き+推敲。

その現実の重さ、痛みの大きさを思うと、
文章にする事の難しさを感じながら、二人で産みの苦しみを経験していました。

祈らされます。

先週読んでいたナホム書から。
「彼らは安らかで、数が多くても、
刈り取られて消えうせる。」1章12節。

このナホム書に出てくるのは、
当時の世界の中心であったニネベに対する神の裁き。

大きな町、滅びるなどは考えられない、その町が滅ぼされることが預言されている。

諸行無常・・・。
どんなに強いもの、大きなものも、
いつまでもその力を持ち続けることはない。

ニネベを首都としたアッシリアも、
バビロンも、
ペルシャも、
ギリシャも、
ローマ帝国も、
衰えていった。

今、自分はアメリカがいつまでも栄えると思っているかもしれない。
でも、それもわからないことを忘れないでいたい。

自分自身が与えられているものも、
いつ取り去られるかもしれないことを、忘れないで、
一瞬一瞬を大切に歩んでいきたい。

主よ、
あなたの大きさの前に、
謙虚に歩んでいくものでありますように。


2011-06-23

いつ、その日が来たとしても。

蒸し暑い一日でした。
そして、激しいにわか雨。雷。
北の方を雷雲が直撃したようで、
大変な洪水も起こったようです。


今、レーダーを見たら、
今夜もう一ラウンド雷雨がありそうですね。


明日ももう一日蒸し暑い日が続きそうです。


ちょうど、その雷雨の時間帯にぶつかってしまったのですが、
今日はサキの小学校の卒業の日でした。
町によって小学校と中学校の切れ目が違うのですが、
ウチの町は4年生まで。
親が学校に迎えにいって、
先生に挨拶をして、ちょっと記念撮影をして・・・
というプログラムがありました。


外だったらよかったのですが、雨で体育館の中で。


まあ、中学校や高校を卒業する時のような、
また日本の小学校を卒業する時のような、
感無量な・・・ということはないですし、
先日のコンサートでスライドショーを見て、そのような感覚は味わったので、
妙にさめている娘の態度も手伝って、
ちょっと写真を撮って、先生に挨拶をして・・・、というひとときでした。


でも、ここまで守り導いてくださった神様に心から感謝。


さて、先週読んでいた第2テサロニケから。


「働きたくない者は、食べるな」3章10節。

文語体では「働かざる者、食うべからず」という言葉で、たぶん、「日本人で聖書を読んだことのない人が一番良く知っている聖書のことば」ナンバーワンだと思われる言葉です。

でも、その文脈は、世の終わり、イエスがもう一度来られる再臨の信仰に関しての話です。

当時、テサロニケには「もうすぐイエスが来られるから・・・」と仕事を辞め、財産も処分して、ただ、イエスの再臨を待っていた人たちがいました。そんな彼らに対して、「それは違う」とパウロは言ったのでした。

いつ来られても大丈夫なように準備しなさい。そして、落ち着いた生活をしなさい。と言ったのです。

1ヶ月ほど前ですね。
NYの地下鉄でポスターを見てびっくりしたのですが、
一人のラジオで活動しているキリスト教の伝道者が「○月○日、大地震が起こって、イエスが来られる。世の終わりが始まる」と宣伝している、というのです。

まあ、こういう話は歴史の中で何度も繰り返してきているので、
そのことに触れることすらいやだと思うほどの嫌悪感を持ったのですが、
とんでもない話です。

イエスははっきりと、その日はわからないと、
自分自身も知らない、ただ、天の父だけが知っていると。
そう言われました。

これは大問題です。
三位一体の神の中で、
父なる神だけが知っていて、
子なる神であるイエスが知らないことがあっていいのだろうか、と思います。

でも、それがある、それは世の終わりがいつかということだ、と聖書は語っているのです。

それほどのことなのに、いろいろ根拠薄弱というか、まあ、噴飯ものの計算をして、
「○年○月○日に世の終わりが来る」なんて、あんたは何様かと思うのです。

でも、そのとき、確かそのしょうもない預言が、5月21日だったと思うのですが、
「5月22日は確実にやってきます。5月22日日曜日、教会で会いましょう」と言っている牧師がいました。それはまたびっくりです。
だって、イエスは「わからない」「誰も知らない」と言われたのに、どうして、「5月22日が来る」「5月21日にはこの世は終わらない」なんて、断言できたのでしょうか?

個人的な人生でもそうです。
そして、大きなこの世の歴史でもそうです。
明日終わりが来るかもしれない。来ないかもしれない。
20年後かもしれない、50年後かもしれない。
いつ、その日が来ても喜んでイエスを迎えることができるように、
目を覚ましているように、テサロニケの教会への2つの手紙を通して、
パウロが、そして、パウロを通して神様が私たちに語っていることなのだと思います。

主よ、
その日がいつ来たとしても、
慌てないで、受け入れることができますように。
明日でも、20年後でも、備えていることができますように。
そして、生かされる日々、あなたの喜ばれるように生きることができますように。

2011-06-21

夏至!

Googleのロゴがいつもと違うので何だ?とおもったら、
今日は「夏至」だったんですね。
1年で一番日が長い日。
日本では22日、こちらでは21日ですね。


これからだんだん日が短くなります。
暑さはこれからが本番ですが、
ああ、もう日が短くなっていくのか、とちょっと残念な感じです。


今日はちょっと蒸し暑いですが、
明日からはそれに加えて雷雨がありそうです。

かきごおり家三代の1週間ですが、
今夜が最後の晩餐でした。


ということで、記念撮影。
今日は特別、家族の風景。




それぞれにいろいろあって、
一緒に食事ができない日もありました。
で、貴重なひとときでした。


昔話で自分の子供時代の話が出てくるのには閉口しましたが、
両親が、牧師としての先輩として、闘いの中で神様を見上げて歩んで来た貴重な話を聞かせていただけて、感謝でした。


次は何年後かな?


さて、6月14日(火)の聖書。
第一テサロニケ5:12-28。
「預言をないがしろにしてはいけません」20節。

この「預言」は「神様から御言葉を預かって人々に語る」という意味ですから、「説教」をさしているのだと、神学校では学びました。

でも、ある人々は「預言」を特別に神様から与えられる啓示と受け取って、実践しています。

「あなたはこれから宣教師になりますよ」とか、
「つらいことが起こるでしょう、でも、信仰を持って乗り越えるでしょう」とか。

わたしは基本的には神様のなさることについては、聖霊様は自由だと思いますので、オープンな気持ちでいたいと思っています。

でも、やっぱり「預言」という意味では、聖書が大切なんだろうな、と思います。

聖書の御言葉を本当に真剣に受け取り、
それを大胆に語る働きをこれからもさせていただきたいと思わされます。

主よ、
預言をさせてください。
あなたのことばを大胆に語らせてください。
あなたが語られることばを聞き、伝える者とならせてください。

2011-06-20

三世代総出。

今日は下の娘の小学校のコンサート。
コンサートと言っても、小学生のレベルなんで、
それほど期待はしていない。
でも、親はそれなりに楽しみに見に集まってくる。


で、ホントは、このコンサート、6月2日の予定だったのだが、
音楽の先生が、直前に学校で転んで骨折して、延期になっていたもの。
でも、おかげで、学年末直前+高校のFinalの期間中+両親の滞在中+月曜日で自分の休日になった。


ということで、今日は自分も行けたし、のんちもハジも、日本から来ている両親も、そして、学年末試験で12時半頃に帰ってくるユキも、一家総出で三世代6人で見に行った。(笑)


コンサート自体も楽しませてもらったし、
JOYJOYシンガーズのためにヒントになるものもいろいろあったけど、
親にとって一番心に残ったのは、
4年生の最後の曲と一緒にスライドショーが流れたこと。
今までなかったので、ちょっとしたサプライズでした。


Kindergartenの時から5年間通った小学校もあと3日。
ウチの町は、5年生から中学校なので、今週の木曜日に卒業します。


スライドを見ながら、ああ、この子もがんばったな、そして、自分もハジの頃から15年間小学生の親をするのもこれで終わりだろうな(たぶん・・・)、としみじみ思ってしまいました。


その後、最近寝不足がたまっていたので、寝てしまったのですが、
起きてみたら、のんちが大きな魚を買ってきて、
それを父がさばいているじゃないですか。
なんだか、母と3人で楽しそうでした。


レッドスナッパーのハニーマスタード。


自分はあとで起き出してきて、「またそんなの買ってきて、どうするの?」とかぶつぶつ言っていたのですが(これは最近の自分の口癖になっているかも?)、なんだか、おいしく料理できて、みんなご満悦でした。わたしがいない方がこの3人は楽しそうかも・・・。(笑)


今日ののんちの一言。
「こう言うのをちゃんと写真に撮ってブログに載せてくれないと・・・」


そうですね。いつもあなたのボケ話ですみません。
ほんとは、いつも心から感謝しています。

6月13日の聖書から。
第一テサロニケ4:13-5:11を読みました。


「ですから、他の人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。」5章6節

これはもう1週間前に読んだところです。
これを読んだのは月曜日だったのですが、
「目を覚ましなさい」と言われたと思いました。

直接、ここで書かれている「キリストの再臨」ということについてというよりも、
でも、ここでも言われているのですが、
日々の生活の中で自分はちゃんと目を覚ましていただろうか、
そのように思わされたのです。

月曜日、前日の役員会のことを思い出しながら、
そして、その日、朝からそれぞれ、仕事や学校に行く皆さんのことを思いながら、
自分はちゃんと目を覚まして、一人一人の闘いのために祈っているだろうかと思わされたのです。

眠っていたかな、と。
自分は眠っていたんじゃないかと。

そこで祈らせていただきました。
一人一人の歩みが守られるように、
聖書のことばの通りに生きようとすると、
いろいろな闘いのある社会の中で、
一人一人が世と調子を合わせることなく、
そして、世から乖離してしまうことなく、
世の中に、神様の恵みを流しこむ突破口として用いられるように、
祈らされました。

主よ、
今日も、今週も、
一人一人の歩みをお支えください。
わたしを目覚めさせてくださってありがとうございます。
どうか、祈らせてください。
教会の一人一人がその与えられたところで、
主の恵みのながれる突破口として用いられますように。

2011-06-19

まだまだ。

今夜の我が家の会話。

GP「でも、あの桑田も大変だよねえ。」
M「え?」
GP「いや、あの手術するの、桑田じゃなかった?」
GM「桑田じゃないでしょ。」
M「それは松坂でしょう・・・」
N「え、松坂ってRed Crossの?」

のんちさん、今回の日本の被災地での働きのおかげで、頭の中はすっかり25年前の看護師時代にトリップしているようです。

2011-06-16

神様の近くに。


日本から両親が来訪しておりまして、
それなりに、いろいろしております。

いろいろ話が盛り上がり、
気がつけば眠くなっているという感じでしょうか。

で、なかなか更新ができなくなっています。・・・が、今日はちょっとがんばってみましょう。

昨日は午前中からクロッキー教室に一緒に行って、
夕方からは、NYCのダウンタウンのWater Taxiで1時間のクルーズをするというヤツに行ってきました。Goldstar.comというサービスで、半額+手数料。この「手数料」というのが買う直前までわからなかったので、「な〜んだ」という感じですが、それでも、ずっと安いので、お勧めです。

7時45分出港で、6時15分に家を出た、というのがちょっと無謀だったかもしれませんが、あっちもこっちも渋滞で、ダウンタウンの船着き場に着いたのが、2分前。「出港30分前に着いてください」と書いてあるので、もうダメだ、と思いましたが、奇跡的に出航前に着いて、事前の下見もなかったのですが、すぐに乗り場も見つかり、無事に乗り込みました。

思ったよりも猛スピードで走っていましたが、自由の女神の前ではちょっと停泊して写真タイム、ちょうど西の空に沈む太陽をバックにシルエットが浮かびます。



島に上陸するのもそれなりにいいですが、
涼しい時間帯に近くまで行ってしばらく停泊というのもなかなかです。

その後ブルックリンブリッジの下をぐるっと回って戻る・・・1時間って短いね、という程度がまたちょうどいいのかも。


さて、日曜日の聖書。
日曜日はテサロニケ第一4:1-12。

「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」3節。

神様はありのままの私たちを受け入れてくださるけれども、
いつまでも、そのままにはしておかれない。

そして、私たちを、神様ご自身のきよさに招いておられる。
いろいろな試練を通して、御言葉を通して・・・。

私も神様がきよくなそうとしておられるのだ、と思わされます。

主よ、
あなたが私をきよくしようとしておられること、
感謝します。
どうか、私をあなたの近くに導いてください。

2011-06-13

人生の重さ。

今日は曇り時々晴くらい。
昼間も25度止まりで、過ごしやすかったです。
夜になって冷えてきています。
12時前ですが、16度Cです。
そして、これから雨のようです。


明日一日ぐずついて、肌寒い日となりそうです。


先週の金曜日には、
一人のご婦人を訪問させていただきました。
84歳の方なのですが、
その方の人生の歩みをお伺いしながら、
その人生の重さを感じました。
60年前に日本からやってきて、
若くして夫を亡くし、
自分の力で踏ん張って行きていたその人生。
簡単に評価を下したりできないものを感じていました。
もちろん、その方も、私に会うのは聖書の話を聞くためなので、最後には聖書を読んで神様の話をして、お祈りをするのですが、簡単にものを言うことははばかられます。


その経験を通して、自分の聖書の読み方も反省させられました。
例えば、アブラハムが神様から声をかけられて、「自分の故郷を離れて、私が示す地にいきなさい」と言われたのは、75歳の時でした。


また、モーセが神様から声をかけられて、イスラエルのリーダーとしてエジプトでの奴隷状態から解放する働きを任せられたのは80歳でした。


そのような信仰者たちの人生の重さを考えていませんでした。
特にモーセが80歳で指導者に立てられたこと、
40歳の時に一度はリーダーとして自ら立とうと思ったこともありました。
でも、神はそれを許されませんでした。
なのに、ここでリーダーに立て、と言われても・・・という感じだったと思います。


でも、それだけではなくて、本当に語り始めたらきりがなかっただろう40年の日々。その重さに思いを馳せることがどれほど必要かと思います。そこで見えてくる聖書のメッセージ。聖書は真空の中で読むものではないな、と思わされます。


もっともっと聖書を読ませていただきたい、語っていただきたい、そのように思わされます。


さて、土曜日の聖書。
土曜日はテサロニケ人への第1の手紙3:1-13。


「私たちはこのような苦難に会うように定められているのです」3節。

苦しみに会うことは、
それも、信仰を持っているが故の苦しみに会うことは、
もう最初から決まっている、という。

だから驚くな、たじろぐな、
そういうのであろう。

なかなか難しいのだけれども、
織り込み済み、って気持ちは必要なんだと思う。

自分がこれから歩んでいく道、
楽しいことばかり、すべてが順調、なんてことはない。
「神様を信じているのにどうして・・・」という声も聞くけど、
ホントは反対なんだろうな、
神様を信じているから、苦しいこともある。
でも、神様がおられるから、大丈夫。

主よ、
あなたがおられるからありがとうございます。
私たちの歩む道には闘いや痛みもあることを教えてくださってありがとうございます。
どうか、次に苦しみが襲ってきた時に、この聖書のことばを思い出すことができますように。
そして、その苦しみの中であなたの平安に満たされて歩めますように。

2011-06-12

同じ方がおられる。

ちょっと更新できませんでしたが、
ちょっと涼しい日が続いています。
今も夜の11時過ぎですが、18度C台。


今、雷雲が西から近づいています。
そして、更に涼しくなりそうです。


明日の最高気温は25度。
気持ちのいい1日になりそうです。


今日は半年ぶりの洗礼式。
近所に住む男性が、洗礼を受けられました。
自分のよりも年上の男性の洗礼式は数年ぶりでしょうか。


また、今回は始まったばかりのスモールグループで男性同士で集まっておられる方々もおられて、その方々にとっても、特別な喜びの時になりました。


そして、ペンテコステ、聖霊様が弟子たちにくだられて、
弟子たちを作り替え、新しい人々が導かれて、
教会がスタートした教会の誕生日。


毎年、1回お祝いする日ですが、
今年は特に、その同じ聖霊様が今もわたしたちと共にいてくださる、
そのことを特別に覚える礼拝となりました。
同じように、わたしたち自身を新しくしてくださり、
多くの新しい方々が導かれるようにと祈らされます。


さて、ちょっと前ですが、金曜日の聖書。
金曜日はテサロニケ人への第一の手紙2:13-20を読みました。


「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです」13節。

神のことばは信じる者の中に働く。
やはり信じることが大切なんだ。
信じても信じなくても同じではなくて、
信じる時に初めて力を持っていく。
神様の御業が働く。

だから、信じていこうと思う。
信じようと思う。
御言葉を信じて、神のことばを信じて、
その力が私のうちに働くことを経験させていただこう。

主よ、
今日の一日を感謝します。
どうか、聖霊様に導かれてこの一週間を歩めますように。
あなたの御力を拝させてください。
御言葉を信じて、その力を経験できますように。

2011-06-09

人ではなくて神を見る。

今日も暑い1日でした。
車の温度計は105度Fを表示していました。
ウチの庭の最高気温も38.6度C。
つまり101.5度F。


でも、夕方から空が暗くなって、雷鳴が轟き、
一瞬停電になって、だんだん気温が下がってきて、
お、雷雨かな、と思ったのですが、
まあ、我が家のあたりは大したことはなくて、
ちょっと雨が降って、涼しくなってよかったという感じ。


そして、今は夜の12時前ですが、
21度Cくらいまで下がってきています。


明日は30度止まり。
今日までの暑さを考えると、ちょっと過ごしやすくなるでしょう。


今日のシニアセンターでののんちの報告は、
とてもよかったです。(「長くならないように」「ポイントを絞れ」「聞く人のことを考えろ」など、いろいろうるさく言いましたから・・・)
それでも、昨日準備している時は「写真は一枚2秒でいいかな?」なんて、「フラッシュカードかい?」というようなことを言っていたのが、実際は1枚10秒くらいかけて話していて、巻きを入れなければいけないほど。でも、それでちょうど良かったかな、という感じでした。


本人も、「伝える使命」ということを感じているので、
ちょっとこの先、教会内外、あちらこちらでそのような機会が与えられるようにと願っています。


明日以降も、週末にかけて、
牧師館と、プリンストンの教会と、自分たちの教会、の3回の報告会があります。
疲れすぎてしまわないように、お祈りください。


さて、今日の聖書。
今日は第1テサロニケ2章1−12節。


「私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。」4節。

やはり、自分はどうだろうかと問われました。
神様をしっかり見ているだろうか?
見上げているだろうか?

人を恐れないで、神を畏れる、
そして、神の願われること、
神が語りなさいと言われることを、
語らせていただこうと、改めて思わされました。

今日のシニアセンターもそうですが、
明日は、またおばあちゃんを訪問します。

その心からの叫びにしっかりと耳を傾けるとともに、
そのここまで歩んでこられた人生の重さをしっかりと受け止めるとともに、
神様のメッセージをしっかりと伝えることができますように。

主よ、
私がいつもいつもあなたの声に耳を傾け、
あなたに聞いて行くことができますように。
あなたの願われる道に歩むことができますように。

聖霊さまを待ち望む。

テサロニケ人への手紙に入って、毎日更新しようと思いつつ、早速つまずいています。ベッドの中でiPhoneで更新中。

明日…日付が変わったので今日ですね、シニアの集まりでのんちがお話をすることになり、500枚くらいある写真から、60枚くらいを選ぶのに12時を回ってしまいました。帰米後、最初の報告の機会です。お祈り下さい。

昨日は暑かったですね。うちの庭の最高気温は37.1度Cでした。今日は、もう少し上がりそうです。

さて、今日の聖書、テサロニケ人への第一の手紙の1章。






「わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。」5節。

本当に伝道しようとするときに、自分の弱さ、足りなさを感じさせられる。

だからこそ、聖霊さまの御業が必要なのだ。自分の力ではない、人の力を超えた、神様の働きが必要。

今日も、そのことを思わされていた。

神様の招きを感じる。

主よ、
聖霊さまを私のうちに満たしてください。
そして、人々があなたを信じる、という奇跡を見せて下さい。 BlogBooster-The most productive way for mobile blogging. BlogBooster is a multi-service blog editor for iPhone, Android, WebOs and your desktop

2011-06-07

民数記を読み終えて。

今日は暑くなってきました。
33度くらいまで行ったでしょうか?
明日からは酷暑です。36-7度の予報が出ています。
でも、今は、夜10時で25.7度C。
これが助かります。
東京のように夜まで暑いと大変ですが、
ここでは熱帯夜も年に2-3日、特別多い年でも10日以内です。


この熱波、2日くらいで、週末はぐっと暑さも和らぐようです。


来週は日本の梅雨のような天気になる・・・かな。
やめてほしいですが・・・。


さて、このところしばらく民数記を読んできましたが、
今日で最後。
一つ一つの言葉よりも、
自分の来し方を思い出す、そんな思いで最後の日を迎えました。

民数記は荒野の40年の記録。
その一番最後のところから旅を振り返って書いたのだろう。

自分も記憶を辿ってさかのぼると4歳くらいまでは思い出す。
だから、45年くらいの記憶があるわけだ。
その一歩一歩が失敗だらけの、傲慢な思いのいっぱい詰まった歩みだったと思う。
自分の責任から逃げたことも何回もあった、
自分のしたことをごまかそうとしたこともあった。
そんなことばかり思い出す。

だから、民数記の民の失敗の歩みは、
まるで自分の歩みを見ているようだった。

だから、人の失敗と神の憐れみの歴史。
その中にちらほら見える、信仰の勝利。

神様の憐れみの中に生かされていることを、思わされる。

主よ、あなたの憐れみの中に生かしてくださってありがとうございます。
責任から逃げたり、傲慢になったり、ごまかそうとする思いから、
守ってください。
聖霊様、私をあなたの思いで満たし、
あなたが持っておられるへりくだりと、
人々への愛を、私のうちに与えてください。

2011-06-06

赦されるはずのない者が。

今日も割合涼しかったですね。
27度くらいまでは行きましたが。


でも、明日からは熱波です。
明日はまあ32度くらい。
そして、水曜日と木曜日は36度くらいまで上がる予報が出ています。


かなり体に堪えそうです。
お気をつけて。


さて、昨日の「野外礼拝」にはたくさんの方々が来られました。
楽しかったですね〜。
いや、楽しかった、の前に、耳を澄ますと鳥たちの声が聞こえるような中で、
礼拝を守るっていいですね。自然の賛美に心を合わせる、という感じです。
で、そのあとは、BBQとゲームとソフトと、スイカ割り。思いっきり遊びました。


写真は例によって、教会のHP(http://jccofnj.org)から「イベントフォト」へ行っていただくと、出てきます。


返す返すも、何年ぶりかのスイカ割りで、外してしまったことはとても悔しかったです。


でも、この野外礼拝、今までも、これをきっかけに教会に来るようになった、という方々がおられます。今年もそういう方々が起こされますように。


さて、ここしばらくずっと「日々のみことば」についてはあまり触れないで来ましたが、ずっと民数記の最後の方を読んでいました。その中から。

民数記35章「逃れの町」について。

「逃れの町」は、「故意ではなく過失で人を死なせてしまった」場合に復讐しようとする者の手から守るために作れた町。でも、「故意」で殺人を犯した者は「逃れの町」も守ることはありませんでした。

イエスは「人を憎んだり、あざけった者は人を殺したのと同じ罪を犯している」と言われた。「過失」ではない。言い訳はできない。「故意」に人を殺したのと同じ罪を犯している。だから、本当は自分は赦されるべき者ではなかった。

その罪の深刻さがわかっているのだろうか。

「罪」それも「故意の罪」は赦されるものではなかった。
イエスはそのわたしたちを赦すために十字架にかかられた。
本当はそれは赦されるはずがなかった、ということを知る時に、
そのことを心の深くで知る時に、
神様の愛が見えてくる。
神様の情熱が見えてくる。

本来赦されるはずがない者が赦されている。

なんと言う幸いなんだろうか?

神様、
あなたの愛に感謝します。
私を救ってくださる、赦してくださる愛に感謝します。
私がそのことを軽く考えることがないように、
守ってください。

2011-06-04

主の肯定に感謝。

48回目の誕生日を過ごしました。
FBでは互いの誕生日のお知らせが来るので、
人生で一番たくさんの方々に声をかけていただいた誕生日になったと思います。
感謝します。

いつからか、「誕生日はその人の存在を喜ぶ日だ」ということを思わされている。
今日は自分の存在が神様から肯定されているんだという事を思う日。
心から主に感謝しよう。

そういえば、同じ誕生日の2歳になる子、
昨日、のんちの日本での写真を見た時に、出てきたな。
郡山で歩んでいるご一家。
主の守りがあるように祈らされる。
君の存在も、神様によって肯定されている。
私も、その神様の肯定を喜ぼう。
祝福を祈りつつ。

「受けるよりも与える方が幸いである」使徒行伝20:35。
「受ける喜び」をいっぱい経験させていただいたのだから、それにまさる「与える喜び」をもっともっと味わう事ができますように。

あ、でも、今日はもっともっと大きなイベントがハワイであったんだよね〜。

せっちゃん&まおくん、おめでとう!
君たちの結婚記念日は忘れないな・・・。

新しく、また心を向ける。

昨日の夜は写真を整理しながら、
いろいろな話をしていて遅くなった。

31日の写真。
おつかれさま。



「何が食べたい?」と聞いたら、
「麺類・・・」とまったく作らなかった分野のもののリクエスト。

そばにかき揚げ、
あと月曜日にミツワで安く売っていた、なし割りにした鯛の頭をごぼうと一緒にたく、
というすべて初挑戦メニュー。

かき揚げが見事に玉砕。こういうときは、なれないものに挑戦しない方がいい。
あ、鯛はおいしかったです。一緒に炊いたごぼうもうまい。
かき揚げがうまく行かないのはみんなが手伝わないからだ、と子どもたちに当たり散らしながら、でも、家族で囲む食卓に感謝しながら・・・。

日本で経験した事の話もあまりゆっくりと聞かないで、
2、3日がすぎてゆきました。

でも、昨日はカメラから写真をMacに取り込んで、
写真の説明をひとつひとつ聞きながら、
いただいてきた地図を見たり、新聞記事を読みながら、
ネット上の情報も見ながら、夜が更けて行きました。

日本で聞いてきた話は「しっかり見て、アメリカにいる人たちにも、伝えてほしい」「大統領にも伝えてほしい」(!)・・・。どのように伝えたらいいのか、祈らされます。

メッセージを受けて、わたしたちも、こちらからのメッセージを被災地におられる方々にお返しする事の大切さを感じます。「わたしたちの心は今も、あなたがたと共にある」と。

2011-05-31

無事・・・

のんちが到着しました。
空港では指紋が合わなくて手間取ったり(本人2回目)、
荷物の中に肉製品がないかと徹底的に調べられたり(私がブラックリスト載り)、
なかなか出てこないで、「ああ、また手間取っているなあ」と思っていましたが、
1時間30分ほどで出てきました。

本当に皆さんのお祈りに感謝します。

明日から6月です。
新しい気持ちで新しく歩み始めます。

日本の事をいつも祈りながら、
いつもそこに心を向けながら。

2011-05-30

祈りにささえられて。

先ほど、のんちの乗った飛行機が日本を離れました。
明日の昼にはこちらにつく予定です。

2ヶ月間、多くの方々の祈りにささえられて、
日本の方々によくしていただいて、
働きを終えて帰ってきます。

感謝します。

明日から、家族の時間や、教会の皆さんとの時間を大切にしたいので、
更新はちょっとスローになると思います。

祈りつつ、気まぐれになされる更新を見守ってください。

2011-05-29

遣わされている。

今日も暑かったですね。
明日92度F、あさって、93度Fです。
つまり33度くらい?
熱波と一緒にのんちの帰りを待ちます。


今日はサキの運動会でした。
徒競走は一口かつの祈りも届かず、今年は5人中3位。
うーん、だんだん順位が下がってきているような・・・。
走り方も女の子っぽくなっているのでねえ。
のんちの血を引いているのですが・・・。
私の血のせいでしょうか。


今年は教会の用事をこなしている間に、
「4年生は3年生のあとだろうから、まだだろ」と思っていたら、
うかつにも、4年生が先だったことに気づかす、
走っている姿には気がつきませんでした。


ま、しょうがないですね。運動会が日曜日になるとこうなります。ハイ。
午後は兄貴が行ってくれて、親子競技にも出てくれて、
最後は白組が勝ったので、大満足だったようです。
それでよしとしましょう。


のんちは日本の最後の日を過ごしています。
日曜日の夜には17人の方があちらこちらから集まられて、
幸いなひとときをもつことができたそうです。
大雨だったようですが、
東京都内だけではなく、神奈川県や埼玉県からも。


久しぶり、の方もおられたでしょうね。
私は毎年日本に行っては集会をしていますが、
のんちが日本に行く時にはあまり皆さんにお会いできないので。


所沢から、片道1時間半くらいかかるでしょうね、
おいでくださった、ありゅさんからは、こんなお言葉を。


感謝します。


ところで、今日も運動会で思ったんですが、
たくさん日本語を使う方々がおられるんですね。


でも、なんだか、最近知っている方々が少ないような。
ちょっと反省。もっと世界を広げないといけませんね。


そして、やはり、今朝もう一度思いました。
私はここに派遣されているんだと。
私はこの8月から次の3年の任期が始まります。
それは昨年の11月頃にだいたい形ができた話です。


もしも、震災がもっと早くその任期が固まる前に起こっていたなら、
日本に目が向いていたかもしれません。
でも、実際に起こったタイミングに、やはり、私は今与えられたところで生きるようにと導かれていることを感じます。そして、今日の運動会で、多くの人々と挨拶を交わす中に、それを確信させられています。


今も山元町のりんごラジオをさいまるラジオで聞きながらですがね。


あと、イトイさんも更新しておられました。


あと、カナダの看護師さんものんちが来るところまで更新。


このカナダの方の記事の最後に出てくる簡易トイレですがね、紙を流してはいけません。この山元町の下水道はまだまだで、完全復旧は1年後ということです。それで、どうしてもからだの弱い方を除いては簡易トイレを使っておられるのですが、処理の問題なのでしょう、使った紙はビニール袋に入れておきます。で、のんちは、山元町から、東京に戻った時には、あれ、これ捨てていいのかな・・・と戸惑うこともしばしばらしいです。でも、自分が大学にいたときの指導教官はインドの専門家で、しきりに「水洗トイレが普及するかどうかで水の使用量が全然違ってくる」と言っておられました。水洗トイレ、確かにありがたいですが、考えさせられます。


今日は礼拝から。
わたしたちは月曜日から仕事をして、
疲れて土曜日、日曜日と休む。
そして、月曜日「ああ、また仕事だ」と重いからだを起こして働き始める。

でも、聖書はそんな生活のリズムに、
パラダイムシフトを起こさせる。
聖書の世界観はこうだ。
日曜日、週の初めの日、教会に集まり、
復活のイエスに出会う。
そして、そこから派遣されて行く、一人一人の神様から与えられた場所へ。

コペルニクス的転回。

多くの人々の心に、そのような出来事起こりますように。

運動会の朝。

運動会の朝です。
牧師をしていると日曜日に運動会をするのは、
何とかならないかなあ、と思いながら、
そして、なんとカミさんがいないと、お弁当も作って・・・となるが、
記念すべき、この2ヶ月の最後のお弁当。
最後までキャラ弁とまでは行きませんでしたが、

なにをかくそう、最初のころに作ったハンバーグを冷凍したやつを、
毎週一個ずつ焼いて、持って行っていた。
(本人がそれがいいというので・・・)

それが昨日でなくなったので、今日は一口カツ。
これで運動会、徒競走で勝つ!


・・・・って、徒競走はランチの前だけどね。

庭で取れたもいよいよ最後のアスパラと、
トマトと人参って・・・今日は彩りも考えて・・・。

おにぎりはしおにぎりのりなし。

これも本人の希望。
こっちは卵焼きでも入れようかと思ったら、
これも本人が却下。

ブログにお弁当の写真のせる奥様方って、
すごいなあと思っていたのですが、
最初で最後だと思って、がさつなオヤジの盛りつけをご紹介。



今、一瞬、日本に電話したのですが、
のんちの報告と祈りの時、
大雨の中、各地からたくさんの方々が来られたそうです。
皆さんのお祈りに感謝。

でも、自分の心は礼拝のことでいっぱい。
でも、自分ががんばるのではなくて、
神様の愛と命の注がれる礼拝となりますように!

2011-05-27

自分を知る。

今日は暑かったです。
33度くらいまで上がりました。


そして、明後日の日曜日は晴ですね。
暑いですね。運動会は大変だ。
熱中症対策万全にしないと、おかしくなりますよ〜。


今日は教会のニュースレターのための原稿書き。
そのために、地震が起こった日からの記録をずっと読んでいました。
のんちももうすぐ帰ってくることだし、振り返りながら読んでいました。
ああ、そうだったなあ、そんなこともあったなあ、と。


その中のリンクも確認しながら。


そして、その中で、3月24日にご紹介した、カルフォルニアの三羽先生が最近こんな文章を書いておられることを知りました。


「援助と自己満足や偽善」

「援助者が自分の中に自己満足の気持ちがあることを知って、それを受け入れることの大切さ」について書いておられます。


確かにそうだなあと思いながら読みました。
つまり自分が自己満足のためにこれをやっているということを認められない=相手の為にやっている=相手が感謝してくれないことを受け入れられない・・・「あれ、これって究極の実際自己満足?」
そんなサイクルに陥ってしまう場合ってあるかなと。


まあ、自己満足に終わる時って、自分が自己満足に陥りやすい存在であることを認められない時なんでしょうね。自分がわかっていないと言うか。恩着せがましくなってしまう、なんてのもそうなんでしょうね。


反対にいい働きをしておられる方々ほど、「ああ、自己満足かもしれない」「それでもいいんじゃないかな」など、そんな声を上げておられますね。


クリスチャンは「自己満足」を否定する傾向があるから、そして、「人のため」という気持ちが強いから、いつの間にか、自分の中にそのようなものがあっても、それに気がつかないことがあるし、気がついても否定したり、抑圧したり、無視したりして、「自分の弱さ」として受け入れることができない場合もあると思う。


そんなことを覚悟しながら、今日も山元町のファンとして、
一つ情報を。


内村宣教師も、のんちも、そして、たくさんの大物の皆さんも出演された「りんごラジオ」を世界中どこででも、インターネット経由で聞くことができるようになりました。


りんごラジオブログ/さいまるラジオ開設

早速何回かアクセスして聞きながら過ごしています。
もうちょっと早くこれができていれば・・・と思いますが、
またこれからでも、いろんな情報を聞くことができればいいな、と思います。

2011-05-26

8年目の・・・。

はい、今日は8年目のマツイ記念日でした。


「え?何それ?」という方はこちらを。

今日はまた感謝なことがありました。
それはまたこんど。公表できる段階になった時に。

今日も山元町情報を一つ。
ペンシルベニアから行っておられる英語の先生が、
募金を集めておられます。

アンドラス山元基金。

日本を愛し、山元町を愛しておられる先生だって、よくわかりますね。

お祈りに感謝。

のんちは、3週間半ぶりに東京に戻ってきました。
3月28日にアメリカを出る時には何も決まっていなかったのですが、
9週間の滞在の中で、6週間あまりの働き場が与えられて、
来週の火曜日に無事に帰ってきそうです。


一つ一つのことに皆さんのお祈りを覚え感謝します。
また、どこの馬の骨かもわからない「おばちゃん」を受け入れてくださった皆さんお一人一人に心から感謝します。


続けて山元町応援モードの私は、
「山元町」で検索を続け、
のんちの前に同じ救護所でボランティアをされていたカナダの方の報告に出会いました。


http://canadamom.babymilk.jp/Firstreportpage.htm


まだ、5月の写真は全く見ていない(かろうじて内村宣教師のページで見ただけ)の私は、ああ、「ここでのんちはボランティアをしていたんだなあ」と感無量になりながら、読ませていただきました。



2011-05-24

人生の重さ。

日曜日、ミズーリ州のJoplinを襲った竜巻は、市の中心部を直撃して、
一つの竜巻としては、史上最大の120人以上の犠牲者を出しています。
そして、今も連絡が取れない人々が1500人もいるそうです。
その中の多くの方々はただ「連絡が取れない」だけであると信じられているのですが、
更に多くの方々が犠牲になった可能性もあります。
今日、明日と、オクラホマ州を中心に竜巻の起こりやすい天気が続くようです。
これ以上大きな被害が出ませんように。


昨日、ここに書いて「祈ってください」とお願いした訪問ですが、
本当に幸いなひとときでした。
お祈りしてくださった皆さん、心から感謝します。


日本でアメリカの兵隊さんと結婚されて、60年前にアメリカに来られた84歳の女性。
でも、そんな年齢に見えない若いおばあちゃんでした。
1ヶ月くらい前にheart attackを経験されて、
心配したクリスチャンのお孫さんが日本語のわかる牧師をさがして、
連絡をしてくださいました。


お孫さんとお電話で話した時には、
とにかく「神様がイエスさまを通して救ってくださることを話してほしい」という感じだったので、わたしもそうなんだなあ、「神様と罪と十字架と・・・」と思っていたのですが、
でも、今日いろいろ考えて祈っている時に、「聞かせていただこう」と思わされたのです。


いつかも書いたのですが、
いつだったか、映画の「タイタニック」を見た時に、
しょうもない話をドラマにしていることに腹立たしさを感じて、
でも、それだけじゃなくて、背景でたくさんの人々が海に落ちていく、
その場面を見ながら、ここにはもっともっとたくさんの人生があって、
同じ重さの人生があって、そして、もっと分かち合うべきドラマがあるのに、
主人公以外の人々はただの「数」になってしまっていることに、
嫌悪感を覚えたのでした。


そして、日本で人々の話に耳を傾けてきたのんちの話を聞きながら、
わたしももっと「聞こう」と思ったのでした。
少なくとのおばあちゃんにはわたしが出会ったことがないような、
重い話があることは分かっていたから、
とにかく、その人生に敬意を表して、
軽々しく、「キリスト教教理」を語ることはしまい、
と思ったのです。


楽しかったです・・・。
ホントに意気投合!でした。


また、お会いする約束をして失礼しました。
続けてお祈りください。


神様、
あなたの与えてくださった出会いに感謝します。
あなたの導かれた人生の重みを思わされます。
それに敬意を持ち続けることができますように。


一つ一つの人生に敬意を表すことをもっともっと学ばせてください。

2011-05-23

感謝。

今日も涼しい一日でした。
でも、夜になって雷雨があって、
一発、「おおお」というのがありました。


明日は蒸し暑くなって、また雷雨がありそうです。


さて、のんちと3日ぶりくらいに話をしたのですが、
今は石巻の河北にいます。
ここは2005年の石巻市への合併前は
「河北町」だったんですね。
「雄勝」も「雄勝町」。
だから、地元の方々にとっては、
「石巻」と一緒にされるよりも、
「河北」「雄勝」とちゃんと言ってほしいんだろうなと思います。


昨日は河北の大川小学校や雄勝に行ってきた、と言っていましたが、
大川小学校では避難する途中に津波が襲ってきて多くの子どもたちが亡くなり、
雄勝病院は屋上まで津波に飲まれ、患者さんは全員亡くなられ、職員も数人しか助からなかったところです。


「震災うつ」のことを考えると、気をつけなければいけないのですが、「アメリカにいる方々にも伝えてほしい」その叫びをきくと、やはり目を背けてはいけないのだな、と思います。


先日の内村先生の言葉にもありましたが、
その叫びを受け取ったわたしたちがどのようにお応えするか、
問われているように思います。


これから仙台に戻って、ベースで一泊させてもらって、
「半額の新幹線」に乗って、水曜日には東京に戻ります。


来週の火曜日にはいよいよ帰米です。


その前に、今度の日曜日は、先日の「アナウンス」どおり、
4時から木場の教会で報告と祈りの時を持ちます。


本当に皆さんのお祈りに感謝します。
2ヶ月、本当に支えられました。


m(._.)m



あ、先日ボランティアをしていた山元町のこと、
糸井重里さんがフォローされるようですね。
「山元町と手をつなぐ」
なんだか、温かい思いを感じます。


糸井さんと言えば、最近になって、
「ほぼ日」で、吉本隆明さんが「親鸞」について語っている、
この部分、これをもっと大きなスケールでやったのがイエスじゃないか、と思わされています。「宗教(浄土教)のほうから、普通の人の生活のところへ、逆に近づいていけばいい。」神はわたしたちに、わたしたちの普通の生活に近づいてくださった。どこまでも、共に歩もうとされた、それがイエスの受肉。


・・・決して我田引水じゃないと思います。


ちょっと深く考えてみたいテーマです。


話を戻しましょう。山元町のこと、
あと、「クリスチャン新聞」でも紹介されていました。

山元町中学校・新人クリスチャン教員の思い

「アメリカから来た看護師で、牧師夫人と会った」とありますが、のんちはこの先生と、この前日、9日にお会いしていたんですね。


先生が、その地で豊かに用いられますように。こちらからも心から祈っています。

さて、今日の聖書。
今日は民数記27:12-23を読みました。


「ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。」14節。

この出来事が起こったところを読んだ時も、同じようなことを書いていると思うんだけど、「神様の聖なることを示す」「神様を聖なる方として人々に表す」その使命を果たせているだろうか。主の力を指し示しているだろうか?主の愛を、主の大きさを、主の豊かさを、主がわたしたちを超えて果てしなく大きな方であることを示しているだろうか。

わたしの使命を思わされた。

本当にそのように歩ませていただきたい。

主が聖なる方なのだから、
主の聖なることをそのまま表すことができますように。

主よ、
あなたのきよさを覚えます。
そのあなたの大きさ、あなたの愛の深さ、
あなたの豊かさ、それを示すことができますように。


明日は、初めての方をご訪問します。
そこで、主の聖なる方であることを、
主の愛がどれほど豊かであるかを、
分かち合うことができますようにどうかお祈りください。

JOYJOYキャンプ締め切り近づく。

今年のJOYJOYキャンプは、

「JOY JOY ファクトリー」



さて、どんな内容になるか、楽しみです。

そして、申し込み締め切りは28日(土)です。
ここだけの話を内緒でお伝えすると、

今年は、申し込みのペースがすごくスローで、
もしかしたら・・・申し込み締め切りまでに定員に満たない・・・という、
もう10年以上なかったことが、起こるかもしれません。

皆さんのお申し込みを心からお待ちしております。

2011-05-22

仕える。

今日は曇り空で涼しい一日でした。
運動会だった皆さんに、夜お会いして、
「よかったですね、暑くならなくて・・・」と申し上げたら、
「いやあ、逆に寒かったんですよ〜」ということ。
それもまた大変だったでしょうね。


明後日の火曜日は30度を超える予報が出ています。
湿度も高そう。
今日の日曜日も体調を崩されている方々がちらほら。
みなさんのお体が守られますように。


先週の木曜日5月19日、のんちのことを紹介してくださった山元町のりんごラジオのブログの、次の日、5月20日(金)の話題は「トイレの神様」でした。短いエントリーだったので、そのまま引用させていただくと、



役場周辺にある2ヶ所の仮説トイレ。
いつもキレイなのは、掃除をしてくれている方たちのおかげです。
ありがとうございます。皆でキレイに使いましょう!

ホントに大切な働きですよね。


今日、わたしたちの教会のゲストで来てくださった
ポール鈴木宣教師。昨日の夜、我が家に泊まっていただいて、
いろいろ話をしていました。


あちらこちらのブログに散見される悲しい話ですが、
海外から来られるボランティアの方々の中には、
頼まれたことを、するのではなくて、
とにかく自分のしたいことをさせてくれ、というかたがたもおられるそうです。


ポール鈴木宣教師の話では、あるところで、
「トイレ掃除をしてください」と言われた海外からのボランティアの方、
「私はトイレ掃除をするためにわざわざ来たわけではない」とそれを断ったんだ、ということです。
私はそれを聞いて、本当に悲しい思いになりました。


でも、今朝、祈っている時に、
私自身がそこに置かれたら、
多くの犠牲を払って、多くの人々に祈ってもらって、
たぶん誰かと心がふれあうような経験を願いながら、
遠い日本にやってきて、いきなり「トイレ掃除をしてください」と言われたら、
自分がその立場だったら、どう感じるだろうか。本当に心からその働きを感謝して受け取れるだろうか、そんなことを問われました。
他人のことをとやかく言うことなんかできない、自分勝手な自分の姿を見せつけられるような、気がしました。


最近は「トイレの神様」の歌を利用して、
子どもたちにトイレの掃除をさせている父親ですが、
今日は時間が限られて「丁寧に」とはいかなかったのですが、
せめて自分の家のトイレは感謝しながら、掃除させていただこうと、
そして、もしも、公共のトイレを掃除する場面ができたら、
(子どもの頃、日本にいた頃は結構ありましたけどね、アメリカに来ると、教会のトイレ掃除も、業者の方に頼むケースが多いです)
心から仕える者にないたいと思わされました。


今日のポースポール鈴木宣教師のメッセージはすばらしかったです。
まだ教会のHPにはアップされていません(許可が出るかどうかもわかりませんが)が、「私のナイキの上下は何だろうか?それがどんなに高価な、自分にとって大切なものでも、見つめるべき目標、目指すべきゴールへの邪魔になるならば、かなぐり捨てることの大切だ」と思わされました。

かみさま、
仕えることを教えてください。
仕える者とならせてください。
自分のやりたい方法でなかったとしても、
自分の思った通りの働きでなかったとしても、
仕えること、従うことを教えてください。