2011-06-06

赦されるはずのない者が。

今日も割合涼しかったですね。
27度くらいまでは行きましたが。


でも、明日からは熱波です。
明日はまあ32度くらい。
そして、水曜日と木曜日は36度くらいまで上がる予報が出ています。


かなり体に堪えそうです。
お気をつけて。


さて、昨日の「野外礼拝」にはたくさんの方々が来られました。
楽しかったですね〜。
いや、楽しかった、の前に、耳を澄ますと鳥たちの声が聞こえるような中で、
礼拝を守るっていいですね。自然の賛美に心を合わせる、という感じです。
で、そのあとは、BBQとゲームとソフトと、スイカ割り。思いっきり遊びました。


写真は例によって、教会のHP(http://jccofnj.org)から「イベントフォト」へ行っていただくと、出てきます。


返す返すも、何年ぶりかのスイカ割りで、外してしまったことはとても悔しかったです。


でも、この野外礼拝、今までも、これをきっかけに教会に来るようになった、という方々がおられます。今年もそういう方々が起こされますように。


さて、ここしばらくずっと「日々のみことば」についてはあまり触れないで来ましたが、ずっと民数記の最後の方を読んでいました。その中から。

民数記35章「逃れの町」について。

「逃れの町」は、「故意ではなく過失で人を死なせてしまった」場合に復讐しようとする者の手から守るために作れた町。でも、「故意」で殺人を犯した者は「逃れの町」も守ることはありませんでした。

イエスは「人を憎んだり、あざけった者は人を殺したのと同じ罪を犯している」と言われた。「過失」ではない。言い訳はできない。「故意」に人を殺したのと同じ罪を犯している。だから、本当は自分は赦されるべき者ではなかった。

その罪の深刻さがわかっているのだろうか。

「罪」それも「故意の罪」は赦されるものではなかった。
イエスはそのわたしたちを赦すために十字架にかかられた。
本当はそれは赦されるはずがなかった、ということを知る時に、
そのことを心の深くで知る時に、
神様の愛が見えてくる。
神様の情熱が見えてくる。

本来赦されるはずがない者が赦されている。

なんと言う幸いなんだろうか?

神様、
あなたの愛に感謝します。
私を救ってくださる、赦してくださる愛に感謝します。
私がそのことを軽く考えることがないように、
守ってください。

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