昨日しっかり休んだら、
今日はすっかり元気になりました。
お祈りくださった皆さん、ありがとうございます。
明日は雪の予報です。
もうちょっと北東のほうが中心の予報が増えてきましたが、
まあ、とにかく5−10センチくらいは降るみたいです。
で、子どもたちの学校は早々と午前中での授業の打ち切りを決めて連絡してきました。
そして、来週の火水あたりに次のが来る可能性ひき続いてささやかれています。
今日からハジは近くの教会でもたれているユースリーダー・トレーニングに行っています。
昨日、それに関わっている先生と電話で話したときに、こんな話をされていました。
「ホントの一致は、私たちが砕かれてイエスの元にへりくだるところにしかあり得ない」
ずーっと、ほんとにずーっと心のなかにあったもやもやが晴れたような感じがしました。
私は今まで「一致」という言葉があまり好きになれずにいました。
9-11の時のUnited We Standという言葉に対して感じた違和感と、それを口にしてはいけない様な風潮。結局一致なんて誰かが黙らされているだけなんじゃないかとか、誰かが我慢して保たれているだけなんじゃないかとか、妥協の産物じゃないかとか、表面的な一致に嫌気がさしていたのだと思います。
だから、聖書の中の「一致」を強調するような箇所から語ることは殆ど無かったと思います。
でも、その先生の言葉を聞いて、わかりました。一致がある、一致を求めていい。一人ひとりが神の前に、イエスの十字架のもとに砕かれるところに起こりうる、ほんとうの一致がある。それを求めていこう、と。
簡単ではないことは分かっていますが、本気で求めていきたいと思わされています。
昨日の聖書箇所から、きょうもずっと「屋根をはがす、天井に穴をあける」ってどういう事だろうと思わされ続けていました。
そんな中で読んだ今日の聖書箇所は、
マルコ2:13−28。
「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」22節。
イエスの福音は、
当時の文化や先入観を打ち砕くものだった。
罪人と言われるような人たちと一緒に食事をしていたイエス。
そのような人たちを惹きつけるものを持っていたイエス。
今の教会はどうだろうか。
やはり屋根を剥がさなければならないのではないだろうか?
天井に穴をあけなければならないのではないだろうか?
福音の力を自分は小さなものの中に閉じ込めていないだろうか?
その大きさを十分に経験して、
それだけではなくて、十分に示しているだろうか?
表しているだろうか?
なにか大きな宿題をもらったような気がする。
主よ、
天井に穴をあけることが何を意味しているのか、
屋根をはがすことが何を意味しているのか、
私にも教えてください。
そして、それを実行する力を与えてください。
2011-01-06
2011-01-05
NORLUN Troughで雪が降る?
今日も普通に寒い日です。
朝は−4度くらいで、昼間は4度くらいまで上がったけど、
夜はまた冷え込んでいます。今は夜の9時で−4度。
明日の朝は−6度くらいかな。
で、やっと雪が消えかかっているNJ北部ですが、
明日の夜からまた雪の予報。
今度は前回のようなStormが来るのではなくて、
海上に発達する低気圧と、陸上に残る上空の低気圧を結ぶように、
NORLUN Troughというのが伸びて、
それがNJ北部からNYCあたりにしばらく停滞するという可能性が出てきているのです。
これはもっと北のメイン州とかで時々起こるそうですが、
私は今回、はじめてこの言葉を聞きました。
この予報があたった場合、フィラデルフィアでは全く雪がふらず、
NYCでは30センチ以上、そして、北のコネチカット州の中部まで行くと何も無い、
そういう特異な現象が起こるみたいです。
そして、来週の火曜日もまだまだ目が離せません。
昨日、今日と体調がすぐれず、休みながら祈る日々を過ごしました。
その中で、昨日の夜は、夕方にバイスタに来た若者達と、
一緒に食事をして、楽しく過ごしました。
帰りがけ、ロンドンの青年が嬉しいことを話してくれました。
ちょうど1年前に洗礼を受けた青年なのですが、
この1年で一番嬉しかったことは、バイブルスタディーを友人4人で始めたんだけど、そのなかの自分を含めて2人がクリスチャンで、他の2人は違った、でも、その2人が、1年の間にクリスチャンになったことなんだ、と。
一人の人が神を信じる者となって、
その人の影響が周りに広がっていく、
まさに「あなたは祝福の基となる」という約束の通り。
遠く離れていて、十分にケアできないでいましたが、
そんな中で、たしかに主が守り、励ましてくださっているのを
見せていただいて、感謝。
明日からは何とか復活して普通の生活を・・・と思っています。
ちらほらと、EC2010の恵みが聞こえてきますが、
もっともっと聞きたいなあ、です。
どっかに、そういうページはないのかしらん。
さて、今日の聖書。
今日はマルコによる福音書の2章1−12節。
「その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり下ろした。」4節。
チャレンジを受けた。
自分は誰かのために屋根をはがし、穴をあけることをしているだろうか。
入り口まで来て、人がいっぱいだったら、
諦めて「また出直そう」と帰っていっていないか。
当たり前の、常識的な、上品な(?)、紳士的な(??)、
そんな生き方だけをしているのではないだろうか?
そんな伝道だけをしていないだろうか?
屋根をはがそう。
穴をあけよう。
自分の常識の屋根をはがそう。
教会の常識に穴をあけよう。
「誰だ!そんなことをするのは!」と怒鳴られるかもしれない。
パラパラ落ちてくる砂やホコリに「やめてくれ!」という人もいるだろう。
でも、屋根をはがそう。穴をあけよう。
一人の人がイエスに出会うために。
主よ、
一人の人のために、
屋根をはがす事ができますように。
穴をあけることができますように。
勇気と情熱を与えてください。
朝は−4度くらいで、昼間は4度くらいまで上がったけど、
夜はまた冷え込んでいます。今は夜の9時で−4度。
明日の朝は−6度くらいかな。
で、やっと雪が消えかかっているNJ北部ですが、
明日の夜からまた雪の予報。
今度は前回のようなStormが来るのではなくて、
海上に発達する低気圧と、陸上に残る上空の低気圧を結ぶように、
NORLUN Troughというのが伸びて、
それがNJ北部からNYCあたりにしばらく停滞するという可能性が出てきているのです。
これはもっと北のメイン州とかで時々起こるそうですが、
私は今回、はじめてこの言葉を聞きました。
この予報があたった場合、フィラデルフィアでは全く雪がふらず、
NYCでは30センチ以上、そして、北のコネチカット州の中部まで行くと何も無い、
そういう特異な現象が起こるみたいです。
そして、来週の火曜日もまだまだ目が離せません。
昨日、今日と体調がすぐれず、休みながら祈る日々を過ごしました。
その中で、昨日の夜は、夕方にバイスタに来た若者達と、
一緒に食事をして、楽しく過ごしました。
帰りがけ、ロンドンの青年が嬉しいことを話してくれました。
ちょうど1年前に洗礼を受けた青年なのですが、
この1年で一番嬉しかったことは、バイブルスタディーを友人4人で始めたんだけど、そのなかの自分を含めて2人がクリスチャンで、他の2人は違った、でも、その2人が、1年の間にクリスチャンになったことなんだ、と。
一人の人が神を信じる者となって、
その人の影響が周りに広がっていく、
まさに「あなたは祝福の基となる」という約束の通り。
遠く離れていて、十分にケアできないでいましたが、
そんな中で、たしかに主が守り、励ましてくださっているのを
見せていただいて、感謝。
明日からは何とか復活して普通の生活を・・・と思っています。
ちらほらと、EC2010の恵みが聞こえてきますが、
もっともっと聞きたいなあ、です。
どっかに、そういうページはないのかしらん。
さて、今日の聖書。
今日はマルコによる福音書の2章1−12節。
「その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり下ろした。」4節。
チャレンジを受けた。
自分は誰かのために屋根をはがし、穴をあけることをしているだろうか。
入り口まで来て、人がいっぱいだったら、
諦めて「また出直そう」と帰っていっていないか。
当たり前の、常識的な、上品な(?)、紳士的な(??)、
そんな生き方だけをしているのではないだろうか?
そんな伝道だけをしていないだろうか?
屋根をはがそう。
穴をあけよう。
自分の常識の屋根をはがそう。
教会の常識に穴をあけよう。
「誰だ!そんなことをするのは!」と怒鳴られるかもしれない。
パラパラ落ちてくる砂やホコリに「やめてくれ!」という人もいるだろう。
でも、屋根をはがそう。穴をあけよう。
一人の人がイエスに出会うために。
主よ、
一人の人のために、
屋根をはがす事ができますように。
穴をあけることができますように。
勇気と情熱を与えてください。
2011-01-03
権威ある者と共に歩む。
土日の暖かさに慣れてしまって、
今朝は寒かった。
今は夜の12時で、-4.3度。
明日の朝は-6度くらい。
ま、典型的な1月の朝でしょう。
そして、次の雪の可能性は金曜日。
これは、ここらへんはなんともなく、
ボストンの方にドカンと行くかもしれません。
そして、13日と17日にもデカイのが来る可能性があります。
はい、今年の冬は去年に続いて雪の多い冬になるかも。
さて、今日は地区の日本語牧師会。
日本から「父の学校」のスタッフの方が来られて、
活動について説明を伺いました。
本当に熱く話してくださる姿に本当に励まされました。
3月にはハワイで日本語のセミナーがあるそうです。
行きたいなあ。まだ行ったことないなあ・・・と言ってみる。(笑)
ということで、クリスマス前からの怒涛のような日々が、
一応今日で一区切り。ふう。
この後、今週は土曜日の祈り会以外の集会をお休みにして、
これからの教会のために祈る一週間とします。
でも、明日は、夕方に大学生とかが、集まってバイスタをするそうです。
(自分はノータッチ。ただ、その後の夕食に鍋を準備。)
いつもはアトランタとロンドンとニューヘイブンにバラバラになっていますが、このチャンスに・・・ということで、いいですね。こんな波がどんどん広がっていきますように。
さて、今日の聖書。
今日はマルコによる福音書の1章21−34節でした。
「イエスが・・・権威ある者のように教えられたからである。」22節。
今日の箇所、メッセージを語る中で、悪霊を追い出す中で、そして、病を癒す中で、イエスの権威がはっきりと示されています。
「福音」について、語っているマルコ。
その福音はたしかに「権威あるお方」が私と共にいてくださる、という福音ですね。
私は普通の人間だし、私は根性なしだし、脱力系だけど、(笑)
でも、この「権威あるお方」が共にいてくださるから、大丈夫。
それが福音。Good News。
心配しなくていい。
恐れなくていい。
主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたの権威のもとに従います。
あなたの権威の中で守ってください。
あなたが共にいてくださるから安心です。
一週間の歩みの中で、祈りの中で、あなたの導きを示してください。
今朝は寒かった。
今は夜の12時で、-4.3度。
明日の朝は-6度くらい。
ま、典型的な1月の朝でしょう。
そして、次の雪の可能性は金曜日。
これは、ここらへんはなんともなく、
ボストンの方にドカンと行くかもしれません。
そして、13日と17日にもデカイのが来る可能性があります。
はい、今年の冬は去年に続いて雪の多い冬になるかも。
さて、今日は地区の日本語牧師会。
日本から「父の学校」のスタッフの方が来られて、
活動について説明を伺いました。
本当に熱く話してくださる姿に本当に励まされました。
3月にはハワイで日本語のセミナーがあるそうです。
行きたいなあ。まだ行ったことないなあ・・・と言ってみる。(笑)
ということで、クリスマス前からの怒涛のような日々が、
一応今日で一区切り。ふう。
この後、今週は土曜日の祈り会以外の集会をお休みにして、
これからの教会のために祈る一週間とします。
でも、明日は、夕方に大学生とかが、集まってバイスタをするそうです。
(自分はノータッチ。ただ、その後の夕食に鍋を準備。)
いつもはアトランタとロンドンとニューヘイブンにバラバラになっていますが、このチャンスに・・・ということで、いいですね。こんな波がどんどん広がっていきますように。
さて、今日の聖書。
今日はマルコによる福音書の1章21−34節でした。
「イエスが・・・権威ある者のように教えられたからである。」22節。
今日の箇所、メッセージを語る中で、悪霊を追い出す中で、そして、病を癒す中で、イエスの権威がはっきりと示されています。
「福音」について、語っているマルコ。
その福音はたしかに「権威あるお方」が私と共にいてくださる、という福音ですね。
私は普通の人間だし、私は根性なしだし、脱力系だけど、(笑)
でも、この「権威あるお方」が共にいてくださるから、大丈夫。
それが福音。Good News。
心配しなくていい。
恐れなくていい。
主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたの権威のもとに従います。
あなたの権威の中で守ってください。
あなたが共にいてくださるから安心です。
一週間の歩みの中で、祈りの中で、あなたの導きを示してください。
2011-01-02
You will be a blessing!
2011年の最初の日曜日。
昨日は朝7時に会場を出て、
10時半の飛行機。
無事に時間通り飛んでくれたのですが、
時差のせいでとても短い一日でした。
うちに着いて、夕食を家族で食べた後、
バタンキューで、寝てしまいました。
たくさんやるべきことはあったんですが、
「明日できることは明日に回す」主義で、
無事、今朝は5時に元気に起きました。
そして、1年の最初の日曜日。
聖書箇所は創世記の12章1−2節。
「冒険へ招く神」
主は私たちを冒険に招いておられる。
その招きに答える者を、
「祝福の基」として用いられる。
英語では「You will be a blessing」。
この「祝福の基」という言葉も好きだったのですが、
(ちなみにハジの名前はここから来ている)
この英語の表現もまた好きになってしまいました。
あなたの存在が誰かのblessingになる!
EC2010の中でも、今日の礼拝の中でも、
その幸いを経験させていただきました。
たくさんの方々が来られて、
賑やかな一時でした。
日曜日の礼拝としては12月19日のクリスマス礼拝や
11月21日の感謝祭礼拝よりも沢山の方々が来られたかも。
でも、ちょっと夕方から、「マズイなあ」という感じ。
珍しく喉がちょっと・・・です。
たくさん賛美したからかも知れませんが・・・。
明日は我が家で地区日本語教会の牧師会。
もうひとガンバリかな。
でも、早く寝よう。
さて、昨日と今日の聖書。
昨日からマルコによる福音書。
2日かけて、マルコ1:1−20を読みました。
「神の子イエス・キリストの福音の初め。」1節。
「すると彼らはすぐに網を捨て置いて従った。」18節。
1節を読んで、
「福音って何だ?」と思った。
これからマルコが「これが福音だよ!」というのが
何なんだろうか?心を空っぽにして、先入観を真っ白にして(っていっても限界はあるでしょうが)、読んでみようと思った。
そして、今日、出てきた言葉。
「網を捨て置いて従った」
福音を知るためには、「従う」ことも必要。
そういう事なんだろうと思う。
従うときに見えてくるものがある。
自分の大切にしているものを手放して初めて見えてくるものがある。
これから「福音」がどんなふうに浮き出てくるのか、
今年の「日々のみことば」が楽しみ。
主よ、
どうか、わたしが冒険にでていくことができますように。
あなたの招かれる冒険にでていくことができますように。
そして、そこで見えてくる福音の深さ、
「祝福」の豊かさ、それを教えてください。
昨日は朝7時に会場を出て、
10時半の飛行機。
無事に時間通り飛んでくれたのですが、
時差のせいでとても短い一日でした。
うちに着いて、夕食を家族で食べた後、
バタンキューで、寝てしまいました。
たくさんやるべきことはあったんですが、
「明日できることは明日に回す」主義で、
無事、今朝は5時に元気に起きました。
そして、1年の最初の日曜日。
聖書箇所は創世記の12章1−2節。
「冒険へ招く神」
主は私たちを冒険に招いておられる。
その招きに答える者を、
「祝福の基」として用いられる。
英語では「You will be a blessing」。
この「祝福の基」という言葉も好きだったのですが、
(ちなみにハジの名前はここから来ている)
この英語の表現もまた好きになってしまいました。
あなたの存在が誰かのblessingになる!
EC2010の中でも、今日の礼拝の中でも、
その幸いを経験させていただきました。
たくさんの方々が来られて、
賑やかな一時でした。
日曜日の礼拝としては12月19日のクリスマス礼拝や
11月21日の感謝祭礼拝よりも沢山の方々が来られたかも。
でも、ちょっと夕方から、「マズイなあ」という感じ。
珍しく喉がちょっと・・・です。
たくさん賛美したからかも知れませんが・・・。
明日は我が家で地区日本語教会の牧師会。
もうひとガンバリかな。
でも、早く寝よう。
さて、昨日と今日の聖書。
昨日からマルコによる福音書。
2日かけて、マルコ1:1−20を読みました。
「神の子イエス・キリストの福音の初め。」1節。
「すると彼らはすぐに網を捨て置いて従った。」18節。
1節を読んで、
「福音って何だ?」と思った。
これからマルコが「これが福音だよ!」というのが
何なんだろうか?心を空っぽにして、先入観を真っ白にして(っていっても限界はあるでしょうが)、読んでみようと思った。
そして、今日、出てきた言葉。
「網を捨て置いて従った」
福音を知るためには、「従う」ことも必要。
そういう事なんだろうと思う。
従うときに見えてくるものがある。
自分の大切にしているものを手放して初めて見えてくるものがある。
これから「福音」がどんなふうに浮き出てくるのか、
今年の「日々のみことば」が楽しみ。
主よ、
どうか、わたしが冒険にでていくことができますように。
あなたの招かれる冒険にでていくことができますように。
そして、そこで見えてくる福音の深さ、
「祝福」の豊かさ、それを教えてください。
2011-01-01
明けましておめでとうございます。
今、自分がいるカルフォルニアではあと1時間半ほどでカウントダウンですが、
一応、NJ時間に自分の気持を戻して、
明けまして、おめでとうございます!
2011年もどうぞ、よろしくお願い致します。
「時に主はアブラムに言われた、『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。』」
創世記12章1−2節。
神さまの祝福の中で、神さまの祝福を運ぶ者として用いられますように。
みなさんのお祈りとサポートに感謝します。
この1週間の歩み、本当にみなさんに愛され、祈られていることを感じさせていただきました。
それが一番の神さまからのプレゼントだったと思います。
このサイトが一人の方でも、励ましとなり、神に目が向くきっかけとして用いられることを、2011年も祈りながら。
一応、NJ時間に自分の気持を戻して、
明けまして、おめでとうございます!
2011年もどうぞ、よろしくお願い致します。
「時に主はアブラムに言われた、『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。』」
創世記12章1−2節。
神さまの祝福の中で、神さまの祝福を運ぶ者として用いられますように。
みなさんのお祈りとサポートに感謝します。
この1週間の歩み、本当にみなさんに愛され、祈られていることを感じさせていただきました。
それが一番の神さまからのプレゼントだったと思います。
このサイトが一人の方でも、励ましとなり、神に目が向くきっかけとして用いられることを、2011年も祈りながら。
2010-12-29
畏れの中で。
今日のムリエッタ, CAは雨。
ここに来ても、NJほどではありませんが、
肌寒いです。
こちらの今夜の最低予想が1度Cで、
明日の夜は氷点下に下がる予想が出ています。
昨日は6時25分のフライトのために朝4時に出ました。
「国際便に乗るのかよ!」という感じもしますが、
何があるかわかりません。
とにかく早く出ました。
そしたら・・・やっぱりありましたねえ。
空港の周辺の雪かきが全然終わってない!
NJ TurnpikeからI-78に乗り換えて、Airportに行く道が
しっかり閉鎖されているではありませんか・・・。
もちろん、迂回路の表示も何もありません。
この道大丈夫かなあ、という「閉鎖されてはいないけど、雪かきは終っていない」という道をうろうろしながら、迷いながら、雪かきのトラックに「お前ジャマだ!」と言われているんじゃないか、という恐れを感じながら、何とか1時間後の5時には空港入り。
で、建物の中に入ったら、大大行列。
朝5時でこれかい!ってくらい、めちゃくちゃ混んでいて、
一番すいている列に並んだら、ウンともスンとも動かない。
「やべえ〜」と思っていたら、アナウンスが・・・。
「念の為にアナウンスしますが、外のチェックイン(curbside check-in)は開いています。飛ぶ便のチケットを持っている方は、そちらでチェックインが出来ます。」と言っているではありませんか。「念のためじゃない!ちゃんと言ってくれないとわからない!」と、国内線なんて何年に1回しか乗らない自分は、とにかく「Thank you!」とつぶやきながら、無事チェックインを済ませたことでした。そして、やたら人が少なく、行列にもなっていないセキュリティをゆっくり通って(いつもは靴を脱いだり、ベルトを取ったり、PCを出したり、財布を出したり、ポケットの中を確認したり、すべて後ろの人の「早くしてよ!」オーラを気にしながらやっている)、中に入ってほっとして、パネルを見たら、
こんな感じ。
セキュリティがすいているわけです。
これって、いくつもあるパネルのうちの一つで、Cで始まる空港行きが並んでいるパネルですが、見事にCancelの列が・・・。
その中で、ポツポツと「On Time」の文字。私が乗る飛行機は下から5番目の6:25発のクリーブランド行き。ちなみに離陸の時にパイロットが「私たちの飛行機が今朝最初に飛ぶ飛行機です」と言っていたので、上のパネルの中で6:00発シカゴ行はキャンセルか遅延か、どっちかだったんでしょう。そして、特に目に止まったのは私のあとの便、9時45分発のクリーブランド行きもキャンセルになったこと。rebookの時に「念のためにもう一便遅い飛行機のほうがいいかも。何とか集会前に会場に入れるし・・・」と一瞬思ったのですが、「いやいや、少しでも早い方が・・・」と6時25分の便にしたのでした。
そんな中で無事乗り継ぎも1時間余りの予定が40分となったのですが、まあ、問題なくすんで、LAXに到着したのでした。
会場に着いて聞いたのは、NY周辺から8人が飛行機の便が取れなくて来れなくなったとのこと。
そんな中で、道が開かれたことに畏れを感じながら、昨日の夜のメッセージをさせていただきました。
テーマは「どん底での恵み」
私たちの本当の姿は嵐の中で見えてくる。見せつけられる。すべてが順調なときに、みんな仲良くやっているときに、しっかり立っていられて当然。でも、嵐が来たときに私たちはほんとうの自分の弱さや愚かさ、身勝手さを見せつけられる。でも、その時こそ、神さまの恵みを知るチャンスなんだ、自分のほんとうの姿が見えてきたときにこそ、神さまの愛を知ることができるのだ、ということを、自分自身の証しを交えながら、語らせていただきました。
私の証しはもうここで過去に書いているので、
まだの方はこちら。
証し第7章
証し第8章
証し第9章
証し第10章
昨日、終わった直後、そして今日も、皆さんが声をかけてくださって、
思わされたことを分かち合ってくださいましたが、
一人ひとり、神さまから触れられたところは違っていて、
その事の中にも主の御業を感じました。
みなさんのお祈りに心から感謝します。
今日のことも、朝はアメリカ人で日本の学生のために伝道しておられる方々、やがて日本に宣教師で行こうと思っている方々との交わりの時が与えられて、また午後には大倉信先生の分科会に出席させていただいて、いろいろ考えさせられて、書きたいことはいろいろあるんですが、明日の夜の集会のために準備をしたいので、これくらいにして、また今度。
今日の聖書。
今日はヘブル12:14−29を読みました。
「この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」27−28節。
私たちは動かされないものを持っている。
これは実感の話ではなくて、
神の約束の言葉。
神さまが約束されてるのは、
揺り動かされないものなのだと、
だから、他のものが揺り動かされて、取り除かれても大丈夫。
本当にホンモノが与えられているから。
そんなモノが与えられているんだということに、
単純に感謝しました。
主よ、
あなたが与えてくださったこの時に感謝します。
あなたの与えてくださっているものが、
確かなものであることに心から感謝します。
ここに立って歩むことができますように。
ここに来ても、NJほどではありませんが、
肌寒いです。
こちらの今夜の最低予想が1度Cで、
明日の夜は氷点下に下がる予想が出ています。
昨日は6時25分のフライトのために朝4時に出ました。
「国際便に乗るのかよ!」という感じもしますが、
何があるかわかりません。
とにかく早く出ました。
そしたら・・・やっぱりありましたねえ。
空港の周辺の雪かきが全然終わってない!
NJ TurnpikeからI-78に乗り換えて、Airportに行く道が
しっかり閉鎖されているではありませんか・・・。
もちろん、迂回路の表示も何もありません。
この道大丈夫かなあ、という「閉鎖されてはいないけど、雪かきは終っていない」という道をうろうろしながら、迷いながら、雪かきのトラックに「お前ジャマだ!」と言われているんじゃないか、という恐れを感じながら、何とか1時間後の5時には空港入り。
で、建物の中に入ったら、大大行列。
朝5時でこれかい!ってくらい、めちゃくちゃ混んでいて、
一番すいている列に並んだら、ウンともスンとも動かない。
「やべえ〜」と思っていたら、アナウンスが・・・。
「念の為にアナウンスしますが、外のチェックイン(curbside check-in)は開いています。飛ぶ便のチケットを持っている方は、そちらでチェックインが出来ます。」と言っているではありませんか。「念のためじゃない!ちゃんと言ってくれないとわからない!」と、国内線なんて何年に1回しか乗らない自分は、とにかく「Thank you!」とつぶやきながら、無事チェックインを済ませたことでした。そして、やたら人が少なく、行列にもなっていないセキュリティをゆっくり通って(いつもは靴を脱いだり、ベルトを取ったり、PCを出したり、財布を出したり、ポケットの中を確認したり、すべて後ろの人の「早くしてよ!」オーラを気にしながらやっている)、中に入ってほっとして、パネルを見たら、
こんな感じ。
セキュリティがすいているわけです。
これって、いくつもあるパネルのうちの一つで、Cで始まる空港行きが並んでいるパネルですが、見事にCancelの列が・・・。
その中で、ポツポツと「On Time」の文字。私が乗る飛行機は下から5番目の6:25発のクリーブランド行き。ちなみに離陸の時にパイロットが「私たちの飛行機が今朝最初に飛ぶ飛行機です」と言っていたので、上のパネルの中で6:00発シカゴ行はキャンセルか遅延か、どっちかだったんでしょう。そして、特に目に止まったのは私のあとの便、9時45分発のクリーブランド行きもキャンセルになったこと。rebookの時に「念のためにもう一便遅い飛行機のほうがいいかも。何とか集会前に会場に入れるし・・・」と一瞬思ったのですが、「いやいや、少しでも早い方が・・・」と6時25分の便にしたのでした。
そんな中で無事乗り継ぎも1時間余りの予定が40分となったのですが、まあ、問題なくすんで、LAXに到着したのでした。
会場に着いて聞いたのは、NY周辺から8人が飛行機の便が取れなくて来れなくなったとのこと。
そんな中で、道が開かれたことに畏れを感じながら、昨日の夜のメッセージをさせていただきました。
テーマは「どん底での恵み」
私たちの本当の姿は嵐の中で見えてくる。見せつけられる。すべてが順調なときに、みんな仲良くやっているときに、しっかり立っていられて当然。でも、嵐が来たときに私たちはほんとうの自分の弱さや愚かさ、身勝手さを見せつけられる。でも、その時こそ、神さまの恵みを知るチャンスなんだ、自分のほんとうの姿が見えてきたときにこそ、神さまの愛を知ることができるのだ、ということを、自分自身の証しを交えながら、語らせていただきました。
私の証しはもうここで過去に書いているので、
まだの方はこちら。
証し第7章
証し第8章
証し第9章
証し第10章
昨日、終わった直後、そして今日も、皆さんが声をかけてくださって、
思わされたことを分かち合ってくださいましたが、
一人ひとり、神さまから触れられたところは違っていて、
その事の中にも主の御業を感じました。
みなさんのお祈りに心から感謝します。
今日のことも、朝はアメリカ人で日本の学生のために伝道しておられる方々、やがて日本に宣教師で行こうと思っている方々との交わりの時が与えられて、また午後には大倉信先生の分科会に出席させていただいて、いろいろ考えさせられて、書きたいことはいろいろあるんですが、明日の夜の集会のために準備をしたいので、これくらいにして、また今度。
今日の聖書。
今日はヘブル12:14−29を読みました。
「この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」27−28節。
私たちは動かされないものを持っている。
これは実感の話ではなくて、
神の約束の言葉。
神さまが約束されてるのは、
揺り動かされないものなのだと、
だから、他のものが揺り動かされて、取り除かれても大丈夫。
本当にホンモノが与えられているから。
そんなモノが与えられているんだということに、
単純に感謝しました。
主よ、
あなたが与えてくださったこの時に感謝します。
あなたの与えてくださっているものが、
確かなものであることに心から感謝します。
ここに立って歩むことができますように。
思いっきり感謝。
みなさんのお祈りに感謝します。
今日、無事にEquipper Conferenceの会場に着きました。
3時頃に着いて、集会は7時から。
少しゆっくりする時間も与えられて、
夕食もガッツリ食べて、
心から賛美をして
大胆にメッセージを語らせていただきました。
主がお一人ひとりの心に触れてくださったことに感謝。
色々感謝したいんですが、
もう、ちょっとへろへろなので、
今夜はこのへんで。
今日、無事にEquipper Conferenceの会場に着きました。
3時頃に着いて、集会は7時から。
少しゆっくりする時間も与えられて、
夕食もガッツリ食べて、
心から賛美をして
大胆にメッセージを語らせていただきました。
主がお一人ひとりの心に触れてくださったことに感謝。
色々感謝したいんですが、
もう、ちょっとへろへろなので、
今夜はこのへんで。
2010-12-27
雪かき完了。
はい、昨夜の「想定外」の結果はこんな感じ。
車のタイヤを見ると大したことはないかなと思いましたが、
実際、タイヤの周りはちょっと雪が少なくて、
他のところのほうが深かったです。
ですから、やっぱり45−50センチくらいだったかなと思います。
さて、下の写真はなんでしょう?
車です。
車種は?
コレでわかったらスゴイ。
正解はHonda Civicです。
上の写真の右のほうの車を前から見たところです。
December 2010 Blizzard Timelapse from Michael Black on Vimeo.
車のタイヤを見ると大したことはないかなと思いましたが、
実際、タイヤの周りはちょっと雪が少なくて、
他のところのほうが深かったです。
ですから、やっぱり45−50センチくらいだったかなと思います。
さて、下の写真はなんでしょう?
車です。
車種は?
コレでわかったらスゴイ。
正解はHonda Civicです。
上の写真の右のほうの車を前から見たところです。
はい、コレはお約束の "snow angel" を作っている下の娘です。
それなりに雪かきを助けてくれました。
マジ疲れました。
ちなみにこのビデオは、NJのもうちょっと南の方に住んでる方が、
5分おきにシャッターを切ったこまどり撮影。
こんな感じでどんどん降ってました。
マジ疲れました。
ちなみにこのビデオは、NJのもうちょっと南の方に住んでる方が、
5分おきにシャッターを切ったこまどり撮影。
こんな感じでどんどん降ってました。
December 2010 Blizzard Timelapse from Michael Black on Vimeo.
さて、私のEC会場入りは、明日の午後の予定です。
ニューアークを朝早く出る予定です。
そして、ハジは残念ながら、今日もキャンセル。
もうちょっと早く空港が開くと思っていたのですが、
午後1時の便でもアウトでした。
(というか、今ちょっと車を出して回ってきたのですが、ラジオでは午後5時にやっとLGAだけ開いたと言っていました。)
変更のために策を尽くしましたし、
航空会社の日本語サービスの方もいろいろな可能性を探ってくださったのですが、
結局今回は断念でした。
一度はエアチケットの高さに諦めながら、
でも、なんとか予算内のチケットを見つけて、
どんなに楽しみにしていたか、見てきたし、
アトランタで一生懸命ファンドレイズをしていたことを知っていたので、
今回も何とか道が開かれるようにと願っていたのですが、
一つ一つ自分で交渉して、自分で決断してきたこと、
残念ですが、これも、主が祝福としてくださるようにと祈ります。
親バカとしては、自分の席を譲れるなら、譲ってやりたいところですが、
(もうすぐヤツも二十歳になるんですが、何だか・・・ですね)
さすがに講師としてお招きいただいているのに、
「代わりに息子に行かせます」ってわけにもいかず。
自分に神さまから任された働きを果たして来ようと思います。
さて、今日の聖書。
今日はヘブル11:27−40でした。
「この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。」39節。
自分は最近「この世の天国」を強調しすぎてきたのかもしれない。
つまり、「あの世」を待ち望むのではなくて、
この世で神様と共に歩む歩みは天国なんだ、
闘いはあり、悩みはあるけれど、
神様が共におられるから、喜びを持って歩んでいくことができるのだ、
それを強調してきました。
でも、ここでは、「約束されたものは得なかった」、つまり、この世では本当に約束されたものを完全に得ることができるわけではないのだ、ということがはっきりと言われているのです。
そこに希望を持っていく事の意味も考えさせられました。
どれほど豊かなものを準備しておられるのか、
楽しみにしながら、歩んでいきたいと思います。
神さま、
あなたがわたしのためにこの世だけではなくて、
もっとスゴイ天国を準備してくださっていることに心から感謝します。
希望を持って歩んでいくことができますように。
明日の飛行機が守られますように。
まもなく始まるEC2010に豊かな御業をなしてください。
ニューアークを朝早く出る予定です。
そして、ハジは残念ながら、今日もキャンセル。
もうちょっと早く空港が開くと思っていたのですが、
午後1時の便でもアウトでした。
(というか、今ちょっと車を出して回ってきたのですが、ラジオでは午後5時にやっとLGAだけ開いたと言っていました。)
変更のために策を尽くしましたし、
航空会社の日本語サービスの方もいろいろな可能性を探ってくださったのですが、
結局今回は断念でした。
一度はエアチケットの高さに諦めながら、
でも、なんとか予算内のチケットを見つけて、
どんなに楽しみにしていたか、見てきたし、
アトランタで一生懸命ファンドレイズをしていたことを知っていたので、
今回も何とか道が開かれるようにと願っていたのですが、
一つ一つ自分で交渉して、自分で決断してきたこと、
残念ですが、これも、主が祝福としてくださるようにと祈ります。
親バカとしては、自分の席を譲れるなら、譲ってやりたいところですが、
(もうすぐヤツも二十歳になるんですが、何だか・・・ですね)
さすがに講師としてお招きいただいているのに、
「代わりに息子に行かせます」ってわけにもいかず。
自分に神さまから任された働きを果たして来ようと思います。
さて、今日の聖書。
今日はヘブル11:27−40でした。
「この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。」39節。
自分は最近「この世の天国」を強調しすぎてきたのかもしれない。
つまり、「あの世」を待ち望むのではなくて、
この世で神様と共に歩む歩みは天国なんだ、
闘いはあり、悩みはあるけれど、
神様が共におられるから、喜びを持って歩んでいくことができるのだ、
それを強調してきました。
でも、ここでは、「約束されたものは得なかった」、つまり、この世では本当に約束されたものを完全に得ることができるわけではないのだ、ということがはっきりと言われているのです。
そこに希望を持っていく事の意味も考えさせられました。
どれほど豊かなものを準備しておられるのか、
楽しみにしながら、歩んでいきたいと思います。
神さま、
あなたがわたしのためにこの世だけではなくて、
もっとスゴイ天国を準備してくださっていることに心から感謝します。
希望を持って歩んでいくことができますように。
明日の飛行機が守られますように。
まもなく始まるEC2010に豊かな御業をなしてください。
2010-12-26
聖書による支え。
やあ、来てしまいましたねえ。
Blizzard Warningです。
今、夕方の5時半ですが、激しく降っています。
帰宅して2時間ほどですが、
この2時間で5センチくらい行っているのでしょうか?
こんな感じ。
明日の朝まで吹雪になって、
40センチから60センチだそうです。
ほんと?という感じもしますが、
この降り方が朝まで続いたら行っちゃいますね。
ご勘弁いただきたいです。
そう、本来、自分は今ごろ空港でCA行の飛行にの搭乗時刻を待っていたはず。
でも、飛行機はもちろんキャンセル。
火曜日の朝の乗り継ぎ便でCAに向かいます。
ハジは、今日の午後の飛行機がキャンセルになりましたが、
何とかして、明日、ECが始まるまでに会場に入りたくて、
今朝4時半に家を出て、空港で早い便への変更への直接交渉。
しかし、あえなく、明日の昼過ぎの便に。
昨日の夜から、今日の朝にかけては、本当にそれに振り回され、
あっちこっちに電話をかけたり、走りまわったり・・・。
さすがに疲れました。
昨日の朝、書いたとおり、今年のクリスマスは、
「想定外」がキーワード。
・・・まさに・・・という感じです。
でも、イブに語らせていただいていただけあって、
こんなことの中でも、神さまのメッセージを聞こうという思いが湧いてきます。
自分にとって想定外、予定外のことも、
神さまが許されたこと。
神さまのメッセージを運ぶために用いられるのだと信じます。
個人的には前の日に会場に入って、
最初から参加して、どんな集会なのか、雰囲気を知っておいて、
火曜日の夜の自分のメッセージの奉仕に備えようと思っていたのですが、
それがままならない中で、それなりにプレッシャーです。
でも、だからこそ、祈らされる。霊的な備えをしっかりしようと思わされる。
またそれまでの雰囲気に振り回されない、主のメッセージを語るようにとも導かれているように感じます。
とにかく、このことが、主によって最善にされる確信があるから、感謝です。
でも、1年以上前から準備を進めてこられた皆さんは、東海岸の多くの参加者の予定変更の続出で、今本当に大変な中におられると思います。主がその思いを守ってくださいますように。
そして、今日は礼拝は各自家庭で・・・。
私はハジと一緒に教会に行って、留守番をしておりました。
礼拝の時間、そこに来られた方々とお祈りをして、
皆さんをお送りした後、ハジと二人で賛美集会でした。
ハジがキーボードを弾いてくれて、リードしてくれて、
祈りを共にしました。
今日の在宅礼拝の聖書の箇所はマタイ6:33。
「神の国と神の義とをまず求めなさい。そうすれば、これらのものはみな、添えて与えられるであろう。」
この1年、教会で掲げて歩んできた言葉です。
「神の国と神の義」私たちが求めるのはそれだけ。
神の愛の支配と十字架に表された神の救い。
それがあれば十分です。
ほかのものは、神さまの愛の支配の中で生きるときに、
みんな添えて与えられる「おまけ」です。
だから、ハジの存在もホントは「おまけ」(ゴメン!「宝」でもあるんだけどな・・・)。
声の質似てるなあと思いながら、おまけくんと賛美をしながら、
おまけくんとこのように同じ思いで神さまを賛美できる、
神さまからのおまけに感謝しました。
でも、時々、自分たちはホンモノよりもおまけのほうを大切にしやすい。
神さまよりも神さまが与えてくださる「もの」の方を大切にしやすい。
神さまの愛よりも、気の利いたプログラムやイベントの方に注目しやすい。
神さまに愛されている喜びにあふれて、
歩ませていただきたいと思いました。
でもやっぱり、「おまけ」もうれしい。(笑)
でも、最終的におまけを求めるんじゃないですよね。
そこらへんがむずかしい・・・。
さて、今夜はコレくらいで、与えられたクリスマス明けの時間を家族と過ごします。
Blizzard Warningです。
今、夕方の5時半ですが、激しく降っています。
帰宅して2時間ほどですが、
この2時間で5センチくらい行っているのでしょうか?
こんな感じ。
明日の朝まで吹雪になって、
40センチから60センチだそうです。
ほんと?という感じもしますが、
この降り方が朝まで続いたら行っちゃいますね。
ご勘弁いただきたいです。
そう、本来、自分は今ごろ空港でCA行の飛行にの搭乗時刻を待っていたはず。
でも、飛行機はもちろんキャンセル。
火曜日の朝の乗り継ぎ便でCAに向かいます。
ハジは、今日の午後の飛行機がキャンセルになりましたが、
何とかして、明日、ECが始まるまでに会場に入りたくて、
今朝4時半に家を出て、空港で早い便への変更への直接交渉。
しかし、あえなく、明日の昼過ぎの便に。
昨日の夜から、今日の朝にかけては、本当にそれに振り回され、
あっちこっちに電話をかけたり、走りまわったり・・・。
さすがに疲れました。
昨日の朝、書いたとおり、今年のクリスマスは、
「想定外」がキーワード。
・・・まさに・・・という感じです。
でも、イブに語らせていただいていただけあって、
こんなことの中でも、神さまのメッセージを聞こうという思いが湧いてきます。
自分にとって想定外、予定外のことも、
神さまが許されたこと。
神さまのメッセージを運ぶために用いられるのだと信じます。
個人的には前の日に会場に入って、
最初から参加して、どんな集会なのか、雰囲気を知っておいて、
火曜日の夜の自分のメッセージの奉仕に備えようと思っていたのですが、
それがままならない中で、それなりにプレッシャーです。
でも、だからこそ、祈らされる。霊的な備えをしっかりしようと思わされる。
またそれまでの雰囲気に振り回されない、主のメッセージを語るようにとも導かれているように感じます。
とにかく、このことが、主によって最善にされる確信があるから、感謝です。
でも、1年以上前から準備を進めてこられた皆さんは、東海岸の多くの参加者の予定変更の続出で、今本当に大変な中におられると思います。主がその思いを守ってくださいますように。
そして、今日は礼拝は各自家庭で・・・。
私はハジと一緒に教会に行って、留守番をしておりました。
礼拝の時間、そこに来られた方々とお祈りをして、
皆さんをお送りした後、ハジと二人で賛美集会でした。
ハジがキーボードを弾いてくれて、リードしてくれて、
祈りを共にしました。
今日の在宅礼拝の聖書の箇所はマタイ6:33。
「神の国と神の義とをまず求めなさい。そうすれば、これらのものはみな、添えて与えられるであろう。」
この1年、教会で掲げて歩んできた言葉です。
「神の国と神の義」私たちが求めるのはそれだけ。
神の愛の支配と十字架に表された神の救い。
それがあれば十分です。
ほかのものは、神さまの愛の支配の中で生きるときに、
みんな添えて与えられる「おまけ」です。
だから、ハジの存在もホントは「おまけ」(ゴメン!「宝」でもあるんだけどな・・・)。
声の質似てるなあと思いながら、おまけくんと賛美をしながら、
おまけくんとこのように同じ思いで神さまを賛美できる、
神さまからのおまけに感謝しました。
でも、時々、自分たちはホンモノよりもおまけのほうを大切にしやすい。
神さまよりも神さまが与えてくださる「もの」の方を大切にしやすい。
神さまの愛よりも、気の利いたプログラムやイベントの方に注目しやすい。
神さまに愛されている喜びにあふれて、
歩ませていただきたいと思いました。
でもやっぱり、「おまけ」もうれしい。(笑)
でも、最終的におまけを求めるんじゃないですよね。
そこらへんがむずかしい・・・。
さて、今夜はコレくらいで、与えられたクリスマス明けの時間を家族と過ごします。
2010-12-25
想定外のクリスマス。
メリークリスマス!
キリストの降誕を心から祝い、感謝します。
多くの方々から、お便りやカードをいただいていますが、
今年は諸事情で、私達のクリスマスレターは、年明けかな、という感じです。
失礼します。
ここで、ひとこと、ごあいさつ。
みなさんの祈りに支えられて、このようにクリスマスを迎えられることを、
心から感謝します。
これからも、どうかお祈りください。
そして、共に歩んでまいりましょう。
昨日の夜は子どもを入れて100人くらいの方々が来られて、
共にクリスマスを祝いました。
イブのために与えれたメッセージは、
「想定外のクリスマス」
昨日も想定外のことに振り回されながら、
自分がいかに「想定外」のことに弱い人間かということを思わされていました。
だいたい、与えられた時間と、「しなければならないこと」のバランスが悪すぎ。
というか、準備を着々を進めているタイプならいいんでしょうが、
(でも、その場その場で結構追われているような気もする・・・)
すべてがいっぺんに襲ってくる。
それで何とか、予定を決めて、こなしていくのですが、
時々、そこに「想定外」のことが起こる。
そうすると、「あああああ」とパニックになってしまうんですね。
いえ、だいたい「しなくてはならないこと」なんて何もなくて、
(イエスさま的には「ただひとつだけ」御言葉に聞くこと)
すべては、「自分で選んで自分に課している」んでしょうが、
昨日のポイントはそこにあるんじゃなくて、
そんな想定外のことにイライラしたり、怒ったり、
「どうして?」と神に求めたり。
クリスマスの時にも、
行き違いがあったり、渋滞にはまったり、事故にあったり、
人生の中でも、
病気や失業、夢見てきたことが失望に終わるようなこと。
「こんなはずじゃなかった」
「神さまを信じているのに」
「神様がいるなら・・・」
「どうしてこんなことが?」
でも、考えてみたら、クリスマスはまさにそんな想定外のことのど真ん中に起こった。
マリヤとヨセフの人生設計の中に、
処女懐胎やそれを受け入れる夫、ということは、
なかっただろうし。
「全世界の人口調査をせよ」との勅令もなかっただろうし。
ベツレヘムの村に行ったら、居場所がなくて、
赤ん坊を飼い葉桶の中に入れて寝かせるなんてことも、
たぶん、計画の中にはなかったんじゃないか。
「行けばなんとかなるだろう」って、
そんな感じだったのか・・・。
でも、「客間には彼らのいる余地がなかった」
でも、そんな想定外のことの中に、
神のメッセージが語られた。
「飼い葉桶の中に寝かされている赤ん坊こそ、救い主」これが、私達への「しるし」だ。
この救い主は、上から見下ろして、
「人間はおろかだなあ、お前たちをすくってやろう」と
自分は天の上にいて、下の愚かな人間を、
蜘蛛の糸で釣り上げるような方ではない。
溺れている私達のところに飛び込んできて、
私達の痛みや悲しみを知って、そこから救う方だ。
自分を与えて、
私達に命を与えるかただ。
そういう救い主だ。
そのメッセージは、「想定外」の事の中に、
語られた。
想定外のことを受け入れることは、
神の主権を認めること。
神の導きを信頼すること。
そこにも、神のメッセージが込められていることを、
信じること。
そう信じたら、
昨日起こった一つ一つのことも、
今週起こった一つ一つのことも、
平安の中に受け入れることができる。
感謝。
さて、明日は今年の最後の日曜日、
一年を振り返って、感謝の礼拝を捧げましょう。
そして、礼拝後、夕6時半ニューアーク発の飛行機で、
Equipper Conferenceに向かいます。
持ち物の準備、なんにもしてない。
6日間だから、洋服足りるかな?
最近、3−4枚を着回しているような気がする。
水着があると温泉に入れると、経験者から聞いた。
昨日の夜の段階で、327人の参加者がいるそうだ。
持ち物リスト、どこにあるんだろ?
講師はネクタイしなくていいのかな?
寒いのかな?Tシャツかな?とか、なんにも調べてない。
Wifiはつなげる、という確認はしたけど。
あ、それで、青字はお天気ネタ。
なんでコレが青字かというと、
週末のstormがちょっと心配になってきたこと。
日曜日の午後から降りだして、
15−20センチ積もる、という予報も出てきています。
でも、私達にとって「想定外」のことも、
神さまの御手の中にあって、
神さまのメッセージが込められている。
そう思うと、平安です。
この平安が守られるようにお祈りください。
さて、今日の朝の聖書。
今日はヘブル人への手紙の11章1−12節。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」1節。
ここに出てくる、天地創造から、アブラハムまでの信仰の系譜、
じっくり読んでみると、
そこに出てくるのは、
神の御言葉への信頼、
そして、そこに従うこと、
そして、そのように行動すること、
そんなことを見て取れます。
そのように歩みたいと思わされました。
信じたら、そのように歩む。
そこに与えられる祝福もあるんだと思います。
新しい年に・・・なんて言わないで、
今日、今ここでの歩みから、
神を信頼して、
御言葉の真実を信じて、
そこに大胆に歩んでいこうと思います。
主よ、
私の信仰の歩みの守ってください。
想定外のことが、
多分、これから、私の人生の中に起こってくるから、
このようなメッセージを与えてくださったのだと思います。
どうか、そんな中でも、あなたを信頼して歩めますように。
平安の中で守られますように。
そして、あなたの御言葉の真実を、
信頼して、歩ませてください。
ひとり子イエスを与えてくださった、
その恵みに感謝します。
キリストの降誕を心から祝い、感謝します。
多くの方々から、お便りやカードをいただいていますが、
今年は諸事情で、私達のクリスマスレターは、年明けかな、という感じです。
失礼します。
ここで、ひとこと、ごあいさつ。
みなさんの祈りに支えられて、このようにクリスマスを迎えられることを、
心から感謝します。
これからも、どうかお祈りください。
そして、共に歩んでまいりましょう。
昨日の夜は子どもを入れて100人くらいの方々が来られて、
共にクリスマスを祝いました。
イブのために与えれたメッセージは、
「想定外のクリスマス」
昨日も想定外のことに振り回されながら、
自分がいかに「想定外」のことに弱い人間かということを思わされていました。
だいたい、与えられた時間と、「しなければならないこと」のバランスが悪すぎ。
というか、準備を着々を進めているタイプならいいんでしょうが、
(でも、その場その場で結構追われているような気もする・・・)
すべてがいっぺんに襲ってくる。
それで何とか、予定を決めて、こなしていくのですが、
時々、そこに「想定外」のことが起こる。
そうすると、「あああああ」とパニックになってしまうんですね。
いえ、だいたい「しなくてはならないこと」なんて何もなくて、
(イエスさま的には「ただひとつだけ」御言葉に聞くこと)
すべては、「自分で選んで自分に課している」んでしょうが、
昨日のポイントはそこにあるんじゃなくて、
そんな想定外のことにイライラしたり、怒ったり、
「どうして?」と神に求めたり。
クリスマスの時にも、
行き違いがあったり、渋滞にはまったり、事故にあったり、
人生の中でも、
病気や失業、夢見てきたことが失望に終わるようなこと。
「こんなはずじゃなかった」
「神さまを信じているのに」
「神様がいるなら・・・」
「どうしてこんなことが?」
でも、考えてみたら、クリスマスはまさにそんな想定外のことのど真ん中に起こった。
マリヤとヨセフの人生設計の中に、
処女懐胎やそれを受け入れる夫、ということは、
なかっただろうし。
「全世界の人口調査をせよ」との勅令もなかっただろうし。
ベツレヘムの村に行ったら、居場所がなくて、
赤ん坊を飼い葉桶の中に入れて寝かせるなんてことも、
たぶん、計画の中にはなかったんじゃないか。
「行けばなんとかなるだろう」って、
そんな感じだったのか・・・。
でも、「客間には彼らのいる余地がなかった」
でも、そんな想定外のことの中に、
神のメッセージが語られた。
「飼い葉桶の中に寝かされている赤ん坊こそ、救い主」これが、私達への「しるし」だ。
この救い主は、上から見下ろして、
「人間はおろかだなあ、お前たちをすくってやろう」と
自分は天の上にいて、下の愚かな人間を、
蜘蛛の糸で釣り上げるような方ではない。
溺れている私達のところに飛び込んできて、
私達の痛みや悲しみを知って、そこから救う方だ。
自分を与えて、
私達に命を与えるかただ。
そういう救い主だ。
そのメッセージは、「想定外」の事の中に、
語られた。
想定外のことを受け入れることは、
神の主権を認めること。
神の導きを信頼すること。
そこにも、神のメッセージが込められていることを、
信じること。
そう信じたら、
昨日起こった一つ一つのことも、
今週起こった一つ一つのことも、
平安の中に受け入れることができる。
感謝。
さて、明日は今年の最後の日曜日、
一年を振り返って、感謝の礼拝を捧げましょう。
そして、礼拝後、夕6時半ニューアーク発の飛行機で、
Equipper Conferenceに向かいます。
持ち物の準備、なんにもしてない。
6日間だから、洋服足りるかな?
最近、3−4枚を着回しているような気がする。
水着があると温泉に入れると、経験者から聞いた。
昨日の夜の段階で、327人の参加者がいるそうだ。
持ち物リスト、どこにあるんだろ?
講師はネクタイしなくていいのかな?
寒いのかな?Tシャツかな?とか、なんにも調べてない。
Wifiはつなげる、という確認はしたけど。
あ、それで、青字はお天気ネタ。
なんでコレが青字かというと、
週末のstormがちょっと心配になってきたこと。
日曜日の午後から降りだして、
15−20センチ積もる、という予報も出てきています。
でも、私達にとって「想定外」のことも、
神さまの御手の中にあって、
神さまのメッセージが込められている。
そう思うと、平安です。
この平安が守られるようにお祈りください。
さて、今日の朝の聖書。
今日はヘブル人への手紙の11章1−12節。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」1節。
ここに出てくる、天地創造から、アブラハムまでの信仰の系譜、
じっくり読んでみると、
そこに出てくるのは、
神の御言葉への信頼、
そして、そこに従うこと、
そして、そのように行動すること、
そんなことを見て取れます。
そのように歩みたいと思わされました。
信じたら、そのように歩む。
そこに与えられる祝福もあるんだと思います。
新しい年に・・・なんて言わないで、
今日、今ここでの歩みから、
神を信頼して、
御言葉の真実を信じて、
そこに大胆に歩んでいこうと思います。
主よ、
私の信仰の歩みの守ってください。
想定外のことが、
多分、これから、私の人生の中に起こってくるから、
このようなメッセージを与えてくださったのだと思います。
どうか、そんな中でも、あなたを信頼して歩めますように。
平安の中で守られますように。
そして、あなたの御言葉の真実を、
信頼して、歩ませてください。
ひとり子イエスを与えてくださった、
その恵みに感謝します。
2010-12-22
与えられたものの中で。
NYCに来て、ミッドタウンのMCを仮オフィスに仕事中。
相変わらず毎日「平凡に」寒い日が続いています。
-10度に下がることもなく、+5度に上がることもなく・・・って感じ。
でも、この週末のstormの予報が騒がしくなってきました。
ある人は「superstorm」という使っている人もいました。
Superstormと言えば、1993年3月ですね。
アトランタに住んでいて、休暇中、フロリダに行っていて、
帰れなかったという経験をしました。
でも、「Superstorm」で自分のブログ内検索をかけると、
2009年2月にも「superstorm並か?」という予報が出ているんですね。
まあ、天気予報で食べておられる皆さんにとっては、
やはりどれだけ注目されるか、も大切でしょうから、
ちょっとでも、可能性があると、どうしても「superstorm並か?」と、
やってしまうんでしょうね。
今のところ、NY周辺では、日曜日から月曜日に雪になる可能性があります。
礼拝もあるし、またそのあとCAに飛ぶので、
個人的には大したことなく終わって欲しいところです。
そういえば、今、ヨーロッパでは大変なことになっていて、
今年の1月に洗礼を受けた、ロンドンに住んでいる方が、
家族のところに来るために土曜日に来ようと思っておられたのですが、
キャンセル続きで、明日(木曜日)来れるか?というところだそうです。
24日のキャンドルサービスに来れるように、
明日は無事飛行機が飛びますように。
いろんなコトがあったのですが、
まず、月曜日のおじさんは来ませんでした。
そして、Operation Santaの買い物は先週終えて、
今日、郵便局に祈りつつ出してきました。
この小包が一人の少女の喜びとなりますようにと。
でも、2週間前に書いたことの他にも、
いろいろ考えさせられました。
そして、今本当に思わされているのは、
もっと心に触れる働きをさせていただきたいという思い。
そして、先週末から、自分の失敗なんですが、
Macのトラブルで、んー、という感じ。
1年前に15年ぶりくらいのMac復帰だったので、
Fusion上にWinを走らせて、
いくつかのWinのソフトを使っているのですが、
そのWin上でUSBを認識しなくなってしまったんですね。
困るのはプリンタ。
Win上のPublisherを使っている文書とかを、
プリントしようとしても、Mac経由にすると1枚5分くらいかかる・・・。
と書いたところで、あ、PDFに変換してMacからプリントすればいい、と思いつきました。
そうだ!そうしよう。
Win上のUSBを復活させるのは結構手間がかかりそうなので、
来年になってからゆっくりと・・・。
ああ、晴れ晴れ。
でも、そんなことをしながら、
思わされたことは、
自分に与えられた時間は限られているということ。
そのなかで、それをどう使うかが大切。
でも、そう考えると、
例えばお金だったら「神さまは必要なものは与えてくださるから」と私たちは言いますが、お金も、体力も、能力も、記憶力も、理解力も、
「必要なら神さまが与えてくださる」という視点だけではなくて、
「神さまが与えてくださるものをどのような優先順位で使っていくか」という視点が、どれだけ大切かと思います。
健康もそう。
私たちは病気になったら、「癒されるように」と祈ります。
やはり、そのように祈るべきだと思います。
でも、私たちへの神さまの祝福は必ずしも健康の中にあるとは限りません。
1年、健康が守られたことを感謝しながら、
そんなことも思わされています。
つまり、与えられている健康の中で、
何をなすべきなのか?ということ。
責任というか。
さて、仕事に復帰です。
相変わらず毎日「平凡に」寒い日が続いています。
-10度に下がることもなく、+5度に上がることもなく・・・って感じ。
でも、この週末のstormの予報が騒がしくなってきました。
ある人は「superstorm」という使っている人もいました。
Superstormと言えば、1993年3月ですね。
アトランタに住んでいて、休暇中、フロリダに行っていて、
帰れなかったという経験をしました。
でも、「Superstorm」で自分のブログ内検索をかけると、
2009年2月にも「superstorm並か?」という予報が出ているんですね。
まあ、天気予報で食べておられる皆さんにとっては、
やはりどれだけ注目されるか、も大切でしょうから、
ちょっとでも、可能性があると、どうしても「superstorm並か?」と、
やってしまうんでしょうね。
今のところ、NY周辺では、日曜日から月曜日に雪になる可能性があります。
礼拝もあるし、またそのあとCAに飛ぶので、
個人的には大したことなく終わって欲しいところです。
そういえば、今、ヨーロッパでは大変なことになっていて、
今年の1月に洗礼を受けた、ロンドンに住んでいる方が、
家族のところに来るために土曜日に来ようと思っておられたのですが、
キャンセル続きで、明日(木曜日)来れるか?というところだそうです。
24日のキャンドルサービスに来れるように、
明日は無事飛行機が飛びますように。
いろんなコトがあったのですが、
まず、月曜日のおじさんは来ませんでした。
そして、Operation Santaの買い物は先週終えて、
今日、郵便局に祈りつつ出してきました。
この小包が一人の少女の喜びとなりますようにと。
でも、2週間前に書いたことの他にも、
いろいろ考えさせられました。
そして、今本当に思わされているのは、
もっと心に触れる働きをさせていただきたいという思い。
そして、先週末から、自分の失敗なんですが、
Macのトラブルで、んー、という感じ。
1年前に15年ぶりくらいのMac復帰だったので、
Fusion上にWinを走らせて、
いくつかのWinのソフトを使っているのですが、
そのWin上でUSBを認識しなくなってしまったんですね。
困るのはプリンタ。
Win上のPublisherを使っている文書とかを、
プリントしようとしても、Mac経由にすると1枚5分くらいかかる・・・。
と書いたところで、あ、PDFに変換してMacからプリントすればいい、と思いつきました。
そうだ!そうしよう。
Win上のUSBを復活させるのは結構手間がかかりそうなので、
来年になってからゆっくりと・・・。
ああ、晴れ晴れ。
でも、そんなことをしながら、
思わされたことは、
自分に与えられた時間は限られているということ。
そのなかで、それをどう使うかが大切。
でも、そう考えると、
例えばお金だったら「神さまは必要なものは与えてくださるから」と私たちは言いますが、お金も、体力も、能力も、記憶力も、理解力も、
「必要なら神さまが与えてくださる」という視点だけではなくて、
「神さまが与えてくださるものをどのような優先順位で使っていくか」という視点が、どれだけ大切かと思います。
健康もそう。
私たちは病気になったら、「癒されるように」と祈ります。
やはり、そのように祈るべきだと思います。
でも、私たちへの神さまの祝福は必ずしも健康の中にあるとは限りません。
1年、健康が守られたことを感謝しながら、
そんなことも思わされています。
つまり、与えられている健康の中で、
何をなすべきなのか?ということ。
責任というか。
さて、仕事に復帰です。
2010-12-20
与えられた時間の中で。
モバイル版も始めました。
モバイルで、いつものPC版を見たい方は、
一番下のほうの「View Web Version」からどうぞ。
やはり週末のStormの予報は2日前くらいになくなり、
実際、ほんとに大丈夫でした。
毎日平凡に寒いです・・・。
今度は次の土曜日、クリスマスデーあたりに雪の可能性が出ていますが、
ま、こちらも大丈夫でしょう。
あと、明日は冬至ですね。
そして、偶然だそうですが、
明日の未明には皆既月食があります。
東部時間で1時半ごろから始まって5時ごろに終わる。
その中の1時間半くらいが皆既食だそうです。
って、つまり自分がいつも爆睡している時間帯ですね。
お天気的には平凡な「晴れて寒い夜」でしょうから、
よく見えると思います。
夜中に目が覚めたら、西の空に注目です。
「皆既だったら何にも見えないじゃないの・・・」なんて
ツッコミは入れないでくださいね。
日食みたいに派手じゃないですが、
赤銅色に鈍く輝く月が見えると思います。
昨日は洗礼式がありました。
来週くらいにはお証しを教会HPで読めるようにしていただけると思いますが、
本当に神様が圧倒するように働いてくださったなあ、という方です。
2年前に初めて来られたときは、
サンクスギビングの愛餐会の終わりの方。
そして、そのあと、クリスマスイブに来られ、
礼拝にも時々来られ、
お子さんをJOYJOYキャンプに送られて、
それでお子さんたちが喜んで教会に集うようになられ、
そして、今年の東海岸の日系教会の合同ファミリーキャンプで、
本当に主に触れられました。
今回、いろんなことを考えさせられています。
祈りの大切さ、
自分はいつも「礼拝からおいでください」とお誘いするけど、
愛餐会の最後の方にちょっと来られるだけでも、
神様の恵みに少し触れることができる、
そこから始まる、ということとか。
感謝。
昨日のJOYJOYクリスマス、天気が大丈夫だったのですが、
期待していたほどたくさんの子供たちが来れなくて、
ちょっと残念でしたが、でも、楽しいひと時でした。
中高生たちの人形劇も、ほんと、よかったです。
写真は教会のHP(www.jccofn.org)から。
さて、今日は、さっき読んだ今日の聖書から。
ヘブル9:11-22
「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょうか。」14節。
イエスがその生涯をかけて、私たちのためにあがないをしてくださったことに感謝。
それは、決して、あの十字架の何時間かだけではなくて、
ずっとずっと「御霊によって」守られて、
神へのささげものとして、己をきよく守られたから。
その力が、私のうちにも注がれている。
読みながら、正直、「私は死んだ行いから本当に離れているだろうか?」と思わされたが、だとすると、それはまた希望だ。神様が私をまたこれからもきよめ続け、神様に仕える者と造り替えてくださるのだ。
この神様のなさることに希望を持ちつつ歩んでいこう。
主よ、
どうか、私をさらに死んだ業から解放してください。
わたしのこころをきよめ、
あなたに仕える者として整えてください。
「楽しみにしてます!」コールがなかったのでどうしようかと思ったのですが、それでやめた・・・というのはちょっと大人気ないので(すでにこういうことを言っている段階で大人気ない・・・)、アドベント聖書日課第4週をアップします。・・・が、まだアップしていないので、多分朝10時ごろまではリンク切れだと思います。それよりも後の時間帯でクリックしてください。
今日は朝8時に時々教会に寸借に来るおじさんとアポがあるので教会に居残り。「病院にいくのでお金貸して!」というけど、お酒やドラッグになるお金をあげるのは嫌なので、「じゃあ、俺が送っていくから・・・」と約束したんだよねえ。さて、おじさん、果たして8時に現れるでしょうか?
アドベント聖書日課第4週
2010-12-16
使命。
毎日寒いです。
でも、一昨日は最高が-4.7度、昨日は-2度。そして、今日はとうとうプラスになって、0.7度C。でも、午後4時にはまた氷点下に戻ってしまっています。
明日の朝も、また-6度とか7度まで下がります。
そして、週末のstormですが、
うーん、ビミョウです。
というか、可能性低いと見ているのですが、
なんだかわかりません。
勝手な祈りかもしれませんが、
東にそれて欲しいです。
さて、昨日はブラジルから日本に行かれている
日系ブラジル人の宣教師の方が、
ブラジルに一時帰国される途中に、
NYに立ち寄られて、ちょうど、NYCで毎月もたれている集会に来られました。
そこでお証を伺ったのですが、
本当に楽しかったです。
愉快!という感じでもありました。
そのなかで、心に留まったのが、
15歳の時にクリスチャンになって、
でも、その後日本に行って、教会に行けなくなってしまって、
その時に、感じた思い。
「教会に行きたい!」
その後、教会に戻っても、
何度も挫けそうになった。
だから、「教会に行っていた、でも行かなくなった、やっぱり行きたい、でも行けない」という人のために働きたい。そのような自分の気持ちを分かってくれる人がいなかった、だから、私はそういう人のために働きたい、という思い。
大切な働き人だと思いました。
今、日本でポルトガル語での日系ブラジル人のための働きから、日本語での、その周りにいる人々への働き、教区での若い世代の人々への日本語での働きへと広がりが出てきているそうです。
それぞれ、通ってきた道が違う。
私は子供の頃から教会で育ってきて、
何も問題がないかのように教会から離れないで育ってきて、
でも、そこに決して複雑な思いがなかったわけではない。
だから、同じような中で歩んできた人々と、「恵みと痛みを分かち合う」働きもしたいと願っている。
この宣教師は「自分が教会から離れて、帰ってきた者として、そのような人たちへの働きがしたい」と思っておられる。
神様によっては、どんな経験も無駄になることはない、そう思わされました。
神さまは一人ひとり、違う使命に立たせてくださっている、そのように思わされました。
さて、火曜日の聖書から。
ヘブル人への手紙6:9−20でした。
「また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです」19節。
幕の内とは、神との親しい関係の象徴的な言葉。
旧約聖書の時代のユダヤの文化の中で、
神の臨在される場所として描かれています。
そこに私たちはイエスによって招かれている。
神との近い関係、親しい関係に招き入れられている。
そんな中で、私はその「特権」を十分に使っているだろうか、
そのことを問われているように思った。
この特権を使わない手はない、ですね。
「今日一日のためにあなたが私の心の王座に座ってください」と祈りました。
雅歌1章12節の「王がその席につかれた時、私のナルドはそのかおりを放った」という言葉を心に思いながら。
主よ、
王であるあなたが、私をあなたとの親しい関係に招き入れてくださってありがとうございます。その特権を無駄にしないで、あなたの招きに応じて、進みゆかせてください。あなたが、私の心を支配してくださいますように。私の心があなたの香りを放つようになりますように。
でも、一昨日は最高が-4.7度、昨日は-2度。そして、今日はとうとうプラスになって、0.7度C。でも、午後4時にはまた氷点下に戻ってしまっています。
明日の朝も、また-6度とか7度まで下がります。
そして、週末のstormですが、
うーん、ビミョウです。
というか、可能性低いと見ているのですが、
なんだかわかりません。
勝手な祈りかもしれませんが、
東にそれて欲しいです。
さて、昨日はブラジルから日本に行かれている
日系ブラジル人の宣教師の方が、
ブラジルに一時帰国される途中に、
NYに立ち寄られて、ちょうど、NYCで毎月もたれている集会に来られました。
そこでお証を伺ったのですが、
本当に楽しかったです。
愉快!という感じでもありました。
そのなかで、心に留まったのが、
15歳の時にクリスチャンになって、
でも、その後日本に行って、教会に行けなくなってしまって、
その時に、感じた思い。
「教会に行きたい!」
その後、教会に戻っても、
何度も挫けそうになった。
だから、「教会に行っていた、でも行かなくなった、やっぱり行きたい、でも行けない」という人のために働きたい。そのような自分の気持ちを分かってくれる人がいなかった、だから、私はそういう人のために働きたい、という思い。
大切な働き人だと思いました。
今、日本でポルトガル語での日系ブラジル人のための働きから、日本語での、その周りにいる人々への働き、教区での若い世代の人々への日本語での働きへと広がりが出てきているそうです。
それぞれ、通ってきた道が違う。
私は子供の頃から教会で育ってきて、
何も問題がないかのように教会から離れないで育ってきて、
でも、そこに決して複雑な思いがなかったわけではない。
だから、同じような中で歩んできた人々と、「恵みと痛みを分かち合う」働きもしたいと願っている。
この宣教師は「自分が教会から離れて、帰ってきた者として、そのような人たちへの働きがしたい」と思っておられる。
神様によっては、どんな経験も無駄になることはない、そう思わされました。
神さまは一人ひとり、違う使命に立たせてくださっている、そのように思わされました。
さて、火曜日の聖書から。
ヘブル人への手紙6:9−20でした。
「また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです」19節。
幕の内とは、神との親しい関係の象徴的な言葉。
旧約聖書の時代のユダヤの文化の中で、
神の臨在される場所として描かれています。
そこに私たちはイエスによって招かれている。
神との近い関係、親しい関係に招き入れられている。
そんな中で、私はその「特権」を十分に使っているだろうか、
そのことを問われているように思った。
この特権を使わない手はない、ですね。
「今日一日のためにあなたが私の心の王座に座ってください」と祈りました。
雅歌1章12節の「王がその席につかれた時、私のナルドはそのかおりを放った」という言葉を心に思いながら。
主よ、
王であるあなたが、私をあなたとの親しい関係に招き入れてくださってありがとうございます。その特権を無駄にしないで、あなたの招きに応じて、進みゆかせてください。あなたが、私の心を支配してくださいますように。私の心があなたの香りを放つようになりますように。
2010-12-14
期待して祈ること。
今日は本当に寒い一日でした。
最高気温が-4.7度C。
風が強くて、体感気温はもっと低かったです。
今夜は-10度Cくらいまで下がって、
明日ももう一日氷点下のようです。
またWeekend Stormの可能性が出てきています。
今週末はクリスマス礼拝とJOYJOYクリスマスですから、
おもいっきり外れて欲しいです。
「祈り」について、いろいろ考えさせられ、
実際に祈らされている中で、
なんども読み直す本がありますが、
その中でも、Jim Symbaraの"Fresh Wind, Fresh Fire"、加藤常昭の「祈りへの道」、そして、最近ではBill Hybelsの「祈れないほど忙しい?」の3冊は自分を支えてくれる本です。
三者三様ですよね。
日本の神学者、説教者で、本当に深い心の動きを明かしながら、一緒に祈りへの道を歩んでいこう、と招く加藤先生と、とにかく共に祈って神さまの奇跡を見よう、とブルックリンの貧しい地域(今はずいぶん周りがキレイになってきましたが)で伝道をしてきたシンバラ先生と、時代の先端を走る人々にどのように福音を伝えるかを考えながら挑戦をしてきて、ミドルクラスのアメリカ人の心を掴んできたハイベルス先生、みんな違うんですが、祈りの大切さを伝える思いは共通しています。
先週から、今週にかけて、「祈れないほど忙しい?」と「祈りへの道」を読んでていて、その両方に出てきた聖書箇所に心が留まりました。
それはルカ18章1−8節のイエスの譬え話です。
また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。
実は最近ある「聖書を読む会」で学んだところでもあります。
どの注解書でも出てくるのですが、
「神さまがこの裁判官みたいな方であると勘違いしてはならない」んですよね。「まして神は・・・」なんだから。
そんな訳はない、わたしはそんな勘違いするわけがないと思いながら、でも、いつの間にか、神さまをなかなか祈りを聞いてくださらない、いじわるな方だ、とか、そこまで行かなくても、「自分の祈りの熱心さは足りないから、聞いてくれないだろうな」とか、「他の人の祈りは聞いてくれるけど、わたしのは半端な祈りだからダメだよなあ」とか、「もっと何回も祈らなきゃ、長い時間祈らなきゃ、聞いてくれないよな」思っていることないだろうか、と思わされたんですよね。
ビル・ハイベルス先生は、若い時代に、お父さんからクレジットカードを一枚渡されて、世界中を旅するようにと言われたそうですが、その感覚が神さまとの関係にも生きているんでしょうか。ほんとに大胆に主に求め、期待する先生ですよね。自分はどうしても、育った環境から「どうしても必要なもの以上は求めてはいけない」って思いがあるんですよねえ。間違っているわけではないんでしょうが、「神さまのために冒険する」とか「神さまは豊かだから、大きく求めなさい」とか、御言葉からそうなんだ、と思うのですが、まだまだ「自分自身の感覚」になっていないんだと思います。
インドネシアに行っておられた先生も言っておられました。「日本人はどうしても神さまを小さく考えすぎる。この世界を造り、世界を支配しておられる大きな神さまを信じなさい」と。
そうですよね。お天気牧師として、いつも思わされる、この自然の大きさ、そして、最近は夜空見上げオヤジでもっと思い知らされるこの宇宙の大きさ。この宇宙を造られた神さまを信じているんだから、祈るときにも、その神さまの大きさを忘れないで祈りたいと思います。
その神さまが、私たちのことを心に留めてくださっていることを信頼しながら。
さて、昨日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙5:11−6:8でした。
「経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たち」5:14。
一昨日の夜、役員会で遅くなって帰ってきて、
さすがにすぐには眠れなかったので、
翌朝、さすがに早く起きるのはきつかったですが、
いつものように6時に教会に行って聖書を読んでいました。
そこで目に留まったのがこの言葉。
この言葉を思い巡らせながら、
前の晩もたれたミーティングのことを思わされたときに、
本当にこのような「感覚」を持っておられる方々が、
そこには導かれ、集められていたなあと思わされたのです。
その時、主がこのような同労者を与えてくださっていることに、
心から感謝が湧いてきました。
教会への愛をもって、そして、訓練されて、何が神に喜ばれることなのか、何を私たちは神さまから託されているのか、という感覚を与えられている人たち。
感謝の祈りに導かれました。
そうしたら、いつの間にか、疲れが癒されているんですね。
正確に言うと疲れを忘れさせられた、というか。
幸せな牧師だと思いました。
立派な会堂でもなく、メンバーの人数でもなく、
このような同労者に支えられていることに幸いを感じました。
主よ、
あなたの与えてくださっている訓練によって、
教会のひとりひとりも整えられていることに感謝します。
ものごとを見分けることができる「感覚」を持っておられる方々が与えられていることに感謝します。
あなたが私たちの感性をもっともっと整え、
私たちが、あなたの御思いを知っていくことができますように。
最高気温が-4.7度C。
風が強くて、体感気温はもっと低かったです。
今夜は-10度Cくらいまで下がって、
明日ももう一日氷点下のようです。
またWeekend Stormの可能性が出てきています。
今週末はクリスマス礼拝とJOYJOYクリスマスですから、
おもいっきり外れて欲しいです。
「祈り」について、いろいろ考えさせられ、
実際に祈らされている中で、
なんども読み直す本がありますが、
その中でも、Jim Symbaraの"Fresh Wind, Fresh Fire"、加藤常昭の「祈りへの道」、そして、最近ではBill Hybelsの「祈れないほど忙しい?」の3冊は自分を支えてくれる本です。
三者三様ですよね。
日本の神学者、説教者で、本当に深い心の動きを明かしながら、一緒に祈りへの道を歩んでいこう、と招く加藤先生と、とにかく共に祈って神さまの奇跡を見よう、とブルックリンの貧しい地域(今はずいぶん周りがキレイになってきましたが)で伝道をしてきたシンバラ先生と、時代の先端を走る人々にどのように福音を伝えるかを考えながら挑戦をしてきて、ミドルクラスのアメリカ人の心を掴んできたハイベルス先生、みんな違うんですが、祈りの大切さを伝える思いは共通しています。
先週から、今週にかけて、「祈れないほど忙しい?」と「祈りへの道」を読んでていて、その両方に出てきた聖書箇所に心が留まりました。
それはルカ18章1−8節のイエスの譬え話です。
また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。
実は最近ある「聖書を読む会」で学んだところでもあります。
どの注解書でも出てくるのですが、
「神さまがこの裁判官みたいな方であると勘違いしてはならない」んですよね。「まして神は・・・」なんだから。
そんな訳はない、わたしはそんな勘違いするわけがないと思いながら、でも、いつの間にか、神さまをなかなか祈りを聞いてくださらない、いじわるな方だ、とか、そこまで行かなくても、「自分の祈りの熱心さは足りないから、聞いてくれないだろうな」とか、「他の人の祈りは聞いてくれるけど、わたしのは半端な祈りだからダメだよなあ」とか、「もっと何回も祈らなきゃ、長い時間祈らなきゃ、聞いてくれないよな」思っていることないだろうか、と思わされたんですよね。
ビル・ハイベルス先生は、若い時代に、お父さんからクレジットカードを一枚渡されて、世界中を旅するようにと言われたそうですが、その感覚が神さまとの関係にも生きているんでしょうか。ほんとに大胆に主に求め、期待する先生ですよね。自分はどうしても、育った環境から「どうしても必要なもの以上は求めてはいけない」って思いがあるんですよねえ。間違っているわけではないんでしょうが、「神さまのために冒険する」とか「神さまは豊かだから、大きく求めなさい」とか、御言葉からそうなんだ、と思うのですが、まだまだ「自分自身の感覚」になっていないんだと思います。
インドネシアに行っておられた先生も言っておられました。「日本人はどうしても神さまを小さく考えすぎる。この世界を造り、世界を支配しておられる大きな神さまを信じなさい」と。
そうですよね。お天気牧師として、いつも思わされる、この自然の大きさ、そして、最近は夜空見上げオヤジでもっと思い知らされるこの宇宙の大きさ。この宇宙を造られた神さまを信じているんだから、祈るときにも、その神さまの大きさを忘れないで祈りたいと思います。
その神さまが、私たちのことを心に留めてくださっていることを信頼しながら。
さて、昨日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙5:11−6:8でした。
「経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たち」5:14。
一昨日の夜、役員会で遅くなって帰ってきて、
さすがにすぐには眠れなかったので、
翌朝、さすがに早く起きるのはきつかったですが、
いつものように6時に教会に行って聖書を読んでいました。
そこで目に留まったのがこの言葉。
この言葉を思い巡らせながら、
前の晩もたれたミーティングのことを思わされたときに、
本当にこのような「感覚」を持っておられる方々が、
そこには導かれ、集められていたなあと思わされたのです。
その時、主がこのような同労者を与えてくださっていることに、
心から感謝が湧いてきました。
教会への愛をもって、そして、訓練されて、何が神に喜ばれることなのか、何を私たちは神さまから託されているのか、という感覚を与えられている人たち。
感謝の祈りに導かれました。
そうしたら、いつの間にか、疲れが癒されているんですね。
正確に言うと疲れを忘れさせられた、というか。
幸せな牧師だと思いました。
立派な会堂でもなく、メンバーの人数でもなく、
このような同労者に支えられていることに幸いを感じました。
主よ、
あなたの与えてくださっている訓練によって、
教会のひとりひとりも整えられていることに感謝します。
ものごとを見分けることができる「感覚」を持っておられる方々が与えられていることに感謝します。
あなたが私たちの感性をもっともっと整え、
私たちが、あなたの御思いを知っていくことができますように。
2010-12-13
アドベント第3週ですね。
うっかり、アドベント第三週目の聖書通読日課をアップするのを忘れていました。
こちらです。
アドベント聖書日課第3週。
楽しみにしてくださっている方もおられるのだと信じて・・・いますが、
忘れることもありますので、「楽しみにしてますからねえ」メッセージをください!!
(図々しく要求するようになった自分・・・)
こちらです。
アドベント聖書日課第3週。
楽しみにしてくださっている方もおられるのだと信じて・・・いますが、
忘れることもありますので、「楽しみにしてますからねえ」メッセージをください!!
(図々しく要求するようになった自分・・・)
主に目を上げて。
夜の更新を封印していたんだけど、
そうすると、ほんとに更新できない・・・。
日曜日、自分一人帰るのが遅くなったので、
興奮して眠れないので、ちょっと掟破りの更新。
夜中の12時43分。
外の気温は7.5度C。
昨日の日曜日の昼間は10度以上あったから、
それに比べると温度は下がってきたけれども、
まだ本格的に下がるのは今日の午後くらいから。
車はちょっと長期入院中。
ディーラーも理由が今ひとつわからないみたい。
また今週部品を取り替えてみるらしい。
今度こそ、解決して欲しい。
先週、いろんなコトを思わされてきた。
特に祈りについて・・・。
一つは自分は神さまよりも、
周りの人、聞いている人に、心が向いていることが、
どれだけあるだろうか、ということ。
そして、自分の心にむけて祈っていることがどれだけあることだろうかと、
主に向かって祈っていこうと思った。
主に祈りをささげ続けようと思った。
もう一つはどこまで自分が神さまを信頼して祈っているか、ということ。
もちろん、神さまのみこころを求めて祈っているんだけれども、
「どうせ、神さまには神さまのお考えがあって・・・」とちょっとひねくれて、祈っていることがあるだろうかと。ちょっといじけ気味に、というか。
自分が子供に「一応お願いするけど、どうせ、お父さんは自分の好きなようにするんでしょ」と言われたら、すごい嫌だろうなあと思いつつ、自分ってそういうふうに祈っていることはないだろうかと。
ほんとうに、わたしに最善をして下さり、わたしの祈りを聞こうとしておられる主を、信頼して、たくさんたくさん、祈っていこうと思う。
真実に祈り続ける者でありたい。
さて、最近の「日々のみことば」から。
先週の後半からヘブル人への手紙を読んでいます。
「造られたもので、神の前に隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。」ヘブル4章13節。
神様の前にはすべて明らか。
でも、主は私たちに悔い改めを求められる。
告白を求められる。
それは、私たちが罪から解放されるため。
ただ、私たちを裁くために、私たちの罪を示すのではなくて、
私たちを自由にするために、
私たちをその罪から解放するために、
私たちに悔い改めを求められるのだ。
そう思うと、神さまにすべてさらけ出されている、って、
すごいことだなあと思う。
スゴイ安心感だなあと思う。
主よ、
あなたが全てを知っていてくださることに感謝します。
どうか、私たちを罪から解放し、痛みから自由にしてください。
あなたに見ていただいている幸いの中に、感謝しつつ歩む者でありますように。
そうすると、ほんとに更新できない・・・。
日曜日、自分一人帰るのが遅くなったので、
興奮して眠れないので、ちょっと掟破りの更新。
夜中の12時43分。
外の気温は7.5度C。
昨日の日曜日の昼間は10度以上あったから、
それに比べると温度は下がってきたけれども、
まだ本格的に下がるのは今日の午後くらいから。
車はちょっと長期入院中。
ディーラーも理由が今ひとつわからないみたい。
また今週部品を取り替えてみるらしい。
今度こそ、解決して欲しい。
先週、いろんなコトを思わされてきた。
特に祈りについて・・・。
一つは自分は神さまよりも、
周りの人、聞いている人に、心が向いていることが、
どれだけあるだろうか、ということ。
そして、自分の心にむけて祈っていることがどれだけあることだろうかと、
主に向かって祈っていこうと思った。
主に祈りをささげ続けようと思った。
もう一つはどこまで自分が神さまを信頼して祈っているか、ということ。
もちろん、神さまのみこころを求めて祈っているんだけれども、
「どうせ、神さまには神さまのお考えがあって・・・」とちょっとひねくれて、祈っていることがあるだろうかと。ちょっといじけ気味に、というか。
自分が子供に「一応お願いするけど、どうせ、お父さんは自分の好きなようにするんでしょ」と言われたら、すごい嫌だろうなあと思いつつ、自分ってそういうふうに祈っていることはないだろうかと。
ほんとうに、わたしに最善をして下さり、わたしの祈りを聞こうとしておられる主を、信頼して、たくさんたくさん、祈っていこうと思う。
真実に祈り続ける者でありたい。
さて、最近の「日々のみことば」から。
先週の後半からヘブル人への手紙を読んでいます。
「造られたもので、神の前に隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。」ヘブル4章13節。
神様の前にはすべて明らか。
でも、主は私たちに悔い改めを求められる。
告白を求められる。
それは、私たちが罪から解放されるため。
ただ、私たちを裁くために、私たちの罪を示すのではなくて、
私たちを自由にするために、
私たちをその罪から解放するために、
私たちに悔い改めを求められるのだ。
そう思うと、神さまにすべてさらけ出されている、って、
すごいことだなあと思う。
スゴイ安心感だなあと思う。
主よ、
あなたが全てを知っていてくださることに感謝します。
どうか、私たちを罪から解放し、痛みから自由にしてください。
あなたに見ていただいている幸いの中に、感謝しつつ歩む者でありますように。
2010-12-09
「サンタのこと」コメント感謝。
車、再々入院中。
原因がわかったら携帯に電話してくれ、
と頼んだけど、
その携帯、車の中に忘れてきた。(爆)
取りに行かなければ・・・。
昨日の記事に、2つコメントを頂いて、
コメント通知は届いているのですが、
なんでかわかりませんが、本体には反映されないので、
こちらでご紹介。
まずは、はちこさんから、
先生、サンタとプレゼントのこと、先生の「複雑な思い」、分かる気がします。
アメリカのクリスマスのギフト交換の習慣は、私もずっと複雑な思いで見てきました。まぁ、皆さん、「大切なのはもらうことではなく、与えること!」と言いながらギフトを用意するわけですが、結果として子供にはやっぱり、「もらうのが当然」の感覚を養っている気がしてなりません。
うちの子も、「もらうのが当然」の感覚を持ってしまっていると思います。せめて、自分がもらうだけでなく、ギフトを贈ることをもっと強調しようと、ワールドビジョンのギフトカタログを見て、何を贈るか一緒に考えたり、お世話になった方たちや日本のおじいちゃんおばあちゃん、兄弟間でのギフトなど、与えるほうの機会も作るようにしているのですが…
(ちなみに、我が家もサンタは来ません。)
Operation Santa Clausですが、確かに複雑ですね… その手紙を書いている子供たちは、周囲の子がたくさんのプレゼントをもらっているのを見て、自分も…という思いがあるのでしょうね。クレクレ・スピリットは助長したくないけれど、自分が稼いだわけではないギフトを、ただ贈る人の厚意によって無償でもらうことができた、という経験をさせてあげるのは良いことなのかなとも思ったり… ほんとに複雑です。先生がためらいつつも手紙をもらって来られたお気持ち、分かる気がします。
アメリカ人は、ある面、日本人には考えられないくらいgenerousで、本当に気前良く与える人たちだなと思います。ボランティアもよくするし。でも、時にはそのgenerosityが、受け取る人の「尊厳」や「生きる力」を奪うことにもつながっているんじゃないか…と感じることもあるのです… アメリカの大都市に行くと、beggerがやけに多いように感じるのは気のせいでしょうか。
ハイチの地震のときも、アメリカ人は援助団体だけでなく、個々の教会や個人も大勢援助に駆けつけたそうです。私の教会からもチームが行きました。でも、トニー・カンポロだか誰かが、そうやって出かけていって何でもやってあげてしまうことは、ハイチの人たちの益にならない、というようなことを言っていました。彼らに依存することを教えてしまう、と。
あー、なんだか話しが広がってしまいましたが、私自身、なんとなく似たようなことを考えていたので… 長くなってしまい、すみません。
そして、こちらは旧ジャージーさんから、
かきごおり先生
そちらよりは、暖かいと思いますが
すっかり、冬の暗い空になっています
サンタさん。。。
とっても悩ましい。。。
甥は、カトリックの幼稚園に通っていたんですが
クリスマス前になると
家にあるマリア像の前に正座して
「サンタさんが、○○を持って来てくれますように」と毎日祈るので
その祈りを聞いて、妹が買いに行くてなことをやっていました
ある年は、「黒いうさぎ」
「色まで指定で、参った」と言っていたことが懐かしいです
今年のクリスマスプレゼント。。。
五年来、交友のある楽友が
実は、クリスチャンだと月曜日に判明
霊的会話のできる友を主が身近に与えてくださったことに感謝です
(日本じゃ、なかなかクリスチャンに出会いませんから。。。)
先生からのプレゼントを受け取ったご家族に
主からの恵みと祝福が豊かにそそがれますように
コメントありがとうございます。
また、ちょっと時間を作って、お返事させてください。
原因がわかったら携帯に電話してくれ、
と頼んだけど、
その携帯、車の中に忘れてきた。(爆)
取りに行かなければ・・・。
昨日の記事に、2つコメントを頂いて、
コメント通知は届いているのですが、
なんでかわかりませんが、本体には反映されないので、
こちらでご紹介。
まずは、はちこさんから、
先生、サンタとプレゼントのこと、先生の「複雑な思い」、分かる気がします。
アメリカのクリスマスのギフト交換の習慣は、私もずっと複雑な思いで見てきました。まぁ、皆さん、「大切なのはもらうことではなく、与えること!」と言いながらギフトを用意するわけですが、結果として子供にはやっぱり、「もらうのが当然」の感覚を養っている気がしてなりません。
うちの子も、「もらうのが当然」の感覚を持ってしまっていると思います。せめて、自分がもらうだけでなく、ギフトを贈ることをもっと強調しようと、ワールドビジョンのギフトカタログを見て、何を贈るか一緒に考えたり、お世話になった方たちや日本のおじいちゃんおばあちゃん、兄弟間でのギフトなど、与えるほうの機会も作るようにしているのですが…
(ちなみに、我が家もサンタは来ません。)
Operation Santa Clausですが、確かに複雑ですね… その手紙を書いている子供たちは、周囲の子がたくさんのプレゼントをもらっているのを見て、自分も…という思いがあるのでしょうね。クレクレ・スピリットは助長したくないけれど、自分が稼いだわけではないギフトを、ただ贈る人の厚意によって無償でもらうことができた、という経験をさせてあげるのは良いことなのかなとも思ったり… ほんとに複雑です。先生がためらいつつも手紙をもらって来られたお気持ち、分かる気がします。
アメリカ人は、ある面、日本人には考えられないくらいgenerousで、本当に気前良く与える人たちだなと思います。ボランティアもよくするし。でも、時にはそのgenerosityが、受け取る人の「尊厳」や「生きる力」を奪うことにもつながっているんじゃないか…と感じることもあるのです… アメリカの大都市に行くと、beggerがやけに多いように感じるのは気のせいでしょうか。
ハイチの地震のときも、アメリカ人は援助団体だけでなく、個々の教会や個人も大勢援助に駆けつけたそうです。私の教会からもチームが行きました。でも、トニー・カンポロだか誰かが、そうやって出かけていって何でもやってあげてしまうことは、ハイチの人たちの益にならない、というようなことを言っていました。彼らに依存することを教えてしまう、と。
あー、なんだか話しが広がってしまいましたが、私自身、なんとなく似たようなことを考えていたので… 長くなってしまい、すみません。
そして、こちらは旧ジャージーさんから、
かきごおり先生
そちらよりは、暖かいと思いますが
すっかり、冬の暗い空になっています
サンタさん。。。
とっても悩ましい。。。
甥は、カトリックの幼稚園に通っていたんですが
クリスマス前になると
家にあるマリア像の前に正座して
「サンタさんが、○○を持って来てくれますように」と毎日祈るので
その祈りを聞いて、妹が買いに行くてなことをやっていました
ある年は、「黒いうさぎ」
「色まで指定で、参った」と言っていたことが懐かしいです
今年のクリスマスプレゼント。。。
五年来、交友のある楽友が
実は、クリスチャンだと月曜日に判明
霊的会話のできる友を主が身近に与えてくださったことに感謝です
(日本じゃ、なかなかクリスチャンに出会いませんから。。。)
先生からのプレゼントを受け取ったご家族に
主からの恵みと祝福が豊かにそそがれますように
コメントありがとうございます。
また、ちょっと時間を作って、お返事させてください。
2010-12-08
サンタのこと。
NYCからの更新です。
ちょっと考えるところがあり、
夜の更新はこれからはしないようにしようと思います。
Flex Timeの牧師の働き、
毎日とは行かなくても、
一日のうちで隙間を見つけて、
アップしようかと思います。
毎年のようにこの季節になると一言書かないではいられないサンタのこと。
私はちょっとこだわりがあり、うちの子供たちのところには来ないことになっています。
「サンタはお父さんやお母さんがプレゼントを買ってあげられない子たちのところに来るんだよ」と。
それはこちらにも書きました。
2006年12月14日の日記。
そして、4年越しの願いだった、Operation Santa Claus、今日、NYCの中央郵便局に行って、とうとう一つ手紙をもらってきました。
でも、いろいろ考えてしまいました。
1回に10通の手紙を渡されて、その中から、「ああ、この子の願いを聞いてあげたいなあ」という手紙を選んで持って帰って、プレゼントを準備するのですが、手紙を読んでいるとなんだか、「クレクレ・スピリット」を助長しているんじゃないか、と思わされて、悔しくて涙が溢れてきました。「XBoxが欲しい、このソフトをつけて。」とか、「あれも、これも、これも、これも、それからこれも・・・」といくつもいくつも列挙してあったりとか・・・。うちの子たちにも、そんなプレゼントをあげたことはありません。どうしても欲しければ、自分でがんばってお金を貯めて買って欲しい、そう思ってきました。
クリスマスはプレゼントを「もらう日」だと子供たちが思っているって、これ、どうなの?ってほんとに思うんです。
なんだか、とんでもなく複雑な思いがしてきて、やめようかな、とも思いました。自己満足みたいな気もしたり・・・。でも、せめて・・・と、「子供に、洋服とか、靴とか、そういうものを送ってくれませんか」というお母さんのお便りを持って帰りました。決して納得したわけではないのですが、きっと、きっと、ほんとに一年間、洋服とか、買ってあげられなくて、靴も穴があいていて、でも、クリスマスの時に、買ってあげるお金もなくて・・・ということだと信じて。
女の子向けなので、うちの子たちにも手伝ってもらって一緒に準備したいと思います。私の心も守られますように、そして、子供たちにとっても幸いな経験となりますように。
あ、あと、車、日帰り治療ができなくて、入院しましたが、一泊で退院許可がおりました。
でも、今日は多分迎えに行けないので、明日にでも迎えに行こうと思います。
・・・もう、これで終わりになってほしい・・・。
さて、最近の「日々のみことば」から。
月曜日はレビ記の27:16−24でした。
この日でレビ記は読了。
「牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる。その善い悪いを見てはならない。またそれを取り替えてはならない。」32−33節。
人間はさもしいですよね。
10匹目が神さまのものとしてささげられるとすると、
その10匹目に、「これは手放していいかな」というものが
来るようにと、心のなかで願うものなんでしょうね。
自分もそうだろうなと思います。
神さまが最高のものを与えてくださったのに、
自分は最高のものを持って行こうとしない。
どこまでも自己中心的な者だと思います。
だから、このようにハッキリと書いてある。
最高のものを主のところに、
大切なモノを主のところに、
だって、主がまず大切なモノを私たちに与えてくださっているのだから。
主よ、
クリスマスに、
あなたが大切な大切なひとりごを与えてくださったことに感謝します。
私たちに一番大切なものを下さったことに感謝します。
私もあなたに、また人々に、大切なモノを分かち合っていく、勇気を与えてください。
心に平安を与えてください。
ちょっと考えるところがあり、
夜の更新はこれからはしないようにしようと思います。
Flex Timeの牧師の働き、
毎日とは行かなくても、
一日のうちで隙間を見つけて、
アップしようかと思います。
毎年のようにこの季節になると一言書かないではいられないサンタのこと。
私はちょっとこだわりがあり、うちの子供たちのところには来ないことになっています。
「サンタはお父さんやお母さんがプレゼントを買ってあげられない子たちのところに来るんだよ」と。
それはこちらにも書きました。
2006年12月14日の日記。
そして、4年越しの願いだった、Operation Santa Claus、今日、NYCの中央郵便局に行って、とうとう一つ手紙をもらってきました。
でも、いろいろ考えてしまいました。
1回に10通の手紙を渡されて、その中から、「ああ、この子の願いを聞いてあげたいなあ」という手紙を選んで持って帰って、プレゼントを準備するのですが、手紙を読んでいるとなんだか、「クレクレ・スピリット」を助長しているんじゃないか、と思わされて、悔しくて涙が溢れてきました。「XBoxが欲しい、このソフトをつけて。」とか、「あれも、これも、これも、これも、それからこれも・・・」といくつもいくつも列挙してあったりとか・・・。うちの子たちにも、そんなプレゼントをあげたことはありません。どうしても欲しければ、自分でがんばってお金を貯めて買って欲しい、そう思ってきました。
クリスマスはプレゼントを「もらう日」だと子供たちが思っているって、これ、どうなの?ってほんとに思うんです。
なんだか、とんでもなく複雑な思いがしてきて、やめようかな、とも思いました。自己満足みたいな気もしたり・・・。でも、せめて・・・と、「子供に、洋服とか、靴とか、そういうものを送ってくれませんか」というお母さんのお便りを持って帰りました。決して納得したわけではないのですが、きっと、きっと、ほんとに一年間、洋服とか、買ってあげられなくて、靴も穴があいていて、でも、クリスマスの時に、買ってあげるお金もなくて・・・ということだと信じて。
女の子向けなので、うちの子たちにも手伝ってもらって一緒に準備したいと思います。私の心も守られますように、そして、子供たちにとっても幸いな経験となりますように。
あ、あと、車、日帰り治療ができなくて、入院しましたが、一泊で退院許可がおりました。
でも、今日は多分迎えに行けないので、明日にでも迎えに行こうと思います。
・・・もう、これで終わりになってほしい・・・。
さて、最近の「日々のみことば」から。
月曜日はレビ記の27:16−24でした。
この日でレビ記は読了。
「牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる。その善い悪いを見てはならない。またそれを取り替えてはならない。」32−33節。
人間はさもしいですよね。
10匹目が神さまのものとしてささげられるとすると、
その10匹目に、「これは手放していいかな」というものが
来るようにと、心のなかで願うものなんでしょうね。
自分もそうだろうなと思います。
神さまが最高のものを与えてくださったのに、
自分は最高のものを持って行こうとしない。
どこまでも自己中心的な者だと思います。
だから、このようにハッキリと書いてある。
最高のものを主のところに、
大切なモノを主のところに、
だって、主がまず大切なモノを私たちに与えてくださっているのだから。
主よ、
クリスマスに、
あなたが大切な大切なひとりごを与えてくださったことに感謝します。
私たちに一番大切なものを下さったことに感謝します。
私もあなたに、また人々に、大切なモノを分かち合っていく、勇気を与えてください。
心に平安を与えてください。
2010-12-07
シフトロック初体験。
今日は一日小雪が舞っていた。
Thanksgiving Dayにも降っていたという証言もありますが、
自分は確認していないので、今日がMy初雪。
天気予報では、この週末にstormが東海岸にやってくるということです。
まあ、例によって、先のことなので、毎日変わる予報に振り回されることでしょう。
いまは夜中の12時で、外の気温は-0.6度。
明日の朝は-4度位の予報が出ています。
今日はデイオフで、豆腐の修行の日だったのですが、
昨日の夜に大豆を水につけておく、というのを忘れたので、
純粋におやすみ。
それに再修理に出す予定だった車、
予約が明日になったので、
今日はウチでおとなしくしておりました。
その修理の必要なのは、
第一がcheck engineランプの再点灯。
理由の解析だけで105ドルですからねえ。
修理の翌日に点灯ですから、
まあ、これは交渉してno chargeを狙います。
もう一つが下の写真。
シフトのレバーのところにもう一本、ドライバーが刺さっています。
なんでこんなことになっているかというと・・・。
あれは、土曜日の午後、突然、シフトがPから動かなくなったのです。
焦りましたねえ。Pから動かない、ということは、車が全く動かない、ということですから・・・。修理工場までも、レッカーしてもらわないといけません。
でも、きっと何か、方法があるはず。
しかし、中古で買ったこの車、
なぜか、マニュアルがついていません。
幸運にも出先でなかったので、
適当に「シフトロック解除」でぐぐったら、
車種によっていろいろな方法が出てくるのですが、
うちの車の場合、シフトレバーの横の小さなカバーを外して、
そこにドライバーを挿し込んで押す、と書いてありました。
たしかに、小さなカバーがあって、
外せるようになっています。
それをはずして、現れた穴にドライバーを挿し込んで、
恐る恐る、押してみました。
ちょっと勇気いりますね、これ。
いままで25年くらい車に乗ってきましたが、
シフトが動かなくなる、ってのは初めてでした。
でも、「シフトロック解除」という機能がどの車にも付いている、とすれば、
こういうこと、よくあるんでしょうね、きっと。
それから、今日まで、どうしても車が2台必要な場面では、
このドライバーを押しこんで、ギアをRに入れます。
こんなことでも、書いておけば、誰かの役に立つんじゃないかと思いつつ。
明日の修理がお安く上がりますように・・・(祈)
今週は、「心の王座をキリストに明け渡そう」ということを思いめぐらし、実践する一週間です。
今週のアドベント聖書日課(PDF文書)
イエスは、恐れではなくて、愛によって、私たちの心を支配してくださる。
脅かしではなくて、共に歩んでくださることによって、従いたい心を起こしてくださる。
自分も少しでもそのような者となりたい、そう思います。
主よ、
私の心の隅々までも、
あなたのものとさせてください。
すべてをあなたに明け渡した平安を、
私に与えてください。
そして、私も、人とともに歩むことを大切にする者でありますように。
Thanksgiving Dayにも降っていたという証言もありますが、
自分は確認していないので、今日がMy初雪。
天気予報では、この週末にstormが東海岸にやってくるということです。
まあ、例によって、先のことなので、毎日変わる予報に振り回されることでしょう。
いまは夜中の12時で、外の気温は-0.6度。
明日の朝は-4度位の予報が出ています。
今日はデイオフで、豆腐の修行の日だったのですが、
昨日の夜に大豆を水につけておく、というのを忘れたので、
純粋におやすみ。
それに再修理に出す予定だった車、
予約が明日になったので、
今日はウチでおとなしくしておりました。
その修理の必要なのは、
第一がcheck engineランプの再点灯。
理由の解析だけで105ドルですからねえ。
修理の翌日に点灯ですから、
まあ、これは交渉してno chargeを狙います。
もう一つが下の写真。
シフトのレバーのところにもう一本、ドライバーが刺さっています。
なんでこんなことになっているかというと・・・。
あれは、土曜日の午後、突然、シフトがPから動かなくなったのです。
焦りましたねえ。Pから動かない、ということは、車が全く動かない、ということですから・・・。修理工場までも、レッカーしてもらわないといけません。
でも、きっと何か、方法があるはず。
しかし、中古で買ったこの車、
なぜか、マニュアルがついていません。
幸運にも出先でなかったので、
適当に「シフトロック解除」でぐぐったら、
車種によっていろいろな方法が出てくるのですが、
うちの車の場合、シフトレバーの横の小さなカバーを外して、
そこにドライバーを挿し込んで押す、と書いてありました。
たしかに、小さなカバーがあって、
外せるようになっています。
それをはずして、現れた穴にドライバーを挿し込んで、
恐る恐る、押してみました。
ちょっと勇気いりますね、これ。
いままで25年くらい車に乗ってきましたが、
シフトが動かなくなる、ってのは初めてでした。
でも、「シフトロック解除」という機能がどの車にも付いている、とすれば、
こういうこと、よくあるんでしょうね、きっと。
それから、今日まで、どうしても車が2台必要な場面では、
このドライバーを押しこんで、ギアをRに入れます。
こんなことでも、書いておけば、誰かの役に立つんじゃないかと思いつつ。
明日の修理がお安く上がりますように・・・(祈)
今週は、「心の王座をキリストに明け渡そう」ということを思いめぐらし、実践する一週間です。
今週のアドベント聖書日課(PDF文書)
イエスは、恐れではなくて、愛によって、私たちの心を支配してくださる。
脅かしではなくて、共に歩んでくださることによって、従いたい心を起こしてくださる。
自分も少しでもそのような者となりたい、そう思います。
主よ、
私の心の隅々までも、
あなたのものとさせてください。
すべてをあなたに明け渡した平安を、
私に与えてください。
そして、私も、人とともに歩むことを大切にする者でありますように。
2010-12-05
アドベント第2週。
昨日は余り寝ていなかったのですが、
今日はほんとうに元気でした。
忙しかったのが、よかったんだと思います。
でも、一日終わると、さすがに、
目がショボショボします。
ですから、あっさりと更新して、
明日に備えます。
うちの車、
Check Engineライトが点灯して、
先週金曜日にちょっとお金かけて直した車、
土曜日にはまたCheck Engineライトが再点灯、
+シフトロックが作動して、シフトがPから動かない。
「え〜、これはレッカーしてもらうしかないか?」と思ったのですが、
マニュアルに従って、シフトレバーの横の蓋を開けて、
ドライバーを突っ込んで走っています。
明日、また病院送りですね。
今日も寒いです。
明日もその後も、その後ずっと寒そうです。
いまは夜9時半で、−0.1度。
明日は曇りがちで小雪も舞う予報が出ています。
アドベント聖書日課第2週目、アップしました。
今日はほんとうに元気でした。
忙しかったのが、よかったんだと思います。
でも、一日終わると、さすがに、
目がショボショボします。
ですから、あっさりと更新して、
明日に備えます。
うちの車、
Check Engineライトが点灯して、
先週金曜日にちょっとお金かけて直した車、
土曜日にはまたCheck Engineライトが再点灯、
+シフトロックが作動して、シフトがPから動かない。
「え〜、これはレッカーしてもらうしかないか?」と思ったのですが、
マニュアルに従って、シフトレバーの横の蓋を開けて、
ドライバーを突っ込んで走っています。
明日、また病院送りですね。
今日も寒いです。
明日もその後も、その後ずっと寒そうです。
いまは夜9時半で、−0.1度。
明日は曇りがちで小雪も舞う予報が出ています。
アドベント聖書日課第2週目、アップしました。
Subscribe to:
Posts (Atom)