2011-06-23

いつ、その日が来たとしても。

蒸し暑い一日でした。
そして、激しいにわか雨。雷。
北の方を雷雲が直撃したようで、
大変な洪水も起こったようです。


今、レーダーを見たら、
今夜もう一ラウンド雷雨がありそうですね。


明日ももう一日蒸し暑い日が続きそうです。


ちょうど、その雷雨の時間帯にぶつかってしまったのですが、
今日はサキの小学校の卒業の日でした。
町によって小学校と中学校の切れ目が違うのですが、
ウチの町は4年生まで。
親が学校に迎えにいって、
先生に挨拶をして、ちょっと記念撮影をして・・・
というプログラムがありました。


外だったらよかったのですが、雨で体育館の中で。


まあ、中学校や高校を卒業する時のような、
また日本の小学校を卒業する時のような、
感無量な・・・ということはないですし、
先日のコンサートでスライドショーを見て、そのような感覚は味わったので、
妙にさめている娘の態度も手伝って、
ちょっと写真を撮って、先生に挨拶をして・・・、というひとときでした。


でも、ここまで守り導いてくださった神様に心から感謝。


さて、先週読んでいた第2テサロニケから。


「働きたくない者は、食べるな」3章10節。

文語体では「働かざる者、食うべからず」という言葉で、たぶん、「日本人で聖書を読んだことのない人が一番良く知っている聖書のことば」ナンバーワンだと思われる言葉です。

でも、その文脈は、世の終わり、イエスがもう一度来られる再臨の信仰に関しての話です。

当時、テサロニケには「もうすぐイエスが来られるから・・・」と仕事を辞め、財産も処分して、ただ、イエスの再臨を待っていた人たちがいました。そんな彼らに対して、「それは違う」とパウロは言ったのでした。

いつ来られても大丈夫なように準備しなさい。そして、落ち着いた生活をしなさい。と言ったのです。

1ヶ月ほど前ですね。
NYの地下鉄でポスターを見てびっくりしたのですが、
一人のラジオで活動しているキリスト教の伝道者が「○月○日、大地震が起こって、イエスが来られる。世の終わりが始まる」と宣伝している、というのです。

まあ、こういう話は歴史の中で何度も繰り返してきているので、
そのことに触れることすらいやだと思うほどの嫌悪感を持ったのですが、
とんでもない話です。

イエスははっきりと、その日はわからないと、
自分自身も知らない、ただ、天の父だけが知っていると。
そう言われました。

これは大問題です。
三位一体の神の中で、
父なる神だけが知っていて、
子なる神であるイエスが知らないことがあっていいのだろうか、と思います。

でも、それがある、それは世の終わりがいつかということだ、と聖書は語っているのです。

それほどのことなのに、いろいろ根拠薄弱というか、まあ、噴飯ものの計算をして、
「○年○月○日に世の終わりが来る」なんて、あんたは何様かと思うのです。

でも、そのとき、確かそのしょうもない預言が、5月21日だったと思うのですが、
「5月22日は確実にやってきます。5月22日日曜日、教会で会いましょう」と言っている牧師がいました。それはまたびっくりです。
だって、イエスは「わからない」「誰も知らない」と言われたのに、どうして、「5月22日が来る」「5月21日にはこの世は終わらない」なんて、断言できたのでしょうか?

個人的な人生でもそうです。
そして、大きなこの世の歴史でもそうです。
明日終わりが来るかもしれない。来ないかもしれない。
20年後かもしれない、50年後かもしれない。
いつ、その日が来ても喜んでイエスを迎えることができるように、
目を覚ましているように、テサロニケの教会への2つの手紙を通して、
パウロが、そして、パウロを通して神様が私たちに語っていることなのだと思います。

主よ、
その日がいつ来たとしても、
慌てないで、受け入れることができますように。
明日でも、20年後でも、備えていることができますように。
そして、生かされる日々、あなたの喜ばれるように生きることができますように。

2011-06-21

夏至!

Googleのロゴがいつもと違うので何だ?とおもったら、
今日は「夏至」だったんですね。
1年で一番日が長い日。
日本では22日、こちらでは21日ですね。


これからだんだん日が短くなります。
暑さはこれからが本番ですが、
ああ、もう日が短くなっていくのか、とちょっと残念な感じです。


今日はちょっと蒸し暑いですが、
明日からはそれに加えて雷雨がありそうです。

かきごおり家三代の1週間ですが、
今夜が最後の晩餐でした。


ということで、記念撮影。
今日は特別、家族の風景。




それぞれにいろいろあって、
一緒に食事ができない日もありました。
で、貴重なひとときでした。


昔話で自分の子供時代の話が出てくるのには閉口しましたが、
両親が、牧師としての先輩として、闘いの中で神様を見上げて歩んで来た貴重な話を聞かせていただけて、感謝でした。


次は何年後かな?


さて、6月14日(火)の聖書。
第一テサロニケ5:12-28。
「預言をないがしろにしてはいけません」20節。

この「預言」は「神様から御言葉を預かって人々に語る」という意味ですから、「説教」をさしているのだと、神学校では学びました。

でも、ある人々は「預言」を特別に神様から与えられる啓示と受け取って、実践しています。

「あなたはこれから宣教師になりますよ」とか、
「つらいことが起こるでしょう、でも、信仰を持って乗り越えるでしょう」とか。

わたしは基本的には神様のなさることについては、聖霊様は自由だと思いますので、オープンな気持ちでいたいと思っています。

でも、やっぱり「預言」という意味では、聖書が大切なんだろうな、と思います。

聖書の御言葉を本当に真剣に受け取り、
それを大胆に語る働きをこれからもさせていただきたいと思わされます。

主よ、
預言をさせてください。
あなたのことばを大胆に語らせてください。
あなたが語られることばを聞き、伝える者とならせてください。

2011-06-20

三世代総出。

今日は下の娘の小学校のコンサート。
コンサートと言っても、小学生のレベルなんで、
それほど期待はしていない。
でも、親はそれなりに楽しみに見に集まってくる。


で、ホントは、このコンサート、6月2日の予定だったのだが、
音楽の先生が、直前に学校で転んで骨折して、延期になっていたもの。
でも、おかげで、学年末直前+高校のFinalの期間中+両親の滞在中+月曜日で自分の休日になった。


ということで、今日は自分も行けたし、のんちもハジも、日本から来ている両親も、そして、学年末試験で12時半頃に帰ってくるユキも、一家総出で三世代6人で見に行った。(笑)


コンサート自体も楽しませてもらったし、
JOYJOYシンガーズのためにヒントになるものもいろいろあったけど、
親にとって一番心に残ったのは、
4年生の最後の曲と一緒にスライドショーが流れたこと。
今までなかったので、ちょっとしたサプライズでした。


Kindergartenの時から5年間通った小学校もあと3日。
ウチの町は、5年生から中学校なので、今週の木曜日に卒業します。


スライドを見ながら、ああ、この子もがんばったな、そして、自分もハジの頃から15年間小学生の親をするのもこれで終わりだろうな(たぶん・・・)、としみじみ思ってしまいました。


その後、最近寝不足がたまっていたので、寝てしまったのですが、
起きてみたら、のんちが大きな魚を買ってきて、
それを父がさばいているじゃないですか。
なんだか、母と3人で楽しそうでした。


レッドスナッパーのハニーマスタード


自分はあとで起き出してきて、「またそんなの買ってきて、どうするの?」とかぶつぶつ言っていたのですが(これは最近の自分の口癖になっているかも?)、なんだか、おいしく料理できて、みんなご満悦でした。わたしがいない方がこの3人は楽しそうかも・・・。(笑)


今日ののんちの一言。
「こう言うのをちゃんと写真に撮ってブログに載せてくれないと・・・」


そうですね。いつもあなたのボケ話ですみません。
ほんとは、いつも心から感謝しています。

6月13日の聖書から。
第一テサロニケ4:13-5:11を読みました。


「ですから、他の人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。」5章6節

これはもう1週間前に読んだところです。
これを読んだのは月曜日だったのですが、
「目を覚ましなさい」と言われたと思いました。

直接、ここで書かれている「キリストの再臨」ということについてというよりも、
でも、ここでも言われているのですが、
日々の生活の中で自分はちゃんと目を覚ましていただろうか、
そのように思わされたのです。

月曜日、前日の役員会のことを思い出しながら、
そして、その日、朝からそれぞれ、仕事や学校に行く皆さんのことを思いながら、
自分はちゃんと目を覚まして、一人一人の闘いのために祈っているだろうかと思わされたのです。

眠っていたかな、と。
自分は眠っていたんじゃないかと。

そこで祈らせていただきました。
一人一人の歩みが守られるように、
聖書のことばの通りに生きようとすると、
いろいろな闘いのある社会の中で、
一人一人が世と調子を合わせることなく、
そして、世から乖離してしまうことなく、
世の中に、神様の恵みを流しこむ突破口として用いられるように、
祈らされました。

主よ、
今日も、今週も、
一人一人の歩みをお支えください。
わたしを目覚めさせてくださってありがとうございます。
どうか、祈らせてください。
教会の一人一人がその与えられたところで、
主の恵みのながれる突破口として用いられますように。

2011-06-19

まだまだ。

今夜の我が家の会話。

GP「でも、あの桑田も大変だよねえ。」
M「え?」
GP「いや、あの手術するの、桑田じゃなかった?」
GM「桑田じゃないでしょ。」
M「それは松坂でしょう・・・」
N「え、松坂ってRed Crossの?」

のんちさん、今回の日本の被災地での働きのおかげで、頭の中はすっかり25年前の看護師時代にトリップしているようです。

2011-06-16

神様の近くに。


日本から両親が来訪しておりまして、
それなりに、いろいろしております。

いろいろ話が盛り上がり、
気がつけば眠くなっているという感じでしょうか。

で、なかなか更新ができなくなっています。・・・が、今日はちょっとがんばってみましょう。

昨日は午前中からクロッキー教室に一緒に行って、
夕方からは、NYCのダウンタウンのWater Taxiで1時間のクルーズをするというヤツに行ってきました。Goldstar.comというサービスで、半額+手数料。この「手数料」というのが買う直前までわからなかったので、「な〜んだ」という感じですが、それでも、ずっと安いので、お勧めです。

7時45分出港で、6時15分に家を出た、というのがちょっと無謀だったかもしれませんが、あっちもこっちも渋滞で、ダウンタウンの船着き場に着いたのが、2分前。「出港30分前に着いてください」と書いてあるので、もうダメだ、と思いましたが、奇跡的に出航前に着いて、事前の下見もなかったのですが、すぐに乗り場も見つかり、無事に乗り込みました。

思ったよりも猛スピードで走っていましたが、自由の女神の前ではちょっと停泊して写真タイム、ちょうど西の空に沈む太陽をバックにシルエットが浮かびます。



島に上陸するのもそれなりにいいですが、
涼しい時間帯に近くまで行ってしばらく停泊というのもなかなかです。

その後ブルックリンブリッジの下をぐるっと回って戻る・・・1時間って短いね、という程度がまたちょうどいいのかも。


さて、日曜日の聖書。
日曜日はテサロニケ第一4:1-12。

「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」3節。

神様はありのままの私たちを受け入れてくださるけれども、
いつまでも、そのままにはしておかれない。

そして、私たちを、神様ご自身のきよさに招いておられる。
いろいろな試練を通して、御言葉を通して・・・。

私も神様がきよくなそうとしておられるのだ、と思わされます。

主よ、
あなたが私をきよくしようとしておられること、
感謝します。
どうか、私をあなたの近くに導いてください。

2011-06-13

人生の重さ。

今日は曇り時々晴くらい。
昼間も25度止まりで、過ごしやすかったです。
夜になって冷えてきています。
12時前ですが、16度Cです。
そして、これから雨のようです。


明日一日ぐずついて、肌寒い日となりそうです。


先週の金曜日には、
一人のご婦人を訪問させていただきました。
84歳の方なのですが、
その方の人生の歩みをお伺いしながら、
その人生の重さを感じました。
60年前に日本からやってきて、
若くして夫を亡くし、
自分の力で踏ん張って行きていたその人生。
簡単に評価を下したりできないものを感じていました。
もちろん、その方も、私に会うのは聖書の話を聞くためなので、最後には聖書を読んで神様の話をして、お祈りをするのですが、簡単にものを言うことははばかられます。


その経験を通して、自分の聖書の読み方も反省させられました。
例えば、アブラハムが神様から声をかけられて、「自分の故郷を離れて、私が示す地にいきなさい」と言われたのは、75歳の時でした。


また、モーセが神様から声をかけられて、イスラエルのリーダーとしてエジプトでの奴隷状態から解放する働きを任せられたのは80歳でした。


そのような信仰者たちの人生の重さを考えていませんでした。
特にモーセが80歳で指導者に立てられたこと、
40歳の時に一度はリーダーとして自ら立とうと思ったこともありました。
でも、神はそれを許されませんでした。
なのに、ここでリーダーに立て、と言われても・・・という感じだったと思います。


でも、それだけではなくて、本当に語り始めたらきりがなかっただろう40年の日々。その重さに思いを馳せることがどれほど必要かと思います。そこで見えてくる聖書のメッセージ。聖書は真空の中で読むものではないな、と思わされます。


もっともっと聖書を読ませていただきたい、語っていただきたい、そのように思わされます。


さて、土曜日の聖書。
土曜日はテサロニケ人への第1の手紙3:1-13。


「私たちはこのような苦難に会うように定められているのです」3節。

苦しみに会うことは、
それも、信仰を持っているが故の苦しみに会うことは、
もう最初から決まっている、という。

だから驚くな、たじろぐな、
そういうのであろう。

なかなか難しいのだけれども、
織り込み済み、って気持ちは必要なんだと思う。

自分がこれから歩んでいく道、
楽しいことばかり、すべてが順調、なんてことはない。
「神様を信じているのにどうして・・・」という声も聞くけど、
ホントは反対なんだろうな、
神様を信じているから、苦しいこともある。
でも、神様がおられるから、大丈夫。

主よ、
あなたがおられるからありがとうございます。
私たちの歩む道には闘いや痛みもあることを教えてくださってありがとうございます。
どうか、次に苦しみが襲ってきた時に、この聖書のことばを思い出すことができますように。
そして、その苦しみの中であなたの平安に満たされて歩めますように。

2011-06-12

同じ方がおられる。

ちょっと更新できませんでしたが、
ちょっと涼しい日が続いています。
今も夜の11時過ぎですが、18度C台。


今、雷雲が西から近づいています。
そして、更に涼しくなりそうです。


明日の最高気温は25度。
気持ちのいい1日になりそうです。


今日は半年ぶりの洗礼式。
近所に住む男性が、洗礼を受けられました。
自分のよりも年上の男性の洗礼式は数年ぶりでしょうか。


また、今回は始まったばかりのスモールグループで男性同士で集まっておられる方々もおられて、その方々にとっても、特別な喜びの時になりました。


そして、ペンテコステ、聖霊様が弟子たちにくだられて、
弟子たちを作り替え、新しい人々が導かれて、
教会がスタートした教会の誕生日。


毎年、1回お祝いする日ですが、
今年は特に、その同じ聖霊様が今もわたしたちと共にいてくださる、
そのことを特別に覚える礼拝となりました。
同じように、わたしたち自身を新しくしてくださり、
多くの新しい方々が導かれるようにと祈らされます。


さて、ちょっと前ですが、金曜日の聖書。
金曜日はテサロニケ人への第一の手紙2:13-20を読みました。


「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです」13節。

神のことばは信じる者の中に働く。
やはり信じることが大切なんだ。
信じても信じなくても同じではなくて、
信じる時に初めて力を持っていく。
神様の御業が働く。

だから、信じていこうと思う。
信じようと思う。
御言葉を信じて、神のことばを信じて、
その力が私のうちに働くことを経験させていただこう。

主よ、
今日の一日を感謝します。
どうか、聖霊様に導かれてこの一週間を歩めますように。
あなたの御力を拝させてください。
御言葉を信じて、その力を経験できますように。

2011-06-09

人ではなくて神を見る。

今日も暑い1日でした。
車の温度計は105度Fを表示していました。
ウチの庭の最高気温も38.6度C。
つまり101.5度F。


でも、夕方から空が暗くなって、雷鳴が轟き、
一瞬停電になって、だんだん気温が下がってきて、
お、雷雨かな、と思ったのですが、
まあ、我が家のあたりは大したことはなくて、
ちょっと雨が降って、涼しくなってよかったという感じ。


そして、今は夜の12時前ですが、
21度Cくらいまで下がってきています。


明日は30度止まり。
今日までの暑さを考えると、ちょっと過ごしやすくなるでしょう。


今日のシニアセンターでののんちの報告は、
とてもよかったです。(「長くならないように」「ポイントを絞れ」「聞く人のことを考えろ」など、いろいろうるさく言いましたから・・・)
それでも、昨日準備している時は「写真は一枚2秒でいいかな?」なんて、「フラッシュカードかい?」というようなことを言っていたのが、実際は1枚10秒くらいかけて話していて、巻きを入れなければいけないほど。でも、それでちょうど良かったかな、という感じでした。


本人も、「伝える使命」ということを感じているので、
ちょっとこの先、教会内外、あちらこちらでそのような機会が与えられるようにと願っています。


明日以降も、週末にかけて、
牧師館と、プリンストンの教会と、自分たちの教会、の3回の報告会があります。
疲れすぎてしまわないように、お祈りください。


さて、今日の聖書。
今日は第1テサロニケ2章1−12節。


「私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。」4節。

やはり、自分はどうだろうかと問われました。
神様をしっかり見ているだろうか?
見上げているだろうか?

人を恐れないで、神を畏れる、
そして、神の願われること、
神が語りなさいと言われることを、
語らせていただこうと、改めて思わされました。

今日のシニアセンターもそうですが、
明日は、またおばあちゃんを訪問します。

その心からの叫びにしっかりと耳を傾けるとともに、
そのここまで歩んでこられた人生の重さをしっかりと受け止めるとともに、
神様のメッセージをしっかりと伝えることができますように。

主よ、
私がいつもいつもあなたの声に耳を傾け、
あなたに聞いて行くことができますように。
あなたの願われる道に歩むことができますように。

聖霊さまを待ち望む。

テサロニケ人への手紙に入って、毎日更新しようと思いつつ、早速つまずいています。ベッドの中でiPhoneで更新中。

明日…日付が変わったので今日ですね、シニアの集まりでのんちがお話をすることになり、500枚くらいある写真から、60枚くらいを選ぶのに12時を回ってしまいました。帰米後、最初の報告の機会です。お祈り下さい。

昨日は暑かったですね。うちの庭の最高気温は37.1度Cでした。今日は、もう少し上がりそうです。

さて、今日の聖書、テサロニケ人への第一の手紙の1章。






「わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。」5節。

本当に伝道しようとするときに、自分の弱さ、足りなさを感じさせられる。

だからこそ、聖霊さまの御業が必要なのだ。自分の力ではない、人の力を超えた、神様の働きが必要。

今日も、そのことを思わされていた。

神様の招きを感じる。

主よ、
聖霊さまを私のうちに満たしてください。
そして、人々があなたを信じる、という奇跡を見せて下さい。 BlogBooster-The most productive way for mobile blogging. BlogBooster is a multi-service blog editor for iPhone, Android, WebOs and your desktop

2011-06-07

民数記を読み終えて。

今日は暑くなってきました。
33度くらいまで行ったでしょうか?
明日からは酷暑です。36-7度の予報が出ています。
でも、今は、夜10時で25.7度C。
これが助かります。
東京のように夜まで暑いと大変ですが、
ここでは熱帯夜も年に2-3日、特別多い年でも10日以内です。


この熱波、2日くらいで、週末はぐっと暑さも和らぐようです。


来週は日本の梅雨のような天気になる・・・かな。
やめてほしいですが・・・。


さて、このところしばらく民数記を読んできましたが、
今日で最後。
一つ一つの言葉よりも、
自分の来し方を思い出す、そんな思いで最後の日を迎えました。

民数記は荒野の40年の記録。
その一番最後のところから旅を振り返って書いたのだろう。

自分も記憶を辿ってさかのぼると4歳くらいまでは思い出す。
だから、45年くらいの記憶があるわけだ。
その一歩一歩が失敗だらけの、傲慢な思いのいっぱい詰まった歩みだったと思う。
自分の責任から逃げたことも何回もあった、
自分のしたことをごまかそうとしたこともあった。
そんなことばかり思い出す。

だから、民数記の民の失敗の歩みは、
まるで自分の歩みを見ているようだった。

だから、人の失敗と神の憐れみの歴史。
その中にちらほら見える、信仰の勝利。

神様の憐れみの中に生かされていることを、思わされる。

主よ、あなたの憐れみの中に生かしてくださってありがとうございます。
責任から逃げたり、傲慢になったり、ごまかそうとする思いから、
守ってください。
聖霊様、私をあなたの思いで満たし、
あなたが持っておられるへりくだりと、
人々への愛を、私のうちに与えてください。

2011-06-06

赦されるはずのない者が。

今日も割合涼しかったですね。
27度くらいまでは行きましたが。


でも、明日からは熱波です。
明日はまあ32度くらい。
そして、水曜日と木曜日は36度くらいまで上がる予報が出ています。


かなり体に堪えそうです。
お気をつけて。


さて、昨日の「野外礼拝」にはたくさんの方々が来られました。
楽しかったですね〜。
いや、楽しかった、の前に、耳を澄ますと鳥たちの声が聞こえるような中で、
礼拝を守るっていいですね。自然の賛美に心を合わせる、という感じです。
で、そのあとは、BBQとゲームとソフトと、スイカ割り。思いっきり遊びました。


写真は例によって、教会のHP(http://jccofnj.org)から「イベントフォト」へ行っていただくと、出てきます。


返す返すも、何年ぶりかのスイカ割りで、外してしまったことはとても悔しかったです。


でも、この野外礼拝、今までも、これをきっかけに教会に来るようになった、という方々がおられます。今年もそういう方々が起こされますように。


さて、ここしばらくずっと「日々のみことば」についてはあまり触れないで来ましたが、ずっと民数記の最後の方を読んでいました。その中から。

民数記35章「逃れの町」について。

「逃れの町」は、「故意ではなく過失で人を死なせてしまった」場合に復讐しようとする者の手から守るために作れた町。でも、「故意」で殺人を犯した者は「逃れの町」も守ることはありませんでした。

イエスは「人を憎んだり、あざけった者は人を殺したのと同じ罪を犯している」と言われた。「過失」ではない。言い訳はできない。「故意」に人を殺したのと同じ罪を犯している。だから、本当は自分は赦されるべき者ではなかった。

その罪の深刻さがわかっているのだろうか。

「罪」それも「故意の罪」は赦されるものではなかった。
イエスはそのわたしたちを赦すために十字架にかかられた。
本当はそれは赦されるはずがなかった、ということを知る時に、
そのことを心の深くで知る時に、
神様の愛が見えてくる。
神様の情熱が見えてくる。

本来赦されるはずがない者が赦されている。

なんと言う幸いなんだろうか?

神様、
あなたの愛に感謝します。
私を救ってくださる、赦してくださる愛に感謝します。
私がそのことを軽く考えることがないように、
守ってください。

2011-06-04

主の肯定に感謝。

48回目の誕生日を過ごしました。
FBでは互いの誕生日のお知らせが来るので、
人生で一番たくさんの方々に声をかけていただいた誕生日になったと思います。
感謝します。

いつからか、「誕生日はその人の存在を喜ぶ日だ」ということを思わされている。
今日は自分の存在が神様から肯定されているんだという事を思う日。
心から主に感謝しよう。

そういえば、同じ誕生日の2歳になる子、
昨日、のんちの日本での写真を見た時に、出てきたな。
郡山で歩んでいるご一家。
主の守りがあるように祈らされる。
君の存在も、神様によって肯定されている。
私も、その神様の肯定を喜ぼう。
祝福を祈りつつ。

「受けるよりも与える方が幸いである」使徒行伝20:35。
「受ける喜び」をいっぱい経験させていただいたのだから、それにまさる「与える喜び」をもっともっと味わう事ができますように。

あ、でも、今日はもっともっと大きなイベントがハワイであったんだよね〜。

せっちゃん&まおくん、おめでとう!
君たちの結婚記念日は忘れないな・・・。

新しく、また心を向ける。

昨日の夜は写真を整理しながら、
いろいろな話をしていて遅くなった。

31日の写真。
おつかれさま。



「何が食べたい?」と聞いたら、
「麺類・・・」とまったく作らなかった分野のもののリクエスト。

そばにかき揚げ、
あと月曜日にミツワで安く売っていた、なし割りにした鯛の頭をごぼうと一緒にたく、
というすべて初挑戦メニュー。

かき揚げが見事に玉砕。こういうときは、なれないものに挑戦しない方がいい。
あ、鯛はおいしかったです。一緒に炊いたごぼうもうまい。
かき揚げがうまく行かないのはみんなが手伝わないからだ、と子どもたちに当たり散らしながら、でも、家族で囲む食卓に感謝しながら・・・。

日本で経験した事の話もあまりゆっくりと聞かないで、
2、3日がすぎてゆきました。

でも、昨日はカメラから写真をMacに取り込んで、
写真の説明をひとつひとつ聞きながら、
いただいてきた地図を見たり、新聞記事を読みながら、
ネット上の情報も見ながら、夜が更けて行きました。

日本で聞いてきた話は「しっかり見て、アメリカにいる人たちにも、伝えてほしい」「大統領にも伝えてほしい」(!)・・・。どのように伝えたらいいのか、祈らされます。

メッセージを受けて、わたしたちも、こちらからのメッセージを被災地におられる方々にお返しする事の大切さを感じます。「わたしたちの心は今も、あなたがたと共にある」と。

2011-05-31

無事・・・

のんちが到着しました。
空港では指紋が合わなくて手間取ったり(本人2回目)、
荷物の中に肉製品がないかと徹底的に調べられたり(私がブラックリスト載り)、
なかなか出てこないで、「ああ、また手間取っているなあ」と思っていましたが、
1時間30分ほどで出てきました。

本当に皆さんのお祈りに感謝します。

明日から6月です。
新しい気持ちで新しく歩み始めます。

日本の事をいつも祈りながら、
いつもそこに心を向けながら。

2011-05-30

祈りにささえられて。

先ほど、のんちの乗った飛行機が日本を離れました。
明日の昼にはこちらにつく予定です。

2ヶ月間、多くの方々の祈りにささえられて、
日本の方々によくしていただいて、
働きを終えて帰ってきます。

感謝します。

明日から、家族の時間や、教会の皆さんとの時間を大切にしたいので、
更新はちょっとスローになると思います。

祈りつつ、気まぐれになされる更新を見守ってください。

2011-05-29

遣わされている。

今日も暑かったですね。
明日92度F、あさって、93度Fです。
つまり33度くらい?
熱波と一緒にのんちの帰りを待ちます。


今日はサキの運動会でした。
徒競走は一口かつの祈りも届かず、今年は5人中3位。
うーん、だんだん順位が下がってきているような・・・。
走り方も女の子っぽくなっているのでねえ。
のんちの血を引いているのですが・・・。
私の血のせいでしょうか。


今年は教会の用事をこなしている間に、
「4年生は3年生のあとだろうから、まだだろ」と思っていたら、
うかつにも、4年生が先だったことに気づかす、
走っている姿には気がつきませんでした。


ま、しょうがないですね。運動会が日曜日になるとこうなります。ハイ。
午後は兄貴が行ってくれて、親子競技にも出てくれて、
最後は白組が勝ったので、大満足だったようです。
それでよしとしましょう。


のんちは日本の最後の日を過ごしています。
日曜日の夜には17人の方があちらこちらから集まられて、
幸いなひとときをもつことができたそうです。
大雨だったようですが、
東京都内だけではなく、神奈川県や埼玉県からも。


久しぶり、の方もおられたでしょうね。
私は毎年日本に行っては集会をしていますが、
のんちが日本に行く時にはあまり皆さんにお会いできないので。


所沢から、片道1時間半くらいかかるでしょうね、
おいでくださった、ありゅさんからは、こんなお言葉を


感謝します。


ところで、今日も運動会で思ったんですが、
たくさん日本語を使う方々がおられるんですね。


でも、なんだか、最近知っている方々が少ないような。
ちょっと反省。もっと世界を広げないといけませんね。


そして、やはり、今朝もう一度思いました。
私はここに派遣されているんだと。
私はこの8月から次の3年の任期が始まります。
それは昨年の11月頃にだいたい形ができた話です。


もしも、震災がもっと早くその任期が固まる前に起こっていたなら、
日本に目が向いていたかもしれません。
でも、実際に起こったタイミングに、やはり、私は今与えられたところで生きるようにと導かれていることを感じます。そして、今日の運動会で、多くの人々と挨拶を交わす中に、それを確信させられています。


今も山元町のりんごラジオさいまるラジオで聞きながらですがね。


あと、イトイさんも更新しておられました。


あと、カナダの看護師さんものんちが来るところまで更新


このカナダの方の記事の最後に出てくる簡易トイレですがね、紙を流してはいけません。この山元町の下水道はまだまだで、完全復旧は1年後ということです。それで、どうしてもからだの弱い方を除いては簡易トイレを使っておられるのですが、処理の問題なのでしょう、使った紙はビニール袋に入れておきます。で、のんちは、山元町から、東京に戻った時には、あれ、これ捨てていいのかな・・・と戸惑うこともしばしばらしいです。でも、自分が大学にいたときの指導教官はインドの専門家で、しきりに「水洗トイレが普及するかどうかで水の使用量が全然違ってくる」と言っておられました。水洗トイレ、確かにありがたいですが、考えさせられます。


今日は礼拝から。
わたしたちは月曜日から仕事をして、
疲れて土曜日、日曜日と休む。
そして、月曜日「ああ、また仕事だ」と重いからだを起こして働き始める。

でも、聖書はそんな生活のリズムに、
パラダイムシフトを起こさせる。
聖書の世界観はこうだ。
日曜日、週の初めの日、教会に集まり、
復活のイエスに出会う。
そして、そこから派遣されて行く、一人一人の神様から与えられた場所へ。

コペルニクス的転回。

多くの人々の心に、そのような出来事起こりますように。

運動会の朝。

運動会の朝です。
牧師をしていると日曜日に運動会をするのは、
何とかならないかなあ、と思いながら、
そして、なんとカミさんがいないと、お弁当も作って・・・となるが、
記念すべき、この2ヶ月の最後のお弁当。
最後までキャラ弁とまでは行きませんでしたが、

なにをかくそう、最初のころに作ったハンバーグを冷凍したやつを、
毎週一個ずつ焼いて、持って行っていた。
(本人がそれがいいというので・・・)

それが昨日でなくなったので、今日は一口カツ。
これで運動会、徒競走で勝つ!


・・・・って、徒競走はランチの前だけどね。

庭で取れたもいよいよ最後のアスパラと、
トマトと人参って・・・今日は彩りも考えて・・・。

おにぎりはしおにぎりのりなし。

これも本人の希望。
こっちは卵焼きでも入れようかと思ったら、
これも本人が却下。

ブログにお弁当の写真のせる奥様方って、
すごいなあと思っていたのですが、
最初で最後だと思って、がさつなオヤジの盛りつけをご紹介。



今、一瞬、日本に電話したのですが、
のんちの報告と祈りの時、
大雨の中、各地からたくさんの方々が来られたそうです。
皆さんのお祈りに感謝。

でも、自分の心は礼拝のことでいっぱい。
でも、自分ががんばるのではなくて、
神様の愛と命の注がれる礼拝となりますように!

2011-05-27

自分を知る。

今日は暑かったです。
33度くらいまで上がりました。


そして、明後日の日曜日は晴ですね。
暑いですね。運動会は大変だ。
熱中症対策万全にしないと、おかしくなりますよ〜。


今日は教会のニュースレターのための原稿書き。
そのために、地震が起こった日からの記録をずっと読んでいました。
のんちももうすぐ帰ってくることだし、振り返りながら読んでいました。
ああ、そうだったなあ、そんなこともあったなあ、と。


その中のリンクも確認しながら。


そして、その中で、3月24日にご紹介した、カルフォルニアの三羽先生が最近こんな文章を書いておられることを知りました。


「援助と自己満足や偽善」

「援助者が自分の中に自己満足の気持ちがあることを知って、それを受け入れることの大切さ」について書いておられます。


確かにそうだなあと思いながら読みました。
つまり自分が自己満足のためにこれをやっているということを認められない=相手の為にやっている=相手が感謝してくれないことを受け入れられない・・・「あれ、これって究極の実際自己満足?」
そんなサイクルに陥ってしまう場合ってあるかなと。


まあ、自己満足に終わる時って、自分が自己満足に陥りやすい存在であることを認められない時なんでしょうね。自分がわかっていないと言うか。恩着せがましくなってしまう、なんてのもそうなんでしょうね。


反対にいい働きをしておられる方々ほど、「ああ、自己満足かもしれない」「それでもいいんじゃないかな」など、そんな声を上げておられますね。


クリスチャンは「自己満足」を否定する傾向があるから、そして、「人のため」という気持ちが強いから、いつの間にか、自分の中にそのようなものがあっても、それに気がつかないことがあるし、気がついても否定したり、抑圧したり、無視したりして、「自分の弱さ」として受け入れることができない場合もあると思う。


そんなことを覚悟しながら、今日も山元町のファンとして、
一つ情報を。


内村宣教師も、のんちも、そして、たくさんの大物の皆さんも出演された「りんごラジオ」を世界中どこででも、インターネット経由で聞くことができるようになりました。


りんごラジオブログ/さいまるラジオ開設

早速何回かアクセスして聞きながら過ごしています。
もうちょっと早くこれができていれば・・・と思いますが、
またこれからでも、いろんな情報を聞くことができればいいな、と思います。

2011-05-26

8年目の・・・。

はい、今日は8年目のマツイ記念日でした。


「え?何それ?」という方はこちらを

今日はまた感謝なことがありました。
それはまたこんど。公表できる段階になった時に。

今日も山元町情報を一つ。
ペンシルベニアから行っておられる英語の先生が、
募金を集めておられます。

アンドラス山元基金。

日本を愛し、山元町を愛しておられる先生だって、よくわかりますね。

お祈りに感謝。

のんちは、3週間半ぶりに東京に戻ってきました。
3月28日にアメリカを出る時には何も決まっていなかったのですが、
9週間の滞在の中で、6週間あまりの働き場が与えられて、
来週の火曜日に無事に帰ってきそうです。


一つ一つのことに皆さんのお祈りを覚え感謝します。
また、どこの馬の骨かもわからない「おばちゃん」を受け入れてくださった皆さんお一人一人に心から感謝します。


続けて山元町応援モードの私は、
「山元町」で検索を続け、
のんちの前に同じ救護所でボランティアをされていたカナダの方の報告に出会いました。


http://canadamom.babymilk.jp/Firstreportpage.htm


まだ、5月の写真は全く見ていない(かろうじて内村宣教師のページで見ただけ)の私は、ああ、「ここでのんちはボランティアをしていたんだなあ」と感無量になりながら、読ませていただきました。