今日はまた寒くなりました。
日中も0度から2度くらいの間を上がったり下がったりでしたが、
夜になってから、ぐんと冷えて、今、夜の11時で、-6.1度Cでした。
明日も寒いでしょう。
そして、日曜日から月曜日にかけて、ちょっと雪も降るみたいです。
今回も大したことはないみたいですが・・・。
今日、ふと思ったのですが、
あの23年前の時、
私に「君は傲慢な人間だね」と言ってくださった先生、
ほんとうに感謝しています。
その言葉がなかったら、私はあの問題を乗り越えられなかったかもしれません。
適当にうまいこと「慰め」てくれていたら、
その場は何とか「良かった良かった」と思ったかもしれませんが、
神様の愛は分らなかったかもしれません。
もしかしたら、先生の方も勇気がいったんじゃないかと。
自分だったら言うことができるだろうかと。
「私を信頼して言ってくださったのだろうか」と思いますが、
そうじゃなくて、「神様の恵みを信頼しておられた」のだと思います。
私もそれができる者となりたいと思いました。
その人が受け止められるかどうかを考えるよりも、
神様の恵みを信頼する、
神様がその方の目を開いてくださる、という信頼をもって語っていきたいと思いました。
今日の聖書。
今日はヨハネ第1の手紙の1章を読みました。
「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」6-7節。
光の中を歩く。
それが大切。
「神と交わりを持っている」と言うことは誰にでもできる。
でも、ほんとうに「光の中」を歩んでいるだろうか?
神様に隠れることなしに、
神様の前に真実に歩んでいるだろうか?
光に照られたものは、それがまた光となる。
いつもいつも真実でありたいと思います。
主よ、
あなたの前に真実であることができますように。
ウソのない歩みをあなたの前に守ることができますように。
どうか私の歩みを守ってください。
誘惑や怒りから守ってください。
あなたの愛で支配してください。
あなたの愛で満たして下さい。
2007-02-23
光の中を歩く
2007-02-22
しみも傷もない者として
今日は朝の最低気温は-2.4度。
そこそこ冷え込みました。
昼間から雨が降ってきて、夜には雪になるだろうと言っていましたが、
それほど冷えずに今も夜の10時で、3度もあり、雨が降っています。
でも、明日はまた寒い一日になるようです。
今日はレオニアでのキッズクラブ。
最近、こちらは、ちょっと参加者が少なかったので、
心配しました。
でも、終わってみると楽しかったです。11名の子ども達が集まりました。
初めての子達も喜んでくれました。
またこれから、暖かくなって、もっともっと盛り上がっていくことを期待しています。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章。
14節の言葉が心に留りました。
「そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」
「・・・しなければいけない」「・・・してはいけない」というところからイエスによって解放された私は、こう言う聖書の箇所にはあまり目を留めていませんでした。それよりも目をそらしていたのだと思います。そして、それから20年以上経って、今また、こういう聖書の言葉が心に迫ってきます。「しみも傷もない者となる」それを本気で求めて、与えられたいと思います。「人間はみんな罪人だから・・・」ということに立てこもり、「律法的になるといけないから・・・」とごまかしていたのかもしれません。聖書の言葉は神様からの言葉として、ストレートに受け止めて、「そうだ、しみも傷もない者になりたい」と思いました。
悔い改めて、悔い改めて、一つ一つ具体的に悔い改めて、
主に赦されて、きよめられて、
歩んでいきたいと思います。
主よ、
私をきよめて、
しみも傷もない者としてください。
悔い改めます。
今日、悔い改めて、あなたの赦しときよめを求めます。
どうか、全き者となしてください。
そこそこ冷え込みました。
昼間から雨が降ってきて、夜には雪になるだろうと言っていましたが、
それほど冷えずに今も夜の10時で、3度もあり、雨が降っています。
でも、明日はまた寒い一日になるようです。
今日はレオニアでのキッズクラブ。
最近、こちらは、ちょっと参加者が少なかったので、
心配しました。
でも、終わってみると楽しかったです。11名の子ども達が集まりました。
初めての子達も喜んでくれました。
またこれから、暖かくなって、もっともっと盛り上がっていくことを期待しています。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章。
14節の言葉が心に留りました。
「そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」
「・・・しなければいけない」「・・・してはいけない」というところからイエスによって解放された私は、こう言う聖書の箇所にはあまり目を留めていませんでした。それよりも目をそらしていたのだと思います。そして、それから20年以上経って、今また、こういう聖書の言葉が心に迫ってきます。「しみも傷もない者となる」それを本気で求めて、与えられたいと思います。「人間はみんな罪人だから・・・」ということに立てこもり、「律法的になるといけないから・・・」とごまかしていたのかもしれません。聖書の言葉は神様からの言葉として、ストレートに受け止めて、「そうだ、しみも傷もない者になりたい」と思いました。
悔い改めて、悔い改めて、一つ一つ具体的に悔い改めて、
主に赦されて、きよめられて、
歩んでいきたいと思います。
主よ、
私をきよめて、
しみも傷もない者としてください。
悔い改めます。
今日、悔い改めて、あなたの赦しときよめを求めます。
どうか、全き者となしてください。
2007-02-21
何に支配されているか
今日は暖かな一日でした。
朝の最低気温はちょうど0度C。
昼間の最高気温は9.5度まで上がりました。
でも、今、夜の11時で、-0.8度。
さすがに夜には氷点下になりましたね。
明日は時々雨で、
夜には雪も混ざるようです。
おとといですが、夜、ゆっくり風呂につかりながら・・・アメリカの浅いバスタブなんですが、最近これにはまっています・・・雑誌のTimeを読んでいました。
その中に、アメリカで、今、「中絶反対運動」が変わりつつある、という記事がありました。ただ「反対」を叫んだり、クリニックの前で「殺人だ」と責めたりすることではなくて、つらい中、困難の中にいる妊婦の人々に救いの手をさしのべて、何とか思いとどまってくれるようにと励ますグループがどんどん生まれているそうです。ほんとうに大切なことだと思います。
教会では結婚という枠の外での男女の体の関係は認められていません・・・というか、神は結婚を祝福されたわけで、不倫にせよ、婚前交渉にせよ、神の祝福を失うことです。
ほんとうに大きな誘惑はあるし、社会はそれを「時代遅れ」「化石」と呼びます。
「この歳で経験がないなんて恥ずかしい」なんてアホなことを思わせるような文化です。
でも、胸を張って宣言すべきだと思います。
そして、「第2のバージン」という言葉さえあります。
クリスチャンでありながら過ちを犯した人、クリスチャンではなかったので、そのような価値観を持っていなかったけれども、後にクリスチャンになって生まれかわった人が、悔い改めて、その時から、結婚まで慎む、という意味です。
でも、もう一つ大切だと思うことは、
「今まで純潔を守ったから、私たちの結婚はうまくいく」なんて安易に考えてはいけない、ということです。結婚はほおっておいて祝福されるものではないなあ、と思います。日々、神様から力を与えられて、互いを大切にしていいくこと、チャレンジです。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙2章でした。
きついことがどーっと書かれているところですが、
その中で、次の言葉が心に残りました。
「その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。」19節の言葉です。
自分はいったい何に支配されているだろうかと思いました。
ほんとうに神様の愛に支配されているだろうか。
神様の愛が私の心の隅々まで支配しているだろうかと。
他に私を捕らえてしまっているものはないだろうか、
もう一度心の中を探られました。
「完全な愛は恐れを取り除く」
私のテーマ聖句です。
主の愛に満たして頂きたいです。
主よ、
今日の一日を感謝します。
夜の集会を特別に感謝します。
どうか、明日もあなたの恵みでいっぱいにして下さい。
そう、あしたはキッズクラブです。
多くの子ども達との出会いがありますように。
朝の最低気温はちょうど0度C。
昼間の最高気温は9.5度まで上がりました。
でも、今、夜の11時で、-0.8度。
さすがに夜には氷点下になりましたね。
明日は時々雨で、
夜には雪も混ざるようです。
おとといですが、夜、ゆっくり風呂につかりながら・・・アメリカの浅いバスタブなんですが、最近これにはまっています・・・雑誌のTimeを読んでいました。
その中に、アメリカで、今、「中絶反対運動」が変わりつつある、という記事がありました。ただ「反対」を叫んだり、クリニックの前で「殺人だ」と責めたりすることではなくて、つらい中、困難の中にいる妊婦の人々に救いの手をさしのべて、何とか思いとどまってくれるようにと励ますグループがどんどん生まれているそうです。ほんとうに大切なことだと思います。
教会では結婚という枠の外での男女の体の関係は認められていません・・・というか、神は結婚を祝福されたわけで、不倫にせよ、婚前交渉にせよ、神の祝福を失うことです。
ほんとうに大きな誘惑はあるし、社会はそれを「時代遅れ」「化石」と呼びます。
「この歳で経験がないなんて恥ずかしい」なんてアホなことを思わせるような文化です。
でも、胸を張って宣言すべきだと思います。
そして、「第2のバージン」という言葉さえあります。
クリスチャンでありながら過ちを犯した人、クリスチャンではなかったので、そのような価値観を持っていなかったけれども、後にクリスチャンになって生まれかわった人が、悔い改めて、その時から、結婚まで慎む、という意味です。
でも、もう一つ大切だと思うことは、
「今まで純潔を守ったから、私たちの結婚はうまくいく」なんて安易に考えてはいけない、ということです。結婚はほおっておいて祝福されるものではないなあ、と思います。日々、神様から力を与えられて、互いを大切にしていいくこと、チャレンジです。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙2章でした。
きついことがどーっと書かれているところですが、
その中で、次の言葉が心に残りました。
「その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。」19節の言葉です。
自分はいったい何に支配されているだろうかと思いました。
ほんとうに神様の愛に支配されているだろうか。
神様の愛が私の心の隅々まで支配しているだろうかと。
他に私を捕らえてしまっているものはないだろうか、
もう一度心の中を探られました。
「完全な愛は恐れを取り除く」
私のテーマ聖句です。
主の愛に満たして頂きたいです。
主よ、
今日の一日を感謝します。
夜の集会を特別に感謝します。
どうか、明日もあなたの恵みでいっぱいにして下さい。
そう、あしたはキッズクラブです。
多くの子ども達との出会いがありますように。
2007-02-20
信じるところで留っていないで
今日は暖かな一日になりました。
夜のうちに気温が上がって、
朝にはもう氷点下を脱出。
そして、最高気温は8度まで上がりました。
今は夜の11時で3.3度。
暖かな夜です。
今、外は雨が降っています。
雪が混じるでしょうか?
明日も暖かな日になりそうです。
朝は、教会で祈り会があったのですが、
学校が休みのため、子ども達がゆっくり寝ていられるということで、
カミさんも来ました。
そして他に来られる方がおられなかったので、2人で祈りました。
教会の一人ひとりのことを覚えて
家で祈るときとはまた違った、
熱い祈りを捧げることができました。
とても新鮮な朝でした。
昨日29回目の洗礼記念日を迎えた彼女。
共に歩めることに心から感謝します。
午後には牧師のためのセミナーがあって、
ニューヨークに行って来ました。
行きはマンハッタンの北の方までバスで行って、
マンハッタンに入ったら地下鉄、と思っていたのですが、
何と警察が大集合していて、地下鉄が止っているとのこと。
ニュースにも何にもなっていなかったので、大事件ではなかったようですが、
バスで行ったら1時間以上かかって、大遅刻。
でも、セミナー自体は良かったです。
一つの伝道の方法を紹介するセミナーだったのですが、
その方法の中で、
「聖霊に満たされること」
が強調されていました。
ああ、それを求めていきたいなあと思いました。
日本では良く聞いていた言葉です。
でも、最近あまり耳にしなくなっていました。
いや、耳にしたり、歌の歌詞に歌われていたりしても、
意識していなかったのかもしれません。
how toとか知的な面に焦点が当たりすぎていたようにも思います。
「聖霊に満たされること」
聖霊なる神様に私のうちに満ちて頂いて、
あふれて頂いて、
それが人びとに伝わっていくような、
そのような伝道をさせて頂きたいと思いました。
教会にいつも来ておられる方々に対してもそうです。
私自身が聖霊様に満たされることを通して、
人々に神様の業が広がっていくような、
人々が造りかえられ、整えられていくような、
そのような教会となるようにと願いました。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙に進んで、
1章を読みました。
「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」5-8節。
信仰をもったら、救われたらそれで終わり、ではなくて、
その後にはまたいろんな課題がある。
いや、救いがタダで与えられるから、
その後の課題を感謝して歩んでいくことができる。
「徳」「知識」「自制」「忍耐」「敬虔」「兄弟愛」「愛」といくつものステップがある。
自分はどこにいるだろうかと思わされました。
大体、自分はこれをほんとうに求めてきただろうかと思いました。
「証し」に書いてきたように、
自分は「・・・しなければならない」というところから解放されたのですが、
その影響で、ほんとうにすべての「・・・しなければならない」というものを
捨ててしまったように思うのです。
愛されているから、救われたから、
喜びがあるから、
「このような歩みをしなさい」
といわれても、そこに生きていくことができるのに、
それさえも拒否していたときもあったと思います。
一つ一つ求めていきたいと思いました。
「徳」といわれるもの一つ一つを先ず求めていきたいと思いました。
主にあって成長させて頂きたいと思います。
主よ、
感謝します。
私を救って下さったことに感謝します。
感謝して、「徳」を求めて参ります。
どうか、一つ一つ教えて下さい。
経験させて下さい。
与えて下さい。
夜のうちに気温が上がって、
朝にはもう氷点下を脱出。
そして、最高気温は8度まで上がりました。
今は夜の11時で3.3度。
暖かな夜です。
今、外は雨が降っています。
雪が混じるでしょうか?
明日も暖かな日になりそうです。
朝は、教会で祈り会があったのですが、
学校が休みのため、子ども達がゆっくり寝ていられるということで、
カミさんも来ました。
そして他に来られる方がおられなかったので、2人で祈りました。
教会の一人ひとりのことを覚えて
家で祈るときとはまた違った、
熱い祈りを捧げることができました。
とても新鮮な朝でした。
昨日29回目の洗礼記念日を迎えた彼女。
共に歩めることに心から感謝します。
午後には牧師のためのセミナーがあって、
ニューヨークに行って来ました。
行きはマンハッタンの北の方までバスで行って、
マンハッタンに入ったら地下鉄、と思っていたのですが、
何と警察が大集合していて、地下鉄が止っているとのこと。
ニュースにも何にもなっていなかったので、大事件ではなかったようですが、
バスで行ったら1時間以上かかって、大遅刻。
でも、セミナー自体は良かったです。
一つの伝道の方法を紹介するセミナーだったのですが、
その方法の中で、
「聖霊に満たされること」
が強調されていました。
ああ、それを求めていきたいなあと思いました。
日本では良く聞いていた言葉です。
でも、最近あまり耳にしなくなっていました。
いや、耳にしたり、歌の歌詞に歌われていたりしても、
意識していなかったのかもしれません。
how toとか知的な面に焦点が当たりすぎていたようにも思います。
「聖霊に満たされること」
聖霊なる神様に私のうちに満ちて頂いて、
あふれて頂いて、
それが人びとに伝わっていくような、
そのような伝道をさせて頂きたいと思いました。
教会にいつも来ておられる方々に対してもそうです。
私自身が聖霊様に満たされることを通して、
人々に神様の業が広がっていくような、
人々が造りかえられ、整えられていくような、
そのような教会となるようにと願いました。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙に進んで、
1章を読みました。
「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」5-8節。
信仰をもったら、救われたらそれで終わり、ではなくて、
その後にはまたいろんな課題がある。
いや、救いがタダで与えられるから、
その後の課題を感謝して歩んでいくことができる。
「徳」「知識」「自制」「忍耐」「敬虔」「兄弟愛」「愛」といくつものステップがある。
自分はどこにいるだろうかと思わされました。
大体、自分はこれをほんとうに求めてきただろうかと思いました。
「証し」に書いてきたように、
自分は「・・・しなければならない」というところから解放されたのですが、
その影響で、ほんとうにすべての「・・・しなければならない」というものを
捨ててしまったように思うのです。
愛されているから、救われたから、
喜びがあるから、
「このような歩みをしなさい」
といわれても、そこに生きていくことができるのに、
それさえも拒否していたときもあったと思います。
一つ一つ求めていきたいと思いました。
「徳」といわれるもの一つ一つを先ず求めていきたいと思いました。
主にあって成長させて頂きたいと思います。
主よ、
感謝します。
私を救って下さったことに感謝します。
感謝して、「徳」を求めて参ります。
どうか、一つ一つ教えて下さい。
経験させて下さい。
与えて下さい。
2007-02-19
神が心配して下さっている
今日は一日氷点下でしたが、
ほんとうに明るい一日。
日が長くなってきたので、
寒々とした日ではありませんでした。
今、夜の10時過ぎですが、
-4度で、7時頃から下がっていません。
今夜はこのままこれくらいの温度で推移するでしょう。
もう、先週までの2週間のような寒さはさよならです。
一歩一歩春に近づいています。
今日は丸まるお休みだったので、
今頃、2006年の紅白歌合戦のビデオを見ています。
あまり評判の良くなかった昨年の紅白ですが、
良くない評判ばかり聞いていたからでしょうか、
「そうでもないじゃん」と思います。
もちろんすべてではないですが、
一つ一つの歌の歌詞に共感を覚えながら聞いています。
若い人たちの歌も捨てたもんじゃないと思いますし、
だんだん、「演歌を早回しするのはもったいない」
という感じになってきました。
「兄弟船」とか「おふくろさん」とか、いいですねえ。
逆に「軽い」曲についていけないですねえ。
そういう歳になってきたんだなあ、と思います。
そして、何よりも「ハレルヤ」とか、何か違うところで使われてたりすると、
何だかなあ、と思います。
「ハレルヤ」は調子のいいかけ声ではなくて、
「主をほめたたえよ」という言葉です。
神様のすばらしさをたたえよう、という招きです。
ヘンデルのメサイアのハレルヤコーラスを聴いたイギリスの王様が立ち上がらないでいられなかったといいますが、そういう厳粛なもんなんだろうと思います。
日本で大きな教会の副牧師をしていたときに、
教会に来ていた高校生の女の子達に頼まれて、
カラオケボックスへ連れて行ってあげたことがあります。
歌とか好きでしたし、いくつか歌える歌もあったのですが、
なんだか、歌詞を味わっていたら、とっても虚しくなったのを覚えています。
心から歌うことのできる歌である賛美の歌が与えられているのに、
全然共感できない歌詞を歌っている自分はいったい何をしているのだろうかと・・・。
それも、彼女たちを導く立場にいながら、
「連れて行く」「監督する」という名目で、
実際は「ついて行った」だけだったんですよね。
心から歌える歌を求めて、
心から歌える歌を口ずさんでいきたいと思います。
今日の聖書。
今日はペテロの第1の手紙5章を読みました。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」7節の言葉です。
特に後半の「神があなた方のことを心配して下さる」という言葉が心に留りました。
私にも思い煩うことがあります。
心配になることがあります。
でも、私が心配する以上に主が心配して下さっている。
主が気にかけて下さっている。
だから、主の御手に心配事を委ねていいと言っている。
じゃあ、委ねようという思いになりました。
主が導いて下さる道を、
主が与えて下さることを、
受け取っていきたいと思いました。
主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたが私と教会のことを心配して下さっている。
だから、思い煩わないで、私に任せなさい、と言ってくださっている。
感謝します。
あなたを信頼します。
あなたをもっともっと信頼させてください。
ほんとうに明るい一日。
日が長くなってきたので、
寒々とした日ではありませんでした。
今、夜の10時過ぎですが、
-4度で、7時頃から下がっていません。
今夜はこのままこれくらいの温度で推移するでしょう。
もう、先週までの2週間のような寒さはさよならです。
一歩一歩春に近づいています。
今日は丸まるお休みだったので、
今頃、2006年の紅白歌合戦のビデオを見ています。
あまり評判の良くなかった昨年の紅白ですが、
良くない評判ばかり聞いていたからでしょうか、
「そうでもないじゃん」と思います。
もちろんすべてではないですが、
一つ一つの歌の歌詞に共感を覚えながら聞いています。
若い人たちの歌も捨てたもんじゃないと思いますし、
だんだん、「演歌を早回しするのはもったいない」
という感じになってきました。
「兄弟船」とか「おふくろさん」とか、いいですねえ。
逆に「軽い」曲についていけないですねえ。
そういう歳になってきたんだなあ、と思います。
そして、何よりも「ハレルヤ」とか、何か違うところで使われてたりすると、
何だかなあ、と思います。
「ハレルヤ」は調子のいいかけ声ではなくて、
「主をほめたたえよ」という言葉です。
神様のすばらしさをたたえよう、という招きです。
ヘンデルのメサイアのハレルヤコーラスを聴いたイギリスの王様が立ち上がらないでいられなかったといいますが、そういう厳粛なもんなんだろうと思います。
日本で大きな教会の副牧師をしていたときに、
教会に来ていた高校生の女の子達に頼まれて、
カラオケボックスへ連れて行ってあげたことがあります。
歌とか好きでしたし、いくつか歌える歌もあったのですが、
なんだか、歌詞を味わっていたら、とっても虚しくなったのを覚えています。
心から歌うことのできる歌である賛美の歌が与えられているのに、
全然共感できない歌詞を歌っている自分はいったい何をしているのだろうかと・・・。
それも、彼女たちを導く立場にいながら、
「連れて行く」「監督する」という名目で、
実際は「ついて行った」だけだったんですよね。
心から歌える歌を求めて、
心から歌える歌を口ずさんでいきたいと思います。
今日の聖書。
今日はペテロの第1の手紙5章を読みました。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」7節の言葉です。
特に後半の「神があなた方のことを心配して下さる」という言葉が心に留りました。
私にも思い煩うことがあります。
心配になることがあります。
でも、私が心配する以上に主が心配して下さっている。
主が気にかけて下さっている。
だから、主の御手に心配事を委ねていいと言っている。
じゃあ、委ねようという思いになりました。
主が導いて下さる道を、
主が与えて下さることを、
受け取っていきたいと思いました。
主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたが私と教会のことを心配して下さっている。
だから、思い煩わないで、私に任せなさい、と言ってくださっている。
感謝します。
あなたを信頼します。
あなたをもっともっと信頼させてください。
祈りのために
子ども達は今日から1週間学校お休み。
今日はPresidents Dayで祝日です。
そして、今日は月曜日なので、週に一度のお休み。
ゆっくり寝坊できるかなあ、と思っていたのですが、
やっぱり7時には目が覚めました。
朝起きたら-12度C。
冷え込みましたねえ。
今日は一日中氷点下。
でも、今回はもう明日には暖かくなるみたいで、
「雨」の予報も出ています。
今朝起きたら2通「証し」の原稿が届いていました。
昨日、私が寝るときに一生懸命やっていたウチの高校生2名。
一人は息子で、一人は教会に出るために週末泊まりに来る寮生活をしてる子
夜の11時半までプロバスケットのオールスターゲームを見ていたのに、
それから一生懸命書いたみたいです。
もっとこつこつやってればいいのに、
期限直前になってから慌てるんだから・・・。
でも、意外と真面目なんだなあ、と。
自分の高校時代を思い出すと、
彼らもこれからガンガン悩むのかもしれませんが、
何よりも、本音でいろいろ話し合ったり祈り合ったり励まし合ったりできる
クリスチャンの同世代の親友がいるというのはホントにうらやましい話です。
さて、昨日、日曜日の聖書箇所。
昨日はペテロ第一の手紙4章でした。
「祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」
7節の言葉が語られました。
祈りのためにそれなりの備えが必要だということ。
生活の整理。
生活のリズムを作ること。
必要のない部分を削ること。
いろいろ大切なものがあると思います。
もっと祈りたい。
そのような願いを持つだけで、
そのために動き出すことがなかなか難しいのですが、
難しい、を続けていてはいけないと思いました。
ほんとうに祈りのために他のものを整理して、
祈ることを大切にしていこうと思います。
思うのではなく、祈ること。
考えるのではなく、祈ること。
主よ、
御言葉に感謝します。
あなたが語ってくださったことに感謝します。
私自身が「祈りの家」となりますように。
私の生活自体が祈りに支配されますように。
今日はPresidents Dayで祝日です。
そして、今日は月曜日なので、週に一度のお休み。
ゆっくり寝坊できるかなあ、と思っていたのですが、
やっぱり7時には目が覚めました。
朝起きたら-12度C。
冷え込みましたねえ。
今日は一日中氷点下。
でも、今回はもう明日には暖かくなるみたいで、
「雨」の予報も出ています。
今朝起きたら2通「証し」の原稿が届いていました。
昨日、私が寝るときに一生懸命やっていたウチの高校生2名。
一人は息子で、一人は教会に出るために週末泊まりに来る寮生活をしてる子
夜の11時半までプロバスケットのオールスターゲームを見ていたのに、
それから一生懸命書いたみたいです。
もっとこつこつやってればいいのに、
期限直前になってから慌てるんだから・・・。
でも、意外と真面目なんだなあ、と。
自分の高校時代を思い出すと、
彼らもこれからガンガン悩むのかもしれませんが、
何よりも、本音でいろいろ話し合ったり祈り合ったり励まし合ったりできる
クリスチャンの同世代の親友がいるというのはホントにうらやましい話です。
さて、昨日、日曜日の聖書箇所。
昨日はペテロ第一の手紙4章でした。
「祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」
7節の言葉が語られました。
祈りのためにそれなりの備えが必要だということ。
生活の整理。
生活のリズムを作ること。
必要のない部分を削ること。
いろいろ大切なものがあると思います。
もっと祈りたい。
そのような願いを持つだけで、
そのために動き出すことがなかなか難しいのですが、
難しい、を続けていてはいけないと思いました。
ほんとうに祈りのために他のものを整理して、
祈ることを大切にしていこうと思います。
思うのではなく、祈ること。
考えるのではなく、祈ること。
主よ、
御言葉に感謝します。
あなたが語ってくださったことに感謝します。
私自身が「祈りの家」となりますように。
私の生活自体が祈りに支配されますように。
2007-02-18
内なる飾り
今日は一日寒くもなく暖かくもなく、
まあ、典型的な冬の一日だったのですが、
夜になって急に冷え込んできました。
今日の最高気温は2度まで上がりました。
でも、今は夜の10時半で-7.7度です。
そして今もどんどん気温は下がっています。
この調子で行くと明日の朝は-10度以下ですね。
火曜日の夜から水曜日の朝にかけて、
ちょっと雪が降るかもしれません。
大したことはありませんが・・・。
今日は洗礼式がありました。
今年初めての洗礼式。
4ヶ月ぶりでした。
やはりうれしいですね。
今日洗礼を受けた方は音楽をする方。
洗礼を受けられて、これから、どんな音楽をなさるか、また楽しみです。
今、教会の皆さんに「救いの証し」を書いて下さるように、
お願いしています。
とりあえず、締め切りが今日。
10数名の方が出して下さいました。
あと1時間。
まあ、無理はしないで欲しいのですが、
期限を決めないと、「いつかやろう」と思ってしまうでしょうから、
決めてよかったのだと思います。
あと1時間で何通届くでしょうか?
でも、皆さんのお証を読んで励まされますし、
またお一人一人自分で今まで歩んできた道を振り返る時が持てるのはいいのではないかと思います。
そして、神様がどんなにすばらしいことをして下さったか、
それを味わうのは何とすばらしいことでしょうか?
そして、それを15分に収めるのも大切なプロセスです。
まだの方、これを読まれたら、是非、取りかかって下さい。
昨日の聖書。
昨日はペテロの第1の手紙3章でした。
その中で特に心に留ったのは3-4節の言葉です。
「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」
これは直接的には女性に対して語られたことですが、
私は男性ですが、やはりそのようになりたいと思いました。
「心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい」と。
そのように内なる人が美しくなりたいと思います。
内なる人が強く、内なる人が豊かになりたいと思います。
肩の力を抜いて、
主がなさることを待ち望み、
主がして下さった一つ一つのことを感謝しながら、
内なる人が豊かになっていくのを求めていきたいと思いました。
主よ、
私の内なる人を探って下さい。
そして、私の内なる人をきよめて下さい。
内なる人を美しくして下さい。
内なる人を豊かにして下さい。
まあ、典型的な冬の一日だったのですが、
夜になって急に冷え込んできました。
今日の最高気温は2度まで上がりました。
でも、今は夜の10時半で-7.7度です。
そして今もどんどん気温は下がっています。
この調子で行くと明日の朝は-10度以下ですね。
火曜日の夜から水曜日の朝にかけて、
ちょっと雪が降るかもしれません。
大したことはありませんが・・・。
今日は洗礼式がありました。
今年初めての洗礼式。
4ヶ月ぶりでした。
やはりうれしいですね。
今日洗礼を受けた方は音楽をする方。
洗礼を受けられて、これから、どんな音楽をなさるか、また楽しみです。
今、教会の皆さんに「救いの証し」を書いて下さるように、
お願いしています。
とりあえず、締め切りが今日。
10数名の方が出して下さいました。
あと1時間。
まあ、無理はしないで欲しいのですが、
期限を決めないと、「いつかやろう」と思ってしまうでしょうから、
決めてよかったのだと思います。
あと1時間で何通届くでしょうか?
でも、皆さんのお証を読んで励まされますし、
またお一人一人自分で今まで歩んできた道を振り返る時が持てるのはいいのではないかと思います。
そして、神様がどんなにすばらしいことをして下さったか、
それを味わうのは何とすばらしいことでしょうか?
そして、それを15分に収めるのも大切なプロセスです。
まだの方、これを読まれたら、是非、取りかかって下さい。
昨日の聖書。
昨日はペテロの第1の手紙3章でした。
その中で特に心に留ったのは3-4節の言葉です。
「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」
これは直接的には女性に対して語られたことですが、
私は男性ですが、やはりそのようになりたいと思いました。
「心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい」と。
そのように内なる人が美しくなりたいと思います。
内なる人が強く、内なる人が豊かになりたいと思います。
肩の力を抜いて、
主がなさることを待ち望み、
主がして下さった一つ一つのことを感謝しながら、
内なる人が豊かになっていくのを求めていきたいと思いました。
主よ、
私の内なる人を探って下さい。
そして、私の内なる人をきよめて下さい。
内なる人を美しくして下さい。
内なる人を豊かにして下さい。
2007-02-17
御言葉によって成長する
昨日は朝が-10.8度、
最高気温が-1.1度で、
火曜日から続く氷点下の日々が4日目。
でも、今日あたりはこれを脱出しそうです。
この後21日くらいと、26日くらいに天気が崩れそうですが、
もう、ここまで寒い日が続いたし、
とにかく一回雪が降ったし、
もう春になってもいいかなあ、と思います。
「おお雪だあ!」という興奮も今年はあんまり感じなくて、
年かも・・・。
日本ではNHKの「受信料」っていうものがありましたが、
アンテナでテレビが見えていましたよね。
でも、ここら辺ではケーブルが主流。
アンテナ立っている家もありますが、
室内アンテナとかでは全然見えません。
学生をやってて、寮に入っていたときは、
学内ケーブルでは日本語放送が見れなくて、
でも、どうしても日本語放送見たくて、
「高性能室内アンテナ」っていう50ドルくらいのヤツを買って、
窓にぴたっと貼り付けて、見てました。
でも、ここではケーブル。
そこに最近参入してきたのが、
ファイバーケーブルのTV。
電話やさんのV社が、ケーブルテレビのC社よりも、格安で参入してきました。
インターネット接続も早くて、安定していて、安い。
どうしようかなあ、と思っていた1月の半ば。
個別訪問のセールスにやってきました。
そんなの普通は相手にしないのですが、
今回は興味があったのと、より安くなる・・・これに弱い・・・、プラス100ドルのギフトカード・・・こういうのにも弱い・・・、最初の1ヶ月は無料、最初の1ヶ月以内の解約はペナルティーなし、ということで、話に乗ってしまいました。
設定には3日くらいかかっていましたが、おおむね満足。
まだ最初の請求書が来ていないので、
どれくらいお得なのか分りませんが、
ま、いいかな、と。
ちなみに電話はV社とは別のIP電話で月々20ドルくらいで済んじゃいます。
・・・V社にまとめる方が高くつく・・・
でも、ウチの場合は自宅内でも携帯の電波がいいので、
そのうち、一人一本ずつの携帯があれば、ウチの電話はいらなくなってしまうのでは・・・
なんて思い始めています。
あ、そうそう、何でも競争があるってのはいいみたいで、
C社のケーブルをキャンセルするときに、
「どうして?」と聞かれて、「乗り換えるんだ」と話したら、
「もっと安くするよ!」と言われました。
「もう遅いよ!」と答えたのですが、
はったりでもいいから、「もっと安くしてくれないと乗り換えちゃうよ」というのはいいかもしれません。
何事でも、交渉ですから、この国は。
昨日の聖書。
昨日はペテロ第1の手紙の2章でした。
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」2節の言葉です。
御言葉によって成長する。
これの大切さを思わされました。
いいお話はたくさんあります。
言葉だけではなくて、いろんな暖かい態度や行動によって癒されます。
でも、御言葉には特別な力があります。
そのことを最近何度も何度も教えられています。
自分は口では「御言葉です」と言いながら、
ほんとうにその御言葉の力をどれくらい経験してきたか、
どれくらい信頼してきたか、
もう一度探られるような思いがしました。
私自身、御言葉によって成長する、ということを経験させて頂きたいですし、
教会のお一人一人が御言葉によって成長する、ために何ができるか、を
求めていきたいと思います。
励ましていきたいと思います。
主よ、
あなたの御言葉を感謝します。
御言葉によって私自身、成長させてください。
御言葉によって歩ませてください。
実を結ぶ者とならせてください。
そして、そのような教会形成をすることができますように。
最高気温が-1.1度で、
火曜日から続く氷点下の日々が4日目。
でも、今日あたりはこれを脱出しそうです。
この後21日くらいと、26日くらいに天気が崩れそうですが、
もう、ここまで寒い日が続いたし、
とにかく一回雪が降ったし、
もう春になってもいいかなあ、と思います。
「おお雪だあ!」という興奮も今年はあんまり感じなくて、
年かも・・・。
日本ではNHKの「受信料」っていうものがありましたが、
アンテナでテレビが見えていましたよね。
でも、ここら辺ではケーブルが主流。
アンテナ立っている家もありますが、
室内アンテナとかでは全然見えません。
学生をやってて、寮に入っていたときは、
学内ケーブルでは日本語放送が見れなくて、
でも、どうしても日本語放送見たくて、
「高性能室内アンテナ」っていう50ドルくらいのヤツを買って、
窓にぴたっと貼り付けて、見てました。
でも、ここではケーブル。
そこに最近参入してきたのが、
ファイバーケーブルのTV。
電話やさんのV社が、ケーブルテレビのC社よりも、格安で参入してきました。
インターネット接続も早くて、安定していて、安い。
どうしようかなあ、と思っていた1月の半ば。
個別訪問のセールスにやってきました。
そんなの普通は相手にしないのですが、
今回は興味があったのと、より安くなる・・・これに弱い・・・、プラス100ドルのギフトカード・・・こういうのにも弱い・・・、最初の1ヶ月は無料、最初の1ヶ月以内の解約はペナルティーなし、ということで、話に乗ってしまいました。
設定には3日くらいかかっていましたが、おおむね満足。
まだ最初の請求書が来ていないので、
どれくらいお得なのか分りませんが、
ま、いいかな、と。
ちなみに電話はV社とは別のIP電話で月々20ドルくらいで済んじゃいます。
・・・V社にまとめる方が高くつく・・・
でも、ウチの場合は自宅内でも携帯の電波がいいので、
そのうち、一人一本ずつの携帯があれば、ウチの電話はいらなくなってしまうのでは・・・
なんて思い始めています。
あ、そうそう、何でも競争があるってのはいいみたいで、
C社のケーブルをキャンセルするときに、
「どうして?」と聞かれて、「乗り換えるんだ」と話したら、
「もっと安くするよ!」と言われました。
「もう遅いよ!」と答えたのですが、
はったりでもいいから、「もっと安くしてくれないと乗り換えちゃうよ」というのはいいかもしれません。
何事でも、交渉ですから、この国は。
昨日の聖書。
昨日はペテロ第1の手紙の2章でした。
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」2節の言葉です。
御言葉によって成長する。
これの大切さを思わされました。
いいお話はたくさんあります。
言葉だけではなくて、いろんな暖かい態度や行動によって癒されます。
でも、御言葉には特別な力があります。
そのことを最近何度も何度も教えられています。
自分は口では「御言葉です」と言いながら、
ほんとうにその御言葉の力をどれくらい経験してきたか、
どれくらい信頼してきたか、
もう一度探られるような思いがしました。
私自身、御言葉によって成長する、ということを経験させて頂きたいですし、
教会のお一人一人が御言葉によって成長する、ために何ができるか、を
求めていきたいと思います。
励ましていきたいと思います。
主よ、
あなたの御言葉を感謝します。
御言葉によって私自身、成長させてください。
御言葉によって歩ませてください。
実を結ぶ者とならせてください。
そして、そのような教会形成をすることができますように。
2007-02-16
2007-02-15
聖なる者となる
今日はまた寒い一日でした。
朝は-10度。
昼間の最高気温は-5度。
そして夜の10時でまたまた-9度。
これで氷点下daysは連続3日目です。
シカゴとかは連続19日にもなっているようですが・・・。
明日も寒い一日でしょう。
もう一日は確実に氷点下です。
でも、この寒波ももう出口が見えてきているみたいで、
あと一週間ほどで10度くらいまで上がる日も出てくるようです。
春はもうすぐです。
「証し」の第12章。
私は4人兄弟ですが、
それぞれ個性的ではあります。
その中で、兄貴はさすが長男!というところがあります。
その兄貴、名前は「氷小豆」(仮名)と申しますが、
子供の時から「ボクは牧師になるんだ!」と言っておりました。
そして、何においても一生懸命。
そして、積極的でした。
そしてまとめる力もありました。
うらやましいヤツでした。
というか、次男のかきごおりはそのように思っていました。
いつも兄貴のようになりたい。
いつも兄貴はいいなあ、と思っていました。
算数では負けない自信がありましたが、
リーダーシップや信仰ではかなわないと思っていました。
一生懸命友達を教会に誘ってきたり、
友達に神様の話をしたり、
「子供週報」とかを小学校5年生くらいから作って、
マンガとか書いて、配っちゃう氷小豆君にはかなわないと思っていました。
私の教会では、というか、私の中ではいつの間にか「氷小豆神話」が生まれていました。
「氷小豆はすごい」「氷小豆君はいかにも牧師になったらいい、という感じだよね」
そんな声が聞こえてきました。
それは、「うらやましい」と思うと共に「自分にはできない」という劣等感を持っている次男かきごおりには、「氷小豆君はいいけど、かきごおり君はねえ」という声に聞こえてきてしまうんですね。
ですから、第11章の「君は牧師には向いていない、止めた方がいいよ」というKGKの主事の言葉はいつもいつも自分の心の中にあった声でもあったのです。
「だよね・・・。やっぱ、向いていないよね。兄貴みたいに伝道もできないし、リーダーシップもない。クリエイティブなこともできない、話も下手。赤面症、恥ずかしがり屋・・・、向いてないよねえ」
それから悩みました。
そんな中で参加したのが、またまた「大島泉の家」のキャンプ。
集会の後で祈っていました。
「神様、どうしたらいいんでしょうか?私はあなたが召して下さったと思って牧師になろうと思いました。でも、客観的に見たら向いていないんです。兄貴のようにはできません。でも、止めてもいいんですか?止めた方がいいんですか?・・・」
しばらく祈っている中で、聖書の言葉が心に響いてきました。
「私の力はあなたの弱いところに完全にあらわれる」第2コリント12章9節の言葉です。
「ああ、神様の力だ、イエスの力だ、その力が私の『向いていない』ところに完全にあらわれるのだ。だったらいいじゃないか、だったら、神様の力を見せて頂こう。完全な力を見せて頂こう」そう思いました。迷いは完全に吹っ切れました。人の言葉も怖くなくなりました。ホントは人の言葉ではなくて、自分の劣等感だったのだと思います。でも、それでもいい、自分の弱さは自分が一番知っている。その弱さに神様の力を表して頂こう、と思いました。
そして、今、はっきりと申上げられることは、この聖書の言葉は、単に劣等感に捕らえられている人を励ますための言葉ではなく、事実なのだ、ということです。ほんとうに主は私の弱いところにご自分の力を表して下さってきた、ということです。私の弱い、不十分なところ、よくわかっていないところ、未熟なところにその力を表し続けて下さったのだということを思います。そして、これからも、この方は私を用いて下さるのだ、ということを信頼して言うことができます。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙に進んでその第1章です。
「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。」15節の言葉が心に留りました。
「聖なる者」
何か仙人のようになってしまうような感じがします。
世離れしてしまうような気がします。
それは誤解だろうという気持ちもあります。
でも、誤解ではなくてもいいのかもしれません。
「聖なる者」となりたいと単純に思いました。
聖書に書いてあるんだから。
「聖書にはそう書いてあるけど・・・」という生き方もあります。
でも、私は「聖書にはそう書いてあるから・・・」と生きたいと思いました。
そのように書いてあるんだから、神様に「聖なる者」とされたい、と思いました。
「聖」とは「他のものと区別された、特別な」という意味があると言われます。
神様に焦点を合わせた、
神様のみこころに焦点を合わせた、
神様の言葉に焦点を合わせた歩みをしたいと思います。
昨日の佐藤彰先生の言葉のように、
その背後に神様が見えてくるような、そのような者となりたいと思います。
神様がこの人と共におられる、ということがクリスチャン以外の方にも見えるような、
土の器である私の中にあるキリストという宝が輝き出るような者でありたいと思います。
主よ、
私をきよくしてください。
私を聖なる者として下さい。
あなたのことを指し示す、
あなたのすばらしさを表す者とならせてください。
朝は-10度。
昼間の最高気温は-5度。
そして夜の10時でまたまた-9度。
これで氷点下daysは連続3日目です。
シカゴとかは連続19日にもなっているようですが・・・。
明日も寒い一日でしょう。
もう一日は確実に氷点下です。
でも、この寒波ももう出口が見えてきているみたいで、
あと一週間ほどで10度くらいまで上がる日も出てくるようです。
春はもうすぐです。
「証し」の第12章。
私は4人兄弟ですが、
それぞれ個性的ではあります。
その中で、兄貴はさすが長男!というところがあります。
その兄貴、名前は「氷小豆」(仮名)と申しますが、
子供の時から「ボクは牧師になるんだ!」と言っておりました。
そして、何においても一生懸命。
そして、積極的でした。
そしてまとめる力もありました。
うらやましいヤツでした。
というか、次男のかきごおりはそのように思っていました。
いつも兄貴のようになりたい。
いつも兄貴はいいなあ、と思っていました。
算数では負けない自信がありましたが、
リーダーシップや信仰ではかなわないと思っていました。
一生懸命友達を教会に誘ってきたり、
友達に神様の話をしたり、
「子供週報」とかを小学校5年生くらいから作って、
マンガとか書いて、配っちゃう氷小豆君にはかなわないと思っていました。
私の教会では、というか、私の中ではいつの間にか「氷小豆神話」が生まれていました。
「氷小豆はすごい」「氷小豆君はいかにも牧師になったらいい、という感じだよね」
そんな声が聞こえてきました。
それは、「うらやましい」と思うと共に「自分にはできない」という劣等感を持っている次男かきごおりには、「氷小豆君はいいけど、かきごおり君はねえ」という声に聞こえてきてしまうんですね。
ですから、第11章の「君は牧師には向いていない、止めた方がいいよ」というKGKの主事の言葉はいつもいつも自分の心の中にあった声でもあったのです。
「だよね・・・。やっぱ、向いていないよね。兄貴みたいに伝道もできないし、リーダーシップもない。クリエイティブなこともできない、話も下手。赤面症、恥ずかしがり屋・・・、向いてないよねえ」
それから悩みました。
そんな中で参加したのが、またまた「大島泉の家」のキャンプ。
集会の後で祈っていました。
「神様、どうしたらいいんでしょうか?私はあなたが召して下さったと思って牧師になろうと思いました。でも、客観的に見たら向いていないんです。兄貴のようにはできません。でも、止めてもいいんですか?止めた方がいいんですか?・・・」
しばらく祈っている中で、聖書の言葉が心に響いてきました。
「私の力はあなたの弱いところに完全にあらわれる」第2コリント12章9節の言葉です。
「ああ、神様の力だ、イエスの力だ、その力が私の『向いていない』ところに完全にあらわれるのだ。だったらいいじゃないか、だったら、神様の力を見せて頂こう。完全な力を見せて頂こう」そう思いました。迷いは完全に吹っ切れました。人の言葉も怖くなくなりました。ホントは人の言葉ではなくて、自分の劣等感だったのだと思います。でも、それでもいい、自分の弱さは自分が一番知っている。その弱さに神様の力を表して頂こう、と思いました。
そして、今、はっきりと申上げられることは、この聖書の言葉は、単に劣等感に捕らえられている人を励ますための言葉ではなく、事実なのだ、ということです。ほんとうに主は私の弱いところにご自分の力を表して下さってきた、ということです。私の弱い、不十分なところ、よくわかっていないところ、未熟なところにその力を表し続けて下さったのだということを思います。そして、これからも、この方は私を用いて下さるのだ、ということを信頼して言うことができます。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙に進んでその第1章です。
「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。」15節の言葉が心に留りました。
「聖なる者」
何か仙人のようになってしまうような感じがします。
世離れしてしまうような気がします。
それは誤解だろうという気持ちもあります。
でも、誤解ではなくてもいいのかもしれません。
「聖なる者」となりたいと単純に思いました。
聖書に書いてあるんだから。
「聖書にはそう書いてあるけど・・・」という生き方もあります。
でも、私は「聖書にはそう書いてあるから・・・」と生きたいと思いました。
そのように書いてあるんだから、神様に「聖なる者」とされたい、と思いました。
「聖」とは「他のものと区別された、特別な」という意味があると言われます。
神様に焦点を合わせた、
神様のみこころに焦点を合わせた、
神様の言葉に焦点を合わせた歩みをしたいと思います。
昨日の佐藤彰先生の言葉のように、
その背後に神様が見えてくるような、そのような者となりたいと思います。
神様がこの人と共におられる、ということがクリスチャン以外の方にも見えるような、
土の器である私の中にあるキリストという宝が輝き出るような者でありたいと思います。
主よ、
私をきよくしてください。
私を聖なる者として下さい。
あなたのことを指し示す、
あなたのすばらしさを表す者とならせてください。
2007-02-14
祈りの力
今日は朝早く起きたらsleetが降っていました。-7.7度C。
そして最高気温は-2.2度。一日中氷点下。
予定されていたメトロポリタン美術館の宗教画ツアーも中止になって、
朝9時頃、NYに車で行きました。道は結構シャーベット状で時速30マイル=50kmくらいで走っていました。NYに入ったらきれいになるだろうと思ったら、どうしてどうして、歩道も車道もぐしゃぐしゃ。こんな日はいくらNYでもスノーブーツですね。失敗しました。スニーカーで出かけた自分。日本の「つま先用ホッカイロ」が役に立った一日でした。
1時過ぎからは外は吹雪模様。NYにいると降っているのか、ビルの上から風で飛ばされているのか分りませんが、とにかく横殴りの雪が降っていました。
夕方からいろんな方にお会いして、帰ったら10時半。
帰りはすいすいでした。
雪の中の運転、ひどいのは嫌ですけど、ちょっとシャーベットくらいは緊張感があっていい感じです。
今は夜の11時半で、気温は-9.1度。今夜も鬼のように寒い夜です。
「証し」の第11章。
それから2年。大学の4年生になっていました。
お茶の水の学生キリスト教会館、現在のお茶の水キリスト教センター、略してOCCの2階男子トイレの中。一緒に奉仕していた仲間と連れだって用を足していたところにやってきたのが、KGKの主事。KGKは「キリスト者学生会」の略。KGKの主事の方の中には若い方も多いのですが、この方はすでにこのころ、かなり貫禄がありました。
「かきごおり君、牧師になるんだって、やめたほうがいいよ、向いてないよ。○○君、きみなんかどうかなあ。君、牧師になったらいいよ!」
自分が向いていないことなんて人に言われるまでもありませんでした。自分が一番よく知っていました。でも、ここまではっきり言われたことはずっと押さえていたことを表面に引っ張り出すのに十分な効果を持っていました。
さかのぼること4年半。高校2年生のかきごおり少年は理系に進むか文系に進むか迷っていました。将来どんな仕事をしたいか、と考えたときに、一つ当たり前のように出てきたのは、「天気予報のおじさん」。これは私にとっては非常に自然なことでした。今でこそ、「お姉さん」が多いのですが、そのころの天気予報は大体おじさんでした。それも真面目そうな地味系のおじさんでした。その天気予報のおじさんになりたかったのです。そうすると、ぜったい理系ですよね。気象大学校には入りたいと思っていました。もう一つは、「牧師」。これは親の姿を見て、そのような思いを持ちました。また兄が「牧師になるんだ」とよく言っていましたから、「お兄ちゃんがなるなら、ボクもなる」的な気持ちもありました。でも、もちろん、高校生くらいになると、そんな気持ちでは動けないことなんてさすがに分ってきます。悩みました、祈りました。
そして、高校3年生の履修科目を決めなければいけないその直前に、一つの言葉が、心に響いてきました。それは私が、「もしも伝道者になるなら、この言葉によってだけはいやだなあ」と思っていた言葉です。もっと違う言葉を語って欲しかったです。でも、この言葉が心に与えられました。与えられたら、もうかっこいいとか悪いとか、そんなことはどうでも良くなります。
「収穫は多いが、働き人が少ない。」マタイ9:37の言葉です。
この言葉を心に語られて、自分は牧師になる決心をしました。
そして、少しでも役に立つかと思い、文系の大学、「社会学部」を受けることにしました。
実際はあんまり関係なかったかもしれませんが・・・。
そして、「神様が私を召して下さったんだ」との思いを胸に大学4年になっても、就活もせずにいました。
大学の仲間達は売り手市場のそのころ、4月から、どんどん銀行に、商社に内定が出ていました。
その様子を見ながら、このまま牧師になるための学校に進んでいいのだろうか、そんな迷いを持ちながら過ごしていた春。主事の言葉が心に突き刺さりました。
「だよね・・・」
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙5章でした。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」16節の言葉です。
祈ろうと思いました。
祈りは聞かれる。
祈りは私を変える。
祈りは平安を与える。
祈りはひらめきを与える。
祈りは主からの語りかけに耳を澄まさせる。
いろんな出来事の中で、いろんな思いが駆けめぐる心。
でも、私には主がおられる。
祈るときに何が起こるか見せて頂こう。主の奇跡を見せて頂こう。
祈ろう。
今日読んだ、佐藤彰先生の著書から
「あなたが神様の前に出て静まり、祈りの時を持つなら、『ああ、この人の背後には神様を感じる。人生経験は私の三分の一しかなくても、この人は神様から立てられた人だ』ということにもなり得るのです。」(「教会形成の喜び」より)
主よ、祈ります。
どうか私を守り、
家族を守って下さい。
教会を守って下さい。
一人ひとりの心を守って下さい。
そして、何よりも御言葉によって支えられて、
御言葉によって砕かれて、主に従う者たちが起されますように。
そして最高気温は-2.2度。一日中氷点下。
予定されていたメトロポリタン美術館の宗教画ツアーも中止になって、
朝9時頃、NYに車で行きました。道は結構シャーベット状で時速30マイル=50kmくらいで走っていました。NYに入ったらきれいになるだろうと思ったら、どうしてどうして、歩道も車道もぐしゃぐしゃ。こんな日はいくらNYでもスノーブーツですね。失敗しました。スニーカーで出かけた自分。日本の「つま先用ホッカイロ」が役に立った一日でした。
1時過ぎからは外は吹雪模様。NYにいると降っているのか、ビルの上から風で飛ばされているのか分りませんが、とにかく横殴りの雪が降っていました。
夕方からいろんな方にお会いして、帰ったら10時半。
帰りはすいすいでした。
雪の中の運転、ひどいのは嫌ですけど、ちょっとシャーベットくらいは緊張感があっていい感じです。
今は夜の11時半で、気温は-9.1度。今夜も鬼のように寒い夜です。
「証し」の第11章。
それから2年。大学の4年生になっていました。
お茶の水の学生キリスト教会館、現在のお茶の水キリスト教センター、略してOCCの2階男子トイレの中。一緒に奉仕していた仲間と連れだって用を足していたところにやってきたのが、KGKの主事。KGKは「キリスト者学生会」の略。KGKの主事の方の中には若い方も多いのですが、この方はすでにこのころ、かなり貫禄がありました。
「かきごおり君、牧師になるんだって、やめたほうがいいよ、向いてないよ。○○君、きみなんかどうかなあ。君、牧師になったらいいよ!」
自分が向いていないことなんて人に言われるまでもありませんでした。自分が一番よく知っていました。でも、ここまではっきり言われたことはずっと押さえていたことを表面に引っ張り出すのに十分な効果を持っていました。
さかのぼること4年半。高校2年生のかきごおり少年は理系に進むか文系に進むか迷っていました。将来どんな仕事をしたいか、と考えたときに、一つ当たり前のように出てきたのは、「天気予報のおじさん」。これは私にとっては非常に自然なことでした。今でこそ、「お姉さん」が多いのですが、そのころの天気予報は大体おじさんでした。それも真面目そうな地味系のおじさんでした。その天気予報のおじさんになりたかったのです。そうすると、ぜったい理系ですよね。気象大学校には入りたいと思っていました。もう一つは、「牧師」。これは親の姿を見て、そのような思いを持ちました。また兄が「牧師になるんだ」とよく言っていましたから、「お兄ちゃんがなるなら、ボクもなる」的な気持ちもありました。でも、もちろん、高校生くらいになると、そんな気持ちでは動けないことなんてさすがに分ってきます。悩みました、祈りました。
そして、高校3年生の履修科目を決めなければいけないその直前に、一つの言葉が、心に響いてきました。それは私が、「もしも伝道者になるなら、この言葉によってだけはいやだなあ」と思っていた言葉です。もっと違う言葉を語って欲しかったです。でも、この言葉が心に与えられました。与えられたら、もうかっこいいとか悪いとか、そんなことはどうでも良くなります。
「収穫は多いが、働き人が少ない。」マタイ9:37の言葉です。
この言葉を心に語られて、自分は牧師になる決心をしました。
そして、少しでも役に立つかと思い、文系の大学、「社会学部」を受けることにしました。
実際はあんまり関係なかったかもしれませんが・・・。
そして、「神様が私を召して下さったんだ」との思いを胸に大学4年になっても、就活もせずにいました。
大学の仲間達は売り手市場のそのころ、4月から、どんどん銀行に、商社に内定が出ていました。
その様子を見ながら、このまま牧師になるための学校に進んでいいのだろうか、そんな迷いを持ちながら過ごしていた春。主事の言葉が心に突き刺さりました。
「だよね・・・」
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙5章でした。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」16節の言葉です。
祈ろうと思いました。
祈りは聞かれる。
祈りは私を変える。
祈りは平安を与える。
祈りはひらめきを与える。
祈りは主からの語りかけに耳を澄まさせる。
いろんな出来事の中で、いろんな思いが駆けめぐる心。
でも、私には主がおられる。
祈るときに何が起こるか見せて頂こう。主の奇跡を見せて頂こう。
祈ろう。
今日読んだ、佐藤彰先生の著書から
「あなたが神様の前に出て静まり、祈りの時を持つなら、『ああ、この人の背後には神様を感じる。人生経験は私の三分の一しかなくても、この人は神様から立てられた人だ』ということにもなり得るのです。」(「教会形成の喜び」より)
主よ、祈ります。
どうか私を守り、
家族を守って下さい。
教会を守って下さい。
一人ひとりの心を守って下さい。
そして、何よりも御言葉によって支えられて、
御言葉によって砕かれて、主に従う者たちが起されますように。
2007-02-13
神に従う
今日はまた再び氷点下Day。
最高は未明の-0.2度C。
明け方-5度くらいに冷え込んで、
昼間ちょと上がった後、
夕方からどんどん冷え込んできています。
今は夜の9時半ですが、雪で-7.5度C。
うっすら白くなっています。
この後、温度はもう少し下がった後、
上がっていくでしょう。
そして、明日の朝には雪からIce Stormに変わっているでしょう。
Ice StormはSleetとFreezing Rainがありますが、
Sleetは雨が降ってくる途中で凍った氷の粒。
Freezing Rainは途中で凍らなかった雨が、
地面についたとたんに凍り付くやつです。
これはスケートリンクになります。
木や電線に凍り付きます。
場合によっては気温が氷点下を脱するかもしれません。
そうしたら、今度は雨です。
そして、午後はまた雪に戻るという予報が出ています。
と思って外に出たら、もうすでに雪からSleetになっています。
「証し」の第10章です。
「君はほんとうに傲慢な人間だね」と言われて、
どういう意味か分りませんでした。
自分のような、自分の愚かさ、醜さ、偽善性に落ち込んでいる人間は
「傲慢」なんかじゃない、砕かれているんだ、
と思いました。
でも、そんな気持ちを知っておられたのかどうか分りませんが、
先生は続けました。
「君はまだ自分に期待しているのかね。君はもう、あのキリストの十字架に共につけられているんだよ」と。
その時に、私は初めて分りました。
自分が一生懸命がんばっても、
せいぜい偽善者止まり。
外側を繕うことくらいしかできないからこそ、
そんな人間だからこそ、
イエスは十字架にかからなければならなかった。
自分でがんばって立派な人間になれるなら、
イエスは十字架にかからなくてもよかった。
自分がそんな立派な人間ではないから、
イエスは自分を投げ出されたのだ。
そして、その時に、子供の頃から耳にたこができるくらい何度も何度も聞いていた、
「神の愛」「十字架の愛」が自分に注がれていることが頭ではなく心で分りました。
こんな偽善者にしかなれないような人間のために、
命を投げ出して下さった方がいる。
そこまでして下さった方がいた。
その事実に、ほんとうに愛されている喜びを感じました。
大げさではなくて、
今もその愛が自分を生かしている。自分を動かしている。
そう感じます。
それまでは、人がどう思うかが私を動かしていました。
人の期待に応えるのが自分にとって一番大切なことでした。
こう期待されているから、こうしたい、(逆に、したくない、と意固地になったこともありました)
そのように生きてきました。
でも、この時からは、「ありがたい」「私には何ができるだろうか」という思いが、
私を動かすようになりました。
ここから、「伝道」が楽しくなりました。
さて、今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の4章でした。
「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。」7節です。
単純な言葉ですが、
この言葉が私の心に留りました。
神に従う、
当たり前のことですが、
そのことにしっかり立っていきたいと思いました。
調整型の生き方をしてきたかもしれません。
あちらも立ててこちらも立てて・・・と。
でも、本気で神様を信頼して、
神様に従ってきただろうかと反省させられました。
本気で神様に従っていきたいと思います。
軋轢もあるかもしれない、
批判を受けることもあるかもしれない。
でも、主に信頼して、
主に従って歩んでいこうと思います。
主よ、
どうか私を導いて下さい。
私に語り続けてください。
そして、私が大胆にあなたに従っていくことができますように。
本気で従っていくことができますように。
勇気と愛を与えて下さい。
最高は未明の-0.2度C。
明け方-5度くらいに冷え込んで、
昼間ちょと上がった後、
夕方からどんどん冷え込んできています。
今は夜の9時半ですが、雪で-7.5度C。
うっすら白くなっています。
この後、温度はもう少し下がった後、
上がっていくでしょう。
そして、明日の朝には雪からIce Stormに変わっているでしょう。
Ice StormはSleetとFreezing Rainがありますが、
Sleetは雨が降ってくる途中で凍った氷の粒。
Freezing Rainは途中で凍らなかった雨が、
地面についたとたんに凍り付くやつです。
これはスケートリンクになります。
木や電線に凍り付きます。
場合によっては気温が氷点下を脱するかもしれません。
そうしたら、今度は雨です。
そして、午後はまた雪に戻るという予報が出ています。
と思って外に出たら、もうすでに雪からSleetになっています。
「証し」の第10章です。
「君はほんとうに傲慢な人間だね」と言われて、
どういう意味か分りませんでした。
自分のような、自分の愚かさ、醜さ、偽善性に落ち込んでいる人間は
「傲慢」なんかじゃない、砕かれているんだ、
と思いました。
でも、そんな気持ちを知っておられたのかどうか分りませんが、
先生は続けました。
「君はまだ自分に期待しているのかね。君はもう、あのキリストの十字架に共につけられているんだよ」と。
その時に、私は初めて分りました。
自分が一生懸命がんばっても、
せいぜい偽善者止まり。
外側を繕うことくらいしかできないからこそ、
そんな人間だからこそ、
イエスは十字架にかからなければならなかった。
自分でがんばって立派な人間になれるなら、
イエスは十字架にかからなくてもよかった。
自分がそんな立派な人間ではないから、
イエスは自分を投げ出されたのだ。
そして、その時に、子供の頃から耳にたこができるくらい何度も何度も聞いていた、
「神の愛」「十字架の愛」が自分に注がれていることが頭ではなく心で分りました。
こんな偽善者にしかなれないような人間のために、
命を投げ出して下さった方がいる。
そこまでして下さった方がいた。
その事実に、ほんとうに愛されている喜びを感じました。
大げさではなくて、
今もその愛が自分を生かしている。自分を動かしている。
そう感じます。
それまでは、人がどう思うかが私を動かしていました。
人の期待に応えるのが自分にとって一番大切なことでした。
こう期待されているから、こうしたい、(逆に、したくない、と意固地になったこともありました)
そのように生きてきました。
でも、この時からは、「ありがたい」「私には何ができるだろうか」という思いが、
私を動かすようになりました。
ここから、「伝道」が楽しくなりました。
さて、今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の4章でした。
「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。」7節です。
単純な言葉ですが、
この言葉が私の心に留りました。
神に従う、
当たり前のことですが、
そのことにしっかり立っていきたいと思いました。
調整型の生き方をしてきたかもしれません。
あちらも立ててこちらも立てて・・・と。
でも、本気で神様を信頼して、
神様に従ってきただろうかと反省させられました。
本気で神様に従っていきたいと思います。
軋轢もあるかもしれない、
批判を受けることもあるかもしれない。
でも、主に信頼して、
主に従って歩んでいこうと思います。
主よ、
どうか私を導いて下さい。
私に語り続けてください。
そして、私が大胆にあなたに従っていくことができますように。
本気で従っていくことができますように。
勇気と愛を与えて下さい。
2007-02-12
BかMか
今日は暖かくなりました。
朝は-6度でしたが、昼間は5度まで上がりました。
でも、今、北の方から冷たい空気が下がってきています。
今夜はまたかなり冷え込むでしょう。
そして、明日の夕方から雪です。
昨日の朝までのBlizzardの声に変わって、
Mixed Precipitationの声が広がっています。
暖かい空気が南や東から入ってきて、
雪がSleetやFreezing Rainに変わるということです。
もっと暖かくなると、「雨」なんですが、
NYCはそうかもしれませんが、ここら辺は微妙みたいです。
まだまだ分らない状況です。
「大したことはない」
「Ice Stormで電線がやられる」
「吹雪でwhiteout!」
いろんな可能性があります。
積雪量も3-5センチから15センチ以上までいろいろありますが、
さすがに30センチ以上を予想するところはないみたいです。
明日にはもうちょっとはっきりすると思うのですが・・・。
今日はまた遅くなったので、
聖書の言葉に行きます。
今日はヤコブの手紙の3章を読みました。
「いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。」12節の言葉です。
結局、表面的なことではなく、
中身なんですよね。
中身がきよめられていないと、
どんなに表面的にいいものを出そうと思っても、
それは出るわけがない。
だから、いつもいつも心の内側に気をつけなさい、ということ。
心の中にあるものが表面に出てくる、
外側に出てくる。
だから、いつもいつも神様の前に歩む、
神様と共に歩む、
心を主に支配して頂く、
それがどれほど大切かと思います。
表面的にかざってもしょうがない。
一時的にだまされる人がいても、
やがて、ばれていく。
「隠れているもので、明らかにされないものはない」
主よ、
心の内側に目を留めます。
きよめてください。
砕いてください。
満たして下さい。
あふれて下さい。
外側はついてくる。
それを単純に信じて、歩ませて下さい。
朝は-6度でしたが、昼間は5度まで上がりました。
でも、今、北の方から冷たい空気が下がってきています。
今夜はまたかなり冷え込むでしょう。
そして、明日の夕方から雪です。
昨日の朝までのBlizzardの声に変わって、
Mixed Precipitationの声が広がっています。
暖かい空気が南や東から入ってきて、
雪がSleetやFreezing Rainに変わるということです。
もっと暖かくなると、「雨」なんですが、
NYCはそうかもしれませんが、ここら辺は微妙みたいです。
まだまだ分らない状況です。
「大したことはない」
「Ice Stormで電線がやられる」
「吹雪でwhiteout!」
いろんな可能性があります。
積雪量も3-5センチから15センチ以上までいろいろありますが、
さすがに30センチ以上を予想するところはないみたいです。
明日にはもうちょっとはっきりすると思うのですが・・・。
今日はまた遅くなったので、
聖書の言葉に行きます。
今日はヤコブの手紙の3章を読みました。
「いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。」12節の言葉です。
結局、表面的なことではなく、
中身なんですよね。
中身がきよめられていないと、
どんなに表面的にいいものを出そうと思っても、
それは出るわけがない。
だから、いつもいつも心の内側に気をつけなさい、ということ。
心の中にあるものが表面に出てくる、
外側に出てくる。
だから、いつもいつも神様の前に歩む、
神様と共に歩む、
心を主に支配して頂く、
それがどれほど大切かと思います。
表面的にかざってもしょうがない。
一時的にだまされる人がいても、
やがて、ばれていく。
「隠れているもので、明らかにされないものはない」
主よ、
心の内側に目を留めます。
きよめてください。
砕いてください。
満たして下さい。
あふれて下さい。
外側はついてくる。
それを単純に信じて、歩ませて下さい。
2007-02-11
行いと共に働く信仰
今日も2日連続でプラスになりました。
朝は-8度くらいまで下がりましたが(ちゃんと記録していない)、
最高気温は1.9度まで上がりました。
今も夜の9時半ですが、まだ-3.3度です。
明日までは比較的穏やかな天気でしょう。
問題は火曜日の午後から水曜日です。
南にそれるという可能性はほとんどなくなってしまったようです。
水曜日の降水確率は100パーセントをつけるところも出てきてしまいました。
問題は、低気圧が昨日の予想よりも内陸を通るという可能性が出てきて、
雪が雨に変わるかもしれないと言うこことです。
変わらなければ、30センチから60センチくらいの大雪、
プラス強風のBlizzardになる可能性もあります。
48時間後の予報ですから、だんだん確率が上がってきます。
1996年1月のBlizzardの時にも、
あれは日曜日の昼頃から降り始めて、月曜日の昼まで24時間降り続いたのですが、
降り始める36時間前までは、「南にそれる」と言っていたのが、
24時間前には「こちらに来るでしょう」
6時間前には「この雪はインチではなくてフィートで測る雪です」と予報を変えてきました。
その日の朝のスーパーマーケットの買い物する人たちの目の色が違ったのを驚いて見ていたのを、
思い出します。
水曜日はメトロポリタン美術館の宗教画ツアーの予定があるので、
大雪はゴメンしたんですが・・・。
accuweather.comのHenryさんのブログを読むと、
「すごいのがくるぞー」と大騒ぎをしています。
さて、どうなることでしょうか?
今日は日曜日でした。
ちょっとお休みだった方もいつもより多かったのかなあ、と思います。
でも、今日の良かったのは、礼拝の後、
時間があったこと、あまり「ミーティング」「ミーティング」に忙殺されないで、
ゆっくりいろんな方とお話ができたこと。
私にとって、ほんとうに大切なことだと思います。
今、教会は自分たちの会堂を持つために動き始めています。
夕方には売りに出ているユダヤ教の会堂を見に行きました。
いいですねえ。
それなりの金額はしますが・・・。
神様が私たちをどこに導こうとされているのかまだ分りませんが、
楽しみです。
でも、それ以上に楽しみなのは、
神様がこのことを通して、どのように私たちを取り扱おうとされているかです。
私たちを御言葉によって取り扱い、整えて下さるかです。
それをもっともっと祈って、もっともっと神様のすばらしさを語り合って、
すばらしい御業を見せて頂きたいと思います。
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の2章を読みました。
心に留った言葉は、
「彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ・・・」という22節の言葉です。
信仰は行いが伴わないと、意味がない。
ほんとうにそう思います。
「信じている」と言うことは簡単です。
でも、それは行動にならないものでは、「信じている」ということにはならないのです。
信じているなら、そのように行動するはずです。
信じているなら、そのような言葉が出てくるはずです。
言葉だけの人間にならないでいたいと思います。
信じているなら、主を信頼しているなら、
聖書の御言葉を信頼しているなら、
そこに自分の人生をかけていく者でありたいと思います。
生活自体が神様の支配の元で守られていくようにと願います。
主よ、
どうか、私の信仰が、
あなたに対する信頼が、
私の人生を、生活を支配するように、
守って下さい。
生きた、ホンモノの信仰に生かしてください。
教会の中にもそれがあふれますように。
朝は-8度くらいまで下がりましたが(ちゃんと記録していない)、
最高気温は1.9度まで上がりました。
今も夜の9時半ですが、まだ-3.3度です。
明日までは比較的穏やかな天気でしょう。
問題は火曜日の午後から水曜日です。
南にそれるという可能性はほとんどなくなってしまったようです。
水曜日の降水確率は100パーセントをつけるところも出てきてしまいました。
問題は、低気圧が昨日の予想よりも内陸を通るという可能性が出てきて、
雪が雨に変わるかもしれないと言うこことです。
変わらなければ、30センチから60センチくらいの大雪、
プラス強風のBlizzardになる可能性もあります。
48時間後の予報ですから、だんだん確率が上がってきます。
1996年1月のBlizzardの時にも、
あれは日曜日の昼頃から降り始めて、月曜日の昼まで24時間降り続いたのですが、
降り始める36時間前までは、「南にそれる」と言っていたのが、
24時間前には「こちらに来るでしょう」
6時間前には「この雪はインチではなくてフィートで測る雪です」と予報を変えてきました。
その日の朝のスーパーマーケットの買い物する人たちの目の色が違ったのを驚いて見ていたのを、
思い出します。
水曜日はメトロポリタン美術館の宗教画ツアーの予定があるので、
大雪はゴメンしたんですが・・・。
accuweather.comのHenryさんのブログを読むと、
「すごいのがくるぞー」と大騒ぎをしています。
さて、どうなることでしょうか?
今日は日曜日でした。
ちょっとお休みだった方もいつもより多かったのかなあ、と思います。
でも、今日の良かったのは、礼拝の後、
時間があったこと、あまり「ミーティング」「ミーティング」に忙殺されないで、
ゆっくりいろんな方とお話ができたこと。
私にとって、ほんとうに大切なことだと思います。
今、教会は自分たちの会堂を持つために動き始めています。
夕方には売りに出ているユダヤ教の会堂を見に行きました。
いいですねえ。
それなりの金額はしますが・・・。
神様が私たちをどこに導こうとされているのかまだ分りませんが、
楽しみです。
でも、それ以上に楽しみなのは、
神様がこのことを通して、どのように私たちを取り扱おうとされているかです。
私たちを御言葉によって取り扱い、整えて下さるかです。
それをもっともっと祈って、もっともっと神様のすばらしさを語り合って、
すばらしい御業を見せて頂きたいと思います。
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の2章を読みました。
心に留った言葉は、
「彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ・・・」という22節の言葉です。
信仰は行いが伴わないと、意味がない。
ほんとうにそう思います。
「信じている」と言うことは簡単です。
でも、それは行動にならないものでは、「信じている」ということにはならないのです。
信じているなら、そのように行動するはずです。
信じているなら、そのような言葉が出てくるはずです。
言葉だけの人間にならないでいたいと思います。
信じているなら、主を信頼しているなら、
聖書の御言葉を信頼しているなら、
そこに自分の人生をかけていく者でありたいと思います。
生活自体が神様の支配の元で守られていくようにと願います。
主よ、
どうか、私の信仰が、
あなたに対する信頼が、
私の人生を、生活を支配するように、
守って下さい。
生きた、ホンモノの信仰に生かしてください。
教会の中にもそれがあふれますように。
2007-02-10
試練をこの上もない喜びとする
今日2回目の更新です。
とうとう氷点下Daysを脱出しました!
今日の最高気温は何と1.8度まで上がったのです。
でも、今午後6時過ぎですでに-3度まで下がっています。
今夜もまた厳しく冷え込みそうです。
そして、来週のstormですが、
今日の午後になってBlizzardの言葉が踊り始めました。
南にそれるのではなくて、
北に上がってくる確率の方が上がってきたからです。
いろんな天気予報のコンピューターモデルが
そろって、ニュージャージー沖で低気圧が急速に発達する予想を出してきたのです。
日本でも「爆弾低気圧」という呼び方をするようになってきていますが、
こちらでも、the storm system is exploding(低気圧が爆発する)という言い方をします。
まさにそれの可能性があります。13日から14日にかけて・・・。
両日とも教会のプログラムが入っているので、
何とか外れて欲しいのですが・・・。
さて、「証し」の第9章。
自分が偽善者だと気がついたとき、
ほんとうに落ち込みました。
自分をののしり、「おまえは偽善者だ!」と日記に書き殴りました。
子供の時から聖書を読んでいる中で、
こういうタイプの人間にはなりたくないと思っている種類の人々がいました。
それは「律法学者」であり、「パリサイ人」でした。
規則を細かく守りながら、
でも心の中は醜いものでいっぱい、
傲慢で、人を見下げている人々。
イエスも「おまえ達は白く塗った墓だ」と彼らを厳しく非難しました。
「ほんとうに嫌な連中だ!」と私は聖書を読むたびに思っていました。
でも、気がついたら自分がその偽善者になっていた。
すべてがバカらしくなりました。
聖書を読むことも、
お祈りをすることも、
奉仕をすること、
教会に行くこと、
伝道をすること
すべてがバカらしくなりました。
子供の頃から一生懸命やってきて、
それで自分が一番なりたくないような種類の人間になっていたわけですから。
そして、最後は生きていることさえもバカらしくなりました。
この後どうして生きていったらいいか?
「人間なんてみんな偽善者だ」と割り切って生きていくか、
このまま偽善を通して生きるか?
いろんな人に相談しました。
あまり相手にして頂けませんでした。
「若いっていいね」「そんなこと気にしていてはダメだよ」「君は立派だよ」
最後の期待を持って、
あの大島のキャンプ場で、自分の父親くらいの先生に話しました。
先生は私の話をしっかり聞いてくださいました。
そして、言われました。「君はほんとうに傲慢な人間だね」
さて、今日の聖書。
今日は続いてヤコブの手紙に入りました。
ヤコブの手紙の1章。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」2-4節
何といっても、最初の「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」という言葉があまりにも衝撃的です。試練の中で「これはすごい喜びだ」と思うなんて、そりゃないよ、と思いますが、でも、その後の続く言葉はまた魅力的な言葉です。そこで忍耐が生じる。そして成長させられるのだというのです。
信仰が試されるとき。
それは神様が私たちを試されるこの上もないチャンスなのです。
ものすごく大きなチャンスなのです。
そこで、「忍耐」ということが大切だと言います。
忍耐。できるだろうかと思います。
逃げ出したくなる方です。投げ出したくなる方です。
ほんとうに主のなさることを信頼して歩んでいきたいと思います。
主よ、
守って下さい。
忍耐を経験させて下さって、
そこで与えられる訓練、「整えられる」ということを経験させて下さいますように。
次に私に大きな試練がやってくるときに、
またこの言葉を思い出させて下さい。
とうとう氷点下Daysを脱出しました!
今日の最高気温は何と1.8度まで上がったのです。
でも、今午後6時過ぎですでに-3度まで下がっています。
今夜もまた厳しく冷え込みそうです。
そして、来週のstormですが、
今日の午後になってBlizzardの言葉が踊り始めました。
南にそれるのではなくて、
北に上がってくる確率の方が上がってきたからです。
いろんな天気予報のコンピューターモデルが
そろって、ニュージャージー沖で低気圧が急速に発達する予想を出してきたのです。
日本でも「爆弾低気圧」という呼び方をするようになってきていますが、
こちらでも、the storm system is exploding(低気圧が爆発する)という言い方をします。
まさにそれの可能性があります。13日から14日にかけて・・・。
両日とも教会のプログラムが入っているので、
何とか外れて欲しいのですが・・・。
さて、「証し」の第9章。
自分が偽善者だと気がついたとき、
ほんとうに落ち込みました。
自分をののしり、「おまえは偽善者だ!」と日記に書き殴りました。
子供の時から聖書を読んでいる中で、
こういうタイプの人間にはなりたくないと思っている種類の人々がいました。
それは「律法学者」であり、「パリサイ人」でした。
規則を細かく守りながら、
でも心の中は醜いものでいっぱい、
傲慢で、人を見下げている人々。
イエスも「おまえ達は白く塗った墓だ」と彼らを厳しく非難しました。
「ほんとうに嫌な連中だ!」と私は聖書を読むたびに思っていました。
でも、気がついたら自分がその偽善者になっていた。
すべてがバカらしくなりました。
聖書を読むことも、
お祈りをすることも、
奉仕をすること、
教会に行くこと、
伝道をすること
すべてがバカらしくなりました。
子供の頃から一生懸命やってきて、
それで自分が一番なりたくないような種類の人間になっていたわけですから。
そして、最後は生きていることさえもバカらしくなりました。
この後どうして生きていったらいいか?
「人間なんてみんな偽善者だ」と割り切って生きていくか、
このまま偽善を通して生きるか?
いろんな人に相談しました。
あまり相手にして頂けませんでした。
「若いっていいね」「そんなこと気にしていてはダメだよ」「君は立派だよ」
最後の期待を持って、
あの大島のキャンプ場で、自分の父親くらいの先生に話しました。
先生は私の話をしっかり聞いてくださいました。
そして、言われました。「君はほんとうに傲慢な人間だね」
さて、今日の聖書。
今日は続いてヤコブの手紙に入りました。
ヤコブの手紙の1章。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」2-4節
何といっても、最初の「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」という言葉があまりにも衝撃的です。試練の中で「これはすごい喜びだ」と思うなんて、そりゃないよ、と思いますが、でも、その後の続く言葉はまた魅力的な言葉です。そこで忍耐が生じる。そして成長させられるのだというのです。
信仰が試されるとき。
それは神様が私たちを試されるこの上もないチャンスなのです。
ものすごく大きなチャンスなのです。
そこで、「忍耐」ということが大切だと言います。
忍耐。できるだろうかと思います。
逃げ出したくなる方です。投げ出したくなる方です。
ほんとうに主のなさることを信頼して歩んでいきたいと思います。
主よ、
守って下さい。
忍耐を経験させて下さって、
そこで与えられる訓練、「整えられる」ということを経験させて下さいますように。
次に私に大きな試練がやってくるときに、
またこの言葉を思い出させて下さい。
キリストのはずかしめを身に負う
昨日も氷点下Dayが続きました。
朝が-8.8度C。
最高気温が何と-0.1度C!
これで7日連続。
今朝の最低は-7度。
昼間はもしかしたらやっとプラスになるかもしれません。
そして、Stormの噂ですが、
うーん、南にそれるかも・・・。
13-14日にかけてちょっと降るくらいかなあ、という感じです。
こればっかりは月曜日くらいにならないとはっきり分りません。
少なくとも低気圧が東海岸に来ることは確かなんですが、
どこまで北に上がってくるのかが微妙です。
北からの高気圧に押さえ込まれて、
大雪はフィラデルフィア止まり、というのが、
今のところの予想です。
「証し」の第8章。
それで、20歳の時。
夏でした。
私は時々伊豆大島にあるホーリネス教団のキャンプ場に
ワーカーとして奉仕に行っていました。
この大島泉の家・・・何だか重い、このサイト。
私はここで育てられました。
船に乗っていかなければ行けないというところがまたいいんですよね。
一度行ったらもう終わるまで帰れないし、
他に周りに何もない、真っ暗なところ、
停電したときなんかなーんにも見えませんでした。
それから星がきれい、
海がきれい、
クワガタがたくさんいる・・・
まあいろいろあったのですが、
何よりも良かったのは、そこで持たれたキャンプが、毎回毎回良かった。
教会の規模は今のJCCNJと同じくらいなんですが、
中高生はうちの兄弟とちょこちょこ・・・。
で、このキャンプ場に来て、50人とか、100人とかの仲間の中に入って、
中高生向けのメッセージを聞いて、
共に歌って、共に祈って、
悔い改めに導かれたり、
友達のために祈ったり、
新しくされて帰ってきたものでした。
行き帰りの船の中では前の方に集まって、
みんなで賛美をしました。
そのキャンプ場で大学生になってからは
時々ワーカーをしていたわけです。
ワーカーをしているときには、
一生懸命陰の奉仕をします。
朝は5時半とか5時とかから朝ご飯の準備、
みんなが海に遊びに行っているときにはキャンプファイアーの準備とか、
夕食の準備とか、
汗だくになりながら、泥だらけになりながら、奉仕をしていました。
そんな陰の奉仕に気がついて、
声をかけて下さる方々もおられました。
「君のような人がいるからキャンプができるんだよ、ありがとう」
そして、キャンプが終わって家に帰ったとき、
自分が一人でいるときに、キャンプの裏方で奉仕をしていたときの自分と
まるで違う、心の中に醜いものがたくさん渦巻いている自分に気がついたのです。
その時、私は自分が「偽善者」だということに気がついてしまったのです・・・
さて、昨日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の最後、13章を読みました。
心に留った言葉は、
「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」13節の言葉です。
イエスの足跡を踏む。
「そんなこと必要ないでしょう」
2000年前にもサタンはイエスに言った。
今日もサタンは私に言う。
「そんなこと必要ないでしょう」と。
「キリストのはずかしめ」
自分にとってなんだろうかと思います。
「宿営の外に出ること」
私にとって何を意味するのでしょうか?
それはある時には逃げたくなることでしょうし、
地味な働きで、誰にも気がつかれないことかもしれません。
いや、もしかしたらやはり「はずかしめ」ですから、
逆の意味で注目されるのかもしれません。
でも、主がそれを望まれることであれば、
勇気を持って進んでいきたいと思います。
主よ、
イエスさまの十字架のあとをついて行かせて下さい。
イエスさまが歩まれたように歩ませて下さい。
勇気を与えて下さい。
道を示して下さい。
朝が-8.8度C。
最高気温が何と-0.1度C!
これで7日連続。
今朝の最低は-7度。
昼間はもしかしたらやっとプラスになるかもしれません。
そして、Stormの噂ですが、
うーん、南にそれるかも・・・。
13-14日にかけてちょっと降るくらいかなあ、という感じです。
こればっかりは月曜日くらいにならないとはっきり分りません。
少なくとも低気圧が東海岸に来ることは確かなんですが、
どこまで北に上がってくるのかが微妙です。
北からの高気圧に押さえ込まれて、
大雪はフィラデルフィア止まり、というのが、
今のところの予想です。
「証し」の第8章。
それで、20歳の時。
夏でした。
私は時々伊豆大島にあるホーリネス教団のキャンプ場に
ワーカーとして奉仕に行っていました。
この大島泉の家・・・何だか重い、このサイト。
私はここで育てられました。
船に乗っていかなければ行けないというところがまたいいんですよね。
一度行ったらもう終わるまで帰れないし、
他に周りに何もない、真っ暗なところ、
停電したときなんかなーんにも見えませんでした。
それから星がきれい、
海がきれい、
クワガタがたくさんいる・・・
まあいろいろあったのですが、
何よりも良かったのは、そこで持たれたキャンプが、毎回毎回良かった。
教会の規模は今のJCCNJと同じくらいなんですが、
中高生はうちの兄弟とちょこちょこ・・・。
で、このキャンプ場に来て、50人とか、100人とかの仲間の中に入って、
中高生向けのメッセージを聞いて、
共に歌って、共に祈って、
悔い改めに導かれたり、
友達のために祈ったり、
新しくされて帰ってきたものでした。
行き帰りの船の中では前の方に集まって、
みんなで賛美をしました。
そのキャンプ場で大学生になってからは
時々ワーカーをしていたわけです。
ワーカーをしているときには、
一生懸命陰の奉仕をします。
朝は5時半とか5時とかから朝ご飯の準備、
みんなが海に遊びに行っているときにはキャンプファイアーの準備とか、
夕食の準備とか、
汗だくになりながら、泥だらけになりながら、奉仕をしていました。
そんな陰の奉仕に気がついて、
声をかけて下さる方々もおられました。
「君のような人がいるからキャンプができるんだよ、ありがとう」
そして、キャンプが終わって家に帰ったとき、
自分が一人でいるときに、キャンプの裏方で奉仕をしていたときの自分と
まるで違う、心の中に醜いものがたくさん渦巻いている自分に気がついたのです。
その時、私は自分が「偽善者」だということに気がついてしまったのです・・・
さて、昨日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の最後、13章を読みました。
心に留った言葉は、
「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」13節の言葉です。
イエスの足跡を踏む。
「そんなこと必要ないでしょう」
2000年前にもサタンはイエスに言った。
今日もサタンは私に言う。
「そんなこと必要ないでしょう」と。
「キリストのはずかしめ」
自分にとってなんだろうかと思います。
「宿営の外に出ること」
私にとって何を意味するのでしょうか?
それはある時には逃げたくなることでしょうし、
地味な働きで、誰にも気がつかれないことかもしれません。
いや、もしかしたらやはり「はずかしめ」ですから、
逆の意味で注目されるのかもしれません。
でも、主がそれを望まれることであれば、
勇気を持って進んでいきたいと思います。
主よ、
イエスさまの十字架のあとをついて行かせて下さい。
イエスさまが歩まれたように歩ませて下さい。
勇気を与えて下さい。
道を示して下さい。
2007-02-09
2007-02-08
ゆりうごかされないもの
氷点下Days 第6日。
今日も朝は-10.5度C。
昼間は-2度まで上がりましたが、それで終わり。
今は夜の10時半ですが-6.5度Cです。
明日の朝も-10度くらいでしょう。
明日はプラスになる可能性があることにはあります。
上がっても1度とかでしょうが・・・。
今週は一週間「寒い」+「晴れ」という天気予報をする人にとっては楽なような、退屈なような天気だったのですが、来週からはそうはいかないようです。何度か雪の可能性があります。
まず最初は13日。これは南にそれて、こっちに来ても、大雪にはならないようです。
その次が16日くらい。その次が19日くらいです。
去年の記録を見てみると、
ちょうど2月の12日に40センチくらいの大雪になっています。
あまり興奮しすぎないように注目していこうと思います。
今日は息子の16回目の誕生日。
年々頼もしくなってくる息子を見て、主に感謝します。
私たちは結婚と同時に「神様のいいと思われる一番早いタイミングで子供を与えて下さい」と祈り始めたのですが、「神様のいいと思われる一番早いタイミング」というのがかなり早かったようで、結婚2ヶ月足らずで妊娠が分かりました。そして、「切迫流産で絶対安静、トイレに行く以外は立ち歩かないように」というお医者さんの話でした。しかし、奉仕に追われ、使命感に燃えていた私は・・・妻に対する思いやりもなく・・・「そんなのできないよね」と聞き流していました。
それを知った教会のある方が厳しくまた愛をもって涙ながらに私を諭して下さいました。その命がどれくらい大切なものか、この時期安静にすることがどれほど大切なことなのか、安静にしていても無理な場合もある、でも、無理をして赤ちゃんがなくなってもしょうがない、というのはおかしいと、ご自分たちの経験を含めて語ってくださいました。そして、その後安定期にはいるまでの2、3ヶ月の間、近所の集会に集っておられる皆さんがおかずを一品ずつ持ち寄って、まとめて運んでくださいました。そんな愛と祈りの中で、この世に迎えられた息子はほんとうに幸せ者だと思います。
これからの息子の人生の中でも、神様が場所場所に良いアドバイスを下さる方々を与えて下さって、人間的に成長させて下さるようにと祈らされます。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙12章を読みました。
その中でいろんな言葉が心に留ったのですが、
最後の方の言葉、
『この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。』(27節)
これが心に深く届きました。
「揺り動かされるものが取り除かれる」
それは決して揺り動かされることがないものが残るため
といいます。
これは直接的には世の終わりのことを指しているのだと思います。
でも、それだけではなくて、私たちの人生の中で、
ほんとうに変わらないものをあきらかにするために、
変わるものが取り去られることがある、ということを語られたように思いました。
変わるものは取り去られてもいい、取り去られた方がいい、
それはほんとうに変わらない、たいせつなものが明らかにされるため。
私も決して変わらない、大切なものを第一に、そこをしっかり見据えながら歩んでいきたいと思いました。
主よ、
どうかほんとうに大切なもの、
ほんとうにかわらないものを見せてください。
そしてそこに焦点を当てて、歩んでいく者とならせてください。
そのために変わってしまうもの、揺り動かされるものが、取り除かれることをも
恐れない、強さを与えて下さい。
今日も朝は-10.5度C。
昼間は-2度まで上がりましたが、それで終わり。
今は夜の10時半ですが-6.5度Cです。
明日の朝も-10度くらいでしょう。
明日はプラスになる可能性があることにはあります。
上がっても1度とかでしょうが・・・。
今週は一週間「寒い」+「晴れ」という天気予報をする人にとっては楽なような、退屈なような天気だったのですが、来週からはそうはいかないようです。何度か雪の可能性があります。
まず最初は13日。これは南にそれて、こっちに来ても、大雪にはならないようです。
その次が16日くらい。その次が19日くらいです。
去年の記録を見てみると、
ちょうど2月の12日に40センチくらいの大雪になっています。
あまり興奮しすぎないように注目していこうと思います。
今日は息子の16回目の誕生日。
年々頼もしくなってくる息子を見て、主に感謝します。
私たちは結婚と同時に「神様のいいと思われる一番早いタイミングで子供を与えて下さい」と祈り始めたのですが、「神様のいいと思われる一番早いタイミング」というのがかなり早かったようで、結婚2ヶ月足らずで妊娠が分かりました。そして、「切迫流産で絶対安静、トイレに行く以外は立ち歩かないように」というお医者さんの話でした。しかし、奉仕に追われ、使命感に燃えていた私は・・・妻に対する思いやりもなく・・・「そんなのできないよね」と聞き流していました。
それを知った教会のある方が厳しくまた愛をもって涙ながらに私を諭して下さいました。その命がどれくらい大切なものか、この時期安静にすることがどれほど大切なことなのか、安静にしていても無理な場合もある、でも、無理をして赤ちゃんがなくなってもしょうがない、というのはおかしいと、ご自分たちの経験を含めて語ってくださいました。そして、その後安定期にはいるまでの2、3ヶ月の間、近所の集会に集っておられる皆さんがおかずを一品ずつ持ち寄って、まとめて運んでくださいました。そんな愛と祈りの中で、この世に迎えられた息子はほんとうに幸せ者だと思います。
これからの息子の人生の中でも、神様が場所場所に良いアドバイスを下さる方々を与えて下さって、人間的に成長させて下さるようにと祈らされます。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙12章を読みました。
その中でいろんな言葉が心に留ったのですが、
最後の方の言葉、
『この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。』(27節)
これが心に深く届きました。
「揺り動かされるものが取り除かれる」
それは決して揺り動かされることがないものが残るため
といいます。
これは直接的には世の終わりのことを指しているのだと思います。
でも、それだけではなくて、私たちの人生の中で、
ほんとうに変わらないものをあきらかにするために、
変わるものが取り去られることがある、ということを語られたように思いました。
変わるものは取り去られてもいい、取り去られた方がいい、
それはほんとうに変わらない、たいせつなものが明らかにされるため。
私も決して変わらない、大切なものを第一に、そこをしっかり見据えながら歩んでいきたいと思いました。
主よ、
どうかほんとうに大切なもの、
ほんとうにかわらないものを見せてください。
そしてそこに焦点を当てて、歩んでいく者とならせてください。
そのために変わってしまうもの、揺り動かされるものが、取り除かれることをも
恐れない、強さを与えて下さい。
2007-02-07
行き先を知らないで
氷点下Days 第5日目。
今朝は-10.6度C。
昼間には-3.5度Cまで上がりましたが、
もちろん氷点下脱出にはほど遠い温度。
今は夜の11時半で-8.2度です。
昨夜よりはずっとましですが、
やっぱり明日の朝は-10度以下なんでしょう。
明日も氷点下の一日となると思います。
今日は「証し」の続きを書こうと思っていたのですが、
昨日もいかにも「明日をお楽しみに・・・」という終わり方でしたしねえって教会の人たちはもう耳にたこができるくらい聞いておられるので、この後の展開も皆さんご存じなんですが・・・
ちょっとうれしいことがあったので、おあずけ。
夜にある方からお電話をいただいて、
主が心に触れて下さった、
語ってくださったことを分ち合ってくださいました。
平安が与えられたことを伝えてくださいました。
もちろん、ここに内容を書くようなことではないのですが、(そんなことしたら、誰も電話しなくなるって・・・)ほんとうに良かったなあ、と思いました。
その後、お風呂に入って・・・てあのアメリカの浅いバスタブなので、半身浴。でも、いつかいただいた入浴剤入れて、雑誌持ってゆっくり入っていました。神様に感謝しながら・・・。
そして、そこから上がろうとしたときに、
心に響いてきた言葉がありました。
「静まって、私こそ神であることを知れ」
詩篇の46篇の言葉です。
静まることの大切さ、祈ることの大切さ、主を信頼することの大切さを思わされました。
主は信頼に足る方です。
私たちが焦って八方手を尽くすよりも、
主の御業を待ち望みたいと思います。
それで、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙11章でした。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」18節の言葉です。
いやあ、どんなに不安だったことかと思います。
でも、またそれと共に、こんな大胆なことをするとは、
どれほど確信であふれていたかと思います。
そう、御言葉が語られるときに、
召しが与えられるときに、
それがどんなに突拍子もないことであっても、
それに従うのが平安なのです。
それに従わないのは、
どんなに人間的に見て、賢明なことであったとしても、
どんなに周りの人が肯定してくれても、
不安なのです。
主がそのように語ってくださったら、
そこに進んでいくことです。
行き先を知らなくても。
大体、私たちは自分の明日の命さえ分らない存在です。
ならば、誰も「行き先を知っている」という人はいないはずです。
主の御言葉を待ち望んでいきたいと思います。
主が語ってくださること、
主が私の心に、
一人ひとりの心に語ってくださることを
待ち望んで歩んでいきたいと思います。
主よ、
今日の一日に感謝します。
あなたが与えて下さった一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つのみことばに感謝します。
一人ひとりに語ってくださったことに感謝します。
どうか、あなたの語りかけを私に与えて下さい。
そして、一人ひとりに語ってください。
今朝は-10.6度C。
昼間には-3.5度Cまで上がりましたが、
もちろん氷点下脱出にはほど遠い温度。
今は夜の11時半で-8.2度です。
昨夜よりはずっとましですが、
やっぱり明日の朝は-10度以下なんでしょう。
明日も氷点下の一日となると思います。
今日は「証し」の続きを書こうと思っていたのですが、
昨日もいかにも「明日をお楽しみに・・・」という終わり方でしたしねえって教会の人たちはもう耳にたこができるくらい聞いておられるので、この後の展開も皆さんご存じなんですが・・・
ちょっとうれしいことがあったので、おあずけ。
夜にある方からお電話をいただいて、
主が心に触れて下さった、
語ってくださったことを分ち合ってくださいました。
平安が与えられたことを伝えてくださいました。
もちろん、ここに内容を書くようなことではないのですが、(そんなことしたら、誰も電話しなくなるって・・・)ほんとうに良かったなあ、と思いました。
その後、お風呂に入って・・・てあのアメリカの浅いバスタブなので、半身浴。でも、いつかいただいた入浴剤入れて、雑誌持ってゆっくり入っていました。神様に感謝しながら・・・。
そして、そこから上がろうとしたときに、
心に響いてきた言葉がありました。
「静まって、私こそ神であることを知れ」
詩篇の46篇の言葉です。
静まることの大切さ、祈ることの大切さ、主を信頼することの大切さを思わされました。
主は信頼に足る方です。
私たちが焦って八方手を尽くすよりも、
主の御業を待ち望みたいと思います。
それで、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙11章でした。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」18節の言葉です。
いやあ、どんなに不安だったことかと思います。
でも、またそれと共に、こんな大胆なことをするとは、
どれほど確信であふれていたかと思います。
そう、御言葉が語られるときに、
召しが与えられるときに、
それがどんなに突拍子もないことであっても、
それに従うのが平安なのです。
それに従わないのは、
どんなに人間的に見て、賢明なことであったとしても、
どんなに周りの人が肯定してくれても、
不安なのです。
主がそのように語ってくださったら、
そこに進んでいくことです。
行き先を知らなくても。
大体、私たちは自分の明日の命さえ分らない存在です。
ならば、誰も「行き先を知っている」という人はいないはずです。
主の御言葉を待ち望んでいきたいと思います。
主が語ってくださること、
主が私の心に、
一人ひとりの心に語ってくださることを
待ち望んで歩んでいきたいと思います。
主よ、
今日の一日に感謝します。
あなたが与えて下さった一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つのみことばに感謝します。
一人ひとりに語ってくださったことに感謝します。
どうか、あなたの語りかけを私に与えて下さい。
そして、一人ひとりに語ってください。
2007-02-06
大胆に!
今日2回目の更新。
先ほど教会に行く用事があって、
出かけていました。
寒い!
言いたくはないですが、寒いです。
今、夜の9時過ぎで-9.3度。
今夜はどこまで下がるのでしょうか?
また-13度くらいでしょうか?
一発がーんと冷えて-15度とかよりも、
こうやって、毎晩毎晩-13度は結構きついですねえ。
氷点下DAYS4日目。
週末、氷点下脱出は微妙です。
もしかしたら、このまま氷点下記録を更新し続けて来週に突入することになるかもしれません。
久しぶりの「証し」第7章。
20歳になりました。
いろいろ悩みながらではありましたが、
まあ、真面目に神様を信じて生きていました。
そしていつの間にか、自分の信仰の姿勢に誇りを持つようになっていました。
それが「傲慢」になっていったのです。
聖書も(ほぼ)毎日読んでいました。
お祈りもしていました。
教会も休みませんでした。
友達も誘いました。
献金も思いっきりささげていました。
そんな自分のクリスチャンとしての歩みが自慢でした。
そして、そうできない友人を見下げていました。
高校時代は桶に入っていた、ん?オケに入っていたのですが、
合宿とかが日曜日に重なると悩んでいましたねえ。
オケと合唱で合わせて音楽部(オペラとかやっていましたからねえ)だったのですが、
一回は合宿に行って、日曜日にその場で、人を集めて「日曜礼拝」までやっていましたねえ。
結構集まりましたよ。60人くらいのうち、20人か30人か・・・。
また大学受験の時は
意地でも日曜日にある模擬試験は受けませんでした。
今考えるとなんて嫌なヤツなんだろうと思うのですが、
日曜日に模擬試験に行っていた教会の友人には、
「そこまでして大学行きたいか?」とか毒づいていました。
20歳になった夏、そんな自分の傲慢な気持ちが打ち砕かれるときがやってきました。
私にとっての大きなターニングポイントです。
続きは8章で・・・。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙の10章を読みました。
「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」19節。
今日はこの言葉がとてもうれしかったです。
私たちは恐れることなく、遠慮することもなく、
大胆に神様の懐に飛び込んでいいと。
最近、「罪を忘れない」という気持ちが強すぎたのかもしれません。
神様に申し訳ない、という気持ちになってきていました。
でも、主は私を赦し、私の罪を忘れてくださっている。
だから、大胆に飛び込んでいい。
大胆に主の恵みの中で安らいでいい。
主に信頼していい。
そのように思わされて、何かとてもうれしくなってきました。
主よ、
感謝します。
あなたの懐に大胆に飛び込んでいけることに心から感謝します。
安心して、喜んで飛び込ませて頂きます。
どうか私の歩みを支え、導き、喜びで満たして下さい。
私の心を守って下さい。
先ほど教会に行く用事があって、
出かけていました。
寒い!
言いたくはないですが、寒いです。
今、夜の9時過ぎで-9.3度。
今夜はどこまで下がるのでしょうか?
また-13度くらいでしょうか?
一発がーんと冷えて-15度とかよりも、
こうやって、毎晩毎晩-13度は結構きついですねえ。
氷点下DAYS4日目。
週末、氷点下脱出は微妙です。
もしかしたら、このまま氷点下記録を更新し続けて来週に突入することになるかもしれません。
久しぶりの「証し」第7章。
20歳になりました。
いろいろ悩みながらではありましたが、
まあ、真面目に神様を信じて生きていました。
そしていつの間にか、自分の信仰の姿勢に誇りを持つようになっていました。
それが「傲慢」になっていったのです。
聖書も(ほぼ)毎日読んでいました。
お祈りもしていました。
教会も休みませんでした。
友達も誘いました。
献金も思いっきりささげていました。
そんな自分のクリスチャンとしての歩みが自慢でした。
そして、そうできない友人を見下げていました。
高校時代は桶に入っていた、ん?オケに入っていたのですが、
合宿とかが日曜日に重なると悩んでいましたねえ。
オケと合唱で合わせて音楽部(オペラとかやっていましたからねえ)だったのですが、
一回は合宿に行って、日曜日にその場で、人を集めて「日曜礼拝」までやっていましたねえ。
結構集まりましたよ。60人くらいのうち、20人か30人か・・・。
また大学受験の時は
意地でも日曜日にある模擬試験は受けませんでした。
今考えるとなんて嫌なヤツなんだろうと思うのですが、
日曜日に模擬試験に行っていた教会の友人には、
「そこまでして大学行きたいか?」とか毒づいていました。
20歳になった夏、そんな自分の傲慢な気持ちが打ち砕かれるときがやってきました。
私にとっての大きなターニングポイントです。
続きは8章で・・・。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙の10章を読みました。
「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」19節。
今日はこの言葉がとてもうれしかったです。
私たちは恐れることなく、遠慮することもなく、
大胆に神様の懐に飛び込んでいいと。
最近、「罪を忘れない」という気持ちが強すぎたのかもしれません。
神様に申し訳ない、という気持ちになってきていました。
でも、主は私を赦し、私の罪を忘れてくださっている。
だから、大胆に飛び込んでいい。
大胆に主の恵みの中で安らいでいい。
主に信頼していい。
そのように思わされて、何かとてもうれしくなってきました。
主よ、
感謝します。
あなたの懐に大胆に飛び込んでいけることに心から感謝します。
安心して、喜んで飛び込ませて頂きます。
どうか私の歩みを支え、導き、喜びで満たして下さい。
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