2009-06-30
2009-06-29
2009-06-28
とりなし。
昨日はまた雨が降りましたが、
今日は一日雨も降らず、どんよりもせず、いい天気でした。
昨日は中高生を連れて、遊園地。
明日からは2泊3日で小学生キャンプです。
よく体が持ちますね、と言われますが、
自分でも不思議なくらい守られています。
でも、無理は禁物。
昨日は更新はギブアップ。
今日も明日に備えて、早く休みます。
さて、昨日、土曜日の聖書。
土曜日は出エジプト記39:1-21。
「これらの宝石は、イスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい、十二個で、十二の部族のために印の彫り物が、一つの名につき一つずつあった。」14節。
これは、祭司が身につけた衣装の宝石についての説明です。
祭司が12部族にちなんで12の宝石を身につけていた、
それも胸に付けていたことに、
祭司の大切な働きである「とりなし」について考えさせられました。
もう以前に書いたことがあったかもしれませんが、
ある方が、一つの集会で、息子さんのことで悩んでおられることを分かち合ってくださいました。
息子さんがいつも学校の帰り、一人で歩いて帰ってくる。
他のお子さんたちが仲間で固まって帰ってくるのに、
彼は一人で帰ってくる。
友だちができないみたいだ、どうしたらいいのか、
そんな悩みを抱えておられました。
その時に、私は「祈りましょう」と言って、
そこで祈りました。
その方にとって、そんな家族のこと、祈ってもらうのは初めて。
なんだか、戸惑う気持ちと共に、
「祈ったって・・・」という気持ちもあったことでしょう。
でも、その日の午後、息子さんが帰ってくる時間に、
いつものように「そろそろかな」と外を見ていたら、
彼がもう一人の少年と一緒に歩いてきたそうです。
その方は、「こわくなった」と言っておられました。
うれしかったというよりも、「こわくなった」と。
祈りが聞かれるって、私も思います、うれしいよりも、畏れを感じると。
そのことを思い出していた、ときに、
自分はどれだけとりなしの祈りを捧げているか、問われているように感じました。
教会のかたがたのことも覚えて祈りました。
そして、祈るべき一人の人のことを思いだました。
「一人の人」ってゆーか、ユキなんですけどね。
その方のお子さんのためにとりなしの祈りをした、
そして、それが聞かれて、ひとりの方が神様との出会いを経験した、
そんな経験を与えられていながら、
自分は自分の娘に本当に波長の合う仲間が与えられるように、祈ってきただろうかと。
けっこう一人でいる時間の多い彼女のために、
共に人生の問題を語り合ったり、
祈り合ったりすることのできる友人ができるように、祈ったことがあっただろうかと。
他の人のために祈ることはあっても、
どうしても家族が後回しになっている自分がいます。
兄妹の中でも一番何も要求しない娘であるが故に、
一番後回しになってしまうヤツです。
祭司が民のために祈ったように、
主イエスが私のために祈ってくださっているように、
私も教会の一人一人のことを、また家族のことを、とりなしていくことができますように。
主よ、
イエスさまが私のためにとりなしをしてくださっていること、
心から感謝します。
私もとりなしの祈りを捧げさせてください。
教会の一人一人のために、
そして、家族のために、
出会いが与えられた一人一人のためにとりなしの祈りを捧げる者とならせてください。
早速、とりなしのお願いです。
明日から2泊3日で教会の小学生のキャンプに行って来ます。
子供たちが、イエスさまをはっきりと知って、救い主として、お迎えすることができるように、お祈りください。
今日は一日雨も降らず、どんよりもせず、いい天気でした。
昨日は中高生を連れて、遊園地。
明日からは2泊3日で小学生キャンプです。
よく体が持ちますね、と言われますが、
自分でも不思議なくらい守られています。
でも、無理は禁物。
昨日は更新はギブアップ。
今日も明日に備えて、早く休みます。
さて、昨日、土曜日の聖書。
土曜日は出エジプト記39:1-21。
「これらの宝石は、イスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい、十二個で、十二の部族のために印の彫り物が、一つの名につき一つずつあった。」14節。
これは、祭司が身につけた衣装の宝石についての説明です。
祭司が12部族にちなんで12の宝石を身につけていた、
それも胸に付けていたことに、
祭司の大切な働きである「とりなし」について考えさせられました。
もう以前に書いたことがあったかもしれませんが、
ある方が、一つの集会で、息子さんのことで悩んでおられることを分かち合ってくださいました。
息子さんがいつも学校の帰り、一人で歩いて帰ってくる。
他のお子さんたちが仲間で固まって帰ってくるのに、
彼は一人で帰ってくる。
友だちができないみたいだ、どうしたらいいのか、
そんな悩みを抱えておられました。
その時に、私は「祈りましょう」と言って、
そこで祈りました。
その方にとって、そんな家族のこと、祈ってもらうのは初めて。
なんだか、戸惑う気持ちと共に、
「祈ったって・・・」という気持ちもあったことでしょう。
でも、その日の午後、息子さんが帰ってくる時間に、
いつものように「そろそろかな」と外を見ていたら、
彼がもう一人の少年と一緒に歩いてきたそうです。
その方は、「こわくなった」と言っておられました。
うれしかったというよりも、「こわくなった」と。
祈りが聞かれるって、私も思います、うれしいよりも、畏れを感じると。
そのことを思い出していた、ときに、
自分はどれだけとりなしの祈りを捧げているか、問われているように感じました。
教会のかたがたのことも覚えて祈りました。
そして、祈るべき一人の人のことを思いだました。
「一人の人」ってゆーか、ユキなんですけどね。
その方のお子さんのためにとりなしの祈りをした、
そして、それが聞かれて、ひとりの方が神様との出会いを経験した、
そんな経験を与えられていながら、
自分は自分の娘に本当に波長の合う仲間が与えられるように、祈ってきただろうかと。
けっこう一人でいる時間の多い彼女のために、
共に人生の問題を語り合ったり、
祈り合ったりすることのできる友人ができるように、祈ったことがあっただろうかと。
他の人のために祈ることはあっても、
どうしても家族が後回しになっている自分がいます。
兄妹の中でも一番何も要求しない娘であるが故に、
一番後回しになってしまうヤツです。
祭司が民のために祈ったように、
主イエスが私のために祈ってくださっているように、
私も教会の一人一人のことを、また家族のことを、とりなしていくことができますように。
主よ、
イエスさまが私のためにとりなしをしてくださっていること、
心から感謝します。
私もとりなしの祈りを捧げさせてください。
教会の一人一人のために、
そして、家族のために、
出会いが与えられた一人一人のためにとりなしの祈りを捧げる者とならせてください。
早速、とりなしのお願いです。
明日から2泊3日で教会の小学生のキャンプに行って来ます。
子供たちが、イエスさまをはっきりと知って、救い主として、お迎えすることができるように、お祈りください。
2009-06-27
神様からの知恵を求める。
12時を回ってしまったので、
昨日のことになりますね。
昨日はやっぱり夕方にものすごい雷雨でした。
ほとんど一日、蒸し暑い、どんよりしたり、晴れたり、
という感じでしたが、
5時頃からどーっと暗くなり、
風が吹いてきて、
6時頃には雷と共に土砂降りになりました。
でも、7時半の集会の時間にはすっかり上がって、
ちょっとは蒸し暑さが和らいだでしょうか。
明日は中高生を連れて出かけてきますが、
また雷雨があるかも・・・です。
今日の夜は一つ集会があって、「伝道の書」というのを読んだのですが、
先月は「箴言」を読んで、今月はこの「伝道の書」を読んで、
この二つの書物の性格はずいぶん違うのですが、
中心的なメッセージは一つで、
神様を恐れて、神様からの知恵をもらいなさい、
ということでした。
それを学んでいる中で、
自分の傲慢さを感じ、
いかに自分が、この「神様からの知恵」を求めていなかったか、
「もう知っている、わかっている」という気持ちをもってきたかを、
聖霊様に示されて、悔い改めに導かれました。
そこそこ「お勉強」はできて、
牧師の家庭で育って、ある程度「教会のことも知っている」し、
日本の聖書学院で学び、
アメリカの神学校や、大学の大学院で勉強して、
いろんな知識があるつもりになっていました。
でも、本当に心から祈って、「あなたからの知恵を与えてください」と祈ってきただろうか、
あのソロモンのように、「私は人々をどう導いていったらいいか、わかりません。どうか、あなたの知恵を与えてください」と祈ったことがあっただろうか、と思わされたのです。
そして、本当に自分が神様の知恵を頂いてこなかったことが、
教会の皆さんに対して、また今までであった方々に対して、
申し訳ない、と思いました。
祈ります。
主よあなたの知恵を私に与えてください。
あなたの知恵なしには、私の生涯はむなしいのです。
さて、木曜日と金曜日(6月25・26日)の聖書。
木曜日は出エジプト記38:1-20。
金曜日は出エジプト記38:21-31。
「また彼は、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。」8節。
「これを用いて、彼は・・・また、庭の回りの台座、庭の門の台座、および、幕屋のすべての釘と、庭の回りのすべての釘を作った。」30-31節。
木曜日の「日々のみことば」では、
女性達が自分たちの大切な鏡をささげて、
それで、職人が洗盤を造ったことに触れられていました。
でも、私はそれを読みながら、
そのほかの人々のささげもののことに心が向いていました。
この女性達のように、
「この人はこれをささげました」と注目されるささげものもあるでしょう。
そしてその信仰の姿に周りの人たちが励まされることもあるでしょう。
でも、ほとんどのささげものは、主との関係の中だけでささげられ、
誰の注目を浴びることもなく、
昨日のことになりますね。
昨日はやっぱり夕方にものすごい雷雨でした。
ほとんど一日、蒸し暑い、どんよりしたり、晴れたり、
という感じでしたが、
5時頃からどーっと暗くなり、
風が吹いてきて、
6時頃には雷と共に土砂降りになりました。
でも、7時半の集会の時間にはすっかり上がって、
ちょっとは蒸し暑さが和らいだでしょうか。
明日は中高生を連れて出かけてきますが、
また雷雨があるかも・・・です。
今日の夜は一つ集会があって、「伝道の書」というのを読んだのですが、
先月は「箴言」を読んで、今月はこの「伝道の書」を読んで、
この二つの書物の性格はずいぶん違うのですが、
中心的なメッセージは一つで、
神様を恐れて、神様からの知恵をもらいなさい、
ということでした。
それを学んでいる中で、
自分の傲慢さを感じ、
いかに自分が、この「神様からの知恵」を求めていなかったか、
「もう知っている、わかっている」という気持ちをもってきたかを、
聖霊様に示されて、悔い改めに導かれました。
そこそこ「お勉強」はできて、
牧師の家庭で育って、ある程度「教会のことも知っている」し、
日本の聖書学院で学び、
アメリカの神学校や、大学の大学院で勉強して、
いろんな知識があるつもりになっていました。
でも、本当に心から祈って、「あなたからの知恵を与えてください」と祈ってきただろうか、
あのソロモンのように、「私は人々をどう導いていったらいいか、わかりません。どうか、あなたの知恵を与えてください」と祈ったことがあっただろうか、と思わされたのです。
そして、本当に自分が神様の知恵を頂いてこなかったことが、
教会の皆さんに対して、また今までであった方々に対して、
申し訳ない、と思いました。
祈ります。
主よあなたの知恵を私に与えてください。
あなたの知恵なしには、私の生涯はむなしいのです。
さて、木曜日と金曜日(6月25・26日)の聖書。
木曜日は出エジプト記38:1-20。
金曜日は出エジプト記38:21-31。
「また彼は、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。」8節。
「これを用いて、彼は・・・また、庭の回りの台座、庭の門の台座、および、幕屋のすべての釘と、庭の回りのすべての釘を作った。」30-31節。
木曜日の「日々のみことば」では、
女性達が自分たちの大切な鏡をささげて、
それで、職人が洗盤を造ったことに触れられていました。
でも、私はそれを読みながら、
そのほかの人々のささげもののことに心が向いていました。
この女性達のように、
「この人はこれをささげました」と注目されるささげものもあるでしょう。
そしてその信仰の姿に周りの人たちが励まされることもあるでしょう。
でも、ほとんどのささげものは、主との関係の中だけでささげられ、
誰の注目を浴びることもなく、
誰が何をささげたかも、何もわからず、
誰かに感謝を言われるわけでもなく、
ただ、主に感謝をもってささげられていくのです。
そして、金曜日の聖書の箇所の中で、
青銅がある場合には「釘」として用いられたことが書かれていました。
釘を人々は見ないでしょう。
ほとんどの釘はそのあとにかぶせられる金や銀によって覆われてしまって、
誰の目にも留まりません。
でも、その釘はどうしても必要で、
どうしても、そこになければならなかったのです。
誰からささげられたか記録されて、洗盤に用いられる青銅もあり、
誰がささげたかも記録されずに、そして、釘として用いられる青銅もあり、
でも、どちらも主の働きのためにどうしても必要なもの。
「釘として用いてください」と祈りました。
また、「釘として用いられる青銅にも気が付くものとしてください」と祈りました。
主よ、
あなたのために用いてください。
青銅の釘としてください。
また、表面に張られる金や銀ばかりではなく、
青銅の釘にも気が付く者としてください。
主よ、
あなたの知恵を与えてください。
人々を導いて、教会を建て上げるために、
あなたの知恵を与えてください。
私にはどうしてもあなたの知恵が必要です。
2009-06-26
卒業。
金曜日の朝です。
昨日の夜は、10時前には夢の国に行っていて更新できませんでした。
きのうは天気も守られて、High Schoolの卒業式、無事にFieldで持たれました。
暑さも、恐れたほどではなくて(本人達は日向で暑かったと思いますが、親は日陰)、
倒れる人もなく、とてもよかったです。
日本では、校長や来賓の挨拶が長くて不評を買うことがありますが、
こちらは、卒業生のスピーチが4つ。
ちょっと、長かったなー。
本人たちにとってはいい思い出、いい訓練だったと思うけど。
そして、そのあと300人以上の卒業生の名前が一つ一つ読み上げられて、
Deplomaを受け取ります。
はい、ハジは帽子が小さくて(頭が大きくて)、
ずり落ちそうで、ちょっとうつむき加減。
このあと、お約束の帽子投げがあって、
親も会場に流れ込んで、みんなで記念撮影。
楽しそうでした。
そして、そのあと、子供たちは、
学校と親が協力して準備したall nightのパーティーに。
このまま解散すると、お酒を飲んだり、羽目を外して、
問題になることがあるので、
こちらの高校では、かなりのところで、そのようなプログラムをもっているようです。
親も安心して眠れます。ハイ。
でも、よく頑張りました。
この日、教会のあと2人の高校生も卒業式でした。
ここまで支え、導いてくださった神様に心から感謝。
まあ、まだこれからもう一つ「大学」という大きな山がありますが・・・。
今日は、天気が不安定になって、またにわか雨。
きのうは本当に貴重な晴れの日だったみたいですね。
来週は東海岸の小学生キャンプが2泊3日で持たれるので、
天気がもってほしいのですが、
やっぱりまたにわか雨の予報が・・・。
さて、おととい、水曜日の聖書。
水曜日は出エジプト記の37:17-29。
「彼はまた、調合法にしたがい、聖なるそそぎの油と純粋なかおりの高い香を作った。」29節。
この油と香の調合法は、他では使ってはいけない、
特別にこの聖所で神様を礼拝することのためにだけ、とってある、
そういうものであったことを、思い出しました。
「聖なるもの」というのはやはり大切にしなければいけない、
そのように思わされました。
すべての時間が神様の時間、
すべての働きが神様のため、
すべてのものは神様のもの、
それでありながらなお、
特別に神様のために使う時間、
神様のために使うもの、
神様のための働き、
それらがあるんだ、と思わされました。
それを大切にしていきたい、
聖なるものを聖なるものとして、大切にしていきたい、
そのような場面にはっきりとした態度が取れるようにと祈ります。
また、正しい判断ができるようにと祈ります。
主よ、
あなたが教会の3人の高校生をここまで守ってくださったことに感謝します。
どうか、これから進んでいく道にも、あなたの守りと、祝福がありますように。
大きく用いてくださいますように。
また聖なるもの、を大切にしていくことができますように。
あなたのために、あなたのためだけに使う時間、もの、それらを見極める目を与えてください。
2009-06-24
大胆に求める。
今日は昨日よりもちょっと天気が悪くなって、
曇りがちで、時々霧雨。
気温も低めでした。湿度が高かったので、
ちょっと蒸し暑かったですが。
明日は温暖前線が通過して暑くなります。
天気は安定して雨の心配はないようですが、30度くらいまで上がります。
卒業式は外で、そして暑い。
汗をかきそうです。
倒れる子とか出ないといいのですが・・・。
さて、今夜、NYでの祈り会があったのですが、
その中で、ある方が、出した祈りの課題を聞きながら、
自分がいかに、神様に大胆に求めていないことが多いだろうかと思わされました。
神様は「あなたの口を広く開けよ」と言ってくださっているのに、
自分の方で、「神様はそんな簡単に聞いてくれない、訓練を与えられるのだ」と思って、大胆に求めなくなっていないだろうかと感じたのです。
あなたが信じたようになる、とも聖書は言っています。
自分が神様を信頼して、大きく求めていたら、与えられていたものが、
小さくしか求めないことによって、得られないことがあるのではないかと思います。
神様は全能だと、私たちは信じています。
信じているように、求め続けていこうと思いました。
急にできないかもしれませんが、一歩一歩、考え方を大きくもって、
大胆に主に求める者でありたいと思います。
さて、昨日、6月23日の聖書。
出エジプト記37:1-16
「ついで彼は、純金で「贖いのふた」を作った。」6節。
他のところはアカシア材で、金泊でおおっていたけれども、
贖いの蓋だけは、大きな、重い純金の蓋だった。
この贖いの蓋は、イエスの象徴。
ちょうど、この贖いの蓋のところに、羊の血がふりかけられることによって、
神様の赦しが与えられたように、イエスによって救いの道が開かれた。
この十字架の価値の大きさをこの純金のふたは教えていたのだと思います。
他のものに代えられない、神様の恵みの大きさを感じます。
十字架を軽く考えないように・・・と戒められているように思いました。
主よ、
贖いの蓋よりも、あなたの払われた犠牲は重かった。
贖いの蓋よりも、あなたの犠牲は貴かった。
あなたによって、道が開かれ、あなたを礼拝できることに心から感謝します。
曇りがちで、時々霧雨。
気温も低めでした。湿度が高かったので、
ちょっと蒸し暑かったですが。
明日は温暖前線が通過して暑くなります。
天気は安定して雨の心配はないようですが、30度くらいまで上がります。
卒業式は外で、そして暑い。
汗をかきそうです。
倒れる子とか出ないといいのですが・・・。
さて、今夜、NYでの祈り会があったのですが、
その中で、ある方が、出した祈りの課題を聞きながら、
自分がいかに、神様に大胆に求めていないことが多いだろうかと思わされました。
神様は「あなたの口を広く開けよ」と言ってくださっているのに、
自分の方で、「神様はそんな簡単に聞いてくれない、訓練を与えられるのだ」と思って、大胆に求めなくなっていないだろうかと感じたのです。
あなたが信じたようになる、とも聖書は言っています。
自分が神様を信頼して、大きく求めていたら、与えられていたものが、
小さくしか求めないことによって、得られないことがあるのではないかと思います。
神様は全能だと、私たちは信じています。
信じているように、求め続けていこうと思いました。
急にできないかもしれませんが、一歩一歩、考え方を大きくもって、
大胆に主に求める者でありたいと思います。
さて、昨日、6月23日の聖書。
出エジプト記37:1-16
「ついで彼は、純金で「贖いのふた」を作った。」6節。
他のところはアカシア材で、金泊でおおっていたけれども、
贖いの蓋だけは、大きな、重い純金の蓋だった。
この贖いの蓋は、イエスの象徴。
ちょうど、この贖いの蓋のところに、羊の血がふりかけられることによって、
神様の赦しが与えられたように、イエスによって救いの道が開かれた。
この十字架の価値の大きさをこの純金のふたは教えていたのだと思います。
他のものに代えられない、神様の恵みの大きさを感じます。
十字架を軽く考えないように・・・と戒められているように思いました。
主よ、
贖いの蓋よりも、あなたの払われた犠牲は重かった。
贖いの蓋よりも、あなたの犠牲は貴かった。
あなたによって、道が開かれ、あなたを礼拝できることに心から感謝します。
2009-06-23
全体を見る目。
今日はまた朝夕はどんよりしていましたが、
雨はほとんど降らず、
昼間はかなり晴れて、汗ばむ陽気になりました。
明日は今日よりもちょっと天気が不安定なようです。
あさってのハジの卒業式は、蒸し暑い中になりそうです。
雨が降ったら体育館ですから、何とか天気にはもって欲しいものです。
さて、日曜日の礼拝は、
日本で活躍されているゴスペルの指導者、西村あきこさんと伴奏の加藤景子さんが
礼拝の賛美を導いてくださいました。
本当に、神様への礼拝に引き込まれていく、
とてもすばらしい一時となりました。
聞かせる歌ではなく、共に礼拝ができるような歌を、
とお願いしてあったのですが、本当にそれに応えてくださったお二人に心から感謝。
そして、その礼拝のあとに、少しの時間をおいて
JOYJOYシンガーズのコンサートだったのですが、
今回、曲数が5曲だったので、
子供たちも(私も)歌詞を覚えきれず、
教会のプロジェクター用のPCを使って、
プロンプターとして、歌詞を会場の一番後ろに投影する予定にしていました。
しかし、礼拝が終わって、礼拝で使っていたプロジェクターとPCを会場の地下のジムに運ぼうとしたら、何故か、PCが見あたりません。一通り探して、周りの人に、「PC見ませんでした?」と聞いたら、「会計さんが作業に使っているんじゃないですか?」との返事。「あ~!」と思いました。
そうでした。会計さんがそのPCを毎週礼拝後使っていたのをすっかり忘れていたのです。
いつもそうなんですが、なかなか全体が見えないですね。
自分の目先のことだけで精一杯。
教会オフィスのデスクトップを急遽もってきて、
何とか、その場をしのぎましたが、
またまた大反省。
教会全体の動きに目を配りながら、
自分のなすべきことを見極める目を育てていかなければ・・・。
JOYJOYシンガーズのコンサート、
一人のお母さんが、ブログにご紹介くださいました。
大きく取り上げてくださって、とてもうれしいです!
お母さん達も毎週の送り迎えを始め、
たくさんのサポートをしてくださいました。
教会の皆さんも理解して、支えてくださっています。
そんな皆さんに支えられて、神様に力をもらって、8ヶ月。
ビデオで改めて子供たちの輝く顔を見ると、感謝があふれます。
さて、昨日、月曜日の聖書。
昨日は出エジプト記36:20-38でした。
「ついで、天幕の入口のために、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、刺繍をした幕を作った。」37節。
刺繍の才能がある人たちにとって、
このように主に用いられる日が来るということは
想像できたであろうか?
奴隷の身分で、エジプトの人々のために才能を使い、
荒野の中で、その才能が用いられる場所はあまりなかったのではないかと思う。
でも、ここで神様が刺繍の才能を用いられたことが、
彼らにとって、どんなに大きな喜びだったことでしょうか?
私たちも、この私の才能が、何の役に立つのだろうか、
私のこの才能を生かす場があるのだろうか、ということを感じることがあるかもしれない。
でも、主は、そのような場を与えてくださる。
そのような場を私たちに与えてくださる。
だから、大胆に主に与えられた賜物、才能を、磨いていく者でありたい。
いつ、「あなたのその賜物を用いさせてほしい」といわれても、
喜んで、「はい、承知しました!」と喜びをもって、
応えることができるように、
備えていこう。
主よ、
あなたの与えてくださった賜物は、
意味があって与えられていることを感じます。
どうか、それが用いられる日を待ち望みながら、
準備をしていくことができますように。
雨はほとんど降らず、
昼間はかなり晴れて、汗ばむ陽気になりました。
明日は今日よりもちょっと天気が不安定なようです。
あさってのハジの卒業式は、蒸し暑い中になりそうです。
雨が降ったら体育館ですから、何とか天気にはもって欲しいものです。
さて、日曜日の礼拝は、
日本で活躍されているゴスペルの指導者、西村あきこさんと伴奏の加藤景子さんが
礼拝の賛美を導いてくださいました。
本当に、神様への礼拝に引き込まれていく、
とてもすばらしい一時となりました。
聞かせる歌ではなく、共に礼拝ができるような歌を、
とお願いしてあったのですが、本当にそれに応えてくださったお二人に心から感謝。
そして、その礼拝のあとに、少しの時間をおいて
JOYJOYシンガーズのコンサートだったのですが、
今回、曲数が5曲だったので、
子供たちも(私も)歌詞を覚えきれず、
教会のプロジェクター用のPCを使って、
プロンプターとして、歌詞を会場の一番後ろに投影する予定にしていました。
しかし、礼拝が終わって、礼拝で使っていたプロジェクターとPCを会場の地下のジムに運ぼうとしたら、何故か、PCが見あたりません。一通り探して、周りの人に、「PC見ませんでした?」と聞いたら、「会計さんが作業に使っているんじゃないですか?」との返事。「あ~!」と思いました。
そうでした。会計さんがそのPCを毎週礼拝後使っていたのをすっかり忘れていたのです。
いつもそうなんですが、なかなか全体が見えないですね。
自分の目先のことだけで精一杯。
教会オフィスのデスクトップを急遽もってきて、
何とか、その場をしのぎましたが、
またまた大反省。
教会全体の動きに目を配りながら、
自分のなすべきことを見極める目を育てていかなければ・・・。
JOYJOYシンガーズのコンサート、
一人のお母さんが、ブログにご紹介くださいました。
大きく取り上げてくださって、とてもうれしいです!
お母さん達も毎週の送り迎えを始め、
たくさんのサポートをしてくださいました。
教会の皆さんも理解して、支えてくださっています。
そんな皆さんに支えられて、神様に力をもらって、8ヶ月。
ビデオで改めて子供たちの輝く顔を見ると、感謝があふれます。
さて、昨日、月曜日の聖書。
昨日は出エジプト記36:20-38でした。
「ついで、天幕の入口のために、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、刺繍をした幕を作った。」37節。
刺繍の才能がある人たちにとって、
このように主に用いられる日が来るということは
想像できたであろうか?
奴隷の身分で、エジプトの人々のために才能を使い、
荒野の中で、その才能が用いられる場所はあまりなかったのではないかと思う。
でも、ここで神様が刺繍の才能を用いられたことが、
彼らにとって、どんなに大きな喜びだったことでしょうか?
私たちも、この私の才能が、何の役に立つのだろうか、
私のこの才能を生かす場があるのだろうか、ということを感じることがあるかもしれない。
でも、主は、そのような場を与えてくださる。
そのような場を私たちに与えてくださる。
だから、大胆に主に与えられた賜物、才能を、磨いていく者でありたい。
いつ、「あなたのその賜物を用いさせてほしい」といわれても、
喜んで、「はい、承知しました!」と喜びをもって、
応えることができるように、
備えていこう。
主よ、
あなたの与えてくださった賜物は、
意味があって与えられていることを感じます。
どうか、それが用いられる日を待ち望みながら、
準備をしていくことができますように。
重かった~。
今日も時々にわか雨が降りましたが、
でも、かなり晴れ間が広がって暖かくなりました。
これから日に日に暖かくなって、
木曜日には30度を超えます。
その木曜日はハジの卒業式。
暑かったら大変ですよねえ。
雨は大丈夫そうですが・・・。
今日は、あるところで使わなくなったファイルキャビネットを、
教会のためにBronxまで頂きに行ってきました。
それがとてもいいもので、
めちゃくちゃ重い。
ハジと2人でとりに行ったのですが、
ちょっと後悔するくらい重い。
「ちょっとヤバイ」(マジで、かなりせっぱ詰まった口調で)を2人で連発しながら、
載せて、「これどうやって降ろすの?」
「うーん、なんとかなるでしょ。」ってな調子。
それも車のサイズが、いっぺんで運ぶにはぎりぎり小さい。
ということで2往復。
とっても重かったのですが、
それだけしっかりしているということです。
ありがたいことです。
何とか、3時の娘の学校の迎えには間に合わせて、
そのあと中断していた作業を夜、二人でやってきました。
さて、入れものがそろったところで、
片づけをしなければ・・・。
あ、そうそう、JOYJOYシンガーズの写真、教会のHPにアップされました。
左のリンクから、ニュージャージー日本語キリスト教会に行って、
そこの「イベントフォト」から見ることができます。
さて、土曜日、と日曜日、2日分の聖書。
出エジプト記35:30-36:19。
「主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。」35:35
「仕事に携わっている者のうち、心に知恵のある者はみな・・・」36:8
2日とも「知恵」という言葉が心に留まりましたが、
日曜日に、この「知恵」は聖書では、「神を恐れるところから始まる」と言われていることに気が付きました。
何か、その知恵を人に自慢したり、
人が反対に他人の知恵をうらやましがったりする種類のものではなくて、
ただ、主を恐れ、主の支配の下にあることを
受け入れるときに与えられる神様からの知恵。
そのような知恵が与えられている人々がモーセの元には集められてきたのです。
「日々のみことば」の左側のページ(日曜日の分)には、以下のように書かれています。
教会における奉仕は、単に人々が集って協力するサークル活動ではありません。主の仕事には誰もが携わるのではなく、心に知恵のある者でなければなりません。それは、奉仕する働きに対して、神の聖なる働きであることを自覚していること。更に神に召され賜物を頂いている人なのです。
主を畏れながら、主が召してくださり、与えてくださっている働きを見極めて、そこに忠実に誠実に歩んでいく者であることができますように。間違っても、自分を誇るようなことがありませんように。
主よ、
あなたの与えてくださっている働きに対して、
あなたの召しに対して、真実であることができますように。
主に忠実に従う者であることができますように。
でも、かなり晴れ間が広がって暖かくなりました。
これから日に日に暖かくなって、
木曜日には30度を超えます。
その木曜日はハジの卒業式。
暑かったら大変ですよねえ。
雨は大丈夫そうですが・・・。
今日は、あるところで使わなくなったファイルキャビネットを、
教会のためにBronxまで頂きに行ってきました。
それがとてもいいもので、
めちゃくちゃ重い。
ハジと2人でとりに行ったのですが、
ちょっと後悔するくらい重い。
「ちょっとヤバイ」(マジで、かなりせっぱ詰まった口調で)を2人で連発しながら、
載せて、「これどうやって降ろすの?」
「うーん、なんとかなるでしょ。」ってな調子。
それも車のサイズが、いっぺんで運ぶにはぎりぎり小さい。
ということで2往復。
とっても重かったのですが、
それだけしっかりしているということです。
ありがたいことです。
何とか、3時の娘の学校の迎えには間に合わせて、
そのあと中断していた作業を夜、二人でやってきました。
さて、入れものがそろったところで、
片づけをしなければ・・・。
あ、そうそう、JOYJOYシンガーズの写真、教会のHPにアップされました。
左のリンクから、ニュージャージー日本語キリスト教会に行って、
そこの「イベントフォト」から見ることができます。
さて、土曜日、と日曜日、2日分の聖書。
出エジプト記35:30-36:19。
「主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。」35:35
「仕事に携わっている者のうち、心に知恵のある者はみな・・・」36:8
2日とも「知恵」という言葉が心に留まりましたが、
日曜日に、この「知恵」は聖書では、「神を恐れるところから始まる」と言われていることに気が付きました。
何か、その知恵を人に自慢したり、
人が反対に他人の知恵をうらやましがったりする種類のものではなくて、
ただ、主を恐れ、主の支配の下にあることを
受け入れるときに与えられる神様からの知恵。
そのような知恵が与えられている人々がモーセの元には集められてきたのです。
「日々のみことば」の左側のページ(日曜日の分)には、以下のように書かれています。
教会における奉仕は、単に人々が集って協力するサークル活動ではありません。主の仕事には誰もが携わるのではなく、心に知恵のある者でなければなりません。それは、奉仕する働きに対して、神の聖なる働きであることを自覚していること。更に神に召され賜物を頂いている人なのです。
主を畏れながら、主が召してくださり、与えてくださっている働きを見極めて、そこに忠実に誠実に歩んでいく者であることができますように。間違っても、自分を誇るようなことがありませんように。
主よ、
あなたの与えてくださっている働きに対して、
あなたの召しに対して、真実であることができますように。
主に忠実に従う者であることができますように。
2009-06-21
JOYJOYシンガーズの8ヶ月。
今日もまた雨がしとしとの一日でした。
午後から夕方はまだ良かったのですが、
また先ほどから降り始めました。
今日はJOYJOYシンガーズのミニコンサート。
去年11月にスタートしたシンガーズにとって、
初めての「ミニコンサート」。
2曲、3曲、他のプログラムの中で歌っていたのですが、
今回は、5曲。それも、他のプログラムのない、「コンサート」。
どうしても歌詞を覚えられなくて、
プロンプターを使いましたが、
でも、本当に子供たちは楽しそうに、
力いっぱい歌いました。
帰ってからビデオを見ていたのですが、
ビデオを見ると、本番中は気が付かなかった、
一人一人の様子がよくわかります。
7-8月は休んで、9月に再スタートしますが、
もっともっと心から神様を賛美して、
もっともっと音楽的にも完成度を上げて、
ダンスとかも入れて、
いいプログラムをもっていきたいと思います。
目標はWATOTO Singers、
彼らは共同生活とかしながら、
プロの指導者の下で訓練を受けているから、
レベルが違うのはわかるのですが、
あの熱さ、真剣さを目指して行きたいと思います。
さて、先週金曜日の聖書。
先週金曜日、19日は、出エジプト35:20-29。
「感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ。」26節。
いい言葉ですね。
主の語られることに感動して、
自分の「知恵」を用いたいと思った人々がいた。
そして、その知恵を用いた。
できることをした。
それも、主に心を動かされて・・・。
主に心を動かされることを行う者でありたいと思いました。
主が私の心を動かしてくださる、それを行う者でありたいと思いました。
主よ、
あなたが心を動かしてくださることに感謝します。
あなたに心を動かされて、行動する者でありますように。
できることをする者でありますように。
午後から夕方はまだ良かったのですが、
また先ほどから降り始めました。
今日はJOYJOYシンガーズのミニコンサート。
去年11月にスタートしたシンガーズにとって、
初めての「ミニコンサート」。
2曲、3曲、他のプログラムの中で歌っていたのですが、
今回は、5曲。それも、他のプログラムのない、「コンサート」。
どうしても歌詞を覚えられなくて、
プロンプターを使いましたが、
でも、本当に子供たちは楽しそうに、
力いっぱい歌いました。
帰ってからビデオを見ていたのですが、
ビデオを見ると、本番中は気が付かなかった、
一人一人の様子がよくわかります。
7-8月は休んで、9月に再スタートしますが、
もっともっと心から神様を賛美して、
もっともっと音楽的にも完成度を上げて、
ダンスとかも入れて、
いいプログラムをもっていきたいと思います。
目標はWATOTO Singers、
彼らは共同生活とかしながら、
プロの指導者の下で訓練を受けているから、
レベルが違うのはわかるのですが、
あの熱さ、真剣さを目指して行きたいと思います。
さて、先週金曜日の聖書。
先週金曜日、19日は、出エジプト35:20-29。
「感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ。」26節。
いい言葉ですね。
主の語られることに感動して、
自分の「知恵」を用いたいと思った人々がいた。
そして、その知恵を用いた。
できることをした。
それも、主に心を動かされて・・・。
主に心を動かされることを行う者でありたいと思いました。
主が私の心を動かしてくださる、それを行う者でありたいと思いました。
主よ、
あなたが心を動かしてくださることに感謝します。
あなたに心を動かされて、行動する者でありますように。
できることをする者でありますように。
夏至+ゲスト+シンガーズ・・・
いやあ、今日はいろいろありましたねえ。
夏至でしたよ。夏至。
一年で一番昼間が長い日。
うっかり、通り過ぎてしまうところでした。
そして、今日は、ゲストの西村あきこさんが礼拝で賛美を導いてくださって、すばらしかった。
あと、JOYJOYシンガーズのミニコンサート。これもすごいよかった。
で、一日あっという間でしたが、
7時には家でゆっくりしているなんて、これはまた、すごいこと。
あとで、ゆっくりいろいろ更新します。
夏至でしたよ。夏至。
一年で一番昼間が長い日。
うっかり、通り過ぎてしまうところでした。
そして、今日は、ゲストの西村あきこさんが礼拝で賛美を導いてくださって、すばらしかった。
あと、JOYJOYシンガーズのミニコンサート。これもすごいよかった。
で、一日あっという間でしたが、
7時には家でゆっくりしているなんて、これはまた、すごいこと。
あとで、ゆっくりいろいろ更新します。
2009-06-18
輝け!教会の子供たち。
今日は嫌な雨でしたねえ。
もう、寒いし、濡れるし(傘使え!)、一日中降っているし・・・。
でも、やっと止んだみたいですね。
明日は降水確率20パーセントといいますから、
まあ、大丈夫でしょう。
今日の夜は、東海岸のいつも教会に行っている小学生のためのキャンプのために、
Skypeミーティングでした。
こちらの3教会が主体になって、
5つの日本語教会、そして、そのほかの英語の教会に行っている子供たちが、
25人ほど集って、2泊3日のキャンプをします。
そのテーマが、
「輝け!教会の子供たち。」
教会の子供たちが、神様の愛に満たされて輝いていること、
それが将来の教会の力になります。
教会は、「1週間に1回行かなければいけないところ」だったり、
「1時間我慢していたら、友だちと遊べるところ」だったりしては、いけないと思うのです。
時代遅れのところだったり、
小さい子が行くところだったり、
女の子だけが行くところだったらいけないと思うのです。
教会の子供たちが、
教会に生きることが喜びとなって、
輝いて歩んでいくことができる、
そして、その輝きを教会の外にもっていくようになる、
そのような目を輝かせた子供たちがあふれる教会を目指していこうと思います。
だから、「輝け!教会の子供たち。」
6月29日から7月1日です。
お祈りください。
さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記35:1-19です。
「すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。」5節。
心から喜んでする。
その心を主は求めておられる。
それを主が喜んでくださる。
そのようなささげものだけでいい、と言うかのようです。
嫌々だったり、惜しむ心からだったりのささげものはご遠慮する、
というかのようです。
私たちはすぐに、
「そんなこと言っていたらやっていけない」とか、
「どんな気持ちでもささげてくださったのは尊いのだ」とか、言ったりしますが、
やはり、主に感謝して、喜びあふれてささげるささげものが大切なのであって、
そのような雰囲気があふれて、周りの人々も変えて行かれるようにと願います。
主よ、
あなたの与えてくださっているものの豊かさの故に感謝します。
どうか、喜んでささげる者とならせてください。
そして、そうではないものを見極める目を、
そして、そのようなささげものをしている人を見極める目を、
与えてください。
もう、寒いし、濡れるし(傘使え!)、一日中降っているし・・・。
でも、やっと止んだみたいですね。
明日は降水確率20パーセントといいますから、
まあ、大丈夫でしょう。
今日の夜は、東海岸のいつも教会に行っている小学生のためのキャンプのために、
Skypeミーティングでした。
こちらの3教会が主体になって、
5つの日本語教会、そして、そのほかの英語の教会に行っている子供たちが、
25人ほど集って、2泊3日のキャンプをします。
そのテーマが、
「輝け!教会の子供たち。」
教会の子供たちが、神様の愛に満たされて輝いていること、
それが将来の教会の力になります。
教会は、「1週間に1回行かなければいけないところ」だったり、
「1時間我慢していたら、友だちと遊べるところ」だったりしては、いけないと思うのです。
時代遅れのところだったり、
小さい子が行くところだったり、
女の子だけが行くところだったらいけないと思うのです。
教会の子供たちが、
教会に生きることが喜びとなって、
輝いて歩んでいくことができる、
そして、その輝きを教会の外にもっていくようになる、
そのような目を輝かせた子供たちがあふれる教会を目指していこうと思います。
だから、「輝け!教会の子供たち。」
6月29日から7月1日です。
お祈りください。
さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記35:1-19です。
「すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。」5節。
心から喜んでする。
その心を主は求めておられる。
それを主が喜んでくださる。
そのようなささげものだけでいい、と言うかのようです。
嫌々だったり、惜しむ心からだったりのささげものはご遠慮する、
というかのようです。
私たちはすぐに、
「そんなこと言っていたらやっていけない」とか、
「どんな気持ちでもささげてくださったのは尊いのだ」とか、言ったりしますが、
やはり、主に感謝して、喜びあふれてささげるささげものが大切なのであって、
そのような雰囲気があふれて、周りの人々も変えて行かれるようにと願います。
主よ、
あなたの与えてくださっているものの豊かさの故に感謝します。
どうか、喜んでささげる者とならせてください。
そして、そうではないものを見極める目を、
そして、そのようなささげものをしている人を見極める目を、
与えてください。
まじヤバイ。
こっちのヤバイは・・・昔ながらの使い方の「やばい」です。
何がヤバイって、体重。
月曜日の朝、1時半ごろ、左の薬指が痛くて目が覚めた。
そう、結婚指輪のところ。
何か虫の知らせかと思ったけれども、
そうでもないみたい。
ただ単に、指輪が指を締め付けて痛い。
というか、指がどんどん太くなって、指輪が痛い。
今朝(17日朝)、1ヶ月ぶりに乗ってみたら、大台に乗っていました。
ヤバイですねえ。マジやばい。
いやあ、「最近食べ過ぎだよねえ」と思っていたんですよ。
そしたら、3キロくらい落とそう、と思っていたのですが、
1. 5キロも増えてしまいました。
だから、もう、食べてすぐ寝るのはヤバイので、
もう一日分、更新して、追いついておきます。
はい、目標が4.5キロおとす、に変わりました。
楽に入る日まで、指輪ははずしておくことにしました。
今日も寒かったです。
明日も、もう一日寒いみたいです。
明日は冷たい雨も降りそうです。
さて、水曜日の聖書。
水曜日は出エジプト記34:18-35です。
「あなたは六日間は働き、七日目には休まなければならない。耕作の時も、刈り入れの時にも、休まなければならない。」21節。
「刈り入れ」の時は、休んではいられない、と言うのがホンネだったのではないだろうか。
でも、そんな彼らに向かって、「借り入れの時にも、7日目には休まなければならない」と主は言われた。
私たちはどうだろうか?
「休んでなんかいられない!」というときはないだろうか、
「こういうときだからしょうがない」とか、
「一年に一回だけ」とか、
いろいろ理由をつけて、休むべき時に休まないことはないだろうか?
主は、一番忙しい、刈り入れの時でも7日目には休め、
人間の都合で待ってくれない、耕作の時にも7日目には休め、
と言われた。
自分の都合ではなくて、
神様の命令に従う、
忙しさとか、特別なとき、という言い訳を一切捨てて、
ただ、単純に主に従っていく、
そういう者となりたいと思います。
主よ、
あなたの命令に従います。
いろいろ理由をつけて、あなたに従わないことがありませんように。
単純に主に従う者でありますように。
何がヤバイって、体重。
月曜日の朝、1時半ごろ、左の薬指が痛くて目が覚めた。
そう、結婚指輪のところ。
何か虫の知らせかと思ったけれども、
そうでもないみたい。
ただ単に、指輪が指を締め付けて痛い。
というか、指がどんどん太くなって、指輪が痛い。
今朝(17日朝)、1ヶ月ぶりに乗ってみたら、大台に乗っていました。
ヤバイですねえ。マジやばい。
いやあ、「最近食べ過ぎだよねえ」と思っていたんですよ。
そしたら、3キロくらい落とそう、と思っていたのですが、
1. 5キロも増えてしまいました。
だから、もう、食べてすぐ寝るのはヤバイので、
もう一日分、更新して、追いついておきます。
はい、目標が4.5キロおとす、に変わりました。
楽に入る日まで、指輪ははずしておくことにしました。
今日も寒かったです。
明日も、もう一日寒いみたいです。
明日は冷たい雨も降りそうです。
さて、水曜日の聖書。
水曜日は出エジプト記34:18-35です。
「あなたは六日間は働き、七日目には休まなければならない。耕作の時も、刈り入れの時にも、休まなければならない。」21節。
「刈り入れ」の時は、休んではいられない、と言うのがホンネだったのではないだろうか。
でも、そんな彼らに向かって、「借り入れの時にも、7日目には休まなければならない」と主は言われた。
私たちはどうだろうか?
「休んでなんかいられない!」というときはないだろうか、
「こういうときだからしょうがない」とか、
「一年に一回だけ」とか、
いろいろ理由をつけて、休むべき時に休まないことはないだろうか?
主は、一番忙しい、刈り入れの時でも7日目には休め、
人間の都合で待ってくれない、耕作の時にも7日目には休め、
と言われた。
自分の都合ではなくて、
神様の命令に従う、
忙しさとか、特別なとき、という言い訳を一切捨てて、
ただ、単純に主に従っていく、
そういう者となりたいと思います。
主よ、
あなたの命令に従います。
いろいろ理由をつけて、あなたに従わないことがありませんように。
単純に主に従う者でありますように。
ハーレムの夜。
日付変わってしまいました。
さて、火曜日の聖書。
火曜日は出エジプト記34:1-17。
「あなたはその地の住民と契約を結んではならない。彼らは神々を慕って、みだらなことをし、自分たちの神々にいけにえをささげ、あなたを招くと、あなたはそのいけにえを食べるようになる。あなたがその娘たちをあなたの息子たちにめとるなら、その娘たちが自分たちの神々を慕ってみだらなことをし、あなたの息子たちに、彼らの神々を慕わせてみだらなことをさせるようになる。」15-16節。
世の影響力を甘く見るな、ということを教えられました。
サタンはいろいろな方法で攻撃してきます。
その中の一つが「世と妥協させる」ということです。
仲間になって、最初は影響を与える者でありたいと思います。
でも、いつの間にか、影響を受けて、一番大切なものさえも、
譲ってしまっているのです。
闘いがあります。
だから、祈りのサポートが必要だと思いました。
一人一人のために祈ることの大切さを思わされました。
世の中で、歩んでいる一人一人が、
神様に支えられて、世に染まらないで、
世に影響を与えるような者として、
用いられていくように、
祈ることの大切さを思わされました。
主よ、
世の影響力を、甘く見ていた私を赦してください。
どうか、一人一人が守られていきますように。
あなたの香りを放つ者となりますように。
影響を受ける者ではなく、影響を与える者となることができますように。
17日の夜ですが、もう18日になっています。
というのは、夜、NYで集会があったあと、
日本から来られているゴスペルシンガー
(マジでいわゆるBlack Gospel系の「ゴスペル」)西村あきこさんが、
ハーレムのライブハウスで歌うということで、
行ってきたからです。
夜の8時からということだったので、
「ああ、ちょうど予定がぶつかっちゃうなあ」と思っていたのですが、
昼間、お電話で話したときに、「間に合うかもしれませんよ」と言われたので、
「終わっているかもしれないけど・・・」と行ってきました。
あまりなじみがないところですが、
コワイというほどでもない。
でも、すれ違う人がこっちをじろっと見ると、
「お金くれ」とか言われるかもなあ、と
(1回言われましたが・・・)
そんな場所でしたが、
中は人でいっぱい。
終わっているかも・・・どころじゃない、
10時前に着いたのですが、
まだまだ、始まったばかり。
終わったのは11時20分でした。
終わっているかも・・・どころじゃない、
10時前に着いたのですが、
まだまだ、始まったばかり。
終わったのは11時20分でした。
かぶりつきの席しか空いていなくて、
こ~んなにかぶりつきでききました。
圧倒されました。
豊かな声量と、表現力、
そして、何よりも厚い信仰にいや、熱い信仰にあふれた賛美でした。
豊かな声量と、表現力、
そして、何よりも厚い信仰にいや、熱い信仰にあふれた賛美でした。
セッションは、
去年お会いした、サックスの北守さんがリーダーで、
それがまたすばらしい。
まじヤバイです。
そして、北守さんの新婚の奥さんも参加しておられて、
とてもすばらしい、楽しい一時でした。
西村さんは、今度の礼拝で賛美リードと特別賛美をしてくださいます。
お楽しみに。
YouTubeから。
あ、このビデオでローランドを弾いているのが、
北守さんのおくさん。
北守さんのおくさん。
日曜日にご一緒くださるそうです。
楽しみです。
楽しみです。
さて、火曜日の聖書。
火曜日は出エジプト記34:1-17。
「あなたはその地の住民と契約を結んではならない。彼らは神々を慕って、みだらなことをし、自分たちの神々にいけにえをささげ、あなたを招くと、あなたはそのいけにえを食べるようになる。あなたがその娘たちをあなたの息子たちにめとるなら、その娘たちが自分たちの神々を慕ってみだらなことをし、あなたの息子たちに、彼らの神々を慕わせてみだらなことをさせるようになる。」15-16節。
世の影響力を甘く見るな、ということを教えられました。
サタンはいろいろな方法で攻撃してきます。
その中の一つが「世と妥協させる」ということです。
仲間になって、最初は影響を与える者でありたいと思います。
でも、いつの間にか、影響を受けて、一番大切なものさえも、
譲ってしまっているのです。
闘いがあります。
だから、祈りのサポートが必要だと思いました。
一人一人のために祈ることの大切さを思わされました。
世の中で、歩んでいる一人一人が、
神様に支えられて、世に染まらないで、
世に影響を与えるような者として、
用いられていくように、
祈ることの大切さを思わされました。
主よ、
世の影響力を、甘く見ていた私を赦してください。
どうか、一人一人が守られていきますように。
あなたの香りを放つ者となりますように。
影響を受ける者ではなく、影響を与える者となることができますように。
2009-06-16
さむい~。
今日はまた寒いですねえ。
今、夜の12時前ですが、
(9時更新なんて夢のまた夢・・・)
15度です。
それでもバスの中は冷房がかかっていたりするわけですからたまりません。
いつになったら夏になるんでしょうかねえ。
暑くなったら暑くなったで、
「あちい!」とかいう題で書くんでしょうが・・・。
さて、昨日の聖書。
昨日は出エジプト記33章12-23節。
「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」17節。
求めよ、さらば与えられん。
そして、
あなたが信じるようになるだろう。
それらのイエスの言葉を思い出しました。
私自身、主に求めているだろうか、
主に大胆に求めているだろうか、
ここでも、モーセは主にいわれて、
「はい、そうですか、わかりました」とはすぐにはいいませんでした。
「でも、神様、何とかお願いします」
「一緒に行ってください、あなたが一緒に行ってくださることを示してください」
と一生懸命願い求めました。
主に対して、
主がしてくださることの素晴らしさを信じて、
求めていこうと思いました。
「あなたが言ったそのことも、私はしよう」
主が直接語ってくださったように感じました。
主よ、
あなたが私の願いを聞いてくださることに感謝します。
あなたがそれを待っていてくださることに感謝します。
あなたに求めます。
あなたに祈ることを大切にします。
あなたが他の誰もすることのできない、
誰が見ても、神の御業だ、と思うような、
御業をなしてください。
今、夜の12時前ですが、
(9時更新なんて夢のまた夢・・・)
15度です。
それでもバスの中は冷房がかかっていたりするわけですからたまりません。
いつになったら夏になるんでしょうかねえ。
暑くなったら暑くなったで、
「あちい!」とかいう題で書くんでしょうが・・・。
さて、昨日の聖書。
昨日は出エジプト記33章12-23節。
「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」17節。
求めよ、さらば与えられん。
そして、
あなたが信じるようになるだろう。
それらのイエスの言葉を思い出しました。
私自身、主に求めているだろうか、
主に大胆に求めているだろうか、
ここでも、モーセは主にいわれて、
「はい、そうですか、わかりました」とはすぐにはいいませんでした。
「でも、神様、何とかお願いします」
「一緒に行ってください、あなたが一緒に行ってくださることを示してください」
と一生懸命願い求めました。
主に対して、
主がしてくださることの素晴らしさを信じて、
求めていこうと思いました。
「あなたが言ったそのことも、私はしよう」
主が直接語ってくださったように感じました。
主よ、
あなたが私の願いを聞いてくださることに感謝します。
あなたがそれを待っていてくださることに感謝します。
あなたに求めます。
あなたに祈ることを大切にします。
あなたが他の誰もすることのできない、
誰が見ても、神の御業だ、と思うような、
御業をなしてください。
2009-06-15
神様が造られたもの。
毎年野外礼拝をしていて、もう、10回以上になるのですが、
いつも「別に外で話さなくてもいい」内容のメッセージをしていました。
でも、今年、祈りの中で、
外だからこそ、伝わる、ものはないだろうか、
外だからこそ、神様に触れて頂く、
そのようなことはないだろうかと、思わされました。
そして、今年は、
メッセージの中で、ちょっと時間をとって、
「神様が造られたものをさがそう」と、
みんなで神様が与えてくださったものをさがしました。
虫、木、葉っぱ、草、石、空、雲・・・
そんな目に見えるものから始まって、
風、音、色、におい・・・
そして、
こころ、たましい、自分・・・。
私たちはどれほどすばらしいものを神様から与えられているか、
目が開かれるような思いでした。
さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は出エジプト記33章1-11節。
「民は、みな、天幕の入口に雲の柱が立つのを見た。」10節。
モーセが天幕で神様のところに行くときに、
そこに雲の柱が立って、主がそこにおられることを示した。
そして、それを民は見ていた・・・と。
自分は牧師として、
主の前に行くとき、に主がそこに確かにいてくださることを知っているだろうか。
そして、それがまた教会の一人一人に見えているだろうか。
モーセは隠れていったのではなかった。
「誰も知らないけれども主の前に行くのだ」と行ったのではなくて、
人々に見える形で、主の前に進んでいった。
そして、主も、確かにモーセに語られることを雲の柱で示された。
私の祈りの生活が、このモーセの祈りのようなものとなりますように。
確かに、主のもとに行って聞いていることが、
教会の一人一人にわかるように、伝わるように。
そのような豊かな祈りの時を持つことができるように。
そう、伝わることよりも、まず、そのような豊かな主との一時を持たせてください。
私の心と思いをきよめて、あなたの前に喜んで出ていくことができますように。
いつも「別に外で話さなくてもいい」内容のメッセージをしていました。
でも、今年、祈りの中で、
外だからこそ、伝わる、ものはないだろうか、
外だからこそ、神様に触れて頂く、
そのようなことはないだろうかと、思わされました。
そして、今年は、
メッセージの中で、ちょっと時間をとって、
「神様が造られたものをさがそう」と、
みんなで神様が与えてくださったものをさがしました。
虫、木、葉っぱ、草、石、空、雲・・・
そんな目に見えるものから始まって、
風、音、色、におい・・・
そして、
こころ、たましい、自分・・・。
私たちはどれほどすばらしいものを神様から与えられているか、
目が開かれるような思いでした。
さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は出エジプト記33章1-11節。
「民は、みな、天幕の入口に雲の柱が立つのを見た。」10節。
モーセが天幕で神様のところに行くときに、
そこに雲の柱が立って、主がそこにおられることを示した。
そして、それを民は見ていた・・・と。
自分は牧師として、
主の前に行くとき、に主がそこに確かにいてくださることを知っているだろうか。
そして、それがまた教会の一人一人に見えているだろうか。
モーセは隠れていったのではなかった。
「誰も知らないけれども主の前に行くのだ」と行ったのではなくて、
人々に見える形で、主の前に進んでいった。
そして、主も、確かにモーセに語られることを雲の柱で示された。
私の祈りの生活が、このモーセの祈りのようなものとなりますように。
確かに、主のもとに行って聞いていることが、
教会の一人一人にわかるように、伝わるように。
そのような豊かな祈りの時を持つことができるように。
そう、伝わることよりも、まず、そのような豊かな主との一時を持たせてください。
私の心と思いをきよめて、あなたの前に喜んで出ていくことができますように。
罪に対する怒り。
今日も、起きたら雨。
でも、昼間にはいい天気になりました。
そして夕方は空が曇って雷雨。
ちょうど、学校から帰ってきて、玄関先にいたサキが、
その雷鳴にびびって泣き出すくらい。すごい音でした。
明日は今日よりもいい天気でしょうが、
でも、やはり雨の可能性もあります。
なんだか、今年の夏は変です。このまま変な夏になるのでは・・・って気がしてきました。
と思って、最近ご無沙汰していたお天気サイトを回ってみると、
やはり北東部の今年の夏は、あまり夏らしくない夏になりそう、という予報もあります。
その一方で、これは6月だけ。7-8月は例年より暑い、という予報も・・・。
プールのシーズンパスを買うべきか、買わざるべきか・・・。
昨日の野外礼拝の写真、教会のHPの方にアップされていますね。
左側のコラムから、ニュージャージー日本語キリスト教会のリンクをクリックして、
そこから「イベントフォト」へジャンプです。
楽しそうでしょう。伝わるでしょうか?
でも、ホントは写真で見るより、ずっと楽しかったですよ。ハイ。
さて、土曜日の聖書。
土曜日は出エジプト記32:15-35でした。
「宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。」19節。
「私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです。」24節。
24節の方はアロンの言葉です。
アロンの言い訳は何なんだと思います。
でも、聖書はいつも私の姿を映し出します。
私もこのように言っていることもあるだろうか、と思います・・・。
そして、それに対して、モーセの怒り。
わかっていたのに、想像していたのに、
実際に、その人々の姿を見たときに、
彼は怒りに燃えた。
彼は怒りに燃えて、石の板を投げつけないではいられなかった。
私はどうだろうかと思いました。
人々の罪を見たときに、
そこまで怒ることがあるだろうかと。
「そういうもんだよ」とわかったようなつもりになったり、
やたら、物わかりが良くなってしまったり。
罪に対して、本気で怒る者でありたいと思いました。
主の思いを私の思いとさせて頂きたいです。
主よ、
あなたの思いを私の思いにさせてください。
罪に対する怒りを忘れることがありませんように。
いい加減にすることがありませんように。
そして、あなたの憐れみ深さを、深く知ることができますように。
でも、昼間にはいい天気になりました。
そして夕方は空が曇って雷雨。
ちょうど、学校から帰ってきて、玄関先にいたサキが、
その雷鳴にびびって泣き出すくらい。すごい音でした。
明日は今日よりもいい天気でしょうが、
でも、やはり雨の可能性もあります。
なんだか、今年の夏は変です。このまま変な夏になるのでは・・・って気がしてきました。
と思って、最近ご無沙汰していたお天気サイトを回ってみると、
やはり北東部の今年の夏は、あまり夏らしくない夏になりそう、という予報もあります。
その一方で、これは6月だけ。7-8月は例年より暑い、という予報も・・・。
プールのシーズンパスを買うべきか、買わざるべきか・・・。
昨日の野外礼拝の写真、教会のHPの方にアップされていますね。
左側のコラムから、ニュージャージー日本語キリスト教会のリンクをクリックして、
そこから「イベントフォト」へジャンプです。
楽しそうでしょう。伝わるでしょうか?
でも、ホントは写真で見るより、ずっと楽しかったですよ。ハイ。
さて、土曜日の聖書。
土曜日は出エジプト記32:15-35でした。
「宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。」19節。
「私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです。」24節。
24節の方はアロンの言葉です。
アロンの言い訳は何なんだと思います。
でも、聖書はいつも私の姿を映し出します。
私もこのように言っていることもあるだろうか、と思います・・・。
そして、それに対して、モーセの怒り。
わかっていたのに、想像していたのに、
実際に、その人々の姿を見たときに、
彼は怒りに燃えた。
彼は怒りに燃えて、石の板を投げつけないではいられなかった。
私はどうだろうかと思いました。
人々の罪を見たときに、
そこまで怒ることがあるだろうかと。
「そういうもんだよ」とわかったようなつもりになったり、
やたら、物わかりが良くなってしまったり。
罪に対して、本気で怒る者でありたいと思いました。
主の思いを私の思いとさせて頂きたいです。
主よ、
あなたの思いを私の思いにさせてください。
罪に対する怒りを忘れることがありませんように。
いい加減にすることがありませんように。
そして、あなたの憐れみ深さを、深く知ることができますように。
2009-06-14
感謝。
今朝は、7時半頃の更新のあと、8時半頃からは、
雨が降ってきてしまって、ハラハラしました。
レーダーには全く雨雲が映っていないのですが、
霧雨が降っています。
「今日、本当にやるんですか?」って電話はあっちこっちからかかってくるし・・・
(実際は北の方に住んでいる方々ばかりだったのですが・・・)
だいたい、朝、しっかり上がった雨が、また降ってきたから、
このあともまた降ってこない保証はない・・・ということで、
「大丈夫!」と強気の返事をしながら、内心はハラハラでした。
でも、10時前には大体雨も上がって、
昼頃には青空が広がってきました。
たくさんの方々と楽しい一時を過ごしました。
野外礼拝だからこそ、語ることのできるメッセージを語らせて頂きました。
目が開かれる思いでした。
神様の造られる天気と、
人間がそれにチャレンジする天気予報の、
違いを見せつけられた一日でした。
まとめて、更新宣言をしていたのですが、
そんな元気はちょっとないので、
金曜日、一日分だけ。
金曜日、6/12は、出エジプト記32:1-14。
「それで、アロンは・・・」2節。
人々が「私たちのために神を造ってください」とアロンに言ったときに、
「しかし、アロンは・・・」となるべきところ、
「それで、アロンは・・・」となってしまった。
アロンの弱さというか、致命的な問題がここにあると思う。
人々が言ったから・・・。
このあとも、アロンがモーセに言い訳をして、
「人々が悪いんです」と。
でも、それはまた自分の弱さでもあると思います。
人々が言ったから・・・と言うことにどれほど振り回されることが多いか。
今日も、自分では、雨は大丈夫、と思っていました。
でも、みんなが「え~、やっぱり中がいいですよ」と言ったら、
「そうですか~」となってしまうのではないか、という迷いがありました。
天気のことなら、任せておいて・・・と言っているくせに、
最終的に責任をとりたがらないのです。
そう、アロンのように「みんなが言うから・・・」というのは、
結局責任をとりたくないんです。
アロンは、責任を持って、「いや、それはいけない、私たちは待っていなければいけない」と言わなければいけなかったのです。
私も、自ら進んで責任を負っていく者でありたいと思います。
神様の語られることをしっかり聞いて、
それを伝えるという、責任を果たしていきたいと思います。
主よ、
アロンの逃げの姿勢、反面教師です。
でも、私も他人のことを責める資格のない者であることも知っています。
自ら進んで責任を負う者であることができますように。
逃げることがありませんように。
「人々が言うから・・・」ということではなくて、
あなたの語られることを聞いていくことができますように。
雨が降ってきてしまって、ハラハラしました。
レーダーには全く雨雲が映っていないのですが、
霧雨が降っています。
「今日、本当にやるんですか?」って電話はあっちこっちからかかってくるし・・・
(実際は北の方に住んでいる方々ばかりだったのですが・・・)
だいたい、朝、しっかり上がった雨が、また降ってきたから、
このあともまた降ってこない保証はない・・・ということで、
「大丈夫!」と強気の返事をしながら、内心はハラハラでした。
でも、10時前には大体雨も上がって、
昼頃には青空が広がってきました。
たくさんの方々と楽しい一時を過ごしました。
野外礼拝だからこそ、語ることのできるメッセージを語らせて頂きました。
目が開かれる思いでした。
神様の造られる天気と、
人間がそれにチャレンジする天気予報の、
違いを見せつけられた一日でした。
まとめて、更新宣言をしていたのですが、
そんな元気はちょっとないので、
金曜日、一日分だけ。
金曜日、6/12は、出エジプト記32:1-14。
「それで、アロンは・・・」2節。
人々が「私たちのために神を造ってください」とアロンに言ったときに、
「しかし、アロンは・・・」となるべきところ、
「それで、アロンは・・・」となってしまった。
アロンの弱さというか、致命的な問題がここにあると思う。
人々が言ったから・・・。
このあとも、アロンがモーセに言い訳をして、
「人々が悪いんです」と。
でも、それはまた自分の弱さでもあると思います。
人々が言ったから・・・と言うことにどれほど振り回されることが多いか。
今日も、自分では、雨は大丈夫、と思っていました。
でも、みんなが「え~、やっぱり中がいいですよ」と言ったら、
「そうですか~」となってしまうのではないか、という迷いがありました。
天気のことなら、任せておいて・・・と言っているくせに、
最終的に責任をとりたがらないのです。
そう、アロンのように「みんなが言うから・・・」というのは、
結局責任をとりたくないんです。
アロンは、責任を持って、「いや、それはいけない、私たちは待っていなければいけない」と言わなければいけなかったのです。
私も、自ら進んで責任を負っていく者でありたいと思います。
神様の語られることをしっかり聞いて、
それを伝えるという、責任を果たしていきたいと思います。
主よ、
アロンの逃げの姿勢、反面教師です。
でも、私も他人のことを責める資格のない者であることも知っています。
自ら進んで責任を負う者であることができますように。
逃げることがありませんように。
「人々が言うから・・・」ということではなくて、
あなたの語られることを聞いていくことができますように。
ハレルヤ!
昨夜の雨がうそのように、
今朝はきれいに上がっています。
レーダーを見ても、
雨雲は北東に足早に去っていっています。
朝、天気が守られたことに感謝をささげ、
メッセージのために祈っている間に、
主が与えてくださっているすべてのものに感謝が沸いてきました。
今日の野外礼拝が神様のすばらしさを
大きく感じるひと時となりますように。
そう、今日のメインはバーベキューではなくて、礼拝です!
一人一人が神様に触れていただくひと時となりますように。
ーーーーーーー
と、ここまで6:45ごろ教会で書いて、
家に帰ってきたのですが、
途中からまたどんより。
西に行くほど、北に行くほど、
雲が厚いみたいですね。
守られますように。
今朝はきれいに上がっています。
レーダーを見ても、
雨雲は北東に足早に去っていっています。
朝、天気が守られたことに感謝をささげ、
メッセージのために祈っている間に、
主が与えてくださっているすべてのものに感謝が沸いてきました。
今日の野外礼拝が神様のすばらしさを
大きく感じるひと時となりますように。
そう、今日のメインはバーベキューではなくて、礼拝です!
一人一人が神様に触れていただくひと時となりますように。
ーーーーーーー
と、ここまで6:45ごろ教会で書いて、
家に帰ってきたのですが、
途中からまたどんより。
西に行くほど、北に行くほど、
雲が厚いみたいですね。
守られますように。
Subscribe to:
Posts (Atom)




.jpg)
.jpg)
