昨日はシャナンドゥー・バレーで泊まりました。
今までの自分たちだと、遅くなってもいいから・・・
と一気にNJ走ってきたのですが、
今回は、「もう休もうか・・・」となってしまいました。
そして、お約束の、一人で朝早く目が覚める・・・と言うパターン。
そこで、久しぶりの本格的な更新。
今日は晴れるみたいですが、
東海上のダニー君の動きがどうなるか、気になるところ。
その動きによっては、明日~あさっては晴れるか、
はたまた強風を伴った冷たい雨になるか、
それとも熱帯性のなま暖かい、にわか雨になるか・・・。
要注目です。
さて、日曜日は15年ぶりにアトランタの郊外、
ノークロス教会の礼拝に出席しました。
牧師は新しい方になっていたのですが、
その日はたまたま、私が行っていたときの宣教師の先生。
15年ぶりにその先生を通して主が語ってくださるメッセージをお伺いしました。
「聖霊の賜物と聖霊の実」の話でした。
先生自身が若い頃にある方に受けた質問がきっかけでした。
「わたしの教会の牧師はすばらしいメッセージをする方でした。
でも、ある時、礼拝に2人の警官が来られました。
私たちは、てっきり、この二人の警官も、私たちの教会の牧師のすばらしいメッセージを聞こうと思ってきたのだと思っていました。実際、その日のメッセージもすばらしいメッセージでした。でも、彼らは牧師のメッセージが終わった後、彼を逮捕して連行して行きました。
彼は自分が犯罪を犯していたことを知っていました。
そして自分が逮捕されることを知っていました。
そんな中で、彼はすばらしいメッセージを語っていました。
どうしてですか?
どうしてそんなことが可能のなのでしょうか?」
その時には、うまく答えられなかった。
でも、今は聖書から、またいろんな経験から、お答えすることができる、と次のようなメッセージをされました。
聖書には「聖霊の賜物」というものと「聖霊の実」という
聖霊様がくださる2種類のものが出てきます。
誰かが、私にプレゼントをしてくれたとします。
たとえば、「ベンツ」。
私がプレゼントしてもらったベンツを運転していたとしても、
そのベンツは私について何も説明出来ません。
私がどんな人間であるかということとは何の関係もありません。
そのベンツには価値があります。
そして、ベンツをくれた友人がどれくらい豊かな人かということもわかります。
そして、その友人がどれくらい私のことを大切に思ってくれているか、もわかります。
でも、私がどういう人間であるかということとは何の関係もないのです。
それが御霊の賜物といわれる、神様からのギフト、
すばらしいメッセージをするとか、
その人が手を置いたら、祈ったら癒されるとかという癒しの賜物とか、
そのようなものの性格です。
しかし、「実」は違います。
「実」は「木」がどんな「木」であるかを表すのです。
「木」だけを見ただけでは、どんな木かわからなくても、
「実」を見たときに、木がどんな木かわかります。
ぶどうの実がなっているときに、「ああ、この木はぶどうの木だ」と。
聖霊の実はそのようなものです。
愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制
そのような実を結ぶことを求めるべきです。
そのような内容のメッセージでした。
先ほどの牧師はすばらしい賜物が与えられていた、
でも、聖霊の実についてはあまりにも無頓着だった。
本当に私のために主が準備してくださったメッセージだと思わされました。
さて、8月19日(水)の聖書。
第2コリント11:1-15。
「私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。」2節。
ああ、このパウロの情熱。
このパウロの熱心さ。
どんな非難の中でも、「知るか!勝手にしろ!」を思わないで、
彼らを愛し、彼らをキリストの花嫁として整えるために、
熱心に力を尽くした。
議論をも恐れず、大胆に悔い改めを迫った。
そして、愛をもって彼らに尽くした。
その情熱を私も持たせて頂きたい。
その同じ情熱をもって人々に仕える者でありたい。
日曜日の礼拝の中で読まれた聖書、ヨハネの10章の「羊が自分のものでない雇い人は、狼がくるのを見ると羊を捨てて逃げ去る」という言葉を思い出させられました。
主よ、
わたしの愛を増してください。
もっともっと人を愛する者とならせてください。
もっともっと熱く人に仕える者とならせてください。
逃げ出さない愛を与えてください。
2009-08-27
2009-08-26
もうすこし。
今朝、NCを出発して、
最初の2時間くらい、Blue Ridge Parkwayを走って、
景色を楽しんで、その後は普通の高速道路を走って、
今夜はNJまで5時間くらいの所まで来ました。
思ったよりも投宿が遅くなったので、
今日ももう一日、バケーションモードで更新はお休み。
では、また明日。
最初の2時間くらい、Blue Ridge Parkwayを走って、
景色を楽しんで、その後は普通の高速道路を走って、
今夜はNJまで5時間くらいの所まで来ました。
思ったよりも投宿が遅くなったので、
今日ももう一日、バケーションモードで更新はお休み。
では、また明日。
2009-08-25
2009-08-24
2009-08-22
受け入れる。
今日は昨日に比べるとずいぶん涼しくなりましたが、
それでもこちらの日差しは暑いです。
NJは雨で大変だったようですが、
大丈夫でしょうか?
明日はこちらは大丈夫そうですが、NJはまだ雷雨の予報です。
今日は午前中入寮で、午後オリエンテーション。
同室者はニック君。ラストネームはちゃんと聞きませんでしたが、
「ジャガー」ではないようです。(笑)
母親はこんなとき、いろいろ手出しをしたいようで、
「こんなのがあったらいい」「これが必要だ」と次々メモ。
これには脱帽。
でも、もっとすごいのはニック君の母君。
夫婦そろって歯科医だそうですが、
「さて、ベッドはどこに置く?あなたたち決めて、そうね、こうしたらどう?」(って、誰が決めるの?)って感じ。
「自分たちで決めるよ」「そうね、そうしたらいいわ」という会話が何度交わされたことか・・・。
お父様は、「向こうの部屋見た?ピアノがあるよ」「トイレ、なかなかきれいだぞ」と、お母さんの気を他に向けようと一生懸命。(私の解釈)
そしておにいちゃんとやたら仲良さなそうな、1-2歳年下らしい、美人さんの妹。彼女が一番お兄ちゃんの気持ちを汲んでいるようでした。
とてもいい感じのご家族。
大学から20分のところにお住まいのようなので、
家の息子もちょくちょくお世話になるでしょう。
そして午後は買い物に行って、
かえってきてしばし祈ってお別れ。
その後、「親としてこれから起こることの覚悟をしておく」セミナーでした。
これがとても面白かったです。
ためになりました。
いくつかのことを覚えているのですが、
とにかく、次に帰ってくるときに、
今までのその子とは変わっている。違っている。
親に対してやたら批判的だったり、
今まで守ってきた家族のルールを否定したり、
そんなことがある。
でも、それは成長し、いい意味で変わって行った結果なのだというのです。
親としてできることは、「受け入れること」。
もちろん、ルールの種類によるのでしょうが、
子供の成長と変化を喜ぶことが大切なようです。
さて、8月18日の聖書。
18日はコリント第2の手紙の10:12-18でした。
「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりするのは、知恵のないことなのです。」12節。
自分たちの中で自分を量ることのおろかさ。
自分たちの中で、比較することのおろかさ。
でも、自分たちはどれだけそれをしているかと思います。
口に出さないだけで、どれだけそれをしているかと思います。
ただただ、神様が褒めてくださればいいのに。
ただただ、神様に忠実に従っていればいいのに。
弱いですね。
目に見える人に褒められたり、
目に見える形で成果が現れて、
人と比べて、いい働きができたり、
そんなものを求めていないだろうかと思います。
でも、主が誇ってくださる。
主が喜んでくださる。
それで、それだけでいいのでは、と思います。
主の前に真実に、
人々も前にも、ただただ、真実さだけをも求めていきたいです。
主よ、
あなたに集中できますように。
あなたの願うことをしていくことができますように。
あなたが誇ってくださることに感謝します。
あなたに褒められるだけで十分、という思いに満たしてください。
それでもこちらの日差しは暑いです。
NJは雨で大変だったようですが、
大丈夫でしょうか?
明日はこちらは大丈夫そうですが、NJはまだ雷雨の予報です。
今日は午前中入寮で、午後オリエンテーション。
同室者はニック君。ラストネームはちゃんと聞きませんでしたが、
「ジャガー」ではないようです。(笑)
母親はこんなとき、いろいろ手出しをしたいようで、
「こんなのがあったらいい」「これが必要だ」と次々メモ。
これには脱帽。
でも、もっとすごいのはニック君の母君。
夫婦そろって歯科医だそうですが、
「さて、ベッドはどこに置く?あなたたち決めて、そうね、こうしたらどう?」(って、誰が決めるの?)って感じ。
「自分たちで決めるよ」「そうね、そうしたらいいわ」という会話が何度交わされたことか・・・。
お父様は、「向こうの部屋見た?ピアノがあるよ」「トイレ、なかなかきれいだぞ」と、お母さんの気を他に向けようと一生懸命。(私の解釈)
そしておにいちゃんとやたら仲良さなそうな、1-2歳年下らしい、美人さんの妹。彼女が一番お兄ちゃんの気持ちを汲んでいるようでした。
とてもいい感じのご家族。
大学から20分のところにお住まいのようなので、
家の息子もちょくちょくお世話になるでしょう。
そして午後は買い物に行って、
かえってきてしばし祈ってお別れ。
その後、「親としてこれから起こることの覚悟をしておく」セミナーでした。
これがとても面白かったです。
ためになりました。
いくつかのことを覚えているのですが、
とにかく、次に帰ってくるときに、
今までのその子とは変わっている。違っている。
親に対してやたら批判的だったり、
今まで守ってきた家族のルールを否定したり、
そんなことがある。
でも、それは成長し、いい意味で変わって行った結果なのだというのです。
親としてできることは、「受け入れること」。
もちろん、ルールの種類によるのでしょうが、
子供の成長と変化を喜ぶことが大切なようです。
さて、8月18日の聖書。
18日はコリント第2の手紙の10:12-18でした。
「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりするのは、知恵のないことなのです。」12節。
自分たちの中で自分を量ることのおろかさ。
自分たちの中で、比較することのおろかさ。
でも、自分たちはどれだけそれをしているかと思います。
口に出さないだけで、どれだけそれをしているかと思います。
ただただ、神様が褒めてくださればいいのに。
ただただ、神様に忠実に従っていればいいのに。
弱いですね。
目に見える人に褒められたり、
目に見える形で成果が現れて、
人と比べて、いい働きができたり、
そんなものを求めていないだろうかと思います。
でも、主が誇ってくださる。
主が喜んでくださる。
それで、それだけでいいのでは、と思います。
主の前に真実に、
人々も前にも、ただただ、真実さだけをも求めていきたいです。
主よ、
あなたに集中できますように。
あなたの願うことをしていくことができますように。
あなたが誇ってくださることに感謝します。
あなたに褒められるだけで十分、という思いに満たしてください。
主が与えられた権威。
さて、日付が変わりましたが、
まだ大丈夫みたいなので、もうちょっと行きます。
今週月曜日、8月17日の聖書。
「あなたがたを倒すためではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。」8節。
誰かが権威を与えられているのであるならば、
それは人を立たせるため。
倒すためではなくて、立たせるため。
単なる批判でなく、それによって人が生まれ変わるため。
それによって新しい歩みが始まるため。
そのことを忘れないでいよう。
「権威」というのは難しいもの。
振り回すと、それは人々を傷つける。
でも、それが与えられているのに、逃げていては無責任。
正しく用いる。責任を持って用いる。
逃げないで用いる。
愛を持って用いる。
人のために用いる。
「あなたのため」押し付けないで用いる。
そのために愛と知恵を与えていただきたい。
主よ、
あなたが権威を与えてくださっているならば、
それを正しく用いることができるように、
知恵と愛を与えてください。
振り回して人を傷つけることがありませんように。
恐れて自分の責任から逃げることがありませんように。
あなたの知恵と、あなたの愛を与えてください。
まだ大丈夫みたいなので、もうちょっと行きます。
今週月曜日、8月17日の聖書。
「あなたがたを倒すためではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。」8節。
誰かが権威を与えられているのであるならば、
それは人を立たせるため。
倒すためではなくて、立たせるため。
単なる批判でなく、それによって人が生まれ変わるため。
それによって新しい歩みが始まるため。
そのことを忘れないでいよう。
「権威」というのは難しいもの。
振り回すと、それは人々を傷つける。
でも、それが与えられているのに、逃げていては無責任。
正しく用いる。責任を持って用いる。
逃げないで用いる。
愛を持って用いる。
人のために用いる。
「あなたのため」押し付けないで用いる。
そのために愛と知恵を与えていただきたい。
主よ、
あなたが権威を与えてくださっているならば、
それを正しく用いることができるように、
知恵と愛を与えてください。
振り回して人を傷つけることがありませんように。
恐れて自分の責任から逃げることがありませんように。
あなたの知恵と、あなたの愛を与えてください。
与える者は与えられる。
もう一日分行きます。
8月16日(日)は第2コリント9:1-15。
「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることのできる方です。」8節。
素直に読むと、私たちが与えることに喜んでいくときに、
主は、「もっと与えることができるように」ともっと豊かに与えてくださる。
そう、自分が豊かになるためではなくて、
もっと与えることができるようになるため。
そこを勘違いしてしまうこともあるように思います。
主に思い切ってささげるときに、
それに報いて豊かにしてくださるときがあります。
でも、それを「自分が与えられたもの」と勘違いしてしまうんですよね。
それは「もっと与える喜びを知りなさい」と、
与えるために与えてくださるもの。
私たちの手を通り過ぎていくべきものであるのに、
いつの間にか、それを握り締めようとしてしまう。
主が任せてくださったもの、
主はそれにどんな思いを込めておられるのか、
それにもっともっと目を注いで行きたいです。
主よ、
あなたが任せてくださったもの、
あなたがどんな思いで与えてくださったのか、
もっとそこに目を留める者でありますように。
与える喜び、与える恵みに富む者となりますように。
8月16日(日)は第2コリント9:1-15。
「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることのできる方です。」8節。
素直に読むと、私たちが与えることに喜んでいくときに、
主は、「もっと与えることができるように」ともっと豊かに与えてくださる。
そう、自分が豊かになるためではなくて、
もっと与えることができるようになるため。
そこを勘違いしてしまうこともあるように思います。
主に思い切ってささげるときに、
それに報いて豊かにしてくださるときがあります。
でも、それを「自分が与えられたもの」と勘違いしてしまうんですよね。
それは「もっと与える喜びを知りなさい」と、
与えるために与えてくださるもの。
私たちの手を通り過ぎていくべきものであるのに、
いつの間にか、それを握り締めようとしてしまう。
主が任せてくださったもの、
主はそれにどんな思いを込めておられるのか、
それにもっともっと目を注いで行きたいです。
主よ、
あなたが任せてくださったもの、
あなたがどんな思いで与えてくださったのか、
もっとそこに目を留める者でありますように。
与える喜び、与える恵みに富む者となりますように。
2009-08-21
人に対しても
ちょっとできるときにもう一日分更新。
8月15日(土)の聖書。
第2コリント8章16-24節。
「それは、主の御前ばかりではなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです」21節。
神様の前に真実であることは確かに何よりも大切。
でも、だからといって、人の前の説明責任が軽んじられてはいけない。
自分はどうだろうなあ。
主の前にはすべてがばれているから、
ただただ憐れみで生かしていただいているなあと思う。
人に対して、本当に真実であるだろうか。
お金のことは間違いがないようにと思う。
そして、そのようにしていると思う。
でも、他の事も本当に真実だろうか。
本当に真実な歩みをする者でありたいと思いました。
主よ、
あなたの前に真実でしょうか?
そして、人に対しても私はすべての分野で真実でしょうか?
本当に誠実な歩みをさせてください。
8月15日(土)の聖書。
第2コリント8章16-24節。
「それは、主の御前ばかりではなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです」21節。
神様の前に真実であることは確かに何よりも大切。
でも、だからといって、人の前の説明責任が軽んじられてはいけない。
自分はどうだろうなあ。
主の前にはすべてがばれているから、
ただただ憐れみで生かしていただいているなあと思う。
人に対して、本当に真実であるだろうか。
お金のことは間違いがないようにと思う。
そして、そのようにしていると思う。
でも、他の事も本当に真実だろうか。
本当に真実な歩みをする者でありたいと思いました。
主よ、
あなたの前に真実でしょうか?
そして、人に対しても私はすべての分野で真実でしょうか?
本当に誠実な歩みをさせてください。
Because so much is riding on your tires.
今日はNJでは夕方、雷雨だったのでしょうか?
気温はずいぶんさがったようですね。
涼しい、という感じではないかもしれませんが・・・。
私たちもドライブ中は守られて、
夕方、目的のアトランタ郊外の知り合いの方のお宅に到着。
今、夜の10時半ですが、
外では雷がごろごろ言っています。
そろそろザーッと降ってくるのでは、と思います。
いよいよ明日が今回のメインイベントです。
朝、大学に行って、入寮。
親子3人で行って、親2人で帰る日です。
昨日の夜、制限速度が時速70マイル(≒112キロ)に上がって、
みんなが寝静まっている中を運転しているときに、
自分自身の責任の大きさを感じていました。
Because so much is riding on your tires.
これは数年前までよく聞いた、タイヤメーカーの宣伝文句です。
とてもいいコピーだと思っていました。
その言葉が心に響いてきました。
大切な存在がこの車に乗っている。
そしてその大切な人たちの安全は自分の運転にかかっている。
(もちろん、タイヤメーカーが言うように、タイヤにもですが・・・)
そのときに、教会のことも考えさせられました。
自分も牧師として、大切な人たちのことを神様から預かっている。
そして、それはその方々の「いのち」、それも「霊的ないのち」「永遠の命」を預かっているのだと・・・。
人によっては「運転手は牧師ではなくて、神様でしょう」という方もおられるとは思いますが、
それには同感しますが、それと共に、やはり神様から任されている、という部分があると思います。
「どうか、あなたがた自信に気をつけ、また、すべての群れに気を配っていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。」(使徒行伝20:28)
霊的な居眠り運転をしてきたのではないかと、
自分の今までの歩みを反省させられました。
どれほど大切なものを任されているのか、もう一度確認させられました。
さて、1週間遅れになった「日々のみことば」から。
(毎日、そのところを読んではいるのですが、なかなかここにアップできません。1週間遅れになってしまいました・・・。)
先週の金曜日、14日は第2コリント8:1-15でした。
「この恵みのわざにも・・・」7節。
「それはあなたがたの益になることだからです。」10節。
献金について書いているところです。
それを「めぐみのわざ」「益になる」といっているところに心が留まりました。
それを義務とか、当然すべきこと、
という程度のこととして、自分で守ってきた部分を感じます。
でも、パウロはこれを、「恵みの業」として、人々に伝えました。
献金をするのは神の恵みなのだと。
それはその人にとって益となるということ。
それは頭では分かっているのですが、
なかなか、自分で「ああ恵みだなあ」と思っているかというと、
どうだろうかと思います。
献金ができるのは確かに嬉しいことです。
そのようなものが与えられていることに、
そのような気持ちも与えられていることに、
感謝が沸いてきます。
でも、それが「神の恵みだ」というのとはもっとすごいんだろうなあと思います。
もっともっと自分の経験として、
「ああ恵みだなあ」という経験をさせていただきたいと思います。
そして、「これはものすごいすばらしい恵みなんですよ!」と喜んで献金のお勧めができるような者になりたいと願います。
主よ、
私がこの恵みの業に富む者となりますように。
そのすばらしさを証しする者となりますように。
気温はずいぶんさがったようですね。
涼しい、という感じではないかもしれませんが・・・。
私たちもドライブ中は守られて、
夕方、目的のアトランタ郊外の知り合いの方のお宅に到着。
今、夜の10時半ですが、
外では雷がごろごろ言っています。
そろそろザーッと降ってくるのでは、と思います。
いよいよ明日が今回のメインイベントです。
朝、大学に行って、入寮。
親子3人で行って、親2人で帰る日です。
昨日の夜、制限速度が時速70マイル(≒112キロ)に上がって、
みんなが寝静まっている中を運転しているときに、
自分自身の責任の大きさを感じていました。
Because so much is riding on your tires.
これは数年前までよく聞いた、タイヤメーカーの宣伝文句です。
とてもいいコピーだと思っていました。
その言葉が心に響いてきました。
大切な存在がこの車に乗っている。
そしてその大切な人たちの安全は自分の運転にかかっている。
(もちろん、タイヤメーカーが言うように、タイヤにもですが・・・)
そのときに、教会のことも考えさせられました。
自分も牧師として、大切な人たちのことを神様から預かっている。
そして、それはその方々の「いのち」、それも「霊的ないのち」「永遠の命」を預かっているのだと・・・。
人によっては「運転手は牧師ではなくて、神様でしょう」という方もおられるとは思いますが、
それには同感しますが、それと共に、やはり神様から任されている、という部分があると思います。
「どうか、あなたがた自信に気をつけ、また、すべての群れに気を配っていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。」(使徒行伝20:28)
霊的な居眠り運転をしてきたのではないかと、
自分の今までの歩みを反省させられました。
どれほど大切なものを任されているのか、もう一度確認させられました。
さて、1週間遅れになった「日々のみことば」から。
(毎日、そのところを読んではいるのですが、なかなかここにアップできません。1週間遅れになってしまいました・・・。)
先週の金曜日、14日は第2コリント8:1-15でした。
「この恵みのわざにも・・・」7節。
「それはあなたがたの益になることだからです。」10節。
献金について書いているところです。
それを「めぐみのわざ」「益になる」といっているところに心が留まりました。
それを義務とか、当然すべきこと、
という程度のこととして、自分で守ってきた部分を感じます。
でも、パウロはこれを、「恵みの業」として、人々に伝えました。
献金をするのは神の恵みなのだと。
それはその人にとって益となるということ。
それは頭では分かっているのですが、
なかなか、自分で「ああ恵みだなあ」と思っているかというと、
どうだろうかと思います。
献金ができるのは確かに嬉しいことです。
そのようなものが与えられていることに、
そのような気持ちも与えられていることに、
感謝が沸いてきます。
でも、それが「神の恵みだ」というのとはもっとすごいんだろうなあと思います。
もっともっと自分の経験として、
「ああ恵みだなあ」という経験をさせていただきたいと思います。
そして、「これはものすごいすばらしい恵みなんですよ!」と喜んで献金のお勧めができるような者になりたいと願います。
主よ、
私がこの恵みの業に富む者となりますように。
そのすばらしさを証しする者となりますように。
今日の優先順位・・・。
早起きはできませんでした。
そして、Birthday Girlが朝早くから、
「プール行こう」「朝ご飯行こう」と、
にぎやかで、早朝更新は断念。
今日は東海岸NJからNCからGAまで、
ずっと暑くて、午後は雷雨の予報です。
ここまで書いて、Birthday Girlが
「ねえ、プール」とうるさいので、
「もうちょっと待って、どうしてあんたはそう・・・」と言い出したところで、
今日の自分の優先順位はどっちだ?と思わされました。
あとで、またチャンスを見て更新かも・・・です。
そして、Birthday Girlが朝早くから、
「プール行こう」「朝ご飯行こう」と、
にぎやかで、早朝更新は断念。
今日は東海岸NJからNCからGAまで、
ずっと暑くて、午後は雷雨の予報です。
ここまで書いて、Birthday Girlが
「ねえ、プール」とうるさいので、
「もうちょっと待って、どうしてあんたはそう・・・」と言い出したところで、
今日の自分の優先順位はどっちだ?と思わされました。
あとで、またチャンスを見て更新かも・・・です。
2009-08-20
もう一つのイベント
今日も暑かったですね。
NJも、フィラデルフィアもボルチモアもノースカロライナもみんな暑いです。
今日は9時間半のドライブ。
7割方来ました。
明日の午前中はゆっくりできそうです。
下の写真は、ボルチモアのカニです。
スパイスたっぷり、5人で半ダースで、
かなり満足です。
近くのテーブルでは、2人で1ダースを食べていたご婦人達もおられましたが、
たぶん、彼女たちは、わたしたちの半分も食べていないと思います。
たぶん、彼女たちの出したゴミを頂いて帰れば、
立派な「カニ雑炊」を作ることもできると思います。(笑)
もう一つのイベントは、
フィラデルフィアのシニアのためのアパートに引っ越された方をご訪問すること。
お元気そうで、大喜びで迎えてくださいました。
施設の方々も、良くしてくださっているようです。
そして、「彼女のことうちのブログに写真付で載っているわよ」と教えてくださいました。
リンクはこちら。
http://plushmills.typepad.com/pmblog/2009/07/mataro-dolls-displayed-at-plush-mills.html
ただ、どうしても日本語で話すチャンスがないので、その必要を感じておられます。
近くの日本語教会の方々が訪問してくださっているそうです。
今日はどうしてもNCまで来ておきたかったので、
2時間遅れのこともあり、1時間ほどで失礼しました。
「日々のみことば」の更新は、たぶんまた明日の朝、一人で早く目が覚めると思うので、明日の朝にでも・・・。
NJも、フィラデルフィアもボルチモアもノースカロライナもみんな暑いです。
今日は9時間半のドライブ。
7割方来ました。
明日の午前中はゆっくりできそうです。
下の写真は、ボルチモアのカニです。
スパイスたっぷり、5人で半ダースで、
かなり満足です。
近くのテーブルでは、2人で1ダースを食べていたご婦人達もおられましたが、
たぶん、彼女たちは、わたしたちの半分も食べていないと思います。
たぶん、彼女たちの出したゴミを頂いて帰れば、
立派な「カニ雑炊」を作ることもできると思います。(笑)
もう一つのイベントは、
フィラデルフィアのシニアのためのアパートに引っ越された方をご訪問すること。
お元気そうで、大喜びで迎えてくださいました。
施設の方々も、良くしてくださっているようです。
そして、「彼女のことうちのブログに写真付で載っているわよ」と教えてくださいました。
リンクはこちら。
http://plushmills.typepad.com/pmblog/2009/07/mataro-dolls-displayed-at-plush-mills.html
ただ、どうしても日本語で話すチャンスがないので、その必要を感じておられます。
近くの日本語教会の方々が訪問してくださっているそうです。
今日はどうしてもNCまで来ておきたかったので、
2時間遅れのこともあり、1時間ほどで失礼しました。
「日々のみことば」の更新は、たぶんまた明日の朝、一人で早く目が覚めると思うので、明日の朝にでも・・・。
意外と少ない
予定を1時間程遅れて出発したのですが、郵便局とか、銀行とか、
教会とか、色々まわっている間に、忘れ物を思い出して、結局二時間遅
れ。
教会とか、色々まわっている間に、忘れ物を思い出して、結局二時間遅
れ。
これが今朝明け方までかかってつくった荷物。
意外と少なくて、拍子抜け。
では、行って来ます。
いよいよ・・・か?
日付が変わって1時間経ちました。
昨日は全然涼しくなりませんでしたね。
暑かったです。
最高気温は33.5度。
今も、23.5度です。
でも、湿度が高いので、熱帯夜的気分です。
今日も暑くなるようですが、
今日からはNJよりも南部の天気が気になります。
・・・と思って確認しましたが、
南部もNJもこの後1週間、まだまだ暑いみたいですね。
帰ってくる頃に、やっと涼しくなるようです。
昨日も夜の集会が終わって帰ったのが10時過ぎ。
もう部屋もすっかり片づいて、
荷物もまとまって、ゆっくり最後の夜を過ごすか、
と思っていたのですが、
あり得ないくらい、散らかったまま。
12時頃から、荷造り再開のようです。
出発まであと8時間足らず。
ゆっくり語り合ったり・・・は行の車の中か、
木曜日、金曜日の夜になるのでしょうか?
それ以前に、ホントに、出発出来るのでしょうか?
この先1週間は不定期の更新になると思います。(いつもか・・・)
さて、8月13日(木)の聖書。
第2コリント7章2-16節です。
「あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。」8-9節。
パウロの勇気と愛。
人々が自分の手紙を読んで、悲しんだ時、
パウロはどんな気持ちだっただろうか?
「自分は間違っていたのだろうか?」と思っただろうと思う。
自分の判断は間違っていたのではないか?
と不安になったのではないかと思う。
彼自身「悔いたけれども・・・」と言っている。
不安だっただろうと思う。
でも、主は彼らを悔い改めに導かれた。
自分自身の姿はどうだろうかと思わされました。
愛と勇気があるだろうか?
本気で相手を心配しているだろうか。
事なかれ主義で、なあなあになって、
一人の人を悔い改めに導くこともできなくなっていないだろうか?
主にある愛によって、
兄弟姉妹を愛する愛によって、
はっきりと言うべき時にははっきりと言うことができますように。
主よ、
私に愛と勇気を与えてください。
あなたの完全な愛によって、私の中にある恐れを取り除いてください。
人を愛して語る者とならせてください。
昨日は全然涼しくなりませんでしたね。
暑かったです。
最高気温は33.5度。
今も、23.5度です。
でも、湿度が高いので、熱帯夜的気分です。
今日も暑くなるようですが、
今日からはNJよりも南部の天気が気になります。
・・・と思って確認しましたが、
南部もNJもこの後1週間、まだまだ暑いみたいですね。
帰ってくる頃に、やっと涼しくなるようです。
昨日も夜の集会が終わって帰ったのが10時過ぎ。
もう部屋もすっかり片づいて、
荷物もまとまって、ゆっくり最後の夜を過ごすか、
と思っていたのですが、
あり得ないくらい、散らかったまま。
12時頃から、荷造り再開のようです。
出発まであと8時間足らず。
ゆっくり語り合ったり・・・は行の車の中か、
木曜日、金曜日の夜になるのでしょうか?
それ以前に、ホントに、出発出来るのでしょうか?
この先1週間は不定期の更新になると思います。(いつもか・・・)
さて、8月13日(木)の聖書。
第2コリント7章2-16節です。
「あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。」8-9節。
パウロの勇気と愛。
人々が自分の手紙を読んで、悲しんだ時、
パウロはどんな気持ちだっただろうか?
「自分は間違っていたのだろうか?」と思っただろうと思う。
自分の判断は間違っていたのではないか?
と不安になったのではないかと思う。
彼自身「悔いたけれども・・・」と言っている。
不安だっただろうと思う。
でも、主は彼らを悔い改めに導かれた。
自分自身の姿はどうだろうかと思わされました。
愛と勇気があるだろうか?
本気で相手を心配しているだろうか。
事なかれ主義で、なあなあになって、
一人の人を悔い改めに導くこともできなくなっていないだろうか?
主にある愛によって、
兄弟姉妹を愛する愛によって、
はっきりと言うべき時にははっきりと言うことができますように。
主よ、
私に愛と勇気を与えてください。
あなたの完全な愛によって、私の中にある恐れを取り除いてください。
人を愛して語る者とならせてください。
2009-08-18
神様からの情熱。
今日も暑かったですねえ。34度くらいいったでしょうか?
もっとでしょうか?
今もまだ暑くて、汗が流れてきます。
今、夜の11時過ぎですが、
まだ26度あります。
でも、この暑さも今日が峠。
今もあちらこちらで雷雨のようですが、
明日も雷雨になって、少しずつ、気温は下がってくるようです。
今日は、1ヶ月半前に持たれた、
小学生キャンプの感謝反省会。
3教会からスタッフが、キャンプ後初めて集合して、
今後の展望についても話し合いました。
幸いな一時を持ちました。
でも、先週のJOYJOYキャンプでも、
ある方々は仕事を休んで、
ある方々は家族の助けをもらって、
ある方々は日本から犠牲を払って、
たくさんのスタッフが奉仕をしてくださいました。
このような一人一人の情熱があったから、
できた2つのキャンプだったと思います。
でも、それはやはり、その人自身と言うよりも、
神様からの情熱。
さっき、実家に電話をしたら、76歳になろうとしている父が、
泊まりがけで「小学生キャンプ」のスタッフをしているみたいで。
これには「参った」と思いました。
最近、子どもと一緒に何かをするよりも、
座り込んでしまうことの増えてきた自分の限界を感じ始めていただけに、
もう一度、主からの情熱を与えて頂きたいと思いました。
来年も是非、やりたいね、という話になった、小学生キャンプ。
さて、主がどのように導いてくださるか、楽しみです。
主が与えてくださった情熱に、素直に従って、行こうと思います。
さて、8月12日(水)の聖書。
第2コリント6:14-7:1
「私たちは生ける神の宮なのです。」16節。
わたしたちのうちに主が住んでくださる。
そのために、自らをきよめなさいと。
でも、本当のところは自分ががんばって掃除をするわけではない、
と言うことは聖書の他のところから明らか。
主に明け渡していくときに、
主の支配に自分自身を差し出していくときに、
きよめてくださるのは主の御業。
わたしたちのなすべきことは、
握りしめているものを手放すことであり、
主の支配を受け入れること。
奥の間の扉まで開けて、
そこも主に見て頂くこと。
頑固にこだわっていることさえ、
子どもの頃のいろんな出来事から傷さえ、
主の御手にゆだねていくこと。
主のなさることを、これからも見せて頂きたい。
神様、
あなたが私の心をあなたの住まいとしてくださることに、
心から感謝します。
どうか、私の心をきよめてください。
あなたの支配に差し出します。
私が自分の手で握りしめているものがあるならば、
それをあなたに差し出します。
どうか、あなたのものとしてください。
もっとでしょうか?
今もまだ暑くて、汗が流れてきます。
今、夜の11時過ぎですが、
まだ26度あります。
でも、この暑さも今日が峠。
今もあちらこちらで雷雨のようですが、
明日も雷雨になって、少しずつ、気温は下がってくるようです。
今日は、1ヶ月半前に持たれた、
小学生キャンプの感謝反省会。
3教会からスタッフが、キャンプ後初めて集合して、
今後の展望についても話し合いました。
幸いな一時を持ちました。
でも、先週のJOYJOYキャンプでも、
ある方々は仕事を休んで、
ある方々は家族の助けをもらって、
ある方々は日本から犠牲を払って、
たくさんのスタッフが奉仕をしてくださいました。
このような一人一人の情熱があったから、
できた2つのキャンプだったと思います。
でも、それはやはり、その人自身と言うよりも、
神様からの情熱。
さっき、実家に電話をしたら、76歳になろうとしている父が、
泊まりがけで「小学生キャンプ」のスタッフをしているみたいで。
これには「参った」と思いました。
最近、子どもと一緒に何かをするよりも、
座り込んでしまうことの増えてきた自分の限界を感じ始めていただけに、
もう一度、主からの情熱を与えて頂きたいと思いました。
来年も是非、やりたいね、という話になった、小学生キャンプ。
さて、主がどのように導いてくださるか、楽しみです。
主が与えてくださった情熱に、素直に従って、行こうと思います。
さて、8月12日(水)の聖書。
第2コリント6:14-7:1
「私たちは生ける神の宮なのです。」16節。
わたしたちのうちに主が住んでくださる。
そのために、自らをきよめなさいと。
でも、本当のところは自分ががんばって掃除をするわけではない、
と言うことは聖書の他のところから明らか。
主に明け渡していくときに、
主の支配に自分自身を差し出していくときに、
きよめてくださるのは主の御業。
わたしたちのなすべきことは、
握りしめているものを手放すことであり、
主の支配を受け入れること。
奥の間の扉まで開けて、
そこも主に見て頂くこと。
頑固にこだわっていることさえ、
子どもの頃のいろんな出来事から傷さえ、
主の御手にゆだねていくこと。
主のなさることを、これからも見せて頂きたい。
神様、
あなたが私の心をあなたの住まいとしてくださることに、
心から感謝します。
どうか、私の心をきよめてください。
あなたの支配に差し出します。
私が自分の手で握りしめているものがあるならば、
それをあなたに差し出します。
どうか、あなたのものとしてください。
2009-08-17
ハリケーンシーズン到来か?
今日も暑かったです。
明日も暑いそうです。
これで3日連続90度F(約33度C)オーバーだそうです。
でも、この後の予報を見ていると、
この週末からどんどん涼しくなって、
わたしたちがアトランタから帰ってくる、来週後半には、
すっかり、秋の気配のようです。
15年前に初めて来たNJ。
8月の25日くらいだったでしょうか。
本当に涼しかったです。
今年もそんな感じですね。
そうそう、今日、今年初めてのハリケーンが大西洋に発生しました。
2つのTropical Stormも発生していて、
このさき、ちょっと目が離せない感じですね。
わたしたちの予定にもちょっと影響があるかもしれません。
JOYJOYキャンプが金曜日に終わって、
土、日、とあわただしく時を過ごして、
今日、久しぶりに日常に戻ったという感じです。
でも、あと中2日でハジを連れてアトランタに出発します。
楽しみでもありますが、
行きは5人で、帰りは4人というのは、ちょっと複雑な気持ちもします。
男4人兄弟で育った自分にとっては、
想像もできなかった、「女の中に男が一人」家庭になってしまいます。
洋式トイレで蓋が上がっていたら、「パパ使ったな」と言われる環境ですよね。
ちょっと肩身狭いかも・・・。
さて、久しぶりの「日々のみことば」。
8月11日(火)は第2コリント6:1-13でした。
「私たちは人をだます者のように見えても、真実であり・・・」8節。
これ、厳しいことですね。
真実に歩んでいるのに、人から見たら、
「この人は人を騙しているのでは・・・」と思われるなんて。
どんなにつらいことかと思います。
なげだしたくなるのでは、と思います。
そんな風に思われるなんて、
そんな風に言われるなんて、
自分は何のためにやってきたんだろうかと、
思うだろうと思います。
でも、それでもパウロは真実に主の僕として歩んだ。
それが大切なことだと思いました。
そのように生きたいと思いました。
主よ、
あなたに対して、人に対して、
真実に歩むことができますように。
どのように言われても、変わらない強さを与えてください。
明日も暑いそうです。
これで3日連続90度F(約33度C)オーバーだそうです。
でも、この後の予報を見ていると、
この週末からどんどん涼しくなって、
わたしたちがアトランタから帰ってくる、来週後半には、
すっかり、秋の気配のようです。
15年前に初めて来たNJ。
8月の25日くらいだったでしょうか。
本当に涼しかったです。
今年もそんな感じですね。
そうそう、今日、今年初めてのハリケーンが大西洋に発生しました。
2つのTropical Stormも発生していて、
このさき、ちょっと目が離せない感じですね。
わたしたちの予定にもちょっと影響があるかもしれません。
JOYJOYキャンプが金曜日に終わって、
土、日、とあわただしく時を過ごして、
今日、久しぶりに日常に戻ったという感じです。
でも、あと中2日でハジを連れてアトランタに出発します。
楽しみでもありますが、
行きは5人で、帰りは4人というのは、ちょっと複雑な気持ちもします。
男4人兄弟で育った自分にとっては、
想像もできなかった、「女の中に男が一人」家庭になってしまいます。
洋式トイレで蓋が上がっていたら、「パパ使ったな」と言われる環境ですよね。
ちょっと肩身狭いかも・・・。
さて、久しぶりの「日々のみことば」。
8月11日(火)は第2コリント6:1-13でした。
「私たちは人をだます者のように見えても、真実であり・・・」8節。
これ、厳しいことですね。
真実に歩んでいるのに、人から見たら、
「この人は人を騙しているのでは・・・」と思われるなんて。
どんなにつらいことかと思います。
なげだしたくなるのでは、と思います。
そんな風に思われるなんて、
そんな風に言われるなんて、
自分は何のためにやってきたんだろうかと、
思うだろうと思います。
でも、それでもパウロは真実に主の僕として歩んだ。
それが大切なことだと思いました。
そのように生きたいと思いました。
主よ、
あなたに対して、人に対して、
真実に歩むことができますように。
どのように言われても、変わらない強さを与えてください。
2009-08-16
あ〜あ、おわっちゃった。
今日、JOYJOYキャンプのセットをかたづけて、とうとう、終わって
しまいました。ほっとしたような、さびしいような、
PCを教会に忘れて来たので、
あとまた遅くなったので、
更新は、またあした。
しまいました。ほっとしたような、さびしいような、
PCを教会に忘れて来たので、
あとまた遅くなったので、
更新は、またあした。
2009-08-15
JOYJOYキャンプ無事終了。
今土曜日の夜ですが、
今日も暑かったです。
明日も暑いみたいです。
今頃、夏です。
皆さんのお祈りとご協力に支えられて、
JOYJOYキャンプが無事終了しました。
56人の元気な子たちが参加してくれました。
最終日はイエスの十字架の話をしました。
話の後には、十字架について質問してきた子もいました。
主が子供たちに語ってくださっていることに感謝します。
本当に楽しいキャンプでした。
連日ですが、もう遅いので、
そして、ちょっと眠いので、明日の日曜日に備えて休みます。
ではでは。
今日も暑かったです。
明日も暑いみたいです。
今頃、夏です。
皆さんのお祈りとご協力に支えられて、
JOYJOYキャンプが無事終了しました。
56人の元気な子たちが参加してくれました。
最終日はイエスの十字架の話をしました。
話の後には、十字架について質問してきた子もいました。
主が子供たちに語ってくださっていることに感謝します。
本当に楽しいキャンプでした。
連日ですが、もう遅いので、
そして、ちょっと眠いので、明日の日曜日に備えて休みます。
ではでは。
2009-08-14
JOYJOYキャンプ4日目。
昨日はJOYJOYキャンプの4日目。
急に涼しくなりました。
今日は最終日ですが、
昨日のようには行かず、夏が帰ってくることになりそうです。
昨日のJOYJOYキャンプ4日目。
ピザを子供たちが作りました。
一人一人マイピザ。
これはまあ、楽しいのなんのって、
時間を忘れて一生懸命やりました。
焼くのは大変で、次にやるときには、
近くのピザ屋のオーブンを借りなきゃいけないかなあ、
という感じですが、
その時間はピザ屋も注文さばいて忙しい最中ですよね。
昨日のお話しは、
兄弟げんかしたり、親に怒られたりして、
自分なんかいなくていいんだ、生まれなかった方がよかった、
そんなことを感じている子どもに、
そんなことはないんだ、親も愛してくれているし、
たとえ、万が一(と言うか実際はもっと確率は高いのでしょうが)
親が、愛してくれていなかったとしても、
神様は愛してくださって、あなたをこの世に送ってくださったのだ、
という話でした。
いよいよ、今日は最終日です。
主がすべてを導いてくださいますように。
さて、8月10日の月曜日。
第2コリント5:11-21を読みました。
「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」15節。
もう、わたしたちは自分のために生きるのではない。
自分のために生きるのではなくなる。
主のために生きるのだ、というのは簡単だけれども、
「自分のために生きるのではない」というのはそんなに簡単ではないなと思う。
すぐに自分のために生きる方向になりやすい。
それが自然にできるようになればいいのだけれども、
ほうっておいたらダメみたいだ。
無意識で、主のために生きているならば、
それが一番なんだろうけれども、
感謝にあふれて、自分のために生きるのはもうやめた、
と自然になるのなからいいけれども、
放っておくと、神様のために生きているつもりで、
いつの間にか、自分のために生きている、
日々、自分を捨て、自分の十字架を負って、
私に従いなさい、というイエスの言葉を思わされます。
主よ、
今日のJOYJOYキャンプで、
あなたの素晴らしさを見せてください。
あなたの救いの力を見せてください。
子供たち一人一人の心に届いてください。
そのために、私の心をあなたに向けて、
あなたのために生きる者とならせてください。
急に涼しくなりました。
今日は最終日ですが、
昨日のようには行かず、夏が帰ってくることになりそうです。
昨日のJOYJOYキャンプ4日目。
ピザを子供たちが作りました。
一人一人マイピザ。
これはまあ、楽しいのなんのって、
時間を忘れて一生懸命やりました。
焼くのは大変で、次にやるときには、
近くのピザ屋のオーブンを借りなきゃいけないかなあ、
という感じですが、
その時間はピザ屋も注文さばいて忙しい最中ですよね。
昨日のお話しは、
兄弟げんかしたり、親に怒られたりして、
自分なんかいなくていいんだ、生まれなかった方がよかった、
そんなことを感じている子どもに、
そんなことはないんだ、親も愛してくれているし、
たとえ、万が一(と言うか実際はもっと確率は高いのでしょうが)
親が、愛してくれていなかったとしても、
神様は愛してくださって、あなたをこの世に送ってくださったのだ、
という話でした。
いよいよ、今日は最終日です。
主がすべてを導いてくださいますように。
さて、8月10日の月曜日。
第2コリント5:11-21を読みました。
「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」15節。
もう、わたしたちは自分のために生きるのではない。
自分のために生きるのではなくなる。
主のために生きるのだ、というのは簡単だけれども、
「自分のために生きるのではない」というのはそんなに簡単ではないなと思う。
すぐに自分のために生きる方向になりやすい。
それが自然にできるようになればいいのだけれども、
ほうっておいたらダメみたいだ。
無意識で、主のために生きているならば、
それが一番なんだろうけれども、
感謝にあふれて、自分のために生きるのはもうやめた、
と自然になるのなからいいけれども、
放っておくと、神様のために生きているつもりで、
いつの間にか、自分のために生きている、
日々、自分を捨て、自分の十字架を負って、
私に従いなさい、というイエスの言葉を思わされます。
主よ、
今日のJOYJOYキャンプで、
あなたの素晴らしさを見せてください。
あなたの救いの力を見せてください。
子供たち一人一人の心に届いてください。
そのために、私の心をあなたに向けて、
あなたのために生きる者とならせてください。
2009-08-12
JOYJOYキャンプ3日目。
今日はずいぶん楽になりました。
涼しくなって、今は夜の11時前ですが、22.4度。
明日も涼しいようです。
助かります。
今日はJOYJOYキャンプの3日目。
今日のお話はゆるしの話。
仕返しをしたら、スッキリするのではなくて、
もやもやしてしまう、
本当にスッキリするためには赦すことが大切。
でも、そのためには自分が神様から赦されている、
ということを知って、感謝することが秘訣、
という話でした。
子供たちに話ながら、
自分自身のことを語られているように感じていた
大人は、私だけではなかったと思います。
今日はサッカーがなかったので、ちょっと寂しかったかな。
あと2日。もう半分を過ぎてしまった。
さて、8月9日(日)の聖書。
第2コリント4:16-5:10でした。
「そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。」5章9節
主に喜ばれることを求める。
この肉体に生きているときにも、
この世を去ったときにも。
この文章で大切なのは、主に喜ばれることであり、
生きるか死ぬかということはそれほど大切ではなくなる。
主と共に歩むときに起こる不思議なことだと思う。
普通は大きな違いであるはずの、
生きることと死ぬこととの間の対比がなくなり、
ただ、神と共に生きるかどうか
それが問われていくのだと思う。
このような祈りの中に、いつもいつも身を置いていたい。
主と共に歩む喜びに歩んでいく者でありたい。
主よ、
あなたが共にいてくださること、
その力を経験させてください。
あなたと共に歩む喜びの中に歩ませてください。
涼しくなって、今は夜の11時前ですが、22.4度。
明日も涼しいようです。
助かります。
今日はJOYJOYキャンプの3日目。
今日のお話はゆるしの話。
仕返しをしたら、スッキリするのではなくて、
もやもやしてしまう、
本当にスッキリするためには赦すことが大切。
でも、そのためには自分が神様から赦されている、
ということを知って、感謝することが秘訣、
という話でした。
子供たちに話ながら、
自分自身のことを語られているように感じていた
大人は、私だけではなかったと思います。
今日はサッカーがなかったので、ちょっと寂しかったかな。
あと2日。もう半分を過ぎてしまった。
さて、8月9日(日)の聖書。
第2コリント4:16-5:10でした。
「そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。」5章9節
主に喜ばれることを求める。
この肉体に生きているときにも、
この世を去ったときにも。
この文章で大切なのは、主に喜ばれることであり、
生きるか死ぬかということはそれほど大切ではなくなる。
主と共に歩むときに起こる不思議なことだと思う。
普通は大きな違いであるはずの、
生きることと死ぬこととの間の対比がなくなり、
ただ、神と共に生きるかどうか
それが問われていくのだと思う。
このような祈りの中に、いつもいつも身を置いていたい。
主と共に歩む喜びに歩んでいく者でありたい。
主よ、
あなたが共にいてくださること、
その力を経験させてください。
あなたと共に歩む喜びの中に歩ませてください。
2009-08-11
JOYJOYキャンプ2日目。
今日も暑かったです。
少しは昨日よりもましになる話だったのですが、
余り違いはなかったように感じます。
明日は30度までいかない予報が出ているので、
ちょっと期待していますが、さてどうなることか。
さて、今日はユキの15回目の誕生日。
15年前のことを思い出していました。
その夏はとても暑い夏で、本当にきつかっただろうな、と思います、のんち。
アトランタの大学(今度ハジが行く大学)の神学校を卒業して、
ニュージャージーの大学の大学院にはまだ入っていない、
というタイミングでの出産。
居場所がなくて、日本での出産になりました。
ここまで守られたことに感謝。
というか、ここまで育ってくれて、親としては感無量。
キャンプがすべて一段落した9時頃から繰り出しました。
帰ってきたら、もうみんなバタンキューです。
そして、今日のJOYJOYキャンプ。
これはまた楽しかったですね。
JOYJOYキャンプ史上初めてという
クッキングタイムに挑戦。
いかに衛生的に子供たちにクッキングをさせるか、
神経質すぎるくらい、気をつけて、やりました。
でも、楽しかったですよ。ホントに。
みんなでご飯を作るって、すごいたのしい。
今日のお話は、トップモデルにあこがれていた娘さんの話。
実現しても心が満たされなかった。
それを満たすのはイエスさまなんだよ、というメッセージでした。
実話を元にして話をしたのですが、
8/1のブログの記事に入れたモデルさんのビデオと、
もう一つ、元ロックスターのビデオ。
こちらです。
今回のJOYJOYキャンプもスタッフのかなりの方々は、
仕事を休んで、また夏休みを使って、
このキャンプのスタッフをされています。
明日は、日本から夏休みを使って来てくれるスタッフが到着予定。
皆さんの犠牲の愛に心から感謝。
さて、8月8日(土)の聖書。
土曜日は、第2コリント4:7-15
「それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」10節。
イエスの命、イエスを復活させた神の力がわたしのうちに働いている。
ああ、そうだなあ、支えられているなあ、と思います。
でも、イエスの復活の力が働いているとしたら、
それはちょっと「元気が与えられた」という程度ではすまないのだと思います。
もうだめだ、というところに、
全く見込みがないようなところに、
力が与えられて、元気が与えられて、
歩んでいくことができる。
それがイエスを復活させた神の力だと思います。
明日もその力に満たして頂きたい、
そのように思わされました。
主よ、
あなたの力を満たしてください。
イエスを復活させたあなたの力を満たしてください。
あなたがいてくださるから、ありがとうございます。
少しは昨日よりもましになる話だったのですが、
余り違いはなかったように感じます。
明日は30度までいかない予報が出ているので、
ちょっと期待していますが、さてどうなることか。
さて、今日はユキの15回目の誕生日。
15年前のことを思い出していました。
その夏はとても暑い夏で、本当にきつかっただろうな、と思います、のんち。
アトランタの大学(今度ハジが行く大学)の神学校を卒業して、
ニュージャージーの大学の大学院にはまだ入っていない、
というタイミングでの出産。
居場所がなくて、日本での出産になりました。
ここまで守られたことに感謝。
というか、ここまで育ってくれて、親としては感無量。
キャンプがすべて一段落した9時頃から繰り出しました。
帰ってきたら、もうみんなバタンキューです。
そして、今日のJOYJOYキャンプ。
これはまた楽しかったですね。
JOYJOYキャンプ史上初めてという
クッキングタイムに挑戦。
いかに衛生的に子供たちにクッキングをさせるか、
神経質すぎるくらい、気をつけて、やりました。
でも、楽しかったですよ。ホントに。
みんなでご飯を作るって、すごいたのしい。
今日のお話は、トップモデルにあこがれていた娘さんの話。
実現しても心が満たされなかった。
それを満たすのはイエスさまなんだよ、というメッセージでした。
実話を元にして話をしたのですが、
8/1のブログの記事に入れたモデルさんのビデオと、
もう一つ、元ロックスターのビデオ。
こちらです。
今回のJOYJOYキャンプもスタッフのかなりの方々は、
仕事を休んで、また夏休みを使って、
このキャンプのスタッフをされています。
明日は、日本から夏休みを使って来てくれるスタッフが到着予定。
皆さんの犠牲の愛に心から感謝。
さて、8月8日(土)の聖書。
土曜日は、第2コリント4:7-15
「それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」10節。
イエスの命、イエスを復活させた神の力がわたしのうちに働いている。
ああ、そうだなあ、支えられているなあ、と思います。
でも、イエスの復活の力が働いているとしたら、
それはちょっと「元気が与えられた」という程度ではすまないのだと思います。
もうだめだ、というところに、
全く見込みがないようなところに、
力が与えられて、元気が与えられて、
歩んでいくことができる。
それがイエスを復活させた神の力だと思います。
明日もその力に満たして頂きたい、
そのように思わされました。
主よ、
あなたの力を満たしてください。
イエスを復活させたあなたの力を満たしてください。
あなたがいてくださるから、ありがとうございます。
2009-08-10
JOYJOYキャンプ初日。
今日は暑かったです。
午後2時~2時半、希望者だけ、
近くのグランドに行ってサッカーだったのですが、
めちゃくちゃ暑かったです。
夜も、8時頃まではかなり暑かったですが、
今、夜の11時前で、23.7度。
ずいぶん下がってきました。
明日は、また30度は超えますが、
まあ、今日ほどではない予報が出ています。
さて、今日から、JOYJOYキャンプが始まりました。
今年は56人の元気なみんなが来てくれました。
初日から全員集合。
やはり教会のジムにできたトンネル迷路には、
子供たちが殺到、長蛇の列です。
その姿を見るたびに、ホントに、「してやったり」という気持ちになります。
そして、キャンプでは必ず神様の話をします。
今日は英語ができなくてなかなか友だちもできない子が、
神様が共にいてくださるから、と勇気を出して、歩み出す話です。
最後に、勇気を出して、英語で話しかけるのですが、
それでもうまくいかないけど、でも、落ち込まないで歩み続ける、
それがミソでしたね。
どうしても、勇気を出せばうまくいく、という展開にしたくなるところですが、
うまくいかなくても、大丈夫、というのが、みことばの力だと思いました。
子供たちの中にも、人ごととは思えなくて、一生懸命聞いていた子が結構いました。
オリジナルでお話しを考えてくださる教会学校の先生方にこころから感謝。
さて、ちょっと久しぶりの更新。
金曜日、8月7日の聖書。
金曜日はコリント第2の手紙4章1-6節。
「私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。」5節。
もう一度、自分たちの目的、自分たちの働きの目的を再確認させられる聖書の箇所でした。
わたしたちは自分自身ではなく、イエスがあがめられるために、
イエスが注目されるために働きをしています。
自分の話し方や、自分のしたことではなく、
神様の素晴らしさが、イエスの救いの素晴らしさが子供たちに残ればいい。
いや、子供たちだけではないのですが、
今は頭の中が、JOYJOYモードなので、
こどもたちなんですがね、
でも、子供たちだけではなくて、
すべての人の目に、神様の素晴らしさが残るような、
そんな働きをしたいと思います。
そのような働きに集中したいと思います。
主よ、
あなたの素晴らしさを覚えます。
ただ、あなたのことを、あなたの素晴らしさを、
伝える器として、用いてください。
今日から5日間のJOYJOYキャンプで、
子供たちのこころに、神様の素晴らしさが残りますように。
午後2時~2時半、希望者だけ、
近くのグランドに行ってサッカーだったのですが、
めちゃくちゃ暑かったです。
夜も、8時頃まではかなり暑かったですが、
今、夜の11時前で、23.7度。
ずいぶん下がってきました。
明日は、また30度は超えますが、
まあ、今日ほどではない予報が出ています。
さて、今日から、JOYJOYキャンプが始まりました。
今年は56人の元気なみんなが来てくれました。
初日から全員集合。
やはり教会のジムにできたトンネル迷路には、
子供たちが殺到、長蛇の列です。
その姿を見るたびに、ホントに、「してやったり」という気持ちになります。
そして、キャンプでは必ず神様の話をします。
今日は英語ができなくてなかなか友だちもできない子が、
神様が共にいてくださるから、と勇気を出して、歩み出す話です。
最後に、勇気を出して、英語で話しかけるのですが、
それでもうまくいかないけど、でも、落ち込まないで歩み続ける、
それがミソでしたね。
どうしても、勇気を出せばうまくいく、という展開にしたくなるところですが、
うまくいかなくても、大丈夫、というのが、みことばの力だと思いました。
子供たちの中にも、人ごととは思えなくて、一生懸命聞いていた子が結構いました。
オリジナルでお話しを考えてくださる教会学校の先生方にこころから感謝。
さて、ちょっと久しぶりの更新。
金曜日、8月7日の聖書。
金曜日はコリント第2の手紙4章1-6節。
「私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。」5節。
もう一度、自分たちの目的、自分たちの働きの目的を再確認させられる聖書の箇所でした。
わたしたちは自分自身ではなく、イエスがあがめられるために、
イエスが注目されるために働きをしています。
自分の話し方や、自分のしたことではなく、
神様の素晴らしさが、イエスの救いの素晴らしさが子供たちに残ればいい。
いや、子供たちだけではないのですが、
今は頭の中が、JOYJOYモードなので、
こどもたちなんですがね、
でも、子供たちだけではなくて、
すべての人の目に、神様の素晴らしさが残るような、
そんな働きをしたいと思います。
そのような働きに集中したいと思います。
主よ、
あなたの素晴らしさを覚えます。
ただ、あなたのことを、あなたの素晴らしさを、
伝える器として、用いてください。
今日から5日間のJOYJOYキャンプで、
子供たちのこころに、神様の素晴らしさが残りますように。
いよいよJOYJOYキャンプ。
いやあ、更新出来ませんねえ。
日曜日はできるかと思ったのですが、
また12時を過ぎてしまって、
もう、睡魔に負けてしまいます。
で、いよいよあと10時間ほどでJOYJOYキャンプが始まります。
さて、今年も元気なみんなの歓声があふれるでしょうか!
外では雷がゴロゴロ言っています。
今日は熱波で暑くなる予報が出ています。
今夜元気だったら、久しぶりの更新、できるかも・・・。
日曜日はできるかと思ったのですが、
また12時を過ぎてしまって、
もう、睡魔に負けてしまいます。
で、いよいよあと10時間ほどでJOYJOYキャンプが始まります。
さて、今年も元気なみんなの歓声があふれるでしょうか!
外では雷がゴロゴロ言っています。
今日は熱波で暑くなる予報が出ています。
今夜元気だったら、久しぶりの更新、できるかも・・・。
2009-08-07
助っ人到着+熱波到来
今日はもうしんどいので、明日に備えて寝ますが、
JOYJOY助っ人NO1が、先ほど到着。
本人は時差ぼけで大変だと思いますが、こちらは助かります。
助っ人NO2は、来週到着予定。
そして、熱波もやってきます。
月曜日はこの夏一番の暑さになりそうです。
JOYJOYキャンプも負けずに熱くなります。
でも、今夜はもう休みます。
JOYJOY助っ人NO1が、先ほど到着。
本人は時差ぼけで大変だと思いますが、こちらは助かります。
助っ人NO2は、来週到着予定。
そして、熱波もやってきます。
月曜日はこの夏一番の暑さになりそうです。
JOYJOYキャンプも負けずに熱くなります。
でも、今夜はもう休みます。
2009-08-06
熱波到来・・・か。
今日はもっともっと「秋の気配」かと思いましたが、
「ちょっとさわやかな夏の日」で終わってしまいましたね。
今は夜の11時ですが、19度くらいです。
明日の朝は13-4度くらいでしょう。
さて、熱波が今、テキサスの南の方に来ています。
日が暮れても気温がまだ35度くらいあります。
その熱波の一部がこちらの方にまでやってくる可能性があります。
さすがに夜で35度はないでしょうが、
昼間で34度くらいが予想されています。
普通の年だと、「熱波」とまでは言わないかもしれませんが、
今年は今までそれほど暑い日がなかった分、
すごく暑く感じるかもしれません。
その熱波が来るのが、何と「月曜日」。
JOYJOYキャンプの初日です。
何とか、それほどひどくなりませんように。
さて、先週、今週と2週続けて、
木曜日の夜は英語で話をするチャンスが・・・。
「もっともっと英語にチャレンジ」、
今後の目標です。
今夜は日本語の全くわからない方と、
神様の話をすることになりました。
でも、話している中で、言葉のコミュニケーションは不十分でも、
心が触れあっていくのを感じました。
神様が助けてくださっていること、
神様が語ってくださっていることを感じました。
こちらに来てからも、サンディエゴ、アトランタ、そしてニュージャージーと、
ずっと日本語教会で信仰生活を送っています。
でも、実を言うと、ニュージャージーに来たばかりの時、
本当に英語の教会にするか、日本語の教会にするか、迷ったときがありました。
日本語教会は住んでいるところから40分。
英語の教会で、「続けて通ってみようかな」と思ったところは、
車で5分以内。
そして、何よりも、この英語の教会の方々に本当に歓迎されていることを感じていました。
また、メッセージも単純なメッセージで、英語なので完全にはわからない中でも、
心に届くものを感じていました。
最終的に、使命を感じて、日本語教会に通うようになったのですが、
とてもいい経験をさせて頂きました。
そう、日本語教会に通うようになってからも、
Super Bowl Sundayとか、夜に誘ってもらって、
Pastorの家のパーティーに伺ったこともありました。
ですから、本当に言葉も大切ですが、
言葉を超えるものの大切さを思わされます。
ですから、今日お会いした方にも、私の言葉が不十分でも、
神様が語ってくださいますように。
みことばが心にとどまり、その心を動かしてくださいますように。
さて、今日の聖書。
今日は第2コリント3:12-18
「 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」18節
昔、モーセが神の前に出た後に、
人々のところに帰ってきたときに、
人々はモーセの顔が輝いているのに気がつきました。
そして、その顔があまりにまぶしいので、
モーセは人々の前に出るときには、
顔おおいをした、ということが旧約聖書に出てきます。
そのことを引用して、パウロは言っています。
わたしたちはどんなに神の栄光に輝いていても、
顔おおいをかける必要はないと。
もっともっと神との関係で、輝いて、
造りかえられて、そして、出ていく、
人々のところに出ていく、
それを神様に求められていることを感じました。
だいたい、輝いているかどうかも、問題ですが、
たとえ、輝いていたとしても、
それを隠す必要はないと。
いや、逆に現わしていきなさいと。
だから、まず、神様との関係で、
もっともっと満たして頂きたいと思いました。
もっともっと喜びにあふれて歩むことができますように。
そして、それを周りの人々にも、伝えていくことができますように。
かみさま、
あなたの輝きを私に与えてください。
そして、私が何をするわけでもないのに、
あなたの輝きを表していく者となれますように。
「もっと輝こう」と肩に力を入れても、
輝くはずはないですよね。
あなたの輝きを与えてください。
「ちょっとさわやかな夏の日」で終わってしまいましたね。
今は夜の11時ですが、19度くらいです。
明日の朝は13-4度くらいでしょう。
さて、熱波が今、テキサスの南の方に来ています。
日が暮れても気温がまだ35度くらいあります。
その熱波の一部がこちらの方にまでやってくる可能性があります。
さすがに夜で35度はないでしょうが、
昼間で34度くらいが予想されています。
普通の年だと、「熱波」とまでは言わないかもしれませんが、
今年は今までそれほど暑い日がなかった分、
すごく暑く感じるかもしれません。
その熱波が来るのが、何と「月曜日」。
JOYJOYキャンプの初日です。
何とか、それほどひどくなりませんように。
さて、先週、今週と2週続けて、
木曜日の夜は英語で話をするチャンスが・・・。
「もっともっと英語にチャレンジ」、
今後の目標です。
今夜は日本語の全くわからない方と、
神様の話をすることになりました。
でも、話している中で、言葉のコミュニケーションは不十分でも、
心が触れあっていくのを感じました。
神様が助けてくださっていること、
神様が語ってくださっていることを感じました。
こちらに来てからも、サンディエゴ、アトランタ、そしてニュージャージーと、
ずっと日本語教会で信仰生活を送っています。
でも、実を言うと、ニュージャージーに来たばかりの時、
本当に英語の教会にするか、日本語の教会にするか、迷ったときがありました。
日本語教会は住んでいるところから40分。
英語の教会で、「続けて通ってみようかな」と思ったところは、
車で5分以内。
そして、何よりも、この英語の教会の方々に本当に歓迎されていることを感じていました。
また、メッセージも単純なメッセージで、英語なので完全にはわからない中でも、
心に届くものを感じていました。
最終的に、使命を感じて、日本語教会に通うようになったのですが、
とてもいい経験をさせて頂きました。
そう、日本語教会に通うようになってからも、
Super Bowl Sundayとか、夜に誘ってもらって、
Pastorの家のパーティーに伺ったこともありました。
ですから、本当に言葉も大切ですが、
言葉を超えるものの大切さを思わされます。
ですから、今日お会いした方にも、私の言葉が不十分でも、
神様が語ってくださいますように。
みことばが心にとどまり、その心を動かしてくださいますように。
さて、今日の聖書。
今日は第2コリント3:12-18
「 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」18節
昔、モーセが神の前に出た後に、
人々のところに帰ってきたときに、
人々はモーセの顔が輝いているのに気がつきました。
そして、その顔があまりにまぶしいので、
モーセは人々の前に出るときには、
顔おおいをした、ということが旧約聖書に出てきます。
そのことを引用して、パウロは言っています。
わたしたちはどんなに神の栄光に輝いていても、
顔おおいをかける必要はないと。
もっともっと神との関係で、輝いて、
造りかえられて、そして、出ていく、
人々のところに出ていく、
それを神様に求められていることを感じました。
だいたい、輝いているかどうかも、問題ですが、
たとえ、輝いていたとしても、
それを隠す必要はないと。
いや、逆に現わしていきなさいと。
だから、まず、神様との関係で、
もっともっと満たして頂きたいと思いました。
もっともっと喜びにあふれて歩むことができますように。
そして、それを周りの人々にも、伝えていくことができますように。
かみさま、
あなたの輝きを私に与えてください。
そして、私が何をするわけでもないのに、
あなたの輝きを表していく者となれますように。
「もっと輝こう」と肩に力を入れても、
輝くはずはないですよね。
あなたの輝きを与えてください。
2009-08-05
何が「あまりにも過酷」?
今日の雷雨は、家の方では、
ちょっと雨がパラパラ程度。
大したことありませんでした。
昼間は33度くらいまで上がり、
暑い一日になりました。
そして、夜になったら、涼しくなってきましたが、
明日は「秋の気配」の一日です。
昼間が25度くらい。夜は15度くらい。
ちょうど9月半ばの気温です。
先週の週末、NY州の高速道路で、
女の人が運転していた車が反対方向に走って、
他の車と正面衝突、その女性と娘、親戚の女の子3人、
そして、相手の車の男性3人の合計双方で8人が亡くなる、
という痛ましい事故がありました。
その運転者の体から、高濃度のアルコールと、
マリファナが見つかったそうです。
もちろん、まだ捜査の途中のことなので、
予断は禁物ですが、
恐ろしいことですね。
今夜、無事免許の取れたハジの隣に乗って、
ちょっと高速を走ってきましたが、
突然対向車が来て、相手が酔っぱらっていた上にハイになっていた、
なんていったら、目も当てられません、というか、
何もできません。
3人の男性のご家族はどんなに悔しい思いでしょうか?
そんなニュースを聞いた後で見た、
日本のニュース。
福岡県で3年前に学校の先生が、
酒を飲んで運転して、真夜中に他の車とトラブルになって、
警察に呼び出されて、翌朝受けた血中濃度検査で0.07MG/Lのアルコールが検出されたため、
懲戒免職になったのを、「不当な処分だ!」と訴えていた裁判の、高裁判決。
なんと、地裁もそうだったそうですが、高裁でも原告勝訴だそうです。
つまり、これくらいのことで懲戒免職するのは不当だ!と裁判所も言ったというから驚き。
「飲んだら乗るな」って、原則じゃなくて、鉄則じゃないんでしょうかね。
判決は「それくらいで免職はあまりにも過酷」だそうです。「社会通念上」そうだそうです。
みんながやっているんだから、いいじゃないか、ということでしょうか?
それくらい赦してやるのが普通だとみんなが思っているから、そうすべき、なんでしょうか?
「酒気帯び運転にならない程度のアルコールを保有した状態で運転したに過ぎない」って、何それ。
検査をしたのは翌朝ですよねえ。
酒気帯びで事故を起こしたときは、そこに残って、検査を受けて、酒気帯び運転での事故の責任を危険運転致死傷罪に問われるよりも、ひき逃げで逃げて、後で捕まった方が、酒気帯びの証拠をとられないので、まだ処分が軽い、みたいな感覚があるとも聞いたことがあります。
なんか思い出して、調べてみたら、去年の12月にも同じようなことを言っていますね。
去年の12月7日のブログ。
ああ、読み返してみたら、また腹が立ってきました。
同じようなことを繰り返し言うのも、年をとった証拠かもしれませんが、
これは、何と言われてもかまいません。
とっても不愉快です。「それくらいで、・・・」という「社会通念」が異常です。
酒飲んで運転しておいて、「自分の権利が・・・」という感覚がわかりません。
今回のNYの事故、本当に痛ましいことですが、
これによって、アメリカの「社会通念」も、この点に関して、
もっとはっきりとしたものになって欲しいものです。
さて、今日の聖書。
今日は第2コリント3章1-11節。
「何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。」5節。
わたしたちはどれほど簡単にここに陥ってしまうことでしょうか。
いや、これは私には関係ない、という方々はいいですね。
でも、私はこのような言葉を読むと、主に感謝します。
このような言葉を持って、語ってくださった、注意をしてくださった、
戒めてくださった主に感謝します。
主が与えてくださる働きに感謝します。
今日も夜一人の若者とお話しをさせて頂いている中で、
彼が日曜日のメッセージをまっすぐに受け取って、
今取り組んでいることを分かち合ってくださいました。
主が与えてくださる働きに感謝します。
神様がそこに出会わせてくださっていること、
神様がみことばを与えてくださっていること、
そして、そのみことばを必要している人がそこに送られてきたこと。
すべて主の御手の中に与えられていることと感じ、
感謝します。
主よ、
あなたの与えてくださる戒めに感謝します。
あなたの与えてくださる出会いに感謝します。
あなたの与えてくださるみことばに感謝します。
あなたの御手の中で生きるものであり続けられますように。
ちょっと雨がパラパラ程度。
大したことありませんでした。
昼間は33度くらいまで上がり、
暑い一日になりました。
そして、夜になったら、涼しくなってきましたが、
明日は「秋の気配」の一日です。
昼間が25度くらい。夜は15度くらい。
ちょうど9月半ばの気温です。
先週の週末、NY州の高速道路で、
女の人が運転していた車が反対方向に走って、
他の車と正面衝突、その女性と娘、親戚の女の子3人、
そして、相手の車の男性3人の合計双方で8人が亡くなる、
という痛ましい事故がありました。
その運転者の体から、高濃度のアルコールと、
マリファナが見つかったそうです。
もちろん、まだ捜査の途中のことなので、
予断は禁物ですが、
恐ろしいことですね。
今夜、無事免許の取れたハジの隣に乗って、
ちょっと高速を走ってきましたが、
突然対向車が来て、相手が酔っぱらっていた上にハイになっていた、
なんていったら、目も当てられません、というか、
何もできません。
3人の男性のご家族はどんなに悔しい思いでしょうか?
そんなニュースを聞いた後で見た、
日本のニュース。
福岡県で3年前に学校の先生が、
酒を飲んで運転して、真夜中に他の車とトラブルになって、
警察に呼び出されて、翌朝受けた血中濃度検査で0.07MG/Lのアルコールが検出されたため、
懲戒免職になったのを、「不当な処分だ!」と訴えていた裁判の、高裁判決。
なんと、地裁もそうだったそうですが、高裁でも原告勝訴だそうです。
つまり、これくらいのことで懲戒免職するのは不当だ!と裁判所も言ったというから驚き。
「飲んだら乗るな」って、原則じゃなくて、鉄則じゃないんでしょうかね。
判決は「それくらいで免職はあまりにも過酷」だそうです。「社会通念上」そうだそうです。
みんながやっているんだから、いいじゃないか、ということでしょうか?
それくらい赦してやるのが普通だとみんなが思っているから、そうすべき、なんでしょうか?
「酒気帯び運転にならない程度のアルコールを保有した状態で運転したに過ぎない」って、何それ。
検査をしたのは翌朝ですよねえ。
酒気帯びで事故を起こしたときは、そこに残って、検査を受けて、酒気帯び運転での事故の責任を危険運転致死傷罪に問われるよりも、ひき逃げで逃げて、後で捕まった方が、酒気帯びの証拠をとられないので、まだ処分が軽い、みたいな感覚があるとも聞いたことがあります。
なんか思い出して、調べてみたら、去年の12月にも同じようなことを言っていますね。
去年の12月7日のブログ。
ああ、読み返してみたら、また腹が立ってきました。
同じようなことを繰り返し言うのも、年をとった証拠かもしれませんが、
これは、何と言われてもかまいません。
とっても不愉快です。「それくらいで、・・・」という「社会通念」が異常です。
酒飲んで運転しておいて、「自分の権利が・・・」という感覚がわかりません。
今回のNYの事故、本当に痛ましいことですが、
これによって、アメリカの「社会通念」も、この点に関して、
もっとはっきりとしたものになって欲しいものです。
さて、今日の聖書。
今日は第2コリント3章1-11節。
「何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。」5節。
わたしたちはどれほど簡単にここに陥ってしまうことでしょうか。
いや、これは私には関係ない、という方々はいいですね。
でも、私はこのような言葉を読むと、主に感謝します。
このような言葉を持って、語ってくださった、注意をしてくださった、
戒めてくださった主に感謝します。
主が与えてくださる働きに感謝します。
今日も夜一人の若者とお話しをさせて頂いている中で、
彼が日曜日のメッセージをまっすぐに受け取って、
今取り組んでいることを分かち合ってくださいました。
主が与えてくださる働きに感謝します。
神様がそこに出会わせてくださっていること、
神様がみことばを与えてくださっていること、
そして、そのみことばを必要している人がそこに送られてきたこと。
すべて主の御手の中に与えられていることと感じ、
感謝します。
主よ、
あなたの与えてくださる戒めに感謝します。
あなたの与えてくださる出会いに感謝します。
あなたの与えてくださるみことばに感謝します。
あなたの御手の中で生きるものであり続けられますように。
2009-08-04
暑い夏の日に。
今日も朝から晴れました。
でも、空気はもやっていました。
そう、蒸し暑かったです。
今は夜の11時20分頃、
8時頃はまだまだ蒸し暑かったですが、
さっきからちょっと涼しくなってきました。
それでも、まだ25度あります。
そんな暑い日の夕方、
JOYJOYキャンプの買い出しのために、
Restaurant Depotに行ってきました。
ここは、卸屋さんで、
「素人さんお断り」というか、
Not Open for the Publicです。
つまり業者さんしか入れないのです。
私も個人としては入れませんが、
教会でメンバーシップ(無料)を作って、
去年から入れるようになりました。
レストランを作るために必要なものがいろいろ売っています。
シェフの服も、あの高い帽子も、売っています。
表のサインも、食器も、
そして、食材もいろいろ・・・。
そして、食材売り場の半分は巨大な冷蔵庫の中です。
これがその中の写真。
小さくて見えにくいかもしれませんが、
奥の方にいる人は厚手のジャケットを着ています。
一瞬はいるなら、半袖でも大丈夫ですが、
5分以上いるなら、ジャケットは必須です。
このセクションの入り口には備え付けのジャケットも置いてあります。
でも、空気はもやっていました。
そう、蒸し暑かったです。
今は夜の11時20分頃、
8時頃はまだまだ蒸し暑かったですが、
さっきからちょっと涼しくなってきました。
それでも、まだ25度あります。
そんな暑い日の夕方、
JOYJOYキャンプの買い出しのために、
Restaurant Depotに行ってきました。
ここは、卸屋さんで、
「素人さんお断り」というか、
Not Open for the Publicです。
つまり業者さんしか入れないのです。
私も個人としては入れませんが、
教会でメンバーシップ(無料)を作って、
去年から入れるようになりました。
レストランを作るために必要なものがいろいろ売っています。
シェフの服も、あの高い帽子も、売っています。
表のサインも、食器も、
そして、食材もいろいろ・・・。
そして、食材売り場の半分は巨大な冷蔵庫の中です。
これがその中の写真。
小さくて見えにくいかもしれませんが、
奥の方にいる人は厚手のジャケットを着ています。
一瞬はいるなら、半袖でも大丈夫ですが、
5分以上いるなら、ジャケットは必須です。
このセクションの入り口には備え付けのジャケットも置いてあります。
私はコスチューム担当、
のんちは食材・食器担当で、
かなり目的のものを買ってくることができました。
感謝。
JOYJOYキャンプまであと5日。
今日の聖書。
今日は第2コリント2章12-17節。
「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。」14節。
神様がわたしたちをキリストによる勝利の行列に入れてくださる、
ということが書かれていて、「それはうれしいなあ」と思っていたのですが、
この前後関係では、パウロが伝道旅行をしている、
その様子が、「キリストによる勝利の行列」と現われていることを知りました。
わたしたちが神様のことを伝えて歩いているのが、
勝利の行列なんですね。
今日も、たくさんの新しい方が来られました。
本当にうれしかったですが、
また、それと共に、わたしたちが本当に福音に生きていることの大切さを思わされます。
言葉ではなく、表面的なことではなく、
本当にみことばに生かされていることの大切さを思わされます。
でも、不十分な私でも、主は用いてくださることを、
信頼して・・・。
主よ、
どうか、あなたの香りを放つ者とならせてください。
あなたのことをもっともっと伝えさせてください。
あなたの素晴らしさを現わしてください。
明日はまた雷雨です。
裁判員制度始まりましたね。
今日は朝からいい天気でした。
気温も上がりましたが、
それほど蒸し暑くなく、
気持ちのいい夏の日でした。
今回は、もう1日、いい天気が続きそうです。
明日は33度くらいまで上がりそうです。
来週のJOYJOYキャンプの時は、
もう少し涼しいのを期待します。
「今週後半から秋の気配・・・」との、
大胆予報、どうなるでしょうか?
今朝、日本のニュースを見ていたら、
裁判員制度がものすごく注目されているようですね。
こちらには陪審制度がありますが、
米国籍がないので、時々手紙が来ても、
「国籍ありませんよ~」で送れば、出頭義務はありません。
ですから、ほんと、脳天気に生きているのですが、
もしも、選ばれたら、いろいろ考えさせられるでしょうね。
つまり、わたしたちは、普段は、
誰か他の人に、問題のある人を裁いてもらって、
自分はその責任から逃げているんですよね。
殺人事件などのニュースを聞いて、
「なんてひどいこと・・・」と思いながら、
心で裁きながら、でも、実際は裁く場から、自分は逃げている。
「死刑」宣告などはしなくていい。
法務大臣が死刑執行にサインをしすぎている・・・みたいな、
評価がされているのを読んだりしても、
「じゃあ、自分だったらどうするのか・・・」と聞かれたら、
頭を抱え込んでしまう。
死刑判決を受けた人がそのまま何年もそのまま守られて生きていく、
それでいいのか・・・。
死刑にも関わらないで、外側にいて、
そして、そこにサインをしなければいけない当事者の、
苦悩にまで心が及ばない。
実際の運用面でのいろいろな問題はわかりませんが、
原理原則として、
そのようなことごとから逃げないで、
国民の責任として、「罪を裁く」ということを受け取るために、
実は、私はこの制度はいい方向に日本の国を導いていってくれるのではないかと期待しています。
そんなことを考えると、日本の国籍をもちながら、
アメリカに住んでいる、ということの半端さを感じさせられました。
ちょうどあと半年でその気になれば国籍が取れる(いや、保証はありませんが)という立場になると、
ますます、いろいろ考えさせられるだろうなあ、と思います。
さて、今日の聖書。
今日は第2コリント1:23-2:11。
「私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。」2章4節。
caring enough to confront 対決するほど愛する
そのことを思い出しました。
私自身、対決してくれた人を、自分を愛してくれた人として受け入れているだろうか、
私自身、対決するほどちゃんと人を大切に思っているだろうか、
問われたように感じました。
波風を立てないで歩んでいくのはある意味易しいかもしれません。
楽しいことだけに目を向けていけば、Happyかもしれません。
でも、それはあまりに無責任。
そこまで愛する愛を与えてほしいと思いました。
また、あえて対決してくれる人がいたときに、
それを愛として、感謝して受け止めることができる大きさを、
与えてほしいと思いました。
神さま、
あなたの愛を与えてください。
受け入れる愛、受け入れるが故に対決すべき時には対決する愛。
自分も対決してもらったときに、感謝出来る愛。
あなたの愛を私に与えてください。
気温も上がりましたが、
それほど蒸し暑くなく、
気持ちのいい夏の日でした。
今回は、もう1日、いい天気が続きそうです。
明日は33度くらいまで上がりそうです。
来週のJOYJOYキャンプの時は、
もう少し涼しいのを期待します。
「今週後半から秋の気配・・・」との、
大胆予報、どうなるでしょうか?
今朝、日本のニュースを見ていたら、
裁判員制度がものすごく注目されているようですね。
こちらには陪審制度がありますが、
米国籍がないので、時々手紙が来ても、
「国籍ありませんよ~」で送れば、出頭義務はありません。
ですから、ほんと、脳天気に生きているのですが、
もしも、選ばれたら、いろいろ考えさせられるでしょうね。
つまり、わたしたちは、普段は、
誰か他の人に、問題のある人を裁いてもらって、
自分はその責任から逃げているんですよね。
殺人事件などのニュースを聞いて、
「なんてひどいこと・・・」と思いながら、
心で裁きながら、でも、実際は裁く場から、自分は逃げている。
「死刑」宣告などはしなくていい。
法務大臣が死刑執行にサインをしすぎている・・・みたいな、
評価がされているのを読んだりしても、
「じゃあ、自分だったらどうするのか・・・」と聞かれたら、
頭を抱え込んでしまう。
死刑判決を受けた人がそのまま何年もそのまま守られて生きていく、
それでいいのか・・・。
死刑にも関わらないで、外側にいて、
そして、そこにサインをしなければいけない当事者の、
苦悩にまで心が及ばない。
実際の運用面でのいろいろな問題はわかりませんが、
原理原則として、
そのようなことごとから逃げないで、
国民の責任として、「罪を裁く」ということを受け取るために、
実は、私はこの制度はいい方向に日本の国を導いていってくれるのではないかと期待しています。
そんなことを考えると、日本の国籍をもちながら、
アメリカに住んでいる、ということの半端さを感じさせられました。
ちょうどあと半年でその気になれば国籍が取れる(いや、保証はありませんが)という立場になると、
ますます、いろいろ考えさせられるだろうなあ、と思います。
さて、今日の聖書。
今日は第2コリント1:23-2:11。
「私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。」2章4節。
caring enough to confront 対決するほど愛する
そのことを思い出しました。
私自身、対決してくれた人を、自分を愛してくれた人として受け入れているだろうか、
私自身、対決するほどちゃんと人を大切に思っているだろうか、
問われたように感じました。
波風を立てないで歩んでいくのはある意味易しいかもしれません。
楽しいことだけに目を向けていけば、Happyかもしれません。
でも、それはあまりに無責任。
そこまで愛する愛を与えてほしいと思いました。
また、あえて対決してくれる人がいたときに、
それを愛として、感謝して受け止めることができる大きさを、
与えてほしいと思いました。
神さま、
あなたの愛を与えてください。
受け入れる愛、受け入れるが故に対決すべき時には対決する愛。
自分も対決してもらったときに、感謝出来る愛。
あなたの愛を私に与えてください。
2009-08-02
何年ぶりのBK?
今日はまたすごい雷雨でした。
1時頃だったでしょうか。
ものすごい雨の音と、雷の音で、
説教中につい声が大きくなるくらいでした。
でも、夕方にはすっかり上がり、
明日はいい天気で暑くなりそうです。
今日は朝、グリニッチの礼拝、
午後はJCCNJの2回の礼拝。
最後はちょっと声が出なくなってしまいました。
「昔は4回メッセージしてたのにねえ」とのんちに言われてしまいましたが、
確かに、昔のようには行きません。
あのころはグロンサン飲みながら、朝は8時から夜は12時まで、若者達とつきあっていました。
良くできたなあ、と思いますが、それからもう20年以上経つんですね。
でも、今日は3回とも幸いな礼拝でした。
主をあがめました。
で、礼拝後はJOYJOYキャンプのためのミーティング。
その後、遅くなったので、リッチにBKでお食事と気取りました。
BKといえば、昔(13-4年前)はよく、
週1回、Whopperが1ドルになるので、
日曜日はここ、水曜日はあそこ、とか、
その日をねらって渡り歩いていたときもありました。
野菜もたっぷり入ったハンバーガーで、
その値段はホントうれしかったです。
学生だった頃は、日曜日の教会の帰り道の途中、
ちょうど、日曜日にWhopper1ドルになる店があって、
そこで毎週のように夕食をすませていたのを思い出します。
Whopperを2個買って、ドリンクを1個買って、
合わせて4ドルくらいで、家族4人で(まだ子供たちも小さかったし・・・)
満足していました。
いつからか全く行かなくなっていました。
行くとしても、MCばっかり行っていて、
BKはどこにお店があるか、思い出せない始末。
今回、クーポンとか使いまくって、何とか5人で18ドル。
やっぱり外食は高い。
子どもがでかくなったのが問題か、物価が上がったのが問題か、
でも、何と言ってもWhopper1ドルがでかかったです。
また、いつか、そんなプロモーションは始まらないんでしょうか?
さて、今日の聖書。
今日は第2コリント1:12-22
「私たちがこの世の中で、特にあなたがたに対して、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心のあかしするところであって、これこそ私たちの誇りです。」12節。
人間的な知恵によらず、神の恵みによって・・・。
人間的な知恵の幅をきかせているこの時代、
教会の中にも、神の恵みよりも、
人間的な知恵が大きな影響力を持っていることが多いのではないだろうか。
自分はどうだろうかと思わされます。
1ヶ月ほど前に自分がいかに神の知恵を頂かないで
歩んできたかを悔い改めさせられましたが、
それから、このような聖書の言葉が、しばしば迫ってきています。
主の恵みを感じます。
主の招きを感じます。
人間的な知恵に支配されることがありませんように。
人間的な知恵ですべてを解決しようとすることがありませんように、
そうではなくて、神様の天からの知恵によって、
神の恵みによって、解決や新しい道が開かれることを、
経験することができますように。
主よ、
あなたの恵みを感謝します。
あなたが最近、私をこの世の知恵ではなくて、
あなたから来る知恵によって歩ませようとされている、
その強い思いを感じます。
どうか、あなたの知恵を与えてください。
あなたの恵みによって生かされる喜びを経験させてください。
あなたの知恵によって、人々に語り、
あなたの知恵によって、導いていくことができるように。
主よ、あなたが教えてください。語ってください。
1時頃だったでしょうか。
ものすごい雨の音と、雷の音で、
説教中につい声が大きくなるくらいでした。
でも、夕方にはすっかり上がり、
明日はいい天気で暑くなりそうです。
今日は朝、グリニッチの礼拝、
午後はJCCNJの2回の礼拝。
最後はちょっと声が出なくなってしまいました。
「昔は4回メッセージしてたのにねえ」とのんちに言われてしまいましたが、
確かに、昔のようには行きません。
あのころはグロンサン飲みながら、朝は8時から夜は12時まで、若者達とつきあっていました。
良くできたなあ、と思いますが、それからもう20年以上経つんですね。
でも、今日は3回とも幸いな礼拝でした。
主をあがめました。
で、礼拝後はJOYJOYキャンプのためのミーティング。
その後、遅くなったので、リッチにBKでお食事と気取りました。
BKといえば、昔(13-4年前)はよく、
週1回、Whopperが1ドルになるので、
日曜日はここ、水曜日はあそこ、とか、
その日をねらって渡り歩いていたときもありました。
野菜もたっぷり入ったハンバーガーで、
その値段はホントうれしかったです。
学生だった頃は、日曜日の教会の帰り道の途中、
ちょうど、日曜日にWhopper1ドルになる店があって、
そこで毎週のように夕食をすませていたのを思い出します。
Whopperを2個買って、ドリンクを1個買って、
合わせて4ドルくらいで、家族4人で(まだ子供たちも小さかったし・・・)
満足していました。
いつからか全く行かなくなっていました。
行くとしても、MCばっかり行っていて、
BKはどこにお店があるか、思い出せない始末。
今回、クーポンとか使いまくって、何とか5人で18ドル。
やっぱり外食は高い。
子どもがでかくなったのが問題か、物価が上がったのが問題か、
でも、何と言ってもWhopper1ドルがでかかったです。
また、いつか、そんなプロモーションは始まらないんでしょうか?
さて、今日の聖書。
今日は第2コリント1:12-22
「私たちがこの世の中で、特にあなたがたに対して、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心のあかしするところであって、これこそ私たちの誇りです。」12節。
人間的な知恵によらず、神の恵みによって・・・。
人間的な知恵の幅をきかせているこの時代、
教会の中にも、神の恵みよりも、
人間的な知恵が大きな影響力を持っていることが多いのではないだろうか。
自分はどうだろうかと思わされます。
1ヶ月ほど前に自分がいかに神の知恵を頂かないで
歩んできたかを悔い改めさせられましたが、
それから、このような聖書の言葉が、しばしば迫ってきています。
主の恵みを感じます。
主の招きを感じます。
人間的な知恵に支配されることがありませんように。
人間的な知恵ですべてを解決しようとすることがありませんように、
そうではなくて、神様の天からの知恵によって、
神の恵みによって、解決や新しい道が開かれることを、
経験することができますように。
主よ、
あなたの恵みを感謝します。
あなたが最近、私をこの世の知恵ではなくて、
あなたから来る知恵によって歩ませようとされている、
その強い思いを感じます。
どうか、あなたの知恵を与えてください。
あなたの恵みによって生かされる喜びを経験させてください。
あなたの知恵によって、人々に語り、
あなたの知恵によって、導いていくことができるように。
主よ、あなたが教えてください。語ってください。
2009-08-01
晴れの8月スタート。
今日は気持ちよく晴れました。
気温もずいぶん上がったと思います。
でも、夜には涼しくなってきました。
さわやかな夏の日です。
朝はハドソン川沿いの公園で、
また月に1度の朝の祈祷会。
気持ちのいい天気の中で、共に主に祈りを捧げて、
8月をスタートしました。
貴重な週末の晴れとあって、
ご家族や友人と出かけた方も多かったのではないでしょうか。
でも、明日はまた雷雨。
そして、来週の後半にはもう秋の気配・・・でしょう。
きっと。
今日、JOYJOYキャンプのための準備の中で、
成功していたように見えていたけれども、
実際は本当にむなしかったのだ、Hungryだったのだ、
Emptyだったんだ、その中で、キリストに出会ったという証を見ました。
見ながら、涙が出てきました。
あ、私はモデルをやったことはありませんが・・・念のため。
あ、心配いらない?・・・あ、そう。
さて、8月に入って、第2コリントスタートです。
今日は第2コリントの1章1-11節。
「これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」9節。
苦しみの中で、それが自分が自分の力ではなくて、
イエスを死者の中からよみがえらせた神の力に頼るために、
与えられたのだ、というパウロの信仰。
死者をよみがえらせた神の力というのは、
それはそれはすごいものですよね。
もう絶望の中で、それが絶望ではなくなる、ということですから。
その力が今も私に注がれている、
その力を信じるように招かれている。
主から力を頂ける。
復活の力を。
だから心配しないで、
だから恐れないで歩んでいこう。
神様、
どうか、わたしにあなたの復活の力を注いでください。
死者をよみがえらせるあなたの力を。
私を生かし、私を満たしてください。
明日の礼拝を祝福してください。
明日は午前中はコネチカットのグリニッチの日本語教会での礼拝説教。
午後はいつものようにNJの教会で2回の説教。
礼拝後は初心者クラスとJOYJOYキャンプの準備。
すべてが守られますようにお祈りください。
気温もずいぶん上がったと思います。
でも、夜には涼しくなってきました。
さわやかな夏の日です。
朝はハドソン川沿いの公園で、
また月に1度の朝の祈祷会。
気持ちのいい天気の中で、共に主に祈りを捧げて、
8月をスタートしました。
貴重な週末の晴れとあって、
ご家族や友人と出かけた方も多かったのではないでしょうか。
でも、明日はまた雷雨。
そして、来週の後半にはもう秋の気配・・・でしょう。
きっと。
今日、JOYJOYキャンプのための準備の中で、
成功していたように見えていたけれども、
実際は本当にむなしかったのだ、Hungryだったのだ、
Emptyだったんだ、その中で、キリストに出会ったという証を見ました。
見ながら、涙が出てきました。
あ、私はモデルをやったことはありませんが・・・念のため。
あ、心配いらない?・・・あ、そう。
さて、8月に入って、第2コリントスタートです。
今日は第2コリントの1章1-11節。
「これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」9節。
苦しみの中で、それが自分が自分の力ではなくて、
イエスを死者の中からよみがえらせた神の力に頼るために、
与えられたのだ、というパウロの信仰。
死者をよみがえらせた神の力というのは、
それはそれはすごいものですよね。
もう絶望の中で、それが絶望ではなくなる、ということですから。
その力が今も私に注がれている、
その力を信じるように招かれている。
主から力を頂ける。
復活の力を。
だから心配しないで、
だから恐れないで歩んでいこう。
神様、
どうか、わたしにあなたの復活の力を注いでください。
死者をよみがえらせるあなたの力を。
私を生かし、私を満たしてください。
明日の礼拝を祝福してください。
明日は午前中はコネチカットのグリニッチの日本語教会での礼拝説教。
午後はいつものようにNJの教会で2回の説教。
礼拝後は初心者クラスとJOYJOYキャンプの準備。
すべてが守られますようにお祈りください。
2009-07-31
7月も終わり。
今日も雷雨がありました。
でも、昨日予想していたほど悪い天気ではなくて、
午後3時頃までは雨もほとんど降りませんでした。
3-7時頃が雨で、もう夜には上がっています。
今夜はこのまま晴れてきて、
明日は一日晴れそうです。
暑い夏らしい日になりそうです。
明日は朝6時半からの祈り会があるので、
今夜は早々に休みます。
もうあと3時間ほどで7月が終わります。
もう今年も後5ヶ月ですね。
早いような、早くないような。
でも、昨日、気がついたのですが、
ハジの出発日まで後3週間になりました。
昨日は注文していたPCも届き、
(何と発送元は中国・・・アメリカのメーカーなんですが・・・)
全部自分で手続きと設定をさせて、
もう、本当に自分の手を離れていくんだなあ、
ということを実感しています。
18歳になっているので、大学に持っていく、
Medical Formも、学生ローンの申し込みも、
親のサインはいりません。
本人のサインだけです。
え~っと思ってしまいました。
これからしばらく、やはり親の方が、
子離れの苦闘をしそうです。
さて、今日の聖書。
今日は7月の最後、詩篇の73篇の17-28節でした。
「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。」21-23節。
この詩人の苦しみ、わかります。
いや、わかるなんておこがましいかもしれませんが、
本当に苦しいとき、神様の前に獣のような状態になってしまう、
それはわかるような気がします。
でも、獣のようになっても何でも、
神様の前にいること、
神の前に出ること、
その大切さを思わされました。
主と共に歩むこと、
何がなくても、
どんな心の状態でも、
何だかもやもやしたものがあっても、
怒りが湧いてくるときでも、
納得がいかないときでも、
何でもとにかくいつでも、
神様の前に歩む、
その大切さを思わされます。
主よ、
あなたと共に歩ませてください。
あなたの前に歩ませてください。
どんな心の状態でも、
いつもあなたと共に歩むことができますように。
でも、昨日予想していたほど悪い天気ではなくて、
午後3時頃までは雨もほとんど降りませんでした。
3-7時頃が雨で、もう夜には上がっています。
今夜はこのまま晴れてきて、
明日は一日晴れそうです。
暑い夏らしい日になりそうです。
明日は朝6時半からの祈り会があるので、
今夜は早々に休みます。
もうあと3時間ほどで7月が終わります。
もう今年も後5ヶ月ですね。
早いような、早くないような。
でも、昨日、気がついたのですが、
ハジの出発日まで後3週間になりました。
昨日は注文していたPCも届き、
(何と発送元は中国・・・アメリカのメーカーなんですが・・・)
全部自分で手続きと設定をさせて、
もう、本当に自分の手を離れていくんだなあ、
ということを実感しています。
18歳になっているので、大学に持っていく、
Medical Formも、学生ローンの申し込みも、
親のサインはいりません。
本人のサインだけです。
え~っと思ってしまいました。
これからしばらく、やはり親の方が、
子離れの苦闘をしそうです。
さて、今日の聖書。
今日は7月の最後、詩篇の73篇の17-28節でした。
「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。」21-23節。
この詩人の苦しみ、わかります。
いや、わかるなんておこがましいかもしれませんが、
本当に苦しいとき、神様の前に獣のような状態になってしまう、
それはわかるような気がします。
でも、獣のようになっても何でも、
神様の前にいること、
神の前に出ること、
その大切さを思わされました。
主と共に歩むこと、
何がなくても、
どんな心の状態でも、
何だかもやもやしたものがあっても、
怒りが湧いてくるときでも、
納得がいかないときでも、
何でもとにかくいつでも、
神様の前に歩む、
その大切さを思わされます。
主よ、
あなたと共に歩ませてください。
あなたの前に歩ませてください。
どんな心の状態でも、
いつもあなたと共に歩むことができますように。
2009-07-30
不思議。
今日はとってもいい天気でした。
ソコソコ蒸し暑くはありましたが、
汗をかきながらも、スカッと晴れるのは
気持ちがいいですね。
でも、明日は一日雷雨。
夜まで続きそうです。
また落雷や雹、突風、洪水などに注意が必要です。
さて、昨日思いっきり文句を言わせていただいた、
こちらの町役場ですが、
コメント欄にも書きましたが、
皆さんのお祈りが答えられて、
今朝1番で行ったら、担当の方が、笑顔で迎えてくださいました。
ちょっと「えっ」と思うくらい、の変わりよう。
その後も、終始笑顔で、10分ほどで許可証を出してくださり、
最後は「Enjoyしてね」とまで言われて、
ちょっと「きつねにつままれた」状態です。
いやあ、昨日、あんな事書いて申し訳なかったなあ、
もう町の名前まで出して、世界に発信してしまって、
当事者はたぶん、読んでいないだろうけれども、
何か申し訳ない気持ちになるくらい、今日はすばらしい対応でした。
でも、それでこっちの気持ちも、全然違うんですから、
自分も気をつけなければなあ、と思いました。
笑顔は周りの人を元気にする・・・。
周りの人の一日をHappyにする。
大切なことですね。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇の73:1-16でした。
「見よ。悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。」12節。
これだけ読むと、へえ~、聖書にはそんなこと書いてあるの?と思われるでしょうが、この詩人は苦しみの中で、自分を苦しめる人々が社会的にも成功しているように見えることを、嘆いているのです。
これはまたきついだろうなあと思います。
こんなことがあると、
間違っているのは向こうではなくて、自分なのではないかと思ってしまいます。
でも、主は真実な方、慈しみ深い方、
そのようなときは長くは続かないのです。
でも、わたしたちは近視眼的にしかものが見えません。
なかなか、長い目で物事を見ることができないのです。
だから、主を見上げて、主を信じて歩むのです。
主がいてくださる、主がすべてを見ていてくださる。
だから、主がいつも最善のことをしてくださるから、
そのことを信頼して、歩んでいこうと思います。
私の身にも同じことが起るのではないかと思います。
でも、そんな時にも動かされない、振り回されない、
不安になったりしないで、まっすぐに進んでいく、
そのために、みことばを信頼し、主を信頼して歩んでいきたいと思いました。
主よ、
状況に振り回されない強さをください。
落ち込んだり、不安になったりすることがありませんように。
いつもあなたを見上げて、あなたを信頼して歩んでいけますように。
ソコソコ蒸し暑くはありましたが、
汗をかきながらも、スカッと晴れるのは
気持ちがいいですね。
でも、明日は一日雷雨。
夜まで続きそうです。
また落雷や雹、突風、洪水などに注意が必要です。
さて、昨日思いっきり文句を言わせていただいた、
こちらの町役場ですが、
コメント欄にも書きましたが、
皆さんのお祈りが答えられて、
今朝1番で行ったら、担当の方が、笑顔で迎えてくださいました。
ちょっと「えっ」と思うくらい、の変わりよう。
その後も、終始笑顔で、10分ほどで許可証を出してくださり、
最後は「Enjoyしてね」とまで言われて、
ちょっと「きつねにつままれた」状態です。
いやあ、昨日、あんな事書いて申し訳なかったなあ、
もう町の名前まで出して、世界に発信してしまって、
当事者はたぶん、読んでいないだろうけれども、
何か申し訳ない気持ちになるくらい、今日はすばらしい対応でした。
でも、それでこっちの気持ちも、全然違うんですから、
自分も気をつけなければなあ、と思いました。
笑顔は周りの人を元気にする・・・。
周りの人の一日をHappyにする。
大切なことですね。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇の73:1-16でした。
「見よ。悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。」12節。
これだけ読むと、へえ~、聖書にはそんなこと書いてあるの?と思われるでしょうが、この詩人は苦しみの中で、自分を苦しめる人々が社会的にも成功しているように見えることを、嘆いているのです。
これはまたきついだろうなあと思います。
こんなことがあると、
間違っているのは向こうではなくて、自分なのではないかと思ってしまいます。
でも、主は真実な方、慈しみ深い方、
そのようなときは長くは続かないのです。
でも、わたしたちは近視眼的にしかものが見えません。
なかなか、長い目で物事を見ることができないのです。
だから、主を見上げて、主を信じて歩むのです。
主がいてくださる、主がすべてを見ていてくださる。
だから、主がいつも最善のことをしてくださるから、
そのことを信頼して、歩んでいこうと思います。
私の身にも同じことが起るのではないかと思います。
でも、そんな時にも動かされない、振り回されない、
不安になったりしないで、まっすぐに進んでいく、
そのために、みことばを信頼し、主を信頼して歩んでいきたいと思いました。
主よ、
状況に振り回されない強さをください。
落ち込んだり、不安になったりすることがありませんように。
いつもあなたを見上げて、あなたを信頼して歩んでいけますように。
2009-07-29
こっちのお役所は・・・
今日は朝から、エアコンのあるところ(たとえば車)から外に出ると、
めがねが曇る、蒸し風呂状態。
本当に何度も何度も大粒の雨が降り、
何度も何度も、雷がゴロゴロしていました。
今は夜の10時半で、ちょっと雨の止み間に入っています。
でも、また12時過ぎから降り出すでしょう。
明日の朝までゴロゴロしていると思います。
そして明日の昼頃からは晴れ間も出て、
夏らしい暑い日になりそうです。
ここ2週間以上悩まされているのは、
Maywoodの町役場の、公園の使用許可を出す係の人。
JOYJOYキャンプのサッカーのために、公園のサッカーフィールドを貸してくれ、
と申し込んでいるのです。
年によっては、誰も使っていないし、勝手に使っているらしい人もいるし、
誰もチェックに来ないし、別にいいのかも、と思うのですが、
トラブルはまずいので、必ず許可を取るようにしています。
例年、余り問題なく、書類を出して、すぐ許可が出ていたのですが、
去年は場所が空いていない・・・と却下。
急遽、私の住んでいる町の学校を貸してもらいました。
で、今年は早め早めに準備を進めているつもりだったのですが、
大体この人オフィスにいないし、メッセージを残しても、電話してこない。
更に、書類を出す前から、「この日空いていますか?可能性はありますか?」と聞いても、
「そんなの書類書いてもらわなければ、わからない」とにべもない。
書類の書き方も、今までとは何だかいろいろ違って、こうしないとダメを小出しに出してくる。
何度足を運んだことだろうか。
先週水曜日にやっと書類をそろえて出したら、
金曜日になって、「保険の限度額が小さい」と言ってこられた。
2日間、机の上に置きっぱなしだったんでしょうね。
そして、この週末、保険の限度額を上げて、今日、持っていったら、
「もう帰った・・・」と。午後3時半ですよ。マジかい!
明日は8時半には出勤しているそうなんで、
明日、朝一で提出して、許可をもらわないと・・・。
ってか、普通、今日、窓口で、「あずかっておきますよ」とか言わないのかな。
最後に日本の役場に行ったのは、もう13年前かな。
東京都江東区役所。
あまりの丁寧さに感涙にむせんだ覚えがあります。
「お役所仕事」などと融通が利かないと、
悪く言われることもありますが、とんでもない話。
こっちのお役所に比べれば、もう、天地の差ですよ。
融通以前の、頼むからちゃんと仕事をしてください、って感じ。
いや、みんながみんなそういうわけではないのでしょうが、
大体、日本のサービスはすごい。
さて、昨日と今日は2日間に渡って、
詩篇の72篇を読みました。(やっと追いついた!)
「ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。」18-19節。
この詩は王のための詩、
王のために祈る詩でありながら、
やはり最後は、神様のことがほめたたえられている。
わたしたちも互いのために祈る。
互いのことを祈る。
でも、やはり、それは最終的には、
神がほめたたえられることを求める祈り。
私の祈りの姿勢はどうだろうかと思わされた。
神様を自分の願ったように動いてもらおうとしている祈りになっていないだろうか?
ただただ、主の栄光を求める生き方、
主がほめたたえられることを願う生き方、
させて頂きたいと思った。
主よ、
あなたをほめたたえます。
あなたの栄光を求めます。
あなたをほめたたえる人々がこの地に満ちますように。
そのために私もあなたの力になれるでしょうか。
そんなことを考えるのは傲慢でしょうか。
あなたのみ思いのままに生かしてください。
めがねが曇る、蒸し風呂状態。
本当に何度も何度も大粒の雨が降り、
何度も何度も、雷がゴロゴロしていました。
今は夜の10時半で、ちょっと雨の止み間に入っています。
でも、また12時過ぎから降り出すでしょう。
明日の朝までゴロゴロしていると思います。
そして明日の昼頃からは晴れ間も出て、
夏らしい暑い日になりそうです。
ここ2週間以上悩まされているのは、
Maywoodの町役場の、公園の使用許可を出す係の人。
JOYJOYキャンプのサッカーのために、公園のサッカーフィールドを貸してくれ、
と申し込んでいるのです。
年によっては、誰も使っていないし、勝手に使っているらしい人もいるし、
誰もチェックに来ないし、別にいいのかも、と思うのですが、
トラブルはまずいので、必ず許可を取るようにしています。
例年、余り問題なく、書類を出して、すぐ許可が出ていたのですが、
去年は場所が空いていない・・・と却下。
急遽、私の住んでいる町の学校を貸してもらいました。
で、今年は早め早めに準備を進めているつもりだったのですが、
大体この人オフィスにいないし、メッセージを残しても、電話してこない。
更に、書類を出す前から、「この日空いていますか?可能性はありますか?」と聞いても、
「そんなの書類書いてもらわなければ、わからない」とにべもない。
書類の書き方も、今までとは何だかいろいろ違って、こうしないとダメを小出しに出してくる。
何度足を運んだことだろうか。
先週水曜日にやっと書類をそろえて出したら、
金曜日になって、「保険の限度額が小さい」と言ってこられた。
2日間、机の上に置きっぱなしだったんでしょうね。
そして、この週末、保険の限度額を上げて、今日、持っていったら、
「もう帰った・・・」と。午後3時半ですよ。マジかい!
明日は8時半には出勤しているそうなんで、
明日、朝一で提出して、許可をもらわないと・・・。
ってか、普通、今日、窓口で、「あずかっておきますよ」とか言わないのかな。
最後に日本の役場に行ったのは、もう13年前かな。
東京都江東区役所。
あまりの丁寧さに感涙にむせんだ覚えがあります。
「お役所仕事」などと融通が利かないと、
悪く言われることもありますが、とんでもない話。
こっちのお役所に比べれば、もう、天地の差ですよ。
融通以前の、頼むからちゃんと仕事をしてください、って感じ。
いや、みんながみんなそういうわけではないのでしょうが、
大体、日本のサービスはすごい。
さて、昨日と今日は2日間に渡って、
詩篇の72篇を読みました。(やっと追いついた!)
「ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。」18-19節。
この詩は王のための詩、
王のために祈る詩でありながら、
やはり最後は、神様のことがほめたたえられている。
わたしたちも互いのために祈る。
互いのことを祈る。
でも、やはり、それは最終的には、
神がほめたたえられることを求める祈り。
私の祈りの姿勢はどうだろうかと思わされた。
神様を自分の願ったように動いてもらおうとしている祈りになっていないだろうか?
ただただ、主の栄光を求める生き方、
主がほめたたえられることを願う生き方、
させて頂きたいと思った。
主よ、
あなたをほめたたえます。
あなたの栄光を求めます。
あなたをほめたたえる人々がこの地に満ちますように。
そのために私もあなたの力になれるでしょうか。
そんなことを考えるのは傲慢でしょうか。
あなたのみ思いのままに生かしてください。
2009-07-28
宇治金時。
はい、見事に逆光ですが、
暑いので、夕食後はかきごおり宇治金時です。
7月26日(日)ー27日(月)は2日に渡って、詩篇71篇です。
「あなたこそ私の巌、私のとりでです。」3節。
「神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。」5節。
「あなたが、私の力強い避け所だからです。」7節。
「神よ。私から遠く離れないでください。わが神よ。急いで私を助けてください。」12節。
「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。」20節。
神こそが避け所。
そういいながら、自分は何を頼り、どこを避け所としているだろうか?
もう一度、焦点を合わせ、
もう一度、主にチューニングを合わせたい。
主よ、
あなたが私の避け所です。
あなたこそが、私の砦です。
今日も、私を守ってください。
暑いので、夕食後はかきごおり宇治金時です。
7月26日(日)ー27日(月)は2日に渡って、詩篇71篇です。
「あなたこそ私の巌、私のとりでです。」3節。
「神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。」5節。
「あなたが、私の力強い避け所だからです。」7節。
「神よ。私から遠く離れないでください。わが神よ。急いで私を助けてください。」12節。
「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。」20節。
この詩人は、いろいろな苦しみの中でも、
どこまでも、神様に目を注いで、神に助けを求めて、
神を避け所として歩んでいる。
これもまた、一つ一つ私の祈り。
神こそが、とりで。神こそが避け所。
そういいながら、自分は何を頼り、どこを避け所としているだろうか?
もう一度、焦点を合わせ、
もう一度、主にチューニングを合わせたい。
主よ、
あなたが私の避け所です。
あなたこそが、私の砦です。
今日も、私を守ってください。
赦す・・・こと・・・。
今日もまた本当に蒸し暑かったです。
夜になって気温は25度を切っていますが、
湿度は相変わらず高いです。
東京の夜はこれで30度近くありましたから、
どうしていたんだろうか、と思わされます。
今日もちょっと雷雨がありましたが、
明日はもっと雷雨がありそうです。
もう何週間か前のTV JapanのProfessional枠で、
番組変更で、ルワンダの再建の一つの取り組みが紹介されている番組が録画されていました。
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/081127.html
日本ではもう一年近く前の放送ですが、
ものすごい衝撃を受けました。
家族がみんな目の前で虐殺された人々が、
加害者を赦せるか、
赦せた人の解放された姿、
赦せない人の苦しみ。
「赦せない自分が罪人であるように感じる」という
家族を虐殺された人。
「赦す」ということを、
簡単に口にできない、
ましてや「赦しなさい」となんていうことは
とてもとても口にできない、
そう思いました。
でも、あえてそれを言う人がいる。
聖書がそういっているから・・・ということで、
あえてそれを言う人がいる。
被害者は、言われて、初めて、「赦せない」ということに悩む。
そして、何とか、和解の道を造ろうという人がいる。
そして、そこで何かが変わっていく。
もちろん、加害者も変わっていく。
何もしなかったときとは確かに違う、何かが起っていく。
自分自身に対する神様からのチャレンジを感じました。
7月25日(土)の聖書。
テトスへの手紙が終わって、この日から詩篇に戻って70篇。
「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、『神をあがめよう』と、いつも言いますように。」4節。
これは私の祈りでもあります。
主に従う者がバカを見ることがありませんように。
主に従う者たちが、喜び楽しみますように。
牧師になったばかりの頃、
私は大きな教会の副牧師として奉仕をしていましたが、
その教会の主任牧師はいつも、社会で働く人々のために、
そのように祈っていました。
「主に従う者たちが、社会の中でも、決して『バカを見る』ようなことがありませんように」と。
今、私も祈ります。
主を主としない、人々が我が物顔に社会を支配することがありませんように。
主に従う者たちが、喜びと感謝にあふれて、歩むことができますように。
教会という場においても、社会という場においても。
主よ、
どうか、あわれんでください。
あなたを慕い求める人たちが、みな、
あなたにあった楽しみ、喜びますように。
夜になって気温は25度を切っていますが、
湿度は相変わらず高いです。
東京の夜はこれで30度近くありましたから、
どうしていたんだろうか、と思わされます。
今日もちょっと雷雨がありましたが、
明日はもっと雷雨がありそうです。
もう何週間か前のTV JapanのProfessional枠で、
番組変更で、ルワンダの再建の一つの取り組みが紹介されている番組が録画されていました。
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/081127.html
日本ではもう一年近く前の放送ですが、
ものすごい衝撃を受けました。
家族がみんな目の前で虐殺された人々が、
加害者を赦せるか、
赦せた人の解放された姿、
赦せない人の苦しみ。
「赦せない自分が罪人であるように感じる」という
家族を虐殺された人。
「赦す」ということを、
簡単に口にできない、
ましてや「赦しなさい」となんていうことは
とてもとても口にできない、
そう思いました。
でも、あえてそれを言う人がいる。
聖書がそういっているから・・・ということで、
あえてそれを言う人がいる。
被害者は、言われて、初めて、「赦せない」ということに悩む。
そして、何とか、和解の道を造ろうという人がいる。
そして、そこで何かが変わっていく。
もちろん、加害者も変わっていく。
何もしなかったときとは確かに違う、何かが起っていく。
自分自身に対する神様からのチャレンジを感じました。
7月25日(土)の聖書。
テトスへの手紙が終わって、この日から詩篇に戻って70篇。
「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、『神をあがめよう』と、いつも言いますように。」4節。
これは私の祈りでもあります。
主に従う者がバカを見ることがありませんように。
主に従う者たちが、喜び楽しみますように。
牧師になったばかりの頃、
私は大きな教会の副牧師として奉仕をしていましたが、
その教会の主任牧師はいつも、社会で働く人々のために、
そのように祈っていました。
「主に従う者たちが、社会の中でも、決して『バカを見る』ようなことがありませんように」と。
今、私も祈ります。
主を主としない、人々が我が物顔に社会を支配することがありませんように。
主に従う者たちが、喜びと感謝にあふれて、歩むことができますように。
教会という場においても、社会という場においても。
主よ、
どうか、あわれんでください。
あなたを慕い求める人たちが、みな、
あなたにあった楽しみ、喜びますように。
2009-07-27
福音から出るよいわざ
今日は、お天気ネタで大きなのを書いたので、こっち↓
ここでは、おとなしく、早速「日々のみことば」
7月24日(金)の聖書。
テトスの3:8-15でした。
「それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」8節。
その前の日のところとセットで読むべきですね。
福音のことが書かれていて、
それによって、良い業に励むことを心がけるようになる、
のだというのです。
福音は福音だけでは終わらない。
福音があるから、別に何をしてもかまわない、
というのではなくて、
福音があるから、
神の愛があるから、
わたしたちは良い業に励む。
原動力は福音と聖霊様によってあたえられているのですから、
方向性が整えられることが大切。
みことばにいつも聞きながら、
みことばによって、歩ませて頂こう。
主よ、
福音が与えられていること、
イエスの福音が私に与えられていることに感謝します。
どうか、この福音に立って、
感謝して、良き業に励むことができますように。
明日の集会にもあなたの祝福を与えてください。
あたらしい地に進んでいく方々を守ってください。
弱さを覚えておられる方々に、慰めと癒しを与えてください。
ここでは、おとなしく、早速「日々のみことば」
7月24日(金)の聖書。
テトスの3:8-15でした。
「それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」8節。
その前の日のところとセットで読むべきですね。
福音のことが書かれていて、
それによって、良い業に励むことを心がけるようになる、
のだというのです。
福音は福音だけでは終わらない。
福音があるから、別に何をしてもかまわない、
というのではなくて、
福音があるから、
神の愛があるから、
わたしたちは良い業に励む。
原動力は福音と聖霊様によってあたえられているのですから、
方向性が整えられることが大切。
みことばにいつも聞きながら、
みことばによって、歩ませて頂こう。
主よ、
福音が与えられていること、
イエスの福音が私に与えられていることに感謝します。
どうか、この福音に立って、
感謝して、良き業に励むことができますように。
明日の集会にもあなたの祝福を与えてください。
あたらしい地に進んでいく方々を守ってください。
弱さを覚えておられる方々に、慰めと癒しを与えてください。
なぜ、夏に氷が降るのか?
昨日の雷雨なんですが、6時頃にも一回大きな雷雲が通っていきました。
そのころにNYに帰って行かれた方から、
雹が降っていましたよ。でも、どうして、夏に氷が降るんだろう?
というコメントを昨夜の記事に頂きました。
そこで、お天気キチガイ魂に火がついて、
知っていることと、想像で思うことと、調べたこととをまとめて、
かきごおり版、どうして夏に氷・・・雹・・・が降るんだろう、
ということを書いてみようと思います。想像も少しはありますが、
大筋間違っていないと思います。
何か間違いがあったことに気が付いたお天気フリークの方、
専門家の方は、コメント欄に書き込んでください。
雷雨や雹をもたらす雲は「積乱雲」といいます。
積乱雲ができる原因は上昇気流です。
上昇気流が起る理由は、
いろいろありますが、
夏に多いのは地面が太陽に熱せられて、
地表付近の空気の温度が上がることによります。
温度が高い空気は軽い。そして空に高く上がっていく。
それを利用するのが「熱気球」ですよね。
上昇気流が起るときには、断熱膨張が起こります。
ここで、断熱膨張を説明しましょう。
普通空気が膨張するのは、空気を暖めたときです。
でも、もう一つ、気圧が下がったときです。
「上昇気流」で、高いところに空気が昇っていったときに、
気圧が下がるのです。
その時に、「断熱膨張」で空気の温度が下がるのですが、
そして、空気の温度が下がると、保てる水分が減ってしまって、
限界を超えた水分が水滴になるのです。それが雲です。
雲の中には水滴がたくさんあります。
大きな水滴、小さな水滴。
水滴は重力に引っ張られて落ちようとします。
しかし、上昇気流に押し戻されて、
落ちてきません。
または下に落ちてくるときに、
温度が高くなったり、
乾燥した空気の中を通って、
蒸発してしまうこともあります。
しかし、水滴が大きくなると、重さに耐えられなくなって、
雨となって降ってきます。
でも、その水滴の重さよりも、上昇気流が強いと、
雨粒は雲の中で上の方に押し戻されてしまいます。
そんな上昇気流の強い夏の積乱雲から降る雨は、
大粒の雨だったりするのです。
で、その積乱雲の中で、雨粒が落ちたり上がったりする中で、
ぶつかり合ったりする時に起きる静電気で雷が起きます。
そして、本題の雹ですが、
地表から1万メートルくらいまでは、
気温は1000メートル上がるたびに6.5度下がります。
地表が25度くらいの夏でも、
標高3776メートルの富士山で冬に雪が降るのも、
決して不思議なことではありません。
積乱雲は上昇気流が強いときは、
10000メートルくらいまで成長します。
単純計算して、積乱雲のてっぺんは地表よりも、
65度も低いことになります。
そのそこで冷やされた氷の粒が降ってくるのです。
もちろん、まっすぐ落ちてくるのではなくて、
途中で他の氷の粒とくっついたり、
また上昇気流で上の方に押し戻されたり、
だんだん大きくなって、だんだん重くなって、
とうとうその上昇気流よりも重力が勝ったときに、
雹となって降ってくるのです。
だから、上昇気流の強くなりやすい夏の方が大きな粒が降りやすいのです。
時々、Baseballサイズとか、Softballサイズとか、ニュースで聞きます。
それほど上昇気流が強くない冬は、降っても、5mm以下の「あられ」になります。
何だか長くなってしまいましたね。
最後の「本題の雹ですが・・・」からでも良かったかも。
でも、書いていてエキサイティングでした。
自分も子どもの頃から、
どうして夏に氷が降るんだろう、
どうして夏の方が大きな粒になりやすいんだろう、
と思っていたことに答えが出たみたいで。
また、懲りずに質問してください!
そのころにNYに帰って行かれた方から、
雹が降っていましたよ。でも、どうして、夏に氷が降るんだろう?
というコメントを昨夜の記事に頂きました。
そこで、お天気キチガイ魂に火がついて、
知っていることと、想像で思うことと、調べたこととをまとめて、
かきごおり版、どうして夏に氷・・・雹・・・が降るんだろう、
ということを書いてみようと思います。想像も少しはありますが、
大筋間違っていないと思います。
何か間違いがあったことに気が付いたお天気フリークの方、
専門家の方は、コメント欄に書き込んでください。
雷雨や雹をもたらす雲は「積乱雲」といいます。
積乱雲ができる原因は上昇気流です。
上昇気流が起る理由は、
いろいろありますが、
夏に多いのは地面が太陽に熱せられて、
地表付近の空気の温度が上がることによります。
温度が高い空気は軽い。そして空に高く上がっていく。
それを利用するのが「熱気球」ですよね。
上昇気流が起るときには、断熱膨張が起こります。
ここで、断熱膨張を説明しましょう。
普通空気が膨張するのは、空気を暖めたときです。
でも、もう一つ、気圧が下がったときです。
熱を加えないのに空気が膨張するのが、
「断熱膨張」です。「上昇気流」で、高いところに空気が昇っていったときに、
気圧が下がるのです。
その時に、「断熱膨張」で空気の温度が下がるのですが、
そして、空気の温度が下がると、保てる水分が減ってしまって、
限界を超えた水分が水滴になるのです。それが雲です。
雲の中には水滴がたくさんあります。
大きな水滴、小さな水滴。
水滴は重力に引っ張られて落ちようとします。
しかし、上昇気流に押し戻されて、
落ちてきません。
または下に落ちてくるときに、
温度が高くなったり、
乾燥した空気の中を通って、
蒸発してしまうこともあります。
しかし、水滴が大きくなると、重さに耐えられなくなって、
雨となって降ってきます。
でも、その水滴の重さよりも、上昇気流が強いと、
雨粒は雲の中で上の方に押し戻されてしまいます。
そんな上昇気流の強い夏の積乱雲から降る雨は、
大粒の雨だったりするのです。
で、その積乱雲の中で、雨粒が落ちたり上がったりする中で、
ぶつかり合ったりする時に起きる静電気で雷が起きます。
そして、本題の雹ですが、
地表から1万メートルくらいまでは、
気温は1000メートル上がるたびに6.5度下がります。
地表が25度くらいの夏でも、
標高3776メートルの富士山で冬に雪が降るのも、
決して不思議なことではありません。
積乱雲は上昇気流が強いときは、
10000メートルくらいまで成長します。
単純計算して、積乱雲のてっぺんは地表よりも、
65度も低いことになります。
そのそこで冷やされた氷の粒が降ってくるのです。
もちろん、まっすぐ落ちてくるのではなくて、
途中で他の氷の粒とくっついたり、
また上昇気流で上の方に押し戻されたり、
だんだん大きくなって、だんだん重くなって、
とうとうその上昇気流よりも重力が勝ったときに、
雹となって降ってくるのです。
だから、上昇気流の強くなりやすい夏の方が大きな粒が降りやすいのです。
時々、Baseballサイズとか、Softballサイズとか、ニュースで聞きます。
それほど上昇気流が強くない冬は、降っても、5mm以下の「あられ」になります。
何だか長くなってしまいましたね。
最後の「本題の雹ですが・・・」からでも良かったかも。
でも、書いていてエキサイティングでした。
自分も子どもの頃から、
どうして夏に氷が降るんだろう、
どうして夏の方が大きな粒になりやすいんだろう、
と思っていたことに答えが出たみたいで。
また、懲りずに質問してください!
語ったことが問われる。
昨夜の雨がウソのように、
今日は朝からいい天気です。
昨日ほどは蒸し暑くもないのでしょうか?
でも、少し歩き回ると汗が噴き出しそうです。
外では、少し蝉も鳴いています。
NJでは17年ゼミ以外は、それほど蝉はいないので、
日本のように毎年蝉時雨の中で夏を過ごすと言うことはないのですが、
やっぱり、夏は蝉が鳴くべきですよね。
今日も、午後には雷雨があるかもしれません。
いつものことですが、
日曜日、礼拝で語ったことはすぐに自分に問われてきます。
もちろん、準備している間にも、
自分はどうだろうかと思わされるのですが、
終わってからの方が、「問われる」という感じがします。
余ったものを主のもとに持っていくのではなくて、
生活全体を主の支配にゆだねる。
昨日の夜の時間、
今日の朝の時間、
主の支配の中に生かされていることを覚えていただろうか、
主に愛されている喜びの中に歩んでいただろうか、
礼拝後の勉強会の中でも、
「夫の体は妻のもの、妻の体は夫のもの」という言葉を引きながら、
こういうみことばは要求するために用いるのではなくて、
与えるために用いるのだ、と言いながら、
自分はどのように歩んでいるか、問われていることを感じました。
今日は週に一度の休日。
本当に休日も主のもとで休むことを経験させて頂きたいと思いました。
さて、7月23日(木)の聖書。
23日はテトス3:1-7でした。
「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」5-6節。
テトスの手紙の中には、
いろいろなアドバイスが書かれています。
人々の模範になりなさいとか、
このように生活しなさいとか、
下手をすると「律法的な生き方」、
つまり、外側ばかり、気にする生き方に陥ってしまう、
という危険性があります。
でも、やっぱり、ここを見ると、
わたしたちが救われたのは、
神の恵みであり、わたしたちの行いではないんだ、
決してわたしたちの行いによるのではないんだ、
ということを思わされます。
そのことをいつもいつも忘れないで、
主の恵みの中に生きる、福音に生きる、
赦されている恵みにあふれて生きる、
そのように歩みたいと思います。
主よ、
赦されている恵み、
愛されている喜び、
そこに生きる者とならせてください。
律法ではなく、恵みに生きるものとしてください。
今日は朝からいい天気です。
昨日ほどは蒸し暑くもないのでしょうか?
でも、少し歩き回ると汗が噴き出しそうです。
外では、少し蝉も鳴いています。
NJでは17年ゼミ以外は、それほど蝉はいないので、
日本のように毎年蝉時雨の中で夏を過ごすと言うことはないのですが、
やっぱり、夏は蝉が鳴くべきですよね。
今日も、午後には雷雨があるかもしれません。
いつものことですが、
日曜日、礼拝で語ったことはすぐに自分に問われてきます。
もちろん、準備している間にも、
自分はどうだろうかと思わされるのですが、
終わってからの方が、「問われる」という感じがします。
余ったものを主のもとに持っていくのではなくて、
生活全体を主の支配にゆだねる。
昨日の夜の時間、
今日の朝の時間、
主の支配の中に生かされていることを覚えていただろうか、
主に愛されている喜びの中に歩んでいただろうか、
礼拝後の勉強会の中でも、
「夫の体は妻のもの、妻の体は夫のもの」という言葉を引きながら、
こういうみことばは要求するために用いるのではなくて、
与えるために用いるのだ、と言いながら、
自分はどのように歩んでいるか、問われていることを感じました。
今日は週に一度の休日。
本当に休日も主のもとで休むことを経験させて頂きたいと思いました。
さて、7月23日(木)の聖書。
23日はテトス3:1-7でした。
「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」5-6節。
テトスの手紙の中には、
いろいろなアドバイスが書かれています。
人々の模範になりなさいとか、
このように生活しなさいとか、
下手をすると「律法的な生き方」、
つまり、外側ばかり、気にする生き方に陥ってしまう、
という危険性があります。
でも、やっぱり、ここを見ると、
わたしたちが救われたのは、
神の恵みであり、わたしたちの行いではないんだ、
決してわたしたちの行いによるのではないんだ、
ということを思わされます。
そのことをいつもいつも忘れないで、
主の恵みの中に生きる、福音に生きる、
赦されている恵みにあふれて生きる、
そのように歩みたいと思います。
主よ、
赦されている恵み、
愛されている喜び、
そこに生きる者とならせてください。
律法ではなく、恵みに生きるものとしてください。
2009-07-26
雷雨の夜。
昨日の夜も、その前もそうでしたが、
今日の夜も雷雨です。
夜10時前のレーダーの図を二つ並べます。
左側が9時25分。右側が9時50分です。
大きな雨雲の固まりがうちの町(緑の矢印)に向かって、
進んできているのがわかります。
もっと大きな範囲のレーダーを見ると、
その南西にもう一つ雷雲が映っています。
しばらくは雷雨が続きそうです。
今日はずっと教会を支えてこられたご夫妻が最後の礼拝。
ハワイに引っ越されます。
個人的には明日もお会いする用事があるのですが、
最後の礼拝ということで、いろんなことを考えさせられました。
大切な方々が移られるのは痛みですが、
それと共に、あたらし地で用いられることも、すばらしいこと。
また自分のことを言えば、「頼りになる方々」が取り去られるのは、
神様だけを頼りにして、祈っていくきっかけになります。
(もちろん、これ以上また取り去られたらどうしよう・・・とは思いますが・・・)
祈りの中でリスクを負って、主の栄光を拝していくことができますように。
7月22日(水)の聖書。
22日はテトスの手紙の2:1-15。
「あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。」15節。
いま、すごいのきました。雷。10時43分頃・・・。
一瞬電気消えました。
雷鳴が花火みたいに、何発も連続して聞こえました。
権威って、振り回すもんじゃないですよね。
権威って、「権威を持って」って持てるかというとそうじゃないですよね。
嫌われるだけだったり。
でも、権威のある人っている。
やっぱり内側からあふれてくるものだろうか。
イエスもそうだったと言うことが聖書のに書かれていますが、
内側にあふれる自信と平安故に、
柔和になることができるような、
謙遜になれるような、権威。
権威を持って、神の僕としての権威を持って、
語れる者とならせて頂きたい。
内側から、そのような者とならせて頂きたい。
主よ、
あなたの僕としての権威を与えてください。
振り回す権威ではなく、内側からあふれ出る権威。
謙虚に歩む者とならせてください。
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