今日は2006年の6月6日だったんですね。
「666」ということで、
朝7時前に教会に行く車の中でニュースをつけたら、
そんなことをやっていました。
これは聖書の黙示録に、世の終わりに起ることとして、
666をシンボルとする反キリストの勢力が、
世界を支配して、従わない者は買い物もできなくなる、
と預言されていることから来ています。
この666をどう理解するかですが・・・諸説あって、
どれも決め手を欠いて、何とも言い難いです。
とにかく意味はこんな感じです。
聖書では7が完全数、神の数字です。
で、それに1足りない6は神に近いが神でない、という意味で、
一番危険な存在なんですね。
だから、立派な人間、カリスマ性のある指導者、人々から賞賛されるリーダーが、
神に取って代わろうとしていくようなイメージです。
具体的に誰か、それはまだこの世に登場していない人物だと、私は理解しております。
私自身、どんなことを考えて一日を過ごしたかというと、
私は全然、そんなことを意識しておりませんでした。
朝は教会に行ってお祈りして、
いつものように午前中は人にお会いして、
午後は事務や電話や勉強をしておりました。
「もし明日、世の終わりが来ても、私は今日もりんごの木を植え続ける」
という言葉があって、何年か前にドラマで紹介されたり、どっかの知事さんが紹介したり、
ということがありましたが、(一説にはルターの言葉とも・・・)
666だから、と大騒ぎすることよりも、
今日が自分にとって最後の日であっても、後悔しないような、
今日を送ることの大切さを思わされます。
今日は天気予報が外れて、
午後少し雲が広がってきた、くらいでした。
最高は25度。ちょうどよかったです。
東の方が「どんより」感が強かったかもしれません。
レーダーを見ると、東から西に雨雲が入ってきています。
明日はやはり雨になるでしょう。
そして、今日になって、土曜日に、
「一時にわか雨」という予報が出始めました。
バザーの一部は外でやりたいので、
これは痛い。
ちょっと降る、というのは一番大変、
「大丈夫だと思って外に出したと思ったら、降ってきた」
というのが一番混乱しますからね。
明日以降、この天気予報が変わっていくことを願います。
火曜日の夜は
こちらのフジテレビの日本語放送では、
10:30から日本語の使い方の間違いを指摘したり、
知らないで使っている言葉の意味を教えてくれたりする番組をやっています。
朝1時間、夜1時間の日本語放送ですから、
「日本にいたら絶対見ないよね」みたいな番組もついつい見てしまったりします。
それでも、「これはもう見ない方がいいや・・・」という番組もあります。
でも、火曜日は、基本的に、勉強になる、と思って余裕のある限り見ています。
でも、今日の放送には頭に来ました。
クイズの問題に不正解だった人たちに、子ども達が
「バカだ」「しょうがない」「こんなのもできないの」と
バカにする言葉をかけていきます。
番組の本筋とは何の関係もない演出です。
いや、正しい日本語を伝えよう、ということを番組が意図しているなら(いや、ただの娯楽番組かな)、
何でこんなことを企画するのかと思いました。
そして、どうしてこんなことを子供にやらせるのかと・・・。
出演している子ども達の心に何が残ると思っているのでしょうか?
番組を見た子ども達に、どんな影響があるか考えないのでしょうか。
冗談だからいい、ということなのでしょうか?
たぶん、学校でもこんなことが半分冗談で、でも半分本気で、
やられる方の子の気持ちなんかあんまり考えないで、
「冗談だからいいでしょ」というノリで、なされているんでしょう。
マジで頭に来ました。
その番組をわざわざNYにまで持ってきて、
一日2時間だけの日本語放送の中に組み込むことの意味は何なんでしょう?
日本だったら、「くだらない」と言って、チャンネルを変えるでしょうが、
こちらでは、一日の中のたった30分の日本の娯楽番組。
だから、是非いいものを送って欲しいですよね。
ま、こんなところでなんだかんだいっていないで、直接伝えた方がいいですね。
まあ、それはそれとして、
今夜の我が家の会話から、日本語の問題。
「同じ穴のムジナ」という言葉があります。
この「ムジナ」って何かわかりますか?
多分動物だとは思っていました。
でも、私の頭の中では、「ウツボ」や「ムーミンに出てくるニョロニョロ」みたいな、
細長くて、穴から顔を出している動物、というイメージが焼き付いていました・・・。
全然違うんですね。
皆さん、知っていました?どんな動物だと思っていました?
なんだか、長くなりました。
今日の朝読んだ聖書から。
今朝はルカによる福音書10-13章を読みました。
その中で心に留った言葉は「求めなさい。そうすれば、与えられる」
という11章9節のイエスの言葉です。
願うことと求めることは違う、と思います。
求めることはやはり言葉にして、神の前に祈ることだと思います。
心で願うだけではなくて、
ただ、黙って「こうなったらいいな」と念じるだけではなくて、
口に出して、言葉にして神の前に祈ることだと思います。
そのためにはやはりある程度の「時間」をとって祈ることの大切さも思います。
今日は「求めなさい」と言われたのだから、求めて祈ろうと思いました。
13節にあるように「聖霊」を求めて祈ろうと思いました。
神様、
求めます。
聖霊を私のうちに満たしてください。
聖霊様によって導かれて歩んでいくことができますように。
必要なものを与えてください。
経済的なものだけではなくて、
人の力も、能力も、才能も、一つ一つ必要なものを与えてください。
でも、それ以上に、何よりも、あなたの導きに従って歩むことができることを、
与えて下さい。
「こんにちは」さん、
ReplyDeleteコメントありがとうございます。
そうなんですね。タヌキの仲間だったり、アナグマだったり・・・。
その場では、カミさんが電子辞書の広辞苑ですぐ出してくれました。
あとでググってみたりいろいろ調べました。これからますます「分厚い辞書」を開くことはなくなっていくんでしょうね、