2009-06-18

輝け!教会の子供たち。

今日は嫌な雨でしたねえ。
もう、寒いし、濡れるし(傘使え!)、一日中降っているし・・・。


でも、やっと止んだみたいですね。


明日は降水確率20パーセントといいますから、
まあ、大丈夫でしょう。


今日の夜は、東海岸のいつも教会に行っている小学生のためのキャンプのために、
Skypeミーティングでした。


こちらの3教会が主体になって、
5つの日本語教会、そして、そのほかの英語の教会に行っている子供たちが、
25人ほど集って、2泊3日のキャンプをします。


そのテーマが、
「輝け!教会の子供たち。」


教会の子供たちが、神様の愛に満たされて輝いていること、
それが将来の教会の力になります。


教会は、「1週間に1回行かなければいけないところ」だったり、
「1時間我慢していたら、友だちと遊べるところ」だったりしては、いけないと思うのです。
時代遅れのところだったり、
小さい子が行くところだったり、
女の子だけが行くところだったらいけないと思うのです。


教会の子供たちが、
教会に生きることが喜びとなって、
輝いて歩んでいくことができる、
そして、その輝きを教会の外にもっていくようになる、
そのような目を輝かせた子供たちがあふれる教会を目指していこうと思います。


だから、「輝け!教会の子供たち。」
6月29日から7月1日です。
お祈りください。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記35:1-19です。


「すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。」5節。

心から喜んでする。
その心を主は求めておられる。
それを主が喜んでくださる。

そのようなささげものだけでいい、と言うかのようです。
嫌々だったり、惜しむ心からだったりのささげものはご遠慮する、
というかのようです。

私たちはすぐに、
「そんなこと言っていたらやっていけない」とか、
「どんな気持ちでもささげてくださったのは尊いのだ」とか、言ったりしますが、
やはり、主に感謝して、喜びあふれてささげるささげものが大切なのであって、
そのような雰囲気があふれて、周りの人々も変えて行かれるようにと願います。

主よ、
あなたの与えてくださっているものの豊かさの故に感謝します。
どうか、喜んでささげる者とならせてください。
そして、そうではないものを見極める目を、
そして、そのようなささげものをしている人を見極める目を、
与えてください。

まじヤバイ。

こっちのヤバイは・・・昔ながらの使い方の「やばい」です。
何がヤバイって、体重。
月曜日の朝、1時半ごろ、左の薬指が痛くて目が覚めた。
そう、結婚指輪のところ。
何か虫の知らせかと思ったけれども、
そうでもないみたい。
ただ単に、指輪が指を締め付けて痛い。
というか、指がどんどん太くなって、指輪が痛い。


今朝(17日朝)、1ヶ月ぶりに乗ってみたら、大台に乗っていました。
ヤバイですねえ。マジやばい。


いやあ、「最近食べ過ぎだよねえ」と思っていたんですよ。
そしたら、3キロくらい落とそう、と思っていたのですが、
1. 5キロも増えてしまいました。


だから、もう、食べてすぐ寝るのはヤバイので、
もう一日分、更新して、追いついておきます。


はい、目標が4.5キロおとす、に変わりました。
楽に入る日まで、指輪ははずしておくことにしました。


今日も寒かったです。
明日も、もう一日寒いみたいです。
明日は冷たい雨も降りそうです。


さて、水曜日の聖書。
水曜日は出エジプト記34:18-35です。


「あなたは六日間は働き、七日目には休まなければならない。耕作の時も、刈り入れの時にも、休まなければならない。」21節。

「刈り入れ」の時は、休んではいられない、と言うのがホンネだったのではないだろうか。
でも、そんな彼らに向かって、「借り入れの時にも、7日目には休まなければならない」と主は言われた。

私たちはどうだろうか?
「休んでなんかいられない!」というときはないだろうか、
「こういうときだからしょうがない」とか、
「一年に一回だけ」とか、
いろいろ理由をつけて、休むべき時に休まないことはないだろうか?

主は、一番忙しい、刈り入れの時でも7日目には休め、
人間の都合で待ってくれない、耕作の時にも7日目には休め、
と言われた。

自分の都合ではなくて、
神様の命令に従う、
忙しさとか、特別なとき、という言い訳を一切捨てて、
ただ、単純に主に従っていく、
そういう者となりたいと思います。

主よ、
あなたの命令に従います。
いろいろ理由をつけて、あなたに従わないことがありませんように。
単純に主に従う者でありますように。

ハーレムの夜。

日付変わってしまいました。
17日の夜ですが、もう18日になっています。
というのは、夜、NYで集会があったあと、
日本から来られているゴスペルシンガー
(マジでいわゆるBlack Gospel系の「ゴスペル」)西村あきこさんが、
ハーレムのライブハウスで歌うということで、
行ってきたからです。

夜の8時からということだったので、
「ああ、ちょうど予定がぶつかっちゃうなあ」と思っていたのですが、
昼間、お電話で話したときに、「間に合うかもしれませんよ」と言われたので、
「終わっているかもしれないけど・・・」と行ってきました。

あまりなじみがないところですが、
コワイというほどでもない。
でも、すれ違う人がこっちをじろっと見ると、
「お金くれ」とか言われるかもなあ、と
(1回言われましたが・・・)
そんな場所でしたが、
中は人でいっぱい。


終わっているかも・・・どころじゃない、
10時前に着いたのですが、
まだまだ、始まったばかり。
終わったのは11時20分でした。

かぶりつきの席しか空いていなくて、
こ~んなにかぶりつきでききました。

圧倒されました。
豊かな声量と、表現力、
そして、何よりも厚い信仰にいや、熱い信仰にあふれた賛美でした。

セッションは、
去年お会いした、サックスの北守さんがリーダーで、
それがまたすばらしい。
まじヤバイです。

そして、北守さんの新婚の奥さんも参加しておられて、
とてもすばらしい、楽しい一時でした。

西村さんは、今度の礼拝で賛美リードと特別賛美をしてくださいます。
お楽しみに。

YouTubeから。



あ、このビデオでローランドを弾いているのが、
北守さんのおくさん。
日曜日にご一緒くださるそうです。
楽しみです。

さて、火曜日の聖書。
火曜日は出エジプト記34:1-17。


「あなたはその地の住民と契約を結んではならない。彼らは神々を慕って、みだらなことをし、自分たちの神々にいけにえをささげ、あなたを招くと、あなたはそのいけにえを食べるようになる。あなたがその娘たちをあなたの息子たちにめとるなら、その娘たちが自分たちの神々を慕ってみだらなことをし、あなたの息子たちに、彼らの神々を慕わせてみだらなことをさせるようになる。」15-16節。

世の影響力を甘く見るな、ということを教えられました。
サタンはいろいろな方法で攻撃してきます。

その中の一つが「世と妥協させる」ということです。

仲間になって、最初は影響を与える者でありたいと思います。
でも、いつの間にか、影響を受けて、一番大切なものさえも、
譲ってしまっているのです。

闘いがあります。
だから、祈りのサポートが必要だと思いました。
一人一人のために祈ることの大切さを思わされました。

世の中で、歩んでいる一人一人が、
神様に支えられて、世に染まらないで、
世に影響を与えるような者として、
用いられていくように、
祈ることの大切さを思わされました。

主よ、
世の影響力を、甘く見ていた私を赦してください。
どうか、一人一人が守られていきますように。
あなたの香りを放つ者となりますように。
影響を受ける者ではなく、影響を与える者となることができますように。

2009-06-16

さむい~。

今日はまた寒いですねえ。
今、夜の12時前ですが、
(9時更新なんて夢のまた夢・・・)
15度です。


それでもバスの中は冷房がかかっていたりするわけですからたまりません。


いつになったら夏になるんでしょうかねえ。


暑くなったら暑くなったで、
「あちい!」とかいう題で書くんでしょうが・・・。


さて、昨日の聖書。
昨日は出エジプト記33章12-23節。


「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」17節。

求めよ、さらば与えられん。
そして、
あなたが信じるようになるだろう。
それらのイエスの言葉を思い出しました。

私自身、主に求めているだろうか、
主に大胆に求めているだろうか、
ここでも、モーセは主にいわれて、
「はい、そうですか、わかりました」とはすぐにはいいませんでした。
「でも、神様、何とかお願いします」
「一緒に行ってください、あなたが一緒に行ってくださることを示してください」
と一生懸命願い求めました。

主に対して、
主がしてくださることの素晴らしさを信じて、
求めていこうと思いました。

「あなたが言ったそのことも、私はしよう」
主が直接語ってくださったように感じました。

主よ、
あなたが私の願いを聞いてくださることに感謝します。
あなたがそれを待っていてくださることに感謝します。
あなたに求めます。
あなたに祈ることを大切にします。
あなたが他の誰もすることのできない、
誰が見ても、神の御業だ、と思うような、
御業をなしてください。

2009-06-15

神様が造られたもの。

毎年野外礼拝をしていて、もう、10回以上になるのですが、
いつも「別に外で話さなくてもいい」内容のメッセージをしていました。


でも、今年、祈りの中で、
外だからこそ、伝わる、ものはないだろうか、
外だからこそ、神様に触れて頂く、
そのようなことはないだろうかと、思わされました。


そして、今年は、
メッセージの中で、ちょっと時間をとって、
「神様が造られたものをさがそう」と、
みんなで神様が与えてくださったものをさがしました。


虫、木、葉っぱ、草、石、空、雲・・・
そんな目に見えるものから始まって、
風、音、色、におい・・・
そして、
こころ、たましい、自分・・・。


私たちはどれほどすばらしいものを神様から与えられているか、
目が開かれるような思いでした。


さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は出エジプト記33章1-11節。


「民は、みな、天幕の入口に雲の柱が立つのを見た。」10節。

モーセが天幕で神様のところに行くときに、
そこに雲の柱が立って、主がそこにおられることを示した。
そして、それを民は見ていた・・・と。

自分は牧師として、
主の前に行くとき、に主がそこに確かにいてくださることを知っているだろうか。
そして、それがまた教会の一人一人に見えているだろうか。
モーセは隠れていったのではなかった。
「誰も知らないけれども主の前に行くのだ」と行ったのではなくて、
人々に見える形で、主の前に進んでいった。
そして、主も、確かにモーセに語られることを雲の柱で示された。

私の祈りの生活が、このモーセの祈りのようなものとなりますように。

確かに、主のもとに行って聞いていることが、
教会の一人一人にわかるように、伝わるように。
そのような豊かな祈りの時を持つことができるように。
そう、伝わることよりも、まず、そのような豊かな主との一時を持たせてください。
私の心と思いをきよめて、あなたの前に喜んで出ていくことができますように。

罪に対する怒り。

今日も、起きたら雨。
でも、昼間にはいい天気になりました。
そして夕方は空が曇って雷雨。


ちょうど、学校から帰ってきて、玄関先にいたサキが、
その雷鳴にびびって泣き出すくらい。すごい音でした。


明日は今日よりもいい天気でしょうが、
でも、やはり雨の可能性もあります。


なんだか、今年の夏は変です。このまま変な夏になるのでは・・・って気がしてきました。


と思って、最近ご無沙汰していたお天気サイトを回ってみると、
やはり北東部の今年の夏は、あまり夏らしくない夏になりそう、という予報もあります。
その一方で、これは6月だけ。7-8月は例年より暑い、という予報も・・・。


プールのシーズンパスを買うべきか、買わざるべきか・・・。


昨日の野外礼拝の写真、教会のHPの方にアップされていますね。
左側のコラムから、ニュージャージー日本語キリスト教会のリンクをクリックして、
そこから「イベントフォト」へジャンプです。
楽しそうでしょう。伝わるでしょうか?
でも、ホントは写真で見るより、ずっと楽しかったですよ。ハイ。


さて、土曜日の聖書。
土曜日は出エジプト記32:15-35でした。


「宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。」19節。
「私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです。」24節。

24節の方はアロンの言葉です。
アロンの言い訳は何なんだと思います。
でも、聖書はいつも私の姿を映し出します。
私もこのように言っていることもあるだろうか、と思います・・・。

そして、それに対して、モーセの怒り。
わかっていたのに、想像していたのに、
実際に、その人々の姿を見たときに、
彼は怒りに燃えた。
彼は怒りに燃えて、石の板を投げつけないではいられなかった。

私はどうだろうかと思いました。
人々の罪を見たときに、
そこまで怒ることがあるだろうかと。
「そういうもんだよ」とわかったようなつもりになったり、
やたら、物わかりが良くなってしまったり。

罪に対して、本気で怒る者でありたいと思いました。
主の思いを私の思いとさせて頂きたいです。

主よ、
あなたの思いを私の思いにさせてください。
罪に対する怒りを忘れることがありませんように。
いい加減にすることがありませんように。
そして、あなたの憐れみ深さを、深く知ることができますように。









2009-06-14

感謝。

今朝は、7時半頃の更新のあと、8時半頃からは、
雨が降ってきてしまって、ハラハラしました。


レーダーには全く雨雲が映っていないのですが、
霧雨が降っています。
「今日、本当にやるんですか?」って電話はあっちこっちからかかってくるし・・・
(実際は北の方に住んでいる方々ばかりだったのですが・・・)
だいたい、朝、しっかり上がった雨が、また降ってきたから、
このあともまた降ってこない保証はない・・・ということで、
「大丈夫!」と強気の返事をしながら、内心はハラハラでした。


でも、10時前には大体雨も上がって、
昼頃には青空が広がってきました。


たくさんの方々と楽しい一時を過ごしました。
野外礼拝だからこそ、語ることのできるメッセージを語らせて頂きました。
目が開かれる思いでした。


神様の造られる天気と、
人間がそれにチャレンジする天気予報の、
違いを見せつけられた一日でした。


まとめて、更新宣言をしていたのですが、
そんな元気はちょっとないので、
金曜日、一日分だけ。

金曜日、6/12は、出エジプト記32:1-14。
「それで、アロンは・・・」2節。

人々が「私たちのために神を造ってください」とアロンに言ったときに、
「しかし、アロンは・・・」となるべきところ、
「それで、アロンは・・・」となってしまった。

アロンの弱さというか、致命的な問題がここにあると思う。
人々が言ったから・・・。
このあとも、アロンがモーセに言い訳をして、
「人々が悪いんです」と。

でも、それはまた自分の弱さでもあると思います。
人々が言ったから・・・と言うことにどれほど振り回されることが多いか。
今日も、自分では、雨は大丈夫、と思っていました。
でも、みんなが「え~、やっぱり中がいいですよ」と言ったら、
「そうですか~」となってしまうのではないか、という迷いがありました。
天気のことなら、任せておいて・・・と言っているくせに、
最終的に責任をとりたがらないのです。

そう、アロンのように「みんなが言うから・・・」というのは、
結局責任をとりたくないんです。
アロンは、責任を持って、「いや、それはいけない、私たちは待っていなければいけない」と言わなければいけなかったのです。
私も、自ら進んで責任を負っていく者でありたいと思います。
神様の語られることをしっかり聞いて、
それを伝えるという、責任を果たしていきたいと思います。

主よ、
アロンの逃げの姿勢、反面教師です。
でも、私も他人のことを責める資格のない者であることも知っています。
自ら進んで責任を負う者であることができますように。
逃げることがありませんように。
「人々が言うから・・・」ということではなくて、
あなたの語られることを聞いていくことができますように。

ハレルヤ!

昨夜の雨がうそのように、
今朝はきれいに上がっています。
レーダーを見ても、
雨雲は北東に足早に去っていっています。

朝、天気が守られたことに感謝をささげ、
メッセージのために祈っている間に、
主が与えてくださっているすべてのものに感謝が沸いてきました。

今日の野外礼拝が神様のすばらしさを
大きく感じるひと時となりますように。

そう、今日のメインはバーベキューではなくて、礼拝です!
一人一人が神様に触れていただくひと時となりますように。

ーーーーーーー

と、ここまで6:45ごろ教会で書いて、
家に帰ってきたのですが、
途中からまたどんより。


西に行くほど、北に行くほど、
雲が厚いみたいですね。


守られますように。

2009-06-13

たぶん大丈夫だけど・・・。

土曜日の夜です。
今11時過ぎですが、
外は雨が本降りです。
今、ちょうど雨雲がNJを通過中です。
明日の朝にはすっかり上がっているとは思いますが、
天気予報によっては、午前中くらい雨が残ると読んでいるところもあります。
数値予報(NAMやGFS)でも、この時間のこの雨は予想に入れていて、
このあと、明日の明け方には雨が上がる予報を出してきています。
大丈夫だとは思いますが、
微妙なところです。
明日の朝は早いので、今日も早めに休みます。
また明日の夜にでも、まとめて更新予定。

2009-06-11

雨ばっかり。・・・でも、元気。

うーん、なんか雨ばっかりですね。
それも、土曜日から晴れる、と言っていたのが、
ちょっとビミョーになってきました。


野外礼拝の日曜日も雨マークが付いてきました。
何とか、天気がもって欲しいものです。


今日のJOYJOYキッズクラブは、大盛況。
30人を超える子供たちが集りました。
初めての子たちも結構来てくれました。
ほとんどは口コミ。
楽しかった!と一人の子が言えば、
次は友だちを誘ってきてくれます。





工作も単純、それを使ったゲームも単純だったのですが、
子供たちは目を輝かせて遊んでいました。
そんな凝らなくても、楽しい時間って作れるんですね。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記31:1-18。


「これは、あなたがたにとって聖なるものであるから、あなたがたはこの安息を守らなければならない。これを汚す者は必ず殺されなければならない。この安息中に仕事をする者は、だれでも、その民から断ち切られる。」14節。

今日も「聖なること」の意味を考えさせられた。
ユダヤ人の伝統では、
安息日・・・土曜日・・・は何もしない日。
それは、「聖なる日」だから、
そして、それを破る者には、
恐ろしい刑が待っている。

それくらい、「聖なるものを聖なるものとする」ということが
真剣なことだったのですよね。

それくらい、「聖」というのはとうとい、
気軽には考えられないものだったんですね。

昨日に引き続き、「聖」の真剣さを、思わされていました。

今もユダヤ人の方々は安息日を守ります。
金曜日の日没から、土曜日の日没まで、
本当に何もしないことに徹します。
電話に出ない、エレベーターのボタンも押さないなど、
「神様はそんなことを求めたのだろうか?」と
疑問に思うこともいろいろありますが、
でも、この「聖なる」ものを「聖なる」ものとして、扱うことに対する真剣さ。

でもそれくらいの真剣さで、大切にすること、
私たちも見習うべきなんでしょうね。

神様、
「聖」と言うことについて、このように考える時を与えてくださってありがとうございます。
真剣に、このことを求めていくことができますように。
聖なるものを聖なるものとすることができますように。

2009-06-10

今だからできること。

今日も何だかどんよりとした一日でした。
時々小雨。
明日も雨の予報です。


そして、日曜日の野外礼拝ですが、
今も晴れの予報ですが、前後に雨のマークも。
土曜日も、日曜日の夜も昨日までは雨マークはなかったのに、
今見たら、雨マークが入っています。
最近、「どうして雨なのか?」までいろいろチェックする時間はないので、
何でかわかりませんが、ちょっと心配です。


祈りましょう!


今日、ある方とお話しをしながら、
またNYのPublic Libraryでいろんなことを考えながら、
思わされたこと。


当たり前のことなんですが、
最近、なかなか受洗者が与えられないでいたのですが、
そして、今は教会の土台を造るときなんだと思ってきたのですが、
本当に土台を造ることを今しっかりしないと・・・ということです。


もしも、またたくさん新しい方が来られて、
またたくさんの方々が洗礼を受けられるようになってきたら、
また、それに飲まれて、見失ってしまうことがあるかもしれない。
だから、今、この神様から与えられた特別なときに、
新しい方々をしっかり受け止めることができるように、
そして、大切なことを見失うことがないように、
教会が教会として整えられていくことが大切なんだということです。


そう、今は神様が与えてくださったこの時、
「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。」(伝道の書7:14)を覚えて、他の時には絶対できない働きをさせて頂きたいと思わされました。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記30:17-38。


「これをだれのからだにもそそいではならない。また、この割合で、これと似たものを作ってはならない。これは聖なるものであり、あなたがたにとっても聖なるものとしなければならない。」32節。

神様を礼拝するために使う聖なる香料。
その香料と同じものを、それに似たものも、
自分のために造ってはならない、
それを身につけてはならない、という。

聖なるものを特別なものとして扱う、
その聖なるものに対する態度を、
私たちは失いつつあるのかもしれません。

私自身、この出エジプト記のこのところを、
これほどゆっくり読むこともありません。
ゆっくり読んでいる中で、何度も何度も、
聖なるものの大切さを、語られていると思います。

聖なるものを聖なるものとして徹底的に尊ぶ、
そのような歩みをさせて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたが決められた、せいなるもの、
それを聖なるものとして、尊ぶ者とならせてください。
聖なるものを聖なるものとして、大切にすることができますように。

2009-06-09

神様の方法で。

今日は朝起きたら雨が降っていて、
8時頃は土砂降りでした。


夕方もあちらこちらで雷雨でしたが、
ここら辺は大丈夫だったようです。


明日も曇りで、時々にわか雨。
金曜日くらいまで雷雨が続きそうです。


でも、この週末は、スカッと晴れそうです。
日曜日は「野外礼拝」。
ここ10年くらいは毎年天気が守られていますが、
今年も記録更新しそうです。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記の30:1-16でした。


「あなたがたは、その上で異なった香や全焼のいけにえや穀物のささげ物をささげてはならない。また、その上に、注ぎのぶどう酒を注いではならない。」9節。

神様の方法がある。
私たちの方法ではなくて、神様の方法。

このあと、アロンの子供たちが自分の方法で神の前に出たときに、
主の前から火が出て、彼らは裁かれたと書かれています。

本当に主の前に主の方法で出ることが、
どれだけ大切なことだったかと思います。

今も、私たちは神様の喜ばれる方法で歩んでいるでしょうか?
私自身、主の方法に従っているでしょうか?
その方法、どのように見極めるのでしょうか?
旧約聖書のように細かく規定されていた方が、
どんなに楽か、と思います。

私たちは主の御心を求め、
尋ねて、ある時は信仰を持って決断します。
でも、それでも間違っている可能性はあるのです。

だから、いつも聞いていきたいと思います。
主が導かれる道を尋ねていきたいと思います。

主よ、
いつもいつもあなたの方法を尋ねます。
どうか、教えてください。
あなたが願っている道を

2009-06-08

祭司の聖別。

3日分たまってしまいましたが、
3日とも祭司や祭壇の聖別の聖書箇所なので、
まとめて1回分で更新します。

6日(土)から今日8日(月)までかけて、
出エジプト記の29章でした。


「あなたはその雄羊をほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、その子らの右の耳たぶ、また、彼らの右手の親指と、右足の親指につけ、その血を祭壇の回りに注ぎかける。」20節。

土曜日の朝は早朝祈祷会もあって、
そこではレビ記の4章が開かれました。
その最初には、このように書かれています。

「すなわち、油注がれた祭司が罪を犯して、とがを民に及ぼすならば・・・」

つまり、祭司が罪を犯すときに、
それは自分だけの問題ではなくて、
民全体の問題となるということです。

この祭司の聖別のためにどれだけ注意深く命令されているか、
一つ一つの言葉が心に留まりました。

祭司は今の私たちに当てはめると、
クリスチャン全員です。

でも、やはり私自身はここを読んで、
牧師の責任を思わされました。
自分の罪が自分の問題だけではない。
自分の不信仰が、自分の不実が自分の問題だけではない。
その深刻さを忘れないようにしたいと思いました。

そして、今日のところでは、


「七日間にわたって祭壇のための贖いをしなければならない。あなたがそれを聖別すれば、祭壇は最も聖なるものとなる。祭壇に触れるものもすべて聖なるものとなる。」37節。

この祭壇は祈りの祭壇。
エリヤの時代、主の祭壇が崩れかけ、繕われなければならない状態だったことが記されていますが、本来祭壇は長い時間かけて整えられるもの。
私の祈りの祭壇も整えて頂きたい。
時間をかけて聖別してしていくことの大切さを思いました。

主よ、
あなたのために生きているでしょうか?
あなたのために時間を使っているでしょうか?
あなたのものを盗んでしまうことがないように、
今夜も、明日も、あなたの守りの中で歩ませてください。
そして、あなたの使命に生かしてください。

十字架の恵み。

今日もいい天気でした。
昨日の日焼けがまだほてっています。


今日の聖餐式、
イエスの十字架の恵みを覚えながら、守りました。
礼拝をささげられるのも、
この十字架があるから。

来週の野外礼拝も、
神様の素晴らしさを見ることができますように。

もう12時を回ってしまったので、
もう休んで、
月曜日にまとめて更新します。

2009-06-06

ビデオ変わったねえ。

今日はいい天気で、ガレージセールをやっていたので、
ちょっと赤くなっているかも、
ちょっと顔がほてっているかも、
ちょっと腕がひりひりするかも。


昨日は集会の合間を縫って、
サキの学校のコンサートに行って来ました。


これはうたが終わって、「お父さん、お母さんたちのための写真ターイム!」ってやつ。
そんな気持ちを知って知らでか、子供たちはあっち向いたりこっち向いたり、
お父さん、お母さんたちは前の人の頭が入らないようにとカメラを高く持ち上げて撮っています。だから、どんなに自分が手をたかく上げても、誰か他の人の手が写真に入ってしまいます。


サキ、どこにいるかわかりますか?


サキは2年生だったのですが、
まあ、楽しかったのですが、
やっぱり1年生担当の先生がすばらしい。
JOYJOYシンガーズを始めようと思ったのも、
その先生の姿を見て影響を受けたのですが、
本当に子供たちが楽しそう。


サキに聞いても、その先生は楽しかったそうだ。


あと、今回目に付いたのは父兄のビデオの撮り方。
最近はコンパクトデジカメでも、立派なビデオが撮れる。


だから、コンデジをしっかりホールドしながら、
ビデオを撮っているお父さんお母さんがいっぱいでした。


その一方で、「ん?これは年代物だろう」という大きなビデオを使っているお父さんもいました。


そういえば、私がアメリカにきた17年前は日本ではもう「パスポートサイズ」の8mmビデオが主流でしたが、こちらでは、まだ肩に担いで撮る、VHSがそのまま入るビデオを使っている人がたくさんいました。それが、今や片手が当たり前、それにコンデジでビデオですからね。テープなんか使わないで、小さなカード1枚。そこにたくさんの情報が入って、頭出しも簡単。時代は変わりました。


さて、昨日、6月5日の聖書。
昨日は出エジプト記の28:15-43。


「主への聖なるもの」36節。

主への聖なるものとは、主のために取り分けられた、
特に主に使えるためにだけ、存在している者。

聖なる杯だったら、他のためには使わないで、
神様のためだけに使われる杯。

同じように、私たちも、神様のためだけに生きるようにと召されている。
私自身はどうだろうか?主のために生きているだろうか?
主のためだけに存在しているだろうか?
主のために、励んでいるだろうか?

主に対して、きよい、主に対して、真実な者とならせて頂きたい。

主よ、
どうか私の心をきよめ、
あなたに対して、聖なるものとならせてください。
人に対してではなく、あなたに対して、聖なるものでありますように。

2009-06-04

受けるよりも。




はい、また一つ歳とりました。
ここまで守られたことに、主に感謝。
多くの人に支えられてきたことに感謝。


今日はハジがどうしても動かせない用事があったので、
昨日、前夜祭ということで家族でお祝いをしてもらったのですが、
この風船、たぶん初めてだと思いますが、
ハジが学校の帰りに買ってきてくれました。


そんなことするヤツではなかったので、
とてもうれしかったです。


そんな中で心に響いてきた言葉。
「受けるよりも与える方が幸いである。」


与える者となりたいと思いました。
与える幸いをもっともっと経験させて頂きたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記28章1-14節。


「アロンは主の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする。」12節。


アロンは12部族の名前の刻まれた石を肩当てにつけて、
それを身につけることによって、
イスラエルの民を覚えて神の前に出た。


私たちにとっては祈り。


そう、「万人祭司」ということがいわれるプロテスタントの教会で、
本当に一人一人が取りなし手として、
周りの人々のことを神様の前に持ち出して祈ることの大切さを思わされました。


そして、私個人に対して、主が語ってくださったことを感じました。
この使命、この働きをおまえに任せているのだから、
それをしっかり果たしなさい、と。


一人一人のことをいつもいつも名前を挙げて、
いつも名前を覚えて、
神様の前に出ようと思いました。


主よ、
一人一人のことを覚えて祈ります。
あなたが任せてくださった、託してくださった、
一人一人のことを覚えます。
どうか、主よ、今夜も一人一人を守り、支えてください。
導いてください。
慰めを与え、あなたに目を向ける時を与えてください。

共に主に仕える。

朝は雨が降っていましたが、
午後には晴れてきています。
今日はこのままいい天気のようですね。


このあと、NYに行く用事があるので、
もしかしたら、更新の元気が残っていないかもしれませんし、
まだ1日ビハインドなので、ここで更新しておきます。


昨日、6月3日の聖書。
昨日は久しぶりに、朝6時に教会に来られた方がおられて、
二人で共に聖書を開き、祈りました。


出エジプト記27:1-21。
「あなたはイスラエル人に命じて、燈火用に上質の純粋なオリーブ油を持って来させ、ともしびを絶えずともしておかなければならない。」20節。


オリーブ油を絞る仕事は、モーセが自分ではしなかった。
人々に語って、人々に命じて、もってきてもらった。
それも上質の純粋なオリーブ油。

人々が一生懸命純粋なオリーブ油を絞っている姿、
またそれをモーセや祭司が受け取って、
主の前にささげる姿。
とても美しく思わされました。

ある時には、何でも自分でやってしまおうという誘惑を感じます。
上手にお願いできない、上手に頼めなくて、
気を遣いすぎて、また本当には信頼すべきところで、ちゃんと人を信じていなくて、
何でも自分でやってしまおうという誘惑を感じるときがあります。

でも、共に主に仕え、共に主の前に出られたらどんなにすばらしいでしょうか?
そのような働き人にならせて頂きたいと思いました。

個人主義に陥ってしまわないで、
「人は人、私は私」というところに立てこもらないで
(もちろん、それは出発点として大切なことですが)
共に主に仕え、共に主の前に出る者でありたいと思います。

主よ、
あなたのこの命令に感謝します。
私一人ではなくて、
人々と共に、あなたの前に出ることができますように。
共に主の前に出る喜びを与えてください。

2009-06-03

心にかけてくださる主。

夜になって雨が止んだみたい。
ちょっと遅かったですが・・・。


あ、でも今レーダーを見たら、また降ってきていますね。
しばらく降らなかったので、恵みの雨です。


明日、あさってとぐずついた天気が続くようです。


私たちは誰かに自分のことを心にかけてもらっているのはありがたいことです。
互いに互いのことを心にかけています。
でも、人間同士、行き違いもありますし、
互いにあまり相手に期待しすぎるのもトラブルの元です。


ある時には人に失望することもあるでしょう。


でも、神様はいつもいつも私たちのことを心にかけてくださっている。


この間も中高生に話をしながら、感動していたのですが、
この大きな宇宙を造られた、今も、それを支配しておられる神が、
この小さな小さな地球のことをご存じで、
そこにいる68億人もの人々の中で、
私のことに目を留めてくださっている。


私のことを主は今も心にかけてくださっている。
私の名前をその手に刻み込んでくださっている。
あなたのことも。


感謝。


さて、今日2回目の更新。
昨日、6月2日(月)の聖書。
昨日は出エジプト記26:15-37


「その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。」33節。

この垂れ幕が、そのまま、神殿にも受け継がれ、
その仕切の幕が、イエスの十字架の時に、
上から下へ、まっぷたつに裂けた。

イエスの十字架によって私たちは、
神様の前に立つことができる。
至聖所に入っていくことができる。

イエスによらないでは、
このチャンネルを通らないでは、
神の前に立つことはできない。
至聖所にはいることはできない。

イエスを通って、イエスの十字架を覚えて、
神の前に立とう。
いつもいつも十字架に感謝して歩もう。
そして、大胆にこのことを伝えよう。
当たり障りのない、メッセージをやめて、
イエスの十字架によらなければ、解決はないのだ、ということをはっきり語っていこう。

主よ、
あなたの十字架によって生かされていること、
あなたの前に出られること、
あなたのいのちに生きることができることを、
心から感謝します。
いつもいつも十字架を通って行くことができますように。
十字架によって救いがあることを語ることができますように。

人に見えない部分が

さて、今日はまだ8時過ぎですが、
早めに更新。

今日は朝は雨。
昼間は晴れ間が出ましたが、
また午後から雨。


雨が降って欲しくない理由がありましたが残念。


ウェブブラウザー、IE、Firefox、Opera等、いろいろ使ってきましたが、
最近のお気に入りはChrome。
でも、昨日iTunesの更新の時に「Safariも入れるか?」と聞かれて、
いつもはNOなのですが、ちょっと「YES」を選んでみた。


そしたら、「使ってくれ~」と呼ばれているような気がして、使い始めてみた。
なかなか快適。そしてデフォルトのフォントも読みやすい。この更新もSafari。
リンゴ社製なので、遊び心も適当にあります。


サイトによってはIEじゃなきゃダメ!みたいなのもあってかなわないのですが、
IEは一番おもしろみがなくて、一番重く感じます。
ちょっとSafari使ってみようかという感じです。



さて、早速、6月1日(月曜日)の聖書。
月曜日は出エジプト記26:1-14。


「天幕のために赤くなめした雄羊の皮のおおいと、その上に掛けるじゅごんの皮のおおいを作る。」14節。

「日々のみことば」の左のページにこのような記述がありました。

第4の幕屋の幕は、じゅごんの皮でした。外観は黒っぽく、決してきれいなものではありませんでした。内側はきれいですが、外側は見栄えのよいものではなかったのです。イエス・キリストは「私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない」(イザヤ53:2)と語られます。私たちは、外見ばかりを気にしていないでしょうか。それとも心の内側からきよめられ、主の聖さを表しているでしょうか。

なるほど、と思いました。
聖書だけを読んでいると、そこまでは考えないのですが、
このように聞かれると、なるほどと思います。

そして、自分はやはり外側ばかりに陥っている者になってしまっているように感じます。
本当に人に見えない部分が主の前に整えられたいと思いました。

人に見えない部分で、主に対して真実な歩みをさせて頂きたいです。
それが力になり、喜びになり、勝利になります。

主よ、
私の心を守ってください。
人に見えない部分がきよめられますように。
人に見える部分に心がとらわれてしまうことがありませんように。

2009-06-02

最高のものをもって

さて、今日2回目の更新。

日曜日、5月31日の聖書。
日曜日は出エジプト記25:23-40でした。


「純金一タラントで燭台とこれらのすべての用具を作らなければならない。」39節。

神様がどうして「純金」を求められるんだろうかと思います。
そんないい物を求めなくても・・・とも思います。
実際に、「神様ってゼイタクですね」という方もおられました。

でも、考えてみれば、
もしも神様のためにその金を使わなかったら、
何のために使うのでしょう。

もちろん、現代はいろんな電気製品にも使われているでしょう。
でも、この時代、神様のために使わなかったら、誰のために使うんでしょうか?

自分のため、人の飾りのためですよね。

自分のために使うか?神様のために使うか?
ってことでしょう。

最高のものだからこそ、主のもとにもっていく、
そのような生き方をさせて頂きたいと思います。
そう、すべては主のものなんですよね。

主よ、
すべてのものの中で、最高のものをあなたにささげます。
私にとっては何でしょうか?
私の中の最高のもの、
時間?情熱?
あなたにささげます。
あなたがあなたのご用のために用いてください。