2008-12-06

サッカー打ち上げ。

今、夜の11時半くらいになりましたが、
雪がちらちら降っています。
車の上とか、木の上とか、
うっすらと雪化粧しています。


でも、気温が0.3度と氷点下に下がっていないので、
それほどつもる感じではありません。


明日の教会は全く大丈夫です。(太鼓判!)


さて、今日の夕方から、
ハジのサッカーの打ち上げディナー。
家族も行ってもいいのですが、
ちょっとお高いのと、土曜日のことなので、
今回はハジ一人で行かせました。


そして、喜んで帰ってきました。
第一声。
「サッカーやっててよかった。」




Most Improved Player Awardをもらってきました。
右手のトロフィー。


アメリカだからできたんだと思いますが、
教会を第一にして、
JOYJOYキャンプを手伝うために、
合宿を休んだり、
練習を休んだ時もありましたが、
でも、一生懸命プレーして、
認められたみたい。


教会に行っている子はスポーツができない、
なんて言われたくない、言わせたくない、
そんな、日本の教会で育った親の意地みたいなもので、
応援していた部分もあり・・・。
こっちも「やっててよかった」という第一声がうれしかったです。


「たくさんアワード出たわけ?」
と聞いたのですが、3人だけだったみたいで、
とてもうれしかったようです。


SATの最後のチャレンジも終わり、
あと、願書をいくつか出して、結果待ちにはいるようです。


神さまが彼にとって最高の道を準備してくださっていることを、
信頼して、祈っています。


さて、今日の聖書。
今日は黙示録の6章。
難しいところです。

どうして、イエスさまが開くことのできた封印が解かれる時に、
災厄や「平和が奪い取られる」ことが起るのか・・・。

そんなどう理解したらいいのか、戸惑うような中で、心に留まった言葉。

「太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。」12-14節。

天体もふるわれ、落とされる。
山や島もその場所が変わる。

すべてのものが相対的であっても、
大地や天が変わる、滅びてしまう、
そんなことはなかなか考えることができない。

でも、ここにはそのことがはっきりと預言されている。
それも相対的なものなんだ。

天地は過ぎゆく、
でも、神の言葉は変わらない。

とありますが、
この天地さえも変わっていく中で、
変わらないものがあることに大きな慰めと励ましをいただきます。

確かなものに、
世の中で一番確かなものに目を留めて、
そこにしっかりと立って、
歩んでいきたいと思います。

主よ、
あなたのみことばが確かであること、
この、私たちを支えている天地よりも、
確かなものであることに、
本当に励まされます。


経済状況などは毎日変わります。
あしたのことさえ誰もわかりません。


でも、いつまでも変わらない
あなたのみことばがあるから、
感謝します。


どうか、あなたのみことばを土台として、
歩んで行くことができますように。

あと2回。

昨日は今朝の早朝祈祷会のために、
無理な更新はなしで、早めに就寝。


でも、今朝は寒かったですねえ。
-6度くらいまで下がりました。


昼間も肌寒くて、夜、今8時45分ですが、0.3度。
今夜は雪がちらつくみたいです。


そして、明日、あさってと寒さが続きます。


今日はJOYJOYシンガーズの6回目の練習。
今まで最大の14人の子供たちが集まりました。


なんとあと2回で本番です。
いやあ、仕上げって大変ですよね。
そこそこいい感じにはなっているのですが、
皆さんの前に出るっていうのは、
さすがにいろいろ調整しなければならないポイントがあって、
時間がもっと欲しい!って感じです。


でも、子供たちが楽しく元気に歌ってくれるのが、
とても励まされます。


でも、もっともっと内側からの喜びがあふれてあふれて、しょうがない!
って感じになって欲しいです。


いろいろ検索してみると、
日本の教会でもミュージカルとかやっている子どものグループもあって、
目標とすべき先輩たちはたくさんおられるんですね。


特に札幌の愛隣チャペル はミュージカル22回目。
坂戸教会のザ・ウィンズ は結成が1985年って言うから、私が生まれる前からやっている・・・(うそ)。


とりあえず、最初の舞台であるJOYJOYクリスマスに最高の賛美を神さまにささげて、
集まった皆さんへのメッセージを伝えることができたら、と思います。


さて、昨日の聖書。
昨日は黙示録の5章でした。


「ほふられたと見える小羊」6節。

イエスは天に帰って行かれて、
そこで、傷がなくなったのではない。
そこでも傷をもったまま、私たちのためにとりなしをしておられる。

でも、それによって、私たちは忘れないですむ。
どれほど大きな犠牲が払われているか。
どれほど大きな痛みを負われたのか。

主が私たちをどれほど愛しておられるのか。

天国のイエスの傷を見るたびに、
感謝が湧いてくるだろう。

イエスよ、
あなたが受けてくださった傷の故に、
感謝します。
そこまで愛を注いでくださいましたから感謝します。
あなたの愛を覚えて、歩んでいくことができますように。
あなたの愛を見失うことがありませんように。

2008-12-04

なんだかなあ。

今日はどんよりとした一日。
夕方には雨も降りました。


気温は割合高めで、
今、夜の11時過ぎですが、
4.8度あります。
でも、今日の夕方の雨は寒冷前線によるもので、
明日からは寒いです。
特に日曜日は雪も舞いそうで、
昼間の気温が0度くらいです。


冬です。


来週も何度か雪の可能性がある日があります。


今年はホワイトクリスマスかもですね。


昨日の作品の答えはもうちょっと延ばしますね。
いろいろ考えて頂きたいので・・・。


「東京都」はまた斬新な視点ですね。
確かに、練馬区や板橋区、足立区あたりが、
埼玉県に譲渡されたら、こんなかたちになるかも・・・。


話はがらっとかわって、めずらしいですが、時事問題。
最近、やたらニュースとかで話題になっている
アメリカの自動車大手3社への救済策のはなし。
お金貸してください、と社長が議会に頭を下げに行くときに、
Private Jet使っちゃうところなんか、まあ、普通じゃないですよね。


で、FordのCEOの去年の給与が2000万ドル(20億円くらい)だなんて、
ちょっとすごいですよね。
いやあ、普通の社員、何人分なんでしょう。
来年は1ドルになるそうですが、
また、1ドルとは極端な・・・ですよね。


でも、考えてみれば、
去年の給料の2000万ドルから
税金取られて、生活費を引いても、
たとえば、500万ドルくらいでも、
残しておいて、銀行に預けておけば、
利子だけでも、かなりの生活ができちゃいますよね。


給料は1ドルでも全然困らないでしょう。


是非、故障が少なくて燃費がいい、
いい車を作って、再建して欲しいものです。
税金から借金して、でもますます経営が行き詰まって、
結局税金が無駄になってしまったなんてことにならないように・・・。


さて、今日の聖書。
今日は黙示録の4章。


「ここに上れ。」1節。

今日はここを読んだ時に、
私自身も主に招かれているのだと思いました。

神さまが御心を教えようとして
私たちを招いてくださっている。
それが祈りの時間。

神さまが「私のところに来なさい、こちらの世界を見せてあげよう」と、
私たちを招いてくださっている。
この地上にありながら、
天国の歩みができるように、
私たちは祈りの生活の中で招かれている。

もっと教えて頂きたいと思います。
どのように歩んだらいいか、
どのように進んでいったらいいか、
主から示されて、教えられて、
神さまに語って頂いた喜びを持って、
人々に語っていくものでありたいと思います。

主よ、
あなたが、「私のところに来なさい」
と言ってくださっていることに感謝します。
もっともっとあなたの御心を知り、
あなたの願われる道を歩むことができますように。

2008-12-03

解放されないとね。

今朝は寒かったです。
-4度まで下がって、フロントガラスには霜がびっしり。

昼間も6度くらいまでしか上がらず、
今、夜の11時半ですが、0.7度。
9時半頃、帰ってきた時には氷点下でしたから、
ちょっと温度が上がってきているのでしょうか?

明日はちょっと暖かくなって、にわか雨が降って、
それから寒気が入ってきます。

でも、本格的な厳冬になることもなく、
あと2週間くらいはほどほどの冬みたいです。

助かります。

今日はまたクロッキー教室の日。
でも、今日は切り紙教室でした。
でも、実は、
1年生の時「はーい、みんな注目!これは悪い例です」と

図工の時間に先生にいわれたのは、
実はちぎり絵だったんですね。


道を表したかった、理工系頭脳の私は、
当然、大きな茶色い紙をざざっと切って、
紙の真ん中に広い道を造ったのでした。


ちぎり絵をやらせたかった先生は、
「こういうことをしないようにね」という意味で
みんなに注目してもらったみたいです。
いい先生だったんですがね。

先生のことはそのときは、
「道を造りたかっただけだよ!」とぶりぶり怒りましたが、
(そういう問題じゃなかったのですが、私はわかっていませんでした)
別に恨んではいません。
でも、図工の苦手意識はばっちり形成されました。ハイ。


そして、今日、この作品を作る前に、
もう一つ作品を作ったのですが、
それは紙を小さく切って、モザイク状に貼っていきました。
できあがってみると、うーん、楽しくない。


考えてみたら、子どもの頃に、
「大きく貼っちゃダメだよ」といわれたことに
こだわっていて、小さく小さくちぎってしまっていたみたいです。


結局とらわれていたんですよね。


My「今年のクリスマスのテーマ」である、「解放」、必要ですね。


で、ちょっと解放されてできた作品。

さて、これは何でしょうか?
答えは明日。

さて、今日の聖書。
今日は黙示録の3章14-22節。

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」20節。
もう一度、心を開いて、
イエスさまをお迎えすることの必要を感じ、
心から主に祈りました。
心を全く支配して頂きたい、
完全に支配の下において頂きたいと思います。
主に従うことに邪魔をするものを取り除き、
主の恵みの中に「一緒に食事をする」喜びに満たして頂きたいです。
主よ、
あなたを迎えます。
もう一度、私の心を開いて、
あなたをお迎えします。
どうか、私の心をきよめて、
あなたのことで私の心をいっぱいにしてください。
守ってください。

2008-12-02

WATOTO in NY/NJ

今朝は本当に0度くらい。
そして昼間は7度くらい。
予想通りでした。


でも、夜はちょっと冷えてきています。
9時過ぎで1度。
明日は確実に氷点下の朝です。


そして、昼間はやはり今日並。
8度くらいでしょう。


寒気流入まであと2日。
今のうちに穏やかな天気をエンジョイしておきましょう。


さて、日本にWATOTO が来る、という話題が出た時に、
NJは来ないんだろうかと調べてみたら、
Thanksgiving前後だったことを記憶していました。


遅ればせながらそれを今日思い出して、
調べてみたら、何と、今まさにWATOTO Children's Choirは
今NY/NJをツアー中ではありませんか。
今夜はManhattanville Collegeって、
慶応NY高校のあるところじゃないですか。


そして今度の日曜日はBrooklyn Tabernacleじゃないですか。
ただ、こちらは午後3時から。
JCCNJの皆さんは行けませんね。残念。


で、とりあえず、私にとってのねらい目は
9日(火)の夜のPiscataway のChrist United Methodist Church。
明日、教会に電話をして確認をしてみます。
うちから1時間くらいですから、
6時過ぎに出れば、何とか間に合うでしょう。


ここまで書いてから、
右の「サイト内検索」で「WATOTO」と入れて、
検索をかけたらヒットしたのはこちら。
http://njotenki.blogspot.com/2008/05/watoto.html

なんと、そこには11月22日(土)のCeader Groveなんかがねらい目、
とか書いてあるじゃないですか。


すっかり抜けていました。


前の記事にも書かれていますが、
こちらは去年ハジがウガンダに行った時に、
この団体の集会に行って、えらい感動して帰ってきた、 
その団体のコワイアなんですね。


You TubeでWATOTOで検索をかけると
たくさんヒットします。
すごいレベルの高さ。
表情も、エネルギーも、そろい方もすごいです。
いやあ、これはJOYJOYシンガーズもびっくり、
っていうか、遠い大きな目標ですね。
勉強してきたいと思います。ハイ。


さて、今日の聖書。
今日は黙示録の3:1-13。


「わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。」11節。

この聖書の箇所の話の前に、

「日々のみことば」にこのような言葉がありました。
「サタンは信者を神から離れさせるために、自分たちの行いや生活に満足させておこうとする」
考えさせられてしまいました。
私たちはやっぱり安定を求めますし、
問題がないこと祈ります。

でも、それによって、いつの間にか、
神さまを必死で求めない、
生ぬるい信仰の歩みになってしまうのではないかと思います。

そんなことを思わされつつ、
今日、聖書の言葉の中で、一番心に留まったのは、
昨日と同じような言葉でしたが、
「あなたの持っているものをしっかり持っていなさい」という言葉。

いつも、どこにいても、
どんな状況の中でも変わらない、
主から与えられた福音。その恵み、キリストによる救いの喜び。
それをしっかり持って歩んでいく、
その使命を再確認させられました。

そして、アドベントの聖書日課を読みながら、
イエスのその犠牲の大きさに感謝しました。

主よ、
もう一度、私がこのように喜びが与えられて歩めるのは、
ひとえに、あなたの恵みのゆえであることを思わされました。
しっかりそれを持ち続けることができますように。
そこに立ち続けることができますように。
主よ、私を守ってください。

2008-12-01

動くか祈るか。

今日の朝は暖かくて、霧が出ていましたが、
夕方にはきれいに晴れました。
今夜は今朝よりぐっと冷え込みそうです。


で、夕方、5時頃に買い物に出たら、
月のそばに二つの明るい星が・・・。


とてもきれいでした。


たぶん金星と木星だろうなあ、と思って調べてみたら、正解。
http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2008/200812/1201/index-j.shtml

夜遅くまでお仕事で、外に出るチャンスがない方はちょっと厳しいでしょうが、
もしも、夕方から宵の口にかけて、南西の空を見るチャンスがあれば、明日もいい天気でしょうから、
是非、見てみてください。


木曜日くらいまで、まあ、朝は0度前後、昼間は7度前後のまあまあ、の日が続きそうです。
でも、金曜日からはぐっと寒くなるようですから、ご注意。


日曜日の説教の後は、
必ずと言っていいほど、
自分が語っていることが自分に突きつけられるのですが、
昨日は「信仰を持って祈る」「祈ることしかできない、のは神さまのチャンス」など、聖書から語らせて頂いたのですが、
今朝は、祈っている間に、自分は本当に動くよりも祈っているだろうか、もちろん動くな、ということではないのですが、祈らないで動いていることが多くないだろうか。誰かのために祈ることの方が、その方に電話をすることよりも力があると信じているだろうか。もちろん、祈っていれば何もしなくてもいいと思っているわけではないのです。でも、祈っているだけでは・・・と思ってしまっていないだろうかと。焦って動いていることがどれだけあるかと。


そして、ある方のことを祈っている時に、
病が癒されることを一生懸命祈っていて、
その方が、その中で、神さまを知ることを、
神さまに取り扱われることを本気で祈っているかと、問われました。


祈りに導かれて、あっという間に時間が過ぎていました。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の2:18-29


「ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい。」25節。

またもやイエスのおしかりは、
「問題のある人をなすがままにさせていた」ということでした。

そして、最後のこの言葉。
自分に与えられているもの、
自分の神さまとの関係を大切にしなさい、と。
問題のある人がいる、
それをそのままにして置いてはいけない。
でも、それに振り回されるのではなくて、
あなたの持っているもの、あたえられているものを、
大切にしなさい、そこに立っていきなさい、と。

見るべき方を見つめて歩むことの大切さを思わされます。

主よ、
本当に自分が与えられている信仰、
自分と神さまとの関係が大切なんですね。
そこをしっかりと確立させてください。
私もそうですし、
教会に連なる一人一人に
そのことを確立させてください。

2008-11-30

アドベント聖書日課

今年もクリスマスを待ち望むアドベントに入りました。
毎週聖書日課を作っていきます。
今年のテーマは「イエスによる解放」
全く新しく準備しています。

右のコラムにリンクがありますので、
是非、そちらからごらんになってください。

ここにもリンクを貼っておきます 。
ソフトのせいだと思いますが、
横になって出てきます。
顔を横にするか、画像を回転させるかして、見てください。(笑)

今度こそ「筋を通す」。

今日は結局雨になりましたが、
冷たい雨で、今も3.7度。
でも、少しずつ気温は上がってきているようです。
夕食時には3度くらいでしたから・・・。


明日も時々雨のぐずついた一日になりそうです。


今日は教会総会でした。
来年の予算と役員・会計監査選挙。
すべてが神さまの御手の中で導かれたことと信じます。
これから、起こることに期待しつつ。


さて、予告通り、昨日の聖書。
昨日は黙示録の2章1-11節。


「悔い改めて、初めの行いをしなさい。」5節。

昨日の聖書箇所、
久しぶりに、ちょっと「研究」モードで読みました。
イエスにほめられているところと、
イエスに諫められているところ、
それぞれどんなことが言われているかと箇条書きにしていきました。

そしたら、ほめられているのは、
間違ったことを間違ったと言ったこと、
偽物を見抜いたこと、

それに対して諫められているのは、
「初めの愛から離れてしまった」こと。
それは「初めの行い」とも書かれている。

主はいつもいつも、間違ったことを間違っている、と言うべきだと、
はっきり諫めるべきだと、言われている。
そして、妥協することを悲しまれる。

いつの間にか、「赦す」「裁くな」ということを
一面的に捕らえて、薄っぺらく捕らえて、
ホントは違うんだろうな、と思うことを、
黙ってみていたことがどれだけあったことかと思います。
「温かい目で見守る」なんてことを言いながら、
ここでイエスが言われた「初めの愛から離れてしまった」ということが
どれほどあっただろうかと思います。
ただ、逃げていたことがどれほどあっただろうかと思います。

主が筋を通すことを求めておられる。
間違いにははっきりと間違いと言うことを、
主は求めておられることを確かに思わされました。

主よ、
あなたの愛を与えてください。
愛ゆえに、筋を通す者でありますように。
主への愛ゆえに、人への愛ゆえに、
大切なことを大切にする者でありますように。

雪降りましたね。

今朝、教会でお祈りの後、
しばらく残って仕事をしていたら、
7時半頃、ベルが。


英語の教会の信徒さん、
9時からの礼拝に備えて早めにおいでになりました。


そしたら、外は雪。
6時前には降ってなかったので、びっくり。


今もみぞれですが、この後雨に変わります。
礼拝は大丈夫。

筋を通す。

今日も穏やかな一日でした。
朝はそれほど冷えずに-1度くらい。
昼間は10度くらい。


雪が降る前に、
作り直していただいたデッキの撥水加工をした方がいい、
ということで、今日の昼間、10度くらいまで上がったところで、
一仕事。でも、限られた時間の中だったので、
残念ながら、全部は終わりませんでした。
明日は雨の予報。
残りは火曜日くらいに天気が回復してからです。


でも、幸いちょっと雪はお預けのようです。


夜になってから、ちょっと寒くなっています。
今は12時を回ったところですが、-1.6度。


ちょっと遅くなってきたので、ここまでで休みます。
本題の聖書はたぶん明日の夜の更新になると思います。
「筋を通す」も聖書の話のテーマです。


明日、というか、今日からアドベント。
いよいよクリスマスを待ち望む日々が始まります。
ではでは。

2008-11-28

なにかがおかしい。

今朝は、そこそこ寒くなって、-2度くらい。
でも、一度、もっと寒いのを経験したら、
「今日はたいしたことないね」という感じです。


昨日の夜11時過ぎに、マンハッタンに行ったら、
もう、Best Buyの前には列ができていました。
すごいですよねえ。
その皆さんにとっては、ちょっと寒い夜だったと思います。


昼間は10度くらいまで上がりました。
今夜も今朝と同じくらい。
でも、天気は下り坂。
日曜日の午後あたりからは雨のようです。


そう、2週間くらい前は、
12月の初めには大寒波が来る、と言っていましたが、
もうちょっと遅れるようです。
来週は昼間は5-6度くらい。
その次の週は一日氷点下の日もあると思います。
覚悟のほどよろしく・・・。


その、日本の「初売り」と似ているかもしれない、
Thanksgiving Dayの次の日の、Black Fridayですが、
今朝、家の近所も電気屋さんが一番行列がすごかったですね。
まあ、「薄型テレビ、絶対欲しい!」というおじさんたちは、
ねらっていたでしょうから・・・。


そこで起こった悲劇。
今朝、NY州のマンハッタンの向こう側、
ロングアイランドのとある町にある安売りの店Walmartで、
34歳の店員さんが、開店時間になって、ドアを開けようとしたところ、
押し寄せてきた人たちに倒されて、踏みつけられて、亡くなったそうです。


ひどい話。


やはり目玉は薄型テレビだったそうで。
値段が下がってきて1000ドル以内で買えるものが増えてきて、
安売りの目玉で300-400ドルくらいのものも準備されていたようです。
だから、おじさんたち一生懸命だったんだと思いますが、
人を踏みつけてまで、倒れている人を助けようともしないで、
買いに走るかなあ、と思いました。
前の方の人たちは8時間とか寒い中待っていたでしょうから、
「こんだけ待ったんだから、何としてでもハイビジョン薄型テレビ!」だったのでしょうが、
(ノートパソコン!の人もいたでしょうが・・・)
それでも、それはまずいでしょう。
楽しくないと思いますよ、そうやってゲットしたテレビで好きな番組見ても、スポーツ見ても。
自分の足には「人を踏んだ」って感触残るでしょ。
そのテレビで「その人亡くなった」というニュースも流れるでしょうし。
防犯ビデオの映像を調べて、刑事事件の立件も目指すとか、言われていますが、
この国の行く道が大きく変わっていくような方向で生かされるように願います。


でも、日本と違うな、と思うのは、
まず「店の準備体制は?」「客をちゃんと誘導したか」とかが言われる前に、
(もちろん、それも大切でしょうが・・・)
「そこまでして買い物に走るのはおかしい」という論調がほとんどだということです。


せめてもの救いです。


自分も本当に大切にすべきものを大切にする者でありたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日は黙示録の1章9-20節。


「わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。」17-18節。

イエスはすべてを支配しておられる方で、
今も生きておられる方。
わたしのすべて。
今も共にいてくださる。

そのことを思いめぐらしました。

まだまだ、自分は「イエスと共にいる喜び」のほんの入り口を見せてもらっている、だけなのかも、と思わされてました。

もっともっとイエスと共に歩む喜びを経験させて頂きたい。
心の中からの飢え渇きが湧いてきています。

イエスよ、
あなたが初めであり、終わりであってくださること、
すべてであってくださること、感謝します。
どうか、あなたの愛の中に生きることのすばらしさを
もっともっと経験させてください。

とりなし。

朝起きたら更新、宣言にもかかわらず、
もう昼になってしまいました。


昨夜は人数は決してめちゃくちゃ多くはありませんでしたが、
20人くらいの方々がおいでくださって、
その中でも、初めて我が家においでいただく方々が、5人、
また去年の今頃はお互いその存在を知らなかった方々も何人もおられて、
とても、幸いな一時でした。
去年は一つのテーブルを囲んでみんな一つのグループでいろいろ話したのですが、
今年は自然といくつものグループに分かれて、
他愛のない話も、いい話もいろいろすることができてとても気持ちのいい一時でした。


昨日の名言。

中高生や若い方々がUNOをやっているのを見たのんち、
「あ、UNOやってるんだ。盛り上がっているね。で、『大貧民』は誰?」

それゲーム違うでしょ。
この調子では20年後、30年後が思いやられます。


では、昨日の聖書。
昨日からヨハネの黙示録に入りました。
難しいところですが、「日々のみことば」のヘルプがあるのは助かります。
昨日は1章1-8節。


「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。」5-6節。

私たちは祭司とされた、ということが心に留まりました。
祭司は民の側に立って「とりなし」をする人。
神さまの前に祈る人。

その使命をいただいていることを再確認しました。
祈るために招かれていることを感じました。

そして、名簿を見て、また心に浮かぶ方々の名前を一つ一つ、挙げながら祈りました。
私もこのように祈られてきた。
私もこのように祈ることをもっともっとさせて頂きたいと思いました。

神さまが「もっと祈りの世界を知ってもらいたい」と願っておられることを思わされます。
「おまえは、こんなもんだと思っているかもしれないし、自分の経験の中で教会の人々に語っているけれども、もっとすごい世界なんだぞ」と言われているように思います。

主よ、
あなたが「とりなし手」として私を招いていてくださることに、
心から感謝します。
神さま、どうか、今日も教会に連なる一人一人を、
私に出会わせてくださった一人一人をお守りくださり、
語ってくださいますように。

感謝。

今日の一日と、
今日の一つ一つの出会いに感謝。

今日の一人一人の愛に感謝。

あ、もう28日になってしまいましたね。

月末で、12月に向けて、
いろいろ週末に準備しなければいけないものが、たまり中。
明日も有意義な一日となりますように。

聖書はまた朝起きてから。

2008-11-26

使命と助け。

たぶん、今書かないと、また、
「また明日!」となってしまうと思ったもので、
NYPLからの2回目の更新。


今日、図書館で仕事をしていて気がつきました。
コンピューターのキーボードの上の方に、折れた針のようなもの。
コンピューターが閉じた時に、自動的にスリープに入れるための、
小さなプラスチックの部品です。


まあ、しょうがないですね。
3年保証が切れてもうすぐ1年。
無意識で閉めてしまうことがないように、
ちゃんと閉じる時にはスリープに入れたり、
シャットダウンしたり、する習慣が必要になりました。


もうひとがんばりしてもらわないといけませんから・・・。
(といいながら、Black Fridayの出物をチェックしていますが・・・)


今日は2週間前に「来週はもっとおいしいのを作るぞ」と思っていた、
Mongolian Barbecueに行きました。
今日はシーフードスペシャル。
たくさんホタテを入れて、たくさんエビを入れて、
でも重さでお金を払うので、
前回と同じ値段でした。
でも、ランチが大幅に遅れて、3時前になっていたので、
閉まる直前・・・。あわてて頼んで、あわてて食べて・・・。


ああ、次回は(また食べるかよ!)もっと早く来ようと思いました。


でも、この遅いランチには神さまのご計画があったのです!


なんと、食事の後、図書館でもう一仕事、と思って帰る途中、
ミッドタウンの真ん中で、「かきごおり先生!」
(もちろん実際は「芸名」の方を使ってくださいましたが・・・)
と呼ぶ声が。


なんと、3日前の日曜日の感謝祭礼拝に始めてこられた方でした。


主の導きを感じて、少しお話しして、
お祈りをする時がもてました。


本当に神さまが使命を果たさせてくださるんだと思わされました。


・・・というのは、今朝の聖書のみことばが伏線にあったのです。


ということで、今朝の聖書の言葉。
今朝は詩篇の86篇の後半、19-35節。


「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。」(19節)


NIVでは our burdenとなっています。

私たちの重荷を、主が、共に、日々、負ってくださる。

自分は、いつの間にか、
神さまが腕組みをしながら見ておられて、
「しっかりやれよ」という思いで見ておられるようなイメージを持ってきました。
だから、「しっかりやらなきゃ」「いったい何をしているんだろうか、自分は」という思いがあります。

でも、今日のところで、
神さまが私の重荷を負ってくださる方なんだと。

本当にそのことを思って、
自分一人で何かやっているかのような勘違いをしてきたことを、
思わされました。
そして、肩に入っていた力が抜けていくのを感じました。

そして、今日の神さまの導き。
本当に励まされました。
これからもこの方がおられるから大丈夫です。

祈っていきたいと思います。

主よ、
あなたが私の重荷を負ってくださる方であり、
私が一人で負おうとしていることを、戒めてくださったこと、
解放してくださったことに感謝します。
これからも、一つ一つのことを、
御手の中に導いてください。

ガードレールは崖ぎりぎりに造るな。

昨日、帰ってきた時は、
「ああ、寒くなってきたなあ」と思いましたが、ちょうど0度くらい。
でも、今朝はそれほど冷え込みませんでした。
逆に気温はちょっと上がったようです。
今日は穏やかな、過ごしやすい日になりそうです。


ちょっと前に、
iTunesからpodcastなるものをぼやーっと見ていたら、
カテゴリーの中に、Religion and Spiritualityなるものがありました。
日本だといろいろまた怪しいのがあるんでしょうが、
(いえ、アメリカにもたくさんありますが・・・)
こちらでは、いくつかの尊敬できるリーダーたちの語る言葉を聞くことができます。


で、Andy Stanleyの最近のものを聞いてみました。
アトランタのNorth Point Communitiy Church の牧師で、
First Baptistの良くテレビに出ているCharles Stanleyの息子です。
58年生まれなので、5つ年上。
私がアトランタからNJに移ってきて間もなく6人でスタートした教会に、
今や2万人以上が毎週通っているそうです。


もちろん、コンピューターでも聞けますが、
携帯に入れてバスに乗ったり、NYを歩きながら聞けるのが、いいですね。
コンピューターだと、その前に座っているのがちょっときついので。


”The Best Question Ever”の第3回目。 
題して「崖っぷちに生きる」。


その中で何度も彼が言っていたのが、
「ガードレールは崖っぷちに造るな」ということ。
余裕を持って、もっともっと手前に造りなさい、と。


これ以上行ったら崖に落ちる、というところに、
ガードレールを造るのは危なすぎる、
ちょっとしたトラブルで、それを超えたら落ちてしまう。
だから、ゆとりを持って崖よりもずっとこっち側にガードレールを造りなさいと。


自分はどうだろうかなあと思いました。
結構、いや、いざというときにはちゃんと踏みとどまれる、
なんて、自信過剰になっているかもしれない、と思わされました。


謙遜でありたいと思います。


さて、昨日の聖書。
昨日は詩篇の86篇1-18節。


「A father to the fatherless・・・」5節。

NIVで読んだのですが、
主の父親のない者の父親になってくださる、
宣言に心が留まりました。

誰にでも、
他の人には当たり前のように
与えられたものが与えられていない、
ということがあります。

私たちはどうしてもその「与えられなかったもの」に目がいきます。

そして、世の中は、
その「与えられなかったものに目を向けないで、与えられているものに目を向けなさい」と言います。もちろん、それも無意味ではないでしょう。

でも、主は、「私自身がそのあなたに与えられなかったものになる」と言ってくださるのです。

父親の愛を知らないで育った者には、
私が父親になる、と言ってくださる、というのです。

自分は何だろうと思いました。
自分は何を与えられなかったんだろうかと。

与えられなかったものに目を向ける、
それは今まで「そんなのは贅沢な悩み」と言われ、自分でも自分に言い聞かせ、
封印してきた心の深いところにある痛みに触れる、
そして、「与えられなかったものではなくて、与えられているものに目を向けなさい」と言われて、目を背けていたものに光を当て、
絡んでしまった糸をほどいていく、そんな時になるのではないだろうか。

そして、それをあなたに与えなかったのは、
そこに、その空洞に私が入るためだった、
と主は言われる。

パンドラの箱を開けるような怖さはあるけれども、
大丈夫、主がそこに満ちてくださると約束してくださっているから。
勇気を出して、開いてみよう。

主よ、
私に与えてくださらなかったものの故に、
心から感謝します。
そこにあなたが来てくださるから。
そこに目を留めるのは、
痛いし、悲しいし、不安だし、悔しいし、
惨めな気持ちになります。
だから、主よ、満ちあふれてください。
私が与えられなかったすべてになってください。

2008-11-25

お父さんたちの毎日。

いや、決してお父さんたちだけじゃなくて、
お母さんやお姉さんでもそのような生活をしている方々もおられるでしょうが・・・
まあ、イメージ的にはお父さんっぽいかな、と思うので・・・。

今日は先ほどNYから帰ってきて、
明日はまたNYの面談日なので、
7時間半後にはもうNYにいるわけで、
早く休もうかと思いますが、
世のお父さんたちの中には、
午前様になって、帰って、寝て、
翌朝またNYに出勤という毎日を過ごしておられる方々も、
おられるわけですよね。
(長い+行き先のわからない悪文)

いやあ、これが毎日になったら、
家のこととか、何にもできないですよね。
私は今日の昼間家で仕事をしていたので、
ちょっと時間の合間に、トイレ修理。
最近、夜中とかずっと流れっぱなしになっていたりしたので、
あさってのThanksgivingにはお客さんも来られるし・・・
(例年通り、どなたでも歓迎です)

世のお父さんたちはホントに大変だな、と思った夜でした。

また、今日の聖書は明日の午前中にでも・・・。

2008-11-24

感謝祭礼拝。

昨日の礼拝は本当に新しい方がたくさん来られて、
とてもうれしかったです。

用事があってこられない、という方、
風邪を引かれた、という方、
結構おられて、あれあれ、ちょっとこぢんまりした礼拝と愛餐会かな、
まあ、それもいいなあ、と思っていたのですが、
神さまはちょっと違う考えでおられたようで、
子どもを入れて100人を超える方々が来られました。
その中で全く初めての方も20人以上。


まだまだ働きのFieldは広いと思いました。


もっともっと、初めての方でも、
わかるメッセージを心がけなければ・・・と思いました。

そしてたくさんのお料理。
私は今回はどうにもこうにもtime managementができなくて、
何も作れませんでしたが、
でも、私なんか出る幕なくても、
皆さんすごくたくさん作ってきてくださいました。


来られた皆さん、十分召し上がったでしょうか?
そして、楽しい一時を過ごして頂けたでしょうか?




たくさんの方々をお迎えすることもうれしいですが、
それよりも大切なのは、来られた方々とQualityの高い時間を過ごすこと。
また続けてこられる方々も起こされますように。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の67篇。


「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。」1節。

昨日の説教の中で語ったことが自分の心に問われています。

私は神さまを一番に求めているだろうか?
神さまがおられることを、神さまが共にいてくださることを、
一番感謝しているだろうか?

神さまの与えてくださる「もの」を求めて、
神さまご自身を求めていないことはないだろうか?

神さまの与えてくださる「平安」を求めて、
神さまご自身を求めていないことはないだろうか?

神さまの与えてくださる「ビジョン」を求めて、
神さまご自身を求めていないことはないだろうか?

神さまの与えてくださる「燃える思い」を求めて、
神さまご自身を求めていないことはないだろうか?

昨日子供たちのためのThe BRAVEの聖書箇所は、
アブラハムがイサクをささげるように言われるところですが、
神さまよりも神さまが与えてくださった約束の子イサクの方が大切になって、
そっちの方が神さまよりも喜びになったんだろうと思います。

だから、神さまは、
もう一度神さまご自身を喜びとする歩みへと招かれた。

私も今、招かれていることを感じています。

ほんとに、神さまご自身を喜びとする者となりますように。

神さま、
あなたを求めます。
あなたが御顔を向けてくださることが、
私の喜びです。


いつの間にか、あなたではなく、
あなたの与えてくださる何かが、
あなた以上の喜びになることがありませんように。

Role Model。

あっという間に月曜日も夜になってしまいました。
今日は朝は-4度くらいの寒さでしたが、
昼間は久しぶりに10度を超えて、
ぐっと寒さがゆるみました。


今夜は雨。


Heavy Rainと予報が出ています。
明日にかけてまとまった雨になりそうです。


昨日の朝、
教会で祈っている時に、
最近日本からいただいた一通のメールのことが
心に浮かびました。


それは彼の教会に来ている一組の夫婦を愛し、
そのために自分は何をすべきかを模索し、
心から受け入れながら、
でも、まさに愛し受け入れているが故に
どうしてもおかしいと思うところは、
はっきりと伝えている様子が書かれているメールでした。


若い働き人でありながら、
そのような勇気と愛にあふれた姿に、
本当に心が熱くなりました。


自分がいかにたくさんの対決すべき場面でそれを避けてきたか、
そのことを考えさせられました。
勇気のなさよりも、愛のなさを突きつけられ、
悔い改めに導かれました。


そして、教会の一人一人の思い、
単に表面的な一生懸命さや、忠実さではなくて、
心の思いに目を向ける者にさせて頂きたいと祈らされました。


神さまが与えてくださったrole model。
自分よりも若い働き人ですが、
そのようなmodelが与えられたことに感謝。


考えてみると、私の牧師としての働きの中で、
先輩牧師なり、同労者なりが、
そのような愛にあふれた対決をしておられるのを
あまり見たことがありませんでした。


どちらかというと、愛にあふれてだとは思うのですが、
自分の考えを譲り、相手を赦し受け入れて・・・という姿を見てきたと思うのです。


対決もあったかもしれませんが、
それはあまり見えるところでは起こらないのかもしれません。


本当に愛にあふれた対決ができる働き人との
出会いを与えてくださった神さまに、心から感謝。


昨日、日曜日の聖書。
昨日は詩篇の66篇10-20節を読みました。


「もしも私の心にいだく不義があるなら、
  主は聞き入れてくださらない。
 しかし、確かに、神は聞き入れ、
  私の祈りの声を心に留められた。」18-19節。

この言葉ではいろいろなことを思わされます。
いつかは、本当に自分の罪を探られることもありました。

でも、昨日はこの箇所から、この詩人と同じように、
「わたしが不義にとらわれていないことを証明するために、どうか、祈りに答えてください」と祈りました。

もちろん、失敗ばかりです。
過ちを犯します。
罪人です。

でも、この詩人がそうであったように、
困難の中で、神さまに祈った時に、
神さまが聞いてくださったことの中に、
神さまが祈りに答えてくださったことの中に、
「私が間違っていたわけではないですよね」という
答えをいただきたいと思ったのです。
聞き入れて頂きたいと思ったのです。

主よ、
私が間違っている時には教えてください。
はっきりと教えてください。
私の願いが自分のわがままや自己中心的な思いに支配されているならば、
そのことをはっきりとわからせてください。


しかし、私の願いや行動が罪によって支配されていない時には、
その祈りを聞き入れ、御業をなしてください。


信じます。


あなたは祈りに答えて御業をなしてくださる方であることを。

2008-11-23

感謝。感謝。

今日もいろいろ書きたいことはあるのですが、
とにかく、たくさんの方々をお迎えして、
感謝祭礼拝、愛餐会を持つことができました。
100人を超える方々が来られました。

新しい方々との出会い、いつもうれしいのですが、
今回は本当にうれしく、また楽しかったです。

朝祈っていた時に導かれたこともあって、
いろいろ書きたいのですし、
まだあまり眠くはないのですが、
また夜更かしになってしまうので、
明日、ゆっくり書きます。

心から感謝しつつ。

ではでは。

2008-11-22

まるで真冬。

今日も寒かったです。
朝は-6度。
でもそれよりも、昼間の寒さが異常でした。
最高気温が0.3度。
かろうじて真冬日を逃れました。


今、夜の12時前ですが、もうすでに-4.7度まで下がっています。
朝は-7度くらい。



明日は今日よりは暖かくなるでしょう。
でも、昼間もせいぜい5度止まり。


寒いです。
おかげであちらこちらで
「風邪ひいた」
「熱出した」
との声が挙がっています。
私は10日前の風邪がいつの間にか治っています。
いつ治ったかわかりませんが、
今日、「あれ、風邪が治ってる?」と思いました。
ありがたいことです。
神さまが与えてくださった健康に感謝。
これは特別なことだと思わされる今日この頃です。


でも、明日は教会の感謝祭礼拝。
礼拝後には愛餐会もあります。
たくさんの方々と礼拝を共にすることができますように。
心からの感謝を神さまと人々に表すことができますように。


今日は4回目のJOYJOYシンガーズ練習。
新人が3人!
常連が3人休みで、結局13人でしたが、
まだまだ「行く」発言がある方々がおられるので、
今後増えていくだろうと思います。


そして、初舞台は21日のJOYJOYクリスマス。
練習もあと4回です。
いよいよ詰めていかないといけません。
仕上げていかないと。
そしてみんな緊張するでしょうから、
緊張しても大丈夫なくらい、
ばっちり仕上げておかないと。


さて、今日の聖書は詩篇の66篇1-9節。


「さあ、神のみわざを見よ。
  神の人の子らになさることは恐ろしい。
  神は海を変えて、かわいた地とされた。
  人々は川の中を歩いて渡る。」(5-6節)

英語で読んだ時に、「Come and see」という呼びかけが心に留まりました。
来て、見てご覧なさい、というのです。
そしてそれは何かというと、
神さまが海を渇いた地にされた、ということ。

私たちの目の前に広がる困難、
それに、主は海を渇いた地にするように、
道を開いてくださる。

それをほんとうに信頼しました。
そのことを主がしてくださると。

だから踏み出していくことを恐れないでいたいと思います。
恐れないで踏み出していきたいと思います。
踏み出した時に開かれる道もある。
それまで見えなかったところに見えてくる道もある。
インディージョーンズにもそんな場面がありましたね。

主がそのようなことをしてくださいますように。

主よ、
あなたが海を渇いた地にしてくださる方であることを感謝します。
単に昔の出来事ではなくて、
どこかの信仰の勇者のためにしてくださったことではなくて、
私の人生にそのことを見せてくださいますように。