そしてとうとう追いついた今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録に入って、第1章。
「神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」8節。
神様は、すべての支配者。
すべてを持っておられる方。
ビル・○イツでもなく、
トランプさんでもなく、
NYの市長でもなく、
神様がすべてを持っておられる方。
だから、この方に信頼していこう。
この方を信頼して歩んでいこう。
この方に求めていこう。
私たちの目を主に合わせて、
すべてを支配しておられる方に合わせて歩んでいこう。
「万物の支配者」
すべてのもの、全部が、主の御手の中にある。
だから、恐れないでいこう。
主に求めていこう。
主よ、
あなたがすべてを持っておられる方であることを、
忘れることがありませんように。
それを信頼して歩んでいくことができますように。
わたしが勘違いをすることがありませんように。
ただ、あなたの支配を信頼して、すべてがあなたの御手の中にあることを
信頼して歩んでいくことができますように。
2007-03-03
聖霊によって祈る
今日もあっという間に時間が過ぎていきました。
朝は-2度だったのですが、
昼間はほんとうにポッカポカになりました。
15度くらいまでいったでしょうか?
でも、今は夜の11時半で、3.8度。
明日からは寒い日が続きそうです。
火曜日水曜日あたりは-10度以下まで下がるようです。
今日は一日祈らされていました。
御言葉を待ち望みながら祈りました。
今週一週間に与えられた御言葉。
「あなたがたの手で食物をやりなさい」
「わたし自身が共に行くであろう」
「静まってわたしこそ神であることを知れ」
やはり伝道したいと思いました。
思いっきり伝道したいと思いました。
5000人の人が5つのパンと2ひきの魚で満腹した記事を思い出して、
ほんの少しの手の中にあるものを主にささげて、
その主の祝福によって、多くの人が満たされるような御業を見せて頂きたいと思います。
昨日(金曜日)の聖書の言葉。
ユダの手紙でした。
「聖霊によって祈り・・・」20節。
聖霊によって祈るというのはどういうことなのだろうかと思わされました。
聖霊様によって導かれる歩み、
聖霊様が教えてくださること。
ほんとうにその世界をもっともっと知りたいと思います。
聖霊様の助けを頂いて、
聖霊様に満たされて歩みたいと思います。
「知識として知っている」じゃなくて、
「聞いたことがある」じゃなくて、
「後で振り返ると」ではなくて、
聖霊様によって祈ることを教えて頂きたいと思いました。
「求めてくる者に、聖霊を下さらないことがあろうか」と言われたイエスの言葉を信頼して、
聖霊様を求めます。
主よ、
聖霊によって祈る、祈りへわたしを導いてください。
聖霊様に満たして下さい。
どうか、教えて下さい。
経験させて下さい。
聖霊様、あなたを求めます。
わたしを満たして下さい。
私のうちにあふれて下さい。
わたしのすべてを支配して下さい。
朝は-2度だったのですが、
昼間はほんとうにポッカポカになりました。
15度くらいまでいったでしょうか?
でも、今は夜の11時半で、3.8度。
明日からは寒い日が続きそうです。
火曜日水曜日あたりは-10度以下まで下がるようです。
今日は一日祈らされていました。
御言葉を待ち望みながら祈りました。
今週一週間に与えられた御言葉。
「あなたがたの手で食物をやりなさい」
「わたし自身が共に行くであろう」
「静まってわたしこそ神であることを知れ」
やはり伝道したいと思いました。
思いっきり伝道したいと思いました。
5000人の人が5つのパンと2ひきの魚で満腹した記事を思い出して、
ほんの少しの手の中にあるものを主にささげて、
その主の祝福によって、多くの人が満たされるような御業を見せて頂きたいと思います。
昨日(金曜日)の聖書の言葉。
ユダの手紙でした。
「聖霊によって祈り・・・」20節。
聖霊によって祈るというのはどういうことなのだろうかと思わされました。
聖霊様によって導かれる歩み、
聖霊様が教えてくださること。
ほんとうにその世界をもっともっと知りたいと思います。
聖霊様の助けを頂いて、
聖霊様に満たされて歩みたいと思います。
「知識として知っている」じゃなくて、
「聞いたことがある」じゃなくて、
「後で振り返ると」ではなくて、
聖霊様によって祈ることを教えて頂きたいと思いました。
「求めてくる者に、聖霊を下さらないことがあろうか」と言われたイエスの言葉を信頼して、
聖霊様を求めます。
主よ、
聖霊によって祈る、祈りへわたしを導いてください。
聖霊様に満たして下さい。
どうか、教えて下さい。
経験させて下さい。
聖霊様、あなたを求めます。
わたしを満たして下さい。
私のうちにあふれて下さい。
わたしのすべてを支配して下さい。
2007-03-02
真理そのものの証言
今朝はすごい雨でしたね。
川がごうごう流れていました。
でも、昼頃には晴れ間も出てきて、
暖かくなりました。
13度くらいまで上がって、
春の陽気です。
これからは毎日ではなくても、こんな日々が出てくるのだと思います。
明日までは暖かくて、
その後、また火曜日、水曜日くらいを底にして、
冷え込むみたいです。
朝晩は-15度、昼間も0度以下の日があるみたいです。
そして10日を過ぎると、また暖かくなるでしょう。
来週は教会の方の結婚式があります。
私自身の司式ではないのですが、
新しく築かれる家庭に祝福がありますように祈ります。
姉妹の存在が周りの方々にとって、
神様の祝福の流れていくポイントとして用いられますように。
結婚式当日が、
「大雪」とかになりませんように。
あの"Superstorm"は3月半ばでしたからねえ。
昨日の聖書。
昨日はヨハネ第3の手紙でした。
その中で心に留ったのは、
「デメテリオはみなの人からも、また真理そのものからも証言されています。」という12節の言葉です。
真理から証言されている。
声を大きくして言わなくてもいい。
真理が証言する、ということ、
それのすばらしさを思わされた。
焦ることがある。
でも、焦らなくていい。
真理は自ずから明らかになるのだから。
自分たちの結婚式の時に、
恩師がひいてくださった聖書の言葉。
「アロンの杖からは芽が出た」
という言葉。
一生懸命論証しなくていい。
それがホンモノならば芽を出すのだから。
神様ご自身が明らかにしてくださるのだから。
安心していいのだと思わされた。
主よ、
あなたの御手に委ねます。
あなたがすべてを導いてください。
あなたが真理を明らかにしてください。
杖から芽を出させてくださる
あなたの御手に委ねます。
川がごうごう流れていました。
でも、昼頃には晴れ間も出てきて、
暖かくなりました。
13度くらいまで上がって、
春の陽気です。
これからは毎日ではなくても、こんな日々が出てくるのだと思います。
明日までは暖かくて、
その後、また火曜日、水曜日くらいを底にして、
冷え込むみたいです。
朝晩は-15度、昼間も0度以下の日があるみたいです。
そして10日を過ぎると、また暖かくなるでしょう。
来週は教会の方の結婚式があります。
私自身の司式ではないのですが、
新しく築かれる家庭に祝福がありますように祈ります。
姉妹の存在が周りの方々にとって、
神様の祝福の流れていくポイントとして用いられますように。
結婚式当日が、
「大雪」とかになりませんように。
あの"Superstorm"は3月半ばでしたからねえ。
昨日の聖書。
昨日はヨハネ第3の手紙でした。
その中で心に留ったのは、
「デメテリオはみなの人からも、また真理そのものからも証言されています。」という12節の言葉です。
真理から証言されている。
声を大きくして言わなくてもいい。
真理が証言する、ということ、
それのすばらしさを思わされた。
焦ることがある。
でも、焦らなくていい。
真理は自ずから明らかになるのだから。
自分たちの結婚式の時に、
恩師がひいてくださった聖書の言葉。
「アロンの杖からは芽が出た」
という言葉。
一生懸命論証しなくていい。
それがホンモノならば芽を出すのだから。
神様ご自身が明らかにしてくださるのだから。
安心していいのだと思わされた。
主よ、
あなたの御手に委ねます。
あなたがすべてを導いてください。
あなたが真理を明らかにしてください。
杖から芽を出させてくださる
あなたの御手に委ねます。
2007-03-01
キリストに留まる
今日も暖かい一日でした。
でも、夜は雨。9時半現在、まだ大したことはありませんが、
「大雨」だそうです。
明日の昼頃までは雨が降るようです。
もう今日から3月。
暖かな日も多くなってくるでしょう。
今日、聖書を読んでいたときではなかったのですが、
心に響いてきた聖書の言葉。
「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」
ルカ9:25
「自分自身を失う」という言葉がほんとうに心に深く深く響いてきました。
自分は今「自分自身」を失っていないだろうか、見失っていないだろうか、
主に問われたように感じました。
今、教会では教会堂のことを真剣に祈り、求めています。
でも、教会も「自分自身を失う」ということがないように、
何よりも、御言葉によって取り扱われ、
御言葉によって生かされて歩んでいくことができるようにと祈ります。
「教会の本質」を失うことがないように、祈ります。
「なくてならぬものは多くはない、いや一つだけである」とイエスが言われたように、
一生懸命な奉仕でもなく、楽しさでもなく、多くの人が集まることでもなく、
もちろん、立派な建物でもなく、
ただ、御言葉に聞き従うということが、「なくてならぬもの」として、
堅く立っていくように、祈ります。
さて、昨日(水曜日)の聖書。
ヨハネの第2の手紙です。
心に留った言葉は、
「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。」9節の言葉です。
キリストの教えに留まること。
目新しいことや一般ウケしそうなことに心を奪われたり、
何か派手なことを求めたりすることでなくて、
単純に、愚直に、
キリストの教えを大胆に語っていくこと、
それが自分の使命だと思わされました。
私も人の影響を受けやすい人間です。
どこかで成功している教会の話を聞くと、
派手な、目新しいことを、
まねしたくなることもあります。
でも、
ほんとうに真実に、
単純にキリストの教えを語っていくことが
大切なのだと、
私の使命なのだと再確認させて頂きました。
教えられました。
主よ、
ただ、福音に生きる者としてください。
単純に福音を信じて、
福音を伝える者としてください。
御言葉の力をもっともっと経験させてください。
そして、御言葉によって取り扱われる方々を
次々と起してください。
transformationが一人ひとりの歩みの中に
起されていきますように。
でも、夜は雨。9時半現在、まだ大したことはありませんが、
「大雨」だそうです。
明日の昼頃までは雨が降るようです。
もう今日から3月。
暖かな日も多くなってくるでしょう。
今日、聖書を読んでいたときではなかったのですが、
心に響いてきた聖書の言葉。
「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」
ルカ9:25
「自分自身を失う」という言葉がほんとうに心に深く深く響いてきました。
自分は今「自分自身」を失っていないだろうか、見失っていないだろうか、
主に問われたように感じました。
今、教会では教会堂のことを真剣に祈り、求めています。
でも、教会も「自分自身を失う」ということがないように、
何よりも、御言葉によって取り扱われ、
御言葉によって生かされて歩んでいくことができるようにと祈ります。
「教会の本質」を失うことがないように、祈ります。
「なくてならぬものは多くはない、いや一つだけである」とイエスが言われたように、
一生懸命な奉仕でもなく、楽しさでもなく、多くの人が集まることでもなく、
もちろん、立派な建物でもなく、
ただ、御言葉に聞き従うということが、「なくてならぬもの」として、
堅く立っていくように、祈ります。
さて、昨日(水曜日)の聖書。
ヨハネの第2の手紙です。
心に留った言葉は、
「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。」9節の言葉です。
キリストの教えに留まること。
目新しいことや一般ウケしそうなことに心を奪われたり、
何か派手なことを求めたりすることでなくて、
単純に、愚直に、
キリストの教えを大胆に語っていくこと、
それが自分の使命だと思わされました。
私も人の影響を受けやすい人間です。
どこかで成功している教会の話を聞くと、
派手な、目新しいことを、
まねしたくなることもあります。
でも、
ほんとうに真実に、
単純にキリストの教えを語っていくことが
大切なのだと、
私の使命なのだと再確認させて頂きました。
教えられました。
主よ、
ただ、福音に生きる者としてください。
単純に福音を信じて、
福音を伝える者としてください。
御言葉の力をもっともっと経験させてください。
そして、御言葉によって取り扱われる方々を
次々と起してください。
transformationが一人ひとりの歩みの中に
起されていきますように。
みこころにかなう願い
順調に礼拝説教の準備が進んで、
原稿を通訳の方にお送りしました。
1時過ぎに更新できるなんて・・・。
水曜日はNYに行く日。
暖かい日で助かりました。
正確には分りませんが、10度くらいあったのでは・・・。
木曜日の夜・・・今日の夜は「大雨」だそうです。
ドライブは気をつけて・・・。
今日も何人かの方々とNYでお会いしましたが、
やはり私の仕事はそのお一人一人が神様の方に目を向けることを
サポートすること。
焦点がずれていたら、「ずれていますよ」と言わなければいけない。
それをまっすぐ受け取る人はぐんぐん成長する。
それも勇気がいる仕事。
でも、ほんとうに報われる働きだなあ、と思います。
聖書によって取り扱われた証しを伺うことほど、
うれしいことはありません。
そして、その「お互いが神様の方に目を向けることをサポートする」
ということは、牧師だけしかできないことではない、と思います。
そのようなことがお互いの中でできていくときに、
教会は元気になって、成長していくのかな、と思います。
期待しつつ。
火曜日の聖書。(なかなか追いつけないですね。読んではいるのですが・・・)
火曜日はヨハネ第1の手紙の5章を読みました。
その中で心に留ったのは、
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」14節の言葉です。
「みこころにかなう願いをするなら・・・」という言葉。
ここがポイントなんだろうなあと思います。
だったら、どのように御心を知ることができるか?
聖書。
やっぱり聖書を読むことなのか、
聖書から教えられることなのか。
いろんな試練の中でも、神様に近づけられる。
だったら、試練も必要なのだと思う。
そう、ヘブル人への手紙の12章を読んだら、試練によって、
「神のきよさをshareしてもらえる」という。
もっともっと神様に近く歩みたい。
もっともっと神様と共に歩きたい。
そう思いました。
主よ、
もっとあなたの御心が知りたいです。
あなたの御心を教えてください。
私にあなたのきよさをshareしてください。
明日の出会いも祝福されますように。
原稿を通訳の方にお送りしました。
1時過ぎに更新できるなんて・・・。
水曜日はNYに行く日。
暖かい日で助かりました。
正確には分りませんが、10度くらいあったのでは・・・。
木曜日の夜・・・今日の夜は「大雨」だそうです。
ドライブは気をつけて・・・。
今日も何人かの方々とNYでお会いしましたが、
やはり私の仕事はそのお一人一人が神様の方に目を向けることを
サポートすること。
焦点がずれていたら、「ずれていますよ」と言わなければいけない。
それをまっすぐ受け取る人はぐんぐん成長する。
それも勇気がいる仕事。
でも、ほんとうに報われる働きだなあ、と思います。
聖書によって取り扱われた証しを伺うことほど、
うれしいことはありません。
そして、その「お互いが神様の方に目を向けることをサポートする」
ということは、牧師だけしかできないことではない、と思います。
そのようなことがお互いの中でできていくときに、
教会は元気になって、成長していくのかな、と思います。
期待しつつ。
火曜日の聖書。(なかなか追いつけないですね。読んではいるのですが・・・)
火曜日はヨハネ第1の手紙の5章を読みました。
その中で心に留ったのは、
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」14節の言葉です。
「みこころにかなう願いをするなら・・・」という言葉。
ここがポイントなんだろうなあと思います。
だったら、どのように御心を知ることができるか?
聖書。
やっぱり聖書を読むことなのか、
聖書から教えられることなのか。
いろんな試練の中でも、神様に近づけられる。
だったら、試練も必要なのだと思う。
そう、ヘブル人への手紙の12章を読んだら、試練によって、
「神のきよさをshareしてもらえる」という。
もっともっと神様に近く歩みたい。
もっともっと神様と共に歩きたい。
そう思いました。
主よ、
もっとあなたの御心が知りたいです。
あなたの御心を教えてください。
私にあなたのきよさをshareしてください。
明日の出会いも祝福されますように。
2007-02-28
2007-02-27
恐れからの解放
今朝はやっぱりうっすらと雪が降っていたみたいですが、
学校はもちろん、平常通りでした。
そして、昼間には8度くらいまで上がりました。
いいですね。
そうそう、今朝起きたら、何だか変なにおい。
またまたスカンクのにおいです。
こんな季節に・・・。
一日中なんかスカンクのにおいが取れません。
どこで一発こいたのでしょうか?
うちの床下にでも入り込んだのだろうか・・・。
今夜も一時小雪とか言っていますが、
明日は、晴れるみたいです。
4日ぶりの太陽。
暖かくなって欲しいです。
昨日(月曜日)の聖書。
昨日はヨハネ第1の手紙の4章を読みました。
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」18節。
ほんとうに自分の課題。
人に対して恐れを抱くのではなくて、
愛を持つこと。
読む度にどきっとするし、祈らされる。
「愛を持って真実を語る」ってできるだろうかと思わされる。
主よ、
私に愛を与えて下さい。
人を愛する愛を与えて下さい。
恐れを締め出す愛を与えて下さい。
そして、愛を持って真実を語ることを教えて下さい。
明日はNYDayです。
学校はもちろん、平常通りでした。
そして、昼間には8度くらいまで上がりました。
いいですね。
そうそう、今朝起きたら、何だか変なにおい。
またまたスカンクのにおいです。
こんな季節に・・・。
一日中なんかスカンクのにおいが取れません。
どこで一発こいたのでしょうか?
うちの床下にでも入り込んだのだろうか・・・。
今夜も一時小雪とか言っていますが、
明日は、晴れるみたいです。
4日ぶりの太陽。
暖かくなって欲しいです。
昨日(月曜日)の聖書。
昨日はヨハネ第1の手紙の4章を読みました。
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」18節。
ほんとうに自分の課題。
人に対して恐れを抱くのではなくて、
愛を持つこと。
読む度にどきっとするし、祈らされる。
「愛を持って真実を語る」ってできるだろうかと思わされる。
主よ、
私に愛を与えて下さい。
人を愛する愛を与えて下さい。
恐れを締め出す愛を与えて下さい。
そして、愛を持って真実を語ることを教えて下さい。
明日はNYDayです。
2007-02-26
憎まれても・・・
今朝は5時半に電話が鳴って
・・・鳴ると分っていたんですが・・・
子ども達の学校は2時間遅れスタート。
子ども達は「えー!」、大人も「休みでもいいのにね」。
でも、確かに雪は朝に上がって10センチくらい。
お休みにするほどではありませんでしたから・・・。
それで、一番早い長男の予定に合わせて、
8時から雪かき開始。
8時45分には終わって、
シャワー+朝飯+身支度で、
9時20分のバスに乗っていきました。
次が長女で10時15分に学校。これは歩けるけど、
雪の時は車で送ります。
次が次女で11時に学校。
こちらもがんばれば歩けるでしょうが、
幼稚園児に20分の、雪の道や、
寒い朝はちょっと大変なので(大人は往復だし)、
送りました。
なんだか、一日がとても短く感じます。
学校から帰って、娘達はsnowman作りを楽しんでいました。
snowmanとは訳すと「雪だるま」なんですが、
ちょっと違うんですね、このsnowmanと「雪だるま」。
「雪だるま」は雪の玉を2つ重ねますが、
snowmanは3つなんですね。
今日も「手伝って」と言われて、
2つ積み上げて「できたできた」と言ったら、
「もう一個」と要求されました。
日本で育った私にとっては
2つで当然なんですが、
こちらで育っている彼女たちにとっては、
3つないとダメなんですね。
勉強になりました。
今夜も小雪。
今は小雨が降っていますが、後で雪になるみたいです。
でも、今夜は積っても1-2センチだそうで、
学校は普通通りでしょう。
昨日(日曜日)の聖書。
昨日は第1ヨハネの3章を読みました。
「兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。」13節。
もちろん、「自分の不徳の致すところ・・・」というケースも多いと思いますが、
必要以上に「憎まれたくない」という気持ちが働くことがあります。
幼児経験があるのでしょうか?
それとも持って生まれたものでしょうか?
そして、気に入られようと思ったり、ご機嫌を取ったり。
でも、私たちが見ていくべきなのは神様であり、
主の喜ばれるところを歩んでいくことが大切なんですよね。
しっかりと主を見つめながら、
主のみ声に焦点を合わせながら、
歩んでいきたいと思います。
恐れないで歩んでいきたいと思います。
主よ、
どうかあなたを見つめて歩ませて下さい。
あなたのみ声を聞きながら歩ませて下さい。
あなたのみ声に焦点を合わせます。
・・・鳴ると分っていたんですが・・・
子ども達の学校は2時間遅れスタート。
子ども達は「えー!」、大人も「休みでもいいのにね」。
でも、確かに雪は朝に上がって10センチくらい。
お休みにするほどではありませんでしたから・・・。
それで、一番早い長男の予定に合わせて、
8時から雪かき開始。
8時45分には終わって、
シャワー+朝飯+身支度で、
9時20分のバスに乗っていきました。
次が長女で10時15分に学校。これは歩けるけど、
雪の時は車で送ります。
次が次女で11時に学校。
こちらもがんばれば歩けるでしょうが、
幼稚園児に20分の、雪の道や、
寒い朝はちょっと大変なので(大人は往復だし)、
送りました。
なんだか、一日がとても短く感じます。
学校から帰って、娘達はsnowman作りを楽しんでいました。
snowmanとは訳すと「雪だるま」なんですが、
ちょっと違うんですね、このsnowmanと「雪だるま」。
「雪だるま」は雪の玉を2つ重ねますが、
snowmanは3つなんですね。
今日も「手伝って」と言われて、
2つ積み上げて「できたできた」と言ったら、
「もう一個」と要求されました。
日本で育った私にとっては
2つで当然なんですが、
こちらで育っている彼女たちにとっては、
3つないとダメなんですね。
勉強になりました。
今夜も小雪。
今は小雨が降っていますが、後で雪になるみたいです。
でも、今夜は積っても1-2センチだそうで、
学校は普通通りでしょう。
昨日(日曜日)の聖書。
昨日は第1ヨハネの3章を読みました。
「兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。」13節。
もちろん、「自分の不徳の致すところ・・・」というケースも多いと思いますが、
必要以上に「憎まれたくない」という気持ちが働くことがあります。
幼児経験があるのでしょうか?
それとも持って生まれたものでしょうか?
そして、気に入られようと思ったり、ご機嫌を取ったり。
でも、私たちが見ていくべきなのは神様であり、
主の喜ばれるところを歩んでいくことが大切なんですよね。
しっかりと主を見つめながら、
主のみ声に焦点を合わせながら、
歩んでいきたいと思います。
恐れないで歩んでいきたいと思います。
主よ、
どうかあなたを見つめて歩ませて下さい。
あなたのみ声を聞きながら歩ませて下さい。
あなたのみ声に焦点を合わせます。
2007-02-25
罪から離れる
昨日からPAのブリンマー日本語教会に行って参りました。
このHPの一部はエンコードを韓国語(EUC-KR)にすると日本語が文字化けしない、という不思議なページなのですが、「教会紹介」は日本語(Shift-JIS)で読めます。
2000年に始まった新しい教会ですが、30人くらいの方々が集まる教会になっています。
元気な先生と元気な皆さんの教会で、
こちらが元気をもらって帰ってきました。
それで昨日は更新はお休みしました。
そして、今は外は雪。
ちょっとまとまった雪になるそうです。
学校は休み、かな?・・・まだ発表、連絡はありません・・・。
そのブリンマーの教会の牧師の李先生と夜、話しながら、
先生が教会でいつも言っておられる言葉を伺いました。
「それ、もらった!」と思いました。
「みことばはinformationではなく、transformation」
うまく言うなあ、と思いました。
私も最近そのことを強く思わされていました。
「御言葉の根が心の内側に食い込んでいく」なんて言い方をしていましたが、
それより、ずっと、この先生の言い方の方がすっきりしていてわかりやすい。
聖書のみことばは「知識」を増やすものではなくて、
あなたのことを、あなたの内側を造りかえるもの。
あなたが料理するものでも、
それで人を料理するものでもなく、
自分がそれによって料理されるもの。
「みことばはinformationではなくて、transformation」
このページを読まれたあなたにも、
そのことが起こりますように。
ただ、informationとして、聖書を読むのではなくて、
それによって、あなたのうちにtransformationが起こりますように。
昨日、土曜日の聖書。
第1ヨハネ2章でした。
「私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」1節。
罪から離れること、
罪を犯さなくなること。
そんなことを意識していたら、おかしくなってしまうのでは、と思う自分がいます。
でも、さっき書いたように、この御言葉によって、
私のうちにtransformationの御業が起こるようにと祈ります。
自分の思いもこだわりも打ち砕かれるようにと祈ります。
「怒っても罪を犯してはならない」という言葉もあります。
罪から守られるようにと祈ります。
神様が私を罪から守って下さるようにと祈ります。
故意の罪からは完全に離れたいと思います。
誘惑に負けない強さが欲しいと思います。
そして、感情的な波に押し流されて、
罪を犯してしまうことがないようにと思います。
御言葉にいつもいつも守られて、「罪を犯さない」者でありたいと思いました。
主よ、
御言葉によって、私を罪から守って下さい。
私を御言葉によってtransformして下さい。
私をきよめてください。
教会をきよめてください。
このHPの一部はエンコードを韓国語(EUC-KR)にすると日本語が文字化けしない、という不思議なページなのですが、「教会紹介」は日本語(Shift-JIS)で読めます。
2000年に始まった新しい教会ですが、30人くらいの方々が集まる教会になっています。
元気な先生と元気な皆さんの教会で、
こちらが元気をもらって帰ってきました。
それで昨日は更新はお休みしました。
そして、今は外は雪。
ちょっとまとまった雪になるそうです。
学校は休み、かな?・・・まだ発表、連絡はありません・・・。
そのブリンマーの教会の牧師の李先生と夜、話しながら、
先生が教会でいつも言っておられる言葉を伺いました。
「それ、もらった!」と思いました。
「みことばはinformationではなく、transformation」
うまく言うなあ、と思いました。
私も最近そのことを強く思わされていました。
「御言葉の根が心の内側に食い込んでいく」なんて言い方をしていましたが、
それより、ずっと、この先生の言い方の方がすっきりしていてわかりやすい。
聖書のみことばは「知識」を増やすものではなくて、
あなたのことを、あなたの内側を造りかえるもの。
あなたが料理するものでも、
それで人を料理するものでもなく、
自分がそれによって料理されるもの。
「みことばはinformationではなくて、transformation」
このページを読まれたあなたにも、
そのことが起こりますように。
ただ、informationとして、聖書を読むのではなくて、
それによって、あなたのうちにtransformationが起こりますように。
昨日、土曜日の聖書。
第1ヨハネ2章でした。
「私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」1節。
罪から離れること、
罪を犯さなくなること。
そんなことを意識していたら、おかしくなってしまうのでは、と思う自分がいます。
でも、さっき書いたように、この御言葉によって、
私のうちにtransformationの御業が起こるようにと祈ります。
自分の思いもこだわりも打ち砕かれるようにと祈ります。
「怒っても罪を犯してはならない」という言葉もあります。
罪から守られるようにと祈ります。
神様が私を罪から守って下さるようにと祈ります。
故意の罪からは完全に離れたいと思います。
誘惑に負けない強さが欲しいと思います。
そして、感情的な波に押し流されて、
罪を犯してしまうことがないようにと思います。
御言葉にいつもいつも守られて、「罪を犯さない」者でありたいと思いました。
主よ、
御言葉によって、私を罪から守って下さい。
私を御言葉によってtransformして下さい。
私をきよめてください。
教会をきよめてください。
2007-02-23
光の中を歩く
今日はまた寒くなりました。
日中も0度から2度くらいの間を上がったり下がったりでしたが、
夜になってから、ぐんと冷えて、今、夜の11時で、-6.1度Cでした。
明日も寒いでしょう。
そして、日曜日から月曜日にかけて、ちょっと雪も降るみたいです。
今回も大したことはないみたいですが・・・。
今日、ふと思ったのですが、
あの23年前の時、
私に「君は傲慢な人間だね」と言ってくださった先生、
ほんとうに感謝しています。
その言葉がなかったら、私はあの問題を乗り越えられなかったかもしれません。
適当にうまいこと「慰め」てくれていたら、
その場は何とか「良かった良かった」と思ったかもしれませんが、
神様の愛は分らなかったかもしれません。
もしかしたら、先生の方も勇気がいったんじゃないかと。
自分だったら言うことができるだろうかと。
「私を信頼して言ってくださったのだろうか」と思いますが、
そうじゃなくて、「神様の恵みを信頼しておられた」のだと思います。
私もそれができる者となりたいと思いました。
その人が受け止められるかどうかを考えるよりも、
神様の恵みを信頼する、
神様がその方の目を開いてくださる、という信頼をもって語っていきたいと思いました。
今日の聖書。
今日はヨハネ第1の手紙の1章を読みました。
「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」6-7節。
光の中を歩く。
それが大切。
「神と交わりを持っている」と言うことは誰にでもできる。
でも、ほんとうに「光の中」を歩んでいるだろうか?
神様に隠れることなしに、
神様の前に真実に歩んでいるだろうか?
光に照られたものは、それがまた光となる。
いつもいつも真実でありたいと思います。
主よ、
あなたの前に真実であることができますように。
ウソのない歩みをあなたの前に守ることができますように。
どうか私の歩みを守ってください。
誘惑や怒りから守ってください。
あなたの愛で支配してください。
あなたの愛で満たして下さい。
日中も0度から2度くらいの間を上がったり下がったりでしたが、
夜になってから、ぐんと冷えて、今、夜の11時で、-6.1度Cでした。
明日も寒いでしょう。
そして、日曜日から月曜日にかけて、ちょっと雪も降るみたいです。
今回も大したことはないみたいですが・・・。
今日、ふと思ったのですが、
あの23年前の時、
私に「君は傲慢な人間だね」と言ってくださった先生、
ほんとうに感謝しています。
その言葉がなかったら、私はあの問題を乗り越えられなかったかもしれません。
適当にうまいこと「慰め」てくれていたら、
その場は何とか「良かった良かった」と思ったかもしれませんが、
神様の愛は分らなかったかもしれません。
もしかしたら、先生の方も勇気がいったんじゃないかと。
自分だったら言うことができるだろうかと。
「私を信頼して言ってくださったのだろうか」と思いますが、
そうじゃなくて、「神様の恵みを信頼しておられた」のだと思います。
私もそれができる者となりたいと思いました。
その人が受け止められるかどうかを考えるよりも、
神様の恵みを信頼する、
神様がその方の目を開いてくださる、という信頼をもって語っていきたいと思いました。
今日の聖書。
今日はヨハネ第1の手紙の1章を読みました。
「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」6-7節。
光の中を歩く。
それが大切。
「神と交わりを持っている」と言うことは誰にでもできる。
でも、ほんとうに「光の中」を歩んでいるだろうか?
神様に隠れることなしに、
神様の前に真実に歩んでいるだろうか?
光に照られたものは、それがまた光となる。
いつもいつも真実でありたいと思います。
主よ、
あなたの前に真実であることができますように。
ウソのない歩みをあなたの前に守ることができますように。
どうか私の歩みを守ってください。
誘惑や怒りから守ってください。
あなたの愛で支配してください。
あなたの愛で満たして下さい。
2007-02-22
しみも傷もない者として
今日は朝の最低気温は-2.4度。
そこそこ冷え込みました。
昼間から雨が降ってきて、夜には雪になるだろうと言っていましたが、
それほど冷えずに今も夜の10時で、3度もあり、雨が降っています。
でも、明日はまた寒い一日になるようです。
今日はレオニアでのキッズクラブ。
最近、こちらは、ちょっと参加者が少なかったので、
心配しました。
でも、終わってみると楽しかったです。11名の子ども達が集まりました。
初めての子達も喜んでくれました。
またこれから、暖かくなって、もっともっと盛り上がっていくことを期待しています。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章。
14節の言葉が心に留りました。
「そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」
「・・・しなければいけない」「・・・してはいけない」というところからイエスによって解放された私は、こう言う聖書の箇所にはあまり目を留めていませんでした。それよりも目をそらしていたのだと思います。そして、それから20年以上経って、今また、こういう聖書の言葉が心に迫ってきます。「しみも傷もない者となる」それを本気で求めて、与えられたいと思います。「人間はみんな罪人だから・・・」ということに立てこもり、「律法的になるといけないから・・・」とごまかしていたのかもしれません。聖書の言葉は神様からの言葉として、ストレートに受け止めて、「そうだ、しみも傷もない者になりたい」と思いました。
悔い改めて、悔い改めて、一つ一つ具体的に悔い改めて、
主に赦されて、きよめられて、
歩んでいきたいと思います。
主よ、
私をきよめて、
しみも傷もない者としてください。
悔い改めます。
今日、悔い改めて、あなたの赦しときよめを求めます。
どうか、全き者となしてください。
そこそこ冷え込みました。
昼間から雨が降ってきて、夜には雪になるだろうと言っていましたが、
それほど冷えずに今も夜の10時で、3度もあり、雨が降っています。
でも、明日はまた寒い一日になるようです。
今日はレオニアでのキッズクラブ。
最近、こちらは、ちょっと参加者が少なかったので、
心配しました。
でも、終わってみると楽しかったです。11名の子ども達が集まりました。
初めての子達も喜んでくれました。
またこれから、暖かくなって、もっともっと盛り上がっていくことを期待しています。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章。
14節の言葉が心に留りました。
「そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」
「・・・しなければいけない」「・・・してはいけない」というところからイエスによって解放された私は、こう言う聖書の箇所にはあまり目を留めていませんでした。それよりも目をそらしていたのだと思います。そして、それから20年以上経って、今また、こういう聖書の言葉が心に迫ってきます。「しみも傷もない者となる」それを本気で求めて、与えられたいと思います。「人間はみんな罪人だから・・・」ということに立てこもり、「律法的になるといけないから・・・」とごまかしていたのかもしれません。聖書の言葉は神様からの言葉として、ストレートに受け止めて、「そうだ、しみも傷もない者になりたい」と思いました。
悔い改めて、悔い改めて、一つ一つ具体的に悔い改めて、
主に赦されて、きよめられて、
歩んでいきたいと思います。
主よ、
私をきよめて、
しみも傷もない者としてください。
悔い改めます。
今日、悔い改めて、あなたの赦しときよめを求めます。
どうか、全き者となしてください。
2007-02-21
何に支配されているか
今日は暖かな一日でした。
朝の最低気温はちょうど0度C。
昼間の最高気温は9.5度まで上がりました。
でも、今、夜の11時で、-0.8度。
さすがに夜には氷点下になりましたね。
明日は時々雨で、
夜には雪も混ざるようです。
おとといですが、夜、ゆっくり風呂につかりながら・・・アメリカの浅いバスタブなんですが、最近これにはまっています・・・雑誌のTimeを読んでいました。
その中に、アメリカで、今、「中絶反対運動」が変わりつつある、という記事がありました。ただ「反対」を叫んだり、クリニックの前で「殺人だ」と責めたりすることではなくて、つらい中、困難の中にいる妊婦の人々に救いの手をさしのべて、何とか思いとどまってくれるようにと励ますグループがどんどん生まれているそうです。ほんとうに大切なことだと思います。
教会では結婚という枠の外での男女の体の関係は認められていません・・・というか、神は結婚を祝福されたわけで、不倫にせよ、婚前交渉にせよ、神の祝福を失うことです。
ほんとうに大きな誘惑はあるし、社会はそれを「時代遅れ」「化石」と呼びます。
「この歳で経験がないなんて恥ずかしい」なんてアホなことを思わせるような文化です。
でも、胸を張って宣言すべきだと思います。
そして、「第2のバージン」という言葉さえあります。
クリスチャンでありながら過ちを犯した人、クリスチャンではなかったので、そのような価値観を持っていなかったけれども、後にクリスチャンになって生まれかわった人が、悔い改めて、その時から、結婚まで慎む、という意味です。
でも、もう一つ大切だと思うことは、
「今まで純潔を守ったから、私たちの結婚はうまくいく」なんて安易に考えてはいけない、ということです。結婚はほおっておいて祝福されるものではないなあ、と思います。日々、神様から力を与えられて、互いを大切にしていいくこと、チャレンジです。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙2章でした。
きついことがどーっと書かれているところですが、
その中で、次の言葉が心に残りました。
「その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。」19節の言葉です。
自分はいったい何に支配されているだろうかと思いました。
ほんとうに神様の愛に支配されているだろうか。
神様の愛が私の心の隅々まで支配しているだろうかと。
他に私を捕らえてしまっているものはないだろうか、
もう一度心の中を探られました。
「完全な愛は恐れを取り除く」
私のテーマ聖句です。
主の愛に満たして頂きたいです。
主よ、
今日の一日を感謝します。
夜の集会を特別に感謝します。
どうか、明日もあなたの恵みでいっぱいにして下さい。
そう、あしたはキッズクラブです。
多くの子ども達との出会いがありますように。
朝の最低気温はちょうど0度C。
昼間の最高気温は9.5度まで上がりました。
でも、今、夜の11時で、-0.8度。
さすがに夜には氷点下になりましたね。
明日は時々雨で、
夜には雪も混ざるようです。
おとといですが、夜、ゆっくり風呂につかりながら・・・アメリカの浅いバスタブなんですが、最近これにはまっています・・・雑誌のTimeを読んでいました。
その中に、アメリカで、今、「中絶反対運動」が変わりつつある、という記事がありました。ただ「反対」を叫んだり、クリニックの前で「殺人だ」と責めたりすることではなくて、つらい中、困難の中にいる妊婦の人々に救いの手をさしのべて、何とか思いとどまってくれるようにと励ますグループがどんどん生まれているそうです。ほんとうに大切なことだと思います。
教会では結婚という枠の外での男女の体の関係は認められていません・・・というか、神は結婚を祝福されたわけで、不倫にせよ、婚前交渉にせよ、神の祝福を失うことです。
ほんとうに大きな誘惑はあるし、社会はそれを「時代遅れ」「化石」と呼びます。
「この歳で経験がないなんて恥ずかしい」なんてアホなことを思わせるような文化です。
でも、胸を張って宣言すべきだと思います。
そして、「第2のバージン」という言葉さえあります。
クリスチャンでありながら過ちを犯した人、クリスチャンではなかったので、そのような価値観を持っていなかったけれども、後にクリスチャンになって生まれかわった人が、悔い改めて、その時から、結婚まで慎む、という意味です。
でも、もう一つ大切だと思うことは、
「今まで純潔を守ったから、私たちの結婚はうまくいく」なんて安易に考えてはいけない、ということです。結婚はほおっておいて祝福されるものではないなあ、と思います。日々、神様から力を与えられて、互いを大切にしていいくこと、チャレンジです。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙2章でした。
きついことがどーっと書かれているところですが、
その中で、次の言葉が心に残りました。
「その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。」19節の言葉です。
自分はいったい何に支配されているだろうかと思いました。
ほんとうに神様の愛に支配されているだろうか。
神様の愛が私の心の隅々まで支配しているだろうかと。
他に私を捕らえてしまっているものはないだろうか、
もう一度心の中を探られました。
「完全な愛は恐れを取り除く」
私のテーマ聖句です。
主の愛に満たして頂きたいです。
主よ、
今日の一日を感謝します。
夜の集会を特別に感謝します。
どうか、明日もあなたの恵みでいっぱいにして下さい。
そう、あしたはキッズクラブです。
多くの子ども達との出会いがありますように。
2007-02-20
信じるところで留っていないで
今日は暖かな一日になりました。
夜のうちに気温が上がって、
朝にはもう氷点下を脱出。
そして、最高気温は8度まで上がりました。
今は夜の11時で3.3度。
暖かな夜です。
今、外は雨が降っています。
雪が混じるでしょうか?
明日も暖かな日になりそうです。
朝は、教会で祈り会があったのですが、
学校が休みのため、子ども達がゆっくり寝ていられるということで、
カミさんも来ました。
そして他に来られる方がおられなかったので、2人で祈りました。
教会の一人ひとりのことを覚えて
家で祈るときとはまた違った、
熱い祈りを捧げることができました。
とても新鮮な朝でした。
昨日29回目の洗礼記念日を迎えた彼女。
共に歩めることに心から感謝します。
午後には牧師のためのセミナーがあって、
ニューヨークに行って来ました。
行きはマンハッタンの北の方までバスで行って、
マンハッタンに入ったら地下鉄、と思っていたのですが、
何と警察が大集合していて、地下鉄が止っているとのこと。
ニュースにも何にもなっていなかったので、大事件ではなかったようですが、
バスで行ったら1時間以上かかって、大遅刻。
でも、セミナー自体は良かったです。
一つの伝道の方法を紹介するセミナーだったのですが、
その方法の中で、
「聖霊に満たされること」
が強調されていました。
ああ、それを求めていきたいなあと思いました。
日本では良く聞いていた言葉です。
でも、最近あまり耳にしなくなっていました。
いや、耳にしたり、歌の歌詞に歌われていたりしても、
意識していなかったのかもしれません。
how toとか知的な面に焦点が当たりすぎていたようにも思います。
「聖霊に満たされること」
聖霊なる神様に私のうちに満ちて頂いて、
あふれて頂いて、
それが人びとに伝わっていくような、
そのような伝道をさせて頂きたいと思いました。
教会にいつも来ておられる方々に対してもそうです。
私自身が聖霊様に満たされることを通して、
人々に神様の業が広がっていくような、
人々が造りかえられ、整えられていくような、
そのような教会となるようにと願いました。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙に進んで、
1章を読みました。
「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」5-8節。
信仰をもったら、救われたらそれで終わり、ではなくて、
その後にはまたいろんな課題がある。
いや、救いがタダで与えられるから、
その後の課題を感謝して歩んでいくことができる。
「徳」「知識」「自制」「忍耐」「敬虔」「兄弟愛」「愛」といくつものステップがある。
自分はどこにいるだろうかと思わされました。
大体、自分はこれをほんとうに求めてきただろうかと思いました。
「証し」に書いてきたように、
自分は「・・・しなければならない」というところから解放されたのですが、
その影響で、ほんとうにすべての「・・・しなければならない」というものを
捨ててしまったように思うのです。
愛されているから、救われたから、
喜びがあるから、
「このような歩みをしなさい」
といわれても、そこに生きていくことができるのに、
それさえも拒否していたときもあったと思います。
一つ一つ求めていきたいと思いました。
「徳」といわれるもの一つ一つを先ず求めていきたいと思いました。
主にあって成長させて頂きたいと思います。
主よ、
感謝します。
私を救って下さったことに感謝します。
感謝して、「徳」を求めて参ります。
どうか、一つ一つ教えて下さい。
経験させて下さい。
与えて下さい。
夜のうちに気温が上がって、
朝にはもう氷点下を脱出。
そして、最高気温は8度まで上がりました。
今は夜の11時で3.3度。
暖かな夜です。
今、外は雨が降っています。
雪が混じるでしょうか?
明日も暖かな日になりそうです。
朝は、教会で祈り会があったのですが、
学校が休みのため、子ども達がゆっくり寝ていられるということで、
カミさんも来ました。
そして他に来られる方がおられなかったので、2人で祈りました。
教会の一人ひとりのことを覚えて
家で祈るときとはまた違った、
熱い祈りを捧げることができました。
とても新鮮な朝でした。
昨日29回目の洗礼記念日を迎えた彼女。
共に歩めることに心から感謝します。
午後には牧師のためのセミナーがあって、
ニューヨークに行って来ました。
行きはマンハッタンの北の方までバスで行って、
マンハッタンに入ったら地下鉄、と思っていたのですが、
何と警察が大集合していて、地下鉄が止っているとのこと。
ニュースにも何にもなっていなかったので、大事件ではなかったようですが、
バスで行ったら1時間以上かかって、大遅刻。
でも、セミナー自体は良かったです。
一つの伝道の方法を紹介するセミナーだったのですが、
その方法の中で、
「聖霊に満たされること」
が強調されていました。
ああ、それを求めていきたいなあと思いました。
日本では良く聞いていた言葉です。
でも、最近あまり耳にしなくなっていました。
いや、耳にしたり、歌の歌詞に歌われていたりしても、
意識していなかったのかもしれません。
how toとか知的な面に焦点が当たりすぎていたようにも思います。
「聖霊に満たされること」
聖霊なる神様に私のうちに満ちて頂いて、
あふれて頂いて、
それが人びとに伝わっていくような、
そのような伝道をさせて頂きたいと思いました。
教会にいつも来ておられる方々に対してもそうです。
私自身が聖霊様に満たされることを通して、
人々に神様の業が広がっていくような、
人々が造りかえられ、整えられていくような、
そのような教会となるようにと願いました。
今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙に進んで、
1章を読みました。
「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」5-8節。
信仰をもったら、救われたらそれで終わり、ではなくて、
その後にはまたいろんな課題がある。
いや、救いがタダで与えられるから、
その後の課題を感謝して歩んでいくことができる。
「徳」「知識」「自制」「忍耐」「敬虔」「兄弟愛」「愛」といくつものステップがある。
自分はどこにいるだろうかと思わされました。
大体、自分はこれをほんとうに求めてきただろうかと思いました。
「証し」に書いてきたように、
自分は「・・・しなければならない」というところから解放されたのですが、
その影響で、ほんとうにすべての「・・・しなければならない」というものを
捨ててしまったように思うのです。
愛されているから、救われたから、
喜びがあるから、
「このような歩みをしなさい」
といわれても、そこに生きていくことができるのに、
それさえも拒否していたときもあったと思います。
一つ一つ求めていきたいと思いました。
「徳」といわれるもの一つ一つを先ず求めていきたいと思いました。
主にあって成長させて頂きたいと思います。
主よ、
感謝します。
私を救って下さったことに感謝します。
感謝して、「徳」を求めて参ります。
どうか、一つ一つ教えて下さい。
経験させて下さい。
与えて下さい。
2007-02-19
神が心配して下さっている
今日は一日氷点下でしたが、
ほんとうに明るい一日。
日が長くなってきたので、
寒々とした日ではありませんでした。
今、夜の10時過ぎですが、
-4度で、7時頃から下がっていません。
今夜はこのままこれくらいの温度で推移するでしょう。
もう、先週までの2週間のような寒さはさよならです。
一歩一歩春に近づいています。
今日は丸まるお休みだったので、
今頃、2006年の紅白歌合戦のビデオを見ています。
あまり評判の良くなかった昨年の紅白ですが、
良くない評判ばかり聞いていたからでしょうか、
「そうでもないじゃん」と思います。
もちろんすべてではないですが、
一つ一つの歌の歌詞に共感を覚えながら聞いています。
若い人たちの歌も捨てたもんじゃないと思いますし、
だんだん、「演歌を早回しするのはもったいない」
という感じになってきました。
「兄弟船」とか「おふくろさん」とか、いいですねえ。
逆に「軽い」曲についていけないですねえ。
そういう歳になってきたんだなあ、と思います。
そして、何よりも「ハレルヤ」とか、何か違うところで使われてたりすると、
何だかなあ、と思います。
「ハレルヤ」は調子のいいかけ声ではなくて、
「主をほめたたえよ」という言葉です。
神様のすばらしさをたたえよう、という招きです。
ヘンデルのメサイアのハレルヤコーラスを聴いたイギリスの王様が立ち上がらないでいられなかったといいますが、そういう厳粛なもんなんだろうと思います。
日本で大きな教会の副牧師をしていたときに、
教会に来ていた高校生の女の子達に頼まれて、
カラオケボックスへ連れて行ってあげたことがあります。
歌とか好きでしたし、いくつか歌える歌もあったのですが、
なんだか、歌詞を味わっていたら、とっても虚しくなったのを覚えています。
心から歌うことのできる歌である賛美の歌が与えられているのに、
全然共感できない歌詞を歌っている自分はいったい何をしているのだろうかと・・・。
それも、彼女たちを導く立場にいながら、
「連れて行く」「監督する」という名目で、
実際は「ついて行った」だけだったんですよね。
心から歌える歌を求めて、
心から歌える歌を口ずさんでいきたいと思います。
今日の聖書。
今日はペテロの第1の手紙5章を読みました。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」7節の言葉です。
特に後半の「神があなた方のことを心配して下さる」という言葉が心に留りました。
私にも思い煩うことがあります。
心配になることがあります。
でも、私が心配する以上に主が心配して下さっている。
主が気にかけて下さっている。
だから、主の御手に心配事を委ねていいと言っている。
じゃあ、委ねようという思いになりました。
主が導いて下さる道を、
主が与えて下さることを、
受け取っていきたいと思いました。
主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたが私と教会のことを心配して下さっている。
だから、思い煩わないで、私に任せなさい、と言ってくださっている。
感謝します。
あなたを信頼します。
あなたをもっともっと信頼させてください。
ほんとうに明るい一日。
日が長くなってきたので、
寒々とした日ではありませんでした。
今、夜の10時過ぎですが、
-4度で、7時頃から下がっていません。
今夜はこのままこれくらいの温度で推移するでしょう。
もう、先週までの2週間のような寒さはさよならです。
一歩一歩春に近づいています。
今日は丸まるお休みだったので、
今頃、2006年の紅白歌合戦のビデオを見ています。
あまり評判の良くなかった昨年の紅白ですが、
良くない評判ばかり聞いていたからでしょうか、
「そうでもないじゃん」と思います。
もちろんすべてではないですが、
一つ一つの歌の歌詞に共感を覚えながら聞いています。
若い人たちの歌も捨てたもんじゃないと思いますし、
だんだん、「演歌を早回しするのはもったいない」
という感じになってきました。
「兄弟船」とか「おふくろさん」とか、いいですねえ。
逆に「軽い」曲についていけないですねえ。
そういう歳になってきたんだなあ、と思います。
そして、何よりも「ハレルヤ」とか、何か違うところで使われてたりすると、
何だかなあ、と思います。
「ハレルヤ」は調子のいいかけ声ではなくて、
「主をほめたたえよ」という言葉です。
神様のすばらしさをたたえよう、という招きです。
ヘンデルのメサイアのハレルヤコーラスを聴いたイギリスの王様が立ち上がらないでいられなかったといいますが、そういう厳粛なもんなんだろうと思います。
日本で大きな教会の副牧師をしていたときに、
教会に来ていた高校生の女の子達に頼まれて、
カラオケボックスへ連れて行ってあげたことがあります。
歌とか好きでしたし、いくつか歌える歌もあったのですが、
なんだか、歌詞を味わっていたら、とっても虚しくなったのを覚えています。
心から歌うことのできる歌である賛美の歌が与えられているのに、
全然共感できない歌詞を歌っている自分はいったい何をしているのだろうかと・・・。
それも、彼女たちを導く立場にいながら、
「連れて行く」「監督する」という名目で、
実際は「ついて行った」だけだったんですよね。
心から歌える歌を求めて、
心から歌える歌を口ずさんでいきたいと思います。
今日の聖書。
今日はペテロの第1の手紙5章を読みました。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」7節の言葉です。
特に後半の「神があなた方のことを心配して下さる」という言葉が心に留りました。
私にも思い煩うことがあります。
心配になることがあります。
でも、私が心配する以上に主が心配して下さっている。
主が気にかけて下さっている。
だから、主の御手に心配事を委ねていいと言っている。
じゃあ、委ねようという思いになりました。
主が導いて下さる道を、
主が与えて下さることを、
受け取っていきたいと思いました。
主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたが私と教会のことを心配して下さっている。
だから、思い煩わないで、私に任せなさい、と言ってくださっている。
感謝します。
あなたを信頼します。
あなたをもっともっと信頼させてください。
祈りのために
子ども達は今日から1週間学校お休み。
今日はPresidents Dayで祝日です。
そして、今日は月曜日なので、週に一度のお休み。
ゆっくり寝坊できるかなあ、と思っていたのですが、
やっぱり7時には目が覚めました。
朝起きたら-12度C。
冷え込みましたねえ。
今日は一日中氷点下。
でも、今回はもう明日には暖かくなるみたいで、
「雨」の予報も出ています。
今朝起きたら2通「証し」の原稿が届いていました。
昨日、私が寝るときに一生懸命やっていたウチの高校生2名。
一人は息子で、一人は教会に出るために週末泊まりに来る寮生活をしてる子
夜の11時半までプロバスケットのオールスターゲームを見ていたのに、
それから一生懸命書いたみたいです。
もっとこつこつやってればいいのに、
期限直前になってから慌てるんだから・・・。
でも、意外と真面目なんだなあ、と。
自分の高校時代を思い出すと、
彼らもこれからガンガン悩むのかもしれませんが、
何よりも、本音でいろいろ話し合ったり祈り合ったり励まし合ったりできる
クリスチャンの同世代の親友がいるというのはホントにうらやましい話です。
さて、昨日、日曜日の聖書箇所。
昨日はペテロ第一の手紙4章でした。
「祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」
7節の言葉が語られました。
祈りのためにそれなりの備えが必要だということ。
生活の整理。
生活のリズムを作ること。
必要のない部分を削ること。
いろいろ大切なものがあると思います。
もっと祈りたい。
そのような願いを持つだけで、
そのために動き出すことがなかなか難しいのですが、
難しい、を続けていてはいけないと思いました。
ほんとうに祈りのために他のものを整理して、
祈ることを大切にしていこうと思います。
思うのではなく、祈ること。
考えるのではなく、祈ること。
主よ、
御言葉に感謝します。
あなたが語ってくださったことに感謝します。
私自身が「祈りの家」となりますように。
私の生活自体が祈りに支配されますように。
今日はPresidents Dayで祝日です。
そして、今日は月曜日なので、週に一度のお休み。
ゆっくり寝坊できるかなあ、と思っていたのですが、
やっぱり7時には目が覚めました。
朝起きたら-12度C。
冷え込みましたねえ。
今日は一日中氷点下。
でも、今回はもう明日には暖かくなるみたいで、
「雨」の予報も出ています。
今朝起きたら2通「証し」の原稿が届いていました。
昨日、私が寝るときに一生懸命やっていたウチの高校生2名。
一人は息子で、一人は教会に出るために週末泊まりに来る寮生活をしてる子
夜の11時半までプロバスケットのオールスターゲームを見ていたのに、
それから一生懸命書いたみたいです。
もっとこつこつやってればいいのに、
期限直前になってから慌てるんだから・・・。
でも、意外と真面目なんだなあ、と。
自分の高校時代を思い出すと、
彼らもこれからガンガン悩むのかもしれませんが、
何よりも、本音でいろいろ話し合ったり祈り合ったり励まし合ったりできる
クリスチャンの同世代の親友がいるというのはホントにうらやましい話です。
さて、昨日、日曜日の聖書箇所。
昨日はペテロ第一の手紙4章でした。
「祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」
7節の言葉が語られました。
祈りのためにそれなりの備えが必要だということ。
生活の整理。
生活のリズムを作ること。
必要のない部分を削ること。
いろいろ大切なものがあると思います。
もっと祈りたい。
そのような願いを持つだけで、
そのために動き出すことがなかなか難しいのですが、
難しい、を続けていてはいけないと思いました。
ほんとうに祈りのために他のものを整理して、
祈ることを大切にしていこうと思います。
思うのではなく、祈ること。
考えるのではなく、祈ること。
主よ、
御言葉に感謝します。
あなたが語ってくださったことに感謝します。
私自身が「祈りの家」となりますように。
私の生活自体が祈りに支配されますように。
2007-02-18
内なる飾り
今日は一日寒くもなく暖かくもなく、
まあ、典型的な冬の一日だったのですが、
夜になって急に冷え込んできました。
今日の最高気温は2度まで上がりました。
でも、今は夜の10時半で-7.7度です。
そして今もどんどん気温は下がっています。
この調子で行くと明日の朝は-10度以下ですね。
火曜日の夜から水曜日の朝にかけて、
ちょっと雪が降るかもしれません。
大したことはありませんが・・・。
今日は洗礼式がありました。
今年初めての洗礼式。
4ヶ月ぶりでした。
やはりうれしいですね。
今日洗礼を受けた方は音楽をする方。
洗礼を受けられて、これから、どんな音楽をなさるか、また楽しみです。
今、教会の皆さんに「救いの証し」を書いて下さるように、
お願いしています。
とりあえず、締め切りが今日。
10数名の方が出して下さいました。
あと1時間。
まあ、無理はしないで欲しいのですが、
期限を決めないと、「いつかやろう」と思ってしまうでしょうから、
決めてよかったのだと思います。
あと1時間で何通届くでしょうか?
でも、皆さんのお証を読んで励まされますし、
またお一人一人自分で今まで歩んできた道を振り返る時が持てるのはいいのではないかと思います。
そして、神様がどんなにすばらしいことをして下さったか、
それを味わうのは何とすばらしいことでしょうか?
そして、それを15分に収めるのも大切なプロセスです。
まだの方、これを読まれたら、是非、取りかかって下さい。
昨日の聖書。
昨日はペテロの第1の手紙3章でした。
その中で特に心に留ったのは3-4節の言葉です。
「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」
これは直接的には女性に対して語られたことですが、
私は男性ですが、やはりそのようになりたいと思いました。
「心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい」と。
そのように内なる人が美しくなりたいと思います。
内なる人が強く、内なる人が豊かになりたいと思います。
肩の力を抜いて、
主がなさることを待ち望み、
主がして下さった一つ一つのことを感謝しながら、
内なる人が豊かになっていくのを求めていきたいと思いました。
主よ、
私の内なる人を探って下さい。
そして、私の内なる人をきよめて下さい。
内なる人を美しくして下さい。
内なる人を豊かにして下さい。
まあ、典型的な冬の一日だったのですが、
夜になって急に冷え込んできました。
今日の最高気温は2度まで上がりました。
でも、今は夜の10時半で-7.7度です。
そして今もどんどん気温は下がっています。
この調子で行くと明日の朝は-10度以下ですね。
火曜日の夜から水曜日の朝にかけて、
ちょっと雪が降るかもしれません。
大したことはありませんが・・・。
今日は洗礼式がありました。
今年初めての洗礼式。
4ヶ月ぶりでした。
やはりうれしいですね。
今日洗礼を受けた方は音楽をする方。
洗礼を受けられて、これから、どんな音楽をなさるか、また楽しみです。
今、教会の皆さんに「救いの証し」を書いて下さるように、
お願いしています。
とりあえず、締め切りが今日。
10数名の方が出して下さいました。
あと1時間。
まあ、無理はしないで欲しいのですが、
期限を決めないと、「いつかやろう」と思ってしまうでしょうから、
決めてよかったのだと思います。
あと1時間で何通届くでしょうか?
でも、皆さんのお証を読んで励まされますし、
またお一人一人自分で今まで歩んできた道を振り返る時が持てるのはいいのではないかと思います。
そして、神様がどんなにすばらしいことをして下さったか、
それを味わうのは何とすばらしいことでしょうか?
そして、それを15分に収めるのも大切なプロセスです。
まだの方、これを読まれたら、是非、取りかかって下さい。
昨日の聖書。
昨日はペテロの第1の手紙3章でした。
その中で特に心に留ったのは3-4節の言葉です。
「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」
これは直接的には女性に対して語られたことですが、
私は男性ですが、やはりそのようになりたいと思いました。
「心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい」と。
そのように内なる人が美しくなりたいと思います。
内なる人が強く、内なる人が豊かになりたいと思います。
肩の力を抜いて、
主がなさることを待ち望み、
主がして下さった一つ一つのことを感謝しながら、
内なる人が豊かになっていくのを求めていきたいと思いました。
主よ、
私の内なる人を探って下さい。
そして、私の内なる人をきよめて下さい。
内なる人を美しくして下さい。
内なる人を豊かにして下さい。
2007-02-17
御言葉によって成長する
昨日は朝が-10.8度、
最高気温が-1.1度で、
火曜日から続く氷点下の日々が4日目。
でも、今日あたりはこれを脱出しそうです。
この後21日くらいと、26日くらいに天気が崩れそうですが、
もう、ここまで寒い日が続いたし、
とにかく一回雪が降ったし、
もう春になってもいいかなあ、と思います。
「おお雪だあ!」という興奮も今年はあんまり感じなくて、
年かも・・・。
日本ではNHKの「受信料」っていうものがありましたが、
アンテナでテレビが見えていましたよね。
でも、ここら辺ではケーブルが主流。
アンテナ立っている家もありますが、
室内アンテナとかでは全然見えません。
学生をやってて、寮に入っていたときは、
学内ケーブルでは日本語放送が見れなくて、
でも、どうしても日本語放送見たくて、
「高性能室内アンテナ」っていう50ドルくらいのヤツを買って、
窓にぴたっと貼り付けて、見てました。
でも、ここではケーブル。
そこに最近参入してきたのが、
ファイバーケーブルのTV。
電話やさんのV社が、ケーブルテレビのC社よりも、格安で参入してきました。
インターネット接続も早くて、安定していて、安い。
どうしようかなあ、と思っていた1月の半ば。
個別訪問のセールスにやってきました。
そんなの普通は相手にしないのですが、
今回は興味があったのと、より安くなる・・・これに弱い・・・、プラス100ドルのギフトカード・・・こういうのにも弱い・・・、最初の1ヶ月は無料、最初の1ヶ月以内の解約はペナルティーなし、ということで、話に乗ってしまいました。
設定には3日くらいかかっていましたが、おおむね満足。
まだ最初の請求書が来ていないので、
どれくらいお得なのか分りませんが、
ま、いいかな、と。
ちなみに電話はV社とは別のIP電話で月々20ドルくらいで済んじゃいます。
・・・V社にまとめる方が高くつく・・・
でも、ウチの場合は自宅内でも携帯の電波がいいので、
そのうち、一人一本ずつの携帯があれば、ウチの電話はいらなくなってしまうのでは・・・
なんて思い始めています。
あ、そうそう、何でも競争があるってのはいいみたいで、
C社のケーブルをキャンセルするときに、
「どうして?」と聞かれて、「乗り換えるんだ」と話したら、
「もっと安くするよ!」と言われました。
「もう遅いよ!」と答えたのですが、
はったりでもいいから、「もっと安くしてくれないと乗り換えちゃうよ」というのはいいかもしれません。
何事でも、交渉ですから、この国は。
昨日の聖書。
昨日はペテロ第1の手紙の2章でした。
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」2節の言葉です。
御言葉によって成長する。
これの大切さを思わされました。
いいお話はたくさんあります。
言葉だけではなくて、いろんな暖かい態度や行動によって癒されます。
でも、御言葉には特別な力があります。
そのことを最近何度も何度も教えられています。
自分は口では「御言葉です」と言いながら、
ほんとうにその御言葉の力をどれくらい経験してきたか、
どれくらい信頼してきたか、
もう一度探られるような思いがしました。
私自身、御言葉によって成長する、ということを経験させて頂きたいですし、
教会のお一人一人が御言葉によって成長する、ために何ができるか、を
求めていきたいと思います。
励ましていきたいと思います。
主よ、
あなたの御言葉を感謝します。
御言葉によって私自身、成長させてください。
御言葉によって歩ませてください。
実を結ぶ者とならせてください。
そして、そのような教会形成をすることができますように。
最高気温が-1.1度で、
火曜日から続く氷点下の日々が4日目。
でも、今日あたりはこれを脱出しそうです。
この後21日くらいと、26日くらいに天気が崩れそうですが、
もう、ここまで寒い日が続いたし、
とにかく一回雪が降ったし、
もう春になってもいいかなあ、と思います。
「おお雪だあ!」という興奮も今年はあんまり感じなくて、
年かも・・・。
日本ではNHKの「受信料」っていうものがありましたが、
アンテナでテレビが見えていましたよね。
でも、ここら辺ではケーブルが主流。
アンテナ立っている家もありますが、
室内アンテナとかでは全然見えません。
学生をやってて、寮に入っていたときは、
学内ケーブルでは日本語放送が見れなくて、
でも、どうしても日本語放送見たくて、
「高性能室内アンテナ」っていう50ドルくらいのヤツを買って、
窓にぴたっと貼り付けて、見てました。
でも、ここではケーブル。
そこに最近参入してきたのが、
ファイバーケーブルのTV。
電話やさんのV社が、ケーブルテレビのC社よりも、格安で参入してきました。
インターネット接続も早くて、安定していて、安い。
どうしようかなあ、と思っていた1月の半ば。
個別訪問のセールスにやってきました。
そんなの普通は相手にしないのですが、
今回は興味があったのと、より安くなる・・・これに弱い・・・、プラス100ドルのギフトカード・・・こういうのにも弱い・・・、最初の1ヶ月は無料、最初の1ヶ月以内の解約はペナルティーなし、ということで、話に乗ってしまいました。
設定には3日くらいかかっていましたが、おおむね満足。
まだ最初の請求書が来ていないので、
どれくらいお得なのか分りませんが、
ま、いいかな、と。
ちなみに電話はV社とは別のIP電話で月々20ドルくらいで済んじゃいます。
・・・V社にまとめる方が高くつく・・・
でも、ウチの場合は自宅内でも携帯の電波がいいので、
そのうち、一人一本ずつの携帯があれば、ウチの電話はいらなくなってしまうのでは・・・
なんて思い始めています。
あ、そうそう、何でも競争があるってのはいいみたいで、
C社のケーブルをキャンセルするときに、
「どうして?」と聞かれて、「乗り換えるんだ」と話したら、
「もっと安くするよ!」と言われました。
「もう遅いよ!」と答えたのですが、
はったりでもいいから、「もっと安くしてくれないと乗り換えちゃうよ」というのはいいかもしれません。
何事でも、交渉ですから、この国は。
昨日の聖書。
昨日はペテロ第1の手紙の2章でした。
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」2節の言葉です。
御言葉によって成長する。
これの大切さを思わされました。
いいお話はたくさんあります。
言葉だけではなくて、いろんな暖かい態度や行動によって癒されます。
でも、御言葉には特別な力があります。
そのことを最近何度も何度も教えられています。
自分は口では「御言葉です」と言いながら、
ほんとうにその御言葉の力をどれくらい経験してきたか、
どれくらい信頼してきたか、
もう一度探られるような思いがしました。
私自身、御言葉によって成長する、ということを経験させて頂きたいですし、
教会のお一人一人が御言葉によって成長する、ために何ができるか、を
求めていきたいと思います。
励ましていきたいと思います。
主よ、
あなたの御言葉を感謝します。
御言葉によって私自身、成長させてください。
御言葉によって歩ませてください。
実を結ぶ者とならせてください。
そして、そのような教会形成をすることができますように。
2007-02-16
2007-02-15
聖なる者となる
今日はまた寒い一日でした。
朝は-10度。
昼間の最高気温は-5度。
そして夜の10時でまたまた-9度。
これで氷点下daysは連続3日目です。
シカゴとかは連続19日にもなっているようですが・・・。
明日も寒い一日でしょう。
もう一日は確実に氷点下です。
でも、この寒波ももう出口が見えてきているみたいで、
あと一週間ほどで10度くらいまで上がる日も出てくるようです。
春はもうすぐです。
「証し」の第12章。
私は4人兄弟ですが、
それぞれ個性的ではあります。
その中で、兄貴はさすが長男!というところがあります。
その兄貴、名前は「氷小豆」(仮名)と申しますが、
子供の時から「ボクは牧師になるんだ!」と言っておりました。
そして、何においても一生懸命。
そして、積極的でした。
そしてまとめる力もありました。
うらやましいヤツでした。
というか、次男のかきごおりはそのように思っていました。
いつも兄貴のようになりたい。
いつも兄貴はいいなあ、と思っていました。
算数では負けない自信がありましたが、
リーダーシップや信仰ではかなわないと思っていました。
一生懸命友達を教会に誘ってきたり、
友達に神様の話をしたり、
「子供週報」とかを小学校5年生くらいから作って、
マンガとか書いて、配っちゃう氷小豆君にはかなわないと思っていました。
私の教会では、というか、私の中ではいつの間にか「氷小豆神話」が生まれていました。
「氷小豆はすごい」「氷小豆君はいかにも牧師になったらいい、という感じだよね」
そんな声が聞こえてきました。
それは、「うらやましい」と思うと共に「自分にはできない」という劣等感を持っている次男かきごおりには、「氷小豆君はいいけど、かきごおり君はねえ」という声に聞こえてきてしまうんですね。
ですから、第11章の「君は牧師には向いていない、止めた方がいいよ」というKGKの主事の言葉はいつもいつも自分の心の中にあった声でもあったのです。
「だよね・・・。やっぱ、向いていないよね。兄貴みたいに伝道もできないし、リーダーシップもない。クリエイティブなこともできない、話も下手。赤面症、恥ずかしがり屋・・・、向いてないよねえ」
それから悩みました。
そんな中で参加したのが、またまた「大島泉の家」のキャンプ。
集会の後で祈っていました。
「神様、どうしたらいいんでしょうか?私はあなたが召して下さったと思って牧師になろうと思いました。でも、客観的に見たら向いていないんです。兄貴のようにはできません。でも、止めてもいいんですか?止めた方がいいんですか?・・・」
しばらく祈っている中で、聖書の言葉が心に響いてきました。
「私の力はあなたの弱いところに完全にあらわれる」第2コリント12章9節の言葉です。
「ああ、神様の力だ、イエスの力だ、その力が私の『向いていない』ところに完全にあらわれるのだ。だったらいいじゃないか、だったら、神様の力を見せて頂こう。完全な力を見せて頂こう」そう思いました。迷いは完全に吹っ切れました。人の言葉も怖くなくなりました。ホントは人の言葉ではなくて、自分の劣等感だったのだと思います。でも、それでもいい、自分の弱さは自分が一番知っている。その弱さに神様の力を表して頂こう、と思いました。
そして、今、はっきりと申上げられることは、この聖書の言葉は、単に劣等感に捕らえられている人を励ますための言葉ではなく、事実なのだ、ということです。ほんとうに主は私の弱いところにご自分の力を表して下さってきた、ということです。私の弱い、不十分なところ、よくわかっていないところ、未熟なところにその力を表し続けて下さったのだということを思います。そして、これからも、この方は私を用いて下さるのだ、ということを信頼して言うことができます。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙に進んでその第1章です。
「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。」15節の言葉が心に留りました。
「聖なる者」
何か仙人のようになってしまうような感じがします。
世離れしてしまうような気がします。
それは誤解だろうという気持ちもあります。
でも、誤解ではなくてもいいのかもしれません。
「聖なる者」となりたいと単純に思いました。
聖書に書いてあるんだから。
「聖書にはそう書いてあるけど・・・」という生き方もあります。
でも、私は「聖書にはそう書いてあるから・・・」と生きたいと思いました。
そのように書いてあるんだから、神様に「聖なる者」とされたい、と思いました。
「聖」とは「他のものと区別された、特別な」という意味があると言われます。
神様に焦点を合わせた、
神様のみこころに焦点を合わせた、
神様の言葉に焦点を合わせた歩みをしたいと思います。
昨日の佐藤彰先生の言葉のように、
その背後に神様が見えてくるような、そのような者となりたいと思います。
神様がこの人と共におられる、ということがクリスチャン以外の方にも見えるような、
土の器である私の中にあるキリストという宝が輝き出るような者でありたいと思います。
主よ、
私をきよくしてください。
私を聖なる者として下さい。
あなたのことを指し示す、
あなたのすばらしさを表す者とならせてください。
朝は-10度。
昼間の最高気温は-5度。
そして夜の10時でまたまた-9度。
これで氷点下daysは連続3日目です。
シカゴとかは連続19日にもなっているようですが・・・。
明日も寒い一日でしょう。
もう一日は確実に氷点下です。
でも、この寒波ももう出口が見えてきているみたいで、
あと一週間ほどで10度くらいまで上がる日も出てくるようです。
春はもうすぐです。
「証し」の第12章。
私は4人兄弟ですが、
それぞれ個性的ではあります。
その中で、兄貴はさすが長男!というところがあります。
その兄貴、名前は「氷小豆」(仮名)と申しますが、
子供の時から「ボクは牧師になるんだ!」と言っておりました。
そして、何においても一生懸命。
そして、積極的でした。
そしてまとめる力もありました。
うらやましいヤツでした。
というか、次男のかきごおりはそのように思っていました。
いつも兄貴のようになりたい。
いつも兄貴はいいなあ、と思っていました。
算数では負けない自信がありましたが、
リーダーシップや信仰ではかなわないと思っていました。
一生懸命友達を教会に誘ってきたり、
友達に神様の話をしたり、
「子供週報」とかを小学校5年生くらいから作って、
マンガとか書いて、配っちゃう氷小豆君にはかなわないと思っていました。
私の教会では、というか、私の中ではいつの間にか「氷小豆神話」が生まれていました。
「氷小豆はすごい」「氷小豆君はいかにも牧師になったらいい、という感じだよね」
そんな声が聞こえてきました。
それは、「うらやましい」と思うと共に「自分にはできない」という劣等感を持っている次男かきごおりには、「氷小豆君はいいけど、かきごおり君はねえ」という声に聞こえてきてしまうんですね。
ですから、第11章の「君は牧師には向いていない、止めた方がいいよ」というKGKの主事の言葉はいつもいつも自分の心の中にあった声でもあったのです。
「だよね・・・。やっぱ、向いていないよね。兄貴みたいに伝道もできないし、リーダーシップもない。クリエイティブなこともできない、話も下手。赤面症、恥ずかしがり屋・・・、向いてないよねえ」
それから悩みました。
そんな中で参加したのが、またまた「大島泉の家」のキャンプ。
集会の後で祈っていました。
「神様、どうしたらいいんでしょうか?私はあなたが召して下さったと思って牧師になろうと思いました。でも、客観的に見たら向いていないんです。兄貴のようにはできません。でも、止めてもいいんですか?止めた方がいいんですか?・・・」
しばらく祈っている中で、聖書の言葉が心に響いてきました。
「私の力はあなたの弱いところに完全にあらわれる」第2コリント12章9節の言葉です。
「ああ、神様の力だ、イエスの力だ、その力が私の『向いていない』ところに完全にあらわれるのだ。だったらいいじゃないか、だったら、神様の力を見せて頂こう。完全な力を見せて頂こう」そう思いました。迷いは完全に吹っ切れました。人の言葉も怖くなくなりました。ホントは人の言葉ではなくて、自分の劣等感だったのだと思います。でも、それでもいい、自分の弱さは自分が一番知っている。その弱さに神様の力を表して頂こう、と思いました。
そして、今、はっきりと申上げられることは、この聖書の言葉は、単に劣等感に捕らえられている人を励ますための言葉ではなく、事実なのだ、ということです。ほんとうに主は私の弱いところにご自分の力を表して下さってきた、ということです。私の弱い、不十分なところ、よくわかっていないところ、未熟なところにその力を表し続けて下さったのだということを思います。そして、これからも、この方は私を用いて下さるのだ、ということを信頼して言うことができます。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙に進んでその第1章です。
「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。」15節の言葉が心に留りました。
「聖なる者」
何か仙人のようになってしまうような感じがします。
世離れしてしまうような気がします。
それは誤解だろうという気持ちもあります。
でも、誤解ではなくてもいいのかもしれません。
「聖なる者」となりたいと単純に思いました。
聖書に書いてあるんだから。
「聖書にはそう書いてあるけど・・・」という生き方もあります。
でも、私は「聖書にはそう書いてあるから・・・」と生きたいと思いました。
そのように書いてあるんだから、神様に「聖なる者」とされたい、と思いました。
「聖」とは「他のものと区別された、特別な」という意味があると言われます。
神様に焦点を合わせた、
神様のみこころに焦点を合わせた、
神様の言葉に焦点を合わせた歩みをしたいと思います。
昨日の佐藤彰先生の言葉のように、
その背後に神様が見えてくるような、そのような者となりたいと思います。
神様がこの人と共におられる、ということがクリスチャン以外の方にも見えるような、
土の器である私の中にあるキリストという宝が輝き出るような者でありたいと思います。
主よ、
私をきよくしてください。
私を聖なる者として下さい。
あなたのことを指し示す、
あなたのすばらしさを表す者とならせてください。
2007-02-14
祈りの力
今日は朝早く起きたらsleetが降っていました。-7.7度C。
そして最高気温は-2.2度。一日中氷点下。
予定されていたメトロポリタン美術館の宗教画ツアーも中止になって、
朝9時頃、NYに車で行きました。道は結構シャーベット状で時速30マイル=50kmくらいで走っていました。NYに入ったらきれいになるだろうと思ったら、どうしてどうして、歩道も車道もぐしゃぐしゃ。こんな日はいくらNYでもスノーブーツですね。失敗しました。スニーカーで出かけた自分。日本の「つま先用ホッカイロ」が役に立った一日でした。
1時過ぎからは外は吹雪模様。NYにいると降っているのか、ビルの上から風で飛ばされているのか分りませんが、とにかく横殴りの雪が降っていました。
夕方からいろんな方にお会いして、帰ったら10時半。
帰りはすいすいでした。
雪の中の運転、ひどいのは嫌ですけど、ちょっとシャーベットくらいは緊張感があっていい感じです。
今は夜の11時半で、気温は-9.1度。今夜も鬼のように寒い夜です。
「証し」の第11章。
それから2年。大学の4年生になっていました。
お茶の水の学生キリスト教会館、現在のお茶の水キリスト教センター、略してOCCの2階男子トイレの中。一緒に奉仕していた仲間と連れだって用を足していたところにやってきたのが、KGKの主事。KGKは「キリスト者学生会」の略。KGKの主事の方の中には若い方も多いのですが、この方はすでにこのころ、かなり貫禄がありました。
「かきごおり君、牧師になるんだって、やめたほうがいいよ、向いてないよ。○○君、きみなんかどうかなあ。君、牧師になったらいいよ!」
自分が向いていないことなんて人に言われるまでもありませんでした。自分が一番よく知っていました。でも、ここまではっきり言われたことはずっと押さえていたことを表面に引っ張り出すのに十分な効果を持っていました。
さかのぼること4年半。高校2年生のかきごおり少年は理系に進むか文系に進むか迷っていました。将来どんな仕事をしたいか、と考えたときに、一つ当たり前のように出てきたのは、「天気予報のおじさん」。これは私にとっては非常に自然なことでした。今でこそ、「お姉さん」が多いのですが、そのころの天気予報は大体おじさんでした。それも真面目そうな地味系のおじさんでした。その天気予報のおじさんになりたかったのです。そうすると、ぜったい理系ですよね。気象大学校には入りたいと思っていました。もう一つは、「牧師」。これは親の姿を見て、そのような思いを持ちました。また兄が「牧師になるんだ」とよく言っていましたから、「お兄ちゃんがなるなら、ボクもなる」的な気持ちもありました。でも、もちろん、高校生くらいになると、そんな気持ちでは動けないことなんてさすがに分ってきます。悩みました、祈りました。
そして、高校3年生の履修科目を決めなければいけないその直前に、一つの言葉が、心に響いてきました。それは私が、「もしも伝道者になるなら、この言葉によってだけはいやだなあ」と思っていた言葉です。もっと違う言葉を語って欲しかったです。でも、この言葉が心に与えられました。与えられたら、もうかっこいいとか悪いとか、そんなことはどうでも良くなります。
「収穫は多いが、働き人が少ない。」マタイ9:37の言葉です。
この言葉を心に語られて、自分は牧師になる決心をしました。
そして、少しでも役に立つかと思い、文系の大学、「社会学部」を受けることにしました。
実際はあんまり関係なかったかもしれませんが・・・。
そして、「神様が私を召して下さったんだ」との思いを胸に大学4年になっても、就活もせずにいました。
大学の仲間達は売り手市場のそのころ、4月から、どんどん銀行に、商社に内定が出ていました。
その様子を見ながら、このまま牧師になるための学校に進んでいいのだろうか、そんな迷いを持ちながら過ごしていた春。主事の言葉が心に突き刺さりました。
「だよね・・・」
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙5章でした。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」16節の言葉です。
祈ろうと思いました。
祈りは聞かれる。
祈りは私を変える。
祈りは平安を与える。
祈りはひらめきを与える。
祈りは主からの語りかけに耳を澄まさせる。
いろんな出来事の中で、いろんな思いが駆けめぐる心。
でも、私には主がおられる。
祈るときに何が起こるか見せて頂こう。主の奇跡を見せて頂こう。
祈ろう。
今日読んだ、佐藤彰先生の著書から
「あなたが神様の前に出て静まり、祈りの時を持つなら、『ああ、この人の背後には神様を感じる。人生経験は私の三分の一しかなくても、この人は神様から立てられた人だ』ということにもなり得るのです。」(「教会形成の喜び」より)
主よ、祈ります。
どうか私を守り、
家族を守って下さい。
教会を守って下さい。
一人ひとりの心を守って下さい。
そして、何よりも御言葉によって支えられて、
御言葉によって砕かれて、主に従う者たちが起されますように。
そして最高気温は-2.2度。一日中氷点下。
予定されていたメトロポリタン美術館の宗教画ツアーも中止になって、
朝9時頃、NYに車で行きました。道は結構シャーベット状で時速30マイル=50kmくらいで走っていました。NYに入ったらきれいになるだろうと思ったら、どうしてどうして、歩道も車道もぐしゃぐしゃ。こんな日はいくらNYでもスノーブーツですね。失敗しました。スニーカーで出かけた自分。日本の「つま先用ホッカイロ」が役に立った一日でした。
1時過ぎからは外は吹雪模様。NYにいると降っているのか、ビルの上から風で飛ばされているのか分りませんが、とにかく横殴りの雪が降っていました。
夕方からいろんな方にお会いして、帰ったら10時半。
帰りはすいすいでした。
雪の中の運転、ひどいのは嫌ですけど、ちょっとシャーベットくらいは緊張感があっていい感じです。
今は夜の11時半で、気温は-9.1度。今夜も鬼のように寒い夜です。
「証し」の第11章。
それから2年。大学の4年生になっていました。
お茶の水の学生キリスト教会館、現在のお茶の水キリスト教センター、略してOCCの2階男子トイレの中。一緒に奉仕していた仲間と連れだって用を足していたところにやってきたのが、KGKの主事。KGKは「キリスト者学生会」の略。KGKの主事の方の中には若い方も多いのですが、この方はすでにこのころ、かなり貫禄がありました。
「かきごおり君、牧師になるんだって、やめたほうがいいよ、向いてないよ。○○君、きみなんかどうかなあ。君、牧師になったらいいよ!」
自分が向いていないことなんて人に言われるまでもありませんでした。自分が一番よく知っていました。でも、ここまではっきり言われたことはずっと押さえていたことを表面に引っ張り出すのに十分な効果を持っていました。
さかのぼること4年半。高校2年生のかきごおり少年は理系に進むか文系に進むか迷っていました。将来どんな仕事をしたいか、と考えたときに、一つ当たり前のように出てきたのは、「天気予報のおじさん」。これは私にとっては非常に自然なことでした。今でこそ、「お姉さん」が多いのですが、そのころの天気予報は大体おじさんでした。それも真面目そうな地味系のおじさんでした。その天気予報のおじさんになりたかったのです。そうすると、ぜったい理系ですよね。気象大学校には入りたいと思っていました。もう一つは、「牧師」。これは親の姿を見て、そのような思いを持ちました。また兄が「牧師になるんだ」とよく言っていましたから、「お兄ちゃんがなるなら、ボクもなる」的な気持ちもありました。でも、もちろん、高校生くらいになると、そんな気持ちでは動けないことなんてさすがに分ってきます。悩みました、祈りました。
そして、高校3年生の履修科目を決めなければいけないその直前に、一つの言葉が、心に響いてきました。それは私が、「もしも伝道者になるなら、この言葉によってだけはいやだなあ」と思っていた言葉です。もっと違う言葉を語って欲しかったです。でも、この言葉が心に与えられました。与えられたら、もうかっこいいとか悪いとか、そんなことはどうでも良くなります。
「収穫は多いが、働き人が少ない。」マタイ9:37の言葉です。
この言葉を心に語られて、自分は牧師になる決心をしました。
そして、少しでも役に立つかと思い、文系の大学、「社会学部」を受けることにしました。
実際はあんまり関係なかったかもしれませんが・・・。
そして、「神様が私を召して下さったんだ」との思いを胸に大学4年になっても、就活もせずにいました。
大学の仲間達は売り手市場のそのころ、4月から、どんどん銀行に、商社に内定が出ていました。
その様子を見ながら、このまま牧師になるための学校に進んでいいのだろうか、そんな迷いを持ちながら過ごしていた春。主事の言葉が心に突き刺さりました。
「だよね・・・」
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙5章でした。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」16節の言葉です。
祈ろうと思いました。
祈りは聞かれる。
祈りは私を変える。
祈りは平安を与える。
祈りはひらめきを与える。
祈りは主からの語りかけに耳を澄まさせる。
いろんな出来事の中で、いろんな思いが駆けめぐる心。
でも、私には主がおられる。
祈るときに何が起こるか見せて頂こう。主の奇跡を見せて頂こう。
祈ろう。
今日読んだ、佐藤彰先生の著書から
「あなたが神様の前に出て静まり、祈りの時を持つなら、『ああ、この人の背後には神様を感じる。人生経験は私の三分の一しかなくても、この人は神様から立てられた人だ』ということにもなり得るのです。」(「教会形成の喜び」より)
主よ、祈ります。
どうか私を守り、
家族を守って下さい。
教会を守って下さい。
一人ひとりの心を守って下さい。
そして、何よりも御言葉によって支えられて、
御言葉によって砕かれて、主に従う者たちが起されますように。
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