2009-06-14

感謝。

今朝は、7時半頃の更新のあと、8時半頃からは、
雨が降ってきてしまって、ハラハラしました。


レーダーには全く雨雲が映っていないのですが、
霧雨が降っています。
「今日、本当にやるんですか?」って電話はあっちこっちからかかってくるし・・・
(実際は北の方に住んでいる方々ばかりだったのですが・・・)
だいたい、朝、しっかり上がった雨が、また降ってきたから、
このあともまた降ってこない保証はない・・・ということで、
「大丈夫!」と強気の返事をしながら、内心はハラハラでした。


でも、10時前には大体雨も上がって、
昼頃には青空が広がってきました。


たくさんの方々と楽しい一時を過ごしました。
野外礼拝だからこそ、語ることのできるメッセージを語らせて頂きました。
目が開かれる思いでした。


神様の造られる天気と、
人間がそれにチャレンジする天気予報の、
違いを見せつけられた一日でした。


まとめて、更新宣言をしていたのですが、
そんな元気はちょっとないので、
金曜日、一日分だけ。

金曜日、6/12は、出エジプト記32:1-14。
「それで、アロンは・・・」2節。

人々が「私たちのために神を造ってください」とアロンに言ったときに、
「しかし、アロンは・・・」となるべきところ、
「それで、アロンは・・・」となってしまった。

アロンの弱さというか、致命的な問題がここにあると思う。
人々が言ったから・・・。
このあとも、アロンがモーセに言い訳をして、
「人々が悪いんです」と。

でも、それはまた自分の弱さでもあると思います。
人々が言ったから・・・と言うことにどれほど振り回されることが多いか。
今日も、自分では、雨は大丈夫、と思っていました。
でも、みんなが「え~、やっぱり中がいいですよ」と言ったら、
「そうですか~」となってしまうのではないか、という迷いがありました。
天気のことなら、任せておいて・・・と言っているくせに、
最終的に責任をとりたがらないのです。

そう、アロンのように「みんなが言うから・・・」というのは、
結局責任をとりたくないんです。
アロンは、責任を持って、「いや、それはいけない、私たちは待っていなければいけない」と言わなければいけなかったのです。
私も、自ら進んで責任を負っていく者でありたいと思います。
神様の語られることをしっかり聞いて、
それを伝えるという、責任を果たしていきたいと思います。

主よ、
アロンの逃げの姿勢、反面教師です。
でも、私も他人のことを責める資格のない者であることも知っています。
自ら進んで責任を負う者であることができますように。
逃げることがありませんように。
「人々が言うから・・・」ということではなくて、
あなたの語られることを聞いていくことができますように。

ハレルヤ!

昨夜の雨がうそのように、
今朝はきれいに上がっています。
レーダーを見ても、
雨雲は北東に足早に去っていっています。

朝、天気が守られたことに感謝をささげ、
メッセージのために祈っている間に、
主が与えてくださっているすべてのものに感謝が沸いてきました。

今日の野外礼拝が神様のすばらしさを
大きく感じるひと時となりますように。

そう、今日のメインはバーベキューではなくて、礼拝です!
一人一人が神様に触れていただくひと時となりますように。

ーーーーーーー

と、ここまで6:45ごろ教会で書いて、
家に帰ってきたのですが、
途中からまたどんより。


西に行くほど、北に行くほど、
雲が厚いみたいですね。


守られますように。

2009-06-13

たぶん大丈夫だけど・・・。

土曜日の夜です。
今11時過ぎですが、
外は雨が本降りです。
今、ちょうど雨雲がNJを通過中です。
明日の朝にはすっかり上がっているとは思いますが、
天気予報によっては、午前中くらい雨が残ると読んでいるところもあります。
数値予報(NAMやGFS)でも、この時間のこの雨は予想に入れていて、
このあと、明日の明け方には雨が上がる予報を出してきています。
大丈夫だとは思いますが、
微妙なところです。
明日の朝は早いので、今日も早めに休みます。
また明日の夜にでも、まとめて更新予定。

2009-06-11

雨ばっかり。・・・でも、元気。

うーん、なんか雨ばっかりですね。
それも、土曜日から晴れる、と言っていたのが、
ちょっとビミョーになってきました。


野外礼拝の日曜日も雨マークが付いてきました。
何とか、天気がもって欲しいものです。


今日のJOYJOYキッズクラブは、大盛況。
30人を超える子供たちが集りました。
初めての子たちも結構来てくれました。
ほとんどは口コミ。
楽しかった!と一人の子が言えば、
次は友だちを誘ってきてくれます。





工作も単純、それを使ったゲームも単純だったのですが、
子供たちは目を輝かせて遊んでいました。
そんな凝らなくても、楽しい時間って作れるんですね。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記31:1-18。


「これは、あなたがたにとって聖なるものであるから、あなたがたはこの安息を守らなければならない。これを汚す者は必ず殺されなければならない。この安息中に仕事をする者は、だれでも、その民から断ち切られる。」14節。

今日も「聖なること」の意味を考えさせられた。
ユダヤ人の伝統では、
安息日・・・土曜日・・・は何もしない日。
それは、「聖なる日」だから、
そして、それを破る者には、
恐ろしい刑が待っている。

それくらい、「聖なるものを聖なるものとする」ということが
真剣なことだったのですよね。

それくらい、「聖」というのはとうとい、
気軽には考えられないものだったんですね。

昨日に引き続き、「聖」の真剣さを、思わされていました。

今もユダヤ人の方々は安息日を守ります。
金曜日の日没から、土曜日の日没まで、
本当に何もしないことに徹します。
電話に出ない、エレベーターのボタンも押さないなど、
「神様はそんなことを求めたのだろうか?」と
疑問に思うこともいろいろありますが、
でも、この「聖なる」ものを「聖なる」ものとして、扱うことに対する真剣さ。

でもそれくらいの真剣さで、大切にすること、
私たちも見習うべきなんでしょうね。

神様、
「聖」と言うことについて、このように考える時を与えてくださってありがとうございます。
真剣に、このことを求めていくことができますように。
聖なるものを聖なるものとすることができますように。

2009-06-10

今だからできること。

今日も何だかどんよりとした一日でした。
時々小雨。
明日も雨の予報です。


そして、日曜日の野外礼拝ですが、
今も晴れの予報ですが、前後に雨のマークも。
土曜日も、日曜日の夜も昨日までは雨マークはなかったのに、
今見たら、雨マークが入っています。
最近、「どうして雨なのか?」までいろいろチェックする時間はないので、
何でかわかりませんが、ちょっと心配です。


祈りましょう!


今日、ある方とお話しをしながら、
またNYのPublic Libraryでいろんなことを考えながら、
思わされたこと。


当たり前のことなんですが、
最近、なかなか受洗者が与えられないでいたのですが、
そして、今は教会の土台を造るときなんだと思ってきたのですが、
本当に土台を造ることを今しっかりしないと・・・ということです。


もしも、またたくさん新しい方が来られて、
またたくさんの方々が洗礼を受けられるようになってきたら、
また、それに飲まれて、見失ってしまうことがあるかもしれない。
だから、今、この神様から与えられた特別なときに、
新しい方々をしっかり受け止めることができるように、
そして、大切なことを見失うことがないように、
教会が教会として整えられていくことが大切なんだということです。


そう、今は神様が与えてくださったこの時、
「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。」(伝道の書7:14)を覚えて、他の時には絶対できない働きをさせて頂きたいと思わされました。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記30:17-38。


「これをだれのからだにもそそいではならない。また、この割合で、これと似たものを作ってはならない。これは聖なるものであり、あなたがたにとっても聖なるものとしなければならない。」32節。

神様を礼拝するために使う聖なる香料。
その香料と同じものを、それに似たものも、
自分のために造ってはならない、
それを身につけてはならない、という。

聖なるものを特別なものとして扱う、
その聖なるものに対する態度を、
私たちは失いつつあるのかもしれません。

私自身、この出エジプト記のこのところを、
これほどゆっくり読むこともありません。
ゆっくり読んでいる中で、何度も何度も、
聖なるものの大切さを、語られていると思います。

聖なるものを聖なるものとして徹底的に尊ぶ、
そのような歩みをさせて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたが決められた、せいなるもの、
それを聖なるものとして、尊ぶ者とならせてください。
聖なるものを聖なるものとして、大切にすることができますように。

2009-06-09

神様の方法で。

今日は朝起きたら雨が降っていて、
8時頃は土砂降りでした。


夕方もあちらこちらで雷雨でしたが、
ここら辺は大丈夫だったようです。


明日も曇りで、時々にわか雨。
金曜日くらいまで雷雨が続きそうです。


でも、この週末は、スカッと晴れそうです。
日曜日は「野外礼拝」。
ここ10年くらいは毎年天気が守られていますが、
今年も記録更新しそうです。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記の30:1-16でした。


「あなたがたは、その上で異なった香や全焼のいけにえや穀物のささげ物をささげてはならない。また、その上に、注ぎのぶどう酒を注いではならない。」9節。

神様の方法がある。
私たちの方法ではなくて、神様の方法。

このあと、アロンの子供たちが自分の方法で神の前に出たときに、
主の前から火が出て、彼らは裁かれたと書かれています。

本当に主の前に主の方法で出ることが、
どれだけ大切なことだったかと思います。

今も、私たちは神様の喜ばれる方法で歩んでいるでしょうか?
私自身、主の方法に従っているでしょうか?
その方法、どのように見極めるのでしょうか?
旧約聖書のように細かく規定されていた方が、
どんなに楽か、と思います。

私たちは主の御心を求め、
尋ねて、ある時は信仰を持って決断します。
でも、それでも間違っている可能性はあるのです。

だから、いつも聞いていきたいと思います。
主が導かれる道を尋ねていきたいと思います。

主よ、
いつもいつもあなたの方法を尋ねます。
どうか、教えてください。
あなたが願っている道を

2009-06-08

祭司の聖別。

3日分たまってしまいましたが、
3日とも祭司や祭壇の聖別の聖書箇所なので、
まとめて1回分で更新します。

6日(土)から今日8日(月)までかけて、
出エジプト記の29章でした。


「あなたはその雄羊をほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、その子らの右の耳たぶ、また、彼らの右手の親指と、右足の親指につけ、その血を祭壇の回りに注ぎかける。」20節。

土曜日の朝は早朝祈祷会もあって、
そこではレビ記の4章が開かれました。
その最初には、このように書かれています。

「すなわち、油注がれた祭司が罪を犯して、とがを民に及ぼすならば・・・」

つまり、祭司が罪を犯すときに、
それは自分だけの問題ではなくて、
民全体の問題となるということです。

この祭司の聖別のためにどれだけ注意深く命令されているか、
一つ一つの言葉が心に留まりました。

祭司は今の私たちに当てはめると、
クリスチャン全員です。

でも、やはり私自身はここを読んで、
牧師の責任を思わされました。
自分の罪が自分の問題だけではない。
自分の不信仰が、自分の不実が自分の問題だけではない。
その深刻さを忘れないようにしたいと思いました。

そして、今日のところでは、


「七日間にわたって祭壇のための贖いをしなければならない。あなたがそれを聖別すれば、祭壇は最も聖なるものとなる。祭壇に触れるものもすべて聖なるものとなる。」37節。

この祭壇は祈りの祭壇。
エリヤの時代、主の祭壇が崩れかけ、繕われなければならない状態だったことが記されていますが、本来祭壇は長い時間かけて整えられるもの。
私の祈りの祭壇も整えて頂きたい。
時間をかけて聖別してしていくことの大切さを思いました。

主よ、
あなたのために生きているでしょうか?
あなたのために時間を使っているでしょうか?
あなたのものを盗んでしまうことがないように、
今夜も、明日も、あなたの守りの中で歩ませてください。
そして、あなたの使命に生かしてください。

十字架の恵み。

今日もいい天気でした。
昨日の日焼けがまだほてっています。


今日の聖餐式、
イエスの十字架の恵みを覚えながら、守りました。
礼拝をささげられるのも、
この十字架があるから。

来週の野外礼拝も、
神様の素晴らしさを見ることができますように。

もう12時を回ってしまったので、
もう休んで、
月曜日にまとめて更新します。

2009-06-06

ビデオ変わったねえ。

今日はいい天気で、ガレージセールをやっていたので、
ちょっと赤くなっているかも、
ちょっと顔がほてっているかも、
ちょっと腕がひりひりするかも。


昨日は集会の合間を縫って、
サキの学校のコンサートに行って来ました。


これはうたが終わって、「お父さん、お母さんたちのための写真ターイム!」ってやつ。
そんな気持ちを知って知らでか、子供たちはあっち向いたりこっち向いたり、
お父さん、お母さんたちは前の人の頭が入らないようにとカメラを高く持ち上げて撮っています。だから、どんなに自分が手をたかく上げても、誰か他の人の手が写真に入ってしまいます。


サキ、どこにいるかわかりますか?


サキは2年生だったのですが、
まあ、楽しかったのですが、
やっぱり1年生担当の先生がすばらしい。
JOYJOYシンガーズを始めようと思ったのも、
その先生の姿を見て影響を受けたのですが、
本当に子供たちが楽しそう。


サキに聞いても、その先生は楽しかったそうだ。


あと、今回目に付いたのは父兄のビデオの撮り方。
最近はコンパクトデジカメでも、立派なビデオが撮れる。


だから、コンデジをしっかりホールドしながら、
ビデオを撮っているお父さんお母さんがいっぱいでした。


その一方で、「ん?これは年代物だろう」という大きなビデオを使っているお父さんもいました。


そういえば、私がアメリカにきた17年前は日本ではもう「パスポートサイズ」の8mmビデオが主流でしたが、こちらでは、まだ肩に担いで撮る、VHSがそのまま入るビデオを使っている人がたくさんいました。それが、今や片手が当たり前、それにコンデジでビデオですからね。テープなんか使わないで、小さなカード1枚。そこにたくさんの情報が入って、頭出しも簡単。時代は変わりました。


さて、昨日、6月5日の聖書。
昨日は出エジプト記の28:15-43。


「主への聖なるもの」36節。

主への聖なるものとは、主のために取り分けられた、
特に主に使えるためにだけ、存在している者。

聖なる杯だったら、他のためには使わないで、
神様のためだけに使われる杯。

同じように、私たちも、神様のためだけに生きるようにと召されている。
私自身はどうだろうか?主のために生きているだろうか?
主のためだけに存在しているだろうか?
主のために、励んでいるだろうか?

主に対して、きよい、主に対して、真実な者とならせて頂きたい。

主よ、
どうか私の心をきよめ、
あなたに対して、聖なるものとならせてください。
人に対してではなく、あなたに対して、聖なるものでありますように。

2009-06-04

受けるよりも。




はい、また一つ歳とりました。
ここまで守られたことに、主に感謝。
多くの人に支えられてきたことに感謝。


今日はハジがどうしても動かせない用事があったので、
昨日、前夜祭ということで家族でお祝いをしてもらったのですが、
この風船、たぶん初めてだと思いますが、
ハジが学校の帰りに買ってきてくれました。


そんなことするヤツではなかったので、
とてもうれしかったです。


そんな中で心に響いてきた言葉。
「受けるよりも与える方が幸いである。」


与える者となりたいと思いました。
与える幸いをもっともっと経験させて頂きたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記28章1-14節。


「アロンは主の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする。」12節。


アロンは12部族の名前の刻まれた石を肩当てにつけて、
それを身につけることによって、
イスラエルの民を覚えて神の前に出た。


私たちにとっては祈り。


そう、「万人祭司」ということがいわれるプロテスタントの教会で、
本当に一人一人が取りなし手として、
周りの人々のことを神様の前に持ち出して祈ることの大切さを思わされました。


そして、私個人に対して、主が語ってくださったことを感じました。
この使命、この働きをおまえに任せているのだから、
それをしっかり果たしなさい、と。


一人一人のことをいつもいつも名前を挙げて、
いつも名前を覚えて、
神様の前に出ようと思いました。


主よ、
一人一人のことを覚えて祈ります。
あなたが任せてくださった、託してくださった、
一人一人のことを覚えます。
どうか、主よ、今夜も一人一人を守り、支えてください。
導いてください。
慰めを与え、あなたに目を向ける時を与えてください。

共に主に仕える。

朝は雨が降っていましたが、
午後には晴れてきています。
今日はこのままいい天気のようですね。


このあと、NYに行く用事があるので、
もしかしたら、更新の元気が残っていないかもしれませんし、
まだ1日ビハインドなので、ここで更新しておきます。


昨日、6月3日の聖書。
昨日は久しぶりに、朝6時に教会に来られた方がおられて、
二人で共に聖書を開き、祈りました。


出エジプト記27:1-21。
「あなたはイスラエル人に命じて、燈火用に上質の純粋なオリーブ油を持って来させ、ともしびを絶えずともしておかなければならない。」20節。


オリーブ油を絞る仕事は、モーセが自分ではしなかった。
人々に語って、人々に命じて、もってきてもらった。
それも上質の純粋なオリーブ油。

人々が一生懸命純粋なオリーブ油を絞っている姿、
またそれをモーセや祭司が受け取って、
主の前にささげる姿。
とても美しく思わされました。

ある時には、何でも自分でやってしまおうという誘惑を感じます。
上手にお願いできない、上手に頼めなくて、
気を遣いすぎて、また本当には信頼すべきところで、ちゃんと人を信じていなくて、
何でも自分でやってしまおうという誘惑を感じるときがあります。

でも、共に主に仕え、共に主の前に出られたらどんなにすばらしいでしょうか?
そのような働き人にならせて頂きたいと思いました。

個人主義に陥ってしまわないで、
「人は人、私は私」というところに立てこもらないで
(もちろん、それは出発点として大切なことですが)
共に主に仕え、共に主の前に出る者でありたいと思います。

主よ、
あなたのこの命令に感謝します。
私一人ではなくて、
人々と共に、あなたの前に出ることができますように。
共に主の前に出る喜びを与えてください。

2009-06-03

心にかけてくださる主。

夜になって雨が止んだみたい。
ちょっと遅かったですが・・・。


あ、でも今レーダーを見たら、また降ってきていますね。
しばらく降らなかったので、恵みの雨です。


明日、あさってとぐずついた天気が続くようです。


私たちは誰かに自分のことを心にかけてもらっているのはありがたいことです。
互いに互いのことを心にかけています。
でも、人間同士、行き違いもありますし、
互いにあまり相手に期待しすぎるのもトラブルの元です。


ある時には人に失望することもあるでしょう。


でも、神様はいつもいつも私たちのことを心にかけてくださっている。


この間も中高生に話をしながら、感動していたのですが、
この大きな宇宙を造られた、今も、それを支配しておられる神が、
この小さな小さな地球のことをご存じで、
そこにいる68億人もの人々の中で、
私のことに目を留めてくださっている。


私のことを主は今も心にかけてくださっている。
私の名前をその手に刻み込んでくださっている。
あなたのことも。


感謝。


さて、今日2回目の更新。
昨日、6月2日(月)の聖書。
昨日は出エジプト記26:15-37


「その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。」33節。

この垂れ幕が、そのまま、神殿にも受け継がれ、
その仕切の幕が、イエスの十字架の時に、
上から下へ、まっぷたつに裂けた。

イエスの十字架によって私たちは、
神様の前に立つことができる。
至聖所に入っていくことができる。

イエスによらないでは、
このチャンネルを通らないでは、
神の前に立つことはできない。
至聖所にはいることはできない。

イエスを通って、イエスの十字架を覚えて、
神の前に立とう。
いつもいつも十字架に感謝して歩もう。
そして、大胆にこのことを伝えよう。
当たり障りのない、メッセージをやめて、
イエスの十字架によらなければ、解決はないのだ、ということをはっきり語っていこう。

主よ、
あなたの十字架によって生かされていること、
あなたの前に出られること、
あなたのいのちに生きることができることを、
心から感謝します。
いつもいつも十字架を通って行くことができますように。
十字架によって救いがあることを語ることができますように。

人に見えない部分が

さて、今日はまだ8時過ぎですが、
早めに更新。

今日は朝は雨。
昼間は晴れ間が出ましたが、
また午後から雨。


雨が降って欲しくない理由がありましたが残念。


ウェブブラウザー、IE、Firefox、Opera等、いろいろ使ってきましたが、
最近のお気に入りはChrome。
でも、昨日iTunesの更新の時に「Safariも入れるか?」と聞かれて、
いつもはNOなのですが、ちょっと「YES」を選んでみた。


そしたら、「使ってくれ~」と呼ばれているような気がして、使い始めてみた。
なかなか快適。そしてデフォルトのフォントも読みやすい。この更新もSafari。
リンゴ社製なので、遊び心も適当にあります。


サイトによってはIEじゃなきゃダメ!みたいなのもあってかなわないのですが、
IEは一番おもしろみがなくて、一番重く感じます。
ちょっとSafari使ってみようかという感じです。



さて、早速、6月1日(月曜日)の聖書。
月曜日は出エジプト記26:1-14。


「天幕のために赤くなめした雄羊の皮のおおいと、その上に掛けるじゅごんの皮のおおいを作る。」14節。

「日々のみことば」の左のページにこのような記述がありました。

第4の幕屋の幕は、じゅごんの皮でした。外観は黒っぽく、決してきれいなものではありませんでした。内側はきれいですが、外側は見栄えのよいものではなかったのです。イエス・キリストは「私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない」(イザヤ53:2)と語られます。私たちは、外見ばかりを気にしていないでしょうか。それとも心の内側からきよめられ、主の聖さを表しているでしょうか。

なるほど、と思いました。
聖書だけを読んでいると、そこまでは考えないのですが、
このように聞かれると、なるほどと思います。

そして、自分はやはり外側ばかりに陥っている者になってしまっているように感じます。
本当に人に見えない部分が主の前に整えられたいと思いました。

人に見えない部分で、主に対して真実な歩みをさせて頂きたいです。
それが力になり、喜びになり、勝利になります。

主よ、
私の心を守ってください。
人に見えない部分がきよめられますように。
人に見える部分に心がとらわれてしまうことがありませんように。

2009-06-02

最高のものをもって

さて、今日2回目の更新。

日曜日、5月31日の聖書。
日曜日は出エジプト記25:23-40でした。


「純金一タラントで燭台とこれらのすべての用具を作らなければならない。」39節。

神様がどうして「純金」を求められるんだろうかと思います。
そんないい物を求めなくても・・・とも思います。
実際に、「神様ってゼイタクですね」という方もおられました。

でも、考えてみれば、
もしも神様のためにその金を使わなかったら、
何のために使うのでしょう。

もちろん、現代はいろんな電気製品にも使われているでしょう。
でも、この時代、神様のために使わなかったら、誰のために使うんでしょうか?

自分のため、人の飾りのためですよね。

自分のために使うか?神様のために使うか?
ってことでしょう。

最高のものだからこそ、主のもとにもっていく、
そのような生き方をさせて頂きたいと思います。
そう、すべては主のものなんですよね。

主よ、
すべてのものの中で、最高のものをあなたにささげます。
私にとっては何でしょうか?
私の中の最高のもの、
時間?情熱?
あなたにささげます。
あなたがあなたのご用のために用いてください。

Fairnessにどこまでこだわるか?

今日は朝から昨日よりも暖かく、
ちょっと蒸し暑いくらいの一日でした。
7時半頃から9時前(!)の暗くなるまで、
昨日の芝刈りの続き(裏庭はいつも後回し・・・)をしたのですが、
昨日よりも汗をかきましたし、
汗をかいたあとの爽快感も昨日の方が上でしたね。


明日は一日中雷雨の可能性です。


今日は、芝刈りをしながら、
Andy StanleyのLeadership Podcastを聞きました。
去年の10月6日のもの。


その中で、Fairnessにこだわりすぎることの問題が語られていました。
Fairnessにこだわりすぎるあまり、
「みんなにできないから、誰にもしない」ということを、
リーダーはしてはいけないと語っていました。


Fairnessは聖書的な概念ではない・・・とも。
Fairnessはエデンの園では存在したが、
人が罪を犯したあとは、Fairではあり得ないと。


確かに、自分もそのようなところに陥ることがあることを感じます。
Fairnessを重んじるあまり、「みんなに同じように接しないと・・・」と、
特定の誰かに必要な言葉や、助けをためらってしまうことがあります。


でも、神様はみんな一人一人違う存在として造られたのだから、
一人一人、必要も違うんですよね。


人の反応を恐れないで、
神様からの声を聞きながら、仕えていく者でありたいと思いました。


でも英語なので、ちょっと集中力が切れると、
すぐわからなくなります。
もう一回ゆっくり聞いてみようと思います。


さて、土曜日、5月30日の聖書。
土曜日は出エジプト記25:10-22。


「わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。」22節。

主が私たちに語られるのは贖いのふたの上から。
新約の時代に生きる私たちにとっては、
イエスの十字架から。

神様はそこから語られる。
十字架を通してだけ、
私たちは神の前に立てる。

「狭い門から入りなさい」とイエスは言われたが、
本当に狭い門だ。
「もっと広い心を持ったらいいのに」と言われそうだが、
ここにこだわり続けることの大切さを、
もう一度教えられた。

主がそこから語られるならば、
そこに注目しよう。
そして、十字架に聞いていこう。

主よ、
十字架の恵みに感謝します。
十字架から語られるあなたのみ声を聞き続けます。
そこに今日も注目します。
どうか、語ってください。



2009-06-01

繰り返し繰り返し

今日はホントに気持ちのいい日でした。
芝刈りをして汗をかいても、気持ちがいい。
最高です。


明日はちょっと蒸し暑くなるみたいですね。
雷雨の可能性も・・・。


サキがピアノを習いだして半年くらいかな。
ハジの方はな~んにも習わないで、
なんだか、自己流で器用にやってしまうんですが、
(もちろん、ちゃんとやった方とは全然違いますが・・・)
サキは意外と(というか、意外じゃないというか)、不器用で、
苦労して練習しています。


でも、決して練習が好きな方ではないので、
今日はちょっとハッパをかけました。
つっかえてしまうところを何回も何回も、
繰り返して練習するように、
できるまで、食らいついて練習するように。


音楽はスポーツと同じ。
何度も何度も繰り返して、体で覚えるしかありません。
私もピアノは弾けませんが、
トロンボーンをやっていたときのことを懐かしく思い出していました。
バカのように、何回も何回も何回も、
体で覚えるまで、繰り返します。
お腹と、手と、口がタイミングを合わせて動くまで。


信仰も同じですね。
何度も何度も失敗して、
挫折して、
でも、何度も何度もチャレンジして、
体が覚えるまで・・・。
でも、信仰の方は、神様の力が注がれているから、
それが違いますが・・・。


教会もそうですね。
口と手とお腹のタイミングがずれて、
不協和音が出るときだってある。
音が出ないときだってある。


でも、失敗しても、あきらめないで、
投げ出さないで、
何度も何度も、互いを信じて、
チャレンジをする。
こちらも、頭であるイエスに聞く、
ということが大切なんですが・・・。


繰り返すこと、投げ出さないこと、
一度できたと思っても、すぐにできたつもりにならないで、
同じことを何度も何度も繰り返すこと。
今の時代忘れられてきていること、
取り戻したいと思いました。


さて、金曜日の聖書。
金曜日は出エジプト記25:1-9でした。


「すべて、心から進んでささげる人から・・・」1節。


日々のみことばの左側のページから。

私たちのものは、すべて主から与えられた「主のもの」です。そうであるなら、主は必要な時には、喜んでささげる自由も与えておられるのです。

「主のものだから、嫌でも出しなさい」じゃなくて、
「主のものだから、喜んでささげる自由も主が与えてくださる」ですね。

主のものをお預かりしていることは何と光栄なことでしょうか?
そして、その中から、自分が生きていくために必要なものを使うことが許されていることも、
そして、主のために思いっきりささげる自由も与えられていることも。

主よ、もっと喜んでささげることができますように。
ささげるときに与えられる祝福ももっともっと経験させてください。
そして、内側からあふれる喜びをもっと経験させてください。

2009-05-31

復帰。

ごぶさたしました。
復帰です。
昨日、今日と本当にさわやかないい天気でしたね。
明日も、もう一日とても気持ちいい一日になりそうです。


金曜日はPrivateで夜出かけていたのですが、
ハジが一つのscholarshipをいただいたので、
その授与式でした。


今回、行かせる大学は元々の授業料が300万円以上、
そして、寮費・食費を入れると500万円になってしまいます。
もちろん、そんな金額はどうにもならないので、
(もちろん、家庭によっては全然問題ないんだそうですが・・・)
奨学金をもらえることが、そういう大学に行く条件になります。
そうすることによって、公立よりも私立の方が自己負担が少ない、ということもあります。
(実際今回もそうでした)


今回、式に出かけながら、
「おまえ、人のお金で勉強させて頂いていることを忘れるなよ」と息子に語りながら、
ああ、自分もそうだったんだなあ、と自分がそのことを意識していなかったことを恥じました。
義務教育ももちろん、税金で勉強していたのですが、
高校、大学と公立、
神学校はもちろん、多くの方々の献金で支えられていたし、
留学のためにはたくさんの方々のサポートがありました。
そして、奨学金も頂きました。
それなりに自己負担もあったので、
「もっと出してくれないかなあ」と罪なことさえ言っていました。


自分も、子供たちも、多くの方々に支えられてここまで勉強することができたんだなあと思いました。


そして、特にアメリカではたくさんの方々が、
気前よく与えることをされます。
今回奨学金を出している方々も、そう感じました。
もちろん、日本よりも、そのようなことに対する税制面での配慮もあります。
しかし、それでも喜んで与える方々の多いこの国の強さを感じさせられます。


はい、私の分もしっかり勉強して頂きたいです。


さて、木曜日(5月28日)の聖書。
木曜日は出エジプト記24:1-18。


「遠く離れて伏し拝め。」1節。

本当はそうなんですよね、
神様の前に出るときに、
わたしたちは遠く離れて伏し拝むのが精一杯。
それでも恐ろしい、というのが本当。

でも、新約聖書を読むと、
その神が罪人を抱きしめる父であるとイエスは言われている。
本当ならば、近づくこともできない者が、
抱きしめて頂ける。

そのために払われた犠牲の大きさ、
注がれた愛の大きさ、
忘れないでいたいと思います。
どれほど大きな愛を注がれているか、
忘れないでいたいと思います。

今日の礼拝では賛美の中で、
感謝があふれてきました。
もっともっと感謝があふれますように。

主よ、
あなたの与えてくださった愛に感謝します。
その愛の大きさを忘れないようにさせてください。
日々、あなたの愛の大きさを思い出させてください。

たまっちゃいますが。

昨日、今日と、どうしても更新できませんでした。
明日の礼拝のためにお祈りください。
聖霊様が満たされるペンテコステとなりますように。

2009-05-29

心の隅までも。

今朝は「早く」とはいきませんでしたが、
いつも通りの時間に、気持ちよく目が覚めました。


今日も教会のカレンダーには予定がありませんが、
時間の使い方には知恵が必要な一日。
予定表に何もないとき、牧師は何もしていない、
と勘違いされる方もおられますが、まあ、そんなことはありません。


ヨーロッパの悪いジョークでしょうか、
「牧師は週6日姿が見えず、姿が見える1日は何を言っているかわからない」
という意味のものがあるそうですが、
そんなことにならないように、気をつけなければいけませんね。


大きな予定は午前中と夜ですが、
その隙間でなすべきことをしっかりやっていくことと、
ちゃんと息をつくべき時に息をつくべきこと、
そのバランスの難しさを思わされます。


さて、おととい(水曜日)の聖書。
出エジプト記23:20-33
「これらを徹底的に打ちこわし、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。」24節。

この聖書の言葉を、おとといは自分の心の中の問題として受け取った。
心の中の偶像を徹底的に打ち壊す。
粉々に、どこまでも、「そこまでするのか」と思われるくらい。

自分の中にある偶像、それは何だろうか?
自分だろうか?
または頼りになる「人」だろうか?

両方ともしつこい偶像だと思う。
どちらかというと、自分にとっては、
「仲間」だったり「人」だったりする。

神様ではなく、人の言葉に従ってしまったり、
自分では「おかしい」と思いながら、
誰かが強い言葉を使うと、妥協してしまったり、
本当に主を第一とする、
神様の願っておられること、
求めておられることに耳を傾け、
そこに従っていく者でありたいと思いました。

主よ、
あなたを主とします。
あなたを王とします。
どうか、心の中の偶像を一つ一つ、隅々までも、
粉々に砕いて、あなたに従う者とならせてください。

2009-05-28

やっぱり夜は眠い。

まだ夜の10時なのですが、
またいろいろメールが入ってきて入るのですが、
教会のニュースレターの原稿を今夜中に書こうと思っていたのですが、
どうにも睡魔が襲ってきていて、集中力を失いつつあるので、
おとなしく休みます。

ParamusにもSwine Fluの脅威が来ているようで、
高校ではたくさん休んでいる子がいるとか、
まだ確認された症例はないのですが、(隣の町では4例ほど出た)
夕方「fluみたいな症状が出たら、必ず休ませてください」って、
一斉電話がありました。

なので、別に風邪も引いていないし、熱もないし、
でも、集中力がないので、休んで、明日の朝早く起きます。・・・たぶん。

2009-05-27

明日はNJ。


朝よりは帰りの方が暖かでした。
明日もまだ寒いみたいですが、
週末に向けて、だんだん暖かくなるようです。


明日は一日NJです。(たぶん)


午前中は教会で祈り会。
午後はLeoniaでキッズクラブです。


今日も何回か、PCのスイッチが入りませんでした。
ヤバイかも・・・。(^_^)
壊れても「ま、しょうがないなあ・・・4年半よく頑張りました。」(^_^)
壊れなければ「大感謝!あと3年くらいは、どうかよろしく頼むよ」(^_^)


さて、今日2回目の更新。
昨日は出エジプト記23章1-19節。


「あなたの土地の初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない。」19節。

初穂の最上のもの。
余ったものではなくて、
余裕があったらではなくて、
使い古しではなくて、
新しいのを買ったからではなくて、

最初のもの、最高のものを主に。

そのような姿勢で生きているだろうか?
具体的にそのような生き方をしているだろうか?

自分が最初になってしまいやすいわたしたち。
いや、「わたしたち」なんてごまかしちゃいけない。
自分をどれだけ最初にすることが多いことか。
主を最初に、主に最高のものを。

主よ、
あなたを第一にします。
あなたに最高のものをささげます。
時間も、財も、そして、何よりも心も。
その意味をもっともっと具体的に表していけますように。

いろんな世代が共に歩むこと。

今日はとっても肌寒い一日です。
長袖を着てもまだ寒い。
土、日、月、火、水と
5日連続でNYに出てきていますが、
「今日寒いから、風邪ひかないように洋服買ったら?」なんて暖かい声をのんちにかけてもらったので、もしかしたら、NYのブチックで服を買ってしまうなんてセレブっぽいことをしてしまう(もちろん人生初)かもしれません。でも、マンハッタンには我らがKmartはないんだろうか?


・・・あ、見つかってしまった・・・。Penn Stationのすぐそば。


でも、さっきから日が出てきました。


今日は1年ほど前にご主人を亡くされて、
お一人でお子さんたちの家のそばの「いざとなったらヘルプ→介護をしてくれるアパート」に引っ越して行かれたご婦人とお電話で話しました。
住んでおられるのは、そのようなある意味、
「安心」のあるところでありながら、
環境的にも恵まれているところでありながら、
なんだか、やはり寂しさを感じられるようです。
一つの世代の方々だけが集って生活することが、
やはりわたしたち人間にとって、とても不自然なことなんでしょうね。


日本の「ニュータウン」などでは、それを意図していなかったにもかかわらず、
今、一つの世代の人だけが集る(というか、残された)街があるといいます。


誰もがやがて迎える問題。
いろんな世代の人たちが共に過ごせるコミュニティーを作って行くにはどうしたらいいか、真剣に取り組むべき時が来ていることを思わされました。


さて、おととい、月曜日の聖書。
月曜日は出エジプト記22:16-31でした。


「あなたがたは、わたしの聖なる民でなければならない。」31節。

聖なる者。
それは特別に取り分けられた者。
主のためだけに用いられる者。

この時間は神様の時間で、
この時間は自分の時間・・・ではなく、

この分野は神様の支配で、
この分野は自分の考えでやる・・・ではなく、

わたしたちの存在自体が神様のもの。

だから、どっぷりと主の御手の中で歩もうと思います。

かみさま、
食べるのも、考えるのも、楽しむのも、休むのも、
TVを見るのも、スポーツを見るのも、
誰かと話をするのも、
すべてあなたの御手の中で、
あなたの喜ばれることを求める中で、
させてくださいますように。
生活のすべての分野をあなたにささげます。

2009-05-26

6年目の記念日。

今日は午前中、思いの外天気が良かったのですが、
それでも気温は低めで、
夕方からは冷えてきました。


あの年も、今日みたいに寒かったです。
そして、雨が降っていました。
そう、今日は6年目のマツイ記念日です。


思い出すたびに、よくまあ、飛んできたもんだ、と思います。
いつか、「なかなかくじは当らない」と書きましたが、
考えてみたら、これはものすごい確率ですよね。


でも、もっとすごいのは、日本の社会にあって、
神様に出会えたこと。
子供の頃から、神様の話を聞いて過ごせたこと。
これもものすごい確率ですよね。


感謝。


さて、今日は夜、NYに行って、ある方とお話しをするチャンスが与えられました。
ゆっくりお話しをするのは初めて。
そして、間もなくNYから引っ越して行かれます。
そんなことで、「何で今までもっともっと声をかけてこなかったんだろう」と反省しますが、
このようなときが与えられて感謝。
自分がやはり「伝道者」なんだということを、再確認させられた夜でした。


これからも、引っ越して行かれた先で、
主が導いてくださいますように。


さて、ちょっと休んだので、おととい、日曜日の聖書。
日曜日は出エジプト記の22章1-15節。


「その双方の言い分を、神の前に持ち出さなければならない。」9節。

わたしたちは互いで心を割ってとか、
人々の前で、とかいうが、
聖書は「神の前に持ち出す」と言っている。

人の前ではなくて、神の前に、共に出る。
それが大切なことなのだろう。

神の前に出るときに、本当に自分の動機が問われる。
心が探られる。
そのことさえなくなってしまったら、信仰者としておしまい。
だから、わたしたちは神様の前に出ることが本当に大切だと思う。
そして、神様の前で心探って頂いて、
本当のことが明らかにされることを経験していきたい。

主よ、
わたしたちが人に裁かれることではなくて、
あなたに裁かれて、本当のことを明らかにするような者であることができますように。
あなたの前に出るときに本当に真実であることができますように。

感謝と祈り。

元気でやっているのですが、
お客さんもおられるので、
どうしても、このブログの更新は優先順位が下がります。
このような機会が与えられていることに感謝しつつ、
これからの歩みが主に守られるように祈りつつ。

明日も更新できるかどうか、あまり自信はありませんが、
元気でやっておりますので・・・。

2009-05-23

ところ変われば・・・。

今日は昨日までとうってかわって涼しい一日でした。
明日は補習校の運動会ですが、
天気は「微妙」ですね。
午後40パーセントの確率で雷雨、と言う予報を出しているところもあり、
朝から70パーセント(でも午後が中心)で雨と言う予報を出しているところもあり。


何とか天気が持ちますように。


今日はボリビアから宣教師ご一家が到着。
前回は2年前にお会いしているのですが、
その時はご主人ひとりだけ、
今回は奥方と、高校生のお嬢さん、中学生のご令息の4人での来訪。
前回とはちょっと雰囲気が違って、
会話の内容も違って、
いろいろ文化の違いを教えてもらって、
楽しいひと時を過ごしました。


明日は久しぶりに自分が礼拝説教なし。


祈りつつ、待ち望みます。


そう、今日は9時からと11時から教会全体で、
それぞれの場所で祈りのひと時を持ちました。
わたしは9時は先生方とお話をしていたので、
11時からのに参加。


祈っていた弟子たちに聖霊が下って
教会がスタートしたペンテコステまであと1週間。
改めて、聖霊様に満たされることを願い祈る幸いなひと時でした。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記21:28-36


「もし、牛が以前から突くくせがあり、その持ち主が注意されていても、それを監視せず、その牛が男または女を殺したのなら、その牛は石で打ち殺し、その持ち主も殺されなければならない。」29節。

知っていながら対策を採らない愚かさ。
その代償はあるときには人の命であるし、
またその償いは、自分の命となる。

それくらい、「知っていても何もしない」ことの愚かさ、
その責任は大きいのだと言うことを思わされました。

主がわたしたちに与えられた責任、
わたしという個人に与えられた責任を
ちゃんと行動によって果たさせていただきたいと思わされました。

わたしなどは、何度も石で撃ち殺されてもおかしくないほど、
知っていながら、行動しない、対策を取らない、愚かなことをしていると思います。

主よ、
あなたに与えられた使命をしっかり果たす者でありますように。
与えられた使命をしっかりと行動に移すことができますように。
その勇気と力を与えてください。

JOYJOYキャンプ2009受付終了。

締め切りました。
今年はたくさんの方々の申し込みをいただきましてありがとうございます。
定員を大きく超えましたので、皆さんをお受け入れできるかどうか、
明日、検討して、ご連絡します。

さあ、これからは中身をつめていく作業です。

2009-05-22

血液型ねえ。

今日の2回目の更新でiPhone版「新共同訳聖書」のことを書きましたが、
日本の本がこちらで読めるのはなかなかGoodです。


で、今日、こんな記事を読みました。
これもアメリカのiTunes Storeで買えます。
で、何故か話題になるのは「B型」。


のんちもB型だし、教会にもやたらB型の方多いし、
何か意味があるのかもしれませんが、
でも、かきごおり家の実家はみんなO型だけど、
みーんな、性格違うからねえ。


そんなこと考えながらも、ちょっと気になって、
さっき、いろいろ見ていたら、
こんな書評が・・・。
その中の最初の6コは「マジで!?何で知ってるの?」って思うくらい、
「あるある!」でしたねえ。
特に最初の2つはね。


最後の3コは「んなことはない」でしたけど。
まあ寝るときは真っ暗にして寝ますけどね。
・・・うん、いろいろ気になりますから・・・
でも、真っ暗じゃなくても眠れます。


でも、やっぱりステレオタイプは良くない。
そりゃあ、マジになるほどのことじゃないと言えばそうなんだけど、
一人一人は神様によって違う存在に造られたからね。


さて、追いつきました。
今日の聖書。
今日は出エジプト記21:12-27でした。


「目には目。歯には歯。手には手。足には足。」24節。

これは復讐の法律とよく言われるが、
実際は償いの法律+際限のない復讐を禁じる法律。
で、今日は「自分が償わなければいけないとするとどんなことか」と考えさせられました。

そんな中で、何かものを償うとか、
何か、自分も同じものを失うようにするとか、
そんなことはあまり思いつかなかったのですが、

人間関係の問題として、
もっともっと尊敬の思いをもって、
人に接しようと思いました。
今年になってから何度も思わされていることですが、
僕として、仕えることを教えて頂きたいです。

主よ、
私が誰かに償うべきものがあるならば、
それを教えてください。
そしてそれを心から行うことができますように。
そして、私がもっと仕えることを知ることができますように。
もっと尊敬の念をもって人に接することができますように。

新共同訳が出た。

はい、今日も暑かったです。
30度楽勝で超えました。
今、10時半頃ですが、23度です。
何だか夏みたいです。


明日はプール開きです。
あさっては補習校の運動会です。
その次の日はメモリアルデーです。


暑くてもちっともおかしくない季節になりました。


で、新共同訳聖書がiPhoneで読めるようになりました。
英語の訳はたくさんあるのですが、
日本語はいろいろハードルがあるみたいです。
そのハードルをこえて、とうとう登場。


でも、海外にいる人にはこれはありがたいサービスですよねえ。
日本の本もどんどん読めてしまうわけです。
月々30ドルのデータ通信料が高いのが一番の問題ですが、
これも、他の携帯で日本語が使えなくてもデータ通信をしたければ15-30ドルはかかってしまうものですから、考えようによってはちっとも高くない。


26ドルで買えて、ポケットに入ってしまうんですから、これはいいですね。
なんとか、安くiTunesカードを買えば(20パーセントOFFの時もありました)、
20ドルそこそこで手に入れることもできるわけです。
まあ、絶対、お金を払いたくない、と言うことだったら別ですが、
普通に紙の本で買ったら、どんなに安いのでも3000円くらいですからねえ。
それにアメリカで探したら、最低40ドルとかはしちゃいますからねえ。


あとは新改訳です。是非、出して頂きたいです。
何とか道が開かれますように。


さて、昨日、21日の聖書。
昨日は出エジプト記21:1-11


「あなたがヘブル人の奴隷を買う場合、彼は六年間、仕え、七年目には自由の身として無償で去ることができる。」2節。

ついこの間まで奴隷だった彼ら。
この言葉をどんな気持ちで聞いていたのだろうかと思いました。
自分たちが解放された喜びを知っていて、
奴隷の解放までの年月の6年が「長い」と思ったかもしれませんし、
自分たちの苦労を考えて、「羨ましい」と思ったかもしれません。

でも、自分の「救い」のことを考えたら、
「早く経験して欲しい」と思います。

もうちょっと時間をかけて、
もっと納得するまで・・・なんてあまり思いません。
早く、早く、経験して欲しいと思います。
神様に赦される喜び、
愛されている喜び、
一人でも多くの方々に早く知って頂きたい、
経験して頂きたい、
そのように思います。

主よ、
どうか、今、あなたを求めておられる方々が、
一日も早く、あなたに出会うことができますように。
救いの喜びにあふれて歩む方々がどんどん起こされていきますように。

尊敬。

昨日は暑かったですねえ。
30度は楽に超えました。
ちゃんと調べていたわけではありませんが、
とにかく暑かったです。
でも、今朝は13度。
いくら暑くても、朝がさわやか、これがいいです。


今日も暑くなりそうです。


昨日は朝は家庭集会。
午後はJOYJOYキッズクラブ。
たくさんの元気なみんなが集って、
新しい子もきてくれて、
楽しかったです。
でも、やっぱり最近新しいリピーターがたくさんいるのがいいですね。


そして、そのあとは、
「今日しかない!」ということで、
昨年CAに引っ越された、
ずっと教会を支えてこられたご夫妻と会食。
両親の世代のご夫妻ですが、
自分はいつも小生意気なことばかり言ってきたなあ、と思います。
そんな私をいつも暖かく受け止めてくださったことに、
改めて、感謝が湧いてきました。

先日の日曜日にはいつもお座りになっていたところに、
座っておられて、その存在感を覚えました。


一人一人が神様から与えられた方々なんだと思わされました。


さて、水曜日、20日の聖書。
20日は出エジプト記20:18-26。


「あなたはイスラエル人にこう言わなければならない。」22節。

モーセの強さを見ました。
特に日曜日に、召命(Calling)から逃げようとしていたモーセを
子供たちに語ったので、
その同じモーセが、神様から言われて、
本当にストレートに語っている姿。

そこには主の「語りなさい」との言葉がある。

先日、ある「娯楽系」のドラマの中で聞いた言葉。
「大切なものを守るために強くなれる」
それを聞いたときに、
自分にとって大切な教会の一人一人のために、
強くなりたいと思いました。

そして、この聖書の言葉によって、
主によって、その偉大な力によって強くなりたいと思いました。

主よ、
大切にすべきものを大切にさせてください。
あなたにある強さを与えてください。

2009-05-21

いろいろなことがいっぱいの一日。

いろいろなことがいっぱいの一日で、
エキサイティングでありましたが、
11時前ですが、もう休みます。

明日の朝、更新予定。

2009-05-20

対岸の火事じゃない。

今日は暑いくらいになりました。
そして、昨日までと違って、夜になっても気温は下がりません。
今は11時過ぎですが、まだ20度近くあります。


明日は30度を超えて暑くなると思います。


騒がれている新型インフルエンザですが、
NYはどこでどう触れるかわからない状態ですね。
NJはまだまだ広がっていないようでもありますが、
日本人もたくさん通っている小学校でも感染例がでた ということで、
もう、どこか他のところで起っていることではなくなってきました。


今回は重症化する例が限られているということで、
決して恐れる必要はないようですが、
いつか起るかもしれない、強毒性の型の場合はどのようにすべきか、
今回、いろいろちゃんと考えるチャンスをもらったのではないかと思います。


さて、昨日の聖書。
昨日は出エジプト記の20:1-17。


「しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。」10節。

わたしたちは、「できたら休みたい、でも、そうも行かないときはしょうがない」みたいなレベルで考えていないだろうか?
しかし、聖書にあるのは、主の安息だから、どんな仕事もするな!という強さ。
本当に本気で、「休む」という決意と強さが必要だと思いました。

見失ってはいけない。
休むということの大切さ。
休まない人の方が勤勉で偉いかのような社会の風潮の中で、
そんな風潮に飲み込まれないで、
人がどう思っているかに振り回されないで、
休むことを譲らない、決然とした態度の大切さを思わされました。

だから、今夜も、しっかりと早く休もうと思います。

主よ、
妥協することがありませんように。
決然とした態度で、休むことができますように。
主の戒めに従います。

2009-05-19

心地よいけど眠い。

今、NYからのバスに乗ったところ。
遅くなりましたが、心地よい疲れ。
いい一日でした。
今日も祈ってくださった方々に感謝。


ああ、ここでバッテリーがなくなったので、
あと、やっぱり揺れるので、また、帰ってから更新。


さて、帰ってきて、
早速更新の続き、と思ったら、PCが立ち上がらない。
ああ、新しいPCか?何にしよう・・・。
ちょっとわくわく・・・。


でも、ちょっと分解してもう一度組み立てたら、無事起動。
正直、大感謝でした。


大感謝の勢いで、昨日の聖書。
昨日は出エジプト記19章14-25節。


「下って行って、民を戒めよ。主を見ようと、彼らが押し破って来て、多くの者が滅びるといけない。」21節。

これが本当。
興味本位で、物見遊山で主を見ようとするとき、
滅ぼされるのが、本当。
その神の前の畏れ。
その神のきよさを甘く見てはいけないと思います。
そして、そのきよい神の前に立っていることを忘れないでいたいと思います。

そして、その神の前に立つことができるために、
イエスがわたしたちのために死なれたことも・・・。
その大きさに感謝しつつ。

主よ、
あなたのきよさを思います。
本当はわたしたちはあなたの前に立つことができないことも。
その畏れを忘れない者としてください。
そして、わたしたちのためにイエスが身代わりになってくださったことに、
感謝します。
明日も、その感謝の中で歩むことができますように。

2009-05-18

冷え込みますねえ。

今日は涼しかったですね。
今夜はぐーんと冷え込みます。
今は夜の11時前ですが、
7.8度まで下がってきています。

明日の朝は3-4度くらいの予報が出ています。
でも、昼間は20度を超えそうで、気持ちのいい初夏の日になりそうです。
そして、今週は木金あたりは30度を超えそうです。

この週末はもうMemorial Day。
プールやバーベキューの季節がやってきます。
わくわく。

さて、今日2回目の更新は、
昨日の聖書。昨日は出エジプト記の19章1-13節。
この聖書箇所の決め方、秀逸だと思います。
エペソ人への手紙をずっと読んで、
わたしたちがどれほどすばらしいものを与えられているか、を読んだあとに、今度は神様の聖さを教えられます。

「それでモーセは民のことばを主に持って帰った。」8節。

13日のところに書いた「私は副牧師」という言葉につながってくると思うのですが、モーセは民に神の言葉を聞いて語った。
神の言葉を聞く者は、それを語る責任がある。
それを神の権威の下に提示する責任がある。
そのことの大切さを思います。
勿論、いつも書いているように、
自分の言葉を、自分のこだわりを「神の言葉」として語る危険性がないわけではありません。でも、本当にそのことを自覚しつつ、主から聞いたことを語ることができますように。語らない危険、はっきり語らない危険、神の言葉を人の言葉のように語る危険も、忘れてはいけないなあと思わされました。

主よ、
あなたの言葉を聞かせてください。
あなたが語ってください。
そして、語られたことを、はっきりと伝える勇気と確信を与えてください。
人の言葉を神の言葉のように語る危険から守ってください。
神の言葉を人の言葉のように語ることから守ってください。


すぐ元気になれる。

ちょっと間があいてしまいました。
土曜日の夜はもう、時間に追われて、更新できず、
昨日の夜は、ちょっとしんどくて、更新できず、
いろいろ考えてしまいました。
でも、今日一気に元気になれて、回復しました。


しんどいことがあったとしても、
24時間以内に前向きになれるなんてのは、
すごい、助かります。
主が助けてくださったことに心から感謝。


さあ、JOYJOYキャンプの申し込みもあと1週間。
昨日現在で、32名。
教会の子たちを加えると40人くらいでしょうから、
今週どこまで伸びるかですが、
ちょうどいいかもしれませんね。


さて、土曜日の聖書。
土曜日はエペソ人への手紙の最後。6:10-24。


「そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」18節。

忍耐と祈り。
ちょうど、日曜日の聖書の箇所で、
イエスがエルサレムのために泣かれたところだったので、
本当に主が「祈りなさい」と招かれていることを感じました。

自分は今日も泣いて祈っただろうか?
今日も誰かのために自分の永遠の命を主の前に持ち出しただろうか?
いつの間にか、「人それぞれ考え方があるし・・・」という現代の思想に
埋もれてしまっていないだろうか?
周りの誰かのために泣いて祈ったのはいつが最後だっただろうか?

パウロがそうだったように、
モーセがそうだったように、
私も自分の永遠の命を差し出すほど、
人を大切にして、
その救いのために必死に祈る者となりますように。

主よ、
祈ります。
あなたのことを知らない方々のために、
祈り求めます。
どうか、主よ、あなたが祈りに答えて、
その御業をなしてください。
あなたしか信頼する方はいないのです。
あなたを信頼します。

2009-05-16

土曜日の朝。

土曜日の朝です。
結構霧が深かったです。
教会の駐車場はそれほどでもありませんでしたが、
運転中は視界100メートル以内。

 

朝霧は怖いときがありますよね。
去年の2月にアトランタに行ったときも、
帰り、ワシントンDCあたりを夜明け前に通ったのですが、
前の車しか見えない、
だから、前の車から余り離れたくない、
でも、前の車も前が見えないだろうから、
あんまり近寄っても、急ブレーキはコワイ、って感じで、
緊張しながら運転しました。


でも、7時にはほとんど霧が晴れていて、
「朝霧が出ている日は暑くなる」ということが多いのですが、
さて、今日はどうでしょうか?


さて、昨日の聖書。
昨日はエペソ6:1-9を読みました。


「良いことを行えば、奴隷であっても自由人であっても、それぞれその報いを主から受けることをあなたがたは知っています。」8節。

報いを「主から」受けるというところに目が留まりました。
私たちが忠実に仕えていく中で、
仕えているところで、仕えている人に報いを受けるのではなくて、
主から受けるのだということ、その視点の大切さを感じました。

いろいろがっかりすること、イライラすることあるかもしれません。
でも、それは人からの報い、や組織からの報いを期待しているからなのではないか、
本当にわたしたちが期待して待ち望み、楽しみにしていくのは、
主からの報い、そこに集中することがどれほど大切かと思わされたのです。

何年か前に読んだ文章の中に、
戦前、日本で伝道をしていた宣教師の方の話がありました。
日米戦争のときに、外国人にいろいろな差別が始まっていく中で、
ある役人か、軍人かのひどい言葉に、一瞬「ここまで日本の人々のためにやってきたのに、こんなことを言われなければいけないのか」と思ったそうです。しかし、その時に主が彼女に語りかけた、「あなたは人々に認められるためにやってきたのか?」と。

主からの報いを待ち望み、
主に「よくやった、良い僕よ」と言われることを楽しみにしながら、
歩ませて頂きたいです。

主よ、
あなたからの報いを待ち望みます。
どうか、わたしたちが人の評価や、人からの報いに、心を集中させることがありませんように。焦点をあなたにぴたっと合わせることができますように。

2009-05-14

妻を愛しなさい。

今日はちょっとだけ雨が降りました。
ホントは花粉を流してくれるような雨が欲しかったのですが、
そこまでは行かなかったですね。


でも、空気がしっとりして良かったです。


明日は晴れるようです。25度を超えて汗ばむようになりそうです。


今日は早速聖書。
今日の聖書はエペソ5:22-33。


「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」25節。

まず、今日はイエスの愛を覚えました。
イエスが愛してくださっていることの幸いを感じました。
私のために自分を与えてくださったこと、
その大きな愛に感謝しました。

そして、そのような愛で妻を愛すること、
いつもそうですが、そこに足りなさを感じます。
愛すること、それも、イエスが私を愛してくださった愛で愛すること。
自分のからだのように愛すること。
これは永遠の課題ですね。

主よ、
わたしの愛はなんて身勝手な愛でしょうか?
愛ってわからない、と思います。
どうか、愛することを教えてください。
愛することを学ばせてください。
妻を自分のからだのように大切にすることができますように。

2009-05-13

主に求める。

今日もいい天気でしたね。
朝は寒いくらいでしたが、昼間には汗ばむくらい。
でも快適です。


明日は夕方から雨ですね。


しばらく晴れていたので、
うれしい雨です。


土曜日にはレオニアの教会でガレージセールですが、
天気は「微妙」。
40パーセントの確率で雷雨。
うーん、去年と同じかも。
くわしくはこちら。 


JOYJOYキャンプ、教会の子たちを入れない段階で24名まで行きました。
教会の子たちは油断して、まだ申し込んでいない子が多いですからねえ。
リピーターもたくさんおられますが、
ニューフェースもたくさん。
楽しいキャンプになりそうです。
できれば「抽選」とかしなくてすむ、ぴったりの人数だといいのですが・・・。


今日は一つの予定がキャンセルになってちょっと残念。
最近教会に来られている方とゆっくりお話しする予定でしたから。
でも、神様には他のご計画があったようです。


その時間に読んでいた、今年の修養会の講師で来られる先生が訳された
「家の教会」という本の中で、著者のヒューストンにある韓国語教会の牧師さんの言葉。


「祈りによって牧会をするのは、私が副牧師だからです。私が副牧師なら、主任牧師なるイエスの御声を必ず聞くべきです。そうしたとき、そのお方の御心に従って牧会することができるのです。私は祈りの時間に主の御声を聞こうと努めています。ヒューストン・ソウル教会に対する神の御心が何であるかを見出そうと努めています。」


この祈りについて書いてある章を読み終わったときには、
祈りに心が向いていました。
ニューヨークの市立図書館だったので、
勿論声を出してお祈りすることはできなかったのですが、
目の前にあるPCの電源を切って、私に祈りなさい、
と主が求めておられることがわかりました。


PC用の席、限られていて、一度席を立つともうなかなか取れないのですが、
何のためらいもなく、立ち上がって、他の席にいって祈ろうと思いました。


主の招きにこころから感謝しました。


さて、今日の聖書。
今日はエペソ人への手紙5:15-21


「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」19節。

互いに語る言葉が何か?
主に向かって歌う賛美。

ああ、自分の人々との会話が、
主への賛美に満たされますようにと思わされました。
主への賛美にあふれた、会話があふれますようにと祈りました。

無理して、わざとらしく、神様のことを話すのではなくて、
何だかわからないんだけど、話していると、最後は賛美で終わっている、
主への祈りに自然と導かれていく、
そんな会話があふれますようにと祈らされました。

主よ、
私の会話をきよめてください。
周りの人と話すときに、
どんな話も、主よ、あなたを賛美するところへと導かれますように。
あなたへの祈りへと導かれるものとなりますように。

2009-05-12

不思議な人間の頭。

今日も、私の目の前では雨も降らず、いい天気でした。
ちょっと平凡すぎてお天気的には余り面白くない。


そして、ざあーっと雨が降って、芝生を潤して欲しいし、
あと、花粉もすべて流して欲しいですが、
木曜日あたりにそんな雨が降るかもしれません。
でも明日も、もう一日晴れです。
そして、今夜はまた4-5度まで下がります。


どうでもいい話題ですが、
こんな記事 がありました。


その中の問題の文章をこぴぺすると・・・。


こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき 

その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく 




だって。皆さん、よめました?

フォントに何を使うかによってとか、
字の大きさによって、微妙に違うのですが、
かなり読めちゃいますよねえ。
でも、自分で適当に文章を作っても、ここまでうまくいかないですよ。
結構考えられているのかもしれませんね。


神様が造ったわたしたちの脳にはいろいろ不思議なことが起っています・・・。


今日の集会も感謝でした。
聖書の言葉に一人一人が応答されているのに、
こころから感謝します。
お一人一人に神様の語りかけが今もありますように。


さて、今日の聖書。
今日はエペソ5:8-14


「けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。明らかにされたものはみな、光だからです。」13-14節。

自分のこともそうだけれども、人のことだと本当に明るみに出してはいけないのでは・・・ということがある。勿論、人間の間で「明るみに出す」ことが間違いなことはたくさんあります。でも、それと「神様の光の前に引き出す」ということが混同されることがどれほどあるでしょうか?


神様の光の前に引き出された時に、
神様の前で明るみに出された時に、
本当の光の中に引き出された時に、
それは光となる。


それはすごいことだ。
大きな励ましになった。
誰かが罪を犯している時に、
それを放っておくのではなく、
共に神様の光の前に持ち出せるように、
祈り、導いていくことの大切さを思わされました。


光の中に出される時に、それが光になるのですから。


主よ、
御言葉に感謝します。
自分の罪もそうです。光の下に持ち出すことができますように。
また誰かが明らかな罪を犯している時、
11節にあるように「明るみに出す」あなたの光の前に・・・、
その働きができますように。
そして、光に照らされたものが、今度はまた光となることを、
経験させてくださいますように。
御言葉の真実を、もう一つ教えてください。

2009-05-11

きよい生活。

今日もいい天気でした。
雨が続くとちょっと気持ちも重くなりますが、
また、このようにいい天気が続くと、やっぱり物足りない。
雷雨とかあってほしいなあ、と思います。


明日も基本的にはいい天気ですが、
夕方には一時にわか雨もあるかも。


やはり夜9時に更新は難しいですね。
今日は朝は歯のチェックアップ。
特に問題なし。
あんまりまじめに磨いているとは言い難い方なのですが、
唾液の成分でしょうかね、
すごーく丁寧に磨くのんちにまけず、
歯は問題ありません。
でも、「ちゃんとフロスしてくださいねえ」と
優しいお兄さん(おじさん?でも自分よりは若い)先生に言われてしまいました。


夜になってから、ショッピングにつきあいました。
自分と関係ないショッピングでもなかったので、
ついていって、ちょっと意見を言ったりしたのですが、
やはりここらへんは、一番、男と女の違いが出るところですよね~。


中には奥さんの着るものも全部コーディネートする方もおられますが、
コーディネートに喜びを感じるご夫君もすごいですが、
まあ、それをそのまま着てくださる奥様もまたすごい。
ちょっと想像できません。


でも、最近、いっしょに出かけることも少なくなってきたので、
ちょっと貴重な一時。


ということで、更新が遅れました。
今日はエペソ5:1-7


「不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者──これが偶像礼拝者です、──こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。」5節。

きよく歩むことを語られました。
罪に対して鈍感になってはいけない、
本当に自分の罪に泣く、もだえる気持ちを忘れないでいたいと思います。
そのような主の目を、自分自身にも持たせて頂きたいと思います。

あの、マタイの山上の説教の中で、
「悲しんでいる人は幸いである」という言葉がありますが、
それは「罪に悲しんでいる人は」という意味だと言われます。
自分が罪を犯した時にも
人が罪を犯し続ける時にも、
それに対して悲しみを覚えるような、
そのような霊的な感性を持たせて頂きたいです。

主よ、
私の心を守ってください。
子供の頃に比べると、
だんだん罪に対して鈍感になっていないだろうかと思います。
「自分の弱さ」でごまかしてしまっていることがないでしょうか?
罪に対して泣く者でありますように。

2009-05-10

憤ったまま日が暮れてはいけない。

もう10時ですが、とにかく追いついておきたいので、もう一回更新。

今日、日曜日の聖書。
今日はエペソ4:25-32。


「日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」26節。

まあ、いろいろありますよねえ。
でも、怒ったとしても、憤ったとしても、
そのまま夜を迎えるようではいけない、と。

これは象徴的な意味でとらえることが多いと思います。
でも、やはり、これは文字通り取って、心がけることが大切だと思いました。
怒った時に、憤りが収まらない時に、
何とか、その日のうちに解決するようにする。
その日のうちに答えをもらえるように祈る。
それを実際に実行していこうと思わされました。

翌日まで持ち越さない。
夜寝るまで持ち越さない。
とにかくその日のうち、日が暮れるまでには、
(いや、日が暮れてからのバトルもあると思いますが・・・)
答えをもらって、解決をして、
自分の心の中でも、また人との関係においても、
解決をもらって、進んでいこうと思います。

主よ、
御言葉に感謝します。
この通りに行動できる者としてください。
この通りに実行することができますように。
いつまでもいつまでも憤っていない、
そのような者でいたいと思います。

母の日。

今日はホントに風が強い日でした。
でも、もう、冷たい風ではなくて、
春が来たんだなあ、というか、もう初夏。
新緑が目にまぶしい季節になりました。


今日も強風でたくさん花粉が飛んでいたと思いますが、
このあと、落ち着いて欲しいものです。


明日はまた一日晴れ。
でも、今夜はよく晴れるので、
ちょっと冷えそうです。6-7度くらい。


今日は母の日。
ここも読んでくれている母に、
こころから感謝。

朝電話してたら、私はすぐ話す事はなくなってしまうのですが、
のんちのほうは、結構いろいろ話し込んでいました。
こういうのはやっぱり女同士なんでしょうかね。
男ばかりの兄弟でしたので、
母はこの年齢になるとちょっと淋しいかもしれませんね。
ま、実家にちょくちょく行ってくれる兄弟もいるので、
遠く離れて親孝行できない息子の分までやってもらって感謝しています。


そして、昨日、土曜日の聖書。
土曜日はエペソ4:17-24。


「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」24節。

神のかたちに作られたわたしたち。
ちょっと前にも書いたように、
この神がわたしたちを造られた時に、
どれほど、喜びを持って、
どれほど喜びにあふれて、造られたかということを思わされています。
それ故に、またどれほどこの神に背を向け、罪を犯したことが、
神にとってはどれほどの痛みだったか、
神にとってはどれほどの悲しみだったかと言うことを思わされます。
罪の恐ろしさ。

でも、わたしたちのために、もう一度神にかたどって作られた新しい人があるというのです。
悔い改めて、信じる時に与えられる新しい人に、
また、神はどれほどの喜びを込めておられるかを感じました。

この喜びを私も頂いて、歩きたいと思います。
主が私を喜んでくださっている、
その喜びを自分も喜びとして、歩んでいきたいと思います。

主よ、
あなたの喜びを感謝します。
あなたが私に着せてくださった、新しい人の中に、
どれほどの思いを込めてくださっているか、
知って、こころから感謝します。
どうか、あなたの喜びを私の喜びとさせてください。
新しい人を着て生きる喜びに生かしてください。