2008-11-03

2つの大切な言葉。

夜になりました。
今は9時すぎですが、10度以上あります。
今夜はあまり冷えないようです。


明日からも気温は高めなのですが、
天気はちょっとどんよりで、水曜日の夜からは雨が降るようです。

1年限定で無料で見れるTV Japanですが、
1ヶ月が経ちました。
やっぱり見ちゃいますよね。
1年後、すぱっとやめるのは難しいかも・・・。
だから、プロモーションなんですよね。


相手の作戦がわかっていながら、それにまんまと引っかかってしまう自分がコワイ。


で、最近ここでやっている「斎藤さん」。
1年くらい前に日本テレビでやったドラマみたいですが、
第4回を見ました。


空気を読んでものを言う、のを期待されることに
最近めちゃくちゃ反発を覚えていましたから、
このドラマは痛快です。
でも、コワイ。
ママたちの陰口もコワイし、「そんなことして気持ちが良かった?」と聞くママさんたちののリーダー格の人の言葉もコワイ。


でも、この第4回。ほんとうに心が動かされました。
「悪いことをした時に、心が痛いでしょ、コワイでしょ、それを忘れないで。」と子どもに教えるところ。


私たちは子供たちがあんまり心が痛む経験をして欲しくなくて、
大切なところを子供たちが通ることを邪魔してきているのではないかと思いました。


私もJOYJOYに来る子供たちに、2つの大切な言葉、という話を時々します。


「ありがとう」


そして、


「ごめんなさい」


これが言える人がほんとうに勇気のある人。


でも、「ごめんなさい」も時にはインフレを起こして、
安っぽい言葉に成り下がってしまう時があります。


悪いことをした時に、
嘘をついた時に、
心が痛くなる、怖くなる、
それを深く深く感じることがなくて、
ただ、「怒られるから」だけで「ごめんなさい」を言う、
そんな子供たちになって欲しくない。
そんな大人になって欲しくない。


そして、何よりも、自分もそんな大人になっていないだろうか、
そう思います。
そして、「悔い改めるなら赦される」というのが単なる甘えになってしまって
「心が痛くなる」ということを経ないで安易に解決していることがないだろうかと、
思わされます。


イエスが十字架にかかるほどの大きな犠牲が払われた、
という事実を忘れないように・・・と思います。


さて、今日の聖書。
今日はピリピ人への手紙1章27節~2章4節。


「あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」2章2節。

人が集まっている教会が一つになるってどういうことなんでしょうか?

いつの間にか考え方が同じになっている?
小さなところでは違いがあっても、大きなところでは一致できる?
適当に距離をとりながら、上手にやっていく?
誰かが強力なリーダーシップを取って、みんなが「あの人が言うなら」と思って進んでいく?
違った考え方を持った人がいなくなって、同じ考えの人だけが残る?

主の前にひれ伏して、神さまをほんとうに主として歩んでいく、
そこで、「私の夢」「私のビジョン」ではなくて、
主に従う者たちの集まりとして、一つになっていく、
それが主にある一致なんだろうなあと思います。

だから、一人一人が主の前にひれ伏しているか、
心砕かれて、自分が主人じゃなくて、神さまが主人、と言う歩みをしているか、
そこが問われているんだろうと思います。

主よ、
私はあなたを主としているでしょうか?
私が自分を主人とする時があるならば、
あなたがそれを示してください。
教えてください。
そして、あなたを主として歩んでいくことができますように。


そのような者たちの集まりである教会が、
一つになる、という奇跡を見せてください。

「しまじろう」その後。

今朝起きたら、雨が降ったみたいですね。
気温は昨日寝る時は1-2度まで下がっていましたが、
朝起きたら6度くらいありました。


今日も暖かかったですし、
今週はずっと暖かいようです。


TOYOTAのしまじろうCMの話、
書き込みコメントはいただけませんでしたが、
実は大反響で、週末いろんな反応をいただきました。
投票結果は「だよね~」「聞こえる、聞こえる」「英語の方もそう言われれば・・・」が主流で、
「一発で聞こえた」が2票でしたが、
日曜日も「私も『しまじろう』派です」という方、
「英語一発だよ」という方、
それぞれでした。


でも、私が話題にする前に、
こんな記事が出ていました。
http://ameblo.jp/k2at/day-20081013.html
これはもうオバマ氏もびっくり、全米的な現象です。


きっと、きっと、
「隠れ『しまじろう』派」もたくさんおられると思いますよ。


分析してみると、
「しまじろう」の子音は s-m-j-r
「saved by zero」の子音は s-v-d-b-z-r

「同じなのは最初と最後だけじゃん!」と思われるかもしれませんが、
jとzはかなりにていますし、(日本語の「じ」は原則「ji」ですけど「zi」にもなりますよね)
そして、「vdb」をいっぺんに言うと「m」に聞こえるんですねこれが・・・


というのはちょっと無理がありますが、
v,dには母音がつかないので、聞こえなくなり、
たぶん、「b」も「m」もくちびるを閉じて発音するので、
兄弟みたいな関係で、似たような音になることがあります。


個人的には、「ママ」(mama)が年を取ると「ババ」(baba)になるのも同じ系列だと思っています。


まあ、もっと広い視野で物事を見るならば、
英語のwaterが「ウォーター」よりも「わら」の方が通じるという現象も、
「What time is it now?」が「ほったいもいじるな」だったり、
「どういたしまして」が「Don't touch my mustache.」だったりする現象と
共通するものがありますよね。


もっと広く考えれば、江戸っ子は「ひ」と「し」の区別ないし。


もう、収拾がつかなくなりそうなので、今日はこれくらいで・・・。

さて、昨日の聖書。
昨日(11/2)はピリピ人への手紙1章12-26節。


「それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。」20節。

「キリストがあがめられるため」
いつもいつも「私たちの生きることの目的はこれです」と言われることですが、
昨日はこの言葉がほんとうにそのように生きたいと思いました。
私の人生の目的は神さまの栄光が表れること。

神さまのすばらしさが人々にあがめられること、
人々に伝わることが私の願いです。

ほんとうにそのように思いました。
もちろん、うっかりしていると、自分が目立とうとしたり、
自分を喜ばせることを考えてしまう場面もあります。
そんな自分もまたほんとうです。

でも、神さまのすばらしさを知る人が起こされることが、
また喜びです。

昨日も、井上先生のお話をお伺いしながら、
先生をとおして、神さまのすばらしさを感じていました。

もっともっと神さまのすばらしさがあがめられますように。

主よ、
私の人生を通して、
一瞬一瞬を通して、
あなたのすばらしさを表してください。
それを喜ぶ自分でいられますように。

2008-11-02

南の方は大雪だったらしい。

今夜は一時間長いんですよね。
今、2日の12時45分なんですが、
あと1時間ほどしたら、時計が1時間前に戻ります。
つまり1時59分の次は2時じゃなくて、1時になるわけ。
何とか、その瞬間を見る前に夢の国に旅立ちたいと思いますが、
とにかく、1時間得をするのは助かります。


だからといってゆっくり起きていたら元も子もないのですが・・・。


で、土曜日も暖かい一日でした。
でも、夜になってちょっと冷えてきていると思います。
今7.7度。明日の朝は1度くらいまで下がるようです。


あ、それで今日、明日の礼拝でお話ししてくださる井上先生が来られたのですが、
送ってこられたプリンストンの先生によると、
あっちの方は結構降ったみたい。
井上先生が泊まられた、North Brunswickでは、
まだ葉っぱが落ちていなかった木の枝に雪が積もり、
その重みで枝があちらこちら折れていたそうです。


不思議ですね。こちらは降ったか降らなかったか、なのに、
南の方が結構大雪だったなんて。


うらやましい・・・。


土曜日は待ちに待ったJOYJOYシンガーズのスタートの日。
元気なみんなが8人集まりました。
まるで初めてじゃないかのように元気に歌ってくれました。
これはいける!って感じ。


でも、もっともっと団員募集です。
ファーストステージはJOYJOYクリスマス。のつもり。
たぶん、12月21日。
集中して練習して、元気な楽しい賛美があふれるようにと祈ります。


夕方には元ヤクザの井上先生ご夫妻が来られて、
夕食をご一緒しながら、楽しい一時を持ちました。
ホント楽しいご夫妻です。
時間を忘れて、そして、今夜が1時間長いと言うことでゆっくりと時間を過ごさせて頂きました。先生方にとっては時差ぼけの中で、1時間長かろうが短かろうがあまり関係ないかもしれませんが・・・。


明日の礼拝では、ご自身がそのようなところから救われた喜びを語ってくださいます。
明日の礼拝が楽しみです。


さて、1日の聖書。
1日からはピリピ人への手紙の1章に入りました。
1章1-11節。


「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」6節。

神さまが、私たちを完成へと導いてくださる。
なぜなら、主は私のうちに良い業を始めてくださったから。
神さまが救いの御業をなしてくださったのだから。
完成のためにも力を注いでくださる。

主は私たちのことをそのままにはしておかれない。
私たちはありのままで主の前に行く、
でも、主は私たちをそのままにはしておかれない。

完成に向けて、私たちを導いてくださる。

だから、そこに身を委ねていこう。
神さまが私を作りかえようとなさるならば、
喜んで作りかえて頂こう。

そして、その御業が教会の一人一人のうちに実現することを
本気で祈っていこう。主はそれを約束しておられるのだから。

主よ、
あなたは私のうちに救いの御業なし、
そのままにしておかれないで、
私を完成に向けて、導いてくださる。
感謝します。
これからも、あなたの御手の中で歩みたいです。
完成へと導いてください。
私をあなたの御心のままに「完成」させてください。

2008-11-01

豊作。

昨日はハローウィーンでしたが、
ほんとうに暖かくなりましたね。
たくさん子供たちが歩き回っていました。


でも、ハローウィーンに紛れて、強盗に入る悪いヤツもいれば、
どんな事情があったのかわかりませんが、
やってきた若者を射殺した、という事件もありました。


子供たちが仮装するのはかわいくていいのですが、
大人がそれに便乗して悪魔的な格好をしたり、
馬鹿騒ぎをするのは勘弁して欲しいです。


今日はまたそこそこ暖かくなるでしょう。


昨日の夜はまたNYで弟子訓練があったのですが、
その中で気がつかされたこと。


ルカによる福音書の5章で、
イエスがこれから「あなたを人間を取る漁師にする」と漁師たちを招く時に、
先に豊漁を見せてくださったことの意味を思わされました。


豊漁を見せられないで、「あなたを・・・」と言われるのと、
豊漁を見せられて、「あなたを・・・」と言われるのと、
弟子たちの心に起こったイエスに従う者たちの歩みの将来に対するイメージは
どんなに違っただろうかと。


考えてみたら、
イエスの収穫のイメージはいつも豊か。
この場面でも、
水を葡萄酒に変える奇跡でも、
5つのパンと2匹の魚の奇跡でも、
4つの種のたとえでも、
羊飼いのたとえでも、
いつもいつも豊漁、豊作、豊かさ、必要以上、が強調されている。


それに対して、自分が神さまに期待するのはどうだろうかと思わされました。
ほんとうにその神さまの豊かさを信頼しているだろうかと。


もちろん、十字架を負う道であり、
自分の弱さを見せつけられる道です。


でも、それと同時に、
もっともっと神さまの豊かさを経験させられる道なのだと。


もっともっと大きく、豊かに神さまに期待し、信頼していこうと思いました。


さて、昨日、11/31の聖書。
昨日は詩篇の64篇でした。


「だれに、見破ることができよう」5節。

そうですよね。
私たちはそう思います。
「わかりはしない」と。

そして、被害を受ける時も、
「わかってもらえない」と。

でも、主は必ず隠れたことを明らかにされる。

だから、畏れ、
だから、安心して、
だから、信頼して、
歩んでいくことなんだと思います。

どんな状況になっても、
自分の芯がぶれない、
そのような歩みが必要だと思います。
主に目を向けると、そのような歩みをさせて頂けるんですね。
感謝。

主よ、
あなたの与えてくださる平安、
すべてがあなたの御手の中にあるんですよね。
だから、安心して、あなたに任せます。
すべてを守り、導いてくださいますように。







2008-10-31

すり込み。

投票ありがとうございました。
28-29日に初雪を見た、という方が2人。見ていないという方が5人。
サキとハジの友だちを入れて4人は見たというのですから、降ったんでしょうね。たぶん。
まだ締め切っていないので、今からでも投票お願いします。


でも、マイ初雪がまだの方、私を含めてですが、たくさんおられますので、
また次回を楽しみにしましょう!


昨夜も「無理は禁物」モードで、
12時ちょっと前に帰ってきて、
おとなしく休みました。


でも、寒かったですね。
帰った時の気温が1.5度。
今朝起きたらー1度でした。


今日は昨日より暖かくなって、15度くらいまで上がるようです。
そして、今夜も冷え込みは弱くて、明日の朝は楽そうです。


自分のヒアリング力のなさをばらすようで、
恥ずかしい話なのですが、
最近テレビやラジオで流れている、
TOYOTAのCM、こ~んなにたくさんの車が0% financingだよ~というヤツ。
最後になんて歌っているか聞き取れますか?










これ、私にはずっと「しまじろう!しまじろう!」  と歌っているように聞こえていたんです。
もちろん、空耳なんですが、どうしても英語がわからない。
車のCMなので「See ??? on the road!」かな?とも思って集中して聞くのですが、
そうじゃないみたい。でも、わからない・・・。








で、ある日、プライドを捨てて、子供たちに聞いたら、
"saved by zero"だって教えてくれました。
そう思って聞いたら、なんだ、簡単じゃないか、って思うほど、はっきり聞こえるんですね。


80年代の歌を宣伝に使っていたみたい。


でも、それくらい、すり込みって言うか、先入観って大きい。


「しまじろう!」はちょっと無理があったけれども、
そう思って聞くと、そう聞こえてしまうことってありますよね。


ほんとうのことを聞くと、もう迷わない。


人間同士のコミュニケーションの問題もそこにあるんだろうなあと思います。
「あの人はこういう人だから・・・」ってすり込みをされると、
またそういう先入観を持って人と接すると、
ほんとうのコミュニケーションができなくなってしまったりする。
人の言葉を、間違って受け取ってしまったりする。
そして、そちらの方を思いこんで、すべてのことをそのラインで受け取ってしまう。


気をつけなければいけませんね。


さて、昨日、10月30日の聖書。
昨日は詩篇の63篇でした。


「ああ、私は床の上であなたを思い出し、
  夜ふけて私はあなたを思います。」6節。

実は昨日の明け方、夢を見ました。
自分の左手の手のひらに穴が空いていました。
三角みたいな四角みたいな穴が空いていて、
向こう側が見えるんです。

どうしてこんな穴が空いているんだろうかと、考えていたら、
「ああ、そうだ、庭仕事している時に、杭を打って、そのときに、間違って手に穴開けちゃったんだな」と思い出したのです。(たぶん、最近キッチンで爪そいだり、指切ったりしているから?)

そしたら、そばにいたおばちゃんは、「私は二つ空いているわよ」とやはり左手に空いた二つの穴を見せてくれました。

それだけなんですが、妙にリアルな夢で、
目が覚めた時に(時計を見たら4時頃だったのですが)、
一生懸命左手に穴を捜して、「あれ、ない!どうしたんだろう?」と思ったほどでした。

でも、目が覚めた時に、イエスさまのことを思い出しました。
今も、イエスのその手には穴が空いている。
十字架の時に釘を打たれたその手。
穴の空いた手を今も私たちにさしのべてくださっている。
そんなことを寝ぼけた頭で考えていた時に、
心の中に喜びが湧いてくるのを感じました。

そして、昨日の朝、教会に行って祈る時に、
この聖書の言葉を読んで、
あの夢も、神さまからのプレゼントだったんだなあと思いました。

感謝。

イエスよ、
あなたが私のためにしてくださったこと。
あなたが払ってくださった犠牲の故に心から感謝します。
主よ、
あなたが夢を通しても語りかけてくださって、
ありがとうございます。
寝ている時も、覚めている時も、共にいてください。

2008-10-29

初雪ふったらしい。

うーん、今日も雨がぱらぱら降ったり、晴れたり、
の一日で、初雪が降るかなあ、という一日だったのですが、


サキの情報によると(ここら辺がちょっと情けない・・・)、
ランチタイムには雪が降ったそうです。


それで、ユキのことはユキに聞けと、ユキに聞いたら、
「知らない・・・」と素っ気ない返事。


夜になって、ハジに聞いたら、自分は見てないし、信じてないけど、
友だちが「降った」と言っていたらしい。


で、総合的に判断すると、やっぱり降ったんでしょう。
・・・ちょっと歯切れが悪いけど・・・。


で、右のコラムに投票コーナーを作っておきましたので、
NY周辺の皆さんは、「見た」「見なかった」に是非、一票を!


今夜は冷えています。
今10時半ですが、2.7度。
明日の朝は氷点下に下がるでしょう。


昨日の優先順位の話の続きなんですが、
じゃあ、自分の優先順位の中で最初はなんだか、と言うと、
やっぱり、自分自身が神さまから取り扱いをいただくこと、
聖書の御言葉によって養われていくことを第一としたい、
と思ったのでした。


今、それができているか、ということを問われた時に、
昨日は9時過ぎに速攻で寝るべきだと思ったわけです。


今朝も、祈りながら、
決して「豊かな祈りの時間」とまでは行かない
自分にもどかしさを覚えながら、
でも、この時間を大切にしていきたい、
眠くて仕方がなくて、
「神さまごめんなさい、眠いから休みますね」
とは言いたくない、と思っていました。


今日、元気だったのですが、
やろうと思っていたことの何分の一もできなかったことに、
ちょっとフラストレーションを感じてはいますが、
それも、「自分がこの時間の中でできること」への期待が大きすぎたんだと思います。
自分が5時間かかることを、3時間くらいでできるような勘違いをしていたのだと思います。
それとも、3時間、何もハプニングがなく、何も電話への応対や、メールへの返信とかが、
必要がない、絶対集中すればできることを、ハプニングや電話やメールへの応対をしながら、
3時間に収めようとするから、いっぱいいっぱいになるんでしょうね。


3時間でできることを5時間でやるつもりのゆとり、
いつ、予定を変えなくてはならなくなった時にもあわてない心・・・
特にいつでも必要とされる時に対応することの要求される牧師の働きには、
必要なことだと思いました。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の62篇。


「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。」1節。

黙ること。
主の前に黙っていること。
訴えることにまさって、
助けを求めたり、
不満を訴えたり、
叫び声を挙げたりすることも大切。

でも、その中で最終的には「黙って」、
主から答えをもらっていく、
主に聞いていく。

そう、一方的に訴えをぶつけ続けるのではなく、
ぶつけたら、黙る、ぶつけたら、聞く。

黙って聞く。
神さまの前以外のところ、
共に祈ってくれる友との間以外のところでは、
がたがた騒がないで聞く。

その平安を与えて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたの平安をお与えください。
私があなたの前で黙って、聞く、
黙って待ち望むことができますように。


人々の間で、がたがた騒ぐことがないように。
黙って、主の前に出て、聞く者であることができますように。

優先順位。

昨日、降ったんでしょうかねえ、初雪。
西に10キロとか行ったところでは確実に降ったのでしょうが、
うちのあたりはどうだったんでしょうか?
私が気がついた範囲では、「もう少し!」って感じでしたね。

まあ、この「雪」も、あと2ヶ月くらい経ったら、
「また雪か・・・」となるんでしょうから。
たぶん今年は・・・。

今日は晴れても10度までいかない、寒い日になるでしょう。

でも、明日からはぐっと暖かくなるようです。

次の寒波は11月半ばくらい。
それまでは、「ちょい暖か」「ちょい寒」が交互にやってくる
晩秋らしい季節になりそうです。

毎年、隣の家の木(Mapleかな)が真っ赤に燃えるので、
とてもきれいなのですが、今年はどうしたんだろうと思っていました。
そしたら、今朝、かなり紅葉していることに気がつきました。
あと2-3日でピークでしょう。
その真っ赤な紅葉が終わったら、
最後に街路樹のOakが色づきます。

昨日はまた更新をさぼって寝てしまったのですが、
ここ数日、2-3時間睡眠の日が続いていて、
月曜日も牧師会と翻訳しなければいけないものとがあって、
ちゃんと休めなかったので、
恥ずかしいことに、昨日の集会中に、睡魔に襲われて、
居眠りをしそうになってしまいました。

で、昨日のその集会で、
「優先順位を決める」ことの大切さを学んだので、
「これはいくら何でもまずい」ということで、
夜9時過ぎには夢の国に行ってしまっていたのです。

夜中に起きたら、更新かな、と思っていたのですが、
目が覚めても起きあがるところまでも行かず、
目覚ましが鳴るまで休んでおりました。

で、今朝はスッキリ。
8時間寝ましたからね、とても久しぶりで。

今日の一日も優先順位を大切にしながら、
元気に過ごしたいと思います。

さて、昨日(10/28)の聖書。
昨日は詩篇の61篇。

「どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。」(2節)

私が届かないところにも主が導いてくださる。
自分の力ではどうにもならないことも、
主が助けて道を開いてくださる、
そのことを思わされました。

主はそのことをしてくださる方だ、と。

自分で勝手に「ダメだ」と思っていることがあります。
無理だと思ってしまうことがあります。

確かに背伸びをして疲れてしまうこともあるので、
自分を知ること、大切でしょう。
でも、その上で、主を信頼して、
主に期待して、

私の届かないところにも、
届かせてくださる、そのことを経験させて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたが私を私の届かないような、
高いところに行かせてください。
あなたの翼によって、
私を高いところに導いてください。

2008-10-27

野生の勘。

今日は朝もそれほど冷え込まなかったですし、
昼間もそこそこ暖かくなりましたし、
昼頃までは天気も良かったですし、
過ごしやすい秋の一日でした。
でも、今天気は急速に下り坂。


今、夜の1時過ぎですが、雨が降っています。
さっきまで10度あった気温も8度に下がってきています。


明日の午後には止んでくるようですが、
気温が下がって、雪が混じるかもしれないと予報がでています。


西の山の方、Poconoではもうすでに雪になっています。


今日は朝、地区の牧師会。
8月末から9月初めのファミリーキャンプの総括をして、
しばし交わりの時を持ちました。


で、午後は庭掃除。
サキが手伝ってくれたので、
今度は、サキの自転車の練習につきあいました。


<警告・ここからは親ばかサイトです>


今年の夏の目標だったんですけどね。
補助輪なしでの自転車が乗れるようになること。


おっとっと。




おっとっとっと。


おっーとおっ!




幾多の試練を乗り越えて、
とうとう2008年10月27日。


サキ、自転車に乗れるようになる。




親は息が上がって追いつけない・・・。


ホントはヘルメットなしはダメ。
それにここは公道。ちょっと危ない。
車が来たよ~と声をかけて、
心配な時は、道の端に引っ張っていきました。


でも、考えてみれば、私が子どもの頃は、
東京の下町の子たちは
ほとんど自転車は公道で練習。


うーん、練習と言うほどのこともなく、
とにかく実戦で学んでいました。


まあ、事故も絶えなかったのでしょうか、
私の小学校では2年生までは自転車禁止。
まあ、あんまり関係なかったですけどね。


私も2年生の時に乗れるようになりました。


それもただ、「子供用の自転車がなかった」という理由で
乗ろうとしていなかったのですが、
友だちの自転車を貸してもらったら、楽しいの何のって、
すぐに乗れるようになりました。


でもいま考えると、危ないですよね、
子供たちだけで、車道で自転車の練習なんてね。


こちらではほんとうに考えられません。


でも、今日、サキに「危ない、車が来たから端っこによって!」とか声をかけながら、
「自分で判断して、やるようにさせないと・・・」と思い始めました。
車が来るかどうかもちゃんと自分で判断して、
来た時にどのように対応するかも自分で判断しないと、
ほんとうに危ない時に、危険を察知して、それに対応する「勘」というのが育たないのではないかと思いました。


まあ、私も交通事故にあった訳で、
ただ今は生かされているから結果オーライでいいのか、
という意見もあるでしょうが、
でも、そんな危ない中で、何が危ないのか、
危ない時にはどのように対応すればいいのか、
それを訓練されてきたのだと思います。
「勘」を育ててきたのだと思います。


2年生ですから、アメリカではまだ一人で外に出すのは危ないでしょうが、
少しずつ、危険を自分で感知して、自分で対応できるように、
あまり手を出さないことを学ばなければな、と思いました。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇60篇でした。


「どうか、敵から私たちを助けてください。
  まことに、人の救いはむなしいものです。」11節。

敵の前で、苦しめられている時に、
人ではなく、誰かではなく、
主ご自身から答えをもらうこと、
主ご自身から救いをもらって、
主ご自身から慰めをもらうこと。

それがどんなに力かと思います。

他のところに求めることがどれほど多いか、
他のところから救いを期待することがどれほど多いか。

でも、ほんとうにそのような時、主は待っていてくださる。

「なんで私のところに来ないんだろうか」
私も人との関係でそう思うことがある。
だったら、神さまはどれほどそう思われているだろうか。

神さまはどんな思いで、私たちのことを待っておられるだろうか。
神さまはどんな思いで、他のところに助けを求める私をごらんになっているだろうか。

主が力なんだ。
そのことをもっともっと教えて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたを求めます。
あなたが今日も私を待っていてくださったことに感謝します。
どうか、あなたの命で満たし、
あなたの慰めで癒してください。
あなたからの解決を経験させてください。

2008-10-26

礼拝への招き。

今日はほんとうにすかっと晴れました。
気持ちがいい朝でした。


でも明日からは寒くなります。
今は夜の1時半頃ですが、6.5度。
今夜はどんどん冷え込んで、また0度近くまで下がると思います。
そして、火曜日には雨がちょっと降って、
雪が混じるかもしれません。
そして、水曜日にはもっと寒くなります。


今年は冬の足音が早く響いてきそうです。

今日は2ヶ月ぶりにBrooklyn Tabernacleの9時の礼拝に行ってきました。
NYの方がお知り合いの方を誘って行くと言うことで、
私も是非お会いできれば・・・ということもあり、
また自分がメッセージを「聞く」立場に立つことの大切さを感じていることもあり、
楽しみにして参りました。


前回に比べると、賛美の曲も知らない曲が多く、
ちょっと礼拝に心が向くのに時間がかかったのですが、
牧師のJim Cymbalaがメッセージを語ってくださり、
最後の賛美を導いてくださっている間に、
ぐーっと礼拝に導かれていくのを感じました。
最後の曲はほんとうに単純な曲で、
「私はあなたを必要としている、今すぐに」という歌詞だったのですが、
ほんとうに自分自身、今神さまを必要としていることを実感しながら、
賛美しました。


それを経験しながら、
「真の礼拝者の集まる礼拝」の大切さを考える時に、
やはり、牧師や賛美リーダーが人々を礼拝に招き入れていく、
そのことの大切さを思わされました。


一人一人が礼拝者として整えられて、
礼拝に来ることも大切でしょうけれども、
途中でいろんなことがあったり、
ばたばたと家を飛び出してきたり、
という中で、十分に心が整えられていない場合も多いと思います。
またいろんなことで心が乱されている場合もあるでしょう。
その人々の心を神さまへの礼拝へと導いていく、
どんな心で来た人も、ほんの少しでも、
「礼拝に来た」という思いさえあれば、
いや、たとえ反発のようなモノを感じていたとしても、
いつのまにか、礼拝に招き入れられている、
そのような礼拝の奉仕者とならせて頂きたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の59篇でした。



「私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、
  また、私の逃げ場であられたからです。」16節。

主のもとに逃げ込む。
他のところではなくて、
主のもとに逃げ込む。

苦しいから、
苦しみの中で、
主のもとに、主のところに逃げ込む。

人にわかってもらうのもいい。

でも、最後は主のもとで解決をいただくこと、
これがほんとうに大切だと思う。

主に語って頂いて、
主からの解決をいただいて、
立ち上がっていきたい。

主よ、
あなたが私の逃げ場であってくださること、
避け所であってくださることに感謝します。
どうか、私を今日も癒し生かしてください。

2008-10-25

「捨てる!」

今日はすごい嵐でした。
私はうちにいなかったのですが、
うちの近所500メートル圏くらいは停電もあったようです。


実は今日のストームの水蒸気は数日前は
メキシコのユカタン半島付近にあったもので、
熱帯からのしめった暖かい空気だったんですね。
それが、北からの冷たい空気にぶつかって雷雨になったようです。


明日はミシガンとか、オハイオとかの、
Lake Effect Snow Area(日本の「日本海側」みたいなもん)は、
雪が降るほどの冷たい空気です。


この空気がこっちに来るのは月曜日から火曜日にかけて。
明日は晴れて熱帯からの空気の置きみやげで、
久しぶりに暖かくなりそうです。


先週の日曜日、教会のオフィスの片づけを始めました。
といっても、私はいろいろミーティングがあったので、
「片づけが好き」というとっても貴重な賜物をお持ちの方々に、
お任せして、私は時々、「ちらっ」「ちらっ」と見に行くだけ、
というか、冷やかしに行くだけだったのですが、
まあ、それだけでも、「え、それ捨てちゃうんですか」って声を出したくなるほど。
つくづく、自分は捨てられない人なんだなあと思いました。


何年か前に、Book Off, NYで“「捨てる!」技術”という本 を買ってきて、
読んだのですが、そこには、


「とりあえずとっておく」は禁句、とか、
収納法、整理法で解決しようとしない、とか、
見ないで捨てる、とか、
その場で捨てる、とか、
使い切らなくても捨てる、とか、


うーん、めちゃくちゃ心当たりのある「Don't」と、
あー、これできないよねえ、という「Do」のオンパレード。


でも、今朝、弟子訓練のグループで、
聖書の中で、イエスの弟子になるなら、「自分を捨て・・・」と書いてあるところを、
読んだのですが、その中で教えられたのは、
自分が捨てるのがいたいモノをこそ、捨てることが大切、ということ。
捨てても何ともないモノを捨てるのは、なんでもない。
でも、捨てたら、ちょっと痛い、そういうモノをこそ、
捨てることを神さまは求めておられる。
たとえば、プライドだとか、
自分がこだわっていることだとか、
そういうもの。


でも、それは霊的、精神的なモノだけじゃなくて、
物理的なモノもそうでしょうね。
ちょっと痛みを感じるようなモノを含めて「捨てる!」時に来ているのかな、
と思います。


机の周りも「なんとかしなきゃ」がもう半年くらい続いています。


さあ、思い切って、痛みを伴う「捨てる!」生き方をしたいと思います。


さて、今日の聖書。
25日(土)は詩篇の58篇でした。


「彼らを、流れて行く水のように
  消え去らせてください。」(7節)

今日は「敵」を私たちの究極的な敵であるサタンとして読みました。
サタンが私たちを攻撃してくる。
でも、そこに神さまが介入してくださって、
敵は打ち破られる。

それを本気で求めていくべき時なんだと思いました。

今日、中高生の集会で、「ただ、願っているだけじゃなくて、本気で祈って、本気で求めているか?」
と問いかけましたが、それは子供たちへのメッセージである以上に、
自分に対する問いかけでもありました。

「時間の使い方を上手にしたい」
「もっと本が読めるようになりたい」
「やらなければいけないことを後回しにしないようになりたい」
子供たちの口から出てくる「オレもそうだよ!」と感じないではいられない言葉を聞きながら、
「みんな、本気でそれを神さまに祈って求めているか?」とチャレンジしながら、
自分はどうかな、と思っていました。

サタンに対する勝利を本気で祈っているのか、
サタンが介入してくることに対して、
本気で、「彼の働きを止めてください」と祈っているだろうかと。

ダビデが敵に対する裁きを本気で祈ったように、
私たちもサタンの働きが封じられるように、
本気で祈っていきたいと思いました。

主よ、
どうか、サタンの働きを止めてください。
一人一人がその犠牲にならないように守ってください。
主よ、あなたが守ってください。


明日の日曜日、
ほんとうの礼拝をささげることができますように。
あなたご自身が語ってくださいますように。


2008-10-24

久しぶりの雨。

前に雨が降ったのっていつでしたっけ?
ちょっと久しぶりの、ちょっとまとまった雨です。


明日の朝には降り出して、午後からは本降り。
日曜日の未明には上がるでしょう。


おかげで冷え込みはぐっとゆるんで、今は夜の11時40分ですが8.5度。
この後はもう下がらないでしょうし、
明日もそれほど冷たい雨ではありません。
日曜日は雨が上がってもしばらく暖かく、
寒気が入ってくるのは月曜日になってからです。
どれくらい強い寒気か?


うーん、どうなんでしょう。
少なくとも、来週も今朝並の冷え込みの日はあるでしょう。


あ、ちなみに今朝は-1度ちょうどまで下がりました。
霜はガリガリしなければならないほどではなかったですが、
「カリカリ」くらいはしました。
真冬は「ガリガリ」が当たり前になったりするんですよね。


今日の夜も忘れ物しました。
集会の時に持ってきてください、と言われていたものを、
しっかり忘れて、家を出てから、「あ」と思ったのですが、
結構ぎりぎりの時間だったので、取りに戻ることができずに、
集会の後に、わざわざ取りに来て頂くことに・・・。


うーん、脳トレソフト使って忘れ物を減らすとかできないかなあ。


ちなみに、今日も本は帰ってきませんでした。
もうだめかなあ。


さて、今日の聖書。


今日は詩篇の57篇。
「神よ。あなたが、天であがめられ、
  あなたの栄光が、全世界であがめられますように。」5節。

4節にも6節にも敵が囲んでいることが出てくるのに、
その真ん中に、神さまを見上げる言葉が出てきます。

それがほんとうにキーなんだと思います。
敵に囲まれて、にっちもさっちもいかない時に、
まさに、そのただ中にあって、
彼は神さまがあがめられることを求めました。

いいことがあったら、
祈りが聞かれて、道が開かれたら、
じゃなくて、
ほんとうに最初から、
苦しみの中から主を見上げ、主を求める。
いや、主を賛美してしまう。

そこに祝福があふれるのだろう。

主よ、
あなたの御業を感謝します。
あなたのみ力を感謝します。
苦しみの中でも、
敵に囲まれて苦戦している中でも、
あなたを賛美します。
あなたをあがめます。


あなたは最高のことをしてくださる方だから。

2008-10-23

氷点下来るよ。

昨日の本は出てこないですねえ。
ホント、一瞬の出来事なんですが、
気をつけなきゃいけないですね。


まあ、何を隠そう子供の頃からの忘れ物魔で、
何度東西線の中野駅に忘れ物を取りに行ったことか・・・。


今でも、「これ持っていって」と言われたもの玄関先に置いていってひんしゅくを買うこともしばしば。
買い物をしようとリストを作って、机の上に置いていったり。
今週の月曜日も朝、寒い日に、教会の鍵を持たずに教会に行って、
入れなくて、車の中で、暗くて寒い中、時々エンジンをかけて暖を取って祈りの時を守ったり。


ホントにこれからどうなっていくんだろうと思うと、ちょっと不安。
でも、子供の頃から忘れっぽい人は、結構しぶといかもね。


「自分は忘れ物はしない」と自負をしている人の方が、
年を取って忘れ物をするようになると、
「こんなはずはない」という戸惑いもあり、
ゴロゴロと坂道を転がっていくかも。


でも、今日は昨日のイライラも晴れて、ずいぶん元気になりました。


あ、でも、ちょっとまたすごい出来事があって、
怒っちゃいましたが・・・。
最終的にはハッピーエンド。


というのは今日来た、AT&Tの携帯料金の明細。
300ドルを超えていて、びっくり!
夫婦と子供二人、4本入っていて、
私のデータ料金とか、
子供たちのText Messageとかいろいろあるので、
まあ、そこそこの値段になるのですが、
それでも2倍以上。


一人がなんだかやたらお金を使っていたのですが、
本人は全く気がつかなったようで。
結局何が問題だったのか、わかりません。
電話で苦情を言ったら、今後そのようなことが起こらないように設定を変えてくれて、
その分は全額返金してくれることになりました。


「なんてあこぎな商売してるんだ!」とぶつぶつ言いながら電話したのですが、
つながってみると、いつものことですが、AT&Tのカスタマーサービスはちゃんと対応してくれます。
そういうことがあると、何もなくて苦情も言わなくてすむ時よりも、印象はよくなります。
不思議ですよね。


大切なのは苦情を言われた時の対応だよなあ・・・
とつくづく思わされる経験でした。


でも、泣き寝入りしている人も結構いるんでしょうね。
「払えない額じゃないから・・・」と。
請求はAT&Tではなく、急成長の会社からの使用料の請求だったのですが、
もしかしたら、この会社はこういう事をしてもうけているのかもしれない・・・。


今朝は1度くらいまで下がりました。
でも風が強かったので、まだ霜は降りていませんでした。
今夜は冷えます。今、夜の12時ちょっと前ですが2度。
明日の朝は確実に氷点下です。


早く出る方で車を外に置いている方は、
フロントガラスからガリガリと霜を落とす時間を
計算に入れておかなければダメです。


そして、土曜日は夕方から雨。
結構まとまった雨になるでしょう。


そして、来週の29-31日はやはり寒気が入ってきます。
そこで来月まで待たずに10月中に早くも、
snow stormの可能性があります。
ちょっと注目です。


今日の朝のエステル記の学びはよかったです。
詳しくは明日と、日曜日に学びに出られる方のために取っておきますが、
今まで、エステルの捨て身の進言によってユダヤ人が救われたと思ってきましたが、
今日は、神さまのなさることのすごさに目が開かれる思いでした。
日曜日が終わったら書きますね。


さて、今日の聖書。
今日から10月中は詩篇。
今日は詩篇の56篇でした。


「どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。」8節。

ダビデの苦しみを思いました。
屈辱、孤独、無理解・・・。
その中で、神さまが覚えておられること、
神さまが知っていてくださることが、
どれほどの慰めであったかと思います。

私の涙も主はそれを覚えておられる。
知っていてくださる。
だから、それでいい。

主に覚えて頂くことほどの、
すばらしいことはないじゃないか、
そんなことを自分に語っている自分がいました。
それはちょっとだけ人の慰めや励ましを期待しているからかもしれません。

でも、大切なのは主が知っていてくださること。
主の慰めをいただいて歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの慰めを感謝します。
あなたがいつも私のことを覚えていてくださるから感謝します。
どうか、明日も元気に歩むことができますように。
いろんな事に振り回され、
感情的にもアップダウンがあります。
どうか、あなたにある平安と喜びに歩ませてください。

ああ、情けない。

緑の字の部分、
読まなくてもいいですよ。
しょうもない話ですから。マジで。

こいつ、しょうもないヤツだなあ、と思いますから。

聖書の言葉を読みたい方はここから緑の字のところをとばして、
黒の字のところに行ってくださいね。


今日はというか、昨日はというか、
もう木曜日の未明になっていますが、
水曜日のつもりで書きますが、
最後の最後が自分が情けなくて、
もうその余韻でかなりイライラしてしまっています。


もうすぐ寝た方がいいのか、
もう誰かに話してすっきりしたいのですが、
この時間では・・・ということで、
ここに書きますけど・・・。


事の起こりは2日前にさかのぼりますが、
月曜日の夕方にハジからFort Leeの歯医者に来ていた自分に電話があって、
教科書をEdgewaterのBarnes & Nobleで探して欲しいと、
そういうことで、探しに行きました。
でも、品切れで、周りの店舗を探してくれるということで、
Hackensack店(うちに近い)にあるということで、そこに出向くことに。
でも、行ってみると、レジの後呂の棚に取ってあるはずのその本がない。
それでそこで「どこ行った?」と30分くらい待たされて、結局、
行き違いで、やはりその店にもなかったみたい。


1時間以上無駄足を食って疲れ果てたのですが、
それで、まあ、しょうがないということで、
私がNYに行く水曜日に買ってくればいいか、ということになったのでした。


で、今日ミッドタウンのB & Nで「な~んだ」と、簡単に見つけて、
夕方の6時頃に買って袋に入れて持っていたのでした。


で、今日の夜の予定も終わって10時頃。
10時20分のバスには間に合わないので、11時20分のバスに乗ることに。
でも、同じ時刻にLincoln Tunnel発とGeorge Washington Bridge発があるので、
10分ほど早く教会に着く(朝教会に車で行って、お祈りして、そして、車をおいてバスでNYに行っています)GWB発のバスに乗ろうと地下鉄に乗りました。


A Trainの急行電車の最終便くらいのヤツに乗って、
途中で水泳選手に襲われて、


zzz


気がついたら168丁目。


お、これ、乗り過ごしたらヤバイ、と思って降りたら、


あ、バス停は175丁目駅で降りるんだった・・・。


10分くらい待って次の電車が来なかったので、
電車が来ないと11時20分のバスに乗り遅れる、
それは大変だ、一駅分くらい歩こう・・・と立ち上がった時、
次の地下鉄が来た音がしました。


「おお、セーフ!」


ここまではよかったのです。


で、この後無事、一駅乗って、
GWB発のバスに乗って25分くらいで教会だ!と思っていたのですが、


気がついたら、


え、もう教会の前を通り越して、
500メートルくらい走ってしまっているじゃないですか。


今度はマジで乗り過ごしていました。
あわてて降りて、「しょうがないなあ、教会まで歩いて戻らなきゃ」と思った瞬間に気がついたのです。


買った本の袋がない・・・。


確かにバスに乗るまでは持っていました。


バスの中だ!


気がついて手を振って大声で叫びながら(夜の11時45分)追いかけたものの、
追いつくはずもなく、声が聞こえるはずもなく、真っ暗な中、サイドミラーに映る訳もなく、
無情にもバスは走っていってしまいました。


あわててうちに電話をして、
何とか、バスを捕まえてもらおうと思うも、
電話に出る人がいるわけもなく・・・。


「ああ、なんて馬鹿なんだ・・・」
とぼとぼと教会までの道を歩いていると、向こうから
Lincoln Tunnel発のバスが来るじゃないですか。
ああ、あっちに乗っていたら本を忘れることはなかったかもしれない・・・。


ま、明日の朝、NJ Transitに電話してみようとは思いますが、
まあ、たらい回しにされて、「ないよ」といわれるんじゃないかと、
かなりあきらめムードです。


火曜日からそのテキストを使っているそうです。
かわいそうなハジ。
でも、元はといえば、火曜日から使うテキストを月曜日の夕方に「探して!」と言ってくるアイツが悪い!ああ、あのバスの運転手とばしすぎだったよなあ!ああ、何で電話した時にだれも起きていないんだ!と、「まあ、よくここまで思いつくなあ」というほど次々と責任転嫁をしている自分にまた自己嫌悪。


まあ、なくなってしまっても、
また買い直すことができる18ドルの本だからそんなに大騒ぎすることでもないのですが、ホント情けなかったです。2時間経ってもまだため息が出ます。いつもは「神さまを見上げて!」ってみんなを励ましていますが、こんなことでイライラしてしまうなんて、そこでまた自己嫌悪です。


そうですね。日曜日にメッセージで語らせて頂いた通りですね。
自分のダメさ加減にばっかり目を留めていないで、
そんなわたしたちをも受け入れてくださって、
ひとり子を与えてくださった主に目を向けないといけないですね。


でもね~。あ~あ。


きりがないですから、

水曜日の聖書。
水曜日はサムエル記第二の最後。
24章の18-25節。


「費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」24節。

「何でも使ってください」というアラウナの申し出は、
やはりうれしい話だったと思う。
でも、ダビデは神さまの前に悔い改め、礼拝をささげるために、
自分が痛みを覚えないで、
人の好意に甘えていて、
ささげものも何もないと思った。

わたしたちの献身もそうだと思いました。

痛みを感じないようなものは、
ほんとうにささげる意味があるんだろうかと思いました。

でも、いつも忘れてはいけない。
わたしたちの献身が神さまに喜ばれるものだなんて当たり前に思っちゃいけない。
そのためには神さまの方がひとり子イエスをわたしたちに与えてくださっている。
神さまの方が痛みを持ってわたしたちのために救いの道を開いてくださっている。

だから、わたしたちも自分の身に痛みを感じるような
ささげものをすることができる。
それを主が喜んで受け入れてくださることができる。
ただ、イエスの十字架の故に。

感謝。

主よ、
今日の夜の出来事では、ほんとうに自分の弱さを思わされます。
一つのことにイライラしてしまう自分の弱さを見せつけられます。
どうか、主がすべてを支配して、導いておられることを、
信頼して進んでいくことができますように。

2008-10-22

週末Stormと月末寒波。

今日はNY Dayです。
今朝は気温はそれほど低くなかったのですが、
風が強かったので、
ああ、これからこういう季節になるんだなあと思わされました。

週末のStormと月末の寒波、
両方とも微妙な予報が出ていますが、
25日土曜日夜を中心に雨で、
その後一度天気は回復するのですが、
28日の火曜日に寒気が入ってきて、
30日まで寒い、というシナリオを
GFSというコンピューターモデルが出してきています。


11月2日の「S word」は今のところ消えていますが、
このころ、Stormと寒気が両方来そうなので、
ありえない話ではないようです。


月曜日の夜だったでしょうか、
NHKの「プロフェッショナル」で、
小三治師匠が取り上げられていました ね。


お、100回目の拡大番組だったんですね。
確かにふさわしい内容でした。


お客さんを大切にしながら、
でも、お客さんに媚びない。
古典落語は本来面白いものが歴史を超えて残っているのだから、
面白くしようとしない。
淡々と語る中に、落語が本来持っているおもしろさが
表れるようにする。
ウケようとする、奇をてらうと、リズムが崩れる。


すごいな~と思いながら、
自分の生き方や、教会の礼拝のことも、
いろいろ考えさせられました。


もちろん、教会の礼拝のことは
「聖書に聞け!」なんですが・・・。


本来、一人一人が神の前に礼拝者として引き出される
そのような礼拝にお一人一人を招くのが、
牧師の使命であり、司会者、奏楽者、ソングリーダー、
そのほか奉仕者の使命なんですよね。


水谷せんせーのこの記事 にもいろいろ考えさせられ・・・
2週間ほど前から リトリートや礼拝、祈りの時の意味についても考えさせられ、


毎日が礼拝といわれますが、
その中心である日曜日の礼拝が、
真実な礼拝となりますようにと、祈らされています。


帰っていく人々の口から出る言葉が、
「今日のメッセンジャーはすばらしかった」ではなくて、
「神さまはほんとうにすばらしい」である時が
集会が祝福されたしるしだというお話をよくします。


そう、礼拝では人ではなく、神さまがほめたたえられることが大切です。


そういう話を教会の方々にして、「ああ、人をほめちゃダメだ、こういう時には『神さまはすばらしい』って言わなきゃ」と気付く方が起こされるのもいいのですが、それ以上に、そういう話はしなくても、いつの間にか、「ああ、神さま感謝します!」という心からの神さまへの賛美のあふれる礼拝となりますようにと願います。そのように人々を招くことができる牧師でありたいと思います。


さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第二24章1-17節。


「ところで、王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」3節。

人口調査をする、ということが、
どうして神の御思いに背いたことだったのか、
考えさせられました。

やはり王としての自分の実績を確認したかったのだろうか、
それによって軍事的に安泰であることを確認したかったのだろうか。

自分の教会の統計的な部分に対する思いをも探られているように感じました。
礼拝出席人数や洗礼を受けた人数によって、
自分の働きをはかってみたり、
教会会計の繰越残高の多さで経済的な安定感をはかってみたり、
いったいわたしたちは何を誇りとしたり、何を頼りにして、
歩んでいるのでしょうか?

一人一人を大切にする働きをさせて頂きたいと思いました。
そして、経済的にはやはり何よりも、
神さまご自身を頼りにして、
すべての必要を満たしてくださる神さまを信頼して、
歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたを信頼します。
多くの人々を導いてくださることも祈りますが、
それ以上に、一人一人が神さまによって生かされ、
守られ、支えられていきますように。
そして、すべての道であなたを信頼して歩ませてください。
すべての必要を満たしてください。

また後でNYで。

今朝はなぜか1度で霜ではありませんでした。
ちょっと雲が広がったのでしょうか?

そして雨も、昼間ぱらぱらと降りました。
夜の予報だったんですがね。
で、その後風が強い一日でした。

明日はもうちょっと寒い、一日になりそうです。
昼間でも10度くらい。
東京の真冬です。

いろいろ書きたいこともあるのですが、
明日はNYなので、
早く寝て(あまり早くもないけど)、
NYの図書館から書きます。

2008-10-20

初霜だよ〜。


今朝の気温は何と0.2度。
しっかり車や芝生に霜が降りておりました。


これは朝6時前の車のサイドミラーに降りた霜。
ウィンドシールドっていうか、
フロントガラスっていうか、
車の前のガラスにもしっかり霜が降りていて、
ガリガリはがさなければいけません。






面倒くさがり屋の私は、
あんまり寒くないから大丈夫だ!って、
ウィンドウォッシャー液をかけながらワイパーを動かして、
逆に凍り付いちゃって、いつも後悔するんですよね。
今朝もそうでした。

でも、昼間にはまあまあ暖かくなりました。
今、夜の1時過ぎですが、3.3度。
明日の朝も霜ですね。


明日はちょっと暖かくなりますが、
夜にはにわか雨で、水曜日からはまたぐんと冷えます。


そしてついに天気予報に"S" wordが踊り始めました。早!
Accuweather.comでは11月2日にSnowが出ています。


11月2日といえば、教会では特別な礼拝。


楽しみにしております。
ニューヨークマラソンの日でもありますが、
すべてが守られますように。


さて、今日の聖書。
20日はサムエル記第二23:18-39でした。


「 あの三十人の中には次の者がいた。・・・」24節。

ここに名前の挙げられている30人あまりの者たち。
その働きは何だったかはあまりわからない人々が多いけれども、
それ以上に、無名の人々がいた。

いろんな事を考えさせられた。
自分は神さまにとってこの30人に入れて頂けるのだろうかとか、
いや、そんな名前が出なくてもいい、そう思わされたり、
また自分は自分を支えてくれている30人がいるだろうか、
そして、その人たちのことを覚えているだろうかと、
そして、また、そこには名前も覚えられない、表に出ない多くの人々がいる。

ほんとうにそのような名もない人々の働きこそ、大切なのだと、
そのような名ものない一人、でも忠実に仕える人の一人に入れて頂きたいと思わされました。

主よ、
感謝します。
たくさんの祈り手を与えてくださっていること。
多くの方々が支えてくださっていること。
そして、私もあなたに仕える者、
誰かに仕える者とならせてください。
だれにも注目されなくても、
クレジットの中に自分の名前がなくても、
喜んで仕える者とならせてください。

2008-10-19

絶対初霜宣言!

だから何?
といわれそうですが、
明日の朝は確実に初霜がおります。


今朝は予想を裏切って5度くらい。
でも、今夜は風も弱く雲もないので、
ぐんぐん下がってきています。


夜の11時で4度です。
ですから明日の朝は0度くらいまで下がって、
確実に「初霜」になります。


霜なんて、冬になったらほぼ毎朝、
車のフロントガラスをガリガリやらなければいけないので、
別に興奮するようなもんでもないのですが、
やっぱり「初物」は特別ですよね。


江戸っ子が「初鰹」を粋とするように、
「ボジョレ・ヌーボー」がもてはやされるように、
「初孫」がおじいちゃん、おばあちゃんに甘やかされるように、
「ドラクエIIIの発売初日」に1万人の行列ができたように(古っ)、
お天気ファンは「初霜」「初雪」「初氷」に熱くなります。


NYのマンハッタンとかはたぶんヒートアイランドで、
まだ霜は降りないのでは、と思いますが、
郊外の皆さんは見逃さないでくださいね。「初霜」。


今日の聖書。
今日はサムエル記第二23:8-17でした。


「すると三人の勇士は、ペリシテ人の陣営を突き抜けて、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。」16節。

今日はこの3人の勇士の勇気と決断と、
王に対する命がけの愛と尊敬を思いめぐらしました。

私は私の王である神さまに対して、
このような勇気と決断を持って仕えているだろうか、
愛と尊敬を与えているだろうかと思いました。

命がけで、神さまに従っていないだろうか。

結局のところ、快適なところ、
Comfortableなところに逃げていないかと。

文字通り、神さまのために、いのちがけでしたがっていきたいと思います。
でも、そこまで考えた時に、今日の礼拝の中でも話しましたが、
ペテロの「あなたのためなら命でも捨てます」といいながら、
イエスを裏切ったことを思い出しました。

結局人間のがんばりはむなしい、限界があり、打ち砕かれる。

「あなたのためなら、命かけます」と言いながら、
ほんとうにそのようにできるかというと、
やっぱりペテロみたいに逃げ出してしまうかもしれない。

主よ、
わたしは弱い者です。
あのペテロみたいに、自分を守るために、
逃げ出すような者です。
でも、今日はダビデの三勇士の姿を読みながら、
私もそのように歩みたいと思いました。
あなたを見上げます。
自分の弱さの中であなたを見上げます。
私を強くしてくださるあなたの力によって、
何事でもすることができます。
感謝します。

今夜こそ初霜か!

今朝は結局、予想通り5度を切って、4.7度。
明け方になってぐんと冷えたんですね。


そして、今夜は今、夜の12時を回ったところで、すでに5.7度。
この秋最低は確実です。
そして、明日の朝はというか、今日の朝というか、7時間後の朝の気温は
3度以下に下がって、初霜になるのでは・・・と思います。
懸念は風。
ちょっと北東風が入るかもしれません。
だとすると初霜はまたお預けです。


明日もよく晴れますが、15度止まり。
決して暖かくはないですが、
秋晴れの気持ちのいい一日になるでしょう。


明日(というか、今日というか・・・)は日曜日ですので、
今日は睡魔が来たら、すぐに寝ようと思うのですが、
今日に限ってなかなか来ません。
まあ、まだやることがあるので、別にいいのですが、
あまり遅くなると明日の朝がボーっとしてしまうので、
そこそこで寝ておきたい。
元々朝型なので、朝の方が効率がいいはず。
で、今のうちに更新。


そして、早速土曜日の聖書。
土曜日はサムエル記第二の23:1-7。


「義をもって人を治める者、神を恐れて治める者」3節。

神を恐れて人を治める。
そのように自分もさせて頂きたいと思います。

神を恐れて、神に聞いて、
神から教えて頂いて、
神に学んで、
それで人々に接すること、

その中で人に伝わるものがあることを、
思わされます。

だから、人の知恵によらないで、
聖書を信頼して、
神の答えを求めて、
人に接していこうと思わされました。

でも、すぐ、忘れてしまいます。
どうか、朝与えられた言葉を、
一日心に留めながら歩めますように。

主よ、
あなたを恐れます。
あなたに従います。
人を恐れず、あなたを恐れて歩むものでありますように。