2008-10-13

どんなリンゴが出てくるか?

今日は、結局うちの中の仕事をするわけでもなく、
ゆっくり過ごさせて頂きました。


でも、午後は子供達の送り迎えで何往復したでしょうか?
それもちょっと横になってうとうと・・・とすると電話がかかってきて、
「迎えに来て・・・」とか・・・。


今日は晴れて暖かくなって、行楽日和、と書いたのですが、
うーん、それを読んで、リンゴ狩りとか、
半袖で出かけた方には申し訳ない、どんよりの一日でしたね。
気温はそこそこ上がりましたが、
思ったほどではありませんでした。


リンゴ狩りと言えば、
明日のお昼頃、リンゴ印のノートの新製品が発表されます。
今、私のノートが3歳半、子供達が使っている据え置きが5歳を迎え、
何にも不満はないのですが、いつダウンしてもおかしくないので、
「いざというときのために」といろいろ注目しています。


安いのが出てくるという話もあり、それもいいし、
そうなれば、他の印が付いているノートも負けじと安くなるので、
ちょっと期待。


今から16年あまり前、
日本から来る時にワープロをもってようと思ったのですが、
ちょっと大きいヤツだったので、送るだけで何万円かかかると言われ、
じゃあ、アメリカで・・・と思って来て、
ちょうどそのころ、
カルフォルニアでノートと言えば、
リンゴ印の「力本」。
1500ドルくらいしたと思いますが、
思い切って、「力本145」を買って、
印刷機も買って、スッカラカンになったのを覚えています。


まだ持っていますが(起動しないかもしれない)、
白黒でそれも「白・黒」の2段階。System 7 でしたよ。
もちろん、日本語版と英語版が別で、Switcherというソフトを使って、
英語を使う時と、日本語を使う時と切り替えてやっていました。
メモリーは4MB。
ハードディスクが40MBだったかな。


いま考えると、よくそんなのでやっていたなあと思いますが、
着いてから2ヶ月ほど使っていた「タイプライター」は一度書いたら、
もう、消せないのですが、何度でも文章を書き直せる、
それがほんとうに助かりました。


日本語版の「幕印徒主聖書」を買って、隅から隅まで読むほど、愛着を感じていました。


それをアトランタでも使って、
当たり前のようにNJにも持ってきたのですが、
NJの大学では「リンゴ印なんて!」と笑い飛ばされていました。


おそるべし、北東部住民の偏見。
ある先生からは
「リンゴ印なんて、小学生向けでしょう。PH. D.論文なんて書けるわけないじゃない。」と、言われました。うーん、アトランタではそれで書いている人もいたんですが・・・。「だから、田舎の学校は困るのよ。だいたい、脚注とか入れられるの?」と。うーん、それはいくら何でも知らなさすぎるんじゃないんですか、先生・・・。


大学のコンピューターは授業料に込み込み。
自分で選べないんですよねえ。
でも、おかげで、その次からのノートは、
リンゴ社の不振もあり、他のノートを使っていました。
ま、音楽もやらないし、デザインもやらないし、割高だと思っていたし、縁がなかったんですがね。(・・・すっかり北東部住民の偏見を身につけている・・・)


さて、明日はどんなのが出てくるか。


さてさて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二21:15-22でした。


「あなたがイスラエルのともしびを消さないために。」17節。


ダビデに対して、「もうこれからは戦いに出ていかないでください」と言った家来達の言葉。
もちろん、たとえ、それがほんとうでも、「あなたがいなくなっても、私たちがいますから心配しないでください」なんて事は言わないでしょうが、ダビデは「イスラエルの灯火」だったんですね。

いま、「弟子訓練」を学ぶ中で、
ひとりの指導者が大きな力を持つことよりも、
信頼できる人々を育てていくことの大切さが
見えてきています。

自分がいなくなったら終わり、という働きではなくて、
自分がいなくなっても続く働きとしていくこと、
それが本当に大切なんだと思います。

主によって、世の光とならせて頂いたなら、
その光をリレーしていくことの大切さ、
思わされています。

そのことを祈らされました。

神さま、
どうか、弟子訓練の働きを祝福してください。
どうか、自分がいなくてできない働きではなく、
いなくなったときに、引き継がれていく働きをすることができますように。
いえ、働き自体は引き継がれなくても、
あなたのすばらしさを感謝する人々が起こされていきますように。

2008-10-12

あと3日。

今日も暖かかったですね。
昼間はほんとうに快適でした。


今は夜の12時ですが、まだ11.5度あります。
明日の朝も8度くらいで、
昼間は25度を超えそうです。
お休みの方々は行楽日和ですね。


私は元々月曜日はお休みをいただいているので、
何も変わらないですし、子供達も午前中は学校。
午前中はちょっと留守番をする必要もあり、
午後のそれぞれの予定の送り迎えもあり、
ま、家の中の整理にでも励もうと思っています。
(こうやって自分にプレッシャーをかける・・・)


で、何があと3日かというと、
この暖かさもあと3日。
木曜日からは秋らしくなり、
10日後くらいからは霜が降りたりするようです。


「月末寒波」の予想はどうなるでしょうか。
ちょっと楽しみにしています。


1年以上前に、娘の学校のコンサートに行って
インスピレーションをもらった 
JOYJOYシンガーズ、
いよいよ11月からスタートすることに「決めました」。
あんまり考えていたり、話し合っていても始まらないので、
とにかく始めてみようと。
ほんとにできるのかな、という不安もありつつ、
うちの子だけだったらどうしようと思いつつ、
あ、でもそれもいいかな、フィンガーファイブも、狩人も兄弟だったし・・・と思いつつ、
そうと決めたらなんだか、またわくわくしてきました。
準備期間もあと3週間。


PRの方、どんどんはじめていかないと・・・。


土曜日の午後3-4時です。
皆さんも是非PRしてください。
子供達のためのシンガーズ。


音楽をやっている皆さんの助けももらいながら、
手作りでやっていこうと思います。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二21:1-14


「神はこの国の祈りに心を動かされた。」14節。


神が心を動かされる祈り。
どんなんだろうと思いながら、
あまり深く考えることもしないで、
とにかく祈ろうと思いました。

この聖書の出来事には、「うーん」と思いながら、
でも、神が心を動かされる祈りがあるのなら、
ほんとうにとにかく祈ろうと思いました。

日曜日の祝福を祈り、
神さまの守りを祈りました。

主よ、
今日の一日を心から感謝します。
今日出会ったお一人ひとりに感謝します。
また、お会いできなかった方々のために祈ります。
どうか、その心に触れてください。
あなたのすばらしさを直接語ってください。

知恵。

朝になりました。
そこそこ涼しい朝です。
8度くらい。


今朝は、昨日の夜、睡魔に襲われて、
抵抗しないで、すぐに寝たのがよかったみたいで、
目 覚ましが鳴る前に、スッキリ目覚めました。


今日もまた暖かい日になりそうです。


25度くらい。


さて昨日土曜日の聖書。
昨日はサムエル第ニ20章14-26節でした。


「この女はその知恵を用いてすべての民のところに行った。」22 節。


シェバについて行った人々は
それなりに強い人々で
ダビデに反発を感じていたでしょうから、
そんなに説得は簡単ではなかったでしょう。

でも、この女性はそんな彼らに対して、一生懸命説得をしました。
どんな知恵があったのかはわかりませんが、
正しい考えがあっただけではなく、
知恵を用いて行動しました。

この人を動かす知恵。
それが正しく使われる事が大切なことは
ヒットラーの事などを見るまでもありません。

知恵と謙遜な思いを与えて欲しいと思いました。

主よ、
どうか、私にあなたの知恵を与えてください。
どのように語ればいいか、どのように伝えればいいか、
そして、その知恵が与えられた時に、
それを正しく使うことができるように、
謙虚な気持ちを与えてください。
愛を与えてください。

2008-10-11

脱皮。

雪です。
と言っても、NJではなく、モンタナ州ですが。
デンバーでもみぞれの予報が出ています。

そう、ロッキー山脈のふもとは、
今年初めての雪に見舞われています。


10月の前半の雪ってすごいですよね。
さて、10月末のこちらの寒波はどうなることでしょうか?
この月曜日から火曜日は27度くらいまで上がるようですが、
25日くらいには昼間でも10度くらいの冷え込みになる予想が出ています。


今年はほんとうに寒い冬になりそうです。


今日の夜、
のんちやこどもたちが、
ヤドカリを見て、「ダメだ、死んじゃったのかな」と言っています。
見てみると、こんなのがあります。






どれどれと手に持ってみると、
なんだか軽い。
ひっくりかえしてみると、




そう、脱皮したあとの殻だったのです。
なんか、この殻、脱いだヤドカリのカルシウム源だそうですが、
なんだか、脱いだ方じゃない、もう一方のおおきなヤドカリの方が、
それを食べようとしていました。


弱肉強食ですね。
ヤドカリの世界も。


ヤバイです。ここでまた水泳選手です。
今日もおとなしく負けて沈没します。


今日の聖書はまた明日の朝。

Retreatは何のため?

昨日の夕方から、今日の夜まで、
ちょっと更新のチャンスを逸してました。


なんか、大切なことも忘れていないかな、とちょっと不安なんですが、
一息ついたので、やっと更新。


なんだか、いろいろ書きたいこともあったのですが、
どんどん忘れていきます。
忘れないように書くのが「ブ『ログ』」の
元々の意味なんでしょうがね。


昨日、ある集まりで、
Retreatの意味を考える時がありました。
その中で、ある方が、
イエスが弟子達を連れて寂しいところに退かれたのは、
「弟子達が傲慢にならないため」じゃないか、と言われました。


確かに、弟子達はその前にイエスによって派遣されて、
神の国の福音を語って回っていました。
そして、めざましい成果をえて、大喜びで帰ってきたのです。
そんな中で傲慢になる危険性があったのかもしれません。


そのときに、イエスが弟子達をリトリートに連れて行かれた。


私はずっと、「疲れているから休みなさい」
「燃え尽きないように、自分が満たされることを求めなさい」
というのがリトリートの目的だと思ってきました。


でも、「傲慢にならないように。」
それって大切かも。


「いくら奉仕をしても疲れませんよ」という人、
「奉仕の中で力をもらえますから」と言う人、
そういう人には、「疲れているから」というリトリートは必要ないかもしれません。
でも、それは傲慢になってしまっているのかもしれませんね。


私も、主の前に静まる時、
主にただ、聞くために座り込む時、
必要だと思いました。
傲慢にならないために。

さて、昨日、金曜日の聖書。
金曜日はサムエル第二の20章1-13節。


「そのため、すべてのイスラエル人は、ダビデから離れて、ビクリの子シェバに従って行った。」2節。

シェバの言葉でダビデから去っていったイスラエルの人々。
結局彼らにとって、ダビデを王とするという19章の最後の言葉は何だったのだろうかと思います。
自分の思い通りになれば王とする。
自分達の立場が尊重されれば従う。

それってほんとうに誰かを王としたり、
誰かに従っている者の姿だろうかと思います。

従うっていうことが、
いつの間にか、自分の願いを実現することと交換条件のようになっていたのだと思います。

では、私はどうだろうかと思いました。
私は神さまにほんとうに従っているだろうか、
神さまに従って歩んでいるだろうかと、
ほんとうに神さまを王様として受け入れているだろうかと、
思いました。

自分の事が重んじられなくても、
自分の立場が認められなくても、
主を王として、主に従って歩むものでありたいと思いました。

主よ、
あなたを私の王とします。
私はあなたに従います。
自分の考えをあなたに押しつけません。
あなたの御思いを教えてください。
それに従うことを教えてください。

2008-10-09

寒い冬の前兆。

今日は朝から15度あって、
昼間は25度までいきました。
半袖で十分。


ちょっとからだが冷えることが多くなってきたので、
こういう日がちょっとあるとずいぶん助かります。


「小春日和」というのにはちょっと早いかな。
「小春日和」という言葉を使いたいのは11月。
秋が深まっていく中で、本当にぽかぽかした日が来ると、
そういう風に呼びます。
「晩秋」の言葉です。


英語でも「Indian Summer」という言葉がありますが、
これも初霜の後にやってくる70度F=21度Cを超える日のようです。
だから、こっちももうちょっと後の感じかな。


来週前半までは、暖かい日が多いと思います。
明日も今日ほどではないですが、
23-4度までいくのではないでしょうか。


でも、これに慣れない方がいいと思います。
今月末には今年の「寒気」の第1号が来る予報が早くも出ています。
1993年、アトランタで過ごした唯一のハローウィーンは小雪が舞いましたが、
10月の末にはそういうこともあり得るんですよね。
気候の変動にはくれぐれもご注意を。


今日はJOYJOYキッズクラブの日。
先月は30人以上のにぎやかな集まりだったので、
今週もそうかな?と思ったのですが、
今回は学校が休みの日だったせいか、
小さな集まりになりました。


でも、小さな集まりゆえに子供達ひとりひとりに触れることができて、
また一生懸命お話も聞いてくれました。


一歩一歩ですね。
そして息の長い働きの大切さを思わされます。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二19章24-43節。


「彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、ひげもそらず、着物も洗っていなかった。」24節。

ああ、なんて痛いんだろう。
ダビデはメフィボセテについて「彼は自分が王になれると思って喜んでいる」という、しもべツィバの言葉を信用していた。
でも、本当は違った。
彼は心痛めて、ダビデの帰りを待っていたのだった。

でも、ダビデもにわかには彼の言葉を信じられない。

もう思いこんでしまった人に、
「それは本当は違うよ」と言っても、
なかなか伝わらない。

でも、その中で真実に、誠実に、
自分の思いをはっきりと伝えたメフィボセテはすごいと思った。
投げ出さなかった彼はすごいと思った。
財産も何もいらない、ただ、ダビデに信じて欲しかった。

彼と同じ誠実さを与えて欲しいと思いました。

主よ、
いつも真実に誠実に生きる者とならせてください。
あなたを信頼することができますように。
あなたの御言葉を信頼することができますように。

寒い冬になるかも。

日付変わってしまいましたが、
8日のつもりで書きます。


今日の朝も予想通り。
4.3度まで下がりました。
でも昼間は暖かかったです。


今日は朝からNYだったのですが、
朝はコートが欲しい寒さでしたが、
昼間はちょうど良かったです。
夜もあまり冷えずに、12時をすぎても15度以上あります。


明日から週末にかけて、暖かいみたいですね。
特に明日とあさっては25度くらいまで上がるみたいです。
助かります。


そして、今日、Accuweather.comの冬の予報が出ました。
こちら。 
久々に寒い冬になるようです。
雪も多いようです。
今年は覚悟していた方がいいみたいですね。
ちょっとたのしみ。
ちょっとしんどいかも。


ちまたは金融危機で大騒ぎですが、
今日の夕方NYのミッドタウンでは、
オペラの歌声が・・・。
Bryant Parkで、野外コンサートなんですね。
メトロポリタンオペラの歌手の皆さんがやっていたようです。
残念ながら立ち止まっている暇がなかったので・・・歌声を聞きながら素通り。
でも、こういうのがNYのよさですよね。
ビジネス街のど真ん中に公園があって、
そこで世界一流の芸術家達が演奏する。
なんだか平和な感じです。


で、その後久しぶりにTimes Squareを横切ると、
最近ネオンがまた増えました。
m&mのサインとか、 めっちゃ派手です。
そしてすごい人です。
金融危機で騒がれているのが、何かの間違いじゃないかと思うくらい、
たくさんの旅行者であふれています。


まあ、ここが閑散となるくらいの不景気になったら、それはまた大変なことでしょうが・・・。ちょっと考えちゃいましたよね。ここが閑散として荒れて、いるのはホームレスの人たちだけ。そんな日がもしかしたら来るかもしれないって。でも、そんな中でも希望を持って歩んでいくことができるだろうかと。いつもいつも、私たちの必要なものの供給元である主を見上げて歩んでいこうと思います。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二19:11-23でした。


「私が、きょう、イスラエルの王であることを、私が知らないとでもいうのか。」22節。

ヨアブにはなかなか言えないダビデですが、
アビシャイにははっきりと言えるんですね。

とっても気分が良かったです。

王様の責任でもありますよね。
部下が何と言っても、大切なことを大切にする。

神さまから与えられた使命、立場、
それをちゃんと見極めた発言にはとても心がすっとする感じでした。

神さまの与えてくださった使命にちゃんと立っていく者でありたいと思いました。

神さま、
今日の箇所のダビデの言葉には、
本当に気持ちが良かったです。


ダビデが王としての使命をここでわきまえていたように、
わたしもわたしの使命をわきまえて、
あなたの導きに従って、行動する者でありますように。



2008-10-07

主にお会いする。

今日の朝はやはり冷え込んで、3.7度。
まあ、天気予報が当たったみたいですね。
私の予想ははずれ。意外と下がりませんでした。


昼間はまたそこそこ暖かくなりましたが、
夜になって、冷えてきました。
今12時で7.4度。
明日の朝はまた4度くらいでしょう。


昼間はまたそこそこ暖かい一日になりそうです。


さて、今朝、また祈りました。
今夜Brooklyn Tabernacleの祈り会に行きましょうか?
そこであなたに会えますか?と。


最近、「直感的に神様の答えだと思ったことをとりあえずそのように受け止めてみる」ということをやってみているのですが、今朝は「いや、今夜はお前のところで私はあなたに会うよ」と言われたように思いました。


ですから、今日はそれを楽しみにして一日を過ごしましたが、
夜、あるご一家と交わりをさせていただいている中で、
ああ、このことだったのかなあ、と思いました。
主がそこにいてくださったことを感じました。


おまけがあるんですが、
そのためにちょっと料理をしていたのですが、
その前に最近包丁が切れない・・・と思って研いだんですね。
そしたら、よく切れること、切れること、まあ我ながら感心したのですが、
調子に乗って「よく切れる、よく切れる」と自慢げにやっていたら、


はい、ご期待のとおり、爪ごと指をそいでしまいました。


左の人差し指の爪の先っぽ、右側2-3mm位なんですが、
さすがに生々しい写真をアップすると顰蹙を買いそうなので、
クロッキー教室の生徒である私は絵を書いてみました。
これがまた痛いんですね。
深爪の痛さと指先を切った痛さがダブルで来ている感じ。


ちょっとコンピューターのキーボードも痛い。
トイレの手洗いも痛い。シャワーも痛い。
あと、ギターなんか、多分すごい痛いと思う。


調子に乗るもんじゃありません。ハイ。


今日の聖書。
今日はサムエル記第二19:1-10でした。


「それで、王は立って、門のところにすわった。」8節。

どうしても私はヨアブの言葉に味方できません。
どんな手柄を上げたとしても、
どうしても、王の命令をないがしろにしたこの人を、
認めるのはおかしいと思います。
ダビデもそのような思いだったのではないかと思います。
でも、ヨアブがダビデに何も言わなかったように、
ダビデも何も言わなかった。
そして、ヨアブの進言に従いました。

それでよかったのだろうか?

そんな思いが頭の中を巡りました。

ダビデは何を恐れていたのだろうか?
ヨアブを敵に回すと自分の身が危ういと思ったのでしょうか?
自分の過去の弱みを知っているので恐れたのでしょうか?

ヨアブに対してはっきりとした態度の取れないダビデの弱さの中に、
自分の弱さを見るような思いがしました。

主よ、
弱い私を哀れんでください。
あなたの御心に、導きにまっすぐに従う者でありますように。
人を恐れないで、あなたを恐れる者でありますように。

2008-10-06

求めることの大切さ。

夜になって冷えてきましたね。
夜の11時で7.6度。
明日の朝はだいたいどこの天気予報も4度を予想していますが、
もうちょっと下がるのでは?と思っています。


明日も晴れて、昼間はそこそこ暖かくなるようです。


今朝、いつものように教会に行ってお祈りしたのですが、
鍵を開けて入ろうと思った時に、
一つの思いが与えられました。
「共に祈る人々を与えてください」ということです。


教会のオフィスで祈り始めたのは3月半ばだったでしょうか?
ちょうど半年が過ぎました。
ひとりでいいと思ってきました。
この半年で4人の方々が1回ずつ祈るために来られましたが、
ほとんどはひとりで祈る時でした。


でも、今朝、その思いが与えられた時に、
一つの聖書の言葉が続いて響いてきました。
「あなたがたは、求めないから得られないのだ。」(ヤコブ4章2節)


それで、今朝から祈り始めることにしました。
共に祈る方々が与えられますように。


それと共に、「求めないから得られない」ことがどれだけあるか、も同時に思わされました。
大胆に求めて、他のところではなく、主に大胆に求めていきたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二18:19-33でした。



「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」33節。

このダビデの悲痛な叫びに、
なんだかわかりませんが、涙があふれてきました。
理屈ではダビデの反応は問題があったかもしれません。
でも、理屈を超えたダビデの愛を感じました。

そして、祈りたいと思いました。
子供達、家族、そして教会のひとりひとりのことを覚えました。

ダビデも本当に自分の方が死んで、アブサロムが生きることを望んでいたなら、
ここで戦いにはならなかったでしょう。
理屈ではやはり自分の使命を知っていて、
アブサロムに王位を譲ることは神さまが喜ばれないことだとわかっていたでしょう。
本気でそんなことは考えていなかったと思います。

でも、彼を思うが故に、このような言葉が出てきました。
その愛は理屈とはまた別にあふれてきたのでした。

愛することを教えて欲しいと思います。
愛とは何なんだろうかと。
このダビデの愛を持ちたいと思う思いと、
愛は単に嘆くことではなくて、ある時は対決し、ある時は諫め、
ある時には励まし、支え、生かしていくものだろうという思いが湧いてきました。

神さまの愛の豊かさを教えて頂きたいと思います。

神さま、
ダビデのアブシャロムに対する愛に今日は心が震えました。
このような愛を持ちながら歩んでいきたいと思います。


でも、本当の愛の模範はやはりイエスなんですね。
ある時は厳しく、はっきりとした態度で、
でも最後は十字架で私たちに命を与えてくださいました。


そのイエスの豊かな愛、
確かな愛をもっともっと教えてください。

SOS。

これ2年生のMathなんですが、
意味がわかりません。何をしたらいいんだろう?
前後は「どっちが大きい?」という問題が並んでいます。

わかる人います?

必要なものがちょうど安売りだといいけど。

今日はもっと「晴れても肌寒い」となるかと思いましたが、
外れましたね。結構暖かいです。17度くらいあります。
そして、気持ち的に、日差しが「あったかい」という感じです。
特に外に出た昼前後は車の中などは、半袖でもいいかな、という感じでした。


でも、その分、時々雲で日が陰るとぞくっとしますね。
夕方からぐんと冷えてくると思います。


月曜日は原則お休み頂いていますが、
ここのところ、その原則ちゃんと守れています。


その中で、今日は近所のStaples(大きな文房具屋)
でプロモーションがあったので、行ってきました。
だいたい、こういうのは土曜日だったりするので、
自分には無縁のものなのですが、


今回は、
「お、月曜日? なんだか、オレのためにやってくれるみたいだねえ」と、
教会に1枚、我が家に1枚郵送されてきた、
本日限り15ドル以上の買い物で15ドル引きのクーポンを手に、
颯爽と出かけました。
だいたい、「15ドル引き」とか大きく書いてあっても、
「75ドル以上の買い物の場合」と小さく書いてある場合が多いんですよね。
今回は、15ドル以上の買い物で15ドル引きですから、
15ドルぎりぎりの買い物をするのがポイントです。


それに加えて、今回は、
「いろいろなものがタダでもらえるよ」と書いていたので、
ちょっと期待していったのですが、


ま、こんなもんか~、でしたね。
メモとか、水とか・・・ねえ。
でも、タダでいただいたのですから文句を言ってはいけません。
Stapler(日本で言うホッチキス)はOne Touchのやつで、
指一本でできるって宣伝しています。
でも、別に普通のはうちの中にいくつも転がっているしねえ。
いえ、文句は言いません。タダでいただいたんですから・・・。

そしていよいよ本番の買い物。


1枚目の15ドルは、ちょうど教会の紙がなくなったので、
一箱5000枚で40ドルくらいのを25ドルで購入。
クーポンはひとり一枚と書かれているので、とりあえずそれで一回チェックアウト。


さて、もう1枚の15ドルを手にもう一回。今度はうちの買い物。
でも、「15ドルぎりぎりで買い物するぞ~」と思っても、
なんか、安売りのものじゃないともったいないような気がするし、
いらないもの買ってもしょうがないし・・・となんだか悩みましたが、
結局ボールペン24本セットとセロテープ6個セットで、合わせて18ドルくらい。
15ドル引きだったので、3ドルでそれだけ買えたことになります。
ま、前回のボールペン4本で50セントと比較しても、まあまあいい買い物だったかな、と満足。


あとは、あっちこっちでボールペンを置いていかないことですよね。
だいたい最後まで使い切る、と言うことがない・・・。


でも、思いました。
本当にどうしても必要なものがある時には、
なかなか安売りやプロモーションをしてなくて、
定価で買ってしまう。
そして、安売りやプロモーションをしている時には、
いつか使うと思うから・・・と
別に買わなくてもいいものまで買ってしまう。
むずかしいものです・・・。


さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル第二18:9-18でした。

「たとい、私の手に銀千枚をいただいても、王のお子さまに手は下せません。」12節。


大将ヨアブに対しても恐れないで、自分の考えを言ったこの兵卒。
何に従うかということを考えさせられました。

「日々のみことば」はダビデの態度に対して批判的ですが、
それ以上に、ヨアブの態度はどうなんだろうかと思います。
王の命令に対して、その場で
「王様、現場としては、それは難しいです」とも何とも言わないで、
ただ、現場で「やってしまえ、それが当然だ、王の言うことなど聞いてられるか」
というのは違うのだろうと思うのです。

ダビデの命令は、「やるかやられるか」という戦場で現実的だったのかはわかりません。
昨日の夜も、日本のテレビでイラク戦争に行った女性兵士達の帰ってきてからのトラウマについての番組を見ました。
ひとりの兵士は、手を振っていた12歳くらいの子供が急に機関銃を出して自分を撃ってきた時に、それに応戦して、相手を殺害してしまった、子供を殺してしまった痛みを、自分が出産して母親となった時に、負いきれなくなってしまったといいます。
そんな戦争の限界状況の中で、「わたしの息子のいのちを守ってくれ」と、反逆の中心人物であるアブサロムの命を守れ、というのは後にアブサロムヨアブが進言するように無茶な話だったのかもしれません。

わたしは何に従うか?

御言葉に従う・・・はっきり書いてあることについては従うことはできる(それが難しいかどうかは別として)。
神さまの御心に従う・・・ここら辺になると複雑なものが絡み合うと思います。判断が難しいです。自分の思い、神が心に与えてくださる印象、そして、霊的な感性、自分の心の痛み、いろんなものが絡み合って、「何が神の御心か」という判断に影響を与えると思います。

難しくても、とにかく神に聞きながら、祈りながら、求めながら、歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうか、あなたに従うことを教えてください。
人の声ではなく、あなたの導きを求め、そこに従っていくことができますように。
難しいから、逃げるのではなくて、あなたの御心を求めて歩ませてください。

2008-10-05

人の考えを超えたこと。

今日はなんだか、午前中は雨でしたが、
昼頃には止んで、夕方にはもうすかっと晴れていましたね。
この後もあまり雨の心配はなくて、
明日の朝はちょっと降るかも、ですが、
なんだか、大きく変わったようです。


で、今は11度あって、今夜は冷え込みもあまり強くないようですが、
明日の昼間はあまり暖かくならず、
明日の夜にぐっと冷えそうです。
ちょっと早い初霜もあるかもしれません。


今日の礼拝はおいでになるはずだった方で来られなくて、
残念だったなあ、という方々もおられたのですが、
来られたお一人ひとりの存在に励まされました。


礼拝は神さまにささげるものなので、
ひとりで守っていようと、
50人だろうと70人だろうと、
どこかの教会のように5000人であろうと。
同じように真実でありたいと思うのですが、
同じ思いで集われる方々がおられたり、
悩みながらでも共に主に叫ぶ方が与えられるのは、
うれしいものです。
新しい方々、久しぶりの方々、与えられるのもうれしいものです。


本当に励まされました。


今日は夫婦のことについて聖書を読みました。
本当にこの一週間、わたし自身、
どのように歩むかが問われているように思いました。
サタンもいろいろ攻撃してくるでしょうから、
神さまの守りが必要だと思います。
お祈りで支えてください。


今夜も日曜日の夜にはよく来る水泳の選手が早くから来ていますので、
聖書はまた明日にでも。

雨じゃん。

昨日の朝は冷えましたね。
4度まで下がりました。
昼間も17度くらいまで。
でも、もっと気温が低く感じました。


今朝は11度ありました。
冷え込みはぐっとゆるみましたね。


今、気になって、
Ann Arborの気温を調べたら-1度。
先週のJ兄の結婚式は本当に天気に恵まれたんですね。


そして、今日、起きたら、雨。
びっくりしました。


天気予報では20パーセントとか、
月曜日に雨かも・・・と言う程度だったので、
全く考えていませんでした。
レーダーを見ると、NY周辺30マイルくらいだけが雨。
地理的には確かに20パーセントの地域で降っているということで、
当っていると言えば当っているんでしょうね。


でも、天気予報は「自分にとって」悪い方に外れると
めちゃくちゃ印象強いですよね。
だからっていつもいつも悪い方に出していると、
「オオカミ少年」みたいに、信用されなくなるし、
これをお仕事にされている方々のご苦労を思わされます。
外れるとめちゃくちゃ言われますよねえ。
わたしに言わせると、外れることがあって当たり前、
あたったら、「おお、すごいじゃん」というものなのですが、
だんだん、「あたってあたりまえ」になってきているんでしょうかね。


さて、日曜日の朝ですので、
あまり余計なことは書かないで、早速聖書。
昨日はサムエル第二17:24-18:8でした。


「イスラエルの民はそこでダビデの家来たちに打ち負かされ、その日、その場所で多くの打たれた者が出、二万人が倒れた。」18:7。

アブサロムのやり方に、かなり感心していたので、
その限界を見せつけられたような気がしました。

人々の心をつかむのに巧みだったアブサロム。
人々の話を聞いて、「おまえの言うとおりだ」と受け止めて、
そして「わたしだったら、あのダビデ王のようなことはしないんだけど・・・」と
王への不信の思いを植え付けて、いつの間にか人々の心は、
ダビデからアブサロムに動いていきました。

でも、それは戦いのために備えられた人を育てることではありませんでした。

人々は戦いの中で、命を落としていきました。

戦いのために備えられた人を育てる。
大切な働きだと思いました。

主よ、
今日の礼拝を祝福してください。
あなたのいのちがそこにあふれますように。
いや、そこにあふれているあなたのいのちに、
私たちの目が開かれますように。


戦いのための備えをすることができますように。
備えられた人を育てることを教えてください。

2008-10-03

ひとりひとりの使命。

今日は冷えましたね。
66度F・・・19度C・・・で暖房が入るように設定しておいたら、
普通に暖房が回り始めました。


今、夜中の12時を回っているのですが、
もう7度まで下がってきています。
明日の朝は5度を切りそうです。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二の17章15-23節。


「 ヨナタンとアヒマアツはエン・ロゲルにとどまっていたが、ひとりの女奴隷が行って彼らに告げ、彼らがダビデ王に告げに行くようになっていた。」17節。

「日々の御言葉」でもそのことが強調されていましたが、
この女奴隷も、また井戸に二人を隠した人もその妻も、名前が出てきません。
でも、名前が出てくる人々も、無名の人々も、
その役割を一つ一つ果たしました。

それを読みながら、自分の今日の使命は何だろうかと思わされました。
使命を果たせさせてください、と祈りました。
与えられた使命に感謝しました。

一日が終わってみると、
本当に自分はその使命をしっかり果たしただろうかと思います。
主が助けてくださって、わたしの足りないところにも、
届いてくださいますように。

主よ、
今日の一日の一つ一つの出会いを感謝します。
足りない自分ばかり気になります。
どうか助けてください。
届かないところにあなたご自身が届いてくださいますように。

2008-10-02

礼拝をすること。

今日はぐんと涼しくなりましたね。
昼間も15度くらい。夜になって、冷えてきました。
今、夜の11時過ぎですが、10.8度まで下がってきました。
朝は8度くらいだと思います。


この冷え込みのピークは土曜日の夜あたり。
でも、今回は5度くらいと、この時期としては、
こんなもんかな、という感じです。


来週にはまた暖かい日が多くなりそうです。


去年の初パッチは26日。
今年はもうすでに足下が冷えてしょうがないですが、
もうちょっとがんばろうと思います。


さて、今日は弟子訓練のテキストで、
「礼拝」を学びました。


神さまのきょさの前にひれ伏す礼拝、
そのような礼拝を私たちはもっているだろうかと思わされました。
礼拝の目的が「神がほめたたえられること」になっているだろうかと。

他のところでも時々いわれるのですが、
今日は「礼拝が自分中心になっていないか」
振り返る時を持ちました。


「今日は恵まれた、先週はよくわからなかったけど」
「今日は好きな歌を歌えて良かった」
ということで、「良い礼拝」と言われたりします。


そのほとんどの場合は「説教がわかりやすかった」「説教が良かった」と言い換えることができるんでしょうね。でも、それって「神の前にひれ伏す」礼拝とは違うところに焦点が当っていると思います。


自分がどう感じるかが礼拝の善し悪しを(その善し悪しってのがあるのがおかしいかも)決めるというのはやはり違うと思います。


どこまでも、主がほめたたえられる礼拝。
神さまの前にひれ伏す礼拝が守られていくこと、
そこに私たちが喜びを見出していくこと、
それが大切なんだと思います。


たくさん集まる方々の中には、
「説教を聞きに来る」方もおられるでしょう。
みんなと一緒に賛美することを楽しみにしてこられる方もおられるでしょう。
それはそれでいいと思います。
特に初めての方々が、
「わたしは神を礼拝に来ました」ということはあまりないと思います。

でも、礼拝の意味を知った人たちの中に、
本当に「礼拝」を守ることを楽しみに来られるかたがたくさんいなくて、
どうして、礼拝に始めてきた方に、
「ああ、ここにはかみさまがおられる」と伝わるでしょうか?


今度の日曜日の礼拝、そのような思いで集う方々が多く与えられますように。


初めての方々、
久しぶりの方々にも、
「ああ、ここには何かある」と
伝わるものがありますように。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル第二17:1-14


「アルキ人フシャイを呼び出し、彼の言うことも聞いてみよう。」5節。

みんなが「それで行こう」と思っていたのに、
いつもアヒトペルの言葉を信じて大丈夫だったのに、
ここでフシャイの言葉を聞いてみようと思ったというのが、
不思議に思いました。

でも、そのような不思議なことの中に神さまが働いておられたんだなあ、
と思わされます。

普段思いつかないようなことを思いついたり、
気がついたりすることは、
やっぱり神さまの導きなんだろうと思います。

不思議な方ですよね。

そして、アブサロムがそれに反応する。

信じている者たちには、「自分で考えなさいよ」とか、
「もっと敏感になりなさいよ」という方法で語られることが多いような気がします。
頑固な人、信仰の経験の少ない人には、もっと直接的に、
よくわかる方法で示されることが多いんだろうと思います。

だから、はっきりと見えないときには、
「昔はもっと神さまが近く感じられたのに、今はそうでもない、自分の信仰はバックスライドしちゃったんじゃないか」と思うのですが、本当は反対なんでしょうね。「幻を見た!」なんて聞くと、ああ、あの人の信仰はすごいな、自分は信仰がないから、見ないんだ」なんて思ってしまうんですが、それも違うんでしょうね。神さまは信頼しているから、私たちの信仰を信頼しておられるから、幻を使ったり、お告げを使ったりなさらない。聖書と良心と信仰の友の助けと、それらによって道を知りなさい、と言っておられるんだろうと思います。反対に、頑固になって自分の考えを変えようとしない人に対して、幻に表れたりなさるんでしょうね。その代表は信仰を持つ前のサウロ、のちのパウロであり、異邦人に伝道しないぞ、と偏狭になっていた時のペテロですよね。

主よ、
あなたの導きを教えてください。
それを知ることができますように。
わたしにふさわしい方法で、あなたの道を教えてください。
そして、それに従っていくことができますように。
それに従って歩んで行かせてください。



2008-10-01

右脳の筋トレ。

今日は2週間ぶりのクロッキー教室。
いつものクロッキー教室は心のマッサージなのですが、
今回は、「右脳の筋トレ」。
いやその前の「右脳のストレッチ」かな。


何でかというと、空想で絵を描く、ということだったから。
いつも使っていない筋肉をばきばきいわせながら、ほぐしていく感じでした。
モノを見ながらそれを描くのも、難しいですが、
あまり評価されないということであれば、
好きに描くことができます。


でも、空想で描くのは、いつも使っていない部分を使うんですね。
結構エネルギーも使いました。


でも、楽しかったです。


昨日の夜の雨も、
今日の明け方にはもう上がっていました。
そして、朝のうちは霧も出ていましたが、
昼間はどんよりと曇って、でも、気温はそこそこ上がったかな。


で、いよいよ涼しくなります。
明日の朝は10度。
その後、朝は7-8度、昼間は18度くらいの日が続くようです。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二16:15-23でした。


「こうしてアブシャロムのために屋上に天幕が張られ、アブシャロムは全イスラエルの目の前で、父のそばめたちのところに入った。」22節。

ルカの17章1節の、
「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。」というイエスの言葉を思い出しました。

神さまの預言だから、このことは起こる。
でも、それをもたらす者はわざわいだ。

神さまがもう預言されていたから、起こるべくして起こったこと。
でも、そこに直接かかわることになったアブサロムはなんておろかなんだろうか、
そして、それを進言した、アヒトペルはなんて愚かなんだろうか。

でも、わたしも同じことにならないようにと願います。
イエスは「世の終わりには人々の愛は冷える」と言われました。
だから、それは避けられない。
でも、自分がその愛が冷える者にならないようにと祈らされます。

主よ、
あなたの御言葉は必ず成就しますね。
喜ばしいことはもちろん、
痛ましいことも、悲しいことも、
あなたは私たちが悔い改めるときに、
また私たちが取りなすときに、
御心を変えられることもありますよね。


「世の終わりには人々の愛が冷える」
その預言が、成就するのは本当に怖いです。
でも、主よ、助けてください。
わたし自身、愛が冷えてしまうことがないように、
守ってください。
そして、そんな中におかれても、あなたを見上げて歩むことができますように。
今日も、「勇気」を与えてください。

2008-09-30

人のせいにしない。

昨日予告した、秋をもたらす雨は、
今夜遅くに降り出します。


そして、明日一日雨で、あさってからは涼しくなります。


昨日までいたAnn Arborは木曜日あたりには、
もう霜が降りるかもしれません。
いいときに寄らせて頂いたと思います。


今日、予定通りにケーブルTV、インターネット、
電話すべての契約が変わりました。
全部合わせて100ドル以下。
おまけにTV Japanがタダで付いてきています。


で、早速、ドラマとか見入ってしまいました。


その中で、何でも人のせいにしている主人公が、
周りの人から、次々と「人のせいにしてはいけない、本当は自分が問題なんじゃないか?」と言われるんですね。それにはさすがに腹を立てるのですが、最後はそれを受け止めて、方向を変えて歩み始める、という話でした。


うーん、だいたいそういう人は指摘されると逆ギレすることが多いので、
正直「こんなにうまくいくかなあ」と思ったのですが、
でも、この番組を見ていて、「そうだ、わたしも人や環境のせいにするのをやめよう」と思った人は多いはず。


そうですよね。環境はいろいろある。
文句をつけようと思えばいくらでもつけられる。
でも、最終的に自分の人生に責任があるのは自分。


「文句を言うな!」とよく言われる牧師さんもいますが、
本当にそうだなと思います。


さて、今日の聖書。
今日は9月の最後の日ですね。
サムエル記第二16:1-14でした。


「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」(12節)

シメイの言葉は、侮辱でしたし、誤りでした。
ダビデは「それは違う」と言うこともできたと思いますし、
「そんな侮辱はあるだろうか」と言うこともできたでしょう。
でも、黙っていた。
それはやはり主を信頼していたから。
主の裁きを信じていたから。

人の言葉に振り回されない、
人の言葉に縛られない
ダビデの強さを感じました。

都落ちしても、人の信頼を失うことがあっても、
堅く立つところあったダビデの強さを思います。

どこまでも、どこまでも神の選びを信じて、
そこに自分の存在の土台をおいたダビデの信仰を見せられます。

わたしも神の与えてくださる使命だけに目を留めながら、
主に信頼して歩んでいこうと思います。

主よ、
今日はダビデの強さを思わされました。
わたしもダビデが見ていたあなたの御手を見続けることができますように。
他のものに振り回されて、
大切なことが抜けてしまうことがありませんように。


明日の一日も祝福してください。

2008-09-29

Courage。

今日は昼間はまた暖かかくなりましたね。
でも、これも今日だけ。
明日はまた雨です。(昨日も雨だったんでしたよね。NJ・・・)


ぐずついた天気は水曜日も続き、
そして、その後、秋になります。
(このフレーズこの秋何回目だろうか・・・)
朝は普通に10度を切りますし、
昼間も15度から20度止まり。
ミシガンはちょっと紅葉が始まっていましたが、
こちらもだんだん紅葉が始まっていくことでしょう。


今回の飛行機や空き時間のために、
買っていたのになかなか読めないでいた本を持っていきました。
今回は「Who You Are When No One's Looking」という
Bill Hybelsの本。87年だから、20年も前に書かれた本だけど、
30万部も売れているそうです。
どれだけ、多くの人々が、誰も見ていないときにも、
主に従いたい、きよくありたい、と願っているか、
また、それが困難で悩んでいるか、を表していると思います。
Promise Keepersなどもそのようなことが
大きなテーマの一つだったと思います。


互いに見張っている・・・ということをする人々もいるでしょう。
それも一つかもしれません。
祈り合う仲間は必要でしょう。
でも、いくらでも逃げ道はあるんですよね。


だから、内側から変えられたいと思います。
整えられたいと思います。


で、買っていたのですが、
なかなか読めないでいました。
帰りの飛行機の中で、ちょっと元気だったので
1章だけ。


Hybelsの最初のポイントは、


「courage」


です。


ホントの自分でいる勇気。
相手に問題を見たときにそれを愛を持って指摘する勇気。


そして、それを育てていくのは、
ぶつかっていくことだと。
勇気を必要とする場面に身を置いていくことだと。


それを繰り返していくこと。


一つ一つ学んでいきたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル第二15章24-37節。


「I am ready」26節(NIV)

日本語では、「もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」とありますが、その「もし~なら」に続く部分に、この「I am ready」とあります。

主がそのように思われるなら、そのような備えはできています。覚悟はできています。ということでしょうか。

やはり備えの必要性を思いました。
備えがなければ、備えをしなければ、
私たちは主の御心に従うことはできない。
放っておいても、急に言われても、
「はい、従います」と言えるわけではない。

そういう者なのだと思います。

だから、備えようと思います。
主が突然、私を違うところに導こうとされても、
突然、嵐の中に投げ込まれることがあったとしても、
I am readyと言える者となりたいと思います。

主よ、
私の願う道が閉ざされたときに、
本当の私の信仰が問われるのかもしれません。
描いていたビジョンが砕かれるときに、
本当の信仰が問われるのかもしれません。

そんなときにも、
I am readyと言える者でありますように。

帰宅。

無事、今日の昼過ぎにNJに戻りました。
「PCからの更新って、楽。」って思いますね。


でも、PCおいて出かけるのも楽。
2泊で、昨年お会いしてお世話になった方のところに泊めて頂いたので、
荷物も最低限で、本当にゆっくりさせて頂きました。感謝。


飛行機は行も帰りも超満席。
席を譲ってくれる人には100ドルのバウチャーなんてアナウンスがあるくらいでした。
帰りはともかくとして、行きはNY6時発ですよ。土曜日の朝に。
こんな飛行機乗る人は少ないだろうなあ、と空いていることを期待していたのですが、
びっくり。みんな早起きですねえ。


さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第二15:13-23でした。


「この民がみな進んで行くとき、国中は大きな声をあげて泣いた。」23節。

民がみんな泣いていたのに、
謀反を起こす勢力の方が強かった。
それはどういうことだったのだろうかと思わされました。

武力でしょうか?
人々がダビデをサポートしていても、
アブサロムの方がうまく、要所要所をおさえたということでしょうか。

そう、私は結果を知っているので、
この当時のダビデの思いは本当のところわからないんですが、
どんなにアブサロムのやり方が優れていても、
どんなに姑息なことをして、権力を手に入れたとしても、
最終的に、神さまがダビデを選ばれて立てられたのだったら、
そのようになる。

反対に神さまがダビデを退けられるなら、
ダビデの王権回復のためのどんな人間的な作戦もうまくいかない。

主の御手を見ていくこと、
目先のことに振り回されないで、歩んでいくこと、
本当に大切なことだと思います。

主よ、
あなたがおられるから、
あなたが導いておられるから、
それをしっかりと見つめて歩むことができますように。


あなたを見上げて歩むことができますように。

2008-09-28

その生涯が証する神。そのニ。

昨日の結婚式の教会もそうでしたが、むだのない簡素な作りが、いい感じです。

いつもは10-20人だそうてすが、今日は、50人ぐらい集まりました。

そして、3年前に、天に召された一人の女性を偲んぶときとなりました。

この方は今もその信仰が語っていると思います。

ああ今日も睡魔が!
聖書はまた明日にします。

その生涯が証する神。

今日は、アナーバーの日本語の教会の礼拝での説教。

英語の教会の働きの一部だそうです。

これがその教会の礼拝堂。

策略と神の選び。再び

元気に目覚めました。

昨日結婚されたお二人、
それぞれ祈って来られた姿を見てきたので、とても嬉しく思いました。

続けてお祈りして行きたいと思います。

今日はアナーバーにもう一日残って3時から日本語教会の礼拝で説
教です。

さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル第ニ15:1-12でした。

「人が彼に近づいて、あいさつをしようとすると、彼は手を差し伸べて、
その人を抱き、口づけをした。」5節

このアブサロムの行動は人々の心を掴むのに大切なことだっただろう。
賢い事だったと思う。
現代の「リーダー本」にも出てきそうですよね。

でも、そういうことを遥かに超えて神の選びがあることを思わされまし
た。

この出来事全体の鍵は15:25だと思うのです。

アブサロムにはそれが見えていなかった。

神の御心を求めていくことの大切さを思いました。

主よ、
下心なしに人を愛し、
あなたのみ心を求める者でありますように。

2008-09-27

策略と神の選び。

今日は、朝早く起きて飛行機でミシガン州アナーバーでのJ兄の結婚式。
アメリカ各地、また日本からも、多くの方々が祝福に来られた。

新しいご家庭に祝福を祈ります。

とここまで書いたら眠くなったので、ここまでで沈没。

またあしたに。

バブルシャワー。

これはあまりに個人が特定出来てしまうので、期間限定で。

ケーキ。

J兄結婚の誓い。

メッセージ。

開始。

品性。

また日付が変わってしまいましたが、
今、26日の夜。
26日の雨は朝のうちだけで、
午後はほとんど止んでいました。
今メリーランドからペンシルベニアに入ってきた雲や、
メリーランド沖の大西洋上の雨雲がどこまでこちらにかかってくるかによりますが、
このまま行けば、雨はたいしたことなく終わってくれそうです。


で、この低気圧の影響でVirginia Beachでは大変なこと が・・・。
車が砂に埋まっています。
雪に埋まることもたまにありますが、
これはちょっとレベルが違いますね。
これは車の持ち主は泣きたいですよねえ・・・。

26日の聖書。
26日はサムエル記第二14章21-33節。


「アブシャロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブシャロムに口づけした。」33節。

朝も書いたのですが、
「なんだかなあ」という気持ちを引きずりながらです・・・。

このアブサロムの礼も王様の口づけも、形だけだったのでしょう。
次の節を読むと、アブサロムは早速勢力をつけ始めます。
一応これは「名誉回復」の儀式だったのかもしれません。

アブサロムも王を敬ってなんかいないし、
ダビデもアブサロムを受け入れているわけではない。

でも、一応形だけ・・・。

むなしい思いが湧いてきます。
こういうの、私も経験がありますが、
悲しいですよね。形の上では一つ区切りをつけたことになっているんだけど、
結局何も心開くことなく、何の解決もなく・・・。

そんなことを考えていたら、
先週からずっと語ってきた、
自分が人々に影響を受ける以上に
与えることができる者になろう、
そのためには外側ではなくて、
内側が、品性が整えられることが必要なんじゃないか、
その話が自分に問いかけてくるのを感じました。

自分の品性はどうなんだろうかと。
何をする、ということ以上に、
自分の内なる人が、自分自身が、
どんな者であるのか?

心に少しずつ光が当てられ、
取り扱われているのを感じました。

まだまだ始まったばかりです。
でも、主が取り扱ってくださることに、
心を開いて、委ねていきたいと思わされています。

主よ、
形だけはむなしいです。
どうか、心の通じる関係を与えてください。
私の中に、私の品性の中に、
そのような心が通じる関係を生み出せる
そんな品性を与えてください。
あなたが私の内側を取り扱ってくださることに、
心から感謝します。
どうか、これからも一歩一歩導いてください。





2008-09-26

個性満開。

昨日はまた沈没宣言もせずに早く休んでしまいました。
朝の旧約聖書の学びも、
午後のJOYJOYキッズクラブも、祝福された、いい集まりでした。
でも、それだけではなくて、ひとりひとりの心に聖書の言葉がとどまりますように。


今月のキッズクラブの工作はこれ。




さすが、クロッキー教室の成果が上がっていると思いませんか?
目の玉はビー玉。目の縁はペットボトルの輪切りです。


で、以前も同じようなことを書いたかもしれませんが、
私は元々、動く工作、ゲームができる工作が大好きなのですが、
そういう工作の中には画一的にやらなければいけないものもあります。
みんなが同じ作品になってしまうもの。


だから、最近はこういう個性が出る工作がまた好きになってきました。


こんな感じ。




ほらね。いいでしょ。


これからもJOYJOYキッズクラブをよろしく!


昨日の夜、早く休んでしまったのでわかりませんが、
起きたら雨が降っていました。
それも、かなりたくさん。


今は10時過ぎで小降りになっています。
この雨、日曜日くらいまで続くようです。
かなりまとまった雨になりそうです。


さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第二4章1-20節。


「 あなたの家来ヨアブは、事の成り行きを変えるために、このことをしたのです。」20節。

昨日、今日と、私は「ここから主は何か私に語っておられるんだろうか?」というなんだか、わからない気持ちにおそわれています。ただ、お話として読むと、ふーん、っという感じなのですが、だから、そこから主が何か私に学ばせようとしておられるのか、私に語ろうとしておられるのか、よくわからないです。
たぶん、このブログがなければ、「わかんないなあ」で終わってしまうと思います。
いや、書きながらでも、「そうなのかな」という気持ちが全くないわけではありません。
そんな気持ちを引きずりながら、でも、書きますね。

私はこの最後の女性の言葉、ヨアブの意図を語る言葉、ちょっと違和感があります。

「ヨアブ将軍は心配してやったんです」
「ヨアブ将軍は一生懸命だったんです」
「ヨアブ将軍は王様のことを思って、国のことを思ってやったんです」
だから、王様、怒らないで。
だから、王様、みんなの気持ちも考えて。

そして、「成り行きを変えようとして・・・」と。

でも、成り行きは変わりませんでした。
アブサロムは王に反逆を試みるのです。

そう反対に、ある意味引き金を引くきっかけを与えてしまったんだろうと思います。

私たちの歩みの中にもあると思います。
「一生懸命やった」
「あなたのことを考えてやった」
「神さまのためにやった」
「教会のためにやった」
家族の間でもそうですよね。友人関係や、教会でも。
自分のこともそうだし、周りの誰かのことを言っていることもあります。

でも、そういう人間的事情が幅をきかせてはいけないんだなあと思います。

神さま、
昨日の箇所、そして、今日の箇所も、
あなたが何を言おうとしておられるのか、
とても難しいところでした。
でも、とにかく、人間的な思いとか
人間的な事情が幅をきかせてはいけないんだなあと思います。


どうか、私の心を守ってください。
私の一つ一つの判断、決断を守ってください。
いつもあなたの導きを見つめていくことができますように。

2008-09-24

NYレジスキャン泣き笑い。

今日はまた暖かかったですね。
スーツを着てNYを歩きましたが、
朝はちょうど良かったですが、
夕方は汗をかくくらい。


でも、この天気も今日まで。
明日は北東の冷たい風が強く吹き、
夕方からは雨です。
どうやらハリケーンの可能性はなくなったようですが、
かなりまとまった雨になりそうです。
特に明日の夜からあさってにかけてが大雨です。
ご注意を。


また土曜日の飛行機もたぶん大丈夫でしょう。


さて、下の写真に写っている爪切りですが、
2週間前にNYで買いました。
出先で、コンピューターに向かって仕事をしていたのですが、
爪が長くて、結構イライラしていました。
で、近くのDuane Readeというドラッグストアで探しました。
「マイ爪切り」として持ち歩こうかと思って、我が家にないようなのをさがしました。
そして、$1.99という値段が付いていたので、これがいいや、と思って買いました。
そして、お金を払って出たら、値段が$2.49で付いているじゃないですか!
「ラッキー!」と思いました。


だって、家の近所のスーパーだと、値段が間違って請求された場合には、
その一品はタダになる!からです。(ただし、10ドルまで・・・それでも大きい・・・)
何度、それでタダのものをいただいたことでしょうか。
「そんなことばっかりしているのか?」とあきれられないようにと、
あえて書かなかったこともあります。
それくらい、ちょくちょく多く請求されているんですよ、皆さん!


で、今回もいつものように「値段が違うんだけど」と申し出ました。
そしたら、「あっちの人に言って!」と、「あっちの人!」「あ、ホントだ間違っている!あっちの人に言って!」とたらい回し。で、何度も「ちょっと待って、ホントに間違っているかどうか、確かめてくるから!」って何回も繰り返され、20分くらいかかって、やっとお金を返してくれました。


でも、お金は返してくれましたが、
品物はくれません。
「それ、ちょうだいよ」
「え、あなた返品じゃないの?」
「違うよ、値段が違っていたから払い戻しして欲しい」


「だって、あなた全額受け取ったじゃない?」
「そうだよ」
「だったら、品物は返すのが普通でしょ」
・・・確かに、私もつい15年前まではそれが普通だと思っていました。
でも、私の「普通」は変わりました。


「スキャンが間違っていたら、タダでもらえる」
これが私の普通になっていたのでした。


で、「普通は、スキャンが間違っていたら、タダでもらえるでしょ」と答えたら、
レジのお姉ちゃん(おばちゃんかも・・・)、のたまわりました。


「タダなんてこの世の中にないよ」
そして、たたみかけるように、笑いながら、
「タダのものは天国行ってから!こっち側にはタダはないの!」
って、言うじゃないですか!
私も馬鹿にされて腹が立って、
「あんた以外の店じゃ、これはタダなんだよ!」と捨てぜりふを吐きながら、
でも、しっかり$1.99で品物を買い直して出てきました。


「ああ、なんで、あそこで、『この世でもイエスによる救いはタダだよ!』と牧師らしいことを言えなかったんだろう?」って後でちょっと自己嫌悪。


でも、本当は、他の店のこと、知りません。
Shopriteはタダになるし、アトランタ時代のKrogerもタダになりました。
でも、他の店は知りません。Duane Readeだめなのかなあ。


さて、2週間経過して今日の話。
カバンの中をどんなに探してもボールペンがありません。
これはまた困ったな、と、Staplesで買うことにしました。


で、私はボールペンMade in Japanがいい。
途中でインク切れするとすごい悔しいし、
(でもよく途中でなくすけど・・・)
書き心地もいい。
で、日本製を探しました。
そしたら、見つけました。
Zebraの4本で4.99ドルのヤツ。
まあちょうどいいな、と思ってレジに持っていくと、
なぜか、スキャンして出てきた値段は$0.50。


思わず、「え?」と声が出てしまいました。


・・・ああ、ばか正直。


で、お店の人も首をかしげて、
もう一回スキャン。
やっぱり$0.50。
「いいのよ」とお店の人も「OK!」。
もちろん、私もこの期に及んで「$4.99って出てたけど・・・」
なんて言い出してお店の人を困らせたりしません。

こっちの場合は、さすがに文句言いませんよ、私も。
単なる打ち間違いは、さすがに悪いので「違うよ」と申告しますが、
お店の人がOK出したら、感謝して頂くようにしています。


アメリカに来たばかりの頃、一生懸命、おつりが多すぎることを説明していたら、
「ああ、よくわからない、とにかく、自分が得するんだからいいでしょ!」とうっとうしがられましたので・・・。
でも4本で50セントは安いですね。もっと買っておけば良かった。
5番街と44丁目の角にあるStaplesです。


長くなりました。
さて、今日の聖書。

今日はサムエル第二13章23-39節。


「それから満二年たって・・・」23節。

2年間ですよ、2年間。
2年間、ずっと恨みを持ち続け、
復讐の機会をねらっていたんですね。

そんな時間の使い方ってあるだろうかと思います。
2年間を恨みと、復讐の思い、そのための計画に使ってしまったなんて。

この後、アブサロムは王に謀反を企て、最後は戦死するのですから、
何のために生きていたんだろうかと思います。

ああ、恨みに生きてちゃいけない。
恨みに大切な時間を奪われちゃいけない。
そう思いました。

いざ、恨みを持たなければいけないような、
そんな経験をしたら、こんな思いはぶっ飛んでしまうでしょうから、
だからこそ、普段のこんな時に、
恨みに大切な時間を奪われるのは愚かなことなんだということを、
心に刻んでおきたい、ちゃんと明言しておきたい、
そのように思いました。

神さま、
アブサロムが2年間も恨みを持ち続け、
復讐の準備をしていたかと思うと、ぞっとします。
どうか、私を守ってください。
アブサロムのように恨みに時間を奪われているときがあったら、
どうか、私の心に語ってください。
2008年9月24日に、恨みに時間を奪われるなんてもったいない、
とそう思ったことを思い出させてください。
私の心を守ってください。








メールで投稿。

携帯で写真を撮って、そのまま携帯からメールで日本語で投稿できる。
日本はあたりまえのことが、海外でも、できるようになってきた。
2年前に、実験して失敗したけど、
今回は大丈夫でしょう。