2008-07-10

アメリカの靴下。

今日はぐっと湿度が下がって朝晩はさわやかです。
でも、昼間は暑かったです。
ドライだけど、暑い。

今、夜の10時過ぎですが、22度まで下がっています。
明日の朝は13度くらいまで下がる予報が出ています。
それはホントに肌寒いくらいですね。


そして、昼間は今日同様、暑い一日になるでしょう。


さて、今日の夕食時。
サキが、「パパとママこれからどこか行くの?」と聞いてきます。
それにたたみかけるように、「You guys need some private time.」だって。
なんでしょう?テレビかどこかで聞いたのかなあ。


で、その声に励まされて、夜8時半過ぎから二人で買い物へ。


目的は「靴下を買う」。

最近、靴下を買っていなくて、
軒並み靴下に穴が空いています。
子供の頃は、穴をふさいではいたりしましたが、
さすがに、今はしません。


でも、私は基本的に穴が空いていてもOKです。
気にしません。
アメリカでは日本みたいに靴脱がないし、
脱いでも椅子に座っている分にばれません。


で、結構穴が空いたまま使っていた靴下もあったのですが、
さすがに直径が5センチを超えると、「こりゃもうそろそろ寿命かな」
と思うわけですよね。


で、最近バンバン捨てていっているんですが、
そうすると、靴下がたりなくなってくる。
で、暑いのに冬用の靴下しかない、なんてことになって、
さすがに買わなきゃいけなくなったわけです。


でも、日本とアメリカで違うものがたくさんありますが、
その中でもこっちの生活で、かな~り不満なのが、靴下。


日本に行ったときには必ず買いたくなるくらい、こっちのはイヤです。


理由は主に二つありますが・・・


1.あんまり安いのは「かかとがない」
  うーん、5足で7ドルとか袋に入っているのは、
  なんだか、ただの筒?みたいなやつもあります。


  でも、これは安いのを買わなきゃいい。
  で、本当に困るのはもう一つの理由。


2.サイズがない。
  これはホントに何とかしてほしいです。私の足は24センチ。
  男性としては日本でも小さい方ですが、
  アメリカに来るとまさに1footで30センチくらいの人もざら。
  ですが、それでも靴はちゃんとサイズがあるんですが、
  靴下はないんですよね。
というか、一つのサイズでみんなをカバーしようとしている。

  One Sizeとか、「靴のサイズ 6-12用」とかあります。
  靴のサイズの6って22センチくらいでしょう。
  そこから30センチくらいの人までワンサイズって、いったい、何?
  そういうのを買うと、かかとが足首のところに来ます。
  だったら、1の「かかとがない靴下」の方がずっとまし・・・。


で、今日、お店行ったら、やっぱりないんですよねえ。
ちょうどいいサイズの靴下。
男用のSとか・・・。


で、のんちのおすすめで女性用を買いました。
ま、花柄とかじゃないですよ、ピンクとかでもなく・・・。
リボンもフリルもついてないやつ。

もちろん、あの強盗が頭にかぶる「ストッキング」(日本語の・・・)でもなく。


男女どっちでも大丈夫なようなやつ。


自分ひとりじゃ、婦人用を買う勇気はないですが、
のんちが「これがいいんじゃない?」と言うので、買ってみました。


まあ、考えてみたら、ご婦人でも私よりも足の大きい方は、
アメリカにはいくらでもおられるわけで・・・。

でも、何とかしてほしい・・・。



さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6章12-20節。

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり・・・」19節。


今日は自分の身をきよく保つことの大切さを戒められましたが、
(実際の姦淫はもちろんのこと、心の中の姦淫、目が犯す姦淫を含めて・・・)
でも、それ以上に、「聖霊様に住んでいただくこと」の大切さを思わされました。


そして、今、自分が実感として、「ああ聖霊様が住んでくださっているなあ」と感じているかというと、
実はそうではなくて、「私が気がつかなくても、意識していなくても聖霊様はいてくださる」と聖書から教えられているわけです。
で、今朝は「もしも実感として感じることが大切ならば、それを教えてください」と祈りました。
でも、今朝は「これだよ」と教えていただけなかったように思います。
そのときに、「ああ、これも聖霊様の自由な働きなんだろうな」と思いました。
自分が一生懸命求めたから、とか、
神様に喜ばれる歩みをしているから、とか、
実感として感じさせてくださる、のではなくて、
ある時には「実感として聖霊様の働きを感じる」ということを経験させてくださって、
ある時には、「自分の実感を頼りにするんじゃなくて、私の言葉である聖書を頼りにするんだよ」と教えてくださる。


でも、自分が気がつかないときにも、
もうすでに聖霊様は働いてくださっているんだ、
今日はもう一度そのことを感謝しながら、
もっともっと教えてください、と祈らされました。


聖霊様、
あなたの導きが必要です。
あなたがもっともっと圧倒的な力を持って私を満たしてくださることを求めます。
どうか、あなたの自由な働きで、私を導いてください。
私が主人になってあなたを利用するのではなくて、
あなたが私の主人となって、私を振り回してください。

2008-07-09

苦言を呈する気持ち、苦言を受ける気持ち。

今日はたぶん、夜遅くなると思うので、
今のうちにNYPLで更新。

昨日に比べるとずっと涼しくなりました。
でも、まだ乾いた空気は入ってきていません。
今夜これから雷雨があって、
そして、明日からはドライになると思います。


今、午後の4時頃ですが、
レーダーを見ると、NJの真ん中くらいまで雷雲が近づいてきています。
1時間後にはNYもにわか雨がありそうです。

NYに来たとき、

日系のお弁当でもいいんですが、
図書館のそばの日系のお店は混んでいるので、
どうしてもアメリカ系のファーストフードになってしまいます。


でも、最近その手の話がうちで話題になるんですが、
やっぱりカロリーとか、
脂肪分とか考えると日系の方がいいかな、と思って、
今日はランチが2時半になったので、
ランチの時間を過ぎて、ずいぶんすいていた日系のところに行きました。


お弁当買って、コーヒー買って、
食べてたんですが、
コーヒーがひどい。
濃いのか煮詰まったのか、
とにかく飲めない。


かなりStrongなコーヒーが好きな私でも
どうしても飲めない。



で、ちょっと手の空いていた店員さんに、
「あのコーヒー、なんだかものすごい濃いんですが・・・」と
これからくるお客さんのために、
またお店の評判のために、

半分親切心でお伝えしたんですが、
機械の方をチェックもせずに、
「ドリップしている途中のを入れたんじゃないですか?お湯で薄められますよ。」だって。


そこで反論する気も失せてしまって、
お湯で半分くらいに薄めて、クリームと砂糖をどぼどぼ入れて、
それでも濃かったです。


考えてしまいました。
自分は苦言を呈されたときに、どんな風に聞いているだろうか、
そして、苦言を呈する方はどんな気持ちでそれを話すか、
そのことを考えて聞いているだろうかと。

苦言を呈する方は、もう、どうでもいいかな、と思いながら、
やっぱりちょっと言っておこう、ということもたくさんあると思うんですよね。
自分が収まりつかない、って時もあるかもしれないけど、
それだけだったら、どっかで愚痴ればいいのかもしれない。
だから、苦言を呈するのは、「聞いてもらえる」「言って価値がある」と思うときですよね。
つまり「希望を持っている」時。


でも、自分が聞く側に立つと、そんな気持ちがなかなか伝わらなくて、
素直に聞けなかったりする。
こっちはプライドの問題でしょうね。
それはまた不安の裏返しみたいなもんで、
自信がないときほど人の話が聞けなかったりする。


「あの人には何を言ってもしょうがない」と言われないように、
聞く耳を持ちながら、でも、ロバを売りに行った親子のように、
周りの声に振り回されないように、大切な軸はしっかり持ちながら、
歩みたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6:1-11


「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」7節。

自分が損をすることでも、だまされていることができるでしょうか。
そしてだまされていていいんでしょうか。


考えさせられました。

これは教会の中でのことですよね。


よけい、ん~と考えてしまいました。

実際に自分が損をした時に、
この言葉の意味がわかるだろうと思います。


今までの私だったら、平気で「損をしよう」と言っていたと思います。


どうなんでしょうね。
これは宿題。ここで無理に何かを言おうとしないで、
自分が実際にこのような出来事に出会ったときに、
このみことばに従って与えられる恵みがあったら、
どこかで分かち合えるかもしれません。


でも、主が語ってくださったことは、
語ってくださったこととして、心にとめておきます。


主よ、
私はこのようなことに巻き込まれたくありません。
でも、巻き込まれたら、どのように反応するでしょうか?
私が将来、このようなことに巻き込まれたときに、
このみことばを覚えていることができますように。
そして、ただ、覚えているだけではなくて、
言い訳をしないで、抜け道を造らないで、従うことができますように。

2008-07-08

16年。

今日は朝から晴れて、めっちゃくちゃ暑くなりました。
今、夜の11時ですが、29度もあります。
東京みたいです。

明日は蒸し暑いですが、
雲も多く、今日のように暑くはならないと思います。
そして、午後からは雷雨。
木曜日からは湿度が下がって楽になりそうです。

昨日気がついたのですが、
この間の日曜日、7月6日は、
アメリカに来て、まる16年になる記念日でした。

16年前、まだ20代だったんですね。
3人家族でサンディエゴの空港に降り立ちました。

そのとき、どんなこと考えていたかなあ、と思い出していました。

2-3年勉強して帰ろうと思っていました。・・・これはNJに来て変わりました・・・。
そのころから、日本語教会で奉仕をしたいと思っていました。・・・これは今も変わりません。
英語がわかるつもりでした。・・・これは来てすぐ打ち砕かれました。ハイ。
学費は別として、家賃を入れて1000ドル以内、できれば800ドルくらいで生活できるようにとがんばっていました。・・・これは今思い出してもすごい、と思う。ときどき、「あのころを思い出せ」と思います。でも、やっぱり学生だからできたのかも・・・。


4人家族になって、NJに来て、
今の教会との出会いがあって、
11年前に牧師になって、
5人家族になって、
いろんなことがありました。


でも、この16年で、一番自分の中で変わったのは、
牧師の働きを甘く見なくなったことでしょうか。
16年前、学生ですから、自由奔放でした。
生意気なことをいろいろ考えていました。
今考えると赤面ものです。



なめちゃいけないですよね。
甘く見ちゃいけない。
今、牧師としての働きに恐れを感じます。 
神様の助けなしにはできない、実感を持って感じます。

ホントに謙虚に、主の助けを待ち望んで、
これからも仕えていきたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙5章。

「古いパン種を取り除きなさい。」7節。

教会で「愛」を盾に、いろいろな問題が取り扱われないで、
すんでしまうことがどれだけあるでしょうか?
本当はそんなのは愛ではなくて、
事なかれ主義で、自分が傷つきたくないだけで、
ただ、逃げているだけ、ということがどれだけあるでしょうか?

古いパン種を取り除く。
放っておいたら、全体に影響があって、
取り返しのつかないことがある。


自分を守ろうとしないで、
逃げないで、
古いパン種を丁寧に取り除いていく、
そのような知恵と勇気を与えていただきたいと思いました。


自分の人生を通じての課題だと思います。
愛するが故に対決する。
対決しつつ、愛する。

その大きさと強さを持たせていただきたいです。


主よ、
古いパン種を丁寧に取り除かせてください。
問題を問題として、取り扱う勇気を与えてください。
本当に愛を持って問題に立ち向かう強さを与えてください。

2008-07-07

JOYJOYキャンプモード

今日も蒸し暑かったですね。
「ガソリン燃やさず、体脂肪燃やせ」のスローガンのもと、
今朝、サキを町のデーキャンプに連れて行くとき、歩いたら、汗びっしょり。


この蒸し暑さはあと2日くらい続いて、木曜日からましになるようです。

ホントかな?


これはホントに当たってほしいです。


さて、今日は牧師会で一日出ていましたが、
頭の中は、どちらかというと、JOYJOYキャンプモード。
あと5週間しかないので、
かなり追い込んでいます。


で、これは去年のテーマ(ワンダー博士の大冒険)だったらよかったのになあ、
去年、見ていたらなあ、と思った映像。
去年静電気の実験をしましたが、ここまで面白い方法があるとは・・・。

今年のテーマ(きらリンピック)でも工作で使えるかな。
「体操の選手」とかで・・・。



昨日の「でんじろう」先生が今日も登場です。







情報をたくさん集めて、その中でどれを使うか、
何よりも子供たちの目の輝きを思いながら選ぶ、それが本当に大切ですね。
テレビよりも楽しく、ビデオゲームより引き込まれ、
でも、思いっきり、神様のことを伝えられるキャンプとなりますように。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙4章6-21節。


「私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。」14節。

自分はいったいこの愛を持っているだろうかと思いました。
この手紙の中でパウロはかなりきつい態度を取り、
きつい言葉を使っています。

でも、それは愛ゆえだったんですね。
その愛を自分は持っているだろうか。
考えさせられました。
「神様にゆだねる」という言葉を使いながら、
本当は面倒から逃げている。
対決する愛から逃げている。

愛することをもっともっと教えてほしいと思いました。

主よ、
私に愛を与えてください。
人を愛する愛を満たしてください。
逃げないで、語る愛を与えてください。

2008-07-06

もりだくさんの日曜日。

今日は昼間はどんよりとして蒸し暑い日でしたが、
夕方から、雲も切れてきて、
湿度もちょっと下がってきました。

そんな中で、夜は町の花火を見に行ってきました。
去年、ずいぶん派手になったので、「おー」と思ったのですが、
今年は去年並かちょっとおとなしめ。


でも、十分楽しみました。

それからテレビで野球観戦。
テレビをつけたら7回で4-4の同点。

そのあと、両者譲らなかったのですが、
延長10回サヨナラ勝ち。
やっと溜飲が下がった感じ。



そして、やっとこのページに取りかかったところです。

今、夜中の12時前ですが、外は23度くらい。
明日もまだ雷雨が降りやすい、蒸し暑い一日になりそうです。


今日の教会は夏休みで日本に帰った方も多く、
連休でお出かけの方もおられて、
来られた方は、いつもより、少なかったですが、
それでも、本当に幸いな日曜日になりました。
ひとりひとりが共に祈り、
みことばに応答している姿に励まされます。

あと、子供たちにも聖餐式の意味を話すときが与えられました。
サキに「わかった?」と聞いたら、「うーん・・・」という返事でしたが、
大切な一時だったと思います。
来週はThe BRAVEの先生が、洗礼式の話をしてくださいます。
子供たちがそれらのことを少しずつ、消化してくれますように。



JOYJOYキャンプもあと5週間になり、
これから追い込みです。
今日もミーティングをしました。

テーマソングの録音も着々と進んでいる・・・ようです。



結構何回もやってきた、
空気砲という工作があります。
JOYJOYでは、子供の発明なのですが、
その上にコップを乗せて、「空気砲ロケット」で遊んでいます。


で、今日、こんなビデオを見つけました。





うーん、いつか、JOYJOYキャンプでもやってみたい・・・。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙の3章16節から4章5節。


「しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。」4:3-4

きょう、ここを読みながら、自分はこのように言えるだろうかと思いました。
そして、まだ、私の心の中の「謙虚さ」とか「傲慢さ」の基準が、
人間同士の中での関係にどれほど支配されているかと見せつけられました。

結構衝撃的でした。



自分はまだ、人との関係で、「謙虚」になりたいと思い、「傲慢」と思われたくない、
と思っているのではないだろうか。
また人を見るときに、人間関係の中での謙虚さや傲慢さの方に目が留まって、
その人が神様の前に謙虚であるかどうか、をちゃんと見ているだろうかと。

神様の前の謙虚さ、神の前にへりくだっていること、
それが大切なんだと、今日は思わされ、
どこまでも、主の前にへりくだった歩みをさせていただきたいと思いました。


主よ、
どうか、あなたの前に謙虚な者としてください。
人との関係が前に出て、
あなたとの関係から目が離れてしまうことがないように、
どうか、私の歩みを守ってください。
今週一週間も、なすべきこと、一つ一つ教えてください。
一つ一つの出会いが祝福されますように。

2008-07-05

動くことと静まること

今日は一日どんよりとして、
時々雨が降る、日本の梅雨のような蒸し暑い一日でした。

去年のこのころも蒸し暑かったり、
雨が降ったり、涼しかったり、だったみたいですね。
でも、今年はホントに蒸し暑い・・・。


今日は朝から教会で祈り会。
ホントはハドソン川沿いの公園でするのですが、
天気が悪かったので、今日は教会に場所が変更になりました。
先月は4人と寂しかったのですが、
今日は10人と2倍半になって、
ホントにぎやかでした。
出エジプト記19章からの学びもよかったです。
神の前に畏れることの大切さを忘れないでいたいと思いました。


でも、その後は今日はずっと明日の準備。
お休みもいただいていたので、
やることがたまっていました。
ホントはばたばた動いていたい方です。
いろいろな人に会ったり、
走り回っていた方が、伝道しているつもりになりやすいです。
牧師の働きをしているつもりになりやすいです。

でも、このようなときが大切なんだろうと思って、
祈りつつ、準備をしていました。

「祈りとみことばのご用に専念する」ということの大切さ、
そして、それを意識的にすることの大切さを思わされました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント第一の手紙3章1-15節。


「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」12-13節。

土台はイエス様、
でも、その上に何を建てるか?
それが伝道者、牧会者の働きなのだ、ということです。
その真価は、火の中でわかると。

火の中で焼けてしまうような働きがある。
でも、火の中で残るような働きがある。

それは普段はわからない。
もしかしたら、わらの教会の方が、
普段は元気に見えるかもしれない。
魅力的に見えるかもしれない。

でも、その真価は火の中でわかる。

火に耐えるような教会形成をさせていただきたいと思います。
そのようなものを祈っていこうと思いました。

そして、いつの間にか、
周りが気にならなくなっている自分がいました。

ただ、人々を愛し、
人々にそのときそのときに必要な励ましと、戒めと支えを示すことができるような、
神様を示すことができるような働き人になりたいと思いました。
心から主に感謝しました。

主よ、
あなたが私の心にふれていてくださることに感謝します。
何が大切なのか、目を開いてくださっていることに感謝します。
どうか、火の中にも耐える教会形成をさせてください。
見るべきものを見て、見なくてもいいものを見ない者であることができますように。

2008-07-04

雨、雨、雨。

7月4日、一日で6回分更新しました。
下の方から上の方への順番です。
雨が続くようですね。
帰って天気予報を見たら、こんな感じ。
見事に「Heavy Rain」が続いています。
日曜日のうちの町の花火もどうなるでしょうか?
その後も、蒸し暑くて、雷雨の多い夏となりそうです。
今日は昼の12時のチェックアウトの時間ぎりぎりまでのんびりして、
プールに入ったり、ゴロゴロしたりして、
(朝はばっちり5時半に目が覚めましたが・・・)
そのあと、MITやHarvardという名門大学、
Chinatownや本拠地のFenway Parkを含めて、敵地視察をしてきました。
でも、カミングアウトすると、ホントのところ、ちょっと心惹かれているかも・・・。

なんだか、自分の育った東京の下町に通じるものがある感じがして・・・。
同じにおいがするって言うか・・・。
水のある風景でしょうかね。
それから、今回、こんなモノが売られているのに気付きました。
でも40ドル。
「ちょっと高いよねえ。ネットでもっと安く売られているんじゃないの?」と
調べてみましたが、そんなもんですね。
ちょうど最近サキがチェスに目覚めているので、いいかも。
 
やっと追いつきました。
今日の聖書。

今日はコリント人への第一の手紙2章1-16節。

「この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです」13節。


結局のところ、聖霊様をいただくこと、
聖霊様に従うこと、聖霊様に満たされることがどれほど大切なことかと思わされました。

もうそこでは人の知恵とか、教えられるとか、そういうことを超えて、
神様のことが見えてくる、神様の導きが見えてくるのだと。

自分もどれだけ常識とか、知恵とかに縛られているだろうかと思います。
真剣に祈り、神様に聞き、それに従って歩む者でありたいと思います。

主よ、
聖霊様を求めます。
どうか、私の内にあふれ、あなたのみ業をなしてください。
そして、私に教えてください。
あなたの御心を示し、
あなたの愛を満たしてください。

十字架を語る。

7月4日は独立記念日の休日。
今日は全国的にお休みの日です。
Paramusの町の花火は7月6日だそうです。
ここら辺は日曜日はショッピングモールが休みなので、
ショッピングモールの隣のグランドで花火を上げるうちの町にとっては、
それがちょうどいいんでしょうね。
明日の朝は祈り会。
今日は早めに帰って・・・と言っても9時半でしたが・・・
明日に備えます。

さて、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第一の手紙の1章18-31節。


「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」22-23節。

人の求めるものが、神様から「語りなさい」と与えられることと違うことがどれだけあるでしょうか?
それは本当にストレスです。
でも、人の求めることを語っていたら、それは伝道者失格です。
そして、それは本当の愛ではありません。

届くことを語りたいという思いはあります。
でも、それが人間の小賢しい考えに寄ってであってはならないのです。
ただ、聖霊様がそのようにふれてくださるときに、
伝わっていく、それが大切なんだと思います。

ただただ、忠実にイエスの十字架を語り続けることなんですね。

「しるし」・・・私も求めます。
「知恵」・・・なるほどなあ、とうなるようなメッセージを語る人もいます。

でも、それらがキリストの十字架よりも大切になってしまうならば、
全然違うものになってしまうのでしょうね。

主よ、
私の中にもっともっとはっきりとイエスの十字架を刻んでください。
そして、いつもいつも馬鹿のようにキリストの十字架を語る者にしてください。
そして、そのとき、聖霊様、どうかひとりひとりの心に、
そのことが伝わるように助けてください。
いや、それはあなたの御手の中にあることです。
よろしくお願いします。

Fire Alarm騒動。

3日の朝のことでした。
泊まったところはもちろん朝食付きのところ。
それも、マフィンとシリアルとコーヒー・OJだけじゃなくて、
ちゃんとした朝食が付くところをねらいました。

そして、9時すぎに水族館に行くために、
あわてて朝の食事をしていたのですが、
途中で、ピピピ・ピピピと鳴っています。
私「ありゃ、これは誰かが火事を出したのかな、
しょうがないなあ・・・。」
サキ「サキの学校のfire drill(避難訓練)みたい」
のんち「こんな音で大丈夫なのかしら」
私「あんまり迫力ないねえ、Drew大学の寮の時なんか、
ワオン・ワオンで、すごかったよねえ。でも逃げなくていいのかな」
そして、しばらくして「あ、止まったねえ」なんて話していました。

さらにしばらくしたら、マネージャーらしき方が、つかつかと近寄って声をかけてきました。
「あの、406号室にお泊まりですか?」
私「あ、はい」(ちょっとどきっとする)
マネ「先ほどのfire alarmですが、お持ちのvaporizerが煙探知機の下にあったので鳴ってしまいました。場所をずらしておきましたが、くれぐれもご注意ください」
私「あ、そうでしたか、申し訳ありません。・・・」

んー、vaporizer(加湿器)は持ってきていません。冬じゃあるまいし・・・。
じゃなくて、rice cooker(炊飯器)でした。(爆)

かきごおり家はこのような時にはほぼ毎回炊飯器とお米を持って回り、
朝ご飯を炊いて、昼はおにぎりでランチ代を浮かします。

今回も例外ではなく・・・

お米を洗ってスイッチを入れておいたのでした。

でも、こんなことは一度もなかったのですが、
たまたま、おいたところか悪かったみたいですね。

でももちろん、「vaporizerじゃなくてrice cookerですよ」なんて野暮なことは言いませんでした。
やぶ蛇になっても困るので・・・。


教訓・・・ホテルの部屋でご飯を炊くときは煙探知機の場所を確認してからにする。

さて、2日(水)の聖書。
2日はコリント人への第一の手紙1章17節。
「キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。」17節。

なんだか、もう一度自分の使命を再確認されました。
もちろん、バプテスマを授けること、
そして、クリスチャンの成長のための道のりを共に歩むことも大切な使命だと思っています。
そして、それをどれだけ自分が願っているかと思います。

でも、それが許されないケースもある。
たとえば、福音を伝えたり、救いへの導きをさせて頂いたり、
そこまでは役割を与えられていながら、洗礼は他の方が授けたり、
教会は他の教会に導かれたりすることもある。

それでも一つの使命を果たしたのだと。
そしてそれを感謝しました。

それが本当に大切な使命の一つなのだと。

これからもこの働きを第一にしていきたい、
福音を伝えることを必死にしていきたいと思いました。

主よ、
私も福音を伝えるために遣わされています。
どうか、福音を伝える者としてください。
そして、その後の洗礼や弟子訓練の道が閉ざされたときにも、
あなたの平安が私の心を満たしますように。
すべてをあなたにゆだねることができますように。

Holinessに招かれている!

先日、JCCNJの礼拝にも来てくださり、
我が家にも滞在してくださったはちこさんとぼぼるさんの教会の牧師さんは、
1週間の個人的なリトリートに行かれたと言うことです。

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そして、それが自分の弱さを認めて、
問題が起こる前に、問題が起こりそうになる前に、
整えるべきものを整えるためだと・・・。

本当に大切な姿勢だと思いました。
このような施設が日本語でもあればと思いますが、
英語でもいいから、このような働きのお世話になりたいと思いました。

牧師研修会を昨年から李先生が企画してくださっていますが、
次回は今年ではなく来年だそうです。

それも牧師がたくさん集まり、
励まし合い、共に祈ることもすばらしいことだと思いますが、
個人的にただ自分と神様との関係を問い、
また夫婦の関係を考える時はとても貴重だと思いました。

でも、実際のところ、そのような働きを利用できるのは、
だいたい、子供が大きくなってからですよね。
本当にそのような働きの必要を切実に感じるのは、
子供が小さいときなんですがね・・・。

何とか今の状況の打開のために、
次の世代の働き人のためにも、
私のできることはないだろうかと、
思わされるこのごろです。

さて、火曜日の聖書。
火曜日は新しく、コリント人への第一の手紙を読み始めました。


「To the church of God in Corinth, to those sanctified in Christ Jesus and called to be holy・・・」2節。

いつも新改訳聖書とNew International Versionの対訳の聖書を読んでいるのですが、今回は特に英語の"called to be holy"のフレーズに心が留まりました。

私たちはきよくなるように招かれたのです。
きよい者となるようにと呼ばれているのです。

救われて、それでいいというのではなく、
救われて、きよい者となるようにと招かれている。
そのことが今回は決して重荷ではなく、
わくわくするような、
楽しみになるようなこととして受け止めることができています。

主は私たちをきよくしようとされている。
そのためにいろんなことを与えてくださっている。
それに心から感謝します。

主よ、
あなたの招きに感謝します。
あなたが私をholinessに招いてくださっていることに、
心から感謝します。
どうか、あなたの思いのままに、私をきよめてください。

海に癒される。

3日の敵地は暑い一日でした。
そして夕方には激しい雷雨。

NYは雷雨は免れているようですね。
でも試合の間1回くらいは雨にやられるのでは・・・と思いましたが、
結局大丈夫だったみたいですね。
でも、結果は完敗だったみたいで・・・。

今日は「鯨見物」に行ってきました。
水族館から高速船に乗って1時間あまり。
沖合の鯨が夏を過ごすポイントまで行って、
そこで30分あまり鯨見物。
結構たくさん集まっていました。
あっちこっちで潮を吹いて、顔を出したり、尾を出したり・・・。

なかなか楽しかったです。

でも、向こうの方に見える船の前では、
鯨が全身ジャンプを2回していました。
まるでテレビや写真で見るような見事なジャンプ。
これはホントうらやましかったです。

でもいずれにせよ、行ってよかった!という経験でした。


今回わかったのですが、
私はかなり海が好きみたいです。
船に乗っているとき、
港の桟橋を歩いているとき、
本当に心がリフレッシュされるのを感じました。


元気をもらいました。


さて、月曜日の聖書。
6月の最後の日はサムエル記第一の最後。31章でした。

「サウルは、道具持ちに言った。『おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。』しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。」4節。


サウルは最後まで自分の運命を自分で何とかしようとしたのです。
すべてが神の御手の中にあることを認めようとしないで、
ぺりして人になぶり者にされるのを恐れて、
自ら命を絶ったのです。

自分もどれだけ、自分のこれからのことを、
自分の手の中に納めようとすることが多いかと思わされます。
そんなことをはあり得ないのに、
何とか自分の手の中に納めようとするのです。

本気で主を信頼して、
本気で主がなされることを最高のこととして、
受け入れて歩んでいく者でありたいと思いました。

主よ、
あなたの御手を信頼します。
あなたがいつも最高のことをしてくださることを信頼します。
どうかその気持ちが揺るがないように守ってください。
どこまでもあなたを信頼して歩む者としてください。

敵地視察。

結局一回も更新できませんでしたが、
ネットにつなげられないだけで、
原稿はあるので一気に更新。


3日から宿敵がNYに乗り込んでくるにあたって、
2日から敵地視察に行ってきました。


午後3時半頃には投宿。予定ではもっと早く着くつもりでしたが、
途中大事故があって大渋滞で、1時間くらい余計にかかりました。
たくさんベコベコになった車があって、
大変だなあと思いました。
中にはやはりせっかく休暇を取って来られている方もおられたでしょう。
またその先にはソファーが道の真ん中に落ちていました。

気をつけなければいけないなあ、と思います。

今回ちょっと郊外のホテルがクレジットカードのポイントのプロモーションで取れたので、
ただで泊まって、途中まで車で行って安く駐車。
そこから電車で市の中心地に入りました。

とてもきれいな町並み。
そして、港。
今から10年以上前に、
Cape Codにキャンプをしたときにちょっと寄っただけだったのですが、
そのときはあちらこちら工事中でやたらごみごみしていて、
やたら駐車料金が高かった思い出があるのですが、
今回は一発で好きになってしまいました。

やばいかも・・・。

Quincy Marketでクラムチャウダーを食べ、
港までぶらぶら歩き、すっかり観光客をしてしまいました。

さて、今日は日曜日の聖書。
日曜日はサムエル記第一30:21-31でした。

「兄弟たちよ。【主】が私たちに賜った物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。
・・・戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」23-24節。


主によって与えられたモノを分かち合う心。
その大切さを思わされました。
神様から与えられたのだから・・・。

私たちはすぐ「自分で稼いだのだから・・・」
「自分でがんばったのだから・・・」と思ってしまうんですね。

でも、本当はそうではない。
神様が与えてくださった。
神様が託してくださった。

そう思うと、分かち合うことができる。
もっともっと気楽に分かち合うことができる。

「受けるよりも与える方が幸い」

もっともっとこのことを経験させていただきたいなあと思います。

主よ、
あなたがいつもいつも必要を与えてくださっていることに感謝します。
どうか、あなたの与えてくださったモノを
もっともっと喜んで与えることを経験させてください。
分かち合う喜びを与えてください。

2008-07-01

主によって奮い立つ。

今、夜の11時前。
なんだか、さわやかな風が入ってくるようになりました。
気温は順調に下がってきています。
今、外は22度。熱帯夜だとこの時間でも30度くらいありますからね。
助かります。
明日の朝は15度くらいまで下がって、気持ちのいい朝になりそうです。
さて、今日2回目の更新。
これは土曜日(6月28日)の聖書。
「日々のみことば」は実は今日から新約聖書、コリント人への第一の手紙に入りました。
忘れないうちに・・・と思います。今日は私は英語のNIVのcalled to be holyが心にとまりました。
詳しくは次の次の次の更新で・・・。

さて、土曜日はサムエル記第一30:1-20。

「しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」6節。

落ち込んで泣き、嘆いていたダビデとその部下たち。
でも、ダビデはいつまでもいつまでも嘆いていたのではありませんでした。
決して嘆くことが悪いことではないでしょう。
でも、ダビデはある時点で神様から力をいただいて立ち上がったのです。

神様の励ましをいただいて、
神様の癒しをいただいて、
神様のおしかりをいただいて、
立ち上がることがどれほど私たちにとって力になるでしょうか?

私自身、賛美を歌いながら、立ち上がる経験を何度したことでしょうか?
賛美の中で、語られて、奮い立たせられて、
立ち上がったこと、どれだけあったことかと思います。

みことばによって立ち上がったことも何度もありました。

人の言葉もありがたいモノです。
でも、私自身のことを言うと、
人の言葉で考えさせられたことがあったり、
慰められたことがあったり、
存在自体に励まされたり、
絶対人の存在は必要なんですが、
でも、最終的に「奮い立たせられる」となると、
これはもう聖霊様の働きしかない、
神様が賛美やみことばや祈りの中で語ってくださる、
それしかないなあと思います。

主によって奮い立たせられる、
その経験をもっともっとさせていただきたいです。

主よ、
みことばによって、立たせてください。
賛美の中に語ってください。
聖霊様によって奮い立たせてください。
どうか、あなたの力を経験させてください。

一日が早い・・・。

明日から休暇をいただいていて、
July 4thまで3連休なので、
(ふつうの方は金土日と何もしなくても三連休なんですね・・・)
今日のうちに追いついておこうと思っていたのですが、
あっという間に一日が終わってしまいました。


7月の説教計画を準備していたり、
弟子訓練のテキストを翻訳していたり、
日曜日の説教の準備も・・・と思っていたのですが、
手つかずです。

休み中にちょこちょこ準備していこうと思います。


更新もできる範囲でやっていこうと思います。


夕方、日が傾いてから庭掃除。
ハジに芝刈りと生け垣の刈り込みどっちがいい?と聞いて、
芝刈りを取られたので、刈り込みをしていました。
全然終わらないうちに8時。


ま、それだけ充実していたということで・・・。


天気は暑かったです。
でも、湿度はちょっと下がったかな。


今のdew pointは61度。昨日よりちょっとだけ下がりました。


さて、先週の中高生のキャンプですが、
私自身もいろいろなことを語られました。


今回は講師の李先生がヨセフの生涯から語ってくださいました。
ヨセフは17歳で兄弟たちに売られてエジプトの奴隷となります。
でも、そこで本当に忠実に働いて、
主人に認められます。


でも、彼がいい男だったので、
主人の妻は彼に言い寄ります。
でも彼は断固として拒否。
ある日、二人きりになったときに、強引に彼女は彼に言い寄りますが、
彼に拒否されて、捕まえていた上着を証拠に、
「ヨセフに襲われそうになった」と嘘をつくのです。

ひどいぬれぎぬです。

自分がそんなぬれぎぬを着せられたらどんな気持ちがするだろうか、
どんなに悔しい思いがするだろうかと思います。

その手のぬれぎぬは決して着せられないようにと

細心の注意を払ってきたつもりです。
それと、自分の弱さの中で守られるためにも・・・。


ヨセフもそうだったんだろうと思います。
でも、それでも、着せられた濡れ衣。


主人にもわかってもらえなくて、
今までまじめにやってきたのに、信頼してもらえないのかと、
どんな悔しい思いがしただろうかと思います。


でも、ヨセフは人生を投げなかった。
嘆いて過ごさなかった。


ただ、主の前に真実に歩んだ。


そのような歩みをする者でありたいと思いました。

さて、金曜日(6/27)の聖書。
サムエル記第一29:1-11でした。

「私が何をしたというのでしょうか。」8節。

ダビデはこのとき、嘘をついていました。
うそをついていると、その嘘がばれないように、
また次の嘘をつくようになります。

本当にここのダビデの行動は納得いかないモノがあります。
でも、おそらくそれは自分がダビデを理想化しているのだと思います。

自分がこの状況に置かれたら、
どうだろうかと思うときに、
果たして自分はダビデを批判できるだろうかと思います。

真実に生きたいと思います。
嘘に嘘を重ねるような歩みではなく、
真実な歩みをさせていただきたいです。

主よ、
私の歩みをお守りください。
あなたの前に、また人の前に、
真実な歩みをさせてください。
真実に歩むことができるように、
私の歩みを守ってください。

2008-06-30

音楽の力。

今日も昨日ほどではなかったですが、
まだ蒸し暑かったですね。

この時期暑さをはかるために、
気温の高さと共に大切なのが、
dew pointです。
日本語では露点といいますが、
つまり今の空気を冷やしていった時に結露する気温。
それが空気中の水蒸気量をはかるスケールになります。



昨日の朝はラジオで言っていたのが72度F。
つまり、23度くらいで結露してしまいます。
単純に言ってしまって、
昨日の朝の空気を23度まで冷やすと霧が出るということ。


これはかなり水蒸気量が多い。


今は62度です。

まあまあです。


明日も今日と同じような天気。
ちょっと暑く感じるでしょう。


さて、昨日のHongo Familyをお迎えしてのコンサート。
本当にすばらしかったです。
Mr. Hongoの音楽の才能はまたすばらしいのですが、
それだけのことを超えている人を動かす力があります。


奥様もとても楽しい方。
息子さんはアメリカのトップ3と言われる大学全部から入学許可をもらった
天才児ですが、そんなことは言われなかったら全然そんなことわからない、
穏やかな、楽しい、暖かい、息子さんです。


ホント、私は確信するのですが、
音楽は人の心動かす力があるのですが、
単に整った音楽がそうなのではなくて、
人格に結びついて、その内面から流れ出るモノが人を動かすんだと。


だから、思いきっていってしまうと、
音楽は「手段」なんでしょうね。

その人の内側にあるモノを、周りの人に伝える「手段」。
そしてそこには、言葉が持っている力、アートが持っている力とは、
また違う力がある。


昨日のコンサートは本当にその力を感じた一時でした。

さて、先週木曜日、6月26日の聖書。
聖書箇所はサムエル記第一28章3-25節。


「サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。」 5節 。

サウルは何度も勝利を得ていたのに、
このとき、恐れにとらえられていた。 
それは状況の厳しさ以上に、
神様との関係であったと思う。
そして、神との関係を失ってしまったサウルが頼るのは、
霊媒であり、死んでしまったサムエルの霊だった。


昨日のコンサートでも語られていたのだけれども、
私たちの問題が大きいと感じるとき、
神様が小さく見えてしまうことがある。

でも、本当はそんなことはない。
神様はこの世のどんな問題よりも大きな方。


問題の中でも、そして、問題に出会う前にも、
神様と共に歩んでいく、
神様との関係の中に歩んでいく、
その大切さを思わされる。

主よ、
この世の中にはあなたよりも大きな問題はありません。
でも、私たちはあなたにもどうにもならない問題があるかのように
勘違いしてしまいます。
どうか、あなたの関係の中で、
あなたが共にいてくださる、という平安の中で歩む者としてください。

2008-06-29

晴れましたねえ。

今日はちゃんと晴れました。
野外礼拝もばっちりでした。
子供を入れて100人以上の方々が集まって、
楽しい一時を持ちました。


でも、午後には雨。

私はちょうど夕方からのコンサートのゲストを
迎えに行っていたので、お迎えに行ったJersey Cityで降られて、
ちょうど、お乗せしているときが、

雹混じりの滝のような雨でした。

それから20分後くらいだと思いますが、
野外礼拝の公園も雨にやられました。


野外礼拝の写真はこちらですが、
その最後に雨の中でテントが崩れていく図があります。

皆さんのご奉仕に心から感謝です。


夕方のコンサートのことを含めて、
「日々のみことば」は明日こそ、アップします。

 

無事帰還。

今日、無事帰還しました。
中高生のキャンプは李先生のメッセージには励まされ、
中高生の証には教えられ、
中高生の姿に元気をもらい、

ちょっと、バレーとか、サッカーとか、卓球とか、腕相撲とか、夜更かしとか、
まともに張り合ってしまったので、さすがに疲れました。

2時頃には帰ってきたのですが、
そのまま教会で中高生の集まり。
その後シャワーに帰ってきて、すぐに男の弟子訓練クラススタート。

先ほど一段落して戻りました。

今日は野外礼拝です。

雨も大丈夫だと思います。

「日々のみことば」の更新は今夜・・・できるかな。

2008-06-26

庶民の耳にはモーツアルトがいい。

日付が変わってしまいました。
でも、25日のつもりで書きます。
さっき帰ってきました。

今日の夜は教会のメンバーで指揮者の若者の室内楽のコンサート。
ビバルディーから、モーツアルトから、ショスタコービッチから・・・いろんな曲が楽しめてよかったです。
さすが芸術家、こういうところではホントにpassionateでした。
でも、ショスタコは「わからないだろうなあ」と思っていましたが、やっぱりわかりませんでした。
庶民の私にはやっぱりモーツアルトがいい。

高校の桶に入ったら、それは合唱班と合同でオペラをやるクラブ。
すっかりオペラファンになってしまいました。
今じゃあ、メットがそばにあっても、16年間で1回しか行ったことがありませんが、
やっぱりオペラはいいです。
(そのころはモーツアルトはトロンボーンの出番が少ないので・・・モツレクを除く・・・すきではありませんでした)
モーツアルトは「フィガロ」からだったのですが、
アリアもよかったですが、レチタティーブォがよかったです。
かっこよかったです。

歌手の若い女性も上手だし、きれいだし、これからが楽しみです。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一27章~28章2節。

「ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。」1節。

今日の箇所は悩んじゃいましたね。
これ以外に方法がない、って。
今までダビデの信仰はすごい、と思ってきて、
そのように主を信頼する歩みをしたいと思ってきて、
でも、今日の箇所で、ダビデは今までいつも彼を支えてきた神の守りを忘れてしまったかのように、簡単に「これ以外に方法がない」と言う。
そして、彼の歩みは血なまぐさくなり、嘘で固められていく。

自分もどうだろうかと思う。

本当に主に信頼して歩んでいくときに、どこまでもどこまでも、最後まで信頼していけるだろうか?
私も弱い者だ。すぐに失敗をしてしまう者だ。
気をつけていなくては・・・と思った。

主よ、
あなたの御心を求め、
見極める目を与えてください。
恐れることから解放して、
あなたの喜ばれる歩みができますように。

明日から中高生のキャンプで、
携帯も、ネットもない(たぶん)ところに行きますので、
次の更新は土曜日の夜・・・できるかな?

2008-06-25

走っちゃダメかも。

午前中・・・は無理でしたね。
明日から中高生のキャンプなので、
NYの図書館で日曜日の準備をしていました。

もう一つ今日中にやらなければいけないことがあるのですが、
とりあえずここら辺で更新。


お天気的には今日はいい天気で何も言うことがない、
・・・というか、「何も言うことがなくてつまらない」です。


で、気持ちはこの後、木・金・土と続く中高生のキャンプと
日曜日の野外礼拝の天気。

やばいじゃん・・・。

金曜日が降水確率30パーセントなのが救いですが、
90度は暑いですよね。
(2週間前の100度近かったのよりはましですが・・・)

そして、日曜日!74度はいいですが、60パーセント!?
この日は教会の年に一度の「野外礼拝」。

みんな楽しみにしているのに・・・。
この際、天気予報には、思いっきりはずれてもらいましょう!

昨日は午前中は火曜礼拝。
最近では一番たくさんの方が来られましたが、
それは、ある方の日本のご家族が来られたため。
うれしかったです。

そして、礼拝後もっとゆっくりお話ししていたかったのですが、
その後、8月の末にもたれる東海岸の日本語教会合同ファミリーキャンプの会場の下見に行く予定があったため(私はこれで3回目・・・)失礼させていただきました。ちょっと残念。

その後、8人乗りのミニバンに7人が乗って、車を飛ばして、会場へ。
そして、目的を果たして帰ってきたのですが、
行きは私のお薦め(そして、Google Mapsお薦め)の道で高速道路をとばしました。

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ところが、帰り道、ひとりが「こっちから行こう」と一般道を推薦。


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夕方は夕方で予定が入っていた私(ドライバー)は「え~」だったのですが、
ここで天性の「みんながそう言うなら・・・」と答えてしまう性格が出てしまって(笑)、一般道で帰ってきました。そしたら、いきなり、7人乗ったら「え~この坂きつい!」という上り坂。NJで一番高いところを通るルートでした。(といっても標高550メートルですが・・・)

でもその後なだらかな坂を下りながら思いました。

高速道路は楽でいいけど、そんなにあわてなくていいなら、こっちがいいよなあ、と。

周りの景色をゆっくり見ながら、
ちょっと途中の農園かどこかに寄り道しながら、
ドライブした方がいいですね。

ちょっとあわただしく走りすぎているかも・・・。

あんまり走っちゃダメですよね。

さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第一26章13-25節を読みました。

「もし私にはむかうようにあなたに誘いかけられたのが主であれば、主はあなたのささげ物を受け入れられるでしょう。しかし、それが人によるのであれば、主の前で彼らがのろわれますように。」19節。

このところ、毎日、ダビデの主を信頼する思いにうならされます。
主の支配のもとに生かされていることを感じて、
実際、ダビデは何度も何度も危機的なところを主に守られて、
生かされている中で、
サウル王を手にかけるチャンスにも、
「彼は主に油を注がれた者だ」と手を下しませんでした。

この信頼、主の御手の中にある感覚、
自分も持ちつつ歩みたいと思います。

「どうして?」と思うこともあります。
でも、主が許されたことであるならば、
最終的には主が責任をとってくださいます。

だから、いつもいつも主の御心を求めて、
どのようにすべきなのか、知恵をもらって進んでいきたいと思います。

神様、
あなたを信頼することを教えてください。
ダビデのようにあなたを信頼させてください。

2008-06-24

また、明日。

今日はまたいろいろなことがありすぎて、
へろへろなので、明日のNYDayに備えて
早めに休みます。

明日の午前中に今日の分、更新できると思います。

ではでは。

2008-06-23

卒業。

今日も時々雨が降ったり、でしたが、
たいしたことはありませんでした。うちのあたりは・・・。

でも、また今夜これから降ってきますね。きっと。

そして、明日は空気が入れ替わって、Dryになると思います。

さて、今日はユキの卒業式。
Middle Schoolの卒業式なのですが、
会場はHigh School。
体育館だったので、とてもオープンな感じで、
明るい卒業式だったのですが、
エアコンがなくて暑い・・・。

でも、幼稚園の頃、みんなで歌を歌っている中で、
ひとり、何もしないでじっと固まっていて、
最後まで、手も足も口も全然動かないで終わったコンサートのことを思い出しながら、
「ああ、ここまで成長したんだ・・・」と感無量でした。
思わず涙が出てきそうになりました。

最近、学校のことを少しずつ自分から話すようになってきて、
今日も友だちと記念撮影をしたり、
ちょっと変わってきたなあと感じています。
当たり前のことができるようになってきたことがうれしくてしかたがありません。

午後には近くのパーティー会場を借り切って、親同伴の卒業パーティー。
3年前のハジのパーティーの時に比べると、かかる音楽が違う。
最近のダンスミュージックはまたちょっと変わってきているようですね。
そして、自分の知っている懐メロが少ない。
ユキも父親と踊ってくれない・・・。
ちょっと乗り切れないパーティーでした。

でも、「最近、子供たちのネタはあるけど、のんちはどうなの?」
という声が寄せられたので、
ちゃんと踊っているのんちのビデオを撮りました。
今日はもう遅いのでまた今度アップしますね。

で、うちに帰ってきたのが夕方5時過ぎ。
高校生からちょっと上の子たちが5人集まっていました。
彼らも今日でテストが終わったり、
仕事をしている子もたまたま休みだったり・・・。
とてもくつろいで、留守番のサキの相手もしてくれていました。

そのままみんなで楽しく大家族の食事。
あっという間に盛りだくさんの一日が終わりました。
ひとりひとりの人生に神様が与えてくださっている、
特別なことに感謝しながら・・・。

今日の聖書。
今日はサムエル記第一26章1-12節。

「私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。」11節。

アビシャイという家来がダビデに言っているように、
これは神様が与えてくださった千載一遇のチャンスにも見えます。
でも、ダビデはそのようには思いませんでした。
神様ご自身が彼を打たれる。
自分は手を下すべきではないと。

同じ状況を見ながら、
ひとりは「神様が彼を私たちの手に渡されたのだ」と感じ、
もうひとりは「神様が私たちがどう判断するかごらんになっている」と感じる。

時々、神様を自分のために利用する、神を持ってきて、自分を正当化する人を見ます。

でも、大切なのは自分の都合よく、神様を利用するのではなく、
神に従うこと、神に聞くこと、自分の都合に神様を合わせるのではなく、
神様の都合に自分を合わせること。

どこまでも謙虚に、神に従っていく者でありたいと思います。
神を利用するのではなくて、
神に従っていく者でありたいと思います。

神様、
今日の一日を感謝します。
ユキの成長を守ってくださっていること、
彼女に与えてくださった人生の故に、感謝します。
どうか、これからも守り導いてください。
若者たち、ひとりひとりの歩みをこれからも守ってください。

私も自分の欲望のために、あなたを利用するのではなく、
あなたの導きに謙虚に従う者でありますように。

2008-06-22

朝の礼拝+夕方牧師就任式。

今日は雷がゴロゴロの一日でした。
午前中の礼拝中にもゴロゴロ。
午後、JOYJOYキャンプのためのミーティングの最中にもゴロゴロ。
そして、たぶん、この後、夜中にもゴロゴロするでしょう。

私は個人的には雷は好きです。
というか、こうゆう派手な天気が好きです。

レーダーで赤いエコーが出てくるとわくわくします。

あ、そういえば、先日シカゴから来られた、ぼぼるさんは、
その道の専門家でおられますが、
ある朝、徹夜で仕事をして、朝の5時に「竜巻が来る」と家族を起こし、
結局のところ、空振りに終わって、ひんしゅくを買ったことがあるとか。

「あの時は家族を起こした自分はヒーローになると思っていたのになあ」とおっしゃっていました。

わかるわかる。(笑)

自分も絶対同じことするだろうなあ、と思います。
ホントに来たら大変ですからね。

明日も蒸し暑く、雷雨があるでしょう。

いやあ、でもやっぱり朝の礼拝いいですねえ。
教会で思わず「こんにちわ~」って言ってしまいましたが、
今日は「おはようございます!」なんですね。

昼には礼拝が終わり、
午後はJOYJOYキャンプの作戦会議。
夕方からは礼拝堂を使わせていただいている教会の牧師就任式でした。

とてもよかったです。

牧師も、教会のメンバーも、
「あなたを牧師として迎えます、あなたのために祈ります」
「私はあなたがたの牧師として神様から使命をいただいて、仕えます」
と約束をしあうのです。

私自身、この8月に任期の更新になります。
そのときに、任期更新礼拝をしようと思っています。
やはり、同じように、
牧師も教会員もそのつとめを果たすことを互いに約束するときです。

教会は馴れ合い所帯ではなくて、契約の共同体。
結婚式の時に互いに「富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも愛します」と誓うように、教会の牧師とメンバーの関係も誓い合い、約束しあう中で愛をはぐくんでいく関係となるようにと願います。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一25章36-44節。

「アビガイルがナバルのところに帰って来ると、ちょうどナバルは自分の家で、王の宴会のような宴会を開いていた。」36節。

ああ、今日もまた、このナバルの愚かさに目がとまりました。
自分の立場がわかっていなくて、
何が起こっているのか、全然わかっていなくて、
宴会を開いていたと。
酔っぱらっていたと。

ああ、なんておろかなんだろうかと思いました。

そう思うと、また自分の心に声が聞こえてきます。

「おまえはどうなんだ」と。

ホント、自分はどうなんだろうかと思います。
モノが見えなくなっていたナバル。
では私はどうなんだろうかと。

自分はモノが見えているんだろうか。
そう思うと不安になります。

でも、見えなければいけないのは一つなんでしょうね。
神様がそれをどう見ておられるか。
神様が何をのぞんでおられるのか。
それが見える者になりたいです。

人の心を知ることも大切でしょう。
でも、それ以上に、神様が一つ一つのことについて、
どのように思われているか、それを知ることが大切。

目を開いていただきたいと思います。

主よ、
どうか、私の目を開き、
あなたの見方で見ることができますように。
自分の思いこみにとらわれるのではなくて、
目を開いていただいて、
あなたの見方がわかる者にならせてください。



2008-06-21

朝の礼拝

今夜の雷雨は空振りに終わるかもしれません。
でも、明日はきっと降ります。
明日は蒸し暑く、雷雨がある、そんな不安定な一日になりそうです。
今も夜の12時ごろですが、
気温は20度。湿度もそこそこありますので、
今夜はそれほど冷えないと思います。

さて、明日は朝10時からの礼拝です。
いつもは午後1時半からの礼拝なのですが、
明日は特別です。

それは場所を貸してくださっている英語の教会の牧師就任式。
それを午後4時からやりたいということで、
そして、英語の教会は午前中に礼拝がないということで、
10時からの礼拝となったのでした。

明日の朝はちょっとあわただしくなるかもしれませんが、
とても楽しみです。午前中の礼拝。

大体こちらでも、日本でも教会の礼拝は日曜日の午前中です。

それは日曜日の朝に復活されたイエスを記念して、
「復活のイエスにお会いするために教会に集まろう」という
意味で、日曜日の午前中に礼拝するのです。

一週間の始まり、まず神様にお会いして、
神様と共に歩むということから、一週間のリズムを作っていく、
という意味もあります。
最初に大切なことから始めるということです。

明日の礼拝が祝福されますように。

でも、使用している教会の都合で礼拝時間が変わるのは、
やはり間借り教会の悲しさです。
連絡しても忘れてしまう人や、どうしても連絡から漏れてしまった方が、
1時半に来られるのではないかと思います。

一日も早く、会堂が与えられますように祈ります。

さあ、今日の聖書。
今日はサムエル記第一25章18-35節。

「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。」32節

おろかなナバルを討とうと準備をしていたダビデに和解を乞うたアビガイル。
彼女の言葉に、神様が働いておられることをダビデは感じた。

このころのダビデの歩みの中には、
本当に神様の介入があると思うし、
実際、ダビデもその神様の御手を見ながら歩んでいたんだとと思う。

一つ一つの出来事の中に神様のみ手を見ていく。
そのようなものでありたいと思いました。

一つ一つの出来事、その中には不本意なこともあるでしょう。
どうして・・・ということもあるでしょう。
でも、その中に神様の御手を見ていく、
神様の御業を見ていく、
そして、それを受け入れていく、
そのような視点を与えていただきたいと思います。

主よ、
あなたのみ手を感じて感謝します。
私の生涯の中の、つらいことや痛みの経験さえも、
あなたの御手の中にあると信じます。
不本意なことも、あなたが許されたことと、
受け入れることができますように。

明日の礼拝を祝福してください。

お祈り感謝!

昨日の夜は結構雨降りましたね。
昨日の夜の書き込みの後、ちょっとして寝たのですが、
12時半頃、寝る頃までゴロゴロ言っていたように思います。

今日も蒸し暑いので、
きっとまた夜はゴロゴロでしょう。

今朝はまた6時に教会でお祈りの時を持ちましたが、
10時前には弟子訓練のグループ。
明日の礼拝はお借りしている教会の都合で、
いつも午後にしている礼拝が午前中なので、
説教の通訳の方には原稿を午前中には送らなければ・・・と思って、
そのまま教会で説教の原稿を書きました。

無事に9時過ぎには原稿が完成してお送りすることができました。

お祈りくださった皆さんには心から感謝します。
原稿の準備の途中には安易な道に行こうかと思うところもありました。
でも、そのときに「おまえはそんな方法で何とかしようとしているのか、私に求めなさい」と聖霊様に語られたような思いがしました。きっとどなたかが祈ってくださっていたときだったのだと思います。

あ、でもまだ子供のためのメッセージの準備がある・・・。
どうか、こちらの方もお祈りください。

さて、昨日の聖書。
昨日は朝、教会に祈りに来られた方がいて、
共に聖書を読み、祈りました。

サムエル記第一25章1-17節。

「彼はカルメルで事業をしており、非常に裕福であった。彼は羊三千頭、やぎ一千頭を持っていた。」2節。

いやあ、すごいですね。
イエスが100匹の羊の話をされましたが、
羊が3000頭だって。
数えてたら何時間かかるんだろうか。
「非常に裕福だった」とあるのだから、
きっと、とってもとっても裕福だったんだろうなあと思う。

でも、このナバルという人、傲慢だった。
自分の財産を守るためにダビデとその部下たちがどんなに力になったか、
そのことを知らなかった。
そして、ダビデの部下をののしった。

ここを読むと、馬鹿なやつだと思う。
でも、次の瞬間には、「おまえはどうだ?」と声が聞こえる。

「いや、俺は裕福ではない」と人ごとのように答える。

「何、こんなに与えているのに、裕福ではないと?」

本当に必要は与えられている。
そして、経済的なこと、財産のことではなくて、
どれほどのモノが与えられて、
どれほどの助けが与えられているか、
どれほどの愛が与えられて、
どれほどのサポートと祈りが与えられているか、
忘れてしまいがち。

そして、何かがあると自分の力でやったような気になってしまう。

自分の中のナバルを感じました。

主よ、
わたしのうちのナバルを見せてくださってありがとうございます。
どうか、私のうちのナバルを打ち砕き、
あなたの支え、人の支えに目を開かせてください。
感謝と喜びを満たしてください。

2008-06-20

日曜日に備える明日に備える

今日はさっきまで集会だったので、
更新は明日の午後です。
明日に備えて早めに休みます。

そして、明日は日曜日に備えたいと思います。

説教の原稿まだだし・・・。

2008-06-19

やっぱりキッズクラブが好きだ。

今日も一日過ごしやすい一日でした。
昨日みたいに、「ちょっと寒い」とは違って、
気持ちのいい一日になりました。
夜の気温も、10時半で20度と、ちょうどいい感じ。

明日は今日よりもちょっと天気が不安定になって、
雷雨などもありそうです。

今日は夏休み前の最後のJOYJOYキッズクラブ。
23人の子供たちが集まりました。
楽しく過ごしました。
その前まで、なんだか、ちょっと疲れが抜けない、という感じだったのですが、
子供たちと時間を過ごしていると、
なんだかそんなことも忘れてしまうんですよね。
そして、終わったときに、疲れがとれている、
そんな自分に気がついたわけです。

子供たちに「ありがとう」と言いたいです。
この後、しばらくキッズクラブがお休みだと思うと、
さびしくてさびしくてしかたがありません。

9月の再開が楽しみです!

日曜日の朝(!)、2年半使ってきたプリンタが壊れました。
というか、紙送りがうまくいきません。
結構気に入っていたし、たった2年半というのは悔しいですが、
何度やってもだめみたいで、
こんなのは修理するよりも買った方が安い。

機種によっては、インクを1セット買うよりも、
インクが1セット付属品として入っているプリンタを買った方が安い、
ということもあるようで、
月曜日のお休みを利用して、探しました。
でも、なかなかいいのがありません。
特に今、スキャナがCCDのが少ないんですよね。
CISばかり。CISは本のスキャンなどでちょっとでも浮いてしまうと、うまくいかないので、CCDの方がいい。で、探していて偶然見つけました。CanonのeStoreで一世代前のMP810が150ドルで買える。
一世代前のと言っても、今、だいたい半年から1年たてば一世代前になっちゃいますから、まあ、OK。
今日届いたのですが、大満足です。

でも、2年半前に大苦労して、CDラベルプリントができるようになったのに、今回のは型番が800か810かの違いなのに、CDトレーが変わっている・・・。今持っているCDトレーが使えない。

これeBayで買うか、日本のサービスセンターに電話をして、買うか、どっちかなんですよねえ。

まあ、ゆっくりと考えることにします。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一の24章でした。

「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」6節。

ダビデの信仰を見る。
自分も油を注がれた者として、
主が油を注がれると言うことの意味を真剣に考えていた。
そして、自分の身が危なくなっても、
主が守ってくださるなら、守られる、そう信頼していた。

サウル王が自分の身を守ろうと一生懸命になって、
ダビデに手を下そうとしていたのと対照的。

自分はどちらになるか、どちらを選ぶだろうかと考えさせられ、
本当にダビデのような生き方をしたいと思いました。

主が守られるなら、主が守られるなら、大丈夫。
主が与えてくださっている使命なら、
自分がじたばたしなくても大丈夫。

単純に主を信頼して、歩みたいと思いました。

主よ、
あなたの御手を信頼します。
あなたが与えてくださっている使命を感謝します。
どうか、あなたの使命に生きることができますように。
あなたの使命に歩むことができますように。
あなたを見つめて、あなたに聞いて、
それを真実に語る者であることができますように。


2008-06-18

偶然か摂理か

今日はまた涼しかったですねえ。
夕方には雨も降って、それでまた涼しくなりました。
今は夜の11時ですが、気温は14度です。
明日の朝は10度くらいまで下がるでしょう。

今日は10時過ぎに帰ってきて、
それから夕食を食べたので、
ん?そういえば白いご飯は食べてないかも・・・。
でも、いずれにせよ、食べたので、
あんまり早く寝ると体によくない、と思いながら、
眠いです。

もう、贅肉になってもいいから寝ちゃいます。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一の23章15-29節。

「サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山の他の側を進んだ。」26節。
「そのとき、ひとりの使者がサウルのもとに来て告げた。」27節。

サウルとダビデが同じ山の反対側にいたこと、
そして、いよいよサウルがダビデに追いつくかというところまで来たときに、
サウルのところに使者が来て、敵が攻めてきたことを知らせたこと、
ある人は偶然と呼ぶかもしれませんが、
そのように呼ぶことも自由でしょうが、ここを私は摂理と呼びます。
主がダビデを守られた。
特別に守られた。

私の人生にも「そりゃ偶然だ」と人が言うことが起こる。
でも、そこにも主の御手を見ていく、
主のお働きを見ていく、
そうしたら、安心だ。

主の御手の中にあると思うと、心配はいらない。
私たちの人生を支配しているのは、偶然なんかじゃないから。

主よ、
あなたの御手を信じます。
一つ一つの出来事が偶然ではなくて、
神様の御手の中にあること。
人の失敗、人の悪意がそれを引き起こしていても、
でも、それも神様が許されなかったら起こらなかった。
そう思うと、安心。
神様がよかれと思われることしか、起こらないから。
この世の出来事は決して偶然ではないから。

2008-06-17

みことばを慕う。

今日は予報通り涼しくなりました。
今は夜の11時前ですが、17度まで下がっています。
かなりからだが楽です。
明日は今日よりもまたもう少し涼しくなって最高気温も
22-3度程度で、湿度も低く気持ちいい一日になりそうです。

昨日の夜思い出した火曜礼拝の説教でしたが、
昨日の夜と、今朝と祈りつつ時間を過ごしていたのですが、
本当に準備ができたのは直前でした。

でも、神様が与えてくださったみことばである以上、
神様が語ってくださる。
それだけが希望であり、期待の根拠です。

「今日、火曜礼拝に行こう」と思ったという方を、
神様が送ってくださって、
それも、本当に今日の聖書箇所が、
その方にとってぴったりだったそうです。

不思議なことを神様がしてくださったなあと思いました。
いや、私の目には不思議でも、
神様の御手の中で導かれたことだと思います。

これからもそのような御業をもっともっと見せていただきたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一23章1-14節。

「神はダビデをサウルの手に渡さなかった。」14節。

最初はケイラの町の人々がダビデに助けてもらいながら、
サウル王が攻めてきたら、あっさりとダビデを渡してしまうということが、
あまりに身勝手な、恩知らずな連中だろうと思っていましたが、
考えてみたら、ダビデは400人の部下しかいない一介の浪人。
それに対して、サウルは一国の王ですからね。

でも、ケイラの人々がダビデのことをサウルに渡そうと思っていても、
神はダビデをサウルの手に渡すことはなさらなかった。

結局はそこなんだなと思います。
神がどうなさるか、そこだけなんだと思います。

そこに自分の使命を感じて、それを受け取っていくこと、
その大切さを思わされます。

主よ、
私は最初はこのケイラの人々がなんてひどい奴らなんだ!と思いました。
そうですよね、でも、自分はこのケイラの人よりも愛があるのか?
自分がこの状況に置かれたら、どうだろうか?と思います。
同じことをしたかもなあ、そして、いろいろ言い訳も・・・。
だから、人は人のことをとやかく言えないんでしょうね。
でも、あなたはダビデを渡さなかった。
それで十分だった。
あなたがそう決められたのだったら。

私の人生の中で、あなたの御手をいつもいつも
見て歩んでいくことができますように。

2008-06-16

聞くこと。

今日はなんだか、蒸し暑かったですよね。
気温はそれほどでもなかったのですが、
湿度が高くて・・・。

でも、夕方に雷雨があって、
ぐっと涼しくなりました。
8時半で17.8度。

そして、この後金曜日くらいまでは涼しいようです。
朝は10度くらいまで下がるようですから、
風邪をひきやすくなります。
お気をつけて。

昨日の礼拝は、カルフォルニアに引っ越される方がメッセージをしてくださいました。
この方は70になって、通信制で神学校で学ばれた方。
忠実に教会のメンバーとして仕えてこられました。
私が留守の時によく礼拝説教をしていただいてきました。

昨日は久しぶりに説教の時間に会衆席にすわって、
メッセージを伺いました。
自分が語るときには、
「この解釈は間違っていないだろうか」とかなり注意しますが、
聞くときには、そんな思いはどこにもなく、
ただただ、神からのメッセージとして聞かせていただきました。
心の中で何度「アーメン、そうです」「感謝します」と叫んだことでしょうか?

私にとって必要な恵みの時でした。

明日は火曜礼拝。
さっき、我が家に滞在している青年に「明日の説教は誰ですか?」と聞かれて、
「そりゃ、私だよ」と答えて、はっとしました。
何話すんだろう?
いつもは日曜礼拝の説教をそのまま火曜礼拝でも語るのですが、
私は日曜日説教していない・・・。

気がついてよかったです。
明日、礼拝が始まってから、
「あれ、何を話すんだったかな・・・」ってことになっていたかもしれませんね。

そういう夢から覚めて、「ああ、よかった夢だった・・・」という経験はいくらでもありますが。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一23章。

「それなのに、おまえたちはみな、私に謀反を企てている。きょうのように、息子がエッサイの子と契約を結んだことも私の耳に入れず、息子が私のあのしもべを私に、はむかわせるようにしたことも、私の耳に入れず、だれも私のことを思って心を痛めない。」8節。

サウルは人々を疑った。
部下たちが自分に謀反を企てていると言い、
また何も知らずにダビデに食糧と武器を提供した祭司の一族を皆殺しにした。

何でも疑ってかかり、
人を信じることのできないあわれな王。
彼の心が何に支配されていたのだろうかと思う。
ねたみであり、嫉妬であり、不安であった。

そういうものにとらわれた人の愚かさを思いました。

人を信じて裏切れたときの悲しさ、ばかばかしさ、それが傷になって、
人を信じることが難しくなることがあります。
正直者が馬鹿を見ることがあります。

でも、今日のサウルの姿を見て、
人を疑って生きることはいやだ、と思いました。
馬鹿を見続けようと思います。
主がすべてをご存じですから。
それでいいかな、と。

主よ、
このサウルの姿は愚かだと思います。
でも、私は自分が同じことをしていても、
なかなか気付けない者です。
どうか、あなたが教えてください。
そして、たとえ馬鹿を見たとしても、
人を信じる者であり続けられますように。

いや、人を信じるよりも、
人の中に働かれるあなたの力を信じる者であることができますように。

2008-06-15

父の日。

今日、昼間は蒸し暑かったのですが、
夕方から涼しくなって、夜になってちょっと冷えてきたように感じます。

明日はまた蒸し暑くなって、雷雨があるかもしれません。
水曜日くらいからは朝の最低気温が10度くらいまで下がるようになります。
暑くなったり、肌寒くなったり、今年の夏は大変かもしれませんね。

さて、今日は父の日。
まずは、日本の親父に電話しました。
向こうは日曜日の礼拝が終わって夜の時間だなあ、と思って・・・
大人の話をしました。

そして、ちゃんといまのうちに断っておきますが、
ここからは親としてデレデレのしょうもない話です。

サキが起きてきて、こんなプレゼントをくれました。


左の絵はハートが野球場になって、あとVサインになっているようです。
そして、マツイのMとまなぶのMが同じなので、バットが二本あるそうです。

そして、ビッグ・ハグをくれました。

のんちの話によると、ずっと前から、楽しみにして準備してきたそうで。

この子もやがて思春期になって、オヤジに見向きもしなくなるんでしょうから、
いまのうちに思いっきりベタベタしてやろうと思います。

5年くらい前まで、そうやってベタベタしてやったユキが
今や、近くに寄ろうともしないので、
きっとサキもそうなるんだろうと覚悟して・・・。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一21章。

「それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい・・・」13節。

このときのダビデはどんな惨めな気持ちだっただろうかと思う。
自分の身元がばれることを恐れて、よだれを垂らしながら歩かなければいけなかった。

神の御手の中にあると思っても、
そのように生きていても、
惨めな気持ちになることはあるだろうと思う。

でも、神は彼を見捨てることはなかった。

神が見捨てない、それだけが私たちの支え。
それがあれば十分。

主よ、
あなたが支えてくださるからありがとうございます。
そこに堅く立っていく者でありますように。
あなたを頼りにできますように。
ほかのものを頼りにすることがありませんように。