今日は夕方から時々ぽつぽつと。
これで花粉が終わってくれるといいのですが。
明日は雨の予報です。
この地域の日本語学校、運動会の季節ですが、
明日、運動会の皆さんは延期は残念かもしれません。
うちの子は29日です。
本人は一日出たいと言っていますが、
「パパも他の先生にメッセージ頼んで教会休めばいい」
とまで言われましたが、「何を言っているんだ」と即答で拒否りました。
でも、一生に一回くらいそんなことをしてみてもいいかな、
とまで思うようになりました。
休暇をいただいて、どこかの教会の朝早い礼拝に出て、
運動会を一緒に過ごす。
神さま、そういうの「けしからん!」とか言われるのかなあ。
神様を第一にして、運動会をたのしむ、というのはないのかなあ?
甘いのかな。
ちょっと、スッキリとした答えを出そうと、
考え始めると寝る時間がなくなりそうなので、
もうちょっと時間の取れる時に・・・。
さて、今日の聖書。
今日は民数記の22章1-20節。
「主がわたしに何か他のことをお告げになるかどうかを確かめましょう」19節。
これはいかにも信仰的な言葉のように感じるけれども、
そうではなかった。
神様の答えはもう決まっていた。
もう聞いていた。
でも、バラムの心は揺れていた。
お金をたくさん積まれて、
いい待遇を受ける約束をもらって、
地位のより高い人の訪問を受けて、
「じゃあ、もう一回神様に聞いてみようか」と、
心が動いたのだ。
自分もこういうことがないだろうかと思う。
ホントに弱い人間だ。
神様の答えをしっかり握って、
そこに立っていく者でありたいと思う。
自分に都合のいいことに心動かされるのではなく、
ただ、主に従う者でありたいと思う。
かみさま、
あなたの言葉を信頼して、
そこに生きていく者でありますように。
明日の礼拝を祝福してください。
主の前に出ることの意味を、
共に経験することができますように。
2011-05-14
2011-05-13
神の前の畏れ。
1週間以上ずっといい天気で花粉が飛びまくってきましたが、
今日はどんよりしていました。
そして、明日からはしばらく、1週間以上でしょうか、ずっとぐずつく日が続きそうです。
これで、ちょっと花粉が落ち着いてくれるといいのでしょうか?
今日も朝方と、夕方に外に出る用事があったので、
今頃、かなりきついです。
のんちは、木曜日に、一つの小学校を訪問しました。
この小学校は津波で水につかってしまったので、
隣の小学校を間借りしておられます。
その間借りしている学校に先生方をご訪問しました。
本当にお忙しい中の先生方に時間を取っていただいて、
暖かく受け入れていただいたようです。
子どもたちも礼儀正しく、明るくて、人なつっこくて、
幸いなひとときだったようです。
こちらのサキの行っている小学校との関係が築ければ、と思いますが、
やはり、世界各地からそのような申し出があるようで、
その対応だけでも大変のようです。
私達は顔の見える働きをしたい、関係を作りたい、と感じます。
でも、本当にそう思うなら、現地の皆さんの思いをちゃんと受け止めることの大切さを思わされます。
十字架の聖書の箇所からは、
一緒に十字架に付けられた強盗が感じた「おそれ」を思わされました。
復活の聖書箇所からは、
トマスがイエスにお会いした時に感じた、「おそれ」を思わされました。
そして、今度の日曜日のために、
復活されたイエスがガリラヤ湖でペテロに出会われた時に、
ペテロの感じた「おそれ」を思わされています。
私自身がその十字架と復活のイエスの前に立つおそれを知り、
礼拝で、みなさんを、十字架と復活のイエスにもとにお招きできますように、
そのように今から祈らされています。
日曜日の礼拝を楽しみにしています。
主よ、
あなたの前に立つ者のおそれがどんなものか、
私をそこに導き、経験させてください。
そして、私自身も礼拝において、皆さんをあなたの許にお招きできますように。
今日はどんよりしていました。
そして、明日からはしばらく、1週間以上でしょうか、ずっとぐずつく日が続きそうです。
これで、ちょっと花粉が落ち着いてくれるといいのでしょうか?
今日も朝方と、夕方に外に出る用事があったので、
今頃、かなりきついです。
のんちは、木曜日に、一つの小学校を訪問しました。
この小学校は津波で水につかってしまったので、
隣の小学校を間借りしておられます。
その間借りしている学校に先生方をご訪問しました。
本当にお忙しい中の先生方に時間を取っていただいて、
暖かく受け入れていただいたようです。
子どもたちも礼儀正しく、明るくて、人なつっこくて、
幸いなひとときだったようです。
こちらのサキの行っている小学校との関係が築ければ、と思いますが、
やはり、世界各地からそのような申し出があるようで、
その対応だけでも大変のようです。
私達は顔の見える働きをしたい、関係を作りたい、と感じます。
でも、本当にそう思うなら、現地の皆さんの思いをちゃんと受け止めることの大切さを思わされます。
十字架の聖書の箇所からは、
一緒に十字架に付けられた強盗が感じた「おそれ」を思わされました。
復活の聖書箇所からは、
トマスがイエスにお会いした時に感じた、「おそれ」を思わされました。
そして、今度の日曜日のために、
復活されたイエスがガリラヤ湖でペテロに出会われた時に、
ペテロの感じた「おそれ」を思わされています。
私自身がその十字架と復活のイエスの前に立つおそれを知り、
礼拝で、みなさんを、十字架と復活のイエスにもとにお招きできますように、
そのように今から祈らされています。
日曜日の礼拝を楽しみにしています。
主よ、
あなたの前に立つ者のおそれがどんなものか、
私をそこに導き、経験させてください。
そして、私自身も礼拝において、皆さんをあなたの許にお招きできますように。
2011-05-10
立ち上がるために。
間もなく、あの地震から2ヶ月。
本当に世界が変わりました。
私自身もこのような思いで過ごしているとか、
このような生活をしているとか、
想像もできませんでした。
直接の被害に遭われた方々、
生活が変わってしまった方々、
大切な方々がいなくなってしまった方々、
もっとそうだと思います。
10年前に9/11の時に、更なるテロの不安と、ナショナリズムの高揚という二つの空気の中で、私は「早く元の生活に戻ってほしい」「元の、自分が知っていたアメリカはどこへ行ってしまったんだろうか」「元のアメリカに戻ってほしい」と思っていました。
でも、2ヶ月くらい経ったある日に出席したセミナーで、「私達はもうあの9/11より前には帰れません」ということばを聞いた時に、「ああ、そうなんだ」「もう自分たちは戻れないんだ」と気がついて、そのことを受け入れることができました。それは、立ち上がるために、前に進むためにとても大切な気づきでした。
2ヶ月間はずっとこの話は発信しないでおこうと思っていました。
そして、2ヶ月がたとうとしているこのとき、分かち合いたいと思いました。
日本も、世界も、3/11以前には戻りません。
あなたの生活も、私の生活も。
元のところには戻らない、新しい歩みをしているのです。
「宝のあるところに心もある」ということで、
すっかり山元町ファンになったので、
心に残った山元町の方からのメッセージを一つご紹介。
被災地 山元町から 被災者として思うこと。
現地の皆さんのために心から祈っています。
アメリカから来ていた風変わりな中年看護師さん、
気がついたら、声をかけてやってください。
あと1週間くらい滞在するみたいです。
あ、今日はもう一つの話題。
和製ゴスペルヘヴィメタバンドのご一行様が、
無事NJにとうちゃく。
今日は「食事作りますから」と、
ちょうどあった食材で、ぱぱっと食事を作ってくださいました。
おまけに片付けも、バッチリ、最後まで丁寧にやってくださっています。
「旅人をもてなしなさい」と聖書にはありますが、
「旅人にもてなされて」しまいました。
感謝。

JCCNJでのご奉仕はありませんが、
英語の教会等でもご奉仕されるようです。
日曜日も朝から英語の教会に行かれるとのことで、
教会の皆さんにご紹介できないのは残念です。
こちらのためにも祈りつつ。
さて、今日の聖書。
今日は民数記20:1-13。
「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。」12節。
モーセとアロンは「水がない」という人々に対し、「岩に命じて水を出させなさい」と神様からの命令を受けます。しかし、モーセは怒りに任せて、「どうして、私達があなた方のために水を出さなければいけないのだ!!」と岩を打ってしまうのです。
水は出るのですが、神さまは、この言葉をモーセに語られます。
神様の聖なることを表さなかった。
モーセは指導者として、人々にそのことを教える責任があった、その使命があった。
わたしも牧師として、同じ使命をいただいていると思います。
人々に神様の聖なることを示す。
もちろん、神様の愛を示す。
その責任を果たしているだろうか?
とわれていると思いました。
本当にそのことを表す者でありたいと思います。
その責任を果たさせていただきたいと思います。
主よ、
あなたの栄光を表す者とならせてください。
あなたの聖なることをはっきりと示す者とならせてください。
そのためにわたし自身が神様のきよさに触れることができますように。
本当に世界が変わりました。
私自身もこのような思いで過ごしているとか、
このような生活をしているとか、
想像もできませんでした。
直接の被害に遭われた方々、
生活が変わってしまった方々、
大切な方々がいなくなってしまった方々、
もっとそうだと思います。
10年前に9/11の時に、更なるテロの不安と、ナショナリズムの高揚という二つの空気の中で、私は「早く元の生活に戻ってほしい」「元の、自分が知っていたアメリカはどこへ行ってしまったんだろうか」「元のアメリカに戻ってほしい」と思っていました。
でも、2ヶ月くらい経ったある日に出席したセミナーで、「私達はもうあの9/11より前には帰れません」ということばを聞いた時に、「ああ、そうなんだ」「もう自分たちは戻れないんだ」と気がついて、そのことを受け入れることができました。それは、立ち上がるために、前に進むためにとても大切な気づきでした。
2ヶ月間はずっとこの話は発信しないでおこうと思っていました。
そして、2ヶ月がたとうとしているこのとき、分かち合いたいと思いました。
日本も、世界も、3/11以前には戻りません。
あなたの生活も、私の生活も。
元のところには戻らない、新しい歩みをしているのです。
「宝のあるところに心もある」ということで、
すっかり山元町ファンになったので、
心に残った山元町の方からのメッセージを一つご紹介。
被災地 山元町から 被災者として思うこと。
現地の皆さんのために心から祈っています。
アメリカから来ていた風変わりな中年看護師さん、
気がついたら、声をかけてやってください。
あと1週間くらい滞在するみたいです。
あ、今日はもう一つの話題。
和製ゴスペルヘヴィメタバンドのご一行様が、
無事NJにとうちゃく。
今日は「食事作りますから」と、
ちょうどあった食材で、ぱぱっと食事を作ってくださいました。
おまけに片付けも、バッチリ、最後まで丁寧にやってくださっています。
「旅人をもてなしなさい」と聖書にはありますが、
「旅人にもてなされて」しまいました。
感謝。
JCCNJでのご奉仕はありませんが、
英語の教会等でもご奉仕されるようです。
日曜日も朝から英語の教会に行かれるとのことで、
教会の皆さんにご紹介できないのは残念です。
こちらのためにも祈りつつ。
さて、今日の聖書。
今日は民数記20:1-13。
「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。」12節。
モーセとアロンは「水がない」という人々に対し、「岩に命じて水を出させなさい」と神様からの命令を受けます。しかし、モーセは怒りに任せて、「どうして、私達があなた方のために水を出さなければいけないのだ!!」と岩を打ってしまうのです。
水は出るのですが、神さまは、この言葉をモーセに語られます。
神様の聖なることを表さなかった。
モーセは指導者として、人々にそのことを教える責任があった、その使命があった。
わたしも牧師として、同じ使命をいただいていると思います。
人々に神様の聖なることを示す。
もちろん、神様の愛を示す。
その責任を果たしているだろうか?
とわれていると思いました。
本当にそのことを表す者でありたいと思います。
その責任を果たさせていただきたいと思います。
主よ、
あなたの栄光を表す者とならせてください。
あなたの聖なることをはっきりと示す者とならせてください。
そのためにわたし自身が神様のきよさに触れることができますように。
2011-05-09
言葉で伝えるのが難しいもの。
ここ数日、とってもいい天気です。
これ、花粉さえなければ、本当に気持ちのいい日々ですよね。
私もなんだか、出口が見えてきたのかなあと思います。
今日はずいぶん調子が良かったです。
そして、この後もしばらく、木曜日くらいまではこの天気が続きそうです。
さて、今日はひき肉を買ったので(高くなりましたねえ、びっくり)、
いつか作っておいしかった別冊Esse夕食ばんざい肉のおかず(1993年版!)にある「韓国風肉みそ」作りました。
2倍量作ったのですが・・・ちょっと多かったですねえ。
その材料の中に「木の芽」ってのがあります。
お、それうちの「ほったらかし畑」に生えている、と取ってきたんですね。
ちょうど、新芽が出ているところです。
それを摘んできたんですが、
これ、すごい、いい香り。
なんというか、言葉では表せないものです。
よく、料理番組や旅番組でおいしいものを食べて、
一生懸命、どんなにおいしいかを言葉で説明しなければならない姿に苦笑することがあります。無理なんですよね。この木の芽の鮮烈な香りを言葉で表すのは・・・。タケノコが生える庭が欲しい・・・。
でも、やっぱり言葉にする努力、って大切ですね。
私も言葉に関わる働きをしているわけですから、
もっともっと言葉を大切にして、
もっともっと心にあることを言葉にする努力をすべきことを思います。
のんちが日本に行っていて、
日本で経験していること、見ていること、感じていることを、
夫として、もっともっと発信すべき立場にいるんだと思うのですが、
でも、言葉にしようと思えば思うほどおそれが湧いてくる。
一つは、自分の経験ではないことを、
私という地球の反対側にいる者が言葉にする時に、その闘いのただ中にいる方々を傷つけてしまう危険性があるということ。
もう一つは、このような場所で発信する時に、言葉が思いを離れて一人歩きしてしまうことがあること。
そう、ネットというのは、礼拝や集会でお話しすることとはレベルの違う「怖さ」があります。自分の言葉が自分という人間を離れて伝わって行くかもしれない、という怖さです。
ですから、本当に慎重になります。
でも、そのような危険を超えて情報を発信しておられる方々がおられて、そのおかげで伝わって行く事実もあるんですよね。それで、人の目が集まり、差し出される手がある。
情報発信の大切さを思わされています。
恐れないで、でも、本当に心を配りながら、発信することの大切さを思わされます。
のんちは、教会のない山元町にお仕事で行かれている方と、
月曜日に会って、共に祈ることができたと連絡がありました。
きっかけは、twitterです。
これがなかったらつながらなかったでしょう。
あと、先の週末、Facebookで、大学以来の友人や数年前から連絡が取れなくなっていた元JCCNJの方とつながりました。これはまたすごい。
一つ一つのつながりが生かされていきますように。
2011-05-08
方針変更。
今日は礼拝後、役員会があって、子どもたちだけ先に家に帰ってもらっていました。
ある方にお願いして、帰りに送っていただいたのですが、
ちょうど着いたかなあ?と思った頃(そして、役員会の始まったころ)、私の携帯が鳴りました。見たら、「自宅」から。自分のそのときの反応は「あ、鍵渡すの忘れた!」でしたが、なんだか、そうじゃなかったみたいで、考えてみたら、鍵がなかったら、「自宅」からは電話かけられませんよね。渡してはいないのですが、持っていたようで、ま、入れたんでしょうね。で、内容は「アリがすごい!」でした。
まあ、悲鳴を上げる下の娘に、「しょうがないじゃん、自分でやっつけなさい」と言い聞かせて、「だってすごいんだよ、たくさんいるんだよ」「殺虫をかけてちゃんとお皿を洗って・・・」
そうです。のんちが日本に行ってからというもの、「明日でもいいことは明日する」主義の私は何でも後回し。洗いモノも、次の料理をする必要に迫られて、やっている調子でした。
それで、アリだらけになっちゃったんですね。
特にレンジ周りとレンジの上に起きっぱなしになっていた昨日使って洗っていなかったナベにアリがたかっていたようで・・・。
さすがにこれには私も反省。
また、三日坊主だし、すぐ忘れてしまう決断ですが、
「今日できることは今日する」主義に方針転換!!!
今夜はシンクがバッチリきれいな夜です。
レンジ周りもピカピカ・・・まではいかなくても、バッチリきれいです。
「日々のみことば」は明日にでも・・・と思いましたが、
やはりここでしっかり「今日できることは今日する!」、ということで、今日の聖書から。
今日は民数記18:21-32でした。
「それぞれ最上の部分で・・・」29節。
最高のものを主にささげる。
それが大切ですよね。
余り物ではなく、
新しいのを自分のために買ったから、古いヤツをではなく、
最高のものを主の許に持ってくる。
でも、人間はいつも自分を最初に持って来たくなる。
1/10を主の許に・・・と言っても、
「余裕がない」となってしまう。
自分のためが第一で神様は余裕があったら・・・だ。
神様は私達が捧げものをしなければ困ってしまうわけではない。
ただ、私達の心の問題だ。それを気持ちだけにしておくのではなくて、
具体的に表して行くことだ。
私もいつも最高のものを主の許に持って行こう。
時間も、ものも、才能も、情熱も。
主よ、
あなたの許に最高のものを持って行かせてください。
そのために、あなたが示す必要なことがあったら、お示しください。
そして、それに従うことができますように。
あ、のんちは日曜日、ちゃんと教会に行けたみたいです。
仙台まで出て、帰りは物資とともに送っていただいたそうです。
感謝。
ある方にお願いして、帰りに送っていただいたのですが、
ちょうど着いたかなあ?と思った頃(そして、役員会の始まったころ)、私の携帯が鳴りました。見たら、「自宅」から。自分のそのときの反応は「あ、鍵渡すの忘れた!」でしたが、なんだか、そうじゃなかったみたいで、考えてみたら、鍵がなかったら、「自宅」からは電話かけられませんよね。渡してはいないのですが、持っていたようで、ま、入れたんでしょうね。で、内容は「アリがすごい!」でした。
まあ、悲鳴を上げる下の娘に、「しょうがないじゃん、自分でやっつけなさい」と言い聞かせて、「だってすごいんだよ、たくさんいるんだよ」「殺虫をかけてちゃんとお皿を洗って・・・」
そうです。のんちが日本に行ってからというもの、「明日でもいいことは明日する」主義の私は何でも後回し。洗いモノも、次の料理をする必要に迫られて、やっている調子でした。
それで、アリだらけになっちゃったんですね。
特にレンジ周りとレンジの上に起きっぱなしになっていた昨日使って洗っていなかったナベにアリがたかっていたようで・・・。
さすがにこれには私も反省。
また、三日坊主だし、すぐ忘れてしまう決断ですが、
「今日できることは今日する」主義に方針転換!!!
今夜はシンクがバッチリきれいな夜です。
レンジ周りもピカピカ・・・まではいかなくても、バッチリきれいです。
「日々のみことば」は明日にでも・・・と思いましたが、
やはりここでしっかり「今日できることは今日する!」、ということで、今日の聖書から。
今日は民数記18:21-32でした。
「それぞれ最上の部分で・・・」29節。
最高のものを主にささげる。
それが大切ですよね。
余り物ではなく、
新しいのを自分のために買ったから、古いヤツをではなく、
最高のものを主の許に持ってくる。
でも、人間はいつも自分を最初に持って来たくなる。
1/10を主の許に・・・と言っても、
「余裕がない」となってしまう。
自分のためが第一で神様は余裕があったら・・・だ。
神様は私達が捧げものをしなければ困ってしまうわけではない。
ただ、私達の心の問題だ。それを気持ちだけにしておくのではなくて、
具体的に表して行くことだ。
私もいつも最高のものを主の許に持って行こう。
時間も、ものも、才能も、情熱も。
主よ、
あなたの許に最高のものを持って行かせてください。
そのために、あなたが示す必要なことがあったら、お示しください。
そして、それに従うことができますように。
あ、のんちは日曜日、ちゃんと教会に行けたみたいです。
仙台まで出て、帰りは物資とともに送っていただいたそうです。
感謝。
2011-05-07
バランスが大事。
最近、ほとんど、花粉症のことと日本にいるのんちのことなんですが、
やっぱり今日もそうなります。
今日の午前中なんか、もうこのまま終わりなのかも〜と思うくらい調子が良かったのですが、午後からどんどんひどくなって、夕方は、目が開けていられなくて、車の運転が怖いくらいでした。家に帰って、目薬を差して、1時間横になっていたら、なんとか台所に立てるくらいに戻っていましたが、うーん、今年はキツイ。
そして今日はのんちのリクエストもあり、書きますが、
山元町の保健センターでボランティアをしているのんち、
自衛隊の方々の炊き出しがあるそうですが、
それは避難生活をしている方々のためのもの。
ボランティアは自分で調達するのが基本。
2、3日の短期の方々はもちろん、持ち込みですし、
のんちもバワーバーとか、レトルト食品とか、缶詰とか持ち込んでいますが、
それだけではどうしても栄養が偏りがち。
ということで、時々歩いて15分くらいのところにあるお店に買い出しに行くそうです。
そんな時、他のみなさんはおべんとうとか、お惣菜とか、買うそうですが、
のんちは、キャベツ一個とか、大根一本とか、カボチャ一つとか、
買うそうです。「それどうすんの?」と笑われながら・・・。
で、どうしたかというと、
自衛隊の炊き出しの方々のところから、包丁とか借りてきて、
キャベツと大根は千切り。
カボチャは薄く切って電子レンジにかける。
(そう、電子レンジはあるそうです)
そして、キャベツは塩昆布と混ぜて、
大根はちくわとマヨネーズあえ、または「ゆかり」あえ。
カボチャはマヨネーズだったかな。
あ、それで、その野菜を刻んでいる時に、
自衛隊の炊き出し班の偉い方でOさんが、
「やりましょうか?」と声をかけて助けてくださったそうです。
Oさん、ありがとうございます。
なんだか、皆さんに迷惑をかけていないかと、ちょっと心配になってきましたが、許してやってください。
感謝。 m(_ _)m
あと、日本の携帯の使い方を知らなくて、「しょうがないなあ」と思われたり、日本を離れて19年、日本的な「和」を重んじたり、空気を読んだり全然してなくて、周りを戸惑わせたりしているんだろうな、と思いますが、なんだか、本人は「かわいがられている」と思っているようなので、まあ、最後まで勘違いしておいてもらいましょう。
明日は母の日。
感謝しつつ。
やっぱり今日もそうなります。
今日の午前中なんか、もうこのまま終わりなのかも〜と思うくらい調子が良かったのですが、午後からどんどんひどくなって、夕方は、目が開けていられなくて、車の運転が怖いくらいでした。家に帰って、目薬を差して、1時間横になっていたら、なんとか台所に立てるくらいに戻っていましたが、うーん、今年はキツイ。
そして今日はのんちのリクエストもあり、書きますが、
山元町の保健センターでボランティアをしているのんち、
自衛隊の方々の炊き出しがあるそうですが、
それは避難生活をしている方々のためのもの。
ボランティアは自分で調達するのが基本。
2、3日の短期の方々はもちろん、持ち込みですし、
のんちもバワーバーとか、レトルト食品とか、缶詰とか持ち込んでいますが、
それだけではどうしても栄養が偏りがち。
ということで、時々歩いて15分くらいのところにあるお店に買い出しに行くそうです。
そんな時、他のみなさんはおべんとうとか、お惣菜とか、買うそうですが、
のんちは、キャベツ一個とか、大根一本とか、カボチャ一つとか、
買うそうです。「それどうすんの?」と笑われながら・・・。
で、どうしたかというと、
自衛隊の炊き出しの方々のところから、包丁とか借りてきて、
キャベツと大根は千切り。
カボチャは薄く切って電子レンジにかける。
(そう、電子レンジはあるそうです)
そして、キャベツは塩昆布と混ぜて、
大根はちくわとマヨネーズあえ、または「ゆかり」あえ。
カボチャはマヨネーズだったかな。
あ、それで、その野菜を刻んでいる時に、
自衛隊の炊き出し班の偉い方でOさんが、
「やりましょうか?」と声をかけて助けてくださったそうです。
Oさん、ありがとうございます。
なんだか、皆さんに迷惑をかけていないかと、ちょっと心配になってきましたが、許してやってください。
感謝。 m(_ _)m
あと、日本の携帯の使い方を知らなくて、「しょうがないなあ」と思われたり、日本を離れて19年、日本的な「和」を重んじたり、空気を読んだり全然してなくて、周りを戸惑わせたりしているんだろうな、と思いますが、なんだか、本人は「かわいがられている」と思っているようなので、まあ、最後まで勘違いしておいてもらいましょう。
明日は母の日。
感謝しつつ。
2011-05-06
JOY JOY キャンプ受付開始。
2011年のJOY JOY Camp、受付が開始しています。
今年のテーマは「JOY JOY ファクトリー」。
何を作るんでしょうか?何が出来上がるんでしょうか?
これから、みんなで頭を寄せ合っての苦闘が始まります・・・。
受付は今月の28日までです。
今年も最高に楽しいキャンプになるぞ!!
今朝は寒いくらいでしたね。
今夜から日曜日くらいまで、
晴れたり曇ったり雨が降ったり、って、何があっても、「あたり」という天気予報になっています。
花粉は・・・しっかり飛んでいます。
まだまだ、目が開きませんが、更新はしようと思うくらい元気になりました。
でも、明日は補習校とか、SATとかあるので、
今夜はちょっと忙しめです。
のんちもさっき電話したら、
「ごめん、仕事が入った。」「あ、そ」「ガチャン」とまではいかなかったですが、まあ、忙しそうでした。向こうが終わる頃にはこちらはもう夢の国。さて、明日は教会に行けるか、「ビミョウ」だそうです。
今ひとつしっかり見えなくなってきたので、今夜はこれくらいで。
去年は花粉症はどうだったっけ?と思って、
去年の記録を見ていて、
去年は今頃NCでworship seminarに出ていたことを思い出しました。
その時に感じていたこと。
「礼拝は神の主権を宣言すること」
不安と混乱の時代だからこそ、そのような礼拝を持たせていただこうと思わされています。
今年のテーマは「JOY JOY ファクトリー」。
何を作るんでしょうか?何が出来上がるんでしょうか?
これから、みんなで頭を寄せ合っての苦闘が始まります・・・。
受付は今月の28日までです。
今年も最高に楽しいキャンプになるぞ!!
今朝は寒いくらいでしたね。
今夜から日曜日くらいまで、
晴れたり曇ったり雨が降ったり、って、何があっても、「あたり」という天気予報になっています。
花粉は・・・しっかり飛んでいます。
まだまだ、目が開きませんが、更新はしようと思うくらい元気になりました。
でも、明日は補習校とか、SATとかあるので、
今夜はちょっと忙しめです。
のんちもさっき電話したら、
「ごめん、仕事が入った。」「あ、そ」「ガチャン」とまではいかなかったですが、まあ、忙しそうでした。向こうが終わる頃にはこちらはもう夢の国。さて、明日は教会に行けるか、「ビミョウ」だそうです。
今ひとつしっかり見えなくなってきたので、今夜はこれくらいで。
去年は花粉症はどうだったっけ?と思って、
去年の記録を見ていて、
去年は今頃NCでworship seminarに出ていたことを思い出しました。
その時に感じていたこと。
「礼拝は神の主権を宣言すること」
不安と混乱の時代だからこそ、そのような礼拝を持たせていただこうと思わされています。
2011-05-05
やばい。
やばいです。
昔ながらの日本語の使い方で、やばいです。
雨で花粉が流れてくれるかと期待していたのですが、
今日は雨上がりで、ひどい目にあっています。
「目が開いてない」という感じだそうです。
自分でも感じます。視野の高さがすごーい狭いです。
(誰だ!?心の中で「え、いつでもそうじゃん、って思ったのは!」)
リアルライフはそれなりに祝福もあるのですが、
何かを書こうという元気はありません。
だから、今日はあっさりと終わります。
でも、今日の朝、「日々のみことば」で聖書を読んでいて、
うれしかったこと一つ。
ちょうど、民数記の17章で、
アロンの杖から芽が出るというところでした。
その箇所は今からちょうど21年前の今日、
私達の結婚式の中で、
司式された小林和夫先生が、
開いてくださったところです。
杖ですから、本当は枯れているはずの枝から
芽が出て、実を結ぶようなことを神様はしてくださる、
と、予言をなさるかのように語ってくださいました。
今朝、そのことばを思い出しながら、
私達の夫婦の間に
本当に一致があるところに、
共に歩んで行っている中に、
そのような奇跡がなさせれて行くのだという、
メッセージを受け取りました。
まだまだ、自分勝手で、本当の意味で妻を愛しているとは言えないような、身勝手な自分ですが、主の前にへりくだって、主から確信と平安をいただいて、一つになって行くことができますようにと願います。
神様、
今日も守ってくださってありがとうございます。
本当に参っています。
どうか、こんな中にも、いや、こんな中だからこそ、現されるあなたの御業を経験させてください。
私はいつもからだの弱さを感じておられる方々のことがわかっていないんだなと思います。どうか、私のように花粉の季節だけではない、いつもいつも、からだの弱さを持ちつつ歩んでおられる方々に寄り添うことを教えてください。
どうか、あなたのお約束通り、枯れた枝から芽が出て実を結ぶような奇跡を見せてください。
そう、今日の朝はシニアセンターでしたが、毎回、皆さんの反応には励まされます。もっともっとこのような働きが広がって行きますように。
昔ながらの日本語の使い方で、やばいです。
雨で花粉が流れてくれるかと期待していたのですが、
今日は雨上がりで、ひどい目にあっています。
「目が開いてない」という感じだそうです。
自分でも感じます。視野の高さがすごーい狭いです。
(誰だ!?心の中で「え、いつでもそうじゃん、って思ったのは!」)
リアルライフはそれなりに祝福もあるのですが、
何かを書こうという元気はありません。
だから、今日はあっさりと終わります。
でも、今日の朝、「日々のみことば」で聖書を読んでいて、
うれしかったこと一つ。
ちょうど、民数記の17章で、
アロンの杖から芽が出るというところでした。
その箇所は今からちょうど21年前の今日、
私達の結婚式の中で、
司式された小林和夫先生が、
開いてくださったところです。
杖ですから、本当は枯れているはずの枝から
芽が出て、実を結ぶようなことを神様はしてくださる、
と、予言をなさるかのように語ってくださいました。
今朝、そのことばを思い出しながら、
私達の夫婦の間に
本当に一致があるところに、
共に歩んで行っている中に、
そのような奇跡がなさせれて行くのだという、
メッセージを受け取りました。
まだまだ、自分勝手で、本当の意味で妻を愛しているとは言えないような、身勝手な自分ですが、主の前にへりくだって、主から確信と平安をいただいて、一つになって行くことができますようにと願います。
神様、
今日も守ってくださってありがとうございます。
本当に参っています。
どうか、こんな中にも、いや、こんな中だからこそ、現されるあなたの御業を経験させてください。
私はいつもからだの弱さを感じておられる方々のことがわかっていないんだなと思います。どうか、私のように花粉の季節だけではない、いつもいつも、からだの弱さを持ちつつ歩んでおられる方々に寄り添うことを教えてください。
どうか、あなたのお約束通り、枯れた枝から芽が出て実を結ぶような奇跡を見せてください。
そう、今日の朝はシニアセンターでしたが、毎回、皆さんの反応には励まされます。もっともっとこのような働きが広がって行きますように。
2011-05-04
神様を見上げる。
今日は予報通りと言うか、
予報を遥かに超える本降りで、
花粉が流れて行ってくれていると思います。
その割には「花粉が飛んでなくて今日は絶好調!」とは行きませんでしたが、でもやっぱり楽だと思います。買い物にも安心して出かけられました。
そこで買ったのが「イチゴ」。
何年ぶりでしょうか、イチゴを買うのは・・・。
のんちもあまり買っていなかったですね。
9年くらい前からアレルギーでたべられなくなって、
あきらめていたのですが、
昨日、TV Japanを何の気なしに見ていたら、
ケンタロウさんが「イチゴのコンポート」を作っていて、
お、これからきっと食べれると思って、
買ってきて、作りました。
10分でできます。
熱いのをアイスクリームに添えて食べるのがいいそうで。
早速今週Turkey Hillが特売だったので、
他ではあまり見ない(高いアイスは別ですが・・・)ラムレーズンに添えて。
おいしゅうございました。
ちょっとクセになるかも。
さて、今日はのんちは夜9時は入りで夜中の2時までそして、朝の7時から昼まで。だから、その合間、日本時間の夜の2時半頃に電話しました。電波もあまりよくないようで、連絡が今まで通りには取れないかもしれません。ま、「便りがないのはいい便り」ということで。
あ、そういえば、日本時間ではもう5月5日になっていますが、こちらも間もなく21回目の結婚記念日。ここまで守られたことに心から感謝。神様に感謝。
日本では「こどもの日」。明日は下の娘の学校で、日本の紹介があるそうだ。月曜日には個人的に校長先生に会ってきて、一緒にのんちが、塩釜や石巻で撮ったたくさんの写真を見ながら、どれほど大きなことが起こったのか、どれほど大変な中に人々がいるのか、そして、そんな中で、人々が助け合っていることがどれほどの力になっているか、語り合った。写真の中から、先生が「助け合うことの大切さ」を表している写真を選んでくださった。日本の子どもたちにとっても、こちらの子どもたちにとっても、幸いな「こどもの日」となりますように。
さて、日曜日から今日までの聖書。
民数記16章。
「あしたの朝、主は、だれがご自分のものか、だれが聖なるものかをお示しになり、その者をご自分に近づけられる。主は、ご自分が選ぶ者をご自分に近づけられるのだ。」5節。
この16章の出来事はモーセの権威への挑戦の出来事だった。
今まで、ここを読むたびに、モーセはどんな思いだっただろうかと思ってきた。
権威に挑戦されて、どんなに苦悩しただろうかと。
でも、今年はここを読んで、モーセの思いはびくともしなかったのではないかと全く違う風に感じた。
モーセは神様を見ていた。神様が自分を立てたのであって、人々が自分を立てたのではないという確信と平安があったのではないか。
だから、はっきりと語る力もあったし、
ただ、惑わされていた人たちのためにとりなすこともできた。
首謀者が滅びたあとも、人々の不満がくすぶっていた。
それも、つらかっただろうけれども、
そこに沈んでいくよりも、やはり、人々のためにとりなした。
人を見るか?神の召命を見るか?
堅く立つ者でありたいと思う。
とりなし手とならせていただきたいと思う。
主よ、
どうか、あなたの召しに対して、忠実な者とならせてください。
あなたの導かれるところをしっかりと見つめて歩むことができますように。
人々の評価に一喜一憂することから守ってください。
21年間の歩みに感謝します。
これからもあなたの憐れみによって支えてください。
予報を遥かに超える本降りで、
花粉が流れて行ってくれていると思います。
その割には「花粉が飛んでなくて今日は絶好調!」とは行きませんでしたが、でもやっぱり楽だと思います。買い物にも安心して出かけられました。
そこで買ったのが「イチゴ」。
何年ぶりでしょうか、イチゴを買うのは・・・。
のんちもあまり買っていなかったですね。
9年くらい前からアレルギーでたべられなくなって、
あきらめていたのですが、
昨日、TV Japanを何の気なしに見ていたら、
ケンタロウさんが「イチゴのコンポート」を作っていて、
お、これからきっと食べれると思って、
買ってきて、作りました。
10分でできます。
熱いのをアイスクリームに添えて食べるのがいいそうで。
早速今週Turkey Hillが特売だったので、
他ではあまり見ない(高いアイスは別ですが・・・)ラムレーズンに添えて。
おいしゅうございました。
ちょっとクセになるかも。
さて、今日はのんちは夜9時は入りで夜中の2時までそして、朝の7時から昼まで。だから、その合間、日本時間の夜の2時半頃に電話しました。電波もあまりよくないようで、連絡が今まで通りには取れないかもしれません。ま、「便りがないのはいい便り」ということで。
あ、そういえば、日本時間ではもう5月5日になっていますが、こちらも間もなく21回目の結婚記念日。ここまで守られたことに心から感謝。神様に感謝。
日本では「こどもの日」。明日は下の娘の学校で、日本の紹介があるそうだ。月曜日には個人的に校長先生に会ってきて、一緒にのんちが、塩釜や石巻で撮ったたくさんの写真を見ながら、どれほど大きなことが起こったのか、どれほど大変な中に人々がいるのか、そして、そんな中で、人々が助け合っていることがどれほどの力になっているか、語り合った。写真の中から、先生が「助け合うことの大切さ」を表している写真を選んでくださった。日本の子どもたちにとっても、こちらの子どもたちにとっても、幸いな「こどもの日」となりますように。
さて、日曜日から今日までの聖書。
民数記16章。
「あしたの朝、主は、だれがご自分のものか、だれが聖なるものかをお示しになり、その者をご自分に近づけられる。主は、ご自分が選ぶ者をご自分に近づけられるのだ。」5節。
この16章の出来事はモーセの権威への挑戦の出来事だった。
今まで、ここを読むたびに、モーセはどんな思いだっただろうかと思ってきた。
権威に挑戦されて、どんなに苦悩しただろうかと。
でも、今年はここを読んで、モーセの思いはびくともしなかったのではないかと全く違う風に感じた。
モーセは神様を見ていた。神様が自分を立てたのであって、人々が自分を立てたのではないという確信と平安があったのではないか。
だから、はっきりと語る力もあったし、
ただ、惑わされていた人たちのためにとりなすこともできた。
首謀者が滅びたあとも、人々の不満がくすぶっていた。
それも、つらかっただろうけれども、
そこに沈んでいくよりも、やはり、人々のためにとりなした。
人を見るか?神の召命を見るか?
堅く立つ者でありたいと思う。
とりなし手とならせていただきたいと思う。
主よ、
どうか、あなたの召しに対して、忠実な者とならせてください。
あなたの導かれるところをしっかりと見つめて歩むことができますように。
人々の評価に一喜一憂することから守ってください。
21年間の歩みに感謝します。
これからもあなたの憐れみによって支えてください。
2011-05-03
復活・・・したかな。
雨降ってほしいなあ。
ざーっと雨が降って、すべての花粉を洗い流してほしい。
今夜から明日にかけて雨が降るというのですが、
どれくらい降るのか、本当に降るのか、
降ってほしいです。
多分、家の前の通りのoak treeはもう峠を越しているから、
雨が流してくれたら、ずいぶん楽になると思います。
で、とにかく、機能はずいぶん回復したかなと思って、
念のために、あり得ないくらい早く休んで、
今日はすかっと・・・と思ったのですが、
全然でしたね。
でも、更新をしようかと思えるくらいですから、
ずいぶん、よくなっているのでしょう。
そして、明日からはちょっと涼しくなるようです。
さて、予定より一日早く月曜日に山元町に入ったのんちですが、
夜勤専門+午前中だそうですが、
石巻の時のように寒い中、
外での仕事があるわけではなく、
重い荷物を運ぶ仕事があるわけでもなく、
今のところ、大丈夫かな、ということだそうです。
夜勤の間はおトイレに行きたいご高齢の方の介助、
そして、午前中は普通の外来みたいな感じで働いているそうです。
皆さんのお祈りに感謝します。
山元町、あまりニュースでも流れませんが、
私達のサポートしている国際飢餓対策機構のHPには、こんなエピソードも。
森祐理さんの訪問。
さて、「日々のみことば」は民数記の16章を読んでいます。明日のところまでが一まとまりなので、明日、まとめて書きます。
明日は隣の教会での文化クラスの最初に聖書の話を15分。そして、そのあと、クロッキー教室の最後に聖書の話を15分です。短くても、life changingな聖書のことばを分かち合うことができますように。
あと、明日は雨が降って、外に出ても花粉症がひどくなりませんように。
ざーっと雨が降って、すべての花粉を洗い流してほしい。
今夜から明日にかけて雨が降るというのですが、
どれくらい降るのか、本当に降るのか、
降ってほしいです。
多分、家の前の通りのoak treeはもう峠を越しているから、
雨が流してくれたら、ずいぶん楽になると思います。
で、とにかく、機能はずいぶん回復したかなと思って、
念のために、あり得ないくらい早く休んで、
今日はすかっと・・・と思ったのですが、
全然でしたね。
でも、更新をしようかと思えるくらいですから、
ずいぶん、よくなっているのでしょう。
そして、明日からはちょっと涼しくなるようです。
さて、予定より一日早く月曜日に山元町に入ったのんちですが、
夜勤専門+午前中だそうですが、
石巻の時のように寒い中、
外での仕事があるわけではなく、
重い荷物を運ぶ仕事があるわけでもなく、
今のところ、大丈夫かな、ということだそうです。
夜勤の間はおトイレに行きたいご高齢の方の介助、
そして、午前中は普通の外来みたいな感じで働いているそうです。
皆さんのお祈りに感謝します。
山元町、あまりニュースでも流れませんが、
私達のサポートしている国際飢餓対策機構のHPには、こんなエピソードも。
森祐理さんの訪問。
さて、「日々のみことば」は民数記の16章を読んでいます。明日のところまでが一まとまりなので、明日、まとめて書きます。
明日は隣の教会での文化クラスの最初に聖書の話を15分。そして、そのあと、クロッキー教室の最後に聖書の話を15分です。短くても、life changingな聖書のことばを分かち合うことができますように。
あと、明日は雨が降って、外に出ても花粉症がひどくなりませんように。
2011-05-02
あと一歩。たぶん。
金/土が多分一番きつくて、昨日、今日、とどんどんよくなってきています。
でも、今日の夕方、明日の子どもたちのランチもあるし、
どうしてもやっぱり買い物行かなければ・・・ということで、
出かけてきたら、一気に目が開けられなくなりました。
もう少しで普通に生活できるようになる・・・と期待しつつ。
でも、今日の夕方、明日の子どもたちのランチもあるし、
どうしてもやっぱり買い物行かなければ・・・ということで、
出かけてきたら、一気に目が開けられなくなりました。
もう少しで普通に生活できるようになる・・・と期待しつつ。
2011-05-01
回復中。
昨日の夜に比べると、ずっと調子がいい日曜日の夜です。
昨日から今日はなんでかわかりませんが、腰の痛みもありました。
教会の方々も調子の悪い方多かったですね。
お休みの方々の中にも調子を崩されている方々がおられると思います。
皆さんのご健康が守られますように。
でも、「ホントにしんどい中でも、喜びを胸に!」ってやっぱ、自分の力じゃできないなあと思ったこの週末でした。
自分の無力さを知った所に、神様の恵みが注がれる、それを信じて、今日も早めに休むことにします。
のんちは、今、東京を出て、仙台に向かっている最中です。
元々は仙台で一泊して、山元町に向かう予定だったそうですが、
派遣団体の要請で、今日、仙台で拾ってもらい、そのまま、山元町に向かうそうです。
お祈りください。
昨日から今日はなんでかわかりませんが、腰の痛みもありました。
教会の方々も調子の悪い方多かったですね。
お休みの方々の中にも調子を崩されている方々がおられると思います。
皆さんのご健康が守られますように。
でも、「ホントにしんどい中でも、喜びを胸に!」ってやっぱ、自分の力じゃできないなあと思ったこの週末でした。
自分の無力さを知った所に、神様の恵みが注がれる、それを信じて、今日も早めに休むことにします。
のんちは、今、東京を出て、仙台に向かっている最中です。
元々は仙台で一泊して、山元町に向かう予定だったそうですが、
派遣団体の要請で、今日、仙台で拾ってもらい、そのまま、山元町に向かうそうです。
お祈りください。
のんちのインタビュー。
のんちが、実家の近くの教会で、
インタビューを受けている様子を録画していただいて、
見ることができます。感謝。
1時間番組です。
Video streaming by Ustream
写真はいくつか見たことはあるのですが、
日本での「動くのんち」は初めてです。
インタビューをしているのはのんちが洗礼を受けた牧師さんの息子さん。
「たけちゃんねる」というチャンネルでUstreamをやっておられます。
たけちゃん、ありがとう!
インタビューを受けている様子を録画していただいて、
見ることができます。感謝。
1時間番組です。
Video streaming by Ustream
写真はいくつか見たことはあるのですが、
日本での「動くのんち」は初めてです。
インタビューをしているのはのんちが洗礼を受けた牧師さんの息子さん。
「たけちゃんねる」というチャンネルでUstreamをやっておられます。
たけちゃん、ありがとう!
2011-04-29
どんなときでも!
・・・とは思うのですが、やはり今日は花粉症の症状がきついです。
今朝、教会に行こうと思って車を見たら、昨日の夕方まで乗っていた車がまっ黄色。
昨日までよりもぐっと気温は下がりましたし、
湿度も下がってさわやかな一日でしたが、
さすがにこの花粉の中では外に出られません。
最低限の用事以外はおとなしく過ごしていました。
目をこすらないようにと思うのですが・・・
もう、まぶたが腫れ上がってしまっています。
ですから、今日の聖書箇所で心に留まった言葉だけ。
「御前の破れに立つ」23節。
おやすみなさい。
今朝、教会に行こうと思って車を見たら、昨日の夕方まで乗っていた車がまっ黄色。
昨日までよりもぐっと気温は下がりましたし、
湿度も下がってさわやかな一日でしたが、
さすがにこの花粉の中では外に出られません。
最低限の用事以外はおとなしく過ごしていました。
目をこすらないようにと思うのですが・・・
もう、まぶたが腫れ上がってしまっています。
ですから、今日の聖書箇所で心に留まった言葉だけ。
「御前の破れに立つ」23節。
おやすみなさい。
2011-04-28
主のしもべ。
昨日の嵐は本当にひどくて、
南部を中心に200人以上300人に迫る人々が亡くなっています。
写真を見ると、「風だけで、ここまでひどいことになるとは・・・」という感じです。ものすごい破壊力です。でも、普通は100メートル離れると無傷です。今回の大きな竜巻は1000メートルの幅があったと言われていますから、大変なことでしょうが、それでも、少し離れれば無傷な地域が広がっています。今回の日本の津波の被害の問題は、被災地域をサポートできる地域が限られている、ということでしょう。ある程度遠くに行かないと、被災地をサポートできる力を持っていないんですね。
来週からのんちが入る山元町は下水の整備のめどが全然立たないそうです。
水道も人々が生活しているところは100パーセント出るようになったようですが、
全体の60パーセントとあります。つまり残り40パーセントは水道の栓自体が失われているということなんでしょうね。
半分の地域が残りの半分の地域を支えている。
その支えている方も、下水道は使えない。
被災地はどこもそのような問題を抱えておられます。
支える側の方々も支えられることがどれほど必要であるかを思わされます。
今日も支えておられる方々も支えられますように。
今日の夕方、Paramus High Schoolにかかった虹。
ユキの大学進学のために最近真剣にいろいろ考えさせられています。
今日は全米から大学が集まって、ブースを出して、PRする日。
本人も、ちょっとは真剣に考え始めた、かな。
昨日の夜、真夜中にtwitterで歌手のMichael W. Smithのtweetで、
ディビッド・ウィルカーソン師が交通事故でなくなられたことを知りました。
ペンシルベニアの田舎の牧師であった師が、
NYで殺人事件を起こしたギャングの若者たちのために立ち上がるようにと、
神様からの迫りを受けて、いきなりNYに出てきて、
「狂信的な牧師」と新聞沙汰になるような中で、
ギャングの伝道のために尽くして、Teen Challengeを立ち上げ、
その後、Times Square Churchを始められた方です。
もう既に引退されてはいますが、
本当にすばらしい働きをして来られた先生が、
昨日の午後、テキサスで、
ご自分の運転される車で反対車線にはみ出し、
大型トレーラーと衝突、亡くなられたそうです。
ご遺族に、教会に主の慰めを祈ります。
でも、どのように召されるのか、わからないですね。
誰でも、いつかはこの世を去るならば、
畳の上で・・・というか、みんなの賛美の中で、
主の御許に・・・と思いますが、
本当にいつどんなことで、召されても大丈夫なように、
心の備えをしなければ。
いつもいつも主のしもべとして歩めますように。
南部を中心に200人以上300人に迫る人々が亡くなっています。
写真を見ると、「風だけで、ここまでひどいことになるとは・・・」という感じです。ものすごい破壊力です。でも、普通は100メートル離れると無傷です。今回の大きな竜巻は1000メートルの幅があったと言われていますから、大変なことでしょうが、それでも、少し離れれば無傷な地域が広がっています。今回の日本の津波の被害の問題は、被災地域をサポートできる地域が限られている、ということでしょう。ある程度遠くに行かないと、被災地をサポートできる力を持っていないんですね。
来週からのんちが入る山元町は下水の整備のめどが全然立たないそうです。
水道も人々が生活しているところは100パーセント出るようになったようですが、
全体の60パーセントとあります。つまり残り40パーセントは水道の栓自体が失われているということなんでしょうね。
半分の地域が残りの半分の地域を支えている。
その支えている方も、下水道は使えない。
被災地はどこもそのような問題を抱えておられます。
支える側の方々も支えられることがどれほど必要であるかを思わされます。
今日も支えておられる方々も支えられますように。
今日の夕方、Paramus High Schoolにかかった虹。
ユキの大学進学のために最近真剣にいろいろ考えさせられています。
今日は全米から大学が集まって、ブースを出して、PRする日。
本人も、ちょっとは真剣に考え始めた、かな。
昨日の夜、真夜中にtwitterで歌手のMichael W. Smithのtweetで、
ディビッド・ウィルカーソン師が交通事故でなくなられたことを知りました。
ペンシルベニアの田舎の牧師であった師が、
NYで殺人事件を起こしたギャングの若者たちのために立ち上がるようにと、
神様からの迫りを受けて、いきなりNYに出てきて、
「狂信的な牧師」と新聞沙汰になるような中で、
ギャングの伝道のために尽くして、Teen Challengeを立ち上げ、
その後、Times Square Churchを始められた方です。
もう既に引退されてはいますが、
本当にすばらしい働きをして来られた先生が、
昨日の午後、テキサスで、
ご自分の運転される車で反対車線にはみ出し、
大型トレーラーと衝突、亡くなられたそうです。
ご遺族に、教会に主の慰めを祈ります。
でも、どのように召されるのか、わからないですね。
誰でも、いつかはこの世を去るならば、
畳の上で・・・というか、みんなの賛美の中で、
主の御許に・・・と思いますが、
本当にいつどんなことで、召されても大丈夫なように、
心の備えをしなければ。
先生のギャング伝道の証しは「十字架と飛び出しナイフ」という本になっています。
この本は、中学生くらいの時にもらったのですが、
それをちゃんと読んだのは大人になってから。
本当に心動かされました。
主に従うってことはどういうことなのか、
真剣に考えたいと思いました。
今、もう一度、主に従う者として歩みたいと思います。
主に従う、という点で、
周りの反応に動かされないものを持ちたいです。
いつもいつも主のしもべとして歩めますように。
2011-04-27
嵐の夜。
今日も暖かい日でしたが、
南部や中西部では歴史的な嵐になったようです。
アラバマやミシシッピ、テネシー州にはいくつもの竜巻が発生して、
大きな被害が出ています。
Weather Channelのビデオを二つ。
本当に大きな自然の力を感じさせられます。
夜はどうしても被害が大きくなると言います。
明日にかけて、こちらは竜巻はなくても、大雨の可能性はあります。
これ以上被害が大きくなりませんように。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇の105篇の後半、 24-45節でした。
「主が岩を開かれると、水がほとばしり出た。水は砂漠を川となって流れた。これは主が、そのしもべアブラハムへの聖なることばを、覚えておられたからである。」41-42節。
砂漠に水が流れる。
それが、アブラハムの子孫であるイスラエルの人々に与えられた祝福だ。
そして、それが新約時代に新しいイスラエルとしてその約束を受け継ぐ教会に与えられた祝福だ。
砂漠に水が流れる。
それが、神と共に歩むということだ。
砂漠が砂漠でなくなってしまうことではない。
砂漠に水が流れる。
涙の谷も泉湧くところとなる。
今日の自分について言うなら、花粉症の中でも、
平和と喜びの中で歩むことができる、ということかな。
でも、それをがんばりでやろうとすると、
つかれるんだろうな、やっぱり花粉症はしんどい。
だから、自分のがんばりじゃない。
主が私の内側に働いて、元気を与えてくださる。
力を与えてくださる。
祈って力をいただきたい。
主よ助けてください。
主よ、
砂漠に水が流れる奇跡をなしてください。
あなたのアブラハムへの約束を、今の私の人生にもなしてください。
南部や中西部では歴史的な嵐になったようです。
アラバマやミシシッピ、テネシー州にはいくつもの竜巻が発生して、
大きな被害が出ています。
Weather Channelのビデオを二つ。
本当に大きな自然の力を感じさせられます。
夜はどうしても被害が大きくなると言います。
明日にかけて、こちらは竜巻はなくても、大雨の可能性はあります。
これ以上被害が大きくなりませんように。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇の105篇の後半、 24-45節でした。
「主が岩を開かれると、水がほとばしり出た。水は砂漠を川となって流れた。これは主が、そのしもべアブラハムへの聖なることばを、覚えておられたからである。」41-42節。
砂漠に水が流れる。
それが、アブラハムの子孫であるイスラエルの人々に与えられた祝福だ。
そして、それが新約時代に新しいイスラエルとしてその約束を受け継ぐ教会に与えられた祝福だ。
砂漠に水が流れる。
それが、神と共に歩むということだ。
砂漠が砂漠でなくなってしまうことではない。
砂漠に水が流れる。
涙の谷も泉湧くところとなる。
今日の自分について言うなら、花粉症の中でも、
平和と喜びの中で歩むことができる、ということかな。
でも、それをがんばりでやろうとすると、
つかれるんだろうな、やっぱり花粉症はしんどい。
だから、自分のがんばりじゃない。
主が私の内側に働いて、元気を与えてくださる。
力を与えてくださる。
祈って力をいただきたい。
主よ助けてください。
主よ、
砂漠に水が流れる奇跡をなしてください。
あなたのアブラハムへの約束を、今の私の人生にもなしてください。
2011-04-26
花粉飛びまくり。
日曜日からの暖かさ、というか暑いくらいの陽気で、
今日はとうとう我が家の前のoak treeも開花。
今年はまだまだだろうと思っていた花粉症がいきなり全開です。
明日も気温が25度以上に上がりそうです。
そして木曜日の雷雨で、ちょっと落ち着きそうですが、
そのあとも割合気温は高め。
一気に花粉の季節には駆け抜けてもらいましょう。
のんちは、もうしばらく東京ですが、
火曜日は看護学校時代の友達と埼玉県の避難所に行ってきたとか。
まあ、じっとしておられないようです。
来週から2週間、宮城県の山元町になりそうだそうです。
私も言われて初めて調べたところですが、
福島県との県境の海沿いの町。
やはり大きな被害があったところであり、
救援も遅れがちのところのようです。
教会もないようですが、先日は森祐理さんがコンサートをされたとか。
どうか、お祈りの応援をよろしくお願いします。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇105:1-23。
「彼のことばがそのとおりになるまで、主のことばが彼をためした。」19節。
主のことばがためす。
共同訳では「火で練り清める」とあります。
そういうことなんでしょう。
ヨセフはたくさんのひどい目に遭っていますよね。
でも、その中で、彼はととのえられてきたのだと思います。
兄弟に捨てられたこと。
そのあと、奴隷として売られて、
一生懸命仕えて主人から信頼されていたのに、
その奥さんに言いよられて、断ったら、
逆にあの男に襲われそうになったなんて嘘つかれて、
それで、あんなに尽くした主人に、
一発で捨てられて、
忠実に仕えてきた主人に不信の目で見られたこと。
また忠実に仕えて、牢獄の中でも
人々に信頼されて、
そして、夢の意味を説いてあげた王の給仕頭にも忘れられたこと。
本当にいろんな闘い、がっかりすることを、経験したのに、
彼はその中で、神様を信頼して、忠実に仕えていった。
この愚直な忠実さを持たせていただきたい。
神様を見上げ、見つめて歩んで行きたい。
かみさま、
花粉症、きついです。
なんとか、取り去ってほしいです。
でも、これも、あなたが私を練り清めるために使われるのでしょうか。
ただ、どんな状況の中でも、あなたに従う者、あなたを信頼する者とならせてください。
今日はとうとう我が家の前のoak treeも開花。
今年はまだまだだろうと思っていた花粉症がいきなり全開です。
明日も気温が25度以上に上がりそうです。
そして木曜日の雷雨で、ちょっと落ち着きそうですが、
そのあとも割合気温は高め。
一気に花粉の季節には駆け抜けてもらいましょう。
のんちは、もうしばらく東京ですが、
火曜日は看護学校時代の友達と埼玉県の避難所に行ってきたとか。
まあ、じっとしておられないようです。
来週から2週間、宮城県の山元町になりそうだそうです。
私も言われて初めて調べたところですが、
福島県との県境の海沿いの町。
やはり大きな被害があったところであり、
救援も遅れがちのところのようです。
教会もないようですが、先日は森祐理さんがコンサートをされたとか。
どうか、お祈りの応援をよろしくお願いします。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇105:1-23。
「彼のことばがそのとおりになるまで、主のことばが彼をためした。」19節。
主のことばがためす。
共同訳では「火で練り清める」とあります。
そういうことなんでしょう。
ヨセフはたくさんのひどい目に遭っていますよね。
でも、その中で、彼はととのえられてきたのだと思います。
兄弟に捨てられたこと。
そのあと、奴隷として売られて、
一生懸命仕えて主人から信頼されていたのに、
その奥さんに言いよられて、断ったら、
逆にあの男に襲われそうになったなんて嘘つかれて、
それで、あんなに尽くした主人に、
一発で捨てられて、
忠実に仕えてきた主人に不信の目で見られたこと。
また忠実に仕えて、牢獄の中でも
人々に信頼されて、
そして、夢の意味を説いてあげた王の給仕頭にも忘れられたこと。
本当にいろんな闘い、がっかりすることを、経験したのに、
彼はその中で、神様を信頼して、忠実に仕えていった。
この愚直な忠実さを持たせていただきたい。
神様を見上げ、見つめて歩んで行きたい。
かみさま、
花粉症、きついです。
なんとか、取り去ってほしいです。
でも、これも、あなたが私を練り清めるために使われるのでしょうか。
ただ、どんな状況の中でも、あなたに従う者、あなたを信頼する者とならせてください。
2011-04-25
復活のいのち。
昨日は、暑いくらいだったので、
今日は普通に暖かいという感じでした。
でも、それは主観的な話で、
また教会でネクタイをしていたので、
かなり堪えましたが、
休養日で、しっかり休ませていただいたので、
昨日の方がめちゃくちゃ暑くて、大変だったという印象が残っているだけなのかもしれません。
いずれにせよ、この暖かさで、裏庭にはタンポポが咲き誇り、
ほったらかし畑にはアスパラが生い茂り、
ニラがにょきにょき生えてきています。
今日はアスパラを18本収穫して、
アスパラのベーコン巻きを
リクエストしてきたサキに自分で作らせました。
そして新芽の柔らかいニラをニラ玉豆腐にして、
「今日は冷蔵庫の中の残ったものゴハンだ!」という感じだったのですが、結構立派な食事になりました。
春の恵みに感謝。
昨日の朝。
ちょっと疲れていたのか、花粉症の薬でぼーっとしているのか、震災のことで心が重くなっていたのか、男の更年期なのか、ミッドライフクライシスなのか、とにかく、気持ちが重くて、「朝起きるのがつらい〜」という日曜日の朝でした。
毎朝6時には教会に行って45分まで祈りのときを持っていますが、
昨日の朝も、教会に行って、祈っていました。
でも、重い気持ちを引きずっていました。
「イースターなのに」「牧師なのに」という思いで、
「ダメだなあ」「なんでだろうなあ」と落ち込みながら、
「こんな自分の心、みんなが知ったらがっかりだろうなあ」とどう思われるかを気にしたり、
「隣の○○牧師とか、Twitterでいつも元気な○○牧師とかは、こういうことはないんだろうなあ」と比べてみたり、
ドツボにはまっておりました。
で、なんでか覚えていないのですが、
いつもより早く30分頃にはふらふら〜と立ち上がって、
車に乗って、走り出していました。
最初の信号のところで、「あれ、まだこんな時間だ。教会のニュースレターにも『45分前で毎朝祈っています』と書いてあるので、誰か来るかもしれない・・・」と思って、教会に戻りました。そう、今日に限って、誰かが来られるような気がしたのです。
でも、教会に帰って「何やってんだろう自分」と思ったとたんに、涙と一緒に、神様への祈りが出てきました。「自分はダメです。こんな調子です。イースターの朝なのに、こんな調子です。あと数時間で皆さんが来ます。何かを求めてきます。主にお会いすることを求めて来ます。なのに自分の心の状態はこんな調子です。助けてください。」と祈りました。
その時に、礼拝の中でお話をする内容が浮かんできました。
ルカによる福音書24章でイエスの復活の日の夕方、エルサレムからエマオという小さな村に歩いていたふたり。そこに復活されたイエスご自身が近づいて、聖書全体から、ご自身について書かれていることを解き明かした、その時、彼らの心が燃えた、というところです。イエスさまは聖書の御言葉を通して、私達の心を燃やし、私達の目を開いてくださるのです。そのことを語らせていただくことになっていました。
「さあ、あなたも聖書から聞きなさい」と言われているように思いました。
最近、自分は人の励ましや、超自然的な「聖霊の働き」による励ましを求めていたのかもしれません。
そこで、もう既に30分前に読んだところだったのですが、もう一度「日々のみことば」の4月24日のところを開きました。そしてゆっくり読んでいる中で、一つのことばが目に留りました。
「あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。」マルコ16:4。
私の「大きな石」も「あれほど大きな石」と言われるものであっても、復活のイエスの力はそれを動かしてしまう。いやも動いてしまっているのだ。
そのことを思わされた時に、本当にあのルカの24章のふたりのように、「ああ、イエスさまはおられたのに、私が気がつかなかったんだ」と思いました。目が閉ざされていたのだと。
昨日も書きましたが、それから一言祈って、立ち上がった時、教会の駐車場の風景が変わっていました。いや、大げさに聞こえるかもしれませんし、自分自身、こういう表現は好きではないのですが、事実だったのでしょうがありません、ホントに「キラキラ」していました。
復活の主に感謝します。
さて、それで今朝の聖書。
今朝はマルコ16:1-8を読みました。
「主は彼らと共に働き・・・」20節。
「イエスご自身、彼らによって・・・」(別の追加文)
原典主義(って言葉があるかわかりませんが、最初に著者が書いたものに権威があるという考え)なので、原典にはなく、後代の追加であることがわかっているこの部分は、私自身は飛ばしてしまってもいいのかと思っていて、「日々のみことば」誌で「神様によって追加された」と書かれているのにはちょっとびっくりしましたが、両方の追加文で共通しているメッセージに心が向きました。
そう、両方、主語は復活されたイエス。
弟子たちはイエスとともに働く存在です。
私たちにとって大切なのは、
主イエスに働いていただくこと。
私達が一生懸命働いて、神様を喜ばせようとするのではなく、
私達の存在を主の前に差し出して、主が私達を自由に用いてすばらしいことをしてくださることを待ち望むこと、なんですね。
主がなさることをもっともっと見せていただきたい。
そんな思いです。
主よ、
どうか、この地にあなたのリバイバルを。
日本の国にあなたが触れてください。
あなたの御業をなしてください。
そして、私達があなたのために用いられやすい、
あなたに従順に従う者でありますように。
今日は普通に暖かいという感じでした。
でも、それは主観的な話で、
また教会でネクタイをしていたので、
かなり堪えましたが、
休養日で、しっかり休ませていただいたので、
昨日の方がめちゃくちゃ暑くて、大変だったという印象が残っているだけなのかもしれません。
いずれにせよ、この暖かさで、裏庭にはタンポポが咲き誇り、
ほったらかし畑にはアスパラが生い茂り、
ニラがにょきにょき生えてきています。
今日はアスパラを18本収穫して、
アスパラのベーコン巻きを
リクエストしてきたサキに自分で作らせました。
そして新芽の柔らかいニラをニラ玉豆腐にして、
「今日は冷蔵庫の中の残ったものゴハンだ!」という感じだったのですが、結構立派な食事になりました。
春の恵みに感謝。
昨日の朝。
ちょっと疲れていたのか、花粉症の薬でぼーっとしているのか、震災のことで心が重くなっていたのか、男の更年期なのか、ミッドライフクライシスなのか、とにかく、気持ちが重くて、「朝起きるのがつらい〜」という日曜日の朝でした。
毎朝6時には教会に行って45分まで祈りのときを持っていますが、
昨日の朝も、教会に行って、祈っていました。
でも、重い気持ちを引きずっていました。
「イースターなのに」「牧師なのに」という思いで、
「ダメだなあ」「なんでだろうなあ」と落ち込みながら、
「こんな自分の心、みんなが知ったらがっかりだろうなあ」とどう思われるかを気にしたり、
「隣の○○牧師とか、Twitterでいつも元気な○○牧師とかは、こういうことはないんだろうなあ」と比べてみたり、
ドツボにはまっておりました。
で、なんでか覚えていないのですが、
いつもより早く30分頃にはふらふら〜と立ち上がって、
車に乗って、走り出していました。
最初の信号のところで、「あれ、まだこんな時間だ。教会のニュースレターにも『45分前で毎朝祈っています』と書いてあるので、誰か来るかもしれない・・・」と思って、教会に戻りました。そう、今日に限って、誰かが来られるような気がしたのです。
でも、教会に帰って「何やってんだろう自分」と思ったとたんに、涙と一緒に、神様への祈りが出てきました。「自分はダメです。こんな調子です。イースターの朝なのに、こんな調子です。あと数時間で皆さんが来ます。何かを求めてきます。主にお会いすることを求めて来ます。なのに自分の心の状態はこんな調子です。助けてください。」と祈りました。
その時に、礼拝の中でお話をする内容が浮かんできました。
ルカによる福音書24章でイエスの復活の日の夕方、エルサレムからエマオという小さな村に歩いていたふたり。そこに復活されたイエスご自身が近づいて、聖書全体から、ご自身について書かれていることを解き明かした、その時、彼らの心が燃えた、というところです。イエスさまは聖書の御言葉を通して、私達の心を燃やし、私達の目を開いてくださるのです。そのことを語らせていただくことになっていました。
「さあ、あなたも聖書から聞きなさい」と言われているように思いました。
最近、自分は人の励ましや、超自然的な「聖霊の働き」による励ましを求めていたのかもしれません。
そこで、もう既に30分前に読んだところだったのですが、もう一度「日々のみことば」の4月24日のところを開きました。そしてゆっくり読んでいる中で、一つのことばが目に留りました。
「あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。」マルコ16:4。
私の「大きな石」も「あれほど大きな石」と言われるものであっても、復活のイエスの力はそれを動かしてしまう。いやも動いてしまっているのだ。
そのことを思わされた時に、本当にあのルカの24章のふたりのように、「ああ、イエスさまはおられたのに、私が気がつかなかったんだ」と思いました。目が閉ざされていたのだと。
昨日も書きましたが、それから一言祈って、立ち上がった時、教会の駐車場の風景が変わっていました。いや、大げさに聞こえるかもしれませんし、自分自身、こういう表現は好きではないのですが、事実だったのでしょうがありません、ホントに「キラキラ」していました。
復活の主に感謝します。
さて、それで今朝の聖書。
今朝はマルコ16:1-8を読みました。
「主は彼らと共に働き・・・」20節。
「イエスご自身、彼らによって・・・」(別の追加文)
原典主義(って言葉があるかわかりませんが、最初に著者が書いたものに権威があるという考え)なので、原典にはなく、後代の追加であることがわかっているこの部分は、私自身は飛ばしてしまってもいいのかと思っていて、「日々のみことば」誌で「神様によって追加された」と書かれているのにはちょっとびっくりしましたが、両方の追加文で共通しているメッセージに心が向きました。
そう、両方、主語は復活されたイエス。
弟子たちはイエスとともに働く存在です。
私たちにとって大切なのは、
主イエスに働いていただくこと。
私達が一生懸命働いて、神様を喜ばせようとするのではなく、
私達の存在を主の前に差し出して、主が私達を自由に用いてすばらしいことをしてくださることを待ち望むこと、なんですね。
主がなさることをもっともっと見せていただきたい。
そんな思いです。
主よ、
どうか、この地にあなたのリバイバルを。
日本の国にあなたが触れてください。
あなたの御業をなしてください。
そして、私達があなたのために用いられやすい、
あなたに従順に従う者でありますように。
2011-04-24
感謝しつつ・・・
暑い一日で疲れたので休みます。
今朝は本当に祈りの中で、主から御言葉によって励まされ、力をいただき、心燃える思いで、戻り、クッキングをして、教会の準備をして、礼拝でも、愛餐会でも汗がダラダラで。
本当に感謝にあふれる一日でしたが、さすがに体力的には、もう、ちょっと来てしまったので、早めに休みます。アレルギーの薬のせいもあるかなあ。
のんちが東京に戻ったので次々と写真が届きますが、
それはあまりにも・・・なので、ちょっと重いです。
わかってはいたのですが、ここに行っていたのか、と言葉を失います。
でも、本当に思わされるのは、復活祭のこの日のメッセージは、力つき、絶望の中で、朝起きる力さえも失った者たちへのメッセージだということです。
また、明日ゆっくり書きます。
あ、でももう一言。
礼拝のメッセージの中で分かち合ったのですが、
朝、6時半頃、もやもやした思いのままで教会をあとにしたのですが、
何か、まずい、いや、誰か来る、と思って、
教会に戻って、主に祈って、聖書を開いて、
語られて、立ち上がって、6時45分に教会を出る時、
まさに「世界が輝いていた」という経験をしました。
初めての経験でした。
時々、そういうことを言う人がいると、
「何を、大げさな」とか、「感覚的にすぎる」と思っていたのですが(失礼!)、そういうことってありますね。
感謝しつつ。
今朝は本当に祈りの中で、主から御言葉によって励まされ、力をいただき、心燃える思いで、戻り、クッキングをして、教会の準備をして、礼拝でも、愛餐会でも汗がダラダラで。
本当に感謝にあふれる一日でしたが、さすがに体力的には、もう、ちょっと来てしまったので、早めに休みます。アレルギーの薬のせいもあるかなあ。
のんちが東京に戻ったので次々と写真が届きますが、
それはあまりにも・・・なので、ちょっと重いです。
わかってはいたのですが、ここに行っていたのか、と言葉を失います。
でも、本当に思わされるのは、復活祭のこの日のメッセージは、力つき、絶望の中で、朝起きる力さえも失った者たちへのメッセージだということです。
また、明日ゆっくり書きます。
あ、でももう一言。
礼拝のメッセージの中で分かち合ったのですが、
朝、6時半頃、もやもやした思いのままで教会をあとにしたのですが、
何か、まずい、いや、誰か来る、と思って、
教会に戻って、主に祈って、聖書を開いて、
語られて、立ち上がって、6時45分に教会を出る時、
まさに「世界が輝いていた」という経験をしました。
初めての経験でした。
時々、そういうことを言う人がいると、
「何を、大げさな」とか、「感覚的にすぎる」と思っていたのですが(失礼!)、そういうことってありますね。
感謝しつつ。
2011-04-23
弱さ。
今日はGood FridayとResurrection Sundayとの間の一日。
なんだか、昨日「イースターよりもResurrection Sundayの方がいいかも」という話をしてから、今まであまり意識していなかった、イースターという言葉があまり意味がない元々異教的なことばであり、そのまま「イエスの復活の日曜日」、と言った方がずっといいこと、思わされています。ま、とりあえず、明日はハッピー・イースター!で行きますが。
さて、今日は早速「日々のみことば」。
今日はマルコの15:33-47。
「そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、『そら、エリヤを呼んでいる』と言った。」36節。
「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と叫ばれた時に、ある人が「あ、エリヤを呼んでいるんだよ」と叫んだ。たぶん、彼は聖書をよく知っていた。ちょっと他の人たちよりもよく知っていた。でも、イエスの叫びは「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」だった。それがわからなかった。イエスはホントに孤独だったんだと思う。
私も、ちょっとわかったつもりになったりする。
でも、何にもわかっていないんだなと思う。
イエスの十字架。
昨日の夜の集会の準備をしている時に、
悔い改めた方の強盗の言葉「おまえは、同じ刑を受けているのに、神を恐れないのか」という言葉を思いめぐらしていた。彼が感じた「おそれ」。私は少しでもわかっているだろうか?そんなことを思いめぐらしている時に、頭の中に浮かんだ風景があった、人によってはこういうのを幻、というのか、と思ったけれども、なかなかない経験だった。どんよりとした雲の中に光が差し込もうとしているそんな風景だった。
そこには光があった、そこには希望があった。
闇は光には勝てない。
雲がどんなに分厚く覆っていても、
そこに少しでも日が差し込もうとしているならば、
そこは闇ではない。希望に満ちた場所。
イエスの十字架に、それを見たような気がした。
私達は鈍感で、わからなくても、
神様の方は、私達とともにいてくださる。
どこまでも、共にいてくださる。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
そう叫ばれたイエスのことを、私達は全然わかっていなかったけれども、
イエスは、実はそこで、究極的に私達に寄り添ってくださっていたのだ。
そこにあるのは圧倒的な恵みなんだな、そう思う。
主よ、
あなたのことがなんてわかっていないんだろうと思います。
でも、あなたはどこまでも私達とともにいようとしてくださっていた。
その恵みの中に生かされていることに、感謝。
のんちは、私が育った、木場深川教会での礼拝。
今週一週間は東京にいるんじゃないかと。
この先の歩みのために、主の導きをお祈りください。
なんだか、昨日「イースターよりもResurrection Sundayの方がいいかも」という話をしてから、今まであまり意識していなかった、イースターという言葉があまり意味がない元々異教的なことばであり、そのまま「イエスの復活の日曜日」、と言った方がずっといいこと、思わされています。ま、とりあえず、明日はハッピー・イースター!で行きますが。
さて、今日は早速「日々のみことば」。
今日はマルコの15:33-47。
「そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、『そら、エリヤを呼んでいる』と言った。」36節。
「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と叫ばれた時に、ある人が「あ、エリヤを呼んでいるんだよ」と叫んだ。たぶん、彼は聖書をよく知っていた。ちょっと他の人たちよりもよく知っていた。でも、イエスの叫びは「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」だった。それがわからなかった。イエスはホントに孤独だったんだと思う。
私も、ちょっとわかったつもりになったりする。
でも、何にもわかっていないんだなと思う。
イエスの十字架。
昨日の夜の集会の準備をしている時に、
悔い改めた方の強盗の言葉「おまえは、同じ刑を受けているのに、神を恐れないのか」という言葉を思いめぐらしていた。彼が感じた「おそれ」。私は少しでもわかっているだろうか?そんなことを思いめぐらしている時に、頭の中に浮かんだ風景があった、人によってはこういうのを幻、というのか、と思ったけれども、なかなかない経験だった。どんよりとした雲の中に光が差し込もうとしているそんな風景だった。
そこには光があった、そこには希望があった。
闇は光には勝てない。
雲がどんなに分厚く覆っていても、
そこに少しでも日が差し込もうとしているならば、
そこは闇ではない。希望に満ちた場所。
イエスの十字架に、それを見たような気がした。
私達は鈍感で、わからなくても、
神様の方は、私達とともにいてくださる。
どこまでも、共にいてくださる。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
そう叫ばれたイエスのことを、私達は全然わかっていなかったけれども、
イエスは、実はそこで、究極的に私達に寄り添ってくださっていたのだ。
そこにあるのは圧倒的な恵みなんだな、そう思う。
主よ、
あなたのことがなんてわかっていないんだろうと思います。
でも、あなたはどこまでも私達とともにいようとしてくださっていた。
その恵みの中に生かされていることに、感謝。
のんちは、私が育った、木場深川教会での礼拝。
今週一週間は東京にいるんじゃないかと。
この先の歩みのために、主の導きをお祈りください。
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