2008-01-05
「暖波」トーンダウン?
朝は-5.5度と天気予報通り冷え込みましたが、
昼間は6.4度まで上がりました。
今、夜の11時で、2.3度で雨が降っています。
でも、この雨もまもなく上がるようです。
2日前は最高気温が-6度だったのに、
今日は「雪」じゃなくて、「雨」だったりするのが、
こちらの天気ですよねえ。
今年はこういうパターンが多いようですね。
冷える時は冷えるけど、
降る時はみぞれか雨。
まだ本格的な雪は一度もありません。
で、今回の「暖波」ですが、
だんだん、「大して暖かくならない」という感じになってきました。
とても残念です。
「暖かくなるんだ」ととても楽しみにしていた分だけ、
「プチ暖波」では、ちょっと物足りなくて仕方がありません。
でも、それでも、明日は10度くらいまで上がるようです。
そして、火曜日くらいまでは暖かいようです。
そのあとはだんだん下り坂・・・。
15-18日くらいのどこかで雪が降るかもです。
今朝は月に一度の土曜日の早朝祈祷会。
「土曜日だけはゆっくり寝かしてほしい」という方の多い中で、
なかなか大人数とはいきませんが、
今日も祈るために集まりました。
その中で、今年JCCNJでまとめて購読している
「日々のみことば」について、
思わされたこと、励まされたこと、
分かち合ってくださる方々がおられて、
とてもうれしかったです。
そのような場が(このブログを含めて・・・)、
もっともっと起されていきますように。
さて、今日の「日々のみことば」
今日はルカによる福音書1:57-66でした。
「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません」60節の言葉です。
この「きっぱり」とした言い方に、心が留まりました。
その前後の「人々」の行動にもびっくりします。
時代と文化なんでしょうね。
親よりも「人々」が「ザカリヤという名前にしようとした」なんて。
そして、お母さんが「ヨハネでなければなりません」
と言うのに、人々が「そんな名前親戚一族にもおらんぞ」と反対するとか。
でも、それでも二人は神様に従った。
文化の中で、軋轢がある中で、
神様に従った二人。
そして、その時に、神様はザカリヤの口をもう一度きけるようにしてくださいました。
そして、彼は賛美にあふれました。
神様に従うってこういうことなんだと思わされました。
私たちは神様に従う時に、
このような戦いがあるだろうかと。
そのような時に本気で主に従えるか、
問われているように感じました。
主に従うものでありたいと思います。
明日の礼拝説教の聖書箇所もつながってきました。
「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」ルカ11:28
神様、
あなたに従ったこの二人のように、
私もあなたに従う者でありますように。
軋轢を恐れないであなたに従う者でありますように。
口を開く時に、賛美があふれる者でありますように。
2008-01-04
熱心になっていい
1.4度まで上がりました。
昨日の最高気温が-6.1度でしたから、
ぐーんと上がったわけですね。
でも、やっぱり寒かったです。
今は夜の10時で、-0.4度。
明日の朝はまた-7度くらいまで下がる予想が出ていますが、
さあ、どうなるでしょう。
で、明日の昼間は7度くらい。
日曜日は10度くらい。
月曜日は13度くらい、とだんだん上がってくるようです。
でも、この「暖波」、残念ながら、
思ったより短くて、
1週間くらいのようですね。
来週の週末か、再来週の初めには、
雪になるかもしれません。
そして、再来週はちょっと寒いみたいです。
冬は冬らしくあってほしいと思う一方で、
やっぱり暖冬は助かります。
さて、明日の朝は早朝祈祷会なので、
今日は早速「日々のみことば」を書いて、速攻で休みます。
今日はルカによる福音書1章39-56節。
「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
45節の言葉です。
ここを読みながら、
マリヤにとって、エリサベツはものすごい励ましの存在だったし、
エリサベツにとっても、マリヤはものすごい励ましになったのではないだろうかと思いました。
実は、自分は子供の頃から教会で育ってきて、
心のどこかで、「熱心になりすぎる」ことに反発を感じていました。
いつもどこかで醒めていた自分がいました。
信仰をちょっと斜に構えて見ている自分がいました。
「クリスチャンぽくない」とか
「牧師ぽくない」とか言われる時に、
「いいのかなあ」と思いながら、喜んでいる自分がいました。
そうでなければいけないのではないか、
それでなければ、この世の人々との接点ができないのではないか、
そう思っている自分がいました。
でも、このところを読んで、
エリサベツの熱さ、
またマリヤの熱さ、
その信仰の姿勢に、打たれました。
私もマリヤにとってのエリサベツのような存在になりたい。
エリサベツにとってのマリヤのような存在になりたいと思いました。
世離れしていると思われても、
ついていけないなあ、と思われても、
主を思い切り信じて歩んでいきたいと思いました。
熱心であってもいい、
神様の御言葉をまともに信じて歩んでいこうと思いました。
主よ、
あなたの僕としてください。
あなたの言葉を、まともに信じる者でありますように。
斜に構えていた私を赦してください。
あなたをまっすぐに前に見つつ歩む者とならせてください。
単純なまっすぐな、熱い信仰を与えてください。
2008-01-03
今日は寒い!
朝は-11.3度。
そして、最高気温も-6.1度です。
さすがに寒い!と思いました。
別に外を歩くわけではなくて、
すぐ車に乗るのですが、
それでも、外に出るのがおっくうになります。
今、夜の10時ですが、-9度。
明日の朝はまた-12度前後でしょう。
フロリダの方まで氷点下の予報です。
でも、昼間はぐんぐん温度が上がって、
氷点下を脱出する予想が出ています。
すでに西の方から寒さがゆるんでいるようで、
昨日の11時に-13度だったシカゴも、
-17度だったミネアポリスも、
共に今は-6度と、こちらより暖かくなっています。
来週の「暖波」が楽しみです。
でも、去年の1月の記事を読むと、
「チューリップの芽が出た」とかありますから、
去年は「大暖冬」だったんですね。
それに比べると、
今年は、「プチ暖冬」といったところでしょうか。
今日はそんなこと忘れるくらい寒いですが・・・。
今日は、CGNTVより
「セミナー」の中から、
「QTの分かち合いと証し(2)」を見ました。
これは元々韓国語のセミナーを日本語字幕で見るので、
画面をしっかり見ていなければいけません。
つまりコンピューターの前に1時間座っていなければいけないわけです。
それが難しくて、なかなか見ることができない、と言う方もおられるでしょう。
でも、これ早回しができます。
1.5倍速くらい。つまり1時間番組を40分で見ることができます。
画面を右クリックして「Play Speed」からFastを選ぶと、
速くなります。
それから、やはり画面を右クリックして
ZoomからFull Screenを選ぶと、
画面いっぱいに広がるので、字幕が読みやすくなります。
「聖書を読んで、教えられたことを分かち合うこと」の大切さ、
また、それによって与えられる力について、
お話をしてくださっています。
「最近、聖書を読めないんですよねえ」ということさえ、
安心して分かち合える関係の大切さも語られます。
さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書の1章26節から38節です。
「 神にとって不可能なことは一つもありません。」
37節。
今日は、当事者であること・・・について思わされました。
私たちはどこまで行っても、この記事は、昔のことです。
「神にとって不可能なことは一つもありません」ということも、
当事者でない立場で言うことは、やはり簡単なんだろうと。
誰か他の人のこと、として聞いたり、言ったりすることは
簡単なんだろうと。
でも、それが自分のことだったら、
そんなに簡単に聞いて受け入れることもできないだろうし、
そこにかけて生きていくことも簡単にはできないだろうと思う。
私たちにとっては、
この出来事は「イエスの誕生」だけれども、
マリヤにとっては「イエスの出産」なのだ。
さあ、自分にとって
「神様には何一つ不可能なことはない」とは、
具体的には何のことを言われているのだろうか。
それも問われたし、黙想に導かれた。
主の全能を信頼して、
そこにかけて歩む者でありたい。
主よ、
マリヤのように、
私もあなたの僕です。
あなたの願われるように導いてください。
あなたの全能を信頼します。
私の信仰を守ってください。
2008-01-02
沈黙の恵み
朝からずっと氷点下。
最高はちょうど0度くらいでしたが、
今は夜の11時で-9.1度です。
ちなみにシカゴは-13度。
ミネアポリスは-17度です。
明日の朝は-10度から12度くらい。
華氏で1ケタになるかもしれません。
そして明日の最高気温の予想は-4度くらいです。
寒い一日となるでしょう。
でも、その寒さも、金曜日にはゆるんで、
週末からは冬らしくないくらい暖かくなるようです。
そして、それが1週間以上続くようです。
助かります。
さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書1章18-25節。
「やがて彼は出て来たが、人々に話すことができなかった。」22節。
ザカリヤが口がきけなくなったことは、
「信じないことに対する罰」というイメージが強かったのですが、
今日、ここを読みながら、
「沈黙」の大切さを思いめぐらしていました。
私もコミュニケーションの大切さを感じていますし、
このように聖書を読んで感じたことを分かち合うようにと、
皆さんに勧めています。
腹を割って話し合うこと、
感じたことを腹の中にしまっておかないで、
話すことの大切さが、いつも語られています。
でも、というか、だからこそ、
「沈黙」がどれほど大切なのだろうかと思います。
ヨシュア記でエリコの町を攻略する時に、
話をすることが禁じられたのはどうしてだろうか、
と考えたことがあります。
おそらく、「何のためにこんなことしているんだろうなあ」という、
思いになって、そういう話が盛り上がることを、
神様は禁じられたのではないだろうかと思います。
沈黙を守っている中で、
自分が神様との関係の中で、
解決を頂けることも、
人に話す中で、
大きくなってしまうこともあります。
こう書きながら、「話をすることの大切さ」を
やっぱり感じている自分がいます。
でも、いや、だからこそ、
沈黙が与えられる時がある。
沈黙を守らなければならない時がある。
そう思いました。
ちょっと先のことを書きますが、
ザカリヤが再び口がきけるようになった時、
そこから出てきたのは神への賛美でした。
私もそのような者でありたいと思いました。
沈黙の中で神に向かい、
沈黙の中で、神と語り、
神に教えられ、
御言葉によって語られて、
解決をいただいていく、
そのようなことも必要だと思いました。
主よ、
沈黙の大切さを教えてくださりありがとうございます。
語るべき時と、黙るべき時、
あなたが教えてください。
あなたが導いてください。
そして、私があなたの導きに対して、
いつも敏感であることができますように。
2008-01-01
今日は何の日?
昨日寝る時には氷点下だったのですが、
今日は朝からどんどん気温が上がって、
降り出しから雨でした。
そして、昼頃には上がりました。
これから、どんどん冷えてくるようです。
今は夜の9時頃ですが、
まだ4.0度あります。
でも、明日から金曜日の昼頃までずっと氷点下です。
お気をつけて・・・。
今日は教会での元旦礼拝。
子供までみんなで一緒に礼拝を守りました。
100人ほどの方々が共に新年、神様の前に出てスタートしました。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46:10)
主が私たちの思いを超えて、素晴らしいことをしてくださいますように。
さて、新年早々、親ばかネタを一つ。
3時頃に教会を片づけて、
車2台で行っていたので、
1台が男車、1台が女車で、帰りました。
着くなり、下の娘が泣いています。
何で泣いているのかと聞くと、お姉ちゃんとママが悪いそうで・・・。
もうちょっとつっこんで聞いてみると、
「『今日はサキのわんちゃんの誕生日だ』って言ったら、
ママとユキは笑った・・・」とのこと。
まあ、笑うはな、それは・・・。
そんなことでいちいち泣くな!という感じでしたが、
思いっきり優しいパパをやってしまいました。
実は今朝起きたら、「あけましておめでとう」も言う前から、
「今日は何の日だ?」って聞くんですよね。
「お正月でしょ」と答えたのですが、
「サキのわんちゃんの誕生日」
うーん、うちのペットはヤドカリ2匹・・・。
でも、サキはぬいぐるみの犬をペットのようにかわいがっています。
で、「どうして?」って聞くと、
「ワン、ワン」だから・・・だそうです。
(2日連続で、サキ、ハジ、私の3人でUNO。
昨日はサキが勝ち、今日はハジが勝ちました。
ホントは強いはずなんですがねえ・・・)
さて、今日の聖書。今日から「日々のみことば」を使って読みます。
いろんな、「デボーションガイド」があります。
これは毎日聖書を読むために励みになるように、
「今日はここを読みましょう、ここはこう言うところで・・・」
と説明が書かれているものです。
そんなデボーションガイドの中には、
「ちょっといい話」が書いてあるのもあります。
それもいいのですが、
それを使っていると、
なんだか、その「ちょっといい話」の方ばっかりに心が行って、
聖書の言葉から聞こうとする姿勢が育たないような気がします。
ですから、今年はこれを選びました。
これだけ読んでも、ちっともおもしろくない本です。
聖書と一緒に読むと、いろいろ目が開かれていきます。
少しでもお互いの励みになればいいなと思います。
手許に「日々のみことば」がない方のために、
毎日の聖書の箇所が、
このページの右の上の方に書いてあります。
今日はルカによる福音書1章1-17節。
最初は、神様が、その大きな働きを始めようとされる時には、
そのことを予告される、ということを思わされました。
アブラハムは神に、「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」(創世記18:17)と言われます。
また、アモス書の3章7節には、「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」とあります。
是非、主にその心の中を開いて頂けるような、そんな関係を持たせて頂きたいと思いました。
また一番心に留まった言葉は「逆らう者を義人の心に立ち戻らせ・・・」17節の言葉です。
主はそのことをなされる。
そのことをされる力を持っておられる。
あの日曜日のJim Cymbala牧師のお嬢さんの話も思い出させられる。
主はそのことをしてくださる。
そのことをもっともっと祈っていこうと思いました。
神に逆らって歩んでいる人々に、
主が語ってくださるように。
どんなに神様に逆らっている人々も、
主に帰ってくることができる、
そのことを信じて、また見せて頂きたいと思いました。
今年の一年を通して、そのことを経験させて頂きたいと思いました。
主よ、
新しい年、歩みをスタートすることができて感謝します。
どうか、共にあって導いてください。
一歩一歩御言葉によって語られて歩む、私でありますように、
一歩一歩御言葉によって語られて歩む、教会のひとりひとりでありますように。
謹賀新年
米国東部時間も新しい年になりました。
本年もよろしくお願いします。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」詩篇46:10
神の御業を見せて頂く一年でありますように。
今日は11時から教会で元旦礼拝です。
2007-12-31
感謝。
昨日寝る時には2度で雨。
そして、朝起きたら1.2度で晴れ。
その間に何があったかはわかりませんが、
雪化粧はしていませんでした。
そして、今日は一日晴れ。
このあと曇ってきて、
明日は雨になるようです。
今は夜の10時45分。
今年もあと1時間あまりの時点ですでに
氷点下0.9度です。
今年一年を振り返って
やっぱり今日、感謝が湧いてきます。
もちろん、きついことや悲しいこと、
「どうして・・・」ということもありました。
まだ解決を見ていなかったり、
どのようにしたらいいか迷うこともあります。
でも、やはり感謝が湧いてきますね。
なんだろうと、
今日、車の中で、家族と話しながら、考えたら、
やはり新しい方向性が見えてきたことでしょうか。
何が教会にとって大切なことか、
見えてきたことでしょうか。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」
ヘブル12章2節。
そのことの大切さが見えてきて、
何か本当に平安です。
だから、感謝します。
そして礼拝でお話ししたように、
主に祈りつつ進んでいきたいと思います。
やはり教会は神様の奇跡を見ながら歩まないと・・・。
それから、今年はちょっと健康のことも曲がり角。
基本的には元気なのですが、
今年は元旦から1週間、
それから5月の修養会の時、
1年で2回もかなりひどく体調を崩して、
教会の皆さんにご迷惑をかけました。
それから、膝の痛みがとにかく手すりがなければ階段が上れないくらいになってきました。
こんな小さないくつかの弱さも、なってみないとわからないものですね。
ちょっとくやしいというか、
でも、大切なことですよね、
その小さな弱さを受け入れていくこと。
(ホントは、明日教会でバレーボールができるように着替えと靴を持っていこうかと思っているのですが・・・。)
アレルギー以外でお医者さんに行くことも余り無かったのですが、
これからは、ちょくちょく、お世話にならないと・・・です。
さて、今年最後の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙の6章を読みました。
「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」14節。
私の好きな聖書の言葉の一つですが、
今日はその一番最後の「私も世界に対して十字架につけられた」という言葉も心に深く留まりました。
私と世界との関係にも、十字架が、イエスの十字架がそこに立っている。
そして、私もすでにこの世界に対して死んでいる。
世界に対して何か自分がアピールする必要もない。
何か認められる必要もない。
ただ、イエスの十字架が見られてほしい。
イエスの十字架に感動する人々が起されてほしい。
本当にそこに生きる、徹底的にそこに生きる者でありたいと思います。
主よ、
この一年に感謝します。
一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つの出来事に感謝します。
あなたとの関係がもっと深くなったことに感謝します。
どうか、これからも、あなたとの関係の中に
生きることができますように。
出会った一人一人のうちに神様、あなたの守りと祝福がありますように。
明日から、「日々のみことば」を使って、
聖書を読みます。
聖書箇所はこのページの右の上の方に出ています。
今11時24分・・・今年もあと36分です。
2007-12-30
あと1日。
でも、夜になって雪になるどころか雨になりました。
今、夜の10時で1.9度。
雨が降っています。
このあと、雪に変わる予報が出ていますが・・・。
10センチは行かないでしょう。
そして、明日は一日どんよりで、
夜はまた雨か雪。
今年も明日一日で終わりです。
元旦の朝も雨か雪。
今年の元旦は暖かかったですからねえ。
去年の大晦日は雨。
その前の年は雪。
3年連続の雨か雪の年越しみたいですね。
今日の礼拝、祝福の中で守られました。
語る中での自由も感じました。
その中でお話ししたBrooklyn Tabernacleの
Jim Cymbala牧師のお話がGoogle Videoにありました。
ちょっと長いですが、大晦日、新年で、
時間がある方は是非、ごらんになって下さい。
残念ながら英語のみなんですが、素晴らしいメッセージです。
このビデオ、直接頂いたので、
個人的にコンピューターで日本語の字幕を入れて
教会の皆さん用にDVDにしようかとも思ったのですが、くじけました。
日本では出回っていないのでしょうか。
さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙5章を読みました。
「御霊によって歩みなさい。」16節。
ずーっと読んでいると、
神様に喜ばれるためには・・・と「律法」に縛られることと、
「なんでもいいや」と身勝手な生き方になるのと、
どちらに対する警戒も書かれているんですね。
で、最終的には、
「御霊によって歩む」ということが、
大切なんだと思います。
で、その結果は・・・
「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」
なんですね。
一つ一つの項目が心に留まりました。
聖霊様によってこのような歩みがしたいです。
逃げではない寛容。
我慢ではない自制。
軽薄ではない喜び。
聖霊様によってこれらの実を実らす者でありたいです。
主よ、
どうか、私を聖霊によって満たしてください。
どうか、御霊の実を結ばせてください。
御霊によって生きることを経験させてください。
元旦からは「日々のみことば」を読みます。
中身は著作権の問題があるので、
書けませんが、その日その日の聖書箇所は、
明日、表にしてアップしておきます。
2007-12-29
神の力
昨日の夜の雨も上がって、
晴れたせいか、暖かでした。
ほぼ一日教会オフィスでしたが・・・。
今は夜の11時半ですが、
1.7度。
今夜は氷点下でしょう。
そして、明日の夜は雪。
雨も混じるようですが、
まあ、雪のようです。
どれくらい降るか・・・。
まあ、10センチ以下だと思います。
でも、一瞬「降りしきる」ポイントがあると思います。
そして、大晦日の朝には上がります。
でも、またその夜から、元旦にかけては雪や雨。
こっちは大したことないみたいです。
そして、そのあと、2日から5日くらいは、
久しぶりの冷え込みになるようです。
朝晩は-10度近くまで下がって、
昼間も氷点下。
でも、でもですよ。
そのあとは、暖かくなるようです。
しばらく暖かいです。
「暖冬」の預言が実現する予感です(ちょっとあいまい)。
で、今日は教会に一つのDVDが届いていました。
アメリカの爆撃機で日本を空爆して、その後捕虜になり、
その収容所の中で、聖書によって、生まれ変わって、
日本に宣教師としてやってきた
デシェーザー氏のドキュメンタリーです。
英語なのが、残念ですが、
家族とか、戦友たちが出てきていろいろ証言をします。
私も何度か文章で読んでいましたが、
これはまた映像になるといいですね。
From Vegeance To Forgiveness
インターネット上で見れるみたいです。
日本語版はないのでしょうか。
でも、日本軍の捕虜として、ひどい目にあって、
戦友たちが何人も処刑されたり、
待遇の悪さに獄死したりという経験のある
彼が、日本を愛して、日本のために一生をささげたことは、
本当に信じられない思いです。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、わからないでいるのです」という十字架の上でのイエスの言葉が彼の心をとらえたのですが、それと共に、最後に奥さんが言っておられたのは、「赦す、ということでも最初の一歩を踏み出せば、あとは神様がやってくださる」んですね。神様の力はすごいなあと思います。
さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙4章でした。
「神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」
6節。
聖霊様の働きに目が留まります。
聖霊様が、私たちの心に神様のもとで、安心して休める、
信頼して安らぐことのできる平安を与えてくださる。
私たちは一生懸命、一生懸命、
神様に喜ばれようとしたり、
神様のために・・・とがんばったりするけど、
聖霊様は、私たちが安心して、主のもとで過ごすことができるように、
助けてくださる。
聖霊様をもっともっと求めたい気持ちになりました。
聖霊様に満たして頂きたいと思います。
今日見たそのデシェーザー宣教師の話の中にも、
彼に導かれた日本の方々が、
彼の中に何かがあふれていた、と話していました。
私の中に、聖霊様による平安があふれますように。
聖霊様、
どうか、私のうちにあふれ、
主の前に平安のうちに歩むことができるようにしてください。
安心して、主の御許で過ごすことができますように。
主よ、
感謝します。
あなたを父と呼べることのできる者としてくださったことを。
2007-12-28
ちゃんと寝ないと・・・
昼過ぎまで結構スカッと晴れていました。
朝は1度くらい。
そして昼間は8度くらいまで上がりました。
そして、夜は雨。
12時過ぎまで降り出さない、という話だったので、
休みなのにどこにも連れて行けない娘たちを、
今日の夜、先日、車の中で寝ていて見れなかった時のリベンジで、
ロックフェラーセンターのクリスマスツリーを見に、
連れ出しました。
ちょっと離れたところの路上に
車を停めて、歩いたのですが、
近くに行ったらまるで年の瀬のアメ横。
はぐれちゃいけないと、
6歳の娘の手をしっかり握って歩いていたら、
自分が子供時代を思い出しました。
マンハッタンのミッドタウンととアメ横。
全然違うのですが・・・。
グッチとか、カルチエとか、アメ横にはないし・・・。
おいてあったら、ちょっと怪しいし・・・。
でも、自分の印象の中ではなんだか重なっちゃいますねえ。
で、着いたら、いきなり雨。
ちょっとだけ見て、写真とって、
ちょっとだけ、Saksの外側見て、
(外側だけ。中はちょっとね・・・)
30分くらいで帰ってきてしまいました。
で、今度の大晦日Stormというか、
Sunday Night Stormというか、
やっぱり来るみたいです。
でも、まだ東にそれる可能性も残っていて、
確率は60パーセントくらいのようです。
来ても、雪は6-9時間で終わる、
3インチくらいの、「ちょいStorm」みたいです。
詳しくはまた明日・・・
さて、昨夜は9時台に更新して、10時頃にはもう寝てしまいましたが、
今朝もしっかり6時台まで休んでいて、
「いやあ、よく寝た」という感じでした。
先日などは、3時間睡眠とか続けていたら、
人と聖書研究をしている最中に
睡魔に襲われて、
宿題を出しておいて、自分は、
「ちょっと休んでいいかな」と5分間だけ、
座ったままうとうととさせて頂きました。
そして、スカッと目が覚めて、
聖書研究を続けました。
人生初めてです。
人と聖書研究をしている最中に休ませて頂いたなんて。
つくづく、「寝不足はいかん」と思った次第です。
で、「寝る」つながりで、
最近聞いたH氏の話。
ちょっとのどを痛めたH氏。
咳き込んで、家族を起しちゃいけないと、
一人居間で寝たそうです。
ところが、ホットカーペットをつけていた。
本当に気持ちよく寝たそうな。
気持ちはわかります。
ホットカーペットは幸せな気分にしてくれます。
こたつなんかもそうですよね。
で、起きたら、背中がひりひり痛む。
なんだろうと思ったけど、
ホットカーペットのせいだなんて思ってもいなかったH氏。
なんと、こともあろうに、次の夜、
やはりホットカーペットの上でねたそうな。
今度は、ひりひり痛む背中をかばい、お腹を下にして・・・。
翌朝・・・そうです。
お腹もひりひりしていたそうです。
1週間両面ひりひり状態だったそうです。
でも、怖いんですよ、低温やけど。
お気をつけ下さい。
まあ、お元気そうですけどね。H氏。
長くなりました。
聖書に行きます。
今日はガラテヤ人への手紙の3章を読みました。
「あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。」
2節。
何度も何度も読み返しているうちに、
この言葉が響いてきました。
今、また聖霊様を与えられるためには、
たくさん条件があるような気がしている。
熱心さ、罪から離れること、祈ること、求め続けること・・・
どれも大切なことだと思うし、
またパウロが言うところの「律法を守る」ということとは全然レベルの違うことかもしれない。
でも、いつの間にか、自分のがんばりが大切であるかのような、
信仰になってしまいやすいことを感じる。
めぐみによる救い、
一方的な憐れみによる救いを忘れていないだろうか。
主のめぐみに心を留めて、
信じる者に、求める者に、
聖霊を下さる神様に祈り求めていきたいと思いました。
本当に聖霊様に満たして頂きたいです。
もっともっと喜びに満たし、
力に満ちあふれて歩みたいです。
主よ、
あなたを信頼します。
信頼して求めます。
どうか、私を聖霊様で満たしてください。
そして、そのことを私に、
そして、周りの人々に、
わかるように表してください。
めぐみに感動して、
歩む者にしてください。
2007-12-27
愚かになる
朝は2度くらい、昼間は5度くらい。
明日の朝は氷点下の予想が出ていますが、
今は夜の9時過ぎで4度あります。
明日の昼間は曇りのようですが、
夜にはまとまった雨になりそうです。
ところで、今、天気予報の世界では、
大晦日がどうなるかが、話題になり始めています。
Stormが東海岸に雪を降らせるかどうかです。
私は余り期待していないのですが、
可能性はあります。
さあ、どうなることでしょうか?
詳しくはまた明日に。
日本も年末年始は寒気みたいですね。
来年1月末から2月半ばまで日本を訪問します。
まだ詳しくは何も決まっていませんが、
東京圏と関西圏を中心に回ると思います。
また、詳しく決まり次第、予定をUPします。
余り寒くない2月となりますように。
今日、時間を作って、
(つまり、また後回しになってしまった仕事はあるのですが・・・)
右のリンクにあるCGNTVで、三浦綾子さんの特集を見ました。
その最後の方で、綾子さんが神を求め始める大きな転機となった
出来事を紹介しながら、「道ありき」から引用していた言葉が
心に深く留まりました。
「結局は、人間は死んでいく虚しい存在なのに、またしても何かを信じようとするのは、愚かだと思った。しかし、わたしはあえて愚かになってもいいと思った。」
彼女を導いた前川正さんの姿に綾子さんが「信じる」ことを取り戻すことができた出来事でした。
「愚かになってもいい」
そのように人に思わせるものがこの人の中にあった。それはまたその人のうちにある「愚かさ」だった。理屈は通らないんだけれども、信じてみようと思わせるものがあった。
そして、それはもっとさかのぼると、イエスの中にある、神の中にある「愚かさ」なのではないだろうか。
今、自分はもしかしたら、この愚かさを見失っているのかもしれない。
その神の愚かさに支えられて、造り替えられたのに、自分自身は愚かにならないようにがんばっているのかもしれない。損をしないように、バカを見ないように、愚かにならないようにがんばっているのかもしれない。
愚かになっていい。
いや、
愚かになりなさい。
そんな声を聞いたような気がしました。
さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙2章を読みました。
「いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」20節
自分の信仰が、いつもいつも十字架のめぐみに根ざしているようにと願いました。
時には、「~らしい」ということを求めている自分を感じるからです。
「牧師らしく」とか「クリスチャンらしく」とか。
そのように生きているだろうかと考えている自分がいます。
それが私自身の歩みの土台にすり替わっていないだろうかと。
それが自分の生活の原動力になっていないだろうかと。
ただただ、十字架のめぐみが自分を生かしている、
自分の生活を導いている、
そのような歩みをしたいと思います。
その中で、「どうせ赦されるから・・・」と神様の愛をなめる者ではなく、
主の喜ばれる歩みを求めていく者でありたいと思います。
主よ、
どうか、あなたの愛を、
あなたの十字架のめぐみを、
もっともっと味わわせてください。
そして、そのめぐみに心満たされて、
喜びにあふれて歩む者でありますように。
2007-12-26
NYのクリスマス
NJだったら、我が家でも、教会のオフィスでも、と思いますが、
NYの場合は、「どこでお会いしましょうか」と迷うことがあります。
スタバだったり、
ING Directカフェ(穴場)だったりするのですが、
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広々としたロビーで、ソファーがいくつも置いてあるし、
宿泊客じゃないからと文句を言われることもないので、
数年前から、たびたび待ち合わせなどに使わせて頂いています。
(毎週1回1時間で計7回、受洗準備クラスをやったことも・・・)
携帯カメラの映像なので、余りはっきりしないのですが、
冬の国のイメージで飾り付けがなされていました。
そして観光客でごった返していました。
試しに明日の宿泊はいくらか調べてみました。
今からでも予約を入れることができます。
一部屋479ドルです。
来年のクリスマスイブだったら200ドル台で予約できます。
でも、そんなお客様たちが払ってくださった宿泊費の一部で、
ちょっと申し訳ないような気持ちもしますが、
私の様な者も、ロビーのきれいな装飾を楽しむことができます。
昨日の夜は写真は撮れませんでしたが、
11時50分ぐらいにロックフェラーセンターのクリスマスツリーの前を
車で通ってきました。
女の子2人はもう寝ていましたが、
のんちとハジと私で「すげー」とか歓声を上げていました。
NYのクリスマスをちょっとだけ味わいました。
さて、今日から大晦日まではガラテヤ人への手紙を読みます。
ちょうど6日間で一日1章で読めるから・・・というのが、
選んだ理由です。
今日はガラテヤ人への手紙の1章を読みました。
「私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです」1節。
パウロが使徒として歩んでいたのは、
人によってではなくて、
イエス・キリストと父なる神によって任命された、
ということによりました。
ここを読みながら、私自身のここでの働きのことも振り返っていました。
人によってではなく、人間から出たことでもなく、
主によって「頼むよ」と言われたような思いです。
おそらく、それがなかったら、本当にできなくなってしまうと思います。
人から頼まれたから、皆さんにそう言われたから・・・
ということだけでやっていたら、行き詰まってしまうと思います。
主がそのように任命されたから・・・。
自分自身の召命を再確認させられました。
主の召しに対して、従順であり続けたいと思いました。
主よ、
いつもあなたの声を聞いていくことができますように。
いつもあなたの導きに従っていくことができますように。
私を守り、導いてください。
2007-12-25
ほっぺたが落ちるのはこわい
確認するのはうっかり忘れていましたが、
朝、教会で祈るために外に出たら、空気がひんやりして、
残っていた雪もしまっていました。
でも、昼間は7度くらいまで行ったようです。
今は-1.5度。
明日の朝はこのまま-3度くらいまで下がるでしょう。
そして、明日は東の海上を低気圧が通ります。
ちょっと雨が降るかもしれません。
今日は朝教会でお祈りしたあと、
うちに帰ってまた一休みと思ったら、
昼前まで寝てしまいました。
そして、昼食を家族で食べていた時に、
「おいしいね」ということをどう表したらいいかと思って、
今風で言えば「これヤバイ」と言うことなんでしょうが、
昔はなんて言っていたかなあ思い出していたんですね。
そしたら、「おいしくてほっぺたが落ちる」という言葉を思い出したんですよ。
それはまだ私が大阪にいる頃ですから、
3歳か、4歳くらいの時だったのですが、
父がおやつに何か粉を溶いて・・・
考えるとホットケーキかクレープみたいなもんだと思うのですが、
何か作ってくれたんですよね。
でも、その時、父がつくりながら言った、
「これはおいしくてほっぺたが落ちるぞ」といった言葉で、
ものすごく怖くなってしまって、
「それなら、ボクは食べない」と言って、
兄や弟が食べているのをホラー映画でも見ているような気持ちで、
自分のほっぺたを押さえながら、柱の陰から見ていた記憶があります。
いや、本当に怖かったんです。
それから、しばらく甘いものとかほしくなかったですね。
マジでほっぺたが落ちる場面を想像していました。
でも、それを考えると、
いまの「これ、ヤバイ」というのは、
ちょっと表現としては余り内容がないですね。
自分も言葉が貧しいなあと思わされることが多いですが、
豊かな表現を身につけたいなあと思います。
子供に誤解されるのはまずいですが、
「誤解された時にコワイくらいの気持ちがする」言葉は貴重なんだと思います。
日本語を磨きたいなあ、と思わされた一時でした。
今日の聖書。
今日はアドベントの聖書日課の最終日。
マタイによる福音書2:1-15を読みました。
「そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。」
11節の言葉です。
この「拝んだ」という言葉が心に留まりました。
自分は本当に主を拝むような歩みをしているだろうかと。
イエスを礼拝しているだろうかと。
この博士たちは、十字架も知らなかった、
イエスのメッセージも知らなかった、
ただ、赤ん坊の、何もできない、とても弱い赤ん坊のイエスを
礼拝した。
自分は知っているのに、
自分はわかっているのに、
本当に礼拝しているだろうかと。
主を拝む、
本当に文字通り跪いて拝む歩みをしたいと思いました。
主よ、
今年のクリスマスをありがとうございます。
あなたの前に出て、
あなたと共に歩むことができたこと、
教えられた一つ一つのことに感謝します。
どうか、あなたを本当の意味で拝む者とならせてください。
このクリスマスの喜びを日々の歩みの喜びとしてください。
明日から大晦日までの6日間は
ガラテヤ人への手紙を一日1章ずつ読みます。
2007-12-24
メリークリスマス!
クリスマスの日を迎えました。
イブのキャンドルライトサービスには、
子供たちを入れると100人を超える方々が集われました。
特にJOYJOYキッズクラブや、
JOYJOYキャンプに来られているご家族が
たくさん来られました。
幸いな一時でした。
JCCNJのクリスマスのプログラムは
これですべて終わりました。
明日はそれぞれの家庭などで、
ゆっくりクリスマスを過ごすことになります。
今朝、優先順位を考えた時に、
どうしてもやはり他のことを後回しにしてでも
時間を作って、行きたいところがありました。
近所の老人ホームに入所しておられる
日本人のご婦人です。
90歳くらいで、ホームにも日本の方はおられません。
ですから、私の訪問を本当に全身で喜んでくださいました。
ほとんど寝たきりのような状態で、
車いすに乗せてもらって、動く程度です。
でも、ベッドに寝たまま、
何回もハグしてくださいました。
ずっと、いとおしそうに手を握ってくださいました。
「うれしいよお」と何回も言ってくださいました。
こちらの方が、元気をもらいました。
もっといつも来れなくてゴメンね、と心の中で繰り返していました。
近所なのに、時間も作らなければいけないのに、
ついつい、締め切りのあることに追われて、
大切なことが後回しになる。
大切なことは、本当に大切にしていこうと思わされました。
今日の聖書。
今日はルカの2章1-20節でした。
「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」15節。
聞いただけじゃダメ。
行かないと。
考えているだけがじゃダメ。
踏み出さないと。
ああ、主のなさる御業を見せて頂きたい。
主がなさる奇跡をもっともっと見せて頂きたい。
そのために信じて踏み出す者でありたいと思う。
主を信頼して、
そこに生きていこうと思わされました。
信頼したならば、そこにかけていこうと思わされました。
主よ、
あなたを信頼します。
あなたを信じます。
私の踏み出す一歩を守り、
そこに起こる嵐の中で、
あなただけを見つめて歩めますように。
あなたを信頼して歩めますように。
さて、明日はいよいよクリスマスの朝。
いのち
キャンドルライトサービスです。
どうぞ、皆さんおいで下さい。
120 East Pleasant Ave.
Maywood, NJ 07607
201-712-9833
今朝は1.2度。
ずいぶん下がって、場所によっては
やはりblack iceでした。
今日は久しぶりに晴れて、
ちょっと風は強いようですが、気温は割合高くて、
日差しの分だけ、暖かく感じると思います。
昨日のクリスマス礼拝は、
新しい方々よりも、
久しぶりの方や、クリスチャンの方で
教会を探しておられる方が来られました。
70名あまり。
電話でお話ししていると、今晩来られる方々のほうが、
多いようですね。
やはり「イブを教会で・・・」なんでしょう。
会堂を使わせて頂いている英語の教会も、
この時は本当にたくさんの方々が来られるようです。
で、昨日は英語の方が多かったです。
中国系の方々で初めての方々が2人。
毎週来られるアフガニスタンの方や、
休みごとに来られる大学生や、
日本人の奥さんを持つ男性と、
そのお姉さん夫婦。
通訳の英語を電波で飛ばす機械が足りなくて、
通訳の奉仕の方の周りにたくさんの方々が集まる、
といううれしい悲鳴でした。
さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネ3章16-21節でした。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
16節。
「永遠の命」のことを、思いめぐらしていました。
永遠の命は天国のことだけではありません。
この地上の天国もあるんです。
神様と共に歩む生涯。
4章に出てくる「いのちの水をいただいて、心の中に泉を持つ歩み」。
自分はどうだろうかと。
いろいろな戦いや、悩み、悲しみ、痛みもあるけれども、
その中で、主と共に歩んで、平安をいただいて、勇気をいただいて、
歩んでいくことができる。
それが永遠の命。
本当にその命に満たして頂きたいと思いました。
そのようないのちをいただく方々が起されるクリスマスとなるようにと、
お祈りしました。
神様、
昨日の礼拝にも感謝します。
集われたお一人一人に、
今日もみことばを通して語ってください。
今晩のキャンドルライトサービスを祝福してください。
会堂を聖霊で満たし、集う方々の心に触れてくださいますように。
また後ほど・・・
こんな時間になってしまったので、
また明日の朝更新します。
夜は暖かくて13度くらいありましたが、
今1時半で5度まで急激に下がってきています。
明日の朝は路面の凍結に注意かも。
では、お休みなさい。
2007-12-22
おっさん
最高気温も3度くらい。
一日中どんよりとしていました。
今、夜の11時前ですが、やっぱり3度。
今夜はこのまま行くみたいです。
明日は気温はぐっと上がって12度くらいまで行きそうですが、
雨がちょっと本格的に降るようです。
24日のイブ、25日のクリスマスはスッキリ晴れるようです。
今日は夕方、ユースグループ(BIG)のクリスマス会がありました。
いつもBIGの集まりはそうなんですが、
帰る頃になって盛り上がってきます。
いつもはバスケで、家でやる時はジェスチャーゲームなんですが、
今日は会場の都合でバスケができなかったので、円陣バレーが盛り上がりました。
バスケの場合は私はちょっと技術的に体力的に参加できないのですが、
バレーの場合は何とかなります。
私の時代の東京の中学は「球技大会」と言えばバレーでしたからねえ。
下町で、グランドがそんなに取れない。
いっぺんにたくさんの人数が参加できなければいけない。
だから、だいたいバレーだったんです。
もちろん「9人制」。
高校で、世田谷の学校に行ったら、田舎でグランドが広いので、
球技大会は「サッカー」でしたね。ハイ。
で、バレーだったら、ユースのメンバーの中に入っても、まあ、何とかなる。
でも、年の差30歳はやっぱり大きい。
自分の3分の1しか生きていない、
っていうか、自分が彼らの3倍生きてしまっている。
技術的にまだ通用しても、足腰が・・・。
途中で疲れがたまって、足が前に出ない。
それに加えて、一生懸命前に出ようとすると、
膝が「ぴきっ」って痛くなる・・・。
でも、どうにかこうにか、汗をかきかきプレーしました。
連続での最高記録は54回だったね。
次回は100回を目指してがんばろうと。
メタボ対策にもこれはいいかも・・・。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書1章1-18節でした。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
5節の言葉です。
これは本当だろうかと思いました。
闇は光に打ち勝たない。
物理的にはそうでしょうが、
私たちの人生における光と闇は本当にそうなんだろうかと思いました。
光が無視され、ひどい目に遭い、
だんだんその光が弱くなって、消えてしまうことはないのだろうかと、
そして闇の力の方が、その勢いを誇っていることはないのだろうかと。
なぜ、こんなに不条理があるんだろうかと。
この世ではそう見える、
一時的にはそう見えることもある、
でも、究極的にはそのようなことはない、
いや、そのような暗闇のような中だからこそ、
イエスは私たちの所に来てくださったのです。
そして、今も光として輝いてくださっている。
イエスは光であって下さっている。
今日もこの光を証する者となりたいと思いました。
そして、この光をいただいて、
私も輝くものでありたいと思いました。
もっともっと神様のことで心いっぱいにして頂いて、
心からあふれるものが伝わっていく者でありたいと思いました。
主よ、
どうか、あなたがわたしを照らしてください。
あなたのことで心がいっぱいになりますように。
そして、あなたのことを伝える者とならせてください。
あなたの輝きをいただいて、
私も輝くことができますように。
クリスマスまであと3日。
闇と光
昨日は一日どんよりした天気で、
気温も1度から2度くらいをうろうろ・・・。
今朝も1度です。
今日はもう少し暖かくなるようですが、
やはりどんよりした一日のようです。
そして明日の日曜日は雨。
今回は雪の心配は全くありません。
でも、雷が鳴るかもしれないようです。
クリスマスが近づくにつれて、
クリスマスの意味をいろいろ考えさせられます。
その中でここ2-3日思わされているのは、
「いつから、クリスマスは『幸せ』な人の祭りになったんだろうか」
ということです。
今朝、読んでいたインタビューの中で、
三浦綾子さんのご主人の光世さんが、こんな話をしておられました。
三浦家では40年以上、子供クリスマス会をして来られたそうです。
(その記事は5年くらい前のでしたので、今はどうされているかわかりませんが)
綾子さんが亡くなった年、1999年のことです。
10月になくなられたのですが、
「今年は子供クリスマス会はしませんよね、あんなことがあったから」
と言ってくださった方がおられるそうです。
もちろん、その方は光世さんを心配して言われたのだと思いますが、
やはり、身内に不幸があると、新年の挨拶と同じで、
クリスマスの祝いもするもんじゃないという感覚が
私たちのうちにあるかもしれません。
でも、イエスは平和な、家族がみんな元気な、
「幸せな」人たちに歓迎されるために、
来られたのではありませんでした。
暗闇に輝く光として来られたのでした。
そんなことを考えていると、教会のあり方も、
問われているように感じます。
痛みや悲しみの中にいる方々に届くクリスマスとなりますように。
ちなみに、光世さんはその年もクリスマス会をされさそうです・・・。
さて、昨日の聖書。
昨日はテトスの手紙2章11-15節でした。
「良いわざに熱心なご自分の民」14節。
イエスがこの世に来られたのは、
私たちを救うためだったけれども、
私たちが救われた後も、好き勝手に生きるためではなくて、
「良いわざに熱心な者」として生きるために、
来られたのだと、
もう一度思わされました。
そして、自分はそうだろうかと・・・。
良いわざに「熱心」だろうかと思わされます。
「縁があれば・・・」「出会いがあれば・・・」
そして、
「時間があれば・・・」と。
「熱心」とはほど遠いように思います。
行いよりも信仰だと、私たちは言います。
「私は良いわざをしている」と、
傲慢になってはいけないと思います。
「いい子」になってはいけないと思います。
でも、それが良いわざに熱心であることを
妨げてはいけないと思いました。
そして言い訳に使ってもいけないと・・・。
主よ、
あなたが私たちの所に来てくださって、
ありがとうございます。
あなたの愛を味わって、
熱い思いを持って、
人々の所に行くことができますように。
出会いを見つけ、
機会を見つけ、
時間を見つけて、
良いわざに熱心な者とならせてください。
2007-12-21
また明日。
たくさんの初めて会う方も来られて、
良かったです。
で、明日の朝、ちゃんと起きたいので、
今日はもう休みます。
アドベント期間中、「翌朝に・・・」はなかったと思うのですが、
明日の朝、ゆっくり書こうと思います。
ではでは~。
2007-12-20
祈られていること
でも、またこれくらいの温度が、つるつる滑るんですよね。
昨日の夜ちょっと降った雨が凍って、つるつるしているところがたくさんありました。
昼間は7度くらいまで行ったでしょうか。
ほんと、だんだん寒さはゆるんでいますが、
それでも、底冷えのする一日でした。
今は夜の11時半ですが、1度です。
明日の朝は-2度くらいでしょうか。
「寒さがゆるむ」のも一段落。
風はないですが、昼間も2度くらいの寒い一日になるようです。
クリスマスがあと5日に迫ってきて、
クリスマスカードやレターが届くのですが
また自分たちも住所録の整理をしています。
普段、ちゃんとやってればいいのですが、
毎年、この時に「・・・この人引っ越したよねえ」「結婚したんじゃなかったっけ」と、
一生懸命Eメールの山を探して、「ああ、そうだった、そうだった」という再発見があります。
そんな風にして、クリスマスのお便りだけではなくて、
一年間のいろんな方々のお便りやEmailをもう一度読む中で、
多くの方々に自分は祈られているんだ、
NJの教会は祈られているんだ、と感じます。
忘れているんですよね。普段は。
でも、本当に多くの方々が愛してくださって、
祈ってくださって、
それで守られている教会であり、
自分なんだと思います。
普段も、忘れないでいたいと思いました。
いつの間にか、自分のがんばりとか、
自分の努力や能力とか、
そんなものでやってきている様なつもりになっていることが、
どれだけあるだろうかと。
とにかく、感謝。
さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙8章1-15節を読みました。
「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」
9節の言葉です。
この言葉を思いめぐらしている中で、
イエスが言われた、「富んでいる者が神の国にはいるのはなんと難しいことか」という言葉と、
それに対して「じゃあ、誰が救われるのでしょう?」と驚いた弟子たちに対して、
「神には何でもできる」というイエスの答えが心に浮かんできました。
まさにイエスが自分を与えられたことも、
また「なんと難しいことか」と言わなければいけないことだったのだと思わされたのです。
イエスが富んでおられたのに、つまり天国で富んでおられたのに、
私たちのために人となって、貧しさを味わってくださった。
それはとても難しいこと、とてもあり得ないことなんだけれども、
神様には不可能はないんだと、そのことをイエスの生涯全部が語っているのだと、
そう思わされたのです。
神様には不可能はない。
私はこの社会の中では決して「富んでいる」と言うほどではない。
でも、必要はいつも与えられている。
そして、世界全体を見るならば、
やはり、自分は「富んでいる」者なんだろう。
私ももっともっと主の力によって、神の力によって、
貧しい歩みをさせて頂きたいと思わされました。
人の力ではなくて、がんばりではなくて、
主の奇跡によって、主の力によって、
もっともっといろいろなことから解放されて、
自由にされたいと思います。
節約のことばかり考えていて、
そのことに捕らわれてはいけないと思います。
そうではなくて、イエスさまがそのようにされたように、
その足跡を歩みたいのです。
清貧が理想なのではない、と最近の教会ではよく言われます。
でも、本当に必要なものは決して多くない、
そのように思わされました。
主よ、
あなたは私たちのために貧しくなって下さいました。
それは神であるあなたが人となり
人から侮辱され、ののしられて、
捨てられたことの中に表されています。
私はそのような歩みに耐えられるのか、
全く自信はありません。
ですから、あなたの奇跡が必要です。
物も、プライドもささげる勇気を下さい。
あなたの奇跡で生かしてください。
捨てる自由、ささげる自由を与えてください。