2007-03-10

天国の祝福

そして、朝になりました。
昨日はグッと寒さがゆるみ、
風もなく、穏やかな一日でした。
朝は-12度ですから寒かったですけどね。

でも、もう厳しい冷え込みも終わりです。
今日から10度くらいの日が続きます。
春になるみたいです。
来週の週末には一時寒気が入ってきますが、
大したことはなくて、
その後はぐんと春らしくなるでしょう。

去年は13日にクロッカスの花が咲いていました。
今年はもうちょっと遅れそうですが、
来週中には咲くのでは・・・。

いよいよ明日からDaylight Saving Time。
皆さん礼拝に遅れないように・・・。

昨日、金曜日の聖書。
昨日は黙示録の7章を読みました。
15-17節に、天国の様子が垣間見えています。

「彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」16-17節

特に「いのちの泉」という言葉に目が留りました。
いのちがわき上がってくる泉がある。
この地上で経験できることと、
天国に行ってから経験することとの間には
大きな開きがあるんだろうと思います。
でも、この地上でも「いのちの泉」を経験することができる、
その幸いを思いました。

私たちは確かに泉なしには生きていないのだと。
ため池の水を飲みながら、生きていくことはできないのだと。
滾々とわき出る泉を自分の内側に持たなければ・・・と思います。

イエスはそれを与えて下さる。

満たして頂きたいと思いました。

主よ、
私の心を満たして下さい。
あなたが天国に持っておられる「いのちの泉」からの水を、
私の地上の生涯でも味わわせて下さい。
喜びにあふれて、生かしてください。

天国でもっともっと豊かないのちが待っていることに感謝します。

また朝に・・・

今日は先ほどまで深夜祈祷会をしていたので、
12時20分頃帰ってきました。
また朝起きてから更新します。

ではでは。

結構冷えてますね。
今-4度C。

2007-03-08

天変地異

今日もまた寒い日でした。
朝は-10度くらいまで下がって、
その後、昼間の気温は2度くらいまで上がりましたが、
また夜になって-7度くらいまで下がっています。
今夜はこの時期としては記録的な冷え込みのようです。
-12度とか、-14度とかの予想が出ています。

ブルブルです。
この「ブルブル」もしかしたら、英語から来てるんでしょうかね。
それとも世界共通の感覚なんでしょうか。
英語ではBrrrrr...です。

今日のキッズクラブ、久しぶりににぎやかでした。
20人を超える仲間が集まりました。
日が延びたからでしょうかね。
終わって片づけをして、6時前に教会を出てもまだ明るかったです。
そして、今度の日曜日にはDaylight Saving Timeが始まります。
今の6時は来週の7時ですから、
7時まで明るいんですよ!3月だというのに!
そして、うれしいことに来週は暖かくなりそうで、
何だか「春がやってきた」って感じになりそうです。
わくわくします。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の6章を読みました。
「天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。」という14節の言葉が目に留りました。

やがて、そんな時が来るのだ、
天が消えてなくなり、山や島が動くようなときが。
これがあるから大丈夫だというものは何もない。
何も私たちを守ってくれない。

でも、そんな中で変わらないものがある。
変わらない方がいる。

「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。
一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。」
詩篇の46篇の言葉です。

そこに私たちの希望があるのです。
そこに私たちの希望を持つべきなのです。
他に土台とするものが何もなくなったときに、
神を希望として、神を頼って生きる、ということが分ってくるのです。

主よ、
世の終わりの天変地異の中でもあなたを見上げて、信頼していけるでしょうか?
私の人生の中での嵐の中でも、あなたを信頼して、平安な心で生きていけるでしょうか?
主よ、
どうか、すべてが揺さぶられたときに、すぐにあなたの元に飛んでいけますように。
あなたの支配を信頼して、安心して歩んでいくことができますように。
どうかあなたが守って下さい。

2007-03-07

すべてのものが主をほめる

今日も寒い一日でした。
朝は雪が降っていました。
1センチくらい積ったでしょうか?
-10度くらいのとても低い気温でしたので、
パウダースノーでした。

そして、最高気温も-2度くらい。
夜の9時で-6.4度まで下がってきています。

この寒さ、金曜日まで続くようです。
早く暖かくなって欲しいものです。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の5章を読みました。

「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。』」13節。

すべての造られたものが、父なる神と、キリストとをほめる。
聖書は人間だけが神を礼拝するものであると言っているわけではない。
この自然界のすばらしさも、
動物たちも、みんな神をほめている。
日本では大きな滝や、大きな山や、大きな木、大きな岩、
みんなその中に神が宿っていると思われてきた。
でも、そうじゃない。
その大きな滝も、大きな山も、大きな木も、大きな岩も、
神をほめたたえているのだ。

決してニューエイジなんかに勝手に解釈させていてはいけない。
小川の水の音も、鳥の声も、
みんな神をほめたたえているのだ。
キリストの救いをほめたたえているのだ。

その全世界の賛美、全自然界の賛美に私たちは参加させて頂いているだけなんだ。
私たちが賛美をささげるときに、キリストを賛美するときに、
全世界の自然界の賛美に参加しているのだ。

主よ、
感謝します。
私の目を開いて下さって、
世界の賛美に参加している、その喜びを
感じさせて下さっていることに感謝します。
どうか、私たちの賛美が、
独りよがりのものになりませんように、
全世界の賛美と調和するものでありますように。
自然界の賛美と調和するものでありますように。


2007-03-06

ここに上ってきなさい!

いやあ、寒いですねえ。
ホント寒いです。
今朝は-12度。
昼間も-5度止まり。
そして夜の11時にはまた-12度。

明日の朝は何度まで下がるんでしょうか?

でも、これから曇ってきて、
明日は一時雪です。
大したことはありません。
もっと南の方、ワシントンとかの方にエネルギーがいっちゃうみたいです。
学校は休みにはなり得ません。
とても軽いパウダースノーです。

その後も寒くて、暖かくなってくるのは土曜日あたりみたいです。
結婚式は大丈夫ですね。
よかったよかった。

さて、今日はさっそく聖書。
黙示録の4章を読みました。

「その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。『ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。』」1節の言葉です。

ここから黙示録の難しいところが始まりますが、
今朝はゆっくりこの言葉を読んで思いを巡らしていました。
天に開かれた門がある。
そして「ここに上れ」と声をかけて頂く。
主が私たちを招いておられることを思わされました。

主は毎日毎日、私たちを待っていて下さる。
御言葉によって語ろうと、私たちを招いて下さっている。
天の門を開いて、「ここに上れ」と。
そのこと自体に喜びを覚えました。
主が私たちにもっといろんなことを見せようとしておられる。
その招きに従って、
もっともっと主に近づけて頂きたいと思います。
もっともっとspiritualなことに目を開かせて頂きたいと思います。
そうそう、今ニューエイジの影響か、
spiritualという言葉が何か誤解されそうですが、
「霊が見えます」とか、そういうことではなくて、
御言葉によって取り扱われる、という面で、
もっともっと世界が開かれていくようにと思います。

主よ、
あなたの招きを感謝します。
もっともっとあなたの愛の深さ、
あなたの与えて下さる力の大きさを、
知る者となれますように。
どうか、あなたの懐深く、踏み行かせて下さい。

2007-03-05

開かれた門

寒くなりました。
今日の午後3時頃、急に雪が激しく降りました。
ほんの数分だったので、何ともなかったですが、
まだまだ冬なんだなあと思います。
今は夜の9時半。
-4.3度まで下がりました。
今夜は-12度まで下がるそうで・・・。

明日は一日氷点下。
そしてあさっては雪のようです。
「ちょい雪」。
でも3-5インチの予報を出しているところもあります。

その後はどんどん春になるようです。

今朝「成分献血」に行って来ました。
血小板だけを取り出すというヤツ。

実はこのところ、時々電話がかかってきて、
「次の月曜日の朝ならできる」と2回も答えていたのに、
2回とも結局行けず、申し訳ないなあ、と思っていました。
そしたら、先週、また電話がかかってきて、
「バスケットのチケットがもらえるプロモーションやっているから・・・」とお声がかかり、
その話の中で、「今、血小板がほんとうに必要なんです、よろしくお願いします」と頼まれて、
「じゃあ、月曜日の朝に」と予約を入れてあったのでした。

そして、今朝9時にいざ出陣、
簡単なチェックをした後、
献血開始・・・しかし、右腕で血を採っていたのですが、
開始間もなく痛くなり、チェックしたら、針が他の血管を圧迫しているということで、中止。
「帰るか、それとも、左腕で採るか」と聞かれ、
今日は月曜日で休日でもあり、「役に立ちたい」と思ったので、
「左腕でお願いします」と再度挑戦。
「なんだ、こっちの血管の方が簡単じゃない。これから、いつも左腕でやって、と言ってね」と言われて、「最初から、両方見ればいいだろうに・・・」と思いつつ、おとなしく、針を刺されました。
「ほら、こっちは大丈夫」と言っておられたのですが、
最初ちょっと血を採って、その中から血小板を取り出して、血をまた戻すときに、
「おー!」っと声を挙げるような激痛。
針がずれていたようで、返ってきた血が内出血状態。腫れ上がりました。
即、献血中止。

ということで、あえなく、役に立てずに帰ってきました。

nurseの方も、立て続けの失敗に激しく落ち込んでおられました。
神様が造られたわたしの両腕ですが、
血管の走り方が、複雑なんでしょうかねえ。

でもめげないでまた挑戦しようと思います。

「受けるより与える方が幸い」ですから・・・。

今日の聖書。
今日は黙示録の3章。
心に語られた言葉がありました。

「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」
8節の言葉です。

主が門を開かれるときに、
誰もそれを閉じることはできない。
ものすごい励ましを頂きました。

主が開かれるときに、
人の力も、
力関係も、
経済力の問題も、
何もそれを閉ざすことはできないのです。

主が開いてくださっていること、
そのことのすばらしさを感じました。

主よ、
どうか、私にあなたの開かれた門を見せてください。
あなたを信頼します。
あなたを見上げます。
水の上を歩くときに、
波ではなくて、嵐ではなくて、
あなたのことを見つめ続けることができますように。

2007-03-04

両刃の剣

今日はグッと冷え込んで、
朝は小雪が舞いました。
さっき外にゴミを捨てにいったらまた小雪が舞っていました。

明日も寒い日のようです。
そして、火曜日が寒さの底で、
木曜日までは一日中氷点下の日が続くようですね。

水曜日はGFSのモデルでは「ちょい雪」です。

今日は礼拝後、
教会堂のことで教会全体の話し合い。
皆さんのいろんな意見を伺ったり、
考えたり、考えて頂いたり、考えさせられたり、
必要な時だったのだと思います。

今まで19年間も、私たちはアメリカの教会の会堂を使わせて頂いています。
今日の礼拝も80名くらい。決して「開拓教会」ではありません。
でも、なかなか自分たちの会堂を持つことができないでいます。
狭くても、とにかく自らの懐を痛めて、また祈って奇跡を見せて頂いて、
自分たちの建物を持つことが、信仰の成長のために必要だと思っています。

そんなことで、
私たちに会堂を貸して下さっているザイオン教会の歴史を見てました。
1899年に創立。
1903年に土地購入。住宅2軒分の敷地。
1904年に建物完成。・・・ちなみにこれは今お借りしている建物ではなくて、教会の裏の坂道を上がった右側の建物です。土地と建物で2340ドル。そのうち、教団からの無利子の借り入れが620ドル、教会債が500ドル、その他が積み立てですから、計算すると1220ドル。
5年で、初めての会堂です。この町の2軒分のロットは決して大きくありません。最初は礼拝を守れるだけのスペースだったのでしょう。でも現在、同じことをしようと考えると最低でも60万ドルくらいはかかるんでしょう。

そして少しずつ少しずつ周りの土地を買い足していったようですね。
今から50年くらい前に今の土地の半分を買って移転。
それから10年ほどして、残りの半分を取得。駐車場としたようです。
それからまた10年後、今から30年前ですが、入って右側の部分、ジムとロビー、オフィス、コワイアルーム、キッチンあたりを造ったそうです。それも、78年に計画が始まって完成は82年。いくらかかったかはもう少し調べないと分りませんが、工事が遅れてよけいにかかったお金だけで約40万ドル。

今はかなり人数も減っていますが、10年前は2回の礼拝をしていましたし、200人以上の方々が集っていた教会。その教会が100年かけて造ってきた教会堂、それを何だか当たり前のように使わせて頂いて、もっともっと、感謝すべきだなあと思いました。

そして、この108年の歴史全体では何千人になるだろう人々の汗と涙と祈りの重さを考えるときに、私たちが会堂を与えられるために、主がどんなことを備えておられるか、そのためのプロセスにどれほどのことが待っているのか、それをほんとうに自分は甘く見ていなかったか、いろいろ考えさせられました。

こんなこと、わたしも今までちゃんと調べたこともありませんでしたし、
もちろん、お話ししたこともありませんでした。
こうやって書きながら、ザイオン教会の方々への、その歴史を背負ってこられたお会いしたこともない方々への、感謝と、それを知らなかったことへの申し訳なさ、知らないで口に出してきたたくさんのわがままについての悔い改めの気持ちがどんどん湧いてきました。そして、こういうことを日本語教会に集う方々にお話ししないできたことに悔恨の思いも湧いてきます。

主よ、この一時を感謝します。気づかせて下さってありがとうございます。

今日の聖書。(って書いているうちに日付は変わってしまいましたが・・・)
今日はヨハネの黙示録2章。
「鋭い、両刃の剣を持つ方」12節の言葉です。

イエスは「優しい人」そんなイメージがあります。
でも、それと共に「両刃の剣を持っておられる方」です。
ここに「口の剣」とありますが、「御言葉」のことです。
神の言葉、イエスの言葉、聖書の言葉は私たちの心に剣のように
刺さってくるときがあります。

決してここちよいときばかりではありません。
でも、その方がいいのだと思います。
御言葉が心に刺さってきて、
それで整えられる、悔い改めさせられる、
そうなんだと思います。

御言葉によって整えられる、
それを恐れないで、それを真剣に受け止めて、
歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうか、わたしに語ってください。
日々語ってください。
そして、御言葉によって取り扱ってください。
御言葉によってきよめてください。
御言葉によって整えられて、
あなたの用いやすい器としてください。

2007-03-03

万物を支配される主

そしてとうとう追いついた今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録に入って、第1章。

「神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」8節。

神様は、すべての支配者。
すべてを持っておられる方。
ビル・○イツでもなく、
トランプさんでもなく、
NYの市長でもなく、
神様がすべてを持っておられる方。
だから、この方に信頼していこう。
この方を信頼して歩んでいこう。
この方に求めていこう。

私たちの目を主に合わせて、
すべてを支配しておられる方に合わせて歩んでいこう。

「万物の支配者」
すべてのもの、全部が、主の御手の中にある。
だから、恐れないでいこう。
主に求めていこう。

主よ、
あなたがすべてを持っておられる方であることを、
忘れることがありませんように。
それを信頼して歩んでいくことができますように。
わたしが勘違いをすることがありませんように。
ただ、あなたの支配を信頼して、すべてがあなたの御手の中にあることを
信頼して歩んでいくことができますように。

聖霊によって祈る

今日もあっという間に時間が過ぎていきました。
朝は-2度だったのですが、
昼間はほんとうにポッカポカになりました。
15度くらいまでいったでしょうか?

でも、今は夜の11時半で、3.8度。
明日からは寒い日が続きそうです。

火曜日水曜日あたりは-10度以下まで下がるようです。

今日は一日祈らされていました。
御言葉を待ち望みながら祈りました。

今週一週間に与えられた御言葉。
「あなたがたの手で食物をやりなさい」
「わたし自身が共に行くであろう」
「静まってわたしこそ神であることを知れ」

やはり伝道したいと思いました。
思いっきり伝道したいと思いました。
5000人の人が5つのパンと2ひきの魚で満腹した記事を思い出して、
ほんの少しの手の中にあるものを主にささげて、
その主の祝福によって、多くの人が満たされるような御業を見せて頂きたいと思います。

昨日(金曜日)の聖書の言葉。
ユダの手紙でした。
「聖霊によって祈り・・・」20節。

聖霊によって祈るというのはどういうことなのだろうかと思わされました。
聖霊様によって導かれる歩み、
聖霊様が教えてくださること。

ほんとうにその世界をもっともっと知りたいと思います。
聖霊様の助けを頂いて、
聖霊様に満たされて歩みたいと思います。
「知識として知っている」じゃなくて、
「聞いたことがある」じゃなくて、
「後で振り返ると」ではなくて、
聖霊様によって祈ることを教えて頂きたいと思いました。

「求めてくる者に、聖霊を下さらないことがあろうか」と言われたイエスの言葉を信頼して、
聖霊様を求めます。

主よ、
聖霊によって祈る、祈りへわたしを導いてください。
聖霊様に満たして下さい。
どうか、教えて下さい。
経験させて下さい。
聖霊様、あなたを求めます。
わたしを満たして下さい。
私のうちにあふれて下さい。
わたしのすべてを支配して下さい。

2007-03-02

真理そのものの証言

今朝はすごい雨でしたね。
川がごうごう流れていました。

でも、昼頃には晴れ間も出てきて、
暖かくなりました。
13度くらいまで上がって、
春の陽気です。
これからは毎日ではなくても、こんな日々が出てくるのだと思います。

明日までは暖かくて、
その後、また火曜日、水曜日くらいを底にして、
冷え込むみたいです。
朝晩は-15度、昼間も0度以下の日があるみたいです。

そして10日を過ぎると、また暖かくなるでしょう。

来週は教会の方の結婚式があります。
私自身の司式ではないのですが、
新しく築かれる家庭に祝福がありますように祈ります。

姉妹の存在が周りの方々にとって、
神様の祝福の流れていくポイントとして用いられますように。

結婚式当日が、
「大雪」とかになりませんように。

あの"Superstorm"は3月半ばでしたからねえ。

昨日の聖書。
昨日はヨハネ第3の手紙でした。
その中で心に留ったのは、
「デメテリオはみなの人からも、また真理そのものからも証言されています。」という12節の言葉です。

真理から証言されている。
声を大きくして言わなくてもいい。
真理が証言する、ということ、
それのすばらしさを思わされた。

焦ることがある。
でも、焦らなくていい。
真理は自ずから明らかになるのだから。

自分たちの結婚式の時に、
恩師がひいてくださった聖書の言葉。
「アロンの杖からは芽が出た」
という言葉。
一生懸命論証しなくていい。
それがホンモノならば芽を出すのだから。

神様ご自身が明らかにしてくださるのだから。

安心していいのだと思わされた。

主よ、
あなたの御手に委ねます。
あなたがすべてを導いてください。
あなたが真理を明らかにしてください。
杖から芽を出させてくださる
あなたの御手に委ねます。

2007-03-01

キリストに留まる

今日も暖かい一日でした。
でも、夜は雨。9時半現在、まだ大したことはありませんが、
「大雨」だそうです。

明日の昼頃までは雨が降るようです。

もう今日から3月。
暖かな日も多くなってくるでしょう。

今日、聖書を読んでいたときではなかったのですが、
心に響いてきた聖書の言葉。

「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」
ルカ9:25

「自分自身を失う」という言葉がほんとうに心に深く深く響いてきました。
自分は今「自分自身」を失っていないだろうか、見失っていないだろうか、
主に問われたように感じました。

今、教会では教会堂のことを真剣に祈り、求めています。
でも、教会も「自分自身を失う」ということがないように、
何よりも、御言葉によって取り扱われ、
御言葉によって生かされて歩んでいくことができるようにと祈ります。

「教会の本質」を失うことがないように、祈ります。
「なくてならぬものは多くはない、いや一つだけである」とイエスが言われたように、
一生懸命な奉仕でもなく、楽しさでもなく、多くの人が集まることでもなく、
もちろん、立派な建物でもなく、
ただ、御言葉に聞き従うということが、「なくてならぬもの」として、
堅く立っていくように、祈ります。

さて、昨日(水曜日)の聖書。
ヨハネの第2の手紙です。

心に留った言葉は、
「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。」9節の言葉です。

キリストの教えに留まること。
目新しいことや一般ウケしそうなことに心を奪われたり、
何か派手なことを求めたりすることでなくて、
単純に、愚直に、
キリストの教えを大胆に語っていくこと、
それが自分の使命だと思わされました。

私も人の影響を受けやすい人間です。
どこかで成功している教会の話を聞くと、
派手な、目新しいことを、
まねしたくなることもあります。

でも、
ほんとうに真実に、
単純にキリストの教えを語っていくことが
大切なのだと、
私の使命なのだと再確認させて頂きました。

教えられました。

主よ、
ただ、福音に生きる者としてください。
単純に福音を信じて、
福音を伝える者としてください。
御言葉の力をもっともっと経験させてください。
そして、御言葉によって取り扱われる方々を
次々と起してください。
transformationが一人ひとりの歩みの中に
起されていきますように。


みこころにかなう願い

順調に礼拝説教の準備が進んで、
原稿を通訳の方にお送りしました。
1時過ぎに更新できるなんて・・・。

水曜日はNYに行く日。
暖かい日で助かりました。
正確には分りませんが、10度くらいあったのでは・・・。

木曜日の夜・・・今日の夜は「大雨」だそうです。

ドライブは気をつけて・・・。

今日も何人かの方々とNYでお会いしましたが、
やはり私の仕事はそのお一人一人が神様の方に目を向けることを
サポートすること。
焦点がずれていたら、「ずれていますよ」と言わなければいけない。
それをまっすぐ受け取る人はぐんぐん成長する。

それも勇気がいる仕事。
でも、ほんとうに報われる働きだなあ、と思います。
聖書によって取り扱われた証しを伺うことほど、
うれしいことはありません。

そして、その「お互いが神様の方に目を向けることをサポートする」
ということは、牧師だけしかできないことではない、と思います。
そのようなことがお互いの中でできていくときに、
教会は元気になって、成長していくのかな、と思います。
期待しつつ。

火曜日の聖書。(なかなか追いつけないですね。読んではいるのですが・・・)
火曜日はヨハネ第1の手紙の5章を読みました。
その中で心に留ったのは、
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」14節の言葉です。

「みこころにかなう願いをするなら・・・」という言葉。
ここがポイントなんだろうなあと思います。

だったら、どのように御心を知ることができるか?
聖書。
やっぱり聖書を読むことなのか、
聖書から教えられることなのか。

いろんな試練の中でも、神様に近づけられる。
だったら、試練も必要なのだと思う。
そう、ヘブル人への手紙の12章を読んだら、試練によって、
「神のきよさをshareしてもらえる」という。

もっともっと神様に近く歩みたい。
もっともっと神様と共に歩きたい。

そう思いました。

主よ、
もっとあなたの御心が知りたいです。
あなたの御心を教えてください。
私にあなたのきよさをshareしてください。

明日の出会いも祝福されますように。

2007-02-28

あとで・・・

今日はNYDayで先ほど帰ってきましたので、
これから日曜日の礼拝の原稿を作るので、
明日の朝までのどこかの時間に更新します。

ではでは。

2007-02-27

恐れからの解放

今朝はやっぱりうっすらと雪が降っていたみたいですが、
学校はもちろん、平常通りでした。

そして、昼間には8度くらいまで上がりました。
いいですね。

そうそう、今朝起きたら、何だか変なにおい。
またまたスカンクのにおいです。
こんな季節に・・・。
一日中なんかスカンクのにおいが取れません。
どこで一発こいたのでしょうか?

うちの床下にでも入り込んだのだろうか・・・。

今夜も一時小雪とか言っていますが、
明日は、晴れるみたいです。
4日ぶりの太陽。
暖かくなって欲しいです。

昨日(月曜日)の聖書。
昨日はヨハネ第1の手紙の4章を読みました。

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」18節。

ほんとうに自分の課題。
人に対して恐れを抱くのではなくて、
愛を持つこと。

読む度にどきっとするし、祈らされる。
「愛を持って真実を語る」ってできるだろうかと思わされる。

主よ、
私に愛を与えて下さい。
人を愛する愛を与えて下さい。
恐れを締め出す愛を与えて下さい。
そして、愛を持って真実を語ることを教えて下さい。

明日はNYDayです。

2007-02-26

憎まれても・・・

今朝は5時半に電話が鳴って
・・・鳴ると分っていたんですが・・・
子ども達の学校は2時間遅れスタート。
子ども達は「えー!」、大人も「休みでもいいのにね」。
でも、確かに雪は朝に上がって10センチくらい。
お休みにするほどではありませんでしたから・・・。

それで、一番早い長男の予定に合わせて、
8時から雪かき開始。
8時45分には終わって、
シャワー+朝飯+身支度で、
9時20分のバスに乗っていきました。
次が長女で10時15分に学校。これは歩けるけど、
雪の時は車で送ります。
次が次女で11時に学校。
こちらもがんばれば歩けるでしょうが、
幼稚園児に20分の、雪の道や、
寒い朝はちょっと大変なので(大人は往復だし)、
送りました。

なんだか、一日がとても短く感じます。

学校から帰って、娘達はsnowman作りを楽しんでいました。
snowmanとは訳すと「雪だるま」なんですが、
ちょっと違うんですね、このsnowmanと「雪だるま」。
「雪だるま」は雪の玉を2つ重ねますが、
snowmanは3つなんですね。
今日も「手伝って」と言われて、
2つ積み上げて「できたできた」と言ったら、
「もう一個」と要求されました。
日本で育った私にとっては
2つで当然なんですが、
こちらで育っている彼女たちにとっては、
3つないとダメなんですね。

勉強になりました。

今夜も小雪。

今は小雨が降っていますが、後で雪になるみたいです。
でも、今夜は積っても1-2センチだそうで、
学校は普通通りでしょう。

昨日(日曜日)の聖書。

昨日は第1ヨハネの3章を読みました。
「兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。」13節。

もちろん、「自分の不徳の致すところ・・・」というケースも多いと思いますが、
必要以上に「憎まれたくない」という気持ちが働くことがあります。
幼児経験があるのでしょうか?
それとも持って生まれたものでしょうか?
そして、気に入られようと思ったり、ご機嫌を取ったり。

でも、私たちが見ていくべきなのは神様であり、
主の喜ばれるところを歩んでいくことが大切なんですよね。

しっかりと主を見つめながら、
主のみ声に焦点を合わせながら、
歩んでいきたいと思います。

恐れないで歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうかあなたを見つめて歩ませて下さい。
あなたのみ声を聞きながら歩ませて下さい。
あなたのみ声に焦点を合わせます。

2007-02-25

罪から離れる

昨日からPAのブリンマー日本語教会に行って参りました。
このHPの一部はエンコードを韓国語(EUC-KR)にすると日本語が文字化けしない、という不思議なページなのですが、「教会紹介」は日本語(Shift-JIS)で読めます。

2000年に始まった新しい教会ですが、30人くらいの方々が集まる教会になっています。
元気な先生と元気な皆さんの教会で、
こちらが元気をもらって帰ってきました。

それで昨日は更新はお休みしました。

そして、今は外は雪。
ちょっとまとまった雪になるそうです。

学校は休み、かな?・・・まだ発表、連絡はありません・・・。

そのブリンマーの教会の牧師の李先生と夜、話しながら、
先生が教会でいつも言っておられる言葉を伺いました。
「それ、もらった!」と思いました。

「みことばはinformationではなく、transformation」

うまく言うなあ、と思いました。

私も最近そのことを強く思わされていました。
「御言葉の根が心の内側に食い込んでいく」なんて言い方をしていましたが、
それより、ずっと、この先生の言い方の方がすっきりしていてわかりやすい。

聖書のみことばは「知識」を増やすものではなくて、
あなたのことを、あなたの内側を造りかえるもの。

あなたが料理するものでも、
それで人を料理するものでもなく、
自分がそれによって料理されるもの。

「みことばはinformationではなくて、transformation」

このページを読まれたあなたにも、
そのことが起こりますように。
ただ、informationとして、聖書を読むのではなくて、
それによって、あなたのうちにtransformationが起こりますように。

昨日、土曜日の聖書。
第1ヨハネ2章でした。

「私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」1節。

罪から離れること、
罪を犯さなくなること。

そんなことを意識していたら、おかしくなってしまうのでは、と思う自分がいます。
でも、さっき書いたように、この御言葉によって、
私のうちにtransformationの御業が起こるようにと祈ります。
自分の思いもこだわりも打ち砕かれるようにと祈ります。

「怒っても罪を犯してはならない」という言葉もあります。

罪から守られるようにと祈ります。
神様が私を罪から守って下さるようにと祈ります。

故意の罪からは完全に離れたいと思います。

誘惑に負けない強さが欲しいと思います。

そして、感情的な波に押し流されて、
罪を犯してしまうことがないようにと思います。

御言葉にいつもいつも守られて、「罪を犯さない」者でありたいと思いました。

主よ、
御言葉によって、私を罪から守って下さい。
私を御言葉によってtransformして下さい。
私をきよめてください。

教会をきよめてください。

2007-02-23

光の中を歩く

今日はまた寒くなりました。
日中も0度から2度くらいの間を上がったり下がったりでしたが、
夜になってから、ぐんと冷えて、今、夜の11時で、-6.1度Cでした。

明日も寒いでしょう。
そして、日曜日から月曜日にかけて、ちょっと雪も降るみたいです。
今回も大したことはないみたいですが・・・。

今日、ふと思ったのですが、
あの23年前の時、
私に「君は傲慢な人間だね」と言ってくださった先生、
ほんとうに感謝しています。
その言葉がなかったら、私はあの問題を乗り越えられなかったかもしれません。
適当にうまいこと「慰め」てくれていたら、
その場は何とか「良かった良かった」と思ったかもしれませんが、
神様の愛は分らなかったかもしれません。

もしかしたら、先生の方も勇気がいったんじゃないかと。

自分だったら言うことができるだろうかと。

「私を信頼して言ってくださったのだろうか」と思いますが、
そうじゃなくて、「神様の恵みを信頼しておられた」のだと思います。

私もそれができる者となりたいと思いました。
その人が受け止められるかどうかを考えるよりも、
神様の恵みを信頼する、
神様がその方の目を開いてくださる、という信頼をもって語っていきたいと思いました。

今日の聖書。
今日はヨハネ第1の手紙の1章を読みました。

「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」6-7節。

光の中を歩く。
それが大切。
「神と交わりを持っている」と言うことは誰にでもできる。
でも、ほんとうに「光の中」を歩んでいるだろうか?
神様に隠れることなしに、
神様の前に真実に歩んでいるだろうか?

光に照られたものは、それがまた光となる。

いつもいつも真実でありたいと思います。

主よ、
あなたの前に真実であることができますように。
ウソのない歩みをあなたの前に守ることができますように。
どうか私の歩みを守ってください。
誘惑や怒りから守ってください。
あなたの愛で支配してください。
あなたの愛で満たして下さい。

2007-02-22

しみも傷もない者として

今日は朝の最低気温は-2.4度。
そこそこ冷え込みました。

昼間から雨が降ってきて、夜には雪になるだろうと言っていましたが、
それほど冷えずに今も夜の10時で、3度もあり、雨が降っています。

でも、明日はまた寒い一日になるようです。

今日はレオニアでのキッズクラブ。
最近、こちらは、ちょっと参加者が少なかったので、
心配しました。

でも、終わってみると楽しかったです。11名の子ども達が集まりました。
初めての子達も喜んでくれました。

またこれから、暖かくなって、もっともっと盛り上がっていくことを期待しています。

さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章。

14節の言葉が心に留りました。
「そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」

「・・・しなければいけない」「・・・してはいけない」というところからイエスによって解放された私は、こう言う聖書の箇所にはあまり目を留めていませんでした。それよりも目をそらしていたのだと思います。そして、それから20年以上経って、今また、こういう聖書の言葉が心に迫ってきます。「しみも傷もない者となる」それを本気で求めて、与えられたいと思います。「人間はみんな罪人だから・・・」ということに立てこもり、「律法的になるといけないから・・・」とごまかしていたのかもしれません。聖書の言葉は神様からの言葉として、ストレートに受け止めて、「そうだ、しみも傷もない者になりたい」と思いました。

悔い改めて、悔い改めて、一つ一つ具体的に悔い改めて、
主に赦されて、きよめられて、
歩んでいきたいと思います。

主よ、
私をきよめて、
しみも傷もない者としてください。
悔い改めます。
今日、悔い改めて、あなたの赦しときよめを求めます。
どうか、全き者となしてください。

2007-02-21

何に支配されているか

今日は暖かな一日でした。
朝の最低気温はちょうど0度C。
昼間の最高気温は9.5度まで上がりました。

でも、今、夜の11時で、-0.8度。
さすがに夜には氷点下になりましたね。

明日は時々雨で、
夜には雪も混ざるようです。

おとといですが、夜、ゆっくり風呂につかりながら・・・アメリカの浅いバスタブなんですが、最近これにはまっています・・・雑誌のTimeを読んでいました。

その中に、アメリカで、今、「中絶反対運動」が変わりつつある、という記事がありました。ただ「反対」を叫んだり、クリニックの前で「殺人だ」と責めたりすることではなくて、つらい中、困難の中にいる妊婦の人々に救いの手をさしのべて、何とか思いとどまってくれるようにと励ますグループがどんどん生まれているそうです。ほんとうに大切なことだと思います。

教会では結婚という枠の外での男女の体の関係は認められていません・・・というか、神は結婚を祝福されたわけで、不倫にせよ、婚前交渉にせよ、神の祝福を失うことです。

ほんとうに大きな誘惑はあるし、社会はそれを「時代遅れ」「化石」と呼びます。
「この歳で経験がないなんて恥ずかしい」なんてアホなことを思わせるような文化です。
でも、胸を張って宣言すべきだと思います。

そして、「第2のバージン」という言葉さえあります。
クリスチャンでありながら過ちを犯した人、クリスチャンではなかったので、そのような価値観を持っていなかったけれども、後にクリスチャンになって生まれかわった人が、悔い改めて、その時から、結婚まで慎む、という意味です。

でも、もう一つ大切だと思うことは、
「今まで純潔を守ったから、私たちの結婚はうまくいく」なんて安易に考えてはいけない、ということです。結婚はほおっておいて祝福されるものではないなあ、と思います。日々、神様から力を与えられて、互いを大切にしていいくこと、チャレンジです。

今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙2章でした。
きついことがどーっと書かれているところですが、
その中で、次の言葉が心に残りました。

「その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。」19節の言葉です。

自分はいったい何に支配されているだろうかと思いました。
ほんとうに神様の愛に支配されているだろうか。
神様の愛が私の心の隅々まで支配しているだろうかと。

他に私を捕らえてしまっているものはないだろうか、
もう一度心の中を探られました。
「完全な愛は恐れを取り除く」
私のテーマ聖句です。

主の愛に満たして頂きたいです。

主よ、
今日の一日を感謝します。
夜の集会を特別に感謝します。
どうか、明日もあなたの恵みでいっぱいにして下さい。
そう、あしたはキッズクラブです。
多くの子ども達との出会いがありますように。

2007-02-20

信じるところで留っていないで

今日は暖かな一日になりました。
夜のうちに気温が上がって、
朝にはもう氷点下を脱出。
そして、最高気温は8度まで上がりました。

今は夜の11時で3.3度。
暖かな夜です。
今、外は雨が降っています。
雪が混じるでしょうか?

明日も暖かな日になりそうです。

朝は、教会で祈り会があったのですが、
学校が休みのため、子ども達がゆっくり寝ていられるということで、
カミさんも来ました。
そして他に来られる方がおられなかったので、2人で祈りました。

教会の一人ひとりのことを覚えて
家で祈るときとはまた違った、
熱い祈りを捧げることができました。
とても新鮮な朝でした。

昨日29回目の洗礼記念日を迎えた彼女。
共に歩めることに心から感謝します。

午後には牧師のためのセミナーがあって、
ニューヨークに行って来ました。

行きはマンハッタンの北の方までバスで行って、
マンハッタンに入ったら地下鉄、と思っていたのですが、
何と警察が大集合していて、地下鉄が止っているとのこと。
ニュースにも何にもなっていなかったので、大事件ではなかったようですが、
バスで行ったら1時間以上かかって、大遅刻。

でも、セミナー自体は良かったです。
一つの伝道の方法を紹介するセミナーだったのですが、
その方法の中で、
「聖霊に満たされること」
が強調されていました。

ああ、それを求めていきたいなあと思いました。
日本では良く聞いていた言葉です。
でも、最近あまり耳にしなくなっていました。
いや、耳にしたり、歌の歌詞に歌われていたりしても、
意識していなかったのかもしれません。
how toとか知的な面に焦点が当たりすぎていたようにも思います。
「聖霊に満たされること」
聖霊なる神様に私のうちに満ちて頂いて、
あふれて頂いて、
それが人びとに伝わっていくような、
そのような伝道をさせて頂きたいと思いました。
教会にいつも来ておられる方々に対してもそうです。
私自身が聖霊様に満たされることを通して、
人々に神様の業が広がっていくような、
人々が造りかえられ、整えられていくような、
そのような教会となるようにと願いました。

今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙に進んで、
1章を読みました。

「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」5-8節。

信仰をもったら、救われたらそれで終わり、ではなくて、
その後にはまたいろんな課題がある。
いや、救いがタダで与えられるから、
その後の課題を感謝して歩んでいくことができる。
「徳」「知識」「自制」「忍耐」「敬虔」「兄弟愛」「愛」といくつものステップがある。

自分はどこにいるだろうかと思わされました。
大体、自分はこれをほんとうに求めてきただろうかと思いました。

「証し」に書いてきたように、
自分は「・・・しなければならない」というところから解放されたのですが、
その影響で、ほんとうにすべての「・・・しなければならない」というものを
捨ててしまったように思うのです。
愛されているから、救われたから、
喜びがあるから、
「このような歩みをしなさい」
といわれても、そこに生きていくことができるのに、
それさえも拒否していたときもあったと思います。

一つ一つ求めていきたいと思いました。
「徳」といわれるもの一つ一つを先ず求めていきたいと思いました。

主にあって成長させて頂きたいと思います。

主よ、
感謝します。
私を救って下さったことに感謝します。
感謝して、「徳」を求めて参ります。
どうか、一つ一つ教えて下さい。
経験させて下さい。
与えて下さい。