2007-03-22

この大いなる救い

今日は午後からグッと暖かくなりました。
朝は3度くらいでしたが、
最高気温は19度まで行きました。

残念ながらこの天気も今日限り。
明日はまた12度くらいに戻ってしまうみたいです。
1週間前は雪が降っていたことを考えるとずっといいですが・・・。

ちょっとどんよりした日が続くようです。

今日は春めいた天気になったせいか、
JOYJOYキッズクラブも、いつもよりたくさんの仲間が来てくれて、
なんか、楽しかったです。
やっぱり「暖かい」「明るい」って大切なんだなと思います。

これで花粉症がなければ、春は最高の季節なのですが・・・。

去年の今頃どうだったかな、と思って見てみたら、
去年の3月23日は今日キッズクラブをしたレオニアの教会で
レンギョウの花が満開だったんですね。
今日はまだまだ。
3月15日にはウチの庭のクロッカスが咲いていた・・・と。
4月1日には25度を記録しています。

年によってこんなにも違うんですね。
でもクロッカスも雪の中から顔を出しています。
この週末くらいから咲き始めるでしょうか。

最近、「ホントの自分である」ことの意味を考えさせられています。

「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」ルカ9:25

「自分自身を失う」ということがある。
他のものを大切にして、
自分の立場を大切にしたり、
物質的な豊かさを求めたり、
表面的な「成功」を求めたりして、
ほんとうの自分を失ってしまうことがあるのだと。

ほんとうの自分は主と共に歩む中にある。

それが聖書の主張だ。

それと共に裸の自分で主の前に立つということ。
肩書きや立場や、そういうものもすべて置いて、
主の前に立つということ。

そのような自分の時を大切にしていこうと思います。
主の許に重荷を下ろして、安らぐ時を。

さて、今日も黙示録を読みました。
いよいよあさってで新約聖書一日一章が終わります。
7月から初めて3月までかかりました。
今日は20章。

「この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。」6節の言葉です。

この言葉の裏には、
第二の死の力の恐ろしさがあります。
本来、私たちは自分たちの罪ゆえに、それを経験するのが
当然の結果でした。
当然のことでした。
この第二の死は永遠の苦しみであり、永遠の孤独です。
永遠に心の中に「憎しみ」「恨み」を持ち続ける世界です。

「地獄で会おう」なんて冗談で言う人がいますが、
あまりに不謹慎です。
「地獄」は「この世の地獄」レベルではありません。
「この世の地獄」だってどうにもならない苦しみであるのに、
ほんとうの地獄はどうだろうかと思います。
「昔の仲間」にそこで会っても、
「やあ、どうしてた、おまえ・・・」なんて懐かしい気持ちが湧いてくるところではないでしょう。
誤解と苦しみ、恨みと、非難・・・。

でも、そこから解放された。

それはイエスの十字架のゆえです。
イエスの十字架のゆえに、私たちは初めてその「第二の死」から救われているのです。
その「第二の死」は全く私たちにとっとは無力なんです。

感謝。

主よ、
あなたの救いの大きさに感謝します。
その救いがあるから、私のうちに平安があるのです。
その救いがあるから、死も恐れることはありません。
「第二の死」は私たちに対して、全く力がないことを、
心から感謝します。
この大きな救い。この救いの大きさを忘れることがありませんように。

2007-03-21

イエスのあかし

今日は朝は冷え込んで-5.5度まで下がりました。
昼間も10度までは行きませんでしたが、でも、穏やかな一日。

今、夜の12時ですが、3.5度。
もうこれ以上下がりません。

そして、明日は暖かな春の日になるでしょう。

どんどん春になって欲しいですが、
今年の春は何だかどんどん暖かくなるというよりも、
いつまでも、暖かくなったと思ったら、
肌寒い日が帰ってくる、という感じになるみたいです。

外れて欲しいものです。

地球温暖化、
つい、この間までは、「そうやって騒いで、経済活動が停滞したらどうするんだ!」
というのがアメリカでの大方の反応でしたが、
だんだん本気で「これはやばいぞ」と思い始めたみたいですね。
白熱電球から蛍光灯にどんどん変わってきています。
省エネ車が結構人気です。
相変わらず大きな車も多いですが・・・。

教会で支援している「日本国際飢餓対策機構」のニュースレターの3月号には、
こんな記事も。
世界中の氷がガンガン溶けているのだと・・・。
子供の頃には「氷河期が来る!」って本が売れてたけどね。
今度は反対に温暖化。
でも、これは根拠がはっきりしている。
単なる気候変動ではなくて、
化石燃料を燃やして来たツケが回っているんですね。

でも、この文明にしっかりと恩恵を受けているわけですから、
「外にいるかのように批判している」だけでは、いけないわけです。

省エネ、ちゃんとしないとな。
車は必要以上に使わない。
電気やガスも節約。

神田先生の「
少々の不自由さを楽しもうではありませんか。」という言葉、
楽しそう!と思いました。そうですね。そのように生きたいと思いました。

今日は黙示録の19章。
続いて悪の力への裁きが下されていきます。

その中で、ヨハネが天使を拝もうとした時に、天使が言った言葉が心に留りました。
「いけません。私は、あなたや、イエスのあかしを堅く保っているあなたの兄弟たちと同じしもべです。神を拝みなさい。イエスのあかしは預言の霊です。」10節。

「イエスのあかし」
それは「預言の霊」だといいます。
「預言」とは神からの語りかけを人々に伝えることです。
今日の「説教」もこの一つです。

聖書の言葉を分析して語るのではなくて、
神様からの言葉を読んで、
自分に対する語りかけとして聞いて
それによって、自分が問われて、
自分に御言葉が突きつけられて、
それを人々に語っていく、
そのようなものです。

それが「イエスのあかし」つまり、イエスが私たちと共におられることの証拠であり、
私たちがイエスの弟子であることの証拠です。

そのようにいつもいつも主から聞いていく者でありたいと思います。
主から聞いて、主に語って頂いて、
主に教えられて、整えられて、
力を頂いて、進んでいく者でありたいと思います。

主よ、
どうか私に語ってください。
あなたが教えてください。
あなたの御言葉を与えて下さい。
そして、「預言」として人々に語り続ける者でありますように。
いつもいつもあなたと共に歩ませて下さい。
私の心を守って下さい。
あなたのみこころにしたがって歩むことができますように。

2007-03-20

おごれるものも久しからず

今日は思いの外暖かくなりました。
10度くらいまで温度が上がり、雪解けも進みましたね。
あと少しです。
でも、今夜だけはちょっと冷えます。
今、夜の11時半ですが、ちょうど0度。
天気予報は軒並み-5度以下を予想しています。

明日の夜はNYですが、
まあ、今夜並み。
でも、夜半頃からは冷え込まずに、逆に暖かくなってくるようです。

木曜日からの暖かさが楽しみです。

今日の夜、ある方からお電話。
「今、月食じゃないですか?」との問い合わせでした。
そんなバカな・・・というのが最初の反応。
だって、月食は「満月」と決まっているのに、つい最近、三日月を見たからです。

そう、月食は月の上に地球の影がかぶさるのですから、太陽、地球、月の順番に並んで、月は光っている面をこっちに向けるので、絶対に満月です。逆に、日食は太陽を月が隠してしまうので、太陽、月、地球の順番に並ぶわけですから、月は背中を地球に向けているわけで、必ず新月です。ですから、三日月の時に月食は起きないのです。ちなみにこの前の満月の時にちょうど月食があったんですね。ここら辺は余り条件はよくなくて、話題になりませんでしたが・・・。

次は8月28日。こちらもアメリカ東部では明け方になってしまい、余りいい条件ではないみたいですね。

でも、その方どうして「月食?」と思われたのだろうと思って、外に出てみると、三日月の光っていない部分もうっすらと見えていました。確かに、月食の時はこんな感じですよね。どうして、今日はこんなに光っていない部分がよく見えるのかなあ、と思いました。よくわかりません。それと月の上に明るく輝く星が見えていましたが、これはたぶん、金星。

・・・と調べていたら昨日場所によっては「部分日食」だったんですね。それは知りませんでした。

でも、あんなに明るい金星も、月も、確かにそこに輝いているのに、昼間は全然見えない。私たちの日々の歩みの中でも、たしかにそこにおられる神様が他のものにかき消されて、見えない時があるんですね。でも、私たちが気がつかなくても、確かにそこにおられる。それを信頼して歩みましょう。

さて、今日も黙示録。
今日は18章を読みました。
いよいよ終わりが近づいてきました。
今日は昨日紹介した「この女」への裁きのところです。
栄華を極めた大都市が、滅びるのです。

その中で、この言葉が心に留りました。
「あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。」17節の言葉です。

この時代の教会は迫害され、地下に潜っていました。
立派な会堂を建てることも許されず、
大々的に集会の宣伝をすることもできず、
人々の気に入るプログラムを持つこともできず、
クリスマスやイースターのパーティーや、
ピクニックや、子ども達のキャンプや、バザーをすることもできませんでした。

そして、それとは対照的に、彼らを取り巻く社会は繁栄を楽しんでいる社会でした。

それでも、教会には光がありました。
人々の嗜好におもねるのではなく、
厳しい迫害の中でも、
ホンモノを持っている教会は人々を惹きつけていきました。

今の教会に必要なのはその冷静さと、
ホンモノに対する飢え渇きと、
ホンモノを持っているのだという自信ではないだろうかと思います。

栄華をほしいままにした、大都市も滅びるのです。

この時代のローマ(ここではバビロン、と言われているけれども・・・)が
やがて衰退していく、などと当時の人はまったく考えられなかったでしょう。
ちょうど、今のNYが、アメリカがいつまでも繁栄するかのように私たちが思っているのと同じように・・・。

だから、淡々と単純に、福音を語り続ける者でありたいと思いました。
流行を追うのではなく、人々の関心を買おうとするのではなく、
単純に今まで通りに、大胆にキリストの福音を語り続ける者でありたいと思います。

主よ、
この大都市も、やがては衰えていくのでしょうか?
この国も、いつの日にかは衰えていく時があるのでしょうか?
信じられません。
でも、歴史はそれを暗示しています。
どうか、周りに振り回されない確かなものを握っていくことができますように。
確かなものを語っていくことができますように。
単純に語り続ける者でありますように。

2007-03-19

純粋であること

先週は牧師会だったので、
今日は2週間ぶりの完全休日。
前回は何があったのかなあ、と2週間前の記録を見てみたら、
「献血失敗」の日だったんですね。

今日は、ご飯つくったり、買い物行ったり、
洗濯物を放り込んだりたたんだりの
マイホームパパをしてしまいました。
悪くないかな。
でも、のんちみたいにはできません。
改めて感謝。

今日は朝は-6度まで下がりましたが、

昼間は8度くらいまで上がりました。
でも、風があったせいか、それほど暖かく感じませんでした。

夕方からはちょっと小雨。

明日はまたちょっと冷えるようですね。

でも、冷え込みも明日の夜まで。
その後はグッと春らしくなってくるようです。

早く雪が融けて欲しいものです。

そうそう、下の娘が今幼稚園なのですが、
「あさって、springになるんだよ」としきりに言っていました。
日本で言うと「春分の日」がこちらではfirst day of springなんですね。
確かに、日本の「立春」は「え?もう春が始まるの?」って感じですし、
「春分の日」を過ぎると結構暖かい日も多くなりますから、
アメリカ版の春の決め方の方がいいんでしょうね。


このあとも、
夏至に夏が始まり、
秋分の日に秋が始まり
冬至に冬が始まります。

春と夏は季節感がぴったりですが、
秋分の日に秋が始まるというのは???です。
NJでは8月の終わりには秋が始まっています。

冬も11月の終わりから始まっているかなと思います。

今日は久しぶりに「えー?」という話を一つ。
日本からのおみやげで頂いたものでしょうか、
日本の「おむすびをつくるためにご飯に混ぜ込むふりかけ」みたいなやつ。
何の気なしにパッケージを見ていました。
製品名は「鮭わかめごはん」ってやつですが、
その裏を見ると、



「おにぎりを作る時は、手をよく洗って下さい」だって!
えー、「洗わない人なんかいるわけないじゃん!」って声を挙げてしまいました。

これ書いてないと、「何にも書いてなかったから、手を洗わないで作ったら、変な味がした」なんて、苦情が出るんでしょうかねえ?アメリカみたいに「このおむすびの素を使う時に、手を洗わないで作ったら、お腹をこわした。手を洗ってから作ってください、と書かなかったメーカーの責任である。治療費と慰謝料として500万円(ちょっと控えめ?)を支払え」と訴えられちゃうんでしょうか。それとも、手を洗わないで作る人がいるから・・・それがまず信じられない・・・でも、トイレで手を洗わない人が結構多い、という話も聞いたことあるしなあ・・・よくお店の中のトイレに「従業員は必ず手を洗うように」なんて書いてあるから、やっぱりいるのかなあ・・・教育的な意味で「おにぎりはを作る時は、よく手を洗いましょうねえ」って宣伝しているのか・・・。

なんか「ペットを乾かそうと思って電子レンジに入れるのはおやめ下さい」と同じレベルですよね。

今日の聖書。
今日は黙示録の17章を読みました。

「地の王たちは、この女と不品行を行ない、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。」2節の言葉です。

「この女」は一つの都市であることが後の方に書かれています。
経済的な繁栄をしている一つの都市のことです。
当時の人々はローマのことを指していると思ったことでしょう。

人々はその都市との関係に全く疑問を抱かなかったのだろうと思います。
その年との関係で自分たちが潤うことを喜んでいたのです。

私たちの生活の中でも、
みんな「あたりまえじゃないか」と思っていることで、
ほんとうは神様から見て、「止めて欲しい」と思われていること、
怒りを買っていることがあるのではないかと思いました。

不品行・・・これはみだらな行い、ということだと思います。
それは聖書の中では象徴的な意味で用いられる時には、
神を信じながら、神以外のものを信じていることを指しています。
二股をかけているというか・・・。

純粋さを失わない者でありたいと思います。
世間では通用しないと人は言うかもしれません。
清濁併せのむべき、人々は言うかもしれません。
でも、聖書は、純粋さを求めています。

目先の成功とか、
表面的な華やかさとか、
人数の多さとか、
そんなものではなくて、
ほんとうに純粋なもの、「ホンモノ」を求めていきたいと思います。

主よ、
どうか私があなたのことだけを見つめて歩むことができますように。
あなたの願われる道を歩んでいくことができますように。
派手なもの、目立つもの、そのようなものに振り回されるのではなく
純粋なもの、「ホンモノ」を求めていくことができますように。

2007-03-18

語り続けること

まだまだ雪が残っています。
朝は-3度くらいまで冷えましたが、
最高気温は5度くらいまで上がったようです。

でも、今は夜の10時で-0.6度。
明日の朝は-5度くらいまで下がるのでしょう。

明日はにわか雨かにわか雪があって、暖かくなり、
火曜日にはまたグッと冷えて、
でも、週の後半にはまた春めいてくると思います。

だんだん待ち遠しくなってきました。

今日もたくさんの方々と共に礼拝を守ることができました。

でも、その一方でおいでになることができなかった方々もたくさんおられました。
病気の方、
子供が熱を出したという方、
飛行機が出なくて、出張先から帰れなくなった方、
そんなことでご主人が帰ってこられなくて、家から出られない、という方、
などなど、
ほんとうに残念でした。
右側に礼拝説教のリンク貼っておきますね。

ほとんどのメンバーが当たり前のように守っている礼拝。
でも、この礼拝を守れることも決して当たり前ではない、
ということをおぼえて感謝しましょう。

さて、今日の聖書。
今日は黙示録の16章を読みました。

「こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。しかも、彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。」9節。

「そして、その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行ないを悔い改めようとしなかった。」11節。

「また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。」21節。

これらを読みながら、
そうだろうなあ、と思いました。
いろんな苦しみがあったときに、神様に悔い改めるべきだということは、
このような聖書を読むと、客観的にそうだよなと思うのですが、
実際に自分がそんなことに出会うと、
「さあ、悔い改めよう」と思うだろうかと思いました。

そして、もっと深く思わされたのは、
このような状況の中で、自分は福音を語り続けることができるだろうか、
悔い改めへの招きを語り続けることができるだろうか、ということです。

人がたくさん救われていったら、いいでしょう。
人がメッセージを聞いて、「そうですね、私は悔い改めます」と言ってくれたら、
語ったかいがあるでしょう。
でも、人々は「こんな苦しみがあるなんて、神なんかいるもんか、神なんか信じるもんか!」と言うというのです。そんな状況の中で、私は語り続けることができるだろうか、ほんとうにそのことを思わされました。語り続ける者でありたいと思いました。
人がどう思うかではなく、主がどのように語りなさい、と言われているかにかかっているのだと思います。

この聖書を読んだのは朝ですが、これを書いているのは夜です。
今日の礼拝の中で、「あなたは罪人です」と語りました。
語りながら、「教会行ったら、罪人だと言われるのがイヤだ」という声を聞いたことがあることを思い出しました。「ああ、なんて自分は大胆なことを言っているのか」と思いました。でも、主が語ることを求められたことを、人の反応を見て、止めてしまうならば、自分は何のためにここにいるのだろうと思います。いつもいつも主の御心を求めながら、歩んでいきたいと思いました。

主よ、どうか私の唇を守ってください。
あのエゼキエルに対して、そのようにされたように、
私の額を「ダイヤモンドのように固い額」としてください。
人の反応に振り回される者ではなく、
あなたが「語れ」と言われることを語る者であり続けることができますように。
弱い私を支えて下さい。


2007-03-17

神の怒り

今日はとにかく雪かき。
昨日も2回やっておいたのですが、
今日起きたら、またすげえ積っていました。
雪と言うよりはSleet。
めちゃくちゃ重いです。
そして、固くなっていました。

もっと悪いことに、
昨日はバスケをしていていなかったので、「今日はやってもらうぞ・・・」と思っていた息子が、土曜日の朝8時半から朝飯喰ってるではないですか?まさか、おぬし、どこかに行くのか?と聞いたら、9時から友達の家で宿題をすることになっている、なんてぬかすではありませんか。

「宿題」「勉強」という言葉にめっぽう弱い親。
「雪かきしてからにしなさい」と言えず、送ってきましたよ。
その途中で2回もスタック。
周りの人に助けて頂いて、なんとか愚息を送り、
一人黙々と雪かきしました。
でも、固い固い。朝飯前の仕事ではなかったので、
朝食食べて、再開。
午後は娘達にも手伝わせて、終わったら4時半になっていました。ふー。

息子がいないと労働力は半分ですからね。
娘達もがんばってはくれますし、
のんちも元気なときはやるのですが、
今日はちょっとダウン。

その息子も、友達の家の前が除雪してなくて、3回も車がその家の前で立ち往生して、
ヘルプに行ったそうです。「宿題なかなか進まなかった・・・」と5時頃に帰ってきました。

近所もどんどんsnow blowerを使う家が増えてきました。
ここに引っ越してきたときはそんなでもなかったですが、
今日などは、半分以上が機械を使って雪かきをしていました。

ま、うちは息子が家にいるうちは・・・あと冬2回?・・・スコップでがんばろうと思っています。

今日の聖書。
そんな一日ですが、朝はもちろん聖書でスタート。
今日は黙示録の15章を読みました。

「神の激しい怒りはここに窮まるのである。」

1節の言葉が心に留りました。

私は「神の怒り」という言葉からは意識的に目をそらしていたのかもしれません。余り得意な言葉ではありません。聖書の中に出てくる言葉なのですが、何とか見つめないようにしてきたのだと思います。でも、今日はこの言葉が心に留って、いろいろ思いめぐらさせられました。神は罪に対して、私たちの罪に対して、私たちが従わないことに対して、怒っておられるのだ、と言うことを考えさせられたのです。

そして、明日の子ども達のためのメッセージの中で、イエスが十字架にかかる前の夜の「ゲッセマネの祈り」のところをお話しするので、そのことを準備している中で、その「神の怒り」ということを考えさせられたのです。

イエスがあの十字架を前にして、それまでも何度もご自身予告しておられたし、そのためにこの世に来られたのに、十字架を恐れて、「悲しみの余り死ぬほどだ」とまで弟子たちに漏らされたイエス。それはこの「神の激しい怒り」を自分の身に負うことの恐ろしさから来ていたことを思わされたのです。イエスは私たちの罪を負われたときに、神の激しい怒りを受けなければいけないことを知っておられた。十字架に釘打たれることも、むち打たれることも、人々に侮辱されることも、もちろんそれら一つ一つが十字架の痛みだったと思いますが、私たちの罪に対する「神の激しい怒り」を受けなければならないということがどれだけの痛みだったかと思います。

その怒りを私のために負ってくださったイエスに感謝します。

私もその怒りを覚えるときに、その怒りを受け止められたイエスの痛みを覚えるときに、「すべての罪から離れたい」と思います。

主よ、
あなたが私のために罪を負ってくださって、
私が受けるべき神の怒りをご自分の身に負ってくださったことを感謝します。
どうか、私を罪から守ってください。
ホンの小さな罪からも、(ああ、そういう罪に大小をつけること自体が恐ろしいことですね)
私を守ってください。罪を甘く見ることがありませんように。

2007-03-16

イエスの行くところについて行く

雪だったのは2時頃までで、
その後はSleetがガンガン降っています。
全部で15センチくらいでしょうか?
もしもこれが全部雪だったら50センチくらいいっていると思います。

今、夜の9時45分ですが気温は-4度。
Sleetが激しく降っています。

究極の選択・・・

こんな天気の夜に運転するのは・・・

1.タイヤは新しいんだけどワイパーが動かない車
2.ワイパーは動くんだけど、タイヤの溝がかなり減っている車

今日の夜は集会を中止にしたのですが、
中止にしても連絡がつかなくて、来る人があったら申し訳ないし、
集中して祈る時を持ちたかったので、
教会に行って来ました。

でも、行こうと思ったら、教会の車のワイパーがなぜか動かない。
氷のせいだと思うのですが、動かないんです。
で、悩んだあげく、2を選択。
安全運転でいってきました。

基本的に雪の中の運転は好きな方なので、
「めちゃくちゃ急いでいる」とか
「めちゃくちゃひどい雪」
は、イヤですが、今夜くらいなら、楽しんでいます。

自分は安全運転なんですが、もらい事故はイヤですよね。
今日も横を大きなトレーラーがすごいスピードを出して追い越していきました。

また雪の下り坂で前の車が急ブレーキをかけたときはヒヤッとしました。
いつもの5倍くらい車間をとっているので、「ヒヤッ」だけで済むんですが。

でも、そんなにしていった教会での一時の祈りの時間。
とても幸いな時間でした。

さて、夜中の1時、昼の2時に続いて、今日3回目の「一日一章」。
やっと追いつきました。

今日読んだのは、黙示録の14章。
心に留ったのは4節の言葉。
今日はほんとうに深く深く探られました。

「彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。」

私たちがイエスさまの行かれるところについて行く。
私たちが行きたいところに、「イエス様、一緒に行ってください」とお願いするのではなくて、
私たちがキリストの行かれるところについて行く。
それはもしかしたら、あのペテロにイエスが言われたように、
「行きたくないところ」「望んでいないところ」かもしれない。
不本意かもしれない。

でも、イエスさまが共に行ってくださるならば、そこが天国。
それが喜び。
もしも共に行ってくださらないならば、そこは地獄。

今、不本意という言葉を書いて、
自分がNJに来たときのことを思いだしてしまった。
元々不本意だった。
他の大学に行きたかったのだった。
でも、今は主の導きを信じることができる。
はっきりそう言うことができる。

イエスさまを振り回すのではなくて、
イエスさまに振り回される生涯を送りたい。

イエスさまと太いパイプを持っていきたい。
聖霊様にいつも聞いて歩んでいきたい。

主よ、
どうか私の歩みを守ってください。
いつもいつもあなたの導きを尋ねていきますように。
あなたの導きを求めていきますように。
あなたの行かれるところにどこにでもついていきます。
ついて行かせてください。
「あなたの行かれるところ」を
敏感に知ることのできる者としてください。

忍耐と信仰

今日は本格的な雪。
今年、一番本格的な降り方なのではないかと思います。
でも、学校は平常通り。
早く終わるかと思っていたのですが、
何も連絡はありませんでした。

でも、教会の集まりは
午前中の「聖書を読む会」も、
夜の「レント集会」もお休み。

東京も16日、初雪だったみたいですね。

このあと、雪とsleetのMixが夜まで降り続くようです。
今午後の2時で10センチくらい。
30センチくらい積るでしょうか。

今日の第2回目の「一日一章」昨日の分。
昨日、木曜日の聖書箇所は、黙示録の13章でした。
「 ここに聖徒の忍耐と信仰がある。」10節、
「その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。」17節。

世の終わりに「666」のシンボルで表される「反キリスト」があらわれるという。
その時に、キリストに従っている者たちは、
ものを買うことも、売ることもできなくなる。
ビジネスにも行き詰まり、買い物もできない。
そんな中で、信仰を守り続けることができるだろうか、
そんなことも思わされる。
世界の大多数が、その「反キリスト」の支配のもとにあって、
「反キリスト」が圧倒的な人気があって、
でも、それでも、信仰を守り続けることができるだろうか?

今の信仰が問われていると思う。
今、この現在の時点で、
周りに流されたり、
周りに合わせてしまったりすることのない、
いつも変わらないものを信じ続ける、
確かな信仰が大切だと思う。

主よ、
どうか、私の信仰を導いて下さい。
どんな中にも、周りに流されることのない、信仰を与えて下さい。
70年前、日本でもドイツでも、多くの信仰者達が、
周りに流されていきました。
9/11の時はどうだったでしょうか?
多くの人々が周りに流されていきました。
その中で確かな動かないものを持ち続ける者であり続けることができますように。
いつもいつもあなたの御言葉を中心に歩む者でありますように。

戦いに勝つもの

もう16日になりましたから、「今日」ですが、
今日は大雪でしょう。

どれくらい大雪かは天気予報によって違いますが、
一番少なめに見積もっているところは3-6インチ。
多めに見積もっているところは8-12インチです。
もっと行く可能性もあります。

今は夜の12時50分ですが、
2.5度で雨が降っています。
明日の朝には氷点下に下がるようです。

昨日はNYでいろいろ考えさせられ、祈らされましたが、

心に響いてきた聖書の言葉は、
「彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。そのころ、百二十名ばかりの人々が、一団となって集まっていた」使徒行伝1章14-15節の言葉です。

120人の熱い祈りを捧げる人々がいた。
そこに聖霊様が注がれて、
3000人の人々が救われた。
そして、教会が誕生した。

単純に思わされ、祈らされました。
120人の、訓練された、祈りの人を送って下さい、と。
与えて下さい、と。

そして、先日から思わされていること。
「箱をかく者がヨルダンにきて、箱をかく祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、――ヨルダンは刈入れの間中、岸一面にあふれるのであるが、――上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に流れくだる水は全くせきとめられたので、民はエリコに向かって渡った。」ヨシュア記の3章15-16節。

神様が導いて行かれるとき、
祭司達が先頭に立っていった、
決してみんな横一列に並んでいたわけではない。
祭司が前に進み、
その足の裏が水際に浸ると同時に、
川の水は涸れた、という。

指導者の責任を感じました。
ここ一番というとき、
やはり勇気を持って進んでいくのは指導者達だと、
横一列に並んでいたわけではなく、
指導者達が勇気を持って踏み出したときに、
人々は川を渡ることができたと。

でも、決して民のことを無視していたわけではなくて、
民の備えもできていた。
民の備えと、指導者が先頭に立つこと。
この両方が必要なんだと思いました。

一昨日、水曜日の聖書。
一昨日は黙示録の12章でした。

心に留ったのは「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。」11節の言葉です。

私たちの勝利は、こひつじの血、つまり、イエスの十字架、
そして、「自分たちの証の言葉」のゆえ、だといいます。

イエスの十字架は分ります。
でも、自分たちの証の言葉とは何でしょうか?
イエスのことを証しする言葉、
メッセージ。
イエスが私の人生の中にどんなすばらしいことをして下さったか、
ということです。

それが私たちに勝利を与える。
証をすることは大切なことです。
もっともっと周りの人々に、
もっともっとこの地域の人々に、
この方のお証をしていこうと思います。
もっともっと大胆に伝えていくことができますように。

主よ、
私も「証の言葉」によって勝利を頂きたいです。
もっともっと証をさせて下さい。
私にさせて下さい。
そして教会のお一人一人にそれが広がりますように。
証の波が広がっていきますように。
証をしよう、といううねりが広がっていきますように。

2007-03-14

怒り

今日はNYDayです。
一日一章が一日遅れですし、
夜遅くなると、また更新が億劫になってしまうので、
今のうちに1回分。

今日はほんとうに暖かいです。
朝は3度くらいでしたが、
今はもう20度あります。
パッチを履くかどうか悩んだくらいです。

でも、金曜日から土曜日の朝にかけて
雪の予報が出始めています。

結構降るかもしれませんが、
今のところ、1-3インチという予想です。

こんなに暖かいのに?
という感じかもしれませんが、
奇しくも昨日はsuperstorm '93の14周年記念日。
アトランタに住んでいて、
大学の休暇を利用して、
2歳の長男を連れて3人でフロリダに行きました。
1週間の休暇だったのですが、
火曜日までに宿題を終わらせて、
水曜日に出発。
その時には70度F、つまり20度C以上ありました。
天気予報では「週末はみぞれかも・・・」みたいな予想を出していましたが、
「まさか・・・」って感じでしたね。

そして、木、金と滞在して、
金曜日のうちにアトランタに電話したら、
みぞれが降っているとのこと・・・。

わあ、と思って、土曜日は早めに出ました。
金曜日の夜はフロリダは大嵐だったのですが、
ハイウェイで北上する中で、
道路沿いに竜巻の爪痕もありました。

ところが、アトランタは吹雪だったようで、
途中で帰宅断念。
日曜日は軒並み教会も休みだったみたいです。
日曜日に帰ったら、15センチくらい積っていました。
そして、あそこらへんは除雪車がないから、大変。
道路でも日陰はしばらく雪が融けないで残っていました。

まあ、今回のstormはそこまですごいものではないと思いますが、
暖かいときの方が低気圧が発達しやすいので、要注意です。

そうそう、私が大学を卒業して、
聖書学院に入る前の3月の末に、東京でやっぱりそういうのがありました。
暖かい日が続いて、もう春だね、と言っていたら、
急に寒くなって、大雪。
1986年3月23日でしたね。
その日、日曜日だったのですが、
ホーリネス教団という150くらいの教会が集まっている団体の、
大会があって、みんな東京の青山に行ったのですが、
私は「誰か来られるとまずいから・・・」と教会の留守番を買って出ていました。
雨がざあざあ降っていて、
どなたも来られなかったのですが、
昼にちょっとテレビをつけると、
雪の映像。
どこかな?
と思って見てると、渋谷じゃないですか?
深川と渋谷でそこまで違うか!?と思いました。
吉祥寺とか、練馬とか、東村山とか、立川とか、八王子ならわかりますが、
渋谷が雪で、深川が雨?
と思ってみていたら、みるみる深川も雪に変わりました。

都心は数センチでしたが、
多摩地区は30センチくらいだったみたいですね。

今年、東京はまだ雪が降っていないようですが、
さてどうなるんでしょうか?金曜日には「一時雨か雪」と出ていますね。

長くなりました・・・。

昨日、火曜日の聖書。
昨日は黙示録の11章を読みました。

「諸国の民は怒りました」18節。

どうして怒ったのか、考えました。
やはりいろいろな災害のゆえだと思います。
私たちはいろんな災害が起こるたびに、
「神も仏もあるものか」と言います。
「神がおられるなら、どうしてこんなことが起こるのでしょう」と言います。

そういう怒りなのかと思います。
こんな苦しみを与える神は分らない。
そんな神は信じたくない。
そういう怒りなのだと思います。

テロリストの行為なら、
殺人犯の行為なら、
そこに怒りを向けます。
誰かの過失でも、不注意でも、
そこに怒りを向けるでしょう。

でも、天変地異の場合、
自然災害の場合、どこにも怒りを向けられません。

そして、自然をも支配しておられる神に怒りを向けるのです。

聖書は、自然災害も人間の罪の結果の「被造物のうめき」だといいます。
神様の意図されたものと言うよりも、
私たちの罪の結果です。

でも、自然界をも神様が支配しておられることを思うと、
そこでも神は悔い改めを願っておられるのだと思います。
「力を合わせて乗り切れ」ではなくて、
「悔い改めてわたしの所に帰ってきなさい」と。

主よ、
私の歩みを守って下さい。
自然界をも通して、あなたは私たちに語ってくださっていることを、
私が忘れないように、守ってください。
あなたに怒りをぶつけるのではなく、
あなたの悔い改めへの招きを聞き取ることができますように。

2007-03-13

時が延ばされなくなるとき

今日はまた暖かかったです。
朝は0度くらい。
昼間は18度くらいまで上がりました。
明日も暖かな一日で20度を超える予想が出ていますが、
雨も降りそうです。

そして、金曜日から寒くなって、
注目は土曜日。
もしかしたら、NJ沖を低気圧が通って、
雪になるかもしれません。

最近、夜、ゆっくりバスタブ(湯船)につかる(といっても半身浴)のが、
楽しみになってきて、昨日もTime誌を片手に浸かっていました。

そしたら、小さな記事なんですが、
国際捕鯨委員会の総会が5月にある、
最近、風向きが変わってきて、
捕鯨国の味方をする国々が増えている、
ということが書かれていました。
でも、商業捕鯨再開のためには加盟国の4分の3の賛成が必要だそうで、
それは無理だろう、とも書かれていました。

日本は調査捕鯨をしていて、ノルウェーとアイスランドは捕鯨禁止を無視している、
ということも書かれていました。

一部の「反捕鯨国」の主張が通って、
それを文化にしている国々の立場が隅に追いやられているのは、
おかしいよなあ、と思っていますが、

今日の朝のニュースで、
入り江に迷い込んでしまった鯨を沖に返そうとした、
人々の中の3人が海に投げ出されて、
そのうち一人の方が亡くなられたというのをやっていました。

それで、もっと、なんだか、おかしいよなあ、と思いました。

無理して海に返そうとして、
それで人が亡くなってしまうなんて・・・。

そこで鯨が死んでしまったら、
そして、その鯨をありがたく食用なんかにしてしまったら、
(40年前までは当たり前だったと思いますが)
世界中から非難を浴びるから、
一生懸命海に返そうとするんだと思いますが、
それって、人の命を危険にさらしてまでするべきことなんでしょうか?

とっても痛ましい、とっても疑問を感じるニュースでした。

さて、昨日の聖書です。
昨日(月曜日)はヨハネの黙示録の10章を読みました。

「もはや時が延ばされることはない。」
6節の言葉が心に留りました。

私たちは、神様がいつまでも、忍耐を持って待っていて下さる、
と思っています。思いこんでいます。
私たちの準備ができるまで待っていて下さると思っています。
でも、それはもしかしたら、大きな誤解であり、
ものすごい甘えなのかもしれません。

確かにペテロの手紙の中には、
神様はあなた方のために忍耐をしておられる、と書かれています。
でも、それはいつまでも待っていて下さるといっているわけではありません。

私たちの人生の最後の日が、「まだ来ないだろう」と思いつつ私たちは生きていますが、
必ず「今日が最後だよ」という日が来る、という厳粛な事実を忘れてはなりません。

自分が決断できないでいる一つ一つのことも、
「もう時は延ばされないんだよ」という時が必ず来ることを忘れないでいたいと思います。

主よ、
御言葉に感謝します。
あなたがもう一度、
「もう時は延ばされないんだよ」という時が必ず来るのだ、
ということを思い出させて下さったことに感謝します。
どうか、時を見る目を与えて下さって、
決断をさせて下さいますように。

あなたの導きを見逃すことがないように、
敏感な目を与えて下さい。

2007-03-12

苦しみにあったとき

今日はずいぶん暖かくなりました。
朝は-3度くらいまで下がりましたが、
昼間は16度まで行きました。
建物の中にいた方が肌寒いくらい。
車に乗ると汗ばむほどでした。

明日まで暖かくて、
水曜日からは雨。
最初は暖かい雨ですが、
金曜日は冷たい雨になりそうです。
雪の可能性だってあります。

そして、週末は寒いみたいです。

そうそう、日本も寒の戻りみたいですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいいますが、
3月中は何があるか分りませんね。

今日は週末からのリカバリ中。

でも、本来月曜日は週に一度の休みなんですが、
今日は牧師会で朝から出かけておりました。
同じ思いで、この地域の日本語を使う方々に
どのように福音を伝えるかということに、
日々腐心している戦友なので、
大切なときだと思います。
自分にとっても大切だし、
自分の存在が周りの仲間の励ましになれば、
という思いもあります。

今年の秋には、フィラデルフィアの日本語の達者な韓国人の牧師さんが、
牧師のためのrefreshとempowermentの集まりを開いてくださいます。
日本にいると、確かにそのような集まりは年に何回かあるのですが、
こちらで日本語でそのような集まりを持つのは初めてではないかと思います。
今から楽しみにしています。

牧師が、いつもいつも神様からのpowerをもらっていないと、
教会がダメージを受けます。おかしくなっていきます。

この地域の10数個の日本語教会のために、牧師達のために祈ることの大切さを思います。

昨日、日曜日の聖書。
昨日は黙示録9章でした。
災いが続くところです。
余り読んでて気持ちのいいところではありません。

その中で心に留ったのは、
「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」20-21節の言葉です。

人々が、
「苦しみにあっても悔い改めようとしなかった」
ことがここに書かれています。

どうしてだろうと思います。
でも、考えてみると、
自分が苦しみにあったときに、
「悔い改めよう」と思うだろうかと思いました。
今、人々は「どうしてこんなことが起こるんだろうか」と思います。

9/11の時にも、
「悔い改めなさい!」と叫んだ人々がいました。
その人々のことを自分はどう思ったか思い出すと、
「こんな時に・・・」と思ったように記憶しています。

いろんな困難の中で、
悲劇的な出来事の中で、
「これは神様が私たちを悔い改めに招いているんだ」
と果たして思えるだろうかと思いました。
いつもいつもそうであるかというと、そうではないんだろうと思います。

でも、「そうかもしれない」
と受け止めることは大切なんだ、聖書的なんだと思います。
「主よ、悔い改めるべきことがあるならば、教えてください」と祈るべきなのだ、
と思いました。

主よ、
苦しみにあったとき、
あなたが私を悔い改めに導いておられるかどうか、
そのことを祈り求めることを、私はできるでしょうか?
どうか、私にこのことを思い出させてください。
苦しみに遭うときに、
あなたのメッセージを聞くことができますように。
そして、「悔い改めを迫られている」と気がついたときに、
素直にあなたの前に出ることができますように。



太陽も月も

昨夜は帰ってきたのが1時過ぎになって、
今日も12時前になって、ちょっときついですが、
たまるとまたきついので、昨日の分の更新。

結婚式、いやあ、僕ら夫婦と花嫁は別に親子ほどは年は離れていないのですが、
ちょっとそんな気持ちもあり、神様に感謝しました。
これからがスタートなんでしょうが、
とにかく、守られてきたなあ、と思いました。

そして花婿氏も、1週間前にゆっくりと結婚前カウンセリングをしたこともあり、
とっても親しくなったような気分です。
今日も教会に一緒に来て下さいましたが、
結構、こちら的には仲間意識ができてしまいました。

祝福を祈ります。

さてさて、昨日、土曜日の聖書箇所。
昨日は黙示録の8章でした。
その中の12節には「すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、昼の三分の一とが打たれたので・・・」とあります。

これを読むたびに、また黙示録のいろんな記事を読むたびに、
こんなことほんとうに起こるんだろうかと思います。
それほど、太陽も、月も、星も、私たちは「かわらないもの」として見ているんでしょうね。
それもやがて、「打たれる」時が来る。
「天地は滅びるであろう、しかし、わたしの言葉は変わることがない」と聖書にはあります。
この天地さえも滅びてしまう。
そんな日が、そんな信じられないようなことが起こるのだ、
でも、それでも、主は変わらない方としておられる。
変わらない方として、共にいて下さる。
主のみことばは変わらない。

そこを信頼して、そこに希望を持って、
それを私たちの寄って立つ土台として、歩んでいきたいと思う。

主よ、
どうか私を守って下さい。
太陽も月も打たれるときに、
あなただけを、あなたご自身を信頼して歩ませて下さい。
あなたご自身を土台として歩んでいく祝福を経験させて下さい。

2007-03-10

天国の祝福

そして、朝になりました。
昨日はグッと寒さがゆるみ、
風もなく、穏やかな一日でした。
朝は-12度ですから寒かったですけどね。

でも、もう厳しい冷え込みも終わりです。
今日から10度くらいの日が続きます。
春になるみたいです。
来週の週末には一時寒気が入ってきますが、
大したことはなくて、
その後はぐんと春らしくなるでしょう。

去年は13日にクロッカスの花が咲いていました。
今年はもうちょっと遅れそうですが、
来週中には咲くのでは・・・。

いよいよ明日からDaylight Saving Time。
皆さん礼拝に遅れないように・・・。

昨日、金曜日の聖書。
昨日は黙示録の7章を読みました。
15-17節に、天国の様子が垣間見えています。

「彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」16-17節

特に「いのちの泉」という言葉に目が留りました。
いのちがわき上がってくる泉がある。
この地上で経験できることと、
天国に行ってから経験することとの間には
大きな開きがあるんだろうと思います。
でも、この地上でも「いのちの泉」を経験することができる、
その幸いを思いました。

私たちは確かに泉なしには生きていないのだと。
ため池の水を飲みながら、生きていくことはできないのだと。
滾々とわき出る泉を自分の内側に持たなければ・・・と思います。

イエスはそれを与えて下さる。

満たして頂きたいと思いました。

主よ、
私の心を満たして下さい。
あなたが天国に持っておられる「いのちの泉」からの水を、
私の地上の生涯でも味わわせて下さい。
喜びにあふれて、生かしてください。

天国でもっともっと豊かないのちが待っていることに感謝します。

また朝に・・・

今日は先ほどまで深夜祈祷会をしていたので、
12時20分頃帰ってきました。
また朝起きてから更新します。

ではでは。

結構冷えてますね。
今-4度C。

2007-03-08

天変地異

今日もまた寒い日でした。
朝は-10度くらいまで下がって、
その後、昼間の気温は2度くらいまで上がりましたが、
また夜になって-7度くらいまで下がっています。
今夜はこの時期としては記録的な冷え込みのようです。
-12度とか、-14度とかの予想が出ています。

ブルブルです。
この「ブルブル」もしかしたら、英語から来てるんでしょうかね。
それとも世界共通の感覚なんでしょうか。
英語ではBrrrrr...です。

今日のキッズクラブ、久しぶりににぎやかでした。
20人を超える仲間が集まりました。
日が延びたからでしょうかね。
終わって片づけをして、6時前に教会を出てもまだ明るかったです。
そして、今度の日曜日にはDaylight Saving Timeが始まります。
今の6時は来週の7時ですから、
7時まで明るいんですよ!3月だというのに!
そして、うれしいことに来週は暖かくなりそうで、
何だか「春がやってきた」って感じになりそうです。
わくわくします。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の6章を読みました。
「天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。」という14節の言葉が目に留りました。

やがて、そんな時が来るのだ、
天が消えてなくなり、山や島が動くようなときが。
これがあるから大丈夫だというものは何もない。
何も私たちを守ってくれない。

でも、そんな中で変わらないものがある。
変わらない方がいる。

「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。
一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。」
詩篇の46篇の言葉です。

そこに私たちの希望があるのです。
そこに私たちの希望を持つべきなのです。
他に土台とするものが何もなくなったときに、
神を希望として、神を頼って生きる、ということが分ってくるのです。

主よ、
世の終わりの天変地異の中でもあなたを見上げて、信頼していけるでしょうか?
私の人生の中での嵐の中でも、あなたを信頼して、平安な心で生きていけるでしょうか?
主よ、
どうか、すべてが揺さぶられたときに、すぐにあなたの元に飛んでいけますように。
あなたの支配を信頼して、安心して歩んでいくことができますように。
どうかあなたが守って下さい。

2007-03-07

すべてのものが主をほめる

今日も寒い一日でした。
朝は雪が降っていました。
1センチくらい積ったでしょうか?
-10度くらいのとても低い気温でしたので、
パウダースノーでした。

そして、最高気温も-2度くらい。
夜の9時で-6.4度まで下がってきています。

この寒さ、金曜日まで続くようです。
早く暖かくなって欲しいものです。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の5章を読みました。

「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。』」13節。

すべての造られたものが、父なる神と、キリストとをほめる。
聖書は人間だけが神を礼拝するものであると言っているわけではない。
この自然界のすばらしさも、
動物たちも、みんな神をほめている。
日本では大きな滝や、大きな山や、大きな木、大きな岩、
みんなその中に神が宿っていると思われてきた。
でも、そうじゃない。
その大きな滝も、大きな山も、大きな木も、大きな岩も、
神をほめたたえているのだ。

決してニューエイジなんかに勝手に解釈させていてはいけない。
小川の水の音も、鳥の声も、
みんな神をほめたたえているのだ。
キリストの救いをほめたたえているのだ。

その全世界の賛美、全自然界の賛美に私たちは参加させて頂いているだけなんだ。
私たちが賛美をささげるときに、キリストを賛美するときに、
全世界の自然界の賛美に参加しているのだ。

主よ、
感謝します。
私の目を開いて下さって、
世界の賛美に参加している、その喜びを
感じさせて下さっていることに感謝します。
どうか、私たちの賛美が、
独りよがりのものになりませんように、
全世界の賛美と調和するものでありますように。
自然界の賛美と調和するものでありますように。


2007-03-06

ここに上ってきなさい!

いやあ、寒いですねえ。
ホント寒いです。
今朝は-12度。
昼間も-5度止まり。
そして夜の11時にはまた-12度。

明日の朝は何度まで下がるんでしょうか?

でも、これから曇ってきて、
明日は一時雪です。
大したことはありません。
もっと南の方、ワシントンとかの方にエネルギーがいっちゃうみたいです。
学校は休みにはなり得ません。
とても軽いパウダースノーです。

その後も寒くて、暖かくなってくるのは土曜日あたりみたいです。
結婚式は大丈夫ですね。
よかったよかった。

さて、今日はさっそく聖書。
黙示録の4章を読みました。

「その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。『ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。』」1節の言葉です。

ここから黙示録の難しいところが始まりますが、
今朝はゆっくりこの言葉を読んで思いを巡らしていました。
天に開かれた門がある。
そして「ここに上れ」と声をかけて頂く。
主が私たちを招いておられることを思わされました。

主は毎日毎日、私たちを待っていて下さる。
御言葉によって語ろうと、私たちを招いて下さっている。
天の門を開いて、「ここに上れ」と。
そのこと自体に喜びを覚えました。
主が私たちにもっといろんなことを見せようとしておられる。
その招きに従って、
もっともっと主に近づけて頂きたいと思います。
もっともっとspiritualなことに目を開かせて頂きたいと思います。
そうそう、今ニューエイジの影響か、
spiritualという言葉が何か誤解されそうですが、
「霊が見えます」とか、そういうことではなくて、
御言葉によって取り扱われる、という面で、
もっともっと世界が開かれていくようにと思います。

主よ、
あなたの招きを感謝します。
もっともっとあなたの愛の深さ、
あなたの与えて下さる力の大きさを、
知る者となれますように。
どうか、あなたの懐深く、踏み行かせて下さい。

2007-03-05

開かれた門

寒くなりました。
今日の午後3時頃、急に雪が激しく降りました。
ほんの数分だったので、何ともなかったですが、
まだまだ冬なんだなあと思います。
今は夜の9時半。
-4.3度まで下がりました。
今夜は-12度まで下がるそうで・・・。

明日は一日氷点下。
そしてあさっては雪のようです。
「ちょい雪」。
でも3-5インチの予報を出しているところもあります。

その後はどんどん春になるようです。

今朝「成分献血」に行って来ました。
血小板だけを取り出すというヤツ。

実はこのところ、時々電話がかかってきて、
「次の月曜日の朝ならできる」と2回も答えていたのに、
2回とも結局行けず、申し訳ないなあ、と思っていました。
そしたら、先週、また電話がかかってきて、
「バスケットのチケットがもらえるプロモーションやっているから・・・」とお声がかかり、
その話の中で、「今、血小板がほんとうに必要なんです、よろしくお願いします」と頼まれて、
「じゃあ、月曜日の朝に」と予約を入れてあったのでした。

そして、今朝9時にいざ出陣、
簡単なチェックをした後、
献血開始・・・しかし、右腕で血を採っていたのですが、
開始間もなく痛くなり、チェックしたら、針が他の血管を圧迫しているということで、中止。
「帰るか、それとも、左腕で採るか」と聞かれ、
今日は月曜日で休日でもあり、「役に立ちたい」と思ったので、
「左腕でお願いします」と再度挑戦。
「なんだ、こっちの血管の方が簡単じゃない。これから、いつも左腕でやって、と言ってね」と言われて、「最初から、両方見ればいいだろうに・・・」と思いつつ、おとなしく、針を刺されました。
「ほら、こっちは大丈夫」と言っておられたのですが、
最初ちょっと血を採って、その中から血小板を取り出して、血をまた戻すときに、
「おー!」っと声を挙げるような激痛。
針がずれていたようで、返ってきた血が内出血状態。腫れ上がりました。
即、献血中止。

ということで、あえなく、役に立てずに帰ってきました。

nurseの方も、立て続けの失敗に激しく落ち込んでおられました。
神様が造られたわたしの両腕ですが、
血管の走り方が、複雑なんでしょうかねえ。

でもめげないでまた挑戦しようと思います。

「受けるより与える方が幸い」ですから・・・。

今日の聖書。
今日は黙示録の3章。
心に語られた言葉がありました。

「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」
8節の言葉です。

主が門を開かれるときに、
誰もそれを閉じることはできない。
ものすごい励ましを頂きました。

主が開かれるときに、
人の力も、
力関係も、
経済力の問題も、
何もそれを閉ざすことはできないのです。

主が開いてくださっていること、
そのことのすばらしさを感じました。

主よ、
どうか、私にあなたの開かれた門を見せてください。
あなたを信頼します。
あなたを見上げます。
水の上を歩くときに、
波ではなくて、嵐ではなくて、
あなたのことを見つめ続けることができますように。

2007-03-04

両刃の剣

今日はグッと冷え込んで、
朝は小雪が舞いました。
さっき外にゴミを捨てにいったらまた小雪が舞っていました。

明日も寒い日のようです。
そして、火曜日が寒さの底で、
木曜日までは一日中氷点下の日が続くようですね。

水曜日はGFSのモデルでは「ちょい雪」です。

今日は礼拝後、
教会堂のことで教会全体の話し合い。
皆さんのいろんな意見を伺ったり、
考えたり、考えて頂いたり、考えさせられたり、
必要な時だったのだと思います。

今まで19年間も、私たちはアメリカの教会の会堂を使わせて頂いています。
今日の礼拝も80名くらい。決して「開拓教会」ではありません。
でも、なかなか自分たちの会堂を持つことができないでいます。
狭くても、とにかく自らの懐を痛めて、また祈って奇跡を見せて頂いて、
自分たちの建物を持つことが、信仰の成長のために必要だと思っています。

そんなことで、
私たちに会堂を貸して下さっているザイオン教会の歴史を見てました。
1899年に創立。
1903年に土地購入。住宅2軒分の敷地。
1904年に建物完成。・・・ちなみにこれは今お借りしている建物ではなくて、教会の裏の坂道を上がった右側の建物です。土地と建物で2340ドル。そのうち、教団からの無利子の借り入れが620ドル、教会債が500ドル、その他が積み立てですから、計算すると1220ドル。
5年で、初めての会堂です。この町の2軒分のロットは決して大きくありません。最初は礼拝を守れるだけのスペースだったのでしょう。でも現在、同じことをしようと考えると最低でも60万ドルくらいはかかるんでしょう。

そして少しずつ少しずつ周りの土地を買い足していったようですね。
今から50年くらい前に今の土地の半分を買って移転。
それから10年ほどして、残りの半分を取得。駐車場としたようです。
それからまた10年後、今から30年前ですが、入って右側の部分、ジムとロビー、オフィス、コワイアルーム、キッチンあたりを造ったそうです。それも、78年に計画が始まって完成は82年。いくらかかったかはもう少し調べないと分りませんが、工事が遅れてよけいにかかったお金だけで約40万ドル。

今はかなり人数も減っていますが、10年前は2回の礼拝をしていましたし、200人以上の方々が集っていた教会。その教会が100年かけて造ってきた教会堂、それを何だか当たり前のように使わせて頂いて、もっともっと、感謝すべきだなあと思いました。

そして、この108年の歴史全体では何千人になるだろう人々の汗と涙と祈りの重さを考えるときに、私たちが会堂を与えられるために、主がどんなことを備えておられるか、そのためのプロセスにどれほどのことが待っているのか、それをほんとうに自分は甘く見ていなかったか、いろいろ考えさせられました。

こんなこと、わたしも今までちゃんと調べたこともありませんでしたし、
もちろん、お話ししたこともありませんでした。
こうやって書きながら、ザイオン教会の方々への、その歴史を背負ってこられたお会いしたこともない方々への、感謝と、それを知らなかったことへの申し訳なさ、知らないで口に出してきたたくさんのわがままについての悔い改めの気持ちがどんどん湧いてきました。そして、こういうことを日本語教会に集う方々にお話ししないできたことに悔恨の思いも湧いてきます。

主よ、この一時を感謝します。気づかせて下さってありがとうございます。

今日の聖書。(って書いているうちに日付は変わってしまいましたが・・・)
今日はヨハネの黙示録2章。
「鋭い、両刃の剣を持つ方」12節の言葉です。

イエスは「優しい人」そんなイメージがあります。
でも、それと共に「両刃の剣を持っておられる方」です。
ここに「口の剣」とありますが、「御言葉」のことです。
神の言葉、イエスの言葉、聖書の言葉は私たちの心に剣のように
刺さってくるときがあります。

決してここちよいときばかりではありません。
でも、その方がいいのだと思います。
御言葉が心に刺さってきて、
それで整えられる、悔い改めさせられる、
そうなんだと思います。

御言葉によって整えられる、
それを恐れないで、それを真剣に受け止めて、
歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうか、わたしに語ってください。
日々語ってください。
そして、御言葉によって取り扱ってください。
御言葉によってきよめてください。
御言葉によって整えられて、
あなたの用いやすい器としてください。