2012-07-20

「手を入れてきれいにする」

昨日は、本当に暑くて、我が家の庭の温度計で(デッキのある壁に貼ってあるので、照り返しで高くなるのかもしれませんが)、41.7度Cまで上がりました。でも、その後、雷雨で20度台に下がり、今日は一日20度台の涼しいくらいの一日でした。ホッ。


明日は雨で肌寒いくらいかもしれません。22度くらい、の予報が出ています。


ちょっと前後しますが、6月の初めに、庭の木を一本切りました。
息子がいるうちに・・・と思って。



はしごに乗っているのが息子で、私はこのロープを持って、木があらぬ方向に倒れてしまうことがないように引っ張っています。(そして、写真も撮っています)

去年の10月に大雪が降った時に、大きなダメージを受けた木です。
元々、この家に引っ越してきた時にはそんなに大きくありませんでした。
でも、最近はどんどん大きくなってきて、隣から苦情が出るくらい。

なので、切ることにしました。3本あったのですが、少しでも自分ができることは自分で、と、その中で一番低い木は自分たちで切ろうと。

でも大変でした。のこぎりで、すごい時間かけて切りました。あと、切った丸太の重いのなんのって。

でも、それを観念して買ったチェンソーで玉切りにしてみると、


年輪が10年分くらいしかありません。
ホントにこの10年くらいの間にどんどん伸びてしまったということ。
こんなに大きくなる前に、ちゃんと手を打っておけば・・・ですね。

あとの2本は業者の方に頼んで切っていただきました。
大きなクレーンが来て、大の男が5人掛かりで、
1時間かけて切っていきました。

これが切る前。


そして、これが切った後。


本当にすっきり、きれいになりました。

イエスさまが「ブドウの木」のたとえ話をされた時に、
こんなことを言われました。

「実を結ぶ枝は、父が手入れをしてきれいにしてくださる」と。

ブドウの木はこんな勢いで太くならないけど、本当にいずれにせよ、ほっとくのはよくない。

それは痛いかもしれないし、悲しいかもしれない、避けたいかもしれない、でも、伸びっぱなしでは、実を結ばない、それだけではない、我が家の庭の木のように、切らなければいけなくなってしまうかもしれない。神様の手入れを、神様の剪定を、痛くても、辛くても、受け止めることができますように。

ちなみに、切った丸太はキノコを植えてみます。夏じゃなくて、春や秋に切った木で作るみたいですが、どうかな。

昨日の「日々のみことば」から。
昨日は第一コリント10:1-13を読みました。

「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」12節

私はこの言葉、本当に大切だと思うんですよね。
「自分は大丈夫」と思っている人がほんとうは一番危ない。
・・・そう思って、教会の皆さんに、話をします。
「自分は大丈夫、と思っている人が一番問題なんです」と。

でも今日もそんなことを考えながら、
「いや、自分こそ、だれよりも『自分は大丈夫』と思っていないか」と思わされました。

本当に主に信頼して、主に頼って、倒れないように歩ませていただきたいです。

主よ、
あなたの支えによっていかされていることを、忘れないように、守ってください。
いつもあなたの御許に歩むことができますように。

2012-07-17

めげないで出て行くこと。

今日は暑かったです。
38度以上に上がりました。
湿度はそれほど高くなかったんですが、日差しが強くて、車の中が高温になるので、外に出るのがちょっとおっくうになるくらい。


今夜から明日にかけて蒸し暑くなり、
明日は午後から雷雨の予報です。


今日は最初から「日々のみことば」の話。


今日、6時頃に起きて読んだのが、コリント第一の手紙9:19-27。
その中で目に留まったのが、24−25節。


「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」


伝道する者の真剣さ、情熱を感じました。
で、朝からこんな箇所を読んだら、昨日3週間ぶりに再開したジョギング、ちょっと筋肉痛かな、ということで休んでなんていられなくなりました。
で、走りましたが、本当に何度も何度も、「もういいや」というポイントを通って、とりあえず目標の30分。昨日よりもちょっとペースは遅かったようですが、走りきりました。


明日の朝はものすごい蒸し暑い予報が出ているので、自重して、今度は金曜日の朝くらい、と考えていますが、本当に自分との戦い、という部分もありますね。


でも、私たちが主の働きのために立ち上がる時に、その働きは主と共になす働きだということ。主が力を与えてくださるからできる。いや、本当に私たちの弱さに主の力を表してくださるから、恐れないで働ける、そう思います。


さて、先月の半ば、もう1ヶ月前になりますが、岩手から来られた先生ご夫妻、個人的にお話を伺ったり、集会でお話をうかがったりしている中で、本当に大切なことを教えられたように思います。7−8月号のニュースレターで、分かち合わせていただきましたが、リンクだと切れてしまう可能性があるので、その文章をここに転載します。






6月の中旬に、昨年の東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県宮古市から、宮古コミュニティーチャーチ牧師の岩塚和男先生ご夫妻をお迎えして、お話を伺う時をもちました。本当に遠く離れたところにいる私たちには少しずつ過去のものになりつつあるように感じてしまうあの大きな震災が、現地に歩む方々にとっては決して過去のものではなく、今も、皆さんが、たくさんの戦いや、大きな不安の中に歩んでおられることをもう一度、認識する時となりました。 その中で、先生方がお話をしておられたことの中で、一番印象に残っているのは、震災直後のことでした。 教会堂は津波があと50メートルのところまで来たものの、無傷ですんだので、大きな紙に「避難所に使ってください」と書いて窓に貼っておいた。すぐに電気が回復したので「携帯の充電できます」と書いて窓に貼っておいた。でも、誰も来なかった。待っていても誰も来なかったというのです。そこで、先生は避難所を回って行った。「教会の牧師です」と言っても、「宗教活動はお断りです」と相手にされなかった。お寺の住職には話をしてもらっているのに・・・。別に先生は伝道しようと思っていたわけではなかった。ただ、本当に多くの人々が痛みを覚えている中で、人々に仕えたいと思っておられた。そして、本当に膝をついて、体を使って、人々に仕えて行った。教会に届けられる世界中からの支援物資を周りの人々に配り、人々からの善意の支援物資が避難所や倉庫に山積みになったままになっていたのを見て、その仕分けと配布を自ら買って出て、それを空っぽにしていった。少しずつ、少しずつ、人々の信頼を得るようになっていった。家を失った人々が避難所から仮設住宅に移っていった後も、丁寧に丁寧に仮設のリーダーと連絡を取り、信頼を勝ち取っていった。一軒一軒人々の安否を問いながら、訪問を続けた。「来るな」と言われた家でも、家から出られなくなった人々、昼間からお酒をあおっているような、とっても放っておけない人々は、何度も何度も訪問を続けた。そして、今は訪問を待っている人々、訪問を待っている仮設のコミュニティーがいくつもあるという。 どんなにすばらしい施設を持っていても、どんなにすばらしいメッセージを持っていても、どんなにすばらしいサービスを提供できても、いつまでも待っているだけだったならば、先生方は人々と出会うことはできなかったでしょう。どんなにか出て行くことが大切なのか、ということを思わされます。 イエスは言われました。「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)と。私たちがもっともっとこの地域のコミュニティーに出て行って、人々に仕えることができますように。


私たちが出て行くべきところ、それを問いながら、でも、いつまでも考えているばかりではなくて、具体的に形にしていければと思います。

2012-07-16

休むこと。

ちょっとここのところ、しっかり「休む」ことをして来なかったのですが、今日はしっかり休みました。メールのやり取りも一日、自分の好きなことや家族のことをしながら時間を過ごしました。


で、その休みつながりでもあるのですが、6月の2週目は岩手の宮古から、被災地支援を1年以上にわたって続けておられる牧師夫妻においでいただいて、お話を伺うとともに、休養も・・・と思い、教会としてお招きしまた。


そして、お伺いしたお話も改めてご紹介したいですが、今日は休む話。


どこまでお休みになれたかわかりませんが、本当に、どんな働きでも、ちゃんと休むことって大切ですよね。よりよい働きをするために・・・ということもあるけど、その人が本当にその人として生きるために、ちゃんと休むことが大切だと思います。つまり、走り回っていないと何か悪いことをしているかのような、自分の価値が見いだせないような、そんな状態になってしまいやすい私たちが、ちゃんとゆっくり休んで、神様とゆっくり時間を過ごしていく中に、「ああ、自分は自分でいいんだ」と感じることって本当に大切だと思うのです。何かをすることにではなく、ただここに生かされていることに意味を感じる、そういうひと時。


で、火曜日に到着された先生方は雨の一日だった火曜日には十分睡眠を取っていただいて、水曜日から、ペンシルベニア州のランカスター地方にご案内しました。


今も、電気や車を使うことを拒否し、馬車で生活しているアーミッシュの方々が多く住む地域です。






こんな馬車がひっきりなしに通ります。


ゆっくりと時間が流れるところで、ゆっくりと過ごしていただきました。


そして、ご夫妻の雰囲気がちょっと伝わる一枚を。




写真を撮る夫をじっと暖かく見つめる妻・・・って感じ。
こうやってずっと働きを続けておられるんだなあと思います。


今回の1週間の滞在がこれからの働きのために、少しでも力になれば・・・と思わされます。


久しぶりに「今日のみことば」から。
先週読んだ言葉ですが、コリント第一の手紙1章17節。


「キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。」


本当にそうだと思いました。
いつの間にか、洗礼を受けた人の数が、その教会の祝福をはかったり、牧師の働きを評価したりするような基準になっているように思う。少なくとも自分の気持ちの中にはそういうものがあったと思う。


でも、私の使命は、「福音を宣べ伝える」ことにあったんだと、もう一度思わされました。


神様、
いつもいつも忠実にあなたのメッセージを語る者でありますように。
あなたがいつも語るべきことを教えてくださいますように。

「虹」神の栄光と、神の決意。

5月の末からの続き。
カルフォルニアから帰ってきて、1週間後。
6月6日の夕方に郵便局が閉まる前に郵便を出そうと思って、通りに出たら、なんだか車がゆっくり走っている。「もう、急いでいるのに!」と思って、曲がり角を曲がったら、そこには見事な虹が。多分、人生で一番はっきりくっきりの虹でした。

で、結局、「消えないでくれ〜」とあわてて家に帰ってカメラで撮ったのがこの写真。

外側にもうすーく、写っていますが、実際はもっとはっきりと見えたダブルレインボウでした。


で、くっきり写っている内側の虹を望遠で撮ると・・・


赤、橙、黄、緑、青、藍、紫と見えますね。無理やり言っている感もあるけど。
でも、その内側に黄色と緑もあるように見えます。

本当にそれほど、鮮やかな虹でした。

虹って、英語ではrainbowで「弓」なんですが、実は旧約聖書が書かれたヘブル語でもそうなんですね。「雲の中に弓が現れた」と。新約聖書も含めて、聖書の中には4回出てきます。

ヨハネの黙示録の4章で、神の栄光の姿として、10章では天使の姿として、虹が輝いている姿が描かれています。

またエゼキエル書の1章にも、神の栄光を表す様子として使われています。
「そのまわりにある輝きのさまは、雨の日に雲に起るにじのようであった」1:28。

その「弓」としての力の象徴か、それともその鮮やかな色ゆえか、神の栄光を表すものとして虹は理解されてきたようです。本当にそうですよね。私もこの虹を見た時に、「かみさま、すばらしい!まさにアーティスト!」と思いました。

そして、もう1つが創世記の9章のノアの記事です。

神は虹を契約として与えられたとあります。
「もう、私は洪水によって人を滅ぼすことはしない」と。
この虹はその契約のしるしだ、と。

この「洪水」と訳されている言葉はノアの洪水にしか使われない言葉で、「地のすべてを滅ぼし尽くしてしまう大洪水」を指しています。ですから、神様は「地のすべての人々を滅ぼし尽くすような洪水はもう起こさない」と言われたわけです。

ということは、私たちはこの神様の決意がなければ、地上からぬぐい去られてしまっても、滅ぼされてしまってもおかしくなかった、それほど、人の罪は深いのだということを聖書は語っているのだと思います。

そして、神はもっと大きな決意をしてくださいました。それは私たちが信じる時に救われる道を開く、そして、そのために、私たちの罪が赦されるためにひとり子を与える決意をしてくださったのです。

次にこんな虹を見る時にはそんなことを思いながら見上げようと思います。

今も、大雨の中におられる方々のために守りを祈りつつ。

2012-07-12

先の世代を支える使命。

今日の夕方、無事に帰宅。


皆さんに祈られていたせいか、疲れをあまり感じない旅でした。
今日の午後、フィラデルフィアの郊外に引っ越された方をご訪問する予定があったのですが、それまでちょっと時間があったので、当たり前のようにハイウェイを指示してくるカーナビを無視して、ローカルの道に入って、バージニア州とメリーランド州の境を流れるポトマック川沿いに車を止めて、河原に降りていくことに。


すると、どこからか、滝の音が。
その音のする方に歩いていくと、ポトマック川に流れ込む小さな流れの途中に滝がありました。「滝フェチ」を自認する私は、そこに進んでいくことに。水着だったら、うたれに行くことができるくらいのちょうどいい滝。




そして、足下を見ると、そこにはなぜか「しそ」が。




なぜ、ポトマック川のほとりに「しそ」はないだろう、とにおいを嗅いだら、正真正銘のしその香り。なぞだ。


でも、そんなこんなで、河原で一休み。
癒されて再出発。


そして、午後にご訪問したのは、先日80歳のお誕生日を迎えられたご婦人。
今日は2時間くらい、戦後の満州からの引き上げの話、そして、アメリカ空軍の軍人だったご主人と結婚されてアメリカに来られる時の話、本当に壮絶な話を伺いました。


アメリカに来られる時には生まれて初めて乗った飛行機のエンジンが2つ火を噴いて、海面に着水しなければいけないかも・・・と言われて、海面すれすれを低空飛行して、なんとか、着陸できる島を見つけて、そこに無事に着陸。でも、泊まるところもないので、砂浜で寝たとか、翌日、エンジンを修理して、ハワイ、サンフランシスコと飛んで、民間機に乗り換えてやっとのことでNJに着いたとか、まあ、本当にすごい経験をして来られたようです。(満州引き上げはもう、悲しすぎる話がたくさんありました)


お話を伺いながら、本当にこの世代の方々のことを支える使命が私たちにはあるんだと思わされました。


今まで「次の世代」のことをよく口にしてきましたが、「先の世代」の方々を支えることも、ほんとうに大切な私達の使命ですね。主の導きに感謝。

2012-07-11

目指せ!「手乗りハチドリ」

さて、本格再開に備えて、やはりこの1ヶ月余の間のことをぼちぼち書いていこうと思います。


もうずいぶん前ですが、5月の終わりに、3日間だけ、南カルフォルニアで会議に出席していました。会議自体も本当に、そこに加えていただけたことが喜びとなるような幸いなひとときだったのですが、直前に新しいおもちゃを手にしていた私は、その新兵器を手にちょっと散歩に出ました。


そして、ニュージャージーとは全く違う植物の写真をいろいろ撮っていたのですが、途中で、ハミングバード(ハチドリ)に出会ってしまったわけです。そして、そこで格闘。そして、成果はこれ。






さすがハミングバード、羽ばたきのスピートが半端じゃないので、羽が止まっていませんが、初めてではこんなもんでしょう。


で、Youtubeにはこんなのが。







その後、NJでも庭に来た、という話を聞いて、よし、「目指せ!手乗りハチドリ」だ、としばらく蜜を置いていたんですが、まだお目にかかりません。


実現するんだろうか・・・。でも、ぜひやりたい。アラスカに住みたい。



「信仰によって今も語っている」

前に書いたのはいつだったかなあ、と思ってみてみたら、6月11日、ちょうど一ヶ月前。

そのあと、どんなことがあったかなあ、と振り返ってみると、
12日から日本の宮古で被災地支援をしておられる牧師夫妻と時間を過ごして、
25日から「ひがきゃん」があって、
2日から「教会ミニキャンプ」があって・・・と続いて、
その間に上の娘の高校の卒業式があったり、
暑い中、庭の片付けをしたり・・・
Facebookの方が気楽なので、ちょこちょこ書いてきましたが、
こちらはなかなか手つかずでした。

今週は急遽外に出ることになでも、おかげでこうやって時間ができて、久しぶりの更新。1ヶ月も休んで、訪問してくださる方はいるんだろうか・・・と思いながら、昨日の出来事を。

先週の木曜日、ここにも何回かご紹介している私たちの大切な方が主のみもとに召されていかれました。

父と同じ年に生まれ、父と同郷の島根県で育たれ、私の名前も一発で読めた方。
くわしくはこちら
息子がアトランタの大学に入ってからは、毎年、夏の終わりに大学に息子を送っていく時は、お寄りしていました。たくさんお世話になりました。

昨日、メモリアルサービスがあり、ここまで数ヶ月、あまりまとまった時間が取れないできたのに、今週は特別な動かせない用事がない1週間。

これは「行って来なさい」と主が言われたのだと、感じて(元々あんまりそういうのない人なんですが・・・)、教会の皆さんにも祈られ、励まされ、車を12時間ほど走らせて、お伺いしました。




象徴的だったのが、この聖書とバッジ。

60代半ばで教会に通い始めたこの方が、どれほど一生懸命聖書を読み、聖書に聞いてきたか、それを感じさせる書き込みがいっぱい。ところどころ日本語も見える。

そして、このバッジは、「歓迎係」用のバッジです。
クリスチャンになられてからは今では6000人の方が集まるというこの教会(行き始めたころは数百人だったそうですが)で、歓迎係をニコニコしながらされていたそうです。

この言葉を思い出しました。

「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。」ヘブル11:4

2012-06-11

ペテロ第一の手紙から教えられたこと。

また久しぶりの更新になりました。 
いろーんなことがあって、いろいろ分かち合いたいことはあるのですが、
まずは、この更新を休んでいる間に読んでいた聖書の言葉から。

 ペテロ第一の手紙を読んでいました。
そして昨日が最後でした。
 その中で、先週の火曜日の読んだところ、 3:9が心に残りました。 

「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」

 これができない。
本当に難しい。 
最近心に迫る言葉が、

「自分にあいさつをしてくれた人にだけあいさつしても何になる。そんなの誰でもできる」

というイエスの言葉です。

侮辱されたら,むっとしてしまう。
 攻撃されたら言い訳をしてしまう。
自己防衛をしてしまう。 

先週の金曜日にはルカによる福音書のイエスの十字架の場面を読んでいました。
そのイエスの姿。
自分を憐れんで、声をかけてくれる人にも、
 自分を十字架にかけて、ののしり、つばをかける人にも、
 同じように接したイエス。

自分だったらどうするかと思う。
自分の痛みをわかってくれる人には、「わかってくれる?」と答え、
自分をののしる人には「なんでそんなことを言われなければいけないんだ?」と答える。

でも、イエスは変わらなかった。
自分のことではなくて、人のことを考えていた。 

そのような歩みをさせていただきたいと思う。

主よ、
どうか、あなたの御言葉通りに歩めますように。
祝福を受け継ぐ者となることができますように。

2012-05-25

労苦は無駄にならない。

なんだか、最近なかなか定期的にアップできないでいますが、元気しています。
ここのところ、NJは毎日雨続き。
昨日は何度も雷が鳴り、土砂降りがあり、
今日は朝のうち、霧雨。
でも、午後には晴れて、蒸し暑かったです。


このさきも、結構こんな天気みたいです。


先日、20年前、日本で私が牧師として駆け出しの時に、出会った、一人のご婦人から連絡をいただきました。ご主人が洗礼に導かれたと。


彼女の方は、日本でわたしたちが牧師として働きを始めたところに、集って来られて、いろいろ質問をして来られていました。そのあと、引っ越されて、アメリカに渡られて、NY州のロングアイランドの普通の英語の教会で洗礼を受けられました。
その後、ご一家はロスアンジェルスの南に引っ越されて、10年以上前、まだ、ウチのしたの娘も生まれる前だったと思いますが、一度お伺いしたことがあります。でも、その後、たまに連絡がある程度でした。


でも、今年になってから、息子さんが洗礼に導かれ、そして、今回、ご主人も洗礼を受けられたとのこと、本当にうれしいニュースでした。昨日、そのメールを読みながら、涙が止まりませんでした。


決して「洗礼」の数をカウントしてそれで成否を判断するのではないのですが、やはり、洗礼に導かれる方々が起こされないと、さびしいものです。「何か自分は間違っているのではないだろうか」と思うことさえあります。


そんな中で、このようなニュースを聞いて、ああ、20年前のあの働きも決して無駄ではなかった、そして、すぐに何かの結果が出なくても、忠実に語り続けること、伝え続けることの大切さを思わされます。


なまけ者は寒いときに耕さない、それゆえ刈入れのときになって、求めても何もない。」箴言20:4


主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」第一コリント15:58

2012-05-17

朝が楽しみ。


今朝はぐっと涼しく、すかっと晴れて、さわやかな朝を迎えました。

冬は「寒いから・・・」、夏は「暑いから・・・」、春は「花粉が飛んでるから・・・」といろいろ理由をつけて、ご無沙汰していたジョギング、昨日始めて、今日筋肉痛なのは、喜んでいいのか悪いのか・・・。

でも、昨日の寝る前から、走るのが楽しみでした。

元々、自分にとって走ることは、訓練でしかなく、楽しいものではなく、あんまりやりたくないけど、さすがに運動不足で、やらないと・・・というものだったのですが、今朝は、「楽しみ」にしている自分がいて、走りながらも「楽しんでいる」自分がいました。
楽しみにしていたら・・・遠足の日の子供のように、早く目が覚めて、その前に、昨日の夜も、すべてを早く済ませて、早く寝たい、と思っていて・・・とすべてがいい循環になっていくんですね。

お祈りもそうだと思いました。

義務で15分座って祈っていなければ・・・と思っていると、それは辛い。
訓練だから・・・と言っても、そういうことを喜びにできる人はいいけど、自分はそういうのが苦手。そして、どうしても他のことが優先されて、後回しになってしまう。
もちろん、ながーいクリスチャンとしての歩みの中では、そういうときもあるだろうし、そういう「訓練」的な見方も必要なのかもしれない。

でも、神様と共に歩むこと、神様とともに過ごす時間の尊さ、楽しさ、もっと知ることができたら、と思います。



これはジョギングのあと、Instagramという最近Facebookに買収されたiPhoneアプリで撮った写真。昨日はどうしてもうまくいかなかったけれども、今日は花びらが開き始めて、いい感じ。そして、素の写真よりも、Instagramの効果がいい感じ。

そして、一日さわやかないい天気でした。
この先も日曜日くらいまでいい天気が続くようです。

さて、今日の聖書。
今日は歴代志第一17:1-15でした。

「ナタンはダビデに言った。『あなたの心にあることをみな行いなさい。神があなたとともにおられるのですから。』その夜のことである。次のような神のことばがナタンにあった。」2−3節。

朝令暮改という言葉がある。
誰も、朝言ったことが夜変わっていることは気持ちがいいものではない。
一度言ったことを撤回するのもみっともない。
振り回される方も大変だ。

預言者ナタンが王ダビデに「神のために神殿を建てたい」と言った時に、ナタンは「神があなたと共におられるから、ぜひやったらいいでしょう」と答えました。でも、その夜に神様はナタンに、昨日の言葉を撤回しなさい、ダビデが建てるのではない、と言われるのです。

ナタンはどんな気持ちだったかなあと思いました。
みっともない。
かっこわるい。
みんな、自分を信頼しなくなるんじゃないか。
言うことが変わるのはよくない、そんなことを言われるのではないか。
何よりもダビデが「なんだ、昨日はいいって言ったじゃないか」と切れるのではないかと思ったかもしれません。

でも、ナタンは神様に従いました。

自分のメンツや、人々の期待や、そんなものに振り回されない事の大切さを思います。

主よ、
あなたに従う者とならせてください。
人がどう思うかではなくて、あなたに従う者とならせてください。

2012-05-16

神様の造った世界の中で。

ここ数日、また蒸し暑かったです。
でも、これは今日まで。
このあと、夜遅くに乾いた空気が入ってきて、
明日の夜とかはちょっと寒いくらいまで冷えそうです。


今朝は、雨上がりのもやの中、すごーく久しぶりにジョギングをしました。
3kmで20分以上。ふう。


でも気持ちよかったです。


そして、咲き始めた我が家のバラ、
水滴が溜まってとてもきれいで、
写真に撮ろうと思ったのですが、
なんだかうまく撮れないので、あきらめました。


わたしたちの目って、すごいですよね。
一瞬で(あ、最近はそうでもないですが・・・)ピントがあってしまう。
そして、立体的に頭の中に画像が浮かび上がる。
見たいものがぐっと浮き上がって、その他のものが、背景に溶けてしまう。
心の中に刻み付けておきました。


そのあと、クロッキー教室でも花の絵を描いて、
「野の花を見なさい」との聖書の言葉を読んで、
ホントに、神様が与えてくださっているこの世界はすごいなあと思います。


あ、昨日は、ヒラタケ収穫して、いただきました。
キノコも不思議な神様の作品ですよね。
わたしたちの食べられない木とか、分解して、わたしたちが食べられるものを作ってくれるんだから・・・。


そして、今日の聖書箇所もまさに、その神様の作品に目を向けさせるところでした。
最近歴代志を読んでいるのですが、この歴代志というのは、最初が系図で、たくさん人の名前が出てきて、もう、何を読んでいるのか・・・という感じなのですが、第一の16章くらいになって、いろいろ教えられることが増えてきました。

今日は歴代志第一16:23-43。


「天は喜び、地は、こおどりせよ。国々の中で言え。主は王である。海とそれに満ちているものは鳴りとどろけ。野とその中にあるものはみな、勝ち誇れ。」31-32節。


神様が造られた天地、海、自然界のもの、
神様を賛美している。
今朝のもやも、バラの花も、そこからしたたる水滴も、
神様を賛美している。

私も一緒に賛美をしたい。
なんだか、ホントに生活の中で大切なものは何か?
わたしたちが本当に注目すべきものは何か?
考えさせられました。

主よ、
あなたを賛美します。
この自然界と一緒にあなたを賛美します。
明日も、賛美しますね。


さあ、明日も走るぞ!・・・っとここで決意表明して自分にプレッシャーかけとく。
ではでは、おやすみなさい。






2012-05-12

神様まじやばくて、すてきだ。

今日はホントにいい天気でした。
今週、ちょっと肌寒い日も多かったのですが、
今日はあたたかく、またカラッと晴れて、気持ちのいい一日でした。
これ、土曜日に用事がなければ、どっかでかけるのになあ・・・な日。
牧師によっては金曜日までにすべての準備を終えて、
土曜日は休日としている、と聞きます。
今の私はちょっと考えられませんが、
人生のどこかでそんな時があったらいいかな、と思います。
特に子供たちのために。(もう遅いかな。)


さて、久しぶりのキノコねたですが、
先日のヒラタケのバケツ、そのまま放っておいても全然生えて来ないので、
横っ腹にいくつか穴を開けました。


そしたら、作戦成功で、1週間ほどで、穴の中にキノコが生えてきて、
それから3日ほどで、こんなに大きくなってきました。



株全体の幅が7センチくらい。
15個くらいの傘が我先にと押し合いへし合いしているのですが、
その中の一番大きいモノが2.5センチくらいです。

こんなことになるんだったら、もっと大きな穴をあけておけば良かった・・・です。
収穫は来週の前半、といったところでしょうか。
この調子でどんどん出てきてくれるといいのですが・・・。

でもね、たくさんあけた穴の中で、よりによって、WARNING!の表示のあるところなんですよね。複雑・・・。

最近、教会で、聖書の教えの基本を学ぶクラスをしているのですが、
その中で、今週は「神」について。
神様はどんな方か。

私は最近、どんどん語彙が減ってきて、
それに、日本語の使い方がそれほど上手じゃなくて、
(あ、もちろん、他の言葉もそうですが・・・)

神様はどんな方か?
と考えると、「すごい」「でかい」「まじすごい」「まじでかい」って感じなんですよね。
どうも、「全能の神」とか、「憐れみの神」とか、そうだと思いますし、正解だと思うのですが、自分的にはどうも、頭の上を通り過ぎていくような感じ。しっくり来ないんですよね。
で、最近、マイブームなのは「神様、まじやばい!」です。50近いオヤジの、それも牧師の言葉っぽくないかもしれないし、感じがうまく伝わらないかもしれないですし、品位も何にもないかもしれないのですが、それが実感。

そして、今回の学びの中で、神様すてきだ、と思わされました。
「すてき」だなんて、女言葉みたいな感じもするのですが、永遠の三位一体の交わりを持っておられる、聖なる神様が、「こっちおいでよ」とわたしたちをその交わりに加えようとしてくださっているなんて、なんて「すてきだ」と思わされたのです。

もちろん、そのためには、イエスの十字架、という大きな大きな代価が払われているわけですけどね。

うれしいな。感謝。

神様、

あなたはなんてやばくて、すてきな方なんでしょう!

2012-05-02

無知と無関心。

今日は一日雨でしたね。
そして、なんだか肌寒かったです。


そして、明日も曇りがちでちょっと雨の予報。


今日、2カ所で話した話。


NJ州にはいくつ原発があるか知っていますか?
どれだけの電力をそこで作っているか知っていますか?
NJ州にはアメリカで稼働中の一番古い原子炉があることを知っていますか?


そして、今回調べて、初めて気づいたこと。
Indian PointというNYCとウェストチェスターの電力の30%をまかなっていると言われる原発、NYCからわずか60キロのところにあると言われていますが、それが、わたしたちの町、Paramus, NJからはわずか35キロしか離れていないこと、私も知りませんでした。




ホントにわたしたちは無知だし、無関心だなと思います。
スリーマイルがあって、チェルノブイリがあって、
スリーマイルは昔だし、チェルノブイリはソ連だし・・・と思っていて、
そして、福島の原発事故があって、
それから1年が経って、でも、わたしたちはまだどこか別の世界の出来事であるかのように、地震がないこの地域だったら大丈夫、だと思っていて。


でも、みんな大丈夫だと思っていた。
3回の事故とも、起こる前はみんな、ずっと大丈夫だと思っていた。
おおざっぱな言い方で申し訳ないですが、緻密な話をする人には見えて来ない話。
事故が起こるのは人間の世界、やはりなかなか避けられない。
でも、一生懸命事故が起こらないようにみんな努力をする。
でも、いくら万全の態勢が整っていると言っても、いったん事故が起こったら何年も人が近づけないようなものを造ってはいけないんだと思う。


最初の事故は間一髪大惨事は免れて、
その次の事故は大きな被害をもたらしながら、たくさんの人がだまされて働かされて、何とか封じ込めて、そして、今度はまだまだ何が起こっているのかわかっていない。


そんなものを造ってはいけないんだと思う。


そして、最近いわれるのはコストの問題。
発電にかかるコストはより小さいと言われる原発。
でも、それには次の世代というか子々孫々末代まで「使用済み核燃料」の処理というか永代管理というか、なんだかまだ解決していないことのためのコストを押し付けて実現しているだけのこと。すごいセルフィッシュですよね。


もしも、黙っているならば、何もしないならば、自分の生活を変えようとしないならば、「賛成でも反対でもない」と中立を決め込むならば、教会はそういう政治的な問題に関わらない方がいいと黙っているならば、無関心を続けるならば、この自分もその自己中心的な生き方に加担しているだけのこと。


答えは出ていると思います。


教会には産業界の方もおられて、その方々によっても支えられているから、あまりそういう発言は・・・という意見の方もおられるかもしれません。教会分裂の火種になるから、とだんまりを決めている牧師もいます。教会の使命はそういうことじゃないだろう、という意見の方もおられるでしょう。でも、それは中立でも何でもない、自己中心的な生き方を肯定しているだけのこと。産業界のクリスチャンが本当にその業界において、黙っていない地の塩、世の光として、用いられていきますように、お祈りしています。


あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」
エステル4章14節


神様、わたしたちがこの時代のこの地に置かれていることの意味を見失うことがありませんように。

JOY JOY Camp 2012 受付開始しました!

受付スタート。
締め切りは26日(土)必着です!


2012-05-01

ホンモノ勝負。

今朝はが鳴っていましたね。
目が覚めただけでまた寝てしまいましたが。
でも雨は朝のうちだけで終わって、その後は晴れて暖かくなりました。


明日からもあまりはっきりしない、
大崩れしないけど、すかっと晴れない、「楽しい」天気になりそうです。


今日から、教会で、「聖書の教え基礎コース」スタート。
我ながらネーミングのセンスがなさすぎなんですが、
ま、それは置いておいて、週1回、登録制7週間で、教理的な学びを始めました。
土台をしっかり作るために、足腰の強い教会を作るために、祈りつついろいろ考えています。


今日は朝1クラスと夜1クラス。
ちょっと緊張したんですが、夜のクラスの後に、初めて聖書を読む、という方が、「今まで、聖書は教えてもらえばいいや、と思っていましたが、自分でも読んでみようと思いました」と言われて、それで心から感謝。主に感謝。


実は、今日のクラスのために準備している時に、自分の聖書学院時代のことを思い出していました。いろんな授業がありましたが、ある教授の授業は終わった後にしばしば「ああ、お祈りしたいなあ」と思わされたものです。そういう学びができればなあ、と思っていました。


だから、主の励ましに感謝。


昨日の夜だったか、「ほぼ日」で、野球の田口壮選手との対談の記事をずっと読んでいました。奥さんも登場して、とっても楽しい対談なんですが、4月19日の記事の中のこの部分が心に留まりました。


プロ野球選手だったら、
やっぱり、バットを振ってみせたときに
「ブンッ!」っていう音が鳴らないと。
走ったら、子どもたちを軽く追い抜いていき、
投げたら、腕がしなって、
腕を振る音がしたときに、はじめて、
子どもたちの目が輝くんですよ。 

自分はどこで勝負しているか?どこに子供たちの目の輝きを求めているか?


いつだったかな、ある方に「牧師って、『いい人だ』とか『牧師っぽくない』とか言われることを売りにしちゃダメでしょ」みたいなことを言われて(言い方は違ったけど)、そうだよなあ、と思ったことを思い出します。


ホンモノで勝負したい。いや、すぐ「勝負」とか言っちゃうのが、自分の弱さだったりするのですが、ホンモノを身につけたい、ホンモノを提供したい、大人もそうだけど、子供たちにもゲームとか、工作とか、そういうものじゃなくて(もちろんそっちも本気じゃないと子供は楽しくないですが)、聖書の言葉の力や神様のすばらしさで、その心をわしづかみ、するような働きをさせていただきたいな、と思います!そのためにもっともっと聖書のすごさを、神様の力を教えていただきたいです!神様、そこんとこ、どうぞよろしく!


で、今日の聖書。
5月に入った今日から第一歴代誌。


今日は1−3章・・・イスラエルの系図なんですが、うーん、わたしたちにとっては名前の羅列。

でも、それを読みながら、あまり丁寧ではありません、正直斜め読みのように読みながら、でも、自分もこの地上の生涯を終えた時に、私のことも、このように他の人たちにとって名前の羅列のように見えるんだろうな、と思いました。だったら、反対に、この名前の一つ一つにもその背後にたくさんの神様の導きや、訓練、葛藤や痛み、目が開かれる経験、人生があったんだろうと思わされました。

そんな中で、この系図が最終的には神の目的のために動いている歴史を作っている。

私も、その大きなピクチャーの一部に招かれていることの「すごさ」を思わされます。

神様、
私は近視眼的な人間です。
目先のことに振り回され易い人間です。
だから、あなたの大きなピクチャーはなかなか見えません。
でも、あなたを信頼して、そこに組み込んでくださるあなたの御手を信頼して、歩みます。
どうか、あなたの御用に用いてください。

2012-04-30

共有。

暖かいんだか、寒いんだか、わからない日々が続いています。
日曜日、そこそこ暖かかったのですが、
夕方からまた冷えてきて、今朝は0度近くまで下がっていました。
朝起きたときの気温は2度C。


でも、今日の日中はまあまあ上がって20度を超えました。
今夜から明日にかけては雨も降りそうですが、
気温はやや高め。


一週間ずっと晴れたり曇ったり雨が降ったり・・・の日が続きそうです。


先週は子供たちが学校が休みだったのですが、
どこにも連れて行ってやることはできず、
まあ、物足りないとか、友達はフロリダに行ったとか、いろいろ言っていましたが、夏にお預けということで、すましました。


で、それとは関係ないのですが、先週の月曜日は、3月の下旬に献血をした時にもらったチケットでプロバスケットボールの試合を見てきました。




NJを本拠地とするNets。
息子が子供の頃は、スタープレーヤーもいて、盛り上がって、時々見に行っていたのですが、最近は「買っていくほどもでもないしなあ」というところもあり、また一緒に行って、盛り上がる相手もなしで、ご無沙汰しておりました。


でも、今回1人の献血で2枚チケットがもらえる、ということで、のんちとゆきにも「献血しよう!」とさそって、献血してきました。ゆきは「行かない」とか言い出して、結局のんちと二人分。でも家族4人だから、まいいか、ということだったのですが、考えてみれば当たり前なんですが、それぞれ都合のいい時間にバラバラに献血に行ったもんですから、もらうチケットも2人ずつ2箇所に別れてしました。


で、私とさき、のんちとゆきの2グループに別れての観戦。
わたしたちの席も十分高い(物理的に)のですが、のんち組は遥か遠くのもっと高いところ。


ま、サキはそこそこつきあってくれたんですが、最初から「え、私も行くの?」と言っていたユキは「早く終わんないかなあ」だったそうです。のんちはわが道を行く人ですので、それなりに盛り上がっていたようですが・・・。


試合の内容はそのチームが来シーズンからブルックリンに移るので、NJでの最後の試合となったのですが、最初からほぼずっと10点差ののままという、とっても盛り上がらない展開でした。でも、その中に1回だけ、アリーナが一つになるような時がありました。一気に点差を詰めて1点差まで詰め寄ったときでした。もうこのままひっくり返すんじゃないか、そんな勢いでした。本当にそのときの会場全体の一体感としたらありません。スポーツはね、やっぱり仲間と一緒だったり、仲間じゃなくてもいいから、一緒に同じチームを応援する人たちと一緒に見た方がいいですよね。


いろんなところでいろんなものを共有できる仲間が与えられていることに感謝。


特に神様のこと、共に見上げて、信頼して、時間と信仰を共有して歩んでいける仲間が与えられていることに感謝。


先週もシニアのプログラムに来られていた元ビジネスマンの方に「自分なんかは、仕事のモーチベーションは、業績が上がることとか、ものが売れることとか、だったけど、牧師さんのモーチベーションは何なのでしょうか?」と聞かれたのですが、一つはやはりこの同じ共有なんだろうなあと思います。それだけじゃないんですが・・・。(それだけじゃないことは、うーん、)


神様も、ご自分の思いをわたしたちとシェアしたいと、願っておられるといいます。わたしたちと思いを共有したいと。楽しいんだろうな、ワクワクするんだろうな、もっとわからせてください、と思います。


さて、最近の「日々のみことば」の中から。


ヤコブの手紙を今日で全部読み終えました。
明日からは「歴代誌」。また旧約聖書に戻ります。


そのヤコブの手紙の方から一つ。


「悪魔に立ち向かいなさい」4章7節。

わたしはあまり「悪魔」「悪魔」と騒がない方です。
どちらかと言うと、相手にしていないと言うか、眼中ないと言うか。
自分の弱さの問題を「悪魔が・・・」と言うのはちょっと嫌だな、と思う方です。
人によってはね、責任転嫁のように「悪魔が・・・」と言う方もおられて、そりゃ悪魔は働いているんだろうけれども、その手に乗っちゃったあなたの心はどうなの?と創世記3章のエバさんの「蛇が私をだましたんです」という言い訳と同じじゃないの?と突っ込みたくなる方です。

だから、こういう言葉はインパクトがあります。
お、無視してはいけないんだ、ちゃんと戦わなければ!と。

そうだなあ、と。悪魔がいないかのように振る舞ってはいけないんだと。
それなりの戦い方があることも聖書に書かれているし(祈りと御言葉だ)、真剣に勝負しないとな、と思いました。

主よ、
あなたのみ言葉と祈りによって武装して、
悪魔と戦うことができますように。
どうか、あなたの力で勝利を得ることができますように!

2012-04-26

自分の気持ちに目を向ける。

ちょっと久しぶりになりました。
今週は子供たちが休みなのですが、
私も妻も休めないので(あ、いやこの言い方あまりよくないですね、「休まない」です)、子供たちはウチでゆっくりの春休みです。火曜日なんかは、自分たちで献立を考えさせて、料理させました。学校お休みバンザイですね。

で、今週はずっと涼しいです。
昨日の朝は3.5度Cでした。
今日も涼しくて、15度くらい。
明日はもっと涼しいようです。
そして、明日の夜は霜が降りるくらいの寒さになりそうです。

5月になると暖かくなりそうです。

さて、先週のヒラタケですが、
土曜日に収穫しました。



4つの傘が開いていた株だったのですが、
一番大きいもので一番大きなところが10.5センチ。
かろうじて10センチを超えました。

まず、自分で小さな2本で毒味試食。

美味しかったし、笑いが止まらないこともなかったし、
お腹も壊さなかったので、
翌日、The BRAVE(子供のプログラム)の先生たちにお出ししました。


ドキドキだった先生たちもいたかもしれませんが、
なかなか美味しかったですヨ。

また生えて来ないかな。

来週、NYでもたれる
に行ってきます。

そのために
という本を読んでいるのですが、
今日読んでいる中で、勧められていた「自分の感情を無視しないで、そこに目を留めること」をしてみました。そしたら、やっぱり自分は自分の感情に対して、あまり注意を払って来なかったし、大切に思って来なかったし、否定してきた部分も多いなあと思いました。「大したことない」と軽く見ていたのだと思います。「自分の感情なんて、しょうもないものなんだから、振り回されたくない」と思っているのだと思います。がっかりしたり、怒ったり、うれしかったり、そういう自分の気持ちは放っておいて、理屈で自分のなすべきことをコントロールしてきたのだと思います。でも、そういう感情は無視されているなかで、溜まっていきますから、甘えた思いやいじけた思いが心の中に渦巻いてしまうこともあったと思います。そして、自分がそのようにしてきたことを周りの人にも期待してきたんじゃんじゃないかなと。ですから、人の気持ちを汲み取ることは、本当にできないでいました。そこらへんのこと、 全部がつながっているように感じました。

まだ、自分の感情を無視しないでそこに目を留める・・・ということは、自分にとってコワいことですし、まだ自分の思い=「わがままな欲望」みたいな感覚がありますし、戸惑うことばかりです。でも、少しずつ、この面にも神様が触れてくださるようにと祈ります。

今週の「日々のみことば」から。
今はヤコブの手紙を読んでいますが、日曜日に読んだ言葉から。

「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである」1:20。

人のことはよくわかります。
ああ、あの怒りは義憤の形をしているけど、自分のための怒りだな。人を傷つけ、自分を傷つけ、関係を壊し、自分だけには見えていないだろうけど、バレバレだよ・・・と。

でも、自分が義憤だと思っていることはどうでしょうか?
私が怒りを感じていることはどうだろうかと。

私の怒りは義憤のように見えても、そのように思っていても、神の義とは違う。

自分の心が探られるような思いがしました。

神様、
私が怒りを感じる時、
その怒りを否定しないで、受け止めることができますように。
そして、それを人に向かってぶつけるのではなくて、
自分がどうしてそのように感じてしまうのか、
それを知ることができますように。
そして、それをあなたに取り扱っていただけますように。

2012-04-21

大雨来るよ。

今日は穏やかな暖かい日でしたが、
天気は下り坂。
明日の夜から雨みたいですね。


そして、日曜日の夜は大雨になりそうです。
これは夜のNAM(アメリカのコンピューター予報モデルの一つ)の予想ですが、
NJは"bullseye"ですね。今後降り始めから、終わりまで(月曜日の夜)で100ミリ以上の雨が予想されています。




ご注意を。


昨日発見したヒラタケ、順調に成長中。
昨日はFB上では7−10センチと書いたのですが、
実際測ってみると6センチくらいで、釣った魚(逃がした魚?)が大きくなるのと同じだな、と思ったのですが、今日はもう8センチを超えていました。傘のふちがめくれる直前がmatureだそうなので、まだ、もうちょっと先かな、と思います。この調子だと10センチを超えるのでは・・・と楽しみにしています。


さて、今日からは「日々のみことば」はヤコブの手紙です。


今日は1:1-11。
「貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。」9-10節。

決して左うちわではない自分はいつも、こういうところを読む時に、まずは自分を「貧しい」方に身を置いて読んでしまう。でも、それから待てよ、と思う。いい加減に学べよ、と思うのですが、そりゃあ上を見たらきりがないのですが、世界中の平均から見たら、自分は完璧「富んでいる人」なんだと思う。世界が人口100人の村だったら、という本にあった通りだ。でも、その実感はない。それがまた困ったことなんだと思う。だって、富んでいる人はこれから低くされる、それこそ喜ぶべきことなのに、自分がこれから低くされることがわかっていないんだから・・・。そして、もしもこれから低くされたら、勝手に「なんでこんなに自分ばかり大変な思いをするんだろう」と妙な被害者意識の中に閉じ込められることになるんだから。

勘違いするな、自分は決して貧しい者の方ではないのだ!

本当に多くを与えられていることが見えない自分は、低くされる中で本当の心の目が開かれるようになるんだろう。

低くしていただきたい、そのように思った。

主よ、
あなたの基準の中で、私を低いところに導いてください。
あなたの願われる一番低いところに、私を導いてください。
そして、そこに導かれたことを感謝できる者にしてください。
私の口から愚痴を取り除き、あなたへの感謝で満たしてください。

2012-04-19

見えないところで起こっていること。

月曜日が一番暑かったのでしょうか?
34度Cまで上がった月曜日のあと、
26度C、18度Cと、毎日8度ずつ温度が下がって、
昨日は肌寒いくらいでした。


でも、今日はまたリバウンドで20度を超えて、
明日までは暖かいと思います。
週末から週明けは雨でグンと気温が下がって、
10度C以下の日もあるのでは・・・と思います。


そんな中で、月曜、火曜、と駆除したcarpenter beeですが、まだ少しは残っているようです。でも、もうあまり殺虫剤を使いたくないので、他の方法を検討中。


今、やろうと思っているのが、これ
単純な作りですが、結構いいみたいなので、
これからはこれで行ってみます。


そんなこんなで、今日の昼過ぎにcarpenter beeはもういなくなったかな、と庭に出てみて、びっくり。2ヶ月ほど前にカビが発生して「もうダメだ」と外に出して、ふたをとって、最近の天気ですっかり乾燥していたと思っていたバケツdeヒラタケ。こんな風に発生していました。





多少カビが生えても大丈夫・・・とか読んでいたのですが、
「全然ダメじゃん・・・」とあきらめていたのでした。
というか、完璧にカビにキノコの菌糸が駆逐されていたのかと思っていました。

でも、どっこい生きていたんですね。
見えないところで着々と陣地を広げていたわけです。
そして、「こいつはダメだ」と思われても、
というか、その存在さえ忘れられていても、
地道に自分のすべきことをしてきたわけです。

そして、環境がそろって出てきたと・・・。

キミは偉い!!!

人間として見習わなければいけないと思わされました。

そういう生き方しないとね。
はやりとかに振り回されたり、
周りの人の声に左右されたりしないで、
自分のなすべきことを着々としていく。

こんなにキノコに学ばされるとは思っていませんでした。

ヒラタケすげえ。

ちなみに椎茸は先月末に終了しました。
全部で31本、重さは600グラムほどで、
ここら辺での相場を1パウンド(約450グラム)で、9ドルと計算して、回収率45パーセント。はい、オヤジの道楽でした。

さて、聖書からも学びましょう。
今日は雅歌の最後を読みました。

8章5−17節。

「もし人が愛を得ようとして・・・」7節。

このあと、「お金を積んだとしても、それは蔑まれる」ということが書かれています。
でも、どんな方法でも、「愛を得るために・・・」というのは多分むなしいだろうなあと思います。何かプレゼントをしたり、喜ぶことをしたり・・・といっても、結局それが愛を「得るため」だったらなんだか、むなしく終わってしまうのではないでしょうか。反対の立場になって考えて、私が何かを誰かにしてもらったところで、それが私の「愛」を引き出すためだったら、あまりうれしくないのでは・・・と思います。そんなことはどうでもいい、ただの「愛」がありがたいんだと思います。

結局、私たちはもちろん愛されることが必要ですが、それは神様がもう既に与えてくださっているので、それをもっともっと教えていただいて、今度は私たちは「愛する」ことに集中したらいいんだろうと思います。

「愛を得ようとすると・・・失敗する」というか、「愛を得ようなんて思わなくていい、それはもう神様が与えてくださっているから。ただ、愛することだけを考えたらいいよ」なんでしょうね。

だから、もっともっと神様の愛を知りたい。感じたい。味わいたい。と思います。

神様、
あなたの愛をもっともっと教えてください。
あなたの愛を頂いて、今度は、私が「愛する」者となれますように。

2012-04-16

春なんだか夏なんだか。

いやあ、今日は暑かったです。
湿度が低かったので、それほどに感じなかったのですが、
それでも、最高気温はウチの温度計で34度Cまで行きました。


もう夏ですね。
でも、季節は春なんで、ウチの前の通りの街路樹のOak Treeは満開!
車が真っ黄色です。
で、おとなしく中で過ごしていたのですが、
やはり何かしなければいけないような気がしてきて、
ウチの中にだっていくらでもやることがあるのに、
外のことが気になって、carpentar beeの駆除のために
薬を買ってきて、夜、奴らが寝静まった頃に、はしごに乗って
怪しいおじさんになって、駆除していました。


でも、外に出るたびにくしゃみ連発。


今週一週間おとなしくしていたら、
もう峠を越してくれると思います。


そんな中で、今朝、のんちが庭のアスパラとニラを収穫してくれました。






たくさんとったのですが、
夜までに全部食べちゃいました。
でも、まだまだ生えてきます。
木の芽も出てきました。
フキも大きくなってきました。
楽しい季節ですね。


明日は今日よりはずっと暑さは和らいで25度Cくらいの予想。
気温は上がったり下がったりですが、
金曜日までずっと晴れて乾いた日が続きそうです。


さて、最近の「日々のみことば」から。
ずっと雅歌を読んでいますが、今日は6:1-12。


「暁の光のように見下ろしている、月のように美しい、太陽のように明るい、旗を掲げた軍勢のように恐ろしいもの。それはだれか。」(10節)

愛を受けた人は輝いている。
愛をいっぱいに受けた人は。

「日々のみことば」誌では、妻は夫に愛されて輝く、と書いてあって、ドキッとしたけど、雅歌をずっと読んでいる中で、それは神様と私たちとの関係だと読んできたはずだ。(笑)だから、ここも、まずはそう読もう。「神様の愛をいっぱいに受けて私たちは輝くことができる」

もっともっと輝けるように、もっともっと神様の愛のメッセージを聞き、神様の愛の中に生き、神様の愛の中に身を委ねて、歩んでいきたいと思う。

主よ、
あなたの愛を感謝します。
もっともっと、あなたの愛を感じて、
あなたの愛によって輝かせてください。