2009-09-25

日曜日だけではなく・・・

今日はホントに暑かったですね。
最高気温は29度。
でも、夜になって、昨日よりもずっと涼しくなっています。
今、12時前で17度。


明日の朝はちょっと肌寒いくらいになりそうです。
昼間も晴れますが、涼しいでしょう。


私が尊敬しているサンディエゴの牧師さんが、
いつの頃からか、というか、4月頃から、
日曜日の礼拝の内容を「テイクアウト」で、
お持ち帰り用の質問を準備されるようになりました。


それをまねして、私も8月から、テイクアウトQuestionを準備しています。
いいです。
やっぱり日曜日の礼拝説教に何度も何度も引き戻されて、
それで、やっと身になっていく。
そんな感じがします。
御言葉を日曜日教会においていかないで、
日々の歩みの中で反芻していく。生きていく。
その助けになれば・・・と思います。


20日の日曜日の礼拝説教の内容はこんなんです。







ルカ22:31-34
「わたしたちを支える主」

序)最後の晩餐・・・新しい時代の始まりを予告する。
  新しい秩序には新しい人々が必要。・・・弟子達。
  イエスはその弟子達のために祈られた

1)あなたのために祈られるイエス
サタンのたくらみ・・・用いられようとする者への攻撃
イエスの祈り・・・試練がなくなるより、そこで守られること。
←→ペテロは自分が祈られなければならない者であることを認めてもいなかった。「自分がイエスを守る!」

2)他の人々を励ます使命
クリスチャンの励まし・・・耳(聞くこと)・口(言葉、でも、単なる気休めではなく、神の支配と肯定へと目を向けさせる言葉、聖書の御言葉)・ひざ(祈り)
イエスの十字架による救いとゆるしを頂いて、それによって人を励ます者となる。

そして、最初のQuestionはこちら。

誰かがあなたのために「祈ります」と言ってくれるときに、「いえ、結構です」と思うときはないですか?それはどんな時ですか?

これは、私の場合はありますねえ。
自分の場合は何が問題かってやっぱり「プライド」。
本当に祈ってもらうって砕かれないとできないと思います。
この時のペテロの「私があなたを守るんです!」みたいな気持ち、
とってもよくわかります。

でも、以前も書きましたが、
今回の修養会で、本当に祈られる幸いを経験しました。
もっともっと祈って支えて頂きたいと思います。

今夜は近所の男の子二人の兄弟が、
夜、Back to School Nightのために、
お母さんがお出かけになるために、
遊びに来てくれました。

本当に楽しかったです。

もう、うちの子にしてしまいたいくらいでした。

いや、女の子が遊びに来てくれても嬉しいのですが、
なんだか、男の子が遊びに来てくれるのが、
とても新鮮で、一緒にゲームとかしてしまいました・・・。

女の子が遊びに来るときには、ちょっと遠慮があるかな?
「怪しいおじさんにならないように注意しよう・・・」ってね。
「『寒い』と思われたらどうしよう」とか・・・。
でも、男の子が遊びに来てくれるときには、
ずうずうしく、いろいろ話しかけたり、
冗談を言ったりできてしまいます。
「寒い」と思われても、全然大丈夫です。
相手が男の子だったら・・・。
でも、サキの友だち(女の子)とかに、
「サキちゃんのパパ、寒い・・・」とか、絶対思われたくないです。ハイ。

まあ、子供の頃、家の中に女は母だけでしたからねえ。
ちょっと女の子に対してはどうしていいのか、わからない、ってところありますね。

帰りに「もうウチの子になってしまいなさい」と冗談で話していたのですが、
告白しますが、心の底の方に、ちょっとだけマジが混ざっていました・・・。

次の目標は「女の子の前でも自然体でいよう」ですね。(笑)

さて、9月22日(火)の聖書。
エレミヤ9:3-16

「 これらのために、わたしは彼らを罰しないだろうか。」9節。

神様は不義に対して、不信仰に対して、
それを罰せないではおられない方。
本当はそう。

徹底的にそう。
本当に神様は罪を罰せないではいられない方。

それが徹底的にわかるときに、
赦されない罪を持っていることがわかるときに、
それが他の誰かのことを言っているのではなくて、
まさに自分自身であることがわかる時に、
神様はその愛をわたしたちに与えてくださったことがわかる。

罪が深刻であればあるほど、十字架が輝く。
その救いはまさに聖書にあるんだと、知って欲しい。

神様はなあなあで罪を赦す方ではない。
厳しい方。罪を罰せないではおられない。

そのことがわかるときに、かみさまのめぐみがわかる。

主よ、
あなたが罪をいい加減にできない方であると、わかりました。
そのあなたがわたしたちに目を留め、招いていてくださることに感謝します。
続けて、あなたのことを証するチャンスを時間を与えてください。
そして、その時、(今だ!)という感覚がわかりますように。
あなたの御思いをわかる者とならせてください。


2009-09-24

恐れるな。



昨日は悪い方に外れましたが、
今日はこんどはいい方に外れました。
結構晴れて、本当に蒸し暑くなりました。
夜の12時になっても23.7度もあります。


今夜、雨がパラパラ降っていました。
また、雷雲も発生しています。


明日は・・・もうわかりません。
ただ、もう一日蒸し暑い日になりそうです。


今夜も10時半頃になったので、
昨日の夕方家を出てから、サキには会っていません。
ユキも会ったような会っていないような・・・。
よく、「子供に会うのは週末だけ・・・」というお父さんがいるという話を聞きますが、
これが毎日になって、慣れてしまうんでしょうね。


明日はキッズクラブもありますので、
2日ぶりに会えそうです。


今日の朝、Amazon.comから着たメールで、
こんな本はどう?という推薦に「Fearless」というMax Lucadoの本を見つけ、
8月に発行された本なのですが、かなりの評価。
私も「恐れ」の問題は人ごとではありません。
早速、初めてKindle for iPhoneをためすのを兼ねて、購入。
ハードコピーよりも割安で、思い立ったときに、すぐに買って読み始められる。
何よりもこれがうれしい。
Amazonは買ってから手元に来るまでが、問題。
特に英語の本は、その間に盛り上がった気持ちがしぼんでしまうこともあるので。


Kindleは持っていませんが、
iPhoneで読めるのはお手軽でいいです。
問題は辞書もiPhoneに入っているので、
わからない単語をすぐに引けない・・・
辞書を引くためには、Kindleを閉じなければいけない。


うーん、わからない単語をタッチすると日本語で意味が出てくる、
とか、そういう機能を入れて欲しい・・・。


でも、まだ1章しか、読んでいませんが、楽しみです。


1章で教えられたこと。
イエスの命令の中で一番多いのは
「愛しなさい」ではなくて、


「恐れるな」。


嵐の中で船の中で寝ていたイエスの平安。


ゆっくり、でも、着実に読んでいきたいです。


さて、9月21日(月)の聖書。
エレミヤ8:18-9:3。


「ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを。」9:1。

ここまで悲しむ。
ここまで愛する。
ここまで熱くなる。

そのような心が自分にあるか、
そこまでの思いがあるか?
そこまで人々を愛しているか、
いろいろ考えさせられます。

今、これを打っている最中、
テレビJAPANでは佐野元春と小田和正が対談しています。
この2人、私は結構好きですが、
特に「生まれくる子供たちのために」を出したときの話を、
小田さんが話しています。
日本が好きだと。

私も日本が好きです。
日本のためには泣きます。

でも、本当に次の世代のために、
わたしたちは、いや、私は神様から何を託されているでしょうか。
日本のために、そしてこの、アメリカのために。
今、目の前に与えられている教会の一人一人のために。

本気で使命果たさせて頂きたいです。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが私を生かしてくださっています。
あなたの私に与えてくださっている使命を果たさせてください。
愛と情熱を与えてください。

2009-09-23

Time Management...

今日もいい天気で暖かい、というのは外れましたね。
今日はどんよりで、気温も機能に比べるとやや低め。
明日も天気は余りよくないですが、
どちらかというと蒸し暑い日、になると思います。


今日は、1ヶ月前にNCに行ったときに、
ビデオに収めてきたお世話になったご夫妻のお証の
原稿おこし。
ビデオを見ながら、神様の不思議な御業をあがめていました。
ご本人の承諾が頂いて、10月号のニュースレターに掲載予定。


そして、4時半頃には家を出て、NYへ。
Citicorpビルの地下のホールの片隅で学びをしました。
そしたら、隣でも4人の女性が祈っています。
どうやら韓国の若いクリスチャンの姉妹方のようでした。


考えてみたらそうですよね。
NYで集る場所をみんなさがしている。
なかなか自由に使える場所がない中で、
みんなそのような学びができる場所を、
ただで借りられる場所を探しているんですよね。


そういう学びがあちらこちら、NY中にあふれますようにと、
祈らされました。


帰ってきたのは11時前。そして、明日は5時半には家を出て、
一日NYです。
ジャパニーズ・ビジネスマンみたいです。
私はスケジュールはしょっちゅうあるわけではないんですが、
皆さん大変な日々を送っておられるんですね。
守られますように。


これから週末にかけて注意深いTime Managementが必要です。
主から任された時間、日々を、正しく主に喜ばれるように用いさせてください。


さて、9月20日(日)の聖書。
エレミヤ8:4-17。


「見よ。主のことばを退けたからには、彼らに何の知恵があろう。」9節。

主の言葉に聞くことこそ、知恵の始まり。
主を恐れて、主の言葉に従っていくことこそ、
知恵のはじめ。

なのに、わたしたちはその知恵の世界を
聖書の世界や、信仰の世界、神の支配される世界と
引き離そうとしてしまっている。

そう、神のない知恵は本当の知恵ではない。
知恵が神への信仰を失ってしまったら、
もうそれは知恵ではないのだ。

神の御言葉を信頼しよう。
そこに自分の人生をかけていこう。
そして、主がしてくださる御業を共に見ていこう。

本当の知恵を得て、主からの知恵を頂いて、
立ち上がっていこう。
恐れる必要はない、
ひるむ必要はない。
本当の知恵はこちらにこそあるのだから。

主よ、
今週のTime Managementのためにもどうか知恵をください。
そして、あなたの知恵に従って歩んでいくことができますように。
あなたを閉め出して、「こちらこそ本当の学問だ」と言っている者たちに、
それが間違っていることを示してくださいますように。
明日も支えてください。

2009-09-21

試練の中で守られますように。

今日は本当に暖かくなりました。
夕方ちょっと庭仕事をしたのですが、
あっという間に汗をかきました。


今は夜の11時ですが、16度あります。
今朝までは一ケタまで下がりましたが、
明日の朝は12度くらいでしょうか。


明日もまたいい天気で暖かくなりますように。


昨日の礼拝では、最後の晩餐の中で、
イエスが新しい時代のために、
「新しい契約」「新しい秩序」を宣言されたのに続いて、
弟子達を「新しい人々」として立てられたことを語らせて頂きました。


主がその新しい時代を担うわたしたちのために今も祈ってとりなしておられるのです。


サタン(悪魔)はこれから用いられようとしている人々、
用いられようとしている教会を攻撃してきます。


大体、メッセージを語った後には、
その内容について、自分自身が問われるものですが、
今日もそれを感じていました。


朝から心が騒ぐようなことがあり、
午後にも攻撃を感じました。
落ち込ませようとする攻撃を感じました。


その中で、ただただ、イエスが祈っていてくださること、
そのような試練の中でも守られるように祈ってくださること、
それが支えです。


今日は休日。
すっかり食欲も戻って、
順調にリバウンド中です。(笑)
週末、「今日は無理・・・」と、ずっとお預けになっていた
「ゲームをしよう・・・」というサキの誘いに
やっと答えて、今日はカードゲームをしました。
はい、もちろん手加減なしです。
これはハジの子供の頃からの、私の主義です。
「大人げない」と言われてもかまいません。
私が本気でも勝てない子供を育てようということで・・・。


17年前、日本を出てくる直前のこと、
主任牧師の7歳くらいのお嬢さん相手に、マジでやってしまって
泣かれてしまったときには、さすがに、ちょっとやりすぎたかな、と反省しましたが、
自分の子供だとそれは容赦はしません。


はい、今日ももちろん圧勝でした。v(^^)
問題は、負けてばかりで、本人のやる気が続くかどうかですが・・・。


ちなみに、ハジはウルトラ負けず嫌いな大人になってしまいました。
そして、ユキはこちらが誘っても、決して遊んでくれません。


・・・ん?これって、私の「子供相手でも本気でやる」という主義が間違っていた、ってこと?


さて、土曜日、9/19の聖書。
エレミヤ7:29-8:3。


「それらを、彼らが愛し、仕え、従い、伺いを立て、拝んだ日や月や天の万象の前にさらす。それらは集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。」2節。

私は、子供の頃から教会で育って、
日の出を拝むとか、大木や立派な滝や
そういうものに神が宿る、とか、そういう感覚は全くないのですが、
でも、そのようなものに畏れを感じると言う感覚はちょっとわかります。

ですから、大きな木にしめ縄がつけられていても、
立派な滝の前に神社があっても、
「そういう気持ちになるよなあ」というのは思います。

でも、この聖書の箇所は、そんな態度にもNOと言っています。
どうしてなんだろうなあと思います。

そのような人間を超えたモノ、それが自然界の中のものであっても、
神ではないものであって、見当違いであったとしても、
自分より大きな存在の中で、膝をかがめたくなる気持ちは、
神様は尊重してくださらないのかなあと。

でも、それほど、神以外のものを神とすることが、
深刻な罪なのだ、ということを聖書は語っているんですよね。
その見当違いがたいへんな結果を生み出してしまうのだ、ということなんだと思います。

自分よりも大きな存在がすべて神で、・・・つまり神々がたくさんいる、
というのではなくて、
本当にわたしたちが拝み、膝をかがめ、礼拝すべきなのは、
祈りを捧げるべきなのは、この天地を造られ支配されている主、
お一人なんだと、もう一度主の前にひざまずかせられました。

主よ、
あなたを、あなただけをあがめるものでありますように。
人や、能力や、力や、お金や他のものを拝むことがありませんように。
何よりも自分を主とすることがありませんように。

発想の転換中。


今朝の最低気温は8度。
でも昼間は24度まで上がりました。
あたたかな一日でした。


明日はもっと暖かくなるみたいです。
9月の下旬にこの陽気はありがたいですね。
あさって以降は朝の冷え込みも弱く、
今週いっぱいは暖かいようです。


しっかりエンジョイしておきましょう。


今日の礼拝も祝福されました。
久しぶりの方や初めての方も来られました。
そして、何よりも、
語りながら、自由を感じていました。
みことばが一人一人の内にとどまり、
一週間の歩みを通して、みことばが消化されますように。


今日は6時にはすべてが終わったので、
NYへの送りの車の奉仕があったのんちと
今日まで「大北海道展」なるものをやっていた、
ミツワのフードコートで食事ということで、待ち合わせ。
絶対、電話で打ち合わせをしたときには、
自分たちの方が早く着くだろうなあ、と思っていましたが、
なんと、駐車場でばったり会えるくらいのグッドタイミング。


家族で入ったとたんに「のんち(ホントはここは本名)さ~ん!」と呼ぶ声。
のんちの元同僚が「大北海道展」の売り子をしていて、もう完売間近の片づけ中。
「これでさいごだよ~」の元気なかけ声に、
勢いで買ってしまいました。コロッケ。
おいしゅうございました。


私自身は久しぶりの本格的な食事で、
ご飯は残したのですが、
ちょっと食べ過ぎたかな、って感じ。
でも、ここまで元気になって大感謝。


帰り道、車2台だったので、
私の運転の車は下の子のサキが乗ることに。
帰りの車の中で、試しに
「Yankeesの試合行きたい?」と聞いたら、
「行きたい!行きたい!途中で寝るかもしれないけど、行きたい!」
と、ビミョーな部分もありながら、とりあえず嬉しいお返事。
そこに続けて出てきた言葉。
「ジーターとマツイとポサダしか知らないけど・・・」
その瞬間、この子を野球のわかる女の子に育てようと決心したのでした・・・。
いや、ただ「わかる」だけじゃなくて、父親と野球の話で盛り上がる娘に育てようと・・・。


そう、発想の転換進行中。
「スポーツのことは男の子だよなあ(偏見ですか?)」→「自分が女の子に合わせて、会話を弾ませなければ・・・(結構難しい・・・ちょっとうっとうしいと思われているかも・・・)」→「スポーツのことがわかる女の子を育てればいい(これだ!)」
という段階まで進んでいます。


そして、調子に乗って、じゃあ、上の子は天気予報の話ができる女の子に育てようかなあ、とたくらんでいるオヤジなのでした。(嫌われるでしょうか・・・)


帰ってから、明日NCで手術を受けられる方にお電話。
神様が守ってくださいますように。
聖書学院で共に学んだこちらの先生も明日手術。
主が守ってくださるように祈っています。


さて、9月18日(金)の聖書。
金曜日はエレミヤ7:16-28。


「 あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり、祈りをささげたりしてはならない。わたしにとりなしをしてはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。」16節。

神様がこの言葉を語られた意図を考えたときに、
「今は、私に祈るのではなくて、彼らに語るべき時です」と言われているように感じました。
本当はエレミヤは預言者として、神のメッセージを語るべき時だったのに、
それを恐れたのかもしれません。
人々が神の裁きの言葉や、譴責に言葉に反発をすることを恐れたのかもしれません。
神にとりなしの祈りをしていました。

それを神は許されませんでした。
今は彼らに語るべき時です、とエレミヤに言われたのではないでしょうか?

民の罪の姿を指摘して、悔い改めを迫るべき時だと。

そんなことを思いながら、
自分の弱さを思い知らされています。

本当は罪を責めるべき時、
本当は問題を指摘すべき時、
その人の前では、ひるんでしまって、
主の前に、状況を述べてとりなしの祈りをする。

祈りが大切だから・・・ということで、
言うべきことも言わない。

自分が今までそうやって逃げてきた部分はないだろうか、
そのように思わされました。

主のしもべとして、主のメッセージを語る器として、
主に従っていきたい。
一人の人が悔い改めて主の許に帰ってくるための
働きをさせて頂きたい、そのように思い、祈らされました。

主よ、
私の使命を果たさせてください。
それ、「楽しいこと」ばかりではないという覚悟を忘れることがありませんように。
恐れを取り除いてください。恐れを乗り越えさせてください。
あなたのメッセージを語る者としてください。

2009-09-20

形に頼るな。

また12時を過ぎて日付が変わってしまいました。
あ、今日は野球じゃないですよ、
日曜日の準備が遅くまでかかってしまっています。


昨日もいい天気でした。
でも、夜になって冷えてきています。
今、夜の1時過ぎですが、10度まで下がってきています。
この後、朝の最低気温は10度を大きく下回って、
6度くらいまで下がると思います。


寒いくらいですね。


でも、明日もいい天気で暖かくなるでしょう。


さて、木曜日17日の聖書。
エレミヤ7:1-15でした。


「しかも、あなたがたは盗み、殺し、姦通し、偽って誓い、バアルのためにいけにえを焼き、あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている。それなのに、あなたがたは、わたしの名がつけられているこの家のわたしの前にやって来て立ち、『私たちは救われている』と言う。」9-10節。

神は形式だけに陥っていた人々に、
厳しい言葉を掛けられた。
自分はひどいことをしていたのに、
この神殿があるから大丈夫、
この神殿の中に神がいるから、
そこで祈ると聞かれるから、大丈夫、と、
そこに安住していた。
そこにあぐらをかいていた。

でも、神は、ご自身に従うことを求められている。

わたしたちも、「洗礼を受けているから大丈夫」
「教会に行っているから大丈夫」
「奉仕をしているから大丈夫」
「人のために尽くしているから大丈夫」
そんな形式主義に陥っていることはないだろうか?

本気で神に従う者、
本気で神を信じる者でありたい。

形だけに陥ってしまうことがありませんように。

主よ、
私が形でやっているかのように勘違いすることがありませんように、
ただ、ただ、あなたの導かれるところに従うことができますように。
あなたの「しなさい」ということに従って歩むことができますように。

2009-09-19

Ichiroのサヨナラ2ラン。

すごかったですねえ。
我らがYankeesが、サヨナラ負けです。
2-1で勝っていて、9回のマウンドはマリアーノ。
2アウトまでは、とんとん、と行って、
そのあと、2塁打が出て、
バッター・Ichiro。
初球の内角のほとんどボール球を
右翼席にたたき込みました。
それまでIchiroは塁に出ても2回も牽制に刺されて、
「この2回のIchiroの牽制死が痛いですねえ」なんて、
解説者に言われていたんですが・・・。

いやあ、わからないですねえ。

こんな時、やっぱ「ハジがいたらなあ」とつい思ってしまいます。
野球一つでも、興奮をshareするヤツは欲しい・・・。

2009-09-18

健康であること。

今日は朝は結構冷え込みましたが、
いい天気で暖かくなりました。


明日も今日と同じようにいい天気になりそうです。
でも、明日の夜は本当に冷え込んで、
最低気温は一ケタです。
風邪など、お召しになりませんように。


昨日の午後、午前中の集会の後から、
体調がおかしくなり、
集会以外の時間はほとんど寝たきり。
今日の午後まで24時間食べられませんでした。
ほぼ2年ぶり。


やらなければいけなかったこと、
連絡したかった方々、
お会いしたかった方々、
いろいろあったのですが、
さすがに無理で、おとなしくしておりました。


今日も朝と夜と集会があったのですが、
余り食べられず、今夜皆さんが帰られたころ、
11時頃から急に食欲が帰ってきて、
今頃、ちょっと口寂しく感じます。


健康ってやっぱりいいですね。
昨日、「これ年取ってからやったら、ホントに死ぬかも・・・」と思いました。
与えられた健康な時間を本当に大切にしなければ・・・と思いました。


でも、出るモノが出て、24時間ほとんど何も口にしないでいたら、
70キロあって(BMI 25.1)で、やばいなあと思っていた体重が、
66.6まで落ちていました。
この調子で行けば夢の理想体重も夢ではない、と思っていましたが、
食欲が帰ってきたので、夢で終わるかなあ・・・。


でも、それだけいつも満腹状態だったんですよね、
本気でメタボ解消に取り組まなければ・・・。


さて、水曜日の聖書。
水曜日はエレミヤ6:16-30。


「四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。しかし、彼らは『そこを歩まない』と言った。」16節。


神の招きは今も開かれている。
そこに従うかどうか、
それに答えるかどうかが問われている。

既に招かれている。
尋ね求めなさいと言われている。
本当に単純なことなんだろうなあと思う。
難しくしているのは伝える方の問題なのであって、
神様の与えてくださる道は本当はわかりやすいんだろうと思う。

主が与えてくださる道、
主が導いてくださる道、
それを単純率直に語っていきたいと思う。
それが拒否されることがあっても、
掛け値なしにストレートに語っていきたいと思う。

主よ、
あなたの道を大胆に語る者にしてください。
あなたの道に歩む喜びを証する者としてください。
昨日、今日と3回の集会に来られた、
一人一人に神様が今も語ってくださいますように。

2009-09-17

霊的ER。

やはり牧師は自分のことに目が向くと余りよくないみたいです。
周りの人に心が向くときに、平安と力が与えられます。
そのように神様によって創られたみたいです。


午前中は久しぶりに我が家での集会。
小さな集まりだったのですが、
集った方々の内に、特別な祈りの課題を持った方が2人。
クリスチャンの方と、求道中の方。


祈り会のようでした。
霊的なER(Emergency Room)。


先日の修養会から不思議なことがたくさん起こります。
何も不思議なことではないかもしれません、
わたしたちが魂の病院としての教会を取り戻そうとするとき、
そのことを真剣に祈るときに、
主は人々を送ってくださるのだと思います。


9月15日(火)の聖書。
エレミヤ6:1-15。


「なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。」14節。

指導者達の責任がここで問われている。
自分の生活のことだけしか見ていない。
人々の人気しか興味がないみたい。
人々の霊的な状態には無関心。

そして、「民の傷を手軽に癒し、平安がないのに『平安だ、平安だ』と言っている。」なんて、まさに今の時代の霊的指導者達のことを言っているのではないかと思う。

おっと、他人のことだと思ったら、それはまた聖書の読み方が違う。
私はどうだろうか、私は無責任に平安を語っていないだろうか?
神の罪に対する厳しさをちゃんと語っているだろうか?
霊的に弱くなっている人々のために、
なすべきことをしているだろうか?

彼らが癒され、造りかえられるために
祈って、受け入れて、言うべきことを言って、
癒しと成長のために必死になっているだろうか?

主のために、また人々のために仕える者となりたい。

主よ、
あなたが私を仕える者として召してくださっていることに
心から感謝します。
どうか、人に仕える者にしてください。
無責任に喜ばせるのではなくて、
あなたにある、十字架にある喜びと癒しを与える者とならせてください。

悪をなす者のゆえに心を悩ますな。

主よ、どうか、心を守り、あなた以外のものに、心がとらわれることがないように守ってください。
今日も教会の一人一人を守ってください。サタンの攻撃や誘惑に陥ることがありませんように。

2009-09-16

怒っても・・・。

今日の雨は本当に大したことはありませんでした。
また明日は雨の予報でしたが、
今日になって、「曇りがち」程度の予報に変わりました。
でも、肌寒い日になりそうです。


週末は晴れて暖かいようです。


「怒っても罪を犯してはならない」
これも、先日の修養会の中で開かれた聖書の言葉ですが、
私も怒りやすいです。
今夜も、ホント怒らないではいられないことがありました。


聖書が「怒ってはならない」となっていたら、どんなにか、大変かと思います。
でも、「怒っても罪を犯してはならない」だから、そうだ、と冷静にさせられます。
だんだんだんだん、冷静になって、本当に冷静な対応をすることができました。


でも、主は私のためにどんなに忍耐してくださっているんでしょうか。
それを考えるならば、自分は恥ずかしい限りです。


「怒っても罪を犯さないように」守ってください、と、
「怒っても罪を犯さないように」警告してください、と、
祈らされるばかりです。


さて、9月14日(月)の聖書。
14日はエレミヤ5:20-31でした。


「預言者は偽りの預言をし、祭司は自分かってに治め、わたしの民はそれを愛している。その末には、あなたがたは、どうするつもりだ。」31節。

預言者が偽りを語り、祭司が勝手なことをして、
それが人々を喜ばせているという。

もしかしたら、預言者も祭司も、
人々が喜ぶことをしようとしていたのではないだろうか?
人々が喜ぶことを求めていったら、
偽りの預言であり、自分勝手な礼拝となった。

今、教会もMarketplaceの論理に動かされている。
人々が喜ぶ教会、人々が居心地のいい礼拝。
それが人々を引きつけ、それがいい教会だと言われたりもする。

その偽りを見破る人もいるだろう。
そんな教会は魅力がない、と言う人もいるだろう。
でも、「私の民はそれを愛している」とあるように、
多くの人々が、それに惹きつけられている。

いつもいつも主を見上げて、主から聞いて、
主の願われることを、主が命じられることを語る者でありたいと思う。
たとえそれが人からは不評であったとしても、
主の預言者として、歩ませて頂きたい。
人の知恵ではなくて、天からの知恵を頂いて歩んでいきたい。

主よ、
いつもいつもあなたに聞く者でありますように。
あなたの語りなさい、ということを、語る者でありますように。
あなたの導きに従っていくことができますように。
自分の言葉ではなくて、あなたの語りかけを頂いて語ることができますように。

2009-09-15

嵐の中で

今日もいい天気で暑いくらいになりましたね。
でも、この天気も今日まで。


今夜から雨が降りだして、
明日、あさってと降り続きそうです。


気温は低め。2日間は20度までも行かないのでは・・・。


さて、今日は午前中は集会で、
午後から夜にかけては、
いろんな方々の嵐の中でのサポートのために
メールや電話、訪問などなど。


嵐の中にいる方々のこと、
やはり神様が支えてくださるように祈らされます。
自分が支えようとする気持ちもあります。
でも、最終的にはその嵐の中で、
お一人一人に神様に出会って頂きたい。
神様が支えてくださることを知ってほしい。


嵐がなくなることも、過ぎ去ることも祈ります。
でも、嵐の中で支えてくださるお方を知ることができるならば、
それが一番の祝福だと思わされます。


日曜日の聖書。
日曜日はエレミヤ5:12-19でした。


「しかし、その日にも、──主の御告げ──わたしはあなたがたを、ことごとくは滅ぼさない。」18節。

主がどうしても、痛みの中でも、裁かれることがある。
でも、それでも、主はことごとく滅ぼすことはなさらない。

その憐れみ、そのゆるしが、
どれだけ、私の生涯の中で、用いられただろうか?

本来、滅ぼされても何の不思議もないような状況の中で、
主がどれだけ、憐れみによって見逃してくださったことか。
そして、悔い改めに導いてくださったことか。

主の忍耐と憐れみの深さを思わされます。

主よ、
あなたの憐れみに感謝します。
あなたの憐れみがなければ、私はここにはいないということ、
それははっきりしています。
感謝します。
その憐れみを当たり前だと思ったり、
そこに甘えて、不遜な思いになることがありませんように。

やっぱり街がいいみたい。

下のエンパイアステートビルのライトの色ですが、
エンパイアステートビルのオフィシャルサイトを見ると、
黄色は「USOpen Tennis」だそうです。


ちなみに明日の夜は、
「国連総会」の青だそうです。


夕方まで、VIP-NYに行こうかどうか、
ちょっと迷いがありましたが、
メッセージも語られましたが、
一つのことを通して、行ってよかった、と思いました。
すべてが御手の中にあったんだと思いました。


「バスが遅れたことも感謝」って、
何に感謝すべきかわからないのですが、
とにかく、バスが遅れてくれたおかげで、
「すべてのことについて感謝しなさい」という聖書のみことばを
思い出すことができたから、感謝。


NYの街をバスターミナルから、日米合同教会まで歩いている間、
なんだか、ワクワクしている自分に気がつきました。
それは集会に行くのでワクワクしていたと言うよりも、
なんだか、しちーボーイの自分は、郊外がどんなに快適でも、
田舎暮らしにあこがれていても、
やはり、街が好きなんだなあと思いました。


たくさんの人が歩いている街、
路上駐車のために、一生懸命縦列駐車をする車、
違法駐車の車をレッカーする警察。
もう、そんなのを見ていると元気が出てくるみたいです。


そんなNYに導かれたことに感謝。
この街で伝道出来ることに感謝。


昨日、今日と暖かな日が続きました。
明日ももう一日いい天気で、暖かい日になりそうです。


さて、9月12日(土)の聖書。
エレミヤ5:1-11。


「彼らは、肥え太ってさかりのついた馬のように、おのおの隣の妻を慕っていななく。」8節。

十戒の中にも、
「あなたの隣人の持ち物をほしがってはならない」とありますが、
その持ち物一覧の中には「妻」というのがあります。
もちろん、今の時代、「妻」を「持ち物」なんて呼んだら、各方面から厳しい批判を受けてしまいますし、私自身、そんなことを思ったこともないです。(念のため・・・)

でも、この十戒の最後の戒めの大切な意味は、
自分が与えられたものではないものを
ほしがってはいけない、ということだと思います。
その中には、財産もあれば、「妻」もあるんだと思います。

とにかく、自分に与えられたものに感謝すること、
自分に与えられていないものが、他の誰かに与えられていたとしても、
ねたみの心にとらわれないこと。
(ねたみの心を起こすな、というのはちょっと違うかも・・・起こってきても捕らえられないようにしなさい、という感じだと思う。)
そして、他の人のもので自分の心を満たそうと思わないこと。

本当に大切なことだと思った。
自分と神様との関係の確立が本当に必要。

あのヨハネが気になったペテロへのイエスの言葉。


「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」ヨハネ21:22

はい、私はあなたに従います。

主よ、
あなたが私に与えてくださっているモノ、家族、友人、教会、賜物、人生、それらすべてに感謝します。他の人を見ると、羨ましく思わないわけではありません。でも、その思いにとらわれることがありませんように、あなたが私与えてくださっている人生、あなたが私に与えてくださっているモノ、それを感謝して歩む者とならせてください。

2009-09-14

今夜は黄色。

エンパイアステートビルのライトは、
日によって色がかわります。

クリスマスの赤と緑、独立記念日の赤と青などはわかりやすいですが、今
夜は黄色。いったいどうしてでしょう?

混んでる。

VIP-NYの集会のためにバスでマンハッタンへ。
でも、橋の手前で混んでいて進まない。
もう、7時半。

全てのことについて感謝@クリスチャンスタイル
修養会の中での9/6朝の趙先生のメッセージ。

見失わないように。

昨日から今日にかけて、
本当に隙間がない2日間を走ってきました。
というか、もう日付が変わったので、
おとといから昨日。


素晴らしい一時も持ちました。
シンガーズの時は、ホント水を得た魚のような自分がいました。
昨日も、今日も、
多くの人々とお話しをさせて頂き、共に祈り、励まし合いました。


でも、やっぱり隙間を作って、自分を、また周りを見回してみないと、
大切なものを見落としていないか、ちょっと不安になります。


また「日々のみことば」で思わされたこと、
アップするのがたまってしまいますが、
夜寝ないとよくないので、
また夜が明けてから、周りを見回しながら、更新しようかと思います。


といいつつ、やっぱり1日分くらいはやっておこうかと思います。
9/11(金)の聖書。
エレミヤ4:19-31でした。


「あなたが緋の衣をまとい、金の飾りで身を飾りたてても、それが何の役に立とう。目を塗って大きく見せても、美しく見せても、かいがない。」30節。

いつもはちょっとだらしないくらい身だしなみに無頓着な者ですが、
時々、おしゃれでかっこいいオヤジを見ると、
ちょっと心が動きます。

着こなしのセンスのいい牧師の先輩を見ると、
見習ってみたくなります。

でも、そんなことに心を奪われていてはいけないんですね。
そんなことよりも、その内側にあるもの、
その人の内にある主に対する真実、
そこに働く神の力を見ていかないといけませんね。

新約聖書にも、「外側ばかりきれいになろうとするな、
内面を飾りなさい、内面を磨きなさい」と書かれています。

内なる人に心を配って、
内面が整えられ、主の香りを放っていく者とならせてくださいますように。

主よ、
どうか、私が外側に心を奪われてしまうことがありませんように。
心に内側に目を留め、心の内側が豊かな者となりますように。
それが外にあふれ出るような、働き人とならせて頂きますように。

2009-09-12

JOYJOYシンガーズ再開。

昨日は本当に肌寒い一日でしたが、
今日は昨日よりはワンランク回復。
明日は晴れてくる見込みです。


肌寒いのになれてしまった体には
ちょっと暑いくらいかも・・・。


今日からJOYJOYシンガーズも再開。
これがまた楽しいのなんのって。
日本に帰っていた仲間も戻ってきて、
ほぼ3ヶ月ぶりとは思えない、いいスタートでした。


去年の今頃はまだ計画段階だったんですよね。
でも、今年はもう既に結構いい声が出ています。
今年のクリスマスには期待出来そうです!


さて、おととい、10日(木)の聖書。
エレミヤ書4:5-18でした。


「 エルサレムよ。救われるために、心を洗って悪を除け。いつまで、あなたの中には邪念が宿っているのか。」14節。

「邪念」なんてちょっと「どきっ」としますよね。
「どきっ」とするのはやはり自分の中に何かがあるからで・・・。

真実に主を愛することを願います。
そのような者にされることを求めます。
でも、これも自分の力を超えた神様の奇跡が必要だと思います。

得てして、「邪念よ、消えろ!」と念じても、
そこにこだわっても、
それはなくならないものです。

他のものによって心を満たして頂くことの方が、
ずっと現実的です。
芝生の雑草を抜くことも大切ですが、
芝生の種をまくことによって、
chokeさせることがもっと大切だ、と読んだことがあります。

神様のことで、イエスさまの愛で、
神様への感謝で心がいっぱいになるようにと願います。

主よ、
あなたが示してくださる罪、
聖霊様の働きに感謝します。
でも、本当に弱い者です。
いつもいつもあなたの愛と、喜びで満たし続けてくださいますように。
他のものが入る隙間がないくらい、
あなたの愛が私を支配しますように。

2009-09-11

8年目。

今日は8年目の9-11。
特別なことはなかったのですが、
一日の一つ一つの語り合い、祈り合いが、
祝福されました。

一年前のことも思い出していました。
一年前、とても幸いな時を持ちました。
そして、今年の春、ご遺族の一人にお会いしたとき、
一歩一歩前に進んでおられる姿に、
励まされました。

主が、私たちの歩みを過去に縛り付けないで、
前に引き出してくださっていることを感じます。

また更新は明日時間が取れたところで。

2009-09-10

Underneath the Tree

今週末から再開されるJOYJOYシンガーズのクリスマスで歌う曲を探しているのですが、その中で、こんな曲に出会いました。


Underneath the Tree


As a child on Christmas morning,
I would kneel before the tree
and my eyes would dance with wonder
when I saw the toys for me.
The sights, the sounds, the laughter, 
the smell of evergreen, treasured in my heart
these childhood memories.


Underneath the tree is where I found my presents,
the gifts wrapped with love, purchased just for me.
I will not forget the joy of that moment,
when all that I had longed for I found
underneath the tree.


The years have come and gone now,
and I've grown to understand
the greatest gift was given when God became a man.
Willingly He suffered and died to pay sin's cost.
I received forgiveness when I knelt before His cross.


Underneath the tree is where I found His presence,
the gift of new life purchased just for me.
I will not forget the joy of that moment, 
when all that I had longed for I found
underneath the tree.


サンプル(音が出ます。)


日本語にどう訳したらいいか、ちょっと格闘してみますが、
「木の下で」という木が、子供の時には「クリスマスツリー」で、
大人になった今は、「十字架」の木。
そして、そこで見つけて愛を感じたのが、子供の頃は「プレゼント」で、
大人になった今は、十字架の下で、神の「presence」つまり共にいてくださることを見つけた。
この私のために準備されたプレゼント。


自分が子供の頃、クリスマスツリーの下でプレゼントを見つけた経験はないので、
その部分は自分の経験と重なるわけではありません。
それでも、涙があふれてきます。
最高のプレゼントは十字架の木の元に。
それが私のために準備されていた、という事実に、心が震えます。


今年のクリスマス、たくさんの方々が、その木の下で、
最高のプレゼントである、神のpresenceを見出すことができますように!


さて、昨日、9月9日(水)の聖書。
昨日はエレミヤ書の3章19節ー4章4節。



「今、私たちはあなたのもとにまいります。あなたこそ、私たちの神、主だからです。確かに、もろもろの丘も、山の騒ぎも、偽りでした。確かに、私たちの神、主に、イスラエルの救いがあります。」(3:22-23)

神でないものを頼っていた人々、
それによって満たされようとしていた人々が、
本当の命がどこにあるか、本当の救いがどこにあるかに気がついて、
神様の元に帰ってくるところです。

神様以外のものに頼ってそれに満たされることを求めるのは、
どうしてなんでしょうか?
たぶん、それが魅力的に見えるんでしょうね。
本当はそうじゃないのに。
むなしさだけが残るのに。
でも、一見魅力的に見えるんでしょうね。

でも、私たちを本当の意味で満たしてくれることはない。
決してない。
だって、私たちはそのように作られたのだから。

本当に私たちを満たしてくださる方、
本当に私たちに命を与え、喜びを与えてくださる方、
そこに身をゆだねて、そこに人生をかけて、
歩むことができるのはなんて素晴らしいのだろうかと思う。

時々、生きている間は好き勝手なことをして、
最後に「ごめんなさい」と神様にお詫びをして、
天国に入れてもらうのが一番幸せ、みたいなことを言う人がいる。

でも、ホントはそうじゃない。
そんなのは単なる神話。単なる勘違い。単なるイリュージョン。
ホントは、私たちが作られた目的、
神様と共に生きるときに、一番幸せなはずだ。

「痛い目にあって初めて気がつく」ということもあるかもしれない。
でも、本当は痛い目に遭う前に、気がつく方がいい。

そのためには自分自身、
本当に神様の愛に満たされて歩みたい。
この神様と共に歩む人生がどんなにすばらしいものなのか、
その生き証人として歩んでいきたい。

主よ、
あなたと共に歩む喜びに満たしてください。
あなたに救われている喜びに満たしてください。
最高のプレゼントをもらった喜びを、
私自身もっともっと味わうことができますように。
教会の一人一人がもっともっと経験することができますように。

ずっしりと。

今日もどんよりとしていた。
でも、思ったほど雨は降らず、
夜になってパラパラと始まったところ。


でも、いよいよ今夜から、あしたにかけて、
東海上の低気圧がゆっくりと進んでくるので、
雨と風が強くなりそう。


そして、その影響は土日と続き、
スカッと晴れるのは来週になりそうです。


今日の午後は待ちに待ったJOYJOYキッズクラブ。
始めての子もたくさんで、みんなで30人くらいの元気な仲間が来てくれました。
キャンプに来た子たちもたくさん来てくれました!
そして、学校が始まって、ストレスがたまってきた子たちにとっても、
とてもよい一時だったみたいです。
あとで、あるお母さんがそうおっしゃっていました。
子供たちの心の内に、神様の愛がとどまりますように。


さて、今夜はサキの小学校のBack To School Night
仕事の忙しいお父さん達も、
何とか、時間を作ってかけつけるのがこの夜です。
仕事が終わって、また仕事に戻る人も・・・。


先生達に会って話を聞くのですが、
結構きつかったです。
3年生になって、ReadingやWritingのポイントを
先生が丁寧にお話ししてくださったのですが、
頭がくらくらする内容でした。


日本語の補習校の宿題も大変なことになりつつある今日この頃ですが、
現地の学校も、大変なことになりそうです。
教育パパにはなりたくないのですが、
心を鬼にしなければならないかも・・・。


さて、9月8日(火)の聖書。
火曜日はエレミヤ書3章6-18節。


「背信の女イスラエル。帰れ。──主の御告げ──わたしはあなたがたをしからない。わたしは恵み深いから。──主の御告げ──わたしは、いつまでも怒ってはいない。ただ、あなたは自分の咎を知れ。」12-13節。

神に背く民に対しても、招きをされる主。
しかし、その一方で、「いいよ、いいよ」で赦される方ではない。
「自分の咎(とが)を知れ」と言われる。
私たちはそこら辺を勘違いしていることが多いと思う。

罪を指摘するときには、裁く態度になってしまって、
受け入れようと思うと、罪を曖昧にしてしまう。

本当の愛は罪を曖昧にすることができない。
本気で愛していたら、本気で誰かを大切にしていたら、
その人の成長のために、
その人の癒しのために、
その人の回復のために、
その人が神様との関係に生かされていくために、
ある時にははっきりと対決しなければならない。

それほど熱い愛、
それほど真剣な愛が、
自分の中に燃えているだろうか。
事なかれ主義になって、
自分が傷つくのが怖くて、
相手を心から信頼出来なくて、
ちゃんと対決できないことが多いのではないだろうか?

神様の愛を、イエスの愛を頂きたい、
そのように心から思わされました。

主よ、
どうか、あなたの愛の中に生かしてください。
あなたが愛されたように、愛する者とならせてください。
私の心を恐れから解放し、愛で満たしてください。

2009-09-09

大切なことはみんな幼稚園で習った。

今日はホントにどんより。
NYに来ていますが、2時頃外を歩いたら、
雨が降っていました。


昨日の夜は11時過ぎにはもう眠くて、
今日、NYに行く日なので、身支度とかも準備しておけばよかったのですが、
「明日はちょっと早めに起きなきゃ・・・」と思いながら、
寝てしまいました。
そして、予定通り5時過ぎには起きたのですが、
いろいろやっていたら、あっという間に6時10分前。
まずは教会での祈り会ということで、あわてて、家を出たら、
夜の集会の会場の鍵は忘れるは、
持っていくはずだった書類は忘れるは、
時間ができたら翻訳しようと思っていた本も忘れるは・・・。


そのあと、NYで7時半からの祈り会。
今日は夜集会があるから、ギターとか、歌集とか、
いろいろあるから、バスよりも車だな、と思って、車で行ったら、
地元の人しかわからないでしょうが、Route-4が大渋滞。
橋を渡るまで1時間以上かかりました。
着くまではほとんど2時間。
もう本当に踏んだり蹴ったりです。


いやあ、渋滞はもういかんともしがたいですが、「準備はちゃんと前の晩に」は鉄則ですね。
夜が弱い私にはこれは本当にきつい。朝は強い方だから(というか、何だか最近目が覚める・・・年のせい?)、「朝ちょっと早く起きれば大丈夫だろう」となるんですよね。
子供の頃、「明日の準備は夜のうちにやっておくもんだ」ってよく言われましたが、
本当にそうですね。朝、ぱぱ~っと準備ができる日が何回か続くと、
「大丈夫じゃん・・・」って思って、朝あわてて準備をするのが習慣になっています。


思い出してみると、自分は1年しか幼稚園行ってないし、
ここは思い切って、もう一度、幼稚園児に戻って、
ちゃんとすべて前の晩に準備するようにします!(キッパリ宣言!)


さて、9月7日(月)の聖書。
7日はエレミヤ3:1-5。


「それでも、あなたは・・・恥じようともしない。」3節。

「悔い改め」もいつの間にか慣れっこになってしまって、
ただ「帰れば赦してもらえる」と思ってしまうことがある。
三浦綾子さんの「ちいろば先生物語」の中で、
主人公が「あなたは罪はわかっている。でも、あなたは罪にもだえていない」というようなことを言われる場面が出てくる。
自分もそうなってしまうことがどれだけあることか。

でも、考えてみると、本当に自分が罪を深く示されるときって、
なんだか、自分ではコントロール出来ないように思う。
聖書では「聖霊の働き」と言われるけど、
本当にそうなんじゃないかと思う。

いつもは、ぼーっと「これはやばいよなあ、神様喜ばれないよなあ・・・」みたいなレベルで感じていることや、そればかりじゃない、「私は何にも悪くない」という気持ちにとらわれるときもある。

でも、ある時は、本当に「ああ、なんて自分は愚かなんだろうか?」「自分は神様に対してなんてことをしたんだろう」そんな風に思うときがある。

聖霊様がそのように示してくださっているのだと思う。
修養会の前から、まさに、そのように示してくださってきた。

だから、聖霊様の働きに、本当に従順でありたいと思う。
素直に従う者でありたいと思う。

神様、
私の心は今守られているでしょうか。
自分の罪に鈍感になっていないでしょうか?
もしもそうであるならば、あなたが示してください。
あなたが罪を示されるときに、
それに従順に従う者とならせてください。



2009-09-08

「理想的な教会?」

夜になりました。
順調に気温は下がって、今8時半ですが、20.7度。
曇っているおかげで冷え込みはしませんが、
朝は15度くらいまで下がるでしょう。


今日、自動的に録画されていた昨日のフジサンケイのニュースに
9月3日の記事に書いた、ハジの大学のSwine Fluの話が紹介されていました。
残念ながら(?)ハジは出てきませんでしたが、
ニュース自体はこちらのリンクから見ることができます。
さっき電話で話したら、結構周りにも感染した友だちがいるようです。
心配はしていませんが、元気でやっていて欲しいものです。


ついでに9月3日のニュースのアメリカの公的資金を受けた企業のCEOの平均年俸の話を見ましたが、1300万ドル以上!?だって。ひどーい。預金しても、金利はほとんどないような状態なのにねえ。どういう感覚なんでしょう。フツーの感覚が麻痺しているんでしょうか?


腹が立つ話はこれくらいにして、
神様に取り扱われた話。
修養会の最後の集会は、
「理想的な教会」という題のメッセージ。


普通、このような話だと、
整えられた教会の話になるかと思ったら、
趙先生が話してくださったのは、
「理想的な教会は、病院に病人が行くように、問題を持っている人が行きたくなる、そのような人が受け入れられる教会です」ということでした。
これは自分にとって、開会礼拝の中で自分が話した、「私たちの常識にチャレンジする」神の御業でした。
最近の私は、いろんな出来事を経験してきた中で、
無意識の中で「いい人」の教会を目指していたのかもしれません。


問題を恐れて、問題が起きないようにと一生懸命だったのかもしれません。
教会は霊的な病院である、というメッセージに本当に悔い改めさせられました。


Jim Cymbalaは「祈り会は霊的なERである」と言いました。




神様の救いの御業を見せて頂けるように、
祈りつつ歩んでいきたいと思いました。



趙先生が神様の導きを感じて、
メッセージの後に、牧師夫妻のために祈ろう、と
皆さんを招いてくださいました。
その後、役員のために祈り、お互いのために祈る幸いな一時となりました。
「教会」を感じた一時でした。
感謝します。


さて、日曜日、9月6日の聖書。
エレミヤ2:29-37でした。


「おとめが自分の飾り物を忘れ、花嫁が自分の飾り帯を忘れるだろうか。それなのに、わたしの民がわたしを忘れた日数は数えきれない。」32節。

おとめのたとえ、花嫁のたとえは、
かれらは、本当に「あたりまえ」のように、
自分にとって大切なものを大切にして、忘れない、というたとえですよね。
それに対して、イスラエルの人々は神様を忘れてしまっていると。
それを本当に自分の生活に当てはめてみると、
もしも、神様を忘れてしまっている瞬間があるとするならば、
それは、本当に神様が「自分にとって大切な存在なんだろうか」
本当に自分は神様を大切思っているんだろうか、
それが問われているように思いました。
「神様のことを忘れないようにしなければいけない」ではなくて、
「神様のことを忘れるはずがない」というのが本当なんじゃないかと。
だったら、「忘れないようにがんばろう」「忘れないように気をつけよう」ではなくて、やはり、神様の愛、神様の救いの素晴らしさ、神様に愛され、罪赦され、生かされていることの素晴らしさをもっともっと深く知って、自然に「神様のことを忘れるわけがない」という思いにとらわれるようになることを求めるべきなんじゃないかと思ったのです。
主がどれほど大きな愛を持って、私たちを神の子としてくださったのか、
どれほど大きな犠牲を払って、私たちの罪を赦してくださったのか、
私がもっともっと深く知ることができますように。
私がもっともっと深く味わうことができますように。
主よ、
あなたの愛を感謝します。
あなたの救いを感謝します。
もっともっと深くあなたを知る者とならせてください。

試練に包まれた祝福。

さて、今日2回目の更新。


修養会で、主は趙南洙先生を通して、豊かに語ってくださいました。
近いうちに教会のHPでメッセージが聞けるようになると思います。


一つ、本当に心にとどまった言葉。
「すべてのことについて感謝しなさい」という聖書の言葉を解き明かされる中で語られました。


「『祝福』は『試練』という包み紙に包まれて届けられる」


そして、そこから語られた、先生ご自身の通られた試練と祝福。
次に試練がやってきたときには、その包み紙の中身を見せて頂くことを楽しみにしながら受け取ることができますように。・・・できるかな・・・。


さて、9/5(土)の聖書。
エレミヤ2:20-28でした。


「しかし、あなたは言う。『あきらめられません。私は他国の男たちが好きです。それについて行きたいのです』と。」26節。

いやあ、ぎょっとする言葉ですね。
でも、この言葉が私の心に深く刺さりました。
神様以外のものを求めてしまう愚かさ、
神様以外のものによって心を満たそうとする愚かさ、
神様が与えてくださったもの以外のもので心を満たそうとする愚かさ、
それを思わされました。

自分も、神様にそういう態度をとっていないだろうかと、
と思い知らされました。

主よ、
あなたによって心を満たしてください。
あなたご自身を求め、
あなたが与えてくださったもの、
あなたが与えてくださった立場、
あなたが与えてくださったパートナー、
あなたが与えてくださった人々、
あなたが与えてくださった人生、
それを喜びとする者とならせてください。

主の胸の内。

今日は一日どんより。
そして一日長袖がちょうどいい
涼しい一日でした。


でも、これからはいつ泣き出してもいい、
日本の梅雨のような日が続きそうです。


9月4日の聖書。
修養会のことも関係あるので、
まとめて書きます。


エレミヤ2:9-19を読みました。
「 わたしの民は二つの悪を行った。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。」13節。
「今、ナイル川の水を飲みにエジプトの道に向かうとは、いったいどうしたことか。ユーフラテス川の水を飲みにアッシリヤの道に向かうとは、いったいどうしたことか。」18節。

今回、修養会の開会礼拝のために準備していたときに、
イエスが弟子達のために持ったリトリート、マタイ16章後半から17章前半のところに導かれました。
そして、3つのことを主に期待しよう、とお話ししました。

1.主が胸の内を明らかにしてくださる。
2.私たちの常識にチャレンジしてくださる。
3.従うことを教えてくださる。

しかし、3日の記事でも分かち合いましたが、
主は修養会が始まる前、先生が来られたときから、
私を取り扱い始められました。

その中で、示されたのが、「夫婦の関係の祝福を求めること」でした。

私の泉は神様です。イエスの救いです。その泉ある神様が与えて、導いてくださった人である妻との関係の祝福を求めなさい、という語りかけでした。

結婚の時に「主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。」という使徒行伝11:21の言葉が与えられていました。
この言葉は私たちに特別に語られた言葉です。他の人にとっては違うかもしれませんが、私たちにとっては、伝道の祝福は夫婦の祝福にかかっていると、その時に語られていました。

そのことを思い出させられて、自分自身の態度を悔い改めさせられました。
スタートに立ったところです。
まだまだこれから癒されなければならないことがたくさんあると思います。
主が守り、導いてくださいますように。

主よ、
あなたの胸の内を明らかにしてくださってありがとうございます。
どうか、私の心を守ってください。
愛することを教えてください。

2009-09-07

修養会感謝。

今日までのファミリー修養会(Retreat)、
とても祝福されました。
私自身、一人の人間としては、修養会前から始まって、
本当に深く深く取り扱われたので、
またゆっくりいろんなことを分かち合いたいと思いますが、
また牧師としては、皆さんがどのように取り扱われたのかを、
知っておくことも、本当に大切だな、と思わされています。

私自身、先生と今夜も個人的にお話しをする時間が与えられて、
フォローアップして頂いたのですが、
私もそのような働きをさせて頂きたいと思います。

「日々のみことば」もまたたまってきたのですが、
明日の朝、先生をお送りするので、
ちゃんと寝ておきたいと思います。

本当に心から主に感謝して。

リトリートちう・・・でした。

2009-09-05

初めの愛に帰る。

今日は結構暑くなりました。
朝から15度近くありましたし、
昼間は29度まで上がりました。
そして、今、夜の12時頃ですが、まだ20度以上あります。


明日も晴れで、そこそこ暑くなりそうです。
でも、日曜日からはまた涼しいようですよ。


本格的な秋は再来週からのようですが・・・。
そこら辺には最低1ケタ、最高20度なんて予報が出ていますが、
さて、どうなるか。


いよいよ、明日から、ファミリー修養会です。
主がどんなに素晴らしいことをしてくださるか、楽しみです。
祈りつつ、待ち望んでいます。
世界各地からのお祈りのサポートもお願いします。


さて、昨日9月3日(木)の聖書。
エレミヤ2:1-8。


「わたしは、あなたの若かったころの誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地でのわたしへの従順を覚えている。」2節。

昨日も触れましたが、
昨日の朝、この聖書の言葉から、
本当に心が探られて、
悔い改めに導かれました。

主に対する真実、
妻に対する真実、
子供たちに対する真実、
教会の人々に対する真実、
地域の人々に対する真実、
本当にそこに生かして頂きたいと思いました。


自分の力ではない、
主の力が必要です。
主の奇跡が必要です。

そう、本当に悔い改めて、
一念発起で何かができるわけではない、
自分の弱さ、愚かさに気がついて、
主の力を求めないではいられない。

We need the Holy Spirit badly.
Brooklyn Tabernacleの
Jim Symbara師がよく言われる言葉。
今、思い出しました。
本当にそうです。

主よ、
あなたの前に、自分の最初の愛がどこに行ったのか、
あなたの前の誠実さに生きているだろうか、
問われました。
悔い改めます。
そして、私の自分の力ではどうにもならないものであることを認めます。
どうか、あなたの力を満たしてください。
あなたの奇跡が必要です。
あなたの力が必要です。
明日からの修養会で、更にあなたが触れてくださいますように。

2009-09-03

期待。

今日は昨日よりも朝の気温も高く13度。
昼間は27度までいきました。
今夜はもっと暖かく、10時半を過ぎて、まだ18度あります。


明日も秋と言うよりは夏のような一日となりそうです。


昨日着かれた修養会の講師の先生、
今日もゆっくりお話しをするときが与えられました。
韓国で牧師をされていた先生が、
言葉もわからない日本に伝道に来られた経緯をお伺いして、
本当に感動しました。
ほんとに、文字通り聞きながら涙があふれてきました。


先生と再会してから24時間ですが、この間に神様が私の内側にしてくださっていることを見ると、あさってからの修養会、神様が何か特別なことをしてくださるような気がしてきました。


昨日の夜、先生から、今礼拝に集う方々が230人くらいと伺っていますが、その中で、早朝祈祷会に来られる方々が毎朝30人くらいおられると聞きました。年に2回、「特別早天」をしているそうですが、それは1週間、教会の全員が来られることを願って、持っておられるそうです。実際は130人くらいの方々が毎朝6時にあつまられるそうです。
そんなことを伺いながら、今朝、また新しい気持ちで、6時に教会に行って祈りました。
その中で、悔い改めなければならないことを悔い改め、はっきりと主の前にすべてのことを口に出して告白して、祈りました。いつかこのことも具体的にお話しするときが来たら、分かち合いたいと思います。
その後、祈り終わって外に出たときの空の青いこと。
聖霊さまが働いてくださっているなあと思いながら、一日を始めました。


そんな一日、その日を終えるこの時間も感謝しています。


今日の夕方、ハジの大学からメール。
(「ハジから」じゃなくて「大学から」)
今、学生の中で200人がH1N1(swine flu)だそうです。
今、ジョージア州は一番感染者が多いそうです。


大学では「感染者はできれば家に帰りなさい」と言うことだそうですが、
ウチの子のように車で14時間の子はそれもできません。


それで、感染者用のスペースができたそうです。
「簡易隔離病棟」みたいな感じ?
もちろん、「強制隔離」はしませんよ~みたいな文章もありましたが、
この秋、壊す予定になっていた寮を、学長の決裁で壊すのを延期して、
感染した学生にはそこに移ってもらって、
他の学生への感染を最小限に留めるためだそうです。
ですよねえ。
大学の寮なんて、「感染広まってくださ~い」みたいな、環境ですからねえ。


幸い重症化した学生はいないようですが、
祈らされます。


さて、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ1:11-19でした。


「さあ、あなたは腰に帯を締め、立ち上がって、わたしがあなたに命じることをみな語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く。」17節。

はっきりと語らないと、あなた自身が裁きを受ける、と主はエレミヤに言われました。
これはまたすごいことですね。
本当に主に従うことの大切さを教えられました。

結局のところは主を畏れるのか、人を恐れるのかどっちか、ということでしょう。
主に従っていきたいと思わされました。
主が願われること、主が語りなさいと言われること、
主が導かれることを大胆に語っていくことができますように、
そのように祈らされました。

主よ、
あなたの導きに感謝します。
聖霊様の働きに感謝します。
どうか、あなたの導きに従順な者にしてください。
あなたの語られることを語る者とならせてください。

2009-09-02

講師の先生、無事到着。

土曜日からのファミリー修養会の講師の先生が無事到着されました。
ほんの2、3時間、お話ししただけなのですが、その中に、慰めあり、励ましあり。
本当に神様が送ってくださったメッセンジャーだなあと思います。


土曜日からのファミリー修養会。
ゆっくり、じっくり、一時を過ごしたいなあと思いつつ、
楽しみにしています。


さて、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ書に入って1章1-10節。


「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。」9節。

ちょうど、1ヶ月ぶりの集会を控えていた私には、
この神様が「あなたの口に私の言葉を授けたよ」という経験の必要性を思わされました。

そして、それを求めました。
神様が語ってくださる。
神様がメッセージを与えてくださったんだ、と言う確信と平安を求めました。
その中で、主が聖書の箇所を開いてくださいました。

本当に不思議な神様の導きに感謝します。
神様が語ってくださること、
与えてくださるみことばがあるときに、
私の中から恐れや不安は消え去ります。

これからも、いつもいつも、主に語って頂き、
主に示して頂き、そのことを分かち合っていく、
そのように生かして頂きたいと思います。

主よ、
あなたがいてくださるから、
あなたがみことばを語ってくださるからありがとうございます。
どうか、これからもあなたの語られることに耳を傾け、
あなたが語ってくださったことを分かち合っていく、
そのようなメッセンジャーにならせてください。

かきごおりのモデルデビュー。

今朝の最低は10.7度。
そして、昼間の最高は26.4度。
スカッと晴れたいい天気でした。
今は夜の11時前。また16.2度まで下がってきています。
明日の朝も11-12度くらいでしょう。


昼間はまた今日と同じように晴れて暖かくなりそうです。


さて、今日はまたクロッキー教室の日。
このクラスでは毎回誰かがモデルになって、
人物画を書きます。
7月には私も生まれて初めてモデルになりました。
この日の様子が指導してくださるアーティストの方のこのブログに紹介されています。
(ご本人は「隠れブログ」と言っておられましたが・・・)
そして皆さんの作品の写真も・・・。


8月はサキにもモデルをやらせてくださいました。


そして、今日のモデルは生まれてまだ1歳になっていない子。
でも、もう人見知りはするので、ちょっと不安になるとお母さんを求めます。


モデルをしてもらっている最中に不安になって泣き出してしまいました。
他の人が抱いてもなかなか収まりません。
でも、やっぱりお母さんが抱くと「ぴたっ」と泣きやむんですね。
親に対する絶対的な信頼。
私たちも幼子が母親を信頼するように神を信頼しなさいと言われます。


本当に母親の胸に安心して身をゆだねる赤ん坊のように、
神様を信頼することができるとは、何という幸せでしょうか。


さて、8月30-31日の聖書。
この2日間で詩篇の77篇を読みました。


「私のたましいは慰めを拒んだ。私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。」2-3節。


「私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。」12節。

苦しみに沈んでいたこの詩人、
慰めを拒み、神を思うと嘆いていたこの詩人。
彼の思いが変えられていくきっかけは、
「主のなさったことを思いめぐらそう」ということでした。

神様がどんなに素晴らしいことを今までしてくださったか。

私たちはすぐに忘れてしまいます。

詩篇103篇に「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とありますが、
なんと忘れやすい者でしょうか。

そして、目先の痛みや苦しみに心がふさがれてしまうのです。
だから、心を神様のしてくださったことに向けることは
どんなに大切なことかと思います。
「静か」な時を持つことがどれほど大切なことかと思います。

「静まって、主こそ神であることを知れ。」詩篇46:10。

主よ、
静まります。
すべてのことをやめて、あなたに目を上げます。
あなたの御手に目を留めます。
どうか、あなたのなしてくださった素晴らしいことを覚える時とならせてください。
試練の中で、困難の中で、嵐の中で、あなたご自身を見せてください。

2009-09-01

耳年齢、脳年齢・・・。

ちょっと前に、教会の若い子が、
耳年齢チェックをみんなにやっていました。


スピーカーとか、ヘッドホンとか、どれくらいのレンジで音を出すのかというと、
だいたい、20ヘルツから2万ヘルツですよね。
ちょっと安いので16000ヘルツまでなんて言うのがあると、
「なんだそれ・・・」とか思っていました。


でも、耳年齢を測るサイトに行ってみると、
もう、自分は16000ヘルツは聞こえません。
でも、その上の15000ヘルツは聞こえます。
これが聞こえたら耳年齢は39歳以下、
というわけですから、まあ満足しなければいけませんね。


それから、DSでブレイクした川島教授の脳トレですが、
iPhone版もそれほど高くない値段で出てきたので、
購入して脳を鍛えています。
今のところ、38歳。一度は33歳まで行きました。(ちょっと自慢・・・)


精神年齢はかなりオヤジみたいですし、
体力も体脂肪も老眼も実際の年齢よりもヤバイかもしれませんが、
そっち系も負けないように鍛えようかな、と思い始めています。


さて、8月29日(土)の聖書。
土曜日は詩篇の76篇でした。


「あなたは、あなたは、恐ろしい方。あなたが怒られたら、だれが御前に立ちえましょう。」7節。

やはり、そうなんですよね。
神様の前に畏れを感じる。
神の怒りの前では本当に私たちは立つことができない。

神様との親しい関係の中で、
いつの間にか甘えが出てきてしまって、
いつの間にか、何でも簡単に赦されるような気がしてしまって、
いることがある。

罪の深刻さがわかってこそ、
神の厳しさ、神の怒りの恐ろしさ、それがわかってこそ、
神のあわれみとイエスの愛がわかってくる。

神様の大きさ、神様の峻厳を忘れないでいたい。

主よ、
あなたの前にいつもいつも歩んでいくことができましょうに。
あなたの前の畏れをいつもいつも忘れることがありませんように。
どんなに深い愛の中にいるかを見失ってしまうことがありませんように。

みことばと祈りのために。

今日も朝はひんやり、昼間は晴れて気持ちよく・・・
というさわやかな日でした。でもやっぱり夜はまた寒いくらい。
今は9時過ぎですが、16度に下がってきています。


明日の朝はやはり10度ソコソコ。
天気もよくて、ちょっと汗ばむくらいになりそうです。


週末の修養会もとてもいい天気に恵まれそうな感じです。
朝晩は今夜(現地は6度の予報が出ています)ほどではないですが、
やはり寒さ対策は必要でしょう。


最近、牧会とメッセージとのバランスについて考えさせられています。
メッセージ、説教が牧師の働きの中でとても大切だと思うのですが、
それと共に一人一人の心の状態に気を配って(もちろん気がつかないことだらけですが・・・)、
声を掛けていくことの大切さも思わされます。


恩師の先生は「説教を通して、牧会をする」というスタンスでおられました。
200人くらいの人々が集る教会でしたが、
礼拝説教、みことばを語ることによって、
その一人一人が答えを見つけていく、
牧師が一人一人の状態に心を配って、サポートしていくのには
限界がある。そうすると、一人で牧会できる人数は決まってくる、
200人の人々に触れるのは絶対無理。
だから、一人一人が説教の中から、答えをもらえるように、
そういうクリスチャンを育てていくのだというような意味のことを、
おっしゃっていたと思います。


一つのあり方だと思います。


牧師になって、一つの教会を任されて12年。


そのように説教だけに集中することの素晴らしさも感じさせられますが、
それと共に、一人一人との交わりの中で、主を指し示していくことの大切さを思わされます。
しかし、その限界も感じます。
もどかしさ、難しさも感じます。


だから、やはり、みことばと祈りなんだと思います。
「そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」使徒6:4


一人一人が、神様から、みことばから答えを頂いて、
一つ一つの問題の中で、平安と守りを頂いていくことができますように。


さて、8月28日(金)の聖書。
詩篇の75篇でした。


「それは、神が、さばく方であり、これを低くし、かれを高く上げられるからだ。」7節。

やはり、これも神様の支配を思わされる言葉です。
高ぶる者たちの仕打ちで苦しんでいた詩人にとって、
神様がすべてを支配している、ということはものすごい救いだったと思います。
主がすべてを支配しているから、これもいつまでもは続かない。
この状態がいつまでも続くわけがない。
そのように詩人は信じることができました。

私たちの歩みにとっても同じです。
本当に主の支配をどこまで信頼しているかが問われていると思います。

信じます。信頼します。
神様がすべてを御手の中に置いてくださっていることを。
ですから、恐れません。不安に思いません。
大丈夫。あのエリシャの町を包囲した天の軍隊を思い出します。

神様、
あなたを見上げます。
あなたの支配を信じます。
たとえ傲慢な者たちが跋扈して、
すべてを思いのままに動かしているように見えても、
実際に世界を動かしているのはあなたです。
ですから、私は恐れません。
あなたの御手の中に、私の安全も平安もすべてゆだねます。

神の支配を信頼する。

今日から少しずつ、教会のプログラムも
夏休みモードから通常のモードに戻っていきます。
明日から子供たちも学校が始まります。

ハジの大学のほうは先週の木曜日から始まって、
話に聞いていた大学の教科書のべらぼうな高さにはびっくり。

15年前自分が勉強していたのは
Graduate Schoolだったのですが、
そんなことはなかったんですがねええ。

まあ、そんなことでこちらの「日々のいのり」も早く追いついておこうと、
今日は朝から更新です。
それも2日分をまとめて。

8月26日(水)-27日(木)は詩篇74篇でした。


「なぜ、あなたは御手を、右の御手を、引っ込めておられるのですか。」11節
「昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。」16節

26日は11節までで、詩人の本当に深い悩み、心の痛みが吐露されています。
でも、その中に出てくる神様についてのイメージは勘違いです。
神様が御手を引っ込めておられる。
神様は何もしておられない、何もしてくださらない。
神は沈黙しておられる。
神は私のことを見捨てたのだ。
わたしたちもそのように思うことがあります。
でも、それは勘違いです。

詩人は12節以降で、少しずつ目が開かれていきます。
神様の御手が見えてきます。
昼も、夜も神様の御手の中にあることが告白されるのです。
そう、昼もそうですが、
夜も神様の支配の中にあるのです。

人生の夜のようなポイント。
そのような日々。
それもやはり神様の支配の中にあるのです。

そう思ったときに、
私自身もほっとさせられます。
物事がうまくいかないとき、
何か自分に問題があるのではないかと思います。
自分が何か神様に喜ばれない部分があるのではとか、
人々をつまずかせていることがあるのではとか、
もちろん、そういうことをいつも覚えて自分を省みることは忘れないでいたいと思いますが、
それと共に、人生の夜も神様の支配の中にある、
そう思うと、安心して、主の守りの中に歩んで生きたい、
そういう思いにさせられます。

主よ、
あなたがわたしの人生の昼も、
わたしの人生の夜も
支配してくださっていますから、
ありがとうございます。
どうか、これからの歩みの中で、
あなたの御手を信頼して歩んでいくことができますように。
もっともっとあなたを信頼して歩むことができますように。

2009-08-31

ルーツ。

今日は朝ホントにひんやりでした。
気温は確認していませんでしたが、長袖でも寒いくらい。
でも、昼間はまだまだ「秋」という感じではなかったですね。
長袖ではちょっと暑かったです。


子供たちの学校のために文具屋さんに行きましたが、
ものすごい混み方で、レジの行列がすごかったです。


夜になって、15度くらいまで気温が下がってきています。
明日の朝は11度くらいです。


私の本名の姓(最近、どっちが本名かわからなくなってきていますが)、
なかなか一発で読んでくれる人はいません。


小学校の時はまだよかったのですが、
中学にはいると教科ごとに先生が替わるじゃないですか。
名前をちゃんと読んでもらえない。


教会のHPを見ると実名(?)で紹介されているので、
何にも秘密にしませんが、錦織って名前、決してまれな名前じゃないですよね。
15万~30万くらいある姓の中で、全国で1500位~1600位くらいだそうで、
http://park14.wakwak.com/~myj/lanking/zenkoku1b.html
で見ると、藤倉さんや末松さんと同じくらい、
岩倉さんや仁科さん、戸村さん、泉谷さんより多いです。
高校時代のオケにおられた徳安さんの8倍くらいの人口があります。
教会の皆さんの名前を探しても、10000位以内に出てこない方が何家族かあります。
役員のメンバーを見てみると、半分以上が「錦織」よりも少ないです。


でも、問題は読み方ですよね。何が面倒って、
http://www.njg.co.jp/blog_morioka.html?itemid=1203
にあるように、いろんな読み方があります。


そう、去年の今頃は、圭君が(って知り合いじゃないですが・・・)
NYのテニスコートで活躍していたんですよねえ。


彼は「にしこり」だそうですが、他にもいろいろあるみたいですね。
公家が「にしごり」だとは知りませんでしたが・・・
最後の声楽家の健さんの「正しく読まれないから、『にしきおり』を使っている」ってわかります。
もう、私も途中で面倒になりましたからね。


で、なんで、そんな話をしているかというと、
今回NCで泊めて頂いたお宅の御主人は、
最初にお会いしたとき、一発で「にしこおり」を読んでくださったんですね。
それがうれしかったわけです。


その方は島根県出身。私も生まれは大阪、育ちは東京なんですが、
父の実家が島根で、出雲地方です。

で、この「かきごおりにしこおり」は島根県に多いそうで、
なんと、県内では小林、木村などの強豪を抑えて堂々の34位。

でも、休日とはいえ、そんなことで、こんなに時間をかけて、書きたくなるほど、名前を正しく読んでもらったり、覚えてもらうって嬉しいことなんですよね。
これから、人とお会いするときはそのことをもっと心がけよう、と思いました。

「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」イザヤ43:1

さて、8/25(火)の聖書。
オバデヤ書の10-21節でした。

「王権は主のものとなる。」21節。
オバデヤ書の前半の傲慢さへの一番の薬は、
神様を主とする、王とすること。
結局のところ、それにつきるんだろうなあと思います。
私たちは自分が王様、自分が主人、
そのような生き方をしています。
もちろん、人に振り回され、人に気を遣っている人を見ると、
「自分はどうしたいわけ?」と聞きたくなりますが、
確かに、誰か他の人が主人になるのも問題ですが、
じゃあ、自分が主人かというとそれも違う。
そう、私たちの主人は、私たちの人生の王は、神様。
主の導きに従って、主の前にひれ伏して歩んでいくことが、
傲慢にならないためには本当に大切だと思う。
主よ、
どうか、私を守ってください。
傲慢になることがありませんように。
そのために、いつもいつもあなたを主として歩ませてください。

2009-08-30

来週はファミリー修養会。

今は夜の11時前ですが、
外はもう18.4度まで下がっていました。
本当に涼しいです。


でも、今週末、土曜日から月曜日まで持たれるファミリー修養会の会場。
明日の夜の気温の予想は8度です。
そう、1ケタ。
朝晩は寒いくらいですね。
去年は周りの教会と合同で何百人も集った会場で、
今回はウチの教会だけ、小さく集ります。
楽しみです。


でも、風邪ひかないようにしないといけませんね。
参加する皆さんは防寒のご準備をお忘れなく!


さて、また前後しますが、
先週の月曜日。動物園でゆっくりパンダやゴリラを見た後に、
そのまま、NCの知り合いのお宅へ。


私は4年ぶり。家族は6年ぶりくらいの再開になりました。
このご夫妻は、お嬢さんがかつて私たちの教会のメンバーで、
今から12年前に主のもとに召されて行かれました。
そのことがきっかけになって、信仰に導かれ、
今は現地の教会に通いながら信仰を守っておられます。


大歓迎して頂きました。


そして、今回、ご訪問して、12年前のこと、もっと前のことからも、
そして、どんな思いで信仰の歩みをされているか、
初めて、いろいろゆっくりお話しをうかがうチャンスが与えられて、
本当に励まされ、喜びを分かち合いました。


神様は本当に素晴らしい方です。


今回の旅行の中で、本当に特別な特別な一時になりました。


神様に大感謝。


さて、今日2回目の「日々のみことば」
8月24日(月)の聖書。
8月24日はオバデヤ書1-9節。
たった一章しかないこのオバデヤ書はエドムというイスラエルの隣国、
イスラエルと共通の祖先を持つその国に対する神の裁きが宣告される書物です。


「あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き降ろす。」4節。

またまた、傲慢の問題。
自分で傲慢になって高く昇ろうという人に対しては、
神様は「引き下ろす」と言われる。

「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」とイエスも言われた。

いつもいつも注意していなければいけない問題だと思わされた。
傲慢になっていないだろうか?
前日に示されたような「権威」のことに目を向けるときに、
いつの間にか、「権威」を振り回すような者になっていないか、
本当に問われていると思わされる。

無責任ではなく、責任をしっかりと果たしながら、
傲慢にならないように、守られる歩み、
主の憐れみにすがるしかない、と思わされました。

主よ、
どうか、私を守ってください。
傲慢の罪から守ってください。
責任を果たしつつ、謙虚に歩む者とならせてください。

2週間ぶり

今日は朝はものすごい深い霧の中でしたが、
昼頃にはすっかりいい天気になって、
夜は涼しい風が入ってきます。
秋がやってきました。
今夜の最低気温の予想は13度くらい。
明日はさわやかな秋晴れになりそうです。


先週の15年ぶりのアトランタの教会に続いて、
今週は2週間ぶりのNJの教会での礼拝。
やっぱり待ち遠しかったです。
ほとんどの方々とはゆっくりお話しをする時間もなかったですが、
共に主の前に出て、みことばを分かち合えるのは大きな喜びです。


この秋、主がどんなことをしてくださるのか、
楽しみに待ち望んでいます。


8月23日(日)の聖書。
先週の日曜日は第2コリントの最後、13:1-13でした。


「この権威が与えられたのは築き上げるためであって、倒すためではないのです。」10節。

この聖書の箇所を読んだのは1週間前でしたが、
その時に、本当に私に与えられた権威は教会を建て上げるためなのだと、
改めて、確認させられたように思いました。
その責任の重さを感じたのですが、
今日の礼拝後、求道中の方々とお話しをする中で、
牧師の権威の話になりました。

その中で、本当に主が与えてくださっている権威を見失わないでいることの大切さを思わされました。
それは倒すためではなくて、建て上げるため。
反対のことを言うならば、もしも、人が与えられている権威に対して、
それの責任を逃げているならば、教会は建て上げられない。
教会は倒れてしまう。

主が任せてくださっていることがある。
そこに対して、本当に勇気と愛をもって責任を果たしていくべきことがある。
そこにはなかなか理解してもらえないこともあるかもしれない。
納得してもらえないことがあるかもしれない。
パウロのように、逆に非難されることがあるかもしれない。

でも、そこを恐れないで、
祈りつつ、愛を持って、責任を果たしていこうと思わされました。

主よ、
あなたが与えてくださっている、あなたが任せてくださっている権威を
教会を建て上げるために用いさせてください。
あなたの喜ばれる歩みをすることができますように。

2009-08-29

光陰矢のごとし

昨日、今日とよく雨が降りました。
今夜、明日とちょっと蒸し暑いかもしれませんが、
明日の夜からぐっと涼しくなります。
いよいよ秋です。

前後しますが、アトランタでは、元NJにおられたご一家のお宅にお世話になりました。
日曜日はそこに若者達も集まり、楽しい一時。


このご一家、NJに来られる前はアトランタにおられて、
たった1年だけNJに住まわれました。
ですから、アトランタで会う方会う方、
「彼らがアトランタに帰ってきてよかった」と
口々に言われます。
こちらは、「アトランタに戻っちゃった」ですが、
確かに、アトランタの方々としては、
「帰ってきてくれた」ですよね。
そんな、みんなに頼りにされ、愛されているご一家です。


今回、そのNJの1年の中で生まれたのが、もうすぐ3歳になる女の子。
「この子を産むためにNJに行ったようなもの・・・」という感じですが、
NJにおられたときにはまだまだ教会ではおとなしく寝ているだけだったような記憶が。


その子が、今回はいろいろお話しをしてくれるし、とても楽しい子に化けてそだっていました。


帰り際には「さびしくなっちゃうから、帰らないで・・・」とサキの手を握って離そうとしないくらい、楽しく遊んでくれました。


お兄ちゃんももうKindergarten。
自分の子供がもう大学生になるのですから、しょうがないのですが、
本当に光陰矢のごとしです。


さて、8月22日の聖書。
22日は第2コリント12:14-21。


「ですから、私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。」15節。

これはまたすごいですね。
自分のすべてを人々のために、
そして、ただ、コリントの教会のために、
というよりも、その人々の魂のために。

これは確かにイエスが私たちのためにしてくださったこと。
だから、パウロはそのイエスの愛に応えて、
自分も人々のために、そうしたいと思ったのだろう。

ああ、このコリントの教会への手紙を読んでいると、
パウロの情熱を感じる。
パウロの愛を感じる。
対決するくらい大きな愛。
苦言を呈するくらい大きな信頼。
パウロは本当にコリント教会を愛していたんだなあと思う。

以前、コリントの教会への手紙を読んでいるときには、
「きついなあ」「ひどいなあ、この教会・・・」みたいなことしか思わなかったのですが、
今回読みながら、本当にパウロの大きな愛、
神様に与えられた深い愛を感じました。

私もそのような愛を与えて頂きたいです。

主よ、
感謝します。あなたの大きな愛に感謝します。
私にもこのパウロのような愛と、情熱を与えてください。
問題を持つ人を愛する愛を与えてください。

2009-08-27

父と母と子。

いえ、ウチの話じゃなくて、月曜日のパンダの話。


これがパパパンダ。


これがママパンダ


これが子パンダ。

アトランタの動物園。
Bronx Zooなんかに比べると、
とっても小さい。
そして、人が少ない。
駐車場が小さくて、「えっ」と思うくらい車が少ない。

経営努力が足りないといわれたらそれまでかもしれませんが、
お客さんが少ない分、パンダを見るときにもゆっくり見ることができて、
十分楽しませて頂きました。

今から30年余り前、東京は上野動物園でパンダを見たときは、
すごい人の多さで、遠くから、ちょっと見ただけでした。

今回、30年ぶりにパンダを見て、ゆっくりいろいろ見て、
写真もたくさん撮って、とってもミーハーですが、
楽しかったです。

ウチの親子の方は、というと、
さっき、私からの「業務連絡」的なメールに、ハジから返事が来て、
その最後に、「冷蔵庫のところに手紙置いておいたけど気がついた?」だって。


普通のレターサイズの紙1枚にびっしり文字の詰まった手紙。
私も、家族の中でなかなか面と向かって言いたいことが言えないですが、
あいつもそうなんですねえ。


はい、素直にうれしかったです。


いえ、内容はここでは公表しませんが、
結局、父と子、男二人水入らずのキャンプも実現せず、
NJ最後の夜も荷造り。
旅行中も、なかなかそんな雰囲気にならず、
最後まで、「ゆっくり話す」「一緒に祈る」ということができないでいて、
なんだか「こんなんでいいのかなあ」という気持ちでした。


でも、息子の方はこんなものを置いていっていたんですね。
完全にやられてしまいました・・・。


さて、21日(金)の聖書。
21日は第2コリント12:1-13。


「私が高ぶることがないように・・・」7節。

これですよね。これ。
神様はパウロが高ぶることがないように、
一つの肉体の弱さを準備された、といいます。
そして、それをあえて取り除かれなかったというのです。

それくらい、高ぶりは危険。
高ぶりから守られるためだったら、
弱さや痛み、失敗は祝福でもあるんですね。

私も本当にこの面での弱さを感じます。

その弱さをいつもいつも忘れないで、
高ぶりにとらわれていないか、
自分を振り返ることを忘れないようにと思います。

主よ、
私の心を守ってください。
私が高慢にならないように、守ってください。
どうか、私があなたの僕として、あなたの力を喜ぶことができますように。

無事帰宅、感謝。

今日のNJは涼しいですね~。
そう、午後3時過ぎ、無事、NJに戻りました。
1週間ぶりに家のドアを開けると、
すぐに空気の入れ換えが必要な状態でしたが、
この天気だったので助かりました。
感謝。


今夜は15度くらいまで下がるようです。


そして東海上のダニー君ですが、
強くもならず、西にも進まず、
大きな影響はないようです。


でも、西から進んでくる前線の影響で、
明日の午後から土曜日は雨のようです。


1週間かけて、息子をアトランタに送って、
アトランタや行き帰りにいろんな方々にお会い出来ました。
幸いな1週間でした。
お祈りくださった皆様、
迎えてくださった皆様、
これから、ハジと共に歩んでくださる皆様、
NJの僕らと共にこれからも歩んでくださる皆様、
心から感謝します。


ありがとうございました。


さて、聖書は8月20日(木)出発の日の分ですね。
またまた丸々1週間遅れました。


第2コリント11:16-33でした。


「 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。」28-29節。

家族と共に過ごす休暇の始まりの日に、
この聖書の箇所が与えられたということはどういうことなのかと思いました。

普通の感覚だと、休暇は仕事のことをすべて忘れて、過ごすべき、
そのように思います。
でも、今回このように帰ってきてから振り返ってみても、
主がいつもいつも教会のことを忘れないように、
主を見上げ、家族と時間を過ごす中で、
また久しぶりにお会いする方々と幸いな一時を過ごす中に、
いつもいつも教会の一人一人のことを忘れないようにされていることを感じました。

視界からちょっと外しておこうとする自分がいても、
主がそれを赦されないことを感じていました。

わかりません。
何が一番正しいのか。
どのように休暇を過ごすべきなのか。
でも、わかることは、
今回、主が私が教会のことを忘れることがないように、
いつもいつも、思い出させてくださっていて、
それが自分にとっても、決して苦痛ではなかったということ。

もちろん、遠く離れているが故に、
面と向かって話せないもどかしさや、
オフィスに行って仕事ができないもどかしさも
感じていました。

自分の家のように資料がすぐ手にはいるわけではない、
もどかしさもありました。

その点でも、コリントから遠く離れながら、
でも、彼らのことが心にかかって、
一生懸命、牧会の手紙を書いたパウロ。
今と違って、手紙が届くまで、その返事が戻ってくるまで、
何日も、何週間もかかった時代。
そのパウロの思いを少し感じました。

主よ、
今も、教会の一人一人のことを、行き巡ってください。
どうか、あなたが一人一人に御言葉を持って解決を与えてください。
みことばによって平安を頂く経験をすることができますように。