2009-01-22

なんでか車が動かない。



今日は昨日より暖かいのですが、
それでも寒かったです。


今朝はやっぱり-10度くらいまで下がったし、
今日の午前中の教会での祈り会もなんだか暖房の利きが悪くて寒いし、
午後も風が冷たいし。
夜もNYはそれほどでもなかったのですが、
NJに帰ってきたら-5度だし・・・。


明日はもうちょっと暖かくなる様です。
最高気温が8度くらい。
でも、夜にはまた冷え込んでくるようで、
ENJOY the Warmthですね。


今朝、ウチの車で娘を学校に送ろうと思ったら、
セルは回るのですが、エンジンがかからない。
かかりそうでかからない、というのではなくて、
全然かかりそうではない。
セルが回るからバッテリーじゃない。・・・と思う。
セルが回ると、かかりが悪い時も、
ふつうは「おっとっと」って感じはしますよねえ。
それもない。
反応がない。


ずっとベルトがキュルキュル音を立てていたので、
とうとう切れたかなあとも思いましたが、
見える範囲ではそうでもないようですし・・・。


とにかく動かないので、修理屋さんにも持っていけない。
レッカーに来てもらわなければいけません。(泣)
外で動かなくなったのではなかったのが救いですが・・・。


明日の朝と夕方、のんちの送り迎えもしなきゃです。


こういうことがあると、
日本のような車検のなく、中古車がやたら高いアメリカでは、
車がわからない人は新車の方が結局割安(安心料込み)・・・かな、とも考えるのですが、
(以前は2500ドルで買った車が3ヶ月しか持たなかったこともあるし・・・)
ただただ、ひたすら、今回の修理が高くつかないことを祈るのみです。


そうそう、車と言えば、教会の車の方、
このあいだ、土曜日の寒い日の夕方、
出先で窓が閉まらなくなって焦りました。


この車、このトラブル、結構何回もあって、
冷や冷やさせられます。
でも、何回も経験があるので、「大丈夫、結局動くから・・・」

でも、この時は焦りました。
何と言っても氷点下6度くらいの寒さの中ですからねえ。
窓全開ですよ。
エンジンを切って再スタートを3回位しているうちに動きましたが・・・。


でもこう言う時にはパワーウィンドウもどんなもんかな、と思います。
昔の手動のだったらこういうことはないのに・・・と。


大雨の中オープンカーが閉じなくなった話とか、
聞いたことがありますが、
極寒の中で窓が閉まらないというのもコワイですよねえ。


もう怖くて二度と車の窓は開けられません。


さて、昨日の聖書。


昨日はヨハネによる福音書6:60-71でした。


「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。」68節。

私たちはイエスが命の言葉を持っていると知っている。
でも、知っていながら、イエスのところではなくて、
聖書ではなくて、他のところに答えを求めてしまうことが、
どれだけあるだろうかと思わされました。

聖書はもうわかっている・・・みたいな傲慢な気持ちになってしまって、
聖書以外に新鮮な言葉を求めていることがどれだけあるだろうか。

アテネの町の人々が、
何か目新しい話を聞きたいと、
いつもいつも求めていたと聖書には書かれていますが、
自分たちもそれを求めていないかと。

でも、本当の救いは、本当の命の言葉は、
ここにある。
イエスのところにあり、聖書にある。

聖書も本当に神さまがそこから語られると、
いつでも新鮮で、いつでも力強い。

その聖書の言葉の力を知る経験を、
もっともっとさせて頂きたいと思う。

主よ、
聖書の言葉を私たちに与えてくださってありがとうございます。
いつもいつも新鮮な、この言葉の力を、見逃していることが
どれだけ多いことかと思います。
どうか、あなたのみことばの力をもっと経験させてください。

2009-01-21

今日も寒い~。

なんだかとっても寒いです。
一日氷点下でした。
朝は-10度。
夜は今深夜の12時ですが、
-8度くらいまで下がっています。

明日も時間がなさそうなので、
今日の更新はしておきたいのですが、
ちょっと眠いので、やっぱり明日。

zzz...

2009-01-20

45年後のDreamの実現。



今朝は-9度。
またまた冷え込みました。
昼間も0度くらいで、夜10時前ですが、今は-6.1度。
明日の朝は-10度くらいだと思います。


そんな寒い中、
さっき、ハジの運転の練習につきあいました。
NJの場合は16歳からPermitを取ることができます。
「試験のための練習」というヤツで運転できる大人が隣に乗ります。
厳密に言うと3年以上の運転経験がある大人、です。


そうすれば公道で練習できてしまうわけです。


16歳の場合は6時間の公認の「教習指導者」のレッスンが必要なのですが、
あと3週間で18歳(!)のハジにはそれが必要なく、
ほとんどの友だちがもう免許持っているというのに、
なかなかその気にならなかったハジは、今日Permitをもらってきて、
早速今夜から練習です。


いやあ、コワイ・・・。


早く安心して乗れるようになって欲しいです。


今日はオバマ大統領の就任式。
子供たちもみんな学校で見ていたようですが、
私はちょっと用事があって、見れませんでした。
後から、いろいろアップロードされているビデオを見て、
「ふん、ふん・・・」です。


でも、やはり史上初のAfrican Americanの血をひく大統領。
これはものすごいことだと思います。
私のようにその時代を知らない者にはわからないことなのだと思いますが、
ほんの45年前・・・(うーん、昨日もこの数字出てきた・・・)
まだバスに乗るのにも席が別だとか、人種によって座る優先度が違うとか、
そんなことがあって、


そんな中であのMartin Luther King Jr.が
”I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.”
と言ったそのDreamが、まさに実現したのですよね。


今回オバマ大統領が、選出された時に、
まさに彼は「African Americanだから」選ばれたのではなくて、
人種がどうとかということではなくて、
彼のcharacterを見て、彼を信頼して、任せよう、
と国民が決意をしたんですよね。


だから、彼を「初のAfrican Americanの大統領」として
騒ぐことにはちょっと違和感があったりします。
そういうことを超える時代がやっと来たんだということは、
うれしいのですが、やはり彼を人間として期待して、信頼して、
楽しみにしていきたいと思います。


人間としての弱さや、失敗とは決して無縁ではないでしょう。
政策的にどうかな、ということも出てくると思います。


理想を押しつけている人、
自分のイメージのヒーローを投影している人は、
必ずがっかりして去っていくでしょう。


共に歩んでいくリーダーとして期待していきたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書6章41-59節。


「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」53節。

いやあ、これを聞いて、十字架の前の時代の人たちは、
何がなんだかわからなかっただろうなあと思います。

今の私たちは、「ああ、これは十字架のことを言っているんだなあ」とわかるのですが、
当時の人たちはわからなかっただろうなあと思います。

そして、後になってわかる人にはわかった、という感じなのだと思います。

同じヨハネによる福音書の中に、
イエスがペテロに言われた言葉で、
「あなた方はいまはわからなくても、後でわかるようになる」という言葉があります。

今の私たちにも同じことが言えるのだろうと思います。
今はわからなくても、今にわかるようになる。

私の歩みの中にもどれだけそういうことがあっただろうか、
そしてこれからもあるだろうかと思います。

主を信頼して、わからなくても信頼して、
従っていこうと思いました。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたがなさること、今はわからなくても、
やがてわかる日が来ると信じます。
そして、わからなくてもあなたに従う者としてください。

2009-01-19

寄り添う。



雪はすっかり止みました。
でも、すっかり止んだが故に、冷えてきました。
今、夜の11時半ですが、-3.6度。
7時頃は0度くらいでしたから、1時間1度くらいの勢いで下がってきています。
明日の朝はまた氷点下8-10度くらいまで下がると思います。


そして、明日は新しい大統領の就任の日ですが、
こちらは一日氷点下の真冬日になりそうです。
ワシントンもかなり寒い就任式になるでしょう。


ここしばらく雪が続きましたが、
今週はこの後は大丈夫みたいです。


来週の前半に次の雪のチャンス(?)があります。


さっきまで、TV-JapanでNHKの「プロフェッショナル」をやっていましたが、
今日は私と同じ45歳の人。
いつももう少し上の世代の方々が出られるので、
「いい目標」だったのですが、
今日は本当にうなってしまいました。


福井県の人口3000人の山村で働く診療所の医師。


彼が本当にプロ意識を持って、真剣に、
でも、本当に暖かい心を持って
村の人たちに寄り添って歩んでおられる姿。


総合病院のお医者さんの働きは、
どうしても患者さんの人生に垂直に交わり、
一つの病気というポイントで関わるだけで、
過ぎ去っていく。


でも、山村の診療所の医師の働きは、
一人の人の人生に寄り添っていくもの。


私自身の働きもそれに似たものがありながら、
彼ほどの暖かさや、愛や、信頼関係の中で、
仕えてきただろうかと、恥ずかしささえ覚えました。


そう、今からでも、そのことを大切にしていきたい。
一人一人の人生に寄り添う働きをさせて頂きたい、
この地域の日本語を使う方々の人生に、
寄り添っていくような働きをさせて頂きたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書6章30-40節。


「わたしがいのちのパンです。」35節。

昨日の聖書箇所で、
「信じることが『永遠の命に至る食物のために働くこと』」とありましたが、
「では信じることができるようにしるしを見せてください」という人々、
「モーセがマナという不思議な食物で砂漠を旅する民を養ったように、あなたも、そのような不思議なわざをしてください」と言う人々に対して、
イエスが言われたことです。

「私はもっとすごい食物を与えよう、それが命のパンである。それは私自身なのだ」とイエスは言ったのです。「信じたければ、私を見なさい」と言われたのです。

やはり、それはこの後にも出てくると思いますが、
イエスの十字架のことを指しています。
それが、どんなにすばらしいものか、それによってどれほどの力が与えられるか。

イエスによる命。イエスを知ることによって与えられる喜び、イエスと出会うことによって作りかえられる人生。

それをもっともっと、知りたい、と思います。
もっともっと喜びをいただきたいと思います。

主よ、
あなたの与えられる命に感謝します。
もっともっと私の人生を通して、イエスの十字架の力があらわれるように、もっともっとその意味の深さ、その喜びの大きさを経験させてください。

同労者としての出発。



今朝はまた冷え込みました。
-8.5度。
なんだか、それくらいの気温にはあっという間に下がるという感じです。


日中の最高気温は3.4度まで上がりましたが、
午後からはまた雪。
また2センチくらい積もるのでしょうか。


昨日は教会の総会でした。
教会の総会は、
一年を振り返り、感謝すべきことを感謝し、
反省すべきことを反省し、
新しい一年に共に踏み出していくために、
同労者として、心を一つにする時だと思います。


総会が単に「組織として年に一回やっておくべきこと」にならないで、
「さあ、新しい地に踏み出していこう」ということになるようにと
いつも願ってきました。


今年は共に祈る一時を持つことができたこと、
とてもよかったです。


2時間くらいかかってしまいました。
皆さんが捧げてくださった大切な時間、
心から感謝します!


さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネによる福音書6章16-29節でした。


「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」27節。

昨日の日曜日の朝、
この聖書の箇所を読みながら、
そうだなあ、そのために働かせて頂きたい、
もっともっとそのために生かして頂きたいと思いました。

そして、その永遠の命に至る食物とは、
イエスを信じることなのだと続いていますが、
イエスを信じて、信じたように生きる歩みをさせて頂きたいです。

信仰が言葉だけにならないで、
そのまま生き方になっていくように、
自分が語る様に生きる者でありたいと思いました。

特に一番身近なところから愛することを教えて頂きたいです。
遠くにいる人を愛することよりも、近くにいる人を愛することの方が、
難しく思える時があります。

同じように食べるものに苦しんでいる人々にしても、
アメリカのNYの片隅にいる人よりも、
アフリカにいる人の方が愛しやすい。

そんな風に思うことがあります。

イエスを信じて、感謝して歩んでいるならば、
信じて、感謝している者として生きる。

その大切さを思わされました。

主よ、
私があなたの永遠の命に至る食物を得るために、
朽ちない働きのために、
時と財とエネルギーを使うことができますように。
信じているなら、信じているような歩みができますように。

2009-01-18

朝も夜も雪。

今日は久しぶりに気温が氷点下を脱して、
昼間の最高気温がプラスの2.2度。
でも、朝起きたら雪が降っていて、5センチくらい積もりました。
そして、夜、教会から帰る時も、雪が降っていて、
こちらも3センチくらい積もっていました。


夜11時頃ですが、そろそろ止みそうです。


明日も一時雪の予報が出ています。

今年はどかんと降ることは余りないのですが、
よく降りますね。


なんだかもうすごく眠いので、
更新はまた明日にします。

一日を主に感謝しつつ。

2009-01-17

お、惜しい・・・。

今朝ですが、ホントに寒かったです。
車に乗ってても手が悴んでしょうがなかったです。

そこで、今日の最低気温、
何と-17.7度C。
これを華氏に直すと、0.14度。
あとちょっと冷えて、-17.8度Cだったら、-0.04度Fで、
記念すべき0度F突破だったのですが、
惜しい、あまりにも惜しい。


でも、もうめちゃくちゃ寒くて、0度を超えようが、どうしようが、
寒いものは寒い、って感じでした。


で、昼間は-5.4度まで上がりました。


よるも余り下がらず今11時過ぎで-6.6度。
今夜はこれから雪で、またちょっと薄化粧でしょう。


そう、明日の夜の「マジ本格的な雪」も全然ダメみたいですね。


冬もあと2ヶ月。
これだけ寒くても、「マジ本格的な雪」はなし、ですんでしまうのでしょうか。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネ6章1-15節。


「彼らが十分食べたとき・・・」12節。

5つのパンと2匹の魚、
そんなのがこんなにたくさんの人でどうなるか、
こんなにたくさんの必要があるのに、
これっぽっちでどうなるだろうか?

でも、それが主の御手に陥った時に、
主は豊かに用いられる。
お用いになることができる。

自分に与えられているものがちっぽけでも、
ちっぽけに見えてしまったとしても、
それでダメだと思う必要はない。
「それをここに持ってきなさい」
その声を聞いて、主のもとに差し出すのだ。
その時に、主は私たちの5つのパンと2匹の魚で
5000人の人を満腹にされる。

主よ、
私の差し出すものも、
あなたは豊かに祝福してくださること、
ちっぽけなものを用いてくださることを、
心から感謝します。


どうか、あなたが用いてください。
あなたの願われるところに導いてください。

2009-01-16

底DAY。

今日が寒気の底です。
今朝の最低気温は「固い」と思われていた、
-15度にも及ばず、ー14.3度。


昼間も、思いも寄らず上がって、-6.3度。
冬至から1ヶ月たって、高くなってきた日差しには、
風向きさえ追い風だったら、「お、結構暖かいじゃん」と思うほどでした。
それが、向かい風だったら、やっぱり寒いんですけどね。


でも、今夜は本当にがんばっています。
11時半で、今朝の記録を更新して-14.5度。


明日の朝は是非華氏0度を目指して欲しいです。


日曜日にはちょっと小雪が舞いそうですが、


それよりも注目は月曜日。


東海上を低気圧が発達しながら北上する可能性があり、
そうなると、この冬初めての、「マジ本格的な雪」になります。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書5:30-47


「あなたがたはしばらくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです。」35節。

教会で語られるメッセージの中でも、
「楽しめる」部分もあるだろうと思う。

でも、「楽しむ」だけではすまない部分もある。

そこでどうするか、そこで神の前にひれ伏すか、
楽しむだけだったら良かったんだけど・・・と「さようなら」をするか、
・・・このイエスの周りにいた人たちは、まさにそこに直面させられている。

今の自分はその直面化の機会を先延ばし先延ばしにしていないだろうかと思わされました。

イエスの本当のメッセージをもっともっとストレートに、
もっともっと直面化へと招くように、
語ることができるようにと願いました。

まず、そのためには、自分自身がみことばにどう取り組むか、
みことばにどこまでまっすぐに従えるか、
そこにかかっているのだと思います。

主よ、
みことばの前に、
あなたの前にひれ伏す者でありますように。
自分自身みことばに真剣に取り組み、
その喜び、そのエキサイティングなことを、
伝えていくことのできる者とならせてください。

2009-01-15

結晶。

あんまり鮮明ではないのですが、
じぶんのジャケットの腕の部分の写真。
今朝は-9度で雪が降っていましたから、
雪の結晶が溶けずにいつまでも、原型をとどめています。

東京の雪なんかでは、なかなか経験できないことです。
ですから、自分はここに来るまでは「雪の結晶」の意味がわかりませんでした。

こういう結晶が降ってくるんですよね。

そしてこの結晶、気温によっても変わってくるし、
また、一つ一つの結晶がみんな他の結晶とは違っているそうですね。

そしてこの結晶は6角形。そして、平面状。

面白いですね。

これも神さまからのメッセージ。
「雪は天から送られた手紙である」とは雪の研究の専門家の言葉。
その解読もまたすばらしい神さまへの奉仕なんだと思います。


さて、もう一つのお天気の話題は今夜の寒さ。
さてどこまで行くでしょうか。
今は夜の10時40分ですが、-12.2度です。
目標(って何だい?)は華氏0度(=摂氏に直すと約-18度)
ですが、さてどうなるでしょうか?
心配なのは(ってまた何だい?)、この1時間ほど、気温の下がり方が鈍っています。

あと8-9時間で、そこまで下がるか、ちょっと微妙になってきました。

明日の最高気温は-10度くらいだそうです。
もうこれくらい寒くなると、何がなんだかわからなくなってきます。

でも、ホント、この寒さの中で、
ハドソン川に不時着した飛行機の方々は大変だったでしょうね。
その中で誰も水の中に投げ込まれないで、
無事に脱出できたのは本当に良かったと思います。
ニュースでは「ハドソン川の奇跡」と呼び始めています。

実は昨日、「失敗から学ぶ」というものを読んでいました。
「失敗百選」というものまであるそうです。
過去のたくさんの事故から私たちは何を学ぶかということを
真剣に研究しておられる方々がいます。
危機管理の問題、取り返しのつかない失敗を招かないためにはどうすればいいかという問題、
それをいろいろ考えさせられました。
1982年にワシントンの川の橋に引っかかって落ちた飛行機のこともいろいろ書かれていました。
そのことを今日また思い出していました。

今回は、「奇跡から学ぶ」ですよね。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネ5:19-29でした。

「そして、聞く者は生きるのです」25節
イエスの言葉を聞く者は生きる。
最近だんだん単純にされてきていますが、
じゃあ、主よ、あなたの言葉を聞かせてください、
そのように願い、そのように祈りました。
私は生きたい。
生きている、という実感を持ち続けたい。
だから、主の言葉を聞きたいと思います。
聞き続けていきたいと思います。
主よ、
あなたの言葉を語ってください。
あなたの言葉を聞かせてください。
私を生かしてください。
生きている実感を持って生きたいです。

降りました!


降りましたね。
6時頃一番激しく降っていたと思います。
5センチくらいでしょうか。
軽い、雪印の結晶がばっちりのきれいな雪でした。

雪降るの?

さて、15日になりました。
今日は雪が降る予報が出ていますが、
1時過ぎの段階で、「全然」って感じです。


12時頃NYから帰ってきた時には、
ちらほら降ったりもしたのですが、
どうなんでしょう。


まあ、降っても降らなくても、今日の夕方からはぐーんと冷えてきます。
何度まで下がるでしょうか、氷点下15度くらいは固いと思いますが・・・。


ちなみに今1時20分で-7.4度。
14日の最低は-9.6度でした。


昼間の最高気温はわかりません。
たぶん-4度くらいまで上がったんじゃないでしょうか?


もうここまで来ると何度でも同じかも・・・。


さて、早く寝ないと明日がきついので、
早速14日水曜日の聖書。


14日はヨハネによる福音書5章1-18節でした。


「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」8節。

「治りたいのか?」と言われて、
「誰も助けてくれないから」「他の人が先に行ってしまうから」と言っていた彼に、
イエスは「さあ、床を取り上げて歩け!」と言われたのです。

自分もこの男の人と同じような反応をすることがどれだけあるでしょうか?
「あの人がこうだから・・・」
「誰もやってくれないから・・・」
でも、そんな言い訳ばかり言っている自分に、
主が「さあ、立ち上がりなさい」と言われたように感じました。

もう言い訳はすまい。

主が「立ち上がりなさい」と言われるなら、
立ち上がって、従っていきたいと思います。
もう誰のせいにもしないで、
主に従っていきたいと思います。

主よ、
あなたが語りかけてくださるから、
あなたが私の現実にもチャレンジを与えてくださるから、
ありがとうございます。
「さあ、立ち上がって歩きなさい」という声に従って、歩んでいきます。
あなたが立ち上がる力も与えてくださるから感謝します。

2009-01-14

認められること。

昨夜休む時、12時過ぎだったと思いますが、
-1度くらいでしたが、今朝5時過ぎに起きたら、-8度。
その後6時頃に家を出る時にはもっと下がっていました。


2時頃から4時頃にかけてぐーんと下がったみたいです。
今夜から明日の朝にかけてはパウダースノーみたいです。
氷点下10度くらいで雪が降ります。
内陸に行くとそういうこともよくあるのでしょうが、
こちらでは何年かに1回しかありません。
特に今年は降り始めは雪でも、途中で雨やあられになることが多いです。


風で吹き飛ばされて吹きだまりとかができやすい雪みたいです。


その分、道路には積もらないのでは・・・と思いますが、
お気をつけください。


で、この寒波ですが、15年ぶりといわれますが、
その15年前を調べた人がいました。(そりゃいるわな)
15年前1月19日の記録はこちら。 
自分はまだアトランタにいてそれでも華氏でひと桁(-15度くらい)に下がったのですが、
この地図を見ると、確かにそうです。
そのときのNJはというと華氏で-10度(つまり、摂氏だと-23度)くらいですね。


今回はそれには遠く及ばないみたいです。


今週の初めですが、
日本のテレビで、霊長類の知能や心の発達を研究している方の話を見ました。
その中で、3-6歳くらいの子どもは1日に15個ずつ位のスピードで単語を覚えていく、
と言っていました。すごいスピードですよねえ。
大人はどれくらいなんでしょうか?
意識して勉強していれば別でしょうが、
今は1ヶ月に10個とかそれくらい?


で、他の霊長類の場合もある程度言葉を習得する力があるそうですが、
それは「食べ物をもらえる」ということがその動機だそうです。
イルカやアシカのショーもそうですよねえ。


でも、人間の子供の場合は、別に言葉を覚えたから食べさせてもらえるわけではない、


ふつう・・・。


なのにこんなスピードで言葉を覚えていくのはなぜか。
それは「すごーい」と言ってもらえたり、ほめられたり、するからだそうです。


つまり認められること。


この認められることって、人間が生きていく中で、
本当に不可欠なもの。


子供はもちろんだけど、
大人になっても、特に男は・・・?
(だから、男はいつまでも子供と言われる?)


でも、人間の社会、いつもいつも互いの存在を認めていられるか、
いつもいつも自分の存在は認められていると確認できるかというと、
難しい場合もある。


神さまに認められている、
神さまが認めてくださっている、
という事実は何という福音だろうか。


聖書の中にも「認めてくれ!」という声がたくさん聞こえる。
一番大きなのは放蕩息子のたとえ話に出てくるお兄さん。


「親父、自分はこんなに一生懸命やっているのに認めてくれないのか!?」


そんな父親の言葉は、
「何言っているんだ、おまえは認められているんだよ、一生懸命やる前から、おまえは認められている。ほら、片意地張らないで私の胸に飛び込んでくればいいだろう」というものでした。


このニュースをもっともっと伝えたい、そのように思わされた朝でした。


さて、昨日、火曜日の聖書。
昨日はヨハネ4章43-54節。


「その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。」50節。

しるしと奇跡を見ないと信じないだろうと言われた人々。
でも、ここで、彼はイエスの言われたことを信じて帰っていった。
主はその時にすでに奇跡をなさっていたのだ。

イエスの言葉を信じる信仰。
何か起ったことで信じるのではなくて、
何かが起る前に、起らなくても、信じる信仰。
語られたら、そこに従っていく信仰、
それが今求められているのだと思う。

みことばを信じて、歩んでいく者でありたい。
何か出来事が起きて、それでやっと信じるのではなく、
主を信頼して歩んでいこう。
聖書の言葉を信頼して歩んでいこう。

主よ、
あなたの御言葉を信じます。
あなたが語られることは必ずなることを信頼して歩んでいきます。
見ないで信じる信仰を与えてください。

2009-01-13

いよいよ。

はい、寒波第一弾来ます。
今、夜の11時半過ぎですが、
あと1時間くらいで、ぐんと気温が下がってきます。
明日は一日氷点下。
最高気温も氷点下5度くらいでしょう。

でも、本番は明日の夜ちょっと雪が降って、
木曜日から土曜日にかけて・・・。

さて、どこまで下がるでしょうか。

明日は朝早く起きてNYなので、
更新は明日の午前中、図書館から・・・。

2009-01-12

情熱。



しばらく前からiPhone電子辞書化計画を準備してきましたが、
今日、Best Buyの広告でiTunes Cardが10%OFFという宣伝を見て、
行動に移しました。


45ドルで50ドル分のソフトが買える訳ですから、
これを逃す手はありません。


Costcoなんかで、少しは安く売っているのですが、
10%までは行きません。
(余談ですが、Costcoでは切手も少し安い。)


で、早速そのカードを手に入れて、
まずは「大辞林 」をゲット。
本では8190円だそうですが、
ソフトになると日本のiTunesでは2500円。
それがアメリカのiTunesでは何と21.99ドル。
今の円相場で考えると2000円くらいで買えてしまいます。
そして、10パーセント安くiTunes Cardを手に入れていますから、
実質1800円で買えたことになりますねえ。


次に考えているのは「ウィズダム英和・和英 」です。
こちらも日本では2800円(紙の辞書は2冊で合計6930円)のところが、
アメリカのiTunesでは、23.99ドル。
今の円相場では2150円。10パーセント安くなると、1940円くらい。


ちなみにこれらのソフトを作った会社は新しい会社みたいですが、
その設立者のお一人のブログがこちら 。


私が育ったところのそばにお住まいのようで、
なんだか、親しみを感じます。


でも何よりもこの「大辞林」のインターフェースの秀逸なこと。
紙の辞書は「読む」楽しみを感じることがありますが、
この「大辞林」iPhone版も、その楽しみを感じさせてくれるものです。
本当に情熱を持ってこの仕事をしておられる様子が伝わってきます。


自分の情熱はどこまであるか、
また問われているように感じました。
情熱持って始めたはずのことも、
時間に追われて、いつの間にか、こなすだけで精一杯になっていることもあるかも。




負けないような情熱を持って教会の働きをさせて頂きたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書4章27-42節。


「わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」38節。

2008年は、自分たちが労苦して蒔いた種の刈り取りを他の方に任せることもあった。
反対に、他の方々が蒔いた種の刈り取りをしたこともあった。
そのことを思い出しながら、この聖書の箇所を読みました。

神さまの御手の中に生かされていることを感じました。

そして、これからもどんどん種を蒔くことを、
労苦をすることを、その実が見えなくても、
蒔き続けることをさせて頂きたいと思いました。

もちろん、刈り取りもさせてくださいとも祈りました。
今年、もっともっと刈り取りに加わらせてくださいと。
あと4ヶ月あるとか言っていないで、刈り取らせてくださいと。

主よ、
あなたの御手の中に生かされていることに感謝します。
どうか、私の使命を果たさせてください。
どんなときにも、みことばをストレートに語る者としてください。
どんなときにも、種まきを惜しまない者とならせてください。

健康に感謝。



今朝は-8度。
寒かったです。
でも、昼間は氷点下を脱して1度くらい。


今は夜の9時前ですが、
-5度です。

明日も朝は冷えますが、5度くらいまで上がるようです。


そして、明日の夕方から夜にかけてちょっとにわか雪があって、
その後ぐんと冷えます。
水曜日は一日氷点下。
木曜日にまた雪で冷え込みはゆるみますが、
金曜日は寒波の底に入るみたいです。
金土の朝は-15度、昼間は-10度くらいみたいです。


今日は、先週末にまたBlood Centerから電話がかかってきたので、
2ヶ月ぶりの献血。
今日もばっちりでした。
ヘモグロビン値は前回と同じ15.6。
血管もいいところに刺してくれたみたいで、
5分で400CC、あっという間に終わってしまいました。


でも、その前に問診があって、
いろいろ答えるのですが、
それを答えながら、改めて与えられている健康を覚えました。
「この病気になったことはありますか?」といくつか聞かれるのですが、
本当に何もなく45年半来ました。
交通事故には2回ほど遭いましたが、
体は健康が与えられています。
膝が痛いとか、腰が痛い、とかはありますが、
生活に支障が出るほどではありません。


日頃当たり前になってしまうことですが、
本当に神さまから特別に与えられているんだと思います。
与えられているものは地面に埋めてしまわないで、
ちゃんと使わないと、神さまに怒られちゃいますよね。
大切に使わないと・・・。


さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日はヨハネによる福音書4章15-26節。


「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」23節。

昨日はこのところを読みながら、
礼拝を前にしていましたから、
本当に私たち一人一人がこの神が求めておられる礼拝者になれますように、
と祈らされました。

神さまは私たちがご自身との関係を持つことを
求めておられる、待っておられる。

裸の心で、神さまに前にひれ伏し、
何も飾ることなく、主の前に出る礼拝者。

まず、私自身がそのような礼拝者になれますように。
そして、教会の一人一人がそのような礼拝者となれますように。
そのような方々が起こされていきますように。

主よ、
あなたが待っていてくださいますからありがとうございます。
どうか、心を開いて、あなたの前に出ることができますように、
ホントの自分であなたの前に出ることができますように。
真の礼拝者を与えてください。
真の礼拝者とならせてください。

15年ぶりの寒波。



「朝に更新」とか書いていたのですが、
朝は全く時間が取れなくて、
夜も、時間はあったのですが、
珍しくゆっくりできる夜だったので、
コンピューターの前に座らずにこの時間になっていました。


今朝は車が氷で固まっていたので、
おとなしく家でお祈り。


昼間には気温も上がって、何とか車も出せましたが、
また夜には冷え込んできています。


今は夜の12時過ぎですが、-7度。
でも、今夜は序の口です。
木曜日、金曜日あたりの最高気温の予想が、それくらい。
-10度くらいの予報を出してきているところもあります。
ありえないですよね。昼間で-10度なんて。


でも、今、天気予報の世界でのもっぱらの話題は、
NYで最低気温が華氏で0度(摂氏で-17.7度)まで下がるかです。


前回、これがあったのは1994年だったそうで。
まだ私はその時はNJにはいませんでした。


でも、アトランタでもめちゃくちゃ寒い朝があって、
華氏で確か5度くらいでしたから、その日でしょうね。
摂氏だと-15度くらい。
「どれどれ」と思ってぬれタオルをグルグル回したら、
固くなるかと実験しました。
さすがにバナナを夜放置しておいて、釘を打つ、まではしませんでしたが・・・。


今回、金曜日の朝、土曜日の朝あたりはかなり行きそうです。


さて、土曜日の聖書。
土曜日はヨハネによる福音書4章1-14節でした。


「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり・・・」14節。

ここは、私にとって決定的に大切な言葉です。
イエスが与える水はわたしの内で泉となる。

周りに期待して、誰かに期待して、
満たしてもらおうと思わない。
自分の中に泉を持つことの大切さ。

イエスはその泉を与えようといわれる。
だから、私は自分で一生懸命「自分の中に泉を持とう」と努力するのではなくて、
イエスに泉を求める。
イエスが満たしてくださることを求めていく。

そして、何よりも、
自分にとって、イエスが私のために命を投げ出してくださった、
その愛されている喜びこそが、泉なのだ。

でも、なんだか、それだけではないのだろうと思い始めている。
先週、「イエスがわたしの内に生きていてくださるってこんな感じか」と思った経験。
それが日々与え続けられたら、
自分の力で人を愛することができないことはわかっているのに、
その愛が神さまから与えられて、
それが与えられ続けたら、
それは本当に命の泉なんだろうと思う。

主にもっともっと満たして頂きたい。
もっともっと愛することを教えて頂きたい。
そのように思わされました。

主よ、
あなたを求めます。
私はあなたの水が必要です。
あなたの水で私を満たし、
私が自分の中に泉を持つことができますように。


涸れることのない泉を与えてください。

2009-01-11

雪からFreezing Rainへ

今日(10日)は昼頃から雪。
7時頃に教会を出た時には、
5センチくらい積もっていたでしょうか?


今、日付が変わって11日になっていますが、
外に出てみたら、雨でした。
でも、気温が-3.4度ですから、
バリバリのFreezing Rainです。


寒気がやってきます。


木、金が底のようです。


早く休みたいので、
更新はまた朝にでも・・・。

2009-01-09

また雪来ます。寒さも来ます!

明日はまた雪。
どかんと来ることはないけれども、
なんだか降りますね。


今回も15センチから20センチくらいの予想。
昼過ぎから降り始めるようです。


今日も本当に寒い一日でした。
朝は-5度で、昼間ちょっと氷点下を脱しましたが、
午後3時過ぎにはまた氷点下。
そして、今、夜の11時過ぎですが、氷点下4.7度です。


明日の朝はもうちょっと冷えそうですが、
それよりも、何よりも来週の寒さ。
木曜日くらいが底のようですが、
昼間の気温が-7度くらいだそうで。
もう、たまりません!


さて、2,3日前に日本国際飢餓対策機構(www.jifh.org)からのニュースレターが来ました。
一昨年ハジがウガンダに行った時にお世話になった団体でもあり、
教会でサポートしている団体でもあります。


エチオピアで働きをされていた森田さんという方の文章ですが、
「自立」ということについて書いておられます。


20年以上にわたるエチオピアでの国際協力の歴史の中で、
貧富の差は縮まるどころか広がっていること、
昨秋の段階で640万人の人々が緊急の食料援助を必要としているが、
元々、援助が入る前は「誇り高き」人々であったその国の人々が、
今は、多くの人々が、自分たちは貧しいからしょうがないのだと思っていること、
そして、JIFHの働きが、そこに住む人々に、お金を出すよりも、
自分たちで立ち上がることをサポートしていくものになっていること、
互いに自分の大切なものを手放し、愛をもって仕え合う、共に生きる関係を
築いていくものになっていることを書いておられました。


3年前にこの団体の辻本先生に来て頂いてからわかってきたことですが、
改めて、一つのことにも経験と正しい知識と慎重さが大切なことを思わされました。


そして、それと共に、自分たちの今の立場について考えさせられています。


「集会場所を提供される」という「援助」をアメリカの教会から受け、
そして、20年間の年月の中で、それがいつの間にか当たり前になり、
そして、今は「私たちの今の経済状態ではそれもしょうがない」と思っている。
そのままあてはまるのではないかと思いました。


このエチオピアの一つの村の人々が立ち上がることが「並大抵のことではなかった」とありますが、
私たちにとっても、そうだろうと思います。
祈りと愛と忍耐とねばり強さの必要性を感じています。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書3:22-36でした。


「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。」27節。

ヨハネの弟子たちは平気ではいられなかった。
自分たちの先生のところに人が集まっていたのに、
今や向こうのイエスの方が人々を集め始めている。

だから、自分の先生であったヨハネに一言言わないではおられなかった。
でも、ヨハネは神さまの働きを見ていた。
彼は「言」を運ぶ「声」に徹していた。
言葉は声に乗って人の心に届く。
そこで声は消えていくが、
言葉はその相手の心にとどまって残っていく。

彼にとっては神が証しされれば、
光である救い主が証しされれば、
それで十分だった。

それが自分の使命であることを知って、そこに生きていた。

わたしもそこに堅く立って歩んでいきたいと思いました。
心の中に、このヨハネの弟子たちのような声が聞こえてきた時に、
このヨハネのようにはっきりと、少しの迷いもなく、
言うことのできる者でありたいと思います。

主よ、
あなたが私たちに任せてくださった、
多くの人々の故に感謝します。
その出会いの故に感謝します。
あなたの与えられる使命を受け止めて、
歩む者としてください。

2009-01-08

キリストがわたしの内にあって生きている。

今日も寒い一日でした。
そして、時々にわか雪が「さー」っと降ってくる、
そんな日でした。


でも底冷えです。
からだの芯から冷えそうな感じです。
明日の朝はー5度くらいまで下がるでしょう。


土曜日ですが、本格的な雪になりそうな感じです。
3-6インチ=7.5-15センチ。
まだ不確定な部分もありますが、
なんだか、降りそうですよ。
それも最初から最後まで雨にかわらない、きれいな「雪」。


降り始めは土曜日の昼過ぎ、
日曜日の午前中くらいまで降りそうです。
JOYJOYシンガーズや日曜日の礼拝に影響がないといいのですが・・・。


さて、今日はシャワーを浴びながら、
「キリストがわたしの内にあって生きておられる」ってこんな感じなのかな、
と思わされました。
自分の中にはとうていない思いが湧いてくる中で、
「ああ、これはイエスさまの思いだ、わたしの思いではなくて・・・」
と感じたのです。

なんだか、ちゃんと説明していないので、
何のこと?って感じかもしれませんが、
自然の自分が考えないようなことを考えている自分に、
「これはきっとイエスさまがわたしのうちにそんな思いを与えてくださっているんだ、
それがわたしの中にキリストが生きておられる、というこのパウロの気持ちだったんだろう」と思ったのです。


とでもうれしかったです。
そのように感じたのは初めてだったんじゃないかと思います。


感謝。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書3章16-21節です。


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」16節。

聖書のメッセージを集約したような、
聖書のことば。

神がどこまで私たちを愛してくださったか、
わたしを愛してくださったか、
思わされました。

「ひとりごをお与えになったほどに」
それくらい、愛された。
私たちの救いは神にとってそれくらいの価値ということがわかる。

それくらい大切にしてくださっている、
それくらい投資してくださっている。

その愛の大きさを感謝しました。

あり得ない愛。
自分の永遠の命を差し出して、救いの道を開く愛。

そして、その愛を私たちの内側にも与えてくださる方はなんとすばらしいことでしょう。

神さま、
あなたがひとりごをお与えくださったこと、
イエスさま、
あなたが私たちの底辺に来てくださって、
私たちのためにご自身を与えてくださったことに感謝します。


どうか、その愛をわたしの内に注ぎ、
わたし自身もまた、あなたが歩まれたように歩むことができますように。

2009-01-07

もう一つの神のことば。

今朝、起きたら気温はもう0度を超えていましたが、
まだ、地面はつるつるでしたね。
昼間の最高気温は2.5度。
冷たい雨の一日でした。


明日はまた晴れてきますが、
寒い日になりそうです。


そして、土曜日にはまた雪。
そして、来週1週間はぐんと寒くなるでしょう。
-15度も夢ではありません。


Purpose Driven Churchが見つからない間に、
昨日、訳者から贈って頂いた
「ゲノムと聖書」 を読み始めました。


PDLが見つからないのは「これを読め」という神さまからのメッセージなのかな、と。


まだ1章を読んだだけで、これから一歩一歩なのですが、
「はじめに」のところで、すでに一発殴られたような感じ。


原書は「The Language of God」なので、
聖書が神の言葉であるけれども、
自然もまた、神の言葉、神の啓示なのだ、
ということなのだと思うのですが、


ヒトゲノムの解読はそこに書き込まれた神の言葉を読むことなのだということ、
そして、それを解読することは、神の前に驚嘆と畏敬の念を感じるのだと。


私はどちらかというと、「解読できないことを認めることが神への畏敬の念」「あえて解読しないことが神への畏敬の念」なのだと思ってきました。

たとえば、天気予報はなかなか当りません。
その難しさを思う時に、感じる思いは、
神さまが造ったこの世界の天気を予想するなんて、
そんなの簡単にできてたまるか!って感じですね。
そして、一つの気象現象が起っている時も、
そのメカニズムがそんなに簡単に説明できるわけはないだろう、
だって、神さまの造られたこの世界はちっぽけな私たちの頭の理解を超えているんだから、と。

でも、この本のコリンズさんの言葉を天気に当てはめると、
その気象現象が起っているメカニズムを解明する時に、
神への畏れと尊敬の念を感じるということなんでしょう。
たとえ自然現象がもっともっと科学的に解明されていっても、
それによって神さまの偉大さはちっとも損なわれなくて、
反対に、もっともっと畏敬の念を覚えるのだと。


たぶん、自分は逃げてきたのだと思います。
「自分は科学者ではないからわからない」と。
そして、何でも「わからない」と言ってきた。


でも、それは彼が宗教的な意味で不可知論者であったように、
私は自然科学についての不可知論者になっていたのかもしれません。
「科学者だって、いろいろ仮説は立てるけれども、結局はホントのことはわからないのさ」と。


でも、それがあまりにも無責任な態度だったと、思わされました。
ゆっくり読んでいきたいと思いますが、
神さまはこれからどんなことを教えてくださるのでしょうか・・・。
楽しみです。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネ2章23節から3章15節。


「しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。」2章24-25節。

ここで、人々にご自身のことを任されなかったイエスが、
今、私たちにご自身のことを任せてくださっていることに、
私たちを通して、ご自身を表そうとしている、
神がどんな方かを表そうとされていることに
心から感謝を覚えました。

そのように期待してくださっていること、
そのように用いようとしてくださっていることは
何とうれしいことでしょうか?

用いられる喜び、
信頼される喜びを感じました。

神さま、
今も、私たちをあなたが信頼して、
ご自身のことを私たちに任せてくださっていることに、
あなたが私たちを用いて、ご自身の愛を伝えようとされていることに、
心から感謝します。
私たちの内に働いて、
あなたの愛を表す者として、
用いてください。

2009-01-06

神さまが目をふさがれる。

今日は本当に底冷えする一日でした。
どんよりとした中で、最高気温は2度くらい。
そして、今、夜の11時前ですが、
-1度で雨が降っています。
そうです。Freezing Rainです。
雪はほとんど降らないで、
雨になりました。


塩をまいていないところは、
もうすでにスケートリンク状態です。
でも、雨はこれから本番。


気温の上昇はゆっくりだそうですので、
かなりひどい凍結になるかもしれません。


先週金曜日の牧師会の時に、
「じゃあ来週あたり40日間のやつ読み始めようかな」と思っていた
Purpose Driven Lifeですが、
じゃ、読もうかな、と思って探し始めたのですが、
本がありません。


何度探しても見つからないのです。


時々あります。
「あの本があればいいのに」と探していてもなかなか見つからないこと。
そして、しばらくしてから、その用事が終わった後に、あれ、あるじゃん、と気がつくこと。
そんな時に、まあ、自分の注意力や整理力のなさにがっくりするのですが、
それと共に、「ああ、神さまが今のおまえには必要ないよ、その本を見て安直な答えを出すのはやめなさいと言われているんだろうな」と思うのです。
特に、メッセージの中の例話に使おうと思っているようなことには、そんなことがあります。


そう、あえて神さまが私の目を閉ざして、そのところにその探している本がないかのように見せられること、あるんだろうなと。


だから、PDLの40日間もちょっとお預けなんでしょうね。
「違うことをしなさい」と言われているように感じました。


もちろん、探すのをやめてしまうわけではないのですし、
明日見つかったら、明日スタートすることになるかもしれませんが、
また、神さまが目を開いてくださる時まで、
焦らないで、ゆっくり探していきたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書2章12-22節。



「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」19節。

これはイエスが自分のからだをさして言われたこと、
イエスが十字架にかかって、でも、3日目によみがえったことが、
私たちに与えられているしるしなんだということです。

イエスの復活こそが、イエスが主であることのしるしなのだと、
イエスは言われたんですね。

でも、それと共に、今朝は、今年の教会に与えられているみことば、
「あなたがたはキリストのからだである」ということにつながっていると感じました。
主はキリストのからだなる教会が破壊されても、
それをまた建て直される。
そんなメッセージを感じました。
解釈学的に、それが赦されるかどうかわかりません。
でも、主が「あなたじゃない、私が建て直すから」と言われたように思わされたのです。

そうですね、その主に信頼して祈っていこうと思います。

主よ、
あなたのみからだである教会を守り、支えてください。
あなたはご自分の3日目によみがえってくださいました。
そのよみがえりの力が私たちのうちに注がれていることに感謝します。
今日の語りかけに感謝します。
あなたのことを信頼していきますから、
祈りに答えて、あなたの御業をなしてください。


2009-01-05

補い合う。・・・そして補ってくださる神さま。

今日はいい天気でした。
でも、明日の午後からは雪のようです。
で、夜にはみぞれから雨に変わる予報が出ています。
その前に5-10センチつもるとのこと。
10センチ積もってしまうと、
雨が洗い流してくれる、ということもないでしょうから、
雪かきの雪が重くなるだけ、という怖さがあります。


気持ちの良く子供たちが遊べるような最初から最後まで
ばっちり雪、というのはなかなかないですね。


昨日の夜はちょっといろいろ考えて、
なかなか眠れなかったのですが、
いけませんねえ、おかげで、朝、目が覚めたら7時でした。
目覚ましに気がつかなかったようです。
朝の祈りの時にはこの半年くらいどなたも来られないのに、
今朝、たまたま、「祈ろう!」と6時に教会に来られた方がいたら、
大変申し訳ないのですが、まあ、終わってしまったことはしょうがありません。


で、今日になって思わされたのですが、
教会って、いろいろ欠けがある、それでいいんだと。
たぶん、教会の組織について、完璧なシステムってなくて、
だから、「この組織のこういうところが問題!」って騒ぐんじゃなくて、
では、自分はこの問題を補うために、何ができるんだろうか、
この問題を何とかするのには時間がかかるだろうから、
それまでの間、私は何をすべきなんだろうか、
そんな気持ちになる方々が育っていくことの方が、
「問題だ!問題だ!」と騒いでいた方々が、
私はこの問題を補うために何ができるんだろうかと考えるようになっていくことの方が、
ずっとずっと大切なことなんではないかと思ったのです。


コリント第1の手紙の12章25節には
「各部分が互いにいたわり合うためです。」とあります。


単純な聖書の言葉に単純に従っていくことの大切さを思わされました。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネ2:1-11。
カナという町の結婚式でイエスがされた奇跡です。


「ぶどう酒がありません」3節。

ああ、こういうの大変ですよねえ。
結婚式なのに、ワインが足りなくなっちゃった。
誰の責任?ああ、大失態。
自分だったらあたふたするだろうなあ、
ばたばたするだろうなあ、何とか届けてもらえるように、
一生懸命手を尽くすだろうなあ。
そして、無理を言って、何とかできたら、「ああ、よかった」と。

ちょっとコワイくらい、どきどきしてしまいました。

昨日の聖餐式も礼拝前にこれくらいでいいですよね、と数を聞かれて、
そうですね・・・と答えたのですが、
感謝なことにたくさんの方々が来られて、
足りなくなってしまうかも・・・と思いました。

でも、不思議なことに、準備した数と、来られた方々の数がぴったり同じ。
よかったです。

自分がばたばたしなくても、
神さまが心配してくださっている。

このカナの結婚式でも、
誰も知らなかった。
給仕役も、花婿も知らなかった、
ただ、水をくんでいた僕だけが知っていた。

でも、僕たちもただ、イエスさまが命じられたことに
ただ従っていただけ。

ホントの意味では誰も知らなかった。

それでいい、ただ、単純に主に従っていくだけでいい、
そのように思いました。
主がしてくださること、それを見せて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたを信頼して歩みます。
すべてはあなたの御手の中にあることを信頼します。
ただ、あなたに従うことができますように。
そして、あなたのみ業を見ていくことができますように。

もっと聞きたい。

またまた日付が変わってしまいましたが、
余り眠れそうな感じもしないので、
とりあえず更新中。

今日も多くの皆さんと一緒に礼拝がもてて感謝。
また役員の皆さんの就任式が教会全体でもてて感謝。
役員の皆さん、遅くまでお疲れさま。


いつも教会のことを一生懸命考えて、
一人一人のことを本当に愛して、
どうしても迷うことや時間がかかってしまうことがあって、
長くなってしまいます。


でも、さすがにこれが続くのは無理ですから、
そして、おそらく完璧な会議とか、結論とか、ないですから、
なんとか、来月からは半分くらいの時間ですむようにと祈ります。

今日もたくさんの方々が来られて、
大学生とか、もう来週には大学に戻っていたり、
また久しぶりにお会いしたり、
もっともっと皆さんのお話に耳を傾けたい、
祈って送り出したいと思いました。

日曜日にお話しできなかった皆さんと、
何とか、お話しができる一週間を過ごせますように。


さて、今日(1月4日日曜日)の聖書。
今日はヨハネによる福音書1:35-51


「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」50節。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」51節。


不思議なことを聞くよりも、
奇跡のようなことを見るよりも、
もっともっと大きなこと。

もっともっとすばらしいこと。
それが神と共に歩むこと。
神がいつも共にいてくださることを信じて歩むこと。

主よ、
今日も、また明日も、この一週間、
ずっとずっと、私と共にいてくださるからありがとうございます。
どうか、私の目を開いてそのことを見せてください。
そうです、教会に連なる一人一人の目を開いてください。
あなたがいつもいつも共にいてくださることを、
見せてください。感じさせてください。
もしも、それが見えなくても、感じなくても、
信じることができますように。





2009-01-03

永遠の命をかけて。

今朝の祈り会では、とても深く探られました。
今日は出エジプト記の32章。
モーセがシナイ山で神から十戒やそのほかの戒めをいただいているうちに、
下で待っていた人々が、「モーセはどうなったかわからないから、私たちのために神を造ってくれ!」とモーセの兄であり、モーセと共に民を導いていたアロンに迫り、アロンが金の子牛を造るところです。


神は怒りイスラエルの民を滅ぼそうとしますが、モーセは必死に神にとりなし、赦しを乞うのです。


その中で、モーセはここまで言います。


「私の名を命の書から消し去ってもいいです」と。


「命の書」とは救われる人、天国に入れてもらえる人の名前が書いてある書物といわれています。
つまり「永遠の命」を差し出して、人々の赦しを祈ったのです。


「マジで?」と思いました。
どうしてそこまでできる?そこまでする?


正直、この世の命ならわかります。
この肉体の命なら、犠牲にするのは簡単ではありませんが、気持ちはわかります。
でも「永遠の命」を差し出して、しょうもない罪を犯した人々の赦しを乞えるだろうか?


新約聖書でパウロも「彼らのためなら、私がキリストから引き離されてもかまわない」と言いました。


これもすごいですね。


キリストから引き離されたら、ダメじゃん、って思います。
なんてとんでもないこと祈っているんだ?と思います。


自分はできるかというと、やっぱり、
「永遠の命」はかけられません。
だって、「永遠」ですから。


でも、そんな自分の「とりなし」の気持ちって何だろうと思いました。
自分がそんな気持ちで「とりなし」をしているときは、とっても上から目線で、
「しょうがないなあ・・・」と思っている時。
あの蜘蛛の糸のお釈迦さんのことを何にも言えない、
本当に自分の身は安全なところに置いておいて、
「あの人もイエスさま、よろしく頼みますよ」みたいな、態度。


モーセも、パウロも、そして誰よりも、
イエスさまも、人々のために自分の身を差し出しました。


イエスは私のために、呪われたものとなってくださいました。


自分も永遠の命でも投げ出して、
人のために祈ることのできるような者に、ならせて頂きたい、
最後にはそのように思いました。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書1章19-34節。


「その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。」33節。

今、今年の年間牧会方針を考えたり、
教会の組織について、考えたりしているのですが、
結局のところ、聖霊様が働いてくださること、
聖霊様が満ちあふれてくださることが、
決定的に大切なんだなあ、と思わされました。

なんだか、ああでもない、こうでもないとやっているとき、
聖霊様を本気で求めているだろうかと思わされます。

それなりに本気で、真剣に「教会のためを考えて」やっているのですが、
大切なイエスさまはどこにおられるんだろうか、
聖霊様を本気で求めているだろうか、
聖霊様に従っているのだろうか、と思わされます。

聖霊様、
あなたを求めます。
イエス様、
あなたが聖霊様を与えてください。
私のうちに、私たちのうちにあふれ、
あなたのみこころをなしてください。
あなたに聞いていくことのできる者としてください。

今度こそ、開眼の話。

今日も朝は冷えましたが、
元旦の寒さを経験した後では、
暖かく感じるくらいでした。


今日の最高気温は4.5度!でしたが、
今は夕方の6時頃で、すでに氷点下に下がってきています。
明日は晴れますが、夜には雨。
それが場所によってはFreezing Rainになるようです。


お気をつけて。


さて、昨日の開眼なんですが、
昨日の牧師会で、Rick Warrenの”Purpose Driven Life”のことが
話題に出ました。


このRick Warren、現代アメリカで一番影響力のある牧師さんの一人。
こんど、オバマ氏の大統領就任式にはお祈りを頼まれたと。
日本語になっていて、私たちの教会でもいくつか勉強しました。


でも、時々疑問に思うことがありました。
「Purpose Drivenでいいのか?」と。
私は「Gospel Driven」なんじゃないかと思っていたのでした。
救いの喜びに生かされるのこそ、クリスチャンの歩みだと。


だから、もっともっと喜んで主に仕えるようになるためには、
もっともっと福音の深さを、神の愛の深さを知らなければいけないと思っていた。
実際、自分自身、神さまによってその愛を教えてもらったそのときから、
自分の信仰の姿勢が変わった。


だから、その愛をもっともっと知ってもらうためにはどうしたらいいかということばかりを考えてきた。
自分がその愛を受け取るにふさわしくないものであることを知ったらうれしくなる。
だから、罪深さを知ることこそ、喜びへの道だと思ってきた。


だから、Purpose Drivenの考え方は、
馬が鼻先ににんじんをぶら下げられて、
走らされているのと同じじゃないかと思ったこともあった。


で、昨日、そんな私の思いを、みんなにぶつけてみた。
先生方が出してくださった答えを上手に再現はできないのですが、
自分が思わされたことはこんなことでした。


「その救いの喜びも、神さまが天の御国に受け入れてくださるという目的の中で捕らえなおしたらどうか、神のために生きていくという大きな目的の中で捕らえ直すことはできないか」と。救いの喜びも、「罪が示されて、十字架の恵みがわかった」という喜びで、それは本当に私にとって決定的な経験だったんだけれども、もっともっと大きな豊かな人生を通して明らかにされていく救いの大きさのホンのスタートの喜びなのではないだろうか?と。


で、Purpose Driven Lifeの40日間を、早速来週あたりから
一日一つずつ歩んでみようかなあと思わされています。


その中で、自分が経験した救いの喜び、その圧倒的な喜びをどのように捕らえるか、
それをためしてみようと思います。
その経験から25年も経って、遅ればせながら、
その経験をもっと大きな枠の中で再解釈してみようと思ったのです。


それは「私は救いの時の喜びはそれほど大きくなくて、本当に救いということがわかっていないのかも・・・」とか「救われた時は喜びが湧いてきたのに、今はなんだか、冷めてしまって・・・」という人にも新しい光をあてることになるのではないだろうかと思ったのです。


ちょっとわくわくしているんですが・・・。
また、ここで分かち合っていきますね。


さて、昨日、1月2日の聖書。
昨日はヨハネによる福音書1章9-18節。


「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」16節。

このイエスの豊かさ。
恵みの深さ、そこに目が留まりました。
そして、この一年、その豊かさ、恵み深さに目が開かれますように、と思わされました。
本当にこのヨハネが告白しているように、
「イエスさま、って充ち満ちた豊かさをもっておられるんだよねえ」
「恵みに恵みがくわれられて、もうねえ大変!」って
言えるように、主に教えて頂きたいと思います。
経験させて頂きたいと思います。

主よ、
あなたの豊かさを知りたい。
あなたの恵みをもっと経験したいです。
「恵みに恵みが加えられる」ってほどに!
イエスさま、
よろしくお願いします。





2009-01-02

開眼。・・・だけど。

今日も朝は寒かったですが、
昼間は何とか1度くらいまで上がりました。
でもまた夜は寒いです。


明日は晴れるようです。


今日は地域の日本語牧師会。
開眼させられたことがあったので、
書きたかったのですが、
他のことに手間取ってしまいました。
明日の早朝祈祷会に備えて、休みます。


「日々のみことば」も2日目にして、「また明日・・・」
ではでは・・・。

2009-01-01

元旦礼拝の祝福。

今日は午前11時から元旦礼拝。
たくさんの方々が集まりました。
元旦だから来れる、という方々も結構おられます。
英語の教会に行かれている方々、
初めての方々も結構来られました。


礼拝後はつきたてのお餅もいただきました。
右のリンクの「ニュージャージー日本語キリスト教会」から、
「イベントフォト」を選ぶと、今日の写真も見れます。


礼拝メッセージは「『キリストの』からだである教会」について話しました。
私たちは教会の『からだ』であることはよく話します。
私は手だ、私は足だ、働きは違う、お互い認め合っていこう、助け合っていこうと。


でも、「『キリストの』からだ」ということに注目することは少ないと思います。
教会は今、イエスが天に帰られた今、イエスを見えるかたちで表すカラダです。


イエスが知りたければ、見たければ、教会に来ればいい。
イエスがどんな方か知りたければ、ニュージャージー日本語キリスト教会に来ればいい、
そのように言えるように・・・と思います。


イエスが与えて与えて、損をして、私たちを愛されたように、
私たちもあえて、損をすることを積極的に考えるような
生き方をさせて頂きたいと思います。


今朝、温度計は-10度でした。
元旦早々-10度ですよ。
で、最低気温は-10.8度。
一日の最高気温は、よくわかりませんが、間違いなく真冬日です。


今、夜の10時ですが、-7.6度を指しています。


明日は少し寒さがゆるむようですが、
にわか雪も降るようです。


そして、次の雪の可能性は8日頃。
そして、10日を過ぎるとしばらく氷点下の日が続きそうです。

今年はちょっと本格的な冬のようですね。


さて、今日、元旦の聖書。
今日からヨハネによる福音書です。
今日は1章1-8節。


「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」4節。

イエスのうちにあるいのち、
それは人間にとっての光。

でも、自分はそれを本当に知っているだろうか?
子どもの頃から当たり前のようにイエスを知っている中で、
その本当のイエスの価値、イエスの光の力を知っているだろうか。
そんなことを思わされました。

是非、この一年、そのイエスの光の力、
イエスの光の暖かさ、心強さ、知らせて頂きたいと思います。

イエスよ、
この一年あなたの命の豊かさ、
あなたの光の輝きを知っていくことができますように。
もっともっとあなたの力を知って、
あなたの価値を知ってそれを証することができますように。


あなたの愛に満たされて、愛することができますように。
自分が損をすることを恐れることがありませんように。

あけましておめでとうございます。

アメリカ東海岸は先ほど2009年になりました。
今年もよろしくお願いします。

「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。」イザヤ43章19節。

11時過ぎから、家族で賛美をして、
一年の感謝を語り合い、祈って、
30秒前に終わって、テレビをつけて、
カウントダウンの最後5秒だけ見ました。

ハジが大学に進む年。
もしかしたら、5人で一緒に生活する最後の半年になるかもしれません。
一つ一つの節目を大切にしていきたいと思います。