今日が寒気の底です。
今朝の最低気温は「固い」と思われていた、
-15度にも及ばず、ー14.3度。
昼間も、思いも寄らず上がって、-6.3度。
冬至から1ヶ月たって、高くなってきた日差しには、
風向きさえ追い風だったら、「お、結構暖かいじゃん」と思うほどでした。
それが、向かい風だったら、やっぱり寒いんですけどね。
でも、今夜は本当にがんばっています。
11時半で、今朝の記録を更新して-14.5度。
明日の朝は是非華氏0度を目指して欲しいです。
日曜日にはちょっと小雪が舞いそうですが、
それよりも注目は月曜日。
東海上を低気圧が発達しながら北上する可能性があり、
そうなると、この冬初めての、「マジ本格的な雪」になります。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書5:30-47
「あなたがたはしばらくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです。」35節。
教会で語られるメッセージの中でも、
「楽しめる」部分もあるだろうと思う。
でも、「楽しむ」だけではすまない部分もある。
そこでどうするか、そこで神の前にひれ伏すか、
楽しむだけだったら良かったんだけど・・・と「さようなら」をするか、
・・・このイエスの周りにいた人たちは、まさにそこに直面させられている。
今の自分はその直面化の機会を先延ばし先延ばしにしていないだろうかと思わされました。
イエスの本当のメッセージをもっともっとストレートに、
もっともっと直面化へと招くように、
語ることができるようにと願いました。
まず、そのためには、自分自身がみことばにどう取り組むか、
みことばにどこまでまっすぐに従えるか、
そこにかかっているのだと思います。
主よ、
みことばの前に、
あなたの前にひれ伏す者でありますように。
自分自身みことばに真剣に取り組み、
その喜び、そのエキサイティングなことを、
伝えていくことのできる者とならせてください。
2009-01-16
2009-01-15
結晶。
あんまり鮮明ではないのですが、
じぶんのジャケットの腕の部分の写真。
今朝は-9度で雪が降っていましたから、
雪の結晶が溶けずにいつまでも、原型をとどめています。
東京の雪なんかでは、なかなか経験できないことです。
ですから、自分はここに来るまでは「雪の結晶」の意味がわかりませんでした。
こういう結晶が降ってくるんですよね。
そしてこの結晶、気温によっても変わってくるし、
また、一つ一つの結晶がみんな他の結晶とは違っているそうですね。
そしてこの結晶は6角形。そして、平面状。
面白いですね。
これも神さまからのメッセージ。
「雪は天から送られた手紙である」とは雪の研究の専門家の言葉。
その解読もまたすばらしい神さまへの奉仕なんだと思います。
さて、もう一つのお天気の話題は今夜の寒さ。
さてどこまで行くでしょうか。
今は夜の10時40分ですが、-12.2度です。
目標(って何だい?)は華氏0度(=摂氏に直すと約-18度)
ですが、さてどうなるでしょうか?
心配なのは(ってまた何だい?)、この1時間ほど、気温の下がり方が鈍っています。
あと8-9時間で、そこまで下がるか、ちょっと微妙になってきました。
明日の最高気温は-10度くらいだそうです。
もうこれくらい寒くなると、何がなんだかわからなくなってきます。
でも、ホント、この寒さの中で、
ハドソン川に不時着した飛行機の方々は大変だったでしょうね。
その中で誰も水の中に投げ込まれないで、
無事に脱出できたのは本当に良かったと思います。
ニュースでは「ハドソン川の奇跡」と呼び始めています。
実は昨日、「失敗から学ぶ」というものを読んでいました。
「失敗百選」というものまであるそうです。
過去のたくさんの事故から私たちは何を学ぶかということを
真剣に研究しておられる方々がいます。
危機管理の問題、取り返しのつかない失敗を招かないためにはどうすればいいかという問題、
それをいろいろ考えさせられました。
1982年にワシントンの川の橋に引っかかって落ちた飛行機のこともいろいろ書かれていました。
そのことを今日また思い出していました。
今回は、「奇跡から学ぶ」ですよね。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネ5:19-29でした。
「そして、聞く者は生きるのです」25節。
イエスの言葉を聞く者は生きる。
最近だんだん単純にされてきていますが、
じゃあ、主よ、あなたの言葉を聞かせてください、
そのように願い、そのように祈りました。
私は生きたい。
生きている、という実感を持ち続けたい。
だから、主の言葉を聞きたいと思います。
聞き続けていきたいと思います。
主よ、
あなたの言葉を語ってください。
あなたの言葉を聞かせてください。
私を生かしてください。
生きている実感を持って生きたいです。
雪降るの?
さて、15日になりました。
今日は雪が降る予報が出ていますが、
1時過ぎの段階で、「全然」って感じです。
12時頃NYから帰ってきた時には、
ちらほら降ったりもしたのですが、
どうなんでしょう。
まあ、降っても降らなくても、今日の夕方からはぐーんと冷えてきます。
何度まで下がるでしょうか、氷点下15度くらいは固いと思いますが・・・。
ちなみに今1時20分で-7.4度。
14日の最低は-9.6度でした。
昼間の最高気温はわかりません。
たぶん-4度くらいまで上がったんじゃないでしょうか?
もうここまで来ると何度でも同じかも・・・。
さて、早く寝ないと明日がきついので、
早速14日水曜日の聖書。
14日はヨハネによる福音書5章1-18節でした。
「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」8節。
「治りたいのか?」と言われて、
「誰も助けてくれないから」「他の人が先に行ってしまうから」と言っていた彼に、
イエスは「さあ、床を取り上げて歩け!」と言われたのです。
自分もこの男の人と同じような反応をすることがどれだけあるでしょうか?
「あの人がこうだから・・・」
「誰もやってくれないから・・・」
でも、そんな言い訳ばかり言っている自分に、
主が「さあ、立ち上がりなさい」と言われたように感じました。
もう言い訳はすまい。
主が「立ち上がりなさい」と言われるなら、
立ち上がって、従っていきたいと思います。
もう誰のせいにもしないで、
主に従っていきたいと思います。
主よ、
あなたが語りかけてくださるから、
あなたが私の現実にもチャレンジを与えてくださるから、
ありがとうございます。
「さあ、立ち上がって歩きなさい」という声に従って、歩んでいきます。
あなたが立ち上がる力も与えてくださるから感謝します。
今日は雪が降る予報が出ていますが、
1時過ぎの段階で、「全然」って感じです。
12時頃NYから帰ってきた時には、
ちらほら降ったりもしたのですが、
どうなんでしょう。
まあ、降っても降らなくても、今日の夕方からはぐーんと冷えてきます。
何度まで下がるでしょうか、氷点下15度くらいは固いと思いますが・・・。
ちなみに今1時20分で-7.4度。
14日の最低は-9.6度でした。
昼間の最高気温はわかりません。
たぶん-4度くらいまで上がったんじゃないでしょうか?
もうここまで来ると何度でも同じかも・・・。
さて、早く寝ないと明日がきついので、
早速14日水曜日の聖書。
14日はヨハネによる福音書5章1-18節でした。
「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」8節。
「治りたいのか?」と言われて、
「誰も助けてくれないから」「他の人が先に行ってしまうから」と言っていた彼に、
イエスは「さあ、床を取り上げて歩け!」と言われたのです。
自分もこの男の人と同じような反応をすることがどれだけあるでしょうか?
「あの人がこうだから・・・」
「誰もやってくれないから・・・」
でも、そんな言い訳ばかり言っている自分に、
主が「さあ、立ち上がりなさい」と言われたように感じました。
もう言い訳はすまい。
主が「立ち上がりなさい」と言われるなら、
立ち上がって、従っていきたいと思います。
もう誰のせいにもしないで、
主に従っていきたいと思います。
主よ、
あなたが語りかけてくださるから、
あなたが私の現実にもチャレンジを与えてくださるから、
ありがとうございます。
「さあ、立ち上がって歩きなさい」という声に従って、歩んでいきます。
あなたが立ち上がる力も与えてくださるから感謝します。
2009-01-14
認められること。
昨夜休む時、12時過ぎだったと思いますが、
-1度くらいでしたが、今朝5時過ぎに起きたら、-8度。
その後6時頃に家を出る時にはもっと下がっていました。
2時頃から4時頃にかけてぐーんと下がったみたいです。
今夜から明日の朝にかけてはパウダースノーみたいです。
氷点下10度くらいで雪が降ります。
内陸に行くとそういうこともよくあるのでしょうが、
こちらでは何年かに1回しかありません。
特に今年は降り始めは雪でも、途中で雨やあられになることが多いです。
風で吹き飛ばされて吹きだまりとかができやすい雪みたいです。
その分、道路には積もらないのでは・・・と思いますが、
お気をつけください。
で、この寒波ですが、15年ぶりといわれますが、
その15年前を調べた人がいました。(そりゃいるわな)
15年前1月19日の記録はこちら。
自分はまだアトランタにいてそれでも華氏でひと桁(-15度くらい)に下がったのですが、
この地図を見ると、確かにそうです。
そのときのNJはというと華氏で-10度(つまり、摂氏だと-23度)くらいですね。
今回はそれには遠く及ばないみたいです。
今週の初めですが、
日本のテレビで、霊長類の知能や心の発達を研究している方の話を見ました。
その中で、3-6歳くらいの子どもは1日に15個ずつ位のスピードで単語を覚えていく、
と言っていました。すごいスピードですよねえ。
大人はどれくらいなんでしょうか?
意識して勉強していれば別でしょうが、
今は1ヶ月に10個とかそれくらい?
で、他の霊長類の場合もある程度言葉を習得する力があるそうですが、
それは「食べ物をもらえる」ということがその動機だそうです。
イルカやアシカのショーもそうですよねえ。
でも、人間の子供の場合は、別に言葉を覚えたから食べさせてもらえるわけではない、
ふつう・・・。
なのにこんなスピードで言葉を覚えていくのはなぜか。
それは「すごーい」と言ってもらえたり、ほめられたり、するからだそうです。
つまり認められること。
この認められることって、人間が生きていく中で、
本当に不可欠なもの。
子供はもちろんだけど、
大人になっても、特に男は・・・?
(だから、男はいつまでも子供と言われる?)
でも、人間の社会、いつもいつも互いの存在を認めていられるか、
いつもいつも自分の存在は認められていると確認できるかというと、
難しい場合もある。
神さまに認められている、
神さまが認めてくださっている、
という事実は何という福音だろうか。
聖書の中にも「認めてくれ!」という声がたくさん聞こえる。
一番大きなのは放蕩息子のたとえ話に出てくるお兄さん。
「親父、自分はこんなに一生懸命やっているのに認めてくれないのか!?」
そんな父親の言葉は、
「何言っているんだ、おまえは認められているんだよ、一生懸命やる前から、おまえは認められている。ほら、片意地張らないで私の胸に飛び込んでくればいいだろう」というものでした。
このニュースをもっともっと伝えたい、そのように思わされた朝でした。
さて、昨日、火曜日の聖書。
昨日はヨハネ4章43-54節。
「その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。」50節。
しるしと奇跡を見ないと信じないだろうと言われた人々。
でも、ここで、彼はイエスの言われたことを信じて帰っていった。
主はその時にすでに奇跡をなさっていたのだ。
イエスの言葉を信じる信仰。
何か起ったことで信じるのではなくて、
何かが起る前に、起らなくても、信じる信仰。
語られたら、そこに従っていく信仰、
それが今求められているのだと思う。
みことばを信じて、歩んでいく者でありたい。
何か出来事が起きて、それでやっと信じるのではなく、
主を信頼して歩んでいこう。
聖書の言葉を信頼して歩んでいこう。
主よ、
あなたの御言葉を信じます。
あなたが語られることは必ずなることを信頼して歩んでいきます。
見ないで信じる信仰を与えてください。
-1度くらいでしたが、今朝5時過ぎに起きたら、-8度。
その後6時頃に家を出る時にはもっと下がっていました。
2時頃から4時頃にかけてぐーんと下がったみたいです。
今夜から明日の朝にかけてはパウダースノーみたいです。
氷点下10度くらいで雪が降ります。
内陸に行くとそういうこともよくあるのでしょうが、
こちらでは何年かに1回しかありません。
特に今年は降り始めは雪でも、途中で雨やあられになることが多いです。
風で吹き飛ばされて吹きだまりとかができやすい雪みたいです。
その分、道路には積もらないのでは・・・と思いますが、
お気をつけください。
で、この寒波ですが、15年ぶりといわれますが、
その15年前を調べた人がいました。(そりゃいるわな)
15年前1月19日の記録はこちら。
自分はまだアトランタにいてそれでも華氏でひと桁(-15度くらい)に下がったのですが、
この地図を見ると、確かにそうです。
そのときのNJはというと華氏で-10度(つまり、摂氏だと-23度)くらいですね。
今回はそれには遠く及ばないみたいです。
今週の初めですが、
日本のテレビで、霊長類の知能や心の発達を研究している方の話を見ました。
その中で、3-6歳くらいの子どもは1日に15個ずつ位のスピードで単語を覚えていく、
と言っていました。すごいスピードですよねえ。
大人はどれくらいなんでしょうか?
意識して勉強していれば別でしょうが、
今は1ヶ月に10個とかそれくらい?
で、他の霊長類の場合もある程度言葉を習得する力があるそうですが、
それは「食べ物をもらえる」ということがその動機だそうです。
イルカやアシカのショーもそうですよねえ。
でも、人間の子供の場合は、別に言葉を覚えたから食べさせてもらえるわけではない、
ふつう・・・。
なのにこんなスピードで言葉を覚えていくのはなぜか。
それは「すごーい」と言ってもらえたり、ほめられたり、するからだそうです。
つまり認められること。
この認められることって、人間が生きていく中で、
本当に不可欠なもの。
子供はもちろんだけど、
大人になっても、特に男は・・・?
(だから、男はいつまでも子供と言われる?)
でも、人間の社会、いつもいつも互いの存在を認めていられるか、
いつもいつも自分の存在は認められていると確認できるかというと、
難しい場合もある。
神さまに認められている、
神さまが認めてくださっている、
という事実は何という福音だろうか。
聖書の中にも「認めてくれ!」という声がたくさん聞こえる。
一番大きなのは放蕩息子のたとえ話に出てくるお兄さん。
「親父、自分はこんなに一生懸命やっているのに認めてくれないのか!?」
そんな父親の言葉は、
「何言っているんだ、おまえは認められているんだよ、一生懸命やる前から、おまえは認められている。ほら、片意地張らないで私の胸に飛び込んでくればいいだろう」というものでした。
このニュースをもっともっと伝えたい、そのように思わされた朝でした。
さて、昨日、火曜日の聖書。
昨日はヨハネ4章43-54節。
「その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。」50節。
しるしと奇跡を見ないと信じないだろうと言われた人々。
でも、ここで、彼はイエスの言われたことを信じて帰っていった。
主はその時にすでに奇跡をなさっていたのだ。
イエスの言葉を信じる信仰。
何か起ったことで信じるのではなくて、
何かが起る前に、起らなくても、信じる信仰。
語られたら、そこに従っていく信仰、
それが今求められているのだと思う。
みことばを信じて、歩んでいく者でありたい。
何か出来事が起きて、それでやっと信じるのではなく、
主を信頼して歩んでいこう。
聖書の言葉を信頼して歩んでいこう。
主よ、
あなたの御言葉を信じます。
あなたが語られることは必ずなることを信頼して歩んでいきます。
見ないで信じる信仰を与えてください。
2009-01-13
いよいよ。
はい、寒波第一弾来ます。
今、夜の11時半過ぎですが、
あと1時間くらいで、ぐんと気温が下がってきます。
明日は一日氷点下。
最高気温も氷点下5度くらいでしょう。
でも、本番は明日の夜ちょっと雪が降って、
木曜日から土曜日にかけて・・・。
さて、どこまで下がるでしょうか。
明日は朝早く起きてNYなので、
更新は明日の午前中、図書館から・・・。
今、夜の11時半過ぎですが、
あと1時間くらいで、ぐんと気温が下がってきます。
明日は一日氷点下。
最高気温も氷点下5度くらいでしょう。
でも、本番は明日の夜ちょっと雪が降って、
木曜日から土曜日にかけて・・・。
さて、どこまで下がるでしょうか。
明日は朝早く起きてNYなので、
更新は明日の午前中、図書館から・・・。
2009-01-12
情熱。
しばらく前からiPhone電子辞書化計画を準備してきましたが、
今日、Best Buyの広告でiTunes Cardが10%OFFという宣伝を見て、
行動に移しました。
45ドルで50ドル分のソフトが買える訳ですから、
これを逃す手はありません。
Costcoなんかで、少しは安く売っているのですが、
10%までは行きません。
(余談ですが、Costcoでは切手も少し安い。)
で、早速そのカードを手に入れて、
まずは「大辞林 」をゲット。
本では8190円だそうですが、
ソフトになると日本のiTunesでは2500円。
それがアメリカのiTunesでは何と21.99ドル。
今の円相場で考えると2000円くらいで買えてしまいます。
そして、10パーセント安くiTunes Cardを手に入れていますから、
実質1800円で買えたことになりますねえ。
次に考えているのは「ウィズダム英和・和英 」です。
こちらも日本では2800円(紙の辞書は2冊で合計6930円)のところが、
アメリカのiTunesでは、23.99ドル。
今の円相場では2150円。10パーセント安くなると、1940円くらい。
ちなみにこれらのソフトを作った会社は新しい会社みたいですが、
その設立者のお一人のブログがこちら 。
私が育ったところのそばにお住まいのようで、
なんだか、親しみを感じます。
でも何よりもこの「大辞林」のインターフェースの秀逸なこと。
紙の辞書は「読む」楽しみを感じることがありますが、
この「大辞林」iPhone版も、その楽しみを感じさせてくれるものです。
本当に情熱を持ってこの仕事をしておられる様子が伝わってきます。
自分の情熱はどこまであるか、
また問われているように感じました。
情熱持って始めたはずのことも、
時間に追われて、いつの間にか、こなすだけで精一杯になっていることもあるかも。
負けないような情熱を持って教会の働きをさせて頂きたいと思いました。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書4章27-42節。
「わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」38節。
2008年は、自分たちが労苦して蒔いた種の刈り取りを他の方に任せることもあった。
反対に、他の方々が蒔いた種の刈り取りをしたこともあった。
そのことを思い出しながら、この聖書の箇所を読みました。
神さまの御手の中に生かされていることを感じました。
そして、これからもどんどん種を蒔くことを、
労苦をすることを、その実が見えなくても、
蒔き続けることをさせて頂きたいと思いました。
もちろん、刈り取りもさせてくださいとも祈りました。
今年、もっともっと刈り取りに加わらせてくださいと。
あと4ヶ月あるとか言っていないで、刈り取らせてくださいと。
主よ、
あなたの御手の中に生かされていることに感謝します。
どうか、私の使命を果たさせてください。
どんなときにも、みことばをストレートに語る者としてください。
どんなときにも、種まきを惜しまない者とならせてください。
健康に感謝。
今朝は-8度。
寒かったです。
でも、昼間は氷点下を脱して1度くらい。
今は夜の9時前ですが、
-5度です。
明日も朝は冷えますが、5度くらいまで上がるようです。
そして、明日の夕方から夜にかけてちょっとにわか雪があって、
その後ぐんと冷えます。
水曜日は一日氷点下。
木曜日にまた雪で冷え込みはゆるみますが、
金曜日は寒波の底に入るみたいです。
金土の朝は-15度、昼間は-10度くらいみたいです。
今日は、先週末にまたBlood Centerから電話がかかってきたので、
2ヶ月ぶりの献血。
今日もばっちりでした。
ヘモグロビン値は前回と同じ15.6。
血管もいいところに刺してくれたみたいで、
5分で400CC、あっという間に終わってしまいました。
でも、その前に問診があって、
いろいろ答えるのですが、
それを答えながら、改めて与えられている健康を覚えました。
「この病気になったことはありますか?」といくつか聞かれるのですが、
本当に何もなく45年半来ました。
交通事故には2回ほど遭いましたが、
体は健康が与えられています。
膝が痛いとか、腰が痛い、とかはありますが、
生活に支障が出るほどではありません。
日頃当たり前になってしまうことですが、
本当に神さまから特別に与えられているんだと思います。
与えられているものは地面に埋めてしまわないで、
ちゃんと使わないと、神さまに怒られちゃいますよね。
大切に使わないと・・・。
さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日はヨハネによる福音書4章15-26節。
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」23節。
昨日はこのところを読みながら、
礼拝を前にしていましたから、
本当に私たち一人一人がこの神が求めておられる礼拝者になれますように、
と祈らされました。
神さまは私たちがご自身との関係を持つことを
求めておられる、待っておられる。
裸の心で、神さまに前にひれ伏し、
何も飾ることなく、主の前に出る礼拝者。
まず、私自身がそのような礼拝者になれますように。
そして、教会の一人一人がそのような礼拝者となれますように。
そのような方々が起こされていきますように。
主よ、
あなたが待っていてくださいますからありがとうございます。
どうか、心を開いて、あなたの前に出ることができますように、
ホントの自分であなたの前に出ることができますように。
真の礼拝者を与えてください。
真の礼拝者とならせてください。
15年ぶりの寒波。
「朝に更新」とか書いていたのですが、
朝は全く時間が取れなくて、
夜も、時間はあったのですが、
珍しくゆっくりできる夜だったので、
コンピューターの前に座らずにこの時間になっていました。
今朝は車が氷で固まっていたので、
おとなしく家でお祈り。
昼間には気温も上がって、何とか車も出せましたが、
また夜には冷え込んできています。
今は夜の12時過ぎですが、-7度。
でも、今夜は序の口です。
木曜日、金曜日あたりの最高気温の予想が、それくらい。
-10度くらいの予報を出してきているところもあります。
ありえないですよね。昼間で-10度なんて。
でも、今、天気予報の世界でのもっぱらの話題は、
NYで最低気温が華氏で0度(摂氏で-17.7度)まで下がるかです。
前回、これがあったのは1994年だったそうで。
まだ私はその時はNJにはいませんでした。
でも、アトランタでもめちゃくちゃ寒い朝があって、
華氏で確か5度くらいでしたから、その日でしょうね。
摂氏だと-15度くらい。
「どれどれ」と思ってぬれタオルをグルグル回したら、
固くなるかと実験しました。
さすがにバナナを夜放置しておいて、釘を打つ、まではしませんでしたが・・・。
今回、金曜日の朝、土曜日の朝あたりはかなり行きそうです。
さて、土曜日の聖書。
土曜日はヨハネによる福音書4章1-14節でした。
「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり・・・」14節。
ここは、私にとって決定的に大切な言葉です。
イエスが与える水はわたしの内で泉となる。
周りに期待して、誰かに期待して、
満たしてもらおうと思わない。
自分の中に泉を持つことの大切さ。
イエスはその泉を与えようといわれる。
だから、私は自分で一生懸命「自分の中に泉を持とう」と努力するのではなくて、
イエスに泉を求める。
イエスが満たしてくださることを求めていく。
そして、何よりも、
自分にとって、イエスが私のために命を投げ出してくださった、
その愛されている喜びこそが、泉なのだ。
でも、なんだか、それだけではないのだろうと思い始めている。
先週、「イエスがわたしの内に生きていてくださるってこんな感じか」と思った経験。
それが日々与え続けられたら、
自分の力で人を愛することができないことはわかっているのに、
その愛が神さまから与えられて、
それが与えられ続けたら、
それは本当に命の泉なんだろうと思う。
主にもっともっと満たして頂きたい。
もっともっと愛することを教えて頂きたい。
そのように思わされました。
主よ、
あなたを求めます。
私はあなたの水が必要です。
あなたの水で私を満たし、
私が自分の中に泉を持つことができますように。
涸れることのない泉を与えてください。
2009-01-11
雪からFreezing Rainへ
今日(10日)は昼頃から雪。
7時頃に教会を出た時には、
5センチくらい積もっていたでしょうか?
今、日付が変わって11日になっていますが、
外に出てみたら、雨でした。
でも、気温が-3.4度ですから、
バリバリのFreezing Rainです。
寒気がやってきます。
木、金が底のようです。
早く休みたいので、
更新はまた朝にでも・・・。
7時頃に教会を出た時には、
5センチくらい積もっていたでしょうか?
今、日付が変わって11日になっていますが、
外に出てみたら、雨でした。
でも、気温が-3.4度ですから、
バリバリのFreezing Rainです。
寒気がやってきます。
木、金が底のようです。
早く休みたいので、
更新はまた朝にでも・・・。
2009-01-09
また雪来ます。寒さも来ます!
明日はまた雪。
どかんと来ることはないけれども、
なんだか降りますね。
今回も15センチから20センチくらいの予想。
昼過ぎから降り始めるようです。
今日も本当に寒い一日でした。
朝は-5度で、昼間ちょっと氷点下を脱しましたが、
午後3時過ぎにはまた氷点下。
そして、今、夜の11時過ぎですが、氷点下4.7度です。
明日の朝はもうちょっと冷えそうですが、
それよりも、何よりも来週の寒さ。
木曜日くらいが底のようですが、
昼間の気温が-7度くらいだそうで。
もう、たまりません!
さて、2,3日前に日本国際飢餓対策機構(www.jifh.org)からのニュースレターが来ました。
一昨年ハジがウガンダに行った時にお世話になった団体でもあり、
教会でサポートしている団体でもあります。
エチオピアで働きをされていた森田さんという方の文章ですが、
「自立」ということについて書いておられます。
20年以上にわたるエチオピアでの国際協力の歴史の中で、
貧富の差は縮まるどころか広がっていること、
昨秋の段階で640万人の人々が緊急の食料援助を必要としているが、
元々、援助が入る前は「誇り高き」人々であったその国の人々が、
今は、多くの人々が、自分たちは貧しいからしょうがないのだと思っていること、
そして、JIFHの働きが、そこに住む人々に、お金を出すよりも、
自分たちで立ち上がることをサポートしていくものになっていること、
互いに自分の大切なものを手放し、愛をもって仕え合う、共に生きる関係を
築いていくものになっていることを書いておられました。
3年前にこの団体の辻本先生に来て頂いてからわかってきたことですが、
改めて、一つのことにも経験と正しい知識と慎重さが大切なことを思わされました。
そして、それと共に、自分たちの今の立場について考えさせられています。
「集会場所を提供される」という「援助」をアメリカの教会から受け、
そして、20年間の年月の中で、それがいつの間にか当たり前になり、
そして、今は「私たちの今の経済状態ではそれもしょうがない」と思っている。
そのままあてはまるのではないかと思いました。
このエチオピアの一つの村の人々が立ち上がることが「並大抵のことではなかった」とありますが、
私たちにとっても、そうだろうと思います。
祈りと愛と忍耐とねばり強さの必要性を感じています。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書3:22-36でした。
「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。」27節。
ヨハネの弟子たちは平気ではいられなかった。
自分たちの先生のところに人が集まっていたのに、
今や向こうのイエスの方が人々を集め始めている。
だから、自分の先生であったヨハネに一言言わないではおられなかった。
でも、ヨハネは神さまの働きを見ていた。
彼は「言」を運ぶ「声」に徹していた。
言葉は声に乗って人の心に届く。
そこで声は消えていくが、
言葉はその相手の心にとどまって残っていく。
彼にとっては神が証しされれば、
光である救い主が証しされれば、
それで十分だった。
それが自分の使命であることを知って、そこに生きていた。
わたしもそこに堅く立って歩んでいきたいと思いました。
心の中に、このヨハネの弟子たちのような声が聞こえてきた時に、
このヨハネのようにはっきりと、少しの迷いもなく、
言うことのできる者でありたいと思います。
主よ、
あなたが私たちに任せてくださった、
多くの人々の故に感謝します。
その出会いの故に感謝します。
あなたの与えられる使命を受け止めて、
歩む者としてください。
どかんと来ることはないけれども、
なんだか降りますね。
今回も15センチから20センチくらいの予想。
昼過ぎから降り始めるようです。
今日も本当に寒い一日でした。
朝は-5度で、昼間ちょっと氷点下を脱しましたが、
午後3時過ぎにはまた氷点下。
そして、今、夜の11時過ぎですが、氷点下4.7度です。
明日の朝はもうちょっと冷えそうですが、
それよりも、何よりも来週の寒さ。
木曜日くらいが底のようですが、
昼間の気温が-7度くらいだそうで。
もう、たまりません!
さて、2,3日前に日本国際飢餓対策機構(www.jifh.org)からのニュースレターが来ました。
一昨年ハジがウガンダに行った時にお世話になった団体でもあり、
教会でサポートしている団体でもあります。
エチオピアで働きをされていた森田さんという方の文章ですが、
「自立」ということについて書いておられます。
20年以上にわたるエチオピアでの国際協力の歴史の中で、
貧富の差は縮まるどころか広がっていること、
昨秋の段階で640万人の人々が緊急の食料援助を必要としているが、
元々、援助が入る前は「誇り高き」人々であったその国の人々が、
今は、多くの人々が、自分たちは貧しいからしょうがないのだと思っていること、
そして、JIFHの働きが、そこに住む人々に、お金を出すよりも、
自分たちで立ち上がることをサポートしていくものになっていること、
互いに自分の大切なものを手放し、愛をもって仕え合う、共に生きる関係を
築いていくものになっていることを書いておられました。
3年前にこの団体の辻本先生に来て頂いてからわかってきたことですが、
改めて、一つのことにも経験と正しい知識と慎重さが大切なことを思わされました。
そして、それと共に、自分たちの今の立場について考えさせられています。
「集会場所を提供される」という「援助」をアメリカの教会から受け、
そして、20年間の年月の中で、それがいつの間にか当たり前になり、
そして、今は「私たちの今の経済状態ではそれもしょうがない」と思っている。
そのままあてはまるのではないかと思いました。
このエチオピアの一つの村の人々が立ち上がることが「並大抵のことではなかった」とありますが、
私たちにとっても、そうだろうと思います。
祈りと愛と忍耐とねばり強さの必要性を感じています。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書3:22-36でした。
「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。」27節。
ヨハネの弟子たちは平気ではいられなかった。
自分たちの先生のところに人が集まっていたのに、
今や向こうのイエスの方が人々を集め始めている。
だから、自分の先生であったヨハネに一言言わないではおられなかった。
でも、ヨハネは神さまの働きを見ていた。
彼は「言」を運ぶ「声」に徹していた。
言葉は声に乗って人の心に届く。
そこで声は消えていくが、
言葉はその相手の心にとどまって残っていく。
彼にとっては神が証しされれば、
光である救い主が証しされれば、
それで十分だった。
それが自分の使命であることを知って、そこに生きていた。
わたしもそこに堅く立って歩んでいきたいと思いました。
心の中に、このヨハネの弟子たちのような声が聞こえてきた時に、
このヨハネのようにはっきりと、少しの迷いもなく、
言うことのできる者でありたいと思います。
主よ、
あなたが私たちに任せてくださった、
多くの人々の故に感謝します。
その出会いの故に感謝します。
あなたの与えられる使命を受け止めて、
歩む者としてください。
2009-01-08
キリストがわたしの内にあって生きている。
今日も寒い一日でした。
そして、時々にわか雪が「さー」っと降ってくる、
そんな日でした。
でも底冷えです。
からだの芯から冷えそうな感じです。
明日の朝はー5度くらいまで下がるでしょう。
土曜日ですが、本格的な雪になりそうな感じです。
3-6インチ=7.5-15センチ。
まだ不確定な部分もありますが、
なんだか、降りそうですよ。
それも最初から最後まで雨にかわらない、きれいな「雪」。
降り始めは土曜日の昼過ぎ、
日曜日の午前中くらいまで降りそうです。
JOYJOYシンガーズや日曜日の礼拝に影響がないといいのですが・・・。
さて、今日はシャワーを浴びながら、
「キリストがわたしの内にあって生きておられる」ってこんな感じなのかな、
と思わされました。
自分の中にはとうていない思いが湧いてくる中で、
「ああ、これはイエスさまの思いだ、わたしの思いではなくて・・・」
と感じたのです。
なんだか、ちゃんと説明していないので、
何のこと?って感じかもしれませんが、
自然の自分が考えないようなことを考えている自分に、
「これはきっとイエスさまがわたしのうちにそんな思いを与えてくださっているんだ、
それがわたしの中にキリストが生きておられる、というこのパウロの気持ちだったんだろう」と思ったのです。
とでもうれしかったです。
そのように感じたのは初めてだったんじゃないかと思います。
感謝。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書3章16-21節です。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」16節。
聖書のメッセージを集約したような、
聖書のことば。
神がどこまで私たちを愛してくださったか、
わたしを愛してくださったか、
思わされました。
「ひとりごをお与えになったほどに」
それくらい、愛された。
私たちの救いは神にとってそれくらいの価値ということがわかる。
それくらい大切にしてくださっている、
それくらい投資してくださっている。
その愛の大きさを感謝しました。
あり得ない愛。
自分の永遠の命を差し出して、救いの道を開く愛。
そして、その愛を私たちの内側にも与えてくださる方はなんとすばらしいことでしょう。
神さま、
あなたがひとりごをお与えくださったこと、
イエスさま、
あなたが私たちの底辺に来てくださって、
私たちのためにご自身を与えてくださったことに感謝します。
どうか、その愛をわたしの内に注ぎ、
わたし自身もまた、あなたが歩まれたように歩むことができますように。
そして、時々にわか雪が「さー」っと降ってくる、
そんな日でした。
でも底冷えです。
からだの芯から冷えそうな感じです。
明日の朝はー5度くらいまで下がるでしょう。
土曜日ですが、本格的な雪になりそうな感じです。
3-6インチ=7.5-15センチ。
まだ不確定な部分もありますが、
なんだか、降りそうですよ。
それも最初から最後まで雨にかわらない、きれいな「雪」。
降り始めは土曜日の昼過ぎ、
日曜日の午前中くらいまで降りそうです。
JOYJOYシンガーズや日曜日の礼拝に影響がないといいのですが・・・。
さて、今日はシャワーを浴びながら、
「キリストがわたしの内にあって生きておられる」ってこんな感じなのかな、
と思わされました。
自分の中にはとうていない思いが湧いてくる中で、
「ああ、これはイエスさまの思いだ、わたしの思いではなくて・・・」
と感じたのです。
なんだか、ちゃんと説明していないので、
何のこと?って感じかもしれませんが、
自然の自分が考えないようなことを考えている自分に、
「これはきっとイエスさまがわたしのうちにそんな思いを与えてくださっているんだ、
それがわたしの中にキリストが生きておられる、というこのパウロの気持ちだったんだろう」と思ったのです。
とでもうれしかったです。
そのように感じたのは初めてだったんじゃないかと思います。
感謝。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書3章16-21節です。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」16節。
聖書のメッセージを集約したような、
聖書のことば。
神がどこまで私たちを愛してくださったか、
わたしを愛してくださったか、
思わされました。
「ひとりごをお与えになったほどに」
それくらい、愛された。
私たちの救いは神にとってそれくらいの価値ということがわかる。
それくらい大切にしてくださっている、
それくらい投資してくださっている。
その愛の大きさを感謝しました。
あり得ない愛。
自分の永遠の命を差し出して、救いの道を開く愛。
そして、その愛を私たちの内側にも与えてくださる方はなんとすばらしいことでしょう。
神さま、
あなたがひとりごをお与えくださったこと、
イエスさま、
あなたが私たちの底辺に来てくださって、
私たちのためにご自身を与えてくださったことに感謝します。
どうか、その愛をわたしの内に注ぎ、
わたし自身もまた、あなたが歩まれたように歩むことができますように。
2009-01-07
もう一つの神のことば。
今朝、起きたら気温はもう0度を超えていましたが、
まだ、地面はつるつるでしたね。
昼間の最高気温は2.5度。
冷たい雨の一日でした。
明日はまた晴れてきますが、
寒い日になりそうです。
そして、土曜日にはまた雪。
そして、来週1週間はぐんと寒くなるでしょう。
-15度も夢ではありません。
Purpose Driven Churchが見つからない間に、
昨日、訳者から贈って頂いた
「ゲノムと聖書」 を読み始めました。
PDLが見つからないのは「これを読め」という神さまからのメッセージなのかな、と。
まだ1章を読んだだけで、これから一歩一歩なのですが、
「はじめに」のところで、すでに一発殴られたような感じ。
原書は「The Language of God」なので、
聖書が神の言葉であるけれども、
自然もまた、神の言葉、神の啓示なのだ、
ということなのだと思うのですが、
ヒトゲノムの解読はそこに書き込まれた神の言葉を読むことなのだということ、
そして、それを解読することは、神の前に驚嘆と畏敬の念を感じるのだと。
私はどちらかというと、「解読できないことを認めることが神への畏敬の念」「あえて解読しないことが神への畏敬の念」なのだと思ってきました。
たとえば、天気予報はなかなか当りません。
その難しさを思う時に、感じる思いは、
神さまが造ったこの世界の天気を予想するなんて、
そんなの簡単にできてたまるか!って感じですね。
そして、一つの気象現象が起っている時も、
そのメカニズムがそんなに簡単に説明できるわけはないだろう、
だって、神さまの造られたこの世界はちっぽけな私たちの頭の理解を超えているんだから、と。
でも、この本のコリンズさんの言葉を天気に当てはめると、
その気象現象が起っているメカニズムを解明する時に、
神への畏れと尊敬の念を感じるということなんでしょう。
たとえ自然現象がもっともっと科学的に解明されていっても、
それによって神さまの偉大さはちっとも損なわれなくて、
反対に、もっともっと畏敬の念を覚えるのだと。
たぶん、自分は逃げてきたのだと思います。
「自分は科学者ではないからわからない」と。
そして、何でも「わからない」と言ってきた。
でも、それは彼が宗教的な意味で不可知論者であったように、
私は自然科学についての不可知論者になっていたのかもしれません。
「科学者だって、いろいろ仮説は立てるけれども、結局はホントのことはわからないのさ」と。
でも、それがあまりにも無責任な態度だったと、思わされました。
ゆっくり読んでいきたいと思いますが、
神さまはこれからどんなことを教えてくださるのでしょうか・・・。
楽しみです。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネ2章23節から3章15節。
「しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。」2章24-25節。
ここで、人々にご自身のことを任されなかったイエスが、
今、私たちにご自身のことを任せてくださっていることに、
私たちを通して、ご自身を表そうとしている、
神がどんな方かを表そうとされていることに
心から感謝を覚えました。
そのように期待してくださっていること、
そのように用いようとしてくださっていることは
何とうれしいことでしょうか?
用いられる喜び、
信頼される喜びを感じました。
神さま、
今も、私たちをあなたが信頼して、
ご自身のことを私たちに任せてくださっていることに、
あなたが私たちを用いて、ご自身の愛を伝えようとされていることに、
心から感謝します。
私たちの内に働いて、
あなたの愛を表す者として、
用いてください。
まだ、地面はつるつるでしたね。
昼間の最高気温は2.5度。
冷たい雨の一日でした。
明日はまた晴れてきますが、
寒い日になりそうです。
そして、土曜日にはまた雪。
そして、来週1週間はぐんと寒くなるでしょう。
-15度も夢ではありません。
Purpose Driven Churchが見つからない間に、
昨日、訳者から贈って頂いた
「ゲノムと聖書」 を読み始めました。
PDLが見つからないのは「これを読め」という神さまからのメッセージなのかな、と。
まだ1章を読んだだけで、これから一歩一歩なのですが、
「はじめに」のところで、すでに一発殴られたような感じ。
原書は「The Language of God」なので、
聖書が神の言葉であるけれども、
自然もまた、神の言葉、神の啓示なのだ、
ということなのだと思うのですが、
ヒトゲノムの解読はそこに書き込まれた神の言葉を読むことなのだということ、
そして、それを解読することは、神の前に驚嘆と畏敬の念を感じるのだと。
私はどちらかというと、「解読できないことを認めることが神への畏敬の念」「あえて解読しないことが神への畏敬の念」なのだと思ってきました。
たとえば、天気予報はなかなか当りません。
その難しさを思う時に、感じる思いは、
神さまが造ったこの世界の天気を予想するなんて、
そんなの簡単にできてたまるか!って感じですね。
そして、一つの気象現象が起っている時も、
そのメカニズムがそんなに簡単に説明できるわけはないだろう、
だって、神さまの造られたこの世界はちっぽけな私たちの頭の理解を超えているんだから、と。
でも、この本のコリンズさんの言葉を天気に当てはめると、
その気象現象が起っているメカニズムを解明する時に、
神への畏れと尊敬の念を感じるということなんでしょう。
たとえ自然現象がもっともっと科学的に解明されていっても、
それによって神さまの偉大さはちっとも損なわれなくて、
反対に、もっともっと畏敬の念を覚えるのだと。
たぶん、自分は逃げてきたのだと思います。
「自分は科学者ではないからわからない」と。
そして、何でも「わからない」と言ってきた。
でも、それは彼が宗教的な意味で不可知論者であったように、
私は自然科学についての不可知論者になっていたのかもしれません。
「科学者だって、いろいろ仮説は立てるけれども、結局はホントのことはわからないのさ」と。
でも、それがあまりにも無責任な態度だったと、思わされました。
ゆっくり読んでいきたいと思いますが、
神さまはこれからどんなことを教えてくださるのでしょうか・・・。
楽しみです。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネ2章23節から3章15節。
「しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。」2章24-25節。
ここで、人々にご自身のことを任されなかったイエスが、
今、私たちにご自身のことを任せてくださっていることに、
私たちを通して、ご自身を表そうとしている、
神がどんな方かを表そうとされていることに
心から感謝を覚えました。
そのように期待してくださっていること、
そのように用いようとしてくださっていることは
何とうれしいことでしょうか?
用いられる喜び、
信頼される喜びを感じました。
神さま、
今も、私たちをあなたが信頼して、
ご自身のことを私たちに任せてくださっていることに、
あなたが私たちを用いて、ご自身の愛を伝えようとされていることに、
心から感謝します。
私たちの内に働いて、
あなたの愛を表す者として、
用いてください。
2009-01-06
神さまが目をふさがれる。
今日は本当に底冷えする一日でした。
どんよりとした中で、最高気温は2度くらい。
そして、今、夜の11時前ですが、
-1度で雨が降っています。
そうです。Freezing Rainです。
雪はほとんど降らないで、
雨になりました。
塩をまいていないところは、
もうすでにスケートリンク状態です。
でも、雨はこれから本番。
気温の上昇はゆっくりだそうですので、
かなりひどい凍結になるかもしれません。
先週金曜日の牧師会の時に、
「じゃあ来週あたり40日間のやつ読み始めようかな」と思っていた
Purpose Driven Lifeですが、
じゃ、読もうかな、と思って探し始めたのですが、
本がありません。
何度探しても見つからないのです。
時々あります。
「あの本があればいいのに」と探していてもなかなか見つからないこと。
そして、しばらくしてから、その用事が終わった後に、あれ、あるじゃん、と気がつくこと。
そんな時に、まあ、自分の注意力や整理力のなさにがっくりするのですが、
それと共に、「ああ、神さまが今のおまえには必要ないよ、その本を見て安直な答えを出すのはやめなさいと言われているんだろうな」と思うのです。
特に、メッセージの中の例話に使おうと思っているようなことには、そんなことがあります。
そう、あえて神さまが私の目を閉ざして、そのところにその探している本がないかのように見せられること、あるんだろうなと。
だから、PDLの40日間もちょっとお預けなんでしょうね。
「違うことをしなさい」と言われているように感じました。
もちろん、探すのをやめてしまうわけではないのですし、
明日見つかったら、明日スタートすることになるかもしれませんが、
また、神さまが目を開いてくださる時まで、
焦らないで、ゆっくり探していきたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書2章12-22節。
「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」19節。
これはイエスが自分のからだをさして言われたこと、
イエスが十字架にかかって、でも、3日目によみがえったことが、
私たちに与えられているしるしなんだということです。
イエスの復活こそが、イエスが主であることのしるしなのだと、
イエスは言われたんですね。
でも、それと共に、今朝は、今年の教会に与えられているみことば、
「あなたがたはキリストのからだである」ということにつながっていると感じました。
主はキリストのからだなる教会が破壊されても、
それをまた建て直される。
そんなメッセージを感じました。
解釈学的に、それが赦されるかどうかわかりません。
でも、主が「あなたじゃない、私が建て直すから」と言われたように思わされたのです。
そうですね、その主に信頼して祈っていこうと思います。
主よ、
あなたのみからだである教会を守り、支えてください。
あなたはご自分の3日目によみがえってくださいました。
そのよみがえりの力が私たちのうちに注がれていることに感謝します。
今日の語りかけに感謝します。
あなたのことを信頼していきますから、
祈りに答えて、あなたの御業をなしてください。
どんよりとした中で、最高気温は2度くらい。
そして、今、夜の11時前ですが、
-1度で雨が降っています。
そうです。Freezing Rainです。
雪はほとんど降らないで、
雨になりました。
塩をまいていないところは、
もうすでにスケートリンク状態です。
でも、雨はこれから本番。
気温の上昇はゆっくりだそうですので、
かなりひどい凍結になるかもしれません。
先週金曜日の牧師会の時に、
「じゃあ来週あたり40日間のやつ読み始めようかな」と思っていた
Purpose Driven Lifeですが、
じゃ、読もうかな、と思って探し始めたのですが、
本がありません。
何度探しても見つからないのです。
時々あります。
「あの本があればいいのに」と探していてもなかなか見つからないこと。
そして、しばらくしてから、その用事が終わった後に、あれ、あるじゃん、と気がつくこと。
そんな時に、まあ、自分の注意力や整理力のなさにがっくりするのですが、
それと共に、「ああ、神さまが今のおまえには必要ないよ、その本を見て安直な答えを出すのはやめなさいと言われているんだろうな」と思うのです。
特に、メッセージの中の例話に使おうと思っているようなことには、そんなことがあります。
そう、あえて神さまが私の目を閉ざして、そのところにその探している本がないかのように見せられること、あるんだろうなと。
だから、PDLの40日間もちょっとお預けなんでしょうね。
「違うことをしなさい」と言われているように感じました。
もちろん、探すのをやめてしまうわけではないのですし、
明日見つかったら、明日スタートすることになるかもしれませんが、
また、神さまが目を開いてくださる時まで、
焦らないで、ゆっくり探していきたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書2章12-22節。
「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」19節。
これはイエスが自分のからだをさして言われたこと、
イエスが十字架にかかって、でも、3日目によみがえったことが、
私たちに与えられているしるしなんだということです。
イエスの復活こそが、イエスが主であることのしるしなのだと、
イエスは言われたんですね。
でも、それと共に、今朝は、今年の教会に与えられているみことば、
「あなたがたはキリストのからだである」ということにつながっていると感じました。
主はキリストのからだなる教会が破壊されても、
それをまた建て直される。
そんなメッセージを感じました。
解釈学的に、それが赦されるかどうかわかりません。
でも、主が「あなたじゃない、私が建て直すから」と言われたように思わされたのです。
そうですね、その主に信頼して祈っていこうと思います。
主よ、
あなたのみからだである教会を守り、支えてください。
あなたはご自分の3日目によみがえってくださいました。
そのよみがえりの力が私たちのうちに注がれていることに感謝します。
今日の語りかけに感謝します。
あなたのことを信頼していきますから、
祈りに答えて、あなたの御業をなしてください。
2009-01-05
補い合う。・・・そして補ってくださる神さま。
今日はいい天気でした。
でも、明日の午後からは雪のようです。
で、夜にはみぞれから雨に変わる予報が出ています。
その前に5-10センチつもるとのこと。
10センチ積もってしまうと、
雨が洗い流してくれる、ということもないでしょうから、
雪かきの雪が重くなるだけ、という怖さがあります。
気持ちの良く子供たちが遊べるような最初から最後まで
ばっちり雪、というのはなかなかないですね。
昨日の夜はちょっといろいろ考えて、
なかなか眠れなかったのですが、
いけませんねえ、おかげで、朝、目が覚めたら7時でした。
目覚ましに気がつかなかったようです。
朝の祈りの時にはこの半年くらいどなたも来られないのに、
今朝、たまたま、「祈ろう!」と6時に教会に来られた方がいたら、
大変申し訳ないのですが、まあ、終わってしまったことはしょうがありません。
で、今日になって思わされたのですが、
教会って、いろいろ欠けがある、それでいいんだと。
たぶん、教会の組織について、完璧なシステムってなくて、
だから、「この組織のこういうところが問題!」って騒ぐんじゃなくて、
では、自分はこの問題を補うために、何ができるんだろうか、
この問題を何とかするのには時間がかかるだろうから、
それまでの間、私は何をすべきなんだろうか、
そんな気持ちになる方々が育っていくことの方が、
「問題だ!問題だ!」と騒いでいた方々が、
私はこの問題を補うために何ができるんだろうかと考えるようになっていくことの方が、
ずっとずっと大切なことなんではないかと思ったのです。
コリント第1の手紙の12章25節には
「各部分が互いにいたわり合うためです。」とあります。
単純な聖書の言葉に単純に従っていくことの大切さを思わされました。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネ2:1-11。
カナという町の結婚式でイエスがされた奇跡です。
「ぶどう酒がありません」3節。
ああ、こういうの大変ですよねえ。
結婚式なのに、ワインが足りなくなっちゃった。
誰の責任?ああ、大失態。
自分だったらあたふたするだろうなあ、
ばたばたするだろうなあ、何とか届けてもらえるように、
一生懸命手を尽くすだろうなあ。
そして、無理を言って、何とかできたら、「ああ、よかった」と。
ちょっとコワイくらい、どきどきしてしまいました。
昨日の聖餐式も礼拝前にこれくらいでいいですよね、と数を聞かれて、
そうですね・・・と答えたのですが、
感謝なことにたくさんの方々が来られて、
足りなくなってしまうかも・・・と思いました。
でも、不思議なことに、準備した数と、来られた方々の数がぴったり同じ。
よかったです。
自分がばたばたしなくても、
神さまが心配してくださっている。
このカナの結婚式でも、
誰も知らなかった。
給仕役も、花婿も知らなかった、
ただ、水をくんでいた僕だけが知っていた。
でも、僕たちもただ、イエスさまが命じられたことに
ただ従っていただけ。
ホントの意味では誰も知らなかった。
それでいい、ただ、単純に主に従っていくだけでいい、
そのように思いました。
主がしてくださること、それを見せて頂きたいと思いました。
主よ、
あなたを信頼して歩みます。
すべてはあなたの御手の中にあることを信頼します。
ただ、あなたに従うことができますように。
そして、あなたのみ業を見ていくことができますように。
でも、明日の午後からは雪のようです。
で、夜にはみぞれから雨に変わる予報が出ています。
その前に5-10センチつもるとのこと。
10センチ積もってしまうと、
雨が洗い流してくれる、ということもないでしょうから、
雪かきの雪が重くなるだけ、という怖さがあります。
気持ちの良く子供たちが遊べるような最初から最後まで
ばっちり雪、というのはなかなかないですね。
昨日の夜はちょっといろいろ考えて、
なかなか眠れなかったのですが、
いけませんねえ、おかげで、朝、目が覚めたら7時でした。
目覚ましに気がつかなかったようです。
朝の祈りの時にはこの半年くらいどなたも来られないのに、
今朝、たまたま、「祈ろう!」と6時に教会に来られた方がいたら、
大変申し訳ないのですが、まあ、終わってしまったことはしょうがありません。
で、今日になって思わされたのですが、
教会って、いろいろ欠けがある、それでいいんだと。
たぶん、教会の組織について、完璧なシステムってなくて、
だから、「この組織のこういうところが問題!」って騒ぐんじゃなくて、
では、自分はこの問題を補うために、何ができるんだろうか、
この問題を何とかするのには時間がかかるだろうから、
それまでの間、私は何をすべきなんだろうか、
そんな気持ちになる方々が育っていくことの方が、
「問題だ!問題だ!」と騒いでいた方々が、
私はこの問題を補うために何ができるんだろうかと考えるようになっていくことの方が、
ずっとずっと大切なことなんではないかと思ったのです。
コリント第1の手紙の12章25節には
「各部分が互いにいたわり合うためです。」とあります。
単純な聖書の言葉に単純に従っていくことの大切さを思わされました。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネ2:1-11。
カナという町の結婚式でイエスがされた奇跡です。
「ぶどう酒がありません」3節。
ああ、こういうの大変ですよねえ。
結婚式なのに、ワインが足りなくなっちゃった。
誰の責任?ああ、大失態。
自分だったらあたふたするだろうなあ、
ばたばたするだろうなあ、何とか届けてもらえるように、
一生懸命手を尽くすだろうなあ。
そして、無理を言って、何とかできたら、「ああ、よかった」と。
ちょっとコワイくらい、どきどきしてしまいました。
昨日の聖餐式も礼拝前にこれくらいでいいですよね、と数を聞かれて、
そうですね・・・と答えたのですが、
感謝なことにたくさんの方々が来られて、
足りなくなってしまうかも・・・と思いました。
でも、不思議なことに、準備した数と、来られた方々の数がぴったり同じ。
よかったです。
自分がばたばたしなくても、
神さまが心配してくださっている。
このカナの結婚式でも、
誰も知らなかった。
給仕役も、花婿も知らなかった、
ただ、水をくんでいた僕だけが知っていた。
でも、僕たちもただ、イエスさまが命じられたことに
ただ従っていただけ。
ホントの意味では誰も知らなかった。
それでいい、ただ、単純に主に従っていくだけでいい、
そのように思いました。
主がしてくださること、それを見せて頂きたいと思いました。
主よ、
あなたを信頼して歩みます。
すべてはあなたの御手の中にあることを信頼します。
ただ、あなたに従うことができますように。
そして、あなたのみ業を見ていくことができますように。
もっと聞きたい。
またまた日付が変わってしまいましたが、
余り眠れそうな感じもしないので、
とりあえず更新中。
今日も多くの皆さんと一緒に礼拝がもてて感謝。
また役員の皆さんの就任式が教会全体でもてて感謝。
役員の皆さん、遅くまでお疲れさま。
いつも教会のことを一生懸命考えて、
一人一人のことを本当に愛して、
どうしても迷うことや時間がかかってしまうことがあって、
長くなってしまいます。
でも、さすがにこれが続くのは無理ですから、
そして、おそらく完璧な会議とか、結論とか、ないですから、
なんとか、来月からは半分くらいの時間ですむようにと祈ります。
今日もたくさんの方々が来られて、
大学生とか、もう来週には大学に戻っていたり、
また久しぶりにお会いしたり、
もっともっと皆さんのお話に耳を傾けたい、
祈って送り出したいと思いました。
日曜日にお話しできなかった皆さんと、
何とか、お話しができる一週間を過ごせますように。
さて、今日(1月4日日曜日)の聖書。
今日はヨハネによる福音書1:35-51
「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」50節。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」51節。
不思議なことを聞くよりも、
奇跡のようなことを見るよりも、
もっともっと大きなこと。
もっともっとすばらしいこと。
それが神と共に歩むこと。
神がいつも共にいてくださることを信じて歩むこと。
主よ、
今日も、また明日も、この一週間、
ずっとずっと、私と共にいてくださるからありがとうございます。
どうか、私の目を開いてそのことを見せてください。
そうです、教会に連なる一人一人の目を開いてください。
あなたがいつもいつも共にいてくださることを、
見せてください。感じさせてください。
もしも、それが見えなくても、感じなくても、
信じることができますように。
余り眠れそうな感じもしないので、
とりあえず更新中。
今日も多くの皆さんと一緒に礼拝がもてて感謝。
また役員の皆さんの就任式が教会全体でもてて感謝。
役員の皆さん、遅くまでお疲れさま。
いつも教会のことを一生懸命考えて、
一人一人のことを本当に愛して、
どうしても迷うことや時間がかかってしまうことがあって、
長くなってしまいます。
でも、さすがにこれが続くのは無理ですから、
そして、おそらく完璧な会議とか、結論とか、ないですから、
なんとか、来月からは半分くらいの時間ですむようにと祈ります。
今日もたくさんの方々が来られて、
大学生とか、もう来週には大学に戻っていたり、
また久しぶりにお会いしたり、
もっともっと皆さんのお話に耳を傾けたい、
祈って送り出したいと思いました。
日曜日にお話しできなかった皆さんと、
何とか、お話しができる一週間を過ごせますように。
さて、今日(1月4日日曜日)の聖書。
今日はヨハネによる福音書1:35-51
「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」50節。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」51節。
不思議なことを聞くよりも、
奇跡のようなことを見るよりも、
もっともっと大きなこと。
もっともっとすばらしいこと。
それが神と共に歩むこと。
神がいつも共にいてくださることを信じて歩むこと。
主よ、
今日も、また明日も、この一週間、
ずっとずっと、私と共にいてくださるからありがとうございます。
どうか、私の目を開いてそのことを見せてください。
そうです、教会に連なる一人一人の目を開いてください。
あなたがいつもいつも共にいてくださることを、
見せてください。感じさせてください。
もしも、それが見えなくても、感じなくても、
信じることができますように。
2009-01-03
永遠の命をかけて。
今朝の祈り会では、とても深く探られました。
今日は出エジプト記の32章。
モーセがシナイ山で神から十戒やそのほかの戒めをいただいているうちに、
下で待っていた人々が、「モーセはどうなったかわからないから、私たちのために神を造ってくれ!」とモーセの兄であり、モーセと共に民を導いていたアロンに迫り、アロンが金の子牛を造るところです。
神は怒りイスラエルの民を滅ぼそうとしますが、モーセは必死に神にとりなし、赦しを乞うのです。
その中で、モーセはここまで言います。
「私の名を命の書から消し去ってもいいです」と。
「命の書」とは救われる人、天国に入れてもらえる人の名前が書いてある書物といわれています。
つまり「永遠の命」を差し出して、人々の赦しを祈ったのです。
「マジで?」と思いました。
どうしてそこまでできる?そこまでする?
正直、この世の命ならわかります。
この肉体の命なら、犠牲にするのは簡単ではありませんが、気持ちはわかります。
でも「永遠の命」を差し出して、しょうもない罪を犯した人々の赦しを乞えるだろうか?
新約聖書でパウロも「彼らのためなら、私がキリストから引き離されてもかまわない」と言いました。
これもすごいですね。
キリストから引き離されたら、ダメじゃん、って思います。
なんてとんでもないこと祈っているんだ?と思います。
自分はできるかというと、やっぱり、
「永遠の命」はかけられません。
だって、「永遠」ですから。
でも、そんな自分の「とりなし」の気持ちって何だろうと思いました。
自分がそんな気持ちで「とりなし」をしているときは、とっても上から目線で、
「しょうがないなあ・・・」と思っている時。
あの蜘蛛の糸のお釈迦さんのことを何にも言えない、
本当に自分の身は安全なところに置いておいて、
「あの人もイエスさま、よろしく頼みますよ」みたいな、態度。
モーセも、パウロも、そして誰よりも、
イエスさまも、人々のために自分の身を差し出しました。
イエスは私のために、呪われたものとなってくださいました。
自分も永遠の命でも投げ出して、
人のために祈ることのできるような者に、ならせて頂きたい、
最後にはそのように思いました。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書1章19-34節。
「その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。」33節。
今、今年の年間牧会方針を考えたり、
教会の組織について、考えたりしているのですが、
結局のところ、聖霊様が働いてくださること、
聖霊様が満ちあふれてくださることが、
決定的に大切なんだなあ、と思わされました。
なんだか、ああでもない、こうでもないとやっているとき、
聖霊様を本気で求めているだろうかと思わされます。
それなりに本気で、真剣に「教会のためを考えて」やっているのですが、
大切なイエスさまはどこにおられるんだろうか、
聖霊様を本気で求めているだろうか、
聖霊様に従っているのだろうか、と思わされます。
聖霊様、
あなたを求めます。
イエス様、
あなたが聖霊様を与えてください。
私のうちに、私たちのうちにあふれ、
あなたのみこころをなしてください。
あなたに聞いていくことのできる者としてください。
今日は出エジプト記の32章。
モーセがシナイ山で神から十戒やそのほかの戒めをいただいているうちに、
下で待っていた人々が、「モーセはどうなったかわからないから、私たちのために神を造ってくれ!」とモーセの兄であり、モーセと共に民を導いていたアロンに迫り、アロンが金の子牛を造るところです。
神は怒りイスラエルの民を滅ぼそうとしますが、モーセは必死に神にとりなし、赦しを乞うのです。
その中で、モーセはここまで言います。
「私の名を命の書から消し去ってもいいです」と。
「命の書」とは救われる人、天国に入れてもらえる人の名前が書いてある書物といわれています。
つまり「永遠の命」を差し出して、人々の赦しを祈ったのです。
「マジで?」と思いました。
どうしてそこまでできる?そこまでする?
正直、この世の命ならわかります。
この肉体の命なら、犠牲にするのは簡単ではありませんが、気持ちはわかります。
でも「永遠の命」を差し出して、しょうもない罪を犯した人々の赦しを乞えるだろうか?
新約聖書でパウロも「彼らのためなら、私がキリストから引き離されてもかまわない」と言いました。
これもすごいですね。
キリストから引き離されたら、ダメじゃん、って思います。
なんてとんでもないこと祈っているんだ?と思います。
自分はできるかというと、やっぱり、
「永遠の命」はかけられません。
だって、「永遠」ですから。
でも、そんな自分の「とりなし」の気持ちって何だろうと思いました。
自分がそんな気持ちで「とりなし」をしているときは、とっても上から目線で、
「しょうがないなあ・・・」と思っている時。
あの蜘蛛の糸のお釈迦さんのことを何にも言えない、
本当に自分の身は安全なところに置いておいて、
「あの人もイエスさま、よろしく頼みますよ」みたいな、態度。
モーセも、パウロも、そして誰よりも、
イエスさまも、人々のために自分の身を差し出しました。
イエスは私のために、呪われたものとなってくださいました。
自分も永遠の命でも投げ出して、
人のために祈ることのできるような者に、ならせて頂きたい、
最後にはそのように思いました。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書1章19-34節。
「その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。」33節。
今、今年の年間牧会方針を考えたり、
教会の組織について、考えたりしているのですが、
結局のところ、聖霊様が働いてくださること、
聖霊様が満ちあふれてくださることが、
決定的に大切なんだなあ、と思わされました。
なんだか、ああでもない、こうでもないとやっているとき、
聖霊様を本気で求めているだろうかと思わされます。
それなりに本気で、真剣に「教会のためを考えて」やっているのですが、
大切なイエスさまはどこにおられるんだろうか、
聖霊様を本気で求めているだろうか、
聖霊様に従っているのだろうか、と思わされます。
聖霊様、
あなたを求めます。
イエス様、
あなたが聖霊様を与えてください。
私のうちに、私たちのうちにあふれ、
あなたのみこころをなしてください。
あなたに聞いていくことのできる者としてください。
今度こそ、開眼の話。
今日も朝は冷えましたが、
元旦の寒さを経験した後では、
暖かく感じるくらいでした。
今日の最高気温は4.5度!でしたが、
今は夕方の6時頃で、すでに氷点下に下がってきています。
明日は晴れますが、夜には雨。
それが場所によってはFreezing Rainになるようです。
お気をつけて。
さて、昨日の開眼なんですが、
昨日の牧師会で、Rick Warrenの”Purpose Driven Life”のことが
話題に出ました。
このRick Warren、現代アメリカで一番影響力のある牧師さんの一人。
こんど、オバマ氏の大統領就任式にはお祈りを頼まれたと。
日本語になっていて、私たちの教会でもいくつか勉強しました。
でも、時々疑問に思うことがありました。
「Purpose Drivenでいいのか?」と。
私は「Gospel Driven」なんじゃないかと思っていたのでした。
救いの喜びに生かされるのこそ、クリスチャンの歩みだと。
だから、もっともっと喜んで主に仕えるようになるためには、
もっともっと福音の深さを、神の愛の深さを知らなければいけないと思っていた。
実際、自分自身、神さまによってその愛を教えてもらったそのときから、
自分の信仰の姿勢が変わった。
だから、その愛をもっともっと知ってもらうためにはどうしたらいいかということばかりを考えてきた。
自分がその愛を受け取るにふさわしくないものであることを知ったらうれしくなる。
だから、罪深さを知ることこそ、喜びへの道だと思ってきた。
だから、Purpose Drivenの考え方は、
馬が鼻先ににんじんをぶら下げられて、
走らされているのと同じじゃないかと思ったこともあった。
で、昨日、そんな私の思いを、みんなにぶつけてみた。
先生方が出してくださった答えを上手に再現はできないのですが、
自分が思わされたことはこんなことでした。
「その救いの喜びも、神さまが天の御国に受け入れてくださるという目的の中で捕らえなおしたらどうか、神のために生きていくという大きな目的の中で捕らえ直すことはできないか」と。救いの喜びも、「罪が示されて、十字架の恵みがわかった」という喜びで、それは本当に私にとって決定的な経験だったんだけれども、もっともっと大きな豊かな人生を通して明らかにされていく救いの大きさのホンのスタートの喜びなのではないだろうか?と。
で、Purpose Driven Lifeの40日間を、早速来週あたりから
一日一つずつ歩んでみようかなあと思わされています。
その中で、自分が経験した救いの喜び、その圧倒的な喜びをどのように捕らえるか、
それをためしてみようと思います。
その経験から25年も経って、遅ればせながら、
その経験をもっと大きな枠の中で再解釈してみようと思ったのです。
それは「私は救いの時の喜びはそれほど大きくなくて、本当に救いということがわかっていないのかも・・・」とか「救われた時は喜びが湧いてきたのに、今はなんだか、冷めてしまって・・・」という人にも新しい光をあてることになるのではないだろうかと思ったのです。
ちょっとわくわくしているんですが・・・。
また、ここで分かち合っていきますね。
さて、昨日、1月2日の聖書。
昨日はヨハネによる福音書1章9-18節。
「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」16節。
このイエスの豊かさ。
恵みの深さ、そこに目が留まりました。
そして、この一年、その豊かさ、恵み深さに目が開かれますように、と思わされました。
本当にこのヨハネが告白しているように、
「イエスさま、って充ち満ちた豊かさをもっておられるんだよねえ」
「恵みに恵みがくわれられて、もうねえ大変!」って
言えるように、主に教えて頂きたいと思います。
経験させて頂きたいと思います。
主よ、
あなたの豊かさを知りたい。
あなたの恵みをもっと経験したいです。
「恵みに恵みが加えられる」ってほどに!
イエスさま、
よろしくお願いします。
元旦の寒さを経験した後では、
暖かく感じるくらいでした。
今日の最高気温は4.5度!でしたが、
今は夕方の6時頃で、すでに氷点下に下がってきています。
明日は晴れますが、夜には雨。
それが場所によってはFreezing Rainになるようです。
お気をつけて。
さて、昨日の開眼なんですが、
昨日の牧師会で、Rick Warrenの”Purpose Driven Life”のことが
話題に出ました。
このRick Warren、現代アメリカで一番影響力のある牧師さんの一人。
こんど、オバマ氏の大統領就任式にはお祈りを頼まれたと。
日本語になっていて、私たちの教会でもいくつか勉強しました。
でも、時々疑問に思うことがありました。
「Purpose Drivenでいいのか?」と。
私は「Gospel Driven」なんじゃないかと思っていたのでした。
救いの喜びに生かされるのこそ、クリスチャンの歩みだと。
だから、もっともっと喜んで主に仕えるようになるためには、
もっともっと福音の深さを、神の愛の深さを知らなければいけないと思っていた。
実際、自分自身、神さまによってその愛を教えてもらったそのときから、
自分の信仰の姿勢が変わった。
だから、その愛をもっともっと知ってもらうためにはどうしたらいいかということばかりを考えてきた。
自分がその愛を受け取るにふさわしくないものであることを知ったらうれしくなる。
だから、罪深さを知ることこそ、喜びへの道だと思ってきた。
だから、Purpose Drivenの考え方は、
馬が鼻先ににんじんをぶら下げられて、
走らされているのと同じじゃないかと思ったこともあった。
で、昨日、そんな私の思いを、みんなにぶつけてみた。
先生方が出してくださった答えを上手に再現はできないのですが、
自分が思わされたことはこんなことでした。
「その救いの喜びも、神さまが天の御国に受け入れてくださるという目的の中で捕らえなおしたらどうか、神のために生きていくという大きな目的の中で捕らえ直すことはできないか」と。救いの喜びも、「罪が示されて、十字架の恵みがわかった」という喜びで、それは本当に私にとって決定的な経験だったんだけれども、もっともっと大きな豊かな人生を通して明らかにされていく救いの大きさのホンのスタートの喜びなのではないだろうか?と。
で、Purpose Driven Lifeの40日間を、早速来週あたりから
一日一つずつ歩んでみようかなあと思わされています。
その中で、自分が経験した救いの喜び、その圧倒的な喜びをどのように捕らえるか、
それをためしてみようと思います。
その経験から25年も経って、遅ればせながら、
その経験をもっと大きな枠の中で再解釈してみようと思ったのです。
それは「私は救いの時の喜びはそれほど大きくなくて、本当に救いということがわかっていないのかも・・・」とか「救われた時は喜びが湧いてきたのに、今はなんだか、冷めてしまって・・・」という人にも新しい光をあてることになるのではないだろうかと思ったのです。
ちょっとわくわくしているんですが・・・。
また、ここで分かち合っていきますね。
さて、昨日、1月2日の聖書。
昨日はヨハネによる福音書1章9-18節。
「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」16節。
このイエスの豊かさ。
恵みの深さ、そこに目が留まりました。
そして、この一年、その豊かさ、恵み深さに目が開かれますように、と思わされました。
本当にこのヨハネが告白しているように、
「イエスさま、って充ち満ちた豊かさをもっておられるんだよねえ」
「恵みに恵みがくわれられて、もうねえ大変!」って
言えるように、主に教えて頂きたいと思います。
経験させて頂きたいと思います。
主よ、
あなたの豊かさを知りたい。
あなたの恵みをもっと経験したいです。
「恵みに恵みが加えられる」ってほどに!
イエスさま、
よろしくお願いします。
2009-01-02
開眼。・・・だけど。
今日も朝は寒かったですが、
昼間は何とか1度くらいまで上がりました。
でもまた夜は寒いです。
明日は晴れるようです。
今日は地域の日本語牧師会。
開眼させられたことがあったので、
書きたかったのですが、
他のことに手間取ってしまいました。
明日の早朝祈祷会に備えて、休みます。
「日々のみことば」も2日目にして、「また明日・・・」
ではでは・・・。
昼間は何とか1度くらいまで上がりました。
でもまた夜は寒いです。
明日は晴れるようです。
今日は地域の日本語牧師会。
開眼させられたことがあったので、
書きたかったのですが、
他のことに手間取ってしまいました。
明日の早朝祈祷会に備えて、休みます。
「日々のみことば」も2日目にして、「また明日・・・」
ではでは・・・。
2009-01-01
元旦礼拝の祝福。
今日は午前11時から元旦礼拝。
たくさんの方々が集まりました。
元旦だから来れる、という方々も結構おられます。英語の教会に行かれている方々、
初めての方々も結構来られました。
礼拝後はつきたてのお餅もいただきました。
右のリンクの「ニュージャージー日本語キリスト教会」から、
「イベントフォト」を選ぶと、今日の写真も見れます。
礼拝メッセージは「『キリストの』からだである教会」について話しました。
私たちは教会の『からだ』であることはよく話します。
私は手だ、私は足だ、働きは違う、お互い認め合っていこう、助け合っていこうと。
でも、「『キリストの』からだ」ということに注目することは少ないと思います。
教会は今、イエスが天に帰られた今、イエスを見えるかたちで表すカラダです。
イエスが知りたければ、見たければ、教会に来ればいい。
イエスがどんな方か知りたければ、ニュージャージー日本語キリスト教会に来ればいい、
そのように言えるように・・・と思います。
イエスが与えて与えて、損をして、私たちを愛されたように、
私たちもあえて、損をすることを積極的に考えるような
生き方をさせて頂きたいと思います。
今朝、温度計は-10度でした。
元旦早々-10度ですよ。
で、最低気温は-10.8度。
一日の最高気温は、よくわかりませんが、間違いなく真冬日です。
今、夜の10時ですが、-7.6度を指しています。
明日は少し寒さがゆるむようですが、
にわか雪も降るようです。
そして、次の雪の可能性は8日頃。
そして、10日を過ぎるとしばらく氷点下の日が続きそうです。
今年はちょっと本格的な冬のようですね。
さて、今日、元旦の聖書。
今日からヨハネによる福音書です。
今日は1章1-8節。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」4節。
イエスのうちにあるいのち、
それは人間にとっての光。
でも、自分はそれを本当に知っているだろうか?
子どもの頃から当たり前のようにイエスを知っている中で、
その本当のイエスの価値、イエスの光の力を知っているだろうか。
そんなことを思わされました。
是非、この一年、そのイエスの光の力、
イエスの光の暖かさ、心強さ、知らせて頂きたいと思います。
イエスよ、
この一年あなたの命の豊かさ、
あなたの光の輝きを知っていくことができますように。
もっともっとあなたの力を知って、
あなたの価値を知ってそれを証することができますように。
あなたの愛に満たされて、愛することができますように。
自分が損をすることを恐れることがありませんように。
あけましておめでとうございます。
アメリカ東海岸は先ほど2009年になりました。
今年もよろしくお願いします。
「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。」イザヤ43章19節。
11時過ぎから、家族で賛美をして、
一年の感謝を語り合い、祈って、
30秒前に終わって、テレビをつけて、
カウントダウンの最後5秒だけ見ました。
ハジが大学に進む年。
もしかしたら、5人で一緒に生活する最後の半年になるかもしれません。
一つ一つの節目を大切にしていきたいと思います。
今年もよろしくお願いします。
「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。」イザヤ43章19節。
11時過ぎから、家族で賛美をして、
一年の感謝を語り合い、祈って、
30秒前に終わって、テレビをつけて、
カウントダウンの最後5秒だけ見ました。
ハジが大学に進む年。
もしかしたら、5人で一緒に生活する最後の半年になるかもしれません。
一つ一つの節目を大切にしていきたいと思います。
2008-12-31
一年の感謝。
寒いです。本当に寒いです。
風もありますが、気温が夜の10時半で-9度。
明日の朝は何度まで下がるのでしょうか?
ホントに寒いカウントダウンの夜です。
NYに行く人はどれくらいいるんでしょうか?
からだがおかしくなると思います。
タイムズスクエアで100万人押しくらまんじゅう大会でもやらないと、
ほんと、危険なくらい寒いです。
トイレの数も限られていますし、
いやあ、考えられないです。
明日も晴れますが、一日氷点下の真冬日でしょう。
明日は教会で11時から元旦礼拝です。
教会の中は暖かいですし、人々は熱いです。
お近くの皆さんは是非、お出かけください。
アメリカ東部は、今年もあと1時間あまりです。
ホント神さまが守ってくださいました。
何が大きかったでしょうかねえ。
たくさんの方々との出会いがありました。
2月に日本に行った時、
その後、アトランタに大学見学をかねて家族で14年ぶりに行った時、
そして、教会に初めて来られたたくさんの方々、
こっち や、こっち の泊まってくださった方々、
遊びに来てくださった方々、
奉仕にお招きできた方々、特にこっちの先生 。
ホント、例年にまして、新しい出会いが、
「ああ、神さまが出会わせてくださったんだなあ」というものでした。
朝、「日々の光」という聖書の言葉をまとめた日課があるのですが、
その今日のところを読んでから、朝食を取りました。
「あなたがたはまた荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたが、この所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった。」申命記1章31節。
ホントにそうだなあと思いました。
今年の3月、イースターを前にして、
教会のオフィスで毎朝6時に祈るようになりました。
家の自分の机だと、途中でいろいろ仕事が始まってしまったり、
集中できなかったり、眠かったら甘えてしまったり・・・。
でも、あえて、教会に出向くことによって、
毎朝早く起きることが苦ではなくなりました。(年齢的なこともあるかもしれませんが・・・)
今、本当にその時間が自分にとってどれほど大切な時間になっていることでしょうか?
きつい朝もあります。・・・でも、何度、主が用意してくださったみことばの恵みに満たされる経験をしたことでしょうか?
今年「日々のみことば」を読み始めました。
1日1章の半分だったり、3分の一だったり、もっと少なかったり、
その少しずつ味わう時が本当に幸いな時となりました。
教会で弟子訓練のグループが5つになりました。
まだ、わたしがすべてのグループに出ていますが、
やはり、これが教会の歩みの中でどれほど大切なことかと思わされます。
今まで、どこまで楽天的で、どこまで信仰を持ったばかりの方々に対して、不親切だったことかと思います。
たくさんたくさん、新しいことに気付かされる一年でした。
感謝がいっぱいです。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の22章6-21節。
「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」17節。
主が与えてくださる、タダで与えてくださる命の水。
英語ではfree giftになっている。
私たちにギフトとして与えられている。
ギフトなのに、私たちは、いつの間にか、何だか、もっと一生懸命やらないといけない気持ちになってしまう。
ただ、求めよう。
ただ、求めて待ち望もう。
命の水をいただいて、出ていく者となろう。
主よ、
新しい年も、あなたが与えてくださる命の水を求めます。
あなたがいつもいつも満たし続けてくださいますように。
わたしの心をいつもあなたが潤してくださいますように。
心から感謝して。
風もありますが、気温が夜の10時半で-9度。
明日の朝は何度まで下がるのでしょうか?
ホントに寒いカウントダウンの夜です。
NYに行く人はどれくらいいるんでしょうか?
からだがおかしくなると思います。
タイムズスクエアで100万人押しくらまんじゅう大会でもやらないと、
ほんと、危険なくらい寒いです。
トイレの数も限られていますし、
いやあ、考えられないです。
明日も晴れますが、一日氷点下の真冬日でしょう。
明日は教会で11時から元旦礼拝です。
教会の中は暖かいですし、人々は熱いです。
お近くの皆さんは是非、お出かけください。
アメリカ東部は、今年もあと1時間あまりです。
ホント神さまが守ってくださいました。
何が大きかったでしょうかねえ。
たくさんの方々との出会いがありました。
2月に日本に行った時、
その後、アトランタに大学見学をかねて家族で14年ぶりに行った時、
そして、教会に初めて来られたたくさんの方々、
こっち や、こっち の泊まってくださった方々、
遊びに来てくださった方々、
奉仕にお招きできた方々、特にこっちの先生 。
ホント、例年にまして、新しい出会いが、
「ああ、神さまが出会わせてくださったんだなあ」というものでした。
朝、「日々の光」という聖書の言葉をまとめた日課があるのですが、
その今日のところを読んでから、朝食を取りました。
「あなたがたはまた荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたが、この所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった。」申命記1章31節。
ホントにそうだなあと思いました。
今年の3月、イースターを前にして、
教会のオフィスで毎朝6時に祈るようになりました。
家の自分の机だと、途中でいろいろ仕事が始まってしまったり、
集中できなかったり、眠かったら甘えてしまったり・・・。
でも、あえて、教会に出向くことによって、
毎朝早く起きることが苦ではなくなりました。(年齢的なこともあるかもしれませんが・・・)
今、本当にその時間が自分にとってどれほど大切な時間になっていることでしょうか?
きつい朝もあります。・・・でも、何度、主が用意してくださったみことばの恵みに満たされる経験をしたことでしょうか?
今年「日々のみことば」を読み始めました。
1日1章の半分だったり、3分の一だったり、もっと少なかったり、
その少しずつ味わう時が本当に幸いな時となりました。
教会で弟子訓練のグループが5つになりました。
まだ、わたしがすべてのグループに出ていますが、
やはり、これが教会の歩みの中でどれほど大切なことかと思わされます。
今まで、どこまで楽天的で、どこまで信仰を持ったばかりの方々に対して、不親切だったことかと思います。
たくさんたくさん、新しいことに気付かされる一年でした。
感謝がいっぱいです。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の22章6-21節。
「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」17節。
主が与えてくださる、タダで与えてくださる命の水。
英語ではfree giftになっている。
私たちにギフトとして与えられている。
ギフトなのに、私たちは、いつの間にか、何だか、もっと一生懸命やらないといけない気持ちになってしまう。
ただ、求めよう。
ただ、求めて待ち望もう。
命の水をいただいて、出ていく者となろう。
主よ、
新しい年も、あなたが与えてくださる命の水を求めます。
あなたがいつもいつも満たし続けてくださいますように。
わたしの心をいつもあなたが潤してくださいますように。
心から感謝して。
雪の大晦日。
朝起きた時は曇り空だったのですが、
8時頃に小雪が降り始めて、
9時45分頃にはこんな感じ。
今は激しく降っています。
でも、一時的なことのようで、
午後は風の方が大変のようです。
風で雪が舞って、視界が悪くなることもありそうだとのこと。
運転の方は気をつけて。
日本はあと10分ほどで2009年ですね。
でも、私はこの一年を振り返るのはニュージャージー時間の夜の更新にとっておいて、
これから明日の元旦礼拝の準備です。
さて、昨日、火曜日の聖書。
昨日はヨハネの黙示録の21章22節から22章5節。
「そこには夜がないからである。」21:25
「もはや夜がない。」22:5
日曜日の礼拝の中で、
何度も、「クリスチャンになったからと言って苦しみや悩みがなくなってしまうわけではない」とお話ししました。お話ししながら、お一人一人が抱えている問題や、痛み、悩みに、心が向いていました。
そして、できるならば、本当にできるならば、それから解放されたらいいのに、と思いました。
私たちは痛みや苦しみによって成長する部分もあります。
それによっていろんなことを知らされるのです。
でも、できるならば、その痛みを通りたくない、また痛みに傷ついて、後遺症に苦しんでおられる方を拝見すると、できるならば、その苦しみを通って欲しくない、そんな気持ちになります。
ですから、やがて「夜のない」ところに迎え入れられること、
本当に大きな希望です。
主は私たちのために夜のない世界を準備しておられる。
感謝します。
主よ、
あなたが準備しておられる天の御国は、
夜のない世界だということを知りました。
感謝します。新しい希望です。
今朝も訃報を聞きました。
ご遺族の方々、ご友人の方々に、
天国の希望があなたから与えられますように。
8時頃に小雪が降り始めて、
9時45分頃にはこんな感じ。
今は激しく降っています。
でも、一時的なことのようで、
午後は風の方が大変のようです。
風で雪が舞って、視界が悪くなることもありそうだとのこと。
運転の方は気をつけて。
日本はあと10分ほどで2009年ですね。
でも、私はこの一年を振り返るのはニュージャージー時間の夜の更新にとっておいて、
これから明日の元旦礼拝の準備です。
さて、昨日、火曜日の聖書。
昨日はヨハネの黙示録の21章22節から22章5節。
「そこには夜がないからである。」21:25
「もはや夜がない。」22:5
日曜日の礼拝の中で、
何度も、「クリスチャンになったからと言って苦しみや悩みがなくなってしまうわけではない」とお話ししました。お話ししながら、お一人一人が抱えている問題や、痛み、悩みに、心が向いていました。
そして、できるならば、本当にできるならば、それから解放されたらいいのに、と思いました。
私たちは痛みや苦しみによって成長する部分もあります。
それによっていろんなことを知らされるのです。
でも、できるならば、その痛みを通りたくない、また痛みに傷ついて、後遺症に苦しんでおられる方を拝見すると、できるならば、その苦しみを通って欲しくない、そんな気持ちになります。
ですから、やがて「夜のない」ところに迎え入れられること、
本当に大きな希望です。
主は私たちのために夜のない世界を準備しておられる。
感謝します。
主よ、
あなたが準備しておられる天の御国は、
夜のない世界だということを知りました。
感謝します。新しい希望です。
今朝も訃報を聞きました。
ご遺族の方々、ご友人の方々に、
天国の希望があなたから与えられますように。
2008-12-30
寒い大晦日だよ~。
今日は天気は良くて、気温もさほど低くはなかったのですが、
風が強かったので、寒く感じましたね。
今は夜の12時前ですが、-2.1度まで下がってきています。
今夜これから、または明日の朝早く雪が降ってくるそうです。
5-10センチの積雪の予想。
そして、明日の夜のカウントダウンの時間には、
-5度以下に下がるようです。
そして、風も強く、体感気温は-15度以下。
ほんと、それでも「カウントダウンに行く!」というつわものの人は、
防寒対策ばっちりで、行ってくださいねえ。
私は、元旦礼拝に備えてばっちり休みます。
そう、教会では元旦礼拝をします。
一年の最初に、神さまの前に出て、
一緒にスタートする、幸いな礼拝です。
礼拝の後はお餅です。
是非、是非、NY近郊の方々お出かけください。
お問い合わせは、
右のAbout Meのところから、
View My Complete Profileをクリックすると、
Emailアドレスが出てきます。
そちらにご連絡ください。
新しい年がお一人一人にとって、
喜びにあふれたものとなりますように!!
さて、昨日、月曜日の聖書。
昨日は黙示録の21:9-21でした。
「都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。」18節。
これは天国の情景を書いている箇所の続きです。
宝石だったり、貴金属だったりするので、
個人的には着いていけない(知らないので、どんな情景かわからない・・・)
のですが、ヨハネも自分の知っているもので何とか、そのすばらしさをわかってもらおうとしたのだと思います。「絵にも描けない美しさ」「言葉では表せない」とか言ってしまったら、それで終わり。実際そうだと思うのですが、それを言わないで、何とか、自分たちの知っているこの地上のもので表そうとしたら・・・という苦闘がわかります。
「ガラスに似た純金」というのもわかったようなわからないような感じです。
でも、天国は本当に輝いている、
キラキラと光っている、
それはわかるような気がします。
でも、言葉にすると、なんだか違う、っても絶対あるでしょうね。
ホントはもっとすごいんだと。
私もその努力を惜しまないものでありたいと思います。
すぐに「すごい」という言葉で片づけてしまうことが多いのですが、
それを他の言葉で、もっと伝わる可能性のある言葉で、
伝えようとする努力、それをもっともっとしていこうと思います。
でも、それと共に本当の神さまのすばらしさは言葉では伝えきれないものなんだということを、
忘れないでいたいと思います。
神さま、
あなたが私たちのために準備しておられる天国のすばらしさを垣間見せてくださっていることに感謝します。
そのすばらしさを何とか伝えようとした、ヨハネの情熱に感謝します。
私も同じ情熱をもって、あなたの救いのすばらしさ、
あなたの愛の大きさを、何とか伝わるように、語る者であらせてください。
でも、最終的には、一人一人が、あなたの圧倒的な力に触れて頂くことができますように。
聖霊様が私の上に、私が出会う一人一人の上に、満ちあふれてくださいますように。
風が強かったので、寒く感じましたね。
今は夜の12時前ですが、-2.1度まで下がってきています。
今夜これから、または明日の朝早く雪が降ってくるそうです。
5-10センチの積雪の予想。
そして、明日の夜のカウントダウンの時間には、
-5度以下に下がるようです。
そして、風も強く、体感気温は-15度以下。
ほんと、それでも「カウントダウンに行く!」というつわものの人は、
防寒対策ばっちりで、行ってくださいねえ。
私は、元旦礼拝に備えてばっちり休みます。
そう、教会では元旦礼拝をします。
一年の最初に、神さまの前に出て、
一緒にスタートする、幸いな礼拝です。
礼拝の後はお餅です。
是非、是非、NY近郊の方々お出かけください。
お問い合わせは、
右のAbout Meのところから、
View My Complete Profileをクリックすると、
Emailアドレスが出てきます。
そちらにご連絡ください。
新しい年がお一人一人にとって、
喜びにあふれたものとなりますように!!
さて、昨日、月曜日の聖書。
昨日は黙示録の21:9-21でした。
「都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。」18節。
これは天国の情景を書いている箇所の続きです。
宝石だったり、貴金属だったりするので、
個人的には着いていけない(知らないので、どんな情景かわからない・・・)
のですが、ヨハネも自分の知っているもので何とか、そのすばらしさをわかってもらおうとしたのだと思います。「絵にも描けない美しさ」「言葉では表せない」とか言ってしまったら、それで終わり。実際そうだと思うのですが、それを言わないで、何とか、自分たちの知っているこの地上のもので表そうとしたら・・・という苦闘がわかります。
「ガラスに似た純金」というのもわかったようなわからないような感じです。
でも、天国は本当に輝いている、
キラキラと光っている、
それはわかるような気がします。
でも、言葉にすると、なんだか違う、っても絶対あるでしょうね。
ホントはもっとすごいんだと。
私もその努力を惜しまないものでありたいと思います。
すぐに「すごい」という言葉で片づけてしまうことが多いのですが、
それを他の言葉で、もっと伝わる可能性のある言葉で、
伝えようとする努力、それをもっともっとしていこうと思います。
でも、それと共に本当の神さまのすばらしさは言葉では伝えきれないものなんだということを、
忘れないでいたいと思います。
神さま、
あなたが私たちのために準備しておられる天国のすばらしさを垣間見せてくださっていることに感謝します。
そのすばらしさを何とか伝えようとした、ヨハネの情熱に感謝します。
私も同じ情熱をもって、あなたの救いのすばらしさ、
あなたの愛の大きさを、何とか伝わるように、語る者であらせてください。
でも、最終的には、一人一人が、あなたの圧倒的な力に触れて頂くことができますように。
聖霊様が私の上に、私が出会う一人一人の上に、満ちあふれてくださいますように。
2008-12-29
2008-12-28
暖気がんばる。
今日は暖気がんばりましたねえ。
朝起きたら、まだ4度台でしたが、
昼間は本当に暖かくなりました。
最高気温は16.8度。
今は夜の11時で8度です。
今夜はぐっと冷えるようですが、
まだまだ高めです。
明日は今日の暖かさに比べるとずっと寒くなるでしょう。
そして、大晦日の夕方から元旦にかけて結構冷えそうです。
カウントダウンにお出かけの方は要注意ですね。
今日は礼拝に日本からのお客さんが3人来られました。
いろんなところからつながりが生まれているのは本当にわくわくします。
そして、午前中、そのうちのお二人と一緒に
お約束のコースになりつつある、
Brooklyn Tabernacleの9時の礼拝に行ってきました。
うーん、またまた、賛美の渦に巻き込まれて、
心からの賛美を捧げる一時が与えられました。
宇宙に広がる神さまへの賛美の一翼を担わせて頂いているというか、
宇宙に広がる賛美に参加している喜びを感じました。
そんな思いを持ちながらJCCNJの礼拝に行ったものですから、
JCCNJの礼拝が祝福されないわけがありません。
真の礼拝者でありたい、真の礼拝者を育てたい、
そんな日曜日でした。
さて、今日の聖書。
今日は黙示録の21章1-8節。
「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」4節。
やはり、この言葉が大きな慰め。
先に天に召されていった方々のことを考えても、
自分の行く末を考えても、
主のもとに行く時に、
これが待っているかと思うと、
本当に慰め。
死も、悲しみも、叫びも、苦しみも、
そういうものから一切解放されて、
平安の中に入れられる。
圧倒的な神の臨在を覚えて、
その中で歩む。
そのような世界が待っている。
大きな慰めであり、力です。
パウロが「私の本当の願いはこの世を去って、キリストと共にいることです。でも、私には地上での使命がありますから、板挟みです」と言ったことがだんだんわかるようになってきました。
神さま、
あなたがこのような世界を準備して待っておられることに感謝します。
どうか、私のこの地上での歩みが、それを見つめながら、
でも、この地上で精いっぱいを尽くす歩みでありますように。
朝起きたら、まだ4度台でしたが、
昼間は本当に暖かくなりました。
最高気温は16.8度。
今は夜の11時で8度です。
今夜はぐっと冷えるようですが、
まだまだ高めです。
明日は今日の暖かさに比べるとずっと寒くなるでしょう。
そして、大晦日の夕方から元旦にかけて結構冷えそうです。
カウントダウンにお出かけの方は要注意ですね。
今日は礼拝に日本からのお客さんが3人来られました。
いろんなところからつながりが生まれているのは本当にわくわくします。
そして、午前中、そのうちのお二人と一緒に
お約束のコースになりつつある、
Brooklyn Tabernacleの9時の礼拝に行ってきました。
うーん、またまた、賛美の渦に巻き込まれて、
心からの賛美を捧げる一時が与えられました。
宇宙に広がる神さまへの賛美の一翼を担わせて頂いているというか、
宇宙に広がる賛美に参加している喜びを感じました。
そんな思いを持ちながらJCCNJの礼拝に行ったものですから、
JCCNJの礼拝が祝福されないわけがありません。
真の礼拝者でありたい、真の礼拝者を育てたい、
そんな日曜日でした。
さて、今日の聖書。
今日は黙示録の21章1-8節。
「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」4節。
やはり、この言葉が大きな慰め。
先に天に召されていった方々のことを考えても、
自分の行く末を考えても、
主のもとに行く時に、
これが待っているかと思うと、
本当に慰め。
死も、悲しみも、叫びも、苦しみも、
そういうものから一切解放されて、
平安の中に入れられる。
圧倒的な神の臨在を覚えて、
その中で歩む。
そのような世界が待っている。
大きな慰めであり、力です。
パウロが「私の本当の願いはこの世を去って、キリストと共にいることです。でも、私には地上での使命がありますから、板挟みです」と言ったことがだんだんわかるようになってきました。
神さま、
あなたがこのような世界を準備して待っておられることに感謝します。
どうか、私のこの地上での歩みが、それを見つめながら、
でも、この地上で精いっぱいを尽くす歩みでありますように。
暖気、苦戦。
今、午前1時過ぎですが、
外はかなり濃い霧が出ています。
これは暖かく湿った空気が、
雪の地面に冷やされて、
水蒸気が飽和状態になり、
結露してできる霧です。
で、土曜日の予想最高気温は10度で、
夜も上がり続ける、と言う予想だったので、
あたれば、今頃10度以上はあるべきなのですが、
今の家の庭の気温は4度。
暖かい空気がかなり苦戦しているようです。
日曜日の予想は18度くらいですが、
さて、どうなるか。
がんばれ!暖気!
あ、でも、それも1日限りで、
月曜日からはまた冬の「まあまあ」の日になるようです。
さて、土曜日の聖書。
土曜日は黙示録の20章でした。
「この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。」6節。
世の終わりの復活の恵みについて書かれている。
その勝利、その解放、その力、
第二の死が何の力もない、ということに力をいただいた。
その勝利は完全な勝利なんだと。
楽しみだ。
今、私たちはいろいろな戦いがある、
悩みがある、でも、そのときには、
そのようなものから、解放されて、
本当に今とまた違うレベルの自由を与えられるのだ。
楽しみに待ち望んでいこう。
主よ、
今日の日曜日もあなたをほめたたえさせてください。
心からほめたたえさせてください。
あなたのすばらしさを知ることができますように。
そして、やがての日、
天国であなたをほめたたえる時を楽しみにしています。
外はかなり濃い霧が出ています。
これは暖かく湿った空気が、
雪の地面に冷やされて、
水蒸気が飽和状態になり、
結露してできる霧です。
で、土曜日の予想最高気温は10度で、
夜も上がり続ける、と言う予想だったので、
あたれば、今頃10度以上はあるべきなのですが、
今の家の庭の気温は4度。
暖かい空気がかなり苦戦しているようです。
日曜日の予想は18度くらいですが、
さて、どうなるか。
がんばれ!暖気!
あ、でも、それも1日限りで、
月曜日からはまた冬の「まあまあ」の日になるようです。
さて、土曜日の聖書。
土曜日は黙示録の20章でした。
「この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。」6節。
世の終わりの復活の恵みについて書かれている。
その勝利、その解放、その力、
第二の死が何の力もない、ということに力をいただいた。
その勝利は完全な勝利なんだと。
楽しみだ。
今、私たちはいろいろな戦いがある、
悩みがある、でも、そのときには、
そのようなものから、解放されて、
本当に今とまた違うレベルの自由を与えられるのだ。
楽しみに待ち望んでいこう。
主よ、
今日の日曜日もあなたをほめたたえさせてください。
心からほめたたえさせてください。
あなたのすばらしさを知ることができますように。
そして、やがての日、
天国であなたをほめたたえる時を楽しみにしています。
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